国 際 開 発 研 究 フォーラム 44(2014. 3) Forum of International Development Studies. 44 (Mar. 2014) 日 本 語 指 示 詞 の 内 部 照 応 用 法 ( 文 脈 指 示 用 法 )について 久 野 暲 による 分 析 の 再 検 討 大 島 デイヴィッド 義 和 On the Endophoric Use of Demonstratives in Japanese: A Reconsideration of Susumu Kuno s Analysis David Yoshikazu OSHIMA Abstract Demonstratives in many languages can be used either exophorically or endophorically. Since Kuno (1973), it has been widely acknowledged that the choice of Japanese demonstratives (the distal a-series, the medial so-series, and the proximal ko-series) in their endophoric use is regulated by the rules that make reference to the speaker s and the hearer s knowledge of the referent. This paper reconsiders Kuno s influential analysis, points out some empirical problems with it, and proposes some modifications to deal with them. The a-series can be used only when it is assumed that both speaker and hearer recognize the referent, where the relation of recognize can be established by any kind of direct contact, however slight or brief it is. The so-series can be used only when it is assumed that one or both of the interlocutors does not recognize the referent. The ko-series can be used only when it is assumed that the speaker recognizes the referent but the hearer does not, and has the effect of imparting vividness to the depiction of the referent. These generalizations extend to the use of demonstratives in soliloquy, as well as in discourses that involve more than two participants. 1.はじめに 日 本 語 の 指 示 詞 体 系 はコ 系 列 (コレ,コノ,コチラ ),ソ 系 列 (ソレ,ソノ,ソチラ ),ア 系 列 (アレ,アノ,アチラ )の3 種 から 構 成 されており,また,どの 系 列 の 指 示 詞 にも, 基 本 的 な 外 部 照 応 用 法 (exophoric use: 現 場 指 示 用 法, 眼 前 指 示 用 法 とも) と, 派 生 的 な 内 部 照 応 用 法 (endophoric use: 文 脈 指 示 用 法 とも) を 認 めることができる 1).(1)に 指 示 詞 ソノの 外 部 照 応 用 法 と 内 部 照 応 用 法 とを 例 示 する. (1) a. あなたがお 連 れの,その 犬 は 秋 田 犬 ですか? b. 近 所 の 人 が 犬 を 飼 っていて,その 犬 が 夜 中 に 吠 えるので 迷 惑 しています. * 名 古 屋 大 学 大 学 院 国 際 開 発 研 究 科 准 教 授 1
外 部 照 応 用 法 の 指 示 詞 の 使 い 分 けは, 概 略 次 のような 原 則 に 従 っている( 佐 久 間 1951:2 43, 服 部 1968 など) 2). (2) i. 話 し 手 に 近 いものにはコ 系 列 を 用 いる. ii. 話 し 手 に 近 くなく, 聞 き 手 に 近 いものにはソ 系 列 を 用 いる. iii. 話 し 手 にも 聞 き 手 にも 近 くないものにはア 系 列 を 用 いる. このような, 人 称 指 向 型 3 分 類 の 指 示 詞 体 系 は 通 言 語 的 に 珍 しくなく,たとえば,タガログ 語,タイ 語,バスク 語 に 同 様 の 使 い 分 けが 見 られる(Anderson & Keenan 1985: 280 288,Diessel 1999: 35 47,Huang 2007: 153 154). 一 方, 内 部 照 応 用 法 の 指 示 詞 の 使 い 分 けに 関 しては, 数 多 くの 研 究 があるが, 久 野 暲 (1973) による 一 般 化 が 要 点 を 得 たものとして( 少 なくともその 基 本 となる 部 分 は) 広 く 受 容 されている ( 金 水 木 村 田 窪 1989:34 46, 井 口 井 口 1994:112 115, 庵 高 梨 中 西 山 田 2001:3 5, など) 3). 以 下, 本 稿 では, 久 野 の 指 示 詞 論 をあらためて 検 討 し,いくつかの 問 題 点 を 指 摘 した うえで, 改 善 案 を 提 示 する. 2. 