佐賀の名君



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七 の 二 自 然 公 園 法 ( 昭 和 三 十 二 年 法 律 第 百 六 十 一 号 ) 第 二 十 条 第 一 項 に 規 定 する 国 立 公 園 又 は 国 定 公 園 の 特 別 地 域 のうち 同 法 第 二 十 一 条 第 一 項 に 規 定 する 特 別 保 護 地 区 その 他

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3 避 難 状 況 避 難 指 示 避 難 勧 告 都 道 府 県 名 市 区 町 村 名 指 示 日 時 勧 告 日 時 青 森 県 岩 手 県 山 形 県 埼 玉 県 千 葉 県 東 京 都 鰺 ヶ 沢 町 月 16 日 12 時 55 分 10 月 22 日 10 時 00 分

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03 平成28年度文部科学省税制改正要望事項

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(3) 調 査 の 進 め 方 2 月 28 日 2 月 28 日 ~6 月 30 日 平 成 25 年 9 月 サウンディング 型 市 場 調 査 について 公 表 松 戸 市 から 基 本 的 な 土 地 情 報 サウンディングの 実 施 活 用 意 向 アイデアのある 民 間 事 業 者 と

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( 新 ) 医 療 提 供 の 機 能 分 化 に 向 けたICT 医 療 連 携 導 入 支 援 事 業 費 事 業 の 目 的 医 療 政 策 課 予 算 額 58,011 千 円 医 療 分 野 において あじさいネットを 活 用 したICT したICT 導 入 により により 医 療 機 能

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2 職 員 の 初 任 給 等 の 状 況 (1) 職 員 の 平 均 年 齢 平 均 給 料 月 額 及 び の 状 況 (26 年 4 月 1 日 現 在 ) 1 一 般 行 政 職 平 均 年 齢 静 岡 県 国 類 似 団 体 2 技 能 労 務 職 区 41.8 歳 42.6 歳 43.5

(2) 職 員 の 初 任 給 の 状 況 ( 平 成 17 年 4 月 1 日 現 在 ) 初 任 給 2 年 後 の 給 料 初 任 給 2 年 後 の 給 料 一 般 行 政 職 技 能 労 務 職 大 学 卒 171,1 151,5 19,2 164,7 17,7 184,4 中 学 卒 1

2 一 般 行 政 職 給 料 表 の 現 況 ( 平 成 22 1 号 給 の 給 料 月 額 137,9 188,9 226,7 266,4 294,3 最 高 号 給 の 給 料 月 額 247,9 314,9 362,8 399,9 415,1 ( 注 ) 給 料 月 額 は 給 与 抑 制

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(2) 単 身 者 向 け 以 外 の 賃 貸 共 同 住 宅 等 当 該 建 物 に 対 して 新 たに 固 定 資 産 税 等 が 課 税 される 年 から 起 算 して5 年 間 とする ( 交 付 申 請 及 び 決 定 ) 第 5 条 補 助 金 の 交 付 を 受 けようとする 者 は

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2 一 般 行 政 職 給 料 表 の 状 況 ( 平 成 24 年 4 月 1 日 現 在 ) 1 号 給 の 給 料 月 額 最 高 号 給 の 給 料 月 額 1 級 135,6 2 級 185,8 ( 注 ) 給 料 月 額 は 給 与 抑 制 措 置 を 行 う 前 のものである 3 級

2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 平 成 27 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 役 名 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 2,142 ( 地 域 手 当 ) 17,205 11,580 3,311 4 月 1

2 職 員 の 平 均 給 与 月 額 初 任 給 等 の 状 況 (1) 職 員 の 平 均 年 齢 平 均 給 料 月 額 及 び 平 均 給 与 月 額 の 状 況 ( 平 成 22 年 4 月 1 日 現 在 ) 1 一 般 行 政 職 平 均 年 齢 平 均 給 料 月 額 平 均 給 与

目 次 1. 社 会 保 障 分 野 でできること 1 1 高 額 医 療 高 額 介 護 合 算 制 度 の 改 善 2 保 険 証 機 能 の 一 元 化 3 自 己 診 療 情 報 の 活 用 4 給 付 可 能 サービスの 行 政 側 からの 通 知 2. 年 金 分 野 でできること 5


公 的 年 金 制 度 について 制 度 の 持 続 可 能 性 を 高 め 将 来 の 世 代 の 給 付 水 準 の 確 保 等 を 図 るため 持 続 可 能 な 社 会 保 障 制 度 の 確 立 を 図 るための 改 革 の 推 進 に 関 する 法 律 に 基 づく 社 会 経 済 情

