でに1500 戸 同 2 年 2 月 に 加 増 されて5000 戸 の 封 戸 が 充 てられていた 藤 原 仲 麻 呂 政 権 下 の 天 平 宝 字 4 年 (760)7 月 23 日 に 出 された 勅 (いわゆる 封 戸 処 分 勅 書 中 倉 14 )により 5000 戸 のうち 100

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1 正 倉 院 宝 庫 修 理 の 歴 史 と 自 然 災 害 飯 田 剛 彦 はじめに 本 稿 は 前 近 代 における 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 の 歴 史 を 振 り 返 りながら 歴 史 上 確 認 できる 災 害 との 関 連 の 有 無 を 検 討 するものである 奈 良 時 代 中 頃 の 建 造 以 後 現 在 に 至 るまで 宝 庫 では 大 小 様 々な 規 模 の 修 理 が 実 施 されてきた その 中 には 地 震 や 台 風 などの 発 生 した 時 期 と 近 接 し て 行 われたものもあるが 果 たして 両 者 の 間 に 相 関 関 係 はあるのか それとも 修 理 は 災 害 とは 別 の 要 因 で 行 われたのか 個 々の 事 例 について 検 証 を 試 みたい 扱 う 対 象 は 基 本 的 には 地 震 や 風 水 害 等 の 自 然 災 害 とし 宝 物 の 盗 難 などの 人 災 は 除 外 する 一 つの 着 目 点 として 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 が 東 大 寺 全 体 の 堂 塔 修 造 の 中 で 特 殊 な 位 置 づけを 与 えられていたか 否 か という 問 題 がある 正 倉 院 宝 庫 は 東 大 寺 の 建 物 の 一 つであると 共 に 聖 武 天 皇 遺 愛 の 品 を 納 めた 勅 封 倉 を 含 む 特 殊 な 建 造 物 でもあり 保 全 に 特 段 の 配 慮 が 払 われた 可 能 性 もある その 点 について 解 明 できれば 朝 廷 そして 東 大 寺 にとって 正 倉 院 が 如 何 なる 意 味 を 有 していたのかを 垣 間 見 ることができるかもしれない 史 料 に 記 事 のある 地 震 科 学 的 に 発 生 が 実 証 された 歴 史 上 の 地 震 等 ( 注 1) について 年 表 的 に 列 挙 することは 可 能 であるが それと 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 記 録 やその 他 の 痕 跡 との 相 関 関 係 を 証 明 することは 非 常 に 困 難 である 時 期 的 な 近 さのみを 理 由 に 災 害 と 修 理 を 安 易 に 直 結 させる ことなく 東 大 寺 要 録 ( 以 下 要 録 )をはじめ 関 連 史 料 から 窺 える 様 々な 状 況 を 考 慮 に 入 れ ながら 総 合 的 に 判 断 したい 特 に 東 大 寺 全 体 の 修 造 のあり 方 には 注 意 を 払 わねばならない なお 奈 良 時 代 から 勅 封 管 理 された 北 倉 に 加 え 平 安 時 代 後 期 までには 中 倉 も 勅 封 となった とされるが その 時 期 は 既 往 の 研 究 でも 明 確 にされていない よって 北 中 倉 のいずれを 指 すか 不 明 な 場 合 には 史 料 上 の 勅 封 倉 ( 蔵 ) という 名 称 をそのまま 使 用 することとする 一 平 安 時 代 平 安 時 代 における 東 大 寺 の 修 造 体 制 と 正 倉 院 の 警 備 防 災 体 制 まず 前 提 として 正 倉 院 も 含 めた 東 大 寺 諸 堂 塔 の 修 造 を 担 う 体 制 について 概 観 する 必 要 があ る 奈 良 時 代 に 東 大 寺 の 造 営 を 担 当 した 造 東 大 寺 司 は 造 営 事 業 の 終 息 に 伴 って 延 暦 8 年 (789) に 廃 止 され( 続 日 本 紀 同 年 3 月 16 日 条 ) 堂 塔 修 造 の 役 割 は 造 東 大 寺 所 ( 以 下 造 寺 所 寺 務 組 織 である 上 司 寺 政 所 に 対 して 下 司 とも 称 された)に 引 き 継 がれる 国 家 機 関 が 造 営 を 行 う 古 代 的 なあり 方 から 規 模 は 縮 小 しつつ 寺 内 組 織 が 封 戸 を 財 源 として 自 立 的 に 営 繕 を 担 う 中 世 的 なあり 方 へと 移 行 したことになる 東 大 寺 には 修 理 料 として 天 平 勝 宝 元 年 (749) 頃 ま (89)

2 でに1500 戸 同 2 年 2 月 に 加 増 されて5000 戸 の 封 戸 が 充 てられていた 藤 原 仲 麻 呂 政 権 下 の 天 平 宝 字 4 年 (760)7 月 23 日 に 出 された 勅 (いわゆる 封 戸 処 分 勅 書 中 倉 14 )により 5000 戸 のうち 1000 戸 が 造 営 修 理 料 に 割 り 当 てられ 以 後 造 寺 所 の 財 源 となった 次 に 正 倉 院 の 警 備 防 災 のあり 方 について 検 討 を 加 える 正 倉 院 宝 物 の 場 合 埋 納 して 残 すのではなく 地 上 で 目 を 配 りながら 保 存 する 方 法 を 選 択 した よって いざという 場 合 への 対 処 を 含 めて 宝 庫 を 監 守 する 体 制 は 整 えられていたものと 考 えられる 要 録 諸 会 章 之 余 に 収 め られた 寛 平 年 中 日 記 を 典 拠 とする 年 中 節 会 支 度 という 記 事 に 月 毎 の 仏 供 雑 用 料 の 一 つとして 正 倉 院 守 の 食 料 1 斗 5 升 が 計 上 されている 寛 平 年 間 (889~898)は 数 年 おき に 畿 内 周 辺 で 巨 大 地 震 が 発 生 した 元 慶 年 間 から 仁 和 年 間 の 直 後 にあたる 特 に 仁 和 3 年 (887) 7 月 30 日 には 南 海 東 海 地 方 を 震 源 とするマグニチュード8.0~8.5 規 模 の 巨 大 地 震 ( 仁 和 の 南 海 東 海 地 震 )が 発 生 している ( 注 2) 正 倉 院 についていえば 貞 観 2 年 (860)8 月 14 日 に 紫 鉱 が 出 蔵 されて 以 降 宝 物 が 出 蔵 されることも 絶 え 宝 庫 も 動 用 の 倉 から 不 動 の 宝 蔵 となり 宝 庫 に 破 損 や 盗 難 の 害 が 及 ばぬよう 見 守 られる 対 象 となった ( 注 3) そのような 背 景 もあり 災 害 発 生 時 に 危 機 感 の 高 まりから 制 度 が 整 えられた 可 能 性 も 想 定 しうるが この 史 料 のみから 正 倉 院 守 の 制 度 的 始 原 を 云 々することはできない 正 倉 院 守 は 他 の 史 料 には 表 れず 果 たした 役 割 など その 性 格 は 詳 らかでないが 寛 平 年 中 日 記 には 守 の 食 料 としては 他 に 泉 木 屋 守 西 院 守 分 1 斗 5 升 がそれぞれ 挙 げられている 西 院 守 については 西 院 自 体 長 元 4 年 (1031)に 検 校 僧 正 深 覚 が 建 立 し た 別 院 であって 同 項 目 中 最 末 の 記 載 であることからも 追 記 の 可 能 性 が 高 いので 考 察 対 象 か ら 外 す 泉 木 屋 は 木 津 川 のほとりに 設 けられた 物 資 特 に 木 材 の 集 積 拠 点 である 倉 庫 施 設 も 伴 っていた また 守 が 伽 藍 を 構 成 する 主 要 堂 舎 毎 に 設 定 されている 訳 ではないことを 考 えれば 建 物 の 監 守 というよりも 保 管 物 品 の 保 護 警 備 が 目 的 であったように 思 われる 加 えて 主 要 堂 舎 からやや 外 れた 立 地 ( 西 院 も 正 倉 院 近 辺 に 置 かれていたらしい)であったこ とも 勘 案 すれば 比 較 的 警 備 監 守 の 目 の 届 きづらい 場 所 にあり また 重 要 な 保 管 物 品 を 有 する 施 設 について 区 画 全 体 を 見 守 る 役 職 として 守 が 設 けられたと 考 えられる 警 備 監 守 の 担 い 手 についても 詳 細 は 不 明 であるが 手 掛 かりとなる 史 料 は 確 認 できる 要 録 雑 事 章 の 引 く 東 大 寺 職 掌 寺 奴 事 によれば 天 平 勝 宝 2 年 (750)2 月 22 日 に 奴 婢 200 人 が 聖 武 太 上 天 皇 によって 施 入 されている その 職 掌 の 説 明 に 私 云 として 朝 に 霜 雪 を 払 い 大 仏 供 に 備 えて 毎 日 不 闕 の 計 を 廻 らし 暮 に 星 辰 を 戴 き 宝 蔵 の 辺 に 侍 して 盗 賊 火 難 の 畏 れを 防 ぐ 寺 家 の 要 人 只 此 れに 在 るのみ と 記 し 奴 婢 が 正 倉 院 付 近 の 警 備 に 当 たった 状 況 を 示 し ている この 記 述 自 体 は 奴 婢 の 起 源 に 関 する 要 録 編 纂 時 の 推 測 に 過 ぎず 奈 良 時 代 の 奴 婢 に よる 正 倉 院 の 警 備 を 証 する 根 拠 にはならないが この 前 段 で 触 れられた 東 大 寺 の 楽 人 の 起 源 をこれら 奴 婢 とする 記 述 については 奈 良 時 代 の 関 連 史 料 も 見 出 せるので ( 注 4) 強 ち 荒 唐 無 稽 な こととも 言 い 難 い 少 なくとも 要 録 の 成 立 した12 世 紀 初 頭 には 古 代 の 奴 婢 と 結 びつけられ る 諸 職 と 称 される 俗 人 集 団 = 俗 役 によって 正 倉 院 付 近 の 警 備 が 担 われていたことは 認 め (90)

3 てよかろう 正 倉 院 守 の 実 体 もその 辺 りに 求 めることができようか 平 安 時 代 前 期 における 修 理 の 可 能 性 について(10 世 紀 前 半 まで) 正 倉 院 の 修 理 に 関 する 最 も 古 い 史 料 は 後 掲 の10 世 紀 後 半 の 天 禄 年 間 のものであるが 8 世 紀 半 ばに 造 立 された 建 物 が200 年 以 上 修 理 されなかったとは 考 え 難 い 記 録 には 残 らないが 幾 度 かの 修 繕 工 事 が 実 施 された 可 能 性 は 高 い 平 安 時 代 前 期 正 倉 院 周 辺 での 災 害 としてまず 想 起 されるのは 東 大 寺 大 仏 頭 部 の 落 下 とい う 一 大 事 であろう 延 暦 5 年 (786) 頃 から 大 仏 に 入 り 始 めた 亀 裂 は 次 第 に 広 がり 天 長 4 年 (827)4 月 に 大 仏 の 後 に 小 山 を 作 って 補 強 を 行 った( 要 録 雑 事 章 所 引 同 年 同 月 17 日 太 政 官 牒 ) この 頃 大 仏 の 頭 部 も 傾 いており 同 年 7 月 の 群 発 地 震 で 大 きな 損 害 を 被 り 斉 衡 2 年 (855) 5 月 に 発 生 した 地 震 が 直 接 的 な 引 き 金 となって 落 下 に 至 った( 文 徳 天 皇 実 録 同 年 同 月 23 日 条 ) 修 理 が 完 了 して 法 会 が 催 されたのは 貞 観 2 年 (860)のことで 5 年 という 長 い 歳 月 を 要 した( 日 本 三 代 実 録 貞 観 9 年 4 月 4 日 条 ) その 後 斉 衡 3 年 (856)3 月 にも 大 地 震 (マグニチュード6.3 程 度 )があり 京 とその 南 方 で 大 きな 被 害 があった( 文 徳 天 皇 実 録 同 年 同 月 是 月 条 地 数 震 京 師 及 城 南 或 屋 舎 毀 壊 或 仏 塔 倚 傾 ) そのような 中 同 年 6 月 に 正 倉 院 宝 物 の 点 検 が 実 施 されている( 斉 衡 三 年 雑 財 物 目 録 北 倉 165 )が この 点 検 は 大 仏 頭 部 の 落 下 という 大 事 件 さらにその 後 に 続 いた3 月 の 大 地 震 を 受 けて 実 施 された 可 能 性 が 高 い 宝 庫 自 体 の 地 震 被 害 の 発 生 そして その 修 理 と それに 伴 う 宝 物 の 移 動 等 については 不 明 としかいいようがないが 可 能 性 という 意 味 ではこの 斉 衡 3 年 の 宝 物 点 検 時 が 一 つの 候 補 として 挙 がる 貞 観 10 年 (868)7 月 には 播 磨 国 に 大 きな 被 害 をもたらした 地 震 があり( 日 本 三 代 実 録 同 年 同 月 8 日 条 ) 余 震 も 暫 く 続 いたが 同 国 と 京 内 以 外 での 被 害 に 関 する 史 料 は 残 っていない 延 喜 年 間 後 期 にも 東 大 寺 では 災 害 と 復 興 の 動 きがあった 延 喜 17 年 (917)12 月 1 日 夜 東 大 寺 に 失 火 があり 講 堂 三 面 僧 房 が 焼 亡 した( 要 録 雑 事 章 之 余 ) 位 置 的 な 近 さからすれば 正 倉 院 にも 被 害 が 及 ぶ 可 能 性 は 十 分 あった 大 きな 被 害 の 発 生 を 受 けて 延 喜 20 年 (920)に は 造 寺 所 職 員 として 同 6 年 に 停 廃 されていた 勾 当 が 復 活 し( 同 年 11 月 15 日 太 政 官 牒 大 日 本 古 文 書 家 わけ 第 十 八 東 大 寺 文 書 之 一 東 南 院 文 書 139 号 以 下 東 南 院 文 書 号 と 省 略 ) 同 22 年 には 造 寺 所 の 知 事 1 名 を 増 員 し( 同 年 9 月 23 日 太 政 官 牒 東 南 院 文 書 141 号 ) 修 造 体 制 の 充 実 を 図 っている 延 喜 20 年 12 月 には 阿 弥 陀 堂 薬 師 堂 などの 雑 物 を 羂 索 院 双 倉 に 移 納 して 綱 封 によって 管 理 することとなったが( 要 録 諸 院 章 ) これも 堂 塔 の 修 理 を 機 に 行 われたものかもしれず この 頃 に 寺 内 堂 塔 の 修 造 が 実 施 された 可 能 性 があるかもしれない 他 の 例 から 見 ても そのような 機 会 には 正 倉 院 宝 庫 にも 修 理 の 手 が 加 えられることが 多 く あくまで 推 測 に 止 まるがこの 時 期 における 宝 庫 修 理 の 可 能 性 も 想 定 する 必 要 がある その 後 承 平 8 年 (938)4 月 15 日 に 京 でマグニチュード7.0とされる 大 地 震 が 発 生 し 内 膳 (91)

