< 解 説 > 名 碗 物 語 り(その 一 ) 高 麗 茶 碗 本 庄 慈 眼 茶 席 の 主 役 をつとめる 茶 碗 は 侘 び 茶 という 美 意 識 に 基 づいて 茶 人 たちの 鋭 い 眼 で 選 び 抜 かれたものである 茶 碗 は 喫 茶 という 用 の 道 具 の 面 だけでなく 美 術 工 芸 品 として さらに 侘 びさびの 茶 の 湯 の 精 神 を 象 徴 するものとされてきた なか でも 一 井 戸 二 楽 三 唐 津 といわれるように 井 戸 茶 碗 は 茶 碗 の 中 でも 最 高 位 の 位 置 付 けがなされている 井 戸 茶 碗 は 高 麗 茶 碗 と 総 称 される 韓 国 産 の 茶 碗 のなか へた に 含 まれるが そのほか 三 島 刷 毛 目 柿 の 蔕 あるいは 伊 羅 保 などさまざまな 形 態 の 茶 碗 がある 今 回 から 四 回 にわたって 高 麗 茶 碗 次 いで 国 焼 きの 楽 茶 碗 唐 津 そして 美 濃 の 茶 碗 を 取 り 上 げ それぞれ 名 碗 と 呼 ばれる 所 以 や 見 所 などをご 紹 介 したい 1. 井 戸 茶 碗 生 まれは 韓 国 の 李 朝 時 代 初 期 であるが どこの 窯 で 焼 かれたのか 分 かっていな い もとは 庶 民 の 普 段 使 いの 茶 碗 として 作 られたものである これは 井 戸 茶 碗 の 見 込 みに 大 量 生 産 の 技 法 である 茶 碗 を 積 み 重 ねて 焼 く 目 跡 があること また 今 日 の 韓 国 には 井 戸 茶 碗 は 全 く 残 っておらず 雑 器 として 使 い 捨 てられたことからも 分 かる しかし 桃 山 期 の 茶 人 達 はこの 井 戸 茶 碗 を 侘 び 茶 の 王 者 として 茶 室 に 迎 え 入 れたのである では 一 体 井 戸 茶 碗 とはどんな 茶 碗 なのだろうか 元 来 飯 を 盛 ったり 汁 を 入 れた 茶 碗 なのでどんぶり 茶 碗 に 近 いゆったりした 大 きさで 他 の 井 戸 と 区 別 して 大 井 戸 とも 呼 ばれる 鉄 分 を 含 む 土 をロクロで 一 気 に 引 き 上 げるので 胴 の 部 分 には 陶 工 の 指 跡 が 残 り また 高 台 周 りの 削 りは 省 力 の 為 に 最 小 限 にされている この 部 分 - 63 -
に 見 られる 釉 薬 の 縮 れ(カイラギ)は 粗 い 削 りのボディに 釉 薬 が 不 均 一 にかかっ たために 生 じたものであるが これが 井 戸 茶 碗 の 見 所 の 一 つにもなっている 釉 薬 はありふれた 土 灰 釉 を 高 台 までかかるドボ 掛 けし 温 度 の 上 がりやすい 酸 化 炎 で 焼 かれたため 茶 碗 の 色 調 は 枇 杷 色 と 称 される 淡 い 黄 褐 色 を 呈 している もと より 陶 工 たちは 名 碗 を 生 み 出 そうといった 意 図 はなく 沢 山 の 茶 碗 を 手 早 く 作 る ことに 心 を 砕 いた 結 果 が 期 せずして 井 戸 茶 碗 という 名 碗 を 生 みだしたのだろう 井 戸 茶 碗 の 代 表 選 手 は 国 宝 にもなっている 喜 左 衛 門 井 戸 である ( 図 1) 大 徳 寺 孤 蓬 庵 の 奥 深 く 蔵 されているが 名 碗 展 などでは 見 る 機 会 がある 胴 にくっつ きのキズがあって 釉 薬 の 色 調 もやや 暗 く 豪 寂 かつ 凄 味 を 感 じさせる 茶 碗 である その 昔 大 阪 の 町 人 竹 田 喜 左 衛 門 が 