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Transcription:

洛 東 江 流 域 の 原 三 国 時 代 墓 制 と 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 福 島 孝 行 1.はじめに 筆 者 は 拙 稿 で 丹 後 ( 丹 波 ) 但 馬 地 域 の 墓 制 に 洛 東 江 流 域 の 墓 制 が 影 響 を 与 えた 可 能 性 を 示 唆 した ( 注 1) しかし 具 体 例 を 示 さなかったため どのような 墓 からどのような 影 響 を 受 け たと 考 えられるのか 誤 解 を 生 んでいるとみられる 引 用 もみられる そこで 具 体 例 を 示 し あらためて 洛 東 江 流 域 の 墓 制 と 丹 後 但 馬 地 域 の 墓 制 で 共 通 する 点 と 相 違 する 点 を 確 認 し 彼 我 の 影 響 関 係 を 考 察 する 足 掛 かりとしたい なお 洛 東 江 流 域 の 墓 制 全 体 を 論 じる 力 量 は 筆 者 にはないため 管 見 に 入 った 事 例 の 内 影 響 の 程 度 が 高 そうな 事 例 を 紹 介 する そこで 障 害 となるのは 言 語 の 問 題 である 半 島 の 墓 制 に 対 する 理 解 を 深 めるのには 報 告 書 や 論 文 は 欠 かせない そこで ここで 紹 介 する 事 例 について 報 告 書 が 日 本 語 訳 されてい るものはそれを 引 用 し 日 本 語 訳 されていないものは 筆 者 が 報 告 書 を 翻 訳 したものの 一 部 を 掲 載 する 2. 洛 東 江 流 域 の 事 例 第 1 図 各 墳 墓 位 置 図 (S=1/50,000,000) -29-

京 都 府 埋 蔵 文 化 財 論 集 第 7 集 洛 東 江 流 域 の 事 例 として 昌 原 茶 戸 里 遺 跡 の 事 例 と 大 邱 八 達 洞 遺 跡 の 事 例 を 取 り 上 げる 昌 原 茶 戸 里 遺 跡 は 洛 東 江 下 流 域 右 岸 に 所 在 し 南 西 の 山 塊 から 貯 水 池 に 向 かって 張 り 出 す 舌 状 の 低 い 台 地 縁 辺 部 に 立 地 する 畦 畔 から 等 高 線 を 推 測 すると 各 墓 壙 は 等 高 線 に 直 交 して 造 営 されている 大 邱 八 達 洞 遺 跡 は 洛 東 江 中 流 部 の 支 流 琴 湖 江 右 岸 に 立 地 する 函 芝 山 から 南 西 に 伸 びる 尾 根 上 に 位 置 し 周 囲 の 低 地 から 10 25 mの 比 高 差 がある 地 点 に 立 地 している 各 墓 壙 は 等 高 線 に 直 交 して 造 営 することを 基 本 とする ( 注 2) (1) 昌 原 茶 戸 里 1 号 墳 ( 引 用 ) 第 Ⅲ 章 で 説 明 したように 盗 掘 されたことから 発 掘 調 査 前 に 封 土 は 存 在 しておらず 墓 域 も 確 認 できなかった 墓 壙 は 平 面 が 隅 丸 長 方 形 で その 規 模 は 長 さ 278cm 幅 136cm 現 在 の 深 さ 205cm である 墓 壙 の 長 軸 方 向 は ほぼ 南 東 北 西 方 向 で 枕 向 きは 南 東 枕 と 推 定 される それは 木 棺 の 南 東 側 の 幅 が 若 干 より 広 く 棺 の 内 部 から 出 土 したガラス 玉 などが 南 東 側 に 片 寄 って 発 見 されたためである 墓 壙 の 内 部 に 安 置 された 木 棺 は 長 さ 240cm 幅 85cm 上 下 65cm の 大 きさに 太 い 丸 太 を 利 用 して 製 作 されたものである すなわち 直 径 1m 程 度 の 一 抱 えを 越 す 木 を 切 り 出 して これを 縦 方 向 に 半 截 した 後 それぞれの 内 部 を 飼 葉 桶 のように 彫 り 込 んで 棺 の 蓋 部 と 身 部 に 使 用 した ( 中 略 ) 墓 壙 の 底 面 の 中 央 に 掘 られた 副 葬 壙 に 入 れてあった 棺 の 下 の 竹 籠 は 保 存 状 態 が 良 く なく 正 確 な 形 態 及 び 大 きさはわからないが 長 方 形 の 箱 形 に 蓋 があったものと 推 定 され る 出 土 時 に 竹 籠 の 表 面 の 一 部 に 残 った 紐 の 存 在 から 見 て 副 葬 品 を 入 れて 紐 で 縛 った ものと 見 られる 大 きさは およそ 長 さ 65cm 幅 55cm で 高 さは 確 かではないが 約 12cm 程 度 と 推 定 される 研 究 室 での 調 査 の 結 果 この 竹 籠 の 中 には 次 のような 遺 物 が 納 入 されていた 武 器 類 としては 漆 塗 り 鞘 銅 剣 2 点 漆 塗 り 鞘 鉄 剣 1 点 木 製 剣 把 付 鉄 剣 1 点 鉄 剣 片 2 点 漆 塗 り 鞘 鉄 製 環 頭 刀 子 1 点 銅 鉾 1 点 鉄 鉾 4 点 などがある 利 器 類 としては 鋳 造 鉄 斧 6 点 木 柄 付 鎌 形 鉄 器 2 点 などが 出 土 した 装 身 具 には 星 雲 文 鏡 1 点 青 銅 帯 鉤 1 点 鋸 歯 文 銅 環 1 点 銅 環 4 点 などがあり その 他 の 遺 物 に 五 銖 銭 3 点 小 銅 鐸 1 点 漆 器 の 筆 5 点 などがある 以 上 のように この 第 1 号 墳 では 大 部 分 が 撹 乱 されていたが 木 棺 は 完 存 していた 木 棺 下 の 底 面 に 副 葬 されていた 遺 物 はもとの 状 態 を 維 持 しているが 第 Ⅲ 章 で 言 及 した 内 容 をもとに この 第 1 号 墳 の 構 造 をもう 一 度 要 約 すると つぎのようである まず 墓 壙 を 掘 り 下 げ 壙 底 中 央 に 設 置 した 長 方 形 の 副 葬 壙 に 各 種 の 副 葬 品 を 納 入 した 竹 籠 を 副 葬 して その 左 右 の 墓 壙 底 面 にも 木 柄 付 鉄 斧 漆 器 栗 などの 遺 物 を 副 葬 した 後 太 い 綱 を 利 用 し -30-

洛 東 江 流 域 の 原 三 国 時 代 墓 制 と 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 て 木 棺 を 下 ろして 安 置 したものと 見 られる つぎに 壙 壁 と 木 棺 の 間 の 空 間 にも 副 葬 品 を 配 置 した 後 掘 り 上 げた 土 で 墓 壙 内 部 を 充 填 したものと 推 定 される ( 注 3) (2) 昌 原 茶 戸 里 第 6 号 墳 ( 引 用 ) 長 軸 方 向 が 東 西 に 近 い 木 棺 墓 で 盗 掘 されていない 処 女 墳 である 開 墾 された 水 田 の 耕 作 により 墓 域 は 確 認 することができない 墓 壙 は 長 さ 260cm 幅 125cm 現 在 の 深 さ 150cm の 大 きさで 平 面 形 態 は 隅 丸 長 方 形 である 土 壙 壁 は 床 面 へ 下 がれば 下 がるほ ど 幅 が 少 しずつ 狭 くなる 遺 構 の 南 東 隅 上 に 平 底 の 瓦 質 土 器 底 部 1 点 と 胴 体 下 半 部 のみ 残 った 丸 底 壺 2 点 が 正 置 された 状 態 で 置 かれてあった このことから 推 定 してみると 遺 構 の 上 部 に 木 蓋 のような 施 設 物 はなかったようである 遺 構 内 部 は 暗 灰 褐 色 の 腐 植 土 で 埋 まっており 床 面 には 灰 青 色 の 粘 性 のある 土 が 全 面 に 薄 く 敷 かれていた 第 2 図 茶 戸 里 第 1 号 墳 墓 壙 平 面 断 面 図 (S=1/50) -31-