4 司 の 屋 舎 や 京 中 の 築 垣 その 他 家 屋 や 諸 寺 堂 塔 仏 像 等 に 大 きな 被 害 があったが 東 大 寺 にお ける 被 害 は 確 認 できない( 日 本 紀 略 康 富 記 同 日 条 ) 天 暦 4 年 (950)には 羂 索 院 双 倉 の 朽 損 により その 納 物 が 正 蔵 三 小 蔵 南 端 蔵 すなわち 現 在 の 正 倉 南 倉 に 移 された( 要 録 諸 院 章 ) 正 倉 院 に 直 接 被 害 があった 訳 ではないが 寺 内 の 堂 塔 における 損 害 が 正 倉 院 宝 庫 にも 影 響 を 及 ぼした 例 といえる 東 大 寺 では 承 平 4 年 (934)10 月 に 落 雷 で 西 塔 が 焼 亡 し( 続 東 大 寺 要 録 以 下 続 要 録 ) 応 和 2 年 (962)8 月 には 南 大 門 や 大 仏 殿 南 扉 が 大 風 で 倒 れている( 要 録 雑 事 章 後 愚 昧 記 ) また 同 年 10 月 には 承 平 5 年 (935)に 再 建 されたばかりの 講 堂 が 再 び 焼 亡 する( 要 録 雑 事 章 ) など 10 世 紀 半 ばから 後 半 にも 度 々 災 害 の 被 害 を 受 け 堂 塔 の 経 年 劣 化 も 伴 い 本 格 的 な 修 理 が 待 望 される 状 況 にあったと 考 えられる 天 禄 年 間 の 修 理 (971~973) 先 述 のように 史 料 上 確 認 できる 正 倉 院 を 対 象 とした 最 も 古 い 時 期 の 修 理 は 天 禄 2 年 (971) 5 月 から 同 4 年 にかけて 実 施 された 寺 内 全 体 の 堂 塔 を 対 象 としたものに 含 まれる 当 時 の 別 当 は 大 法 師 法 縁 であり 彼 の 別 当 重 任 を 命 じた 天 延 2 年 (974)5 月 24 日 付 の 太 政 官 牒 ( 東 南 院 文 書 34 号 )において 当 時 の 東 大 寺 が 爰 時 代 累 積 之 間 甍 瓦 多 以 顛 覆 年 月 推 遷 之 処 堂 舎 尽 以 破 損 という 状 況 であったのを 法 縁 が2 年 余 りをかけて 徹 底 的 に 修 理 の 手 を 加 えたと の 評 価 を 与 えている 太 政 官 牒 の 表 現 によるならば かなり 大 規 模 な 寺 内 堂 塔 の 再 建 修 理 が 実 施 されたようである 特 に 破 損 状 況 の 著 しかった 修 理 対 象 として 大 僧 房 6 宇 東 塔 院 戒 壇 院 薬 師 院 講 堂 軒 廊 食 堂 入 隅 上 下 政 所 坊 等 と 共 に 正 倉 院 が 挙 げられている 正 倉 院 の 修 理 の 具 体 的 な 規 模 ( 用 材 期 間 等 )は 不 詳 であるが 破 損 状 況 の 著 しい 堂 舎 の 一 つに 挙 げら れていることは 注 目 に 値 する なお 天 延 4 年 6 月 18 日 都 では 内 裏 や 八 省 院 等 の 建 物 東 寺 西 寺 極 楽 寺 清 水 寺 円 覚 寺 等 の 堂 塔 が 倒 壊 する 大 地 震 が 起 き 近 江 国 でも 大 きな 被 害 が 報 告 されているが( 日 本 紀 略 扶 桑 略 記 同 日 条 ) 東 大 寺 の 被 災 に 関 する 記 録 はない この 天 禄 年 間 の 修 理 に 関 する 記 述 は 別 当 法 縁 の 事 跡 として 残 されたものである 堂 塔 の 修 造 を 積 極 的 に 推 進 すべき 立 場 にあったのは 別 当 であり その 評 価 においては 修 造 に 努 めたか 否 かが 大 きな 要 素 を 占 めた 別 当 の 補 任 重 任 を 要 請 する 文 書 でもその 修 造 における 功 績 が 強 調 されている 10 世 紀 には 光 智 ( 天 暦 4 年 月 補 任 ) 法 縁 ( 天 禄 2 年 月 補 任 ) 澄 心 ( 寛 弘 4 年 月 補 任 )らが 修 造 に 功 のあった 別 当 として 名 を 残 している 光 智 は 自 ら 杣 に 赴 いて 用 材 の 調 達 を 行 うなど 突 出 した 活 動 を 示 すが そこまでいかずとも 必 要 な 費 用 を 捻 出 し 造 寺 所 または 修 理 所 を 領 導 して 修 造 に 努 めることが 別 当 に 求 められていた 別 当 のもとで 堂 塔 の 修 造 にあたった 造 寺 所 について 10 世 紀 の 後 半 にはその 知 事 僧 が 勤 務 怠 慢 ( 無 レ 故 不 レ 上 不 レ 仕 )で 改 替 される 例 を 多 く 確 認 でき( 康 保 3 年 (966) 閏 8 月 29 日 太 政 官 牒 東 南 院 文 書 148 号 安 和 2 年 (969) 閏 5 月 5 日 太 政 官 牒 同 149 号 天 元 2 年 (979) 12 月 25 日 太 政 官 牒 同 157 号 ) 組 織 として 機 能 不 全 に 陥 っていた 可 能 性 も 指 摘 されている ( 注 5) (92)

5 かつて 独 自 財 源 を 有 していたものの 経 済 活 動 の 中 心 はあくまで 寺 政 所 であり 寺 内 での 位 置 付 けも 徐 々に 低 くなっていったのではなかろうか 佐 藤 泰 弘 氏 によれば 10 世 紀 末 には 修 理 所 による 封 物 の 徴 収 は 既 に 破 綻 しており 衰 勢 は 顕 著 になっていく ( 注 6) 長 元 4 年 の 修 理 (1031) 次 に 正 倉 院 の 修 理 に 関 する 記 事 がみえるのは 長 元 4 年 (1031)である 小 右 記 によれば 同 年 7 月 5 日 別 当 僧 都 仁 海 が 右 大 臣 藤 原 実 資 の 許 を 訪 れ 勅 封 御 倉 棟 の 風 損 を 理 由 に 勅 使 を 発 遣 して 修 理 を 行 うよう 要 請 しており 実 資 はこれを 関 白 藤 原 頼 通 に 報 告 している 他 の 史 料 にはこの 時 期 に 風 雨 災 害 発 生 の 記 事 を 見 出 すことはできないが 已 為 レ 風 被 二 吹 損 一 という 理 由 が 明 示 されていることから 比 較 的 近 接 した 時 期 に 被 災 したと 考 えてよいであろう 左 経 記 によれば 修 理 は 同 年 7 月 から8 月 初 旬 までの 間 に 実 施 されたが 正 確 な 修 理 期 間 は 分 からない( 同 年 8 月 4 日 条 ) その 際 に 派 遣 された 右 中 弁 からは 南 倉 の 板 敷 の 下 まで 雨 水 が 漏 れ 通 って 湿 潤 しており 納 物 も 湿 損 の 可 能 性 がある 旨 報 告 がなされている これらは 自 然 災 害 を 理 由 に 正 倉 院 の 修 理 が 行 われたことが 確 認 できる 最 も 古 い 記 事 である 別 当 が 直 接 都 に 赴 いて 開 封 のための 勅 使 の 発 遣 と 勅 封 倉 修 理 とを 要 請 しており 正 倉 院 宝 庫 に ついては 別 当 が 責 任 を 持 って 監 守 修 理 に 努 める 体 制 が 確 立 していたことが 分 かる 同 時 期 には 正 倉 院 の 動 用 倉 の 倒 壊 に 関 する 記 事 も 要 録 別 当 章 にみえる この 記 事 は 仁 海 の 任 期 中 即 ち 長 元 2~5 年 (1029~1032)の 出 来 事 として 記 されるのみで 正 確 な 年 次 は 特 定 で きない 先 述 の 如 く この 期 間 で 大 きな 風 雨 災 害 の 記 事 は 認 められないが 長 元 4 年 の 勅 封 倉 修 理 が 風 損 を 原 因 に 行 われたものであること 概 ね 時 系 列 で 記 事 が 整 理 されている 要 録 別 当 章 において 動 用 倉 倒 壊 の 記 事 は 長 元 4 年 正 月 11 日 の 西 院 建 立 の 記 事 の 次 そして 同 年 9 月 16 日 付 官 符 による 藤 原 実 資 の 俗 別 当 就 任 の 記 事 の 前 に 配 されていることなどからすれば 勅 封 倉 風 損 と 動 用 倉 倒 壊 は 同 じタイミングで 起 こった 可 能 性 が 高 い 上 記 古 記 録 に 動 用 倉 倒 壊 に 関 する 記 載 は 全 くないが 朝 廷 側 では 勅 封 倉 の 開 扉 修 理 が 主 たる 関 心 事 であり また 実 資 経 頼 ともに 現 地 で 直 接 被 害 を 目 の 当 たりにした 訳 ではないので 問 題 ではない よって 以 上 のよ うに 考 えても 大 過 なかろう そうであるならば 同 一 区 内 で 同 時 に 被 災 した 建 造 物 で 一 方 は 持 ちこたえ 他 方 は 倒 壊 に 至 るという 大 きな 相 違 が 生 じたことになる これには 立 地 の 問 題 に 加 え 建 築 規 模 が 異 なるために 耐 震 性 能 に 差 があったこと 宝 庫 の 方 がメンテナンスの 上 でも 手 厚 い 保 護 が 加 えられていたため 状 態 も 異 なっていたことなど 様 々な 可 能 性 が 想 定 できる 長 元 4 年 (1031) 閏 10 月 27 日 には 有 封 の 諸 寺 と 南 都 七 大 寺 の 破 損 を 検 ずるために 官 使 を 発 遣 することが 朝 廷 で 議 論 されている( 左 経 記 同 日 条 ) 8 月 に 実 施 された 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 と 時 期 的 に 近 接 しているので この 修 理 を 契 機 として 諸 寺 の 破 損 状 況 確 認 の 必 要 性 が 強 く 認 識 されるようになった 可 能 性 はある 実 際 に 官 使 の 発 遣 が 実 施 されたか 否 かを 示 す 史 料 は 確 認 で きないが 11 世 紀 後 半 の 東 大 寺 別 当 交 替 時 には 前 別 当 が 修 造 を 実 施 した 堂 塔 の 破 損 状 況 が 官 使 によって 調 査 され それに 基 づいて 朝 廷 から 新 別 当 のもとでの 修 理 を 促 す 指 示 が 出 されるこ (93)

