から14 世 紀 末 期 ~17 世 紀 前 半 の 日 朝 関 係 史 を 体 系 的 に 考 察 するものである 特 に 研 究 が 急 速 に 深 化 している 三 浦 の 乱 (1510 年 ) 以 前 の 日 朝 関 係 即 ち15 世 紀 の 偽 使 を 中 心 に 述 べていく 考 察

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1 日 朝 関 係 における 偽 使 の 時 代 伊 藤 幸 司 はじめに 1. 偽 使 の 発 生 と 展 開 15 世 紀 前 半 の 通 交 統 制 と 博 多 商 人 (1) 偽 使 の 初 見 (2) 世 宗 期 の 通 交 統 制 策 (3) 九 州 探 題 渋 川 氏 との 連 携 (4) 大 友 氏 との 連 携 (5) 中 央 政 権 との 連 携 (6) 宗 貞 盛 の 博 多 進 出 と 博 多 商 人 (7) 癸 亥 約 条 の 成 立 とその 影 響 (8) 新 たな 通 交 権 の 模 索 (9) 博 多 商 人 以 外 の 通 交 者 たち 2. 偽 使 通 交 の 拡 大 と 変 容 15 世 紀 後 半 の 対 馬 宗 氏 と 博 多 商 人 (1)1450 年 代 以 降 の 深 処 倭 名 義 の 通 交 権 (2) 朝 鮮 遣 使 ブーム の 実 態 と 対 馬 宗 氏 博 多 商 人 (3)16 世 紀 ~17 世 紀 前 半 の 偽 使 通 交 おわりに はじめに ぎ し 偽 使 は 14 世 紀 末 期 ~17 世 紀 前 半 の 日 朝 関 係 を 実 態 的 に 解 明 する 上 で 避 けては 通 れな (1) (2) い 研 究 課 題 といえる 朝 鮮 側 史 料 で 中 間 詐 偽 者 中 間 奸 人 などと 呼 称 された 偽 使 の 素 性 を 冷 静 に 判 別 し その 創 出 論 理 を 明 らかにしない 限 り 新 たな 日 朝 関 係 史 を 構 築 する 素 地 が 出 来 (3) ないからである 本 稿 は 朝 鮮 遣 使 ブーム のような 特 定 の 通 交 現 象 や 個 別 の 通 交 名 義 ごと に 行 われてきたこれまでの 偽 使 研 究 の 成 果 を 土 台 として そこに 新 知 見 を 交 えつつ 偽 使 の 視 点 (1) 成 宗 実 録 1 年 9 月 丙 子 条 (2) 中 宗 実 録 4 年 4 月 癸 酉 条 (3) 橋 本 雄 氏 は 情 報 論 の 視 点 から 偽 使 問 題 を 分 析 する 中 で 偽 使 の 技 法 を 紹 介 しつつ 偽 使 認 定 作 業 のあり 方 についても 述 べており[ 橋 本 2004] その 成 果 は 本 稿 でも 参 考 とさせて 頂 いた 107

2 から14 世 紀 末 期 ~17 世 紀 前 半 の 日 朝 関 係 史 を 体 系 的 に 考 察 するものである 特 に 研 究 が 急 速 に 深 化 している 三 浦 の 乱 (1510 年 ) 以 前 の 日 朝 関 係 即 ち15 世 紀 の 偽 使 を 中 心 に 述 べていく 考 察 に 先 立 ち まず 偽 使 の 定 義 を 確 認 しておきたい 偽 使 とは 第 3 者 が 貿 易 利 潤 を 獲 得 するた めに ある 人 間 ( 実 在 しなくてもよい)の 名 義 を 騙 ることで 外 国 に 通 交 した 偽 りの 外 交 使 節 のこと である[ 橋 本 頁 ] しかし 単 に 偽 使 といっても その 通 交 形 態 は 非 常 に 複 雑 で 様 々なモ デルパターンがある 以 下 に 暫 定 的 ではあるが 当 該 期 日 朝 通 交 における 通 交 のモデルパター ンを 示 しておく 日 朝 通 交 のモデルパターン Ⅰ. 真 使 Ⅱ. 真 使 便 乗 型 真 使 なので 偽 使 とはいえないが 内 実 が 純 粋 でない 第 3 者 が 真 使 に 便 乗 して 通 交 Ⅲ. 請 負 通 交 型 純 粋 に 通 交 貿 易 を 請 け 負 っている 場 合 は 偽 使 とはいえないが 請 負 人 の 不 正 通 交 が 可 能 通 交 名 義 人 が 第 3 者 に 通 交 貿 易 を 請 け 負 わせて 通 交 ( 通 交 名 義 人 の 一 定 度 の 主 体 性 が 存 在 ) Ⅳ. 名 義 借 通 交 型 第 3 者 が 通 交 名 義 人 に 名 義 を 借 りて 通 交 ( 恒 常 的 借 り 請 けではない) ( 通 交 名 義 人 の 主 体 性 は 稀 少 だが 通 交 実 態 は 把 握 し 何 らかの 利 益 を 吸 収 か?) Ⅴ. 名 義 譲 渡 通 交 型 第 3 者 が 通 交 名 義 人 から 通 交 権 を 恒 常 的 に 譲 渡 されて 通 交 ( 通 交 名 義 人 は 一 定 度 の 利 益 を 吸 収 ) Ⅵ. 通 交 名 義 詐 称 型 第 3 者 が 実 在 の 通 交 名 義 人 の 名 義 を 勝 手 に 詐 称 して 通 交 Ⅶ. 有 力 者 名 義 詐 称 型 第 3 者 が 実 在 の 有 力 者 Ⅷ. 架 空 名 義 詐 称 型 第 3 者 が 架 空 の 人 物 ( 通 交 歴 なし) ( 有 力 者 を 想 起 させるような) Ⅸ. 架 空 国 家 詐 称 型 第 3 者 が 架 空 の 国 家 の 使 節 を 詐 称 して 通 交 の 名 義 を 勝 手 に 詐 称 して 通 交 の 名 義 を 詐 称 して 通 交 類 型 Ⅰは 通 交 名 義 人 と 実 際 の 派 遣 主 体 が 一 致 する 問 題 のない 使 節 である 類 型 Ⅱ~Ⅳは いわゆる 純 粋 な 偽 使 とはいえないが 実 態 の 一 部 に 偽 使 的 通 交 手 法 を 用 いており いわばグレ ーゾーンの 通 交 形 態 といえる 類 型 Ⅴ~Ⅸは 完 全 な 偽 使 である このように 類 型 番 号 が 大 きく なるのに 伴 い 通 交 名 義 人 の 主 体 性 が 徐 々に 弱 まり 存 在 しなくなることが 分 かる ところで 従 来 偽 使 派 遣 勢 力 の 主 要 な 実 態 として 対 馬 宗 氏 と 博 多 商 人 の 存 在 が 指 摘 されて いるが 本 稿 では 特 に 博 多 商 人 の 動 向 に 注 目 して 考 察 を 進 める 本 稿 の 構 成 として まず 第 1 章 では 偽 使 が 発 生 し 展 開 した15 世 紀 前 半 の 日 朝 関 係 について 特 に 世 宗 期 の 対 日 通 交 統 制 策 と 108

3 博 多 商 人 の 対 応 に 注 目 して 考 察 を 行 う 続 いて 第 2 章 では 偽 使 通 交 が 拡 大 した15 世 紀 後 半 の 日 朝 関 係 について 特 に 深 処 倭 名 義 の 通 交 の 実 態 と 博 多 商 人 と 対 馬 勢 力 の 連 携 のあり 方 につ いて 考 察 を 行 う そして 最 後 に 東 アジア 通 交 圏 における 偽 使 の 歴 史 的 位 置 付 けが 出 来 ればと 考 えている 1. 偽 使 の 発 生 と 展 開 15 世 紀 前 半 の 通 交 統 制 と 博 多 商 人 (1) 偽 使 の 初 見 朝 鮮 王 朝 は 建 国 以 後 倭 寇 懐 柔 政 策 を 施 行 し 経 済 的 な 利 益 供 与 と 引 き 替 えに 倭 寇 を 平 和 な 通 交 者 へと 変 質 させることに 成 功 した この 結 果 様 々な 階 層 の 多 くの 日 本 側 通 交 者 が 朝 鮮 に 渡 航 するようになった この 状 況 下 既 に 14 世 紀 末 期 から 通 交 名 義 と 派 遣 主 体 が 乖 離 する 使 節 が (4) 登 場 している[ 田 村 1972] 偽 使 の 初 見 は 1397( 太 祖 6) 年 6 月 に 現 れた 日 本 九 州 節 度 使 源 了 (5) 俊 名 義 の 使 節 である 九 州 節 度 使 源 了 俊 とは 九 州 探 題 として 室 町 幕 府 の 九 州 経 営 に 尽 力 し 倭 寇 対 策 や 被 虜 人 送 還 をはじめとする 活 発 な 朝 鮮 通 交 を 展 開 した 今 川 了 俊 を 現 しているが [ 川 添 1996 第 5 章 ] 了 俊 は1395( 応 永 2) 年 8 月 に 足 利 義 満 によって 探 題 職 を 罷 免 されている 了 俊 に 替 わって 九 州 探 題 となった 渋 川 満 頼 が 博 多 に 到 着 したのは 翌 年 4 月 のことである 6 月 の 了 俊 使 送 は 渋 川 氏 探 題 着 任 後 に 行 われており 明 らかな 偽 使 といえる 渋 川 満 頼 が 初 めて 朝 鮮 に 通 交 したのは 1397( 太 祖 6) 年 12 月 の 日 本 関 西 道 九 州 探 題 源 道 鎮 名 義 の 使 節 である[ 川 添 1996 第 6 章 ] おそらく 先 の 了 俊 使 送 は 今 川 了 俊 の 下 で 実 際 の 通 交 貿 易 を 担 っていた 勢 力 か 新 たに 探 題 として 着 任 した 渋 川 満 頼 によって 創 出 されたものと 推 測 できる( 類 型 Ⅵ) (2) 世 宗 期 の 通 交 統 制 策 朝 鮮 王 朝 初 期 平 和 な 通 交 者 となった 倭 人 には 経 済 的 利 益 を 供 与 していくという 倭 寇 懐 柔 政 策 は 一 定 度 の 成 果 を 挙 げ 朝 鮮 半 島 に 対 する 倭 寇 は 大 きく 減 少 した しかし 朝 鮮 に 渡 航 する 倭 人 が 増 大 する 一 方 で それに 伴 う 朝 鮮 側 の 経 済 的 負 担 が 膨 大 化 し 国 家 財 政 を 圧 迫 した そ のため 1419( 世 宗 1) 年 の 己 亥 東 征 ( 応 永 の 外 寇 ) 以 後 朝 鮮 政 府 は 日 本 側 通 交 者 の 渡 航 を 徐 々に 規 制 するようになった 次 の 一 覧 表 は 中 村 栄 孝 氏 の 見 解 に 従 い[ 中 村 1965 第 11 章 ] 書 契 文 引 による 対 日 通 交 統 制 策 の 変 遷 をまとめたものである 以 後 の 考 察 は この 一 覧 表 を 参 考 としながら 進 めることにする 朝 鮮 政 府 の 対 日 通 交 統 制 策 書 契 文 引 による 統 制 を 中 心 に 時 期 内 容 典 拠 太 宗 7 年 (1407)7 月 興 利 倭 船 は 慶 尚 道 の 都 万 戸 のいる 浦 所 のみに 入 港 し 渠 首 ( 居 太 宗 実 録 7 年 7 月 戊 寅 条 (4) 初 期 の 偽 使 については [ 田 村 1972]の 成 果 に 負 うところが 多 い ただし 田 村 氏 の 考 察 は 偽 使 に 類 する 事 例 を 多 く 提 示 するものの 体 系 的 な 考 察 という 点 では 不 十 分 である (5) 太 祖 実 録 6 年 6 月 辛 丑 条 109

4 住 地 の 有 力 者 )の 行 状 を 所 持 して 渡 航 すること 太 宗 14 年 (1414)8 月 日 本 国 王 対 馬 島 大 内 殿 少 弐 殿 九 州 節 度 使 など10 処 の 倭 太 宗 実 録 14 年 8 月 丁 未 条 使 以 外 の 渡 航 を 禁 止 する 世 宗 1 年 (1419)6 月 己 亥 東 征 ( 応 永 の 外 寇 ) 世 宗 1 年 (1419) 冬 九 州 の 諸 氏 は 九 州 探 題 の 書 契 を 受 けて 渡 航 すること( 書 契 による 世 宗 実 録 2 年 7 月 壬 申 条 統 制 ) 世 宗 2 年 (1420) 閏 1 月 対 馬 島 内 の 渡 航 者 は 対 馬 島 主 の 書 契 を 受 けて 渡 航 すること 世 宗 実 録 2 年 閏 1 月 壬 辰 条 世 宗 6 年 (1424)8 月 九 州 探 題 渋 川 義 俊 名 義 の 渡 航 者 増 大 のため 渋 川 義 俊 と 歳 遣 世 宗 実 録 6 年 12 月 戊 午 条 船 2 船 を 定 約 し その 書 契 に 新 造 の 図 書 を 著 すこと 世 宗 8 年 (1426)5 月 以 前 宗 貞 盛 が 使 送 船 興 利 船 に 島 主 文 引 を 発 給 し これを 所 持 しな 世 宗 実 録 8 年 5 月 甲 寅 条 い 者 を 接 待 しないよう 李 芸 に 要 請 世 宗 13(1431)11 月 通 信 倭 人 以 外 でただ 行 状 のみを 持 って 往 来 する 者 は 京 畿 に 入 世 宗 実 録 13 年 11 月 己 卯 条 れないこととする 世 宗 16 年 (1434)4 月 宗 貞 盛 書 契 を 有 す 渡 航 者 増 大 のため 宗 貞 盛 が 書 契 の 形 式 に 世 宗 実 録 16 年 4 月 戊 申 条 よって 接 待 の 優 劣 を 区 別 するよう 要 請 世 宗 17 年 (1435)9 月 受 図 書 人 も 対 馬 島 主 文 引 を 携 帯 して 渡 航 すること( 文 引 による 統 世 宗 実 録 17 年 9 月 丁 丑 条 制 が 組 織 的 に 運 用 開 始 ) 世 宗 18 年 (1436) 閏 6 月 対 馬 島 及 び 諸 処 の 使 送 人 は 対 馬 島 主 文 引 を 所 持 して 渡 航 し 世 宗 実 録 18 年 閏 6 月 辛 卯 条 文 引 には 船 の 大 小 使 者 乗 組 員 の 名 目 を 書 き 載 せること 世 宗 20 年 (1438)10 月 文 引 の 制 に 関 する 約 条 確 立 世 宗 実 録 20 年 10 月 己 巳 条 世 宗 21 年 (1439)2 月 日 本 国 王 管 領 武 衛 大 内 殿 菊 池 殿 の 使 人 かつて 通 信 した 者 世 宗 実 録 21 年 2 月 乙 卯 条 が 親 しく 来 朝 する 場 合 井 大 郎 のように 誠 心 帰 順 する 者 は 文 引 の 制 の 適 用 外 世 宗 21 年 (1439)4 月 諸 処 の 使 人 に 偽 造 改 竄 書 契 が 多 いため 渡 航 者 の 真 偽 を 検 討 世 宗 実 録 21 年 4 月 甲 辰 条 してから 文 引 を 発 給 するよう 要 請 世 宗 21 年 (1439)10 月 魚 塩 の 商 売 船 は 文 引 のみで 渡 航 できるが 給 料 過 海 糧 は 支 給 世 宗 実 録 21 年 10 月 丙 申 条 せず 受 図 書 人 の 文 引 所 持 の 励 行 のこと 世 宗 21 年 (1439)10 月 宗 貞 盛 図 書 を 著 した 書 契 をサンプルとして 三 浦 に 分 置 渡 航 者 世 宗 実 録 21 年 10 月 庚 子 条 の 書 契 と 照 合 検 察 し 偽 造 改 竄 書 契 があれば 接 待 せずに 還 送 すること 世 宗 22 年 (1440)1 月 偽 造 改 竄 書 契 を 所 持 して 浦 所 に 来 航 する 者 の 取 り 扱 いが 決 定 世 宗 実 録 21 年 10 月 乙 未 条 世 宗 25 年 (1443) 癸 亥 約 条 成 立 成 宗 2 年 (1471) 以 前 日 本 からのすべての 渡 航 者 は 対 馬 島 主 文 引 を 所 持 して 渡 航 する 海 東 諸 国 紀 朝 聘 応 接 紀 こと 110

