Similar documents
<95B689BB8DE08F8482E B7994C5817A2E696E6464>

五條猫塚古墳の研究 報告編 2014( 平成 26) 年 3 月 奈良国立博物館

<4D F736F F D208CCF92CB8CC395AD81408CBB926E90E096BE89EF8E9197BF2E646F63>

untitled

紀要6.indd

やよい絵画がえがかれた弥生土器をさがしてみよう!( 第 1 展示室 ) 左の絵画にえがかれた建物を何といいますか この建物は何に用いられたのでしょうか 左の絵画は何をえがいたものでしょうか この絵画がえがかれた土器は 奈良県の何という遺跡で見つかりましたか す須 え恵 き器 はじきと土師器 ( 第

8月号.indd

阿智村概報.indd


遺跡分布地図から見る広島

同志社大学所蔵堺市城ノ山古墳出土資料調査報告 1 城ノ山古墳 城ノ山古墳は現在の大阪府堺市北区百舌鳥西之町1丁目 百舌鳥古墳群の東南部分 に所在していた 丘陵上に前方部を西に向けて築かれた古墳である 大山古墳の南側 百舌鳥川左 岸の台地が一段高くなる部分に築かれている 墳丘上からは大山古墳や御廟山古

阪神地域 古墳の名称読み仮名所在地 園田大塚山古墳 池田山古墳 水堂古墳 具足塚古墳 打出小槌古墳 阿保親王塚古墳 御願塚古墳 安倉高塚古墳 そのだおおつかやま いけだやま みずどう ぐそくづか うちでこづち あぼしんのうづか ごがづか あくらたかつか 尼崎市南清水 尼崎市塚口本町 6 丁目 尼崎市


レジュメ.indd

03genjyo_快適環境.xls

35号 表1-4.ai

176263A

表紙

昼飯大塚現説資料 indd

井田川茶臼山古墳 

県立自然史博物館世界最大級の肉食恐竜 スピノサウルス の実物頭骨化石を群馬初公開 映画 ジュラシックパーク Ⅲ で T.rex のライバルとして その大きさをしのぐ巨大肉食恐竜として登場した スピノサウルス の実物頭骨化石と背骨の化石 ( 学校法人成城大学所蔵 ) を展示 公開します 公開日 : 平


旧 市 町 村 コード 名 称 種 別 時 代 所 在 地 概 要 備 考 旧 30 実 竹 城 跡 城 跡 中 世 青 近 郭, 堀 切, 土 塁 広 島 県 中 世 城 館 遺 跡 総 ,( 実 竹 山 城 跡 ) 31 ほてくら 北 第 1 号 古 古 古 青 近 横 穴 式

開催にあたって 岡山市は 穏やかな瀬戸内海の水運と 吉井川 旭川 高梁川が形成した岡山平野の中央部に位置しており 温暖な気候でもあることから 各時代の遺跡が数多く存在しています 遺跡を発掘調査すると まず目に付くのは当時の人々が頻繁に使用していた石の道具や土でつくった器などです それらは生活必需品で

千 葉 市 資 源 循 環 部 千 葉 県 千 葉 市 中 央 区 千 葉 港 2-1 千 葉 中 央 コミュニティセンター3F 船 橋 市 千 葉 県 船 橋 市 湊 町 柏 市 産 業 277

第 4 章副葬品出土位置の概要 1 副葬品出土位置の概要と保管状況 (1) 副葬品出土位置の概要発掘報告によると 五條猫塚古墳出土遺物は墳頂部の開墾作業時における不時発見によるもの ( 調査前出土遺物 ) と その後の発掘調査によって判明した竪穴式石槨内から出土したもの ( 石槨内出土遺物 ) と



概要報告 7 鈴鹿市国分町 富士山 10 号墳発掘調査概要 鈴鹿市教育委員会

1 京埋セミナー資料 No 未盗掘の石室の調査 きゅうたやま 久田山古墳群 B 支群の調査から 綾部市教育委員会 総主任 三好博喜 1. はじめに 綾部市は京都府北部を流れる由良川の中流域に位置し 古くから開けていたため市内に は 1000 基を越す古墳が築かれている 今回報告する久


レイアウト 1

見 学 の 手 順 1 見 学 の 日 程 コースの 希 望 を 市 教 育 委 員 会 に 報 告 年 度 のはじめに 見 学 を 希 望 する 日 程 とコースを 学 校 単 位 で 市 教 育 委 員 会 に 報 告 する 市 教 育 委 員 会 が 各 校 の 希 望 日 程 と 美 濃 陶

福知山-大地の発掘

s_a.xls

untitled

第 1 部研究の目的と経過

272


インカレ歴代ランキング(女子).xls

~ ~

内 の 遺 体 は 朽 ちていたが 10 余 枚 の 歯 が 残 っていたので 死 者 の 年 齢 を 30~60 歳 と 鑑 定 で

須 磨 区 ( 神 戸 水 上 警 察 の 管 轄 区 域 を 除 く 区 域 ) 兵 庫 県 垂 水 警 察 神 戸 市 垂 水 区 神 戸 市 のうち 垂 水 区 ( 神 戸 水 上 警 察 の 管 轄 区 域 を 除 く 区 域 ) 兵 庫 県 神 戸 水 上 警 神 戸 市 中 央 区 水

Microsoft Word - M075029_檜山_表紙.docx

*Ł\”ƒ

B8 A6 A7 B6 B7 24 次 C6 D6 E6 F8 F7 8次 F6 F5 F3 F4 E1 E2 F1 F2 G6 H6 I6 J8 J7 J6 K6 L6 SD1 SD4 11 次 SX3 27 次 4 次 1 中世13 古代1 c c SD6 礎石 P1 P9 28 次 SD4 S

<8D4C95F182A882DD82BD82DC31318C8E8D86342E696E6464>

見 学 の 手 順 1 土 岐 市 美 濃 陶 磁 歴 史 館 に 連 絡 見 学 予 定 日 の1ヶ 月 以 上 前 に 見 学 日 の 確 認 と 打 ち 合 せ 日 時 について 土 岐 市 美 濃 陶 磁 歴 史 館 ( 土 岐 市 文 化 振 興 事 業 団 )に 連 絡 する 他 校 他

