ルカによる 福 音 書 23 章 26-56 節 十 字 架 に 出 会 った 人 々 1A 十 字 架 への 道 26-31 2A 十 字 架 上 での 救 い 32-43 1B 赦 しのための 祈 り 32-38 2B 最 後 の 救 い 39-43 3A 全 うされた 使 命 44-49 4A 新 たに 出 てきた 弟 子 50-56 本 文 ルカによる 福 音 書 23 章 を 開 いてください 私 たちはついに イエス キリストの 十 字 架 の 場 面 に 入 ります 以 前 から 申 し 上 げているように 四 つの 福 音 書 にそれぞれ 同 じ 出 来 事 が 記 されていま すが それぞれの 著 者 の 視 点 があります ルカにおいては イエス 様 が 十 字 架 への 道 そして 十 字 架 においても いや 十 字 架 後 においても その 人 生 の 使 命 を 全 うされるところから 目 を 離 さな かったことです 私 たちは 前 回 十 字 架 刑 の 判 決 をピラトが 下 すに 当 たって そこに 群 がる 者 たち の 闇 の 部 分 その 蠢 いているもの それらが 私 たち 人 間 の 闇 の 部 分 を 写 し 出 していることを 学 び ました そのような 理 不 尽 なことが 起 こっても なおのことそれは 神 のご 計 画 の 中 にあることを 学 び ました 1A 十 字 架 への 道 26-31 そして 今 十 字 架 を 担 ぎながら ゴルゴダの 丘 まで 連 れて 行 かれます そこで 出 会 っていく 人 々 に 対 しても 主 は 影 響 を 与 え ご 自 分 の 使 命 を 全 うされています 23:26 彼 らは イエスを 引 いて 行 く 途 中 いなかから 出 て 来 たシモンというクレネ 人 をつかまえ こ の 人 に 十 字 架 を 負 わせてイエスのうしろから 運 ばせた イエス 様 が 十 字 架 を 担 ぎながら 歩 かされています この 時 点 で 鞭 打 ちの 懲 らしめをイエス 様 は 受 けており その 衝 撃 はとてつもなく 強 く 鞭 打 ちになった 囚 人 ではショック 死 する 人 も 少 なくあ りません そのためイエス 様 は 極 度 の 疲 労 と 体 の 痛 みによって その 十 字 架 を 担 ぐことさえでき なくなりました そこでローマ 兵 が いなかから 出 て 来 たシモンというクレネ 人 をつかまえ たとあ ります クレネというのは 北 アフリカの 地 中 海 岸 のギリシヤ 時 代 から 植 民 都 市 で ローマ 時 代 に も 栄 えていたところでした いなか とありますが エルサレムからはるかに 遠 いということで クレ ネ 自 体 は 田 舎 ではありません 今 は そこは 世 界 遺 産 に 国 連 によって 登 録 されており リビアの 中 にあります 折 しも 今 年 二 月 21 人 のエジプト 人 クリスチャンがイスラム 国 によって 斬 首 に 遭 った のもその 場 所 です ここからユダヤ 人 であるシモンは 過 越 の 祭 りを 祝 うためにやって 来 たのです 1
ローマ 兵 によって 命 じられたことは 絶 対 です シモンは とんでもない 目 になったとおそらく 思 った ことでしょう けれども 次 に 十 字 架 を 負 わせてイエスのうしろから 運 ばせた とあります シモン は イエス 様 の 歩 かれる 姿 をずっと 見 ていたことになります 後 ろに 下 がってイエスを 見 るというこ とについては イエス 様 がペテロに 下 がれ サタン (マタイ 16:23) と 言 われたことを 思 い 出 し ます イエス 様 がわたしは 苦 しみを 受 け 殺 され 三 日 目 によみがえると 言 われた 時 に ペテロは イエス 様 の 前 に 出 ました そこで 下 がれ と 言 われたのです そしてイエス 様 は あなたは 神 のことを 思 わないで 人 のことを 思 っている (マタイ 16:23) と 言 われました 私 たちキリスト 者 は ともするとペテロのように 人 間 のことを 思 ってそれで 神 の 命 じられていることさえ 遮 ろうとします それは どんなにもっともらしく 