5 さて 世 宗 期 に 整 備 された 通 交 統 制 は それまで 比 較 的 自 由 であった 日 本 側 通 交 者 の 朝 鮮 渡 航 に 対 し 書 契 や 文 引 といった 外 交 文 書 の 所 持 を 義 務 付 けることで 渡 航 者 数 の 抑 制 管 理 とそ かなめ の 峻 別 を 図 るものであった 特 に 日 朝 通 交 の 要 ともいえる 対 馬 島 主 に 渡 航 証 明 書 となる 文 引 を 発 行 してもらう 文 引 の 制 は 日 朝 通 交 における 対 馬 島 主 宗 氏 の 重 要 性 を 確 定 的 にし 以 後 の 日 朝 通 交 の 基 本 的 枠 組 みとして19 世 紀 ( 明 治 初 期 )まで 維 持 されたシステムである このような 世 宗 期 の 通 交 統 制 は とりわけ 朝 鮮 通 交 を 指 向 する 対 馬 島 主 宗 氏 以 外 の 日 本 側 通 交 者 にとっては 朝 鮮 との 通 交 貿 易 を 遂 行 する 上 で 非 常 に 大 きな 障 害 となり 得 る 制 度 であり その 対 応 を 模 索 し なければならなかった 次 節 以 降 では まず 朝 鮮 との 通 交 貿 易 を 強 く 指 向 した 博 多 商 人 に 焦 点 を (6) 当 てて 彼 らがこの 通 交 統 制 策 にどの 様 に 反 応 したのかについて 考 察 を 進 める (3) 九 州 探 題 渋 川 氏 との 連 携 1419( 世 宗 1) 年 の 己 亥 東 征 ( 応 永 の 外 寇 ) 以 後 日 朝 通 交 の 場 で 対 馬 に 替 わって 台 頭 したの は 九 州 探 題 渋 川 氏 であった[ 田 中 ~308 頁 ][ 川 添 ~210 頁 ] 対 馬 討 伐 が 行 われた 年 末 朝 鮮 政 府 は 九 州 の 諸 氏 について 九 州 探 題 の 書 契 を 受 けて 渡 航 することを 定 めて いる 朝 鮮 が 今 川 了 俊 以 来 の 九 州 地 域 の 統 制 者 渋 川 氏 に 対 し 増 大 する 日 本 側 通 交 者 の 渡 航 規 制 を 期 待 したのである 当 該 期 九 州 における 探 題 の 政 治 力 は 微 弱 で 渋 川 氏 が 九 州 地 域 の 朝 鮮 渡 航 者 を 規 制 する 実 力 は 微 塵 もなく 渋 川 氏 に 対 する 朝 鮮 側 の 期 待 は 過 度 に 評 価 された ものであった 朝 鮮 側 は それから 間 もない 時 期 に 対 馬 島 内 の 諸 氏 に 対 しても 島 主 の 書 契 を 受 けて 渡 航 することを 定 めている これにより いわゆる 書 契 による 通 交 統 制 の 網 が 主 要 な 通 交 者 た ちに 適 用 されることになった そのため 単 なる 貿 易 を 志 向 する 倭 人 の 通 交 は 著 しく 不 利 になり 九 州 探 題 渋 川 氏 が 非 常 に 有 利 な 通 交 を 展 開 できることになった 1423( 世 宗 5) 年 朝 鮮 に 琉 球 国 使 送 人 と 称 する 使 節 が 現 れたが 彼 らの 所 持 した 書 契 図 書 客 人 は 何 れも 琉 球 のものではな (7) かったため 礼 物 の 授 受 を 拒 否 されるという 事 件 が 起 こっている( 類 型 Ⅵ) 管 見 の 限 り これが 偽 琉 球 国 王 使 の 初 見 である この 時 期 は 対 馬 博 多 商 人 らが 真 使 の 琉 球 国 王 使 を 請 け 負 うとい う 通 交 形 態 が 出 現 する 以 前 に 相 当 している[ 田 中 ~308 頁 ] この 時 期 に 突 然 偽 琉 球 国 王 使 の 形 態 で 通 交 が 行 われた 背 景 には 書 契 による 通 交 統 制 の 影 響 があったのではないか と 考 えるべきであろう 琉 球 国 王 使 は 渋 川 氏 や 宗 氏 の 発 行 する 書 契 による 通 交 統 制 を 受 けない 通 交 名 義 であり 統 制 によって 不 利 を 被 った( 或 いは 被 るかも 知 れない) 人 々によって 創 出 された ものと 推 測 する このように 書 契 による 通 交 統 制 は 後 に 適 用 される 文 引 の 制 には 及 ばないもの の 一 定 度 の 有 効 性 はあったものと 思 われる 渋 川 氏 は 朝 鮮 側 の 統 制 策 を 最 大 限 に 活 用 し 平 満 景 など 探 題 管 下 の 人 々と 共 に 頻 繁 な 朝 (6) 通 交 統 制 策 と 対 馬 勢 力 の 関 係 については 中 村 栄 孝 氏 長 節 子 氏 黒 田 省 三 氏 荒 木 和 憲 氏 の 研 究 蓄 積 があ る[ 中 村 1965][ 長 1987][ 黒 田 1971][ 荒 木 2004] (7) 世 宗 実 録 5 年 1 月 丙 戌 条 111

6 ( ) 鮮 通 交 を 行 った しかし 数 年 後 日 本 回 礼 使 朴 安 臣 が 渋 川 義 俊 に 対 して 然 れども1 年 の 内 (8) 使 人 或 いは20 余 行 に 至 る 豈 に 皆 閣 下 の 使 人 か 皆 興 利 を 請 う 者 を 率 いるなり と 抗 議 してい るように その 内 実 は 興 利 を 請 う 者 (= 博 多 商 人 )が 展 開 する 貿 易 活 動 であった つまり 本 来 ならば 著 しい 通 交 規 制 を 受 けるはずであった 博 多 商 人 は 渋 川 氏 名 義 の 通 交 を 請 け 負 ったり 名 義 を 借 りることで 自 らの 欲 求 する 貿 易 活 動 を 有 利 に 充 足 させていたのである( 類 型 Ⅲ 類 型 Ⅳ) 勿 論 渋 川 氏 側 には 自 らの 特 別 な 朝 鮮 通 交 権 を 梃 子 にして 求 心 力 を 獲 得 するという 意 味 合 い があった このような 状 況 が 続 いたため 1424( 世 宗 6) 年 朝 鮮 政 府 は 渋 川 義 俊 との 間 に 探 題 使 節 の 通 交 は 春 秋 2 回 という 通 交 制 限 を 設 けて 探 題 使 節 と 単 なる 貿 易 者 ( 博 多 商 人 )を 区 別 しよ うと 試 みている しかし その 翌 年 7 月 頃 渋 川 義 俊 は 少 弐 満 貞 菊 池 兼 朝 によって 攻 められて 没 落 し[ 本 多 1988] 渋 川 氏 一 族 は 分 散 渋 川 満 頼 は 上 洛 し 義 俊 は 筑 後 国 に 蟄 居 した[ 川 添 197 8] 九 州 探 題 渋 川 氏 を 利 用 した 通 交 を 展 開 することで 書 契 による 統 制 を 回 避 するのみならず 非 常 に 有 利 な 貿 易 を 展 開 していた 博 多 商 人 にとって 探 題 使 節 船 の 制 限 そしてその 後 の 探 題 の 没 落 は 大 きな 失 望 感 を 与 えた では その 後 の 博 多 商 人 は 如 何 にして 通 交 統 制 を 回 避 しようと 試 みたのであろうか ( 満 頼 ) 1つは 渋 川 氏 ( 道 鎮 義 俊 満 直 ) 名 義 の 使 節 の 継 続 派 遣 という 手 段 である( 類 型 Ⅵ) 既 に 博 多 の 地 に 渋 川 氏 の 存 在 は 無 かったが 以 前 から 渋 川 氏 名 義 の 通 交 を 行 っていた 博 多 商 人 は 渋 川 氏 没 落 の 情 報 を 朝 鮮 側 に 秘 匿 することで その 通 交 権 を 保 持 した この 形 態 の 偽 使 は 渋 川 (9) 氏 没 落 後 から 間 もない 時 期 から 登 場 している しかし この 前 年 渋 川 氏 自 身 の 通 交 が 朝 鮮 側 によって 制 限 され 既 に 日 朝 通 交 上 における 渋 川 氏 の 優 位 性 が 崩 壊 していたため 渋 川 氏 名 義 の 通 交 形 態 の 継 続 のみでは 以 前 のような 繁 多 な 貿 易 は 望 めなかった そこで さらなる 通 交 権 の 拡 大 が 模 索 された それが 宗 金 の 事 例 に 確 認 できる 博 多 商 人 の 受 図 書 人 化 である 九 州 探 題 と 密 接 に 関 係 して 朝 鮮 通 交 を 行 っていた 宗 金 は 自 分 の 通 交 の 拠 り 所 としていた 渋 川 氏 の 没 落 を 目 の 当 たりにした 直 後 朝 鮮 に 図 書 の 下 賜 を 要 請 し 受 図 書 人 として 独 自 の 通 交 権 を 確 立 してい る[ 佐 伯 ~106 頁 ] (4) 大 友 氏 との 連 携 渋 川 氏 没 落 以 降 朝 鮮 通 交 を 円 滑 に 遂 行 する 上 で 博 多 商 人 が 最 も 希 求 したのは 渋 川 氏 に 替 わる 有 力 者 と 提 携 し その 通 交 貿 易 を 担 うことであった なぜなら 当 該 期 朝 鮮 側 の 渡 航 者 に 対 する 対 応 として 書 契 による 統 制 に 加 えて 通 交 歴 のない 博 多 商 人 のような 倭 人 の 単 独 通 交 は 接 待 を 拒 否 される 傾 向 が 強 まっていたからである それ 故 彼 らは 朝 鮮 側 も 容 認 し 得 るほどの 有 力 者 の 存 在 を 切 望 した 渋 川 氏 没 落 後 の 博 多 は 少 弐 氏 大 内 氏 大 友 氏 などの 守 護 大 名 によ (10) (8) 世 宗 実 録 6 年 12 月 戊 午 条 (9) 世 宗 実 録 7 年 9 月 乙 卯 条 (10) 世 宗 実 録 16 年 1 月 庚 子 条 112

7 って 争 奪 戦 が 繰 り 広 げられたが 他 者 を 排 除 して 領 有 した 者 はいなかった[ 佐 伯 1978] しかし 1 おきのはま 429( 永 享 1) 年 大 友 持 直 が 博 多 息 浜 の 回 復 に 成 功 する 大 友 氏 が 領 有 した 息 浜 は 海 東 諸 国 紀 に 記 載 されるすべての 博 多 貿 易 商 人 が 集 住 した 当 該 期 博 多 における 貿 易 活 動 の 中 核 地 で あった[ 佐 伯 ~441 頁 ] しかも 渋 川 氏 没 落 後 渋 川 氏 が 保 有 していた 書 契 発 給 権 は 分 散 し 大 友 氏 は 佐 志 殿 や 志 佐 殿 と 共 にその 発 給 権 を 朝 鮮 側 から 黙 認 される 有 力 者 であった [ 中 村 頁 ] 宗 金 をはじめとする 博 多 商 人 からすれば 朝 鮮 側 から 大 友 殿 と 呼 称 さ れ さらに 書 契 による 統 制 の 根 幹 となる 書 契 発 給 権 も 有 する 大 友 氏 との 密 接 な 連 携 は 当 然 の 帰 結 であったといえる 1428( 世 宗 10) 年 末 早 速 宗 金 が 大 友 持 直 のために 朝 鮮 に 田 犬 2 隻 を 求 (11) (12) 請 している のは 象 徴 的 である 翌 年 7 月 大 友 持 直 は 初 めて 朝 鮮 に 使 節 を 派 遣 し 以 後 通 (13) 交 貿 易 を 継 続 した このように 大 友 氏 の 朝 鮮 通 交 開 始 の 契 機 となったのが 息 浜 の 獲 得 に 起 因 していることは 間 違 いない しかし 息 浜 は 大 友 領 国 において 近 隣 の 香 椎 志 摩 郡 と 共 に 遠 く 離 れた 飛 び 地 として 存 在 していたため 大 友 氏 による 息 浜 支 配 は 大 内 氏 が 配 下 の 家 臣 を 代 官 に 直 接 任 命 して 展 開 し た 博 多 支 配 [ 佐 伯 1985]ほど 強 力 ではなかったと 思 われる それ 故 当 初 大 友 氏 の 息 浜 支 配 を 担 う 代 官 には 博 多 商 人 宗 金 が 任 命 されていた[ 佐 伯 ~18 頁 ] このような 大 友 氏 と 息 浜 の 関 係 を 考 慮 すれば 大 友 氏 の 朝 鮮 通 交 に 対 する 指 向 性 は 自 らが 強 力 なイニシアティブを 持 っ て 直 接 展 開 するという 性 格 のものではなくて 多 くの 面 で 博 多 商 人 に 任 せられたものだったので はなかろうか まさに かつての 渋 川 氏 名 義 の 請 け 負 いや 名 義 借 通 交 のような 形 態 が 大 友 氏 と 博 多 商 人 の 間 でも 行 われていたものと 推 測 する( 類 型 Ⅲ 類 型 Ⅳ) さて 博 多 息 浜 を 領 有 した 大 友 持 直 であったが 1432( 永 享 4) 年 大 守 護 抑 圧 策 を 取 る 室 町 幕 府 ( 足 利 義 教 )が 大 友 家 家 督 相 続 に 干 渉 し 大 友 氏 惣 領 は 親 綱 ( 持 直 の 従 兄 弟 にあたる 親 著 の 子 )に 移 った さらに 幕 府 の 干 渉 は 大 内 氏 にも 及 んだため 大 内 家 内 部 にも 内 訌 が 勃 発 し ここに 少 弐 氏 も 交 わって 大 友 持 直 大 内 持 盛 少 弐 満 貞 ( 満 貞 は 1433 永 享 5 年 8 月 に 戦 死 )と 大 友 親 綱 大 内 持 世 の 対 立 が 生 まれた この 結 果 大 内 持 直 は 幕 府 の 支 持 ( 大 友 少 弐 御 治 罸 御 教 書 并 御 旗 )を 受 けた 大 内 持 世 に 敗 れ 1436( 永 享 8) 年 6 月 の 豊 後 姫 岳 城 落 城 後 没 落 した (14) しかし 朝 鮮 通 交 上 は 大 友 持 直 没 落 後 も 同 氏 名 義 の 通 交 は 継 続 されている しかも 彼 が (11) 世 宗 実 録 10 年 12 月 辛 卯 条 田 犬 とは 狩 りに 用 いる 犬 のことである (12) 世 宗 実 録 11 年 7 月 甲 戌 条 なお 大 友 氏 の 朝 鮮 通 交 を 扱 ったものに [ 外 山 1982 第 1 編 第 5 章 ]があるが 近 年 の 中 世 日 朝 関 係 史 研 究 の 成 果 を 鑑 みれば 修 正 すべき 箇 所 が 多 々ある (13) 大 友 持 直 の 使 者 には 宗 阿 弥 陀 仏 所 阿 弥 のように 阿 弥 号 を 有 する 時 衆 が 起 用 される 場 合 があった( 世 宗 実 録 19 年 8 月 戊 辰 条 20 年 6 月 戊 寅 条 ) 彼 らは 博 多 息 浜 にあって 土 居 道 場 とも 称 された 称 名 寺 の 関 係 者 と 推 測 される (14)その 後 の 大 友 持 直 の 動 向 は 不 詳 だが 志 賀 文 書 ( 続 編 年 大 友 史 料 号 ) 大 友 氏 系 図 ( 続 群 書 類 従 第 6 輯 上 ) 寛 政 重 修 諸 家 譜 などの 国 内 史 料 によれば 1445( 文 安 2) 年 1 月 4 日 に 死 去 したことになって いる 113

