3 章 蝮の裔よ ( ルカ 3:7~14) ルカ福音書講義 (15) そこで 彼から洗礼を受けよう 1) として出て来た民衆 2) に彼は言った 3) 蝮 の裔よ 4) 誰があなた方に 来るべき怒り 5) から逃れるように教えたのか 8 さ あ 悔い改め 6) にふさわしい
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- さなえ とべ
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1 3 章 蝮の裔よ ( ルカ 3:7~14) ルカ福音書講義 (15) そこで 彼から洗礼を受けよう 1) として出て来た民衆 2) に彼は言った 3) 蝮 の裔よ 4) 誰があなた方に 来るべき怒り 5) から逃れるように教えたのか 8 さ あ 悔い改め 6) にふさわしい実を結べ われらは父祖にアブラハムをもつ など と言い出してはならない 7) なぜなら あなたがたに言っておくが 神はこれら の石からでさえ アブラハムに子孫を起こすことがおできになるのだ 9 すでに 斧も木々の根元におかれている 8 いまや よい実を結ばない木はすべて切り倒 1) バプティゾー 洗礼を授ける の受動態 バプティゾーは 浸す が原意 したがって シリアの将軍ナアマンがそうであったように ( 王下 5:14) 水に身体を沈めるのが元来の 洗礼 ( 今日のキリスト教会では浸礼と滴礼 ) クムラン教団の居住跡からも身を清める貯水槽がいくつも発見されており ユダヤ教の会堂には その入口の手前にミクヴェ (miqweh) と呼ばれる清めの水槽が設けられた 2) マタイによれば 以下の言葉をヨハネは 民衆 でなく ファリサイ人とサドカイ人の多く に語っている (3:7) ルカはこのようにマルコやマタイが別の表現を用いる箇所にしばしば óchlos 民衆 を用いる たとえばルカ 5:1 とマタ 4:18/ マコ 1:16 を ルカ 9:18 とマタ 16:13/ マコ 8:28 を対比されよ それは ルカが 民衆 を不特定多数の人々ではなく イエスの宣教活動の意味を際だたせる役割を担う存在として位置づけていることを示唆する ルカ 23:48 を参照 なお 民主化運動期の韓国では 民衆の神学 が提唱され 安炳茂がそれをマルコ福音書によって基礎づけ 中南米ではホルヘ ベルグリオ ( 現フランシスコ教皇 ) がマルクス主義に傾く 解放の神学 でなく 貧しい人々に焦点を当てた信仰実践を 民衆の神学 と呼んだ なお ルカは後に ファリサイ人や律法学者 がヨハネの洗礼を拒んだと記す (7:30) 3) 7-9 節はマタ 3:5-10 と並行 それに対して 節はルカに特有 4) gennḗmata 裔( すえ ) (génnēma の複数形 ) の原意は 生まれた者たち ( 武田泰淳 蝮のすえ ) こうした呼びかけは預言者的 アモ 4:1 バシャンの牝牛どもよ イザ 1:10 ソドムの首領たちよ ゴモラの民よ などに通ずる 5) 神の審判 6) 3:3 の訳注 7) 救いは系譜や生まれによらない 当時のユダヤ人が アブラハムの子孫 であると誇っていたことはヨハ 8:33 などにうかがえる マタイ福音書によれば イエスはイスラエル (= アブラハムの子ら ) の 失われた羊 のもとに福音を伝える使命をもっていた ( マタ 10:6 15:24) この発言はマルコもルカも伝えないが ルカは イスラエルの子 に救いが訪れたことを喜ぶイエスを描く (19:9) 異邦人に福音を伝えたパウロは アブラハムの子孫 は血筋ではなく 信仰による と述べる ( ガラ 3:7) 8) 木を切り倒す斧の比喩はイザ 10:33-34 エレ 46:22-23 などにみられる 前者はアッシ 1
