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一はじめに太宰治 パンドラの匣 ( 河北新報 昭二〇 一〇 二二~二一 (1) 一 七)は 太宰ファンの木村庄助の日誌をもとに書かれた長(2) 編小説である 元々昭和一八年の秋に 雲雀の声 として書き下ろされていたが 出版間際に空襲を受けて原稿が焼失した為 校正刷をもとに戦後書き直し パンドラの匣 と改題した 太宰にとって戦後第一作目の初の新聞連載で 昭和二一年六月に河北新報社から初刊本が出版された この小説は 結核療(3) 養所 健康道場 で療養中の主人公ひばり(本名 小柴利助)が親友に宛てた手紙の形式を取っている 終戦の日 ひばりは 余計者 意識から脱し 健康道場で 軽快 に生きる 新しい男 になろうとして 療養所の生活ぶりや出来事を友人に書き送る 敗戦直後にしては向日的で明るい小説だが それはひばりが求める かるみ の心境と関係する この小説のモチーフは かるみ の希求にあるが 戦中から戦後にかけて書き換えられた為 物語前半と後半とでは構想上の変化も見られる かるみ の主張自体 天皇という超(4) 太宰治 パンドラの匣 論 かるみ の希求とその思想的背景 河田和子KAWADA K a z u k o 越的存在を媒介とする自己放棄 判断停止によってもたらされたもの という見方(東郷克美 太宰治のキーワード かるみ ユートピア 国文学 平三 四)や 作品の底の浅さに直結している (堀越和夫 パンドラの匣 東郷克美 渡部芳紀編 作品論太宰治 双文社出版 昭五一 九)という批判的見方がある また 物語後半で戦後の社会的風潮に対する思想的発言や便乗思想批判がなされるのは 一種奇妙な印象をもたら し(饗庭孝男 太宰治論 講談社 昭五一 一二) かるみ のモチーフにそぐわないという指摘もある こうした評価の論点は ひばりの希求する かるみ がどういうものか それは越後獅子=詩人 大月花宵(本名 大月松右衛門)とどう関わるのかという問題と繋がっている 特に着目したいのは ひばり自身 芸術と民衆との関係を考えており 思想的発言をしていた越後獅子も 巷間無名の民衆 の一人として見ていたことである ひばりは 越後獅子が オルレアンの少女 の作者 大月花宵だと知って かるみ の心境を表す詩を切望するのだが そこにどういう意味があったのか かるみ のモチーフと越後獅子の思想的発言との関わりを見ていくにあたり そうした点も考えていく必要がある 本稿では この小説の思想的背景 敗戦期の思潮も視野に入れながら ひばりの希求する かるみ と越後獅子の思想的発言との繋がりを考察し そこに底流する芸術と民衆の問題について検討する そこから敗戦期の太宰の思考 芸術意識がどういうものだったのかについても検証したい

二 かるみ のモチーフまず ひばりが希求する かるみ がどういうものなのかを見ておく必要がある かるみ という言葉が実際に出てくるのは物語後半の次の箇所である 君 あたらしい時代は たしかに来てゐる それは羽衣のやうに軽くて しかも白砂の上を浅くさらさら走り流れる小川のやうに清冽なものだ 芭蕉がその晩年に かるみ といふものを称へて それを わび さび しおり などのはるか上位に置いたとか (略)芭蕉ほどの名人がその晩年に於いてやつと予感し 憧憬したその最上位の心境に僕たちが いつのまにやら自然に到達してゐるとは 誇らじと欲するも能はずといふところだ この かるみ は 断じて軽薄と違ふのである 欲と命を捨てなければ この心境はわからない くるしく努力して汗を出し切つた後に来る一陣のそよ風だ 世界の大混乱の末の窮迫の空気から生れ出た 翼のすきとほるほどの身軽な鳥だ 越後獅子と 花宵先生 が同一人物であることが判明したその後日談のくだりだが ひばりの言う かるみ が 芭蕉の晩年に達した句境に由来することが明示されている この少し前(5) でも ひばりが越後獅子に対し次のように述べる箇所がある 本当に どうか 僕たちのためにも書いて下さい 先生の詩のやうに軽くて清潔な詩を いま 僕たちが一ばん読みたいんです (略)モオツアルトの音楽みたいに 軽快で さうして気高く澄んでゐる芸術を僕たちは いま 求めてゐるんです (略)そんな僕たちの気持にぴつたり逢ふやうな 素早く走る清流のタツチを持つた芸術だけが いま ほんもののやうな気がするのです ここでいう 軽快 で 気高く澄んでゐる芸術 の境地 素早く走る清流のタツチを持つた芸術 は 前の引用の かるみ という言葉で言い換えられるのだが 僕たち という風に複数形になっているのは ひばりの友人や道場の人々のみならず もっと広く 新しい時代の読者も想定されているからだろう しかも その かるみ は芸術的境地として希求されているだけでなく ひばりの軽快さを求める生き方にも直結している 翼のすきとおるほどの身軽な鳥 は この健康道場に於ける一羽の雲雀 たる 僕 と重なるイメージであり かるみ の理念と結びつけて主人公も造型されている この芭蕉に由来する かるみ の概念は 国文学者 潁原退蔵の芭蕉論の影響を受けたものだろう 潁原の 不易流行(6) と軽み ( 俳句研究 昭一五 四 芭蕉 去来 創元社 昭一六 三)(7) では 別座鋪 (芭蕉の門人 子珊の編纂)の序文に 浅き砂川を見るごとく とあるのが 軽み の具体的な説明をした所で 物に滞らずさらくと流れて行くさまが 軽みの重要な本質に比せられる と説かれている ひばりが 白砂の上を浅くさらさら走り流れる小川のやうに清冽なもの というのも 潁原の説明と表現が似ている また潁原の 俳諧の軽みと絵画の軽 (初出標題 軽み について 国語文化 昭一七 八 風雅の道 七丈