8 死 去 したと 伝 えられる1445( 文 安 2) 年 以 降 も 持 直 名 義 の 通 交 が 存 在 する (15) これらは まさにかつ て 渋 川 氏 が 没 落 した 直 後 の 状 況 と 非 常 に 類 似 している おそらく 博 多 商 人 たちは 持 直 使 送 を 請 け 負 っていたため 持 直 没 落 やその 死 後 も 通 交 権 を 確 保 することができたのであろう( 類 型 Ⅵ) なお 1439( 世 宗 21) 年 の 段 階 で 朝 鮮 側 が 近 年 大 友 殿 の 書 契 を 所 持 して 渡 航 する 者 が 多 いこと を 指 摘 しているが (16) その 実 態 は 博 多 商 人 が 大 友 殿 書 契 を 携 帯 して 通 交 貿 易 を 展 開 していたの であろう こうして 考 えてみると 15 世 紀 段 階 の 大 友 氏 の 朝 鮮 通 交 の 実 態 は 従 来 評 価 されている [ 外 山 1982]ほど 高 くないのではなかろうか おそらく その 内 実 は 持 直 使 送 のように 請 け 負 いや 偽 使 が 多 いのではなかろうか それは 海 東 諸 国 紀 大 友 殿 (17) の 記 載 を 見 ても 容 易 に 察 しが 付 く そこでは 永 享 年 間 以 降 に 勃 発 した 北 部 九 州 地 域 の 政 治 的 混 乱 に 対 する 大 友 氏 内 部 の 分 裂 状 況 が 述 べられているが これが 国 内 史 料 によって 復 元 できる 実 際 の 変 遷 と 合 致 していない これらの 情 報 は 朝 鮮 に 渡 航 した 複 数 系 統 の 大 友 氏 名 義 の 使 節 によってもたらされたものであり かつ 近 年 海 東 諸 国 紀 に 記 載 される 多 くの 日 本 側 通 交 者 が 偽 使 であったと 報 告 [ 長 2002b]され ていることなどを 考 慮 すれば 当 該 期 大 友 氏 の 朝 鮮 通 交 は 決 して 過 大 評 価 できないであろう 海 東 諸 国 紀 大 友 殿 の 末 尾 に 大 友 殿 は 九 州 に 於 て 兵 強 し 小 二 而 下 皆 之 に 敬 事 す 然 れど も 大 友 を 称 する 者 は 数 人 なり 豊 後 州 は 九 州 の 東 の 地 に 在 りて 最 も 遠 し 来 る 者 稀 少 にして 未 だ 能 く 其 の 真 偽 を 弁 ぜず とあるのは まさに 実 態 を 言 い 当 てているのではないか おそらく 大 友 氏 が 主 体 的 に 直 接 朝 鮮 通 交 を 展 開 するのは 日 朝 牙 符 を 獲 得 し 対 馬 宗 氏 と 接 触 のあった [ 橋 本 ~11 頁 ]16 世 紀 前 半 ではないかと 考 える い か (5) 中 央 政 権 との 連 携 博 多 商 人 は 大 友 氏 の 通 交 を 担 う 以 外 にも 通 交 統 制 を 回 避 する 手 段 を 講 じていた それが 中 央 政 権 ( 室 町 幕 府 )や 来 日 した 朝 鮮 通 信 使 との 接 触 である 当 該 期 足 利 義 教 の 朝 鮮 外 交 は 断 絶 から 再 開 に 転 じた 対 明 外 交 とは 裏 腹 に 朝 鮮 からの 使 節 への 回 礼 使 も 送 らず ただ 大 蔵 経 を 求 める 求 請 使 のみを 派 遣 するという 非 常 に 消 極 的 ともいえる 外 交 姿 勢 を 執 っていた[ 関 ~142 頁 ] この 状 況 下 幕 府 の 遣 明 船 再 開 (1432 永 享 4 年 )に 尽 力 した 宗 金 は[ 伊 藤 2002a 12 2~124 頁 ] 朝 鮮 通 信 使 朴 瑞 生 の 接 待 や 護 送 ( 及 び 護 送 に 便 乗 する 貿 易 も 実 行 ) 被 虜 人 送 還 や 有 効 な 日 本 情 報 を 提 供 することで 朝 鮮 側 の 歓 心 を 買 い 併 せて 室 町 幕 府 及 び 管 領 斯 波 氏 の 朝 鮮 通 交 を 代 行 する 立 場 を 獲 得 した[ 田 中 ~55 頁 ][ 佐 伯 ~116 頁 ] 宗 金 のこ うした 活 動 は 当 該 期 の 通 交 統 制 と 決 して 無 関 係 ではない 書 契 による 統 制 に 加 え 宗 貞 盛 が 使 送 船 や 興 利 船 に 対 馬 島 主 文 引 の 携 帯 義 務 まで 提 案 した 当 該 期 博 多 商 人 は 通 交 権 確 保 拡 大 のためのさらなる 工 夫 をしていた まさに 中 央 政 権 との 提 携 は 究 極 の 選 択 であったと 思 われる そして 宗 金 は 博 多 商 人 道 性 と 共 に 日 本 国 王 使 として 朝 鮮 に 渡 航 を 果 たし 1430( 世 宗 12) 年 2 (15) 例 えば 世 宗 実 録 19 年 5 月 乙 未 条 世 祖 実 録 2 年 4 月 庚 申 条 など (16) 世 宗 実 録 21 年 4 月 乙 未 条 (17) 申 叔 舟 著 田 中 健 夫 訳 注 海 東 諸 国 紀 ( 岩 波 文 庫 1991 年 )174~177 頁 114

9 月 に 辞 す 際 朝 鮮 側 から 日 本 国 王 のみならず 管 領 斯 波 義 淳 宛 ての 書 契 も 託 されている この 時 彼 は 自 分 自 身 が 日 本 国 王 使 の 使 節 として 渡 航 するのと 平 行 して 同 時 に 受 図 書 人 としての 通 交 権 も 行 使 し 宗 金 使 送 人 も 派 遣 (19) するなど 二 重 通 交 を 展 開 している まさに 宗 金 は 朝 鮮 側 の 通 交 統 制 の 網 にまったく 係 らない 日 本 国 王 使 を 活 用 して 通 交 貿 易 の 拡 大 を 図 ったといえる この 状 況 下 1431( 世 宗 13) 年 2 月 日 朝 通 交 の 場 で 初 めて 偽 日 本 国 王 使 が 登 場 する[ 関 1997] この 時 日 本 国 王 使 を 名 乗 る 舎 温 は 京 都 から 伝 送 されたという 書 契 を 所 持 して 渡 航 したが 朝 鮮 側 ( 足 利 義 教 ) はその 礼 儀 を 欠 いた 書 契 が 国 王 の 書 でないことを 見 破 っている し ろ う (20) (18) この 翌 年 大 蔵 経 を 求 請 す る 真 使 の 日 本 国 王 使 梵 齢 と 而 羅 ( 四 郎 宗 金 の 子 )がもたらした 書 契 に 比 三 数 歳 以 封 内 事 (21) 殷 間 缺 報 信 非 緩 也 とあり この3 年 間 国 王 使 の 通 交 がなかった 理 由 を 説 明 していることか らも 舎 温 の 国 王 使 が 偽 使 であったことは 確 実 である( 類 型 Ⅵ) では この 偽 日 本 国 王 使 は 誰 に よって 創 出 されたのであろうか 最 も 可 能 性 が 高 いのは この 偽 使 に 使 送 人 を 同 行 させている 宗 金 であろう[ 関 頁 ] つまり 博 多 商 人 が 国 王 使 の 使 節 になろうとしても 国 王 使 派 遣 の イニシアティブはあくまで 日 本 国 王 ( 室 町 殿 = 足 利 義 教 ) 側 にあり その 頻 度 は 彼 らの 欲 求 を 決 し て 満 たすものではなかった そこで 独 自 に 国 王 使 名 義 の 偽 使 を 創 出 して 自 由 意 志 に 基 づく 通 交 を 実 現 しようとしたのが 先 の 舎 温 の 偽 日 本 国 王 使 だといえる しかし 国 王 使 レヴェルの 偽 使 を 創 出 するには 先 例 を 踏 襲 し 敵 礼 にあった 国 書 ( 書 契 ) 使 節 礼 物 などを 用 意 する 必 要 があ る 東 アジア 的 規 模 で 通 交 貿 易 を 展 開 する 博 多 商 人 にとって 礼 物 の 調 達 は 問 題 なかったが 外 交 折 衝 ( 漢 詩 文 交 歓 [ 村 井 1995]なども 含 む)に 長 けた 使 節 ( 正 使 副 使 )の 人 選 や 遣 朝 鮮 国 書 の 偽 造 は 一 筋 縄 ではいかなかった 特 に 国 書 の 偽 造 は 容 易 ではなかったと 思 われる 国 王 使 の 国 書 の 文 面 は 修 辞 技 術 や 故 実 古 典 知 識 を 駆 使 して 作 成 されており この 種 の 漢 詩 文 能 力 に 長 けた 京 都 五 山 系 の 禅 僧 がその 都 度 選 定 されて 起 草 しており 最 後 に 徳 有 鄰 の 印 が 捺 印 さ れていた その 他 国 書 の 料 紙 やその 折 り 方 国 書 を 入 れる 書 箱 についても 一 定 度 の 慣 例 があっ た[ 橋 本 1997c][ 伊 藤 2002c] つまり 国 書 偽 造 のためには 一 定 度 の 技 術 (ノウハウ)が 必 要 とさ れたのである この 点 で 偽 日 本 国 王 使 を 初 めて 創 出 した 博 多 商 人 には そのようなノウハウはま だなかったといえる ゆえに 舎 温 の 偽 使 も 朝 鮮 側 に 書 契 の 不 審 点 を 指 摘 されたため 完 全 な 成 功 には 至 らず (22) 独 自 の 偽 日 本 国 王 使 の 派 遣 は 頓 挫 する (6) 宗 貞 盛 の 博 多 進 出 と 博 多 商 人 北 部 九 州 の 政 治 的 混 乱 が 続 いた 当 該 期 1431( 永 享 3) 年 11 月 に 大 内 持 世 の 豊 前 筑 前 進 攻 が 開 始 されると 少 弐 嘉 頼 の 出 陣 要 請 を 受 けた 宗 貞 盛 が 翌 年 3 月 4 日 以 前 に 筑 前 へ 渡 海 し 4 (18) 世 宗 実 録 12 年 2 月 壬 午 条 (19) 世 宗 実 録 11 年 12 月 己 亥 条 (20) 世 宗 実 録 13 年 2 月 丙 午 条 同 年 3 月 庚 午 条 (21) 世 宗 実 録 14 年 5 月 庚 辰 条 (22)ただし 朝 鮮 側 はこの 偽 日 本 国 王 使 に 対 しても 少 量 の 回 賜 品 を 下 賜 している( 世 宗 実 録 13 年 3 月 丁 丑 条 ) 115

10 月 には 博 多 を 掌 握 した[ 佐 伯 1978] 以 後 少 弐 宗 体 制 の 支 配 領 域 は 博 多 湾 岸 地 域 一 帯 に 及 んだ 宗 氏 による 博 多 の 軍 事 的 掌 握 は 宗 氏 が 博 多 対 馬 朝 鮮 という 主 要 流 通 ルートを 確 保 したことを 意 味 し これを 画 期 として 宗 貞 盛 の 朝 鮮 通 交 は 外 交 主 目 的 通 交 から 貿 易 を 主 目 的 とす る 通 交 に 変 化 している[ 荒 木 2003] (23) 対 馬 では 書 契 による 通 交 統 制 後 対 馬 島 内 の 中 小 領 主 のみならず 早 田 氏 のような 有 力 者 までもが 宗 貞 盛 の 名 義 を 借 りて 形 式 的 に 使 送 人 となって 貿 易 に 従 事 するなど( 類 型 Ⅳ) 貞 盛 は 在 地 勢 力 の 貿 易 活 動 を 通 交 統 制 を 利 用 することで 自 らの 統 制 内 に 吸 収 していた[ 長 ~168 頁 ][ 荒 木 2003] このような 動 向 が 宗 貞 盛 の 通 交 が 貿 易 主 体 となった 背 景 にあると 思 われるが この 名 義 借 通 交 のなかには 対 馬 島 内 勢 力 のみならず 博 多 商 人 の 存 在 があったと 考 えられる 物 資 の 集 散 地 博 多 は 宗 氏 にとって 自 らの 朝 鮮 通 交 貿 易 を 恒 常 的 かつ 円 滑 に 遂 行 していくためにも 重 要 な 拠 点 であった 即 ち 博 多 は 通 交 上 必 要 不 可 欠 な 物 資 の 調 達 を 行 う 場 であり 回 賜 品 の 転 売 を 行 う 主 要 な 市 場 であったといえる そのために 博 多 に 進 出 した 宗 氏 は 非 常 に 早 い 段 階 から 博 多 商 人 を 保 護 し 密 接 な 関 係 を 形 成 しようと 努 めてい る 一 方 博 多 商 人 側 も 渋 川 氏 没 落 後 博 多 息 浜 に 進 出 してきた 大 友 氏 と 結 んだように 通 交 統 制 の 渦 中 にあって 朝 鮮 通 交 に 精 通 し 書 契 発 給 権 も 保 有 する 宗 貞 盛 とも 密 接 な 関 係 を 結 び 自 らの 朝 鮮 通 交 権 を 確 保 したいという 意 識 が 強 かったと 思 われる 既 述 したように 朝 鮮 側 の 通 交 統 制 が 強 まる 中 博 多 商 人 は 独 自 に 通 交 することが 困 難 な 状 況 に 置 かれており 彼 らは 大 友 氏 名 義 の 通 交 貿 易 や 日 本 国 王 使 の 使 節 になったりと 様 々な 手 段 を 講 じていた(ただし 偽 日 本 国 王 使 の 創 出 には 失 敗 し 頓 挫 している) その 意 味 で 宗 氏 と 博 多 商 人 の 思 惑 は 朝 鮮 通 交 を 指 向 す る 上 で 合 致 しており おそらく 博 多 商 人 たちは 宗 貞 盛 の 名 義 借 通 交 を 行 っていたのであろう( 類 型 Ⅳ) 1434( 世 宗 16) 年 宗 貞 盛 が 朝 鮮 側 に 対 して 書 契 への 捺 印 箇 所 の 違 いによって 宗 貞 盛 自 身 の 通 交 と 諸 氏 の 通 交 ( 名 義 借 通 交 )を 区 別 するので 以 後 は 接 待 の 差 別 化 をするように 提 言 しているのは 如 何 に 貞 盛 の 名 義 借 通 交 が 多 かったのかを 物 語 っている[ 荒 木 頁 ] しかし 1436( 永 享 8) 年 の 北 部 九 州 をめぐる 攻 防 で 少 弐 宗 体 制 による 博 多 支 配 は 頓 挫 し 翌 年 5 月 から 大 内 持 世 の 積 極 的 な 博 多 支 配 が 開 始 される 以 後 宗 氏 による 博 多 支 配 が 復 活 す るのは 1440( 永 享 12) 年 大 内 持 世 の 申 請 によって 幕 府 が 少 弐 嘉 頼 を 赦 免 [ 佐 伯 1992]した 後 の 同 年 8 月 である ところで 宗 氏 が 博 多 支 配 から 撤 退 したこの 間 は 日 朝 通 交 における 統 制 が 強 ま った 時 期 でもある 従 来 日 朝 通 交 の 場 では 書 契 による 統 制 が 主 要 な 規 制 策 であったが 1426 ( 世 宗 8) 年 5 月 以 前 宗 貞 盛 は 使 送 船 興 利 船 に 対 して 対 馬 島 主 文 引 を 発 行 するので 朝 鮮 側 は 文 引 不 所 持 の 者 を 接 待 をしないで 欲 しいという 提 案 をした この 新 たな 提 案 は 1435( 世 宗 17) 年 受 図 書 人 に 対 しても 適 用 されることになり ここに 文 引 による 統 制 が 組 織 的 に 運 用 され 始 めた 受 図 書 人 である 宗 金 も 文 引 の 適 用 者 となったわけである そして 1438( 世 宗 20) 年 10 月 すべて の 日 本 側 通 交 者 ( 当 初 は 日 本 国 王 及 び 諸 巨 酋 使 は 対 象 外 )は 対 馬 島 主 文 引 を 所 持 して 渡 航 し なければならないという 文 引 の 制 が 確 立 した このような 通 交 統 制 の 適 用 は 博 多 商 人 の 朝 鮮 通 (23) 以 下 第 7 節 と 第 8 節 の 記 載 は [ 荒 木 2003]の 成 果 に 負 うところが 多 い 116