貧 窮 の 中 にあってもこの 茶 碗 を 手 放 さず 腫 れもので 亡 くなった 後 人 を 経 てこれを 入 手 した 松 平 不 昧 公 も 腫 れものが 生 じた のでたたりを 恐 れた 奥 方 によって 大 徳 寺 に 寄 進 されている そのような 経 緯 を 知 っているだけに 眺 めるのは 良 いがこの 茶 碗 でお 茶 を 頂 くことはご 遠 慮 申 したい 気 がする このほか 井 戸 茶 碗 にはきりりとした 豪 快 な 姿 の 筒 井 筒 ( 重 文 )や 対 馬 穏 やか な 姿 の 細 川 ( 重 美 ) 有 楽 ( 重 美 ) 美 濃 ( 重 美 )などの 数 々の 名 碗 が 知 られてい る 筒 井 筒 は 筒 井 順 慶 が 所 持 したことか らこの 銘 であり 後 に 秀 吉 が 所 持 した 時 に 近 習 の 粗 そうで 五 つに 割 れている 腰 高 であくまでも 上 へ 伸 びる 豪 放 な 姿 が 魅 力 的 な 茶 碗 である また 対 馬 は 宗 対 馬 守 所 持 の 茶 碗 で 雄 渾 な 図 1 大 井 戸 茶 碗 喜 左 衛 門 削 りの 高 台 が 見 所 の - 64 -
一 つになっている これらの 素 晴 らしい 井 戸 茶 碗 も 美 術 館 のガラスケースの 中 で は 生 気 がないが お 茶 室 の 畳 の 上 に 置 かれた 時 に 本 当 の 美 しさを 発 揮 する 私 も 爽 やかな 季 節 に 筒 井 筒 などの 井 戸 茶 碗 でお 茶 を 頂 く 機 会 があれば 大 歓 迎 である 以 前 に 古 美 術 コレクターの 洋 間 で 由 緒 ある 井 戸 茶 碗 でお 薄 を 頂 く 機 会 があったが やはり 茶 室 の 畳 に 座 ってゆっくり 練 られた 濃 茶 で 頂 きたいと 思 った 井 戸 茶 碗 に はこのほかに 根 津 美 術 館 所 蔵 の 小 振 りで 亡 水 の 銘 を 持 つ 小 井 戸 があり 同 じく 根 津 美 術 館 蔵 の 青 井 戸 茶 碗 柴 田 ( 重 文 )は 柴 田 勝 家 が 信 長 から 拝 領 したものであ るが ( 図 2)ロクロ 目 の 目 立 つこの 茶 碗 は 決 して 青 くはなく 青 井 戸 の 名 称 はこ の 手 の 浅 目 の 井 戸 を 総 称 したものと 思 われる こうして 井 戸 茶 碗 の 歴 史 を 見 てくると 当 時 の 日 本 の 武 将 たちが 今 日 名 物 と 言 われる 井 戸 茶 碗 を 競 って 求 めていたこと が 分 かる これは 勿 論 信 長 や 秀 吉 の 茶 へ の 傾 倒 の 影 響 もある が 戦 乱 に 明 け 暮 れ 明 日 の 命 も 知 れない 武 将 たちの 心 のあり ようが このような 侘 び 茶 碗 を 求 めさせ たのであろう 図 2 青 井 戸 茶 碗 柴 田 2. 三 島 刷 毛 目 粉 引 いずれも 鉄 分 の 多 い 褐 色 の 土 の 欠 点 をカバーするために 溶 かした 白 色 土 を 掛 け た 茶 碗 であり それが 幸 いしてボディの 白 が 複 雑 な 階 調 を 示 し 味 わい 深 い 茶 碗 と なっている 井 戸 茶 碗 に 比 べると 小 振 りで 見 込 みも 浅 く 端 反 りで 薄 茶 が 似 あう 軽 やかさが 魅 力 である いくつかの 技 法 の 茶 碗 がある 三 島 は 鉄 分 の 多 い 土 に 線 刻 や 花 模 様 の 印 で 模 様 を 陰 刻 し これに 白 土 を 掛 けた - 65 -