書院 昭一八 八)で 次のように述べる所も パンドラの匣 の先の引用と近似する 軽みは単に概念として語られたものではない 芭蕉の血のにじみ出るやうな体験を経て おのづからそこに到り著[ママ]いたものである (略)従来芭蕉の俳諧を説くものは 必ずまづ寂 栞をあげるけれども軽みに及ぶものは少い (略)思ふに一に 軽み といふ言葉の感じが 軽浮 軽浅 軽薄等の聯想を伴ひ易いことによつたのではあるまいか 去来が不玉に与へた文書によれば 芭蕉の軽は単なる軽ではなく 旧染の重に対してその沈滞を破る為の軽であつた (略)芭蕉の軽みは流行の変に応ずるものとして最も深い意義をもつ その為には新しい現実に対する我の心境に 一毫の私意をも止めない不断の努力が要求される ( 潁原退蔵著作集 第一〇巻 前出)ひばりが かるみ の境地を くるしく努力して汗を出し切つた後 世界の大混乱の末の窮迫の空気から生れ出た ものと述べていたのも 潁原が 血のにじみ出るやうな体験を経て おのづからそこに到り著いたもの と説明した所と通じる さらに同論文では 高悟帰俗の心境 について 次のように説いている 芭蕉の軽みは 最も通俗なものの中に最も高貴な美を見出すことにあつた 芭蕉の教が 高く心を悟りて俗に帰るべし (三冊子)といふのであるとは この軽みの心境をさすのに外ならない ( 風雅の道 前出) 三冊子 は芭蕉の教えを受けた服部土芳の俳論書で 高悟帰俗 の心境は 高貴な美を求めながら民衆の中に根を下ろすものを希求する志向に繋がる 高貴性の志向に関しては後述するが パンドラの匣 に見られる帰俗の志向は ひばりが 芸術と民衆との関係 を次のように認識する所に見て取れる これこそは僕にとつて 所謂 こんにちの新しい発明 であつた この人たちには 作者の名なんて どうでもいいんだ みんなで力を合せて作つたもののやうな気がしてゐるのだ (略)芸術と民衆との関係は 元来そんなものだつたのではなからうか ベートーヴエンに限るの リストは二流だのと 所謂その道の 通人 たちが口角泡をとばして議論してゐる間に 民衆たちは その議論を置き去りにして さつさとめいめいの好むところの曲目に耳を澄まして楽しんでゐるのではあるまいか (略)一茶が作つても かつぽれが作つても マア坊が作つても その句が面白くなけりや 無関心なのだ (傍線は引用者 以下同様)この前の場面として ひばりと同室のかっぽれが 塾生らの文芸発表会で俳句を出すことになり 十句ばかりひばりに見せるのだが 小林一茶の句と知らずに盗用したものがあったり 助手のマア坊の作った句(当人は了解ずみ)が入っていたりすることが書かれている かっぽれや助手達にとって作者が誰かはどうでもよく その無頓着ぶりにひばりは驚くが そこに こんにちの新しい発明 もあると見たのは 作品そのものを見てその面白さを味わおうとする一般の人々の発想に新鮮さを感じた

からである そこに 作者は誰かといった知識や理屈っぽい議論など必要なく 作品自体が持つ面白さを問題にする民衆の視点に立脚する所から 芸術の新しい発明 新しい倫理の方向性も見いだされるという太宰の見方が反映されているのだろう この小説では ひばりが恋心を抱いていた相手は最初から竹さんだったことや越後獅子が実は有名な詩人だったことなど 伏線を張りながら途中で真相を明かす手法が巧みで 多分に通俗的でもある物語的配慮が いやみなく生かされ (磯貝英夫 パンドラの匣 国文学 昭四二 一一)ている その点 通俗的結構と紙一重 (磯貝論 前出)だが この小説が軽いタッチの明るい小説で かるみ がモチーフとされたのも 一般読者( 河北新報 購読者)の感性に響くものを目論んだからだろう そこに太宰の帰俗の志向も見られる 太宰自身 戦争末期に書いた 竹青 ( 文芸 昭二〇 四)では 次のように 脱俗に対し批判的な見方を示していた 学問も結構ですが やたらに脱俗を衒ふのは卑怯です もつと むきになつて この俗世間を愛惜し 愁殺し 一生そこに没頭してみて下さい 神は そのやうな人間の姿を一ばん愛してゐます ( 太宰治全集7 筑摩書房 平一〇 一〇)神の愛をいう点で精神的な高貴性も求めているが 俗世間を愛惜 し 脱俗=民衆の生活から離脱するのは 卑怯 だと否定している そうした点から見るなら 俗世間を愛惜 しつつ 気高く澄んだ芸術の境地 として見いだされたのが かるみ = 高悟帰俗 の境地であったと言える 三民衆の立場と越後獅子の天皇発言そこで問題にしたいのは こうしたひばりの かるみ と越後獅子の思想的発言の関係である ひばりの考える 芸術と民衆との関係 は 越後獅子に対する見方にも繋がっており 次のように ひばりは彼を 巷間無名の民衆 として見ている いまはかへつて このやうな巷間無名の民衆たちが 正論を吐いてゐる時代である 指導者たちは ただ泡を食つて右往左往してゐるばかりだ いつまでもこんな具合ひでは