2 されて火に投げ込まれる 9) 10 すると 民衆は彼に尋ねて言った では 私たちは何をしたらよいでしょうか と 10) 11 彼は答えて 彼らに言った 2 枚の下着を持つ者は 持たない者に与えよ 11) 食べ物をもつ者も同じようにせよ 12) と 12 取税人たち 13) も洗礼を受けるためにやって来て 彼に言った 先生 14) 私たちは何をしたらよいでしょうか と 13 すると 彼らに言った あなたがたに命じられている以上に けっして取り立ててはならない と 15) 14 兵士たち 16) も彼に尋ねて言った 私 リア 後者はバビロニアによる侵略の比喩 ルカでも 元来はローマによる国土蹂躙を意味したか 9) マタイはこれとほぼ同じ言葉をイエスにも語らせる ( マタ 7:19) 実をならせない木を切り倒すことはルカ 13:6-9 のたとえ話にも 火 は神の審きを象徴する (17 節の訳注参照 ) 10) これに似た問いと答えは イエスと金持ちの議員との間で交わされる ( ルカ 18:18-23) ルカは使徒言行録でも類似の問答を記す ( 使 2: :30) 11) ルカ 6:29 のイエスの発言に通ずる 12) イザ 58:7 をふまえる 衣食は人間生活の最低限の必需品 ヤコ 2:14-17 でも 衣服と食物を例にして信仰に伴う行いが語られる 13) 当時のローマは各属州に人頭税と土地税を課し それを徴収する役所をおいた ユダヤでは他に神殿税が加わった ( 代下 24:6 ネヘ 10:33 他 ) ローマが徴収する税は現地で雇った 取税人 (telṓnēs) にあたらせた ただし ガリラヤ地方は ローマがその統治をヘロデ アンティパスに委ねていたので 取税人 はヘロデの配下として雇われていた 彼らのなかには私腹を肥やす者もあり ( それが 13 節の発言の背景になっている ) 聖書外資料は 取税人 を乞食や盗賊と並べる(ABD VI 337) 属州民は 取税人 をローマの手先として忌み嫌った 福音書も彼らを 罪人 と並べ ( ルカ 7:34 他 ) ファリサイ人は盗賊や姦淫する者たちと 取税人 を同列とみなす ( ルカ 18:11) イエスは しかし 彼らと親しく交わり ( ルカ 15:1-2 他 ) 12 弟子の 1 人マタイは取税人であった ( マタ 10:3) また ユダヤ教の指導者たちに向かってイエスは 取税人や娼婦たちのほうが先に神の国に入る と語り ( マタ 21:31) 神の前に義とされたのは高ぶるファリサイ人でなく へりくだる取税人のほうであった と弟子たちに教える ( ルカ 18:9-14) 取税人たち がヨハネから洗礼を受けたことをルカは 7:29 に明示する 14) didáskale 先生! という呼びかけは 7:40 9:38 10:25 11:45 12:13 18:18 19:39 20: :7 などでイエスに用いられる (5:5 では epistáta) イエスは あなたがたはラビと呼ばれてはならない と教えたが ( マタ 23:7,8) ヨハ 1:38 によれば このヘブライ語 ラビ がギリシア語で didáskalos 先生 もっとも ルカは他の福音書に用いられるヘブライ語 ラビ を用いない ローマ軍によるエルサレム陥落後 神殿を失ったユダヤ人たちは律法学者を ラビ と呼ぶようになり 今日に至る 15) イエスと出会った取税人頭のザアカイは自ら貧しい人への援助を申し出る ( ルカ 19:8) 16) strateuómenoi 兵士たち は新約聖書中ここにのみ用いられる語形 ルカ福音書の文脈 2
3 たちとしては何をしたらよいでしょうか と すると 彼らに言った 何もゆ すり取るな 17) 強要するな 自分たちの労賃で満足せよ ヨルダン川での 洗礼の模様 古代のミクヴェ 右はガムラ ( ガリラヤ ) で 左はエルサレムで発見 (3:19) ではガリラヤの領主ヘロデの傭兵も考えうるが マルコをふまえればローマの兵士たちが念頭におかれていよう ( マコ 1:5) 共観福音書はいずれも最後にローマの百卒長による信仰告白を記す ( ルカでは 23;47) 17) 動詞ディアセイオー (diaseíō) 激しくゆする が原意 3