税制面での支援

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佐 賀 の 名 君 佐 賀 の 名 君 といえば 何 人 が 鍋 島 直 正 ( 閑 叟 )と 答 えられるだろうか? 佐 賀 の 歴 史 について 学 校 で 習 った 記 憶 があまりないので 親 や 親 戚 か 何 かの 見 学 で 自 ら 学 んだのであろ うと 思 う 竜 造 寺 隆 信 と 鍋 島 家 の 対 立 に 絡 む 鍋 島 の 猫 化 け 騒 動 は 小 さい 頃 によく 聞 かされた 程 度 だった 平 成 4 年 に 出 版 された 杉 谷 昭 先 生 の 鍋 島 閑 叟 を 読 んで 第 10 代 藩 主 鍋 島 直 正 は 幕 末 から 崩 れゆ く 封 建 社 会 から 改 革 へ 進 むあの 明 治 維 新 の 激 動 の 中 にあって 藩 政 改 革 を 強 力 に 推 進 し 幕 末 の 雄 藩 薩 長 土 と 並 ぶ 一 郭 に 勇 躍 した 佐 賀 藩 にまで 立 て 直 した 人 物 だったことを 遅 まきながら 感 じ 入 った ここでは 分 かり 易 く 要 約 して 若 干 の 私 見 を 交 えて 紹 介 したい 1 鍋 島 氏 が 藩 主 になるまで 1 佐 賀 藩 というのが 正 式 名 称 で 鍋 島 氏 が 藩 主 であったので 鍋 島 藩 という 俗 称 で 呼 ばれていた 肥 前 国 佐 賀 郡 にあった35 万 7 千 石 の 外 様 藩 で 支 藩 として 蓮 池 藩 小 城 藩 鹿 島 藩 があった 2 竜 造 寺 家 と 鍋 島 家 の 関 係 竜 造 寺 隆 信 は 戦 国 時 代 の 肥 前 の 大 名 で 最 盛 期 には 肥 前 肥 後 筑 前 筑 後 豊 前 を 支 配 下 に 置 き 壱 岐 対 馬 を 加 えて 五 州 二 島 の 太 守 とも 言 われた 大 友 氏 を 破 り 津 島 氏 と 並 ぶ 九 州 三 強 の 一 人 と して 君 臨 していた 鍋 島 氏 は 竜 造 寺 氏 の 家 臣 であったが 竜 造 寺 隆 信 が 島 原 半 島 において 津 島 氏 有 馬 氏 の 連 合 軍 との 戦 いで 討 死 した その 後 嫡 男 政 家 が 家 督 を 継 いだが 補 佐 役 であった 重 臣 鍋 島 直 茂 が 実 権 を 握 っていた 隆 信 の 母 が 竜 造 寺 家 の 安 泰 を 図 るため 直 茂 の 父 清 房 の 後 妻 として 無 理 やり 入 り 込 み 隆 信 と 義 兄 弟 の 関 係 を 作 為 したが 豊 臣 秀 吉 は 病 気 を 理 由 に35 歳 の 政 家 を 隠 居 させ その 子 5 才 の 高 房 に 相 続 させ 直 茂 を 後 見 人 としてすえ 神 埼 郡 4 万 4 千 5 百 千 石 を 与 えた これは 秀 吉 が 朝 鮮 出 兵 布 石 に 直 茂 の 才 覚 を 見 込 んで 肥 前 の 領 主 として 遇 した 事 実 直 茂 は 文 禄 慶 長 の 役 で 竜 造 寺 勢 を 率 いて 朝 鮮 に 渡 り 活 躍 した この 辺 から 竜 造 寺 家 と 鍋 島 家 が 対 立 する 鍋 島 騒 動 の 舞 台 背 景 となったと 思 われる 関 ヶ 原 の 戦 いでも 主 将 として 石 田 三 成 の 西 軍 に 与 したが 最 後 には 寝 返 って 柳 川 城 の 立 花 宗 茂 を 倒 した ことで 免 罪 され 徳 川 家 康 から 旧 領 が 与 えられた 3 藩 主 が 鍋 島 氏 へ 移 転 慶 長 12 年 (1607 年 )3 月 江 戸 において 高 房 が22 歳 の 時 鍋 島 氏 に 実 権 を 握 られていることに 憤 慨 し 妻 ( 鍋 島 家 の 養 女 )を 殺 害 した 後 自 刃 したが 家 臣 の 応 急 処 置 により 本 人 だけ 命 はとりとめた 半 年 後 に 自 殺 行 為 により 死 亡 し さらにその1ケ 月 後 に 政 家 も 急 死 し 竜 造 寺 家 は 衰 亡 した 直 茂 は 隆 信 を 補 佐 し 数 々の 戦 功 を 挙 げて 屋 台 骨 であり 続 けながら 秀 吉 や 家 康 にもうまく 取 り 持 つ 政 治 手 腕 は 領 主 として 自 他 ともに 認 める 環 境 をつくったといえる 直 茂 は 隠 居 し 嫡 男 鍋 島 勝 茂 に 移 され 佐 賀 藩 の 鍋 島 家 初 代 藩 主 となった 慶 長 18 年 (1613 年 )に 幕 府 から 正 式 に 鍋 島 勝 茂 を 藩 主 とする 佐 賀 藩 35 万 石 7 千 石 の 外 様 藩 が 認 められた 4 政 権 交 代 竜 造 寺 家 と 鍋 島 家 との 確 執 は 相 当 激 しいものがあったであろう 封 建 時 代 は 血 統 優 先 の 世 襲 により 家 督 を 継 ぐ 慣 わしになっていたし 大 名 が 亡 くなると 家 臣 は 追 腹 で 後 を 追 うという 固 い 忠 義 の 武 士 社 会 であ