久 野 暲 の 指 示 詞 論 久 野 (1973)は, 内 部 照 応 用 法 ( 久 野 の 用 語 では 文 脈 指 示 用 法 )の 指 示 詞 のうち,ア 系 列 とソ 系 列 の 使 い 分 けは 次 の 原 則 に 従 うと 述 べる(p. 185). (3) ア 系 列 :その 代 名 詞 の 実 世 界 における 指 示 対 象 を, 話 し 手, 聞 き 手 ともによく 知 ってい る 場 合 にのみ 用 いられる. ソ 系 列 : 話 し 手 自 身 は 指 示 対 象 をよく 知 っているが, 聞 き 手 が 指 示 対 象 をよく 知 ってい ないだろうと 想 定 した 場 合,あるいは, 話 し 手 自 身 が 指 示 対 象 をよく 知 らない 場 合 に 用 い られる. この 原 則 の 通 り,(4a)では 指 示 対 象 は 話 し 手 聞 き 手 に 共 通 する 知 人 なのでア 系 列 が 選 択 され, (4b)では 指 示 対 象 は 話 し 手 のみがよく 知 っている 人 物 なのでソ 系 列 が 選 択 される. (4) a. 昨 日, 山 田 さんに 会 いました.{あの/ * その} 人,いつも 元 気 ですね. ( 久 野 1973:185; 一 部 改 変 ) b. A: 私 の 近 所 に 山 田 さんという 人 が 住 んでいます.{ * あの/その} 人 はポルシェを 持 っ ています. B:{ * あの/その} 人,お 金 持 ちなんですね. 2
また,コ 系 列 に 関 しては,(5)のような 例 を 挙 げ, コ 系 列 も, 目 に 見 えないものを 指 すのに 用 いられる 場 合 があるが,これは,あたかも,その 事 物 が 目 前 にあるかのように, 生 き 生 きと 叙 述 する 時 に 用 いられるようで, 依 然 として, 眼 前 指 示 [( 外 部 照 応 )] 代 名 詞 的 色 彩 が 強 いようで ある と 述 べている(p. 188). (5) 僕 の 友 達 に 山 田 という 人 がいるんですが,この 男 はなかなかの 理 論 家 で. ( 久 野 1973:188) また, 目 に 見 えないものを 指 す 場 合 のコ 系 列 は, 話 し 手 だけがその 指 示 対 象 をよく 知 っている 場 合 にしか 用 いられない ことを 指 摘 し,そのような 理 由 から, 単 に, 眼 前 指 示 であると 言 っ て 片 づけられない と 結 論 づけている(P. 189). 久 野 による 一 般 化 は, 内 部 照 応 的 に 用 いられるコ ソ アの 使 い 分 けの 要 点 をよく 捉 えたもの といえるが, 以 下 の 問 題 点 を 指 摘 することができる. (6) i. 話 し 手 も 聞 き 手 もよく 知 らない 対 象 を 指 示 するケースが 考 慮 されていない. ii. 話 し 手 または 聞 き 手 がよく 知 らない 対 象 を 指 示 する 際 に,ア 系 列 が 選 択 される 場 合 がある.また, 話 し 手 がよく 知 らない 対 象 を 指 示 する 際 に,コ 系 列 が 選 択 され る 場 合 がある. iii. 話 し 手 も 聞 き 手 もよく 知 っている 対 象 を 指 示 する 際 に,ソ 系 列 が 選 択 される 場 合 がある. 問 題 点 (i)の 話 し 手 も 聞 き 手 もよく 知 らない 対 象 を 指 示 するケースとは,たとえば(7) (8) のようなものである.この 場 合, 用 いられるのはソ 系 列 である 4). (7) (A と Bが, 連 れだって 映 画 館 の 席 につく.Aが, 床 に 携 帯 電 話 が 落 ちているのを 見 つける.) A: おや, 誰 か 携 帯 電 話 を 忘 れていったみたいだ. B: その 人, 今 頃 あわてているだろうね. (8) (A と Bはリサーチ アシスタントとして 学 会 運 営 の 手 伝 いをしている. 今 日 は 仕 事 が 多 く, 忙 しい. 午 後 に,もう1 人 新 しいアシスタントが 加 わることになっているが,2 人 はその 人 物 と 面 識 がない.) A: あとでもう1 人 来 るよね.この 仕 事 はその 人 に 頼 もう. B: でも,その 人 が 来 るのは3 時 過 ぎだよ.それからだと, 今 日 中 に 終 えられないかもし れないよ. このようなケースは,ア 系 列 ソ 系 列 の 使 用 条 件 を(9),あるいは(10)のように 改 めることで, 3
簡 単 に 対 処 することができる. (9) ア 系 列 : 話 し 手 が 指 示 対 象 をよく 知 っている および 聞 き 手 が 指 示 対 象 をよく 知 って いる という 2つの 条 件 がともに 満 たされている 場 合 にのみ 用 いられる. ソ 系 列 : 上 記 2 条 件 のうち1つまたは 両 方 が 満 たされていない 場 合 にのみ 用 いられる. (10) ア 系 列 : すべての 談 話 参 加 者 (discourse participant)が 指 示 対 象 をよく 知 っている と いう 条 件 が 満 たされている 場 合 にのみ 用 いられる. ソ 系 列 : 上 記 の 条 件 が 満 たされていない 場 合 にのみ 用 いられる. (9) (10)は 2 人 の 人 物 による 会 話 を 想 定 する 限 りでは 全 く 同 じ 内 容 だが,(10)は 独 話 や3 人 以 上 の 会 話 にも 適 用 されるため,より 一 般 性 が 高 いものと 言 える(6 節 を 参 照 ). 以 下,3 節 では,ソ 系 列 とア 系 列 の 対 立 に 焦 点 をあて, 問 題 (ii)とその 解 決 について 論 じる. 4 節 では, 問 題 (iii)を 取 りあげる.5 節 では,3 4 節 での 議 論 を 踏 まえ,コ 系 列 の 扱 いを 再 検 討 する.6 節 では, 久 野 が 考 察 の 対 象 に 含 めていない, 独 話 多 人 数 の 会 話 における 指 示 詞 の 使 い 分 けについて 考 察 する. 3.ア 系 列 指 示 詞 が, 話 し 手 または 聞 き 手 がよく 知 らない 対 象 を 指 示 する 場 合 まず, 久 野 の 指 示 詞 論 のなかで 重 要 な 役 割 を 果 たす ( 指 示 対 象 を)よく 知 っている という 概 念 について 整 理 しよう.まず, 生 活 をともにする 家 族 や 旧 来 の 友 人, 頻 繁 に 使 用 する 所 有 物, 日 常 的 に 訪 れる 場 所,などは, 問 題 なく よく 知 っている 対 象 に 含 めてよいだろう.また, 久 野 によれば, 話 し 手 聞 き 手 ともに 知 っている 有 名 人 も, 指 示 詞 の 使 い 分 けに 関 する 限 り, ( 話 し 手 聞 き 手 ともに)よく 知 っている 対 象 に 含 まれる. 