第 1 部 日 本 のろうあ 者 スポーツの 歴 史 ( 概 説 ) 1918 年 ( 大 正 7 年 )7 月 7 日 日 本 聾 唖 協 会 東 京 部 会 の 東 京 野 球 大 会 が 開 かれる ( 小 石 川 官 立 東 京 聾 唖 学 校 ) 1926 年 ( 大 正 15 年 )11 月 社 団 法 人 日 本 ろうあ 協 会 が 第 1 回 ろうあ 者 体 育 競 技 大 会 の 開 催 この 大 会 は 文 部 省 ろう 学 校 各 ろうあ 団 体 の 協 力 を 得 て 戦 時 統 制 まで 続 けられた 1938 年 ( 昭 和 13 年 )5 月 全 国 ろうあ 者 陸 上 競 技 大 会 を 開 催 ( 京 都 ) 1940 年 ( 昭 和 15 年 )10 月 20 日 官 立 東 京 聾 唖 学 校 で 野 球 大 会 ( 大 会 名 不 詳 )が 開 かれる 東 京 市 立 聾 唖 学 校 同 窓 会 野 球 部 柏 葉 会 などが 参 加 1941 年 ( 昭 和 16 年 )7 月 文 部 省 次 官 通 牒 により 全 国 的 規 模 のスポーツ 大 会 の 中 止 命 令 が 出 される 1943 年 ( 昭 和 18 年 ) 文 部 省 の 戦 時 学 徒 体 育 訓 練 実 施 要 項 により 野 球 は 敵 性 スポーツ とし て 追 放 これにより ろうあ 団 体 も 野 球 部 を 解 散 させられた 1944 年 ( 昭 和 19 年 ) 太 平 洋 戦 争 が 激 化 し 本 土 決 戦 が 叫 ばれる 中 で 福 祉 活 動 はもちろんス ポーツ 活 動 も 停 止 された この 状 態 は 1945 年 の 敗 戦 まで 続 いた 1947 年 ( 昭 和 22 年 ) 全 日 本 ろうあ 連 盟 が 発 足 戦 前 からのスポーツの 伝 統 を 受 け 継 ぎ 全 国 各 地 で 聴 覚 障 害 者 のスポーツ 活 動 が 復 活 し 始 めた 1948 年 ( 昭 和 23 年 )5 月 30 日 第 1 回 近 畿 聾 唖 対 抗 優 勝 野 球 大 会 を 大 阪 市 立 聾 学 校 で 開 催 1948 年 ( 昭 和 23 年 )8 月 15 日 ~16 日 第 1 回 関 東 聾 唖 軟 式 野 球 大 会 を 東 京 聾 唖 学 校 で 開 催
1953 年 ( 昭 和 28 年 )11 月 第 1 回 関 東 ろう 学 校 陸 上 競 技 大 会 を 開 催 1955 年 ( 昭 和 30 年 )9 月 24 日 第 1 回 全 国 聾 唖 優 勝 野 球 大 会 を 京 都 で 開 催 同 大 会 は 1968 年 ( 昭 和 42 年 )に 全 国 ろうあ 者 体 育 大 会 に 吸 収 され 軟 式 野 球 競 技 として 続 いている 1962 年 ( 昭 和 37 年 ) 第 12 回 全 国 ろうあ 者 大 会 ( 福 岡 県 で 開 催 )において 国 際 ろうあ 者 オリ ンピックに 参 加 しよう との 決 議 を 採 択 1963 年 ( 昭 和 38 年 )3 月 CISSへの 加 盟 をめざし 独 立 したろうあ 者 スポーツ 組 織 の 設 立 への 機 運 が 高 まり 日 本 ろうあ 体 育 協 会 が 創 立 された 直 ちにCISSへ 加 盟 が 申 請 された 1964 年 ( 昭 和 39 年 )1 月 日 本 ろうあ 体 育 協 会 は CISSより 加 盟 を 承 認 された 1964 年 ( 昭 和 39 年 )2 月 15~16 日 第 1 回 全 国 ろうあ 卓 球 体 操 選 手 権 大 会 を 開 催 ろう 学 校 生 徒 も 含 め 149 名 の 選 手 が 