11 交 貿 易 に 多 大 な 影 響 を 及 ぼしたと 考 えられる それまで 九 州 探 題 渋 川 氏 名 義 大 友 氏 名 義 宗 貞 盛 名 義 の 偽 使 や 名 義 借 通 交 を 展 開 していた 博 多 商 人 ( 宗 金 は 受 図 書 人 としての 通 交 も)にとっ て すべての 通 交 形 態 が 文 引 による 統 制 の 対 象 となってしまったからである しかも 名 義 借 通 交 の 名 義 人 である 宗 貞 盛 は この 間 大 内 持 世 によって 博 多 支 配 から 撤 退 しており 博 多 商 人 によ る 朝 鮮 通 交 の 環 境 は 不 安 定 要 素 が 渦 巻 いていたといえる ところで 文 引 の 制 が 全 面 的 に 導 入 された 翌 年 の1439( 世 宗 21) 年 は 4 月 までの 時 点 で 今 年 使 人 無 慮 一 千 三 百 余 人 という 膨 大 な 渡 航 者 の 朝 鮮 通 交 が 確 認 され 朝 鮮 側 はその 接 待 に 窮 し た (24) 諸 処 使 送 人 の 多 くは 島 主 文 引 を 受 けずに 渡 航 する 者 ( 宗 貞 盛 以 外 の 発 給 する 文 引 を 受 けて 渡 航 する 者 も 含 む) 偽 造 書 契 や 塗 抹 書 契 を 所 持 して 渡 航 する 者 書 契 文 引 を 詐 偽 して 受 けて 渡 航 する 者 たちであった (25) つまり 文 引 の 制 導 入 により 日 本 から 朝 鮮 半 島 へ 渡 航 する 者 が 厳 密 に 管 理 された 結 果 従 来 見 過 ごされていた 多 くの 違 法 通 交 者 の 内 実 が 白 日 の 下 に 晒 さ れたわけである このため 朝 鮮 政 府 は 宗 貞 盛 に 対 して 敬 差 官 を 派 遣 し 諸 処 使 送 人 への 島 ( 九 州 ) 主 文 引 の 発 給 の 励 行 と 共 に 特 に 陸 地 諸 処 使 送 客 人 等 の 真 偽 を 厳 密 に 判 別 して 文 引 を 発 行 するように 指 示 している このことは 裏 を 返 せばこれ 以 前 の 朝 鮮 政 府 が 諸 処 使 送 人 の 多 様 な 偽 使 の 存 在 を 察 知 できずに( 或 いは 察 知 していたとしても 対 応 策 が 無 く) 受 容 していたことを 意 味 する さらに 同 年 10 月 朝 鮮 側 は 依 然 として 冒 受 書 契 而 来 者 が 横 行 する 事 態 を 憂 慮 して こ のような 書 契 を 所 持 して 渡 航 した 者 への 詳 細 な 対 応 策 を 決 定 した( 正 式 な 施 行 は 翌 年 1 月 から) (26) この 結 果 宗 貞 盛 宗 盛 国 宗 茂 直 名 義 の 書 契 を 偽 造 改 竄 して 渡 航 する 者 や 使 人 やその 名 義 を 詐 称 して 渡 航 する 偽 使 が 相 次 ぎ 時 には 宗 貞 盛 図 書 ( 宗 氏 都 都 熊 丸 図 書 )を 偽 造 ( 私 図 書 の 作 成 ) 偽 着 する 者 まで 登 場 したが 朝 鮮 側 は 偽 使 の 存 在 が 露 見 した 時 点 で 土 物 の 授 受 (27) を 拒 否 し 接 待 せずに 還 送 した さて ここで 朝 鮮 側 が 偽 使 として 宗 貞 盛 に 最 も 注 意 を 喚 起 したのは 九 州 の 使 送 人 の 所 持 する 書 契 である なぜなら 偽 使 の 実 態 として 宗 貞 盛 宗 彦 七 宗 茂 直 等 書 契 を 受 けてくる 倭 人 に は 対 馬 島 外 の 人 間 も 含 まれており 佐 志 殿 志 佐 殿 薩 摩 州 石 見 州 大 友 殿 書 契 を 受 けてくる ( 盛 国 ) 者 でも それを 偽 造 して 来 る 姦 詐 の 徒 が 多 く 含 まれていたからである 偽 造 改 竄 書 契 (29) (28) では ここに 見 るような を 所 持 して 通 交 した 九 州 使 送 人 の 正 体 は 誰 であろうか おそらく その 主 要 な 勢 力 として 博 多 商 人 の 存 在 があったものと 考 える 博 多 商 人 は これ 以 前 から 書 契 による 統 制 回 (24) 世 宗 実 録 21 年 4 月 甲 午 条 (25) 世 宗 実 録 21 年 4 月 乙 未 条 同 月 甲 辰 条 (26) 世 宗 実 録 21 年 10 月 乙 未 条 (27) 世 宗 実 録 21 年 10 月 甲 申 条 10 月 癸 未 条 11 月 丙 寅 条 11 月 己 未 条 12 月 己 卯 条 22 年 5 月 庚 申 条 24 年 10 月 壬 子 条 27 年 6 月 辛 亥 条 (28) 世 宗 実 録 21 年 4 月 乙 未 条 (29) 書 契 偽 造 とは オリジナルな 書 契 が 存 在 せず 始 めから 作 成 された 偽 書 のことをいう 改 竄 書 契 とは オリジナ ルな 書 契 が 存 在 し オリジナルを 参 考 にして 文 面 を 改 竄 することで 作 成 されたものをいう 117

12 避 策 として 九 州 探 題 渋 川 氏 名 義 大 友 氏 名 義 宗 貞 盛 名 義 の 偽 使 や 名 義 借 通 交 を 展 開 してい た しかも 偽 造 書 契 の 名 義 として 宗 貞 盛 と 共 に 名 前 が 挙 げられている 宗 盛 国 や 宗 茂 直 は 宗 氏 が 筑 前 へ 進 出 した 際 に 積 極 的 な 博 多 支 配 を 展 開 し 博 多 商 人 と 関 係 を 深 めていた 人 物 である 宗 氏 の 博 多 撤 退 に 伴 い 博 多 商 人 は 文 引 発 給 者 の 宗 氏 と 恒 常 的 に 連 携 することが 不 可 能 とな り 先 のような 偽 使 創 出 に 至 ったものと 推 測 される しかも 通 交 統 制 の 遵 守 を 求 める 朝 鮮 側 の 対 応 によって 博 多 商 人 による 各 種 名 義 の 使 送 人 の 大 量 派 遣 が 不 可 能 となったため それらが 統 制 を 回 避 し 貿 易 を 展 開 できる 合 法 的 手 段 として 有 効 なものとはなり 得 なくなったのである しかし 通 交 統 制 を 回 避 するために 書 契 や 文 引 の 偽 造 改 竄 図 書 の 偽 造 偽 着 詐 称 といったあらゆ る 手 段 を 駆 使 してまでも 貿 易 を 実 現 しようと 試 みた 彼 らの 論 理 や 思 考 は その 技 術 がいまだ 未 熟 だったとはいえ 後 々 本 格 的 に 登 場 する 偽 使 創 出 テクニックへの 経 験 胎 動 となったといえる (7) 癸 亥 約 条 の 成 立 とその 影 響 1440( 永 享 12) 年 8 月 以 降 博 多 は 宗 氏 と 大 内 氏 による 断 続 的 な 支 配 が 続 くが 1447( 文 安 4) 年 大 内 教 弘 が 筑 前 守 護 に 補 任 されると 少 弐 宗 体 制 は 弱 体 化 し 宗 貞 盛 自 身 筑 前 で 多 くの 知 行 地 を 喪 失 して 対 馬 に 帰 島 した この 間 短 期 的 にではあるが 宗 氏 の 博 多 支 配 が 復 活 した 時 期 もあることから 博 多 商 人 による 宗 貞 盛 の 名 義 借 通 交 が 再 開 されたのであろう しかし この 通 交 形 態 は 1443( 世 宗 25) 年 宗 貞 盛 と 朝 鮮 との 間 で 交 わされた 癸 亥 約 条 によって 著 しく 低 下 する 即 ち 対 馬 島 主 の 歳 遣 船 が50 船 に 限 定 されたため 貞 盛 の 名 義 借 通 交 権 が 縮 小 してしまったので ある( 同 時 に 朝 鮮 は 対 馬 島 郡 主 宗 氏 との 間 にも 順 次 歳 遣 船 定 約 を 導 入 ) しかも 多 数 の 宗 氏 被 官 が 筑 前 肥 前 の 所 領 を 喪 失 し その 代 替 給 付 として 歳 遣 船 の 所 務 を 希 求 し 歳 遣 船 の 知 行 対 象 化 が 進 行 したことで[ 荒 木 2003] 宗 氏 名 義 による 博 多 商 人 の 通 交 権 が 保 障 されなくなった こ こに 至 って 博 多 商 人 は 書 契 文 引 による 統 制 策 を 合 法 的 に 回 避 する 新 たな 手 段 を 模 索 すること になる その1つが 日 本 国 王 使 への 便 乗 である( 類 型 Ⅱ) 重 要 な 事 例 であるので 以 下 に 詳 述 する 1 もんけいしょうゆう 448( 世 宗 30) 年 文 渓 正 祐 を 正 使 として 京 都 南 禅 寺 のために 大 蔵 経 を 求 請 する 日 本 国 王 使 が 朝 鮮 に 渡 海 した 同 年 6 月 文 渓 正 祐 らは 勤 政 殿 で 世 宗 と 謁 見 し 国 書 を 献 上 した 国 書 には 足 ( 義 政 ) (30) 利 義 成 が 朝 鮮 に 大 蔵 経 を 求 請 する 旨 が 書 かれていたが これを 見 た 世 宗 は 不 信 感 を 抱 いた 実 は これ 以 前 文 渓 正 祐 は 宣 慰 使 姜 孟 卿 に 対 して 進 香 輝 徳 殿 と 請 蔵 経 のために 渡 航 したことを 告 げ さらに 礼 曹 諸 位 閣 下 に 宛 てて 源 義 成 雖 接 兄 之 武 而 即 其 位 ( 世 宗 29 年 ) ( 銜 ) 然 歳 尚 幼 矣 不 克 嗣 音 国 人 為 之 怏 怏 去 歳 丁 卯 八 月 特 擢 小 僧 以 衘 修 好 之 命 竊 ( 世 宗 28 年 ) ( 文 渓 ) 承 太 上 皇 后 前 年 厭 世 両 国 中 間 鯨 波 万 里 不 能 当 時 相 恤 因 循 至 今 茲 命 小 僧 虔 備 禴 祭 于 月 宇 下 故 装 小 舩 以 載 土 宜 若 干 所 以 別 凶 事 伏 丐 大 朝 粛 拝 之 後 択 日 二 三 子 ( 経 ) 謹 詣 尊 廟 諷 演 仏 径 以 祈 冥 福 是 則 我 王 之 命 而 小 僧 将 之 亮 察 太 平 興 国 南 禅 寺 廻 我 朝 第 一 禅 刹 而 王 臣 尤 崇 敬 之 頃 者 鬱 攸 作 変 法 宝 盡 燼 上 下 失 所 依 帰 唯 願 獲 一 大 (30) 世 宗 実 録 30 年 6 月 乙 亥 条 118

13 蔵 経 七 千 余 巻 以 付 回 舶 我 王 書 中 已 言 之 詳 矣 預 令 左 右 知 之 勿 勿 恠 恠 ( 傍 線 は 筆 者 による)と 予 め 連 絡 ( 宣 伝 )していたのである (31) しかし 世 宗 が 実 際 に 見 た 足 利 義 成 国 書 には 講 和 請 経 のことのみ 記 されるだけで 進 香 の 件 は 一 切 記 されてい なかった つまり 文 渓 正 祐 が 事 前 に 進 香 と 請 蔵 経 について 国 書 の 中 で 詳 述 され ている( 傍 線 部 分 )と 連 絡 したことと 実 際 の 国 書 の 内 容 に 齟 齬 があったのである さら に 進 香 のための 祭 文 も 国 王 之 文 ではなくて 文 渓 の 起 草 した 文 であったため(ただ し この 祭 文 自 体 は 立 派 なものであった[ 村 井 頁 ]) 政 府 内 で 問 題 となったの である 朝 鮮 政 府 と 文 渓 正 祐 の 間 で 激 しい 議 論 が 交 わされたが 結 局 日 本 国 王 使 臣 の 輝 徳 殿 への 進 香 は 叶 った しかし 翌 月 (7 月 ) 漂 流 民 送 還 のために 壱 岐 島 に 派 遣 されていた 司 訳 院 判 官 の 皮 尚 (32) 宜 が 帰 国 すると 新 たな 問 題 が 発 生 した 皮 尚 宜 は 帰 途 に 対 馬 の 宗 貞 盛 の 所 に 寄 った 際 室 町 幕 府 から 宗 貞 盛 に 宛 てて 出 された 日 本 国 王 教 書 を 見 て 帰 国 していた そして 彼 の 見 た 教 書 の 中 に 使 臣 船 一 と 記 載 されていたにも 関 わらず 文 渓 正 祐 たちが3 艘 の 船 で 渡 航 しているのを 見 て 3 艘 のうち2 艘 は 博 多 興 利 の 人 の 船 なので 国 王 使 と 同 等 の 接 待 や 賜 物 を 与 えてはならない と 進 言 した 政 府 礼 曹 は このまま 放 置 して 博 多 興 利 人 (= 博 多 商 人 )と 日 本 国 王 使 臣 を 同 じように 扱 えば 今 後 日 本 国 王 使 の 船 数 が 必 ず 倍 増 し 朝 鮮 側 の 負 担 が 救 い 難 いことになることを 危 惧 した 結 果 世 宗 の 許 可 のも と 姜 孟 卿 を 北 平 館 の 文 渓 正 祐 のところへ 派 遣 して 詰 責 させた 以 下 その 問 答 を 再 現 し てみる 文 渓 正 祐 : 私 たちの 船 は 本 国 の 船 ではありません 博 多 に 来 た 時 博 多 人 で 随 伴 を 希 望 する 者 がいました 船 が 小 さく (また 求 請 して 持 って 帰 ろうとする) 大 蔵 経 も 多 いた め 小 船 だけでは 積 めないだろうと 思 い 2 艘 を 加 えて( 朝 鮮 に) 渡 航 しました と 姜 孟 卿 : 以 前 ( 日 本 国 王 使 が ) 大 蔵 経 を 求 請 した 時 は ただ1 艘 のみだった また 我 ( 朝 鮮 ) 国 ( 日 本 ) が 貴 国 に 使 節 を 派 遣 する 際 は ただ 正 式 な 使 節 のみで 京 都 に 赴 き 多 くの 商 人 を 率 いていくことはない と 文 渓 正 祐 礼 曹 の 言 われることはごもっともです ただ 彼 らが 私 のことを 父 母 のように 視 るので 情 が 移 ってしまいました 今 もし 彼 らを 別 の 所 ( 東 平 館 )に 移 したら 必 ず 不 満 に 思 って 恨 むでしょう どうか 同 じ 所 に 居 させて 下 さい と さらに 他 日 再 度 日 本 国 王 使 臣 と 姜 孟 卿 の 間 で 次 のようなやり 取 りもあった (31) 世 宗 実 録 30 年 4 月 壬 午 条 (32) 以 下 問 答 の 部 分 まで すべて 世 宗 実 録 30 年 7 月 己 丑 条 より 119

