博 士 学 位 論 文 韓 国 絵 画 の 近 代 化 と 女 性 の 表 現 2014 年 2 月 九 州 産 業 大 学 大 学 院 芸 術 研 究 科 造 形 表 現 専 攻 梁 鎬 年 2

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1 韓 国 絵 画 の 近 代 化 と 女 性 の 表 現 2014 年 2 月 梁 鎬 年 1

2 博 士 学 位 論 文 韓 国 絵 画 の 近 代 化 と 女 性 の 表 現 2014 年 2 月 九 州 産 業 大 学 大 学 院 芸 術 研 究 科 造 形 表 現 専 攻 梁 鎬 年 2

3 目 次 はじめに 6 第 1 章 韓 国 の 伝 統 的 絵 画 と 女 性 の 表 現 9 第 1 節 朝 鮮 時 代 前 期 以 前 9 第 2 節 朝 鮮 時 代 後 期 16 第 1 項 尹 斗 緖 (ユン ドゥソ)とその 一 族 17 第 2 項 趙 榮 祏 (チョ ヨンソク) 27 第 3 項 金 弘 道 (キム ホンド) 34 第 4 項 申 潤 福 (シン ユンボク) 42 第 2 章 朝 鮮 時 代 における 西 洋 画 風 59 第 1 節 中 国 からの 西 洋 画 風 の 流 入 59 第 2 節 西 洋 画 風 により 描 かれた 作 品 66 第 3 章 外 国 人 による 韓 国 女 性 の 表 現 (19 世 紀 末 -20 世 紀 初 ) 75 第 1 節 西 洋 人 による 女 性 の 絵 画 表 現 75 第 1 項 19 世 紀 末 に 韓 国 の 風 景 を 描 いた 西 洋 人 75 第 2 項 エリザベス キース 87 第 2 節 日 本 の 画 家 による 女 性 の 表 現 114 3

4 第 4 章 韓 国 の 画 家 による 女 性 の 表 現 ( ) 139 第 1 節 裸 体 141 第 2 節 新 しい 女 性 の 表 現 164 第 3 節 少 女 の 表 現 181 第 4 節 母 子 の 表 現 190 第 5 節 妓 生 の 表 現 203 第 1 項 妓 生 の 起 源 と 歴 史 203 第 2 項 韓 国 近 代 美 術 における 妓 生 の 表 現 212 第 5 章 絵 画 制 作 224 参 考 文 献 一 覧 237 図 版 目 録 241 4

5 凡 例 本 文 に 記 載 した 作 品 の 標 題 は 作 品 を 所 蔵 する 美 術 館 などが 公 表 したものに 従 った 本 文 中 のカタカナは 韓 国 語 の 読 み 方 を 表 記 したものである 欧 文 (アルファベット) 表 記 は ハングル( 韓 国 語 )の 英 文 表 記 である 欧 文 の Korea または Coree を 韓 国 と 表 記 した 時 代 の 表 記 に 関 しては 韓 国 歴 史 に 従 って 1392 年 年 までは 朝 鮮 1910 年 年 までは 植 民 地 朝 鮮 植 民 地 朝 鮮 時 代 に 表 記 し 1945 年 以 降 は 韓 国 に 表 記 した 文 化 的 に 今 日 から 振 り 返 ってみた 場 合 韓 国 として 表 記 している 他 の 本 文 中 で 引 用 資 料 として 掲 載 するときに なるべく 歴 史 的 な 研 究 資 料 として 原 文 の ままに 記 した 註 は 各 節 各 項 のおわりに 記 した 5

6 はじめに 本 論 を 執 筆 するにあたり 研 究 対 象 の 女 性 表 現 に 関 する 書 籍 や 論 文 画 集 美 術 展 の 図 録 などを 考 察 しているなかで 韓 国 絵 画 において 女 性 を 対 象 とした 表 現 が 20 世 紀 初 頭 頃 から 急 に 多 くあらわれるようになり この 女 性 を 対 象 とした 絵 画 の 表 現 が 韓 国 近 代 美 術 の 展 開 に 重 要 な 意 味 を 持 つことが 推 察 された 韓 国 近 代 美 術 に 関 する 議 論 の 中 で 重 要 な 部 分 の 一 つが 近 代 美 術 の 起 点 の 議 論 である 韓 国 近 代 史 における 起 点 の 問 題 は 大 きく 分 けて 次 の 三 種 類 の 見 解 に 区 分 することができ る 一. 開 港 (1876 年 ) 以 前 説 -ヨーロッパ 文 化 が 積 極 的 に 流 入 する 以 前 に 近 代 化 が 始 まっ たという 見 解 であり 朝 鮮 後 期 の 社 会 内 部 にあらわれた 変 化 を 近 代 の 起 点 とみる 説 である 二. 開 港 説 - 開 港 以 前 の 状 況 は 近 代 の 起 点 とみることは 非 常 に 根 拠 が 微 弱 だとみて 開 港 前 後 のある 時 期 を 起 点 とみる 説 である 三.8 15 解 放 説 年 8 月 15 日 の 前 すなわち 1910 年 から 1945 年 まで 韓 国 社 会 は 主 権 を 失 った 時 期 である また 封 建 的 な 色 々な 残 り 滓 が 払 いきれなかった 時 なので 真 の 韓 国 の 近 代 化 は 植 民 地 の 統 治 が 終 わった 後 から 始 まるという 説 である ( 註 1) 絵 画 においては その 他 にも 한국근대미술 1920 년대 기점시론( 韓 国 近 代 美 術 1920 年 代 起 点 試 論 ) を 通 じて 金 炫 淑 (キム ヒョンスク)は 展 覧 会 と 教 育 機 関 をはじめとす る 美 術 制 度 の 変 貌 を 根 拠 にして 1920 年 代 説 を 主 張 している 美 術 史 家 權 寧 弼 (クォン ヨンピル)は 中 人 ( 註 2)の 階 層 の 浮 上 とその 美 術 を 根 拠 にして 19 世 紀 中 葉 説 を 金 英 羅 (キム ヨンナ)は 西 洋 美 術 の 移 植 美 術 団 体 美 術 概 念 の 変 貌 を 根 拠 にして

7 年 代 説 を 主 張 した その 後 美 術 史 家 洪 善 杓 (ホン ソンピョ)は 近 代 的 表 象 システム を 論 拠 として 1890 年 代 説 を 提 起 した 洪 善 杓 (ホン ソンピョ)は 2002 年 に 오원양식의 풍미와 근대적 표상시스템( 吾 園 ( 註 3) 様 式 の 風 味 と 近 代 的 表 象 システム) という 文 で 文 化 社 会 論 的 観 点 を 提 示 し これにともない 近 代 的 表 象 システムが 誕 生 した 時 期 は 1890 年 代 と 規 定 した ( 註 4) このように 韓 国 近 代 美 術 の 起 点 について 様 々な 説 があるが 私 は 女 性 像 に 注 目 し 朝 鮮 時 代 までとは 異 なる 人 間 的 な 内 面 の 美 や 人 体 美 および 個 性 の 表 現 といった 近 代 性 を 持 つ 新 しい 意 味 の 女 性 像 があらわれたことを 韓 国 絵 画 における 近 代 化 の 起 点 と 提 示 し これに ついて 検 討 する したがって 第 1 章 では 近 代 以 前 の 女 性 の 表 現 について 検 討 する 朝 鮮 時 代 の 絵 画 で は 女 性 は 絵 画 の 主 なるモチーフではなかった 女 性 の 姿 が 絵 にあらわれるようになった のは 日 常 生 活 で 仕 事 をする 庶 民 の 姿 を 描 こうとした 文 人 の 画 家 からである 文 人 の 画 家 は 魅 力 的 な 女 性 美 を 表 現 する 目 的 ではなく 一 般 庶 民 が 仕 事 をする 姿 を 描 きたがったので ある 韓 国 近 代 美 術 で 女 性 の 姿 が 多 く 描 かれるようにになった 背 景 には 西 洋 画 法 の 流 入 にあ ると 考 え 第 2 章 では 17 世 紀 頃 から 中 国 を 通 じて 流 入 された 西 洋 画 法 の 影 響 について 考 察 する また 外 国 人 との 交 流 との 関 係 を 考 察 ため 第 3 章 では 朝 鮮 植 民 地 朝 鮮 を 訪 ね その 当 時 の 女 性 を 描 いた 外 国 人 について 検 討 する 彼 達 の 女 性 の 表 現 について 検 討 し つつ 西 洋 人 の 画 家 とその 当 時 の 韓 国 との 関 係 を 考 察 する さらに 日 本 の 画 家 が 表 現 した 植 民 地 朝 鮮 時 代 の 女 性 の 表 現 について 探 る 朝 鮮 時 代 まで 描 かれた 女 性 の 表 現 とは 異 なる 女 性 像 が 韓 国 の 画 壇 に 登 場 したのは

8 年 からである 1915 年 から 韓 国 の 画 家 によって 多 様 な 女 性 の 姿 が 描 かれた それゆえ 第 4 章 では 1910 年 から 1945 年 までにおける 韓 国 の 画 家 が 描 いた 女 性 の 表 現 について 検 討 す る 朝 鮮 時 代 の 儒 教 などの 伝 統 思 想 によりあまり 描 かれなった 女 性 の 姿 が 当 時 の 韓 国 の 画 家 によってどのように 表 現 したのかを 探 る 本 研 究 では 韓 国 近 代 美 術 において 新 しく 画 題 として 登 場 し 韓 国 の 画 家 達 によって 非 常 に 多 く 表 現 された 裸 体 新 しい 女 性 像 少 女 の 表 現 母 子 の 表 現 妓 生 の 表 現 に 分 けて 考 察 する 第 5 章 では 以 上 のような 研 究 を 進 めながら これにともなう 絵 画 制 作 をおこなった その 作 品 についてまとめる 註 ) 1. 이경성(イ ギョンソン) 한국근대회화( 韓 国 近 代 絵 画 ) 일지사 1980 pp 朝 鮮 時 代 の 両 班 と 常 人 の 中 間 の 身 分 3. 張 承 業 ( )の 雅 号 である 朝 鮮 後 期 の 画 家 4. 文 学 史 学 会 역사와 문화 11 호( 歴 史 と 文 化 11 号 ) 푸른역사 2006 p.183 8

9 第 1 章 韓 国 の 伝 統 的 な 絵 画 と 女 性 絵 画 表 現 第 1 節 朝 鮮 時 代 前 期 以 前 韓 国 絵 画 の 中 で 最 も 古 い 女 性 人 物 画 は 高 句 麗 の 古 墳 壁 画 に 描 かれている 夫 婦 肖 像 ( 挿 図 1 2)の 内 墓 主 夫 人 像 ( 図 2)である その 墓 主 夫 人 は 墓 主 と 比 べてやや 低 い 屋 蓋 を 飾 っている 屋 蓋 上 に 墓 主 と 同 様 の 蓮 華 飾 りを 置 き さまざま 形 の 垂 飾 をつけた 朱 紐 で 墓 を 絞 りあげた 瀟 洒 な 帳 房 内 の 牀 座 に 像 高 94 センチのたっぷりとした 体 軀 を 4 分 の 3 の 横 向 姿 勢 で 墓 主 に 向 かって 横 座 りしている ( 註 1) 墓 主 夫 人 の 姿 は 髪 を 高 くあげ 目 は 小 さく 細 く 描 いてあるが それに 比 べて 耳 の 部 分 は 大 きく 描 かれている このような 描 き 方 は 当 時 の 一 般 的 な 貴 族 夫 人 の 表 現 様 式 であり 大 きな 耳 は 富 貴 の 象 徴 である また その 富 貴 は 豊 満 な 体 形 と 模 様 が 描 かれた 衣 装 によって 表 現 されている このような 表 現 により 墓 主 夫 人 に 相 応 しい 権 威 を 感 じることができる 図 1 墓 主 像 高 句 麗 357 年 安 岳 3 号 墳 西 側 室 黄 海 南 道 安 岳 郡 図 2 墓 主 夫 人 像 高 句 麗 357 年 安 岳 3 号 墳 西 側 室 黄 海 南 道 安 岳 郡 9

10 被 葬 者 の 肖 像 画 が 描 かれた 室 の 隣 の 入 口 には 守 門 将 が 描 かれているが 左 側 の 守 門 将 の 頭 上 には 冬 壽 は 幽 州 の 甬 東 出 身 で 永 和 十 三 年 (357) 10 月 26 日 に 亡 くなった 官 職 は 平 東 将 軍 楽 浪 であり 玄 兎 と 帶 方 の 太 守 等 を 歴 任 した 69 歳 に 世 を 去 った と 書 かれ た 墨 書 銘 がある ( 註 2) 357 年 に 造 成 された 安 岳 3 号 墳 を 始 めとして 4-6 世 紀 前 期 までの 壁 画 には 墓 主 夫 婦 像 が 描 かれている しかし 6 世 紀 中 葉 から 7 世 紀 前 半 までには 墓 室 の 縮 小 と 神 霊 らしい 動 物 の 四 神 図 ( 註 3)を 強 調 する 傾 向 があった 為 人 物 像 は 描 かれなかった ( 註 4) 安 岳 3 号 墳 は 南 北 約 33 メートル 東 西 約 30 メートル 高 さ 約 6 メートルの 方 形 で 墓 室 は 半 地 下 に 石 で 積 み 羨 道 羨 室 前 室 の 東 西 に 二 つの 側 室 玄 室 回 廊 からなってい る ( 註 5) 韓 国 の 女 性 の 表 現 は このような 古 代 の 壁 画 以 外 にも 王 侯 や 貴 族 等 の 肖 像 画 が 描 かれて いたという 記 録 がある 特 に 高 麗 時 代 では 王 と 王 侯 貴 族 の 肖 像 画 を 描 くことが 流 行 り 王 侯 や 貴 族 の 夫 人 を 多 く 描 かれたことが 伝 える 記 録 が 残 っている しかし 作 品 は 殆 ど 現 存 してない 夫 人 の 肖 像 画 朝 鮮 時 代 の 初 期 には 高 麗 時 代 の 影 響 で 王 侯 や 功 臣 の 夫 人 の 肖 像 画 が 描 かれていたが 文 禄 慶 長 の 役 ( ) 時 に 火 災 で 焼 失 してしまった その 後 文 禄 慶 長 の 役 以 後 では 王 后 の 肖 像 画 を 描 いたという 記 録 はない 粛 宗 ( 朝 鮮 第 19 代 の 王 )は 1682 年 8 月 に 当 時 の 継 妃 であった 仁 顕 王 后 閔 氏 ( )の 影 子 を 描 くことを 図 った しかし 臣 下 の 反 対 により 描 かせることはできなかった ( 註 6) 当 時 の 朝 鮮 の 儒 教 的 な 観 10

11 念 では 男 性 の 画 員 が 王 妃 を 直 接 見 て 描 くことは 無 礼 なことであった 朝 鮮 時 代 の 夫 妻 肖 像 画 は 河 演 夫 妻 の 肖 像 朴 堧 夫 妻 の 肖 像 趙 伴 夫 人 肖 像 等 があるが これは 高 麗 時 代 の 影 響 によりこのような 夫 妻 肖 像 画 が 描 かれたとみられる 朝 鮮 の 夫 妻 肖 像 画 は 河 演 夫 妻 のように 別 々に 描 く 場 合 が 多 く 朴 堧 夫 妻 のように 夫 と 妻 が 一 緒 に 描 かれているのは 珍 しいことである 図 3 河 演 夫 妻 の 肖 像 絹 本 色 彩 朝 鮮 前 期 ( 朝 鮮 後 期 に 伝 移 模 写 ) しかし これらの 肖 像 画 は 朝 鮮 初 期 に 製 作 された 原 本 ではなく 朝 鮮 後 期 に 伝 移 模 写 で 描 かれたものである このような 夫 妻 肖 像 画 は 朝 鮮 の 性 理 学 思 想 の 影 響 によってその 後 夫 人 の 姿 を 描 くことは 殆 どなくなった 趙 伴 之 夫 人 肖 像 は 18 世 紀 に 伝 移 模 写 した 作 品 である その 絵 は 主 に 線 描 で 表 現 され 18 世 紀 に 導 入 された 陰 影 は 用 いられてない 服 は 朝 鮮 時 代 のものではなく 高 麗 時 代 の 衣 11

12 服 と 推 測 される 画 面 の 右 上 に 開 国 功 臣 百 川 后 人 趙 伴 之 夫 人 肖 像 と 書 いている 趙 伴 之 夫 人 肖 像 の 人 物 は 背 凭 れがない 椅 子 に 両 手 を 合 わせて 座 っている 姿 である 4 分 の3 斜 め 右 向 きの 姿 を 描 いた 絵 で ふくらはぎまで 描 写 している 図 4 趙 伴 之 夫 人 肖 像 絹 本 彩 色 cm 18 世 紀 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 18 世 紀 に 描 かれたもう 一 つの 肖 像 画 は 福 川 呉 夫 人 影 幀 がある 全 州 李 氏 密 昌 君 ( 宣 祖 の 孫 の 孫 ) 李 樴 (1677~1746)の 墓 で 出 土 された 夫 人 呉 氏 (1676~1761 以 後 )の 肖 像 画 であ る ( 註 7) 姜 世 晃 (カン セファン 1713~1791)の 福 川 呉 夫 人 影 幀 には 福 川 呉 夫 人 八 十 六 歳 眞 と 書 いた 題 目 の 下 に 韓 服 の 姿 で 座 っている 老 夫 人 が 描 かれている 図 の 左 側 には 姜 世 晃 が 86 歳 になった 母 親 の 肖 像 を 描 いた 密 昌 君 の 長 男 である 豹 菴 が 姜 12

13 世 晃 に 頼 んだ という 跋 文 が 書 いている 椅 子 と 杖 は 王 から 下 された 物 と 推 測 される このように 高 麗 時 代 と 朝 鮮 時 代 に 夫 婦 肖 像 を 描 いた 目 的 は 願 堂 ( 註 8)や 祠 堂 に 奉 安 するためであった 夫 人 肖 像 画 は 記 録 的 な 目 的 と 法 事 を 行 うための 祭 儀 的 な 目 的 を 持 って いたのである したがって 夫 婦 肖 像 画 は 一 定 的 な 図 像 と 表 現 法 に 従 う 慣 習 的 性 格 が 強 か ったと 察 する ( 註 9) 女 性 の 教 育 訓 戒 の 目 的 とする 女 性 表 現 以 上 に 挙 げた 作 品 の 他 に 朝 鮮 時 代 で 女 性 を 描 いた 絵 は 三 綱 行 實 図 の 挿 絵 で 見 ること ができる 三 綱 行 實 図 は 1434 年 世 宗 の 指 示 で 直 提 学 ( 註 10)であった 偰 循 (?-1435) の 主 導 により 作 られた その 著 書 は 朝 鮮 と 中 国 の 書 籍 から 忠 臣 孝 行 息 子 烈 女 が 各 35 人 合 計 105 人 を 選 ばれ 各 人 の 行 跡 が 文 と 絵 で 示 されている 朝 鮮 の 人 としては 孝 行 息 子 4 人 忠 臣 6 人 烈 女 6 人 が 載 せている その 著 書 の 挿 絵 は 当 時 の 有 名 な 画 家 である 安 堅 崔 涇 安 貴 生 等 によって 描 かれている 三 綱 行 實 図 は 1481 年 ( 成 宗 12 年 )にハ ングルで 刊 行 され 以 後 1729 年 ( 英 祖 5 年 )に 至 るまで 何 度 も 出 版 されている この 著 書 は 民 衆 の 道 徳 教 育 のために 朝 鮮 時 代 に 初 めて 発 刊 された また 最 も 多 く 読 まれた 著 書 で もある 成 宗 先 祖 英 祖 時 代 に 刊 行 された 重 刊 本 が 現 在 に 伝 えられている 次 の 絵 17 世 紀 に 製 作 された 東 國 新 續 三 綱 行 實 図 の 中 の 挿 絵 である この 本 をみれ ば 15 世 紀 に 初 めて 作 られた 三 綱 行 實 図 の 挿 絵 を 推 測 することができると 考 えられる 13

14 図 5 慊 妻 昌 火 烈 女 便 1 冊 図 6 黄 氏 壺 烈 女 便 1 冊 東 國 新 續 三 綱 行 實 図 紙 木 版 cm 1617 ソウル 大 学 校 奎 章 閣 韓 国 学 研 究 院 東 國 新 續 三 綱 行 實 図 の 中 の 女 性 の 表 現 は 線 描 で 描 かれている 中 国 風 の 服 を 着 て いるので 朝 鮮 の 女 性 というよりも 中 国 女 性 のように 見 える また 家 も 朝 鮮 の 家 屋 では ないとみられる このように 近 代 以 前 において 女 性 の 表 現 は 公 的 な 肖 像 画 の 一 部 あるいは 労 働 する 女 性 の 姿 として 表 現 されていた いわば 儒 教 的 訓 戒 の 模 範 となるような 姿 で 描 かれること が 殆 どであった 14

15 註 ) 1. 菊 竹 淳 一 吉 田 宏 志 高 句 麗 百 済 新 羅 高 麗 ( 世 界 美 術 大 全 集 東 洋 編 第 10 巻 )) 小 学 館 1998 p 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 兪 弘 濬 の 韓 国 美 術 史 講 義 1 눌와 2010 p.113 永 和 十 三 年 十 月 戊 子 朔 二 十 六 日 癸 丑 使 持 節 都 督 諸 軍 事 平 東 將 軍 護 撫 夷 校 尉 樂 浪 相 昌 黎 玄 兎 帶 方 太 守 都 鄕 侯 幽 州 遼 東 平 郭 都 鄕 敬 上 里 冬 壽 字 安 年 六 十 九 薨 官 : 韓 国 古 代 社 会 研 究 所 編 訳 注 韓 国 古 代 金 石 文 1- 高 句 麗 百 済 浪 浪 便 伽 耶 国 史 開 発 研 究 院 それぞれ 東 西 南 北 の 防 衛 を 守 る 神 の 青 龍 白 虎 朱 雀 玄 武 を 描 いた 絵 4. 趙 善 美 (チョ ソンミ) 韓 国 肖 像 画 研 究 悦 話 当 1989 pp 菊 竹 淳 一 吉 田 宏 志 前 掲 書 p 趙 善 美 (チョ ソンミ) 前 掲 書 p 尹 軫 暎 (ユン ジンヨン) 姜 世 晃 作 - 福 川 呉 夫 人 影 幀 講 座 美 術 史 韓 国 仏 教 美 術 史 学 会 2006 年 pp 故 人 の 肖 像 画 や 位 牌 を 祭 る 建 物 9. 문선주(ムン ソンジュ) 20 世 紀 初 の 韓 国 夫 人 の 肖 像 の 制 作 ( 近 代 に 出 会 った 東 アジアの 絵 画 ) < 株 > 社 会 評 論 2011 p 朝 鮮 時 代 の 官 職 の 名 前 で 集 賢 殿 の 從 三 品 弘 文 館 及 び 藝 文 館 の 正 三 品 の 官 位 15

16 第 2 節 朝 鮮 時 代 後 期 韓 国 の 絵 画 史 の 中 で 重 視 されている 風 俗 画 は 朝 鮮 後 期 ( ) 画 壇 で 真 景 山 水 図 とともに 流 行 した 絵 画 であり 当 時 には 俗 画 と 称 した 広 い 意 味 での 風 俗 画 は 朝 鮮 前 期 の 進 宴 ( 註 1) 図 進 饌 ( 註 2) 図 等 の 宮 中 の 行 事 内 容 を 描 いた 儀 軌 図 ( 註 3) 等 のような 記 録 画 や 官 僚 の 契 会 の 光 景 を 描 いた 契 会 図 仏 画 及 び 民 画 等 も 含 まれている ( 註 4) 最 初 の 風 俗 画 は 儒 教 的 な 民 本 主 義 による 無 逸 ( 註 5)の 精 神 により 朝 鮮 初 期 から 宮 中 歳 画 ( 註 6)として 製 作 された 無 逸 図 ( 註 7) 邠 風 図 及 び 農 家 十 二 月 図 のよう な 耕 織 風 俗 図 の 系 列 の 教 訓 の 目 的 で 製 作 されていた ( 註 8) 尹 斗 緖 (ユン ドゥソ)とその 一 族 と 趙 榮 祏 (チョ ヨンソク)により 描 かれた 村 の 生 業 場 面 も 耕 織 風 俗 図 の 脈 絡 を 継 承 して 表 現 している これらが 朝 鮮 後 期 の 風 俗 画 の 始 まりである 朝 鮮 後 期 の 風 俗 画 が 発 展 した 原 因 は 庶 民 経 済 の 発 達 による 享 楽 的 生 活 の 追 求 庶 民 意 識 の 成 長 に 伴 う 文 化 的 欲 求 の 拡 散 実 学 の 発 達 及 び 中 国 から 入 ってきた 耕 織 図 等 の 影 響 を 受 けて 描 かれたとみられている そして その 風 俗 画 は 庶 民 から 王 様 まで 幅 広 く 愛 されるようになった 正 祖 は 差 備 待 令 画 員 ( 註 9)を 選 ぶ 試 験 において 風 俗 画 を 画 題 として 提 出 し 皆 が 見 るやいなや 笑 うほどユーモアがある 絵 を 描 きなさい と 命 じた ( 註 10)そのためか 風 俗 画 にはユー モアとウィットが 表 現 された 作 品 が 多 数 存 在 している 以 下 尹 斗 緖 とその 一 族 と 趙 榮 祏 及 び 朝 鮮 後 期 の 画 員 画 家 が 描 いた 初 期 の 風 俗 画 にお ける 女 性 の 表 現 を 考 察 する 16

17 第 1 項 尹 斗 緖 (ユン ドゥソ)とその 一 族 朝 鮮 後 期 の 風 俗 画 を 切 り 開 いた 画 家 は 尹 斗 緖 ( )である 尹 斗 緖 は 字 は 孝 彦 号 は 恭 齋 あるいは 鐘 崖 と 呼 ぶ 彼 は 粛 宗 時 代 に 活 躍 した 代 表 的 な 文 人 画 家 であった また 彼 は 実 学 と 呼 ばれる 学 問 を 研 究 する 学 者 であり 詩 書 画 に 精 通 する 芸 術 家 でも あった 彼 は 実 学 の 学 問 に 基 づいて 写 実 的 に 絵 を 描 こうと 試 みた 彼 が 人 物 や 動 物 を 描 こうと 思 う 時 には それらを 何 日 間 も 観 察 し その 形 を 把 握 した 後 にはじめて 筆 を 執 った そのような 理 由 で 彼 の 馬 絵 と 人 物 の 絵 は 非 常 に 生 き 生 きしていたと 伝 えられている こ の 点 は 彼 の 自 画 像 でも 確 認 できる それは 一 般 的 な 肖 像 画 とは 違 い 顔 だけを 強 調 して 表 現 している これは 韓 国 で 最 初 の 自 画 像 とする 本 来 この 自 画 像 は 胸 の 部 分 の 襟 と 皺 を 線 描 で 表 現 されていたが 後 代 で 補 修 する 過 程 で 消 されてしまった 1932 年 朝 鮮 史 料 集 眞 續 に 載 せている 写 真 でその 姿 を 確 認 することができる 2006 年 に 国 立 中 央 博 物 館 により 赤 外 線 撮 影 蛍 光 分 析 法 及 び 赤 外 線 等 の 科 学 的 分 析 を 実 施 した その 結 果 省 略 されたと 考 えていた 耳 や 身 体 の 表 現 襟 服 の 皺 までが 現 れた ( 註 11) 尹 斗 緖 は 朝 鮮 時 代 の 時 調 ( 註 12)の 巨 匠 と 呼 ばれる 尹 善 道 (ユン ソンド ) の 孫 であり 朝 鮮 末 期 の 実 学 者 丁 若 鏞 (チョン ヤクヨン )の 娘 の 子 である 彼 の 最 初 の 夫 人 の 全 州 李 氏 は 韓 国 に 初 めて 西 学 を 伝 えた 李 睟 光 (イ スクァン )の 孫 であった このように 彼 は 学 者 の 名 門 の 家 に 生 まれたのであるが 科 挙 に 受 かっても 官 職 に 進 むこ とはできなかった 彼 は 26 歳 の 時 進 士 ( 註 13) 試 に 合 格 した 頃 から 絶 えず 不 運 が 押 し 寄 せた 試 験 に 合 格 した 翌 年 には 養 父 が 亡 くなり それから 3-4 年 後 には 両 親 までも 亡 く 17

18 なられた それだけではなく 兄 弟 や 友 人 等 が 政 治 的 策 略 にまきこまれて 流 罪 に 処 せられ 流 刑 地 へ 連 れて 行 かれたり その 後 死 刑 になった 尹 斗 緖 は 46 歳 (1713 年 )の 時 に ソウルでの 生 活 を 片 づけて 海 南 へ 帰 郷 して 暮 らして いた その 時 期 に 描 いた 絵 が 韓 国 最 初 の 自 画 像 とされている 自 画 像 である 彼 が 46 歳 頃 に 描 いたその 自 画 像 は そういう 厳 しい 状 況 に 屈 せず 西 洋 や 中 国 等 か ら 新 しい 文 物 を 受 け 入 れて 実 践 する 尹 斗 緖 の 学 識 と 積 極 的 な 姿 勢 先 駆 者 的 である 様 相 を 感 じることができる この 一 幅 の 絵 の 中 に 彼 の 人 生 と 芸 術 が 含 まれているようにみえる 図 1 尹 斗 緖 自 画 像 紙 淡 彩 図 2 朝 鮮 史 料 集 眞 續 の 中 で 載 せていた cm 個 人 蔵 ( 国 宝 第 240 号 ) 1930 年 代 に 撮 った 尹 斗 緖 の 自 画 像 の 白 黒 写 真 18

19 自 画 像 に 表 現 されている 正 面 を 凝 視 している 二 つの 目 と 生 き 生 きしているひげの 表 現 は 見 る 者 を 圧 倒 する 恰 幅 の 良 い 顔 に 長 く 生 い 茂 った 髭 は 目 の 神 秘 をより 一 層 高 め させている 陰 陽 法 による 目 の 周 囲 と 鼻 の 表 現 は 西 洋 画 の 影 響 を 受 けたという 意 見 がある 髭 の 部 分 は 非 常 に 精 密 で 躍 動 を 感 じさせる 表 現 である 彼 の 友 人 李 夏 坤 (イ ハコン ) は この 自 画 像 をみてこういう 詩 を 書 いた ( 註 14) 以 不 満 六 尺 身 有 超 越 四 海 之 志 飄 長 髪 而 顔 如 渥 丹 望 之 者 疑 其 為 羽 人 劍 士 而 其 怐 順 退 讓 之 風 盞 亦 無 愧 乎 篤 行 之 君 子 6 尺 に 満 たない 身 体 であるが 四 海 を 超 越 する 志 がある 長 いひげをなびかせて 顔 は 艶 がある この 絵 を 見 る 人 は 仙 人 かそれとも 剣 客 なのか 疑 うが 真 に 謙 虚 な 姿 勢 を 備 えている 彼 は 篤 行 の 君 子 として 恥 じるところが 少 しもない 尹 斗 緖 は 既 存 の 性 理 学 でなく 実 学 という 学 問 を 研 究 し 絵 にも 新 しい 形 式 を 挑 戦 してい た 彼 は 農 民 を 主 題 とした わらじを 編 む ナムルを 採 る 女 性 木 器 削 り 等 の 風 俗 画 を 描 いている これらは 朝 鮮 末 期 の 風 俗 画 の 誕 生 を 知 らせる 作 品 である 今 までの 朝 鮮 時 代 の 絵 画 に 登 場 する 人 物 は 高 尚 な 人 や 仙 人 が 中 心 だったので 農 民 を 主 題 として 描 く ことは 画 期 的 な 進 歩 であった 尹 斗 緖 は 中 国 の 顧 氏 画 譜 ( 註 15)と 唐 詩 画 譜 ( 註 16) 等 を 参 考 しながら 絵 を 習 い 19