4 本日の箇所は 洗礼者ヨハネの登場を述べた 2:1-6 に続き ヨルダン川で人々に洗礼を授けていたヨハネの宣教活動を具体的に記す 7-9 節はほぼ同様の記述がマタイ福音書にもみられる ( マタ 3:7-10). それに対して 節はルカに独自の箇所 新約聖書学では 前者をマタイとルカの共通資料 Q に属すると考える ルカ独自の部分については これが資料に遡るのか ルカの創作か 意見は分かれる 7 節からみてゆく ヨルダン川で洗礼を授けていたヨハネから洗礼を受けるために 民衆 が 出て きた 出てくる とは 自分の住むところから出るという意味で すでにマルコ福音書がこの表現を用いる ( マコ 1:5) 7-9 節まではマタイと並行するが 細かな点で違いがみられる その違いの一つはルカが 民衆が というところをマタイは ファリサイ人とサドカイ人の多くが と伝える この違いについて マタイはマタイ福音書の文脈で考察しなければならないが 注 2) に記したように マタイやマルコがそうでない表現を用いる箇所に ルカはしばしばオクロス 民衆 という表現を用いる また ルカ 7:30 によれば ファリサイ派や律法学者たちはヨハネから洗礼を受けることを拒んだという これらの記事において オクロス 民衆 は単なる有象無象の群衆ではなく この場合はヨハネの 後にはイエスの それぞれ宣教活動と深く関わる存在とみなされている その一例として ルカの十字架の記事 (23:48) をあげることができる そこには ローマの百人隊長に続いて この光景を見つめるために集まった すべての民衆 が 胸を打ちながら帰って行った と記されている 彼らは 見物に ( 新共同訳 ) 来たのではない イエスの死を見届けようとして集まったのである しかも 民衆 は胸を打ちながら帰途についた という ここに用いられる 帰って行った という動詞は 立ち帰る ということに通じる つまり ルカ福音書は イエスを指し示すヨハネの宣教活動を 彼のもとに 民衆 と 兵士 たちがやってきたところからはじめる そして イエスの十字架処刑後に 同じく ローマ兵と 民衆 がイエスに 神の子 の姿を認めた と記すのである 試訳でオクロスを 群衆 でなく 民衆 と訳したもう一つの理由は 民衆の神学 において 福音書に言及されるオクロスを 民衆 の原型としているからである この点についても 注 2) の最後に簡単に触れた ルカは ヨハネが洗礼を受けるために集まって来た 民衆 にむかって 蝮の裔よ と叱責する言葉を記した このヨハネの言葉はマタイにもあり ルカが伝 4
5 承として受け取ったもの このような激しい言葉を人々に投げつける伝統は預言者たちかたら受け継いでいる ( 注 4) を参照 ) その言葉の内容は 神の審きが迫っている ということ それゆえ 悔い改めよ というのがヨハネの宣教の主眼であった ところが ユダヤの人々は 自分たちがアブラハムの子孫であり 神に選ばれた民である と言って嵩をくくっている それに対して すでに斧が木の根元におかれているではないか と 民衆 に迫ってゆく ここには 救いは血筋にはよらない というキリスト教の思想が反映する これを単純に反ユダヤ主義と受け止めてはならない イエスは 注 7) で述べたように イスラエル (=アブラハムの子ら) の 失われた羊 のもとに福音を伝える使命をもっていた ( マタ 10:6 15:24) この発言はマルコもルカも伝えないが ルカは イスラエルの子 に救いが訪れたことを喜ぶイエスの姿を描いている (19:9) ルカ福音書には 後のヨーロッパに起こるような反ユダヤ主義はない むしろ 神の救いユダヤの民から全人類へというかたちで語られる ところが そのようなキリスト教の信仰は偏狭なユダヤ中心主義や排外的なユダヤ民族主義と衝突した 後にみるように イエスは律法を盾にとったユダヤ民族主義と闘い パウロは律法主義と闘った マタイ福音書によれば 洗礼者ヨハネはパリサイ派やサドカイ派に向かって 蝮の裔よ 悔い改めよ 神の審きが迫っている と告げる それに対してルカは 民衆 に向かって 蝮の裔よ とヨハネに告げさせる すると それを聞いた民衆が ならば何をすればよいのか と尋ねるのである それが 10 節以下のルカ特有の部分 ヨハネのところに出て来たのは 民衆 であった と 7 節に記されるが ここでは 民衆 に次いで 取税人たち が さらに 兵士たち までもが それぞれ わたしたちは何をしたらよいでしょうか とヨハネに問いかける この部分がルカの創作なのか ルカ以前の伝承なのか といった議論があるが 判断はむずかしい いずれにしても ルカがこの部分を加えた意図は明らかである 後々 オクロス 民衆 だけでなく 取税人 も 兵士 も イエスの宣教活動で重要な役割を果たすからである 取税人 ( 注 13) を参照 ) と食事を共にするイエスはファリサイ人たちに非難される ( ルカ 7:34 他 ) 兵士 という語はここだけに用いられる単語だが 福音書はイエスがローマ兵卒を癒した逸話を伝え ( ルカ 5