青 森 県 尾 崎 酒 造 秋 田 県 飛 良 泉 本 舗 阪 神 木

06.10教育秋田本文

katoh02.indd

全 国 競 輪 開 催 日 次 予 定 一 覧 表 ( 平 成 28 年 5 月 ) 土 日 月 火 水 木 金 土 日


報道発表資料

中 期 の 直 径 160m 以 上 の 環 濠 集 落 が 検 出 されている 第 2~4 次 調 査 は 平 成 7 8 年 度 に 亀 岡 市 ュ~ 減 さ 努 'r)(1

< CBB8DDD817A BC68FEE95F12E786C73>

<89DF8B8E82CC90AC90D F12E786C73>

問題をつかむ①

表 3 の総人口を 100 としたときの指数でみた総人口 順位 全国 94.2 全国 沖縄県 沖縄県 東京都 東京都 神奈川県 99.6 滋賀県 愛知県 99.2 愛知県 滋賀県 神奈川

< BC68FF38BB595F18D E9E323195AA E786C73>

市報かすが12月15日号

ごあいさつ


2

MSJ401ӾՈ

ニュース表紙-表4

群 馬 県 矢 木 沢 西 群 馬 新 榛 名 湯 宿 水 上 小 松 箱 島 水 上 箱 島 須 貝 須 貝 藤 原 佐 久 玉 原 水 上 鎌 白 根 上 牧 鎌 上 牧 幡 谷 岩 本 岩 本 群 馬 上 毛 金 井 佐 久 上 越 群 馬 上 群 佐 波 東 群 馬 一 ノ 瀬 東 太 新


10月号.indd


美濃焼

地 区 追 浜 N0 施 設 名 契 約 年 月 日 備 考 21 追 浜 下 水 ポンプ 場 旧 海 軍 天 神 用 地 平 成 7 年 7 月 18 日 22 市 道 敷 ( 第 4,818 号 ) 旧 第 一 海 軍 技 術 廠 昭 和 26 年 3 月 2

36 東 京 私 桜 美 林 大 学 大 学 院 心 理 学 研 究 科 37 東 京 私 大 妻 女 子 大 学 大 学 院 人 間 文 化 研 究 科 38 東 京 私 学 習 院 大 学 大 学 院 人 文 科 学 研 究 科 39 東 京 私 国 際 医 療 福 祉 大 学 大 学 院 医

学 校 対 抗 男 子 学 校 対 抗 6 月 3 日 ( 金 ) 9:00~ 開 始 式 ~ 学 校 対 抗 決 勝 リーグ2 回 戦 まで 6 月 4 日 ( 土 ) 9:00~ 学 校 対 抗 決 勝 リーグ3 回 戦, 個 人 戦 ( 複 ) 決 勝 まで, 個 人 戦 ( 単 )1 回 戦

公 示 価 格 一 覧 の 見 方 1 < 番 号 > 一 連 番 号 2 < 標 準 地 番 号 > 冠 記 番 号 例 示 標 準 地 の 用 途 なし -1-2 住 宅 地 商 業 地 工 業 地 3 < 市 町 名 > 標 準 地 が 属 する 市 町


博士学位請求論文 審査報告書 2015 年 1 月 23 日 審査委員 ( 主査 ) 明治大学文学部専任教授佐々木憲一 ( 副査 ) 明治大学大学院文学研究科特任教授井上和人 ( 副査 ) 京都府立大学文学部専任教授菱田哲郎 1 論文提出者中島正 2 論文題名 ( 邦文題 ) 氏族仏教と国家仏教の相

男 子 敗 者 復 活 戦 湖 南 北 湖 南 北 袋 井 商 農 北 西 5 西 北 西 商 横 須 賀 日 体 南 新 居 池 新 天 竜 小 笠 西 商 市 北 立 5 3 北 市 立 聖 隷

< F8CF6955C81458D D E815B B817A8CF6955C977089C18D488DEC8BC62E786C73>

青 森 5-9 青 森 市 本 町 5 丁 目 4 番 27 本 町 , , 青 森 5-10 青 森 市 本 町 2 丁 目 5 番 3 本 町 , , 青 森 5-11 青 森 市 中 央 1 丁

28 簡便なことがあげられる 炉体を立ち上げる前に深さ 30 cmほどの土坑を掘り その内部で火を焚き 防湿を図ったと考えられるが 掘方の壁の上面が赤変する程度のものが大半である このタイプの炉は Ⅱ 類 Ⅲ 類に切られるものが多く Ⅰ 類からⅡ 類 Ⅲ 類の炉へ大型化が想定される Ⅱ 類の特徴とし


関東中部地方の週間地震概況

< F2D906C8CFB93AE91D48A E F1816A2E6A7464>

統 計 表 1 措 置 入 院 患 者 数 医 療 保 護 入 院 届 出 数, 年 次 別 措 置 入 院 患 者 数 ( 人 ) ( 各 年 ( 度 ) 末 現 在 ) 統 計 表 2 措 置 入 院 患 者 数 ( 人 口 10 万 対 ) ( 各 年 ( 度 ) 末 現 在 ) 主 な 生

高橋公明 明九辺人跡路程全図 神戸市立博物館 という地図がある 1663年に清で出版された地 図で アジア全域 ヨーロッパ さらにはアフリカまで描いている 系譜的には いわゆ る混一系世界図の子孫であることは明らかである 高橋 2010年 この地図では 海の なかに 日本国 と題する短冊形の囲みがあ

す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査

最新レポート Ⅰ 金井東裏遺跡 平成 25 年度の調査 調査統括 友廣哲也 平成 24 年 11 月 渋川市の金井東裏遺跡で 甲を着た古墳人 が発見されました 6 世紀初頭の榛名山二ツ岳噴火に伴う火山灰や火砕流に覆われ その後の6 世紀中頃に起きた二ツ岳の二回目の大噴火で降下した厚さ2mに及ぶ軽石に

大会運営


国立歴史民俗博物館研究報告 第 211 集 2018 年 3 月 ヤマト王権中枢部の有力地域集団 おおやまと 古墳集団の伸張 Powerful Regional Clans Forming the Mainstay of the Yamato Polity: Expansion of Influen