一 方, 対 話 者 の 発 言 を 通 じて 間 接 的 に 知 った 対 象 は, よく 知 っている とはみなされず,し たがってそれを 指 示 する 際 には,(7B)に 示 されるように,ソ 系 列 が 用 いられる. (11) A: 昨 日, 山 田 さんという 人 に 会 いました.その 人, 道 に 迷 っていたので 助 けてあげました. B:{その/ * あの} 人,どこに 行 くところだったのですか. ( 久 野 1973:186 187; 一 部 改 変 ) ある 対 象 が よく 知 らない 範 疇 から よく 知 っている 範 疇 に 移 行 する 境 界 線 について, 久 野 ははっきりした 基 準 を 提 示 していないが,ある 人 物 が 話 題 になっているとき, 話 し 手 がその 人 物 を 知 ってはいても, 1 回 ぐらいしか 会 っておらず,あまり 彼 をよく 知 らないという 気 分 が 強 ければ ソ 系 列 を 使 うことができる(p. 186),と 述 べている(この 主 張 の 論 拠 となるデータは 次 節 で 取 りあげる).この 記 述 に 従 うと,1 度 短 く 会 話 を 交 わしたり, 見 たことがあったりする 4
図 1 久 野 (1973)による よく 知 っている と よく 知 らない の 区 分 程 度 の 接 触 を 持 った 対 象 は, よく 知 らない(ソ 系 列 の 領 域 ) と よく 知 っている(ア 系 列 の 領 域 ) の 境 界 域 に 属 しているということになる( 図 1). しかし, 久 野 の 一 般 化 に 従 えばソ 系 列 を 用 いることが 期 待 されるにもかかわらず,ア 系 列 の 選 択 が 可 能 または 必 須 な 状 況 が 存 在 する.このような 状 況 には3 種 類 がある. まず, 次 のような 会 話 を 観 察 すると, 1 回 程 度 の 軽 い 直 接 的 接 触 しか 持 っていない 対 象 で あっても, 話 し 手 聞 き 手 ともその 接 触 のことをはっきり 記 憶 していれば,ア 系 列 が 用 いられ, ソ 系 列 を 用 いることはできないことがわかる. (12)(A と B は 大 学 生 で 友 人 同 士.2 人 はある 会 社 の 就 職 説 明 会 に 参 加 する.A は 先 に 到 着 し, 会 場 で 席 についている.B は 後 から 到 着 し,Aを 見 つけ, 横 に 座 る.) A: 受 付 の 女 の 人, 美 人 じゃなかった? B: うん,{あの/ * その} 人,この 会 社 の 社 員 かな? (13)(A と Bは 一 緒 に 映 画 館 で 映 画 を 見 る. 映 画 の 上 映 中, 後 ろにすわった 人 が 映 画 に 感 動 して 泣 いている 声 が 聞 こえる. 映 画 館 を 出 て,2 人 はそのことを 話 題 にする.) A: 後 ろの 人, 泣 いてたよね. B: うん,{あの/ * その} 人 のせいで 映 画 に 集 中 できなかったよ. こうしたデータを 観 察 すると,ア 系 列 とソ 系 列 の 使 い 分 けに 関 わるのは, ( 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を)よく 4 4 知 っているか ではなく,より 浅 いレベルの 知 識 の 有 無 であるということがわかる. 便 宜 上,ア 系 列 の 使 用 を 可 能 にするレベルの 知 識 を 持 っていることを, 認 識 している と 呼 ぼう. 5
図 2 指 示 詞 の 使 い 分 けに 関 わる 認 識 している と 認 識 していない の 区 分 会 合 の 受 付 で 見 かけた 映 画 館 で 後 ろに 座 っていて,( 顔 は 見 えなかったが) 泣 いているの が 聞 こえた 程 度 の 軽 いものであっても, 直 接 経 験 にもとづく 接 触 があり,またその 接 触 の 機 会 のことをはっきり 記 憶 していれば, 認 識 している の 範 疇 に 含 まれる( 図 2). 一 方, 直 接 経 験 にもとづく 接 触 があっても,その 機 会 のことをはっきりと 記 憶 していなけれ ば, 認 識 している の 範 疇 には 含 まれない. (14)(A は 看 護 師 で,B は 医 師.AがBに 新 聞 の 紙 面 を 見 せる.) A : 昨 日 いらした 患 者 さんが, 新 聞 に 載 ってますよ. 駅 で 倒 れた 人 を,AED で 助 けたん ですって. B1:ふーん,{ * あの/その} 患 者 さん, 何 時 くらいに 来 た 人? B2: 本 当 だ.{あの/ * その} 患 者 さん, 明 日 もう 一 度 来 るはずだよ. 次 に, 対 話 者 の 話 を 通 じて 知 っただけの 対 象 であっても, 当 該 の 対 象 が, 発 話 時 点 以 前 の 別 の 会 話 で 話 題 にのぼっている( 言 及 されている) 場 合,ア 系 列 の 選 択 が 必 須 となる. (15)(A と B は 兄 妹.A は 市 民 管 弦 楽 団 に 所 属 している.B は 外 国 人 の 手 助 けをするボランティ ア 活 動 に 参 加 している.) A: うちの 楽 団 に 入 ってきた 新 人, 高 校 までスペインで 育 ったんだって. B: じゃあ,バイリンガルなの? A: うん,それに 英 語 もうまいらしいよ. (3 日 後 ) 6