いまに民衆たちから置き去りにされるのは明かだ 総選挙も近く行はれるらしいが へんな演説ばかりしてゐると 民衆はいよいよ代議士といふものを馬鹿にするだけの結果になるだらう ひばりが 世の指導者達に対し いつまでもこんな具合ひでは いまに民衆たちから置き去りにされる と批判する所は 芸術と民衆との関係について述べていた前の引用で その道の 通人 たちが口角泡をとばして議論してゐる間に 民衆たちは その議論を置き去りにして しまうと難じたのと同じ言い回しがされている つまり ひばりは 民衆の立場からその道の専門家達の理屈や議論の不毛さを述べており 寧ろ今は 巷間無名の民衆たち の方が 正論を吐いてゐる時代 だと見ている が 問題は ここでいう 正論 とは何かということである それは越後獅子の次のような発言を指している

十年一日の如き 不変の政治思想などは迷夢に過ぎないといふ意味だ 日本の明治以来の自由思想も はじめは幕府に反抗し それから藩閥を糾弾し 次に官僚を攻撃してゐる (略) 日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を攻撃したつて それはもう自由思想ではない 便乗思想である 真の自由思想家なら いまこそ何を置いても叫ばなければならぬ事がある (略) 天皇陛下万歳!この叫びだ 昨日までは古かつた しかし 今日に於いては最も新しい自由思想だ 十年前の自由と 今日の自由とその内容が違ふとはこの事だ (略)今日の真の自由思想家は この叫びのもとに死すべきだ アメリカは自由の国だと聞いてゐる 必ずや 日本のこの自由の叫びを認めてくれるに違ひない わしがいま病気で無かつたらなあ いまこそ二重橋の前に立つて 天皇陛下万歳!を叫びたい 固パンは眼鏡をはづした 泣いてゐるのだ この箇所は パンドラの匣 再刊本(双英書房 昭二二 六)で大幅に改変され 天皇に関わる発言も削除されている 敗戦期(8) の日本の社会的風潮 ジャーナリズムを揶揄した所だが 天皇陛下万歳 を叫ぶのが 新しい自由思想 だと述べる所は 従来の論でもしばしば問題にされてきた が そもそも それが 正論 というのはどういうことなのか 何故 今日 において天皇万歳の叫びが 新しい自由思想 に繋がるのか この 二重橋の前に立つて と越後獅子が述べる所から想起されるのは 昭和二〇年八月一五日正午 ラジオを通して天皇の終戦の詔勅を聞いた国民が 皇居の二重橋前に行って土下座し 天皇陛下万歳を叫んだという出来事(=報道)である 朝日新聞 昭和二〇年八月一六日の記事 二重橋前に赤子の群立上がる日本民族苦難突破の民草の声 には その出来事が次のように報じられていた 八月一五日午後の宮城二重橋前 嵐は嗚咽と悲痛の声とのなかに猛然と吹きまくつてゐた 日本は敗れた だがこの嵐の中に立つとき 敗れざる民族が既に苦難の未来に向つて敢然と立ち上つてゐる姿が見られるのである (略)百人や二百人ではない (略)二重橋前へ 二重橋前へと歩む人々の数はもつとく多かつた (略)天皇陛下 お許し下さい天皇陛下!悲痛な叫びがあちこちから聞えた 一人の青年が起ち上つて 天皇陛下万歳 とあらん限りの声をふりしぼつて奉唱した 群衆の後の方でまた 天皇陛下万歳 の声が起つた(略) 土下座の群衆は立ち去ろうともしなかつた (以下略)当日の出来事は 朝日新聞 だけでなく 他の新聞にも掲載されており こうした内容の新聞記事を太宰も目にしていたと(9) 思われる ひばりが両親に結核を患っていることを明かすのも八月一五日正午に 天来の御声 =天皇の詔勅を聞いたことがきっかけで その時のことを次のように記しているのは 二重橋前で天皇に詫びた人々の姿を想起させる 或る日 或る時 聖霊が胸に忍び込み 涙が頬を洗ひ流れて さうしてひとりでずゐぶん泣いて そのうちに すつ

とからだが軽くなり 頭脳が涼しく透明になつた感じで その時から僕は ちがふ男になつたのだ (略)それは君にもおわかりだらう あの日だよ あの日の正午だよ ほとんど奇蹟の 天来の御声に泣いておわびを申し上げたあの時だよ あの時 とあるように 天来の御声に泣いておわびを申し上げた のは ひばりだけでなく 君 =友人も同じ心情にあったように捉えられている しかも 天皇陛下万歳の叫びが今日の新しい自由だと越後獅子が説いた時 インテリの学生 固パンまで感涙している 鈴木貞美は この天皇発言に触れ 広汎に人びとの間にあった心性を掴んだうえで書かれて おり 太宰は 民衆が 終戦秩序 の要に坐る裸の王様を愛しているのだ ということを書いている ( 寓意の爆弾 敗戦小説を読む 人間の零度 もしくは表現の脱近代 河出書房新社 昭六二 四)と述べているが 越後獅子自身(後述するように 彼は民衆的な詩人である)に着目するなら その主張は彼個人の見方というより 当時の人々に共有された思いを述べている つまり 敗戦時の民衆の心性(=天皇陛下万歳の声)を代表=表象するような形で越後獅子の主張もなされている だから それに共感して固パンも感涙し その姿を(10) ひばりも好意的に捉え 代議士らの発言よりも越後獅子らの発言を 正論 と見なしたのである 四越後獅子の思想的発言の背景この越後獅子の説く便乗思想批判 天皇発言自体 太宰の敗戦期の思考を反映しており 