竪穴式石室の研究 - 王権と埋葬施設 - 熊本大学社会文化科学研究科学位論文 山本三郎


gyousyusenntaku.xls

<4D F736F F F696E74202D20819A88CF88F589EF8E518D6C8E9197BF208D912B8CA794C52D90568E968CCC8AEB8CAF89D38F8A2D8E968CCC907D2E B8CDD8AB B83685D>

番号遺跡名遺跡名 2 遺跡数所在地遺跡種別出土遺構時期時期細分材質器種点数 点数未確定分 穿孔方向使用法報告書番号 自然科学分析 岡山 0060 根岸古墳 根岸古墳 7 岡山市 古墳 横穴式石室 後期 6C 末 ~7C ガラス 管玉 6 第 20 図 断面を六角に面取り 岡山 013 岡山 0061

untitled

untitled

教  材  と  し  て  の  文  化  財

<817997BC96CA88F38DFC A835F B C815B83588EC090D1955C5F E786477>

Transcription:

1

ごあいさつ 3 世紀後半頃に奈良盆地に突然出現した 山と見まがうほどの巨大な墓 それが 古墳 です 古墳の築造は やがて青森から鹿児島まで広がり その後 7 世紀頃まで続きました この約 400 年間こそが 古墳時代 です 古墳時代は 列島の各地でムラが集まりクニが誕生した弥生時代と 律令国家が完成した奈良時代をつなぐ まさに 目次プロローグ 1 Ⅰヤマトとのつながり 前期 2 前方後円墳出現配られた鏡 三角縁神獣鏡 古墳出現以前のひろしま出土品をみる よみがえる古墳人 Ⅱ 安芸のまとまり 中期 7 巨大になる古墳武人の眠る古墳出土品をみる Ⅲ 国家の時代へ 後期 11 群集する古墳出土品をみる 須恵器工房消えゆく古墳古墳から寺へ安芸国誕生 15 日本の国の基礎が徐々にでき上がった時代でした そして あきのくに私達の郷土ひろしまのルーツともいうべき 安芸国 がその姿を現したのも この時代だったと考えられています 広島市教育委員会 ( 財 ) 広島市文化財団では これまで広島市内の数多くの古墳を発掘調査してまいりました 今回の文化財展では これらの発掘調査で得られた出土品や情報を中心に さらにこれまで広島市域で発見された古墳時代の品々を展示し ひろしまの古墳時代と 安芸国 の成立に迫ります 日頃お目にかける機会の少ない発掘調査の成果をご覧いただき 市民の皆様が郷土の歴史に対する理解を深めるお役にたてれば幸いです このたびの文化財展を開催するにあたり ご協力いただきました関係諸機関 関係者の皆様に心からお礼申し上げます 平成 12 年 11 月 広島市教育委員会 ( 財 ) 広島市文化財団

1 プロローグ Prologue 3 世紀後半 ヤマトの地 ( 現在の奈良盆地南東部 ) で 全長 280 m におよぶ巨大な墳丘を持つ最初の古墳 = 箸はしはか墓古墳が現れました 上空から見ると かぎ穴の形 ( 前方後円形 ) をした墳丘を持つこの古墳の出現により 古墳時代が始まります 弥生時代 前期 終末期 後期 中期 飛鳥時代 700 50 00 550 500 450 400 350 300 250 200 古墳時代 445 70 239 527 538 421 443 438 42 478 372 2 593 588 03 701 8 710 391 04 94 奈良 時代 時代区分 年代 西 出 事 全国の主な古墳 ひろしまの主な古墳 展示 コ ナ 7 世紀 世紀 5 世紀 4 世紀 3 世紀 平城京へ 都 大宝律令制定 藤原京へ 都 年 日本最初の戸 の作成はじまる 近 令制定 日本最初の令 大化の薄葬令 大化の改新 十 条の 法が制定される 位十二階の制定 聖徳太子 摂政に く 法 寺 飛鳥寺 の建立が開始される 記録上の仏教伝 年 年 もあり の国造 井の こる 倭王武 に朝貢を行う 倭王 に朝貢を行う 倭王 に朝貢を行う 倭王珍 に朝貢を行う 倭王 に朝貢を行う の要 で朝鮮半島に出兵 高 との いがはじまる 王 倭王に 支刀を る 馬台国の女王 西 に使いを る 馬台国の女王 弥呼 に使いを り 金 銅鏡 1 等を かる 高松塚古墳 奈良県 大内陵 天武 持統天皇 合葬陵 奈良県 石 台古墳 奈良県 見瀬丸山古墳 明陵か 奈良県 藤ノ木古墳 奈良県 岩戸山古墳 井の墓か 福岡県 今城塚古墳 大阪府 田船山古墳 本県 玉 荷山古墳 玉県 大山古墳 伝仁徳陵 大阪府 作山古墳 岡山県 誉田御廟山古墳 伝応神陵 大阪府 造山古墳 岡山県 森 軍塚古墳 長野県 谷向山古墳 伝 行陵 奈良県 行 山古墳 伝 神陵 奈良県 黒塚古墳 奈良県 椿井大塚山古墳 京都府 箸墓古墳 奈良県 可部古墳群 安佐北区 和田古墳 佐伯区 梅木平古墳 本郷町 草原古墳群 佐伯区 御年代古墳 本郷町 塔の岡第 1 安佐北区 新宮古墳 安芸区 空長第 1 安佐南区 西尾古墳 安芸区 三王原古墳 安佐南区 池の内第 安佐南区 城ノ下第 1 佐伯区 寺山第 安佐南区 中小田第 安佐北区 三ツ城第 1 東広島市 長尾第 1 東区 倉重向山古墳 佐伯区 中小田第 1 安佐北区 神宮山第 1 安佐南区 弘住第 安佐北区 弘住第 1 安佐北区 成岡第 安芸区 宇那木山第 安佐南区 安芸国誕生 Ⅲ 国家の時代へ Ⅱ 安芸のまとまり Ⅰ ヤマトとのつながり 関連年表と各コーナーの年代箸墓古墳 ( 奈良県桜井市教育委員会 )