6 ととなったので その 先 駆 的 な 動 きとして 注 目 に 値 する その 後 長 元 7 年 (1034)8 月 9 日 から3 日 間 近 畿 地 方 は 大 風 洪 水 の 被 害 に 見 舞 われる ( 日 本 紀 略 左 経 記 等 ) 東 大 寺 でも 大 風 によって 大 仏 殿 と 殿 内 の 繍 曼 荼 羅 が 共 に 破 損 し たとの 記 事 が 要 録 雑 事 章 にみられるが 正 倉 院 の 被 害 については 確 認 できない 天 喜 5 年 の 修 理 (1057) 風 損 による 修 理 から25 年 以 上 を 経 て 天 喜 5 年 (1057) 正 月 に 南 倉 8 月 から10 月 の 間 に 勅 封 倉 の 修 理 がそれぞれ 東 大 寺 修 理 所 によって 実 施 された 南 倉 については 屋 根 瓦 の 葺 き 替 えと 躯 体 の 修 理 勅 封 倉 については 屋 根 瓦 の 葺 き 替 えのみが 行 われ 天 喜 5 年 東 大 寺 修 理 所 修 理 注 進 記 ( 東 南 院 文 書 号 )という 用 度 に 関 する 報 告 書 に 記 録 が 残 されている ( 注 7) 224 号 によれば 南 倉 は 正 月 16 日 から11 日 間 で 修 理 し 勅 封 倉 は 棟 一 間 余 を1 日 間 のみで 修 理 葺 して いる ( 注 8) ( 挿 図 1) 225 号 において 南 倉 の 修 理 には 躯 体 の 修 理 部 材 の 他 瓦 5150 枚 藁 86 束 が 勅 封 倉 の 修 理 には 瓦 200 枚 藁 18 束 等 が それぞれ 資 材 として 計 上 されている 屋 根 の 部 材 の 分 量 で 単 純 比 較 しても 南 倉 は 本 格 修 理 勅 封 倉 は 軽 微 な 修 理 といえる なお 本 誌 所 収 の 光 谷 拓 実 氏 の 論 考 で 年 輪 年 代 測 定 調 査 により 伐 採 年 代 が 治 安 4 年 (1024) + α 層 ( 推 定 1024 年 以 降 1050 年 以 前 )と 推 定 される 材 が 南 倉 北 面 の 屋 根 に 近 い 大 振 りな 校 木 ( 光 谷 論 文 の 中 倉 2 階 南 面 壁 材 )として 使 用 されていることが 判 明 した ( 注 9) 修 理 箇 所 や 規 模 を 勘 案 すれば この 材 の 使 用 は 天 喜 5 年 の 修 理 時 であった 可 能 性 が 高 い 修 理 注 進 記 の 南 倉 部 分 に 方 尺 木 三 支 直 十 八 石 支 別 六 石 との 記 載 があり このうちの1 支 に 相 当 しよう 記 録 に 残 る 個 別 部 材 の 実 物 と 推 定 されるものが 確 認 された 意 味 は 大 きい この 折 の 修 理 は 正 倉 院 宝 庫 のみを 対 象 としたものではなく 天 喜 4 年 (1056)から 康 平 元 年 (1058)の 間 に 東 大 寺 全 体 で 大 規 模 な 堂 塔 の 修 理 が 行 われている 古 記 録 等 にも 直 前 に 大 き な 災 害 があった 形 跡 は 認 められないが 3 年 前 の 天 喜 元 年 (1053)9 月 20 日 には 天 地 院 が 焼 亡 挿 図 1 天 喜 5 年 東 大 寺 修 理 所 修 理 注 進 記 冒 頭 南 倉 記 載 部 分 及 び 勅 封 倉 記 載 部 分 (94)

7 するという 大 きな 事 件 があった この 出 来 事 との 直 接 的 な 関 連 は 窺 知 できないものの 東 大 寺 全 体 の 堂 塔 を 対 象 とした 修 理 が 確 認 できる 天 禄 年 間 からは80 年 以 上 が 経 過 しており 経 年 劣 化 も 進 んだことから 堂 舎 ( 大 仏 殿 講 堂 食 堂 戒 壇 院 上 司 政 所 諸 門 等 )の 総 合 的 な 修 理 事 業 が 実 施 されたのであろう 修 理 注 進 記 ( 東 南 院 文 書 222~225 号 )によれば 修 理 の 必 要 な 箇 所 に 対 して 短 い 工 期 で 次 々に 手 を 加 えていった 状 況 が 分 かる ( 注 10) 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 もその 一 環 として 実 施 されている ( 注 11) この 事 業 を 担 った 修 理 所 は 造 寺 所 の 改 組 によって 成 立 した 営 繕 機 構 である 成 立 時 期 は 不 詳 であるが 史 料 上 の 初 見 は 天 喜 4 年 の 修 理 注 進 記 ( 東 南 院 文 書 号 )である 造 寺 所 職 員 は 太 政 官 から 補 任 されたが 修 理 所 職 員 は 別 当 から 補 任 されるようになり 造 寺 所 の 有 し ていた 封 戸 の 管 理 権 も 完 全 に 手 放 して 財 政 上 自 立 的 な 組 織 でなくなったことなどが 指 摘 されて いる ( 注 12) 既 に10 世 紀 末 頃 に 造 寺 所 が 機 能 不 全 に 陥 っていたとの 指 摘 があったが この 時 期 に 組 織 の 効 率 化 によって 大 規 模 な 寺 内 修 理 に 耐 えうる 営 繕 機 構 として 発 足 したものと 推 定 できる 承 暦 3 年 の 修 理 (1079) 承 暦 3 年 (1079)には 勅 封 倉 乾 角 の 破 損 修 理 が 実 施 された 修 理 期 間 については 不 明 である この 修 理 については 開 封 のため 勅 使 を 発 遣 する 旨 寺 へ 伝 達 した 官 宣 旨 が 残 されている( 承 暦 3 年 8 月 28 日 官 宣 旨 御 物 整 理 掛 購 入 文 書 ( 注 13) )( 挿 図 2) 奥 の 署 判 は 実 際 に 使 者 として 発 遣 された 源 某 のものである この 文 書 によれば 東 大 寺 から 要 請 を 受 けて 勅 封 倉 乾 角 の 破 損 修 理 に 立 ち 会 うべく 権 左 中 弁 源 朝 臣 ( 師 賢 ) 大 監 物 源 朝 臣 行 高 主 鈴 安 倍 助 清 らを 派 遣 す る 旨 東 大 寺 に 伝 達 されている 早 任 二 先 例 一 という 表 現 には それまで 勅 封 倉 の 破 損 が 確 認 された 際 には 速 やかに 開 封 の 上 修 理 が 実 施 されてきたという 含 意 がある 左 弁 官 下 二 東 大 寺 一 使 権 左 中 弁 源 朝 臣 大 監 物 源 朝 臣 行 高 主 鈴 安 倍 助 清 右 得 二 彼 寺 去 年 二 月 廿 五 日 奏 状 一 偁 勅 封 御 蔵 乾 角 権 律 師 延 幸 寺 務 之 時 破 損 畢 而 寺 家 之 吏 遷 替 之 間 自 然 延 怠 早 任 二 先 例 一 被 レ 下 二 勅 使 一 欲 レ 令 二 修 固 一 之 状 言 上 如 レ 件 者 権 中 納 言 源 朝 臣 経 信 宣 奉 レ 勅 依 レ 請 者 差 二 件 等 人 一 発 遣 如 レ 件 寺 宜 二 承 知 一 依 レ 宣 行 レ 之 承 暦 三 年 八 月 廿 八 日 大 史 小 槻 宿 祢 在 判 権 中 弁 源 朝 臣 在 判 (95)

8 修 理 対 象 箇 所 の 破 損 が 生 じた のは 延 幸 の 別 当 在 任 期 間 ( 康 平 2 年 ~ 治 暦 ~1066 ) であったことが 明 記 されている これは 延 幸 の 別 当 退 任 時 治 暦 3 年 (1067)4 月 に 朝 廷 から 使 者 が 発 遣 されて 行 われた 寺 内 堂 塔 の 状 況 確 認 で 記 録 が 残 され たことによるのであろう ( 注 14) 破 損 の 原 因 については 記 すとこ 挿 図 2 承 暦 3 年 8 月 28 日 官 宣 旨 ろがない 扶 桑 略 記 は 康 平 3 年 (1060)6 月 18 日 同 4 年 5 月 6 日 同 6 年 2 月 日 3 月 11 日 治 暦 元 年 (1065)3 月 24 日 5 月 7 日 同 2 年 4 月 8 日 などに 地 震 があったことを 記 すが 震 源 規 模 被 害 の 有 無 等 は 全 く 不 明 で 正 倉 院 宝 庫 に 被 害 があったとの 記 録 も 皆 無 である 地 震 や 台 風 による 被 害 が 史 料 的 に 確 認 できない 以 上 経 年 による 破 損 の 可 能 性 についても 考 えるべきであろう 振 り 返 れば 天 喜 5 年 (1057) の 勅 封 倉 修 理 は 瓦 の 一 部 葺 き 替 えにとどまり 建 築 本 体 の 修 理 は 長 元 4 年 (1031)7 月 まで 遡 る 破 損 は 長 元 4 年 以 降 調 査 の 実 施 された 治 暦 3 年 までの30 数 年 の 間 で 徐 々に 拡 大 した 可 能 性 を 考 えておくべきである ( 注 15) ともあれ 破 損 が 確 認 されて 十 数 年 間 勅 封 倉 北 西 角 の 破 損 が 放 置 されていたのは 事 実 であ る 延 幸 の 次 の 別 当 有 慶 の 退 任 時 にも 遣 使 による 確 認 がなされたが 修 理 には 至 らなかった 朝 廷 からの 遣 使 は 交 替 時 に 新 任 の 別 当 に 修 理 を 促 す 目 的 を 持 つが この 時 期 に 堂 塔 の 修 造 が 盛 んに 行 われた 形 跡 はなく 正 倉 院 宝 庫 も 例 外 ではなかった 朝 廷 と 寺 による 破 損 状 況 確 認 がな されるようになったものの 修 理 を 実 行 に 移 すのはあくまで 別 当 の 権 限 であり 結 果 的 に 寺 家 之 吏 遷 替 之 間 自 然 延 怠 という 状 態 に 陥 る 場 合 もあったことが 分 かる 理 由 の 一 つは 勅 封 倉 の 破 損 が 構 造 上 致 命 的 な 影 響 を 及 ぼす 程 ではなかったことによるのであろう 勅 封 倉 修 理 の 実 施 された 承 暦 3 年 (1079)には 食 堂 南 西 角 9 間 の 修 理 大 仏 殿 東 庇 の 修 理 および 同 北 西 角 第 二 母 屋 の 柱 4 丈 の 切 り 替 え 千 手 院 西 面 の 修 理 が 行 われている( 東 大 寺 別 当 次 第 以 下 別 当 次 第 ) ( 注 16) これは 承 保 2 年 (1075)に 別 当 に 就 任 した 慶 信 のもとで 積 極 的 に 寺 内 全 体 の 修 造 事 業 が 進 められた 結 果 であって ( 注 17) 勅 封 倉 の 修 理 は 懸 案 ではあったものの 緊 急 性 があって 着 手 されたものではなかったらしい 朝 廷 としても 急 を 要 する 修 理 ではないこ とを 認 識 していたものと 思 われ 勅 使 派 遣 の 依 頼 がなされた 承 暦 2 年 2 月 から この 官 宣 旨 の 出 された3 年 8 月 までには1 年 半 という 長 い 時 間 が 経 過 している なお 承 暦 3 年 に 実 施 された 一 連 の 修 理 のうち 要 録 別 当 章 が 別 当 慶 信 の 事 跡 として 取 り 上 げるのは 食 堂 南 西 角 の 修 理 のみである 勅 封 倉 の 修 理 そのものについての 記 述 は 要 録 にはなく (96)