特に共産党への反発として知人宛ての書簡に似たような事を記していたことに注意したい 昭(11) 和二一年一月一五日付の井伏鱒二宛書簡で 太宰は次のように書いている このごろの雑誌の新型便乗ニガニガしき事かぎりなく おほかたこんな事になるだらうと思つてゐましたが (略)私は無頼派ですから この気風に反抗し 保守党に加盟し リベルタンまつさきにギロチンにかかつてやらうかと思つてゐます (略)共産党なんかとは私は真正面から戦ふつもりです ニツポン万歳と今こそ本気に言つてやらうかと思つてゐます (略)弱いはうに味方するんです (略)ジヤーナリズムにおだてられて民主主義踊りなどする気はありません ( 太宰治全集 筑摩書房 平一一 四)12 また昭和二一年一月二八日付小田嶽夫宛書簡でも いま最も勇気のある態度は保守 で 私は こんどは社会主義者どもと戦ふつもり まさか反動ではありませんが しかし あくファツシヨまでも天皇陛下万歳で行くつもりです それが本当の自由思想 と書いている ここからも越後獅子の発言自体 太宰の考えを反映したものであることは確認できる 作中では直接共産党に対する反発 批判は書かれていないが 越後獅子の発言の思想的背景として 敗戦期の共産党 社会主義者の言動に対する反発もあったことは見落とせない

昭和二一年一月二五日付の堤重久宛書簡でも 太宰はこう記している 一 十年一日の如き不変の政治思想などは迷夢にすぎない 二十年目にシヤバに出て この新現実に号令しようたつて そりや無理だ (略)君 いまさら赤い旗振つて われら若き兵士プロレタリアの といふ歌 うたへますか 無理ですよ (略)一 いまのジヤーナリズム 大醜態なり 新型便乗といふものなり (略)一 いま叫ばれてゐる何々主義 何々主義は すべて一時の間に合せものなるゆゑを以て 次にまつたく新しい思潮の擡頭を待望せよ (略)一 保守派になれ 保守は反動に非ず 現実派なり (略)一 若し文献があつたら アナキズムの研究をはじめよ 倫理を原子にせしアナキズム的思潮 あるひは新日本の活アトム力になるかも知れず (略)一 天皇は倫理の儀表として之を支持せよ 恋ひしたふ対象なければ 倫理は宙に迷ふおそれあり 十年一日の如き不変の政治思想などは迷夢にすぎない は 前に引用した越後獅子の発言にも出てくるが ここでは当時の共産党書記長 徳田球一を揶揄している 徳田は GHQの政治犯人釈放命令( 人権指令 )に基づき 昭和二〇年一〇月一〇日 同じく共産党指導者だった志賀義雄とともに釈放された(二人とも昭和三年の三 一五事件で検挙され 獄中で非転向を貫いたため 一八年間獄中生活をおくっていた) 彼らは獄中声明 人民に訴ふ ( 赤旗 昭二〇 一〇 二〇)を発表し その手記の中で 連合国軍隊の日本進駐 によって 民主主義革命の端緒が開かれた ことに感謝の意を表し 同革命のために 天皇制を打倒して 人民の総意に基づく人民共和政府 を樹立し 天皇とその宮廷 軍事 行政官僚 貴族 寄生的土地所有者および独占資本家の結合体を根底的に一掃する こと(12) を目標に掲げていた 同年一二月開催の第四回党大会(大正一五年開催の第三回大会以来一八年ぶり 同大会で徳田は共産党書記長に就任)で決定された 日本共産党行動綱領 でも 日本民衆の解放(13) と民主主義的自由獲得の基本的前提 として 戦争犯罪の元兇たる天皇制の打倒 が挙げられていたが それは昭和七年五月にコミンテルンで決定された 日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ (通称 三二年テーゼ)で掲げた天皇制打倒とブルジョア民主主義革命の方向を貫くものだった 先の堤宛書簡で 太宰が いまさら赤い旗振つて われら若き兵士プロレタリアの といふ歌 うたへますか 無理 だと述べていたのも( 赤い旗 とは共産党の機関紙 赤旗 を指す) 共産党の古さを難じたもので 戦前に掲げていた天皇制打倒を敗戦後も掲げた点に向けられている 堤宛書簡と同じ事は 苦悩の年間 ( 新文芸 昭和二一 六)にも書かれており 天皇の悪口を言ふものが激増 すると かえって 私は これまでどんなに深く天皇を愛して来たのかを知 り 私のいま夢想する境涯は フランスのモラリストたちの感覚を基調とし その

倫理の儀表を天皇に置き 我等の生活は自給自足のアナキズム風の桃源である と述べている そうした桃源 ユートピアを夢想するのも まつたく新しい思潮の擡頭を待望 したからであり 社会主義や民主主義とも異なる 自給自足のアナキズム風の桃源 ( 苦悩の年間 )を説く点では 戦前の天皇制(ひいては戦後の象徴天皇制も)を支持し擁護するものではない 共産党の指導者らは 天皇に対する民衆の心情について不問にしていたし 天皇制批判 戦争責任問題を主張する知識人の中には 戦前 左翼思想から転向し天皇を掲げる日本主義的な思潮に同調していながら その自省もせず 戦後民主主義が掲げられる中で天皇批判をする(その意味で再転向した)者も少なくなかった そうした進歩的知識人 便乗思想に対し太宰は反発を示したのだろうし 越後獅子の 天皇陛下万歳 発言は こうした時勢に対するイロニーとして書かれている ただし パンドラの匣 では 共産党批判は直接見られず 自由思想そのものが作中で議論されている 越後獅子が アメリカは自由の国 なら 天皇陛下万歳 