6 7:1-10// マタ 8:5-13 ヨハ 4:43-54 では 王の役人 ) イエスの十字架の死をみた百卒長の信仰告白が記される ( ルカ 23:47) ルカは 民衆 をここと十字架の記事に登場させたのと同じように 十字架上で息を引き取るイエスをみて信仰を告白した百卒長の記事を念頭におき ここにも 兵士 を登場させたのであろう それによって 神の子イエスによる福音がユダヤの民を越えてローマに ひいては地の果てまで述べ伝えられることをここに予示している 6
2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教
054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教が語られた場所を指しているだけである * ルカの福音書では 平らな所 となっている 3 本当は 内容を表現する命名の方がよい * メシアによる律法解釈 * 律法を正しく解釈するメシアの権威 (2) マタイとルカの比較
* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2
前書き (2) 使徒 1:1~5 1. はじめに (1) 新約聖書の約 25 パーセントがルカの著作である 1 ルカの福音書と使徒の働きは 前編と後編の関係にある (2) この書が書かれた目的は何か 1 歴史的目的 2 神学的目的 3 弁証論的目的 2. アウトライン (1) 献呈の辞 (1~2 節 ) (2) 復活後のイエスの奉仕 (3 節 ) (3) 使徒たちへの命令 (4~5 節 ) 結論 :
癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕
癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 2017.05.21 4 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕 もとに立って 7) 熱を叱りつけると 8) それは彼女を去った たちまち 9) 彼女は立ちあが って
創世記5 創世記2章4節b~25
ローマ教会との関係 (2) 1. はじめに (1) あいさつ (1~7 節 ) (2) ローマ教会との関係 (8~15 節 ) 1 心の絆 の構築 2 前回は 1:8~12 を扱った * 感謝の人パウロ * 祈りの人パウロ * 使命の人パウロ 3 今回は 1:13~15 までを扱う 4パウロの使命意識 ( 例話 ) タイガーマスク現象 2. メッセージのアウトライン (1) 異邦人の使徒 (2) 負債を負った人
神学総合演習・聖霊降臨後最終主日 2005/11/16
知多教会説教 主の洗礼日 イザヤ書 42:1-7 使徒言行録 10:34-38 ルカによる福音書 3:15-22 2016/01/10 知多教会牧師 : 花城裕一朗 聖霊が目に見える姿で 私たちの父である神と主イエス キリストからの恵みと平和が あなた がたにあるように アーメーン 本日の第一の日課において 預言者イザヤは言いました ( イザヤ 42:1) 見よ わたしの僕 わたしが支える者を わたしが選び
2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12
ヨハ 15:11~17 1. はじめに (1) 文脈の確認 1 最後の晩餐の後 イエスの最後の長い説教が続く 2ヨハネだけが記している * ヨハ 14 章二階部屋で語られた * ヨハ 15 16 章ゲツセマネの園に向かう途中で語られた 3 人類救済計画の時代区分 ( ディスペンセーション ) が移行しつつある 4 城壁の南側を通って 東に向かわれた * 数時間後には 逮捕されることになっている (2)A.T.