20 始 めた ( 註 17)このように 彼 は 中 国 の 絵 の 影 響 を 受 けたので 風 俗 画 の 背 景 の 表 現 が 山 水 画 の 技 法 を 強 く 感 じさせる 兪 弘 濬 (ユン ホンジュン 1949-) 氏 は 尹 斗 緖 の 絵 の 背 景 を 描 かずに 人 物 だけを 表 現 したら さらに 事 実 感 が 強 く 感 じられると 指 摘 している また 尹 斗 緖 が 描 いた 風 俗 画 の 背 景 を 全 部 除 去 すれば 18 世 紀 に 流 行 した 風 俗 画 のような 迫 力 感 を 感 じることができると 述 べた 人 物 は 朝 鮮 の 庶 民 で 背 景 は 中 国 風 なので 庶 民 の 生 活 をありのままに 写 したとはいな ないが 風 俗 や 静 物 などを 写 実 的 に 描 写 することを 試 みたことは その 後 18 世 紀 から 展 開 した 風 俗 画 や 真 景 山 水 画 に 大 きな 影 響 を 与 えたと 考 えられる 尹 斗 緖 が 上 流 階 級 の 姿 ではなく 庶 民 の 生 活 に 関 心 を 持 ち 農 工 と 庶 民 の 姿 を 描 いたこ とは 大 変 重 要 な 意 味 を 持 っている 彼 の 作 品 ナムルを 採 る 女 性 は 朝 鮮 時 代 の 絵 画 のうち 一 般 女 性 が 生 活 の 中 で 仕 事 を している 姿 を 描 いた 最 初 の 作 品 とされている 図 3 尹 斗 緖 ナムルを 採 る 女 性 麻 布 墨 cm 海 南 尹 氏 家 伝 古 画 帖 海 南 宗 家 20

21 ナムルを 採 る 女 性 ではナムルを 採 り 手 をしばらく 止 めて 首 と 肩 反 らしてナムル を 探 しているような 仕 草 の 女 性 の 姿 と 網 袋 を 持 ち 腰 を 下 げて 刃 物 でナムルを 採 ろうと する 女 性 の 姿 がある 二 人 の 女 性 は 三 回 装 チョゴリを 着 ている 三 回 装 チョゴリとは 袖 先 襟 結 びひもを 身 ごろと 違 う 布 で 縁 どったチョゴリで 上 流 階 級 の 夫 人 が 着 る 服 である 上 流 階 級 の 夫 人 と 召 使 いが 一 緒 にナムルを 採 りに 出 てきたと 推 測 することができる ナムルを 採 る 二 人 の 女 性 の 背 景 には 山 と 空 を 飛 んでいる1 羽 の 鳥 を 描 き 入 れてある その 鳥 は 斜 面 で 作 業 する 人 物 背 景 の 山 と 三 角 形 の 構 図 することでバランスを 取 っている このような 背 景 で 山 水 を 描 くことが 18 世 紀 に 流 行 した 風 俗 画 とは 異 なっている 二 人 の 女 性 が 着 ているチョゴリは 腰 迄 の 長 さがあり 世 紀 初 期 の 風 俗 画 に 表 現 さ れている 女 性 のチョゴリの 長 さと 形 とが 比 較 される スカートのシワを 均 等 な 間 隔 で 描 写 したその 表 現 は 18 世 紀 風 俗 画 で 流 行 することになる このように 士 大 夫 が 庶 民 の 女 性 を 観 察 して 表 現 することは 男 女 七 歳 にして 同 衾 せず ( 男 女 七 歳 不 同 席 ) という 価 値 観 を 持 っていた 朝 鮮 の 儒 教 社 会 では 画 期 的 であった その 社 会 的 な 状 況 のために 尹 斗 緖 は 女 性 の 正 面 の 姿 を 描 かずに 後 姿 と 側 面 の 姿 を 描 写 した と 推 測 される 尹 斗 緖 の 孫 の 尹 愹 (ユン ヨン 1708~1740)も 彼 の 影 響 を 受 け ナムルを 採 る 女 性 を 描 いているが その 絵 も 女 性 の 正 面 ではなく 後 ろ 姿 が 描 かれている 尹 斗 緖 が 生 きていたその 時 期 には 上 流 階 級 である 両 班 (ヤンバン)の 姿 ではなく 庶 民 の 姿 を 描 くということ すなわち 一 般 女 性 を 描 くということは 画 期 的 なことであった 為 に 尹 斗 緖 の 息 子 尹 德 熙 (ユン トクヒ)は 庶 民 の 姿 ではなく 上 流 階 級 の 女 性 の 姿 を 描 いた 21

22 のかもしれない 尹 德 熙 の 字 は 敬 伯 であり 号 は 駱 西 蓮 翁 及 び 蓮 圃 である 図 4 尹 德 熙 読 書 する 女 性 絹 本 色 彩 cm 18 世 紀 ソウル 大 学 校 博 物 館 尹 德 熙 の 読 書 する 女 性 は 女 性 達 を 良 妻 賢 母 で 育 てるための 教 育 用 挿 絵 として 描 かれ た 絵 である 上 流 家 庭 の 読 書 する 女 性 を 描 写 しているが 背 景 に 描 かれている 芭 蕉 と 衝 立 は 中 国 の 著 書 の 中 に 描 かれた 挿 絵 を 参 考 して 描 写 したようにみえる 彼 の 作 品 姉 と 弟 も 背 景 は 柳 と 短 い 筆 のタッチで 草 を 描 いている 姉 は 三 回 装 チョゴリを 着 ているので 上 流 家 庭 の 女 性 とみられる 孫 の 尹 愹 (ユン オン)は 尹 斗 緖 の 志 を 引 き 継 ぎ また 時 代 に 合 わせて 庶 民 の 姿 を 描 い たと 考 えられる また その 当 時 の 風 俗 画 の 影 響 により 背 景 を 描 かず 人 物 だけを 表 現 し たと 推 測 できる 22

23 図 5 尹 愹 ナムルを 採 る 女 性 紙 墨 淡 彩 cm 18 世 紀 中 葉 澗 松 美 術 館 尹 愹 の ナムルを 採 る 女 性 では 片 手 に 籠 を 持 ち もう 片 方 の 手 には 鎌 を 持 ってナムル を 採 ろうとする 女 性 の 後 ろ 姿 を 描 いている 仕 事 をしやすい 服 装 にするためチマ(スカー ト)の 裾 をたくし 上 げて 束 ね 袖 もたくし 上 げ 頭 にはタオルを 巻 いた 姿 で 春 のナムル を 採 る 女 性 を 描 いている 尹 斗 緖 の 絵 とは 違 って 背 景 を 描 いてないが 仕 事 をしやすいよ うにチマの 裾 と 袖 をたくし 上 げ 頭 にはタオルを 巻 いた 姿 は 似 ている それは 逞 しい 手 と 脚 の 表 現 を 通 じて 大 変 な 労 働 生 活 で 鍛 練 されたその 時 代 の 女 性 の 生 活 を 推 測 すること ができる 彼 の 絵 は 尹 斗 緖 が 描 いた 女 性 よりは 仕 事 をしている 労 働 者 としての 女 性 の イメージを 強 く 感 じられる 尹 斗 緖 は 写 実 に 基 づいて 人 物 や 動 植 物 等 を 観 察 し その 形 状 をよく 把 握 した 後 に 絵 を 描 23

24 き 彼 の 孫 の 尹 愹 も 蝶 々やトンボ 等 の 昆 虫 を 描 く 時 に 細 かいところまで 観 察 し その 形 態 が 同 様 になるまで 描 いたという その 作 画 態 度 は 写 生 を 重 視 する 写 実 主 義 の 観 念 に 基 づいたものである このような 態 度 は 朝 鮮 時 代 の 風 物 を 写 実 的 に 描 写 する 母 胎 となった 尹 斗 緖 の 日 常 生 活 の 中 での 庶 民 の 姿 は 18 世 紀 から 登 場 する 朝 鮮 時 代 の 風 俗 画 に 影 響 を 及 ぼたとされている 24

25 註 ) 1. 国 に 慶 事 がある 時 に 宮 中 で 催 す 宴 会 2. 宮 中 宴 会 の 一 つ 進 宴 より 儀 式 が 簡 単 な 宮 中 の 宴 会 3. 朝 鮮 時 代 の 国 家 主 要 行 事 を 文 章 や 絵 画 で 記 録 した 文 書 類 の 総 称 4. 이원복(イ ウォンボク) 韓 国 美 の 再 発 見 第 6 巻 솔 2005 p 人 の 上 に 立 つ 人 は 一 身 の 楽 しみや 自 らの 身 体 の 安 らかさを 求 めてはいけない 6. 朝 鮮 時 代 新 年 を 祝 って 災 難 を 防 ぐために 描 いた 絵 7. 国 王 にとって 農 作 業 の 厳 しさと 国 民 の 困 難 を 理 解 し 安 逸 に 落 ちないことと 賞 罰 を 正 しくあたえるようにしようという 内 容 等 を 描 き 入 れてある 図 8. 洪 善 杓 (ホン ソンピョ) 他 6 人 (알기 쉬운) 한국미술사(( 解 かりやす い) 韓 国 美 術 史 ) 미진사 2009 p この 制 度 は 英 祖 時 代 から 運 営 してきたが 特 に 正 祖 7 年 ( 1783 年 )11 月 から 昌 徳 宮 (チ ャンドックン)の 奎 章 閣 (キュジャンガク)で 差 備 待 令 画 員 制 度 が 設 置 された 才 能 がある 画 員 画 家 10 人 余 りを 選 抜 し 破 格 な 社 会 経 済 的 特 典 を 与 えた この 制 度 は 1881 年 まで 運 営 された 10. 최석태(チェ ソクテ) 한국의 풍속을 그린 천재화가 김홍도-한국편( 朝 鮮 の 風 俗 を 描 いた 天 才 画 家 キム ホンド- 韓 国 編 ) 아이세움 2001 p 美 術 資 料 第 17 号 2006 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 p 参 考 12. 時 調 (じちょう)は 朝 鮮 で 成 立 した 定 型 詩 時 調 は 14 世 紀 ごろ 高 麗 末 期 に 成 立 した とみられ 李 氏 朝 鮮 時 代 に 流 行 した 時 調 という 名 称 は 李 朝 第 21 代 王 英 祖 の 頃 から 用 いられた それ 以 前 は 短 歌 長 短 歌 新 調 などとも 呼 ばれたが 現 在 は 使 われ 25

26 ていない 時 調 は 時 節 歌 調 の 略 称 で いわゆる 流 行 歌 の 意 味 であり 歌 人 李 世 春 が 時 調 という 言 葉 を 作 ったと 言 われている 13. 進 士 は 朝 鮮 時 代 科 挙 の 小 科 に 合 格 した 人 を 呼 ぶ 呼 称 である 彼 らには 成 均 館 (ソ ンギュングァン) 入 学 資 格 が 与 えられ 文 科 に 及 第 すれば 官 職 に 出 て 行 くことができ た また 軍 役 雑 役 の 免 除 を 受 けた 官 職 に 務 めなくても 進 士 という 称 号 だけでも 地 域 社 会 の 指 導 者 だと 認 識 された 特 に 党 派 争 いの 激 化 により 朝 鮮 末 期 には 文 科 及 第 者 であっても 政 府 与 党 に 属 しなければ 官 僚 として 出 世 することが 難 しく 進 士 という 称 号 を 受 けることで 満 足 して 文 科 を 受 験 しない 場 合 も 多 かった 14. 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 화인열전 1( 画 員 列 伝 1) 역사비평사 2002 年 p 明 の 1603 年 に 顧 炳 が 編 纂 した 絵 本 で その 原 名 は 顧 氏 歴 代 名 公 画 譜 である 名 前 どおりに 南 北 朝 時 代 から 明 に 達 する 100 余 の 巨 匠 の 作 品 が 図 版 として 紹 介 されている また 絵 の 特 徴 まで 記 されているので 当 時 では 画 期 的 な 図 録 であった 16. 正 確 な 刊 行 年 代 は 分 からないが 17 世 紀 中 葉 の 時 に 黃 鳳 池 が 当 時 有 名 な 唐 詩 100 編 余 りを 選 んで 董 其 昌 等 が 文 を 書 き 蔡 元 勛 等 が 図 を 描 いて 構 成 した 画 報 である 韓 国 でこの 画 報 を 観 たということを 初 めて 述 べた 人 物 は 尹 斗 緖 である 17. 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 前 掲 書 p.78 26

27 第 2 項 趙 榮 祏 (チョ ヨンソク) 尹 斗 緖 の 次 に 女 性 の 姿 を 描 いた 人 物 が 趙 榮 祏 ( )である 彼 は 英 祖 ( 朝 鮮 の 第 21 代 王 1694~1776) 時 代 の 代 表 的 な 画 家 である 字 は 宗 甫 觀 我 齋 及 び 石 溪 山 人 である 彼 は 誰 に 絵 を 習 ったことはなく 著 書 を 見 ながら 独 学 で 勉 強 した 雪 中 訪 友 図 は 趙 榮 祏 の 代 表 作 品 であり 雪 が 降 った 冬 ある 日 高 尚 な 人 が 蟄 居 して いる 友 を 訪 ね 談 話 をしている 場 面 を 表 現 した 作 品 である 部 屋 の 中 に 座 っている 人 物 は 朝 鮮 の 衣 服 を 着 ている 両 班 の 姿 である このように 絵 の 中 に 朝 鮮 の 衣 服 を 着 た 学 者 の 姿 を 初 めて 描 いた 人 が 趙 榮 祏 である ( 註 1) 図 6 趙 榮 祏 雪 中 訪 友 図 紙 淡 彩 図 7 趙 榮 祏 雪 中 訪 友 図 の 部 分 cm 18 世 紀 個 人 蔵 27

28 雪 中 訪 友 図 に 表 現 された 家 主 は 鶴 氅 衣 ( 註 2)を 着 て お 客 は 幅 巾 の 上 にカッ( 註 3) をかぶっている 部 屋 の 中 には 家 主 の 学 識 をあらわすように 書 物 がたくさん 描 かれてい る 家 の 外 には 二 人 の 子 供 と 牛 が 描 かれ 子 供 が 牛 にずるずると 引 きずられて 行 く 姿 を 表 現 している 背 景 には 雪 に 覆 われた 後 の 山 青 い 色 を 帯 びている 冬 松 とビャクシン( 柏 槇 ) 乾 いた 枝 に 咲 いた 雪 の 花 等 を 描 かれている 趙 榮 祏 は 当 代 の 最 高 の 人 物 画 家 として 評 価 されていた このような 理 由 で 文 人 画 家 と して 光 海 君 (クァン ヘグン 朝 鮮 第 15 代 王 (1575~1641))と 世 祖 (セチョ 朝 鮮 第 7 代 王 (1417~1468))と 粛 宗 (スクチョン 朝 鮮 第 19 代 王 (1661~1720))の 肖 像 画 の 製 作 に 推 薦 され 王 様 のお 召 しを 二 回 も 受 けた しかし 彼 は 士 大 夫 としての 名 誉 を 汚 すことが できないと 言 って 王 の 指 示 に 従 わなかった 彼 が 50 歳 の 時 (1735 年 ) 光 海 君 と 世 祖 の 肖 像 画 の 製 作 の 依 頼 を 拒 否 した 時 は 官 職 から 退 けられ 3 年 間 無 官 職 で 過 ごした ( 註 4) その 当 時 の 画 家 は 中 人 ( 註 5) 以 下 の 身 分 であった また 上 流 階 層 は 絵 を 描 きなが ら 生 きることを 卑 しいことであると 考 えられた そのような 理 由 で 趙 榮 祏 は 人 々が 自 分 を 画 家 と 認 識 するのが 恐 ろしいと 言 った 彼 にとって 絵 を 描 くことは 趣 味 であり 自 分 自 身 を 修 養 することであった それでも 彼 の 優 れた 絵 の 実 力 を 卑 しい 金 稼 ぎと 同 一 視 されて 誹 謗 中 傷 を 受 けることが 多 かったという そのため 彼 は 画 家 としてはなく 学 者 として の 誇 りを 持 ちながら 生 きることを 願 っていた 彼 は 二 度 の 事 件 を 経 験 しながら 幼 い 時 に 絵 を 描 き 始 めたのは 生 得 の 性 格 が 描 くこと が 大 好 きだったことに 過 ぎず 中 年 には 病 気 により 心 を 寄 せる 所 がないときは 慰 みとし て 書 と 絵 を 描 いた しかし これが 老 年 に 身 体 を 害 する 原 因 となったが 後 悔 しても 仕 方 ないだろう ( 註 6) と 述 べた 28

29 世 祖 の 御 真 を 描 くことを 断 った 事 件 により 趙 榮 祏 は 絵 を 描 かないことを 決 心 した し かし 彼 は 絵 を 描 きたいという 熱 望 をこらえることができず 14 点 の 風 俗 画 を 描 き 画 集 を 作 ったのである その 画 集 の 題 名 は 麝 臍 帖 である 麝 臍 とは ジャコウジカのヘソという 意 味 である ジャコウジカは 狩 人 に 捕 まると 自 身 のヘソから 出 る 香 りのせいと 思 い ヘソを 食 い 千 切 るという 麝 臍 帖 の 表 紙 には 他 人 に 見 せるな それを 犯 す 者 は 私 の 子 孫 ではない( 勿 示 人 犯 者 非 吾 子 孫 ) という 趙 榮 祏 が 書 いた 警 告 文 がある 彼 は 御 真 の 事 件 以 後 の 絵 を 発 表 するこ とはなかったが 作 品 は 制 作 したとみられる 麝 臍 帖 に 描 かれた 対 象 は 一 般 庶 民 の 日 常 生 活 の 姿 である 趙 榮 祏 は 彼 達 の 姿 を 細 かく 精 密 に 描 写 している 麝 臍 帖 の 中 の 作 品 針 仕 事 では 木 炭 で 下 絵 を 描 き 墨 線 で 輪 郭 をあらわす 素 描 風 の 略 画 であるが 生 き 生 きした 写 実 的 表 現 であらわしている 特 に 庶 民 の 姿 の 素 朴 な 表 現 は 画 家 朴 壽 根 (パク スグン )の 絵 の 庶 民 の 姿 の 表 現 と 近 い 印 象 を 与 える ( 註 7) 彼 の 風 俗 画 は 背 景 を 描 かずに 人 物 中 心 に 構 成 されているので 挿 絵 や 抄 本 ではない 絵 画 としての 格 調 を 感 じさせる このような 描 き 方 は 金 弘 道 (キム ホンド)の 風 俗 画 帳 に 継 承 されている 29

30 図 8 趙 榮 祏 針 仕 事 麝 臍 帖 紙 淡 彩 cm 18 世 紀 個 人 蔵 趙 榮 祏 の 針 仕 事 では 三 人 の 女 性 が 針 仕 事 をする 時 の 姿 勢 を 写 実 的 に 描 写 している 左 から 楽 に 足 を 伸 ばして 針 仕 事 をしている 女 性 の 姿 ひざまずいて 針 仕 事 をしている 女 性 の 姿 はさみで 布 を 切 っている 女 性 の 三 人 の 姿 を 描 いている 学 者 である 趙 榮 祏 が 女 性 達 の 仕 事 である 針 仕 事 の 姿 をこのように 写 実 的 に 描 写 するためには 尹 斗 緖 同 様 に 彼 女 達 の 姿 を 細 かく 観 察 した 後 に 表 現 したと 見 られる 図 9 趙 榮 祏 間 食 麝 臍 帖 間 食 紙 淡 彩 cm 18 世 紀 個 人 蔵 30

31 間 食 では 大 変 な 農 作 業 仕 事 をした 後 に 間 食 を 食 べる 姿 を 描 いている 男 性 たちは 座 って 間 食 を 食 べて 二 人 の 女 性 はその 人 達 に 間 食 を 配 っている この 絵 も 背 景 は 省 略 され ている 人 物 の 配 置 は 金 弘 道 (キム ホンド)の お 昼 ( 図 22)とは 違 って 一 列 で 並 べ ている 姿 である 左 側 の 男 性 が 子 供 に 飯 を 食 べさせながら 浮 かべる 微 笑 みの 表 情 と 口 を 開 き ご 飯 を 食 べさせて 貰 う 子 供 の 姿 は 平 和 な 光 景 で 穏 やかに 見 える その 絵 は 農 民 に 対 する 趙 榮 祏 の 暖 かい 視 線 を 感 じることができる 図 10 趙 榮 祏 臼 搗 き 麝 臍 帖 紙 淡 彩 23.5 cm 世 紀 澗 松 美 術 館 臼 搗 き では 背 中 を 曲 げて 臼 で 搗 く 女 性 を 描 いている このような 女 性 の 姿 は 近 代 以 後 にも 頻 繁 に 表 現 されている 背 景 は 中 国 風 ではなく 庶 民 の 日 常 を 描 き 入 れた 朝 鮮 の 風 景 を 描 いている 家 と 木 をつなげて 洗 濯 紐 を 作 って 利 用 している 姿 その 洗 濯 紐 に 掛 っ 31

32 ている 男 性 のチョゴリは 朝 鮮 時 代 の 一 般 庶 民 の 生 活 の 光 景 である 彼 がこのように 庶 民 の 姿 を 描 いた 理 由 については 19 歳 の 時 に 書 いた 清 明 上 河 図 跋 により 彼 が 風 俗 画 に 関 心 を 持 つようになった 契 機 を 察 することができる 清 明 上 河 図 跋 は 明 の 画 家 である 仇 英 の 作 品 清 明 上 河 図 に 感 銘 をうけて 書 いた 文 で 清 明 上 河 図 の 画 面 にあらわれた 人 物 が 1489 名 ロバとラバが 61 匹 等 と 登 場 する 人 や 動 物 の 数 まで 詳 し く 明 らかにしている ( 註 8) 彼 は 庶 民 が 仕 事 をする 姿 に 本 格 的 に 関 心 を 持 ち 庶 民 の 姿 を 写 実 的 に 描 写 した これは 朝 鮮 絵 画 にとって 重 要 な 意 味 を 持 っている 趙 榮 祏 から 朝 鮮 後 期 の 風 景 画 が 本 格 的 に 始 ま ったともいえる 尹 斗 緖 の 一 族 と 趙 榮 祏 により 描 かれた 女 性 の 表 現 は 朝 鮮 時 代 後 期 に 発 達 した 風 俗 画 で は 頻 繁 に 表 現 される 尹 斗 緖 と 趙 榮 祏 は 絵 を 専 門 的 に 学 んで 作 品 の 注 文 を 受 けて 描 いた 職 業 画 家 とは 違 い 趣 味 生 活 の 一 部 として 絵 を 習 得 したのである 女 性 の 日 常 生 活 の 姿 を 描 くことができたことも 自 由 に 自 分 自 身 の 思 想 と 作 意 を 絵 画 に 表 現 できる 地 位 の 高 い 文 人 であったためである 可 能 性 が 大 きいと 考 える 文 人 画 家 の 出 身 である 尹 斗 緖 と 趙 榮 祏 は 伝 統 を 継 承 しながら 中 国 風 の 人 物 の 描 写 では なく 朝 鮮 時 代 の 人 々の 姿 を 画 題 として 取 り 入 れ 表 現 したことは 次 の 世 代 に 風 俗 画 を 発 展 させる 掛 け 橋 の 役 割 をしたとされている 32

33 註 ) 1. 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 前 掲 書 p 被 布 のような 仕 立 てで, 白 地 に 黒 く 縁 を 取 った 服 昔, 隠 者 などが 着 ていた 3. シルクハットに 似 た 形 の 男 性 用 の 冠 4. 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 前 掲 書 p 朝 鮮 時 代 の 両 班 と 常 人 の 中 間 の 身 分 であり 医 官 訳 官 など 官 庁 の 実 務 に 従 事 した 朝 鮮 の 社 会 の 身 分 階 級 は 学 者 によって 分 類 が 違 うこともあるが 一 般 的 に 両 班 中 人 常 人 賎 人 の 4 つに 大 別 されている 6. 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 前 掲 書 pp 洪 善 杓 (ホン ソンピュ) 朝 鮮 時 代 絵 画 史 論 문예출판사 1999 pp 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 前 掲 書 p

34 第 3 項 金 弘 道 (キム ホンド) 18 世 紀 後 半 の 風 俗 画 は 金 弘 道 (1745-?)により 主 導 された 字 は 士 能 で 雅 号 は 檀 園 丹 邱 西 湖 及 び 高 眠 居 士 等 がある 彼 は 文 人 官 僚 や 富 豪 の 後 援 及 び 正 祖 の 積 極 的 な 後 援 を 受 けていた 彼 は 中 人 階 層 の 身 分 に 生 まれたが 正 祖 の 御 真 製 作 に 参 加 した 功 労 が 認 められて 忠 清 北 道 にある 延 豊 という 村 を 治 める 県 監 ( 註 1)まで 出 世 したのである 金 弘 道 はすでに 20 代 に 当 代 の 最 高 の 指 折 りの 画 家 となった 彼 は 各 階 層 の 人 々の 日 常 生 活 や 生 業 の 場 面 毎 年 に 定 期 的 に 行 う 風 習 の 光 景 及 び 誕 生 成 年 結 婚 葬 事 の 場 面 などの 儀 礼 風 景 に 至 るまで 多 様 な 民 衆 の 姿 を 表 現 した 金 弘 道 に 絵 を 教 えた 姜 世 晃 (カン セファン )は 金 弘 道 は 幼 い 時 から 絵 を 学 んだので 彼 が 描 けないものはないといえるほど 画 才 に 優 れていた 人 物 や 山 水 図 神 仙 仏 画 花 と 果 物 鳥 と 虫 及 び 魚 等 至 るまですべての 絵 が 妙 品 なので 先 人 の 有 名 な 画 家 達 と 比 較 しても 彼 と 相 手 する 人 が 殆 どいない と 述 べた ( 註 2) 金 弘 道 は 30 代 の 後 半 に 25 点 の 檀 園 風 俗 画 帳 を 描 いた 檀 園 風 俗 画 帳 に 載 ってい る 絵 は 酒 幕 ( 註 3) 洗 濯 場 蓙 編 み 刈 入 れ お 昼 鍛 冶 屋 書 堂 巫 女 及 び シルム(씨름 相 撲 ) 等 がある このような 画 帳 の 中 の 絵 は 原 形 構 図 や 斜 線 構 図 等 の 画 面 構 成 をしている 彼 は 全 体 的 な 画 面 構 成 が 優 れているし 正 確 なデッサ ンとリアルな 人 物 描 写 を 力 強 い 線 を 自 由 自 在 に 使 いこなしている その 作 品 の 中 で 女 性 を 表 現 した 金 弘 道 の 絵 は 洗 濯 場 や お 昼 井 戸 端 売 醢 婆 行 図 などがある 以 下 彼 が 女 性 表 現 した 絵 画 について 考 察 する 34

35 図 11 金 弘 道 洗 濯 場 檀 園 風 俗 画 帳 図 12 金 弘 道 井 戸 端 檀 園 風 俗 画 帳 紙 淡 彩 cm 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 紙 淡 彩 cm 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 洗 濯 場 では 3 人 の 女 性 が 小 川 で 服 をたくしあげて 洗 濯 をしている 子 供 の 母 親 は 髪 を 洗 った 後 に 髪 結 いをしている このような 女 性 の 姿 を カッをかぶった 一 人 の 男 性 が 岩 の 後 から 扇 で 顔 を 隠 したまま 覗 き 見 している 覗 き 見 ている 姿 は 堕 落 した 両 班 社 会 を 比 喩 しているとも 考 えられ 金 弘 道 特 有 のユーモアとウイットを 感 じられる 場 面 である また 井 戸 端 では 左 下 から 右 上 へ 対 角 線 にした 斜 線 構 図 で 人 物 を 配 置 している 堕 落 した 両 班 の 男 性 は 端 正 しない 身 なりで 右 の 手 にはカッを 持 ち 胸 を 見 せつつ 井 戸 に 寄 っ て 水 を 飲 んでいる その 男 性 の 胸 を 直 接 見 ることができなくて 背 中 を 向 け 目 をそらし ている 女 性 もいる もう 一 人 の 女 性 もその 男 性 を 見 ず 目 の 視 線 を 下 げている このよう な 光 景 を 見 て 不 快 な 表 情 を 浮 かべるおばあさんの 顔 の 描 写 が 絶 妙 である 金 弘 道 の お 昼 では 仕 事 をしばらく 止 め 皆 が 車 座 になり 昼 食 を 食 べる 場 面 を 描 い 35

36 た 作 品 である 背 景 を 描 かず 人 物 のみを 描 写 しているが これによって 現 実 的 な 日 常 生 活 をよく 感 じさせる 図 13 金 弘 道 お 昼 檀 園 風 俗 画 帳 紙 淡 彩 cm18 世 紀 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 お 昼 では 食 事 している 姿 仕 事 を 終 えた 男 性 達 の 様 々な 表 情 赤 ん 坊 に 乳 を 飲 ま せている 女 性 等 の 自 然 な 姿 を 表 現 している このような 穏 やかな 世 界 を 画 面 の 右 下 にあ る 犬 が 見 守 っているような 感 じがする 円 形 構 図 を 用 いて 食 事 場 面 をより 一 層 実 感 できる ように 表 現 している その 他 にも 蓙 編 み や 売 醢 婆 行 図 などの 一 般 庶 民 の 生 活 風 習 を 描 いた 作 品 が 多 数 存 在 する 36

37 図 14 金 弘 道 蓙 編 み 檀 園 風 俗 画 帳 紙 図 15 金 弘 道 売 醢 婆 行 図 淡 彩 cm 18 世 紀 国 立 中 央 博 物 館 絹 本 彩 色 cm 18 世 紀 梨 花 女 子 大 学 校 博 物 館 売 醢 婆 行 図 では 太 陽 が 浮 び 上 がる 夜 明 け 前 に 魚 物 を 売 りに 行 く 女 性 の 姿 を 描 いた 絵 で ある 母 親 はかごを 頭 上 に 載 せて 労 働 の 現 場 に 行 きながら 背 負 っている 子 供 の 手 を 握 っ ている このように 金 弘 道 は 気 さくながらも 滑 稽 な 人 物 の 姿 を 非 常 に 生 き 生 きと 描 写 している 彼 は 背 景 を 省 略 し 風 俗 自 体 と 人 物 に 重 点 を 置 いて 描 き 流 麗 な 筆 致 と 透 明 な 濃 淡 技 法 に より 庶 民 の 素 朴 な 面 と 強 い 生 命 力 を 表 現 している 金 弘 道 の 風 俗 画 風 はその 後 に 画 員 のモ 37

38 デルになった 更 に 民 画 ( 註 4)まで 影 響 を 及 ぼしたのである ( 註 5) 金 弘 道 の 風 俗 画 に 登 場 する 女 性 の 表 現 は 金 得 臣 (キム ドゥクシン )や 馬 君 厚 (マ グンフ?-?) 等 の 作 品 の 中 にもあらわれている 金 得 臣 は 名 のある 画 家 を 輩 出 した 家 門 に 生 まれた 彼 は 図 画 署 の 画 員 であり 官 僚 の 日 常 生 活 や 仕 事 をする 農 民 達 及 び 世 の 中 の 世 相 的 な 場 面 を 表 現 した 画 家 である 金 得 臣 の 字 は 賢 輔 号 は 兢 齋 あるいは 弘 月 軒 である 父 親 金 應 履 (キム ウンリ)も 画 員 であり 金 弘 道 とともに 活 動 した 金 應 煥 (キム ウンファン)は 彼 の 伯 父 である 金 弘 道 と 金 應 煥 は 親 友 であったため 彼 は 幼 いころから 金 弘 道 と 出 会 う 機 会 が 多 かった 彼 は それが 契 機 になり 金 弘 道 の 絵 を 中 心 的 に 勉 強 したと 推 測 される ( 註 5) 彼 は 風 俗 画 と 人 物 画 に 格 別 な 才 能 を 発 揮 した 金 得 臣 が 表 現 した 女 性 の 姿 も 女 性 の 人 物 像 をモチーフとして 描 こうと 図 ったことではな く 生 活 の 中 に 登 場 する 女 性 の 姿 を 描 いたのである 女 性 を 表 現 した 作 品 は 風 俗 八 曲 屏 風 や 班 常 図 莚 編 み 破 寂 図 などがある 金 得 臣 の 代 表 的 な 作 品 は 破 寂 図 であり 彼 の 風 俗 画 の 中 でもユーモアと 機 知 があら われている 優 れた 作 品 である 破 寂 図 の 意 味 は 静 寂 を 破 る 図 であり 別 称 として 野 猫 盜 雛 とも 呼 ばれる 野 猫 盜 雛 とは 山 猫 がひよこを 盗 み 出 すという 意 味 である 破 寂 図 はのんびりとしある 春 の 日 に 農 家 の 中 庭 で 起 きた 事 件 をユーモラスに 表 現 した 絵 である その 作 品 の 中 には 日 常 生 活 での 庶 民 の 女 性 の 姿 が 表 現 されている 38