京 都 府 埋 蔵 文 化 財 論 集 第 7 集 第 3 図 茶 戸 里 第 6 号 墳 墓 壙 平 面 断 面 図 (1/50) 東 短 壁 の 肩 線 のし た 125cm 付 近 から 長 さ 180cm 幅 80cm の 大 きさの 木 棺 の 範 囲 を 確 認 することが できた また 木 質 痕 が 数 個 所 で 確 認 さ れ 墓 の 規 模 と 遺 物 出 土 状 態 から 見 て 木 棺 を 使 用 したこと は 明 らかである 遺 物 は 木 棺 と 墓 壙 壁 の 間 の 空 間 及 び 木 棺 内 部 から 出 土 した が 木 棺 上 部 の 副 葬 遺 物 と 推 定 されるも のは 木 棺 内 部 から 一 緒 に 出 土 した 墓 壙 の 幅 と 床 面 から 出 土 した 銅 剣 鉄 剣 の 位 置 から 見 て 枕 向 は 東 向 きと 考 えられる 墓 壙 床 面 からは 副 葬 壙 が 発 見 されなかった 遺 物 盗 掘 がなされていない 完 形 で 遺 物 の 配 置 状 態 をよく 知 ることができた 前 述 し たように 副 葬 遺 物 は 大 きく 木 棺 と 土 壙 壁 の 間 の 空 間 と 木 棺 の 上 部 及 び 木 棺 内 部 の 遺 物 に 分 けることができる 韓 国 式 銅 剣 鉄 剣 ガラス 玉 および 板 状 鉄 斧 の 一 部 は 木 棺 内 部 から 出 土 し 土 器 類 漆 器 類 磨 製 石 斧 および 板 状 鉄 斧 は 木 棺 上 部 と 土 壙 壁 の 間 の 空 間 に 副 葬 されている 床 の 中 央 付 近 からは 小 石 1 個 が 出 土 した 北 側 の 長 壁 に 連 なって 95cm 150cm の 大 きさの 木 棒 が 長 軸 と 平 行 して 置 かれていたが 用 途 はわからない ( 注 4) (3) 昌 原 茶 戸 里 第 32 号 墳 ( 翻 訳 ) 墓 壙 の 平 面 形 態 が 隅 丸 長 方 形 の 木 棺 墓 として 30 号 墳 の 北 東 側 31 号 墳 の 北 側 方 向 で 発 見 された 墓 壙 壁 はほぼ 垂 直 に 下 がるが 深 さ 150cm 程 度 で 段 がある 墓 壙 の 長 軸 方 向 は ほぼ 東 - 西 に 近 く また 副 葬 坑 がない 類 型 である 盗 掘 が 甚 だしいが 遺 物 は 比 較 的 よく 残 っ ていた 盗 掘 坑 は 墓 壙 の 範 囲 とほとんど 一 致 しながら 墓 壙 の3 壁 面 の 一 部 だけがいく らか 盗 掘 を 免 れた 状 態 で 西 側 短 壁 の 両 角 被 害 を 受 けた 部 分 は 生 土 までえぐられていた -32-

洛 東 江 流 域 の 原 三 国 時 代 墓 制 と 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 坑 内 部 では 瓦 質 の 短 頸 壺 1 個 体 分 が 破 損 したまま 一 括 で 出 土 した 墓 壙 の 大 きさは 長 さ 273cm で 中 央 部 の 幅 は 120cm ばかり だが 西 側 に 行 くほど 若 干 ずつ 狭 まる 深 さは 現 肩 部 ラインで 底 ま で 約 160cm 程 度 で 深 い 方 である 枕 方 向 は 南 側 長 壁 の 漆 器 矢 筒 内 で 出 土 した 鉄 鏃 と 棺 内 部 底 で 出 土 した 漆 鞘 鉄 剣 の 出 土 状 態 からみた ところ 東 枕 のものと 考 えられる 墓 壙 の 輪 郭 は 現 表 土 層 である 暗 褐 色 腐 食 土 を 深 さ 20 25cm 程 度 で 除 去 して 現 れた 墓 壙 は 黄 褐 色 粘 土 層 と 淡 赤 褐 色 砂 質 土 層 との 境 界 部 分 を 掘 り 込 んだもので 墓 壙 底 の 境 界 線 は 墓 壙 中 央 部 分 で 現 れた 墓 壙 内 第 4 図 茶 戸 里 第 32 号 墳 墓 壙 平 面 断 面 図 (1/50) 部 は 墓 壙 内 で 掘 り 出 された 土 が 暗 褐 色 赤 褐 色 黒 褐 色 ( 炭 粉 が 混 ざっていた) 等 の 粘 性 が 強 い 腐 植 泥 質 で 満 たしていて 木 棺 推 定 輪 郭 線 外 部 の 充 填 土 は 黄 褐 色 砂 質 土 に 粘 土 が 混 ざった 腐 植 土 である 現 肩 部 線 から 120cm 程 度 の 深 さで 木 棺 の 痕 跡 は 現 れた 木 棺 は 完 全 に 腐 植 して 残 っていないが 土 層 と 内 部 の 土 色 等 から 見 ると 丸 太 形 態 の 木 棺 であるも のと 推 定 される 木 棺 の 長 さは 206cm と 推 定 せざるを 得 ないが 墓 壙 内 部 がほとんど 盗 掘 され 腐 食 土 の 堆 積 状 態 を 把 握 するしかなくて 最 大 幅 は 推 定 するのが 難 しい 副 葬 品 では 墓 壙 底 で 漆 鞘 鉄 剣 1 点 鉄 鎌 1 点 鉄 斧 2 点 鉄 鑿 1 点 鉄 鉇 1 点 等 が 出 土 し 墓 壙 と 木 棺 の 充 填 土 内 では 北 側 長 壁 の 東 側 で 潰 れた 漆 器 筒 と 蓋 1 組 有 蓋 円 筒 形 漆 器 2 組 等 がしており 北 東 側 角 部 分 では 瓦 質 巾 着 壺 1 点 と 鉄 製 釣 針 2 点 等 が 出 土 した それから 南 側 長 壁 の 東 側 にはつぶれた 漆 器 矢 筒 内 部 で 鉄 鏃 が 入 ったまま 出 土 しており 西 側 では 鉄 斧 1 点 が 出 土 した 同 じく 北 側 長 壁 の 西 側 に 偏 って 充 填 土 上 部 で 鉄 鉾 1 点 が 出 土 した 出 土 遺 物 中 漆 器 類 の 場 合 木 心 は 全 部 腐 食 しているが 漆 皮 だけは 形 態 を 維 持 して 発 見 された ( 注 5) (4) 昌 原 茶 戸 里 第 47 号 墳 ( 翻 訳 ) -33-

京 都 府 埋 蔵 文 化 財 論 集 第 7 集 耕 作 土 下 約 20cm で 墓 壙 の 輪 郭 線 が 確 認 され 92 -カ 小 区 の 最 も 南 側 に 位 置 する 盗 掘 墳 である 墓 壙 の 長 軸 方 向 は 東 - 西 で 墓 壙 の 規 模 が 長 さ 230cm 幅 98cm 深 さ 85cm 程 度 の 隅 丸 長 方 形 木 棺 墓 である 墓 壙 の 中 心 部 は 既 に 盗 掘 によって 底 の 下 部 分 まで 掘 られていて 東 西 の 両 短 壁 だけが 一 部 分 自 らの 姿 を 整 えていた 墓 壙 内 部 を 地 山 と 同 じ 明 黄 褐 色 腐 植 土 が 満 たしていて 底 には 灰 白 色 粘 土 が 薄 く 敷 かれていた 遺 物 は 大 部 分 盗 掘 されているが 出 土 した 遺 物 は 元 来 の 位 置 に 埋 葬 した 遺 物 の 副 葬 状 態 は 知 ることができる 巾 着 壺 と 組 合 式 牛 角 形 第 5 図 茶 戸 里 第 47 号 墳 墓 壙 平 面 断 面 図 (S=1/50) 把 手 付 壺 は 北 側 の 長 壁 と 墓 壙 壁 の 間 の 充 填 土 内 に 配 置 してあった 鉄 鉾 と 鉄 鑿 は 互 いに 重 なって 南 側 底 に 置 いてあり 鉄 鏃 は 南 壁 角 部 分 の 充 填 土 で 出 土 した 鉄 鉇 は 鉄 鉾 と 鉄 鏃 の 間 で 各 々 20cm 程 距 離 を 置 いて 副 葬 していた 出 土 した 鉄 器 は 南 側 長 壁 に 隣 接 し て 出 土 したが 鋒 部 が 全 部 東 側 に 向 けて 埋 葬 したであ ろうことが 明 らか になった 同 様 に 墓 壙 中 央 部 底 では 形 態 を 明 らかにす ることができない 暗 灰 色 の 有 機 物 が 置 かれており 扁 球 形 壺 ( 算 盤 玉 形 土 器 )とやや 小 さ い 川 石 が 横 に 20cm の 間 を 置 いて 東 側 第 6 図 八 達 洞 30 号 墳 積 石 木 棺 墓 壙 平 面 断 面 図 (S=1/50) に 偏 って 出 土 した -34-