6 4 3 主な前方後円墳 q 弘住第 1 w 中小田第 1 e 長尾第 1 r 宇那木山第 2 t 神宮山第 1 y 倉重向山古墳 5 1 2 ヤマトとのつながり 前期ぜんぽうこうえんふん前方後円墳出現 中小田古墳群 ( 手前尾根 ) から広島湾をのぞむ ( 写真 : 井手三千男氏提供 )Ⅰなかおだ古墳時代前期 ひろしまにおける最古級の前方後円墳である中小田第 1 たてあなしきせきしつが造られました 竪穴式石室を持ち ヤマトとのつながりを示すさんかくぶちしんじゅうきょうしゃりんせき三角縁神獣鏡や車輪石といった品が副葬されたこの古墳には 当時のひろしまをまとめていた首長が葬られたのでしょう 古墳時代前期のひろしまでは中小田第 1 以外にも 首長が葬られたうなぎやまじんぐうやまと考えられる宇那木山第 2 神宮山第 1 の 2 基の前方後円墳が 造られています これら 3 基の前方後円墳のいずれもが 現在よりも内陸にあったと考えられる太田川河口付近の丘陵上に位置していることから 葬られた人物は水運による交易に関わり大きな力を持っていた首長ともいわれています 2

配られた鏡 三角縁神獣鏡 ふち中小田第 1 で見つかった三角縁神獣鏡とは縁の断面が三角形で 裏面に神や獣 だ いの像の模様を鋳出した銅製の鏡のことです 三角縁神獣鏡は 前期の古墳の副葬品とし つばいおおつかやまて見つかる例が多く 中でも京都府椿井大塚山古墳や奈良県黒塚古墳などで大量に出 どうはんきょう土しています この鏡には同じ鋳型から作られた いわば 兄弟 の鏡 ( 同笵鏡 ) があ ることがわかっています この兄弟鏡の分布を調べると その中心に近畿地方がある ことがわかりました このことから 三角縁神獣鏡は各地方の首長に連合政権に参加 したあかしとして配られた品だと考えられています 中小田第 1 で出土した三 角縁神獣鏡も 椿井大塚山古墳や黒塚古墳の出土鏡などと 兄弟 鏡であることがわかっ ています 椿井大塚山古墳 黒塚古墳出土鏡と兄弟の鏡を持つ古墳等の分布地図 くろつか まんねんやま万年山古墳 ( 大阪府東京大学総合研究博物館 ) にしもとめづか西求女塚古墳 ( 兵庫県神戸市教育委員会 ) 中小田第 1 ( 安佐北区広島大学文学部考古学研究室 ) 椿井大塚山古墳 ( 京都府 ) 黒塚古墳 ( 奈良県奈良県立橿原考古学研究所 ) いしづかやま石塚山古墳 ( 福岡県苅田町教育委員会 ) 椿井大塚山古墳出土鏡と兄弟鏡を持つ古墳等 黒塚古墳出土鏡と兄弟鏡を持つ古墳等 椿井大塚山古墳 黒塚古墳出土鏡と兄弟鏡を持つ古墳等 中小田第 1 出土鏡と兄弟鏡を持つ古墳 いしくしろ車輪石や石釧を含む石製の腕飾りも 近畿地方の古墳から多く出土していることから 近畿地方から地方に配られたものと考えられています りょくしょくぎょうかいがん車輪石とは 古墳時代前期に作られた緑色凝灰岩けいばんがんや珪板岩製の腕輪です 弥生時代のカサガイ製の腕輪を元に作られたものですが 実用品としてではなく マツリゴトに使われていたと考えられています 車輪石 ( 安佐北区中小田第 1 ) 3

前期の古墳の代表的な埋葬施設が 竪穴式石室です 墳丘上に穴を掘り 粘土で床を造り 遺体を収めた木棺を 据え その周りに石を積み上げ 天井 おおを覆う構造になっていました 木棺は わりたけがたもっかん割竹形木棺と呼ばれる丸太を縦に半分 に割って中をくり抜いたものが用いら れ 人の身長よりはるかに長い木棺の 痕跡も数多く見つかっています その ため長さが 8m 以上に達する石室も造られています 竪穴式石室 ( 安佐北区中小田第 1 ) 竪穴式石室と割竹形木棺 しもいけやま ( 奈良県下池山古墳奈良県立橿原考古学研究所 ) 古墳出現以前のひろしま 古墳が登場する前 弥生時代におけるひろしまの遺跡で発見された墓には 墓穴の中に直接遺体を葬るもはこがたせっかんの 木棺を据えるもの 箱形石棺を造るものなどの種類がありました これらの墓は 同じ尾根の上に分けへだてなく造られていました それが弥生時代後期後半になると 同じ尾根の上でも ある集団の墓だけは特別な区画の中に造られたものが出てきます この変化は 階層差がなかった集団の中に 次第に一握りの有力者層が現れてきたことを示していると考えられています さらに時代が下ると ひとつの尾根を特定の人物だけを葬るための墓域とし 墳丘を築いた墓が現れます 弥生時代の一般集団墓 ひらお ( 佐伯区平尾遺跡 ) 4 弥生時代の有力集団墓 なしがたに ( 安佐北区梨ケ谷遺跡 )

内行花文鏡片 出土品をみる( 安佐南区神宮山第 1 広島大学文学部考古学研究室 ) 古墳時代前期の古墳の副葬品は 鏡まがたまや勾玉などの玉類といったマツリゴトに関わるものが多い傾向にあります このことから この時期の首長は儀式をとりおこなう役目も担っていたと考えられています 太田川西岸にある前方後円墳 宇那木山第 2 と神宮山第 1 そこから出土した がもんたいしんじゅうきょう画 ないこうかもんきょう 文帯神獣鏡と内行花文鏡片はいずれも古い形 式の鏡で 中小田第 1 と同じくひろしま で最古級の古墳と考えられています 内向きに弧文が連ねられた文様をもつ鏡です この鏡の破片には 2 つの穴があけられており ペンダントとして再使用されたようです 画文帯神獣鏡 ( 安佐南区宇那木山第 2 広島大学文学部考古学研究室 ) 鏡の内側には神獣像を配置し 外側には円周に沿って獣や 雲などを含む帯状の文様を巡らせた鏡です 三角縁神獣鏡より 時期的に少し前の鏡であると考えられています 石釧 だいみょうぢ ( 安佐北区大明地第 1 広島県教育委員会 ) ( 写真 :( 財 ) 広島県埋蔵文化財調査センター提供 ) せいしじゅうけいきょうぼう製 よしがたに四獣形鏡 ( 安佐南区芳カ谷第 1 ) この鏡は中国鏡を真似て作った国産の鏡です 鉄鏃形鉄製品 こうずみ ( 安佐北区弘住第 3 ) この鉄器は実用品ではなくマツリ ゴトに使われたと考えられています 玉類 ( 安佐南区芳ヵ谷第 1 ) 5