参 加 1964 年 ( 昭 和 39 年 )9 月 17 日 東 京 オリンピックの 国 内 聖 火 リレー 走 者 に 福 岡 県 立 直 方 ろう 学 校 の 岩 口 政 道 さんと 福 永 敬 子 さん 大 阪 市 立 ろう 学 校 の 土 崎 ふみえさんが 選 ばれた 1965 年 ( 昭 和 40 年 )6 月 27 日 ~7 月 3 日 第 10 回 国 際 ろう 者 競 技 大 会 (アメリカ ワシントン)に 日 本 が 初 参 加 選 手 7 名 役 員 4 名 の 選 手 団 28 カ 国 約 890 名 の 選 手 が 参 加 日 本 選 手 は 陸 上 水 泳 卓 球 に 出 場 男 子 マラソンで 銅 メダル, 女 子 卓 球 で 銀 メダルを 獲 得 1967 年 第 6 回 世 界 ろう 者 冬 季 競 技 大 会 ( 西 ドイツ 12 カ 国 参 加 )に 日 本 が 初 参 加 日 本 は 入 賞 なし
1967 年 ( 昭 和 42 年 )10 月 23 日 ~24 日 第 1 回 全 国 ろうあ 者 体 育 大 会 が 東 京 の 神 宮 外 苑 野 球 場 新 宿 区 体 育 館 など で 開 催 され 約 500 名 の 選 手 役 員 が 参 加 した 1967 年 ( 昭 和 42 年 )6 月 17 日 高 体 連 ろう 学 校 に 資 格 なし として 東 京 教 育 大 学 付 属 ろう 学 校 高 等 部 の 遠 藤 宗 志 選 手 の 関 東 高 等 学 校 陸 上 競 技 選 手 権 大 会 出 場 資 格 を 取 り 消 す 1968 年 ( 昭 和 43 年 )2 月 5 日 ~6 日 第 1 回 全 国 ろうあ 者 冬 季 体 育 大 会 が 群 馬 県 の 武 尊 オリンピアスキー 場 で 開 催 された 滑 降 回 転 大 回 転 の3 競 技 がおこなわれ 16 団 体 から 選 手 110 名 が 参 加 した 1971 年 ( 昭 和 46 年 )4 月 1 日 日 本 陸 上 競 技 連 盟 の 第 3 種 公 式 審 判 員 に ろう 者 で 初 めて 足 立 幸 男 さんと 江 崎 功 一 さんが 登 録 された 1981 年 ( 昭 和 56 年 )8 月 1 日 沖 縄 県 立 北 城 ろう 学 校 が ろう 学 校 であること を 理 由 に 日 本 高 校 野 球 連 盟 への 加 盟 を 拒 否 されている 問 題 を 日 本 聴 力 障 害 新 聞 がスクープ 報 道 国 内 に 大 きな 反 響 を 巻 き 起 こす 1982 年 ( 昭 和 57 年 )4 月 24 日 日 本 高 校 野 球 連 盟 沖 縄 県 立 北 城 ろう 学 校 の 加 盟 を 正 式 決 定 1982 年 ( 昭 和 57 年 )10 月 16 日 ~17 日 18 回 目 を 迎 えた 全 国 身 体 障 害 者 スポーツ 大 会 ( 島 根 県 )で 聴 覚 障 害 者 バ レーボール 競 技 が 初 めて 登 場 1986 年 ( 昭 和 61 年 )10 月 27 日 ~11 月 1 日 JALトロフィー 第 2 回 アジア 太 平 洋 ろう 者 サッカー 選 手 権 大 会 を 日 本 ( 京 都 府 )で 開 催 オーストラリア マレーシア 香 港 韓 国 日 本 の5カ 国 が 参 加 韓 国 が 優 勝 1998 年 2 月 長 野 で 開 催 された 第 18 回 冬 季 オリンピックで 聴 覚 障 害 者 の 高 橋 竜 二 さん ( 北 海 道 )がジャンプ 競 技 のテスト ジャンパーという 大 役 を 担 った