見 えてもサタンの 仕 業 です 私 たちはイエスの 後 ろに 下 がるのです それで イエス 様 の 後 ろにシモンが 十 字 架 を 背 負 って 歩 いていました 私 は その 身 が 震 えるの は ここまで 極 度 な 衰 弱 状 態 で 歩 くのが 精 一 杯 なイエス 様 ですが この 男 シモンに 限 りない 影 響 を 与 えたのです マルコによる 福 音 書 には 彼 が アレキサンデルとルポスとの 父 (15:21) とありま す 初 代 教 会 における 名 の 知 れた 人 であると 考 えられますが ローマ 16 章 13 節 には 主 にあっ て 選 ばれた 人 ルポス と 言 っています もしかしたら 同 一 人 物 かもしれません そして 使 徒 行 伝 13 章 1 節 を 読 みます さて アンテオケには そこにある 教 会 に バルナバ ニゲルと 呼 ばれる シメオン クレネ 人 ルキオ 国 主 ヘロデの 乳 兄 弟 マナエン サウロなどという 預 言 者 や 教 師 がい た ここの シメオン はシモンと 同 名 です 彼 自 身 が 教 会 指 導 者 の 一 人 となっています 自 分 は 一 体 そこまで 主 を 信 頼 しているのか?と 思 います たとえ 自 分 が 例 えば 衰 弱 して 何 もで きなくなったとしても それでも 人 々が 自 分 を 通 して 主 を 見 て 良 い 影 響 を 受 けるのか?ということ です 自 分 は 何 をすれば 主 を 示 すことができるのかということに 注 目 してしまいますが 何 もでき ない 時 にそれでも 主 ご 自 身 が 人 々に 大 きな 影 響 を 与 えるという そこまでの 主 への 信 頼 です 23:27 大 ぜいの 民 衆 やイエスのことを 嘆 き 悲 しむ 女 たちの 群 れが イエスのあとについて 行 った 23:28 しかしイエスは 女 たちのほうに 向 いて こう 言 われた エルサレムの 娘 たち わたしのこ とで 泣 いてはいけない むしろ 自 分 自 身 と 自 分 の 子 どもたちのことのために 泣 きなさい 23:29 なぜなら 人 々が 不 妊 の 女 子 を 産 んだことのない 胎 飲 ませたことのない 乳 房 は 幸 いだ と 言 う 日 が 来 るのですから 23:30 そのとき 人 々は 山 に 向 かって われわれの 上 に 倒 れかかっ てくれ と 言 い 丘 に 向 かって われわれをおおってくれ と 言 い 始 めます 23:31 彼 らが 生 木 にこのようなことをするのなら 枯 れ 木 には いったい 何 が 起 こるでしょう ルカ 伝 においては 女 たちが 多 く 登 場 しますが ここの 箇 所 もルカ 伝 にしか 見 ることのできないも のです 女 たちがイエス 様 のために 嘆 き 悲 しんでいます しかし イエス 様 は あなたたちが 泣 か なければならないのです と 言 われました なぜか?それは 30 節 ですが ここの 言 葉 は 終 わり の 日 の 患 難 のことを 指 しています その 時 に 生 き 残 っているユダヤ 人 が その 患 難 があまりにも 酷 く 神 の 怒 りに 耐 えきれなくなり われわれの 上 に 倒 れかかってくれ と 叫 んでいるのです イ 2
ザヤ 書 2 章 10 22 節 にその 様 子 が 書 かれているし 黙 示 録 6 章 では 小 羊 が 第 六 の 封 印 を 解 い て 大 地 震 が 起 こりました その 時 に 彼 らが 叫 びます 16-17 節 山 や 岩 に 向 かってこう 言 った 私 たちの 上 に 倒 れかかって 御 座 にある 方 の 御 顔 と 小 羊 の 怒 りとから 私 たちをかくまってくれ 御 怒 りの 大 いなる 日 が 来 たのだ だれがそれに 耐 えられよう おそらくイエス 様 は その 世 の 終 わりの 型 となる 紀 元 70 年 のエルサレムの 神 殿 破 壊 のことを 言 われているのだと 思 います その 時 に 包 囲 されたエルサレムの 中 にいた 女 たちは あまりにも の 飢 えで 自 分 たちの 赤 ん 坊 を 食 べました この 悲 惨 を 話 