9 開 封 を 機 に 取 り 出 されて 進 官 された 麝 香 5 両 の 代 価 として 銀 提 子 1 口 が 施 入 された という 副 次 的 な 事 柄 のみが 採 録 されている ( 注 18) 以 上 よほど 構 造 上 致 命 的 なダメージを 受 けない 限 り 勅 封 倉 とはいえ その 修 理 は 寺 内 の 堂 塔 修 理 全 体 の 流 れの 中 で 実 施 されたのであって 修 理 において 何 を 措 いても 勅 封 倉 を 優 先 的 な 着 手 対 象 として 扱 っていたような 形 跡 は 認 められない 修 理 という 理 由 があるにせよ 頻 繁 に 開 封 を 行 うことは それだけ 正 倉 院 宝 物 に 対 する 関 心 を 惹 起 する 度 合 いを 高 め 盗 難 事 件 な ど ( 注 19) 宝 物 の 保 存 管 理 上 好 ましくない 結 果 を 招 来 することもあった よって 必 要 以 上 の 開 封 を 謹 むという 意 味 でも 上 記 のようなあり 方 となったのではなかろうか 康 和 2 年 の 修 理 (1100) 要 録 別 当 章 は 康 和 2 年 (1100)の 冬 勅 封 倉 の 修 理 が 実 施 されたことを 記 す たった1 行 の 記 載 であり これまでほとんど 注 目 されてはこなかったが 要 録 に 採 録 された 正 倉 院 の 修 理 記 録 はこれが 唯 一 であり 同 年 の 修 理 は 深 く 検 討 すべき 内 容 を 有 する 律 師 永 観 有 慶 深 観 資 康 和 二 年 任 寺 務 二 年 康 和 二 半 三 四 半 同 二 年 冬 勅 封 蔵 修 理 三 年 東 塔 七 重 皆 修 理 了 同 四 年 食 堂 登 廊 修 理 同 四 年 辞 退 まず 修 理 の 契 機 について 検 討 を 加 えたい 修 理 の 実 施 された 康 和 2 年 は マグニチュード 8 以 上 の 規 模 とされる 平 安 時 代 における 最 大 級 の 地 震 いわゆる 永 長 地 震 と 康 和 地 震 の 直 後 にあたっている ( 注 20) 永 長 地 震 は 嘉 保 3 年 (1096 永 長 元 年 )11 月 24 日 に 近 江 伊 勢 駿 河 国 等 を 中 心 に 大 きな 被 害 をもたらした 地 震 (マグニチュード )であり 南 都 での 被 害 としては 薬 師 寺 回 廊 が 倒 壊 した 他 東 大 寺 の 大 鐘 が 落 下 したこと 等 が 記 録 されている( 中 右 記 嘉 保 3 年 11 月 24 日 条 裏 書 ) 康 和 地 震 は 承 徳 3 年 (1099 康 和 元 年 ) 正 月 24 日 に 発 生 し 近 畿 四 国 地 方 に 被 害 を 与 えたマグニチュード8.2 規 模 の 地 震 で 興 福 寺 では 西 金 堂 の 柱 の 一 部 と 塔 が 破 損 し 回 廊 と 大 門 が 倒 壊 している( 後 二 条 師 通 記 同 年 同 月 日 条 ) これら 2つは 一 連 の 地 震 であり 前 後 の 余 震 についても 本 朝 世 紀 他 に 記 録 が 残 されている 直 前 にこのような 大 地 震 が 発 生 しているので 今 次 の 修 理 もこの 被 害 に 対 する 処 置 のような 印 象 を 受 けるが 東 大 寺 の 被 害 については 嘉 保 3 年 の 大 鐘 の 落 下 以 外 史 料 上 に 記 すところは ない それ 以 外 の 被 害 が 皆 無 であったとは 断 言 できないが 永 長 地 震 は 伊 勢 駿 河 国 康 和 地 震 は 土 佐 国 において それぞれ 津 波 による 被 害 が 甚 大 であったことが 後 二 条 師 通 記 や 中 右 記 から 判 明 し 近 畿 地 方 での 被 害 は 限 定 的 なものと 考 えられる それでは 康 和 2 年 の 勅 封 倉 修 理 の 契 機 は 如 何 なるものであったのか 同 年 の 東 大 寺 の 動 き (97)

10 が 窺 える 史 料 として 同 年 8 月 12 日 に 同 寺 に 対 して 出 された 官 宣 旨 案 を 以 下 に 掲 げる( 大 日 本 古 文 書 家 わけ 第 十 八 東 大 寺 文 書 之 七 296 号 官 宣 旨 案 ) ( 端 裏 書 ) 東 大 寺 康 和 二 年 興 福 寺 造 畢 以 後 国 見 杣 被 レ 返 宣 旨 左 弁 官 下 二 東 大 寺 一 応 下 停 二 止 興 福 寺 役 一 致 中 寺 家 修 理 勤 上 伊 賀 国 黒 田 杣 工 等 事 右 得 二 東 大 寺 去 七 月 廿 三 日 解 状 一 偁 謹 検 二 案 内 一 件 杣 ( 者 ) 是 以 二 天 平 勝 宝 三 年 四 月 一 日 一 寺 家 之 修 理 料 依 二 勅 定 一 所 レ 被 二 施 入 一 也 随 則 任 二 起 請 之 旨 一 所 レ 令 レ 勤 二 仕 本 寺 之 役 一 也 而 造 二 興 福 寺 一 之 間 可 レ 令 二 雇 仕 一 之 由 被 レ 下 二 宣 旨 一 爰 本 寺 修 理 久 絶 已 及 二 大 破 一 於 二 于 今 一 者 興 福 寺 将 レ 及 二 造 畢 一 因 レ 之 如 レ 旧 欲 レ 修 二 補 本 寺 破 損 一 者 為 レ 被 二 裁 許 一 注 二 子 細 一 言 上 者 大 納 言 源 朝 臣 俊 明 宣 奉 レ 勅 停 二 止 興 福 寺 役 一 致 二 寺 家 修 理 勤 一 者 宜 二 承 知 一 依 レ 宣 行 レ 之 康 ( 和 ) 二 年 八 月 十 二 日 大 史 小 槻 宿 祢 在 判 中 弁 源 朝 臣 在 判 黒 田 杣 は 天 平 勝 宝 3 年 (751)4 月 1 日 に 寺 家 修 理 料 として 勅 施 入 された 板 蠅 杣 をその 前 身 とする この 文 書 では 興 福 寺 の 造 営 中 杣 工 等 がその 作 業 に 従 事 し 東 大 寺 の 修 理 が 久 し く 絶 えて 既 に 堂 塔 が 大 破 してしまった とする さらに 興 福 寺 の 修 理 も 終 了 したので 以 前 のように 東 大 寺 の 破 損 を 修 理 したい 旨 要 請 し(7 月 23 日 東 大 寺 解 ) それが 認 められたとの 内 容 である この 時 期 に 東 大 寺 の 堂 塔 修 理 の 準 備 が 着 々と 進 められていたことが 分 かる 興 福 寺 は 前 年 の 康 和 地 震 で 被 災 しており ここでいう 同 寺 の 造 営 もその 復 興 を 指 すようにも 思 えるが 東 大 寺 の 堂 塔 の 修 理 がそれによって 長 く 停 滞 したとの 記 述 がある 実 際 東 大 寺 の 修 理 は 先 述 の 承 暦 3 年 (1079)の 修 理 以 来 途 絶 しており 文 書 にいう 興 福 寺 での 修 理 事 業 も それ 以 前 に 遡 るものであろう 興 福 寺 は 永 承 元 年 (1046)12 月 に 伽 藍 の 大 半 が 焼 失 して 以 降 康 平 3 年 (1060)5 月 永 長 元 年 (1096)9 月 と 度 々 大 きな 火 災 に 見 舞 われており 黒 田 杣 か らの 材 木 の 調 達 も 長 期 間 固 定 化 した 状 況 であったと 考 えられる 官 宣 旨 案 の 引 く 東 大 寺 解 では 地 震 の 被 害 については 全 く 触 れず 経 年 によって 建 物 の 破 損 が 進 んだことのみを 記 すので 康 和 地 震 による 東 大 寺 への 実 質 的 な 被 害 にはさしたるものがなか ったという 先 の 想 定 を 裏 付 けることができる 但 し 直 接 的 な 被 害 は 限 定 的 であったものの 大 地 震 がもたらす 災 害 への 恐 怖 心 は 否 応 なく 高 まったはずである 11 世 紀 後 半 以 降 朝 廷 も 東 大 寺 の 堂 塔 修 理 に 積 極 的 に 関 与 する 姿 勢 をみ せており 朽 損 したまま 放 置 された 堂 塔 が 倒 壊 に 至 る 危 険 性 は 朝 廷 寺 内 で 強 く 意 識 された これを 契 機 として 状 況 打 開 の 方 策 が 取 られ 勅 封 倉 修 理 へと 繋 がっていくのである この 時 期 寺 内 の 堂 塔 修 理 を 阻 む 要 因 としては 修 理 財 源 となる 封 物 の 未 納 などの 財 政 的 な (98)

11 問 題 が 大 きかったが もう 一 点 当 時 の 別 当 経 範 のもとにおける 寺 務 の 停 滞 が 挙 げられる 経 範 は 真 言 宗 の 僧 であったが そのこともあって 寺 衆 と 対 立 して 寺 務 が 滞 り 寺 内 堂 塔 の 修 理 も 行 われなかった 前 任 の 慶 信 が 寺 内 修 造 に 努 めたという 評 価 が 高 かったため 経 範 に 対 する 批 難 が 尚 更 に 高 まった 側 面 もあると 思 われ また 経 範 も 修 造 を 行 う 意 志 はあったものの その 財 源 がなく 朝 廷 に 対 して 諸 国 封 物 が 完 済 されるよう 調 整 を 依 頼 するなどの 手 立 ても 打 ってい たが ( 注 21) 実 際 上 経 範 の 別 当 在 任 時 には 最 後 まで 堂 塔 修 造 が 実 行 されることはなかった 正 倉 院 宝 庫 との 関 係 でいえば この 頃 に 正 倉 院 南 列 蔵 が 焼 亡 しているが( 要 録 別 当 章 ) ついに 再 建 には 至 らなかった 現 宝 庫 の 間 近 で 発 生 した 火 災 であり 危 機 的 な 状 況 という 意 味 では 正 倉 院 の 歴 史 の 中 でも 特 筆 すべき 重 大 事 件 である これら 現 宝 庫 の 南 方 に 並 ぶ 倉 庫 が 収 蔵 品 もろとも 全 焼 したのであれば 極 論 すれば 再 建 の 必 要 性 もなく 今 後 起 こりうる 火 事 によ る 延 焼 を 防 ぐために 火 除 地 として 残 されたとも 考 えられるが 当 時 の 状 況 ( 財 政 難 や 別 当 と 寺 衆 との 対 立 構 造 )を 鑑 みれば 再 建 に 着 手 するのは 到 底 不 可 能 であったと 考 えられる 康 和 2 年 (1100)5 月 経 範 は 別 当 を 罷 免 され 代 わって 公 卿 より 推 挙 されて 別 当 に 就 任 し たのが 永 観 である( 別 当 次 第 で 経 範 については 寺 衆 が 注 二 卅 五 箇 条 不 治 行 縁 一 擬 講 以 下 五 十 余 人 別 立 二 陣 頭 一 訴 申 したと 記 され 永 観 については 依 二 経 範 之 不 治 一 寺 家 破 壊 公 卿 僉 議 殊 被 二 抽 任 一 仍 再 三 雖 二 辞 退 一 全 以 不 レ 許 遂 致 二 執 行 一 と 記 される) ( 注 22) 永 観 が 別 当 就 任 を 一 旦 辞 退 した 際 に 出 された 同 年 5 月 24 日 付 の 堀 河 天 皇 綸 旨 ( 東 南 院 文 書 411 号 ) に 多 為 レ 興 二 隆 仏 法 一 且 為 レ 令 レ 致 二 堂 舎 修 造 之 勤 一 所 レ 被 二 補 給 一 也 とあり 更 なる 辞 退 に 対 しての 同 月 29 日 の 綸 旨 にも 興 二 隆 仏 法 一 之 心 修 二 造 堂 舎 一 之 功 豈 是 非 二 功 徳 一 とあって 永 観 の 補 任 が 寺 内 堂 舎 の 修 造 という 具 体 的 な 目 的 達 成 のためであったことが 理 解 できる 永 観 は 朝 廷 寺 内 双 方 より 堂 舎 修 造 を 実 行 に 移 すことを 最 大 の 課 題 として 求 められていたのである この 別 当 交 替 を 契 機 に 寺 内 修 理 が 実 行 に 移 されることとなる 永 観 による 修 理 事 業 は 康 和 2 年 (1100) 冬 に 勅 封 倉 同 3 年 に 東 塔 ( 天 喜 5 年 1057 の 落 雷 以 来 数 度 にわたって 修 理 された) 同 4 年 に 食 堂 登 廊 と 計 画 的 に 進 められている( 要 録 別 当 章 ) ( 注 23) この 修 造 計 画 で 第 一 の 修 理 対 象 に 据 えられたのが 勅 封 倉 であった 経 範 が 別 当 の 折 の 嘉 保 2 年 (1095)8 月 彼 の 要 請 に 応 じて 朝 廷 から 堂 塔 の 破 損 状 況 を 調 査 する 遣 使 が 実 施 された 後 調 査 結 果 に 基 づいて 早 急 に 修 理 すべき 対 象 として 挙 げられたのは 堂 塔 回 廊 僧 房 雑 舎 大 小 門 戒 壇 院 築 垣 であり( 同 3 年 7 月 12 日 官 宣 旨 東 南 院 文 書 231 号 ) この 中 に 正 倉 院 宝 庫 は 含 まれない 康 和 2 年 になって 勅 封 倉 が 修 理 対 象 として 浮 上 した 理 由 は 破 損 状 況 が 著 しかったということよりも 朝 廷 との 関 わりの 中 で 選 択 が 行 われたためなのではなか ろうか 久 野 修 義 氏 によれば 11 世 紀 になると 荘 園 関 係 の 文 書 に 本 願 聖 武 天 皇 による 勅 施 入 であ ることが 殊 更 強 調 されるようになるという ( 注 24) 聖 武 天 皇 の 御 願 に 淵 源 があるという 理 由 で 所 領 ( 後 に 獲 得 されたものも 含 めて)の 支 配 を 正 当 化 していく 方 法 がとられ 12 世 紀 半 ばにも なると それが 明 確 に 公 認 されるようになる 本 件 で 触 れた 東 大 寺 解 でも 冒 頭 に 件 杣 者 是 (99)