洛 東 江 流 域 の 原 三 国 時 代 墓 制 と 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 ( 注 6) (5) 大 邱 八 達 洞 30 号 積 石 木 棺 墓 ( 翻 訳 ) 墓 壙 の 長 軸 方 向 が N - 85 - W で 稜 線 頂 上 部 に 位 置 しており 等 高 線 方 向 と 交 差 す るように 造 成 した 積 石 木 棺 墓 である 墓 壙 の 規 模 は 長 さ 240cm 幅 140cm 現 在 の 深 さ 37cm で 基 板 層 が 岩 盤 で 形 成 されており 墓 壙 の 表 面 形 態 が 不 規 則 だが 長 方 形 に 近 い 遺 構 の 上 部 は 自 然 の 流 出 によって 一 部 が 切 断 されている 状 態 である 木 棺 は 基 板 層 であ る 岩 盤 層 を 掘 り 底 に 安 置 していた 木 棺 と 墓 壙 間 の 空 いた 空 間 には 墓 壙 造 成 時 に 出 た 暗 赤 褐 色 砂 質 粘 土 を 使 用 して 充 填 していた 木 棺 は 充 填 土 の 様 相 より 見 たとき 板 材 式 であ る 可 能 性 が 大 きい 土 層 の 陥 没 状 態 で 見 ると 木 蓋 があったものと 推 定 され 木 蓋 上 には 大 小 の 自 然 石 50 余 個 を 積 石 している 陥 没 土 の 撹 乱 で 封 土 の 存 在 を 知 ることができない 遺 物 は 北 長 壁 充 填 土 内 で 鉄 剣 鉄 斧 鉄 鎌 鉄 鉇 環 頭 刀 鉄 鑿 が 出 土 して 西 短 壁 充 填 土 上 面 で 甕 蓋 等 の 土 器 類 6 点 は 出 土 した 西 短 壁 から 中 央 に 若 干 離 れた 地 点 に 巾 着 壺 1 点 が 底 から 14cm 程 度 浮 いた 状 態 で 積 石 に 押 さえられている 状 態 で 出 土 した 木 棺 の 推 定 規 模 は 長 さ 165cm 幅 67cm であって 充 填 土 の 最 大 高 は 25cm である 3. 墓 制 の 比 較 (1) 副 葬 品 1 副 葬 品 目 表 1から 明 らかなように 洛 東 江 流 域 の 原 三 国 時 代 墳 墓 の 内 茶 戸 里 1 号 墳 など 最 も 厚 葬 の 墓 は 丹 後 地 域 の 最 も 厚 葬 の 墓 を 大 きく 越 える 内 容 の 副 葬 品 を 持 つ 特 に 銅 鏡 や 青 銅 製 大 型 武 器 類 鉄 鉾 などは 北 部 九 州 の 厚 葬 墓 には 見 られるが 丹 後 但 馬 地 域 では 見 ら れない 銅 製 武 器 としては 僅 かに 銅 鏃 が 見 られるのみである 野 島 永 が 主 張 するように ( 注 7) 副 葬 品 目 に 階 層 が 現 れていると 捉 えた 場 合 階 層 的 に 見 て 茶 戸 里 1 号 墓 などより1 段 階 か ら2 段 階 下 位 の 階 層 に 属 す 可 能 性 がある 茶 戸 里 第 47 号 墳 八 達 洞 30 号 積 石 木 棺 墓 は ガラ ス 玉 剣 鉇 素 環 頭 刀 子 鉄 鏃 といった 丹 後 但 馬 地 域 と 共 通 の 副 葬 品 目 を 持 つ 特 に ( 注 8) 棒 状 木 製 品 は 丹 後 地 域 初 期 の 厚 葬 墓 である 三 坂 神 社 3 号 墓 第 10 主 体 部 と 共 通 する 点 が 注 目 される この 遺 物 は 文 字 通 り 棒 状 の 木 製 品 で 茶 戸 里 例 では 削 り 出 して 把 手 部 を 作 っ ており 全 体 に 黒 漆 を 塗 っている 棒 状 鉄 剣 鞘 や 柄 付 タビなどと 共 に 棺 外 棺 側 に 置 かれて いる また ガラス 玉 の 副 葬 は 丹 後 但 馬 地 域 では 弥 生 時 代 後 期 初 頭 から 突 然 普 及 して 装 身 具 の 主 体 を 占 める この 変 化 は 洛 東 江 流 域 の 影 響 と 見 ることができる 洛 東 江 流 域 の 副 葬 品 目 と 共 通 する 点 が 多 い 一 方 で 鉄 鑿 鉄 斧 といった 丹 後 但 馬 地 域 では 例 の 少 ない 品 目 も 茶 戸 里 古 墳 群 や 八 達 洞 遺 跡 では 副 葬 されており 一 般 的 な 副 葬 品 となっている こう -35-