の 自由の叫びを認めてくれるに違ひない と言うのも 前述したように終戦の日に二重橋前で頭をたれた民衆の姿を想起したからだろうが 評論家 河上徹太郎が 配給された自由 ( 東京新聞 昭和二〇 一〇 二六~二七)でこう述べていたことも関係する 敗戦を戦争責任者の失敗と怨むより いはば天災の一種と観ずるのが 佯らざる国民の良識に近い かかる時専ら戦争責任者へのヒステリックな憤懣を喚き立てることが 言論の自由 だとすれば 民意は必ずしも言論の自由の中にはないかも知れぬことになる /自由主義とは元来思想的な立場をいへばアンデバンダンの側にあり オーソドクスに反抗するものの謂である 然るにわが国の自由主義者とは 左翼華かなりし頃穏健な中庸派で 性格的には退嬰的なものが多かつた 今時代が二度転向して彼等が急にこの危機時代の指導者として迎へられても 積極性は期待できぬことは勿論である ( 河上徹太郎全集 第五巻 昭四五 七)越後獅子は 十年前の自由と 今日の自由とその内容が違ふ と述べていたが その 十年前 自由主義者は 穏健な中庸派で 性格的には退嬰的なものが多かつた のであり そうした自由主義者が戦後に指導者になっても期待できないと考えていた点で太宰も河上と同じ見解を持っていた しかも 前の引用の傍線部は 固パンが本来の自由思想とは圧制や束縛に対する反抗精神だとして 次のように述べる所と近似する いつたいこの自由思想といふのは と固パンはいよいよまじめに その本来の姿は 反抗精神です (略)圧制や束縛のリアクシヨンとしてそれらと同時に発生し闘争すべき性質の思想です よく挙げられる例ですけれども 鳩が或る日 神様にお願ひした 私が飛ぶ時 どうも空気といふものが邪魔になつて早く前方に進行できない どうか空気といふものを無くして欲しい 神様はその願いを聞き容れてやつた 然るに鳩は いくらはばたいても飛び上る事が出来なかつた つまりこの鳩が自由思想です 空気

の抵抗があつてはじめて鳩が飛び上る事が出来るのです 闘争の対象の無い自由思想は まるでそれこそ真空管の中ではばたいてゐる鳩のやうなもので 全く飛翔が出来ません そもそも この傍線部は フランスの小説家アンドレ ジイドの 続プレテクスト (一九一一年)収録の 演劇の進化 (一九〇四年三月二五日 ブリッセル リィブル エステチィクでなされた講演)に出てくる次の記述を踏まえたものである (14) 芸術は常に一の拘束の結果です 芸術が自由であればそれだけ高く昇騰すると信ずることは 凧の上がるのを拒むものはその糸だと信ずることです カントの鳩は 自分の翼を抑へるこの空気がなかつたならば もつとよく飛べるだらうと思ふのですが これは 自分が飛ぶためには 翼の重さを托し得るこの空気抵抗が必要だといふことを識らぬのです 同様にして 芸術が上昇せんがためには 矢張或る抵抗に頼むことができねばなりませぬ (略)芸術は拘束より生れ 闘争に生き 自由に死ぬのであります (佐藤正彰訳 ジイド全集 第七巻 建設社 昭一〇 二)河上のいう自由主義元来の思想的立場も パンドラの匣 の固パンの言う自由思想も このジイドの言説に依拠して説かれている そのことから鑑みて 太宰は 河上の評論 配給された自由 に触発される形で パンドラの匣 の自由思想に関わる議論も書いたのではないか 河上は 戦後アメリカ流の自由思想が流入し 言論の自由 が主張されて左翼系知識人らによる戦争協力者批判もなされたものの その自由主義の主張が一般の民衆 民意 とは離れたものであり 配給された自由 に過ぎぬことを問題にしていた 太宰も 民衆の心情と離れた所で説かれる戦後の自由主義の思潮に疑念を持っていたから 固パンが反抗精神としての自由思想を説いたり ひばりが 総選挙も近く行はれるらしいが へんな演説ばかりしてゐる と代議士 政治家を揶揄する所を書いたのだろう この当時 実際の政治家として特に意識されていたのは 日本自由党(後に自由民主党)党首 鳩山一郎で 越後獅子が 固パンの発言を受けて鳩と自由思想の連想(15) から 似たやうな名前の男がゐる と茶化す所もある 太宰も河上も 戦後の自由主義が民意と離れた所で主張されている点を問題にしていたことで共通する だが 河上の方は 知識人の立場から 文化の自由とは囚はれざる批評精神を持つこと以外にな いと述べていた( 配給された自由 ) その点 越後獅子に自由思想を説かせた太宰の方が 民衆の立場に寄り添った形でものを考えていたのだが 問題は何故 倫理の儀表 を天皇に求めたのかということである 五 オルレアンの少女 とシラーの影響留意したいのは 越後獅子が天皇について発言する前 自由思想の本家はキリストにあると述べていることである わしなんかは 自由思想の本家本元は キリストだとさ