よみがえる古墳人 平成 11 年度に発掘調査を行った安芸区 なかのひがし中 なりおか 野東の成岡第 2 の石棺には 非常 に保存状態の良い人骨が残っていました 石 すきま棺の石の隙間が粘土でしっかりとふさがれ 土や水が流れ込まなかったからです この人骨は 身長 161.5cm がっしりした体格の老年 (60 才以上 ) 男性のもので せいかん顔の幅が広く 精悍な顔つきをしていたようです また すねの骨が太くしっかりしていることから ひんぱんに船に乗っていた人物である可能性も考えられています 広島湾周辺において 漁業や水運を生活の基盤としていた集団のリーダーだったのでしょうか? このたび この骨を元に埋葬された人物の顔を復元しました 髪形は はっきりわからないため 人物埴輪などから当時の有力者の髪形と考えられる みずら という髪形で復元しました 古墳人の復元イラスト ( 安芸区成岡第 2 ) 専門家が骨の様々な部分を計測し 人類学的な特徴から復元を行いました じゅんこうぞうせん準 構造船模型 きゅうほうじ ( 大阪府久宝寺遺跡 ( 財 ) 大阪府文化財調査研究センター ) 人骨の出土状況 ( 安芸区成岡第 2 ) じゅじゅつ頭骨には呪 がんりょう 術的な思いの込められた赤色顔料が残っていました 成岡 A 地点遺跡より瀬野川を望む

6 4 3 5 7 この時期の主な古墳 q 三ツ城第 1 w 中小田第 2 e 三王原古墳 r 空長第 1 t 池の内第 2 y 城ノ下第 1 u 西尾古墳 2 安芸のまとまり 中期1 みつじょう 三ツ城古墳群 ( 東広島市東広島市教育委員会 )Ⅱ巨大になる古墳 5 世紀になると 西条盆地 ( 東広島市 ) に巨大な前方後円墳である三ツ城第 1 が出現します この古墳は古墳時代を通して安芸地域 ( 現在の広島県西部 ) で最大の大きさを誇っています この時期の安芸の各地では その土地を治める中小の首長たちが盛んに古墳を造りました 三ツ城第 1 の被葬者こそ これらの中小首長たちをたばねる人物であり 彼を中心に安芸地域は政治的にまとまり 後あきのくにの 安芸国 の原型を形作ったと考えられています また 三ツ城第 1 の被葬者は 畿内の政権から安芸地域をまとめることを認められたあきのくにのみやつこ 安芸国造 ともいわれています 7

5 世紀は巨大古墳の時代とまでいわれ 一部の有力者はその地域ごとに巨大な古墳を造りました こうした動きは全国各地でみられることから 首長はより大きな前方後円墳を造ることで他の地域に自らの権力を示したのでしょう だいせん大山古墳 ( 堺市広聴広報課 ) 畿内では 大山古墳 ( 伝 にんとく仁 こんだごびょうやま 徳陵 ) 誉田御廟山古墳 おうじん ( 伝応神陵 ) にみられるよ うに 全長 400 m を超え るものまで造られました 復元形象埴輪列 ( 東広島市三ツ城第 1 東広島市教育委員会 ) 三ツ城第 1 ( 東広島市東広島市教育委員会 ) 造出から出土した器台 ( 東広島市三ツ城第 1 東広島市教育委員会 ) 三ツ城第 1 は全長約 92m の前方後円墳です 3 段に築かれた墳丘の各段には円筒埴輪 が 墳丘の上には鶏や馬 胄などの形象埴輪がたてられ 全体では約 1850 本もの埴輪が使わ さいだんれています 墳丘の横には祭壇と考えられる方形の区画 ( 造出 ) があり 後円部の墳頂には箱 形石棺の周りをさらに石で囲った特殊な埋葬施設 2 基と箱形石棺 1 基が造られていました つくりだし 埴輪とは? 埴輪は古墳に立ち並べられた焼き物です ひろしまでも安佐南区 いけうちの内 池 第 2 や安芸区狐 きつねじょうが城 古墳など数か所の古墳で円筒埴輪や朝顔形埴輪 家形埴輪などが出土しています 市内出土の埴輪 ( 安佐南区池の内第 2 広島大学文学部考古学研究 円筒埴輪の破片 ( 安芸区狐が城古墳 ) 8

武人の眠る古墳 三ツ城第 1 などの大きな古墳が造られ た中期は 前方後円墳をシンボルとしたヤマト を中心とする連合が列島の内外で最も活発に勢 力の拡大を図った時代で 倭国 が国内を武力 で統一していった様子や中国に朝貢したことな どが中国の歴史書などに記されています いっ じょうのしたぽうひろしまでは この頃の古墳として城ノ下 第 1 や中小田第 2 など 墳丘の規 たんこう模は小さいながらも 短甲 鉄剣 鉄鏃などの豊 富な武器具類が副葬された古墳が何ケ所も見つ かっています これらの古墳の被葬者は 三ツ 城第 1 の被葬者のもとで 武人として前 線に立ち活動した小地域を治める首長かもしれ ません 城ノ下第 1 主体部 ( 佐伯区 ) ほこ城ノ下第 1 からは 横矧板鋲留短甲 鉾 剣 刀 83 点もの鏃など様々な鉄製武器具をはじめ 刀子 斧 やりがんな 鎌などの鉄製農工具が出土しています また 玉類 金銅製の髪飾りなどの装飾品も出土しています そかんとうたち復元された素 環頭大刀 さや ( 上 : 実物中 : 復元刀身下 : 鞘付復元品広島県立歴史民俗資料館 ) じぞうどうやま安佐北区地蔵堂山第 1 の出土大刀をもとに現在の刀鍛冶が復元しました よこはぎいたびょうどめしょうかくつきかぶと横矧板鋲留衝角付冑 ( 安佐北区中小田第 2 広島大学文学部考古学研究室 ) 短甲とは古墳時代の代表的な よろい の一種です ひろしまの古墳から出土した短甲は いずれも鋲留短甲でした この鋲留技法は朝鮮半島から伝わった先端たんぞうの技術で 厳密な設計図と高い鍛造技術が必要となります 鋲留短甲は畿内の工人集団が製作し 地方に配付されたもので 受領した人物は畿内政権の軍事的組織の一翼を担った人物ではないかと考えられています よこはぎいたびょうどめたんこう横矧板鋲留短甲 ( 佐伯区城ノ下第 1 ) 復元された短甲 甲冑出土状況 ( 大阪府野中古墳北野耕平氏 ) 9