しています そして 生 木 というのは イ エス 様 ご 自 身 です イスラエルのメシヤであるイエス 様 は 命 ある 木 としてご 自 分 を 例 えておられ ます 旧 約 聖 書 に イスラエルを 木 に 例 えているところがあります(エゼキエル 21:6 7) そして 枯 れ 木 とは 命 のないイスラエル メシヤのいないイスラエルのことです イエス 様 が 生 木 であり 彼 らがそのようなことをするなら 神 は 枯 れ 木 に 対 しては もっと 大 きな 裁 きを 与 えられます 女 たちに 対 して イエス 様 は 気 にかけておられるのです そして 彼 女 たちに ご 自 身 がキリスト であることを 証 ししておられます 女 の 人 たちが イエス 様 が 今 苦 しみの 中 にいて 必 要 を 持 って おられると 思 って 女 たちはやって 来 ているのですが 実 は 彼 女 たち 自 身 がイエス 様 を 必 要 としてい たのです 他 の 人 たちを 助 けようとしながら 実 は 自 分 自 身 が 助 けが 必 要 だという 場 合 です 何 かに 駆 り 立 てられるようにして 助 けよう 救 おうとするとき 実 は 自 分 自 身 が 助 けられなければい けない 存 在 です この 女 たちを 見 て そのような 姿 を 見 ます 2A 十 字 架 上 での 救 い 32-43 そして イエス 様 は 十 字 架 に 付 けられます ここにおいて 注 目 していただきたい 言 葉 は 救 う と いう 言 葉 をいろいろな 人 が 使 っていますが どのような 意 味 で 使 っているかを 見 ることです 1B 赦 しのための 祈 り 32-38 23:32 ほかにもふたりの 犯 罪 人 が イエスとともに 死 刑 にされるために 引 かれて 行 った 23:33 どくろ と 呼 ばれている 所 に 来 ると そこで 彼 らは イエスと 犯 罪 人 とを 十 字 架 につけた 犯 罪 人 のひとりは 右 に ひとりは 左 に どくろ というのが ゴルゴダとも 言 われるところで ラテン 語 の 翻 訳 で カルバリ とも 言 われて います 23:34 そのとき イエスはこう 言 われた 父 よ 彼 らをお 赦 しください 彼 らは 何 をしているのか 自 分 でわからないのです 彼 らは くじを 引 いて イエスの 着 物 を 分 けた 何 をしているか 分 からない そのことに 基 づいて イエス 様 は 彼 らを 赦 してくださいと 願 っておら れます これは 驚 くべき 祈 りであり 神 の 愛 の 祈 りです イザヤ 書 53 章 13 節 に 彼 は 多 くの 人 3
の 罪 を 負 い そむいた 人 たちのためにとりなしをする とあります 誰 か 自 分 と 利 害 関 係 のない 人 のために 祈 ることも 私 たちには 力 が 要 ります 誰 々さんが 救 われますように と 祈 れることも 時 々 怠 ってしまいます ましてや 自 分 に 背 いている 人 反 抗 している 人 たちのために 執 り 成 せる でしょうか?しかし キリストを 信 じる 者 は 聖 霊 の 力 によってできるんですね ヘブル 書 の 著 者 は ヘブル 12:3 あなたがたは 罪 人 たちのこのような 反 抗 を 忍 ばれた 方 のことを 考 えなさい それは あなたがたの 心 が 元 気 を 失 い 疲 れ 果 ててしまわないためです そして もう 一 つ 驚 くべきことは 十 字 架 の 上 の 激 しい 痛 みの 中 でこの 働 きを 行 なわれています イエス 様 のガリラヤから 始 まった 宣 教 の 働 きは 実 にエルサレムの この 十 字 架 の 上 でも 行 われ ていたということです 先 ほどからシモン 女 たち そしてここで 反 抗 している 人 々 それぞれの 必 要 のためにイエス 様 は 働 きかけをなされています 23:35 民 衆 はそばに 立 ってながめていた 指 導 者 たちもあざ 笑 って 言 った あれは 他 人 を 救 った もし 神 のキリストで 選 ばれた 者 なら 自 分 を 救 ってみろ 23:36 兵 士 たちもイエスをあざけり そばに 寄 って 来 