39 図 16 金 得 臣 破 寂 図 風 俗 画 帖 紙 本 淡 彩 cm 18 世 紀 末 -19 世 紀 初 頭 澗 松 美 術 館 破 寂 図 では 庭 でひよこ 一 匹 を 捕 らえて 持 って 行 く 野 良 猫 それに 驚 き バタバタと 羽 ばたきする 母 鶏 とひよこ 主 人 はゴザを 編 んでいたが その 状 況 にキセルで 野 良 猫 を 追 い 出 そうと 図 るが その 気 持 ちが 先 に 立 ってしまい 床 下 に 落 ちてしまいそうである そ の 主 人 を 助 けようとするが もう 遅 くなってしまいそれができなくてもどかしい 妻 の 姿 を 表 現 している 野 良 猫 はひよこを 口 で 噛 んだまま 振 り 返 って 怒 らせるように 尻 尾 をたてて 走 っている このような 動 物 と 人 間 の 一 瞬 の 様 子 に 画 家 のユ モアを 感 じる 金 得 臣 の 作 品 は 金 弘 道 (キム ホンド)が 発 展 させた 風 俗 画 を 最 も 忠 実 に 継 承 し 19 世 紀 の 画 壇 に 維 持 させたことで 高 く 評 価 されている 馬 君 厚 (マ グンフ?-?)は 朝 鮮 末 期 の 画 家 である 字 は 伯 仁 である 彼 の 生 涯 や 行 跡 などは 知 られていない 彼 は 人 物 と 翎 毛 ( 鳥 獣 を 描 いた 絵 )の 表 現 に 才 能 があった 39

40 彼 が 表 現 した 女 性 の 姿 は 1851 年 の 春 に 描 いた 村 女 採 種 図 でみることができる そ の 絵 は 春 にナムルを 採 っている 女 性 の 姿 を 表 現 している 図 17 馬 君 厚 村 女 採 種 図 紙 本 淡 彩 cm 1851 年 と 推 定 澗 松 美 術 館 村 女 採 種 図 では 仕 事 の 手 を 休 めたまま 赤 ん 坊 に 乳 を 飲 ませている 女 性 の 姿 と その 女 性 と 話 しかけつつナムルを 採 っている 女 性 を 描 写 している その 女 性 の 周 辺 には 二 つ の 小 さいかごと 食 べ 物 が 入 った 大 きいかごを 描 き 入 れている 穴 があけられている 老 樹 は 長 い 年 月 に 風 霜 を 経 た 年 輪 を 感 じさせるように 表 現 している 朝 鮮 時 代 から 韓 国 近 代 まで 春 になると 女 性 達 はかごを 持 ち ナムルを 採 っていた こ れは 農 家 の 食 糧 事 情 が 悪 化 する 春 の 端 境 期 に 飢 えるお 腹 を 満 たすことができる 養 殖 の 役 割 を 果 たした そのためか 近 代 にも 多 く 描 かれた 女 性 の 姿 の 中 の 一 つであった 40

41 註 ) 1. 朝 鮮 時 代, 地 方 行 政 区 域 の 小 さい 県 に 中 央 から 派 遣 した 長 官, 従 6 品 2. 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 前 掲 書 pp 文 字 絵 や 民 間 伝 説 などを 素 材 に 民 衆 のために 描 かれた 朝 鮮 時 代 の 絵 4. 洪 善 杓 (ホン ソンピョ) 前 掲 書 p 이태호(イ テホ) 朝 鮮 後 期 絵 画 の 写 実 精 神 학고재 1996 年 p.23 41

42 第 4 項 申 潤 福 (シン ユンボク) 申 潤 福 (1758 年 -?)は 正 祖 の 御 真 を 描 いた 宮 中 画 員 の 申 漢 枰 (シン ハンピョン ?)の 息 子 として 生 まれた 申 漢 枰 は 乳 を 飲 ませる の 作 品 で 女 性 の 姿 を 表 現 した この 作 品 は 彼 が 描 いた 唯 一 の 風 俗 画 と 知 られている 図 18 申 漢 枰 乳 を 飲 ませる 紙 本 彩 色 cm 制 作 未 詳 澗 松 美 術 館 この 乳 を 飲 ませる は 日 常 生 活 でよくみかける 母 親 と 子 供 達 の 姿 をあらわしている 左 側 の 女 の 子 は 何 かを 触 りながらおとなしく 座 っているが 右 側 の 男 の 子 は 自 分 の 要 求 を 聞 き 入 れないのが 不 満 な 様 子 であり 泣 きながら 駄 々をこねている これらに 母 親 は 無 関 心 な 様 子 で 赤 ん 坊 に 乳 を 飲 ませている 背 景 が 省 略 されているので 女 の 子 男 の 子 母 親 その 三 人 の 相 互 関 係 が 一 層 明 確 に 浮 び 上 がる 他 の 男 性 の 前 で 赤 ん 坊 に 乳 を 飲 ませるということは 朝 鮮 時 代 の 儒 教 思 想 では 想 像 もで きないことである その 理 由 で 全 鎣 弼 (チョン ヒョンピル) 氏 は 申 漢 枰 の 妻 と 子 供 の 42

43 姿 を 描 いた 絵 と 思 ったという 申 漢 枰 は 息 子 が 二 人 娘 一 人 がいたと 記 録 されているので この 推 測 が 当 たっていれば この 画 面 で 泣 いている 子 供 が 申 潤 福 である ( 註 1) 申 漢 枰 の 息 子 である 申 潤 福 は 絵 を 描 く 才 能 に 優 れ 父 親 に 続 き 宮 中 画 員 になった し かし 宮 中 画 員 の 身 分 で 色 遊 びが 多 く 卑 俗 な 女 色 を 描 いたことが 原 因 で 朝 鮮 時 代 に 図 画 の 事 を 司 った 官 庁 であった 図 画 署 から 追 い 出 された ( 註 2)それ 以 降 申 潤 福 の 記 録 は 完 全 に 消 えて 残 されていない その 絵 画 の 表 現 が 原 因 で 画 家 として 抹 殺 されるようにな り 彼 が 生 きているその 時 代 から 徹 底 的 に 捨 てられたことをあらわしている 彼 はその 時 代 には 認 められなかった 画 家 であった 申 潤 福 は 定 職 がないまま 遊 んで 暮 らす 下 級 の 両 班 と 妓 女 のロマンスを 画 題 として 作 品 を 制 作 した すなわち 礼 儀 正 しくて 道 徳 的 なイメージを 持 つ 士 大 夫 とは 異 なる 両 班 (ヤン バン)の 姿 と 朝 鮮 時 代 の 社 会 で 賎 民 の 身 分 である 妓 女 をモチーフにして 男 女 の 遊 楽 する 光 景 を 主 に 表 現 したのである しかし 申 潤 福 の 絵 はその 時 代 の 画 壇 が 受 け 入 れるには 難 しかったし その 当 時 では 破 格 的 なことであったとみられる 申 潤 福 は 朝 鮮 時 代 女 性 の 繊 細 な 感 情 と 美 しい 姿 を 線 描 と 鮮 やかな 色 で 表 現 していた 彼 の 優 れた 色 彩 感 覚 をもっていた 同 時 代 の 他 の 画 家 とは 違 った 色 を 用 いていることも 彼 の 特 徴 である 彼 は 色 彩 がきわめて 制 限 されていた 時 代 に 果 敢 に 原 色 を 多 く 用 いたので 色 彩 の 魔 術 師 とも 呼 ばれる ( 註 3) 申 潤 福 は 金 弘 道 とは 違 って 背 景 を 表 現 し 作 品 の 雰 囲 気 の 描 写 にち 密 さを 見 せている 申 潤 福 の 真 価 を 発 見 した 人 物 は 日 本 の 美 術 史 学 者 である 関 野 貞 ( )である 朝 鮮 美 術 に 関 心 が 高 なった 関 野 氏 が 仁 寺 洞 (インサドン) 路 で 申 潤 福 の 画 帳 恵 園 伝 神 帖 を 見 つけたのである ( 註 4)その 申 潤 福 の 画 帳 は 1934 年 に 全 鎣 弼 (チョン ヒョン 43

44 ピル) 氏 が 購 入 し 現 在 は 全 鎣 弼 氏 が 設 立 した 澗 松 (カンソン) 美 術 館 に 所 蔵 されている その 画 帳 は 国 宝 135 号 に 指 定 されている ( 註 5) 申 潤 福 の 活 動 時 期 は 作 品 に 記 している 干 紀 を 通 じて 推 測 すると 概 略 1865 年 から 1873 年 までの 10 年 以 内 とみられる ( 註 6)また 彼 が 描 いたとされている 作 品 が 現 在 まで 60 点 余 りが 伝 えられている 申 潤 福 は 端 午 風 情 赤 ん 坊 を 背 負 った 女 性 遊 郭 爭 雄 などの 絵 の 中 に 女 性 を 表 現 している 彼 の 作 品 に 登 場 する 女 性 は 朝 鮮 の 社 会 階 級 で 最 下 層 に 属 する 妓 生 である 妓 生 の 姿 を 描 いた 彼 の 代 表 作 品 端 午 風 情 は 陰 暦 5 月 5 日 端 午 の 節 句 に 行 う 女 性 の 風 習 を 描 いた 作 品 である 図 19 申 潤 福 端 午 風 情 蕙 園 傳 神 帖 紙 淡 彩 cm 18 世 紀 末 -19 世 紀 初 澗 松 美 術 館 44

45 端 午 風 情 の 画 面 左 側 の 下 部 分 では 上 衣 を 着 けない 下 着 のチマだけを 着 た 状 態 で 顔 や 身 体 を 洗 ったり 髪 の 毛 を 梳 いている 四 人 の 女 性 を 描 いている 右 側 の 部 分 には 鞦 韆 に 乗 る 女 性 髪 の 手 入 れをしている 二 人 の 女 性 食 べ 物 を 頭 上 に 載 せている 女 性 を 描 写 し ている ブランコに 乗 ろうとしている 女 性 の 鮮 明 な 深 紅 のチマと 黄 色 のチョゴリは 画 面 にアクセントを 与 えている その 服 の 原 色 と 薄 い 緑 色 の 背 景 との 色 の 対 比 が 作 品 をいっ そう 引 き 立 たせてくれる 画 面 の 左 側 の 上 部 には その 女 性 達 をのぞき 見 している 二 人 の 雛 僧 を 描 写 している その 当 時 の 両 班 と 妓 女 の 姿 を 絶 妙 に 描 写 した 作 品 が 年 少 踏 靑 である 年 少 踏 靑 とは 直 訳 すれば 若 い 学 者 が 青 い 新 芽 を 踏 む という 意 味 であり 若 い 両 班 が 春 にぶ らりと 出 かけることを 称 する 図 20 申 潤 福 年 少 踏 靑 蕙 園 傳 神 帖 紙 淡 彩 cm 18 世 紀 末 -19 世 紀 初 澗 松 美 術 館 45

46 年 少 踏 靑 の 画 面 の 上 左 の 部 分 に 岩 の 上 で 濃 い 桃 色 のツツジを 描 き 春 を 表 現 して いた 馬 に 乗 っている 妓 生 三 人 の 姿 を 描 写 している その 女 性 達 の 上 着 は 短 くてそでが 狭 いチョゴリを 着 ている 画 家 はその 服 装 を 鮮 やかな 色 彩 で 表 現 している その 妓 生 の 美 し い 姿 に 見 とれた 男 性 達 は 両 班 の 面 子 を 考 えず 馬 に 乗 っている 妓 生 にタバコの 火 を 付 けた り 妓 生 の 従 者 となって 馬 丁 の 帽 子 をかぶっている 両 班 が 召 使 いの 帽 子 をかぶっている 姿 は 社 会 的 身 分 の 秩 序 をひっくり 返 していることである このような 光 景 は 朝 鮮 時 代 の 両 班 階 層 ではしてはならない 行 動 であり 恥 と 考 える 行 動 であるが 実 生 活 では 頻 繁 に おきる 出 来 事 であっただろう 申 潤 福 は 朝 鮮 の 上 流 社 会 の 遊 興 文 化 と 風 俗 を 男 女 の 愛 情 の 観 点 で 描 き 出 した その 中 で 朝 鮮 後 期 の 支 配 階 級 の 生 活 を 赤 裸 々に 見 せている これは 絵 を 通 じて 両 班 の 二 重 性 と 偽 善 を 風 刺 したことである 遊 郭 爭 雄 では 酒 家 の 前 で 喧 嘩 をしている 両 班 の 姿 を 描 写 する これは 一 人 の 妓 生 を 互 いに 占 めるための 戦 いにも 見 える 図 21 申 潤 福 遊 郭 爭 雄 蕙 園 傳 神 帖 紙 淡 彩 cm 18 世 紀 末 -19 世 紀 初 46

47 澗 松 美 術 館 遊 郭 爭 雄 の 左 側 では 喧 嘩 を 売 った 男 性 を 友 たちと 捕 吏 がやめさせている 赤 い 服 を 着 ている 男 性 が 捕 吏 である 中 央 にいる 男 性 は 上 着 を 脱 ぎながらもっと 喧 嘩 に 挑 もうと する 姿 勢 である 妓 生 はこの 喧 嘩 とは 何 の 関 係 もないという 表 情 で 長 いキセルを 口 でく わえ 冷 静 にその 状 況 を 見 守 っている 右 側 の 男 性 は 破 れてしまったカッを 拾 っている 酒 場 の 前 で 時 々 目 にすることがある 一 場 面 を 喜 劇 的 に 風 刺 的 に 表 現 している このような 喧 嘩 を 行 ったのは 一 般 庶 民 ではない 学 識 と 道 徳 及 び 自 身 の 名 誉 を 重 視 する 両 班 社 会 の 男 性 ということが 重 要 である このような 支 配 階 層 の 姿 を 描 くということは 勇 気 が 必 要 なことであっただろう 月 下 情 人 では 女 性 が 許 可 なく 勝 手 に 外 出 するのを 禁 じた 朝 鮮 時 代 の 厳 しい 儒 教 的 社 会 で 三 日 月 の 暗 い 夜 道 で 二 人 の 男 女 が 密 会 をしている 場 面 を 描 いている 図 22 申 潤 福 月 下 情 人 蕙 園 傳 神 帖 紙 談 彩 cm 18 世 紀 末 -19 世 紀 初 47

48 澗 松 美 術 館 月 下 情 人 では 奥 深 い 塀 で 男 女 の 愛 の 会 話 の 情 景 を 巧 にあらわしている 作 品 の 中 で 以 下 のように 述 べている 月 沈 沈 夜 三 更 沈 沈 と 夜 が 更 ける 三 更 の 月 の 光 の 下 で 両 人 心 事 両 人 知 二 人 の 心 は 二 人 だけがわかるのだ この 作 品 は 塀 の 角 度 が 曲 がったところを 画 帳 の 折 り 畳 む 面 に 従 って 表 現 している その 塀 のそばで 二 人 の 男 女 が 対 話 をしている 男 女 の 足 の 方 向 が 同 じ 所 を 向 かっているので 二 人 の 心 を 察 することができる 申 潤 福 はその 時 代 に 他 の 画 家 が 表 現 しなかった 遊 興 者 と 妓 生 の 姿 をロマンティックに 描 き 出 したのである 巫 女 神 舞 ではグッ( 註 7)をする 場 面 を 表 現 している 儒 教 的 社 会 である 朝 鮮 時 代 に はグッを 行 うことが 禁 止 されていた その 理 由 によりこの 絵 は 朝 鮮 時 代 の 風 俗 を 研 究 する のにも 重 要 な 資 料 となっている 申 潤 福 は 民 間 でこっそりと 行 われるグッを 大 胆 な 斜 線 構 成 で 描 いている 横 切 った 石 垣 を 境 界 により 画 面 を 二 等 分 している 48

49 図 23 申 潤 福 巫 女 神 舞 蕙 園 傳 神 帖 紙 淡 彩 cm 18 世 紀 末 -19 世 紀 初 澗 松 美 術 館 巫 女 神 舞 の 外 側 は 藁 葺 きの 家 と 木 がある 背 景 である 内 側 には 石 垣 を 背 にして 笛 を 吹 く 楽 士 と 鼓 をたたく 楽 士 祈 っている 女 性 達 を 描 いている 赤 い 服 を 着 ている 巫 女 は 両 腕 を 広 げ 扇 子 とナイフを 各 手 に 持 って 踊 っている 巫 女 の 巻 き 上 げた 髪 は 重 そうにみえ るほど 大 きく 描 いている 女 性 の 二 人 は 一 心 不 乱 に 祈 っている 黄 色 いチョゴリを 着 た 子 供 は 頬 杖 を 突 いたまま 巫 女 の 行 動 を 眺 め それを 興 味 深 く 見 ている 塀 の 向 こう 側 には この 儀 式 を 覗 き 見 ている 男 性 と 神 霊 を 招 くこの 儀 式 には 関 心 を 出 さず その 男 性 を 見 て いる 女 性 を 描 き ドラマのような 雰 囲 気 を 演 出 し この 絵 を 見 る 人 に 好 奇 心 を 誘 発 させて いる 申 潤 福 は 彼 の 父 親 申 漢 枰 が 母 性 をあらわす 作 品 を 描 いているように 彼 も 赤 ん 坊 を 背 負 った 女 性 の 姿 を 描 写 している その 作 品 赤 ん 坊 を 背 負 っている 女 性 に 登 場 している 母 49

50 親 を 巻 き 上 げた 髪 で 丸 い 顔 に 細 い 目 口 は 小 さく 描 写 している スカートは 地 面 に 着 くほどの 長 さである チョゴリの 長 さが 短 いので 胸 がはみ 出 している その 女 性 は 恥 ずかし 気 もなく 胸 を 堂 々とあらわしている これは 世 紀 初 期 の 頃 には 珍 しくな い 光 景 である 胸 を 出 している 理 由 は 出 産 直 後 の 胸 が 発 散 する 熱 を 冷 ましつつ 息 子 を 出 産 したことを 自 慢 する 風 習 があったためである その 当 時 男 子 を 産 んだという 印 であっ た このように 胸 を 出 している 姿 は 20 世 紀 に 韓 国 を 訪 ねた 外 国 人 によって 頻 繁 に 描 写 する ようになる 韓 国 の 固 有 な 風 習 や 文 化 などが 外 国 人 の 目 にはエキゾチックな 風 景 として 見 られただろう 図 24 申 潤 福 赤 ん 坊 を 背 負 っている 女 性 紙 淡 彩 図 25 申 潤 福 美 人 図 絹 本 彩 色 cm 18 世 期 末 -19 世 期 初 cm 18 世 期 末 -19 世 期 初 50

51 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 澗 松 美 術 館 美 人 図 では 魅 力 的 に 頭 にのせている 加 髢 ( 註 8) 上 着 の 長 さは 短 く 手 を 上 げたら たちまち 胸 があらわれそうなチョゴリ( 上 着 ) わざと 結 ばなかったチョゴリの 結 び 紐 は 多 くの 男 性 を 悩 殺 させるのに 充 分 であった 面 長 の 顔 で あるいは 頬 はふっくらとして いる 小 さい 唇 に 目 の 細 い 綺 麗 な 女 性 を 繊 細 に 描 いている ノリゲを 触 っている 蠱 惑 的 な 姿 態 はにかむように 顔 をちょっと 下 げている 姿 女 らしく 見 える 韓 服 の 姿 スカートの 下 とあらわれた 白 い 足 袋 に 至 るまで 申 潤 福 の 優 れた 描 写 力 により 女 性 の 魅 力 を 表 現 され ている 絵 の 中 に 画 家 の 心 の 中 に 春 が 満 ちてくると 筆 先 は 万 物 の 伝 神 ( 肖 像 画 )を 描 き 出 し てくれる( 盤 薄 胸 中 萬 化 春 筆 端 能 言 物 傳 神 ) と 書 いている 美 人 図 の 女 性 は 当 時 の 時 代 状 況 により 上 流 階 層 のお 嬢 さんは 親 戚 以 外 の 男 性 の 前 に あらわれることはなかったので 風 流 世 界 で 生 活 している 妓 生 とみられる このような 美 人 図 と 妓 生 の 姿 は 19 世 紀 以 後 には 多 く 描 かれた 画 題 であった また その 姿 は 近 代 以 後 の 韓 国 人 の 画 家 と 日 本 人 の 画 家 により 描 かれることになるモチーフでも ある 申 潤 福 がこのような 妓 生 の 姿 を 表 現 した 絵 を 描 かれることができたのは 英 正 祖 時 代 の 社 会 変 化 により 庶 民 の 生 活 に 対 する 関 心 が 高 まったのである また 現 実 の 直 視 する 思 想 が 文 化 社 会 的 な 諸 般 分 野 に 及 ぼし 始 めた 時 でもあったので このような 作 品 が 制 作 され たと 考 えられる 申 潤 福 の 画 風 は 松 水 居 士 や 作 家 不 明 の 人 々などの 後 代 の 画 家 に 影 響 を 与 えた 彼 達 は 51

52 申 潤 福 風 の 美 人 図 を 描 いていた 松 水 居 士 が 誰 なのかは 分 からない 彼 が 描 いた 美 人 図 の 女 性 は 右 手 では 赤 い 結 び ひもを 軽 く 握 って 左 手 では 長 い 結 びひもを 捉 えているし 巻 上 げた 髪 型 ( 加 髢 )を 大 き く 描 写 している 当 時 には 女 性 の 加 髢 をみてその 家 の 経 済 力 を 計 ったというので 画 面 の 女 性 は 名 がある 妓 生 だと 推 測 される 図 26 松 水 居 士 美 人 図 紙 本 彩 色 図 27 作 家 不 明 美 人 図 紙 本 彩 色 cm 19 世 紀 初 期 温 陽 美 術 館 cm 1825 年 日 本 東 京 国 立 博 物 館 52

53 図 28 作 家 不 明 美 人 図 紙 本 彩 色 図 29 作 者 不 明 美 人 図 紙 本 彩 色 cm 19 世 紀 中 葉 海 南 尹 氏 本 家 cm 19 世 紀 後 半 韓 国 東 亜 大 学 校 博 物 館 日 本 東 京 国 立 博 物 館 にある 美 人 図 も 申 潤 福 の 美 人 図 に 影 響 を 受 けた 作 品 とみ られる うなだれている 姿 左 手 に 軽 く 花 を 握 った 姿 及 び 頭 の 方 向 と 反 対 にチマをたくし あげた 姿 は 人 目 を 引 くような 姿 である 他 の 美 人 画 とは 違 い 手 に 花 を 持 っていること がこの 作 品 の 特 徴 である 海 南 尹 氏 の 本 家 の 所 有 である 美 人 図 は 大 きく 巻 上 げた 髪 に 両 手 を 上 げて 手 入 れして いる 女 性 を 描 いている 両 手 を 上 げているのでわきの 下 がのぞいている 朝 鮮 時 代 の 美 女 は 髪 が 濃 くて 長 いほど 美 人 と 思 われた そのため 美 人 画 に 登 場 する 女 性 は 大 きい 加 53

54 髢 を 用 い 飾 っているとみられる 東 亜 大 学 校 博 物 館 の 美 人 画 の 女 性 の 身 体 は 正 面 であるが 顔 は 左 へ 向 きながらうな だれている 巻 上 げた 髪 ではなく 未 婚 の 女 性 のように 髪 を 下 げている また 胸 をみせ ている 右 手 は 髪 に 触 れ 左 手 はチマの 裾 を 捉 えている 両 手 には 指 輪 をはめている チ マの 下 から 足 袋 と 下 着 がみえる 彼 女 は 両 足 を 広 げて 立 っている このように 他 の 美 人 図 とは 違 った 表 現 をしているのがこの 美 人 画 の 特 徴 である 以 上 のような 魅 力 的 な 女 性 たちは 優 雅 な 髪 型 で 特 定 の 個 人 の 肖 像 というより 男 性 画 家 の 抱 く 女 性 美 の 一 つの 理 想 像 を 表 わしている このような 美 人 画 は 私 的 な 消 費 のため に 制 作 されたのである 男 性 画 家 あるいは 鑑 賞 者 のために 描 かれたばかりではなく そこには 男 性 の 理 想 的 な 女 性 美 を 考 慮 して 形 象 化 されている こうした 絵 画 は 今 日 の 女 優 などのピンナップ 写 真 と 変 わらない 機 能 を 持 っていたように 思 われる ( 註 9) 劉 運 弘 (ユ ウンホン )の 妓 房 図 でも 長 い 髪 を 梳 いている 女 性 を 表 現 し ている 彼 は 朝 鮮 末 期 の 画 家 で 字 は 致 弘 号 は 詩 山 であり 図 画 署 画 員 であった 図 30 劉 運 弘 妓 房 図 紙 墨 淡 彩 図 31 作 家 不 明 桂 月 香 の 肖 像 54

55 cm 19 世 紀 中 葉 個 人 蔵 cm19 世 紀 韓 国 国 立 民 俗 博 物 館 妓 房 図 では 子 供 を 背 負 っている 女 性 長 いキセルを 口 で 噛 んだ 女 性 及 び 鏡 の 前 で 見 事 な 長 い 髪 を 手 入 れする 女 性 の 姿 を 表 現 している 短 いチョゴリで 胸 があらわれている 背 景 にはその 当 時 の 扉 と 縁 側 を 幾 何 学 的 な 模 様 で 表 現 している 以 上 の 絵 とは 違 う 趣 旨 で 妓 生 を 表 現 した 肖 像 画 桂 月 香 の 肖 像 雲 娘 子 肖 像 論 介 肖 像 などがある これは 妓 生 として 忠 勇 義 烈 な 行 為 を 行 った 女 性 を 描 いたのである 桂 月 量 の 肖 像 画 は 作 家 不 明 である 平 壌 の 名 高 い 妓 生 桂 月 量 (?-1592)は 文 禄 慶 長 の 役 の 時 に 平 壌 城 で 日 本 の 武 将 を 斬 首 し 手 柄 を 立 てた これを 称 賛 するために 描 いた 肖 像 画 である この 作 品 は 彼 女 の 死 後 に 追 慕 して 描 かれた 肖 像 画 である 図 32 蔡 龍 臣 雲 娘 子 肖 像 絹 本 淡 彩 cm 1914 年 韓 国 国 立 全 州 博 物 館 図 33 金 殷 鎬 論 介 肖 像 絹 本 淡 彩 cm 1955 年 国 立 晋 州 博 物 館 晋 州 城 管 理 と 寄 託 55

56 雲 娘 子 肖 像 も 女 性 忠 節 の 象 徴 という 趣 旨 により 蔡 龍 臣 ( チェ ヨンシン ) が 描 いた 作 品 である 蔡 龍 臣 は 韓 国 の 伝 統 的 な 画 法 で 西 欧 画 の 立 体 感 を 表 現 した 画 家 であ る 雲 娘 子 (ウン ナンジャ)は 平 安 道 嘉 山 の 官 庁 に 所 属 した 妓 生 であり 名 前 は 崔 蓮 紅 (チ ェ ヨンホン )である 27 歳 の 彼 女 が 洪 景 來 (ホン ギョンネ ) の 亂 の 時 に 郡 守 を 助 けた このような 彼 女 の 行 動 を 当 時 の 政 府 が 高 く 評 価 し 妓 生 の 身 分 から 解 放 し 田 と 畑 などを 下 賜 した 画 面 の 右 側 の 上 に 雲 娘 子 二 十 七 歳 像 左 側 の 中 間 部 分 に 甲 寅 月 石 芝 寫 という 落 款 がある ( 註 10) 甲 寅 の 寅 年 は 1841 年 にあたる 雲 娘 子 の 27 歳 時 の 姿 を 想 像 して 描 いたこの 作 品 は 男 の 子 を 抱 いている 姿 が 聖 母 子 像 を 思 い 起 させる 顔 の 表 現 など 全 体 的 には 韓 国 の 伝 統 的 技 法 で 描 いているが 服 のしわなど に 陰 影 法 が 用 いた 表 現 をして 立 体 感 を 感 じさせる このように 西 洋 画 風 の 技 法 も 見 える 作 品 である 短 いチョゴリの 下 に 見 える 胸 やチマから 差 し 出 した 左 側 の 足 袋 の 姿 は 伝 統 的 な 美 人 図 風 である このような 折 衷 された 様 式 の 肖 像 画 法 は 朝 鮮 末 期 から 近 代 初 期 にか けて 画 法 化 した 蔡 龍 臣 の 絵 画 の 特 徴 でもある これら 肖 像 画 は 位 牌 を 安 置 する 場 所 に 飾 るために 制 作 された 儒 教 の 理 念 の 中 で 重 要 な 価 値 とされている 忠 孝 烈 ( 註 11)をたたえる 啓 蒙 的 目 的 を 持 っていると 見 られる 韓 国 の 風 俗 画 は 19 世 紀 の 朝 鮮 時 代 の 末 期 に 入 ると 急 激 に 衰 退 していった その 原 因 は 物 事 の 形 式 よりもその 内 容 と 精 神 を 重 んじて 描 く 文 人 画 が 当 時 の 画 壇 を 占 めていたからであ る その 結 果 日 常 生 活 で 仕 事 をする 女 性 の 姿 を 描 いた 作 品 もあまり 描 かれなくなったの である 56

57 以 上 のように 女 性 の 姿 は 約 18 世 紀 頃 にから 描 かれた 朝 鮮 時 代 の 風 俗 画 や 美 人 図 などに 表 現 されているが その 女 性 の 表 現 は 女 性 という 人 間 を 表 現 したというよりは 日 常 生 活 の 中 の 庶 民 の 姿 を 写 実 的 に 描 写 したことである また 女 性 は 絵 画 における 主 要 な 画 題 とし ての 認 識 はされなかった さらに 人 間 的 な 内 面 や 人 体 美 及 び 個 性 の 表 現 といった 近 代 性 をもつものではなかったと 考 えられる 57

58 註 ) 1. 이충렬(イ チュンリョル) 간송 전형필( 澗 松 全 鎣 弼 (カンソン チョン ヒョン ピル)) 김영사 2010 p 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 前 掲 書 p 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 前 掲 書 pp 박상하(パク サンア) 조선의 3 원 3 재이야기( 朝 鮮 の 3 園 3 齋 の 物 語 ) 일송북 2011 pp 全 鎣 弼 は 日 本 の 骨 董 品 の 会 社 であった 山 中 商 会 から 恵 園 伝 神 帖 をその 当 時 のお 金 3 万 ウォンで 買 った 現 在 の 価 値 で 90 億 ウォン 程 度 なるという :이충렬 간송 전형필( 澗 松 全 鎣 弼 (チョン ヒョンピル)) 김영사 2010 pp 参 考 6. 洪 善 杓 (ホン ソンピョ) 前 掲 書 pp 巫 女 が 神 霊 を 招 く 儀 式 8. 近 代 以 前 に 朝 鮮 の 女 性 が 使 用 したかつらの 一 種 加 髢 は 社 会 的 に 地 位 が 高 い 女 性 と 妓 生 は 大 きい 加 髢 を 使 用 していた かつらが 大 きくて 重 いほど 美 しいと 思 われた こ のような 状 況 がエスカレートするようになり 1756 年 には 英 祖 が 1788 年 には 正 祖 が 勅 令 で 加 髢 の 使 用 を 禁 止 した 9. 金 英 那 (キム ヨンナ) 著 神 林 恒 道 監 訳 韓 国 近 代 美 術 の 百 年 三 元 社 p 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 前 掲 書 p 忠 臣 と 孝 行 息 子 と 烈 女 を 言 う 言 葉 58