をみ土品古墳時代中期の古墳の副葬品は 前期の鏡や玉類などマツリゴトに関わるものから 多数の鉄製武器などの軍事に係わるものが中心になっていきます 出る蛇行剣身とは剣身が緩やかにまがっ だこうけんしん 蛇行剣身 ( 右上 ) と鉄剣 ( 左下 ) そらなが ( 安佐南区空長第 1 ) た剣身で全国的にも類例が少なく 呪術的な機能を付加された武器ではないかと考えられます 鉄製農工具類 ( 安佐南区寺山第 3 ) この時期のひろしまの古墳は 鉄製武器具類の他にた くさんの鉄製農工具も出土しています 寺山第 3 すきからは刀や鏃などの鉄製武器類のほか 鎌 斧 鋤先な どの鉄製農工具が出土しています [ [ ちょうつがいめっきがされた短甲の蝶番金具 にしお ( 安芸区西尾古墳広島市矢野公民館 ) 西尾古墳からは短甲の蝶番の部分が 出土しました 蝶番の留め金具は金銅 で作られており 金めっきが施されて いたと考えられています ごんち鉄鏃 ( 安佐南区権地古墳 ) 金銅製髪飾り ( 左 ) と復元品 ( 右 ) ( 佐伯区城ノ下第 1 ) 城ノ下第 1 からは国内では例のな い金銅製の髪飾りも出土しています この出 土品も 被葬者と畿内政権との強い結びつきを物語っています 10

2 3 国家の時代後期へ この時期の古墳 1 群集墳 いちすが ( 大阪府一須賀古墳群大阪府立近つ飛鳥博物館 ) あお )Ⅲ青第 3 石室内より ( 安佐北区 5 q 塔の岡古墳群 w 給人原古墳群 e 青古墳群 r 新宮古墳 t 和田古墳 4 群集する古墳 よこあなしきせきしつ 6 世紀になると 安佐北区可部町や白木町の山中に 横穴式石室を埋葬施設にもつ小型の古墳が集中して多数造られるようになります このような小ぐんしゅうふん型の古墳の集まりを群集墳といい 全国各地で 6 世紀から 7 世紀にかけて造られていきます 5 世紀までの古墳はごく一部の人たちのものでした この時期に古墳が増加したのは より広い階層の人々にも古墳を造ることが認められたためであり 畿内の政権の影響が地方の末端まで浸透したことを示しているとも考えられています 11

をみる横穴式石室は大陸から伝わってきた新しい げんしつ埋葬方法で 遺体を安置する部屋 ( 玄室 ) と せんどう外部と玄室を結ぶ通路 ( 羨道 ) で構成されます 6 世紀に入ると この埋葬方法は急速に広ま り ひろしまでも造られるようになります それまでの竪穴式石室と違い 横穴式石室 には入り口があり 同じ石室に何回も埋葬したことがわかります 横穴式石室の普及によって 古墳は一人のための墓から 家族のための墓へと変化し 政治的象徴としての役割が薄れていきます とうおかの岡 塔 第 1 ( 安佐北区 ) 土品しんぐう新宮古墳 ( 安芸区 ) 青第 3 ( 安佐北区 ) 古墳時代後期の古墳の副葬品は 実用品やきらびやかな装飾品など 故人が生前に用いていた品々が納められるようになります 出金環 きゅうじんばら ( 安佐北区給人原古墳群広島県立可部高等学校 ) ( 写真 : 井手三千男氏提供 ) 銀環 ( 安佐北区塔の岡第 1 ) じかん耳環には金環や銀環 銅環などがあります 塔の岡第 1 から出土した耳環は いずれも青銅の芯に銀を貼りつけた銀環です 首飾り ( 安芸区新宮古墳 ) 12

とってつきつぼ韓国出土の把手付壷 ( 天理大学附属天理参考館 ) 5 世紀以降の古墳からは青灰色の土器 = すえき須恵器が出土します 須恵器の技術は 朝鮮半島から伝わり すえむら最初の須恵器は大阪府南部にあった陶邑な どで独占的に造られ 畿内政権によって流 通を管理されていたと考えられています そのため 須恵器の分布は 群集墳ととも に地方が畿内政権の影響下にあるかどうか の目安の一つとなるのです とってきゃくつきたんけいつぼ市内出土の把手脚付短頸壷 ( 安佐南区池の内第 3 ) 様々な形の須恵器 ( 安佐北区塔の岡第 1 ) とりつきこもちそうしょくつぼ鳥 付子持装飾壷 いしづか ( 千代田町石塚第 2 広島県立歴史民俗資料館 ) 須恵器工房 須恵器がそれまでの焼き物の作り方と比べて進歩し あながまた点は 穴窯を使用して焼いた点です 穴窯は ゆるやかな斜面をトンネル状に掘り込んで 築きました 窯を使うため 熱を逃がさず 1200 度の た高温に達します そして最終段階で 焚き口を閉じ 酸素の供給を不十分にして燃やすことで 頑丈で割れ もにくく 水漏れが少ない土器ができ上がります また せいかいしょくこの時 酸素がなくなり還元されるため 青灰色に仕 上がります 広島市内では 古墳時代の窯跡は今のところ見つ まつがさこかっていませんが 県内では 三次市の松ケ迫遺跡群 を始め 窯跡がいくつか発見されています 窯跡 ( 三次市松ケ迫 D 地点遺跡第 2 号窯広島県立歴史民俗資料館 ) 13