京 都 府 埋 蔵 文 化 財 論 集 第 7 集 した 副 葬 品 が 朝 鮮 半 島 洛 東 江 流 域 の 墳 墓 の 影 響 とする 前 に 列 島 内 の 状 況 を 確 認 してお くと 上 述 した 通 り 北 部 九 州 の 立 岩 遺 跡 や 二 塚 山 遺 跡 など 半 島 の 影 響 を 受 けた 副 葬 ( 注 9) 品 を 持 つ 墳 墓 は 多 い しかし 拙 稿 で 指 摘 したように 鉄 製 鉇 の 習 俗 としての 副 葬 や 壱 岐 一 哉 が 指 摘 した 鉄 鏃 の 同 形 同 大 二 本 組 ( 注 10) 副 葬 は 北 部 九 州 より 丹 後 但 馬 地 域 が 先 行 して 始 まることから 北 部 九 州 の 直 接 的 な 影 響 を 考 えるのは 蓋 然 性 が 低 い また 弥 生 時 代 後 期 前 葉 に 限 ってみれば この 二 地 域 以 外 に 習 俗 として 鉄 製 品 を 副 葬 する 地 域 はない 従 って 消 去 法 的 に 洛 東 江 流 域 の 墳 墓 の 影 響 を 考 えざるをえない 一 方 丹 後 但 馬 地 域 では 棺 内 に 赤 色 顔 料 を 頭 部 付 近 を 中 心 に 撒 く 行 為 が 厚 葬 墓 には 見 られ るが 今 回 取 り 上 げる 墳 墓 では 見 られない 赤 色 顔 料 は 弥 生 時 代 中 期 後 葉 の 与 謝 野 町 日 吉 ヶ 丘 遺 跡 SZ0 ( 注 11) 1でも 見 られ 弥 生 文 化 の 墓 制 では 一 般 的 なものである 赤 色 顔 料 が 副 葬 品 に 当 たるかは 議 論 が 分 かれるとこ ろであるが 棺 内 に 置 かれるものと 副 葬 品 に 関 しては 洛 東 江 流 域 の 影 響 が 主 体 であ るが 全 てではなく 一 部 に 弥 生 文 化 の 影 響 が 見 られるとすることができる 2 副 葬 配 置 副 葬 品 の 配 置 状 況 を 見 ると ここでも 共 通 点 と 相 違 点 が 明 らかとなる 鉄 剣 の 副 葬 位 置 は 洛 東 江 流 域 でも 棺 内 と 棺 外 に 分 か れ 丹 後 但 馬 地 域 でもその 状 況 は 同 様 である 棺 内 棺 外 に 関 わらず 被 葬 者 の 右 側 に 被 葬 者 と 並 行 に 置 く(1AR 又 は2βAR 2 γar ) ことは 洛 東 江 流 域 と 丹 後 但 馬 地 域 でも 共 通 する ガラス 玉 を 棺 内 に 副 葬 する 事 も 共 通 する 一 方 で 拙 稿 で 紹 介 した 鉇 墳 墓 墓 壙 配 置 木 棺 土 器 供 献 副 葬 品 その 他 タビ 漆 器 容 器 板 状 鉄 斧 ヤリガ ンナ 銅 剣 鉄 鉾 鉄 剣 鉄 鏃 素 環 頭 刀 子 棒 状 木 製 品 鏡 ガ ラ ス 玉 墓 壙 内 破 砕 土 器 供 献 形 式 墓 壙 内 完 形 土 器 供 献 等 高 線 と の 関 係 等 比 高 差 ( 墳 墓 群 全 体 ) 茶 戸 里 1 号 墳 直 交 刳 抜 き 式 棺 内 筆 帯 鉤 銅 鉾 銅 環 棺 内 棺 内 棺 内 茶 戸 里 6 号 墳 直 交 組 合 式 ( 板 材 式 ) 茶 戸 里 32 号 墳 棺 内 棺 内 鉄 鑿 鉄 斧 鉄 鎌 鉄 鑿 茶 戸 里 47 号 墳 直 交 組 合 式 ( 板 材 式 ) 鉄 鑿 鉄 斧 鉄 鎌 15 25m 直 交 組 合 式 ( 板 材 式 ) 八 達 堂 30 号 積 石 木 棺 墓 18 40m 平 行 組 合 式 棺 内 棺 内 棺 内 棺 内 赤 色 顔 料 三 坂 神 社 3 号 墓 第 1 主 体 部 棺 内 棺 内 棺 内 赤 色 顔 料 ガラス 釧 銅 釧 貝 輪 ヤス 55m 直 交 刳 抜 き 式 ( 舟 底 状 木 棺 ) 大 風 呂 南 1 号 墓 第 1 主 体 部 棺 内 棺 内 朱 10 15m 平 行 刳 抜 き 式 ( 舟 底 状 木 棺 ) 浅 後 谷 南 墳 墓 第 1 主 体 部 第 1 表 洛 東 江 流 域 の 原 三 国 時 代 墳 墓 と 丹 後 地 域 弥 生 時 代 後 期 墳 墓 の 比 較 -36-

洛 東 江 流 域 の 原 三 国 時 代 墓 制 と 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 は 今 回 取 り 上 げた 墳 墓 では 丹 後 但 馬 地 域 の 通 有 の 副 葬 配 置 である 1 AR-h( 棺 内 棺 側 右 側 頭 部 付 近 ) と 共 通 する 配 置 は 見 出 されなかった ただし 茶 戸 里 第 32 号 墳 では 1AR-1( 棺 内 棺 側 右 側 脚 部 付 近 )のものがあり 右 側 が 意 識 されている 可 能 もある 鉄 鏃 副 葬 については 壱 岐 一 哉 は 鉄 鏃 が 弥 生 時 代 後 期 前 半 では 被 葬 者 に 向 かって 右 側 に 入 れるという 規 範 が 存 在 するとし 時 期 が 下 がるにつれてそれが 弛 緩 するとした 壱 岐 の 指 摘 する 規 範 は 筆 者 の 言 う1AL-hまたは1AL-b 1AL-cのいずれかに 属 して いる 素 環 頭 刀 子 も 丹 後 の 三 坂 神 社 3 号 墓 第 10 主 体 部 のように 棺 内 に 副 葬 されるものは なかった なお 高 久 健 二 は 弁 辰 韓 墳 墓 における 副 葬 品 配 置 の 検 討 から 木 棺 内 に 玉 類 短 剣 充 填 土 ( 裏 込 め 土 ) 内 に 鉄 鉾 土 器 類 を 副 葬 するパターンが 確 立 するとしている ( 注 12) 高 久 の 副 葬 配 置 の 分 類 は 観 察 者 が 埋 葬 施 設 に 向 かっての 左 右 であるため 筆 者 とは 表 現 が 反 対 と なるが 高 久 の 長 壁 左 側 は 筆 者 の2βARまたは2γAR 長 壁 右 側 が 筆 者 の2βALま たは2γALにあたる 高 久 が 提 示 しているグラフからは 弁 辰 韓 Ⅲ 期 の 鉄 剣 副 葬 には 棺 内 副 葬 に 加 え 長 壁 左 側 (2βAR 2γAR)が 少 数 例 存 在 することが 読 み 取 れる 鉄 剣 を 副 葬 する 際 被 葬 者 の 右 側 が 意 識 されていたことを 示 す 可 能 性 が 有 る 鉄 鏃 につい て 高 久 のグラフからは 弁 辰 韓 Ⅲ 期 の 慶 北 では 棺 内 と 長 壁 左 側 (2βAR 2γAR)が 卓 越 し 慶 南 では 棺 内 長 壁 左 側 の 例 もあるが 長 壁 右 側 (2βAL 2γAL)が 卓 越 し 対 比 的 な 状 況 が 読 み 取 れる また 弁 辰 韓 Ⅳ 期 では 棺 内 と 槨 内 長 壁 右 側 長 壁 右 側 (2βAL 2γAL)が 卓 越 する さらに 弁 辰 韓 Ⅴ 期 の 慶 南 では 木 槨 上 部 に 鉄 鏃 鉄 鉾 農 工 具 が 副 葬 される 例 があり 農 工 具 が 封 土 から 出 土 した 例 もある 壱 岐 が 指 摘 する 所 の 鉄 鏃 の 配 置 の 規 範 が 弛 緩 するという 状 況 は 高 久 が 提 示 したデータと 整 合 的 である 高 久 と 同 様 に 嶺 南 地 域 の 墳 墓 について 検 討 した 李 淸 圭 は 鉄 剣 の 副 葬 配 置 について 木 棺 内 のだいたい 右 側 に 置 かれる (1AR-h b c 1)とした ( 注 13) また 鉄 鏃 については 矢 筒 に 入 れられ 充 填 土 に 埋 納 されるのが 大 部 分 であり 1/3 程 度 が 左 側 中 央 (2βγAL)にあるとされる 鉇 は 鑿 とセットで 左 側 の 充 填 土 上 段 に 相 当 数 が 配 置 される(2 βal-h 1)という なお 李 の 提 示 したデータでは 鉇 が 棺 内 に 副 葬 される 事 例 も 多 く むしろ2βAL-1の 配 置 に 集 中 すること 以 外 は 規 則 性 に 乏 しいように 見 える こう した 朝 鮮 半 島 南 部 の 墓 制 に 関 する 先 行 研 究 との 対 比 からも 鉄 剣 鉄 鏃 の 副 葬 配 置 には 丹 後 但 馬 地 域 の 副 葬 品 配 置 と 共 通 性 が 高 く 鉇 は 共 通 性 が 低 いことが 読 み 取 れる 3 副 葬 品 の 形 状 ア 鉄 剣 第 7 図 に 丹 後 地 域 で 副 葬 されていた 鉄 剣 の 主 要 なものを 関 部 を 基 準 に 重 ね 合 わせたもの -37-