へ考へてゐる (略)自由思想でも何でも キリストの精神を知らなくては 半分も理解できない (略) 狐には穴あり 鳥には巣あり されど人の子には枕するところ無し とはまた 自由思想家の嘆きといつていいだらう 一日も安住を許されない その主張は 日々にあらたに また日にあらたでなければならぬ この発言の後 越後獅子は 天皇陛下万歳! と叫ぶことが 今日に於いては最も新しい自由思想だ と述べるのだが 自由思想を説くのに天皇とキリストを同格に置いている しかも 聖書の言葉を用いつつ 自由思想の内容 も時代の変化とともに変わり 自由思想家も日々新たな倫理を追求しなくてはならぬという考えが示されている 逆に言えば 天皇擁護の立場も時代の変化によって変わることになる (16) そもそも キリストと天皇を結び付けて自由思想を説くこと自体 飛躍があると思われるが 自由思想とキリスト 天皇崇拝が結びつく発想はどこから来ているのか 着目したいのは (17) 越後獅子=大月花宵が オルレアンの少女 の作者として設定されていることである そのタイトル自体 ドイツの戯曲詩人フリードリヒ フォン シラー(シルレルとも表記)の オルレアンの少女 (DieJungfrauvonOrleans,1801)を意識したものだろう シラーの戯曲は ジャンヌ ダルクの伝説を題材にした韻文五幕からなり 聖母マリアのお告げを受け祖国救済に向かった少女が 劣勢の軍を指揮し敵軍を見事に撃破するものの イギリスの敵将に恋心を抱き 祖国救済と禁断の恋との間で板挟みとなり苦悩する物語である 当時の翻訳として 悲劇オルレアンの少女 (藤沢古雪訳 冨山房 明三六 一二/冨山房百科文をとめ庫 昭一三 七)や 浪漫的悲劇オルレアンの乙女 (佐藤通次訳 岩波文庫 昭一三 一一) オルレアンの処女 (新関良三編 関泰祐訳 シラー選集 第五巻に収録 富山房 昭一九 六)等が出版されていた また 東京帝国劇場では昭和一八年五月一八日から二(18) 四日まで東宝演劇研究会の公演 オルレアンの処女 (関泰祐訳 シラー選集 に拠る)が開催され 新聞にその広告も出ていた (19) 太宰には ダス ゲマイネ ( 文芸春秋 昭一〇 一〇)や 走れメロス ( 新潮 昭一五 五)など シラーの影響が見られる小説があり もの思ふ葦(一)ダス ゲマイネに就いて ( 日本浪曼派 昭一〇 一二)でも シルレルはその作品に於いて 人の性よりしてダス ゲマイネ(卑俗)を駆逐し ウール シユタンド(本然の状態)に帰らせた そこにこそ まことの自由が生れた と書いている パンドラの匣 には オルレアンの少女 の歌詞は出てこず どのような詩かは不明だが この小説自体 シラーの戯曲を意識した所がある シラーの戯曲では 羊飼いの娘ジャンヌが フランス国王シャルル七世の元に駆けつけ 果敢な闘いによってオルレアンの危機を救い イギリス方の攻略を退け 自由を仏蘭西に返へし与へし功 (藤沢古雪訳 オルレアンの少女 前出)が讃えられるが そのきっかけは或る夜に聖母マリアのお告げ=天の啓示を受けたことによる 最後に負傷して死ぬ時も 彼女の魂は周囲の哀惜の中 聖母マリアに召される形で昇天するのであり 史実の

ジャンヌ(火刑に処せられる)とは異なる最期が描かれていた パンドラの匣 でも 敗戦の日 ひばりが 天来の御声 =天皇の詔勅を聞いた時 聖霊が胸に忍び込 (前出)み これまでの自分とは ちがふ男 になったと述べる所がある ひばりにおける天の啓示は天皇と結び付いているが 聖霊 自体キリスト教的な言辞であり シラーの戯曲でジャンヌが聖母マリアの啓示(=精霊)を受けた所を意識したものだろう 越後獅子が天皇とキリストを同格に見て自由思想を説くのも シラーの戯曲で ジャンヌの国王への忠誠がキリスト教の神の信仰と結びつくのと通底するもので 花宵の傑作が オルレアンの少女 であること自体 シラーの戯曲との接点を示している しかし 大月花宵(越後獅子)の オルレアンの少女 は シラーの戯曲に感化を受けつつも それとは異なる大衆的な志向を表している 彼の オルレアンの少女 は少年雑誌に挿絵入りで紹介されたもので 健康道場の助手達によって二部合唱される(この時 助手達はまだ越後獅子がその作者=花宵であることを知らない) 彼の オルレアンの少女 は 一般大衆に親しまれ 歌われたものとして設定されている 花宵は俗(大衆)と共に(20) ある民衆的な詩人であり その点でシラーの作風とも異なる (21) そもそも 太宰が目を通していたケーベルの 心霊の指導者シルラー ( 現代日本文学全集第五七巻 改造社 昭六 一二)では (22) シラーは 平俗から引き離すことによつて 我等の本質ダス ゲマイネの核心に附着せる鐡屎を除去し さうして光の子として又神の肖像としての我等が本来属する所の純なる元素(境地)ににすがたエレメント我等を復らしめる 心霊の指導者 とされる キリスト教をかへ信仰したシラーは 脱俗によって人間の本質に帰ろうとする志向を持ち その芸術的境地も 俗を排し人間を美的な神性に戻らせることにあった が パンドラの匣 で希求される かるみ = 高悟帰俗 は それとは逆の志向を持っており 花宵の オルレアンの少女 自体 唱歌や童謡のような一般の人々に親しみやすい点に特徴がある そういう点から見るなら 脱俗して高貴な美を志向するシラーの作品を 高悟帰俗 の志向から読みかえて詩作したものが花宵の オルレアンの少女 だったと見られる 越後獅子 の綽名が 帰俗 の志向を表すものなら 花宵 の筆名は 高貴な美 の志向を併せ持つ詩人の かるみ = 高悟帰俗 を表している だから ひばりは オルレアンの少女 の作者として有名な花宵=越後獅子に かるみ の心境を表した詩を求めたのであり 講話の際も 花宵の声から精神的な高貴さを感じ 非常に貴い人から教へ訓されてゐるやうな厳粛な気持になつて いる ひばりにとって 民衆の一人で 貴い人 でもある花宵は かるみ = 高悟帰俗 の境地を体現した芸術家であり 健康道場の人々の間でも オルレアンの少女 の作者として無条件に尊敬されるのは 民衆の支持を得た芸術家であることを示している しかも 物語の最後で 健康道場の人々の創作意欲も高まって詩や和歌 俳句などの添削依頼が殺到したりするあたり 民衆の中に芸術が息づいていく様も捉えられている そこに芸術と民衆の理想的な関係 民衆に根を下ろした芸術の