2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳
希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳的なテーマ それ自体は 良くも悪くもない 2 聖書が明確に指示していない グレーゾーン である 32 次的なことのついては 互いに裁き合わない ( 例話 ) 前回のアンケートの紹介 (3) きょうの箇所は
2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は
律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は クリスチャン生活を律法主義的生活に追い込む (2) 一見矛盾したように聞こえるイエスの約束 1ヨハ 10:10 盗人が来るのは ただ盗んだり 殺したり 滅ぼしたりするだけのためです わたしが来たのは 羊がいのちを得
(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ
キリストの死に伴う諸現象 マタ 27:51~56 1. はじめに (1) 文脈の確認 1 福音の三要素が展開されて行く * キリストの死 * 埋葬 * 復活 2キリストの死後 いくつかの不思議な現象が矢継ぎ早に起こった 3キリストの死 埋葬 復活は歴史的事実である 4これらの現象もまた 歴史的事実として字義通りに解釈する必要がある (2)A.T. ロバートソンの調和表 166 キリストの死に伴う諸現象
2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ
(2) 049 ヨハ 5:19~47 1. はじめに (1) 難解な箇所であり 困難を覚える (2) 口伝律法の中の安息日に関する論争が始まる 138 年間病気であった人の癒しをきっかけに 論争が始まる 2 49~51 まで 安息日論争が続く (3)A.T. ロバートソンの調和表イエスは 安息日に病人を癒し パリサイ人たちに対して自らの行動を弁護する ( 49)( 今回は 5:19~47 を取り上げる
* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム
60 分でわかる旧約聖書 (23) イザヤ書 1. はじめに (1) 預言者たちの分類 1 旧約聖書では 預言者の時代はサムエルとともに始まった ( 前 1100 年頃 ) * 祭司たちが堕落した時代に 神は預言者を起こされた 2 預言書を書いた預言者たち (the writing prophets) は 王国が南北に分裂して以降に登場した ( 前 930 年頃 ) 3バビロン捕囚から帰還して以降
2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱
さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱は 天使 モーセ レビ的祭司である 1 御子は 天使に勝るお方であることが証明された 2 御子は モーセに勝るお方であることも証明された 3 御子は アロンに勝るお方であることの証明が続いている
2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク
聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は クリスチャン生活を律法主義的生活に追い込む (2) 救いの 3 つの側面は すべて信仰により 恵みによって達成される 1 義認 ( 過去形 ) 2 聖化 ( 現在進行形 ) 3 栄化 ( 未来形 ) (3) 今回は
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第一コリントの信徒への手紙クラス 十字架の言葉は神の力です 第一コリント 1:18 東京キリストの教会 クラス 5 13 章 : 愛の道 14 章 : 霊的な賜物を生かす 15 章 : イエスの復活の力 16 章 : まとめの言葉 1) 最初の訪問 教会の設立 50A.D. から約一年半滞在した ( 使徒 18:11) パウロは一年六か月の間ここにとどまって 人々に神の言葉を教えた 2) 最初の手紙
牧会の祈り
2016 年 2 月 14 日 ( 日 ) 朝 10: 10~ 受難節 四旬節第 1 役員会等 2 月第 2 公同主日礼拝式説教 日本アライアンス庄原基督教会 説教題 : 主への悪魔の試み 聖書 : マタイ 4 章 1~11 節 < 口語訳 > 新約聖書 4 頁マタイ 4 章 1~11 節 < 新共同訳 > 新約聖書 4~5 頁マタイ 4 章 1~11 節 < 新改訳第 3 版 > 新約聖書 4~5
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牧羊者 2014 年度第 Ⅰ 巻 中高科へのヒント 4~6 月 4 / 6 (4/6,4/13,/11,6/8,6/22 後藤健一師 4/20~/4,/18~6/1,6/1,6/29 石田高保師 ) 1. この世の中で イエス様を信じて従って生きていく時に つらいと思う時はありますか もし あるとしたら それはどんな時ですか 1. 弟子たちはイエス様について何と言っていますか (29~30) 2.