った 初 代 鍋 島 藩 主 勝 茂 が 亡 くなった 時 には 家 臣 32 名 が 追 い 腹 をしてお 伴 した ( 元 麻 布 の 賢 崇 寺 の 勝 茂 の 墓 の 裏 に 家 臣 達 の 墓 が 並 んでいる)このように 固 い 契 で 結 ばれた 主 従 関 係 において 重 臣 とはい え 殿 様 をしのいで 大 名 になることはあってはならない 掟 だった ありえないことが 起 こったので 世 間 の 噂 も 絡 んで 鍋 島 騒 動 として 語 られているのだろう 現 代 社 会 では 無 能 な 社 長 は 疎 外 されて 有 能 な 重 役 と 交 代 する 能 力 主 義 が 常 識 だが バカ 殿 を 有 能 な 家 臣 により 乗 っ 取 られる 下 剋 上 は 血 で 争 うことの 多 い 封 建 社 会 にあって 竜 造 寺 氏 から 鍋 島 氏 への 政 権 交 代 は 珍 しい 事 例 だと 思 う 2 鍋 島 直 正 の 生 立 ち 鍋 島 直 正 は 文 化 11 年 (1814 年 )12 月 7 日 に9 代 鍋 島 斉 直 の17 男 として 江 戸 屋 敷 で 誕 生 し た 幼 名 は 貞 丸 元 服 後 斉 正 と 名 のり 藩 校 弘 道 館 教 授 古 賀 穀 堂 が 御 側 頭 に 就 いて 教 育 に 当 たっ た 11 才 の 時 第 11 代 徳 川 家 斉 の 息 女 姫 盛 と 結 婚 し 17 才 の 時 天 保 元 年 (1830 年 )に 鍋 島 家 第 10 代 藩 主 に 就 いた 盛 姫 没 後 徳 川 斉 匡 の 筆 姫 と 再 婚 48 才 で 隠 居 したとき 閑 叟 と 号 した 慶 応 4 年 (1868 年 )に 直 正 と 改 名 した 直 正 は 新 明 治 政 府 では 三 条 実 美 の 輔 相 に 次 ぐ 三 人 の 議 定 職 の 一 人 に 選 挙 で 選 ばれた 廃 藩 置 県 に 賛 同 し 明 治 2 年 蝦 夷 開 拓 総 督 に 任 ぜられ 更 に 初 代 開 拓 使 長 官 に 就 任 したが 間 もなく 岩 倉 具 視 と 同 じ 大 納 言 に 昇 進 した 明 治 に 入 ってから 体 調 が 芳 しくなく 明 治 3 年 になると 健 康 は 急 速 に 悪 化 し 明 治 4 年 (1870 年 )1 月 18 日 東 京 永 田 町 の 藩 邸 で 死 亡 した 享 年 58 才 であった 病 状 から 胃 ガンでは ないかと 推 測 された 3 藩 主 自 ら 率 先 陣 頭 に 立 った 藩 政 改 革 の 推 進 直 正 の 藩 政 改 革 は 藩 が 財 政 破 綻 しかかっているなかで 青 年 藩 主 を 支 