12 以 二 天 平 勝 宝 三 年 四 月 一 日 一 寺 家 之 修 理 料 依 二 勅 定 一 所 レ 被 二 施 入 一 也 とあって 聖 武 天 皇 の 名 は 出 ないまでも その 勅 定 によることが 明 記 される このような 本 願 に 対 する 意 識 の 高 ま りの 中 朝 廷 も 巻 き 込 んでの 別 当 交 替 を 前 提 とする 久 方 振 りの 寺 内 修 造 計 画 が 立 てられた 康 和 2 年 5 月 21 日 の 永 観 の 別 当 就 任 以 降 先 の 文 書 にあったように 黒 田 杣 を 東 大 寺 の 造 営 修 理 のために 活 用 するという 本 来 あるべき 姿 を 取 り 戻 して 用 材 の 確 保 を 行 い また 諸 国 封 物 の 納 入 促 進 などによる 修 理 財 源 の 確 保 が 図 られたであろうが ( 注 25) いずれもその 実 現 には 朝 廷 の 後 ろ 盾 を 必 要 としていた 聖 武 天 皇 の 遺 愛 の 品 が 収 められた 正 倉 院 宝 庫 は 聖 武 天 皇 ひいては 朝 廷 との 結 び 付 きが 寺 内 でも 殊 更 強 い 場 所 であり 修 造 計 画 の 筆 頭 に 正 倉 院 宝 庫 が 選 ばれたの は 朝 廷 の 協 力 を 十 二 分 に 引 き 出 す 目 的 があってのことではなかろうか こういった 措 置 がそ の 後 継 続 的 に 実 施 されたとは 考 えられないが 11 世 紀 後 半 から12 世 紀 前 半 は 朝 廷 の 東 大 寺 への 関 心 が 高 まった 時 期 であり 東 大 寺 もそれを 利 用 する 形 で 寺 内 堂 塔 の 修 造 整 備 という 課 題 に 対 処 していったのであろう 康 和 2 年 の 勅 封 倉 修 理 はそういった 意 味 で 正 倉 院 の 修 理 の 歴 史 の 中 では 特 別 な 意 味 を 有 していた 最 後 に 康 和 2 年 (1100)の 勅 封 倉 修 理 の 規 模 について 若 干 の 検 討 を 加 えたい 先 述 の 如 く 嘉 保 2 年 (1095)8 月 朝 廷 からの 遣 使 による 堂 塔 の 破 損 状 況 調 査 の 結 果 速 やかに 修 理 すべ き 対 象 として 堂 塔 回 廊 僧 房 雑 舎 大 小 門 戒 壇 院 築 垣 が 挙 げられ 東 大 寺 への 対 応 が 求 めら れた 挙 げられた 修 理 対 象 は 堂 舎 建 築 本 体 というよりも 付 属 する 門 や 回 廊 築 垣 などが 主 で 工 事 自 体 も 各 所 修 繕 的 な 性 格 が 強 いように 見 受 けられる 経 範 別 当 在 任 時 の 財 政 的 にも 寺 務 の 体 制 としても 困 難 な 状 況 の 中 で 東 大 寺 全 体 の 中 で 小 規 模 ながら 緊 急 性 の 高 い 破 損 箇 所 を 選 んで 修 理 の 指 示 が 下 されたのであろう 一 方 永 観 が 別 当 となって 実 施 された 修 理 は 先 に 指 摘 された 破 損 の 修 理 を 含 みながらも 朝 廷 の 後 援 を 得 ながら 伽 藍 の 修 理 造 営 事 業 を 立 て 直 そ うという 流 れの 中 で 行 われたので 勅 封 倉 の 修 理 も 大 規 模 なものであった 可 能 性 が 高 い 平 安 時 代 末 期 の 状 況 (1106~1180) その 後 も 朝 廷 が 東 大 寺 の 修 造 に 感 心 を 持 ち 協 力 的 であった 時 期 が 続 く 嘉 承 元 年 (1106) 8 月 には 東 大 寺 がかねてより 求 めていた 諸 国 封 物 を 寺 の 堂 塔 修 造 に 宛 てるべく 徴 納 を 促 す 官 宣 旨 が 朝 廷 から 下 される ( 注 26) また 天 永 元 年 (1110)には 造 東 大 寺 官 が 再 置 され 堂 塔 修 造 保 全 に 向 けての 動 きが 制 度 的 にも 整 備 されることとなった 造 寺 官 は 大 仏 殿 の 修 造 に 際 して 諸 方 面 との 調 整 を 図 りつつ 事 業 を 推 進 する 主 体 としての 役 割 を 担 わされたものとされ ( 注 27) 東 大 寺 は 朝 廷 の 保 護 を 受 けつつ 以 後 大 仏 殿 講 堂 三 面 僧 房 戒 壇 院 等 伽 藍 主 要 部 分 の 修 理 という 大 きな 課 題 に 取 り 組 んでいく ( 注 28) 造 寺 官 については 別 当 勝 覚 に 関 して 在 任 多 年 之 間 不 レ 勤 二 修 造 一 仍 年 月 日 被 レ 補 二 任 造 官 等 一 との 記 述 が 別 当 次 第 にあり 本 来 別 当 が 果 たすべき 役 割 がなおざりにされたため 造 寺 官 が 置 かれたとする 見 方 もある 正 倉 院 に 関 しては 大 治 5 年 (1130)5 月 1 日 勅 封 倉 に 湿 損 の 疑 いがあるという 理 由 で 法 会 で 東 大 寺 を 訪 れた 右 中 弁 源 師 俊 らと 東 大 寺 別 当 定 海 が 点 検 を 行 っている( 中 右 記 同 日 (100)

13 条 ) 同 日 には 鏡 胡 瓶 の 調 査 が 実 施 されており( 御 物 納 目 散 帳 北 倉 173 ) 勅 封 倉 の 修 理 に 繋 がる 点 検 であったかどうかは 疑 わしく 実 際 に 修 理 が 実 施 されたか 否 かも 不 明 である 本 朝 世 紀 康 治 2 年 (1143)5 月 26 日 条 には 勅 封 蔵 内 一 宇 修 造 の 功 によって 源 厳 を 従 儀 師 に 任 じたとの 記 事 があり この 頃 に 修 理 が 実 施 されたようであるが 実 態 は 不 明 である ( 注 29) 源 厳 は 久 安 年 間 の 東 大 寺 の 文 書 に 権 都 維 那 従 儀 師 の 肩 書 で 署 判 を 加 えている 寺 内 修 造 の 功 は 別 当 に 帰 される 場 合 が 多 かったが 11 世 紀 後 半 以 降 別 当 の 役 割 が 除 々に 減 じ 政 所 の 運 営 に おいて 三 綱 が 主 体 的 な 役 割 を 果 たすようになるとされ その 流 れに 則 したものと 考 えられる なお 同 年 8 月 19 日 には 左 大 弁 藤 原 顕 業 が 勅 封 蔵 を 開 くために 下 向 した( 本 朝 世 紀 同 日 条 ) が 目 的 は 不 明 で 源 厳 の 関 与 した 修 理 との 関 連 の 有 無 も 詳 らかではない 治 承 4 年 (1180)12 月 28 日 には 平 重 衡 によって 南 都 焼 き 打 ちが 行 われ 大 仏 殿 四 面 廻 廊 講 堂 三 面 僧 房 食 堂 八 幡 宮 東 塔 戒 壇 院 大 湯 屋 上 院 閼 伽 井 屋 白 銀 堂 東 南 院 尊 勝 院 其 外 僧 房 民 屋 が 悉 く 焼 失 し 一 方 法 花 堂 二 月 堂 同 食 堂 三 昧 堂 僧 正 堂 鐘 堂 唐 禅 院 堂 上 司 倉 下 司 倉 正 倉 院 国 分 門 中 御 門 砧 礚 門 南 院 門 等 が 焼 け 残 った( 続 要 録 造 仏 篇 ) 三 面 僧 房 尊 勝 院 など 近 隣 の 堂 舎 が 被 災 する 中 正 倉 院 は 危 うく 難 を 遁 れている 吾 妻 鏡 治 承 5 年 正 月 18 日 条 には 去 年 十 二 月 廿 八 日 南 都 東 大 寺 興 福 寺 已 下 堂 塔 坊 舎 悉 以 為 二 平 家 一 焼 失 僅 勅 封 倉 寺 封 倉 等 免 二 此 災 一 ( 以 下 略 ) とあり 勅 封 倉 の 無 事 に 関 心 が 払 われている なお 時 代 は 下 るが 室 町 時 代 初 期 頃 の 成 立 とされる 東 大 寺 縁 起 絵 詞 137 段 には 南 都 焼 き 打 ちに 際 して 然 而 大 伽 藍 建 立 御 祈 ノ 所 根 本 ノ 法 花 堂 并 ニ 生 身 観 音 安 置 ノ 二 月 堂 本 願 天 皇 ノ 御 宝 物 納 メヲカレタル 正 倉 院 天 照 大 神 影 向 ノ 竈 殿 已 下 ノ 官 蔵 当 寺 ノ 内 規 模 ノ 霊 処 ハ 尚 大 難 を 遁 れた とし 正 倉 院 が 焼 け 残 った 理 由 を 本 願 聖 武 天 皇 の 宝 物 を 納 めた 霊 処 であることに 由 来 するとの 考 えが 示 される 室 町 時 代 においても 本 願 聖 武 天 皇 との 結 び 付 きが 強 く 意 識 され 寺 内 において 特 別 に 霊 的 な 場 所 の 一 つとして 観 念 されていたことが 分 かり 興 味 深 い 二 鎌 倉 時 代 文 治 建 久 年 間 の 修 理 (1185~1194) 焼 亡 からほぼ5 年 を 経 た 文 治 元 年 (1185)8 月 28 日 東 大 寺 では 大 仏 開 眼 供 養 が 盛 大 に 執 り 行 われた( 山 塊 記 同 日 条 ) 直 前 の7 月 9 日 近 江 山 城 大 和 国 でマグニチュード7.4 とされる 大 地 震 があり( 文 治 地 震 ) 唐 招 提 寺 でも 中 門 が 倒 れるなどの 被 害 があったが( 唐 招 提 寺 金 堂 千 手 観 音 像 足 枘 修 理 銘 ) 東 大 寺 については 特 段 大 きな 被 害 は 記 録 されていない この 文 治 地 震 との 直 接 的 な 関 連 は 不 明 であるが 文 治 5 年 (1189)3 月 勅 封 倉 の 点 検 を 行 うため 造 東 大 寺 長 官 藤 原 定 長 が 大 監 物 弁 史 らと 共 に 東 大 寺 に 下 向 している( 玉 葉 同 年 同 月 21 日 条 ) これは 彼 倉 湿 損 殊 甚 可 レ 被 二 忩 検 知 一 との 同 寺 からの 要 請 に 応 じてのこ とであり 勅 封 倉 の 開 封 自 体 康 治 2 年 (1143) 以 来 のことであった この 折 に 修 理 が 実 施 さ れたか 否 かを 示 す 史 料 は 確 認 できないが 寺 側 の 湿 損 殊 甚 との 判 断 が 極 めて 断 定 的 であり (101)