2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻
牧羊者 2017 年度第 Ⅰ 巻 中高科へのヒント ~ 月 ( 後藤健一 /2~9,/21,/11~18 石田高保 /1~/7,28~/ 三輪正見 /1,/2) / 2 1. この世の中で イエス様を信じて従って生きていく時に つらいと思う時はありま すか もし あるとしたら それはどんな時ですか 1. 弟子たちはイエス様について何と言っていますか (29~30) 2. イエス様は弟子たちのこれからの事について何と語られていますか
(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する
白い御座の裁き 黙 20:7~15 1. はじめに (1) これまでの復習 1 大患難時代を扱っているのは 6~18 章 2 再臨を扱っているのは 19 章 3 千年王国を扱っているのは 20 章 *20:1~6 千年王国 *20:7~10 サタンの反乱 *20:11~15 白い御座の裁き 421 章に入ると 新しい天と新しい地が登場する * 黙示 20 章がなければ メシア的王国が永遠の御国だと誤解してしまう
2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ
フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こる事を書きしるせ 1 今ある事 (2~3 章 ) の内容は アジアにある 7 つの教会への手紙である 2 今回は フィラデルフィアにある教会を取り上げる 2. アウトライン (1) フィラデルフィアにある教会
【古代4 キリスト教の成立と発展】
古代 4 キリスト教の成立と発展 1. 前史としてのユダヤ教 2. 原始キリスト教の成立 3. 異教社会への進出 4. 三, 四世紀における発展 1. 前史としてのユダヤ教 強大な異民族支配のもと, 選民意識 唯一神信仰 律法主義により生き残る バビロン捕囚の中, 個人の内面を重視する信仰のあり方を工夫 ヘレニズム時代には民族的視点をこえた国際的視野を獲得 キリスト教に影響を与える要素を備えていくローマの支配
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礼拝の恵み 牧師チャールズ フレドリクソン どうして クリスチャンは日曜日に礼拝するの? 多くのクリスチャンやまだクリスチャンではない人たちも この疑問を持っています そもそも 聖書時代には 今日でもそうなのですが 安息日を守るという律法がありました 安息日は 金曜日の夜から土曜日の日没までの一日で
日本福音ルーテルなごや希望教会 発行所名古屋市千種区今池 3-5-19 今池礼拝所 052(732)5545 名古屋市千種区富士見台 4-100 自由ヶ丘礼拝所 052(722)5796 名古屋市名東区高柳町 708 名東礼拝所 052(771)5267 発行者末竹十大佐々木赫子 C. フレドリクソン 題字春霞書 2010 年 6 月 27 日発行季刊第 5 号 分からないために 牧師末竹十大 イエスは
ヘブル人への手紙1章
ヘブル人への手紙 1 章 1-3 節 さらにすぐれた方 1A - ヘブル人に対する手紙 2A 神のことば 1-3 1B 預言者によって 1 2B 御子によって 2-3 1C 万物の相続者 2 2C 神の本質の現われ 3a 3C 罪のきよめ 3b ヘブル人への手紙を学びます 今日のメッセージ題は さらにすぐれた方 です 1A - ヘブル人に対する手紙この手紙に入る前に 私たちがこれまでずっと学んできたことをおさらいしたいと思います
