国際家族法研究会報告(第33 回) インドネシア国際家族法の現在佐々木彩一はじめに人口のおよそ九割がイスラム教徒であるインドネシア共和国(以下 インドネシアとする)は 世界最大のイスラム教徒を有する国でもあるが イスラム教を国教とはしていない そのことは 一九四五年憲法の前文に規定されている建国五原則(パンチャシラ)のひとつが 唯一神への信仰と謳っていることから見て取れる 従って 国民は信仰をもたない自由が認められていないこととなる 宗教の多様性を有するインドネシアにおいては 同一国内においてその者の属する宗教により適用される法が異なる場合が生じ そのような国は 人的不統一法国と呼ばれた また そのような国で生じ得る人的な法の抵触を解決する法を 人際法(hukum antargolongan )という 従って インドネシア国際家族法上議論すべき課題は 国を跨ぎ起り得る法の抵触に関する内容は当然のこと 同一国内において生じ得る法の抵触についても考慮する必要がある 本報告は インドネシアの国際間及び国内間における法の抵触に関する課題について概観するものである(以下 拙稿 インドネシア国際私法における各論的課題 混合婚を中心として (以下 各論とする) 東京経営短期大学紀要 一九巻一〇七頁以下 及び拙稿 インドネシア国際私法における総論的課題 (以下 総論とする) アジア文化研究所研究年報 四四号七五頁以下の内容を中心にまとめたものである) 二インドネシア国際家族法の概観(1 )反致主義インドネシア国際家族法上 反致主義は 裁判所によって採用されており それは主として 婚姻及び離婚 身分及び能力 夫婦財産制に関する問題について認められている 以下 二つの事案を紹介する ひとつは 離婚訴訟の過程における夫婦の財産に関する事案である(Sudargo Gautama/Sri Fanipa Wiknjosastro, Some aspects of Indonesian private international law, Malaya Law Review 1990, pp.427-428, 拙稿 総論八〇頁) 本事案は 原告の本国法であるペルシャ法によればイスラム法が適用され 夫婦の財産の共有が認められないため それを理由に 妻によってなされた夫婦間の財産の差押えについて争われたものである スマラン裁判所は ペルシャ法(ペルシャ国際私法)が インドネシア法を準拠法として指定しているという見解を示した そして インドネシア国際私法におけるペルシャ法への言及は 国際私法規定を含むペルシャ法全体を指定しているとみなす一方 ペルシャ法におけるインドネシア法への言及は実質法のみを指定しているとみなし インドネシア民法典が夫婦間の財産の共有を東洋法学第 56 巻第 1 号 (2012 年 7 月 ) 309
認めていたことを理由に 妻による夫婦間の財産の差押えに反対する原告の主張を認めなかった いまひとつの事案は イギリス人の夫と婚姻によりイギリス国籍を取得したインドネシア人の妻との離婚に関するものである(Gautama/Wiknjosastro, op.cit., p.428, 拙稿 総論八〇頁) 本事案について ジャカルタ南地方裁判所は反致を容認し インドネシア法を適用した すなわち 本事案の当事者の本国法としてイギリス法を指定し適用したところ 身分関係については住所地法によることとなり 当事者の住所地法であるインドネシア法が裁判所によって適用された 以上のことから インドネシア国際家族法においては 狭義の反致 が認められていることが見て取れる 反致主義によりインドネシアの内国法が適用されることによって 当事者に適切な法が適用されることが主張されている(拙稿 総論八〇頁以下) (2 )混合婚の定義インドネシアにおける婚姻の統一を目して定められた一九七四年一月二日公布の インドネシア共和国の婚姻に関する法律一九七四年第一号(Undang-Undang Republik Indonesia Nomor 1 Tahun 1974 Tentang Perkawinan, 以下 一九七四年婚姻法 又は 婚姻法 という) は パンチャシラ哲学 及び 国家法の普及を促進させたいという強い願望に則り すべてのインドネシア人に適用される初めての国家の婚姻法として 一九七五年一〇月一日に効力を有したものである(以下 インドネシア婚姻法の内容については The Indonesian Marriage Law, Department of Infomaition, Republic of Indonesia, pp.26-31, 柳橋博之編著 現代ムスリム家族法 (二〇〇五年 日本加除出版)一一二- 二六頁(小林寧子)参照) また 一九七四年婚姻法の実施を可能にするために 婚姻に関する法律一九七四年第一号の施行に関するインドネシア共和国政令一九七五年第九号(Peraturan