B: ねえ, 私 のボランティア グループで,スペイン 語 ができる 人 がいなくて 困 っている んだけど,{あの/ * その}スペイン 育 ちの 人 に 紹 介 してもらえないかな? 最 後 に, 聞 き 手 が 認 識 して いない 対 象 であっても, 話 し 手 が 聞 き 手 に 教 示 を 与 える 場 面 で は, 話 し 手 がア 系 列 の 選 択 を 用 いることが 可 能 になる 場 合 がある.より 具 体 的 には, 話 し 手 が 聞 き 手 が 特 定 の 属 性 (=P)を 備 えた 個 体 を 探 している と 想 定 したうえで,P を 備 えた 個 体 を 紹 介 するような 発 話 では,ア 系 列 が 使 用 されうる.ただし,このような 条 件 下 でも,ソ 系 列 の 使 用 は 排 除 されない 5). (16)(A と B は 同 じ 会 社 に 勤 めている.B はスペイン 語 の 書 類 を 翻 訳 する 必 要 があり, 辞 書 を 片 手 に 四 苦 八 苦 している.) A: 経 理 課 に 配 属 された 新 入 社 員 で, 高 木 っていう 人 がいるんですけど, {あの/その} 人 はスペイン 語 ができるらしいですよ. B: ほんと? じゃあ,{ * あの/その} 人 に 手 伝 ってもらおうかな. 黒 田 (1979)が 久 野 の 分 析 に 対 する 反 例 として 提 示 した 次 の 例 も,この 条 件 に 該 当 するとみな すことができる 6).( 話 し 手 は, 聞 き 手 が 自 分 を 指 導 してくれるよい 先 生 という 属 性 を 備 え た 個 体 を 探 していると 想 定 している.) (17) 僕 は 大 阪 で 山 田 太 郎 という 先 生 に 教 わったんだけど, 君 も{あの/その} 先 生 につくとい いよ. ( 黒 田 1979:55; 一 部 改 変 ) 上 述 の 談 話 条 件 が 満 たされていなければ, 類 似 した 発 話 であっても,ア 系 列 の 使 用 は 排 除 さ れる. (18) 僕 は 大 阪 で 山 田 太 郎 という 先 生 に 教 わったんだけど,さっき{ * あの/その} 先 生 と 東 京 駅 で 偶 然 出 くわして,びっくりしたよ. (19) 学 生 時 代, 寮 で 山 田 という 医 学 部 の 男 が 同 室 だったんだけど,{ * あの/その} 男 が 毎 晩 酒 や 麻 雀 に 誘 ってきて, 断 るのに 苦 労 したよ. なお,(16A) (17)でア 系 列 が 使 用 可 能 なのは, 聞 き 手 が 指 示 対 象 を 認 識 している 可 能 性 が ある(と 話 し 手 が 考 えている)からではない.(20)において,もし 話 し 手 が 聞 き 手 が 小 田 美 雪 を 認 識 しているかどうか について 確 信 がない 場 合, 小 田 美 雪 という 女 優 ( 女 優 の) 小 田 美 雪 のどちらの 形 式 を 使 用 するか, 判 断 に 迷 うことが 考 えられる.しかし,たとえ 確 信 がなくても, 小 田 美 雪 という 女 優 という 聞 き 手 が 小 田 美 雪 を 認 識 していない ことを 想 定 した 表 現 を 選 択 し 7
た 場 合 には,その 後 ア 系 列 で 小 田 美 雪 を 指 示 することはできない. (20) a. 私 は, 小 田 美 雪 という 女 優 のファンで,{ * あの/その} 人 が 出 演 している 映 画 は 必 ず 映 画 館 に 見 に 行 くようにしています. b. 私 は,( 女 優 の) 小 田 美 雪 のファンで,{あの/ * その} 人 が 出 演 している 映 画 は 必 ず 映 画 館 に 見 に 行 くようにしています. (16A) (17)において, 話 し 手 は X というY という 表 現 を 用 いている.これは, 話 し 手 が, 当 該 の 談 話 場 面 で X の 指 示 対 象 を 聞 き 手 が 認 識 していない と 想 定 していることを 意 味 してい る.したがって,(16A) (17)と(20a)のあいだの,ア 系 列 の 使 用 可 能 性 に 関 する 対 立 には, 聞 き 手 が 指 示 対 象 を 認 識 しているか だけでなく 聞 き 手 が 探 している, 特 定 の 属 性 を 備 えた 個 体 を 紹 介 するための 発 話 であるか という 要 因 が 関 わっていると 結 論 づけることができる. 以 上 のような 観 察 を 考 慮 すると,ア 系 列 ソ 系 列 の 使 い 分 けの 原 則 は, 以 下 のように 修 整 す る 必 要 がある. (21) ア 系 列 : すべての 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 認 識 している または 談 話 参 加 者 間 の, 発 話 時 点 以 前 の 別 の 会 話 で, 指 示 対 象 が 話 題 にのぼった 場 合 にのみ 用 いられる. ソ 系 列 : 上 記 の2 条 件 のうちのいずれも 満 たされていない 場 合 にのみ 用 いられる. ( 例 外 条 件 ) 話 し 手 が 聞 き 手 が 特 定 の 属 性 (=P)を 備 えた 個 体 を 探 している という 想 定 をしたうえで,P を 備 えた 個 体 を 紹 介 する 場 合,その 個 体 を 指 示 するのにア 系 列 を 用 い ることができる. 4. ソ 系 列 指 示 詞 が, 話 し 手 聞 き 手 ともによく 知 っている 対 象 を 指 示 する 場 合 すべての 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 認 識 している という 条 件 が 満 たされていても,ソ 系 列 が 用 いられることがある. 次 の 例 では, 聞 き 手 が 認 識 して(いると 話 し 手 が 想 定 して)おり, 話 し 手 もまた 認 識 している 人 物 を 指 示 するのに,ソ 系 列 を 用 いることが 可 能 である(ア 系 列 も 不 可 能 ではないが, 筆 者 の 判 断 によれば 容 認 度 がやや 落 ちる). (22)(A が Bのうちを 訪 ねてくる) A: 駅 前 でケーキを 買 ったんだけど,その 店 の 店 長 さん,すごく 面 白 い 人 だったよ.その 人, 若 いころ,パリでお 菓 子 作 りの 修 行 をしたんだって. B:{その/(?)あの} 人, 私 の 幼 馴 染 で,いまでもよく 一 緒 に 釣 りに 行 ったりするんですよ. (22)の 場 面 では,A も B も 指 示 対 象 を 認 識 しているが,A は B が 指 示 対 象 を 認 識 している こ 8