京 都 府 埋 蔵 文 化 財 論 集 第 7 集 と 茶 戸 里 古 墳 群 八 達 洞 遺 跡 出 土 の 鉄 剣 を 重 ね 合 わせとものを 並 べて 示 した 既 に 拙 稿 で 指 摘 したように 丹 後 地 域 の 鉄 剣 はその 長 さと 幅 の 関 係 からから 剣 身 部 4 類 茎 部 3 類 に 分 類 し 茎 部 は 更 に 形 態 から2 分 でき ( 注 14) る それを 踏 まえて 洛 東 江 流 域 原 三 国 時 代 墳 墓 に 副 葬 された 鉄 剣 を 比 較 すると 剣 身 では3 類 と4 類 が 類 似 し 茎 ではa 類 の 長 方 形 が 類 似 する 八 達 洞 第 31 号 墳 出 土 の 鉄 剣 は 剣 身 の 幅 は 丹 後 の1 類 と 同 じであるが 長 さが 丹 後 地 域 の2 類 と 同 等 となり 違 いがある 拙 稿 では 剣 身 の 幅 が2 3 類 と 同 様 で 極 端 に 短 いも のを3 類 や2 類 の 鉄 剣 が 折 損 したものを 研 ぎ 直 した 可 能 性 が 有 るものを 指 摘 した が 1 類 としたものは 実 はこうした 細 長 い 鉄 剣 の 折 損 したものの 再 利 用 品 なのか もしれない 相 違 点 としては 丹 後 の 鉄 剣 は 直 角 関 で 茶 戸 里 古 墳 群 八 達 洞 遺 跡 出 土 のものは 斜 関 である 点 がある た だし 金 海 良 洞 里 162 号 出 土 の 鉄 剣 は 直 角 関 である ( 注 15) この 関 部 の 形 状 が 直 角 関 で あることと 刃 関 双 孔 そして 身 部 横 断 面 が 鎬 をもたない 凸 レンズ 状 を 示 すことは 丹 後 但 馬 地 域 の 鉄 剣 の 特 徴 であるが 関 部 付 近 の 形 状 と 刃 関 双 孔 については 野 島 永 の 主 張 する 地 域 毎 の 拵 えの 違 ( 注 16) い ( 注 17) ( 注 18) または 豊 島 直 博 会 下 和 宏 が 指 摘 するよ うに 消 費 地 による 改 造 や 再 流 通 に 起 因 す る 可 能 性 が 高 い 国 内 での 鉄 器 生 産 について 従 来 は 舶 載 を 中 心 とする 見 方 が 優 勢 であったが ( 注 19) 第 7 図 丹 後 地 域 弥 生 墳 墓 出 土 鉄 剣 と 洛 東 江 流 域 原 三 国 時 代 墳 墓 出 土 鉄 剣 比 較 図 村 上 恭 通 は 小 型 の 貧 弱 な 短 剣 は 東 国 を 含 む 国 内 産 とした ( 注 20) さらに 杉 山 和 徳 は 日 本 -38-

洛 東 江 流 域 の 原 三 国 時 代 墓 制 と 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 出 土 鉄 剣 と 朝 鮮 半 島 出 土 鉄 剣 を 比 較 し 杉 山 の 朝 鮮 半 島 Ⅰ 型 短 剣 を 舶 載 したものが 日 本 列 島 日 本 列 島 Ⅰ 型 短 剣 であり 日 本 列 島 Ⅱ 型 短 剣 は 日 本 で 国 内 外 の 間 接 的 な 影 響 を 受 けて 創 出 されたとした ( 注 21) 一 方 長 家 伸 は 弥 生 時 代 中 期 から 後 期 初 頭 の 鍛 冶 遺 構 とされる 遺 構 に 椀 形 滓 羽 口 が 伴 わなず 還 元 面 も 見 られないことなどから 赤 井 手 仁 王 手 遺 跡 以 外 での 高 温 操 業 鍛 打 による 整 形 には 懐 疑 的 である ( 注 22) また 後 期 前 半 から 終 末 では 須 玖 唐 梨 遺 跡 二 子 塚 遺 跡 などで 椀 形 滓 鍛 造 剥 片 粒 状 滓 などが 見 られ 岡 山 の 津 寺 一 軒 屋 遺 跡 で は 弱 い 還 元 状 態 が 認 められるなど 比 較 的 高 温 の 操 業 を 伺 わせる 兆 候 があるとする 丹 後 地 域 では 弥 生 時 代 後 期 の 鍛 冶 遺 構 は 現 在 の 所 認 められない したがって 剣 身 そのものを 丹 後 但 馬 地 域 で 製 作 したとするよりは 他 地 域 からの 搬 入 品 である 剣 に 奈 具 谷 遺 跡 出 土 の 中 期 剣 把 から 伺 える 丹 後 但 馬 地 域 での 拵 えに 合 わせた 改 造 を 行 っていたとする 方 が 蓋 然 性 が 高 い イ 鉄 鏃 丹 後 地 域 鉄 鏃 の 形 態 は 無 茎 式 が 主 体 であり 一 部 に 柳 葉 式 が 含 まれる 壱 岐 一 哉 が 前 述 の 論 文 で 朝 鮮 半 島 の 事 例 を 紹 介 し 丹 後 地 域 の 鉄 鏃 との 形 態 の 類 似 性 を 指 摘 している 但 馬 地 域 では 瀬 戸 谷 晧 谷 本 由 美 宮 村 良 雄 が 弥 生 墳 墓 出 土 の 鉄 鏃 を 集 成 して 形 状 の 特 徴 をまとめている ( 注 23) が 丹 後 地 域 とほぼ 同 じ 状 況 である ウ 鉇 一 方 鉇 の 形 状 は 洛 東 江 流 域 のものとは 異 なる 洛 東 江 流 域 の 鉇 は 柄 の 部 分 に 裏 スキがあ る 断 面 三 日 月 形 のもであるが 丹 後 但 馬 地 域 の 鉇 の 柄 は 断 面 長 方 形 のものであり 明 ら かな 国 産 品 である ただし 但 馬 地 域 の 東 山 墳 墓 群 から 出 土 した1 点 のみ 柄 に 裏 スキのあ る 断 面 三 日 月 形 のもである これは 北 部 九 州 産 又 は 半 島 産 である (2) 土 器 供 献 ( 注 24) 丹 後 地 域 の 土 器 供 献 については 肥 後 弘 幸 の 検 討 松 尾 奈 緒 子 の 検 討 がある ( 注 25) 但 馬 地 域 ( 注 26) では 松 井 敬 代 の 検 討 宮 村 良 雄 の 検 討 がある ( 注 27) いずれも 木 棺 の 裏 込 め 土 上 または 棺 蓋 上 を 含 めた 全 体 に 破 砕 した 土 器 片 を 置 く 行 為 である 墓 壙 内 破 砕 土 器 供 献 を 主 とし 次 第 に 墓 壙 上 供 献 と 併 用 されるようになるとする 松 尾 は 当 初 墓 壙 上 供 献 は 階 層 が 低 い 主 体 部 から 採 ( 注 28) 用 され 赤 坂 今 井 墳 墓 に 至 って 最 高 位 の 階 層 の 中 心 主 体 部 に 採 用 されるようになるとした 肥 後 は 墓 壙 内 破 砕 土 器 供 献 が 足 下 側 に 集 中 すると 指 摘 している 高 久 健 二 は 先 述 の 論 文 で 巾 着 壺 が 充 填 土 内 左 側 (2γAR)に 集 中 し 牛 角 形 把 手 付 壺 が 充 填 土 内 下 側 (2γB-1)に 集 中 するという 特 に 弥 生 時 代 後 期 前 半 に 平 行 すると 見 られる 弁 辰 韓 Ⅲ 期 ではその 他 の 器 種 も 加 わり 充 填 土 内 下 側 (2γB-1) に 副 葬 さ れる 丹 後 但 馬 地 域 と 比 較 して 明 らかな 共 通 性 は 土 器 が 下 半 身 側 に 集 中 して 置 かれるこ -39-