1998 年 7 月 アメリカのろう 者 野 球 チームを 招 待 し 日 米 ろう 者 親 善 野 球 大 会 を 日 本 で 開 催 1999 年 2 月 スイス ダボスで 開 催 された 第 14 回 世 界 ろう 者 冬 季 競 技 大 会 のアルペン 競 技 女 子 回 転 で 銀 メダル 大 回 転 で 銅 メダルを 獲 得 冬 季 大 会 での 日 本 のメダ ル 獲 得 は 史 上 初 めて 1999 年 ( 平 成 11 年 )6 月 財 団 法 人 全 日 本 ろうあ 連 盟 体 育 部 を 廃 止 し 日 本 ろうあ 体 育 協 会 を 日 本 ろう 者 スポーツ 協 会 に 改 称 して 全 日 本 ろうあ 連 盟 に 組 み 入 れ 2000 年 ( 平 成 12 年 )7 月 日 米 ろう 者 硬 式 野 球 大 会 (アメリカ ワシントンDCで 開 催 )に 日 本 代 表 チームを 派 遣 2005 年 ( 平 成 17 年 ) 日 本 のプロ 野 球 ドラフト 会 議 で 聴 覚 障 害 者 が 史 上 初 めて 指 名 された 石 井 裕 也 投 手 ( 三 菱 重 工 横 浜 )で 中 日 ドラゴンズに6 位 指 名 され 翌 2006 年 プロ1 軍 デビューを 果 した 第 2 部 ろうあ 者 のスポーツ 権 獲 得 への 闘 い 1 過 去 における 差 別 の 実 例 (1)ろう 学 生 の 地 区 大 会 出 場 権 を 剥 奪 1967 年 5 月 千 葉 県 高 等 学 校 陸 上 競 技 大 会 で 東 京 教 育 大 学 ( 当 時 現 筑 波 大 学 ) 付 属 ろう 学 校 高 等 部 3 年 生 の 遠 藤 宗 志 君 (18 歳 )が 男 子 100M 決 勝 11 秒 4 200M 決 勝 22 秒 6の 好 タイムで2 種 目 に 優 勝 した この 大 会 の 各 種 目 の 上 位 入 賞 者 は 上 部 レベルの 関 東 地 区 高 等 学 校 陸 上 競 技 選 手 権 大 会 への 出 場 権 を 与 えられることになっていた 遠 藤 君 は 関 東 大 会 に 出 場 できるものと 信 じて 疑 わなかったが 全 国 高 等 学 校 体 育 連 盟 は6 月 17 日 遠 藤 君 の 関 東 地 区 高 等 学 校 陸 上 競 技 選 手 権 大 会 への 出 場 資 格 を 取 り 消 す 決 定 をした
資 格 取 り 消 しの 理 由 は 遠 藤 君 が 普 通 の 高 校 でなく ろう 学 校 の 生 徒 で あることであった ろう 学 校 生 徒 の 参 加 を 認 めない 具 体 的 な 理 由 について 全 国 高 等 学 校 体 育 連 盟 は ろう 生 徒 は 耳 が 聞 こえない 聞 こえないと 危 険 が 伴 う コール( 選 手 の 招 集 )など 大 会 運 営 上 も 支 障 をきたす と 説 明 した (2)ろう 学 校 であること 理 由 に 地 区 大 会 出 場 権 認 めず 1974 年 7 月 全 国 高 等 学 校 軟 式 野 球 大 会 福 井 県 予 選 大 会 の 決 勝 戦 で 福 井 県 立 ろう 学 校 が 県 立 武 生 高 校 池 田 分 校 を 破 り 初 優 勝 を 飾 った 福 井 ろう 学 校 ナインは 次 は 北 陸 地 区 大 会 出 場 だ! と 躍 り 上 がって 喜 ん だが 試 合 の 直 後 に 福 井 ろう 学 校 の 監 督 が 福 井 県 高 等 学 校 野 球 連 盟 の 役 員 に 呼 び 出 され ろう 学 校 は 北 陸 大 会 に 出 場 できない と 宣 告 された 上 部 クラスの 北 陸 地 区 大 会 への 出 場 権 について 福 井 県 高 等 学 校 野 球 連 盟 は 県 大 会 