59 第 2 章 朝 鮮 時 代 における 西 洋 画 風 第 1 節 中 国 からの 西 洋 画 風 の 流 入 韓 国 の 西 洋 画 風 が 伝 来 した 時 期 について 確 実 には 分 からないが 17 世 紀 頃 から 中 国 を 通 じて 朝 鮮 に 伝 えられた 可 能 性 が 高 いとみられる 西 洋 文 物 を 初 めて 紹 介 した 人 物 は 李 睟 光 ( )である 彼 の 著 書 芝 峰 類 説 では マテオ リッチ(Matteo Ricci )の 著 書 天 主 室 義 や 交 友 論 カトリック 教 の 教 理 と 教 皇 及 び 世 界 地 形 風 物 文 化 等 を 紹 介 している また 同 書 には 1603 年 に 李 光 庭 (イ クァンジョン ) と 權 憘 (クォン ヒ )が 北 京 でマテオ リッチが 製 作 した 西 欧 地 図 坤 興 万 国 全 図 を 将 来 したと 書 かれている 坤 興 万 国 全 図 では 西 域 や 中 国 地 方 朝 鮮 8 道 ( 註 1) 及 び 日 本 60 州 まで 地 理 的 に 精 巧 で 緻 密 に 描 いている この 地 図 により 朝 鮮 の 知 識 人 達 は 世 界 の 色 々な 地 域 と 朝 鮮 の 地 理 的 位 置 がわかるようになったと 推 測 できる また 彼 等 の 世 界 観 価 値 観 を 広 くする 契 機 になったと 考 えられる. 西 洋 画 法 の 流 入 は 17 世 紀 の 丙 子 の 乱 (1636 年 註 7) 直 後 に 人 質 として 清 に 連 行 された 昭 顯 世 子 ( )が 帰 国 の 時 (1644)にアダム シャル(Adam Schall)から 貰 ったカ トリック 教 会 の 絵 天 主 像 とされる 昭 顯 世 子 は その 絵 以 外 にもカトリック 教 の 教 理 の 著 書 等 を 将 来 した しかし 3 ヶ 月 後 昭 顯 世 子 の 突 然 の 死 と 共 に 西 洋 文 物 の 接 触 につ いてこれ 以 上 の 進 展 をみることができなくなってしまった ( 註 2) 実 際 に 18 世 紀 初 期 にいつ どのような 西 洋 画 が 朝 鮮 に 流 入 したのかは 具 体 的 には 分 から ないが 1720 年 に 北 京 を 訪 ねた 李 宜 顯 (イ ウィヒョン )が 1328 冊 の 書 籍 と 10 点 の 洋 画 を 購 入 し 朝 鮮 に 将 来 したと 庚 子 燕 行 雜 識 に 記 す 彼 は 1732 年 にも 北 京 59

60 に 行 って 大 量 の 書 冊 と 15 点 の 洋 画 を 将 来 した ( 註 3) 朝 鮮 に 伝 来 した 西 洋 画 は 泰 西 画 洋 画 西 洋 国 書 西 国 書 等 と 呼 ばれながら 朝 鮮 末 期 の 画 風 の 変 化 に 新 しい 要 因 として 作 用 した ( 註 4) ある 程 度 の 数 の 西 洋 画 が 中 国 を 通 じて 朝 鮮 に 流 入 したことは 李 瀷 (イ イク ) の 文 を 通 じて 知 ることが 出 来 る 彼 は 星 湖 僿 説 で 近 頃 燕 京 ( 北 京 )に 使 節 で 行 っ てきた 人 々が 西 洋 画 を 買 って 大 廳 (テ チョン 註 5)に 架 けている 一 つの 目 を 閉 じ て 片 方 の 目 で 作 品 を 長 くみると 宮 殿 の 屋 根 の 曲 がり 角 と 塀 が 実 際 の 形 態 に 飛 び 出 して くるように 見 えるのである これについて 追 究 した 人 が これは 描 写 技 術 の 妙 である 遠 近 と 長 短 の 相 互 関 係 が 明 らかなので 片 方 の 目 でみればこのように 形 態 が 明 確 に 見 えてく る と 言 われた と 記 している ( 註 6) 李 瀷 は このように 朝 鮮 の 伝 統 画 の 表 現 とは 違 っ た 西 洋 画 の 捉 え 方 について 説 明 しているのである 安 鼎 福 (アン ジョンプク )は 著 書 順 菴 集 で 西 洋 の 著 書 はすでに 宣 祖 (ソンチョ 朝 鮮 第 14 代 王 )の 晩 年 から 朝 鮮 に 流 れ 込 んでいた 管 理 や 学 者 等 でこれを 読 まない 人 はいないのである と 記 されている ( 註 7) 1764 年 には 洪 大 容 (ホン デヨン )は 彼 の 著 書 湛 軒 書 の 中 に 西 洋 屏 風 1 幅 と 西 洋 異 獣 画 等 の 3 点 を 贈 り 物 として 貰 ったと 述 べている ( 註 8)1771 年 には 金 尚 喆 (キム サンギル )は 西 洋 の 画 家 と 出 会 って 自 分 の 肖 像 画 を 注 文 し その 作 品 を 朝 鮮 に 持 って 帰 った この 洋 風 の 写 実 的 な 肖 像 画 についてのうわさが 広 がって 1781 年 には 正 祖 が 自 分 の 肖 像 画 の 製 作 の 参 考 にさせるため この 絵 に 観 覧 したのである 1784 年 には 使 節 の 随 行 員 であった 李 承 薰 (イ スンフン )は 聖 化 を 贈 り 物 として 貰 って 朝 鮮 に 将 来 した ( 註 9) 60

61 以 上 のように 韓 国 の 西 洋 画 法 の 流 入 は 朝 鮮 の 鎖 国 政 策 により 西 洋 との 直 接 的 な 交 流 で はなく 中 国 を 通 しておこなわれた 中 国 に 派 遣 した 使 節 団 を 通 じて 西 洋 の 文 物 と 著 書 が 輸 入 された 中 国 に 派 遣 した 使 節 団 を 燕 行 使 節 団 ( 註 10)と 呼 び その 使 節 団 は 清 国 が 首 都 を 燕 京 ( 北 京 )に 移 転 した 1644 年 から 1896 年 まで 763 回 に 渡 り 派 遣 された 燕 行 使 節 団 は 正 使 副 使 書 状 官 大 通 官 3 名 押 物 官 24 名 医 官 画 員 ( 註 11) 等 を 含 んだ 名 内 外 の 学 者 や 芸 術 家 などで 構 成 されていた ( 註 12)この 中 で 画 家 は 図 画 署 に 所 属 した 画 員 画 家 と 正 使 や 副 使 の 職 責 で 行 く 文 人 画 家 達 であった 画 員 は 使 節 団 の 旅 程 を 描 くことや 地 図 を 描 き 写 すこと 及 び 新 しい 技 法 を 学 んでくる 役 割 を 担 当 して いたが 使 行 団 に 必 ず 含 まれるものではなかった 当 時 の 朝 鮮 の 画 員 は 専 門 画 家 として 新 しく 出 会 った 西 洋 の 美 術 に 興 味 を 持 った 可 能 性 が 高 かったと 推 測 されるが 身 分 や 地 位 が 低 いためが 彼 達 についての 記 録 は 殆 ど 残 されてない 大 部 分 の 使 節 団 は 正 式 な 報 告 書 以 外 にも 旅 行 記 と 清 の 新 しい 文 物 に 対 する 見 聞 記 を 記 している その 代 表 的 な 著 書 としては 金 昌 業 の 老 稼 斎 燕 行 録 朴 趾 源 の 熱 河 日 記 朴 斉 家 の 北 学 議 等 がある 彼 達 の 著 書 では 北 京 でみた 西 洋 画 についての 感 想 を 述 べていた 燕 京 ( 北 京 )にあるカトリック 教 会 の 壁 画 と 天 井 画 の 作 品 を 直 接 に 観 覧 した 朝 鮮 の 知 識 人 達 は 驚 きを 禁 じることができなかったであろう 1720 年 に 燕 京 を 訪 問 した 李 器 之 (イ ギジ )は 西 洋 画 記 でカトリック 教 会 にかけられている 絵 を 次 のように 述 べている 雲 の 中 に 五 六 人 の 人 が 立 っていた かすかに 見 え 隠 れしている 姿 が 仙 人 とおばけの 幻 影 だと 思 ったが 長 くみていると 壁 に 描 かれている 絵 だった 鳥 獣 及 び 魚 はすべて 実 物 の 61

62 ように 見 えた 虫 と 獣 の 名 前 が 書 いてなくてもどんな 生 物 なのか 知 ることが 出 来 る ( 註 13) 1765 年 北 京 にいるカトリック 教 会 に 描 かれていた 絵 について 洪 大 容 (ホン デヨン )は 人 物 は 生 きていて 恰 も 動 いているように 見 えた その 絵 を 見 れば 実 景 の ように 見 えて 絵 だとはわからなかった と 書 きながらも 人 物 の 表 現 に 対 しては 婦 人 みたいな 人 物 は 憂 いがかかった 顔 で 髪 の 毛 を 靡 かせていたので 好 きにはなれなった ( 註 14)と 述 べている 西 洋 画 の 写 実 的 表 現 に 感 心 しながらも 東 洋 人 と 違 う 西 洋 人 にの 容 姿 については 若 干 の 拒 否 感 をあらわしていたと 見 られる 1978 年 燕 京 のカトリック 教 会 を 訪 問 した 李 德 懋 (イ ドクム )も 天 主 堂 に 描 かれている 絵 を 見 て 北 側 の 壁 にチェ ンで 縛 られている 大 きい 犬 の 図 があったが 私 に 飛 びかかるようで 恐 ろしかった その 絵 の 下 のところで 実 物 の 何 匹 の 犬 が 横 になってい たが 絵 の 犬 と 実 物 の 犬 の 区 別 ができなかった と 述 べている ( 註 15)また 1780 年 北 京 を 訪 問 した 朴 趾 源 も カトリック 教 会 の 壁 や 天 井 に 描 かれている 雲 や 人 物 等 を 次 のよ うに 熱 河 日 記 ( 註 16)に 述 べている カトリック 教 会 に 描 かれた 雲 と 人 物 の 描 写 は 言 語 や 文 字 では 表 現 することができない ほどのものであった その 絵 は 稲 妻 の 光 のように 私 の 目 を 奪 う 何 かがあった ( 五 色 雲 の 中 を 飛 び 回 っている 数 多 くの 子 供 達 が 描 かれた 天 井 画 を 見 て) 数 えきれない 子 供 達 が 五 色 の 雲 の 中 で 走 りまわっている その 光 景 は 子 供 達 が 空 に 連 なっているようにみえた 天 井 に 描 かれているその 子 供 達 の 肌 を 触 れれば まるで 温 もりまで 感 じることができるよ 62

63 うだ 子 供 達 の 手 首 とふくらはぎは まるまると 太 ってふっくらとしているように 立 体 的 に 見 えた その 絵 を 見 ていた 人 の 目 がいきなり 見 張 って 驚 きながら 慌 てた 様 子 をみせた その 人 はまるで 天 井 に 描 かれている 子 供 達 が 落 ちてくると 手 を 広 げて 受 け 止 めようとい う 仕 草 をしている ( 註 17) 19 世 紀 に 入 ってから 連 行 使 節 団 はカトリック 教 会 だけではなく ロシア 公 使 館 にある 西 洋 絵 画 にも 観 覧 することができた 1832 年 使 行 の 正 使 と 副 使 がロシア 公 使 館 を 訪 問 し て そこの 壁 にかかっている 皇 帝 と 皇 后 の 肖 像 をはじめ 色 々な 絵 を 見 物 したという 記 録 が 残 っている ( 註 18) 1828 年 に そのロシア 公 使 館 でみた 西 洋 画 に 対 して 随 行 員 は 極 めてグロテスクで 醜 く 感 じて 見 るにも 耐 えられなかった 朝 鮮 に 帰 ったら 燕 京 に 行 く 人 々にこの 絵 につい て 必 ず 話 して 絶 対 にこの 館 には 足 を 運 ばないようにする と 述 べている 金 景 善 (キム ギョンソン 1788-?)も 1832 年 に 北 京 のロシア 使 館 を 訪 問 してみた 肖 像 画 に 対 して 人 物 を 描 いた 絵 は 全 部 大 きな 鼻 で 青 い 目 をしていた 時 には 顔 に 長 いひげを 描 いたのもあ ったが みだらで 奸 悪 な 悪 い 気 が 人 を 圧 迫 するようである と 話 した ( 註 18) しかし このように 西 洋 画 法 に 対 して 非 難 と 拒 否 感 をあらわしていた 学 者 達 も 写 実 的 な 表 現 に 対 しては 大 変 珍 しく 印 象 的 であったと 述 べていた 中 国 に 訪 問 することができなかった 人 々は 文 人 達 の 燕 行 使 節 団 の 見 聞 記 や 使 節 団 が 持 ち 帰 った 西 洋 の 作 品 と 西 洋 画 に 関 する 中 国 文 献 を 通 じて 西 洋 絵 画 に 接 することができた 西 洋 画 に 関 する 著 書 と 作 品 が 朝 鮮 時 代 に 流 入 し 18 世 紀 以 後 の 朝 鮮 時 代 の 絵 にも 西 洋 画 風 があらわれ 始 めている 63

64 註 ) 1. 朝 鮮 時 代 の 行 政 区 域 - 京 畿 忠 清 全 羅 慶 尚 黄 海 平 安 咸 鏡 江 原 の 八 道 2. 李 元 淳 (イ ウォンジュン) 朝 鮮 西 洋 史 研 究 일지사 1986 pp 李 成 美 (イ ソンミ) 朝 鮮 時 代 の 絵 の 中 の 西 洋 画 法 소화당 2000 p 洪 善 杓 (ホン ソンピョ) 朝 鮮 時 代 絵 画 史 論 문예출판사 1999 p 母 屋 の 部 屋 と 部 屋 の 間 にある 広 い 板 の 間 6. 李 瀷 星 湖 僿 説 4 巻 書 像 拗 突 近 世 使 燕 者 市 西 洋 書 掛 在 堂 上 始 閉 一 眼 以 隻 晴 詿 視 久 而 殿 角 宮 垣 皆 突 起 如 真 形 比 畫 工 之 妙 也 其 遠 近 長 短 分 敷 分 畔 故 嘆 服 力 遠 現 化 比 也 李 瀷 星 湖 僿 説 2 巻 民 族 文 化 推 進 会 1976 pp.64-65; 李 成 美 朝 鮮 時 代 の 絵 の 中 の 西 洋 画 風 2000 pp 李 瀷 星 湖 僿 説 4 巻 書 像 拗 突 7. 洪 善 杓 (ホン ソンピョ) 前 掲 書 p.293 安 鼎 福 (アン ヒョンポク) 順 菴 集 巻 17 : 天 学 考 西 洋 書 目 宣 廟 末 年 已 已 于 東 明 鄕 碩 儒 無 人 豫 見 8. 洪 善 杓 (ホン ソンピョ) 前 掲 書 p.292: 洪 大 容 湛 軒 書 外 集 巻 7 燕 京 9. 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 p.89: 洪 善 杓 (ホン ソンピョ) 前 掲 書 1999 p 朝 鮮 時 代 北 京 に 派 遣 された 朝 鮮 の 使 節 明 の 時 までは 中 国 の 皇 帝 を 拝 謁 するという 意 味 で 朝 天 と 称 したが 清 時 代 には 北 京 を 燕 京 と 呼 んでいたので 燕 行 に 変 え た 11. 朝 鮮 時 代 絵 を 描 くことを 担 当 した 図 画 署 の 雑 職 12. 김명호(キム ミョンホ) 韓 国 の 古 典 を 読 む 1- 古 典 文 学 ( 上 ) 神 話 民 話 旅 行 記 64

65 휴먼니스트 2006 p 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 p 洪 善 杓 (ホン ソンピョ) 前 掲 書 p.292: 洪 大 容 湛 軒 書 外 集 巻 7 燕 京 15. 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 p 朝 鮮 時 代 末 期 の 学 者 の 朴 趾 源 (パク チウォン 1737~1805)の 燕 行 記 26 冊 10 本 燕 巌 集 に 収 録 されている 17. 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 pp 姜 徳 熙 東 アジアにおける 西 洋 画 法 の 導 入 と 展 開 日 本 韓 国 中 国 の 西 洋 画 法 の 受 容 を 中 心 に 西 江 大 学 校 修 士 論 文 2000 p.184: 洪 大 容 湛 軒 書 外 集 巻 7 燕 京 65

66 第 2 節 西 洋 画 風 により 描 かれた 作 品 18 世 紀 以 前 の 朝 鮮 絵 画 に 見 えなかった 新 たな 観 察 による 写 実 的 描 写 や 空 間 及 び 遠 近 法 の 表 現 等 があらわれた 多 くの 画 家 は 中 国 から 流 入 された 西 洋 絵 画 を 直 接 見 て その 影 響 を 意 識 的 に 吸 収 したり 文 人 の 著 書 に 書 いていた 西 洋 画 風 に 関 する 情 報 からその 技 法 を 習 得 したと 見 られる ( 註 1) 朝 鮮 時 代 末 期 の 知 識 人 達 は 西 洋 画 について 恰 も 生 きているような 人 物 の 写 実 的 な 描 写 明 暗 による 立 体 の 表 現 動 物 の 写 実 的 な 描 写 建 物 の 透 視 法 遠 近 法 による 立 体 的 描 写 空 間 感 の 表 現 だと 認 識 していた ( 註 2)その 西 洋 技 法 の 影 響 は 朝 鮮 時 代 の 後 期 に 登 場 した 真 景 山 水 画 をはじめ 肖 像 画 や 翎 毛 画 冊 架 図 及 び 記 録 画 等 で 徐 々にあらわれて きた 西 洋 画 風 が 反 映 された 写 実 的 な 肖 像 画 の 代 表 作 品 では 李 命 基 の 作 品 姜 世 晃 (カン セファン ) 肖 像 徐 直 修 (ソ チクス 1732-?) 肖 像 などがある 徐 直 修 肖 像 は 1796 年 に 徐 直 修 が 62 歳 の 時 に 李 命 基 (イ ミョンギ?-?)が 顔 を 金 弘 道 (キム ホンド 1945-?)が 身 体 を 描 写 した 当 時 の 朝 鮮 最 大 の 宮 中 画 員 の 二 人 が 共 同 作 業 で 制 作 した 肖 像 画 である 李 命 基 は 線 描 を 重 視 して 基 本 的 な 骨 格 を 描 写 し 顔 の 凸 凹 した 部 分 には 精 巧 に 明 暗 を 描 き 入 れた これは 伝 統 肖 像 の 画 法 と 西 洋 画 の 表 現 技 法 を 融 合 させた 創 意 的 な 造 形 とみられる 66

67 図 1 李 命 基 金 弘 道 徐 直 修 肖 像 絹 本 色 彩 cm 1769 年 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 徐 直 修 肖 像 では 目 の 輪 郭 に 赤 褐 色 の 線 を 重 ねて 描 き 奥 行 きの 深 さを 感 じさせる 瞳 の 周 囲 にはバーミリオン( 樺 色 )を 塗 り 目 つきを 生 々しく 表 現 している 鼻 には 輪 郭 線 を 殆 ど 描 かず 線 描 で 若 干 の 陰 影 を 描 いて 鼻 の 立 体 感 を 表 現 している やや 分 厚 い 唇 鼻 みぞ 目 の 周 りの 垂 れ 下 がった 皮 膚 の 表 現 などが 詳 細 に 表 現 されている このような 表 現 はその 以 前 の 肖 像 画 の 技 法 とはかなり 異 なっている 変 化 である ( 註 3) 袖 の 幅 は 非 常 に 広 くて その 長 さは 手 を 完 全 に 覆 うほど 長 い 高 貴 な 人 物 ( 両 班 )の 道 袍 ( 註 4)は こ のようにゆとりがある 身 幅 の 格 好 をしていた 履 物 を 履 かずに 白 い 足 袋 を 履 いていること がこの 絵 の 特 徴 である 黒 い 色 系 統 の 底 の 表 現 と 白 い 足 袋 の 対 照 が 印 象 的 である 服 の 輪 郭 線 と 襞 足 首 までいたる 道 袍 の 長 さ これら 全 てのものが 高 尚 な 人 の 礼 儀 正 しい 風 貌 と 似 合 うように 表 現 されている 67

68 韓 国 の 水 原 (スウォン)にある 龍 珠 寺 (ヨンジュサ) 大 雄 殿 の 後 佛 幀 画 三 世 如 来 体 幀 にも 明 暗 法 を 使 った 彩 色 が 見 える この 絵 は 金 弘 道 (キム ホンド)が 金 得 臣 (キム ド ゥクシン ) 李 命 基 (イ ミョンギ)とともに 従 事 したと 記 録 されている ( 註 5) 仏 画 は 仏 教 の 図 像 を 忠 実 に 描 写 しなければならないし 顔 料 の 使 用 方 法 が 一 般 的 絵 画 と は 違 うために 画 僧 が 描 いていた 正 祖 が 当 代 の 最 高 の 画 員 達 に 任 せたのは 従 来 の 仏 画 とは 違 った 斬 新 な 仏 画 になることを 望 んだからかもしれない 釈 迦 牟 尼 阿 彌 陀 如 来 薬 師 如 来 等 の 顔 と 身 体 は 遠 くから 見 ても 立 体 感 があるように 表 現 され 西 洋 画 法 で 表 現 され たことが 一 目 でわかるくらいである ( 註 6) 図 2 金 弘 道 三 世 如 来 体 幀 絹 本 色 彩 cm 韓 国 の 龍 珠 寺 (ヨンジュサ) 68

69 金 德 成 (キム ドクソン )の 作 品 雷 公 図 では 奇 怪 な 形 状 の 雷 神 が 龍 頭 の 部 分 を 片 足 で 立 っている その 両 手 にすずりと 筆 を 持 っている 西 洋 画 風 の 立 体 的 な 明 暗 法 が 雷 神 の 顔 や 身 体 の 筋 肉 及 び 衣 服 の 描 写 にみられる 姜 世 晃 (カン セグァ ン)はこの 作 品 の 筆 法 と 彩 色 を 全 部 西 洋 画 法 に 基 づいて 描 いていると 評 価 している ( 註 7) 図 3 金 德 成 雷 公 図 紙 本 色 彩 cm 19 世 紀 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 西 洋 画 の 透 視 図 法 と 明 暗 法 がはっきりあらわれている 作 品 は 冊 架 図 である 冊 架 図 は 18 世 紀 後 半 から 流 行 し 始 めており 高 尚 な 学 者 の 舍 廊 房 ( 註 23)や 書 斎 を 装 飾 する 絵 である 冊 架 図 の 典 型 的 な 作 品 は 李 亨 禄 (イ ヒョンノク 1808-?)の 冊 架 文 房 図 八 曲 屏 である 69

70 図 4 李亨禄 冊架文房圖八曲屛 紙本 彩色 世紀 湖巖美術館 この 冊架文房圖八曲屛 では 648 冊の書冊や静物が描いてあり 冊架図 の中で最も 多い書冊が描かれている絵である 書冊以外にも古銅器 清国の陶磁器 トゥルマギ(註 8) 文房具 竹の重箱 ひさご ノリゲ 註 9 仏手柑の実 ザクロ(石榴)の実 ツツ ジ スイセン等が細かく写実的に描写されている 李亨禄の 冊架図 の明暗法と透視法 は西洋画風に最も接近したのである 朝鮮時代の 記録画 でも西洋画法の影響がみられ る 図 5 朝陽門 燕行図 cm 図 6 卞璞 倭館図 紙本彩色 70

71 1784 年 以 後 崇 実 大 学 校 付 設 キリスト 教 博 物 館 cm 1783 年 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 燕 行 図 は 崇 実 (スンシル) 大 学 校 付 設 キリスト 教 博 物 館 により 1760 年 代 に 制 作 され 18 世 紀 中 葉 に 燕 行 使 と 同 行 した 画 員 の 作 品 と 推 定 されている ( 註 10) 北 京 城 の 東 門 で 甕 城 がある 朝 陽 門 を 背 景 に 描 いた 図 であり 微 妙 に 明 暗 法 と 透 視 法 が 使 われている 倭 館 図 は 現 在 の 釜 山 の 龍 頭 山 (ヨンドゥサン)にある 草 梁 洞 (チョリャンドン)の 倭 館 を 描 いた 作 品 である 龍 頭 山 を 中 心 に 東 官 と 西 館 にある 家 の 名 前 と 倭 館 を 囲 んでい る 風 景 を 細 かい 筆 致 で 描 き 出 している 俯 瞰 法 を 利 用 し 上 から 見 下 ろす 時 点 で 描 いてい た また 西 洋 の 透 視 法 を 利 用 している 遠 景 を 遠 く 薄 れていくように 遠 近 法 で 描 き 微 妙 に 空 間 感 を 見 せている 動 物 の 描 写 も 18 世 紀 以 前 と 違 って 写 実 的 に 表 現 された 金 斗 樑 (キム ドゥリャン )の 黑 狗 図 は 草 むらに 横 になってかゆいところを 搔 いている 犬 の 姿 を 精 密 に 描 写 している 黑 狗 図 は 古 事 から 家 に 福 を 持 ち 込 んでくるといわれ 頻 繁 に 描 かれてき たモチーフであった 71

72 図 7 金 斗 樑 黑 狗 図 紙 墨 cm 19 世 紀 韓 国 国 立 中 央 博 物 館 黑 狗 図 は 犬 の 動 作 の 表 現 と 毛 を 一 つ 一 つ 丁 寧 に 表 現 しており 躍 動 感 があふれる 筆 致 で 生 き 生 きした 感 じを 見 せている また 犬 の 表 情 の 描 写 も 写 実 性 を 高 めている しか し 背 景 は 伝 統 的 な 技 法 を 用 い 写 実 的 な 表 現 ではない 単 純 な 線 描 で 表 現 されている このように 中 国 から 流 入 し 西 洋 画 法 が 朝 鮮 時 代 の 画 壇 に 及 ぼした 影 響 は 微 弱 であった 一 部 の 文 人 画 家 と 画 員 は 自 分 達 の 伝 統 絵 画 と 違 う 西 洋 画 法 を 認 め 絵 の 中 に 取 り 入 れよ うと 試 みたが 伝 統 的 な 絵 画 画 法 に 調 和 しやすい 西 洋 の 透 視 画 法 と 陰 影 法 だけを 用 いて 作 品 を 制 作 した 多 くの 朝 鮮 の 画 家 は 伝 統 絵 画 の 文 人 画 を 維 持 しようという 保 守 的 な 態 度 で 一 貫 していた ( 註 11) 西 洋 画 の 流 入 は 18 世 紀 中 葉 に 活 発 となった 主 に 中 国 の 北 京 を 往 来 した 使 節 団 を 通 じて 画 籍 と 西 洋 画 が 流 入 してくるような 間 接 伝 播 であり 王 室 朝 鮮 の 使 臣 及 び 学 者 等 の 一 部 のエリート 階 層 に 受 容 されていた 72

73 このような 西 洋 画 風 が 次 に 波 及 されたのは 開 花 期 ( 註 12)に 外 国 人 の 来 朝 を 通 じてお こなわれた 女 性 の 姿 は 中 国 から 流 入 された 西 洋 画 法 を 用 いて 殆 ど 表 現 されなかった 73

74 註 ) 1. 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 pp 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 p 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 p 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 pp 男 性 が 上 着 の 上 に 羽 織 る 袖 が 広 くて 長 い 礼 服 6. 兪 弘 濬 (ユ ホンジュン) 画 員 列 伝 2 고독의 나날 속에서도 붓을 놓지않고( 孤 独 の 毎 日 の 中 でも 筆 を 置 かず) 역사비평사 2001 pp 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 p.297: 筆 法 彩 法 俱 得 泰 西 妙 意 8. 外 出 する 時 に 一 番 外 側 に 着 る 外 套 のような 服 9. 女 性 がチマチョゴリを 着 るときにつける 装 飾 品 さまざまな 形 があり チョゴリの 結 びひもの 先 端 などにつける 10. 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 p 李 成 美 (イ ソンミ) 前 掲 書 p 年 の 江 華 島 (カンファド) 条 約 以 後 朝 鮮 が 西 洋 文 物 の 影 響 を 受 けて 従 来 の 封 建 的 な 社 会 秩 序 を 打 破 して 近 代 的 社 会 に 変 わって 行 った 時 期 を 称 する また いかなる 文 化 芸 術 及 び 思 想 などが 繁 栄 する 時 期 を 比 喩 的 にいう 言 葉 である 74

75 第 3 章 外 国 人 による 韓 国 の 女 性 の 表 現 (19 世 紀 末 -20 世 紀 初 ) 第 1 節 西 洋 人 による 女 性 の 表 現 第 1 項 19 世 紀 末 に 朝 鮮 の 風 景 を 描 いた 西 洋 人 西 洋 人 が 朝 鮮 を 直 接 訪 ねたのは 1866 年 の 丙 寅 洋 擾 ( 註 1)からである 西 洋 人 の 目 は 朝 鮮 を 中 国 の 属 国 あるいは 東 南 アジア 亜 熱 帯 地 方 に 属 した 未 知 の 民 族 として 想 像 し 19 世 紀 末 まで 世 界 の 中 で 最 も 隠 された 国 と 認 識 されていた ( 註 2) 19 世 紀 中 葉 の 朝 鮮 は 鎖 国 政 策 により 外 国 人 との 取 り 引 きや 文 物 交 換 等 が 厳 禁 され 警 戒 と 監 視 が 厳 しかった そのため 来 朝 した 西 洋 人 は 航 海 途 中 の 僅 かな 期 間 に 朝 鮮 西 海 岸 を 訪 ねる 程 度 であり 彼 達 が 接 触 した 人 達 も 官 僚 や 通 訳 達 しかいなかった 1876 年 朝 日 守 護 通 商 条 規 ( 江 華 島 (カンファド) 条 約 )を 締 結 し 朝 鮮 が 門 戸 を 開 放 す る 前 まで 来 朝 した 西 洋 人 は べドゥウェル(F.le Breton Bedwell)や ジュベール(Henri Zuber) F.べト(F.Beatto)などがおり 大 部 分 が 従 軍 画 家 であった 彼 達 が 表 現 した 朝 鮮 人 の 顔 や 衣 服 はアフリカ 人 や インド 人 及 び 西 洋 人 の 姿 そのものであり 実 際 に 朝 鮮 人 に 接 して 描 いたとは 思 われない これは 彼 らが 想 像 した 朝 鮮 のイメージを 表 現 した 可 能 性 が 高 いと 推 測 される 図 1 セソ ソベ 韓 国 の 男 女 彩 色 版 画 1806 年 75

76 フランス 画 家 セソ ソベは 1806 年 に アジア 王 国 の 民 族 達 というシリーズの 中 で 韓 国 の 男 女 という 挿 絵 を 描 いているが( 註 3) 19 世 紀 の 朝 鮮 人 の 姿 とは 全 く 違 う 姿 である 朝 鮮 の 儒 教 社 会 ではこの 女 性 のように 上 着 を 着 ず 胸 を 露 出 することは 有 り 得 ない こ れは 画 家 が 想 像 して 描 いたと 考 えられる 画 家 の 訪 問 により 朝 鮮 の 真 の 姿 が 西 洋 に 伝 えら れる 前 は 西 洋 では 朝 鮮 の 姿 を 旅 行 記 と 口 伝 を 通 じて 得 られた 知 識 を 基 に 描 いた 作 品 が 多 いと 考 えられる ( 註 4) 1816 年 に 2 隻 の 英 国 艦 隊 が 白 翎 (ペクリョン) 島 等 の 海 岸 地 域 を 探 査 するため 訪 ねた 彼 達 の 朝 鮮 に 滞 在 した 時 の 体 験 談 は 1817 年 アルセスト(Alcest) 号 の 軍 医 ジョン.メク ラウド(John McLeod)と 1818 年 ライラー(Lyra) 号 の 艦 長 バジル ホール(Basil Hall) により 各 々 出 版 された これらの 航 海 記 には 彼 達 が 出 会 った 朝 鮮 官 吏 や 島 民 たちの 姿 及 び 朝 鮮 風 物 等 を 描 いた 彩 色 版 画 が 収 録 されている これらが 直 接 訪 問 により 西 洋 人 が 描 いた 最 初 の 韓 国 関 連 の 挿 絵 である ( 註 5) ジョン メクラウド(John McLeod)の 航 海 記 に 小 青 島 の 住 民 達 と 朝 鮮 官 吏 二 点 の 挿 絵 を 載 せている 図 2 小 青 島 の 住 民 達 1817 年 銅 版 画 図 3 朝 鮮 官 吏 1817 年 銅 版 画 76