えた 古 賀 穀 堂 の 影 響 は 大 きく その 済 急 封 事 の 提 言 に 基 づいて 藩 主 自 ら 陣 頭 に 立 って 推 進 した 財 政 教 育 行 政 軍 事 など 全 業 務 に 及 んだ 中 でも 軍 事 技 術 の 開 発 と 大 砲 の 製 造 による 近 代 化 は 長 崎 警 備 のみならず 江 戸 幕 府 の 品 川 防 備 や 他 藩 の 軍 備 の 近 代 化 に 貢 献 し 幕 府 内 における 佐 賀 藩 の 地 位 は 政 治 的 にも 軍 事 的 にも 画 然 と 上 がっ た ひとことで 言 えば 富 国 強 兵 策 が 佐 賀 藩 を 救 ったといえる 鍋 島 直 正 と 直 大 親 子 を 祀 る 佐 嘉 神 社 の 前 に 展 示 されているアームストロング 砲 はこれを 表 象 している これら 諸 改 革 の 結 果 財 政 は 100 万 石 近 い 実 収 をえて 薩 摩 藩 を 凌 ぐほどに 回 復 した 4 危 機 的 赤 字 財 政 の 再 建 1 財 政 の 窮 乏 状 況 直 正 が 藩 主 になった 時 の 藩 の 財 政 は 借 金 が46.3%と 巨 額 な 負 債 を 抱 えて 破 綻 状 態 であった 企 業 だったらすでに 倒 産 していただろう その 原 因 は 江 戸 末 期 になって 庶 民 の 生 活 が 上 がって 費 用 が 嵩 み 入 より 出 が 多 くなったインフレの 構 造 的 なこともあったが フェートン 号 事 件 後 幕 命 により 長 崎 警 備 の 強 化 のため 要 員 の 増 加 と 武 器 の 増 強 に 多 大 の 出 費 を 強 いられた 更 に 第 9 代 藩 主 鍋 島 斉 直 の 浪 費 も 財 政 難 を 加 速 した 2 フェートン 号 事 件 とは 文 化 5 年 (1808 年 )8 月 にイギリス 軍 艦 フェートン 号 がオランダ 旗 を 偽 装 して 長 崎 へ 入 港 し 検 使 を 追 い 払 いオランダ 人 を 人 質 にして 飲 料 水 と 食 糧 を 要 求 した 長 崎 奉 行 松 平 康 英 は 当 時 当 番 していた 佐 賀 藩 に 出 動 を 命 じたが シーズンオフのため 大 部 分 の 隊 員 は 帰 藩 しており 急 場 に 間 に 合 わなかった 事 件 が 起 こった このため 長 崎 奉 行 松 平 康 英 は 責 任 を 取 って 切 腹 自 殺 した 佐 賀 藩 は 二 名 の 番 頭 を 死 罪 とし 関 係 者 を 厳 罰 した 幕 府 から 佐 賀 藩 主 9 代 鍋 島 斉 直 は 謹 慎 処 分 となった 佐 賀 藩 は 長 崎 警 備 の 重 責 と 対