優 勝 校 である 福 井 県 立 ろう 学 校 を 県 代 表 と 認 めず 準 優 勝 の 高 校 を 県 代 表 として 認 め 北 陸 地 区 大 会 の 出 場 権 を 与 えた 理 由 は 連 盟 の 規 定 により 普 通 の 高 校 であれば 出 場 権 が 与 えられるが ろう 学 校 には 認 められないというものであった このことを 知 った 父 兄 や 関 係 者 から 批 判 の 声 があがり 全 日 本 ろうあ 連 盟 や 日 本 ろうあ 体 育 協 会 は 日 本 高 等 学 校 野 球 連 盟 に 抗 議 した 全 国 から 抗 議 の 電 話 や 手 紙 が 殺 到 し 日 本 高 等 学 校 野 球 連 盟 はついに 福 井 ろう 学 校 を 北 陸 地 区 第 二 代 表 と 認 め 8 月 に 大 阪 藤 井 寺 球 場 で 開 催 され た 全 国 高 等 学 校 軟 式 野 球 大 会 への 特 別 出 場 を 認 めた (3) 日 本 高 等 学 校 野 球 連 盟 によるろう 学 校 差 別 1978 年 に 設 置 された 沖 縄 県 立 北 城 ろう 学 校 は 1964 年 から 65 年 にかけて 風 疹 児 童 が 大 量 に 出 生 したことに 対 応 して 特 設 された 中 学 高 校 6 年 間 限 り の 学 校 であった 児 童 たちが 高 校 生 になった 1981 年 4 月 野 球 部 が 結 成 された 部 員 16 人 全 員 1 年 生 のチームである 張 り 切 って 全 国 の 高 校 球 児 の 夢 舞 台 である 甲 子 園 を 目 指 すことになった ところが 日 本 高 等 学 校 野 球 連 盟 から ろう 学 校 であることを 理 由 に 加 盟 を 拒 否 された その 根 拠 になっているのは 日 本 学 生 野 球 憲 章 という 規 定 であることが 分 かった 日 本 学 生 野 球 憲 章 第 3 章 高 等 学 校 野 球 第 16 条
それぞれの 都 道 府 県 の 高 等 学 校 野 球 連 盟 に 加 入 することのできる 学 校 は 学 校 教 育 法 第 4 章 に 定 めるものに 限 る ろう 学 校 は 学 校 教 育 法 第 6 章 に 規 定 されていて 第 4 章 に 定 められた 学 校 ではないから 加 盟 できないと 言 うものである たまたま 沖 縄 に 取 材 に 来 ていた 日 本 聴 力 障 害 新 聞 記 者 がこの 問 題 を 取 り 上 げ スクープ 記 事 を 発 表 記 事 は 世 論 の 大 きな 反 響 を 呼 び 起 こした 全 国 の 国 民 から 抗 議 の 電 話 やFAXが 日 本 高 校 野 球 連 盟 に 殺 到 した そのあと 連 盟 は ついに 北 城 ろう 学 校 の 加 盟 を 承 認 した そして 今 当 時 のドキュメントに 感 動 した 横 浜 市 の 難 聴 の 少 年 が 成 長 して ろう 者 のプロ 野 球 選 手 第 1 号 ( 中 日 ドラゴンズ 石 井 裕 也 背 番 号 30= 入 団 当 時 )となり 活 躍 している ろう 児 童 に 耳 が 聞 こえないと 危 険 だか ら と 野 球 をさせようとしなかった 措 置 が 明 らかに 誤 りだったことが 証 明 されたのである ( 執 筆 = 松 島 謙 司 全 日 本 ろうあ 連 盟 スポーツ 委 員 会 啓 発 普 及 部 委 員 ) 参 考 文 献 財 団 法 人 全 日 本 ろうあ 連 盟 50 年 のあゆみ ( 全 日 本 ろうあ 連 盟 発 行 ) ろう 者 野 球 50 年 ( 日 本 ろうあ 体 育 協 会 発 行 )