14 開 封 についても 別 件 のついでに 行 われたような 形 跡 は 認 められないので この 点 検 の 結 果 修 理 に 至 った 可 能 性 は 高 いものと 思 われる さらに 4 年 後 の 建 久 4 年 (1193)5 月 5 日 再 び 定 長 が 東 大 寺 の 要 請 に 応 じて 奈 良 に 下 向 し 羂 索 院 と 併 せて 勅 封 倉 ( 北 中 倉 )の 破 損 状 況 を 調 査 して 雨 水 が 浸 入 する 状 況 ( 雨 露 更 不 レ 留 )を 認 めている( 玉 葉 巻 65 同 年 同 月 10 日 条 ) この 際 の 破 損 修 理 については 続 要 録 宝 蔵 篇 に 詳 細 な 記 録 がある これによれば 8 月 25 日 に 再 度 勅 使 が 東 大 寺 に 下 向 し 宝 物 を 綱 封 倉 ( 南 倉 )に 移 して 修 理 に 着 手 している 宝 物 を 点 検 した 上 目 録 を 作 成 し その 保 全 が 図 られた 修 理 は 翌 5 年 3 月 に 終 了 し 勅 使 の 立 ち 会 いの 下 宝 物 の 還 納 が 実 施 されている 文 治 建 久 年 間 の 破 損 はいずれも 雨 水 の 浸 入 を 原 因 とするものと 考 えられる 宝 庫 は 軒 の 出 が 大 きく 外 壁 は 基 本 的 に 風 雨 から 守 られているので 雨 水 浸 入 を 招 いた 主 因 は 屋 蓋 部 の 破 損 であると 推 測 可 能 である 比 較 的 近 接 した 時 期 に 同 じ 原 因 で 修 理 が 行 われていること 文 治 5 年 の 修 理 については 続 要 録 にも 全 く 記 録 がないことなどを 勘 案 すると 同 年 の 修 理 は 部 分 的 かつ 応 急 処 置 的 な 性 格 のものであったのかもしれない 無 論 屋 蓋 部 と 一 口 にいっても 両 修 理 時 の 破 損 箇 所 が 全 く 異 なる 場 合 も 想 定 すべきで 文 治 5 年 以 降 も 全 面 的 な 傷 みが 進 行 し そこ ここで 雨 漏 りが 生 じるような 状 況 であったのかもしれない 建 久 年 間 の 修 理 には 半 年 以 上 を 費 やしており 本 格 的 な 修 理 が 実 施 されたようである 寛 喜 2 年 の 修 理 (1230) 建 久 年 間 から35 年 以 上 の 年 月 を 経 て 寛 喜 2 年 (1230)には 北 倉 南 倉 が 破 損 していたため ( 今 度 者 北 勅 封 倉 南 綱 封 倉 破 損 ) 北 倉 の 納 物 を 中 倉 へ 南 倉 の 納 物 を 上 司 倉 へそれぞれ 移 して 修 理 が 行 われた( 続 要 録 宝 蔵 篇 ) 7 月 17 日 勅 使 右 中 弁 藤 原 親 俊 等 が 東 大 寺 に 下 向 し 東 大 寺 勅 封 倉 と 綱 封 倉 とを 開 検 した 南 倉 を 開 いた 際 塵 土 多 櫃 上 落 懸 といった 有 様 であ ったのは 瓦 を 固 定 する 葺 土 が 雨 漏 りのために 泥 水 となって 庫 内 の 櫃 の 上 に 落 下 したことによ るのであろう 前 回 建 久 年 間 の 修 理 は 屋 蓋 部 を 中 心 としたものと 推 測 できるが 南 倉 は 修 理 対 象 ではなかった 屋 蓋 部 では 全 面 的 に 傷 みが 進 行 しており 建 久 年 間 当 時 にはさしたる 損 害 はなかったものの 南 倉 にも 時 期 差 で 被 害 があらわれたということであろうか このように 南 倉 については 修 理 箇 所 を 推 定 できるものの 北 倉 についてはそれを 示 す 手 掛 かりがない 修 理 の 契 機 については この 周 辺 の 時 期 で 地 震 等 大 きな 災 害 のあった 形 跡 はなく 経 年 劣 化 の 進 行 が 原 因 であろうか 明 月 記 同 年 6 月 には 頻 繁 に 大 雨 や 落 雷 の 記 事 があり( 日 条 ) 奈 良 でも 雨 漏 りの 起 こりやすい 状 況 であったようである よって ごく 直 接 的 な 契 機 は 雨 季 で 雨 漏 りの 被 害 が 拡 大 したことによるのかもしれない なお この 際 の 修 理 について 続 要 録 には 開 封 時 の 儀 式 次 第 また 雨 儀 であったことに 伴 う 諸 事 項 が 記 されるが 修 理 期 間 閉 封 時 期 については 記 載 がなく 不 明 である ただ 同 年 10 月 27 日 に 中 倉 の 鍵 が 焼 き 切 られ 鏡 などが 盗 難 被 害 に 遭 っている 開 封 中 の 警 備 が 普 段 より 厳 重 であったことは 詳 細 な 記 録 の 残 る 江 戸 時 代 の 例 などから 類 推 できるので 盗 難 被 害 は 修 (102)

15 理 後 の 可 能 性 が 高 い そうであるならば 10 月 末 以 前 に 修 理 は 終 了 していたと 考 えられる 嘉 禎 3 年 の 点 検 (1237) 嘉 禎 3 年 (1237)6 月 3 日 右 中 弁 藤 原 季 頼 等 が 東 大 寺 に 下 向 し 勅 封 倉 綱 封 倉 の 点 検 を 実 施 している( 続 要 録 宝 蔵 篇 所 収 正 倉 院 御 開 封 記 録 ) 前 々 日 の6 月 1 日 に 京 で 大 きな 地 震 があった( 百 練 抄 同 日 条 ) 百 練 抄 は 万 人 驚 二 恐 之 一 元 暦 以 後 無 二 如 レ 此 事 一 とし 元 暦 2 年 (1185)に 発 生 した 文 治 地 震 以 来 の 規 模 であるとの 認 識 を 示 す もし 6 月 1 日 の 地 震 に 対 して2 日 後 に 宝 庫 の 点 検 が 実 施 されたのであれば 極 めて 速 やかな 対 処 といえる 続 要 録 によれば 宝 物 を 検 知 すべき 由 の 宣 旨 が 下 されたのは6 月 2 日 であった また 続 要 録 宝 蔵 篇 には 寺 家 日 来 望 申 旨 者 修 理 也 然 者 可 レ 被 レ 注 二 損 式 一 之 由 寺 家 勧 申 処 為 二 方 忌 一 之 間 不 レ 及 二 公 家 之 御 沙 汰 一 所 詮 為 二 寺 家 之 沙 汰 一 可 二 注 進 一 云 々 仍 召 二 木 工 宗 行 貞 重 貞 遠 等 一 注 レ 之 付 二 修 理 目 代 一 畢 目 代 清 二 書 之 一 可 レ 進 二 公 家 一 云 々 との 記 載 がある これによれば かねてより 東 大 寺 は 朝 廷 に 対 して 修 理 を 実 施 すべき 旨 を 訴 え それを 具 体 化 するために 木 工 ら が 作 成 した 損 式 ( 破 損 状 況 を 踏 まえた 修 理 計 画 書 か)を 朝 廷 に 提 出 する 段 階 にまで 至 って いたことが 分 かる 既 にある 程 度 の 準 備 が 整 えられていたとすれば 地 震 に 即 応 して 点 検 が 実 施 されたとしても 不 思 議 ではない 但 し 続 要 録 には 開 封 の 折 大 湯 屋 から 大 衆 の 蜂 起 が 始 まるという 混 乱 した 状 況 であり 宝 物 を 外 に 運 び 出 すことなく 倉 の 中 で 櫃 の 数 をかぞえる 点 検 しかできない 有 様 であったことが 記 されており 修 理 まで 行 えるような 情 勢 ではなかった 寛 元 年 間 の 修 理 (1243~1246) 寛 元 元 年 (1243) 閏 7 月 23 日 勅 封 倉 の 修 理 を 行 うため 左 少 弁 藤 原 親 頼 が 勅 使 として 東 大 寺 へ 下 向 し 開 検 を 実 施 している この 開 封 については 続 要 録 の 他 に 東 大 寺 勅 封 蔵 目 録 記 ( 続 々 群 書 類 従 所 収 )にも 記 録 がある 同 書 に 引 く 同 月 20 日 付 の 官 宣 旨 によれば 奉 レ 勅 彼 寺 勅 封 蔵 雨 露 頻 侵 破 損 漸 甚 といった 具 合 であったという 同 年 4 月 12 日 付 と 推 測 される 東 大 寺 三 綱 が 朝 廷 に 進 上 した 文 書 ( 松 田 福 一 郎 氏 所 蔵 文 書 鎌 倉 遺 文 6812 号 )では 勅 封 倉 の 修 造 に 関 して 度 々 三 綱 から 奏 上 に 及 んでいたものの 指 示 がなく 随 レ 日 及 二 大 破 一 此 上 者 宝 物 定 令 二 朽 損 一 歟 悉 令 二 湿 失 一 といった 状 況 であったとされており 嘉 禎 3 年 以 前 か ら 再 三 要 請 されていた 勅 封 倉 修 理 の 要 請 は なかなか 朝 廷 に 受 け 入 れられなかった ここに 至 って 修 理 が 実 施 されるに 及 んだ 理 由 は 定 かではないが 北 倉 は13 年 振 り 中 倉 に 至 っては 実 に ほぼ50 年 振 りの 修 理 であった 今 回 も 雨 水 の 浸 入 という 症 状 が 示 されているので 主 な 修 理 箇 所 は 屋 蓋 部 であったと 推 測 できる 先 述 の 如 く 13 年 前 に 行 われた 寛 喜 2 年 (1230)の 北 倉 の 修 理 は 対 象 箇 所 が 定 かではないので 北 倉 屋 蓋 部 の 修 理 も50 年 振 りであった 可 能 性 がある 修 理 中 宝 物 は 西 印 蔵 ( 上 司 倉 )に 移 納 された 修 理 が 終 わり 宝 物 が 宝 庫 に 戻 されたのは 寛 元 4 年 9 月 28 日 で 実 に3 年 以 上 の 年 月 を 経 ている この 全 てが 修 理 期 間 であったならば これまでになく 長 期 間 にわたる 作 業 が 行 われたことになる 長 年 要 求 して 漸 く 認 められた 開 封 (103)

16 修 理 であり 入 念 に 修 理 が 実 施 されたものと 考 えられるが ( 注 30) 修 理 の 歴 史 を 振 り 返 れば3 年 間 の 工 期 は 破 格 であり 修 理 以 外 の 事 情 があった 可 能 性 を 考 える 余 地 もある 建 長 6 年 の 修 理 (1254) 建 長 6 年 (1254)6 月 17 日 北 倉 の 扉 に 雷 が 直 撃 した 顛 末 を 記 した 続 要 録 宝 蔵 篇 の 一 部 を 以 下 に 引 用 する 建 長 六 年 六 月 十 七 日 天 陰 雨 降 戌 剋 雷 神 落 二 懸 勅 封 蔵 一 蹴 二 破 東 面 北 端 扉 一 并 脈 裂 下 柱 等 一 投 二 捨 知 足 院 門 辺 一 即 龍 神 入 二 蔵 内 一 雷 火 付 二 宝 蔵 一 然 間 為 レ 消 二 彼 火 一 切 其 扉 一 遂 以 打 消 畢 一 寺 騒 動 万 人 群 集 偏 依 二 八 幡 之 冥 助 一 今 得 二 三 倉 之 安 穏 一 不 レ 廻 二 二 二 放 時 日 一 年 預 五 師 賢 寛 申 二 事 由 於 別 当 ( 定 親 ) 新 熊 野 一 即 被 レ 経 二 奏 聞 一 之 間 先 仰 二 大 勧 進 円 審 一 被 二 修 理 一 中 北 両 倉 扉 四 枚 并 北 脇 柱 一 本 敷 居 等 造 二 替 之 一 番 匠 卅 人 八 个 日 之 内 作 レ 之 下 柱 六 本 龍 神 引 割 之 間 同 令 二 造 替 一 同 七 月 五 日 被 レ 下 二 行 事 官 一 其 人 数 見 二 于 食 馬 宣 旨 一 宣 旨 偁 左 弁 官 下 二 大 和 国 并 東 大 寺 一 使 権 右 中 弁 藤 原 朝 臣 資 定 少 監 物 平 久 近 従 八 人 従 四 人 ( 中 略 ) 右 左 大 臣 宣 奉 レ 勅 為 レ 実 二 検 東 大 寺 勅 封 蔵 一 差 二 件 等 人 一 発 遣 如 レ 件 者 国 寺 宜 二 承 知 一 使 者 経 レ 彼 之 間 依 レ 例 供 給 官 符 追 下 建 長 六 年 六 月 廿 七 日 少 史 中 原 朝 臣 在 判 権 中 弁 藤 原 朝 臣 在 判 北 倉 の 扉 に 直 撃 した 雷 は 束 柱 に 損 傷 を 与 え 宝 庫 内 にも 火 が 及 んだ 北 倉 扉 付 近 の 壁 面 に は 現 在 も 黒 く 焼 け 焦 げた 痕 跡 が 残 る( 挿 図 3) まさに 未 曾 有 の 出 来 事 であったが 消 火 活 動 が 功 を 奏 し 大 事 には 至 らなかった 消 火 活 動 ( 為 レ 消 二 彼 火 一 切 二 放 其 扉 一 遂 以 打 消 畢 )の 主 体 は 具 体 的 には 明 示 されないが 平 安 時 代 に 警 備 を 担 ったと 推 測 される 俗 役 の 類 いであろう か 正 倉 院 が 自 然 災 害 に 遭 って 即 座 に 修 理 が 実 施 された 例 としては 風 損 を 理 由 に 実 施 された 長 元 4 年 (1031)7 月 の 修 理 以 来 となる 6 月 17 日 に 被 災 した 後 年 預 五 師 から 別 当 定 親 に 報 告 があげられ 奏 聞 を 経 たうえ 大 勧 進 円 審 への 指 示 があって 修 理 が 始 まっている 通 常 の 修 理 の 場 合 勅 使 は 開 封 を 行 って 修 理 期 間 中 に 宝 物 が 遺 失 しないよう 点 検 作 業 を 実 施 し 修 理 後 は 宝 物 の 還 納 を 確 認 して 閉 封 を 行 う という 一 連 の 役 割 を 果 たす しかし この 落 雷 時 には 扉 が 破 損 して 勅 封 が 機 能 しないという 特 異 な 状 況 が 前 提 にあったため 勅 使 の 主 たる 目 的 は 宝 庫 宝 物 の 無 事 を 確 認 すると 共 に 勅 封 を 復 旧 することであった 勅 封 を 復 旧 するためには 扉 が 元 (104)