Pemerintah Republik Indonesia Nomor 9 Tahun 1975 Tentang Pelaksanaan Undang-Undang Nomor 1 Tahun 1974 Tentang Perkawinan ) において 細則規定が定められている(拙稿 各論一一〇頁以下) インドネシアにおける国際間及び国内間に関する法の抵触については 混合婚(Perkawinan Campuran; Mixed Marriage ) に関する規定の中に見ることができる(以下 混合婚に関する内容について 拙稿 各論一一〇頁以下参照) ところで かつてインドネシアを支配していたオランダ領東インド政府(The Netherlands Indies Government )は インドネシアの婚姻(混合婚)を規制するための特別な規則を定めた すなわち 一八九六年一二月二九日の国王布告第二三号(Royal Decree of December 29, 1896, no.23 ) によって導入され 官報一八九八年第一五八号(Government Gazette 1898 no.158 )によって公布された 混合婚に関する規則(Regaling op de gemengde huwelijken ; Regulation on Mixed Mar- 国際家族法研究会報告 佐々木彩 310
riages, 以下 混合婚規則 という ) がそれである 立法者によれば 混合婚は インドネシアにおいて異なる法4444に服する者の間で締結される婚姻 と解釈されていた(Sudargo Gautama, Essays in Indonesian Law 2nd, 1993, p.129, 拙稿 各論一〇八頁) インドネシアにおける異なる法は 人種集団 宗教 地域によって決定された法領域 または 国籍の差異から生じ得る(Gautama, op.cit.,p.129, 拙稿 各論一〇八頁) すなわち 個人間(interpersonal ) 宗教間(interreligious ) 地域間(interlocal ) 及び 国際的な婚姻(international marriages )において起り得るとされている 具体的には ヨーロッパ人の人民集団に属している者が 原住民のインドネシア人と婚姻する場合 あるいは キリスト教を信仰する先住民(native )のインドネシア人がイスラム教を信仰する他の先住民のインドネシア人と婚姻する場合 あるいは スマトラ出身の先住民のインドネシア人が西ジャワ法域出身のインドネシア人と婚姻する場合 あるいは インドネシア国民(indonesian national )が外国人と婚姻する場合の例が示されており それらの婚姻が 混合婚規則によって統治される 混合婚 となった(Gautama, op.cit., 129-130, 拙稿 各論一〇八頁) 混合婚の内容について定めている混合婚規則における特筆すべき特徴として 以下の二点が挙げられる(S.Hanifa, SH, Law concerning Marriage and Divorce(Indonesia ), p.9 et seq., 拙稿 各論一〇八頁以下) ひとつは 夫が属している法が妻にも適用される点である すなわち 混合婚は 夫に適用される法に従って行われなくてはならず(混合婚規則第六条第一項) さらに混合婚を行う女性は 私法はもちろん 公法の分野においても夫の身分に従わなければならない(混合婚規則第二条) 前出の混合婚規則の内容から読み取れるのは 肯定的に見れば インドネシアにおいてはすべての法系の平等が存在するということである(Sudargo Gautama, op.cit., pp.130-31, 拙稿 各論一〇九頁) すなわち 妻となる者は 国籍が異なる場合であっても 異教徒間の場合であっても 法系の優劣をつけず 夫が属する法の適用を受けることとなる 例えば インドネシア国籍の女性とフランス国籍の男性とが婚姻する場合 フランス国籍の男性が属する法がインドネシア国籍の女性に適用されることとなり またキリスト教徒の女性とイスラム教徒の男性とが婚姻する場合には イスラム教徒の男性に適用される法が キリスト教徒の女性に適用されることになる(拙稿 各論一〇九頁) 一方 否定的に見れば 両性の平等が図られていない点が指摘されている 前出混合婚規則第二条によって妻の身分を夫の身分に従って決定することが直ちに妻の不利益に繋がるとはいえないと思われるが そのような決定は 夫の特権ではない旨が指摘されている いまひとつは 宗教 人種などが異なる者同士の婚姻が禁止されていない点である すなわち 宗教 家系 人種あるいは血統の違いは 混合婚における障東洋法学第 56 巻第 1 号 (2012 年 7 月 ) 311