消えゆく古墳 しょうとくたいし 593 年 推古天皇の摂政として登場した聖徳太子 によって 中国の制度を手本とした天皇中心の国家体制が徐々に整え始められます この動きは 645 年 なかのおおえのおうじ中大兄皇子らによって断行された大化の改新によって さらに急速に押し進められていきます その一はくそうれい貫として発布されたのが 大化の薄葬令です 古墳の築造を制限することで 天皇の権威をさらに高めることを目的としたこの法律が施行された結果 古墳は次第に築造されなくなります 古墳の築造は その誕生から消滅まで 国づくりの様子を語ってくれるのです みとしろ御年代古墳石室 ( 本郷町本郷町教育委員会 ) 7 世紀の安芸地域の東部 ( 現在の豊田郡本郷町 ) では 石棺の 石材などから 畿内の大豪族との関連が指摘される全国的にも珍 みとしろしい古墳が造られました 御年代古墳は その代表的な古墳で 玄室が前後二つの部屋に分かれており 切石を用いて石室 石棺 を築いています 高松塚古墳壁画 ( 奈良国立文化財研究所飛鳥資料館 ) 古墳が終りをつげようとする 7 世紀末の古墳 で 壁面には四神という想像上の動物や人物が描 かれています 古墳から寺へ 6 世紀に大陸から伝わった仏教は 次第に人々の信仰を集めていきます 7 世紀後半になると 畿内では古墳に代わって寺院建築が大変盛んになり やがて地方にも波及していきました 横見廃寺 ( 本郷町 ( 財 ) 広島県埋蔵文化財調査センター ) 寺院の瓦 ( 本郷町横見廃寺広島県教育委員会 ) ( 写真 :( 財 ) 広島県埋蔵文化財調査センター提供 ) 梅木平古墳 ( 本郷町本郷町教育委員会 ) よこみはいじ現在の豊田郡本郷町で発見された横見廃寺は 安芸国では最も古 ばいきひらく 7 世紀後半に造られ 7 世紀初頭に造られた梅木平古墳の近くに うじでら位置することから この古墳に葬られた有力者の子孫が建てた氏寺 と考えられています 広島市内では 7 世紀の寺院跡は見つかってい こうけんじませんが 8 世紀 ( 奈良時代 ) のものとしては 安佐南区光見寺跡 などが見つかっています 寺院の瓦 ( 安佐南区光見寺跡立専寺 ) 14

役所への納め物に付けられた荷札 しもおかだ ( 府中町下岡田遺跡府中町教育委員会 ) 安芸国誕役所の瓦 なかがいち ( 佐伯区中垣内遺跡 ) 生藤原京模型 ( 奈良国立文化財研究所飛鳥資料館 ) 役人のベルト飾りごんち ( 安佐南区権地古墓 ) 役人の帯に付けられた飾りで 材質と大きさから 7 位以上の官位をもつ役人のものと考えられます 15 8 世紀に入り 大宝律令の施行により天皇を中心とした中央集権的りつりょうな政治支配の体制 ( 律令体制 ) が確立し 約 400 年間続いた古墳時代は終わりをつげます ひろしまも 律令体制下に組み込まれ 安芸国が誕生しました

16 借用展示資料リスト短冊形鉄斧中小田第 1 1 広島大学文学部考古学研究室三角縁神獣鏡中小田第 1 1 広島大学文学部考古学研究室三角縁神獣鏡椿井大塚山古墳 1 複製山城町教育委員会 展示資料 遺跡名 数量 備考 借用先 プロローグ円筒埴輪 池の内第 2 5 広島大学文学部考古学研究室 朝顔形埴輪 池の内第 2 2 広島大学文学部考古学研究室 復元円筒埴輪 三ツ城第 1 5 復元 東広島市教育委員会 復元朝顔形埴輪 三ツ城第 1 2 復元 東広島市教育委員会 Ⅰ. ヤマトとのつながり 前期 斜縁獣帯鏡 中小田第 1 1 広島大学文学部考古学研究室 管玉 中小田第 1 4 広島大学文学部考古学研究室 有袋鉄斧 中小田第 1 1 広島大学文学部考古学研究室 三角縁神獣鏡 1 復元 大阪府立近つ飛鳥博物館 環状乳画文帯神獣鏡 宇那木山第 2 1 広島大学文学部考古学研究室 内行花文鏡片 神宮山第 1 1 広島大学文学部考古学研究室 玉類 ( 勾玉 管玉 ガラス小玉 算盤玉 ) 神宮山第 1 広島大学文学部考古学研究室 鉄斧 神宮山第 1 1 広島大学文学部考古学研究室 石釧 大明地第 1 1 広島県教育委員会 鉄製品 西願寺山墳墓群 (D 地点 ) 5 広島県立歴史民俗資料館 準構造船 久宝寺遺跡 1 複製 ( 財 ) 大阪府文化財調査研究センター 準構造船 1 模型 広島市交通科学館 Ⅱ. 安芸のまとまり 中期 円筒埴輪 三ツ城第 1 1 東広島市教育委員会 朝顔形埴輪 三ツ城第 1 1 東広島市教育委員会 紡錘車 三ツ城第 1 1 東広島市教育委員会 鉄鎌 三ツ城第 1 1 東広島市教育委員会 やりがんな 三ツ城第 1 1 東広島市教育委員会 器台 三ツ城第 1 1 広島大学文学部考古学研究室 首飾り ( 勾玉 管玉 ) 三ツ城第 1 1 広島大学文学部考古学研究室 珠文鏡 三ツ城第 1 1 広島大学文学部考古学研究室 円筒埴輪片 西尾古墳 1 広島市矢野公民館 円筒埴輪 池の内第 2 1 広島大学文学部考古学研究室 冑形埴輪 三ツ城第 1 1 東広島市教育委員会 復元短甲 1 復元 高石市教育委員会 復元冑 1 復元 高石市教育委員会 横矧板鋲留短甲片 西尾古墳 1 広島市矢野公民館 素環頭太刀 地蔵堂山第 1 1 広島県立歴史民俗資料館 素環頭太刀 地蔵堂山第 1 2 復元 広島県立歴史民俗資料館 横矧板鋲留衝角付冑 中小田第 2 1 広島大学文学部考古学研究室 鉄鏃 中小田第 2 1 広島大学文学部考古学研究室 素文鏡 中小田第 2 1 広島大学文学部考古学研究室 鉄剣 上小田古墳 2 広島大学文学部考古学研究室 鉄刀 上小田古墳 1 広島大学文学部考古学研究室 鉄鎌 上小田古墳 1 広島大学文学部考古学研究室 鉄斧 上小田古墳 1 広島大学文学部考古学研究室 硬玉勾玉 中小田第 9 4 広島大学文学部考古学研究室 碧玉管玉 中小田第 9 2 広島大学文学部考古学研究室 ガラス小玉 中小田第 9 18 広島大学文学部考古学研究室 鉄鎌 恵下 1 1 広島県教育委員会 鉄鎌 恵下 2 1 広島県教育委員会 勾玉 恵下 1 5 広島県立歴史民俗資料館 管玉 恵下 1 2 広島県立歴史民俗資料館 鉄釧 恵下 1 1 広島県教育委員会 子持勾玉 大久保古墳 1 広島県教育委員会 珠文鏡 大久保古墳 1 広島県教育委員会 内行花文鏡 丸子古墳 1 木村清三氏 四獣形鏡 三王原古墳 1 立専寺