後 で 白 土 を 削 り 印 刻 された 模 様 の 部 分 を 白 く 浮 き 上 がらせる これに 透 明 釉 をか けて 焼 き 上 げると 茶 褐 色 のボディに 刻 紋 や 花 模 様 が 白 く 浮 き 上 がって 華 やかな 風 情 の 茶 碗 になる 線 刻 のものを 彫 り 三 島 花 模 様 のものは 花 三 島 と 呼 ばれている 刷 毛 目 はその 名 の 通 り 同 じく 鉄 分 の 多 い 褐 色 の 土 で 成 形 した 茶 碗 がまだ 生 乾 きのうちに 溶 かした 白 土 をボディに 刷 毛 でさっと 塗 りつける 巧 まずしてでき た 粗 い 刷 毛 目 跡 の 様 子 が 景 色 となってさらりとした 風 情 の 茶 碗 になっている 粉 引 きは 褐 色 のボディの 茶 碗 を 生 乾 きのうちに 白 土 の 溶 液 の 中 にどっぷりと 浸 けて 総 体 に 化 粧 を 施 すやり 方 をとる 夏 の 朝 茶 にふさわしい 爽 やかな 茶 碗 である 白 化 粧 の 掛 け 残 しが ボディの 褐 色 のまま 残 された 火 間 が 見 所 になっているも のが 珍 重 され その うちの 三 好 粉 引 は 三 好 長 慶 の 所 持 に 始 まりその 後 は 秀 吉 金 森 宗 和 酒 井 忠 義 と 伝 わり 今 は 三 井 家 に 入 っている ( 図 図 3 粉 引 茶 碗 三 好 粉 引 3) また 使 い 込 むうちにシミが 雨 漏 りのように 現 れた 根 津 美 術 館 の 雨 漏 茶 碗 も 風 情 のある 茶 碗 である 乳 白 色 の 温 かい 膚 に 褐 色 のシミがぽつぽつと 現 れたこの 茶 碗 は 茶 の 湯 を 通 して 眺 められた 時 最 高 の 美 を 発 揮 する 李 朝 時 代 彼 の 地 では 普 段 使 いの 茶 碗 として 大 量 に 作 られたものであろうが その 中 の 一 碗 に 茶 の 精 神 が 宿 ることを 見 抜 いて 選 び 取 った 日 本 の 茶 人 の 眼 光 には 恐 れ 入 るしかない ちなみに 私 は 趣 味 の 陶 芸 で 茶 碗 も 作 るが 井 戸 茶 碗 には 挑 戦 したことがない しかし 三 島 や 粉 引 の 風 情 は 大 好 きで それらを 模 した 茶 碗 は 随 分 作 った 幸 いそ のうちの 数 個 はなんとかお 茶 の 飲 める 茶 碗 になっている - 66 -
3. 熊 川 斗 々 屋 柿 の 蔕 こもがい 熊 川 は 大 振 りで 腰 の 張 った 姿 と 口 の 端 反 りが 特 徴 で 見 込 みには 鏡 と 称 される 円 形 の 窪 みがある この 姿 から 茶 の 湯 の 茶 碗 として 作 られたものではないことが よく 分 かる 鉄 分 の 多 い 土 に 枇 杷 色 の 釉 薬 がかかり 衒 いのない 佇 まいが 見 所 と なっている と と や 斗 々 屋 は 李 朝 の 茶 碗 には 珍 しく 色 彩 に 富 む 茶 碗 で 赤 みを 帯 びた 褐 色 の 素 地 に 黄 色 や 薄 緑 の 釉 薬 の 色 がほのかに 見 える 華 やかな 茶 碗 である 龍 田 という 銘 を 持 つ 名 碗 が 知 られている が 紅 葉 の 名 所 龍 田 川 にちなむ 命 名 であ ろうか ( 図 4) 以 前 に 韓 国 の 窯 場 を 訪 ねた 際 に 勧 められて 蹴 ロクロで 茶 碗 を 何 個 か 挽 いたことがあるが 後 で 送 られてきた 茶 碗 がこの 斗 々 屋 風 のものであった へた 柿 の 蔕 と 呼 ばれる 茶 碗 