とを 知 らない.(22B)でソ 系 列 が 選 好 されることは,ア/ソ 系 列 の 使 い 分 けに 関 わるのは, 話 し 手 が 指 示 対 象 を 認 識 しているか ではなく, 話 し 手 が 指 示 対 象 を 認 識 しており,なおかつ 聞 き 手 がそのことを 知 っているか であることを 示 唆 している.より 一 般 化 していうと, 以 下 のよ うになる( 例 外 条 件 については 省 略 ). (23) ア 系 列 : すべての 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 認 識 していること または 談 話 参 加 者 間 の, 発 話 時 点 以 前 の 会 話 で, 指 示 対 象 が 話 題 にのぼったこと を,すべての 談 話 参 加 者 が 知 っ ている 場 合 にのみ 用 いられる. ソ 系 列 : 上 記 の 条 件 が 満 たされていない 場 合 にのみ 用 いられる. すべての 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 認 識 していること または 談 話 参 加 者 間 の, 発 話 時 点 以 前 の 会 話 で, 指 示 対 象 が 話 題 にのぼったこと を,すべての 談 話 参 加 者 が 知 っている という 条 件 は, すべての 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 認 識 している という 命 題 または 談 話 参 加 者 間 の, 発 話 時 点 以 前 の 会 話 で, 指 示 対 象 が 話 題 にのぼった という 命 題 が, 談 話 参 加 者 の 共 有 知 識 の 一 部 である,と 言 い 換 えることができる. (22B)でア 系 列 も 完 全 に 容 認 不 能 でないのは, 前 提 調 節 (presupposition accommodation)に よるものと 考 えられる. 例 えば, 次 の 例 では,B の 発 話 は 過 去 に 犬 が 逃 げ 出 したことがある ことを 前 提 としている(A が 過 去 に 犬 が 逃 げ 出 したことがある という 知 識 を 持 っていること を 想 定 している)が,A にその 知 識 がなかった 場 合,A はその 場 で 推 論 を 行 なってその 知 識 を 補 うことができる. (24) A: どうかしたんですか. B: うちの 犬 がまた 逃 げ 出 したんです. 同 様 のことが,(22)の 場 面 でも 起 こっていると 考 えられる.(22A)に 対 してBが ああ,あの 人, 面 白 いですよね のように 続 けた 場 合,Aは B がケーキ 屋 の 店 長 を 知 っている という 知 識 を, 推 論 によって 補 うことになる. 興 味 深 いことに,(22B)のような 発 話 によって, すべての 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 知 ってい る ことが 確 立 された 場 合 でも,その 後 にソ 系 列 を 使 い 続 けることは 必 ずしも 不 可 能 ではない. 例 えば, 以 下 の 例 の(e)の その がこれに 相 当 する. (25) A: 昨 日 山 田 さんという 人 に 会 いました.その 人, 道 に 迷 っていたので 助 けてあげました. B:{(a)その/(b) * あの} 人,ひげをはやした 中 年 の 人 でしょう. A: はい,そうです. B: {(c)その/(d)あの} 人 なら, 私 も 知 っています. 私 も{(e)その/(f)あの} 人 を 助 けてあげたことがあります. 9
( 久 野 1973:186; 一 部 改 変. 容 認 性 判 断 は 久 野 によるもの) 久 野 は,(c) (e)の その が 可 能 なのは,B が 当 該 の 山 田 という 人 物 を 知 ってはいるが, よく 4 4 知 ってはいないからとしている.しかし, 前 節 の 議 論 を 踏 まえると,この 説 明 は 妥 当 なもの とは 言 えない. (c)の その が 可 能 なことは,(23)の 一 般 化 が 予 測 するとおりである.(d)のように あの を 用 いた 場 合 (この 場 面 での あの の 容 認 度 は その に 比 べてやや 落 ちるように 筆 者 には 思 われる) 話 し 手 は 聞 き 手 に 前 提 調 節 を 行 うことを 期 待 しているということになる. (c)の 替 りに(d)を 選 択 した(ア 系 列 を 用 いた) 場 合,その 次 に(e)を 用 いる(ソ 系 列 に 戻 る)ことはできない.これは, 久 野 による 一 般 化 でも,(23)の 一 般 化 でも, 同 様 に 予 測 され ることである. (23)の 一 般 化 にとって 問 題 になるのは, (c), (e) の 組 み 合 わせである.(c)を 含 む 文 ( 私 もその 人 を 知 っています )が 発 話 された 時 点 で, すべての 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 認 識 してい る ことは 確 立 され, 以 降 はア 系 列 を 用 いることが 期 待 される.しかし, 実 際 にはむしろ,(e) の その は(f)の あの と 同 等 以 上 に 自 然 に 感 じられる.この 現 象 は, 次 のような 例 でも 確 認 できる. (26)(A と Bは 兄 妹.Aは 大 学 の3 年 生 で,Bは1 年 生.Aは 大 学 の 管 弦 楽 団 に 所 属 している.) A: 管 弦 楽 団 に 新 しく 女 の 子 が 入 ったんだけど,すごく 可 愛 いんだ. 野 本 桂 っていう 名 前 なんだけど. B: 私,その 子 知 ってる. 私 と 同 じ 塾 でバイトしてるから.{その/(?)あの} 子 のお 父 さん, 元 プロ 野 球 選 手 なんだって. しかし,(27) (28)に 示 されているように, すべての 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 認 識 している ことを 明 らかにする 発 話 が 行 われた 後,いったん 発 話 者 が 交 代 すると,その 後,ソ 系 列 の 使 用 は 不 自 然 になる. (27) A: 管 弦 楽 団 に 新 しく 女 の 子 が 入 ったんだけど,すごく 可 愛 いんだ. 野 本 桂 っていう 名 前 なんだけど. B: 私,その 子 知 ってる. 私 と 同 じ 塾 でバイトしてるから. A: へえ,{ * その/あの} 子, 何 の 科 目 を 教 えているの? 英 語? (28) A: 管 弦 楽 団 に 新 しく 女 の 子 が 入 ったんだけど,すごく 可 愛 いんだ. 野 本 桂 っていう 名 前 なんだけど. B: 私,その 子 知 ってる. 高 校 のときテニス 部 で 一 緒 だったから. A: へえ,そうなんだ.そういえば,テニスが 好 きって 言 ってたな. 10