て 酸 いぶどう 酒 を 差 し 出 し 23:37 ユダヤ 人 の 王 なら 自 分 を 救 え と 言 った 23:38 これはユダヤ 人 の 王 と 書 いた 札 もイエスの 頭 上 に 掲 げてあった 十 字 架 に 付 けられているイエス 様 そして 囚 人 たちと 共 に 並 んで 十 字 架 に 付 けられているイエス 様 彼 らが 罵 っている 救 い は もちろんその 十 字 架 から 降 りてくるという 意 味 ですね しかし イ エス 様 はそこに 救 いを 拠 り 頼 みませんでした 十 字 架 から 降 りてくることなど いとも 簡 単 にできる のです しかし それを 敢 えて 行 わないというところに むしろ 勇 気 があり 愛 の 力 が 働 いています ワーシップの 歌 で 弱 さの 中 にも あなたの 力 が 私 の 全 て イエス 神 の 小 羊 よ とあります 私 たちが 弱 いところに 敢 えて 留 まるということは 勇 気 が 要 ります 自 分 の 力 でいくらでも その 弱 さから 抜 け 出 すことができます しかし 自 分 ではなく 主 に 拠 り 頼 む そして 主 が 救 ってくださること を 信 じる ここにこそ 神 の 力 が 宿 るのです 2B 最 後 の 救 い 39-43 23:39 十 字 架 にかけられていた 犯 罪 人 のひとりはイエスに 悪 口 を 言 い あなたはキリストではな いか 自 分 と 私 たちを 救 え と 言 った 23:40 ところが もうひとりのほうが 答 えて 彼 をたしなめ て 言 った おまえは 神 をも 恐 れないのか おまえも 同 じ 刑 罰 を 受 けているではないか 23:41 わ れわれは 自 分 のしたことの 報 いを 受 けているのだからあたりまえだ だがこの 方 は 悪 いことは 何 もしなかったのだ 23:42 そして 言 った イエスさま あなたの 御 国 の 位 にお 着 きになるときに は 私 を 思 い 出 してください 23:43 イエスは 彼 に 言 われた まことに あなたに 告 げます あ なたはきょう わたしとともにパラダイスにいます 犯 罪 人 が 二 人 かけられています 他 の 福 音 書 によると 二 人 がどちらもイエスを 罵 った とありま す(マタイ 27:44) こんな 近 くにいる 人 たちまでが 自 分 たちが 何 をしているのか 何 を 言 っている 4
のか 分 かっていません 罵 りなど 口 から 出 る 悪 意 は 瞬 く 間 に 空 気 感 染 するようにして 人 々に 広 がります そして 犯 罪 人 の 言 ったことは 他 の 者 たちの 救 え と 同 じく 十 字 架 から 降 ろせ という ことでしょう ところが 一 人 が 気 づきます 初 めに 罵 って おそらくイエス 様 の 姿 を 見 て 気 づいた のでしょう 彼 は 第 一 に われわれは 自 分 のしたことの 報 いを 受 けているのだからあたりまえだ と 言 っ ています 彼 は そこから 救 われようとせずに むしろ 今 受 けていることはその 通 りであると そ の 裁 きを 甘 んじて 受 けています これが 神 の 救 いに 至 るための 第 一 歩 であり へりくだることそ のものであり しかし ここに 不 思 議 な 御 霊 の 働 きがあります 自 分 が 受 ける 報 いは 甘 んじて 受 け ているのに それでも 不 思 議 に 神 に 受 け 入 れられるという 安 心 があるのです なぜなら 報 いを 受 けても その 後 で 御 国 の 位 にイエスが 着 かれる 時 に そこで 覚 えていただけるという 期 待 がかけら れているからです 神 の 裁 きをそのまま 受 け 入 れることのできた 者 で ダビデがいます 彼 の 祈 りは 詩 篇 51:4 私 はあなたに ただあなたに 罪 を 犯 し あなたの 御 目 に 悪 であることを 行 ないました それゆえ あなたが 宣 告 されるとき あなたは 正 しく さばかれるとき あなたはきよくあられます でありまし た 彼 は 裁 きを 受 け 入 れているのに それでもこのようにして 神 に 祈 ることができている つまり 