外 国 との 接 し 方 の 厳 しさを 認 識 した 3 徹 底 した 経 費 削 減 による 財 政 改 革 まず 粗 衣 粗 食 令 により 藩 主 はじめ 側 用 人 は 木 綿 着 用 食 事 の 簡 素 化 など 質 素 倹 約 を 徹 底 し 費 用 削 減 した その 他 〇 参 勤 交 代 時 家 老 以 下 91 人 減 らし 経 費 削 減 〇 藩 役 人 420 人 をリストラ( 約 1/ 3 削 減 ) 請 役 の 鍋 島 安 房 が 中 心 となって 返 済 財 源 は 主 として 江 戸 大 阪 などの 経 費 節 約 と 家 臣 への 貸 付 金 と 利 子 や 買 米 の 売 上 から 生 み 出 した 借 金 返 済 に 利 子 打 切 し 元 金 の 長 期 年 譜 払 い 一 部 を 払 い 残 りは 踏 み 倒 すなど 巧 妙 に 実 施 した 〇 私 は 学 生 時 代 他 県 の 人 から 佐 賀 もんの 後 には 草 も 生 えん とよくジョークを 飛 ばされたがこの 鍋 島 の 殿 様 の 倹 約 精 神 が 他 県 にまで 言 い 伝 えられるほど 徹 底 したのでしょう 5 有 能 な 人 材 を 登 用 した 行 政 機 構 改 革 天 保 6 年 佐 賀 城 二 の 丸 の 火 災 を 契 機 にブレーン 役 の 古 賀 穀 堂 はじめ 異 母 兄 の 鍋 島 安 房 の 請 役 任 用 など 改 革 派 の 中 堅 家 臣 を 登 用 し 人 材 刷 新 して 改 革 を 強 力 に 推 進 した 1 政 務 の 中 心 を 請 役 所 とし 集 約 統 一 した 2 重 要 な 議 事 は 重 職 者 により 審 議 決 定 する 6 近 代 化 を 目 指 した 軍 事 改 革 1 強 化 した 長 崎 警 備 徳 川 幕 府 が 鎖 国 令 により 長 崎 と 平 戸 の 二 港 に 外 国 の 入 港 を 認 めていたが 家 光 の 時 キリシタン 禁 制 の ため オランダと 唐 人 に 長 崎 のみ 開 港 し 鎖 国 体 制 を 強 化 した 長 崎 警 備 は 鎖 国 によってはみ 出 された ホルトガル 人 との 貿 易 上 のトラブルが 発 生 しその 警 備 強 化 のため 幕 府 は 寛 永 18 年 福 岡 黒 田 藩 に 長 崎 御 番 を 命 じ 1 年 交 代 で 翌 年 佐 賀 藩 鍋 島 勝 茂 に 命 じられた これには 約 1000 人 の 軍 勢 と100 艘 以 上 の 海 軍 を 配 備 しなければならなった 藩 の 財 政 に 相 当 大 きな 負 担 がかかった 〇 白 帆 注 進 により 長 崎 ~ 佐 賀 間 (120キロ)の 急 報 連 絡 法 を 設 定 し 緊 急 時 召 集 要 領 を 改 善 した 〇 長 崎 防 備 強 化 のため 伊 王 島 と 神 ノ 島 の 沖 合 の 第 一 線 に 佐 賀 藩 独 自 で 開 発 した 鉄 製 の 大 砲 を 設 置 す べく 新 砲 台 を 独 力 で 造 築 した 〇 大 野 原 において 警 備 要 員 の 訓 練 をして 幕 府 の 警 備 強 化 に 尽 力 した 大 野 原 は 今 でも 自 衛 隊 の 演 習 場 として 現 存 し 訓 練 の 場 となっている 伊 王 島 は 今 年 3 月 末 に 大 橋 が 架 けられ 隠 れた 観 光 のスポットとなっているようです 近 いうちに 行 っ て 確 かめたいと 思 っています 2 軍 事 技 術 の 開 発 と 鉄 製 大 砲 の 製 造 まず 高 島 流 砲 術 を 取 り 入 れるとともにオランダから 西 欧 の 軍 事 技 術 特 に 砲 術 を 学 び 銅 製 から 鉄 製 の 火 砲 を 導 入 した 火 術 方 を 新 設 し 火 砲 の 製 造 などのため まず 冷 却 に 多 量 の 水 を 要 するため 多 布 施 川 の 畔 に 反 射 炉 を 築 造 し その 近 くの 中 折 に 製 錬 所 を 設 け 日 本 で 最 初 の 鉄 製 大 砲 の 鋳 造 技 術 を 開 発 した 藩 独 自 で 鉄 製 の 砲 製 造 に 成 功 してから 火 薬 の 製 造 蒸 気 船 の 建 造 など 次 々とひろがり 軍 備 の 近 代 化 が 進 んだ これらに 伴 う 貿 易 も 盛 んに 行 われた 艦 船 の 建 造 とともに 乗 組 員 の 育 成 のため 幕 府 が 開 設 した 長 崎 海 洋 伝 所 に 精 鋭 48 名 を 送 って 海 防 に 備 え 幕 府 や 薩 摩 藩 に 匹 敵 する 海 軍 力 が 強 化 された