17 の 状 態 に 戻 っている 必 要 があ るため 速 やかに 修 理 が 開 始 されたのであろう 主 に 被 害 が 認 められた 箇 所 は 北 中 倉 の 扉 4 枚 ( 各 倉 左 右 一 枚 ずつ)とその 周 辺 及 び 束 柱 6 本 であった うち 北 中 倉 の 扉 北 倉 の 脇 柱 1 本 と 敷 居 については 番 匠 30 人 で8 日 間 掛 けて 取 替 え 工 事 挿 図 3 北 倉 内 部 扉 脇 板 壁 に 残 る 落 雷 時 の 焼 け 跡 を 実 施 したことが 続 要 録 に 記 される 雷 が 直 撃 した 部 位 とは 離 れた 位 置 にある 中 倉 の 扉 も 交 換 対 象 となったのは 消 火 活 動 に 際 して 中 倉 納 在 宝 物 への 被 害 を 食 い 止 めるために 人 為 的 に 中 倉 の 扉 が 切 放 された 結 果 であろう ( 注 31) 宝 庫 の 修 理 箇 所 から 消 火 活 動 の 一 端 が 窺 えること は 興 味 深 い 6 月 27 日 には 遣 使 を 告 げる 官 宣 旨 が 発 給 され 7 月 6 日 に 資 定 以 下 勅 使 が 到 着 して 宝 物 の 点 検 を 行 っている 被 害 のない 南 倉 の 開 封 は 実 施 されなかった 扉 の 修 復 は 既 に 終 了 しており 勅 使 は 新 たな 扉 に 封 を 付 して 翌 7 日 には 戻 っていった なお 続 要 録 の 記 事 が 扉 の 修 理 について 工 人 数 と 工 期 を 明 示 する 一 方 束 柱 については 同 令 二 造 替 一 とごく 簡 単 に 記 すのみである 先 述 の 如 く 前 者 は 緊 急 措 置 として 即 座 に 復 旧 に 着 手 されたが 後 者 の 束 柱 の 交 換 は 大 掛 かりな 工 事 でもあって 後 回 しとされたのであろう 束 柱 交 換 の 実 施 時 期 は 不 明 であるが 少 なくとも 勅 使 帰 還 後 と 推 定 される 工 事 期 間 中 に 開 封 された 痕 跡 もなく 収 蔵 された 宝 物 を 取 り 出 すことなく 実 施 されたのであろうか 正 倉 院 宝 庫 は 土 台 から 軒 までが 一 材 からなる 通 し 柱 ではなく 床 下 に 短 い 柱 40 本 を 入 れる 構 造 である 柱 の 交 換 といっても 躯 体 そのものを 解 体 する 必 要 はなく 床 下 に 仮 の 支 持 材 を 差 し 込 んで 若 干 嵩 上 げし その 間 に 柱 を 交 換 することが 可 能 であり 慎 重 に 行 いさえすれば 宝 物 を 移 動 させるこ となく 修 理 を 終 えることができたのであろう 束 柱 の 損 傷 に 関 して 脈 裂 引 割 等 の 表 現 からすれば 甚 大 なものと 推 測 できるが 即 座 に 修 理 に 着 手 されていないので 宝 庫 の 崩 壊 を 惹 起 するほどの 被 害 ではなかったと 考 えられる 北 倉 の 扉 を 直 撃 した 落 雷 が 床 下 の 束 柱 6 本 全 てに 被 害 を 及 ぼすという 状 況 は 余 程 の 大 火 災 で もない 限 り 考 え 難 く 6 本 のうちには 経 年 劣 化 で 交 換 された 柱 も 含 まれるのではなかろうか 以 上 落 雷 に 伴 う 修 理 は 異 例 の 作 業 であり 緊 急 性 の 有 無 に 応 じて 二 段 階 に 分 けて 実 施 され たものと 考 えられる (105)

18 弘 安 11 年 の 修 理 (1288) 続 要 録 宝 蔵 篇 の 修 理 関 係 の 記 事 が 建 長 6 年 の 落 雷 に 伴 う 修 理 で 終 わっていることもあり こ れまで 鎌 倉 時 代 後 期 における 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 については 不 明 なことが 多 かったが 本 稿 執 筆 にあたって この 時 代 の 修 理 時 期 を 特 定 する 史 料 を 見 出 した 当 該 史 料 は 東 大 寺 図 書 館 架 蔵 東 大 寺 文 書 中 の 正 応 2 年 (1289) 正 月 18 日 付 け 東 大 寺 修 理 新 造 等 注 文 案 ( 大 日 本 古 文 書 家 わけ 第 十 八 東 大 寺 文 書 之 六 7 巻 89 号 挿 図 4)である この 史 料 は 弘 安 5 年 (1282)12 月 から 正 応 元 年 ( 弘 安 11 年 1288)12 月 までの6 年 間 に 東 大 寺 で 実 施 された 建 造 物 の 新 造 修 理 等 についてまとめたもので 修 理 分 新 造 分 仮 葺 分 檜 皮 葺 分 瓦 葺 分 の 項 目 ご とに 対 象 となった 建 造 物 とその 部 分 等 を 書 き 上 げ 最 後 に 用 いた 材 ごとの 総 量 を 示 す 構 成 に なっている 各 項 目 で 挙 げられた 建 造 物 は ほぼ 時 系 列 で 整 理 されており 傍 書 によって 実 施 年 が 判 明 する この 中 で 瓦 葺 分 に 三 倉 差 瓦 が 挙 げられており 弘 安 11 年 の 施 行 であ ったことが 分 かる 瓦 の 葺 き 替 えについて 一 宇 間 といった 明 確 な 範 囲 を 示 す 全 面 的 な 施 工 に 対 し 宝 庫 の 場 合 は 差 瓦 という 部 分 的 な 葺 き 替 えであった この 時 期 東 大 寺 で 屋 根 の 葺 き 替 えを 含 む 大 規 模 な 修 理 が 実 施 され 規 模 は 不 明 ながら 正 倉 院 宝 庫 でも 瓦 の 部 分 的 な 葺 き 替 えが 実 施 されたことが 分 かる( 東 大 寺 全 体 で 使 用 された 瓦 の 総 数 は28 万 枚 に 上 った) 現 存 する 宝 庫 所 用 の 鎌 倉 時 代 の 瓦 は 紀 年 銘 はないものの 数 量 的 には 大 正 年 間 に 次 いで 分 量 が 多 く 当 時 大 規 模 な 屋 根 の 葺 き 替 え 修 理 が 実 施 されたことが 知 られる これらは 丸 瓦 の 形 式 によれば 鎌 倉 時 代 前 期 と 後 期 に 分 かれるが 数 の 多 い 平 瓦 に 関 してはそれぞれの 比 率 は 不 明 であるという ( 注 32) 文 献 上 前 期 には 文 治 建 久 年 間 寛 喜 2 年 寛 元 年 間 など3 回 ほど 屋 蓋 部 の 修 理 が 認 められ 特 に 寛 元 年 間 の 修 理 は3ヶ 年 の 開 封 期 間 に 実 施 された 大 規 模 修 理 の 可 能 性 を 有 する この 寛 元 年 間 の 修 理 から 約 40 数 年 後 に 実 施 された 弘 安 11 年 の 修 理 が 後 期 の ものとして 確 認 されたことになる なお 同 文 書 の 新 造 分 に 椙 本 明 神 宝 殿 并 鳥 居 等 が 弘 安 11 年 の 作 業 対 象 として 挙 げら れており 現 在 宝 庫 北 側 に 鎮 座 する 杉 本 神 社 の 歴 史 がここまで 遡 ることも 確 認 できた ( 注 33) 挿 図 4 正 応 2 年 東 大 寺 修 理 新 造 等 注 文 案 巻 首 巻 末 及 び 三 倉 差 瓦 記 載 部 分 (106)

19 三 中 世 後 期 の 修 理 鎌 倉 時 代 において 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 について 窺 知 できるのは 以 上 である その 後 の 中 世 後 期 から 近 世 初 頭 にかけては 東 大 寺 における 文 書 の 残 存 状 況 があまりよくないので 不 明 なこ とが 多 い 宝 庫 修 理 の 記 録 としても 室 町 時 代 から 安 土 桃 山 時 代 にかけてその 痕 跡 が 窺 える 史 料 は 確 認 できない この 間 も 度 々 大 地 震 が 発 生 し 南 都 の 寺 院 における 被 災 も 記 録 されている が 東 大 寺 に 関 するものはほとんどなく 正 倉 院 の 修 理 についても 不 明 である 周 辺 における 大 きな 災 害 としては 永 正 5 年 (1508)3 月 18 日 の 講 堂 と 三 面 僧 房 等 の 焼 失 や 永 禄 10 年 (1567)10 月 日 松 永 久 秀 と 三 好 三 人 衆 の 戦 いによる 大 仏 殿 等 の 焼 失 などが 特 記 できる 永 禄 年 間 の 戦 災 においては 近 在 の 唐 禅 院 や 四 聖 坊 等 も 焼 亡 している( 多 聞 院 日 記 ) 現 在 の 正 倉 院 構 内 にもこの 際 の 防 御 施 設 と 推 定 される 溝 が 検 出 されており ( 注 34) 正 倉 院 も 戦 火 に 巻 き 込 まれる 可 能 性 は 十 分 あった 四 江 戸 時 代 慶 長 年 間 の 修 理 (1602~1603) 江 戸 時 代 の 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 に 関 しては 史 料 の 残 りがよく 精 粗 は 別 としてある 程 度 の 情 報 を 得 ることができる 文 禄 5 年 (1596) 閏 7 月 日 に 和 泉 摂 津 山 城 国 を 中 心 に 被 害 をもたらしたマグニチ ュード7.5 程 度 とされる 大 地 震 ( 慶 長 伏 見 地 震 )が 発 生 し 南 都 でも 唐 招 提 寺 大 安 寺 法 華 寺 海 龍 王 寺 などで 堂 塔 の 破 損 や 倒 壊 が 記 録 されている( 招 提 千 歳 伝 記 大 和 名 勝 志 等 ) 東 大 寺 に 関 する 被 害 の 記 録 はないが 災 害 への 警 戒 心 は 自 然 と 高 まったはずで 徳 川 家 康 が 慶 長 5 年 (1600)に 関 ヶ 原 で 勝 利 して 天 下 を 取 ったことを 機 に 同 7 年 6 月 その 命 によって 東 大 寺 に 奉 行 本 多 正 純 大 久 保 長 安 が 派 遣 されて 宝 庫 の 調 査 を 実 施 し 同 8 年 2 月 25 日 開 封 して 修 理 が 行 われている( 続 々 群 書 類 従 所 収 慶 長 十 九 年 薬 師 院 実 祐 記 ) 修 理 中 は 上 司 倉 へ 宝 物 を 移 納 した 家 康 は この 機 に 長 持 32 個 ( 慶 長 櫃 )を 寄 進 し 宝 物 の 保 存 に 役 立 てさせた こ の 修 理 は 徳 川 政 権 の 大 和 における 存 在 感 の 誇 示 であると 共 に 天 下 人 としての 責 務 によるも のと 評 価 できる 修 理 の 規 模 期 間 については 詳 細 不 明 である 寛 文 年 間 の 修 理 (1663~1666) 寛 文 3 年 (1663)4 月 に 宝 庫 修 理 が 長 期 間 実 施 されておらず 宝 物 朽 損 が 危 ぶまれるとの 書 状 が 東 大 寺 衆 僧 から 寺 社 奉 行 に 出 され 8 月 20 日 に 幕 府 は 宝 庫 修 理 を 命 じた 前 年 に 発 生 し たマグニチュード7.2~7.6 規 模 の 大 地 震 の 影 響 もあったと 思 われる 東 大 寺 は 大 工 に 宝 庫 の 図 を 作 成 させ 旧 記 と 共 に 修 理 事 業 を 統 括 する 京 都 所 司 代 牧 野 佐 渡 守 親 重 に 提 出 した 実 施 が 遅 延 したため 寺 社 奉 行 に 再 度 願 いを 出 し 同 6 年 (1666)3 月 4 日 に 勅 使 権 右 中 弁 日 野 資 茂 が 下 向 して 漸 く 着 手 された 北 倉 から 順 に 点 検 を 行 い 中 倉 の 北 西 角 の 柱 に 若 干 の 不 具 合 が 発 見 されたので 大 工 がその 場 で 修 理 し 7 日 には 閉 封 している( 寛 文 六 年 正 倉 院 御 開 封 之 記 薬 (107)