ありようを考えていた太宰の思考も反映されていよう このように この小説には 民衆= 俗 の中に高貴性= 聖 なるものを求める志向がうかがえ 太宰自身民衆の一人として 民衆の心性と結びついた形の新しい倫理 新しい思潮の擡頭 を待望していた が 高悟帰俗 の志向から高貴性= 倫理の儀表 を求める時 無条件に 尊いお方 として天皇やキリストを求めることになる ひばりが 尊いお方 に自らの運命をあずけているのも そうした志向を示している この天皇や芭蕉などの古典に日本的な倫理 美を見出そうとする志向自体 日本浪曼派の保田與重郎にも見られるものだが 天皇をキリスト教と繋げる点で 保田の天皇観とは異質なものである 太宰が 倫理の儀表 を天皇に求めたのは 民衆= 俗 と高貴性= 聖 を繋ぐ倫理を求めたからで 俗の中に高貴性を求める志向 換言するなら俗の中に在りながら それが低俗に陥ることは否定する(ジャーナリズム 便乗思想に対する批判はその証左である) そうした かるみ に内包されたイロニー(逆説)が 天皇や 尊いお方 という高貴なるものに 倫理の儀表 を求める方向を取らせることになるのである こうした太宰の志向が反映された形で パンドラの匣 は書かれているが 天皇と民衆を結びつけた形で新しい倫理は見出せるのかどうか 天皇への心情も国民教育によって創出されたものであろうし かるみ にしても 変化の過程を生きる上での心境であってそこに帰着点はない そもそも この小説自体 新聞の一般読者に向けて書かれ 太宰も当初新聞連載に意欲的だったのだが 新聞の読者=大衆自体 寧ろその時代のマスコミ ジャーナリズムの動向に左右されやすい 戦後の新聞や雑誌 ジャーナリズムにおける便乗思想を難じた太宰にその点(現実の大衆と観念としての民衆の差異)が見えていなかった筈はない 連載を早めに切り上げたのもその点を意識したからに違いない 物語の最後も ひばり達の行き着く先がどこなのか (23) 戦後の日本の方向性とともに見えない所で終わっている 太宰は 民衆の中から新しい時代の倫理を発見しようとしたが 結局それを見出すことは出来なかったのだろう その後の小説として 戦後の新しい現実に対する 道徳の煩悶 を描く方向を取るようになる 特に 十五年間 ( 文化展望 昭二一 四)では パンドラの匣 の越後獅子らの議論も一部引用されているが 高悟帰俗 の志向は見られず 新しい現実に対する 道徳の煩悶 そのものが描かれている 太宰において かるみ に希求された 民衆的なもの それは彼にとって 日本的なもの の希求でもあったと考えられるが そこに高貴性を見出すことの矛盾も意識されることになる パンドラの匣 は そのことを太宰に自覚させる契機となった小説であろう 注記 1 河北新報 は仙台市に本社を持つ河北新報社発行の新聞 2ひばりのモデル 木村庄助は 昭和一六年八月一五日に結核療養所 孔舎衙健康道場 に入り その生活を日誌に記した 逝去後 当人の遺志により太宰にその日誌が贈られた 詳細は木村重信編 木村庄助日誌

太宰治 パンドラの匣 の底本 (編集工房ノア 平一七 一二)を参照 3昭和二二年六月 双英書房から出版された再刊本では 越後獅子の天皇に関わる発言など GHQの検閲により削除 改変された所がある 本稿では初刊本の河北新報社版を底本とする 太宰治全集9 (筑摩書房 平一〇 一二)を参照した 他の太宰の著作も筑摩書房版の全集を参照 4三好行雄 饗庭孝男 鳥居邦朗 東郷克美 共同討議 太宰治の作品を読む ( 国文学 昭五七 五)でもその点が問題にされている 5太宰の弟子だった桂英澄の わが師太宰治に捧ぐ (清流出版 平二一 八)によれば 昭和一七年の夏 箱根のホテルに滞在中の太宰を訪問した時 彼は 芭蕉は わび さび しおりといっただろ 最後に 軽み ということをいったんだ 新しい芸術の進む方向は この軽みだよ (略)音楽でいえば モーツアルトじゃないかな と語ったという この頃から太宰は 芭蕉の 軽み に強い関心を持っていたことがうかがえる 6住吉直子 太宰治の かるみ 材源考 ( 叙説 奈良女子大学 平一三 一二)でも 潁原の 風雅の道 の影響を指摘している 7 潁原退蔵著作集 第一〇巻(中央公論社 昭五五 二)を参照 8双英書房の再刊本では 日本は完全に敗北した さうして 既に昨日の日本ではない 実に 全く 新しい国が いま興りつつある 日本の歴史をたづねても 何一つ先例の無かつた現実が いま眼前に展開してゐる いままでの 古い思想では とても とても というように内容が書き換えられ 便乗思想批判や天皇陛下万歳発言は見られなくなる 9 読売報知 八月一六日の記事にも 玉音放送で敗戦を知り 未曾有の難局を打開すべく 子孫へせめてものお詫びだと身を切られる思ひで自ら問ひ自ら答へたとき期せずして 