3 幕 府 の 江 戸 品 川 砲 台 に 幕 府 から 注 文 を 受 けた200 門 のうち 佐 賀 藩 が 製 造 した 鉄 製 大 砲 50 門 と 弾 薬 火 薬 類 など 納 入 し 据 え 付 けられた また 幕 府 が 開 発 する 鋳 造 のため 伊 豆 韮 山 の 反 射 炉 設 置 に 佐 賀 藩 から 技 術 支 援 をした 黒 船 の 脅 威 に 対 して 薩 摩 藩 離 島 警 備 の 対 馬 藩 や 蝦 夷 警 備 の 津 軽 藩 など 他 藩 から 大 砲 の 注 文 が 増 加 した 佐 賀 藩 は 兵 器 廠 の 観 を 呈 し 製 砲 は300 門 以 上 だと 云 われている 直 正 がこのように 軍 事 の 近 代 化 を 進 めたのは 欧 米 列 強 のアジアにおける 軍 事 的 圧 力 が 強 まって 日 本 に 迫 っていることをオランダを 通 じて 肌 身 で 感 じていたからでしょう 4 アームストロング 砲 の 活 躍 佐 賀 藩 は 戊 辰 戦 争 では 新 政 府 軍 に 加 わり 上 野 の 戦 いから 会 津 鶴 ケ 城 の 攻 防 戦 函 館 五 陵 郭 の 戦 いまで 最 新 式 の 兵 器 を 装 備 した 佐 賀 藩 砲 兵 軍 団 の 戦 いが 決 め 手 になって 大 きく 貢 献 した 中 でも 上 野 彰 義 隊 と の 戦 いで 不 忍 の 池 縁 から 発 射 する 佐 賀 藩 のアームストロング 砲 の 威 力 は 大 きく 一 日 で 壊 滅 させた 話 は 有 名 になった 小 銃 は 使 われていたが 城 壁 のある 砦 攻 撃 にはゴルフの 球 のように 湾 曲 して 飛 ぶ 弾 が 有 効 な 手 段 だったことは 容 易 に 理 解 できる アームストロング 砲 は 1855 年 に 英 国 アームストロングが 従 来 弾 を 前 から 装 填 する 方 式 から 装 填 時 間 を 短 縮 できる 後 装 填 方 式 に 改 良 し また 砲 身 は 装 填 部 周 辺 だけを 重 層 にし 軽 量 な 大 砲 を 開 発 した 当 時 としては 優 れた 性 能 を 持 った 新 兵 器 であった アメリカの 南 北 戦 争 でも 使 われた 現 在 佐 嘉 神 社 の 前 に 展 示 されている6ポンド 軽 野 砲 ( 口 径 64ミリ)が 当 時 使 われたモデルである 7 文 武 両 道 の 教 育 改 革 と 人 材 育 成 1 藩 校 弘 道 館 の 教 育 拡 充 弘 道 館 は 天 明 元 年 (1781 年 ) 佐 賀 藩 8 代 藩 主 鍋 島 治 茂 が 儒 学 者 古 賀 精 里 に 命 じ 佐 賀 城 に 近 い 松 原 小 路 に 設 立 した 直 正 は 古 賀 穀 堂 の 学 政 管 見 に 基 づいて 一 流 の 儒 者 を 起 用 するとともに 学 舎 寮 大 講 堂 武 道 場 馬 術 訓 練 場 の 建 設 など 文 武 両 道 の 教 育 を 充 実 強 化 した その 他 2 高 禄 藩 士 の 子 弟 を 就 学 の 義 務 化 ( 藩 士 皆 学 構 想 の 実 践 ) 3 月 1 回 身 分 の 上 下 差 別 ない 就 学 者 を 謁 見 し 激 励 した 4 開 国 後 語 学 教 育 のため 長 崎 に 英 語 専 修 の 致 遠 館 を 創 設 し 大 隈 重 信 や 副 島 種 臣 が 運 営 した 明 治 維 新 において 佐 賀 藩 の 教 育 した 人 材 は 副 島 種 臣 大 隈 重 信 大 木 喬 任 江 藤 新 平 佐 野 常 民 島 義 勇 など 佐 賀 の 七 賢 人 に 見 るごとく 維 新 改 革 に 登 用 され 大 きな 貢 献 をした 私 は 勧 興 小 学 校 の 卒 業 生 だが 明 治 7 年 (1874 年 ) 弘 道 館 初 等 部 として 勧 興 小 学 校 が 設 けられ たことを 恥 ずかしながら 知 らなかった 8 農 村 社 会 の 安 定 を 図 る 農 政 改 革 1 農 政 の 民 主 化 均 田 制 を 実 施 して 農 作 地 が 特 定 の 地 主 により 偏 らないように 均 等 化 し 更 に 小 作 料 を 制 限 し 小 作 農 民 を 保 護 して 農 業 振 興 と 安 定 を 図 った このような 民 主 的 制 度 を 敷 いた 反 面 工 商 農 の 身 分 制 を 強 化 し 代 官 を5ケ 所 から8ケ 所 に 強 化 し 脱 税 防 止 を 図 るなど 封 建 的 制 度 を 強 化 した 面 もあった 幕 末 の 農 民 一 揆 が 佐 賀 藩 にはなかったのは 農 政 の 民 主 化 によるものと 云 われている