展示資料遺跡名数量備考借用先 Ⅲ. 国家の時代へ 後期 陶質土器 白木町 4 鳴戸快三氏 初期須恵器 杯蓋 大庭寺遺跡 1 ( 財 ) 大阪府文化財調査研究センター 初期須恵器 高杯 蓋 大庭寺遺跡 1 ( 財 ) 大阪府文化財調査研究センター 初期須恵器 器台 大庭寺遺跡 1 ( 財 ) 大阪府文化財調査研究センター 初期須恵器 把手付壺 大庭寺遺跡 1 ( 財 ) 大阪府文化財調査研究センター 初期須恵器 はそう 大庭寺遺跡 1 ( 財 ) 大阪府文化財調査研究センター 初期須恵器 壺 大明地第 3 1 広島県立歴史民俗資料館 金環 給人原古墳群 1 広島県立可部高等学校 各種須恵器 給人原古墳群 広島県立可部高等学校 勾玉 上ケ原 C 古墳群 1 広島県立可部高等学校 各種須恵器 上ケ原 C 古墳群 2 広島県立可部高等学校 提瓶 原迫第 1 1 広島県立可部高等学校 各種須恵器 上ケ原 D 古墳群 8 広島城 玉類 ( ガラス小玉 切子玉 ) 上ケ原 D 古墳群 広島城 穴窯 松 迫 D 地点遺跡第 1 号窯 1 模型 広島県立歴史民俗資料館 須恵器の当て具 2 ( 財 ) 大阪府文化財調査研究センター 棄てられた須恵器 4 ( 財 ) 大阪府文化財調査研究センター 杯蓋 月見城遺跡 2 広島県教育委員会 杯身 月見城遺跡 1 広島県教育委員会 はそう 諸木古墳 1 広島県立歴史民俗資料館 杯蓋 真亀第 3 2 広島県立歴史民俗資料館 杯身 真亀第 3 2 広島県立歴史民俗資料館 坩蓋 真亀第 3 1 広島県立歴史民俗資料館 横瓶 真亀第 3 1 広島県立歴史民俗資料館 装飾須恵器 吉舎町 1 広島大学文学部考古学研究室 台付環状瓶 福富町 1 広島大学文学部考古学研究室 鳥形須恵器 下房後第 2 1 広島大学文学部考古学研究室 鳥付子持装飾壺 石塚第 2 1 広島県立歴史民俗資料館 亀形須恵器 一ツ町古墳 1 複製 広島県立歴史民俗資料館 横口式石郭模型 松井塚古墳 1 模型 大阪府立近つ飛鳥博物館 丸瓦 飛鳥寺 1 奈良国立文化財研究所飛鳥資料館 先瓦 飛鳥寺 1 奈良国立文化財研究所飛鳥資料館 横穴式石室模型 御年代古墳 1 模型 広島県立歴史博物館 寺院の瓦 横見廃寺 2 広島県教育委員会 丸瓦 光見寺跡 1 立専寺 平瓦 光見寺跡 1 立専寺 安芸国誕生 役所の瓦 下岡田遺跡 1 府中町教育委員会 木簡 下岡田遺跡 1 複製 府中町教育委員会 展示協力者一覧 ( 五十音順 敬称略 ) 機関名大阪大学工学部笹田研究室 大阪府立近つ飛鳥博物館 苅田町教育委員会 宮内庁書陵部 神戸市教育委員会 ( 財 ) 大阪市文化財協 会 ( 財 ) 大阪府文化財調査研究センター ( 財 ) 広島県埋蔵文化財調査センター 堺市広聴広報課 桜井市教育委員会 世羅町教育委 員会 高石市教育委員会天理大学附属天理参考館土井ケ浜遺跡 人類学ミュージアム東京大学総合研究博物館 奈良県立橿原考古学研究所奈良県立橿原考古学研究所附属博物館奈良県立教育研究所奈良国立文化財研究所飛鳥資料館 東広島市教育委員会 広島県教育委員会 広島県立可部高等学校 広島県立歴史博物館 広島県立歴史民俗資料館 広島市交通科学館 広島市青少年野外活動センター 広島市矢野公民館 広島城 広島市立大学芸術学部デザイン工学科 広島大学文学部考古学研究室 府中町教育委員会本郷町教育委員会美原町教育委員会山城町教育委員会立専寺 阿部由貴子有田貴史安間拓巳池本のり子泉谷博幸井手三千男伊藤典子伊藤実 個人名岩本圭輔金織秀夫神谷正弘上林史郎北野耕平木村清三草場智子三枝健二坂口浩司佐々木慶造佐藤利秀篠原達也下広怜子杉島洋田上敏文武田公紀中島正長嶺正秀永見文人鳴戸快三橋本達也橋本輝彦橋本宏明藤岡孝司古瀬清秀包丁道明松下孝幸松林亮丸山祐介南昌伸村上年生村上宣昭森井玲子山口英正横谷貴若山裕昭 1 本書は 平成 12 年 11 月 18 日から 12 月 2 日までアステールプラザ 1 階市民ギャラリーにて開催する第 23 回文化財展の図録です くのぎ 2 展示及び図録の執筆は プロローグ 第 1 章は田村規充が 第 2 章は桾木敬太が 第 3 章 安芸国誕生は玉置和弘が担当しました なお 図録は桾木が編集しました 3 図録掲載の図版は展示品のすべてではありません 4 展示および図録の作成にあたっては 多くの機関および個人の方々からご教示 ご協力いただきました ご芳名を記し 厚くお礼を申しあげます 17