京 都 府 埋 蔵 文 化 財 論 集 第 7 集 とである 一 方 で 朝 鮮 半 島 では 完 形 の 土 器 を 充 填 土 内 に 置 くのに 対 し 丹 後 但 馬 地 域 で は 土 器 を 破 砕 して 裏 込 め 土 上 に 置 くという 違 いが 見 られる 土 器 を 破 砕 して 置 くという 行 為 は 瀬 戸 内 東 部 から 近 畿 の 弥 生 墓 制 の 中 で 中 心 的 な 役 割 を 占 める 方 形 周 溝 墓 の 溝 内 で 行 われることがある 吉 田 秀 則 藤 井 整 は 方 形 周 溝 墓 に 見 られる 供 献 行 為 を 台 状 部 上 に 並 べられるもの 溝 内 に 置 かれるもの 破 砕 された 土 器 を 溝 内 に 置 くものに 分 類 した ( 注 29) 丹 後 地 域 では 卓 状 墓 が 築 造 されるようになる 弥 生 時 代 後 期 初 頭 に 先 行 して 弥 生 時 代 中 期 後 葉 の 奈 具 墳 墓 群 で 丘 陵 上 の 方 形 周 溝 墓 埋 葬 施 設 から 墓 壙 内 破 砕 土 器 供 献 が 検 出 されている こうした 事 例 から 墓 壙 内 破 砕 土 器 供 献 は 瀬 戸 内 東 部 から 近 畿 中 央 部 の 方 形 周 溝 墓 が 分 布 する 地 域 で 主 として 周 溝 内 で 行 われていた 破 砕 土 器 供 献 が 丹 後 地 域 に 伝 播 し 朝 鮮 半 島 からの 土 器 を 配 置 する 位 置 の 情 報 と 融 合 して 墓 壙 内 で 継 続 的 に 実 施 されるようになったとみられる また 丹 後 地 域 では 松 尾 が 指 摘 するように 弥 生 時 代 後 期 の 後 半 期 に 完 形 土 器 を 供 献 す ( 注 30) る 事 例 が 見 られるようになる 古 天 王 式 段 階 の 大 山 墳 墓 群 周 辺 第 14 主 体 で 小 型 の 壺 古 天 王 5 号 墓 第 3 5 主 体 部 で 甕 を 裏 込 め 土 上 に 横 倒 しにして 置 いていた また 西 谷 式 の ( 注 31) 帯 城 墳 墓 群 A 支 群 7 号 墓 第 2 主 体 部 でも 完 形 の 甕 を 横 倒 しにして 置 いている 浅 後 谷 式 の 赤 坂 今 井 墳 墓 第 3 埋 葬 でも 二 段 墓 壙 の 上 段 に 完 形 の 甕 を 横 倒 しにして 置 いていた 朝 鮮 半 島 洛 東 江 流 域 の 副 葬 土 器 は 原 則 的 に 完 形 品 であり 多 くは 墓 壙 と 木 棺 の 間 の 墓 壙 底 に 置 か れ 充 填 土 によって 埋 め 殺 しにされる 裏 込 め 土 の 上 か 中 か 正 位 に 置 くか 横 位 に 置 くか という 相 違 はあるが 完 形 土 器 を 墓 壙 内 の 墓 壙 壁 と 木 棺 の 間 に 置 くという 行 為 は 共 通 する 丹 後 但 馬 地 域 の 供 献 土 器 の 器 種 は 肥 後 松 井 によると 甕 が 主 体 で 次 いで 壺 高 坏 鉢 と 続 く 洛 東 江 流 域 の 副 葬 土 器 は 巾 着 壺 と 呼 ばれる 小 型 の 壺 と 牛 角 形 把 手 付 壺 短 頸 壺 を 主 体 としている 組 成 の 主 体 が 甕 か 壺 かで 大 きく 相 違 するが 高 野 陽 子 は 把 手 付 小 型 壺 Aについて 朝 鮮 半 島 南 東 部 地 域 の 巾 着 壺 からの 影 響 を 指 摘 している ( 注 32) (3) 木 棺 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 の 主 体 部 に 納 められる 棺 は 原 則 的 に 組 合 せ 式 箱 形 木 棺 で ある 石 崎 善 久 は 後 期 後 半 に 中 心 主 体 部 を 中 心 に 刳 り 貫 き 式 の 木 棺 が 導 入 されることを 指 摘 し その 形 状 から 舟 底 状 木 棺 と 命 名 した ( 注 33) 石 崎 は 茶 戸 里 1 号 墳 の 事 例 を 引 き こうした 刳 り 貫 き 式 木 棺 の 導 入 は 朝 鮮 半 島 からの 影 響 である 可 能 性 を 指 摘 した (4) 墓 壙 の 立 地 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 が 確 立 する 前 段 階 高 久 の 弁 辰 韓 Ⅱ 期 の 茶 戸 里 古 墳 群 は 平 地 に 近 い 台 地 または 河 岸 段 丘 上 に 立 地 するが 後 続 する 八 達 洞 遺 跡 は 比 高 差 15 25m の 丘 陵 尾 根 上 斜 面 上 に 立 地 し 等 高 線 に 対 して 直 交 して 築 かれる 下 袋 古 墳 -40-

洛 東 江 流 域 の 原 三 国 時 代 墓 制 と 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 ( 注 34) 群 や 良 洞 里 古 墳 群 でも 同 様 の 立 地 を 示 す 丹 後 地 域 の 日 吉 ヶ 丘 遺 跡 や 寺 岡 遺 跡 など 貼 り 石 方 形 墳 丘 墓 を 含 む 弥 生 時 代 中 期 後 葉 の 墳 墓 は 多 くが 河 岸 段 丘 上 に 立 地 し 奈 具 岡 遺 跡 ( 注 35) ( 注 36) ( 注 37) 群 の 方 形 周 溝 墓 と 貼 り 石 方 形 墳 丘 墓 小 池 古 墳 群 の 貼 り 石 方 形 墳 丘 墓 のみが 丘 陵 上 に 築 か れる 一 見 洛 東 江 流 域 の 墳 墓 と 立 地 が 類 似 するようにみえるが 丹 後 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墳 墓 は 墓 壙 の 主 軸 を 等 高 線 に 平 行 に 築 くことを 原 則 とする ここでも 共 通 点 と 相 違 点 があ ることが 分 かる 4. 影 響 の 実 態 まとめにかえて これまで 見 てきたように 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 と 朝 鮮 半 島 洛 東 江 流 域 の 墓 制 には 共 通 点 と 相 違 点 があることが 明 らかとなった 共 通 点 を 積 極 的 に 評 価 すれば 丹 後 但 馬 地 域 に 洛 東 江 流 域 の 墓 制 が 大 きな 影 響 を 与 えたと 言 える しかし 相 違 点 も 少 なくない では 丹 後 但 馬 地 域 の 墓 制 にどのような 影 響 があったと 見 るべきだろうか 外 来 系 土 器 の 研 究 においては 大 きく3 段 階 に 分 けて 語 られることがある つまり 搬 入 土 器 外 来 系 の 製 作 者 が 在 地 の 胎 土 で 製 作 した 土 器 在 地 の 製 作 者 が 搬 入 土 器 や 外 来 系 製 作 者 が 作 る 土 器 を 模 倣 した 土 器 の3 段 階 である これに 倣 って 検 討 することとする 墓 は 土 器 のような 動 産 ではないので 搬 入 の 墓 というものは 存 在 し 得 ないが 外 来 系 の 人 が その 故 地 の 文 物 を 持 ち 込 み 故 地 の 葬 法 に 従 って 築 いた 墓 を 外 来 系 墓 1 段 階 とする 外 来 系 の 人 が 在 地 の 文 物 を 使 って 故 地 の 葬 法 で 埋 葬 したものを 外 来 系 墓 2 段 階 とする 在 地 の 人 が 在 地 の 文 物 を 使 って 外 来 系 の 人 から 得 た 情 報 に 基 づいて 築 いた 墓 を 外 来 系 墓 3 段 階 とする 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 は 洛 東 江 流 域 の 墳 墓 と 共 通 点 があるものの 明 ら かに 原 則 を 外 れた 行 為 がある 副 葬 品 目 では 洛 東 江 流 域 で 一 般 的 な 鉄 斧 鉄 鑿 が 排 除 さ れている 更 に 土 器 供 献 は 裏 込 め 土 の 中 に 完 形 のまま 入 れることが 原 則 であるにも 関 わ らず 裏 込 め 土 上 に 破 砕 して 置 いている 墓 壙 の 主 軸 を 等 高 線 に 対 して 直 交 して 配 置 する という 原 則 も 守 られない したがって 外 来 系 墓 1 段 階 ではありえない また 副 葬 品 に 在 地 産 の 鉄 製 品 を 使 用 していることからもそれは 首 肯 される 外 来 系 墓 2 段 階 とするにも 在 地 の 鉄 製 品 を 用 いてはいるが 葬 法 が 守 られてはいない 従 って 外 来 系 2 段 階 とするの も 困 難 である こうした 検 討 から 消 去 法 的 に 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 は 外 来 系 墓 3 段 階 在 地 の 人 が 外 来 系 の 人 から 得 た 情 報 に 基 づいて 築 いた 墓 と 考 えるのが 穏 当 であろう 丹 後 但 馬 地 域 の 墓 制 を 見 ると 外 来 系 の 墓 制 に 関 する 情 報 の 内 いくつか の 点 で 相 違 があることは 既 に 見 てきた 通 りだが 造 墓 主 体 が 在 地 の 人 である 以 上 その 取 捨 選 択 が 丹 後 但 馬 地 域 の 人 によって 行 われたことは 明 白 である その 取 捨 選 択 によって -41-