B:{ * その/あの} 子 のお 父 さん, 元 プロ 野 球 選 手 なんだって. このような 観 察 は,ある 発 話 によって すべての 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 認 識 している ことが 明 らかになっても,そのあとターン テーキングが 起 こるまでは, 一 種 の 猶 予 期 間 として,ア 系 列 使 用 の 条 件 が 充 足 されていないと 扱 われる( 少 なくとも, 扱 うことが 可 能 である)ことを 示 唆 している. 5.コ 系 列 指 示 詞 の 内 部 照 応 用 法 2 節 で 述 べたように, 久 野 は,コ 系 列 指 示 詞 が 目 の 前 にない 対 象 を 指 示 する 場 合, 話 し 手 だ けがその 指 示 対 象 をよく 知 っている 場 合 にしか 用 いられない ことと 指 示 対 象 について 生 き 生 きと 叙 述 する 時 に 用 いられる ことを 指 摘 している. 第 一 の 条 件 は, 妥 当 性 を 持 つものと 考 えら れるが, よく 知 っている という 条 件 は 上 述 した 認 識 している に 変 更 する 必 要 がある. 以 下 の 例 では, 話 し 手 がよく 知 ってはいないが 認 識 して おり,また, 聞 き 手 はまったく 知 ら ない 人 物 を 指 示 するのに,コ 系 列 を 用 いることが 可 能 である. (29) 昨 日 映 画 館 に 行 ったとき, 後 に 男 の 人 が 座 ってたんだけど,ちょっと 感 動 的 なシーンにな ると{この/その/ * あの} 人 がやたらに 声 をあげて 泣 くものだから, 映 画 に 集 中 できなかっ たよ. ソ 系 列 と 異 なり,コ 系 列 は, 話 し 手 も 聞 き 手 も 認 識 していない 対 象 を 指 すことはできない. (30)(A と Bはリサーチ アシスタントとして 学 会 運 営 の 手 伝 いをしている. 今 日 は 仕 事 が 多 く, 忙 しい. 午 後 に,もう1 人 新 しいアシスタントが 加 わることになっているが,2 人 はその 人 物 と 面 識 がない.) A: 英 語 版 プログラムの 作 成 はどうしようか. B: 後 で 来 る 人 に 頼 もう.{その/ * この} 人 はアメリカに 留 学 していたそうだから, 英 語 が 得 意 なはずだ. 指 示 対 象 について 生 き 生 きと 叙 述 する 時 に 用 いられる という 第 二 の 条 件 については,どの ような 場 合 に 充 足 されるかがはっきりしないという 問 題 があるが, 本 稿 では 追 求 せず, 将 来 の 課 題 としたい.(31)のような 発 話 ではコ 系 列 指 示 詞 の 使 用 は 不 自 然 なものとなるが,これは 生 き 生 きとした 叙 述 の 条 件 が 満 たされていないことによるものと 考 えられる.( 久 野 自 身 は,こ の 条 件 が 成 立 しない 場 合 にコ 系 列 指 示 詞 の 使 用 が 不 可 能 になることを 示 す 例 を 挙 げていない.) (31)( 昨 日 の 夜 は 何 を 食 べたの? と 尋 ねられて) 11
帰 りにコンビニでレトルトのカレーを 買 って,うちで {それ/??これ}をご 飯 にかけ て 食 べた. (cf.) 昨 日 コンビニでレトルトのカレーを 買 ったんだけど,{それ/これ}がすごくおいしくて びっくりしたよ. 上 記 の 内 容 を 踏 まえると,(23)の 一 般 化 に 加 えるべきコ 系 列 の 項 目 は 以 下 のようなものにな るだろう. (32) コ 系 列 : 話 し 手 が 指 示 対 象 を 認 識 しており,なおかつ, 談 話 参 加 者 のなかに 指 示 対 象 を 認 識 していない 者 がいること をすべての 談 話 参 加 者 が 知 っている 場 合 にのみ 用 いられる. また, 話 し 手 が 指 示 対 象 について 生 き 生 きとした 叙 述 を 行 う 発 話 においてのみ 用 いられる. 6. 独 話 多 人 数 での 会 話 (23) (32)の 一 般 化 以 下 にまとめて 再 掲 する は,2 人 による 会 話 だけでなく, 独 話 および3 人 以 上 による 会 話 にも 適 用 できる 7). (33) ア 系 列 : すべての 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 認 識 していること または 談 話 参 加 者 間 の, 発 話 時 点 以 前 の 会 話 で, 指 示 対 象 が 話 題 にのぼったこと をすべての 談 話 参 加 者 が 知 って いる 場 合 にのみ 用 いられる. ソ 系 列 : 上 記 の 条 件 が 満 たされていない 場 合 にのみ 用 いられる. コ 系 列 : 話 し 手 が 指 示 対 象 を 認 識 しており,なおかつ, 談 話 参 加 者 のなかに 指 示 対 象 を 認 識 していない 者 がいること をすべての 談 話 参 加 者 が 知 っている 場 合 にのみ 用 いられる. また, 話 し 手 が 指 示 対 象 について 生 き 生 きとした 叙 述 を 行 う 発 話 においてのみ 用 いられる. まず 独 話 について 考 えると, 単 純 に, 話 し 手 (= 唯 一 の 談 話 参 加 者 )が 指 示 対 象 を 認 識 してい ればア 系 列 を 用 い,そうでなければソ 系 列 を 用 いることになる.コ 系 列 は, 話 し 手 以 外 に 指 示 対 象 を 認 識 していない 談 話 参 加 者 がいる ことが 使 用 の 必 要 条 件 に 含 まれるため,けっして 用 いられない. (34)(A は 平 田 と 面 識 がなく,B はそのことを 知 っている.Bは 平 田 と 以 前 から 面 識 がある.) A: 荒 木 部 長 に, ニューヨークへの 出 張 には 営 業 部 の 平 田 くんも 同 行 することになった と 聞 いたとき,どう 思 いましたか. B: {あの/ * その/ * この} 人, 英 語 はできるのかな,と{ 思 いました/ 心 の 中 でつぶや 12