害にはならないことが規定されている(混合婚規則第七条第二項) この原則は 婚姻に関する国際私法におけるハーグ会議を受け 混合婚規則に定められたものである(Sudargo Gautama, op.cit., p.134, 拙稿 各論一一〇頁) 宗教 人種などが異なる者同士の婚姻を禁止することの容認に対するこのような拒絶は 混合婚に関するインドネシアの判例法の中において生きている象徴であるとされていた(Sudargo Gautama, op.cit., pp.134-35, 拙稿 各論一一〇頁) すなわち 第二次世界大戦が勃発する数年前に 人種を理由とする婚姻の禁止を認めた外国の婚姻法を インドネシアにおいて維持し執行することができるかどうかを決定しなければならない事案がインドネシアの裁判所において度々扱われたが 裁判所は このような婚姻の禁止は 公序(public policy ) に反するという立場をとっていた この公序が 前出の混合婚規則第七条第二項に明確に定められているとみなされ得る 混合婚規則の制定後 一九二五年の (オランダ領)東インド統治法(Indische Staatsregeling ) 第一三一条及び第一六三条に基づき インドネシアに居住する者は ヨーロッパ人 外国系東洋人 その土地の者に分類されていた それらの者に いかなる法が適用されていたのかについて それは 法の分類の面から見れば ヨーロッパ人 外国系東洋人(中国人) 及び キリスト教徒のインドネシア人には 成文法が適用された(拙稿 各論一一〇頁) すなわち 一八四七年のインドネシアの民法典は その後になされた一九一七年の民法典改正と共に ヨーロッパ人及び外国系東洋人(中国人)に関する家族法の内容を規定していた 同民法典は 中国人以外の外国系東洋人に対しても適用されたが 家族法の内容については例外であり その内容は 彼ら自身の慣習法に基づいていた また キリスト教徒のインドネシア人には 一九三三年の ジャワ(Java ) マドゥラ(Mdura )及びアンボン(Ambon )におけるキリスト教徒のインドネシア人のための婚姻令 (一九三六年に変更)が適用され その一方で インドネシアの人口の大半を占めるイスラム教徒には 一般に アダット法とイスラム法とが適用されていた 一九七四年婚姻法の公布後 インドネシアにおいて行われる混合婚は 同法に従って行われることが規定されている(婚姻法第五九条第二項) 同法の中で特に重視すべき点は 混合婚の定義が 前出の一八九八年の混合婚規則とは異なるものと解釈されている点である(拙稿 各論一一一頁) 同法において 混合婚とは 国籍の相違 及び 当事者の一方がインドネシア国籍であるがゆえに インドネシアにおいて異なる法律に従う二人の者同士の婚姻を意味する と規定されている(婚姻法第五七条) それ故 同条の内容については 以下に掲げた点で 問題があるとされている(Wila Chandrawila Supriadi, Indonesian marriage law, The international survey of family law 1995, p.285, 拙稿 各論一一一頁) すな国際家族法研究会報告 佐々木彩 312
わち インドネシア国内において 婚姻の方式についての抵触が起り得るにもかかわらず 同じ宗教に属さないインドネシア人同士の婚姻は 婚姻法が定める混合婚には含まれないこととなる点である 従って いずれの方式による婚姻の方式が用いられるのかが問題となる(新婦の宗教上の方式によるのか 若しくは新郎の宗教上の方式によるのか はたまた双方の宗教上の方式によるのか) 婚姻法によれば 婚姻は それぞれの宗教 及び 関係当事者の信仰している法に従って行われた場合に有効である(婚姻法第二条第一項) 従って 婚姻は宗教上の方式なくして有効な婚姻とはならず 依然としてインドネシアにとっては問題が残存しているといわれている 一九七四年婚姻法が異教徒間の婚姻について明確に禁止しているわけではないため 異教徒間の婚姻の合法性については 以下のような内容を含む議論が生じてきた(Simon Butt, Poligamy and mixed marriage in Indonesia: Islam and the Marriage Law in the courts, in Tim Lindsey, Indonesia:Law and Society, 2nd edition, 2008, p.276, 拙稿 各論一一三頁) 同法における 混合婚 の定義により 混合婚規則における 混合婚 の定義が再定義されたと解された場合 インドネシア人間の異教徒間の問題は排除されることとなる すなわち 婚姻法第六六条が 本法に基づく婚姻及び婚姻に関するあらゆる事項に関しては 本法の発効とともに 民法典(Burgerlijk