77 小 青 島 の 住 民 達 は 朝 鮮 の 小 青 島 の 住 民 達 の 姿 を 描 いた 絵 であるが 住 民 達 を 彫 りの 深 い 顔 で 鼻 が 高 い 西 洋 人 のように 描 写 している また 絵 の 中 の 住 民 達 の 衣 服 は 当 時 の 朝 鮮 のいずれもそのような 服 にも 当 てはまらず 国 籍 不 明 の 服 を 着 ているし 足 も 太 史 鞋 やチンシンなどの 朝 鮮 の 靴 ではなく 履 き 物 の 前 部 が 突 き 出 ている 靴 を 履 いている 後 ろ にある 家 屋 も 朝 鮮 の 家 屋 ではなくエキゾチックな 風 習 を 表 現 している この 小 青 島 の 住 民 を 描 いた 理 由 は その 当 時 の 朝 鮮 の 鎖 国 政 策 により 外 国 の 艦 隊 が 滞 在 できる 地 域 は 西 海 岸 付 近 しかなかった また 外 国 の 艦 隊 の 人 々が 会 うことのできる 人 も 限 定 されていたとみられる 図 4 太 史 鞋 (テサヘ:대사혜 註 6) 図 5 チンシン(집신 註 7) 1818 年 に 発 行 されたバジル ホール(Basil Hall)の 航 海 記 韓 国 の 西 海 岸 及 び 琉 球 列 島 の 航 海 (Account of a Voyage discovery to the West Coast of Corea and the great Loo-Choo lsland) の 中 には 挿 絵 として 朝 鮮 官 吏 達 の 姿 が 載 せられている その 絵 の 中 で 朝 鮮 の 官 吏 達 のカッ( 註 8)を 尖 っているように 表 現 している また 服 装 はイン ド 人 や 中 国 人 の 服 飾 を 連 想 させる 77

78 図 6 朝 鮮 官 吏 達 1818 年 銅 版 画 朝 鮮 官 吏 達 の 人 物 は バズル ホールとその 一 行 の 上 陸 事 実 を 確 認 している 李 升 烈 (イ スンリョル)とその 随 行 員 達 である 西 洋 人 として 初 めて 朝 鮮 の 女 性 の 姿 を 直 接 見 てデッサンをしたのは 従 軍 画 家 ベッドウ ェル (F.le Breton Bedwell)である 彼 は 1895 年 5 月 から 11 月 まで 朝 鮮 の 南 海 と 東 海 岸 を 探 査 した 英 国 艦 隊 に 乗 船 し 来 朝 した その 時 に 描 いた 挿 絵 が 朝 鮮 女 性 である 朝 鮮 女 性 の 絵 はベッドウェルとともに 乗 船 していたプルレイクニが 発 行 した 著 書 韓 中 日 の 海 岸 航 海 記 の 中 に 掲 載 している プルレイクニはベッドウェルが 朝 鮮 の 女 性 を 写 生 することになった 経 緯 についてこのように 述 べている 私 達 はただひとりの 朝 鮮 女 性 をようやく 見 つけることができた 画 家 ベッドウェルは 常 にスケッチの 道 具 を 持 っていたので 立 ち 姿 で 仕 事 をしている 彼 女 の 姿 を 表 現 すること 78

79 ができた これは 幸 運 であった 当 時 私 達 の 一 行 は ここに 女 がいるぞ! という 突 然 の 叫 びの 声 に 驚 いて 海 岸 へ 走 って 行 った ( 註 9) ベドウェル (F.le Breton Bedwell)が 表 現 した 朝 鮮 女 性 は チマ(スカート)のすそを 巻 き 上 げ 腰 の 部 分 に 紐 で 留 めている 庶 民 の 女 性 を 描 写 した 朝 鮮 の 女 性 が 仕 事 をする 時 に 頭 に 巻 く 布 を 西 洋 の 帽 子 のように 表 現 しているし 腰 の 部 分 の 表 現 もまるでコルセッ トを 付 けている 女 性 の 姿 のように 表 現 しているので その 女 性 は 朝 鮮 の 女 性 というより も 西 洋 の 夫 人 のように 感 じさせる 短 い 時 間 でのスケッチのためなのか いつも 見 ていた 西 洋 の 衣 装 の 先 入 観 の 影 響 のせいで 客 観 的 な 表 現 とは 言 えない 図 7 べドゥウェル(F.le Breton Bedwell) 朝 鮮 女 性 1886 年 7 月 には 英 国 の 大 尉 ヤング ハズバンド(Young husband)が 満 州 地 域 を 探 査 す る 中 に 白 頭 山 を 登 り 天 池 (チョンジ)を 描 いた 彼 が 描 いた 白 頭 山 の 絵 はヴェームスの 79

80 ザ ロング ホワイト マウンテン(the long white mountain) という 本 に 収 録 され ている 次 は 海 軍 の 大 尉 の A.E.J キャヴェディッシュ(A.E.JCavendish)とグールド アダムズ(H.E.Goold-Adams)も 白 頭 山 へ 登 って 絵 を 描 いた ( 註 10) 図 8 ヤング ハズバンド(Young husband) 白 頭 山 水 彩 画 1886 年 1890 年 12 月 末 頃 には 西 洋 人 の 画 家 として 初 めて ヘンリー サヴェージ ランダー (Henry Savage Landor)が 日 本 を 経 由 して 朝 鮮 に 訪 ねた 彼 は 約 3 ヶ 月 間 朝 鮮 に 滞 在 しな がら 写 実 的 に 朝 鮮 の 自 然 や 風 習 及 び 街 の 姿 等 を 描 いた 彼 の 静 物 研 究 では 処 刑 場 面 を 写 実 的 に 描 写 している 図 9 ヘンリー サヴェージ ランダー 静 物 研 究 1891 年 80

81 ヘンリー サヴェージ ランダーは 朝 の 静 けさの 国 朝 鮮 (corea or cho-sen;the land of morning calm) という 著 書 で 自 身 が 描 いた 風 景 画 や 人 物 画 及 び 静 物 画 等 の 絵 37 点 とともに 朝 鮮 で 経 験 し 観 察 した 内 容 を 著 述 している その 本 の 中 で 彼 は 朝 鮮 の 女 性 についてこのように 述 べている 初 めてソウルで 数 日 間 滞 在 した 時 に 私 が 路 上 で 鉢 合 わせした 全 ての 女 性 達 は 家 のド アを 開 けて 突 然 入 ってしまった 私 がその 光 景 を 見 てどんなに 慌 てただろうか 女 性 が 村 にある 家 をすべて 共 同 で 所 有 しているのかという 疑 問 を 持 ち 始 めた それで 朝 鮮 人 の 友 人 にそれについて 尋 ねてみると 朝 鮮 の 女 性 は 外 国 人 の 男 性 と 鉢 合 わせした 場 合 どの 家 でも 無 断 で 勝 手 にドアを 開 けてかけこむことができると 答 えてくれた そのようにな った 理 由 は 朝 鮮 女 性 の 道 徳 的 意 識 が 高 かったこともあるが 外 国 人 男 性 を 洋 鬼 と 認 識 していたからであった ( 註 11) このエピソードによってその 当 時 西 洋 人 が 朝 鮮 の 女 性 をモデルとして 描 くことが 容 易 ではなかったことを 察 する 次 に 朝 鮮 を 訪 ねたのはヘンリー サヴェージ ランダーである 彼 が 描 いた 金 嘉 鎭 (キ ム ガジン )の 肖 像 画 が 好 評 となり 高 宗 皇 帝 や 閔 商 鎬 (ミン サンホ ) 等 の 朝 鮮 の 王 族 や 両 班 の 肖 像 画 を 多 く 制 作 することになった 1884 年 からは 韓 英 修 好 条 約 が 批 准 され 英 国 人 は 韓 国 を 自 由 に 往 来 できた そのた め 19 世 紀 後 半 から 朝 鮮 を 訪 ねる 英 国 の 女 性 画 家 が 多 くなり 始 めた その 代 表 的 な 女 性 画 家 がスコットランドの 出 身 のコンスタンス J.D. テイラー(Constance J.D.Taylor)であ 81

82 る 彼 女 は 1894 年 から 1901 年 まで 朝 鮮 で 滞 在 しながら 作 品 を 制 作 した その 作 品 を 集 め 1904 年 に コリア アット ホーム(Korea at Home) の 著 書 も 出 版 した 彼 女 はその 著 書 に 朝 鮮 の 文 化 風 俗 光 景 朝 鮮 の 女 性 とその 生 活 等 の 記 述 とともに 挿 絵 で 多 様 な 朝 鮮 の 生 活 や 朝 鮮 の 女 性 の 姿 を 描 いていた 彼 女 の 作 品 には 冬 服 を 着 た 朝 鮮 少 女 や 新 郎 ソウルの 街 の 風 景 などがある テイラーの ソウルの 街 の 風 景 の 絵 はロバに 乗 っていく 男 性 の 姿 や 長 衣 ( 註 12)を 着 た 女 性 や 子 供 達 など 朝 鮮 人 の 様 々な 姿 を 水 彩 で 表 現 した 図 10 コンスタンス J.D. テイラー ソウルの 街 の 風 景 年 洋 画 家 としてはじめで 来 朝 した 人 物 はヒューバート ヴォス(Hubert Vos)である 1899 年 に 朝 鮮 を 訪 ね 高 宗 皇 帝 とその 時 に 皇 太 子 であった 純 宗 の 肖 像 画 を 描 いた 彼 はアメリ カの 事 業 家 であるリー ハント(Leigh Hunt)の 個 人 的 な 案 内 により シンガポールから 香 港 そして 清 を 経 てソウルまで 来 た アメリカ 公 使 館 で 滞 在 中 に 宮 中 に 入 り 皇 帝 と 皇 82

83 太 子 の 肖 像 画 を 描 いた ( 註 13) ヒューバート ヴォス(Hubert Vos)が 描 いた 高 宗 皇 帝 は 約 2 メートルもある 全 身 を 描 いた 肖 像 画 である 肖 像 画 の 中 で 高 宗 が 身 に 纏 っている 袞 竜 袍 は 袞 服 または 龍 袍 と 称 し 正 事 をおこなう 時 に 着 用 する 衣 装 であった これは 臣 下 達 と 国 政 を 論 じる 時 に 着 用 する 服 であり 朝 鮮 歴 代 の 王 の 御 真 でよく 見 かけることができる 以 前 の 王 様 が 着 用 していた 袞 竜 袍 は 赤 紫 色 であったが 高 宗 が 着 ている 袞 竜 袍 は 黄 色 であった その 衣 装 の 胸 や 肩 に は 皇 帝 の 象 徴 である 龍 と 大 韓 帝 国 の 象 徴 である 太 極 紋 が 描 かれていた 皇 帝 の 龍 と 王 の 龍 は 足 の 指 の 本 数 が 違 っており 皇 帝 の 龍 は 五 本 の 爪 があり 王 の 龍 は 四 本 であった 朝 鮮 時 代 の 白 磁 を 見 れば 大 部 分 の 龍 の 指 が 四 本 あるいは 三 本 に 描 かれ ている その 四 本 指 の 龍 は 王 室 で 使 用 され 三 本 指 の 龍 は 官 吏 家 で 使 われていた しかし 時 々には 例 外 的 に 足 の 指 が 五 本 ある 龍 が 王 室 用 の 白 磁 に 作 られたこともあったといわれて いる 閔 商 鎬 (ミン サンホ) 像 の 画 面 には 白 色 で 민상호(ミン サンホ) 黒 い 色 で 휴벳 보스(ヒューバート ヴォス) とハングル 文 字 で 書 いてある このハングル 文 字 はヒュー バート ヴォスが 直 接 書 いたと 見 られる 彼 は 1905 年 12 月 17 日 付 ニューヨークタイ ムズ(New York Times) のインタビューで 中 国 の 女 皇 制 を 描 いた 西 太 后 像 にある 漢 字 を 自 分 で 直 接 書 いたと 明 らかにしていた このような 難 しくて 複 雑 な 漢 字 を 書 ける 人 物 ならば 簡 単 な 名 前 ぐらいはハングルで 書 いた 可 能 性 が 高 いとみられている ( 註 14) 83

84 図 11 ヒューバート ヴォス 高 宗 皇 帝 油 彩 図 12 ヒューバート ヴォス 閔 商 鎬 キャンバス cm 1899 年 韓 国 国 立 現 代 美 術 館 油 彩 キャンバス cm 1899 年 個 人 蔵 ヒューバート ヴォス 以 降 は フランスの 陶 芸 家 であり 画 家 のリオポルド レミアン (Leopold Remion)が 韓 仏 合 作 の 工 芸 美 術 学 校 の 設 立 計 画 のために 来 朝 した しかし 当 時 の 不 安 な 政 局 と 財 政 の 悪 化 により 美 術 学 校 は 結 局 設 設 立 されず 彼 はフランスに 帰 国 し てしまった しかし リオポルド レミアン(Leopold Remion)が 肖 像 画 を 描 いている 姿 に 影 響 を 受 け 高 羲 東 (コ フィドン)が 洋 画 を 勉 強 しに 東 京 美 術 学 校 に 留 学 することになり 韓 国 の 最 初 の 西 洋 画 家 になった 84

85 以 上 のように 西 洋 人 は 朝 鮮 を 訪 ね 朝 鮮 の 多 様 な 風 景 と 姿 を 絵 画 に 描 き 入 れたが 19 世 紀 末 までは 朝 鮮 の 女 性 を 画 題 として 作 品 を 制 作 した 人 物 は 少 なった その 理 由 は 1888 年 の 4 月 朝 鮮 は 外 国 人 の 朝 鮮 布 教 禁 止 令 を 下 したからである その 上 西 洋 人 が 幼 い 子 供 達 を 捉 えて 食 うという 噂 が 広 がっていたので 西 洋 人 に 対 する 認 識 が 良 くなかった 朝 鮮 の 女 性 が 西 洋 人 の 画 家 と 出 会 い モデルになることは 難 しい 状 況 であったと 思 われる また 日 常 生 活 の 中 の 庶 民 の 女 性 の 姿 を 描 いていても 上 流 階 級 の 女 性 を 描 いた 画 家 は 少 ないのである 上 流 階 級 の 女 性 は 親 戚 以 外 の 男 性 と 話 すことは 避 けなければならなかっ たので 上 流 階 級 の 女 性 の 姿 を 描 くことは 難 しかったと 考 えられる その 西 洋 人 の 中 で 上 流 階 級 も 含 めて 朝 鮮 の 女 性 の 姿 を 多 く 描 いた 代 表 的 な 画 家 が 英 国 の 女 流 画 家 エリザベス キース(Elizabeth Keith)である 85

86 註 ) 年 にフランス 艦 隊 が 江 華 島 を 浸 犯 した 事 件 2. 백성현(パク ソンヒョン) 이한우(イ ハンウ) 파란 눈에 비친 하얀 조선( 青 い 目 に 映 った 白 い 朝 鮮 ) 새날 1999 p.9 3. 백성현(パク ソンヒョン) 이한우(イ ハンウ) 前 掲 書 p 백성현(パク ソンヒョン) 이한우(イ ハンウ) 前 掲 書 p 백성현(パク ソンヒョン) 이한우(イ ハンウ) 前 掲 書 p 貴 族 階 級 において 男 性 の 履 き 物 7. 庶 民 階 級 の 男 女 の 間 に 一 般 的 に 着 用 した 履 き 物 8. 昔 成 年 男 子 が 頭 にかぶった 冠 9. 백성현(パク ソンヒョン) 이한우(イ ハンウ) 前 掲 書 pp 李 亀 烈 (イ グヨル) 近 代 韓 国 美 術 史 の 研 究 미진사 1992 pp ヘンリー サビジ ランダー シン ボクリョン 訳 ( 朝 の 静 けさの 国 朝 鮮 ) チプ ムンタン 1999 pp.65-66( 韓 国 語 :헨리 새비지 랜도어 신복룡 고요한 아침의 나라 조선 집문당 1999 pp.65-66) 12. 昔 女 性 が 外 出 のとき 顔 を 隠 すために 頭 からかぶった 衣 服 衣 装 13. 윤범모(ユン ボムモ) 近 代 油 彩 鑑 賞 法 대원사 2002 p 이충렬(イ チュンリョル) 그림으로 보는 한국근대의 풍경( 絵 画 で 読 む 韓 国 近 代 の 風 景 ) 김영사 2011 pp

87 第 2 項 エリザベス キース(Elizabeth Keith) エリザベス キースの 生 涯 エリザベス キースは 1887 年 4 月 30 日 スコットランドのアバディーン-シャー (Scotland Aberdeen-shire)で 生 まれた 彼 女 は 1915 年 に 姉 エルスペット キース(Elspet Keith)の 招 請 で 初 めて 日 本 を 訪 問 した 姉 エルスペット キース(Elspet Keith)は ザ ニュー イースト(The New East) の 編 集 者 ロバートソン スコット(J.W.Robertson Scott) と 結 婚 し 日 本 に 移 住 していた キースは 英 国 に 帰 るチケットも 売 ってしまうほど 日 本 に 魅 了 されていたという 彼 女 は 日 本 の 多 様 な 姿 を 表 現 し その 作 品 を 時 々 英 国 の 雑 誌 タイム(Time) に 送 ったりした その 日 本 生 活 の 中 で 1917 年 に 日 本 の 赤 十 字 義 援 金 募 集 のために 東 京 の 華 族 クラブか ら 依 頼 を 受 け 石 版 画 集 苦 笑 して 我 慢 して(Grin and Bear it:caricatures by keith(1917) を 義 弟 の 出 版 社 である 新 東 洋 社 で 刊 行 した その 画 集 で 日 本 にある 国 内 外 の 約 60 人 の 著 名 人 達 の 人 物 画 を 描 いていた ( 註 1) キースは 苦 笑 して 我 慢 して(Grin and Bear it:caricatures by keith(1917) の 中 の 人 物 を 顔 は 写 実 的 に 身 体 と 衣 装 はカリカチュア 的 に 表 現 した その 人 の 特 徴 を 繊 細 な 観 察 力 で 描 写 したカリカチュアは 好 評 を 得 て 話 題 を 集 めた 彼 女 は 時 々 男 性 に 女 性 の 衣 装 を 着 せたり 人 物 を 動 物 の 体 で 表 現 したりもした また 伝 説 の 中 の 人 物 のように 表 現 したりもした 絵 を 見 る 人 に 笑 みを 浮 かばせるような 表 現 したのである ( 註 2) キースは 1917 年 から 1919 年 までの 約 2 年 の 間 中 国 や フィリピン 韓 国 などを 訪 ね た この 旅 行 でスケッチした 下 絵 に 基 づいて 製 作 した 作 品 を 1919 年 の 秋 に 東 京 の 展 覧 会 で 発 表 した 渡 辺 庄 三 郎 ( )はキースの 水 彩 画 ソウルの 東 大 門 (East Gate 87

88 Seoul) を 見 て 彼 女 に 木 版 画 の 制 作 を 薦 めた それが 契 機 となり 彼 女 は 渡 辺 庄 三 郎 の 工 房 で 日 本 の 木 版 画 を 修 学 することになった 渡 辺 庄 三 郎 は 日 本 の 新 版 画 運 動 を 導 いた 人 である 彼 は 米 国 とヨーロッパ 市 場 が 日 本 美 術 を 求 めていることを 気 づき 直 接 に 版 画 の 販 売 事 業 をおこなった 彼 は 作 品 を 伝 統 的 な 木 版 画 の 様 式 により 制 作 するが 画 家 と 版 画 の 職 人 が 共 同 作 業 で 作 品 を 制 作 したほうが 望 ましいと 考 えた そのため 画 家 を 版 画 の 作 業 に 参 加 させた 渡 辺 達 が 制 作 した 木 版 画 は 小 さいサイズの 作 品 が 多 く 美 しい 日 本 の 光 景 を 表 現 している 伊 東 深 水 ( ) 吉 田 博 ( ) 等 の 日 本 の 代 表 的 木 版 画 家 フリッツ カペラリ(Fritz Capelari 1884 年 年 ) 等 の 西 洋 画 家 もこのような 木 版 画 の 作 業 に 参 加 した エリザベス キー スもその 木 版 画 の 作 業 に 参 加 した 彼 女 は 画 家 - 職 人 - 版 元 が 三 位 一 体 になり 協 同 で 制 作 する 江 戸 時 代 の 浮 世 絵 刊 行 のシステムに 最 も 近 い 形 の 木 版 画 の 様 式 により 作 品 を 製 作 す るようになったのである ( 註 3) 図 13 エリザベス キース ソウルの 東 大 門 (East Gate,Seoul) 木 版 画 88

89 ソウルの 東 大 門 (East Gate,Seoul) は 木 版 画 で 出 版 するやいなや 美 術 愛 好 家 の 好 評 を 受 け キースは 画 家 として 登 壇 することになった その 作 品 の 木 版 原 本 は 1923 年 の 関 東 大 震 災 の 時 に 破 壊 された 現 在 その 作 品 の 所 蔵 者 や 作 品 のサイズさえわからない こ の 作 品 に 見 える 東 大 門 (トンデムン) 石 垣 は 木 版 画 では 表 現 するのは 非 常 に 難 しい 技 法 で キースの 作 品 の 中 でも 最 も 優 れていると 評 価 されている ( 註 4) キースは 日 本 での 約 10 年 間 の 活 動 を 整 理 し 1924 年 にロンドンに 帰 国 した その 後 日 本 の 伝 統 木 版 画 の 技 法 で 制 作 した 作 品 をヨーロッパで 発 表 した また 翌 年 の 1925 年 に 作 品 2 点 をロイヤルアカデミー(Royal Academy) 展 示 会 で 出 品 した 更 にボザール ギャラ リー(Beaux Art Gallery)でも 展 示 会 を 開 いた この 展 示 会 で 英 国 王 室 は 葬 儀 を 終 えて (Returning from the funeral Korea) と 蘇 州 の 春 (Spring in Soochow) の 二 つの 作 品 を 購 入 した それから 当 時 英 国 のオックスフォード 大 学 で 勉 強 していた 日 本 の 皇 室 である 秩 父 宮 雍 仁 ( )もその 展 示 会 を 観 覧 した ( 註 5) 図 14 エリザベス キース 図 15 エリザベス キース 葬 儀 を 終 えて 多 色 木 版 1929 蘇 州 の 春 江 蘇 省 木 版

90 キースは 1926 年 にロンドンの 中 央 工 芸 学 校 でカラー エッチングの 技 法 を 学 んだ その 時 に 製 作 した 作 品 が 大 笒 ( 註 3) 演 奏 者 (The Flute Player) 座 鼓 演 奏 者 (The Gong Player) 及 び 宮 廷 音 楽 者 (Court Musicians Korea) である 図 16 エリザベス キース 図 17 エリザベス キース cm 大 笒 演 奏 者 カラー エッチング 座 鼓 演 奏 者 カラー エッチング cm 1927 年 1927 年 ジョーダン シュニッツァー (Jordan Schnitzer Museum of Art) 美 術 館 図 18 エリザベス キース 宮 廷 音 楽 者 cm 版 画 1938 年 個 人 蔵 90

91 この 三 つの 作 品 は 朝 鮮 の 宮 中 音 楽 家 が 演 奏 する 場 面 を 描 写 している 朝 鮮 が 日 本 に 合 併 された 後 に 朝 鮮 の 伝 統 音 楽 の 代 表 的 な 演 奏 家 であった 宮 中 音 楽 家 が 散 り 散 りに 消 えて 行 くその 時 期 にキースは 彼 達 の 姿 を 描 いたのである 朝 鮮 の 礼 服 を 着 て 演 奏 する 彼 達 は 高 宗 (コジョン 朝 鮮 の 第 26 代 王 また 大 韓 帝 国 第 1 代 皇 帝 ( ) 1852~1919) と 純 宗 ( 朝 鮮 の 27 代 の 王 また 大 韓 帝 国 第 2 代 皇 帝 ( ) )の 帝 位 時 に 宮 中 で 音 楽 を 演 奏 した 最 後 の 人 々であると 考 えられる キースのエッチングの 技 法 で 制 作 したその 作 品 は 鮮 やかな 彩 色 と 装 飾 的 に 表 現 している 1926 年 に 東 洋 を 主 題 にした 版 画 展 示 会 Exposition des Gravures en Couleurs del'extreme-orient par Elizabeth Keith がパリで 開 催 された 翌 年 には 作 品 韓 国 の 新 婦 (Korean Bride) がロイヤル アカデミーで 展 示 された 多 色 版 画 で 制 作 されたこ の 作 品 は 100 枚 全 部 が 売 り 切 れたという ( 註 6) 図 19 エリザベス キース 朝 鮮 の 新 婦 多 色 版 画 cm 1938 年 91

92 キースはその 当 時 の 新 婦 について 朝 鮮 で 一 番 悲 劇 的 な 存 在 と 言 い その 理 由 につい て 朝 鮮 の 新 婦 は 結 婚 式 の 日 に 身 体 を 動 くことができなくて ただ 座 り みることも 食 べることもできないのである 昔 には 目 に 韓 紙 を 付 けたりもしたという と 述 べている 朝 鮮 の 新 婦 は 静 かに 部 屋 の 中 に 座 り 新 郎 を 待 っている 新 婦 の 姿 をよく 表 現 してい る 新 婦 の 前 に 履 き 物 が 置 かれている キースが 描 いた 上 流 階 層 の 女 性 の 姿 には 部 屋 の 中 にもかかわらず 絵 の 主 人 公 の 履 き 物 まで 描 き 入 れている このように 新 婦 の 前 に 履 き 物 を 置 くような 風 習 はないので 彼 女 が 履 き 物 も 表 現 したくてモデル( 新 婦 )に 頼 んだ 可 能 性 が 高 いと 考 える また 背 景 には 絵 の 主 人 公 に 相 応 しい 屏 風 が 描 かれている 同 年 には 米 国 のニコルソン 東 洋 美 術 館 (Nicholson Gallery of Oriental Arts)でもキ ースの 作 品 が 展 示 された この 美 術 館 は 現 在 パシフィック アジア 博 物 館 (Pacific Asia Museum)と 称 されている その 博 物 館 に 現 在 のキースの 絵 が 多 量 に 所 蔵 されている 1933 年 に 評 論 家 マルコム サラマン(Malcolm C.Salaman)がエリザベス キースの 評 伝 を 著 述 し サラマンはその 著 書 で エリザベス キースの 絵 は 西 洋 とは 違 う 東 洋 の 姿 をよ く 描 写 している と 評 している その 著 書 でキースの 作 品 東 大 門 の 朝 焼 け ソウル(East Gate Seoul Sunrise) 母 子 (Korean Mother and Child) 及 び 宮 廷 音 楽 者 (Court Musicians Korea) の 作 品 が 掲 載 させている ( 註 7) ロンドンの 生 活 では 創 造 力 を 発 揮 するインスピレーションが 浮 び 上 がらないと 考 えたキ ースは 1929 年 に 再 び 来 日 し 1933 年 まで 姉 とともに 植 民 地 朝 鮮 や マレーシア フィリ ピン 中 国 などを 探 訪 しながら 作 品 を 制 作 した その 後 再 び 年 の 帝 国 ホテルに おける 個 展 のため 来 日 し 京 都 における 金 剛 流 の 能 舞 台 を 取 材 して 4 点 の 木 版 画 を 制 作 し 92

93 た ( 註 8) しかし その 後 英 国 では 第 2 次 世 界 大 戦 によって 反 日 感 情 が 起 こり 日 本 の 芸 術 に 対 す る 人 気 や 関 心 が 廃 れてしまい キースの 絵 も 次 第 に 売 れなくなった ( 註 9) 1936 年 英 国 に 帰 国 したキースはハワイにある 美 術 博 物 館 (Museum of Fine Arts)で 展 示 会 を 開 いた その 展 示 会 はクック(Cooke) 夫 人 の 後 援 で 開 催 され キースの 初 期 の 木 版 画 と 1930 年 代 の 作 品 が 展 示 された ( 註 10)1937 年 には 米 国 のオレゴン 大 学 博 物 館 (The University Oregon Museum of Art)でも 作 品 展 を 開 催 した さらに 1946 年 には 英 国 で Old Korea-The Land of Morning Calm を 出 版 した ヨーロッパと 米 国 において 1930 年 代 末 期 から 1945 年 の 第 2 次 世 界 大 戦 が 終 戦 するまで 反 日 感 情 が 高 まっていたので 誰 もキースに 展 示 会 の 斡 旋 をしなかった 戦 争 が 終 わった 後 1956 年 に 彼 女 の 生 涯 において 最 後 の 展 示 が 日 本 で 開 催 され 木 版 画 59 点 とエッチン グ 8 点 が 展 示 された ( 註 18)しかし キースは 持 病 の 糖 尿 病 が 悪 化 してしまい 日 本 に 行 けないまま 1956 年 4 月 に 英 国 で 永 眠 した 彼 女 の 作 品 は 日 本 英 国 フランス カナダ 及 び 米 国 の 有 名 美 術 館 に 所 蔵 されている また 彼 女 の 作 品 を 積 極 的 に 収 集 するコレクターも 多 数 にのぼる 英 国 女 王 エリザベス 2 世 もキースの 作 品 収 集 家 の 中 の 一 人 である 1933 年 ロンドンスタジオ 出 版 社 は スタジオ 版 多 色 版 画 の 巨 匠 という 著 書 を 発 刊 しながら 葛 飾 北 斎 歌 川 広 重 をはじめとする 九 人 の 版 画 の 巨 匠 の 中 の 一 人 にキースを 選 定 した ( 註 11) キースと 新 版 画 キースは 日 本 に 居 住 しながら 新 版 画 の 形 式 で 木 版 画 の 制 作 をしていた 93

94 新 版 画 とは 江 戸 時 代 と 同 じ 木 版 制 作 のシステムで 絵 師 ( 版 画 家 ) 彫 師 摺 り 師 の 役 割 分 担 で 一 つの 版 画 を 制 作 するものである 新 版 画 は 1915 年 から 制 作 されるように なった この 版 画 は 江 戸 の 文 化 を 活 かしなから 芸 術 性 を 求 めるものであったので 多 くの 版 画 家 や 画 家 達 も 参 画 した 1930 年 代 の 頃 になると 欧 米 からも 高 い 評 価 を 受 けるようにな り 多 数 量 の 作 品 が 海 外 に 普 及 するようになった その 結 果 新 版 画 は 日 本 国 内 よりむ しろ 外 国 で 日 本 美 術 の 代 表 格 と 認 識 され 江 戸 時 代 の 浮 世 絵 と 同 等 かそれ 以 上 の 評 価 を 得 て Shin-hanga という 用 語 まで 定 着 するようになった ( 註 12) 新 版 画 は 主 に 江 戸 時 代 の 後 期 に 流 行 したプルシアンブルー 系 の 色 を 用 いて 制 作 して おり 描 写 も 非 常 に 写 実 的 で 叙 情 的 である 新 版 画 の 画 家 で 吉 田 博 伊 東 深 水 等 の 作 品 に も 藍 色 が 多 く 使 われている 伊 東 深 水 はエリザベス キースの 肖 像 画 を 製 作 している 図 20 伊 東 深 水 キース 嬢 の 肖 像 多 色 版 画 cm 1922 年 94

95 キースも 有 名 な 木 版 画 職 人 を 雇 用 し 彫 師 や 摺 り 師 などの 職 人 との 共 同 作 業 を 行 った 彼 女 は 日 本 の 新 版 画 について 以 下 のように 述 べている 作 品 の 原 本 は 日 本 の 伝 統 的 な 木 版 画 で 制 作 した 私 は 木 版 画 を 作 る 有 名 な 木 版 画 職 人 を 雇 用 し 日 本 の 伝 統 的 な 技 術 に 従 って 制 作 をおこなった 伝 統 的 な 日 本 の 方 式 は 仕 事 の 分 担 がはっきりと 分 けられていた 私 の 目 には 経 験 の 長 い 版 画 職 人 は 多 色 版 画 を 彫 ったり 摺 ったりはしない 木 版 画 は 彫 師 が 削 り 摺 り 師 はその 出 来 上 がった 版 を 刷 り 版 画 職 人 の 助 手 をするように 映 った 日 本 の 木 版 画 の 職 人 は 画 家 の 原 本 や 輪 郭 線 が 変 わらないよう に 作 業 することを 職 業 上 の 心 得 としていた 木 を 彫 る 人 々は 画 家 の 線 を 忠 実 に 彫 るので まるで 絵 を 複 写 しているように 見 えた 私 は 日 本 の 伝 統 的 な 方 式 に 従 っていたが 日 本 式 に 慣 れずに 時 々それを 破 りたくなってしまう そのため 職 人 達 は 干 渉 が 激 しい 私 の 作 品 を 担 当 することを 好 ましく 思 っていなかったようである ( 註 13) エリザベス キースと 植 民 地 朝 鮮 キースは 日 本 に 居 住 しながら 植 民 地 朝 鮮 を 度 々 往 来 した キースは 姉 のエルスペットと ともに 1919 年 に 初 めて 植 民 地 朝 鮮 を 訪 ねた この 時 期 は 植 民 地 朝 鮮 で 3.1 運 動 ( 註 14)が 起 きた 直 後 であった キースが 初 めて 見 た 植 民 地 朝 鮮 の 光 景 は 日 本 に 対 抗 して 太 極 旗 を 振 りながら 万 歳 を 叫 ぶ 韓 国 人 の 姿 であったのである この 光 景 について 彼 女 は 多 くの 人 々は 死 んでいく 時 も 苦 しさを 出 さずに 穏 やかな 顔 であったことが 印 象 的 であった と 述 べている ( 註 15) キース 姉 妹 はソウル 旅 行 の 時 にメソジスト 教 会 の 宣 教 館 に 泊 まった そこで 彼 女 は ソ 95