きました}. (35)(A は 高 橋 と 面 識 があり,B はそのことを 知 っている.) A: 荒 木 部 長 に, 来 月,この 部 署 に 高 橋 くんという 新 人 が 配 属 されることになった と 聞 いたとき,どう 思 いましたか. B: { * あの/その/ * この} 人 がパソコンに 詳 しい 人 だと 助 かるな,と{ 思 いました/ 心 の 中 でつぶやきました}. 以 下 の 例 では, 聞 き 手 が 認 識 していない 対 象 を 指 すのに あの が 用 いられているが,これは, 発 話 の 当 該 部 分 が,あたかも 独 話 であるかのように 提 示 されている 宮 崎 他 (2002:282)の いう 擬 似 独 話 である ために 許 容 されると 考 えられる. (36) 学 生 時 代 は,お 金 がなかったから 毎 日 のように 大 学 の 近 くの 小 汚 い 定 食 屋 で 夕 飯 を 食 べて いました.あの 定 食 屋, 今 でもまだあるのかなあ. 黒 田 は, 以 下 の 例 におけるア 系 列 の 使 用 可 能 性 が, 久 野 による 分 析 にとって 問 題 になると 述 べているが,これも, 独 話 環 境 におけるア 系 列 の 使 用 の 一 例 と 捉 えることができる.(したがっ て,この 例 は 本 稿 の 分 析 への 反 例 とはならない.) (37) 今 日 神 田 で 火 事 があったよ.{(?)あの/ * その} 火 事 のことだから 人 が 何 人 も 死 んだと 思 うよ. ( 黒 田 1979:55; 一 部 改 変 ) ただし, 思 考 述 語 思 う で 報 告 される 内 容 を 表 す 引 用 部 分 が,すべて 独 話 的 環 境 である とは 限 らない.(38)ではソ 系 列 の 使 用 が 自 然 だが,これは, 指 示 詞 の 選 択 が, 聞 き 手 の 知 識 を 考 慮 したうえで つまり, 対 話 的 環 境 と 同 様 の 方 式 で なされうることを 示 している. 換 言 する と, 思 う の 引 用 部 分 における 指 示 詞 は, 直 接 引 用 的 に 選 択 使 用 される 場 合 と, 間 接 引 用 的 に 選 択 使 用 される 場 合 があり,(38)では 間 接 引 用 的 な 方 式 が 可 能 でありかつ 選 好 される ということである. (38) 今 日 神 田 で 火 事 を 見 たよ.でも,{(?)あの/その} 火 事 はもう 消 し 止 められたと 思 う. 例 (37)で その が 排 除 される つまり, 間 接 引 用 的 な 方 式 が 許 容 されない のは, ~の ことだから という, 話 し 手 による 推 論 の 流 れを 示 す 表 現 が, 一 種 の 独 話 標 識 として 働 いている という 理 由 によるものと 考 えられる. 次 に3 人 以 上 の 会 話 の 場 合, 話 し 手 が 指 示 対 象 を 認 識 していて,なおかつ, 複 数 の 聞 き 手 のうち, 指 示 対 象 を 認 識 している 者 と 認 識 していない 者 が 混 在 している 場 合,ソ 系 列 ないしコ 系 列 が 用 13
いられる. (39)( 部 長 が,5 人 の 部 下 に 向 けて 話 している. 部 下 のなかには, 鈴 木 が 含 まれる.) 明 日 から,この 部 署 に 佐 藤 博 という 人 が 配 属 されます.その 人 は 鈴 木 君 の 甥 っ 子 に 当 たる 人 で, 私 も 一 緒 に 仕 事 をしたことがありますが, 鈴 木 くんに 似 て, 大 変 に 真 面 目 な 人 です. 金 曜 日 にその 人 の 歓 迎 会 をするので,なるべく 予 定 をあけておいてください. (40)( 中 学 校 の 野 球 部 の 監 督 が,10 人 の 部 員 に 向 けて 話 している. 部 員 の 中 には 山 田 次 郎 が 含 まれる.) もう 知 っているかもしれませんが, 以 前 このクラブにいた, 山 田 太 郎 さんが, 埼 玉 西 武 ラ イオンズに 入 団 することが 決 まりました.この 人 は 山 田 次 郎 くんのお 兄 さんで, 私 もよく 覚 えておりますが, 中 学 校 時 代 から 大 変 練 習 熱 心 でした. 山 田 君 も 立 派 なお 兄 さんを 持 っ て 鼻 が 高 いと 思 います.みなさんも, 山 田 太 郎 さんを 模 範 として, 練 習 に 一 層 励 んでほし いと 思 います. 7. 結 語 以 上, 久 野 暲 (1973)による 日 本 語 指 示 詞 の 内 部 照 応 用 法 の 分 析 を 再 検 討 し,その 問 題 点 を 指 摘 するとともに,より 妥 当 な 分 析 を 提 示 した. 主 要 な 変 更 点 は,(i) 指 示 詞 の 使 い 分 けに 関 わる のは, (すべての) 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 知 っているか ではなく, (すべての) 談 話 参 加 者 が 指 示 対 象 を 知 っていること を(すべての) 談 話 参 加 者 が 知 っているか であるとしたこと, (ii) 指 示 詞 の 使 い 分 けに 関 わるのは, 指 示 対 象 について よく 知 っている かではなく, 単 に 見 たことがある 程 度 の 浅 いレベルの 知 識 を 持 っているか 否 かであるとしたこと,の 二 点 である. 本 稿 では,いわゆる 束 縛 変 項 解 釈 を 代 表 とする, 指 示 詞 が 現 実 世 界 に 特 定 の 指 示 対 象 を 持 たな い 場 合 についてはとりあげなかった. (41) a. どの 都 市 にも,その 都 市 を 代 表 する 料 理 がある. b. もし 100 万 円 入 った 財 布 を 拾 ったら,それを 交 番 に 届 けますか? このような 指 示 詞 の 使 用 に 対 処 するためには, 本 稿 で 提 示 した 分 析 を, 一 般 的 な 照 応 の 理 論 (た とえば Kamp & Reyle 1993,Kamp, Genabith & Reyle 2011のもの)に 組 みこむ 必 要 がある. 将 来 の 課 題 としたい. また, 本 稿 では 対 話 独 話 の 場 合 にあらわれる 指 示 詞 のみを 検 討 したが, 論 説 文 などの 書 き 言 葉 においては, 話 し 言 葉 の 場 合 とは 異 なった 指 示 詞 の 使 い 分 けの 原 理 が 働 いている.これについ ても 別 稿 で 取 りあげたい. 14