神 にゆだねているのです そして 神 にゆだねられているというのは 神 がどこかで 私 を 知 っておら れるという 安 心 感 があるのです 他 人 を 裁 いて 自 分 自 身 を 見 られない 人 々に 使 徒 パウロは 次 のように 言 いました ローマ 2:4 それとも 神 の 慈 愛 があなたを 悔 い 改 めに 導 くことも 知 らないで その 豊 かな 慈 愛 と 忍 耐 と 寛 容 とを 軽 んじているのですか 神 の 慈 愛 が すでに 神 の 裁 きの 中 に おいてさえ 受 け 入 れられています そこに 悔 い 改 めが 生 じるのです そして この 裁 きの 受 け 入 れがあって 初 めてイエス 様 にお 願 しています あなたの 御 国 の 位 にお 着 きになるときには 私 を 思 い 出 してください と 言 っています イエス 様 が 確 かにキリストで あり 王 であることを 認 めています そして 王 であるなら 特 赦 も 出 すことはでき それで 罪 の 赦 し をここでお 願 しているのです そしてこの 犯 罪 人 は 自 分 もイエス 様 もすぐに 死 ぬことは 分 かって いますから 確 実 に 死 者 の 復 活 も 信 じています 死 者 が 復 活 し その 後 の 御 国 にキリストが 着 か れ そこで 罪 も 赦 されて 自 分 も 御 国 に 入 ることを 願 っています ところで 彼 が 願 っているのであり 要 求 していないことに 気 をつけてください 他 の 人 々は 救 え と 要 求 していました しかし 彼 は 願 っているだけです ここにイエスに 自 分 のことを 決 める 権 威 を 持 っておられることを 認 めています 救 いを 得 ることは 権 威 に 服 することです そして 権 威 に 服 する 人 は 安 心 と 平 和 を 見 つけます 嘆 願 はしますが 要 求 はしません 神 に 対 して また 人 に 対 して 同 じです そしてイエス 様 の この 犯 罪 人 に 対 する 答 えが 彼 の 願 い 以 上 のものでした まことに あなた 5
に 告 げます あなたはきょう わたしとともにパラダイスにいます であります パラダイスとは 日 本 語 で 楽 園 ということです 旧 約 聖 書 では エデンの 園 のような 楽 園 のことを 指 します(イザヤ 51:3) 主 が 地 上 において 御 国 の 位 に 着 かれる 前 主 が 昇 天 されてからの 天 を 表 しています パ ウロが 第 三 の 天 とパラダイスのことを 呼 んでいます(2コリント 12:4) そして 黙 示 録 2 章 7 節 では そこが 天 のエルサレム 究 極 の 神 の 住 まいを 表 しています こうして イエス 様 は 死 なれる 時 に 一 人 の 人 を 確 実 に 救 いへと 導 かれました 3A 全 うされた 使 命 44-49 23:44 そのときすでに 十 二 時 ごろになっていたが 全 地 が 暗 くなって 三 時 まで 続 いた 23:45 太 陽 は 光 を 失 っていた また 神 殿 の 幕 は 真 二 つに 裂 けた 23:46 イエスは 大 声 で 叫 んで 言 われ た 父 よ わが 霊 を 御 手 にゆだねます こう 言 って 息 を 引 き 取 られた イエス 様 が これほどの 苦 しみ 罵 りを 受 けながら なおのこと 揺 らぐことなく 最 後 までご 自 身 の 使 命 を 果 たしたのは どこにあるのでしょうか?それは ここの 最 後 の 言 葉 にあります 父 よ と まず イエス 様 は 言 われています 先 の 祈 りにも 34 節 父 よ と 呼 びかけておられます 父 とし ての 子 の 信 頼 また 従 順 がここに 表 れています イエス 様 は 実 に 12 歳 の 時 にも わたしが 必 ず 自 分 の 父 の 家 にいることをご 存 じなかったのですか (ルカ 2:49) と 言 われたように いつも 父 な る 神 と 共 におられた 親 密 に 交 わっておられ そして 全 幅 の 信 頼 を 寄 せていたことが 分 かります そして ゆだねる という 言 葉 は 前 に 置 くという 