96 ウルの 東 大 門 (East Gate Seoul) と 日 が 昇 る 東 大 門 (East Gate Seoul Sunrise) を 描 いた 彼 女 は 日 本 の 木 版 画 を 修 学 した 後 にも 何 度 も 韓 国 を 行 き 来 ながら 作 品 を 製 作 した そ して 1921 年 9 月 20 日 22 日 の 間 ソウルで 初 めて 個 展 を 開 いた その 個 展 は 植 民 地 朝 鮮 で 大 変 好 評 で 大 成 功 を 収 めた 植 民 地 朝 鮮 の 人 々と 日 本 人 のみならず 西 洋 人 の 宣 教 師 等 も 作 品 を 見 に 来 たという 彼 女 は 1928 年 に 英 国 から 植 民 地 朝 鮮 日 本 中 国 フィリピンでの 旅 行 を 基 に 記 録 した 著 書 Eastern Windows : an artist's notes of travel in Japan,Hokkaido,Korea,China and the Phillippins を 発 行 した ( 註 16)この 著 書 には 彼 女 が 元 山 や 咸 興 金 剛 山 などを 旅 行 し 描 いたスケッチや 国 立 音 楽 院 巫 女 などの 作 品 を 載 せている また 彼 女 は 1934 年 2 月 1 日 から 6 日 まで ソウルの 三 越 デパートの 画 廊 で 2 回 目 の 個 展 を 開 いた さらに キースは 結 核 療 養 院 のためにクリスマスシールの 図 案 女 性 と 子 供 (Lady with a Child) (1934 年 )を 凧 上 げ(Kite-Flying) (1936 年 )を 描 いた 1939 年 には 二 人 の 子 供 達 (Two Korea Children) をクリスマスシールの 図 案 として 描 いた が この 図 案 ( 図 21)は 日 本 憲 兵 隊 から 検 問 の 対 象 になった 96

97 図 21 エリザベス キース 図 22 エリザベス キース 二 人 の 子 供 達 二 人 の 子 供 達 (Two Korea Children) (Two Korea Children) の 部 分 日 本 軍 の 検 閲 官 は 二 人 の 子 供 達 (Two Korea Children) にある 山 の 高 さが 20 メート ル 以 上 であることや 皇 紀 2600 年 を 表 示 せずに 1940 年 という 西 暦 を 表 記 したこと を 理 由 にあげて 押 収 したのである シールの 発 行 人 シャーウッド ホールは このような 日 本 の 検 閲 と 弾 圧 について 次 のように 述 べている この 絵 のなかの 無 邪 気 な 子 供 達 がどうして 日 本 の 国 防 を 威 嚇 したと 考 えられたのだろう 私 には 全 く 理 解 出 来 ない 作 品 の 中 にいるこの 子 供 達 が 日 本 の 軍 隊 に 何 か 強 い 影 響 を 与 えたということなのか? 私 は 皇 紀 2600 年 という 表 記 は 決 して 使 いたくなかったの で シール 普 及 運 動 が 始 まって 9 年 になったという 意 味 で 皇 紀 2600 年 の 代 わりに NINTH YEAR と 表 記 した そのアイディアは 成 功 した ( 註 17) 97

98 新 式 学 校 と 旧 式 学 校 (Schools old and New) もその 当 時 の 韓 国 の 植 民 地 状 況 日 帝 の 武 断 政 治 を 見 せる 例 である 図 23 エリザベス キース 新 式 学 校 と 旧 式 学 校 (Schools old and New) 新 式 の 学 校 昌 信 (チャンシン) 公 立 普 通 学 校 水 彩 新 式 学 校 と 旧 式 学 校 (Schools old and New) は 学 生 が 集 まり 先 生 から 訓 示 を 聞 く 朝 礼 光 景 を 表 現 した 作 品 である この 作 品 の 壇 上 の 先 生 は 軍 服 のような 制 服 を 着 て 腰 に 剣 を 身 につけている この 時 代 には 警 察 と 軍 人 達 はもちろん 小 学 校 の 先 生 も 剣 をつけてい た いわゆる 武 断 政 治 の 一 環 であった 先 生 の 帯 剣 は 3 1 運 動 以 後 植 民 地 朝 鮮 の 人 々をなだめる 次 元 で 中 止 したという 記 録 があるが 1919 年 後 半 にも 先 生 がこのよう に 帯 剣 をして 学 生 達 の 前 に 立 ったということがわかる ( 註 18) エリザベス キースが 外 国 人 であるからこそ このような 植 民 地 朝 鮮 の 姿 と 光 景 を 忠 実 98

99 に 写 実 的 に 描 写 することが 可 能 だったのであろう エリザベス キースの 植 民 地 朝 鮮 の 女 性 の 表 現 キースは 多 様 な 近 代 韓 国 の 女 性 の 姿 を 表 現 しているが 特 に 植 民 地 朝 鮮 の 上 流 階 層 の 女 性 を 多 く 表 現 した 当 時 の 西 洋 人 の 画 家 は 王 や 官 吏 等 を 描 いていたが 上 流 階 層 の 女 性 の 姿 は 殆 ど 描 かなかった その 時 代 韓 国 の 上 流 階 層 の 女 性 は 外 部 の 男 性 との 会 うことや 外 出 等 を 慎 んでいた このような 当 時 の 状 況 で キースが 上 流 階 層 の 女 性 と 会 い その 姿 を 描 写 したことは 非 常 に 珍 しくて 特 別 なことである 彼 女 の 作 品 礼 服 を 着 た 王 女 (The Princess in Court Dress) や 閔 (ミン) 氏 家 の お 嬢 さん(A Daughter of the House of Min) 礼 服 を 着 た 優 雅 な 女 性 などで 上 流 階 層 の 女 性 の 姿 があらわしている 図 24 エリザベス キース 礼 服 を 着 た 王 女 水 彩

100 礼 服 を 着 た 王 女 (The Princess in Court Dress) は オールド コリア(Old Korea) に 黒 白 写 真 で 載 せられている その 女 性 は 頭 上 に 鳳 凰 装 飾 ( 註 19)をしている その 鳳 凰 装 飾 は 王 様 の 側 室 である 嬪 ( 註 20)や 王 女 またはそれに 準 ずる 身 分 の 王 室 女 性 達 が 頭 上 にさしたものである この 絵 の 主 人 公 は 結 婚 する 前 には 王 女 の 身 分 であったが この 作 品 を 描 く 当 時 には 大 学 教 授 と 結 婚 した 主 婦 であったという その 記 録 から この 夫 人 は 純 貞 皇 后 の 叔 夫 人 ( 註 21) 尹 德 榮 (ユン ドクヨン )の 娘 であり 延 禧 專 門 学 校 の 教 授 兪 億 兼 ( )の 夫 人 と 推 測 されている キースは 絶 対 に 彼 女 の 身 分 を 明 ら かにしないと 約 束 をしたうえにスケッチの 許 可 を 得 たという その 絵 が 黒 白 なので 色 彩 が わからないが キースの 著 書 にスカートは 青 い 色 のシルクに 刺 繡 をほどこしてあり 大 幅 のチマが 広 く 広 げられた これは 英 国 のビクトリア 女 王 時 期 の 貴 婦 人 の 衣 装 を 連 想 させる 閔 (ミン) 氏 家 のお 嬢 さん(A Daughter of the House of Min) は 少 女 が 子 孫 の 繁 盛 を 祈 る 絵 百 童 子 図 ( 註 22)の 前 に 立 っている 姿 を 描 写 した 作 品 である キースはそ の 女 性 の 衣 服 と 装 飾 が 精 密 に 表 現 した 彼 女 は 少 女 の 美 しい 履 き 物 まで 表 現 したいと 願 っ て 部 屋 の 中 でも 履 物 を 履 かせたという 彼 女 は 上 流 階 層 の 女 性 の 他 にも 様 々な 近 代 韓 国 の 女 性 の 姿 を 表 現 した 100

101 図 25 エリザベス キース 閔 (ミン) 氏 家 のお 嬢 さん(A Daughter of the House of Min) 銅 版 画 37 24cm 1930 初 個 人 蔵 寡 婦 (The Widow) は 韓 国 の 独 立 運 動 に 参 加 した 女 性 を 描 いた 作 品 である キースが 寡 婦 と 出 会 った 時 には 彼 女 が 刑 務 所 から 出 所 して 間 もない 時 であり 刑 務 所 でひどい 拷 問 をうけた 後 であったという その 女 性 は 日 帝 時 代 の 役 人 により 夫 を 亡 くし 愛 国 者 であ った 息 子 は 警 察 に 連 行 され いつ 家 に 戻 ってくるかもわからないと 話 した キースはその 女 性 の 状 況 を 聞 いて 大 変 悲 しんだ しかし その 寡 婦 はこのような 状 況 を 恨 むよりも 苦 しみに 耐 え 抜 く 姿 をキースに 見 せてくれたという ( 註 23)キースはそのような 境 遇 に ある 彼 女 の 姿 に 深 い 感 銘 を 受 け 絵 で 表 現 したのかもしれない 101

102 図 26 エリザベス キース 寡 婦 (The Widow) 1919 年 寡 婦 (The Widow) の 女 性 は 夏 に 愛 用 する 麻 衣 の 韓 服 を 着 ている チョゴリの 中 の 皮 膚 や 白 色 スカートの 下 に 下 着 のパジが 写 っている スカートの 下 にこっそり 見 えるゴム 靴 が 繊 細 な 表 現 をしている 寡 婦 の 後 には チャンオッ(장옷) がかかっている その 頭 からかぶる 服 に 興 味 を 惹 いたのか キースは 作 品 緑 色 のチャンオッ で 顔 だけをみせ て 身 体 の 部 分 は 殆 ど 覆 うチャンオッをかぶっている 女 性 を 描 いている 102

103 図 27 エリザベス キース 緑 色 のチャンオッ チャンオッ は 女 性 が 外 出 の 時 に 顔 を 隠 すために 頭 からかぶる 衣 服 である 朝 鮮 時 代 の 婦 女 子 が 外 出 する 時 に 顔 を 隠 すために 使 った 衣 服 の 一 つである 上 流 女 性 達 は 外 出 する 時 には 前 髪 が 見 られないほどの 長 さで おでこの 上 からあごの 下 までみえるくらいでかぶ ることが 一 般 的 である そでがあるが そこに 腕 を 挟 まなくて 膿 の 部 分 をつかむ チャ ンオッ(장옷)は 男 性 のトゥルマギ( 韓 国 外 套 )と 似 たような 形 であり 表 面 は 緑 色 の 絹 織 物 や 綿 織 物 で 作 る 裏 面 は 赤 紫 色 を 使 う これは 朝 鮮 時 代 初 期 の 男 性 達 が 着 る 上 下 が 一 つ になった 上 着 であったが 朝 鮮 時 代 後 期 からは 婦 女 子 が 外 出 の 時 に 顔 を 覆 うために 使 われ た ( 註 24) このチャンオッを 着 ている 女 性 の 姿 は 外 国 人 達 がとても 興 味 を 持 っていた 1888 年 に 朝 来 した 米 国 の 宣 教 師 ゲール(James Scarth Gale )はチャンオッについてこの 103

104 ように 述 べている 夜 になれば ソウルの 市 内 には 怪 物 があらわれる この 怪 物 は 頭 も 腕 もない 胴 体 に 足 だけ 出 ているものがよく 歩 き 回 っている 時 には 一 人 時 には 群 れをなして 歩 き 回 って いる しかし この 怪 物 を 怖 がる 人 は 一 人 もいないのである ( 註 25) 宣 教 師 ゲール(James Scarth Gale)の 他 にも 様 々な 外 国 人 が 興 味 を 持 ち チャンオッつ いて 語 っているが その 原 因 はイスラム 圏 の 女 性 達 が 使 うチャド(Chadar)を 連 想 させる ためであるとみられる しかし 女 性 たちも 顔 を 隠 さなくて 外 出 することにできるように なったので チャンオッは 1930 年 代 以 降 から 消 えてしまったのである ( 註 26)キースも 1936 年 植 民 地 朝 鮮 に 行 った 時 にはチャンオッを 着 ている 女 性 の 姿 を 殆 ど 見 ることはなか ったと 述 べている ( 註 27) キ-スは 1946 年 に 出 版 した 著 書 オールド コリア(Old Korea) の 中 に 美 しい 韓 国 (Korea)の 女 性 達 という 小 題 目 を 設 け 子 供 を 世 話 している 母 子 子 供 を 背 負 っている 女 性 針 仕 事 をしている 女 性 頭 上 に 物 をのせている 女 性 の 姿 など 韓 国 の 女 性 の 日 常 生 活 の 姿 を 描 写 している その 中 でキースは 咸 興 (ハムフン)の 女 性 の 姿 を ある 咸 興 の 主 婦 (A Hamheung Housewife) 女 性 の 午 前 のゴシップ(A Morning Gossip, Hamheung, Korea) などの 約 3-4 点 の 作 品 を 制 作 している キースは 咸 興 の 女 性 について 朝 鮮 半 島 の 北 側 にある 咸 興 女 性 達 は ソウル 女 性 より 背 も 高 くて 姿 勢 もさらにまっすぐである ソウルの 女 性 よりさらに 重 い 荷 物 を 頭 上 にのせて 104

105 歩 いているし 衣 装 も 独 特 である 頭 にまいている 大 きい 布 はスカートを 利 用 して 作 った ものである と 述 べている 彼 女 はソウルの 女 性 とは 違 う 点 に 関 心 を 持 った 様 子 を 述 べて いる 図 28 エリザベス キース ある 咸 興 の 主 婦 図 29 エリザベス キース 女 性 の 午 前 (A Hamheung Housewife) 多 色 版 画 のゴシップ(A Morning Gossip, Hamheung, Korea) 多 色 版 画 1921 年 図 30 実 際 の 咸 鏡 道 (ハムギョンド) 女 性 の 姿 の 写 真 105

106 また キースは 咸 興 の 女 性 の 強 い 忍 耐 力 に 感 心 を 示 していた ある 咸 興 の 主 婦 (A Hamheung Housewife) に 描 かれている 女 性 について 私 はこの 女 性 を 真 昼 に 描 いた 彼 女 は 強 い 陽 光 にもかかわらず ぬれた 洗 濯 物 を 入 れた 重 い 荷 物 を 頭 上 にのせていたのに 苦 しんでいる 顔 色 ではなかった と 述 べている キースは 近 代 韓 国 の 女 性 の 姿 に 魅 了 され その 姿 を 多 く 表 現 した 現 在 に 彼 女 の 作 品 は 近 代 韓 国 の 風 習 や 近 代 韓 国 の 女 性 の 姿 と 生 活 などを 観 察 するのに 重 要 な 資 料 となってい る しかし キースはその 当 時 の 韓 国 近 代 の 画 家 との 交 流 は 殆 どなかったとみられている 版 画 により 近 代 韓 国 の 女 性 の 姿 を 表 現 した 西 洋 人 キースのように 20 世 紀 前 半 に 日 本 へ 渡 った 西 洋 人 画 家 は 植 民 地 朝 鮮 を 訪 ね 表 現 した その 当 時 の 女 性 の 姿 や 植 民 地 朝 鮮 の 光 景 などを 日 本 の 木 版 画 の 技 法 で 製 作 していた 20 世 紀 に 木 版 画 を 学 びに 来 日 した 西 洋 人 の 画 家 では リリアン メイ ミラー(Lilian May Miller )やバーサ ラム(Bertha Lum ) ポール ジャクレ ー(Paul Jacoulet ) 等 がある 彼 達 は 日 本 の 伝 統 的 な 多 色 木 版 画 の 技 術 に 魅 了 され 来 日 した 西 洋 人 の 画 家 である その 画 家 達 が 日 本 の 多 色 木 版 画 に 興 味 を 持 っ た 理 由 は 当 時 ヨーロッパで 流 行 した ジャポニスム の 影 響 と 考 えられる 日 本 の 浮 世 絵 は エドゥアール マネ(Edouard Manet) クロード モネ(Claude Monet)やフィン セント ファン ゴッホ(Vincent van Gogh) 等 のヨーロッパの 画 家 達 に 大 きなインスピレ ーションを 与 えていた 彼 達 が 日 本 の 版 画 を 用 いて 制 作 した 韓 国 の 女 性 の 表 現 を 考 察 する ポール ジャクレー(Paul Jacoulet)は 1930 年 代 から 植 民 地 朝 鮮 を 訪 ね その 当 時 の 風 景 を 版 画 で 表 現 した 彼 はパリで 生 まれたが 父 親 がフランス 語 教 官 として 来 日 したた 106

107 め 4 歳 の 時 から 日 本 で 暮 らした 東 京 高 等 師 範 学 校 付 属 小 学 校 に 通 学 しながら 日 本 の 古 典 文 学 や 習 字 三 味 線 及 び 義 太 夫 節 等 を 習 った 12 歳 頃 には 黒 田 清 輝 岡 田 三 郎 助 か ら 油 絵 を 池 田 輝 方 蕉 園 夫 妻 から 日 本 画 を 学 んだ 1916 年 からは 在 日 フランス 大 使 館 で 通 訳 として 働 くかたわら 絵 の 勉 強 を 続 け 浮 世 絵 を 収 集 した ( 註 28) 彼 の 母 親 が 日 本 人 医 師 中 村 拓 と 再 婚 し 1929 年 からソウルに 滞 在 したため 彼 のソウ ルの 訪 問 は 回 数 も 増 えた 国 立 現 代 美 術 館 の 学 芸 研 究 室 長 であったチョン ジュンモ (정준모)は 彼 の 作 品 について 明 るい 色 彩 を 使 って 生 き 生 きとして 写 実 的 な 傾 向 があ る 貴 族 的 な 画 風 を 創 案 した 彼 の 作 品 にはエキゾチックな 幻 想 のナルシシズムをあらわし ている 細 い 線 描 や 鮮 明 な 色 彩 及 び 装 飾 性 が 強 い 模 様 等 が 特 徴 である 彼 の 作 品 は 浮 世 絵 のように 表 現 される 独 特 の 日 本 的 な 情 緒 とアールヌーボー 風 の 装 飾 的 美 を 折 衷 して 微 妙 な 美 しさに 昇 華 している と 述 べている ( 註 29) 図 31 ポール ジャクレー 花 嫁 多 色 木 版 図 32 ポール ジャクレー 宮 中 庭 園 で 1948 年 39 30cm パシフィック アジア 美 術 館 多 色 木 版 cm 1948 年 カナアート 107

108 花 嫁 は 原 色 に 近 い 強 烈 な 色 彩 を 使 っている 新 婦 の 恥 ずかしさを 感 じるよりは 目 をそっとひらく 見 下 ろしている 姿 であるので 女 性 の 妖 艶 さを 感 じられる 線 の 太 さの 変 化 がなく 細 い 線 で 輪 郭 を 表 現 した 韓 国 の 女 性 の 顔 というよりは 西 洋 人 の 顔 付 きにみ える 宮 中 庭 園 で の 女 性 の 表 現 も 目 と 鼻 を 大 きく 描 いているので 西 洋 の 女 性 のように 見 える 彼 は 白 衣 民 族 と 呼 ばれた 韓 国 の 白 い 伝 統 衣 服 を 流 麗 な 線 で 表 現 している また エムボシン 技 法 により 刺 し 縫 いの 生 地 の 質 感 を 生 き 生 きと 表 現 している また 衣 服 の 模 様 を 精 密 に 描 写 しているのである 日 本 の 絵 画 の 特 徴 である 装 飾 性 を 生 かした 作 品 である 猿 渡 紀 代 子 は アジアへの 眼 - 外 国 人 の 浮 世 絵 師 たち の 著 書 の 中 で ジャクレーの 木 版 画 について 日 本 人 作 家 とはまったく 異 質 の 清 新 で 大 胆 な 画 風 によって 戦 前 の 発 表 当 時 から 注 目 を 浴 びた 幼 時 から 日 本 の 芸 能 文 化 を 学 んだジャクレーが 彫 師 摺 師 との 共 同 生 活 の 中 で 用 紙 と 顔 料 にも 徹 底 的 にこだわって 製 作 した 作 品 は 確 かに 他 の 外 国 人 浮 世 絵 師 と 一 線 で 画 するところがある と 述 べている リリアン メイ ミラー(Lilian May Miller)は 日 本 とアメリカに 居 住 しながら 日 本 の 木 版 画 技 法 で 作 品 を 製 作 した 彼 女 はアメリカ 人 外 交 官 の 娘 として 日 本 で 生 まれて 育 った ヘレン ハイドの 勧 めにより 9 歳 のときから 3 年 間 日 本 画 を 狩 野 友 信 のもとで 筆 法 の 指 導 を 受 けた 12 歳 の 時 に 歴 史 画 を 得 意 とした 島 田 墨 仙 に 師 事 し 日 本 画 と 水 墨 画 を 学 んだ その 後 アメリカに 渡 り 8 年 間 アメリカの 教 育 を 受 けた 後 1917 年 に 日 本 へ 戻 り 再 び 墨 仙 に 師 事 した 1920 年 日 本 のには 官 展 に 出 品 して 受 賞 し その 頃 から 木 版 画 を 手 がけるよう になった ( 註 30) リリアン メイ ミラーは 自 由 奔 放 な 性 格 であり フェミニストでもあった 彼 女 は 結 婚 108

109 せずに 一 生 独 身 で 過 ごした 彼 女 は ジャック(Jack) という 愛 称 で 呼 ばれるのが 好 きで あり 男 性 スタイルの 服 を 好 んで 着 る 等 自 由 奔 放 な 生 活 をしていた ( 註 31) ミラーも 他 の 外 国 人 画 家 達 と 同 じように 街 の 日 常 的 な 生 活 の 姿 や 金 剛 山 (クムガンサン) 風 景 等 を 描 写 した 図 33 リリアン メイ ミラー 朝 鮮 の 母 親 多 色 版 画 cm 1928 年 個 人 蔵 朝 鮮 の 母 親 は 黒 い 背 景 で 頭 上 に 物 をのせ 子 供 を 背 負 っている 典 型 的 な 朝 鮮 の 母 親 の 姿 を 描 いている その 姿 を 単 純 化 し 輪 郭 線 が 強 調 した 強 烈 な 色 彩 で 表 現 した リリアン メイ ミラーの 後 にも 日 本 の 新 版 画 を 学 んだ 画 家 バーサ ラム(Bertha Lum )とピーター アーヴィン ブラウン(Piter Lrwin Brown 1903-?)が 多 様 な 植 民 地 朝 鮮 時 代 の 風 景 を 表 現 した 19 世 紀 末 からは 多 くの 西 洋 人 の 画 家 が 植 民 地 朝 鮮 を 訪 ねたが 彼 達 とその 当 時 の 韓 国 の 画 家 との 交 流 等 は 殆 どなかったとみられている 109

110 だだ 20 世 紀 初 にフランスの 陶 芸 家 ルミオン(Leopold Remion)が 大 韓 帝 国 で 芸 術 大 学 の 設 立 のために 3 年 間 滞 在 したが その 目 的 を 達 成 することができず フランスに 帰 国 し てしまった しかし ルミオン(Leopold Remion)が 肖 像 画 を 描 く 姿 に 影 響 をうけ 高 羲 東 (コ フィドン)が 西 洋 画 を 勉 強 しに 東 京 美 術 学 校 に 留 学 するきっかけになった 以 上 のように 19 世 紀 末 頃 からペドウェル(F.le Breton Bedwell)や コンスタンス J.D. テイル(Constance J.D.Tayler) エリザベス キース(Elizabeth Keith ) 等 により 朝 鮮 植 民 地 朝 鮮 時 代 の 女 性 の 姿 を 外 国 人 の 観 点 で 描 くことが 行 われた 彼 たちが 描 いた 作 品 は 自 国 に 帰 国 した 後 で 著 書 を 発 刊 するため 写 真 やスケッチに 基 づいて 描 か れたものが 大 部 分 である したがって 当 時 の 人 々や 画 家 に 西 洋 画 法 の 伝 授 や 視 覚 的 経 験 を 提 供 したということは 難 しかったとみられる このような 理 由 で 近 代 に 来 朝 して 街 の 光 景 を 描 いた 西 洋 の 画 家 の 作 品 は 当 時 に 彼 達 の 視 点 でどのように 韓 国 を 見 て 記 録 したか という 側 面 では 意 味 が 大 きいが 韓 国 近 代 絵 画 の 発 展 に 大 きな 影 響 を 与 えたと 言 いきれな いと 考 える 110

111 註 ) 1. アジアへの 眼 - 外 国 人 の 浮 世 絵 師 たち 横 浜 美 術 館 1996 p エリザベス キース ロバートソン スコット 송영달(ソン ヨンダル) 訳 영국화가 엘리자베스 키스의 코리아 ( 英 国 画 家 エリザベス キースのコリア ) 책과 함께 2006 p エリザベス キース ロバートソン スコット 송영달(ソン ヨンダル) 訳 前 掲 書 p エリザベス キース ロバートソン スコット 송영달(ソン ヨンダル) 訳 前 掲 書 p エリザベス キース ロバートソン スコット 송영달(ソン ヨンダル) 訳 前 掲 書 p エリザベス キース ロバートソン スコット 송영달(ソン ヨンダル) 訳 前 掲 書 p 金 芝 英 (キム ジヨン) エリザベス キースの 作 品 世 界 年 朝 鮮 を 訪 問 して 製 作 した 版 画 を 中 心 に 明 知 大 学 院 の 修 士 論 文 2008 p アジアへの 眼 - 外 国 人 の 浮 世 絵 師 たち 前 掲 書 p 金 芝 英 (キム ジヨン) 前 掲 書 p エリザベス キース ロバートソン スコット 송영달(ソン ヨンダル) 訳 前 掲 書 p エリザベス キース ロバートソン スコット 송영달(ソン ヨンダル) 訳 前 掲 書 p.8 111

112 12. 版 画 店 主 渡 邊 庄 三 郞 は 浮 世 絵 版 画 の 技 法 を 受 け 継 ぎながら 画 家 の 橋 口 五 葉 伊 東 深 水 吉 田 博 らによる 新 しい 感 覚 の 版 画 を 制 作 し 新 版 画 と 呼 ばれた 浮 世 絵 の 作 品 が 欧 米 等 海 外 での 発 見 があいつぐのは 江 戸 期 に 長 崎 を 通 してオランダ 商 館 長 やシ ーボルト 等 の 外 国 人 が 日 本 の 風 俗 をよく 写 した :よみがえる 浮 世 絵 うるわしき 大 正 新 版 画 展 9 月 19 日 より 開 催 江 戸 時 代 の 伝 統 を 引 き 継 ぎ 制 作 された 大 正 新 版 画 企 画 担 当 の 小 山 周 子 学 芸 員 に 聞 く 13. 金 芝 英 (キム ジヨン) 前 掲 書 2008 p 年 から 1920 年 まで 韓 半 島 と 世 界 各 所 韓 国 人 の 密 集 地 域 で 起 きた 独 立 運 動 である 3 1 万 歳 運 動 己 未 独 立 運 動 等 と 称 したりもする 15. エリザベス キース ロバートソン スコット 송영달(ソン ヨンダル) 訳 前 掲 書 p 金 芝 英 (キム ジヨン) 前 掲 書 2008 p 이충렬(イ チュンリョル) 그림으로 보는 한국근대의 풍경( 絵 画 に 見 る 韓 国 近 代 の 風 景 ) 김영사 2011 p.192:hall Sherwood(ホール シャーウッド) 닥터 홀의 조선회상(ドクター ホールの 朝 鮮 回 想 ) 김동열(キム ドンヨル) 翻 訳 좋은 씨앗 이충렬(イ チュンリョル) 前 掲 書 p 朝 鮮 時 代 に 女 性 が 礼 装 するときに 額 の 髪 の 分 け 目 につけた 装 飾 品 20. 王 の 第 一 側 室 で 正 二 品 の 女 官 21. 朝 鮮 時 代 の 正 三 品 の 堂 上 官 の 夫 人 の 封 爵 22. 男 子 の 出 産 と 子 孫 の 繁 盛 を 祈 る 意 味 で 100 人 の 子 供 たちが 遊 ぶ 姿 を 描 写 した 一 種 の 吉 112

113 祥 画 である 23. エリザベス キース ロバートソン スコット 송영달(ソン ヨンダル) 訳 前 掲 書 p 성기옥(ソン ギオク) 조선후기 지식인의 일상과 문화( 朝 鮮 後 期 の 知 識 人 の 日 常 と 文 化 ) 이화여자대학교한국문화연구원 2007 p 강영선(カン ヨンソン) 문화의 즐거움에 관한 101 가지 코멘트( 文 化 の 楽 し みに 関 する 101 種 のコメント) 서해문집 1995 p 심화진(シム ファジン) 우리 옷 만들기 ( 私 達 の 服 を 作 り) 성신여자대학교 출판부 2004 p エリザベス キース ロバートソン スコット 송영달(ソン ヨンダル) 訳 前 掲 書 p 김윤수(キム ユンス) 한국미술 100 년( 韓 国 美 術 100 年 ) 한길사 2006 p アジアへの 眼 - 外 国 人 の 浮 世 絵 師 たち 前 掲 書 p アジアへの 眼 - 外 国 人 の 浮 世 絵 師 たち 前 掲 書 p 김윤수(キム ユンス) 前 掲 書 p

114 第 2 節 日 本 の 画 家 による 韓 国 女 性 の 絵 画 表 現 日 本 の 戦 争 従 軍 画 家 明 治 以 後 日 本 人 の 画 家 はヨーロッパに 絵 画 留 学 絵 と 同 様 にアジアを 通 い その 光 景 や 風 俗 のスケッチ 旅 行 に 行 くことが 盛 んであった はじめに 朝 鮮 を 訪 問 した 日 本 人 の 画 家 の 大 部 分 は 戦 争 従 軍 画 家 であった 浅 井 忠 や 西 郷 孤 月 小 山 正 太 郎 ( ) 小 杉 未 醒 ( ) 都 鳥 英 喜 ( ) 石 川 欽 一 郎 ( ) 及 び 東 城 鉦 太 郎 ( ) 等 の 日 本 人 の 画 家 が 日 清 戦 争 期 の 従 軍 画 家 として 清 に 行 く 途 中 朝 鮮 に 立 ち 寄 った ( 註 1) 浅 井 忠 の 平 壌 大 同 江 練 光 亭 は 日 清 戦 争 従 軍 時 の 作 品 であり 平 壌 の 西 端 に 上 陸 して 設 営 した 光 景 とみられる 平 壌 の 練 光 亭 は 関 西 八 景 ( 註 2)の 一 つであり 大 同 江 岸 にあ る 景 色 が 美 しい 場 所 として 有 名 な 練 光 亭 の 光 景 をペンで 描 写 した 水 彩 である 図 1 浅 井 忠 平 壌 大 同 江 練 光 亭 水 彩 cm 1894 年 千 葉 県 立 美 術 館 114