京 都 府 埋 蔵 文 化 財 論 集 第 7 集 成 立 した 墓 制 が 急 速 に 普 及 し 東 部 瀬 戸 内 から 畿 内 地 域 を 中 心 とした 方 形 周 溝 墓 や 山 陰 の 影 響 で 成 立 する 貼 り 石 方 形 墳 丘 墓 を 駆 逐 することで 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 の 墓 制 は 開 始 されるということができる しかし 今 回 取 り 上 げた 洛 東 江 流 域 の 墓 制 の 影 響 は 弥 生 時 代 後 期 初 頭 に 一 斉 に 取 り 入 れられたわけではない また 墓 壙 内 破 砕 土 器 供 献 への 影 響 のように 弥 生 時 代 中 期 後 葉 に 既 に 丹 後 但 馬 地 域 に 入 っていた 情 報 もある 洛 東 江 流 域 の 墓 制 の 影 響 が 現 れた 順 に 整 理 すると 次 のようになる 1 弥 生 時 代 中 期 後 葉 : 墓 壙 内 の 木 棺 と 墓 壙 壁 の 間 足 下 寄 りに 土 器 を 置 く 行 為 2 弥 生 時 代 後 期 初 頭 : 丘 陵 上 に 墓 壙 を 配 置 する カリガラスの 玉 類 鉄 鏃 鉇 上 位 階 層 の 被 葬 者 には 素 環 頭 刀 子 漆 塗 棒 状 木 製 品 を 棺 内 に 置 く 行 為 この 際 鉄 鏃 は 被 葬 者 の 左 側 に 置 く 原 則 巾 着 壺 の 形 態 3 弥 生 時 代 後 期 中 葉 : 上 位 階 層 の 被 葬 者 は 刳 り 貫 き 式 木 棺 に 埋 葬 する 原 則 上 位 階 層 の 被 葬 者 を 中 心 に 鉄 剣 を 棺 内 又 は 棺 外 に 副 葬 する 原 則 その 際 被 葬 者 の 右 側 に 置 く 原 則 墓 壙 内 に 置 く 土 器 は 完 形 であること 4 弥 生 時 代 後 期 後 葉 : 鉄 鏃 鉇 の 副 葬 配 置 の 多 様 化 こうした 各 段 階 の 影 響 はどのようにもたらされたのか 直 接 的 な 通 行 関 係 が 恒 常 的 に あったとするには 当 時 の 船 舶 は 準 構 造 船 であり 実 験 船 での 航 海 からも 外 洋 を 往 来 する 沖 乗 り 航 法 に 用 いるには 貧 弱 であることが 分 かっている では 浦 伝 いに 行 く 方 法 である 地 乗 り 航 法 かと 言 えば 墓 制 においても 住 居 形 態 においても 排 除 関 係 にある 山 陰 地 域 を 通 っ て 行 くのが 安 全 かと 言 えばそうとも 言 えない 平 成 24 年 に 北 朝 鮮 からの 木 造 小 型 船 が 漂 着 した 事 件 は 記 憶 に 新 しいが 日 本 海 沿 岸 に は 北 朝 鮮 韓 国 から 小 船 が 漂 着 することが 多 い その 中 には 木 造 船 も 多 い 船 に 限 らず 日 本 海 沿 岸 には 朝 鮮 半 島 から 多 数 の 漂 着 物 が 毎 年 打 ち 上 げられる 洛 東 江 河 口 部 から 出 航 し たが 北 西 からの 風 に 流 されて 漂 着 する 船 がこの 時 期 多 かったのではないか その 背 景 と して 前 漢 の 滅 亡 新 の 建 国 と 滅 亡 後 漢 の 成 立 といった 中 国 の 政 治 軍 事 的 変 動 に 伴 い 楽 浪 郡 では 王 調 による 楽 浪 郡 の 独 立 後 漢 光 武 帝 による 王 調 の 滅 亡 楽 浪 郡 の 回 復 楽 浪 郡 の 嶺 東 7 郡 の 放 棄 といったことが 相 次 いで 西 暦 8 年 から 30 年 の 間 に 勃 興 する こうし た 東 アジアの 政 治 軍 事 的 な 変 動 の 中 で 密 かに 国 を 離 れざるを 得 なかった 人 々も 多 かった のではないかと 推 測 している 交 流 が 恒 常 的 ではなかったからこそ 欠 損 した 剣 を 研 ぎ 直 したり あるいは 折 れたまま 副 葬 したのではないかと 思 われるのである (ふくしま たかゆき= 京 都 府 教 育 庁 指 導 部 文 化 財 保 護 課 主 査 ) -42-