は 侘 びさびの 極 地 を 示 した 茶 碗 といえる 腰 高 で 端 反 りの 口 を 持 ち 粗 い 陶 土 のボディには 殆 んど 釉 薬 の 光 沢 が 見 られず 暗 褐 色 のか せた 膚 合 いである いわば 一 切 を 捨 て 去 った 枯 木 の 姿 といえ 侘 び 茶 を 通 した 眼 がなければこの 茶 碗 のよさは 理 解 できない かつて 京 都 毘 沙 門 堂 にあって 今 は 根 津 美 術 館 所 蔵 の 茶 碗 毘 沙 門 堂 ( 重 文 )の 侘 びた 風 情 は 群 を 抜 いている ( 図 5) 私 は 作 陶 で 井 戸 茶 碗 同 様 この 柿 の 蔕 に 挑 戦 する 力 量 はとてもない この 茶 碗 は 例 えば 追 善 の 茶 事 などにぴったりの 感 じであるが 余 りに 侘 びた 茶 碗 なので 床 の 花 などに 華 やぎを 求 めたい 気 がする 図 4 斗 々 屋 茶 碗 龍 田 - 67 -
4. 文 禄 慶 長 の 役 後 の 茶 碗 それまでの 茶 碗 は 日 本 の 茶 道 を 意 識 せ ずに 作 られたもので あり 期 せずして 侘 びさびの 精 神 に 沿 っ た 力 のある 茶 碗 とな っている しかし 文 禄 慶 長 の 役 の 後 韓 国 との 交 流 が 深 ま り わが 国 の 茶 人 の 図 5 柿 の 蔕 茶 碗 毘 沙 門 堂 注 文 によって 韓 国 で 茶 碗 が 作 られること になる その 代 表 が 古 田 織 部 の 指 導 によ る 御 所 丸 で 黒 織 部 によく 似 た 沓 形 の 姿 で 作 為 の 多 い 茶 碗 になっている し かし 藤 田 美 術 館 の 夕 陽 ( 重 文 )は 織 部 を 越 える 豪 快 さが 図 6 御 所 丸 茶 碗 夕 陽 見 所 であろう ( 図 6) また 伊 羅 保 は 鉄 分 の 多 い 粗 土 のボディに 釉 薬 が 薄 く 掛 り いらいらとした 膚 合 いになっているところから 名 づけられた 茶 碗 であり 釉 薬 を 掛 け 分 けた 片 身 替 高 台 のなかを 釘 で 渦 を 書 いた 釘 彫 などいずれも 茶 を 意 識 した 茶 碗 で - 68 -
お 茶 席 で 遭 遇 しても 余 り 感 動 がないのは 李 朝 初 期 の 素 朴 さが 失 われているからだ ろう ほかに 金 海 半 使 御 本 などと 呼 ばれる 茶 碗 がある こうして 高 麗 茶 碗 を 通 覧 すると 文 禄 慶 長 の 役 以 前 の 茶 碗 には 雑 器 としての 力 強 さがあり 中 でも 井 戸 茶 碗 は 豪 直 さと 静 寂 とを 合 わせた 魅 力 を 持 ち 桃 山 武 将 の 心 の 琴 線 に 触 れたことがよく 理 解 できる いずれにしても 高 麗 茶 碗 はわが 国 の 茶 の 湯 の 美 意 識 と 韓 国 陶 工 の 無 心 の 技 とのコラボレーションによる 特 異 な 美 の 世 界 といえる 著 者 プロフィール 本 庄 慈 眼 ( 本 名 / 巌 ) 昭 和 10 年 生 まれ 京 都 大 学 医 学 部 卒 業 京 都 大 学 名 誉 教 授 ( 耳 鼻 咽 喉 科 学 ) アジア パシフィック 人 工 内 耳 学 会 顧 問 武 者 小 路 千 家 評 議 員 細 見 美 術 館 評 議 員 長 岡 禅 塾 評 議 員 唐 津 焼 陶 芸 歴 40 年 平 成 11 年 人 間 禅 松 崎 廓 山 老 師 に 入 門 現 在 人 間 禅 輔 教 師 ( 名 古 屋 禅 会 ) - 69 -