115 また 東 京 美 術 学 校 絵 画 科 ( 研 究 科 )に 在 学 中 であった 西 郷 孤 月 ( )は 朝 鮮 風 俗 を 描 いた 彼 は 日 清 戦 争 の 戦 争 画 を 描 くため 清 に 行 く 途 中 の 1895 年 4 月 6 月 から 12 月 までを 朝 鮮 に 滞 在 した その 時 に 朝 鮮 風 俗 を 取 材 したとみられる 朝 鮮 風 俗 は 東 京 美 術 学 校 の 研 究 科 修 了 制 作 で 前 年 に 在 学 中 にもかかわらず 自 ら 従 軍 しての 中 国 朝 鮮 行 をベースにした 制 作 であった 当 時 の 東 京 美 術 学 校 では 伝 統 的 な 主 題 や 歴 史 画 などを 多 く 描 いていたが 西 郷 孤 月 が 日 清 戦 争 で 取 材 した 朝 鮮 の 姿 を 修 了 作 品 の 画 題 として 制 作 している これは 彼 が 日 清 戦 争 あるいは 朝 鮮 の 街 の 光 景 に 大 きな インスピレーションを 受 けたことを 意 味 していると 推 測 される 図 2 西 郷 孤 月 朝 鮮 風 俗 絹 本 着 色 年 東 京 芸 術 大 学 大 学 美 術 館 西 郷 孤 月 の 朝 鮮 風 俗 は 平 和 に 暮 らしている 朝 鮮 の 人 々の 姿 であり 朝 鮮 の 生 活 の 姿 をありのままに 描 写 した 作 品 である 山 に 囲 まれ 白 い 服 を 着 て 生 活 する 朝 鮮 の 姿 を 写 実 115

116 的 に 表 現 している 絵 の 中 には 髪 を 後 ろに 垂 らした 未 婚 の 女 性 の 姿 特 に 赤 ん 坊 を 抱 いて いる 母 親 と 頭 上 に 籠 を 載 せて 行 く 母 親 の 姿 が 表 現 されている 日 本 ではなかなか 見 られな い 光 景 に 画 家 の 眼 が 留 まったのだろう また 右 側 の 下 部 分 には 編 み 笠 をかぶり 白 色 の 服 を 着 て 両 手 は 後 にしたまま 村 の 風 景 を 観 照 している 男 性 がいる 荷 物 が 入 った 背 負 子 を 下 ろし 平 和 らしい 村 の 風 景 を 眺 めているようなその 姿 は 画 家 自 らがこのように 戦 争 がない 安 らかな 世 界 を 望 んでいるように 感 じられる この 絵 のように 芝 居 の 書 割 めいた 空 間 構 成 や 霞 んだ 描 写 による 光 の 意 識 などは 当 時 の 美 術 学 校 系 の 典 型 である ( 註 3) 日 本 の 従 軍 画 家 は 主 に 戦 争 の 姿 を 描 写 したが このようにエキゾチックな 光 景 や 風 俗 な どに 惹 かれ 作 品 の 中 に 当 時 の 朝 鮮 の 女 性 の 姿 カッ(갓)をかぶった 男 性 の 姿 藁 屋 な どを 表 現 していた 朝 鮮 植 民 地 朝 鮮 への 日 本 人 の 画 家 の 移 住 日 本 人 の 移 住 は1877 年 の 釜 山 開 港 から 始 まり, 日 清 日 露 戦 争 を 契 機 として 急 増 し 韓 国 併 合 の1910 年 には 居 留 民 の 人 口 17 万 を 数 えるに 至 った 甲 申 政 変 (1884 年 ) 後 の 天 津 条 約 (1885 年 4 月 )の 結 果 日 本 人 が 続 々と 来 住 するようになった ( 註 4) 多 くの 日 本 の 画 家 も 新 しい 画 題 エキゾチックな 風 景 を 求 めて 朝 鮮 を 訪 ねるようになった 1902 年 に 従 軍 画 家 ではなく 自 分 の 意 思 によって 来 朝 した 人 物 は 東 京 美 術 学 校 の 助 教 授 であった 天 草 神 来 ( )である 彼 について 山 田 新 一 は 雑 誌 朝 鮮 で 天 草 氏 は 岡 倉 天 心 門 下 の 錚 々たる 逸 材 人 で 日 本 美 術 院 の 同 人 中 でも 横 山 大 観 氏 等 に 次 ぐ 立 派 な 弟 子 であったのである 天 心 先 生 失 脚 渡 米 後 色 々の 事 情 もあつて 一 時 朝 鮮 に 渡 り 京 城 の 江 湖 に 相 當 の 後 援 を 獲 て 居 たようであるが 生 来 の 豪 酒 と 奇 行 によつて 逸 話 以 116

117 上 の 貧 窮 を 重 ねて 居 たらしく 程 なく 再 舉 をはかつて 上 京 し 然 かも 更 に 不 遇 を 重 ねつゝ 遂 には 其 酒 盃 の 中 に 倒 れた 模 様 である と 述 べている ( 註 5) 彼 は 1915 年 まで 京 城 に 住 みながら 作 品 製 作 と 発 表 を 継 続 した 1912 年 は 王 室 の 壁 画 も 描 いた その 当 時 の 人 々から 相 当 な 支 援 を 得 ていた 彼 は 安 中 埴 (アン チュンシク ) 趙 錫 晉 (チョ シ ョクジン ) 金 應 元 (キム ウンウォン ) 等 の 画 家 達 とも 交 流 を おこなったといわれる ( 註 6) 1905 年 には 天 草 神 来 の 斡 旋 によって 丹 青 会 が 開 催 された 東 京 美 術 学 校 絵 画 科 ( 日 本 画 )の 関 係 者 の 主 催 により 開 いたこの 展 示 は 多 くの 作 品 が 販 売 され 釜 山 (6 月 )と 台 北 (8 月 )まで 巡 回 するようになった 翌 年 には 会 員 以 外 の 作 品 も 集 め 釜 山 や 京 城 平 壌 鎭 南 浦 安 東 県 及 び 台 湾 等 で 展 覧 会 を 開 催 した 満 韓 地 方 の 展 示 会 を 盛 況 に 終 わらせた 丹 青 会 は 長 崎 市 でも 展 覧 会 を 行 ったのである ( 註 7) この 丹 青 会 について 美 術 新 報 ( 第 5 巻 第 4 号 ( 明 治 39 年 5 月 5 日 ))では 曩 きに 朝 鮮 にて 展 覧 会 を 開 き 大 成 功 した 丹 青 會 の 村 崎 雄 章 片 野 猛 雄 の 兩 氏 は 更 に 満 州 地 方 を 開 拓 せんと 五 月 一 日 より 六 日 迄 安 東 縣 新 市 街 市 塲 共 同 賣 にて 展 覧 会 を 催 し 繪 畵 數 百 點 を 陳 列 して 無 縱 覧 に 供 しなるに 清 韓 人 の 好 奇 心 を 惹 き 非 常 の 好 況 なる 理 由 尚 目 下 京 城 に 於 て 準 備 せりと とこの 巡 回 展 が 盛 況 に 終 えた 理 由 について 報 じている この 丹 青 会 展 の 成 功 が 日 本 に 知 らされてから さらに 多 くの 日 本 の 画 家 が 近 代 韓 国 を 訪 ねるようになったとみられる 1904 年 ( 明 治 37 年 )の 11 月 中 頃 には 清 水 東 雲 ( 註 8)が 朝 鮮 に 移 住 した 彼 は 京 都 で 横 山 華 山 ( )の 画 風 を 継 承 した 清 水 東 陽 から 学 んだ 清 水 東 雲 は 仁 川 を 経 てソウルの 貞 洞 (チョンドン)で 暮 した 彼 のソウルの 定 着 および 117

118 活 動 は 1908 年 8 月 6 日 付 けの 皇 城 新 聞 にも 報 道 されている その 記 事 によれば 彼 は 1908 年 に 絵 と 写 真 講 習 所 を 開 き 数 十 人 の 研 究 生 を 集 めて 指 導 していた ( 註 9) 図 3 清 水 東 雲 の 写 真 1906 年 には 東 京 美 術 学 校 の 図 画 講 習 科 の 出 身 である 兒 島 元 三 郎 が 朝 鮮 の 政 府 が 招 きを うけて 官 立 漢 城 (ハンソン) 師 範 学 校 図 画 教 師 として 赴 任 した 1909 年 6 月 には 東 京 美 術 学 校 の 図 案 科 を 卒 業 した 日 吉 守 が 京 城 中 学 校 ( 現 :ソウル 高 等 学 校 前 身 )の 図 画 教 師 で 赴 任 し ( 註 10) 学 生 達 に 美 術 を 教 えた また 1923 年 からは 朝 鮮 美 術 審 査 委 員 会 の 書 記 として 活 躍 した ( 註 11) 京 城 中 学 校 は 植 民 時 代 に 日 本 人 の 子 供 が 通 った 学 校 であり 約 200 人 の 学 年 の 学 生 の 中 で 韓 国 人 の 学 生 は 5-6 人 ほどであった 京 城 中 学 校 の 5 年 の 課 程 の 中 で 一 週 間 に 一 時 間 ずつ 必 須 科 目 として 図 画 を 習 った ( 註 12) 当 時 京 城 中 学 校 で 彼 に 美 術 を 習 った 学 生 の 中 には 植 民 地 朝 鮮 で 生 まれた 日 本 人 の 画 家 である 渡 邊 造 三 118

119 と 山 口 長 男 ( )が 含 まれていた ( 註 13) 日 吉 守 は 朝 鮮 美 術 展 覧 会 に 第 1 回 (1922 年 )から 出 品 したが その 作 品 をみると 主 に その 当 時 の 植 民 地 朝 鮮 の 村 の 風 景 と 人 々の 姿 を 表 現 している 作 品 酒 幕 東 床 廛 で は 日 常 生 活 の 中 で 働 いている 女 性 の 姿 を 描 写 している 図 4 日 吉 守 酒 幕 図 5 日 吉 守 東 床 廛 1927 年 ( 朝 鮮 美 術 展 覧 会 第 6 回 ) 1929 年 ( 朝 鮮 美 術 展 覧 会 第 8 回 ) 1907 年 には 日 清 戦 争 が 終 わったので 朝 鮮 に 訪 ねた 日 本 の 画 家 は 約 23 人 に 達 した 1910 年 以 前 は 殆 ど 日 本 画 の 画 家 であったが 1911 年 から 多 くの 西 洋 画 家 が 植 民 地 朝 鮮 を 訪 ねた 1911 年 に 山 本 梅 涯 が 洋 画 習 俗 会 を 開 設 したし 1912 年 1 月 には 安 藤 仲 太 郎 が 王 の 肖 像 画 を 描 いた 1912 年 4 月 に 木 本 芝 仙 が 個 展 を 開 らき 10 月 には 和 田 一 海 渡 辺 香 涯 上 原 軌 洲 が 展 示 会 を 開 いた ( 註 14) 119

120 藤 島 武 二 藤 島 武 二 は 1913 年 11 月 25 日 から 翌 14 年 の 1 月 25 日 まで 学 術 研 究 のため 植 民 地 朝 鮮 に 訪 れた 彼 は 4 年 前 までに 滞 在 したヨーロッパと 植 民 地 朝 鮮 を 次 のように 比 較 をしている 朝 鮮 は 半 島 ながら 大 陸 的 のところがあるようです 大 陸 の 地 勢 を 受 けて 突 き 出 た 地 形 が すでにイタリアを 連 想 させますが その 地 の 風 物 がまた 頗 るイタリアに 似 た 点 が 多 いようです 地 面 の 色 が 明 快 で 禿 山 が 多 くって ところどころに 小 松 が 点 綴 せられてい る もし 日 本 の 風 景 を スイスに 比 べることができたら 朝 鮮 の 風 景 はイタリアに 匹 敵 すべきものであろうと 思 います ( 註 15) その 時 期 の 藤 島 武 二 は フランスから 帰 国 して 模 索 の 時 期 であったので 彼 は 朝 鮮 研 修 を 通 じて 自 らの 作 品 制 作 に 大 きいインスピレーションを 得 たようである 陰 里 鉄 郎 氏 は 藤 島 武 二 にとってより 大 きな 東 洋 への 第 一 歩 は おそらく 1913 年 ( 大 正 二 ) 末 の 朝 鮮 旅 行 であったに 違 いないと 述 べている ( 註 16) 朝 鮮 の 光 景 に 惹 かれた 藤 島 武 二 は チマ チョゴリの 色 づかいや ゆったりとした 薄 色 の 裳 が 風 に 翻 る 様 子 に 惹 かれ それに 日 本 の 王 朝 時 代 の 絵 巻 物 を 連 想 したようである ( 註 17) また 彼 は 朝 鮮 の 女 性 が 外 出 する 時 に 着 るチャンオッとツケチマにも 興 味 を 持 ったよう である ツケチマもチャンオッに 似 たものであり 女 性 が 外 出 するときに 着 た 頭 から 上 半 身 を 覆 い 隠 すようになっているチマである チャンオッは 元 々 男 性 の 上 着 から 変 形 した 衣 装 であり その 表 は 緑 色 裏 は 紫 色 の 布 を 持 って 作 っている ツケチマはチマを 変 形 した 120

121 ものであり 襞 が 普 通 のチマのおける 襞 幅 を 重 ねとっていて 被 った 姿 が 頭 の 上 で 三 角 形 みたいになっている ( 註 18) 図 6 藤 島 武 二 朝 鮮 風 景 油 彩 キャンバス cm 1913 年 岩 崎 美 術 館 図 7 藤 島 武 二 朝 鮮 風 景 油 彩 キャンバス cm 1913 年 三 重 県 立 美 術 館 藤 島 武 二 は 朝 鮮 風 景 ( 図 6)で 白 い 服 を 着 ている 朝 鮮 の 人 々と チャンオッとツケ チマで 顔 を 隠 し 道 を 歩 いている 朝 鮮 の 上 流 女 性 の 姿 を 描 写 している 青 い 空 と 赤 い 屋 根 黄 土 の 道 左 側 の 上 部 分 には 白 い 伝 統 の 服 を 着 て 紅 色 のツケチマを 被 っている 未 亡 人 がい る 画 面 中 央 にはチャンオッとツケチマを 被 っている 二 人 の 女 性 右 側 上 の 部 分 には 白 い 伝 統 服 を 着 ている 男 性 の 姿 を 表 現 した 藤 島 武 二 は 意 図 的 に 強 烈 な 色 を 選 択 し 朝 鮮 の 姿 を 描 写 していると 見 られる 朝 鮮 風 景 ( 図 7)のようにわらぶきの 家 の 屋 根 は 黄 土 色 と 茶 色 に 近 い 色 を 帯 びているが 彼 は 空 の 青 と 木 の 緑 色 と 対 比 させるように 赤 色 で 塗 って いる 朝 鮮 風 景 ( 図 7)は 白 い 服 を 着 た 男 性 と 黒 いツケチマを 着 た 女 性 の 姿 が 対 照 的 であ る ここにも 藤 島 武 二 はモチーフを 変 換 し 女 性 が 朝 鮮 時 代 では 見 られない 黒 いツケチマ 121

122 を 被 っている 男 性 達 より 閉 鎖 的 で 大 変 厳 しい 生 活 をしていた 朝 鮮 時 代 女 性 の 姿 を 藤 島 武 二 はこのような 黒 い 色 で 表 現 したにもみえる このように 藤 島 武 二 がモチーフをありのまま 描 かなかった 作 品 は 朝 鮮 婦 人 にもみえ る 彼 は 朝 鮮 の 女 性 の 姿 を 3-4 点 ほど 描 いているが その 姿 も 画 家 の 造 形 的 な 表 現 により 衣 服 の 姿 が 少 し 変 形 したと 見 られる 図 8 藤 島 武 二 朝 鮮 婦 人 油 彩 パステル 紙 cm 1914 年 頃 石 橋 美 術 館 図 9 藤 島 武 二 朝 鮮 婦 人 油 彩 パステル 紙 cm 1914 年 頃 石 橋 美 術 館 122

123 図 10 藤 島 武 二 朝 鮮 服 の 女 鉛 筆 紙 図 11 藤 島 武 二 玉 手 箱 cm 1914 年 頃 愛 知 県 美 術 館 朝 鮮 婦 人 ( 註 19)と 玉 手 箱 の 作 品 は 朝 鮮 の 伝 統 衣 服 を 着 て 細 長 い 衣 を 肩 から 垂 らし 箱 を 両 手 で 持 っていることが 共 通 の 特 徴 である 鉛 筆 でスケッチした 作 品 朝 鮮 服 の 女 を 参 考 にして 朝 鮮 婦 人 と 玉 手 箱 を 描 いたとみられる 彼 はスカートの 右 側 の 下 の 部 分 を 長 く 描 き 画 面 にスカートの 先 が 切 れるように 構 成 した 画 面 の 変 化 緊 張 感 をあらわしている 同 じ 朝 鮮 女 性 であるが その 背 景 は 全 部 違 うので 彼 が 工 夫 をし て 女 性 と 造 形 的 にバランスがとれるモチーフを 探 し 作 品 の 完 成 度 を 高 めるために 様 々な ことを 試 みたとみられる 朝 鮮 服 の 女 は 果 物 であろう 供 物 を 捧 げ もう 一 点 の 朝 鮮 服 の 女 は 朝 鮮 夫 人 と 同 じ 四 角 い 箱 を 抱 えた 女 性 が 描 かれている 123

124 朝 鮮 夫 人 は 一 般 の 女 性 ではなく 妓 生 であると 考 える その 理 由 は 女 性 の 服 装 は 妓 生 が 舞 踊 する 時 に 着 る 服 と 推 測 される 女 性 の 肩 から 垂 らしている 布 は 妓 生 が サルプ リ 踊 り(살풀이 춤) を 踊 る 時 使 う 道 具 と 似 ている サルプリ 踊 りは 主 に 南 部 地 方 で 見 みられる 伝 統 舞 踊 である 元 は 巫 女 (무당 ム ダン) の 舞 楽 から 派 生 し 民 俗 舞 踊 になった 現 在 韓 国 の 重 要 無 形 文 化 財 第 97 号 になっている この 踊 りは 朝 鮮 中 期 以 後 の 庶 民 文 化 の 活 性 化 により 仮 面 劇 や 人 形 劇 等 が 発 展 する 中 で 倡 優 ( 役 者 )が 創 作 した 植 民 地 朝 鮮 時 代 で 妓 生 がお 客 さんの 前 で 頻 繁 に 踊 っていた ( 註 20) 妓 生 の サルプリ 踊 り に 藤 島 武 二 は 大 きなインスピレーションを 受 け 女 性 の 肩 から 垂 らしている 布 を 描 いた 可 能 性 が 高 いと 考 える 図 12 妓 生 と 楽 士 の 姿 1907 年 ( 註 21) 藤 島 武 二 は 頭 上 に 物 を 載 せた 女 性 の 姿 を 描 いている その 姿 は 1900 年 頃 から 朝 鮮 の 代 表 的 な 風 物 として 外 国 人 画 家 や 写 真 家 により 多 く 表 現 されていたモチーフであった しかし 一 般 的 に 朝 鮮 の 女 性 達 が 頭 上 に 乗 っているのは 水 さしや 食 べ 物 が 入 れられた 籠 が 多 いの 124

125 である 藤 島 武 二 の 花 籠 の 女 性 は 他 の 画 家 の 作 品 と 違 い 花 籠 を 頭 上 に 載 せている 図 13 藤 島 武 二 花 籠 油 彩 キャンバス 63 41cm 1913 年 京 都 国 立 近 代 美 術 館 藤 島 武 二 が 花 籠 を 載 せている 女 性 を 描 いた 理 由 はカロリュス=デュランの 薔 薇 の 花 売 り などの 西 洋 人 の 画 家 の 作 品 の 影 響 を 受 け 水 壷 を 花 籠 に 変 形 したとみられている しかし 1972 年 に 北 朝 鮮 が 製 作 した 花 売 り 女 性 という 映 画 がある その 映 画 は 1920 年 代 から 1930 年 代 までを 時 代 的 背 景 にし 幼 い 女 性 が 共 産 主 義 革 命 家 として 成 長 する 姿 を 表 現 した 作 品 である この 主 人 公 の 職 業 が 籠 に 花 を 載 せ 花 を 売 る 女 性 である その 花 売 り 女 性 映 画 の 原 典 は 1930 年 代 初 頭 頃 に 朝 鮮 人 民 軍 の 士 気 の 高 揚 するために 金 日 成 (キ ム イルソン)が 直 接 書 いた 台 本 である その 台 本 から 人 民 軍 が 公 演 をしつつ その 後 に は 歌 劇 をはじめとして 映 画 小 説 などまで 脚 色 したと 伝 える 演 劇 花 売 り 女 性 の 初 演 は 1930 年 11 月 抗 日 革 命 の 遊 撃 隊 員 の 解 放 区 (ソビエト)の 五 家 子 ( 中 国 吉 林 省 懷 德 県 125

126 の 地 域 )のサムスン 学 校 であった 金 日 成 は 演 劇 花 売 り 女 性 の 公 演 に 深 い 関 心 を 持 ち 初 めての 公 演 から 演 技 唱 法 台 詞 及 び 衣 装 まで 自 らの 見 解 を 提 示 しつつ 指 導 した( 註 22)と 伝 えている また 1946 年 に 林 応 植 (イム ウンシク )が 撮 った 釜 山 の 朝 と 1956 年 にイ ビョンサム(이병삼)の 写 真 朝 の 道 の 中 で 藤 島 武 二 の 花 籠 の 女 性 と 似 たよ うな 女 性 の 姿 が 登 場 している この 写 真 の 中 の 女 性 達 はチマ チョゴリを 着 て 腰 までの 長 い 下 げ 髪 に 花 篭 を 頭 上 に 載 せて 行 く 姿 である 写 真 家 達 はこの 写 真 の 背 景 を 釜 山 の 朝 の 風 景 であると 述 べている 図 14 林 應 植 朝 1946 年 126

127 図 15 イ ビョンサム(이병삼) 朝 の 道 1956 年 チマ チョゴリを 着 た 女 性 達 が 花 籠 を 頭 上 に 載 せて 運 んだ 時 期 については 明 確 ではない が このように 20 世 紀 頃 の 韓 国 に 花 を 売 る 女 性 達 の 文 献 と 写 真 があるため 藤 島 武 二 が 実 際 に 植 民 地 の 朝 鮮 で 花 籠 を 頭 上 に 載 せた 女 性 をみて 表 現 したという 可 能 性 も 否 定 できない と 考 えられる 花 籠 のように 頭 上 に 物 を 載 せた 人 物 像 は 近 代 日 本 の 画 家 がアジアを 背 景 とする 絵 を 製 作 する 際 にしばしばモチーフとされている 今 村 紫 紅 ( )の 熱 国 之 巻 や 山 口 蓬 春 の 市 場 南 嶋 暮 などをその 例 とあげる ヨーロッパと 似 た 雰 囲 気 を 感 じた 植 民 地 朝 鮮 の 風 土 に 大 きなインスピレーションを 受 け た 藤 島 武 二 は その 後 も 新 しいモチーフとインスピレーションを 求 めて 中 国 や 西 域 など を 訪 ね そこに 暮 らしている 女 性 の 姿 を 表 現 した 127

128 藤 島 武 二 は 植 民 地 朝 鮮 の 訪 問 を 通 じて 朝 鮮 風 景 や 花 籠 朝 鮮 風 景 朝 鮮 婦 人 などの 作 品 を 制 作 した この 作 品 の 中 では 道 路 で 出 会 った 上 流 階 級 の 女 性 頭 上 に 物 を のせている 女 性 妓 生 の 姿 等 があらわしている このような 女 性 の 姿 はその 当 時 の 韓 国 を 訪 れた 他 の 外 国 人 の 作 品 でも 多 く 表 現 された 姿 である 1913 年 に 植 民 地 朝 鮮 を 訪 ねた 湯 浅 一 郎 ( )は 作 品 朝 鮮 婦 人 でチョゴリを 脱 ぎ チマだけ 穿 いている 女 性 を 魅 惑 魅 的 に 表 現 した 韓 国 の 伝 統 的 な 儒 教 思 想 が 現 在 よ り 強 かったその 当 時 の 状 況 を 考 慮 すれば 一 般 的 な 女 性 がこのように 上 着 を 脱 ぎ モデル になるということは 想 像 もできないことため 彼 が 描 いた 女 性 は 妓 生 である 可 能 性 が 高 い と 推 定 される 図 16 湯 浅 一 郎 朝 鮮 婦 人 油 彩 キャンバス cm 年 個 人 蔵 128

129 朝 鮮 婦 人 の 女 性 は 小 さくて 細 い 東 洋 的 な 目 であるが 韓 国 女 性 の 装 飾 品 ノリゲでは なく ネックレスをしている ノリゲとは チョゴリの 外 または 内 結 紐 (고름:コルム) 及 びチマ 腰 に 佩 びる 女 性 装 身 具 の 種 であって その 外 観 は 華 麗 高 貴 である 繊 細 多 様 で あるので 我 が 国 ( 韓 国 ) 固 有 の 衣 装 の 美 しさを 尚 日 一 層 優 雅 なものしてくれる( 註 23) 装 飾 品 である また 髪 型 も 韓 国 人 のまげ 髪 (쪽진머리(チョクジンモリ))ではない 髪 の 前 部 が 少 し 立 てられているので むしろ 日 本 の 伝 統 の 女 性 の 髪 型 と 似 ている 湯 浅 一 郎 が 造 形 的 な 意 図 により 変 形 したと 考 えられる 日 本 の 画 家 は 大 韓 帝 国 植 民 地 朝 鮮 を 訪 ね その 姿 をスケッチした 絵 などを 日 本 のアト リエで 再 び 油 彩 で 描 いた 可 能 性 もある すなわち スケッチを 基 に 再 現 した 時 真 の 植 民 地 朝 鮮 の 姿 ではなく 画 家 の 記 憶 や 先 入 観 などによって 再 創 造 されたと 考 えられる 画 家 が 作 品 の 制 作 において 写 真 のようにありのままを 写 るのではなく 自 らの 考 えや 造 形 的 な 構 図 画 面 での 均 衡 構 成 などを 様 々な 絵 画 の 表 現 方 法 を 追 究 し 自 分 だけの 創 作 世 界 の 表 現 するものであるためである 藤 島 武 二 と 湯 浅 一 郎 は 韓 国 を 訪 ねた 後 その 感 想 を 美 術 新 報 に 述 べている 藤 島 武 二 は 1914 年 に 朝 鮮 観 光 所 感 という 文 を 美 術 新 報 に 発 表 している この 文 章 には オリエンタリズムについて 述 べながら ドラクロア ドゥガン マリラ フロマンタン 等 を 紹 介 していた その 画 家 達 は オリエントの 風 景 と 風 俗 を 題 材 にした 画 家 である 藤 島 武 二 は 彼 らは 東 洋 趣 味 を 鼓 吹 して 当 時 のフランスの 画 壇 に 一 種 のモードを 作 った 傾 向 を 見 せており 熱 帯 地 方 の 強 烈 な 光 線 や 色 彩 といったようなものが 刺 戟 を 与 えたと 述 べな がら それを 朝 鮮 に 比 喩 していた その 半 年 前 には 湯 浅 一 郎 氏 も オリエンタリスト 129

130 について 美 術 新 報 に 文 を 掲 載 していた 湯 浅 一 郎 氏 は フランスのオリエンタリズム の 絵 画 を 一 つの 手 本 として 朝 鮮 や 台 湾 や 満 州 などの 植 民 地 風 景 を 日 本 美 術 に 取 り 入 れて ゆく 意 識 を 訴 えた ( 註 24) このような 藤 島 武 二 と 湯 浅 一 郎 が 紹 介 した 西 洋 画 家 等 に 刺 激 を 受 けた 日 本 人 の 画 家 は 日 本 政 府 の 植 民 地 朝 鮮 への 移 民 政 策 のもとに 新 しい 画 題 と 刺 激 を 求 め 植 民 地 朝 鮮 を 訪 ね る 契 機 を 与 えたとみられる また 1910 年 以 降 新 設 学 校 の 図 画 教 師 の 採 用 や 1922 年 の 朝 鮮 美 術 展 覧 会 の 創 設 等 が 日 本 人 の 画 家 の 移 住 を 促 進 させた 1913 年 には 陶 磁 器 の 研 究 者 であり 画 家 兼 彫 刻 家 である 浅 川 伯 教 ( )がソ ウルに 移 住 した 初 めロダンに 憧 れた 彼 は 帝 展 に 入 選 したことがあり 朝 鮮 美 術 展 覧 会 にも 当 初 は 彫 刻 を 出 品 している ( 註 25) 彼 は 弟 である 浅 川 巧 ( ) 柳 宗 悅 と 共 に 朝 鮮 の 工 芸 と 陶 磁 器 の 研 究 に 没 頭 した 人 物 である 浅 川 伯 教 は 1913 年 5 月 上 旬 ソウルの 南 大 門 の 公 立 尋 常 小 学 校 に 赴 任 翌 年 には 新 設 さ れた 西 大 門 の 公 立 尋 常 高 等 学 校 に 転 勤 した 同 時 に 京 城 中 学 校 付 属 小 学 校 の 教 員 養 成 所 で 絵 や 手 工 芸 彫 刻 陶 器 等 の 教 育 実 習 の 指 導 をした 浅 川 伯 教 から 絵 や 手 工 芸 等 を 学 んだ 小 谷 正 氏 は 私 は 浅 川 先 生 から 絵 (クロッキー スケッチ 水 彩 画 など) 工 作 ( 木 工 竹 細 工 粘 土 細 工 など) 彫 刻 陶 器 等 の 製 作 の 基 本 を 習 った 浅 川 先 生 から 感 化 を 受 けて 美 術 が 好 きになった と 回 顧 している 浅 川 伯 教 は 朝 鮮 美 術 展 覧 会 にも 東 洋 画 をは じめ 西 洋 画 彫 刻 分 野 にも 出 品 した ( 註 26) 1914 年 6 月 には 辻 永 がソウルの 京 城 ホテルで 個 展 を 開 き 油 彩 山 羊 を 昌 徳 宮 (チャ ンドックン)に 買 い 上 げられた 1915 年 には 植 民 地 朝 鮮 で 活 動 する 日 本 人 画 家 の 団 体 朝 鮮 美 術 協 会 が 貞 洞 (チョンドン)の( 旧 )フランス 公 使 館 に 設 置 された 教 育 俱 楽 部 で 4 130

131 月 24 日 から 10 日 の 間 展 覧 会 を 開 いた ( 註 27) 日 本 人 の 画 家 達 は 1915 年 総 督 府 が 主 催 した 始 正 五 年 共 進 会 を 契 機 に 転 機 を 迎 える この 展 覧 会 は 朝 鮮 総 督 府 の 主 催 で 朝 鮮 統 治 5 周 年 と 朝 鮮 物 産 共 進 会 始 正 5 周 年 を 記 念 する ために 開 催 され 景 福 宮 (キョンボックン)で 1915 年 9 月 11 日 から 始 まり 10 月 31 日 に 閉 幕 した 教 育 産 業 等 の 社 会 各 分 野 と 美 術 分 野 の 収 集 品 を 集 めて 展 示 したこの 展 開 会 には 約 116 万 人 の 観 覧 客 が 訪 れた ( 註 28) この 共 進 会 は 韓 国 での 近 代 的 な 美 術 展 の 開 幕 を 告 げるものであった 美 術 館 では 1300 点 に 及 ぶ 作 品 が 展 示 されたが そこには 韓 国 のさまざまな 地 方 で 発 見 された 考 古 学 的 遺 物 が 含 まれていた 伝 統 絵 画 は 本 館 で 油 彩 や 彫 刻 といった 新 しい 西 洋 風 の 美 術 は 別 館 あ るいは 参 考 館 の 美 術 センターに 展 示 された ここには 安 仲 植 趙 錫 珍 及 び 高 羲 東 (コ フィドン )のような 韓 国 の 芸 術 家 の 作 品 とともに 多 数 の 日 本 の 作 家 の 作 品 が 展 示 された このように 共 進 会 は 美 術 作 品 を 展 示 する 朝 鮮 美 術 展 覧 会 すなわち 1922 年 に 発 足 する 公 式 の 官 展 の 先 駆 けをなすものであった ( 註 29) 日 本 人 の 画 家 達 が 植 民 地 朝 鮮 を 訪 ね ソウルで 頻 繁 に 展 覧 会 を 開 催 した 理 由 は 自 らの 作 品 を 大 衆 に 見 せるための 目 的 もあるが 植 民 地 朝 鮮 での 作 品 の 購 買 者 数 が 多 かったためで もある 清 水 東 雲 が 始 正 五 年 共 進 会 に 出 品 した 平 和 という 作 品 は 李 王 家 に 買 い 上 げられ( 註 30) 1922 年 に 開 催 する 朝 鮮 美 術 展 覧 会 の 入 選 作 品 も 順 調 な 買 行 きをみせてい た 朝 鮮 美 術 展 覧 会 は 1925 年 の 第 4 回 から 即 売 会 あるいは 即 売 展 と 呼 ばれる 即 売 店 を 設 置 された 入 選 作 家 の 小 品 も 趣 味 向 上 と 一 般 家 庭 への 普 及 のために 販 売 した が 西 洋 画 家 の 作 品 の 人 気 が 高 かった また 出 品 者 の 承 諾 を 得 て 絵 葉 書 も 制 作 し 販 売 した ( 註 31) 131