2 佐 賀 特 産 品 の 殖 産 興 業 と 長 崎 貿 易 の 促 進 肥 沃 な 佐 賀 平 野 は 米 生 産 有 明 海 の 海 産 物 陶 器 や 石 炭 採 掘 など 殖 産 振 興 と 地 理 的 条 件 を 最 大 限 に 生 かした 長 崎 貿 易 により 輸 出 振 興 を 推 進 した 財 政 事 情 は 少 しずつ 好 転 していった 9 オランダから 学 んだ 医 療 振 興 古 賀 穀 堂 の 提 唱 により 八 幡 小 路 に 医 学 寮 (のちに 好 生 館 )を 開 設 しオランダ 医 学 教 育 を 始 めた 日 本 ではじめて 種 痘 を 導 入 し 世 継 息 子 直 大 ( 後 の 第 九 代 藩 主 )に 接 種 し 更 に 娘 にも 接 種 して 天 然 痘 予 防 の 急 速 な 普 及 に 大 きく 寄 与 した 10 幕 末 の 攘 夷 論 の 沸 騰 1 尊 王 攘 夷 論 の 由 来 中 国 宋 時 代 の 朱 子 学 が 日 本 に 伝 わって 室 町 時 代 に 学 問 として 取 り 入 れられ 江 戸 時 代 になって 官 学 として 採 用 された 尊 王 攘 夷 は もとは 朱 子 学 の 尊 王 斥 覇 の 思 想 を 受 けて 普 及 した 特 に 水 戸 光 圀 は 天 皇 の 権 威 を 尊 重 する 尊 王 論 を 展 開 し 天 皇 から 任 命 された 徳 川 政 権 の 正 統 性 を 理 論 化 した 水 戸 学 を 創 始 した この 尊 王 論 と 鎖 国 を 維 持 し 諸 外 国 を 夷 狄 とし 排 除 する 攘 夷 論 とが 結 びついて 尊 王 攘 夷 という 思 想 が 大 成 された 幕 末 の 水 戸 藩 9 代 藩 主 徳 川 斉 昭 (15 代 将 軍 慶 喜 の 父 )の 尊 王 攘 夷 論 は 徳 川 幕 府 の 権 力 支 配 のバックボーンとなる 思 想 として 幕 府 の 内 外 に 大 きな 影 響 を 与 えた 2 ハードな 攘 夷 論 とソフトな 攘 夷 論 攘 夷 論 は 薩 摩 や 長 州 のように 何 が 何 でも 徹 底 抗 戦 して 外 国 を 排 除 する 排 他 主 義 を 唱 える ハードな 攘 夷 論 と 勝 海 舟 のような 抵 抗 の 意 思 をみせながらも 国 を 開 いて 海 外 の 近 代 化 した 技 術 や 政 治 体 制 を 学 び 富 国 強 兵 を 図 り 列 強 と 肩 を 並 べるときに 諸 外 国 と 対 抗 するという ソフトな 攘 夷 論 があった 前 者 が 多 数 を 占 めていたが 黒 船 来 航 以 来 幕 末 のイデオロギーとなって 沸 騰 した 目 のあたりにみる4 隻 の 武 装 艦 隊 に 対 抗 しうる 国 力 はないと 判 断 した 幕 府 の 開 国 論 と250 年 の 平 安 を 保 ってきた 鎖 国 を 乱 す 夷 狄 を 追 い 払 わなければならないという 観 念 的 攘 夷 論 とが 国 を 二 分 して 対 立 闘 争 していった 3 鍋 島 直 正 の 尊 王 攘 夷 論 ペルーが7 隻 の 黒 船 ( 海 に 浮 かぶ 砲 台 )で 二 度 目 に 来 航 した 安 政 元 年 (1854 年 )に 幕 府 は 開 国 やむなしとして 日 米 和 親 条 約 を 結 んだ これから 攘 夷 論 が 日 本 を 席 巻 して 勤 王 攘 夷 派 と 佐 幕 開 国 派 と の 激 しい 尊 王 攘 夷 闘 争 が 展 開 された 直 正 は 幕 内 や 薩 長 の 激 しい 攘 夷 運 動 には 静 観 していたので 日 和 見 主 義 者 と 云 われた オランダなど から 海 外 情 報 特 に 軍 事 事 情 をよく 承 知 していたので 日 本 は 外 国 と 戦 う 力 が 十 分 整 っていないと 思 って 観 念 的 攘 夷 論 に 無 関 心 を 装 っていたに 違 いない また 藩 政 改 革 と 長 崎 警 備 に 専 念 し 藩 の 軍 事 の 近 代 化 を 図 ることが 優 先 すべきと 考 えていたかもしれない ところがペルー 来 航 の 折 老 中 阿 部 正 弘 が 開 国 か 攘 夷 かの 意 見 を 聞 いたとき 福 岡 藩 は 開 国 論 を 直 正 は 攘 夷 論 を 表 明 した その 意 図 は 長 崎 を 通 じて 交 易 するという 決 りになっている 国 内 法 を 無 視 して 直 接 江 戸 へ 開 港 を 求 めるアメリカの 行 動 をけしから んと 長 崎 警 備 担 当 責 任 者 の 立 場 から 幕 府 の 弱 腰 な 外 交 姿 勢 を 突 いた 抵 抗 論 だったかもしれない 外 国 情 勢 に 明 るかった 直 正 は 現 実 主 義 者 の 言 動 からソフトな 尊 王 攘 夷 論 者 であったと 思 われる 結 局 は 薩 摩 は 薩 英 戦 争 で 長 州 も 馬 関 戦 争 でイギリス アメリカ フランス オランダの4ケ 国 連 合 艦 隊 に 敗 れ 欧 米 列 強 の 力 にくじけた 攘 夷 論 は 後 退 し 公 武 合 体 から 王 政 復 古 へと 変 遷 した ついには 徳 川