14 副 官 人 某 : 私 たちの 船 が 破 損 してしまいました どうか 修 理 して 頂 けないでしょうか と 姜 孟 卿 : その 船 は 官 人 ( 日 本 国 王 使 )の 船 ではない 博 多 商 人 の 船 だ どうしてあなた ( 副 官 人 )の 要 請 で 礼 曹 に(その 要 請 を) 報 告 しなくてはならないのか と 副 官 人 某 :( 姜 孟 卿 の 言 に 怒 りながら ) 宣 慰 使 は 私 のことを 商 人 だとおっしゃるのか 私 は 京 都 南 禅 寺 の 僧 である と 文 渓 正 祐 : ( 明 ) 私 たちはかつて 江 南 に 往 来 したことがありますが ( 渡 航 ) 船 数 が7 8 艘 でも (33) ( 船 数 の ) 多 い 少 ないは 問 われませんでした また 以 前 本 国 の 使 船 17 艘 で ( 朝 鮮 に) 渡 航 した 際 も ( 船 数 が) 多 いとは 言 われませんでした 我 々が 初 めて 浦 所 に 着 いた 時 宣 慰 使 は 強 いて 丹 木 銅 鉄 を 漢 城 (で 貿 易 するため)に 輸 送 しない と 言 われました だから 私 は( 日 本 に) 帰 国 しようと 永 澄 浦 まで 行 った 所 そ この 万 戸 が 丹 木 銅 鉄 を 請 うたため ( 我 々は) 戻 ったのです その 後 丹 木 など の 物 は 結 局 漢 城 に 輸 送 されませんでした (それにも 関 わらず)また 渡 航 した 船 数 を 取 り 上 げて( 私 たちを) 詰 責 しています これでは 修 好 しようとは 思 え ません 我 々は( 日 本 に) 帰 国 した 後 再 び 渡 航 することを 誰 が 望 みましょうか (いや 思 わない ) と 姜 孟 卿 : 我 国 は もともと 日 本 国 王 使 の 船 数 が 多 いとは 申 していません ただ ( 幕 府 か ら 宗 貞 盛 に 出 された) 教 書 に ( 国 王 使 船 は)1 艘 と 記 載 してあるのを 聞 き 残 り の2 艘 が 商 船 であることが( 分 かったので ) 両 者 を 同 一 に 接 待 することはできな いと( 言 っているだけです ) 正 ( 文 渓 ) 使 (への 接 待 を) 尊 んで 商 売 を 抑 制 しようとし ているだけです (それにも 関 わらず )あなたは ( 文 渓 ) 学 問 に 精 通 しておられるのに なぜこのような 軽 率 なことを 言 われるのですか 両 国 の 通 好 は 一 官 人 (の 軽 々 しい 言 動 に) 左 右 されるものではありません と 結 局 この 顛 末 は 世 宗 が 文 渓 正 祐 の 懇 請 を 受 け 入 れて 北 平 館 の2ヶ 所 で 国 王 使 と 博 多 商 人 を 接 待 し 博 多 商 人 の 船 の 修 理 は 先 例 に 任 せて 行 われることになった さて 些 か 長 い 状 況 説 明 となってしまったが 今 回 の 日 本 国 王 使 に 博 多 商 人 の 商 船 2 艘 が 合 流 し 商 人 たちも 国 王 使 レヴェルの 接 待 を 享 受 しようと 画 策 していたことが 分 かった しかも 皮 尚 宜 の 証 言 を 考 慮 すれば この 時 の 使 節 は 対 馬 宗 氏 との 連 携 はなく 博 多 商 人 単 独 の 行 動 であ ったことが 分 かる かつて 博 多 商 人 は1431( 世 宗 13) 年 に 単 独 で 偽 日 本 国 王 使 を 派 遣 したことが あったが 朝 鮮 側 に 見 破 られ 以 後 この 種 の 偽 使 は 頓 挫 していた しかし 当 該 期 書 契 文 引 に ( 薺 浦 ) (33)この 文 渓 正 祐 に 発 言 によって 彼 がこれ 以 前 の 遣 明 船 に 乗 船 して 入 明 していたことが 分 かる 状 況 的 に 永 享 4 年 度 (1432)か 永 享 6 年 度 (1434)の 遣 明 船 に 乗 船 していた 可 能 性 が 高 い 120

15 よる 統 制 が 確 立 し 癸 亥 約 条 の 成 立 も 加 わって 博 多 商 人 をめぐる 朝 鮮 通 交 権 は 縮 小 しつつあっ た この 状 況 下 まさに 博 多 商 人 の 朝 鮮 通 交 に 対 する 欲 求 が 高 まっていた 時 京 都 から 日 本 国 王 使 ( 南 禅 寺 請 経 船 )が 博 多 に 到 着 したのである そして その 正 使 が 文 渓 正 祐 であったことが 重 要 といえる 実 は 文 渓 正 祐 は1419( 世 宗 1) 年 己 亥 東 征 ( 応 永 の 外 寇 ) 直 前 に 九 州 探 題 渋 川 氏 の 使 節 として 朝 鮮 に 渡 航 したことがある 人 物 であった (34) その 際 朝 鮮 への 帰 化 を 求 めたが この 願 むが いりょうげい いは 己 亥 東 征 ( 応 永 の 外 寇 )の 勃 発 によって 挫 折 し 日 本 国 王 使 無 涯 亮 倪 らと 共 に 帰 国 した 彼 は 日 本 回 礼 使 宋 希 璟 らと 博 多 で 交 歓 する 一 方 1425( 世 宗 7) 年 にも 朝 鮮 に 渡 航 して 舎 利 殿 寺 の 老 僧 らと 詩 文 の 応 酬 を 行 っている 1440( 世 宗 22) 年 には 彼 の 弟 子 の 知 融 なる 僧 も 朝 鮮 に 渡 海 している その 後 文 渓 正 祐 は 博 多 での 活 動 の 後 京 都 に 上 洛 し 相 国 寺 などに 関 与 していたよ ( 京 都 ) うであるが 南 禅 寺 請 経 使 としての 渡 海 直 前 は 白 河 建 聖 院 の 住 持 であった (35) つまり この 時 の 日 本 国 王 使 の 正 使 文 渓 正 祐 と 博 多 商 人 とは 旧 知 の 間 柄 であり 博 多 商 人 はこのコネクションを 利 用 し 高 まる 朝 鮮 通 交 貿 易 への 欲 求 を 打 開 する 方 策 として 真 使 の 日 本 国 王 使 に 便 乗 する 形 態 で の 連 携 を 試 みたわけである しかも 日 本 国 王 使 名 義 なら 対 馬 島 主 の 文 引 の 統 制 を 受 けること もなかった この 日 本 国 王 使 には 宣 慰 使 姜 孟 卿 が 昔 から 日 本 国 王 使 の 船 は1 艘 で 渡 航 し 人 も100 余 人 を 過 ぎなかったが 今 回 は3 艘 で 来 て 人 も400 人 ばかりいる と 指 摘 していること から 多 数 の 博 多 商 人 が 参 画 していたことが 窺 われる そのことを 象 徴 するようにこの 国 王 使 は 本 来 の 渡 航 目 的 ( 南 禅 寺 のための 大 蔵 経 求 請 ) 以 外 にも 大 量 の 丹 木 と 銅 鉄 を 漢 城 で 貿 易 しようとしていた しかも 朝 鮮 滞 在 中 皮 尚 宜 の 進 言 によって 博 多 商 人 とその 商 船 の 随 伴 が 発 覚 した 時 でさえ 文 渓 正 祐 と 副 官 人 ( 南 禅 寺 僧 )が 博 多 商 人 の 利 害 のため に 尽 力 しており 如 何 にこの 使 節 が 博 多 商 人 と 結 託 していたのかが 窺 われる なお 文 渓 正 祐 が 執 拗 に 要 請 した 太 上 皇 后 への 進 香 も 本 来 文 渓 正 祐 と 博 多 商 人 の 目 的 の1つであったと 思 われる 進 香 を 望 むことで 朝 鮮 側 の 歓 心 を 買 い より 良 い 厚 遇 を 得 ようとしたのであろう しかし 文 渓 正 祐 が 連 絡 した 進 香 の 件 が 国 書 に 記 載 されていなか ったため 世 宗 の 不 信 感 を 促 してしまった ここで 文 渓 正 祐 がもたらした 足 利 義 成 国 書 について 見 てみたい この 国 書 で 最 も 特 徴 的 なのは 正 ( 1 統 4 十 4 7 二 ) 年 八 月 日 という 明 年 号 を 使 用 している 点 である 実 は 室 町 幕 府 ( 室 町 殿 ) が 朝 鮮 国 王 に 宛 てて 発 給 した 国 書 の 年 号 表 記 は 基 本 的 に 干 支 表 記 であった [ 高 橋 頁 ] (37) 先 の 国 書 は 当 該 期 の 日 本 側 国 書 の 様 式 として 異 例 中 の 異 例 である (36) (34) 世 宗 実 録 1 年 5 月 丁 卯 条 以 下 文 渓 正 祐 に 関 する 記 述 は 特 に 記 さない 限 り[ 村 井 ~141 頁 ]を 参 考 としている (35) 建 内 記 文 安 4 年 11 月 26 日 条 (36) 世 宗 実 録 30 年 7 月 己 丑 条 (37)ただし 足 利 義 満 冊 封 以 前 と 足 利 義 持 期 は 日 本 年 号 義 満 冊 封 期 ( 死 後 の 翌 年 まで)は 明 年 号 を 使 用 してい る[ 高 橋 1982] 121

16 また 足 利 義 政 が 国 書 の 中 で 日 本 国 王 を 自 称 しているのも 珍 しい (38) 足 利 義 持 以 降 に おける 室 町 殿 の 対 朝 鮮 外 交 称 号 は 基 本 的 に 日 本 国 源 某 であったからである[ 高 橋 19 92] さらに 別 幅 に 記 載 された 進 物 は 朝 鮮 側 からすべて 粗 悪 で 封 緘 されていないと 不 審 がられている (39) 確 かに この 時 国 王 使 がもたらした 進 物 は 他 の 国 王 使 の 事 例 と 比 べ て 香 胡 椒 蘇 木 など 南 海 産 物 の 割 合 が 多 い 以 上 の 諸 点 を 整 合 的 に 考 えれば この 時 の 足 利 義 成 国 書 は 博 多 で 偽 造 改 竄 された 可 能 性 が 非 常 に 高 いと 言 わざるを 得 ない 文 渓 正 祐 は 進 香 を 要 求 する 理 由 として 博 多 で 世 宗 妃 が 死 去 したことを 知 り このこ ( 足 利 義 政 ) とを 国 王 に 報 告 した 所 国 王 が 僧 侶 を 率 い 祭 文 を 備 えて 進 香 するように 指 示 したからだ と 姜 孟 卿 に 説 明 している (40) つまり 京 都 を 出 発 する 時 点 で 国 書 に 進 香 の 件 を 書 き 込 む ことは 不 可 能 だったのである しかし 使 節 が 薺 浦 から 礼 曹 に 連 絡 した 際 には 文 渓 正 祐 は 国 書 の 中 に 進 香 の 件 が 記 されていると 断 言 している つまり 彼 の 発 言 は 博 多 で 国 書 を 改 竄 したことを 示 しているのである おそらく 博 多 商 人 との 連 携 を 決 めた 時 点 で 国 王 使 と 博 多 商 人 は 前 年 に 死 去 した 世 宗 妃 (41) の 情 報 を 利 用 することを 思 い 付 き これに 進 香 す ることで 朝 鮮 側 からさらなる 厚 遇 を 得 ようと 考 えたのであろう 進 香 は 宗 氏 ( 後 には 偽 使 も)などが 朝 鮮 の 歓 心 を 得 るために 朝 鮮 国 王 の 代 替 わりなどに 行 った 主 要 な 通 交 名 目 (38) 九 州 国 立 博 物 館 ( 仮 称 ) 設 立 準 備 室 研 究 員 橋 本 雄 氏 のご 教 示 による (39) 世 宗 実 録 30 年 7 月 丙 戌 条 (40) 世 宗 実 録 30 年 6 月 乙 亥 条 (41) 世 宗 妃 は 世 宗 28 年 3 月 24 日 に 死 去 している( 璿 源 系 譜 震 檀 学 会 編 韓 国 史 年 表 乙 酉 文 化 社 1959 年 354 頁 ) 122