洛 東 江 流 域 の 原 三 国 時 代 墓 制 と 丹 後 但 馬 地 域 の 弥 生 時 代 後 期 墓 制 注 1 福 島 孝 行 弥 生 墳 墓 における 鉇 の 副 葬 作 法 について(2) ( 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 情 報 第 81 号 財 団 法 人 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 調 査 研 究 センター) 2001 注 2 李 健 茂 ほか 監 訳 西 谷 正 義 昌 茶 戸 里 遺 蹟 発 掘 進 展 報 告 日 本 語 篇 しこうしゃ 1990 注 3 前 掲 注 2 注 4 李 健 茂 ほか 昌 原 茶 戸 里 遺 蹟 発 掘 進 展 報 告 Ⅲ ( 考 古 学 誌 5 輯 )1993 注 5 前 掲 注 4 注 6 嶺 南 文 化 財 研 究 院 大 邱 八 達 洞 遺 蹟 Ⅰ 2000 注 7 野 島 永 高 野 陽 子 近 畿 地 方 北 部 における 古 墳 成 立 期 の 墳 墓 (2) ( 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 情 報 第 76 号 財 団 法 人 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 調 査 研 究 センター)2000 注 8 今 田 昇 一 ほか 三 坂 神 社 墳 墓 群 三 坂 神 社 裏 古 墳 群 有 明 古 墳 群 有 明 横 穴 群 ( 大 宮 町 文 化 財 調 査 報 告 書 第 14 集 大 宮 町 教 育 委 員 会 ) 1998 注 9 福 島 孝 行 弥 生 墳 墓 における 鉇 の 副 葬 作 法 について(1) ( 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 情 報 第 78 号 財 団 法 人 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 調 査 研 究 センター) 2000 注 10 壱 岐 一 哉 鉄 鏃 副 葬 についての 一 考 察 - 丹 後 地 域 を 中 心 に- ( 考 古 学 に 学 ぶ(Ⅱ) 同 志 社 大 学 考 古 学 シリーズⅧ 同 志 社 大 学 考 古 学 シリーズ 刊 行 会 )2003 壱 岐 一 哉 弥 生 時 代 鉄 鏃 副 葬 の 展 開 とその 特 質 ( 古 代 学 研 究 167 古 代 學 研 究 會 ) 2004 注 11 加 藤 晴 彦 ほか 日 吉 ヶ 丘 遺 跡 ( 加 悦 町 文 化 財 調 査 報 告 第 33 集 加 悦 町 教 育 委 員 会 ) 2005 注 12 高 久 健 二 楽 浪 郡 と 弁 辰 韓 の 墓 制 - 副 葬 品 の 組 成 と 配 置 の 分 析 を 中 心 に- ( 考 古 學 から 見 た 弁 辰 韓 と 倭 九 州 考 古 学 会 嶺 南 考 古 学 会 第 4 回 合 同 考 古 学 大 会 九 州 考 古 学 会 嶺 南 考 古 学 会 )2000 注 13 李 淸 圭 細 形 銅 剣 時 期 の 嶺 南 地 域 墓 制 ( 訳 : 井 上 主 税 細 形 銅 剣 文 化 の 諸 問 題 九 州 考 古 学 会 嶺 南 考 古 学 会 第 5 回 合 同 考 古 学 大 会 九 州 考 古 学 会 嶺 南 考 古 学 会 ) 2002 注 14 福 島 孝 行 弥 生 墳 墓 における 鉄 剣 の 副 葬 (1) 丹 後 地 域 ( 考 古 学 に 学 ぶ(Ⅲ) 同 志 社 大 学 考 古 学 シリーズⅨ 同 志 社 大 学 考 古 学 シリーズ 刊 行 会 )2007 注 15 東 義 大 学 校 博 物 館 大 阪 朝 鮮 考 古 学 研 究 会 金 海 良 洞 里 古 墳 文 化 ( 日 本 語 版 ) ( 東 義 大 学 校 博 物 館 学 術 叢 書 7) 2001 注 16 野 島 永 弥 生 時 代 後 期 から 古 墳 時 代 初 頭 における 鉄 製 武 器 をめぐって ( 河 瀬 正 利 先 生 退 官 記 念 論 文 集 考 古 論 集 )2004 注 17 豊 島 直 博 弥 生 時 代 の 鹿 角 装 鉄 剣 ( 東 国 史 論 第 18 号 群 馬 考 古 学 研 究 会 )2003 注 18 会 下 和 宏 弥 生 時 代 の 鉄 剣 鉄 刀 について ( 日 本 考 古 学 第 23 号 日 本 考 古 学 協 会 )2007 注 19 潮 見 浩 東 アジアの 初 期 鉄 器 文 化 ( 吉 川 弘 文 館 )1982 注 20 村 上 恭 通 日 本 海 沿 岸 地 域 における 鉄 の 消 費 形 態 - 弥 生 時 代 後 期 を 中 心 として- ( 古 代 文 化 第 53 巻 第 4 号 財 團 法 人 古 代 學 協 會 )2001 注 21 杉 山 和 徳 日 本 列 島 における 鉄 剣 の 出 現 とその 系 譜 ( 考 古 学 研 究 第 61 巻 第 4 号 考 古 学 研 究 会 ) 2015 注 22 長 家 伸 弥 生 時 代 の 鍛 冶 技 術 について ( 細 形 銅 剣 文 化 の 諸 問 題 九 州 考 古 学 会 嶺 南 考 古 学 会 第 5 回 合 同 考 古 学 大 会 九 州 考 古 学 会 嶺 南 考 古 学 会 ) 2002 注 23 瀬 戸 谷 晧 但 馬 出 土 の 鉄 鏃 について(1) (3) ( 但 馬 考 古 学 第 5 6 9 集 但 馬 考 -43-

京 都 府 埋 蔵 文 化 財 論 集 第 7 集 古 学 研 究 会 )1988 1991 1995 谷 本 由 美 宮 村 良 雄 豊 岡 市 域 弥 生 墳 墓 群 副 葬 の 鉄 製 品 ( 但 馬 考 古 学 第 10 集 但 馬 考 古 学 研 究 会 )1998 注 24 肥 後 弘 幸 墓 壙 内 破 砕 土 器 供 献 ( 上 ) ( 下 ) - 近 畿 北 部 弥 生 墳 墓 土 器 供 献 の 一 様 相 - ( み ずほ 第 12 13 号 大 和 弥 生 文 化 の 会 )1994 肥 後 弘 幸 弥 生 墳 墓 における 土 器 供 献 - 丹 後 の 場 合 - ( YAY! 弥 生 土 器 を 語 る 会 20 回 到 達 記 念 論 文 集 弥 生 土 器 を 語 る 会 )1996 注 25 松 尾 奈 緒 子 丹 後 地 域 における 土 器 供 献 の 採 用 状 況 - 弥 生 時 代 後 期 を 中 心 に- ( 入 谷 西 A-20 号 墳 発 掘 調 査 報 告 書 -A-11 12 号 墳 試 掘 調 査 - 奈 良 女 子 大 学 考 古 学 研 究 報 告 3 奈 良 女 子 大 学 大 学 院 人 間 文 化 研 究 科 比 較 文 化 専 攻 文 化 史 論 講 座 )2005 注 26 松 井 敬 代 破 砕 土 器 の 埋 納 について - 豊 岡 市 神 美 地 域 を 中 心 として- ( 但 馬 考 古 学 第 6 集 但 馬 考 古 学 研 究 会 )1991 注 27 宮 村 良 雄 豊 岡 の 弥 生 墓 と 墓 壙 内 破 砕 土 器 供 献 ( 上 鉢 山 東 山 墳 墓 群 豊 岡 市 文 化 財 調 査 報 告 書 第 26 集 豊 岡 市 教 育 委 員 会 )1992 注 28 岡 林 峰 夫 ほか 赤 坂 今 井 墳 丘 墓 発 掘 調 査 報 告 書 峰 山 町 埋 蔵 文 化 財 調 査 報 告 書 第 24 集 2004 注 29 吉 田 秀 則 滋 賀 県 下 の 方 形 周 溝 墓 の 供 献 土 器 について ( 紀 要 第 3 号 財 団 法 人 滋 賀 県 文 化 財 保 護 協 会 )1990 藤 井 整 方 形 周 溝 墓 調 査 の 課 題 と 方 法 ( みずほ 第 41 号 大 和 弥 生 文 化 の 会 )2009 注 30 常 磐 井 智 行 ほか 丹 後 大 山 墳 墓 群 ( 丹 後 町 文 化 財 調 査 報 告 第 1 集 丹 後 町 教 育 委 員 会 ) 注 31 岡 田 晃 治 ほか 帯 城 墳 墓 群 Ⅱ ( 埋 蔵 文 化 財 発 掘 調 査 概 報 1987 京 都 府 教 育 委 員 会 )1987 注 32 野 島 永 高 野 陽 子 近 畿 地 方 北 部 における 古 墳 成 立 期 の 墳 墓 (3) ( 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 情 報 第 83 号 財 団 法 人 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 調 査 研 究 センター)2002 注 33 石 崎 善 久 弥 生 墳 墓 の 構 造 と 変 遷 - 舟 底 状 木 棺 を 中 心 として- ( 丹 後 の 弥 生 王 墓 と 巨 大 古 墳 季 刊 考 古 学 別 冊 10 雄 山 閣 )2000 石 崎 善 久 舟 底 状 木 棺 考 ( 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 論 集 第 4 集 財 団 法 人 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 調 査 研 究 センター) 2001 注 34 奥 村 清 一 郎 ほか 寺 岡 遺 跡 ( 野 田 川 町 文 化 財 調 査 報 告 第 2 集 野 田 川 町 教 育 委 員 会 )1988 注 35 川 西 宏 幸 ほか 奈 具 岡 遺 跡 発 掘 調 査 報 告 書 ( 財 團 法 人 古 代 學 協 會 ) 1985 河 野 一 隆 奈 具 墳 墓 群 奈 具 古 墳 群 ( 京 都 府 遺 跡 調 査 概 報 第 65 冊 財 団 法 人 京 都 府 埋 蔵 文 化 財 調 査 研 究 センター) 1995 注 36 奥 村 清 一 郎 ほか 奈 具 岡 遺 跡 第 3 次 発 掘 調 査 報 告 書 ( 弥 栄 町 文 化 財 調 査 報 告 第 4 集 弥 栄 町 教 育 委 員 会 ) 1986 注 37 植 山 茂 小 池 古 墳 群 ( 大 宮 町 文 化 財 調 査 報 告 第 3 集 大 宮 町 教 育 委 員 会 財 團 法 人 古 代 學 協 會 平 安 博 物 館 ) 1984 補 注 文 中 の 土 器 編 年 は 高 野 陽 子 丹 後 地 域 - 擬 凹 線 文 土 器 の 様 式 と 変 遷 - 古 式 土 師 器 の 年 代 学 財 団 法 人 大 阪 府 文 化 財 センター 2006 による -44-