討 幕 へ 向 かい 鳥 羽 伏 見 の 戦 いから 戊 辰 戦 争 を 経 て 大 政 奉 還 と 歴 史 は 流 れ 明 治 維 新 が 成 し 遂 げられ た 攘 夷 論 との 戦 いは 日 本 近 代 化 の 産 みの 苦 しみだった 当 時 の 日 本 に 攘 夷 するだけの 国 力 がないことが 明 らかにも 拘 らず 徹 底 抗 戦 諸 外 国 を 排 除 するという 観 念 的 尊 王 攘 夷 思 想 は 空 論 ではなかったのか?という 疑 問 が 生 じる 4 幕 末 の 観 念 的 尊 王 攘 夷 と 昭 和 の 理 念 なき 安 保 闘 争 昭 和 35 年 の60 年 安 保 闘 争 がそうであったように 国 論 を 二 分 する 社 会 現 象 が 幕 末 の 観 念 論 に 支 配 された 攘 夷 運 動 と 似 ていたように 思 う 日 米 安 保 条 約 の 不 平 等 を 改 正 する 岸 内 閣 に 対 して 当 初 は 反 米 闘 争 からしだいに 反 岸 内 閣 の 倒 閣 闘 争 へ 変 遷 していった 戦 後 10 年 経 った 当 時 の 日 本 が 安 保 条 約 を 遂 行 できる 国 力 はなかったので 条 約 改 正 にはやや 早 尚 だったかもしれないが 反 対 左 翼 勢 力 は 総 動 員 して 理 念 なき 闘 争 にはしり 安 全 保 障 についての 理 解 が 不 十 分 だった その 後 70 年 闘 争 も 空 振 りに 終 わり 日 米 安 保 の 意 義 が 国 民 に 浸 透 され 経 済 成 長 に 伴 い 今 日 の 繁 栄 を 築 いてきた 幕 末 の 尊 王 攘 夷 運 動 も 昭 和 の 安 保 闘 争 も 空 論 に 踊 らさていたように 思 えてならない 11 名 君 のお 墓 鍋 島 家 先 祖 の 菩 提 寺 は 佐 賀 市 本 庄 の 高 伝 寺 にあるが 直 正 の 遺 体 は 東 京 元 麻 布 にある 東 京 鍋 島 藩 の 菩 提 寺 賢 崇 寺 に 毛 髪 を 分 けて 佐 賀 大 和 町 の 春 日 山 に 埋 葬 された 平 成 12 年 12 月 9 日 佐 賀 を 作 った 名 君 を 佐 賀 で 祀 りたいという 県 民 の 熱 望 と 自 然 豊 かな 故 郷 でゆっ くり 眠 らせたいとの 鍋 島 家 の 意 向 もあって 当 時 東 京 渋 谷 松 濤 町 在 住 の 第 14 代 鍋 島 家 当 主 直 要 氏 の 長 男 直 晶 氏 が 直 正 ( 閑 叟 )の 遺 骨 を 賢 崇 寺 から 佐 賀 大 和 町 春 日 の 墓 所 に 移 した 127 年 ぶりの 里 帰 りで あった 12 鍋 島 閑 叟 公 銅 像 の 復 元 運 動 殿 様 は すべからくよきにはからえ というイメージがあったが 鍋 島 閑 叟 の 偉 業 を 学 んでわが 郷 土 佐 賀 にすごい 殿 様 がいたことを 知 りイメージを 払 拭 しました 昨 今 の 極 めて 厳 しい 内 外 情 勢 のなか 日 本 が 沈 没 しそうな 国 難 に 遭 遇 している 時 であればこそ 国 をはじめ 県 市 町 村 の 首 長 は 鍋 島 閑 叟 の 救 国 策 を 見 習 うべきだと 思 いました 佐 賀 城 歴 史 館 でボランテイア 活 動 している 佐 高 八 期 の 同 期 生 陣 内 義 彦 塚 原 勝 野 田 良 弘 井 出 良 治 君 4 人 が 呼 びかけ 人 となって 鍋 島 閑 叟 公 銅 像 の 復 元 について 賛 同 者 を 募 っておられることを3 月 に 入 って 関 東 地 区 幹 事 長 香 月 君 から 聞 いてすぐさまその 趣 旨 に 賛 同 しました 郷 土 佐 賀 の 歴 史 顕 彰 により これからは 特 に 若 い 人 たちが 郷 土 史 を 学 び 郷 土 に 誇 りを 持 ってもらいたい と 思 います 平 成 23 年 3 月 末 日 山 下 永 二