17 である (42) 事 実 文 渓 正 祐 らは( 上 副 官 人 侍 奉 僧 船 主 ) 紆 余 曲 折 を 経 て 進 香 を 果 た した 際 朝 鮮 側 から 回 賜 品 を 獲 得 している (43) しかし 彼 らは 改 竄 国 書 に 肝 心 の 進 香 の 件 を 書 き 忘 れてしまったのである 足 利 義 成 国 書 が 博 多 で 偽 造 改 竄 されたことを 考 えれば 年 号 を 通 常 の 干 支 でなく 明 年 号 で 表 記 してしまった 理 由 も 理 解 できる また 進 物 が 粗 悪 であった 点 も 博 多 商 人 が 貿 易 の 利 を 上 げるために 南 禅 寺 が 求 請 船 のために 用 意 した 進 物 の 大 部 分 を 南 海 産 物 に 入 れ 替 えたのであろう このように 通 交 統 制 を 回 避 するために 博 多 商 人 が 真 使 の 日 本 国 王 使 に 便 乗 している 様 子 を 詳 細 に 確 認 することができた 真 使 の 国 王 使 とはいっても その 国 書 は 博 多 で 博 多 商 人 の 意 向 を 反 映 した 形 で 改 竄 されており 完 全 な 真 使 とは 言 い 難 い しかし この 時 博 多 商 人 が 行 った 国 書 改 竄 技 術 は 進 香 の 件 を 書 き 忘 れたケアレスミスや 明 年 号 の 使 用 といった 点 を 除 けば 1431( 世 宗 13) 年 の 偽 日 本 国 王 使 舎 温 のもたらした 偽 書 と 比 べて 遙 かに 完 成 度 の 高 い 物 であったことが 分 かる そしてこのような 技 術 が その 後 の 大 規 模 偽 使 創 出 の 際 に 活 用 されたことは 容 易 に 察 せ (42) 15 世 紀 における 進 香 目 的 の 使 節 ( 偽 使 を 中 心 にして ) 時 期 通 交 名 義 使 者 世 宗 28/12/ 己 未 対 馬 州 宗 貞 盛 道 誾 文 宗 即 /7/ 己 酉 一 岐 州 留 源 聞 正 倫 文 宗 即 /7/ 己 酉 対 馬 州 宗 貞 盛 光 軌 文 宗 即 /9/ 丙 辰 対 馬 州 宗 盛 弘 迎 山 文 宗 即 /12/ 壬 申 一 岐 州 真 弓 兵 部 少 輔 源 永 元 少 只 文 宗 1/5/ 癸 亥 対 馬 島 宗 虎 熊 丸 可 知 老 時 今 甫 文 宗 1/8/ 己 巳 関 西 路 九 州 総 官 源 教 直 霊 旭 端 宗 1/2/ 壬 寅 対 馬 州 宗 盛 直 中 堪 端 宗 1/2/ 壬 寅 宗 虎 熊 丸 加 知 時 只 文 睿 宗 1/6/ 戊 辰 筑 前 州 太 宰 府 都 督 司 馬 少 卿 頼 忠 成 宗 即 /12/ 甲 子 関 西 路 九 州 都 元 帥 源 教 直 信 沙 也 文 成 宗 1/7/ 辛 卯 成 宗 1/7/ 乙 未 成 宗 1/8/ 壬 子 成 宗 1/8/ 己 未 西 海 道 肥 前 州 松 浦 丹 後 太 守 源 盛 筑 前 州 冷 泉 津 藤 氏 母 薩 州 伊 集 院 寓 鎮 隅 州 太 守 藤 熙 久 薩 摩 州 伊 集 院 寓 鎮 隅 州 太 守 藤 原 熙 久 成 宗 1/11/ 乙 亥 関 西 道 九 州 都 元 帥 源 教 直 珍 佐 師 なお 時 代 は 下 るが 1579( 天 正 7) 年 に 派 遣 された 右 武 衛 殿 名 義 の 偽 使 も 1577( 宣 祖 10) 年 11月 29 日 に 死 去 し た 仁 宗 妃 を 弔 慰 進 香 する 目 的 で 規 定 外 の 別 遣 船 を 仕 立 てて 渡 海 し 朝 鮮 側 ともめている 偽 右 武 衛 殿 使 を 創 出 した 対 馬 宗 氏 が 貿 易 拡 大 目 的 で 進 香 を 大 義 名 分 に 船 の 加 増 接 待 を 目 論 んだのは 明 らかである なお この 時 の 正 使 は 対 馬 の 外 交 僧 天 荊 であった[ 米 谷 ~141 頁 ]( 米 谷 均 氏 のご 教 示 ) (43) 世 宗 実 録 30 年 6 月 乙 亥 条 123

18 られる (8) 新 たな 通 交 権 の 模 索 しかし 単 発 的 な 日 本 国 王 使 との 連 携 のみでは 博 多 商 人 の 通 交 権 が 拡 大 したことにはならな い そのため 博 多 商 人 の 中 には 琉 球 国 王 使 の 通 交 を 請 け 負 うことで 朝 鮮 通 交 を 実 現 しようと する 者 が 登 場 する 博 多 商 人 道 安 は 1453( 端 宗 1) 年 琉 球 国 中 山 王 尚 金 福 の 使 節 として 渡 航 し 朝 鮮 に 博 多 薩 摩 琉 球 相 距 地 図 を 献 上 した[ 田 中 頁 ]( 類 型 Ⅲ) 1455( 世 祖 1) 年 には 漂 流 民 送 還 を 名 目 に 大 量 の 銅 鑞 鉄 と 正 布 を 持 ち 込 み 大 規 模 貿 易 を 目 論 んだが これ は 琉 球 国 王 名 義 を 利 用 した 偽 使 であった[ 橋 本 1997b]( 類 型 Ⅵ) これが 確 実 に 博 多 商 人 が 仕 立 てた 偽 琉 球 国 王 使 の 初 見 である 1457( 世 祖 3) 年 にも 大 規 模 貿 易 を 目 的 に 朝 鮮 へ 赴 いてい るが この 時 の 琉 球 国 王 使 も 琉 球 側 の 意 を 一 定 度 含 み 込 むものの 道 安 色 の 強 い 琉 球 国 王 使 で あった( 類 型 Ⅲ) このような 道 安 の 活 動 は 博 多 商 人 による 新 たな 朝 鮮 通 交 権 獲 得 への 動 きと 見 て 良 かろう しかし 1457( 世 祖 3) 年 の 使 節 は 帰 途 の 対 馬 島 で 朝 鮮 から 琉 球 に 贈 られた 綿 布 紬 布 書 契 を 略 奪 されたと 道 安 が 朝 鮮 政 府 に 報 告 している 朝 鮮 側 が 宗 成 職 に 問 いただした 所 道 安 の 申 し 立 ては 虚 説 であり このような 妄 語 虚 説 姦 曲 の 輩 は 朝 鮮 に 留 め 置 かれて 急 々に 示 し 賜 われ ば 成 職 より 成 敗 すると 反 論 した[ 佐 伯 2003] 結 局 朝 鮮 側 は 宗 氏 の 主 張 を 支 持 したようだが 実 際 はどうであろうか 当 該 期 の 対 馬 は 次 章 で 詳 説 するように 深 処 倭 名 義 や 王 城 大 臣 使 の 偽 使 通 交 権 を 大 規 模 に 行 使 することで 通 交 権 の 拡 大 を 目 論 んでいた この 状 況 下 琉 球 国 王 使 の 真 使 や 偽 使 を 独 自 に 展 開 する 道 安 の 朝 鮮 通 交 は 文 引 による 通 交 統 制 を 受 けることなく 大 規 模 に 展 開 されていた 道 安 の 通 交 形 態 は 朝 鮮 通 交 の 場 でイニシアティブを 握 りたい 宗 氏 にとっ て 非 常 に 目 障 りなものであったことは 容 易 に 察 しが 付 く 時 代 的 には16 世 紀 の 史 料 となるが 対 馬 宗 氏 が 博 多 津 之 仁 (= 博 多 商 人 )に 向 かって 宗 氏 に 対 して 疎 儀 を 為 すようなことがあった ら 1 人 も 便 船 之 儀 (= 朝 鮮 渡 海 船 )の 便 宜 を 図 らない (たとえ) 対 馬 に 渡 海 して 来 てもそこで 留 められるから よく 心 得 ろ (44) と 注 意 を 喚 起 している 場 合 があるが 恐 らく 基 本 的 に15 世 紀 の 対 馬 宗 氏 も 同 じ 論 理 ではなかろうか この 結 果 道 安 の 琉 朝 通 交 は 対 馬 によって 妨 害 され 以 後 彼 が 琉 球 国 王 使 名 義 の 使 節 として 朝 鮮 に 渡 海 することはなくなった 即 ち 対 馬 宗 氏 によって 道 安 が 琉 朝 通 交 (のうちの 博 多 対 馬 三 浦 という 部 分 )の 場 から 排 除 されたのである 道 安 の 朝 鮮 通 交 が 復 活 するのは 先 の 事 件 の11 年 後 の1468( 睿 宗 即 位 ) 年 である しかし こ れは 受 職 人 としての 通 交 であった おそらく この 通 交 の 空 白 期 間 に 道 安 は 対 馬 宗 氏 との 仲 を 復 旧 したのであろう 以 後 道 安 は 一 貫 して 受 職 人 として 通 交 している[ 佐 伯 2003] このことは 言 い 換 えれば 道 安 が 朝 鮮 通 交 の 場 で 対 馬 宗 氏 の 管 轄 下 に 入 ったことを 意 味 している ところで 道 安 は 1455( 世 祖 1) 年 に 受 図 書 人 となっている 当 該 期 受 図 書 人 となる 博 多 商 人 には 宗 家 茂 ( 宗 金 の 子 )( 世 祖 1 年 に 受 図 書 ) 藤 原 信 重 ( 世 祖 2 年 に 受 図 書 )がいる[ 中 村 196 (44) 大 永 享 禄 之 比 御 状 并 書 状 之 跡 付 64 号 ([ 田 中 ~464 頁 ]) 124

19 5 548 頁 ] 一 方 博 多 商 人 で 受 職 される 者 も 多 く 登 場 する 特 に 道 安 家 茂 信 重 は 受 図 書 人 でありながら 受 職 人 にもなっている これらは 博 多 商 人 が 朝 鮮 通 交 を 遂 行 する 手 段 として 受 図 (45) 書 人 の 通 交 権 と 受 職 人 の 通 交 権 を 利 用 しようとしたからである[ 松 尾 2003] このように 1450 年 代 以 降 の 博 多 商 人 は 厳 しい 通 交 統 制 の 中 にあって 琉 球 国 王 使 の 請 け 負 いや 偽 使 受 図 書 や 受 職 という 手 段 を 利 用 して 独 自 の 通 交 権 を 確 保 しようと 模 索 していた し かし このような 新 たな 通 交 権 を 獲 得 しても 道 安 の 事 例 が 如 実 に 物 語 っているように 最 終 的 に 文 引 発 給 を 担 う 対 馬 宗 氏 との 友 好 な 関 係 が 無 ければ その 通 交 権 は 失 効 してしまいかねなかっ た ゆえに 15 世 紀 後 半 博 多 商 人 は 朝 鮮 通 交 上 対 馬 宗 氏 と 密 接 に 連 携 できる 機 会 を 窺 って 行 かざるを 得 なかったのである 博 多 商 人 の 主 な 通 交 名 義 書 契 の 制 (1419) 渋 川 氏 没 落 (1425) 大 友 氏 博 多 進 出 (1429) 宗 貞 盛 博 多 進 出 (1431) 文 引 の 制 (1438) 癸 亥 約 条 (1443) 渋 川 氏 名 義 大 友 氏 名 義 宗 貞 盛 名 義 日 本 国 王 使 請 負 成 功 偽 使 失 敗 便 乗 成 功 琉 球 国 王 使 請 負 偽 使 成 功 受 図 書 人 化 ( 宗 金 ) 道 安 宗 家 茂 信 重 の 受 図 書 人 化 受 職 人 化 (9) 博 多 商 人 以 外 の 通 交 者 たち 本 節 では 世 宗 期 の 通 交 統 制 策 が 博 多 商 人 以 外 の 日 本 側 通 交 者 の 朝 鮮 通 交 にどのような 影 響 を 与 えたのかについて 確 認 する 世 宗 期 の 日 本 側 通 交 者 といっても 多 様 であるため 本 節 では 朝 鮮 側 から 書 契 発 給 権 を 黙 認 されていた 佐 志 殿 志 佐 殿 薩 摩 州 石 見 州 大 友 殿 の 諸 地 域 を 考 察 対 象 とする 即 ち 松 浦 地 域 ( 佐 志 殿 志 佐 殿 ) 南 九 州 地 域 山 陰 地 域 である( 大 友 殿 に ついては 第 4 節 で 既 述 ) 松 浦 地 域 には 世 宗 期 以 前 から 諸 氏 の 朝 鮮 通 交 が 確 認 できる 志 佐 氏 は 太 宗 期 から 非 常 に 活 発 な 朝 鮮 通 交 を 展 開 している 志 佐 氏 が 他 の 諸 氏 と 比 して 非 常 に 早 い 段 階 から 受 図 書 人 と なっているのは[ 松 尾 ~8 頁 ] 同 氏 の 朝 鮮 通 交 に 対 する 強 い 指 向 性 を 示 している しかし その 通 交 は 文 引 の 制 が 確 立 した1438( 世 宗 20) 年 10 月 以 降 途 絶 する おそらく 文 引 による 通 交 統 制 に 志 佐 氏 が 巧 く 対 応 できなかったのであろう 佐 志 氏 は 統 制 が 徐 々に 強 まる 時 期 に 朝 鮮 通 交 を 開 始 するが 文 引 の 制 確 立 後 も 通 交 は 継 続 している しかし 1443( 世 宗 25) 年 西 餘 鼠 島 事 件 (46) に 関 与 した 壱 岐 倭 寇 の 捜 捕 を 朝 鮮 側 が 要 請 した 際 鴨 打 氏 と 共 に 倭 寇 勢 力 を 保 護 し 朝 (45)なお[ 松 尾 頁 ]によれば 1470( 成 宗 1) 年 以 降 受 職 倭 人 の 図 書 通 交 は 禁 止 されたらしい (46)1443( 世 宗 25) 年 壱 岐 倭 寇 が 朝 鮮 半 島 近 海 にある 西 餘 鼠 島 で 朝 鮮 船 を 襲 撃 した 事 件 125

20 鮮 政 府 に 反 発 する 姿 勢 を 取 ったり 配 下 の 漁 船 が 孤 草 島 釣 魚 禁 約 に 違 約 して 以 降 は 朝 鮮 通 交 が 途 絶 した[ 松 尾 ~13 頁 ] 鴨 打 氏 は 太 宗 期 に 若 干 の 通 交 事 例 を 見 るものの 西 餘 鼠 島 事 件 で 佐 志 氏 と 同 様 反 朝 鮮 政 府 的 な 態 度 を 取 っており 概 して 朝 鮮 通 交 に 対 する 関 心 は 低 かった[ 松 尾 頁 ] 一 方 呼 子 氏 は 太 宗 期 から 朝 鮮 通 交 を 開 始 するが 書 契 による 統 制 が 始 まると 通 交 を 途 絶 させた しかし 西 餘 鼠 島 事 件 の 時 呼 子 氏 は 塩 津 留 氏 や 真 弓 氏 と 共 に 倭 寇 捜 捕 に 積 極 的 に 協 力 した 功 績 により 3 氏 は 朝 鮮 から 図 書 を 下 賜 され[ 中 村 栄 孝 頁 ] 受 図 書 人 として 正 式 な 通 交 権 を 獲 得 した この 事 件 以 前 塩 津 留 氏 の 朝 鮮 通 交 は 僅 かであ り 真 弓 氏 はまったく 通 交 を 行 っていなかった[ 松 尾 ~27 頁 ] 3 氏 は 世 宗 期 の 通 交 統 制 策 によって 通 交 が 低 調 化 しつつも 貿 易 に 対 する 強 い 指 向 性 を 維 持 し 続 けた 結 果 西 餘 鼠 島 事 件 を 画 期 として 独 自 の 通 交 権 を 確 保 したのである 続 いて 南 九 州 地 域 の 特 徴 的 な 朝 鮮 通 交 者 を 見 てみる 当 該 地 域 の 名 義 人 は 朝 鮮 初 期 から 頻 繁 な 通 交 を 展 開 している 特 に 臣 と 称 して 書 を 奉 る 表 を 奉 る など 朝 鮮 に 臣 下 の 礼 を 取 ってまで 通 交 を 求 める 姿 は (47) 彼 らの 朝 鮮 通 交 に 対 する 強 い 指 向 性 を 窺 わせている この 状 況 下 1415( 太 宗 15) 年 12 月 日 向 州 島 津 源 元 久 名 義 の 使 節 が 朝 鮮 へ 渡 航 している 通 交 名 義 の 元 久 は 南 北 朝 期 時 代 中 期 以 来 分 裂 していた 南 九 州 3ヶ 国 ( 薩 摩 大 隅 日 向 ) 守 護 職 を 統 一 した 島 津 元 久 のことである しかし 元 久 は1411( 応 永 18) 年 8 月 6 日 に 既 に 死 去 し 当 時 は 弟 の 久 豊 が 後 継 者 として 位 置 していた 元 久 名 義 の 使 節 は 以 後 1418( 太 宗 18) 年 1 月 1418( 世 宗 即 位 ) 年 8 月 同 年 10 月 (8 月 と 同 一 か) 1420( 世 宗 2) 年 12 月 と 数 回 にわたって 史 料 上 に 登 場 するが (49) そのすべてが 偽 使 であったことになる では この 元 久 使 送 は 誰 によって 創 出 されたの であろうか 室 町 期 の 南 九 州 地 域 の 朝 鮮 通 交 者 を 分 析 した 増 田 勝 機 氏 は 元 久 の 後 継 者 となっ た 久 豊 が 元 久 の 名 義 を 使 用 して 遣 使 したとする[ 増 田 頁 ] 確 かに 史 料 上 島 津 久 豊 による 初 めての 朝 鮮 通 交 となった1423( 世 宗 5) 年 1 月 彼 は 日 本 国 日 向 大 隅 薩 摩 三 州 太 守 源 朝 臣 久 豊 を 名 乗 り 朝 鮮 側 に 元 久 の 弟 であることを 伝 えている (48) しかし なぜ 彼 が 既 に 亡 くなり 朝 鮮 通 交 歴 もない 兄 名 義 の 使 節 を 仕 立 てなければならなかったのかという 理 由 とはならない そも そも 元 久 使 送 の 名 乗 りからして 不 自 然 である 元 久 は 生 前 1409( 応 永 16) 年 には 薩 摩 大 隅 日 向 の 守 護 職 を 獲 得 していた しかし 実 録 に 登 場 する 元 久 の 名 乗 りは 一 貫 して 日 向 州 太 守 である 元 久 の 跡 を 嗣 いだ 久 豊 も3ヶ 国 守 護 職 を 獲 得 しているが 彼 はその 肩 書 きで 朝 鮮 に 通 交 している 久 豊 は 1418( 永 楽 16) 年 足 利 義 持 に 派 遣 された 明 使 呂 淵 の 帰 国 に 乗 じて 使 節 性 運 を 同 行 させ 独 自 に 表 文 を 呈 して 通 交 しているが この 時 の 名 乗 りも 日 隅 薩 三 州 刺 史 島 津 (51) 滕 存 忠 であった 存 忠 は 久 豊 の 法 名 である このように 3ヶ 国 守 護 職 の 肩 書 きで かつ 自 らの (50) (47) 太 祖 実 録 4 年 4 月 戊 子 条 太 宗 実 録 2 年 9 月 己 酉 条 15年 12 月 丙 子 条 世 宗 実 録 即 位 年 8 月 戊 戌 条 (48) 太 宗 実 録 15 年 12 月 癸 巳 条 (49) 太 宗 実 録 18 年 1 月 乙 亥 条 世 宗 実 録 即 位 年 8 月 戊 戌 条 同 年 10 月 庚 寅 条 同 2 年 12 月 癸 卯 条 (50) 世 宗 実 録 5 年 1 月 甲 午 条 (51) ( 明 ) 太 宗 実 録 16 年 4 月 乙 巳 条 [ 小 葉 田 ~34 頁 ] 126