Wetboek ) インドネシア人キリスト教徒婚姻法(Huwelijks Ordonnantie Christen Indonesiers, 東インド法令一九三三年第七四号) 混合婚規則 及び 婚姻に関して定めた諸規定は 本法においてすでに規定されている限りは 失効することを明言する と定めていることから 混合婚規則における混合婚の定義は 婚姻法におけるそれによって置き換えられたとする解釈が可能になると指摘されている(大村 前掲六四頁 拙稿 各論一一三頁) 一方 ある学者は 以下のように主張した(Butt, op.cit., p.276(39 ), 拙稿 各論一一三頁) すなわち 一九七四年の婚姻法は 第五七条乃至第六二条において インドネシアにおける国籍の異なる者同士の婚姻 を混合婚と定義しその内容を規定しているが それらの規定は 異教徒間のインドネシアの国民の間における婚姻についても規定するものであると唱えた その一方で 同法第二条第一項に基づき 当事者の宗教によって異教徒間の婚姻が許されるのであれば その婚姻は合法であるという結論が下されたが 実際 インドネシア人の異教徒間における合法的な婚姻はほとんど生じなかったことが述べられている(Butt, op.cit., pp.276-77, 拙稿 各論一一三頁) なぜなら 多くの事案において 少なくとも一方の当事者は 異教徒間の婚姻を許さない宗教を信奉していたからである 特に イスラム教徒 ヒンドゥ教徒 及び 仏教徒の異教徒間で婚姻をすることは難しく 通常は不可能であるとされていた(Butt, op.cit., p.277, 拙稿 各論一一三頁) 東洋法学第 56 巻第 1 号 (2012 年 7 月 ) 313
その他 インドネシア人の国外で行われた婚姻の方式については 婚姻挙行地法主義が採用されている すなわち 当事者双方がインドネシア国民であるか または その一方がインドネシア国民であり それらの者の間でインドネシア国外で挙行された婚姻は 婚姻が挙行された国における法的に有効な婚姻の方式に従って行われた場合には適法であるとみなされる(婚姻法第五六条第一項) その場合 婚姻した夫婦は インドネシアに帰国してから滞在している一年以内に 居住地の婚姻登録事務所に彼らの婚姻を登録しなければならないとされている(婚姻法第五六条第二項) 三おわりに以上 混合婚 の定義を中心に概観したが 裁判所において一九七四年婚姻法成立当初に確立された見解は 同法が混合婚について明確に規定していないという理由により 一八九八年の混合婚規則は未だ有効であるというものだった(Butt, op.cit., pp.277-78, 拙稿 各論一一三頁) 裁判所は 婚姻法制定の翌年に 混合婚が民事登録所で締結されることを決定し 婚姻法第二条第一項の規定にかかわらず可能な限り民事婚を成立させた(拙稿 各論一一三頁) そのことは 異教徒間の婚姻の方法を広げる結果となり 少なくとも一九八六年頃まで続いたとされている(Pompe, op.cit., p.262, 拙稿 各論一一三頁) その後 一九八七年までに民事登録所における混合婚は不可能となり(Pompe, op.cit., p.262, 拙稿 各論一一三頁) また 一九八六年のセントラルジャカルタ地方裁判所は ムスリム女性と非ムスリム男性(プロテスタント)との間の婚姻を認めることができないと判断した(Butt, op.cit., p.278, 拙稿 各論一一三頁以下) その後 インドネシア共和国大統領指令(Instruksi Presiden Republik Indonesia )一九九一年第一号により イスラム法集成(Kompolasi Hukum Islam, 以下 KHIという) の使用が指示された(柳橋編 前掲書九五頁 拙稿 各論一一四頁) KHIにおいては 男性はイスラム教を信仰しない女性との婚姻を禁じられており(KHI第四〇条C) また イスラム教徒の女性は イスラム教を信仰しない男性と婚姻することを禁じられている(KHI第四四条)(柳橋編 前掲書一九九頁以下) 従って イスラム教徒のインドネシア人がかかわる異教徒間の婚姻の問題については KHIが大きな役割を果たすこととなる KHIは イスラム教徒のみにかかわるものなので 他宗教の者同士の婚姻については その者が属する宗教が認めていれば異教徒間の婚姻も可能と解せるが 現実には 婚姻当事者の一方が改宗することとなる可能性が否めない 以上のことから 異教徒間の婚姻については 明確に禁止する法律はなくとも 厳格な方向に進んでいると思われ 実際に 一九九〇年代半ばから混合婚を登録することは明らかに難しく 不可能であるとされている(Butt, op.cit., p.283, 前掲 各論一一四頁) (ささき さい苫小牧工業高等専門学校准教授)国際家族法研究会報告 佐々木彩 314