意 味 があります それは まな 板 の 上 の 鯉 のよ うな 窮 地 に 立 たせられても 慌 てることなく 自 分 の 身 を 相 手 のなすがままにさせているような 状 態 なのだそうです たとえ それが 闇 の 中 に 自 分 を 投 げ 打 つような 時 でも それでも 父 なる 神 が 自 分 を 受 けとめてくださるということです 御 手 にゆだねる と 仰 っていますから 神 の 主 権 の 中 にゆ だねます 私 たちが 慌 てる あたふたとする 何 か 方 策 を 立 て 物 事 を 動 かしていこうとする それ らは 自 分 の 前 に 見 える 暗 闇 の 中 に 入 るのを 恐 れているでしょう しかし このようにしてくださった のは 神 なのです だから 神 に 自 分 のすべてをゆだねれば 神 が 受 けとめてくださいます この 全 幅 の 信 頼 があったからこそ イエス 様 は 人 々の 悪 その 心 の 中 の 暗 闇 に 左 右 されること なく ただご 自 身 のしなければいけないことについて 神 に 従 順 になることができ その 使 命 を 最 後 まで 全 うできました 23:47 この 出 来 事 を 見 た 百 人 隊 長 は 神 をほめたたえ ほんとうに この 人 は 正 しい 方 であっ た と 言 った 23:48 また この 光 景 を 見 に 集 まっていた 群 衆 もみな こういういろいろの 出 来 事 を 見 たので 胸 をたたいて 悲 しみながら 帰 った 23:49 しかし イエスの 知 人 たちと ガリラヤから イエスについて 来 ていた 女 たちとはみな 遠 く 離 れて 立 ち これらのことを 見 ていた 三 つの 種 類 の 人 々が これらの 出 来 事 に 反 応 しています 一 つ 目 は ローマの 百 人 隊 長 です 6
驚 くことに 彼 は 異 邦 人 であり 律 法 については 無 知 であるはずです しかし 彼 は 神 をほめたた え そしてイエスが 正 しいということを 死 後 に 初 めに 証 言 したものでした そういえば イエス 様 の 宣 教 の 初 めに イエス 様 はある 百 人 隊 長 の 信 仰 に 驚 かれて このようなりっぱな 信 仰 は イスラ エルの 中 にも 見 たことがありません (7:9) と 言 わしめるものでした 彼 は 権 威 の 下 で 動 いてい るからこそ 神 がイエス 様 を 通 してなされたことを 認 めることができた とも 言 えるでしょう 彼 の 証 言 した 正 しさは 言 い 換 えると 御 父 に 信 頼 した 正 しさです 自 分 がいかに 正 しいかを 主 張 する 時 に 人 は 疲 れ 怒 り 対 立 し 分 裂 します そうではなく 神 の 正 しさに 自 分 を 徹 底 的 に 従 わ せ 信 頼 を 寄 せるときにこのように 真 実 な 正 しさが 現 われます 正 しいというのは 神 の 憐 れみと 平 和 と 一 対 になっており そこには 癒 しがあり 一 致 があり へりくだりがあるのです そして 群 衆 の 反 応 ですが 胸 をたたいて 悲 しみながら 帰 っ ています この 中 で イエスに 十 字 架 に 付 けろと 叫 んでいた 人 また 十 字 架 に 付 けられたイエス 様 に 罵 っていた 人 はいるのでしょうか 分 かりませんが 恐 らくは 混 じった 人 々なのでしょう ある 人 は 罵 り ある 人 はすべてを 見 て 悲 し みました 私 たちには このように 入 り 混 じった 人 々がいるということを 覚 えていくことが 必 要 でしょ う ある 人 は 神 の 言 葉 を 聞 いていても いつまでも 従 えずにおり またある 人 はそのまま 受 け 入 れ ています いつも どちらかだけということはありません それから 遠 くから 離 れて 見 ていた 女 たちがいます 興 味 深 いですね この 女 たちは 静 かに 仕 え る 人 たちです イエス 様 にいつも 付 いていて 従 っているのですが けれどもその 中 心 部 分 に 来 て 意 見 を 主 張 したりしません 人 が 言 い 争 い 怒 り 憎 しみ その 罪 と 