21 名 義 で 外 交 を 展 開 する 島 津 久 豊 が 同 じ3ヶ 国 守 護 職 を 有 していた 元 久 の 名 義 を 日 向 州 太 守 にスケールダウンさせて 朝 鮮 通 交 に 使 用 する 必 然 性 は 皆 無 といえる では 誰 が 元 久 名 義 の 使 送 を 創 出 したのであろうか 推 測 ではあるが 前 年 に 朝 鮮 側 が 示 した 通 交 統 制 策 と 関 係 があるのではなかろうか 1414( 太 宗 14) 年 8 月 朝 鮮 は 日 本 国 王 対 馬 島 大 内 殿 少 弐 殿 九 州 節 度 使 など10ヶ 所 以 外 の 倭 使 の 渡 航 を 禁 止 している 先 学 によれば この 通 達 は 効 力 を 有 せず 通 交 統 制 上 著 しい 効 果 がなかったと 評 価 されているが[ 中 村 頁 ] 少 なくともこの 通 達 の 翌 年 に 突 如 として 創 出 される 日 向 州 太 守 元 久 使 送 の 背 景 には この 通 達 に よって 朝 鮮 通 交 の 継 続 に 危 機 感 を 感 じた 勢 力 との 因 果 関 係 を 考 慮 する 必 要 があろう 南 九 州 地 域 の 通 交 者 は 北 部 九 州 地 域 の 通 交 者 と 同 様 朝 鮮 王 朝 建 国 直 後 から 通 交 を 開 始 しており そ の 動 向 は 日 本 列 島 の 他 地 域 の 通 交 者 に 先 んじている 後 のことになるが 九 州 探 題 が 有 していた 書 契 発 給 権 の 分 散 した 先 の1つに 薩 摩 州 が 含 まれていたこと を 考 えれば 先 の 通 達 の10ヶ 所 に 薩 摩 州 が 含 まれていた 可 能 性 は 高 い この 場 合 元 久 使 送 は 先 の 通 達 を 回 避 しようと 模 索 する 勢 力 ( 薩 摩 商 人 か?)によって 創 出 されたのであろう( 類 型 Ⅶ) また 太 祖 期 から 活 発 な 朝 鮮 通 交 を 展 開 した 伊 集 院 頼 久 の 後 継 者 伊 集 院 藤 原 熙 久 は 1434 (53) ( 世 宗 16) 年 薩 摩 州 太 守 藤 原 為 久 名 義 で 通 交 を 開 始 して 以 降 熙 久 名 義 に 通 交 名 義 を 変 更 させつつも 活 発 な 朝 鮮 通 交 を 行 った しかし 文 引 の 制 が 確 立 すると その 通 交 は 数 年 間 中 断 した す ふ 最 後 に 山 陰 地 域 ( 石 見 州 )の 通 交 者 周 布 氏 について 見 てみる 周 布 氏 の 朝 鮮 通 交 は 1425 ( 世 宗 7) 年 周 布 郷 長 浜 浦 に 漂 着 した 朝 鮮 人 漂 流 民 を 対 馬 の 早 田 氏 を 仲 介 として 送 還 したこと から 開 始 されている[ 関 ~158 頁 ] その 後 1426( 世 宗 8) 年 から1432( 世 宗 14) 年 まで 通 交 が 継 続 するが 北 部 九 州 の 政 治 的 動 乱 に 呼 応 して 周 布 氏 も 軍 事 動 員 したため 通 交 が 途 絶 する しかし 1437( 世 宗 19) 年 に 通 交 が 復 活 し 文 引 の 制 確 立 後 にも 関 わらず 集 中 的 な 通 交 を 見 せた これは 当 該 期 の 周 布 氏 内 部 に 発 生 した 内 紛 によって 周 布 兼 貞 という 架 空 名 義 の 偽 使 が 登 場 したためである (54) (52) ( 類 型 Ⅷ) 周 布 氏 の 通 交 は 石 見 と 対 馬 の 間 に 形 成 された 海 商 ネット ワークを 前 提 として 対 馬 を 結 節 点 に 対 馬 海 商 と 石 見 海 商 が 通 交 を 分 担 する 形 で 行 われていた からこそ[ 藤 川 1999] 通 交 統 制 に 反 する 通 交 回 数 となっていたのである ここに 見 るような 周 布 氏 の 通 交 形 態 は 博 多 商 人 や 壱 岐 松 浦 地 域 を 除 く 他 の 多 くの 通 交 者 たちの 朝 鮮 通 交 の 実 態 的 なあり 方 ではなかろうか このような 媒 介 者 が 通 交 貿 易 を 請 け 負 っていたからこそ 名 義 人 が 死 去 したり 没 落 した 際 その 通 交 権 は 自 動 的 に 海 商 の 手 によって 偽 使 通 交 権 化 して 行 くのではあるま (52) 世 宗 実 録 21 年 4 月 乙 未 条 (53) 端 宗 実 録 1 年 1 月 己 卯 条 この1434( 世 宗 16) 年 の 為 久 使 送 の 存 在 について [ 増 田 1970][ 長 節 子 2002a] は 見 落 としている なお 国 内 史 料 によれば 1434( 永 享 6) 年 6 月 26 日 ~10 月 5 日 の 間 に 為 久 は 熙 久 に 改 名 し ている( 都 城 市 史 編 纂 室 新 名 一 仁 氏 のご 教 示 ) (54) 関 周 一 氏 は この 兼 貞 名 義 の 使 送 の 中 にも 周 布 氏 による 遣 使 ( 真 使 )が 含 まれていたとするが[ 関 頁 ] 周 布 氏 が 架 空 名 義 の 使 節 を 派 遣 するのは 不 自 然 だと 考 える 127

22 いか 次 章 で 見 る 対 馬 の 深 処 倭 名 義 の 偽 使 創 出 の 背 景 にも まさにこのような 媒 介 者 と 対 馬 勢 力 の 連 携 があったものと 思 われる 2. 偽 使 通 交 の 拡 大 と 変 容 15 世 紀 後 半 の 対 馬 宗 氏 と 博 多 商 人 (1)1450 年 代 以 降 の 深 処 倭 名 義 の 通 交 権 対 馬 島 主 歳 遣 船 を50 船 に 限 定 する 癸 亥 約 条 が 成 立 した1440 年 代 少 弐 宗 体 制 の 弱 体 化 に 伴 い 宗 氏 は 北 部 九 州 地 域 からの 撤 退 を 余 儀 なくされた 結 果 多 数 の 宗 氏 被 官 が 筑 前 肥 前 の 所 領 を 喪 失 する 事 態 に 陥 っていた[ 佐 伯 1978] 宗 貞 盛 は 自 己 権 力 の 求 心 力 維 持 のために 島 主 歳 遣 船 の 所 務 権 を 彼 らへの 代 替 給 付 として 分 与 せざるを 得 なかった そのため 島 主 歳 遣 船 は 約 条 締 結 直 後 から 歳 遣 船 の 派 遣 数 が 超 過 状 態 に 陥 ってしまった 1445( 世 宗 27) 年 宗 貞 盛 は 島 主 歳 遣 船 の20 船 加 増 を 求 めたが 朝 鮮 側 に 拒 否 された 歳 遣 船 の 拡 大 の 見 込 みがない 宗 氏 にとって 新 たな 通 交 権 の 獲 得 が 自 己 権 力 の 安 定 化 のためにも 急 務 であった そして この 打 開 策 として 登 場 するのが 15 世 紀 半 ば 以 降 大 規 模 に 展 開 する 偽 使 名 義 の 通 交 である 対 馬 宗 氏 にとっての 偽 使 派 遣 システムは 歳 遣 船 の 補 完 的 機 能 を 期 待 し 構 築 されたものであった[ 荒 木 ~94 頁 ] 1452( 端 宗 即 位 ) 年 6 月 宗 貞 盛 が 死 去 すると 島 主 の 地 位 は 子 の 成 職 に 引 き 継 がれた 宗 成 職 は 積 極 的 に 歳 遣 船 を 超 過 して 運 用 したため 1455( 端 宗 3) 年 従 来 島 主 歳 遣 船 50 船 の 数 外 で 認 められていた 島 主 特 送 船 や 護 軍 受 職 船 を50 船 内 に 含 めることになってしまった この 結 果 対 馬 側 の 派 遣 船 数 は 減 少 し 対 馬 の 経 済 的 打 撃 は 大 きかった しかし 成 職 は 歳 遣 船 超 過 派 遣 と 平 行 して 島 主 就 任 直 後 から 歳 遣 船 定 約 の 結 ばれていない 深 処 倭 名 義 の 偽 使 通 交 を 展 開 して いた この 結 果 深 処 倭 名 義 の 朝 鮮 通 交 が 急 増 し 朝 鮮 側 の 負 担 が 増 大 したため 朝 鮮 政 府 は 成 職 に 対 して 深 処 倭 には1 年 2 回 以 上 文 引 を 発 行 しないことを 承 諾 させ 各 々の 深 処 倭 とは1~2 船 の 歳 遣 船 定 約 を 順 次 結 んでいった この 深 処 倭 との 歳 遣 船 定 約 は 深 処 倭 名 義 の 偽 使 通 交 権 が 朝 鮮 側 の 制 度 によって 保 障 されたことを 意 味 する[ 長 2002a 第 2 部 第 4 章 ] こうした 深 処 倭 名 義 による 偽 使 通 交 の 拡 大 は 癸 亥 約 条 締 結 以 来 ( 宗 貞 盛 末 期 以 来 ) 対 馬 島 主 が 直 面 していた 朝 鮮 通 交 権 ( 歳 遣 船 ) 不 足 に 起 因 していたのである ところで 長 節 子 氏 は 宗 成 職 が 獲 得 した 深 処 倭 名 義 の 偽 使 通 交 権 の 具 体 例 として 成 職 が 島 主 就 任 直 後 に 通 交 回 数 が 急 増 した10 氏 ( 伊 集 院 藤 原 熙 久 五 島 宇 久 源 勝 田 平 源 弘 志 佐 源 こ う だ 義 松 浦 源 盛 波 多 源 納 神 田 源 徳 呼 子 源 高 塩 津 留 源 聞 真 弓 源 永 )の 深 処 倭 名 義 を 提 示 さ れている 本 節 では これら10 氏 の 通 交 名 義 を 中 心 にしつつ 長 節 子 氏 の 理 解 を 再 検 討 してみた い 長 節 子 氏 が 先 の10 氏 を 挙 げた 理 由 は 1455( 世 祖 1) 年 11 月 礼 曹 参 議 洪 允 成 から 宗 成 職 に 宛 てた 書 契 の 中 に 近 来 渡 航 の 増 加 したという 深 処 倭 の 中 でも 特 に 甚 だしい 例 として 記 されてい たからである しかし この10 氏 の 通 交 をすべて 同 様 の 性 格 のものとして 扱 うことはできない なぜ なら この10 氏 は 1450 年 代 から 突 然 通 交 を 開 始 する 初 度 通 交 者 ( 類 型 ) 長 期 の 通 交 断 絶 を し げ も と 128