132 高 木 背 水 氏 は 作 品 の 販 売 について 朝 鮮 に 行 つてみると 内 地 とは 反 對 に 思 ひのはか 優 遇 されるし その 上 共 進 會 の 仕 事 では 數 千 圓 を 得 たしするので 彼 は 遂 にそのお 金 で 朝 鮮 に 畫 室 を 建 てゝしまつたのである 折 りしも 歐 洲 大 戦 が 始 まり 朝 鮮 にも 好 景 気 が 訪 ねたので 繪 もよく 賣 れた 彼 はもともと 朝 鮮 で 洋 畫 を 普 及 しようと 目 論 んでるたので 二 十 號 を 僅 かに 二 十 五 圓 で 賣 つた それも 額 縁 は 東 京 の 磯 貝 から 上 等 を 取 寄 せたりしたので 半 分 は 額 縁 代 に 消 えてしまつた それでも 數 がはけるのと 時 には 大 きな 繪 の 註 文 もあつ たので 金 には 相 當 に 恵 まれた と 述 べている ( 註 32) 1922 年 6 月 4 日 の 毎 日 申 報 には 売 約 売 出 - 飛 ぶように 売 れた 作 品 というタイ トルでこのような 記 事 が 載 せられている 朝 鮮 美 術 展 覧 会 の 二 日 の 日 の 大 盛 況 はすでに 掲 載 したが 午 前 中 はもう 1500 人 余 りの 入 場 者 が 入 った また 初 日 以 来 作 品 の 売 りの 契 約 が 続 出 し 第 1 回 美 術 展 覧 会 として は 良 い 業 績 をあげた 作 品 を 買 った 人 と 当 事 者 ( 画 家 )が 喜 ぶことはいうまでもないだろ う 今 日 の 午 前 中 に 売 約 が 決 定 されたことは 下 記 のとおりである ( 註 33) 朝 鮮 美 術 展 覧 会 に 入 選 した 画 家 のみならず 売 約 の 作 品 までが 毎 回 新 聞 に 記 載 された このような 大 々 的 な 広 報 はその 当 時 の 人 々に 絵 を 学 ぶようになる 契 機 となっただろう 日 本 国 内 にある 画 家 達 にとっては 植 民 地 朝 鮮 に 滞 在 し 美 術 活 動 をおこなうきっかけにもな ったと 考 えられる 1916 年 4 月 に 光 化 門 近 所 の 明 月 館 で 古 賀 祐 雄 前 川 千 帆 高 山 石 田 富 造 の 4 人 の 油 132

133 彩 展 が 開 かれた 1917 年 6 月 には 小 林 萬 吾 の 個 展 が 1917 年 7 月 は 石 井 柏 亭 の 個 展 が 開 か れ 1919 年 9 月 には 高 木 背 水 石 田 富 造 古 賀 祐 雄 が 発 起 し 朝 鮮 洋 画 同 志 会 も 創 立 された ( 註 34) また 遠 田 軍 雄 石 黒 義 保, 山 田 新 一 等 の 多 くの 日 本 人 画 家 が 植 民 地 朝 鮮 へ 移 住 した 彼 達 は 公 立 学 校 の 図 画 教 師 として 勤 めたり 画 塾 で 絵 画 指 導 をしたり 美 術 団 体 を 組 織 した 主 に 彼 達 は 朝 鮮 総 督 府 が 主 催 した 朝 鮮 美 術 展 覧 会 を 中 心 に 活 動 をおこなった このように 植 民 地 時 代 の 韓 国 へ 移 住 した 多 く 日 本 人 画 家 が 図 画 教 師 として 学 校 で 学 生 達 を 指 導 したが その 図 画 教 師 は 大 部 分 東 京 美 術 学 校 の 卒 業 生 であった 東 京 美 術 学 校 の 卒 業 生 として 植 民 地 朝 鮮 で 活 躍 した 人 物 は 日 吉 守 山 田 新 一 遠 田 運 雄 佐 藤 九 二 男 石 黒 義 保 星 野 二 彦 等 がいる 彼 達 は 朝 鮮 美 術 展 覧 会 で 積 極 的 に 活 動 し 植 民 地 朝 鮮 の 中 で 絵 画 を 勉 強 しようと 思 う 人 々に 影 響 を 及 ぼしたと 考 えられる また 彼 達 が 当 時 の 東 京 美 術 学 校 で 学 んだ 石 膏 デッサンや 人 体 の 素 描 油 絵 実 習 解 剖 学 など 西 洋 の 絵 画 の 理 論 や 表 現 方 法 などを 植 民 地 朝 鮮 に 紹 介 したと 考 えられる 133

134 図 17 左 から) 遠 田 運 雄 石 黒 義 保 日 吉 守 淺 川 伯 教 山 田 新 一 佐 藤 九 二 男 1915 年 には 天 草 神 来 と 清 水 東 雲 高 木 背 水 が 朝 鮮 美 術 協 会 を 創 立 して 展 覧 会 を 開 催 した 朝 鮮 美 術 協 会 は 内 務 長 官 である 宇 佐 美 勝 男 を 会 長 とし 工 藤 壯 平 金 谷 充 を 幹 部 に 運 営 されたが 長 く 続 かず 中 心 人 物 の 交 代 を 機 に 解 体 された ( 註 35) 日 本 画 の 様 式 や 西 欧 の 美 術 理 論 などは 日 本 人 の 画 家 により 流 入 された 18 世 紀 頃 までは 中 国 を 往 来 した 使 節 団 を 通 じて 洋 画 の 作 品 や 西 洋 画 法 などが 流 入 されたが 19 世 紀 末 から は 日 本 の 画 家 によって 流 入 し 始 めたのである 日 本 の 画 家 の 美 術 活 動 は 韓 国 の 伝 統 的 な 山 水 画 文 人 画 になじんでいた 当 時 の 人 々に 新 しい 視 覚 的 な 経 験 を 提 供 したと 考 えられる 134

135 註 ) 1. 吉 田 千 鶴 子 東 京 美 術 学 校 の 外 国 人 生 徒 ( 後 編 ) 東 京 芸 術 大 学 交 美 術 学 部 概 要 34 号 1999 p45 2. 平 安 北 道 と 平 安 南 道 にある 名 勝 地 八 ヶ 所 を 示 す 関 西 八 景 の 名 勝 地 は 江 界 の 仁 風 樓 と 義 州 の 統 軍 亭 宣 川 の 東 林 瀑 安 川 の 百 祥 樓 平 壌 の 練 光 亭 成 川 の 降 仙 樓 満 浦 の 洗 劒 亭 及 び 寧 邊 の 薬 山 東 台 がある 3. 近 代 の 東 アジアイメージ 日 本 近 代 美 術 はどうアジアを 描 いてきたか 前 掲 書 p 稲 葉 継 雄 旧 韓 国 における 居 留 那 人 の 教 育 九 州 大 学 大 学 院 教 育 学 研 究 紀 要 2000 第 3 号 p 山 田 新 一 美 術 朝 鮮 の 今 昔 朝 鮮 p18 6. 李 亀 烈 (イ グヨル) 前 掲 書 pp 美 術 新 報 ( 第 5 巻 第 7 号 ( 明 治 39 年 6 月 27 日 ) 満 韓 地 方 を 廻 りて 展 覧 会 を 開 き 来 りし 丹 青 會 は 六 月 末 より 切 初 にかけ 長 崎 市 にて 開 設 せりと 8. 京 都 鞍 馬 の 大 悲 山 寺 谷 氏 の 四 男 に 生 まれたが 長 じて 京 都 の 背 水 東 陽 先 生 の 門 入 りし た 9. 李 亀 烈 (イ グヨル) 前 掲 書 p. 173: 京 城 日 報 金 英 那 (キム ヨンナ) 20 세기 한국미술(20 世 紀 の 韓 国 美 術 ) 예경 1998 p 朝 鮮 総 督 府 及 所 属 署 職 員 録 朝 鮮 総 督 府 1923; 京 城 日 報 朝 鮮 學 校 一 覧 昭 和 九 年 五 月 末 現 在 朝 鮮 総 督 府 學 務 局 1934 年 13. 京 城 日 報 최열(チェ ヨル) 韓 国 の 近 代 美 術 の 歴 史 1997 열화당 p

136 15. アジアへのまなざし: 朝 鮮 台 湾 中 国 藤 島 武 二 展 -ブリヂストン 美 術 館 開 館 50 周 年 記 念 ブリヂストン 美 術 館 2002 p 藤 島 の 四 年 間 の 西 洋 滞 在 の 経 験 のなかで 自 己 の 出 自 である 東 洋 日 本 を 考 えたのはごく 自 然 のことであるが この 日 本 に 対 しての 彼 にとっても 意 外 であった 失 望 から より 大 きな 東 洋 への 第 一 歩 は おそらく 1913 年 ( 大 正 二 ) 末 の 朝 鮮 旅 行 であったにちがい いないと 私 には 思 われる ( 陰 里 鉄 郎 東 洋 的 典 型 美 の 想 像 芳 恵 アート ギャラ リー ジャパン 二 〇 世 紀 日 本 の 美 術 二 黒 田 清 輝 藤 島 武 二 所 収 日 本 アートセン ト 1987 年 83 項 )p アジアへのまなざし: 朝 鮮 台 湾 中 国 前 掲 書 p 柳 喜 卿 朴 京 子 韓 国 衣 服 文 化 史 原 流 社 1985 p 朝 鮮 夫 人 は 唐 様 三 部 作 を 修 復 したときに 両 翼 の 裏 面 に 本 作 品 があることを 分 り 支 持 体 の 紙 を 裂 いって 唐 様 三 部 作 の 両 翼 裏 面 から 独 立 させた ( アジアへの まなざし: 朝 鮮 台 湾 中 国 前 掲 書 p.87) 20. サルプリ 踊 りが 舞 踊 の 名 前 で 称 したのは 1930 年 代 ハン ソンジュン 氏 が 朝 鮮 音 楽 舞 踊 研 究 所 を 設 立 し 1936 年 サルプリ 踊 りの 発 表 の 時 サルプリ 踊 り という 名 称 を 初 めて 使 った サルプリ 踊 り の 核 心 的 な 形 は 手 に 布 を 持 って 朝 鮮 の 南 の 舞 楽 に 合 わせて 踊 ることである 布 を 持 って 踊 る 理 由 は 踊 りを 作 り 出 した 倡 優 がパンソリを する 時 に 汗 を 拭 いたり 粋 をあらわすために 使 ったとみられる また 倡 優 が 自 らの 感 情 を 劇 的 に 表 現 する 手 段 として 使 ったと 考 えられる 21. ハガキ 裏 面 の 1907 というサインである 発 行 者 が 韓 国 という 記 されたことから 1907 年 の 前 に 撮 ったと 見 られている この 写 真 は サルプリ 踊 り に 対 する 最 初 の 文 献 であ 136

137 る 22. 北 朝 鮮 の 文 化 研 究 第 1 集 한국문화예술진흥원 1993 p.226 이명재(イ ミョンジェ) 北 朝 鮮 文 学 の 理 念 と 実 体 국학자료원 1998 p 柳 喜 卿 朴 京 子 前 掲 書 p 西 原 大 輔 氏 は 近 代 日 本 絵 画 のアジア 表 象 の 中 にウジェーヌ ドラクロア( )が 1832 年 に 北 アフリカを 旅 行 し アルジェの 女 たち (1834 年 ) モロッコの ユダヤ 風 結 婚 式 (1839 年 ) 近 衛 兵 たちに 護 られたモロッコのスルタン (1845 年 ) といった 作 品 を 残 していることは よく 知 られている アレクサンドル ドゥガン( )は 東 方 世 界 を 訪 れて トルコの 思 い 出 を 描 き プロスペル マリヤ( )もエジプトの 地 を 踏 んで カリフ アル=ハ-キムの 寺 院 址 (カイロ) (1840 年 )にその 成 果 を 結 晶 させた ウジェーヌ フロマンタン( )はエジプトや アルジェリア 南 部 のサハラ 砂 漠 へ 向 かい 渇 きの 国 (1869 年 頃 )やアルジェリアの 鷹 狩 り)(1863)など オリエントの 風 景 と 風 俗 を 題 材 とした : 西 原 大 輔 近 代 日 本 絵 画 のアジア 表 象 日 本 研 究 2002 p 中 村 義 一 台 展 鮮 展 と 帝 展 京 都 教 育 大 学 紀 要 75 号 1989 p 高 崎 宗 司 朝 鮮 の 土 になった 日 本 人 草 風 館 1991 p 최열(チェ ヨル) 韓 国 近 代 美 術 の 歴 史 - 韓 国 美 術 史 事 典 열화당 2006 p 洪 善 杓 (ホン ソンピョ) 갑오개혁에서 해방시기까지 한국근대미술사( 甲 午 改 革 から 解 放 時 期 までの 韓 国 近 代 美 術 史 ) 시공사 2009 p 金 英 那 (キム ヨンナ) 著 神 林 恒 道 監 訳 前 掲 書 p

138 30. 京 城 日 報 홍선표(ホン ソンピョ) 前 掲 書 p 直 木 友 次 良 高 木 背 水 伝 大 肥 前 社 1937 年 pp 美 術 史 論 壇 第 8 号 別 冊 付 録 朝 鮮 美 術 展 覧 会 記 事 資 料 集 韓 国 美 術 研 究 所 p 최열(チェ ヨル) 前 掲 書 p 藤 松 森 朝 鮮 書 画 と 清 水 東 雲 先 生 ー 二 十 年 前 回 顧 ; 李 龜 烈 (イ グヨル) 近 代 韓 国 美 術 史 の 研 究 미진사 1992 pp

139 第 4 章 韓 国 画 家 による 韓 国 女 性 の 絵 画 表 現 ( ) このような 外 国 人 の 画 家 の 訪 問 は 洋 画 に 対 する 関 心 を 高 めた 朝 鮮 後 期 に 西 洋 国 画 西 国 画 西 洋 画 泰 西 画 洋 画 庵 画 等 主 に 見 慣 れない 異 文 化 の 絵 と 認 識 された 西 洋 絵 画 は 1884 年 の 漢 城 旬 報 の 新 聞 に 油 絵 と 水 彩 画 を 包 括 された 用 語 として 油 水 画 と 記 載 したり オイルペインティング[oil painting] の 訳 語 として 油 絵 と 呼 称 され た しかし 媒 材 と 技 法 に 基 づいて 名 付 けられたこのような 用 語 は 1920 年 代 以 後 伝 統 画 を 称 する 東 洋 画 との 両 立 により 朝 鮮 時 代 の 末 期 に 使 った 西 洋 画 あるいは 洋 画 と 総 称 するようになった ( 註 1) 1907 年 秋 には 徳 寿 宮 (トクスグン)の 大 漢 門 の 隣 にパノラマ 館 が 建 設 された このパノ ラマ 館 に 回 転 画 あるいは 全 景 画 にも 呼 称 された 巨 大 な 油 絵 を 興 行 のために 観 覧 用 として 展 示 された パノラマは 原 形 または 多 角 形 の 建 物 中 に 360 度 の 円 筒 形 の 曲 面 に 巨 大 な 油 絵 をかけ 中 央 の 螺 旋 階 段 を 上 り 下 りしながら 観 覧 するように 仕 掛 けた ( 註 2) 1915 年 には 近 代 美 術 展 示 の 始 まりといわれる 共 進 会 が 開 催 される この 展 示 会 で 高 羲 東 (コ フィドン)の 琴 を 演 奏 する 女 性 が 紹 介 されたが 紛 失 し 現 在 には 白 黒 写 真 にだけ 残 っている 139

140 図 1 高 羲 東 琴 を 演 奏 する 女 性 油 彩 その 当 時 の 美 術 界 は 宮 廷 様 式 を 受 け 入 れた 張 承 業 (チャン スンオプ )の 画 風 を 継 承 した 趙 錫 晉 ( )と 安 中 植 ( )によって 主 導 された 彼 達 は 1912 年 にソウルの 著 名 な 画 家 と 書 道 家 が 集 め 書 画 美 術 会 を 創 立 した この 書 画 美 術 会 は 3 年 過 程 を 設 定 し 山 水 画 仙 人 および 故 事 人 物 画 花 鳥 画 などの 韓 国 の 伝 統 絵 画 を 学 ぶ 教 育 機 関 であった 高 羲 東 はこの 施 設 で 約 3 年 程 度 を 修 学 した 後 レミオン(L é opold Remion)がスケッチする 姿 を 見 て 洋 画 を 勉 強 することを 決 心 し 1909 年 に 東 京 美 術 学 校 に 留 学 した 1915 年 に 東 京 美 術 学 校 を 卒 業 して 帰 国 した 高 羲 東 は 共 進 会 で 女 性 を 表 現 した 作 品 を 発 表 した この 作 品 は 伝 統 絵 画 では 殆 ど 描 写 されなかった 女 性 の 姿 を 公 の 場 で 展 示 した 最 初 の 油 絵 である 共 進 会 には 高 羲 東 以 外 にも 東 洋 画 の 画 家 である 金 權 洙 (キム クォンス) 崔 禹 錫 (チェ ウソク )などが 女 性 の 姿 を 表 現 した 作 品 を 出 品 した ( 註 3) このように 朝 鮮 時 代 まで 殆 ど 表 現 されなかった 女 性 の 姿 は 1915 年 頃 になると 男 性 の 姿 より 多 く 描 写 されることになった これは 韓 国 絵 画 における 近 代 化 の 前 兆 とみることがで 140

141 きる 特 に 1916 年 に 女 性 の 裸 体 を 画 題 にして 描 いた 金 觀 鎬 (キム グァンホ 1890-?)の 夕 暮 れ は 韓 国 の 伝 統 絵 画 では 表 現 されてない 裸 婦 を 描 き 当 時 の 社 会 で 大 きな 波 紋 をもた らした 第 1 節 裸 体 金 觀 鎬 の 裸 体 画 韓 国 ではじめて 描 かれた 裸 体 画 は 金 觀 鎬 (キム グァンホ 1890-)の 夕 暮 れ で ある 彼 は 平 壌 (ピョンヤン)の 富 豪 の 息 子 として 生 まれ 韓 国 で 西 洋 画 家 として 高 羲 東 (コ フィドン)に 続 いて 二 番 目 に 東 京 美 術 学 校 の 西 洋 画 科 を 1910 年 に 入 学 し 1916 年 に 卒 業 した 東 京 美 術 学 校 の 首 席 卒 業 と 文 展 で 特 選 したことにより マスメディアの 注 目 を 浴 びなが ら 韓 国 に 帰 ってきた 金 觀 鎬 は 1916 年 12 月 17 日 に 平 壌 と 公 州 の 風 景 を 描 いた 50 点 の 油 彩 を 展 示 した これは 韓 国 人 としては 最 初 の 西 洋 画 の 個 展 であった ( 註 4) 彼 は 1925 年 から 28 年 まで 平 壌 で 金 瓚 永 (キム チャニョン)とともに 逆 星 会 絵 画 研 究 所 を 設 立 し 後 学 を 指 導 した 1945 年 後 も 平 壌 市 美 術 同 盟 常 務 委 員 北 朝 鮮 芸 術 総 連 盟 美 術 同 盟 中 央 委 員 など 公 的 活 動 をおこなった ( 註 5)しかし 彼 は 西 洋 画 に 対 する 社 会 の 認 識 不 足 や 芸 術 家 の 蔑 視 などにより 殆 どの 制 作 活 動 をしなくなった 彼 の 作 品 夕 暮 れ は 1916 年 の 東 京 美 術 学 校 の 最 優 秀 卒 業 作 品 であり 第 10 回 文 部 省 美 術 展 覧 会 でも 特 選 となった 現 在 東 京 芸 術 大 学 の 資 料 館 に 所 蔵 されているが 裸 体 の 141

142 女 性 を 表 現 したものであっため 作 品 の 写 真 は 当 時 の 新 聞 には 掲 載 されなかった ( 註 6) 韓 国 人 のはじめての 裸 体 画 は 日 本 で 先 に 公 開 されたことになる 図 2 金 觀 鎬 夕 暮 れ 油 彩 1916 年 mm 東 京 芸 術 大 学 東 京 芸 術 学 校 の 卒 業 作 品 1916 年 に 日 本 文 部 省 展 覧 会 ( 特 選 ) 作 品 夕 暮 れ は 川 で 水 浴 し 身 体 を 拭 いている 女 性 の 背 中 の 姿 を 描 いた 作 品 であり 背 景 は 彼 の 故 郷 の 大 同 江 (テドンガン)の 岸 である この 作 品 ははじめに 人 物 を 描 き 後 から 背 景 を 描 き 加 えたものである S 字 のカーヴ 状 に 曲 がった 川 辺 の 構 成 と 髪 をまとめあげる 仕 草 をしている 女 のポーズからはピュヴィ ド シャヴァンヌの 影 響 があり 夕 焼 け 雲 と 紫 色 の 光 の 表 現 からは 東 京 美 術 学 校 で 習 得 し た 外 光 派 とロマン 派 の 影 響 がみられる ( 註 7) 142

143 第 10 回 文 部 省 美 術 展 覧 会 の 特 選 作 品 でもある 夕 暮 れ の 審 査 評 は 次 のようである 金 觀 鎬 ( 韓 国 人 )の 裸 体 習 作 を 前 に 何 處 かの 展 覧 会 で 觀 て 仲 々 旨 いと 思 ったが 今 度 の 夕 ぐれ はさう 云 ふ 習 作 に 風 景 を 添 へて 見 た 謂 はゞ 學 生 的 の 畫 である ルネ メ ナールと 云 ふやうな 情 緒 は 及 びもつかないが 背 景 と 人 体 との 関 係 をもっと 自 然 に 就 いて 研 究 したならば これ 以 上 に 面 白 い 畫 となったであらう 背 景 の 空 水 等 の 色 は 皆 濁 って 又 調 子 をも 外 れて 居 る ( 註 8) 毎 日 新 報 では 第 10 回 文 部 省 美 術 展 覧 会 で 特 選 された 事 実 を 特 筆 大 書 したにもかか わらず 作 品 の 写 真 を 掲 載 しなかった 当 時 の 韓 国 の 普 遍 的 認 識 が 裸 体 画 を 美 術 の 感 覚 で 見 るより 反 社 会 的 なものとして 見 たからであろう 金 觀 鎬 の 夕 暮 れ のように 後 ろを 向 いて 入 浴 をしたり 髪 を 洗 っている 女 性 のイメー ジは 19 世 紀 のフランス アカデミー 画 家 達 の 作 品 でよく 表 現 された 主 題 である 後 ろ 姿 を 描 いた 裸 体 画 は 黒 田 清 輝 と 岡 田 三 郎 助 を 始 め 日 本 の 初 期 洋 画 でよく 表 わされている このような 影 響 は 西 洋 画 の 影 響 とみられるし その 一 方 でこのような 姿 勢 は 身 体 の 全 面 的 な 露 出 が 避 けられて 東 洋 的 神 秘 感 を 生 かす 効 果 を 示 すことができると 考 えたかもしれ ない ( 註 9) 金 觀 鎬 が 文 展 に 特 選 した 時 毎 日 新 報 記 者 とのインタビューに 彼 は 次 のように 述 べ ている 平 壌 の 綾 羅 島 (ヌンラド) 近 所 を 背 景 に 二 人 の 女 性 が 川 で 入 浴 して 出 てきた 姿 を 描 い 143

144 たのであり 何 年 か 前 のある 夕 方 川 辺 を 歩 く 途 中 婦 人 が 入 浴 するのを 遠 くから 見 たこ とがあって その 記 憶 を 着 想 して 描 いた 絵 である ( 註 10) 第 2 回 朝 鮮 美 術 展 覧 会 に 出 品 した 湖 水 は 湖 を 背 景 に 身 体 の 一 部 分 を 布 で 覆 ってい る 女 性 が 座 っている 姿 を 描 いた 絵 である その 時 も 裸 体 画 であったため 同 様 の 事 態 が 発 生 した 朝 鮮 総 督 府 が 作 品 展 示 は 許 容 しながらも 一 般 人 の 不 道 徳 な 興 奮 を 触 発 する 危 険 があると 判 断 し 新 聞 の 掲 載 を 許 さなかったのである 図 3 金 觀 鎬 湖 水 1923 年 ( 朝 鮮 美 術 展 覧 会 第 2 回 ) このような 状 況 に 対 して 東 亜 日 報 はこのように 報 道 している 金 觀 鎬 の 湖 水 と 遠 田 運 雄 裸 婦 の 二 点 は 裸 体 の 夫 人 をモデルにしたため 展 示 は 行 うが 新 聞 に 掲 載 はできないことになった これに 対 して ある 画 家 は 芸 術 の 国 に 144

145 まで 警 務 当 局 者 の 権 力 が 及 んだことは 本 当 に 不 快 なことだと 憤 慨 しながら 言 った ( 註 11) 当 時 の 朝 鮮 美 術 展 覧 会 に 出 品 された 裸 体 画 は 韓 国 では 人 体 美 に 対 する 認 識 がなかった ので 既 存 の 伝 統 的 美 意 識 や 当 時 の 道 徳 社 会 的 規 範 などの 点 で 多 くのトラブルを 引 き 起 こした 韓 国 は 19 世 紀 の 末 頃 から 20 世 紀 の 初 めにかけて 西 洋 の 新 しい 文 化 を 取 り 入 れ 初 めて 国 際 的 な 近 代 化 への 流 れに 目 覚 めることになった しかし 西 洋 の 異 質 な 文 化 は 韓 国 社 会 のあらゆる 分 野 に 新 しい 要 素 を 提 供 した 反 面 伝 統 的 風 習 との 間 に 摩 擦 や 反 発 を 生 みだ した 絵 画 においては 裸 体 画 が 既 存 の 儒 教 的 な 道 徳 観 念 に 反 する 絵 であり 当 時 の 韓 国 の 社 会 では 衝 撃 的 なことであったのである 19 世 紀 の 末 期 まで 韓 国 の 画 壇 で 女 性 の 裸 体 を 描 くことは 稀 なことであった いくつか の 例 をあげると 申 潤 福 (シン ユンボク)の 作 品 端 午 風 情 で 川 辺 で 体 を 洗 う 妓 生 が 乳 房 とお 尻 を 露 出 した 姿 を 描 いている その 理 由 は 近 代 化 に 進 む 前 の 朝 鮮 時 代 までの 伝 統 美 術 において 裸 体 画 は 存 在 しなかったためである その 当 時 の 儒 教 的 倫 理 観 では 受 け 入 れるのが 難 しかったのであろう 近 代 になっても 人 体 の 美 しさを 芸 術 で 表 現 したという 考 えより 単 純 に 服 を 脱 いで 全 裸 という 考 え 方 が 支 配 的 であった 申 潤 福 の 作 品 も 朝 鮮 後 期 時 代 の 主 流 作 品 ではなく 近 代 になって 再 評 価 されたものであ る また 公 的 な 場 所 で 鑑 賞 する 絵 ではなく 個 人 的 な 趣 味 のために 描 いた 作 品 と 考 えら れる 20 世 紀 初 の 治 安 当 局 は 裸 体 画 が 展 示 さえることより 大 衆 媒 体 を 通 し それが 大 衆 化 する 145

146 のを 恐 れ 取 り 締 まりや 統 制 をおこなった それは 裸 体 画 を 受 け 入 れるまで 韓 国 社 会 の 理 解 が 伴 っていなかったという 事 情 もあるが 裸 体 画 に 対 する 反 風 俗 的 猥 褻 的 であると いう 概 念 が 大 きかったためであろう 儒 教 的 思 想 により 身 なりや 行 ないを 正 しくする 事 を 重 要 視 する 風 習 があった 当 時 に 韓 国 社 会 で 裸 体 は 恥 ずかしく 不 快 感 があり 当 惑 するものと 認 識 された 事 は 容 易 に 理 解 でき る その 結 果 裸 体 画 を 堂 々と 描 くことはできない 状 況 であり 裸 体 モデルを 探 すことも 難 しかった こうした 韓 国 近 代 の 状 況 は 1938 年 の 月 刊 雑 誌 朝 光 に 載 せられた 彫 刻 家 の 金 復 鎭 (キ ム ポクチン)の 話 を 通 じて 理 解 ができる いつか 友 人 にモデルを 一 人 探 してくれとお 願 いしたところ ある 売 春 を 兼 ねた 飲 み 屋 で 女 性 一 人 を 二 百 ウォンで 買 ってきた ところで 珍 しいことは その 女 性 の 話 によれば モデルとして 来 たとは 夢 にも 思 わず 妾 として 来 たと 思 ったわけである その 結 果 両 方 の 意 思 が 通 じるわけがなく 女 性 の 立 場 では そのような 生 活 ( 妾 としての 生 活 )は 少 し もさせないで 毎 日 服 を 脱 がせて 彫 刻 の 製 作 だけに 没 頭 する 夫 (?)をけげんな 目 で 見 つめるしかなくて 最 後 には 逃 げてしまったね ( 註 12) 裸 体 画 として 二 回 目 に 撮 影 禁 止 となったのは 1925 年 第 4 回 朝 鮮 美 術 展 覧 会 に 入 選 し た 李 濟 昶 (イ チェチャン)の 女 性 という 作 品 であった この 作 品 は 西 洋 画 部 門 で 4 等 賞 を 受 賞 したが 写 真 撮 影 は 禁 止 された ( 註 13)1933 年 の 第 11 回 朝 鮮 美 術 展 覧 会 の 時 には 大 邱 (テグ) 師 範 学 校 の 高 柳 種 行 の 裸 婦 が 特 選 をしたが 風 俗 壊 乱 の 疑 惑 146

147 で 撤 回 命 令 を 受 けた 1933 年 5 月 の 東 亜 日 報 に 特 選 した 作 品 が 出 品 撤 回 命 令 を 受 け たのは 朝 鮮 美 術 展 覧 会 の 開 始 以 来 にはじめてのことである と 報 じでいた ( 註 14) 図 4 李 濟 昶 女 1925 年 図 5 高 柳 種 行 裸 婦 ( 第 4 回 朝 鮮 美 術 展 覧 会 の4 等 賞 ) 1933 年 ( 第 11 回 朝 鮮 美 術 展 覧 会 の 特 選 ) このような 裸 体 画 に 対 する 社 会 的 認 識 は 1950 年 代 にも 見 られ 1949 年 の 文 教 部 主 催 の 大 韓 民 國 美 術 展 覽 會 ( 国 展 ) に 金 興 洙 (キム フンス)の 裸 婦 群 像 が 入 選 したが 一 般 公 開 には 問 題 があると 言 われ 撤 去 された ( 註 15) 当 時 韓 国 の 文 教 部 長 官 であり 国 展 の 会 長 であった 安 浩 相 (アン ホサン) 博 士 はこ のように 解 説 した 147

148 美術的価値は認めるが 未成年者によくない影響を及ぼすことを心配し 審査委員達 と協議した結果撤去することになった 註 16 韓国の伝統的な儒教的 道徳的観念は 裸体の表現を芸術的な美としてなかなか受け入 れなかった 図 6 金興洙 裸婦群像 1949 國郡新聞 原作消失 註 17 西洋美術の裸体の表現は インドを除いた大部分のアジア 特に東アジアの韓国 日本 中国などでは 伝統文化とは相いれない画題であった 裸体画に対する理解不足により生じたこのような状況は 当時 西洋文明を積極的に受 け入れた日本でも同様な状況がみられた 1895 年 京都で開かれた第 4 回 内局勧業博覧 会 で 黒田清輝が出品した 朝妝 で 日本の社会も大きな衝撃を受けた 裸体に対する非難について黒田清輝は次のように述べている 148

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