悪 の 巣 窟 のようになっていた その 場 から 離 れていました けれども イエス 様 から 目 を 離 していたのではなく 遠 くから 見 てい たのです すばらしい 静 かに 仕 える 人 々の 姿 です 4A 新 たに 出 てきた 弟 子 50-56 そしてイエス 様 は 死 なれた 後 にも 影 響 を 与 え 続 けました 23:50 さてここに ヨセフという 議 員 のひとりで りっぱな 正 しい 人 がいた 23:51 この 人 は 議 員 たちの 計 画 や 行 動 には 同 意 しなかった 彼 は アリマタヤというユダヤ 人 の 町 の 人 で 神 の 国 を 待 ち 望 んでいた 23:52 この 人 が ピラトのところに 行 って イエスのからだの 下 げ 渡 しを 願 った ヨセフという ユダヤ 人 議 会 サンヘドリンの 一 員 です 彼 は この 時 に 初 めてイエス 様 に 付 いて いることを 明 らかにした 人 物 です アリマタヤというユダヤ 人 の 町 という 出 身 ですが そこはサム エルの 町 マラタイム ツォフィム(1サムエル 1:1) であると 言 われています ですから 霊 的 な 遺 産 が 受 け 継 がれていたのかもしれません そして りっぱな 正 しい 人 という 評 価 ですが こ れはイエス 様 がお 生 まれになる 前 後 祭 司 や 敬 虔 な 者 たちが 同 じように 表 現 されていました ゼカ リヤとエリサベツ(1:6) エルサレムで 赤 子 イエスを 見 て 預 言 したシメオン(2:25)です 7
そして 議 員 たちの 行 動 に 同 意 しなかったとありますが 他 にもニコデモがいました ニコデモも 同 じように ヨハネ 7:51 私 たちの 律 法 では まずその 人 から 直 接 聞 き その 人 が 何 をしているの か 知 ったうえでなければ 判 決 を 下 さないのではないか と 言 った 人 物 です 実 は 指 導 者 の 中 にもイエスを 信 じる 者 がたくさんいた (12:42) と 書 いてあります けれども 表 にはその 信 仰 は 言 い 表 さないでいたのです ヨセフも 同 じようにしていましたが 今 イエス 様 の 体 の 下 げ 渡 しをピ ラトに 願 っています 23:53 それから イエスを 取 り 降 ろして 亜 麻 布 で 包 み そして まだだれをも 葬 ったことのない 岩 に 掘 られた 墓 にイエスを 納 めた 23:54 この 日 は 準 備 の 日 で もう 安 息 日 が 始 まろうとしていた 23:55 ガリラヤからイエスといっしょに 出 て 来 た 女 たちは ヨセフについて 行 って 墓 と イエスの からだの 納 められる 様 子 を 見 届 けた 23:56a そして 戻 って 来 て 香 料 と 香 油 を 用 意 した イエス 様 が 葬 られます ヨセフが 申 し 出 なかったら イエス 様 は 他 の 囚 人 と 共 同 墓 地 に 投 げ 入 れ られていたことでしょう けれども 一 度 も 使 われたことのない 富 者 の 墓 に 葬 られたのですが その 意 義 は 聖 書 の 預 言 成 就 にあります イザヤ 53:9 彼 の 墓 は 悪 者 どもとともに 設 けられ 彼 は 富 む 者 とともに 葬 られた 彼 は 暴 虐 を 行 なわず その 口 に 欺 きはなかったが そして 女 たちが 香 料 と 香 油 を 用 意 します 安 息 日 になるので 戒 めを 守 ってその 時 は 葬 ったけれども 遺 体 に 香 料 と 香 油 を 塗 る 時 間 がなく それで 三 日 目 の 朝 に 出 かけていきます こうして 彼 女 たちが 十 字 架 と 墓 を 見 た 人 々であり かつ 復 活 の 最 初 の 目 撃 者 となります このようにして イエス 様 の 全 うされた 人 生 それは 義 という 言 葉 一 つで 言 い 表 すことができる でしょう 正 しく 生 きていくというのはどういうことか それは 従 順 と 信 頼 の 人 生 自 分 を 神 以 外 のも のにそらす あらゆる 状 況 に 対 しても 神 の 御 心 を 全 うされた 人 生 です 8