23 経 て1450 年 代 に 突 然 通 交 を 再 開 する 通 交 者 ( 類 型 ) 15 世 紀 前 半 から 一 定 度 の 通 交 実 績 を 有 する 通 交 者 で 15 世 紀 中 葉 ( 世 宗 期 の 通 交 統 制 整 備 期 以 降 )には 通 交 名 義 人 の 通 交 意 欲 が 低 下 する 者 ( 類 型 ) 反 対 に15 世 紀 中 葉 の 段 階 でも 通 交 名 義 人 が 強 い 通 交 意 欲 を 有 する 者 ( 類 型 )の4 種 類 に 区 別 することができるからである 即 ち 類 型 に 相 当 するのが 波 多 源 納 神 田 源 徳 類 型 に 相 当 するのが 五 島 宇 久 源 勝 松 浦 源 盛 類 型 に 相 当 するのが 伊 集 院 藤 原 熙 久 志 佐 源 義 類 型 に 相 当 するのが 田 平 源 弘 呼 子 源 高 塩 津 留 源 聞 真 弓 源 永 といえる まず 類 型 である 波 多 氏 と 神 田 氏 は いずれも15 世 紀 前 半 に 通 交 事 例 を 見 出 すことができな い[ 長 節 子 2002a 290 頁 ] 続 いて 類 型 である 五 島 宇 久 氏 は 15 世 紀 前 半 被 虜 人 送 還 を 契 機 として 通 交 を 行 うが 継 続 的 な 通 交 者 とはならなかった[ 松 尾 2004] 松 浦 氏 も 太 宗 期 に2 度 の 通 交 事 例 があるが 以 後 の 通 交 は 途 絶 えている[ 長 節 子 2002a 290 頁 ] このように これら 類 型 の 諸 氏 は 概 して 朝 鮮 通 交 に 積 極 的 でなかったといえる このような 諸 氏 が 1450 年 以 降 突 然 活 発 な 朝 鮮 通 交 を 展 開 することは 不 自 然 であり 長 節 子 氏 の 主 張 するように この4 氏 は 宗 成 職 によって 創 出 された 偽 使 と 断 定 して 良 いであろう( 類 型 Ⅵ 類 型 Ⅶ) また 15 世 紀 後 半 この 諸 氏 のような 特 徴 を 帯 びて 朝 鮮 通 交 が 開 始 される 名 義 についても 基 本 的 に 偽 使 と 認 定 して 良 (55) いものと 考 える 次 に 類 型 である 伊 集 院 藤 原 熙 久 は 既 述 したように1434( 世 宗 16) 年 から 通 交 を 開 始 する が 1450( 宝 徳 2) 年 島 津 忠 国 に 敗 れて 肥 後 国 へ 逃 走 し 以 後 行 方 不 明 となった 先 学 が 指 摘 す るように これ 以 降 の 熙 久 名 義 の 通 交 は 確 実 に 偽 使 であろう[ 増 田 1970] 室 町 期 南 九 州 は 地 域 権 力 者 同 士 の 抗 争 が 絶 え 間 なく 続 いており 南 九 州 の 通 交 名 義 人 の 朝 鮮 通 交 を 実 際 に 担 ってい たのは それが 真 使 であろうと( 対 馬 ) 博 多 薩 摩 ( 琉 球 )を 往 来 する 海 商 であったと 思 われ る( 類 型 Ⅲ) つまり 熙 久 使 送 を 請 け 負 っていた 海 商 が 熙 久 没 落 後 その 通 交 名 義 を 対 馬 宗 氏 と 協 力 して 運 用 していたのではなかろうか (56) こ う だ 志 佐 氏 は 文 引 の 制 の 確 立 以 降 通 交 が 途 絶 して いた この 状 況 下 1450( 文 宗 即 位 ) 年 突 然 志 佐 源 義 は 図 書 を 改 給 して 通 交 を 再 開 する[ 松 尾 頁 ] 以 後 源 義 図 書 が 年 久 図 書 として50 年 以 上 使 用 されていることを 考 慮 すれば 志 佐 源 義 名 義 の 通 交 は 対 馬 による 偽 使 である 可 能 性 が 高 い (57) ( 類 型 Ⅵ) 最 後 に 類 型 である 田 平 氏 は 15 世 紀 前 半 から 積 極 的 な 通 交 を 展 開 していた しかし 源 弘 名 義 の 通 交 は 1454( 端 宗 2) 年 突 然 年 6 回 の 遣 使 から 開 始 されている しかも 対 馬 には 弾 (ママ) 正 小 弼 源 弘 と 刻 した 木 印 があったことから[ 田 代 米 谷 1995] 通 交 当 初 から 対 馬 による 偽 使 であ ったと 推 測 されている[ 長 節 子 2002a 第 2 部 第 5 章 ] 呼 子 氏 塩 津 留 氏 真 弓 氏 は 西 餘 鼠 島 事 件 を 契 機 として 受 図 書 人 の 通 交 権 を 獲 得 している 3 氏 は 15 世 紀 中 葉 に 至 っても 朝 鮮 通 交 を (55) 前 章 で 考 察 した 鴨 打 氏 がこの 事 例 に 相 当 する 鴨 打 氏 は 1450 年 代 以 降 突 然 通 交 を 再 開 する[ 松 尾 ~17 頁 ] (56) 前 章 で 考 察 した 周 布 氏 が この 事 例 に 当 てはまると 思 われる (57) 西 餘 鼠 島 事 件 以 降 朝 鮮 通 交 に 消 極 的 になった 佐 志 氏 も 1450 年 代 以 降 突 然 通 交 を 再 開 する[ 松 尾 ~14 頁 ] 129

24 強 く 指 向 し 正 式 な 通 交 者 としての 通 交 権 を 獲 得 するための 努 力 をしていた この3 氏 が 1450 年 以 降 せっかく 獲 得 した 独 自 の 通 交 権 を 放 棄 するとは 考 えられない つまり 対 馬 宗 氏 は 3 氏 の 通 交 権 に 上 乗 せする 形 で 4 氏 名 義 の 偽 使 通 交 を 展 開 していたと 考 えるべきであろう 類 型 に 属 する 諸 氏 名 義 の 図 書 が 何 れも 年 久 図 書 になっているのに 比 し 呼 子 源 高 塩 津 留 源 聞 真 弓 源 永 名 義 の 図 書 のみ15 世 紀 後 半 に 改 給 されていることは 先 の 推 測 の 傍 証 となろう こうし て 考 えてみると 15 世 紀 中 葉 まで 朝 鮮 通 交 に 熱 心 であった 田 平 氏 の 源 弘 名 義 の 通 交 について も 1450 年 代 時 点 での 通 交 において 田 平 源 弘 自 体 の 主 体 性 を 完 全 に 否 定 することには 慎 重 に ならざるを 得 ない ただし 源 高 源 聞 源 永 の3つの 図 書 が 1460 年 代 後 半 に 集 中 して 改 給 され ていることはやや 不 自 然 であり ある 時 点 から3 氏 の 通 交 の 主 体 性 が 対 馬 側 に 移 行 したものと 思 われる いずれにしても 1450 年 代 以 降 すべての 深 処 倭 名 義 の 通 交 が 対 馬 によって 偽 使 化 していた 訳 ではなく 世 宗 期 の 通 交 統 制 を 回 避 し 15 世 紀 中 葉 段 階 でも 朝 鮮 通 交 に 対 する 強 い 指 向 性 と そのための 手 段 を 講 じていた 諸 氏 については 一 定 度 の 主 体 性 を 保 持 し 得 たのではないかと 考 えられる この 点 で 塩 津 留 氏 と 宗 氏 の 関 係 が 参 考 になろう 塩 津 留 氏 は1472( 文 明 4) 年 の 壱 岐 の 政 変 後 対 馬 に 亡 命 した 際 宗 貞 国 との 間 で 自 身 の 通 交 権 の 一 部 を 譲 渡 している( 類 型 Ⅴ) その 後 塩 津 留 氏 は 三 浦 の 乱 (1510 年 ) 以 前 に 牧 山 源 正 印 を 獲 得 し 塩 都 留 氏 は 自 分 名 義 の 通 交 権 と 牧 山 氏 名 義 の 通 交 権 を 保 持 した ただし 塩 津 留 氏 は 源 正 印 の 名 義 人 である 牧 山 氏 に 名 義 料 を 支 払 っており 本 来 の 名 義 人 に 権 益 の 一 部 が 保 留 されていた[ 長 節 子 1987 第 2 部 第 1 章 ]( 類 型 Ⅴ) このように 深 処 倭 名 義 の 通 交 権 の 実 態 は 多 様 であり 対 馬 によって 完 全 に 偽 使 化 したもの もあれば( 類 型 Ⅵ 類 型 Ⅶ) 塩 津 留 氏 と 牧 山 氏 のように 名 義 使 用 者 と 名 義 人 の 間 で 合 意 がなさ れている 場 合 もあった( 類 型 Ⅴ) 先 の 呼 子 氏 や 真 弓 氏 の 通 交 権 は 状 況 的 に 後 者 に 相 当 するも のと 推 測 する いずれにしても 対 馬 宗 氏 は 文 引 の 発 給 者 という 地 位 を 最 大 限 に 活 用 して 深 処 倭 名 義 の 通 交 権 を 集 積 した そして これらの 名 義 は 歳 遣 船 定 約 によって 確 実 な 通 交 権 として 成 立 した し かし 宗 氏 は 新 たに 確 保 した 深 処 倭 名 義 の 通 交 権 のさらなる 拡 大 を 目 論 んだ 1470 年 代 以 降 深 処 倭 名 義 の 通 交 で 歳 遣 船 定 約 を 超 過 して 通 交 する 者 が 増 加 している[ 伊 藤 2003] 例 えば 1 ( 大 内 ) (58) 470( 成 宗 1) 年 宗 像 郡 氏 郷 多 多 良 教 之 ( 上 記 類 型 タイプ [ 伊 藤 2003]) 五 島 宇 久 守 源 勝 名 義 の 通 交 が 額 外 使 人 を 派 遣 していることを 朝 鮮 側 から 指 摘 されているし (59) 1472( 成 宗 3) 年 に は 肥 前 州 元 胤 ( 上 記 類 型 タイプ) 筑 前 州 氏 郷 肥 前 州 少 弼 弘 薩 摩 州 盛 久 ( 上 記 類 型 タイ (1472) ( 千 葉 ) プ)が 癸 巳 年 の 歳 遣 船 を 出 し 終 えた 後 再 び 通 交 を 求 めるという 事 件 が 起 こっている (60) おそらく (58) 宗 像 氏 郷 名 義 の 通 交 は 宗 像 一 族 か 宗 像 氏 の 下 で 貿 易 を 担 っていた 商 人 が 実 施 したと 考 えられている[ 佐 伯 1994] (59) 成 宗 実 録 1 年 9 月 丙 子 条 (60) 成 宗 実 録 4 年 6 月 己 丑 条 130

25 偽 使 派 遣 勢 力 が 額 外 使 人 を 派 遣 することで 朝 鮮 側 との 通 交 貿 易 の 機 会 を 増 やそうと 試 みたの であろう この 場 合 例 え 接 待 されなくても 過 海 糧 などの 支 給 があれば 企 ては 成 功 したことにな る (2) 朝 鮮 遣 使 ブーム の 実 態 と 対 馬 宗 氏 博 多 商 人 対 馬 では 前 節 で 詳 説 した 深 処 倭 名 義 の 偽 使 通 交 のみならず 1450 年 代 後 半 から 王 城 大 臣 使 ( 在 京 有 力 守 護 を 名 乗 る 使 節 )の 偽 使 も 本 格 的 に 開 始 された 海 東 諸 国 紀 (1471 年 成 立 ) 朝 聘 応 接 紀 で 対 馬 宗 氏 より 上 位 にランクされる 王 城 大 臣 名 義 の 偽 使 は 宗 氏 にとって 好 条 件 の 通 交 貿 易 を 可 能 としたのである 1450 年 代 後 半 ~1460 年 代 にかけて 畠 山 義 就 山 名 教 豊 京 極 持 清 などの 名 義 を 称 して 朝 鮮 に 渡 航 する 使 節 が 登 場 した 彼 らに 共 通 するのは 室 町 幕 府 周 辺 で 活 動 中 の 実 在 する 有 力 者 の 実 名 や 法 名 と 一 致 する 名 義 を 名 乗 っていることである しかし 実 際 は 親 族 関 係 に 世 代 のズレが 見 出 せたり 官 職 官 途 法 名 が 実 在 者 と 異 なったりしていた 当 該 期 は 1454( 享 徳 3) 年 の 畠 山 政 長 と 義 就 の 家 督 争 いによって 京 都 周 辺 の 政 治 状 況 が 混 乱 を 極 めていた 時 代 であり 先 の 偽 王 城 大 臣 使 はこの 様 な 政 治 的 動 乱 に 乗 じて 創 出 された 偽 使 で あった[ 橋 本 1997a]( 類 型 Ⅶ) とりわけ 興 味 深 いのは この 様 な 偽 王 城 大 臣 使 が 真 使 の 日 本 国 王 使 と 連 携 して 創 出 されてい ることである 1463( 世 祖 9) 年 天 龍 寺 勧 進 船 の 意 味 合 いを 有 する 日 本 国 王 使 が 朝 鮮 に 派 遣 さ きょうしぼんこう れた 正 使 には 俊 超 副 使 には 仰 之 梵 高 なる 禅 僧 が 起 用 されていた[ 伊 藤 2002a 第 1 部 第 2 章 ] そして この 国 王 使 には 斯 波 義 廉 京 極 生 観 渋 川 教 直 名 義 の 使 節 も 同 行 しており 朝 鮮 に 渡 された 足 利 義 政 国 書 の 文 面 にも3 氏 の 使 送 の 存 在 が 明 記 されていた しかし この 国 書 は 京 都 からの 途 上 で 改 竄 されたものであった それを 象 徴 するように この 国 書 では 朝 鮮 国 王 のことを 陛 下 と 他 称 している 足 利 義 政 が 世 祖 のことを 陛 下 と 尊 称 することは 絶 対 に 有 り 得 ない( 通 常 は 殿 下 を 使 用 ) 義 政 にとって 陛 下 の 語 の 使 用 は 朝 鮮 国 王 世 祖 に 臣 従 することを 意 味 するからである この 類 の 表 現 を 用 いる 書 契 は 偽 使 または 対 馬 宗 氏 が 朝 鮮 にもたらした 書 契 に のみ 確 認 できる その 点 でも この 国 書 が 宗 氏 によって 改 竄 されたことは 明 らかといえる 偽 使 派 遣 勢 力 は 朝 鮮 国 王 への 臣 従 姿 勢 を 強 調 することで 相 手 側 の 疑 惑 をかわしつつ 厚 遇 を 獲 得 し ようとしたのである この 時 国 書 改 竄 に 関 与 したと 推 測 できる 人 物 が 日 本 国 王 使 副 使 の 仰 之 梵 け ぞ う 高 ( 夢 窓 派 華 蔵 門 派 )である[ 橋 本 1997a 64 頁 ] 彼 は この 後 朝 鮮 からの 帰 途 宗 成 職 貞 国 さ か に 請 われて 対 馬 に 留 まり 佐 賀 景 徳 庵 で 書 契 や 文 引 を 発 行 する 外 交 業 務 を 担 った 宗 氏 が より レヴェルの 高 い 深 処 倭 名 義 の 偽 使 や 偽 王 城 大 臣 使 最 終 的 には 偽 国 王 使 をスムーズに 仕 立 て るためには それ 相 応 の 外 交 技 術 と 情 報 収 集 能 力 が 必 要 とされた 特 に それらの 書 契 の 起 草 や 改 竄 には 先 例 や 故 実 を 踏 襲 し 修 辞 技 術 を 駆 使 する 高 度 な 漢 文 能 力 が 必 須 であった 宗 氏 は 朝 鮮 通 交 貿 易 拡 大 のためにも このような 能 力 を 有 する 人 的 基 盤 の 確 保 が 求 められていた 仰 之 梵 高 の 対 馬 逗 留 は 宗 氏 が 京 都 五 山 系 の 外 交 文 書 起 草 能 力 と 中 央 に 直 結 する 情 報 ネットワー ク( 禅 宗 系 のネットワーク)を 獲 得 したことを 意 味 し 多 様 な 偽 使 創 出 を 可 能 としたのである[ 橋 本 1 997a][ 伊 藤 2002b] また 宗 氏 が 真 使 の 日 本 国 王 使 に 便 乗 する 形 で 国 書 を 改 竄 し( 類 型 Ⅱ) 偽 131

2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 平 成 27 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 役 名 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 2,142 ( 地 域 手 当 ) 17,205 11,580 3,311 4 月 1

2 役 員 の 報 酬 等 の 支 給 状 況 平 成 27 年 度 年 間 報 酬 等 の 総 額 就 任 退 任 の 状 況 役 名 報 酬 ( 給 与 ) 賞 与 その 他 ( 内 容 ) 就 任 退 任 2,142 ( 地 域 手 当 ) 17,205 11,580 3,311 4 月 1 独 立 行 政 法 人 統 計 センター( 法 人 番 号 7011105002089)の 役 職 員 の 報 酬 給 与 等 について Ⅰ 役 員 報 酬 等 について 1 役 員 報 酬 についての 基 本 方 針 に 関 する 事 項 1 役 員 報 酬 の 支 給 水 準 の 設 定 についての 考 え 方 独 立 行 政 法 人 通 則 法 第 52 条 第 3 項 の 規 定 に 基 づき

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