注 1)Diessel(1999:93 114)は, 指 示 詞 の 用 法 を(i)exophoric( 外 部 照 応 的 )と(ii)endophoric( 内 部 照 応 的 ) の2つに 分 類 し,さらに 後 者 を,(ii a)anaphoric( 前 方 照 応 的 ),(ii b)discourse deictic( 談 話 直 示 的 ),(ii c) recognitional( 認 識 的 )の3 つに 下 位 分 類 している. 本 稿 における 外 部 照 応 内 部 照 応 の 区 分 はDiessel によ る exophoric/endophoric の 区 分 と 一 致 するが, 談 話 直 示 用 法 ( 指 示 詞 が 命 題 や 発 話 行 為 を 指 示 対 象 とする 場 合 )については 考 察 の 対 象 から 外 す. Diessel による 前 方 照 応 用 法 認 識 用 法 の 区 分 は, 指 示 詞 が 先 行 する 談 話 に 現 れる 名 詞 句 と 照 応 関 係 を 持 つか 否 か に 関 わるものである. 本 論 文 (4a)における あの( 人 ) は 前 方 照 応 用 法 に 相 当 し, 会 話 の 冒 頭 で ねえ,あの 本, 持 ってきてくれた? という 発 話 が 行 われた 場 合 の あの( 本 ) は 認 識 用 法 に 相 当 する. 本 稿 での 議 論 ( 特 にア 系 列 に 関 わる 部 分 )は,どちらの 用 法 に 対 しても 適 用 されるものである. なお,Diessel は, 一 般 に 認 識 用 法 の 指 示 詞 は 名 詞 修 飾 的 に 用 いられ, 独 立 した 名 詞 句 として 用 いられる ことはないと 述 べている(p. 36:ただし, 例 外 が 存 在 する 可 能 性 についても 注 釈 で 言 及 している). 日 本 語 の あれ は, 認 識 的 な 使 用 が 可 能 であり( 例 : 会 話 の 冒 頭 での ねえ,あれ, 持 ってきてくれた? ),こ の 原 則 には 合 致 しない. 2)ただし, 外 部 照 応 用 法 の 指 示 詞 に 関 して,(2)に 示 した 一 般 化 では 説 明 しきれない 用 例 が 存 在 すること が, 阪 田 (1971), 堀 口 (1978),Yoshimoto(1986), 日 本 語 記 述 文 法 研 究 会 (2009:26 29)などで 議 論 さ れている. 3) 久 野 (1973)の 指 示 詞 論 とほぼ 同 内 容 のものが,Kuno(1973:282 230)において 英 語 で 解 説 されている. 久 野 (1973)とは 異 なる 方 向 の 分 析 としては, 黒 田 (1979), 田 窪 (2008), 堤 (2012)らのものが 挙 げられる. 4) 査 読 者 より,(7)の 場 面 では この( 人 ) も 自 然 に 用 いることができるとの 指 摘 を 受 けた.これは, 離 席 した 人 物 の 荷 物 を 指 して この 人,どこに 行 っちゃったの? と 尋 ねたり, 聞 き 手 が 抱 える 店 舗 のロゴが 入 った 紙 袋 を 指 して, そのお 店, 僕 もよく 行 くよ と 述 べたりする 場 合 に 類 する, 転 移 的 な 外 部 照 応 用 法 にあたると 考 えられる. 5) 紹 介 される 対 象 が 人 物 以 外 の 場 合,このようなア 系 列 の 使 用 が 可 能 であるかどうかははっきりしない. (ib)における あそこ の 使 用 は, 筆 者 にとっては,やや 容 認 度 が 落 ちる. (i) A: 仕 事 で 京 都 に 一 ヶ 月 ほど 行 くことになったんですけど, 京 料 理 が 食 べられる 美 味 しいお 店 とか, 知 りませんか? B: 烏 丸 にある 山 水 亭 っていう 店 に 何 回 か 行 ったことがあるんだけど,{?あそこ/そこ}は 雰 囲 気 もいいし, 値 段 も 高 くないし, 行 ってみるといいよ. また,(16B) (17)のような, 紹 介 される 対 象 が 人 物 であるような 場 合 でも, 話 者 によって 判 断 にゆれがあ り,ア 系 列 の 使 用 を 不 自 然 と 考 える 話 者 もいるようである. 6)これとは 別 に, 黒 田 (1979)は, 今 日 神 田 で 火 事 があったよ.あの 火 事 のことだから 人 が 何 人 も 死 んだ と 思 うよ という 例 を, 久 野 による 分 析 への 反 例 として 挙 げている.この 例 については,6 節 で 取 りあげる. 7) 独 話 における 指 示 詞 の 用 いられ 方 については, 黒 田 (1979)などでも 議 論 されている. 参 考 文 献 Anderson, Stephen R. & Edward L. Keenan. 1985. Deixis. In: Timothy Shopen (ed.). Language Typology and Syntactic Description: Grammatical Categories and the Lexicon, Vol. 3. pp. 259 308. Cambridge: Cambridge University Press. Diessel, Holger. 1999. Demonstratives: Form, Function and Grammaticalization. Amsterdam: John Benjamins. 服 部 四 郎.1968. コレ ソレ アレと this, that 英 語 基 礎 語 彙 の 研 究 pp. 71 80. 三 省 堂. 堀 口 和 吉.1978. 指 示 語 コ ソ ア 考 論 集 日 本 文 学 日 本 語 5: 現 代 pp. 137 158. 角 川 書 店. 15
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