天皇陛下万歳 の声が湧き起 り( 玉音いとも御朗々熱涙に大御心拝す悲運の底から民草奮起の誓ひ ) 皇居の 二重橋まへ に来た老若男女が 慟哭 し 土下座して玉砂利に顔を埋めてゐる ( 護国の英霊に詫ぶ )と記されていた この時期 太宰は青森の実家に居たが 地方紙でも似た新聞記事を目にしただろう 越後獅子 の綽名は 一般庶民に親しみやすい古典芸能に由来する 10 越後獅子 は 新潟の郷土芸能 角兵衛獅子を題材とし 江戸期に長唄宗家の九代目杵屋六左衛門と作詞者 篠田金治によって創作された長唄の一つで 歌舞伎舞踊の為に創られた(浅川玉兎 長唄名曲要説 日本音楽社 昭五八 六参照) ちなみに かつぽれ (本名 木下清七)という綽名も 俗謡 俗曲に合わせて滑稽に踊る庶民芸能に由来し 歌舞伎にも取り入れられ 明治から昭和期にかけて流行した(竹内有一 かっぽれ百態 細川周平編 民謡からみた世界音楽 歌の地脈を探る ミネルヴァ書房 平二四 三収録) いずれも一般大衆に馴染みやすい芸能に基づく綽名であり その当人にも庶民的な所が見られる 相馬正一 評伝太宰治 第三部(筑摩書房 昭六〇 七)では パン11 ドラの匣 連載開始の間もない頃 青森県の共産党再組織準備会に太宰が顔を出したことに触れている その会合が予期したものでなく太宰は途中退席したが その失望感もあって書簡に記したような共産党批判をしたのだろう 相馬は 戦後の体制が変わり共産党が天皇制打倒を主張していた時期 保守派を宣言し天皇擁護の発言をするのは寧ろ 勇気 の要ることで 自称文化人たちへのイロニー が潜んでいるとする 徳田球一全集 第一巻(五月書房 昭六〇 一二)を参照 12 法政大学大原社会問題研究所編 日本労働年鑑戦後特集 第二二集13 (昭和二四年発行の復刻版労働旬報社 昭四五 一〇)を参照

太宰の 鬱屈禍 ( 帝国大学新聞 昭一五 二 一二)にも 演劇の14 進化 の同じくだりが引用され ジイド自身にも言及する所がある 読売報知 昭和二〇年一一月一〇日記事 日本自由党結党総裁に鳩15 山一郎氏 には 九日に結成大会が開催され 鳩山が総裁として 国内の食糧問題に触れ その 解決方法は米の輸入と増産 で 今日共産党が国民の良心を搾取しつゝあるが 吾々は共産主義の絶対不当なることを大いに鼓を鳴らして戒心せねばならぬ 天皇の日本統治は日本国民の信念であり天皇制こそ日本国民の現実の生活 習性 感情などに最も適合したものである という趣旨の挨拶を行った事が記されている この鳩山の演説に対し 同新聞の一一月一一日の社説 自由党の正体 では われらをして最も失望せしめたもの で 保守的反動主義を根幹とし 共産党に対する形で 経済的自由を追求するといふ欺瞞によつて大衆を獲得しようとしてゐ て 国民大衆の政治的意識や民主主義的要求が何であるかゞ 少しも理解されてゐない と批判している 作中で鳩山が揶揄されているのも その演説自体不評だったからと見られる 実際天皇制批判が下火になると(昭和二二年に日本国憲法で象徴天皇16 制が掲げられると) 太宰も天皇に関する発言はしなくなる 越後獅子の天皇発言が削除 改変されたのは検閲の為というより この時期太宰の天皇擁護の意識も変わったことを示しているのではないかと考えられる 田中良彦 太宰治と 聖書知識 (朝文社 平一六 六)によれば 無17 教会派の伝道者で新約聖書研究家の塚本虎二も 天皇制擁護の立場を取っており キリスト教と天皇を結びつけるのも彼の影響があろう 標題からすれば藤沢訳を見た可能性が高いが( 精霊 の語も出てくる) 18 出版時期は他の訳本も近いので太宰の見たものがどれかは特定しにくい 読売報知 五月一六日の広告には 殉国の乙女ジャン ダークの悲劇19 的生涯! と記されている 戦中この戯曲が上演されたのも殉国者の面を強調出来るからだろう 滝起堂編 現代女子音楽2 (大阪音楽学校楽友会出版部 昭二)には 20 大阪の寝屋川高等女学校教師で歌人の今中楓渓(明一六~昭三八)の作詞した オルレアンの少女 が収録されている 処刑時の ジャンダルク を かなし乙女よ と歌っており シラーの戯曲とは異なるが 女学校等で歌われることを想定して作られたものだろう こうしたものもヒントにして オルレアンの少女 が歌われる設定にした可能性もある 太宰自身 民衆 と 大衆 の相違をどう意識していたかを検討する21 必要もあるが それは文学=芸術の大衆化問題にも繋がるので今後の課題にしたい ここではひとまず 大衆 は近代化が進む中で登場した社会層(知識人と対をなす概念)を表す語として 民衆 は近代以前の 民 たみ(君=天皇の対概念)の意識も反映する語として用いている きみ九頭見和夫 太宰治とシラー太宰の作品におけるシラーの影響につ22 いて ( 福島大学教育学部論集人文科学 平元 一一)は 太宰が読んだ可能性の強いケーベルのシラー論として 現代日本文学全集第五七巻 (前出)収録の 心霊の指導者シルラー を挙げている 昭和二〇年一一月二三日付井伏鱒二宛書簡には 新聞小説はじめてみ23 たら 思ひのほか面白く無く 百二十回の約束でしたが 六十回でやめるつもり と書いている 実際は六四回で終わらせるが ジャーナリズムの軽薄さも難じており 新聞連載の形で書くのが嫌になったのだろう (尚絅大学文化言語学部准教授)