20 師 院 文 書 ) 宝 庫 そのものの 修 理 よりも 宝 物 の 点 検 に 重 点 を 置 いた 開 封 であったといえる 元 禄 年 間 の 修 理 (1689~1693) 元 禄 2 年 (1689)7 月 16 日 と 同 3 年 8 月 29 日 9 月 1 日 の 二 度 にわたって 奈 良 奉 行 大 岡 忠 高 が 与 力 玉 井 定 時 に 宝 庫 の 破 損 状 況 を 調 査 させ それを 示 した 図 と 書 面 を 作 成 させた( 奈 良 県 所 蔵 文 書 ( 注 35) と 庁 中 漫 録 所 収 元 禄 六 年 御 開 封 記 ) また 同 年 12 月 に 奈 良 奉 行 と 東 大 寺 の 間 で 寛 文 年 間 の 開 封 の 際 の 費 用 に 関 する 遣 り 取 りがあり 翌 3 年 5 月 21 日 に 宝 庫 修 復 予 算 の 見 積 を 行 っており 8 貫 501 匁 2 分 3 厘 が 修 復 分 として 計 上 されている これらの 下 準 備 を 経 て 寛 文 6 年 の 開 封 以 来 28 年 が 経 過 したために 御 倉 及 二 破 損 一 んだ 由 東 大 寺 寺 務 宮 済 深 親 王 より 南 曹 弁 を 通 じて 奏 聞 し 元 禄 6 年 5 月 16 日 に 開 封 が 実 施 された 今 回 も 慶 長 時 に 倣 って 上 司 倉 へ 宝 物 を 移 した( 元 禄 六 年 御 開 封 記 草 書 ) 修 理 は6 月 15 日 から 7 月 14 日 まで 行 われた 修 理 が 終 わり 閉 封 されたのは8 月 7 日 である 束 柱 に 巻 かれた 箍 や 台 輪 の 鼻 を 包 む 銅 板 などはこの 修 理 の 際 に 設 えられたもので 敷 板 の 取 替 え 間 柱 の 追 加 瓦 の 葺 き 替 えも 実 施 されている( 奈 良 県 所 蔵 文 書 ) これら 修 理 は 経 年 に よる 劣 化 を 修 復 しようというもので 災 害 を 機 に 実 施 されたものではない 天 保 年 間 の 修 理 (1830~1836) 文 政 13 年 (1830)に 屋 根 が 大 破 し 奈 良 奉 行 東 大 寺 の 要 請 に 応 じて 開 封 の 運 びとなった ( 奈 良 県 所 蔵 文 書 ) 同 年 7 月 初 旬 には 京 都 でマグニチュード6.4 規 模 の 大 地 震 があったが 屋 根 の 大 破 は 事 案 の 発 生 時 期 が 不 詳 であるため この 地 震 との 関 連 の 有 無 は 不 明 である 天 保 2 年 (1831)に 東 大 寺 から 奈 良 奉 行 に 屋 根 葺 替 修 理 の 口 上 書 が 上 申 され 同 4 年 10 月 18 日 には 開 封 に 至 り 宝 物 は 東 南 院 宝 庫 と 八 幡 宮 楼 門 前 の 南 宝 蔵 等 寺 内 諸 倉 へ 移 納 されたが 修 理 の 準 備 が 漸 く 始 まったのは 同 6 年 9 月 からで 実 際 に 屋 根 の 葺 替 工 事 が 実 施 されたのは 同 7 年 正 月 からであった この 作 業 は3 月 頃 で 終 了 し 6 月 に 閉 封 を 迎 えている 実 質 は 本 工 事 3 ヶ 月 の 修 理 であったが 比 較 的 規 模 の 大 きな 作 業 であったと 評 価 し 得 る ( 注 36) 以 上 江 戸 時 代 に4 回 にわたって 実 施 された 修 理 事 業 をざっと 見 渡 した 基 本 的 には 経 常 劣 化 の 修 繕 を 主 体 としたものであるが 直 前 に 発 生 した 地 震 等 の 災 害 が 一 つの 契 機 になった 可 能 性 は 否 定 できない むすびにかえて 以 上 中 世 以 前 を 中 心 に 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 について 概 観 した ここで 本 稿 を 通 じて 確 認 し た 主 な 事 項 を 列 記 する 正 倉 院 の 修 理 に 際 しては 朝 廷 に 勅 使 発 遣 を 要 請 して 開 封 の 許 可 を 得 るのが 大 前 提 であった 修 理 は 寺 側 の 朝 廷 への 働 きかけ( 近 世 には 奈 良 町 奉 行 も 介 在 )が 契 機 となる 東 大 寺 による 現 場 での 監 守 が 宝 庫 宝 物 保 全 の 要 であり 朝 廷 は 東 大 寺 からの 働 きかけを 通 じて 宝 庫 が 建 造 物 (108)

21 として 十 全 に 機 能 を 果 たし 宝 物 の 保 存 環 境 が 保 たれていることを 確 認 できた 長 元 4 年 (1031)の 風 損 に 伴 う 修 理 建 長 6 年 (1254)の 落 雷 の 際 の 緊 急 措 置 的 な 修 理 など 正 倉 院 が 災 害 に 遭 ってすぐさま 修 理 が 実 施 された 事 例 は 少 ない そういった 意 味 では 自 然 災 害 によって 正 倉 院 が 存 立 に 関 わるような 致 命 的 な 被 害 を 受 けたことはなかったといえる 災 害 の 発 生 に 際 し 被 災 状 況 が 顕 著 な 場 合 には 早 めの 修 理 が 実 施 されたが 軽 微 な 損 傷 では 実 施 されなかった 不 必 要 な 開 封 を 回 避 するという 規 制 が 働 いていたものと 推 測 できる 正 倉 院 の 修 理 は 東 大 寺 全 体 の 堂 塔 修 造 の 一 環 として 実 施 される 例 が 多 かった よって 東 大 寺 の 修 造 体 制 のあり 方 ( 組 織 予 算 等 )に 大 きく 左 右 された なお 直 接 的 な 被 害 の 有 無 とは 別 に 東 大 寺 全 体 の 修 理 が 災 害 後 の 危 機 意 識 の 高 揚 を 動 因 として 実 施 された 例 はある 11 世 紀 後 半 から12 世 紀 前 半 にかけて 東 大 寺 からの 働 き 掛 けもあり 朝 廷 が 積 極 的 に 同 寺 の 堂 塔 維 持 に 関 与 する 姿 勢 をとる 修 理 財 源 となる 封 物 の 未 納 など 主 に 財 政 的 な 理 由 で 大 規 模 な 修 理 には 着 手 できずにいたが 11 世 紀 末 大 地 震 が 頻 発 する 状 況 の 中 で 朽 損 したままの 堂 塔 を 放 置 することへの 危 機 感 が 高 まり 康 和 2 年 (1100)に 寺 内 修 造 を 使 命 として 永 観 が 別 当 に 就 任 する その 修 理 事 業 中 東 大 寺 が 最 初 の 修 理 対 象 に 正 倉 院 宝 庫 を 選 んだのは 本 願 聖 武 天 皇 遺 愛 の 品 を 収 めた 宝 庫 を 再 興 事 業 の 目 玉 とすることで 本 願 以 来 の 朝 廷 との 密 接 な 関 係 を 強 調 しようとしたためと 考 えられる これまで 見 過 ごされてきた 鎌 倉 時 代 後 期 の 修 理 について 弘 安 11 年 (1288)の 屋 根 の 葺 き 替 え 工 事 の 存 在 を 確 認 した 今 回 の 整 備 工 事 中 大 量 に 認 められた 鎌 倉 時 代 の 瓦 の 同 時 代 後 期 における 葺 き 替 え 時 期 を 推 定 することができるようになった 正 倉 院 が 自 然 災 害 の 被 害 を 直 接 受 けて 修 理 に 及 んだ 例 はごく 限 られており それ 以 外 の 修 理 は 東 大 寺 の 堂 塔 修 理 の 流 れの 中 で 実 施 されたことが 分 かった 但 し それは 結 果 的 に 大 きな 被 害 を 受 けなかったことによるのであり 中 世 においては 正 倉 院 守 のような 特 別 な 監 守 体 制 も 設 けられ 被 害 が 甚 大 である 場 合 には 迅 速 な 対 応 が 取 れるよう 手 当 がなされていた 今 回 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 を 通 覧 して 康 和 2 年 の 修 理 が 特 筆 すべきものであることを 指 摘 し た 東 大 寺 が 特 別 な 寺 であるという 認 識 を 朝 廷 に 持 たせる 手 段 の 一 つとして 東 大 寺 の 創 建 が 聖 武 天 皇 の 御 願 によるものであることが11 世 紀 から12 世 紀 にかけて 強 調 されるようになる そ の 脈 絡 の 中 で 正 倉 院 が 利 用 されることもあり 正 倉 院 宝 庫 の 修 理 中 唯 一 要 録 に 取 り 上 げられ た 康 和 2 年 の 修 理 は 象 徴 的 な 意 味 を 有 する 勅 封 倉 を 含 む 正 倉 院 宝 庫 は 単 なる 倉 庫 ではなく 東 大 寺 の 特 殊 性 を 主 張 する 源 泉 となるものの 一 つであり 東 大 寺 が 手 を 尽 くして 監 守 修 理 を 行 うモチベーションにもなったと 考 えられる 12 世 紀 後 半 以 降 上 皇 や 摂 関 による 宝 物 御 覧 の 機 会 が 多 くなるが 東 大 寺 の 側 からすれば それは 寺 の 特 殊 性 をアピールして 手 厚 い 保 護 を 求 めるためには 絶 好 の 機 会 となったであろう 12 世 紀 以 降 は 聖 武 天 皇 のみでなく 良 弁 や 行 基 の 名 も 所 領 支 配 の 正 当 性 を 主 張 する 際 の 文 書 中 に 登 場 するようになり これに 菩 提 僊 那 が 加 わって 12 世 紀 末 頃 には 四 聖 の 概 念 が 生 ま (109)

22 れる これは 権 利 の 正 当 性 を 主 張 するに 際 して 王 権 の 権 威 のみでは 不 十 分 で 仏 法 世 界 の 論 理 による 荘 厳 化 が 必 要 になったためであるという ( 注 37) 建 長 8 年 (1258)8 月 には 四 聖 を 図 像 化 した 四 聖 御 影 が 作 成 され 三 面 僧 房 の 北 室 に 祀 られる 永 正 5 年 (1508)3 月 に 三 面 僧 房 が 焼 亡 した 後 正 倉 院 近 傍 に 四 聖 御 影 を 祀 る 四 聖 坊 が 置 かれたことも 正 倉 院 周 辺 が 本 願 聖 武 天 皇 ゆかりの 一 帯 として 寺 内 でも 特 別 な 位 置 づけを 与 えられていたことによると 考 えられる このように 時 代 が 降 るに 従 い 正 倉 院 宝 庫 の 位 置 づけも 徐 々に 変 化 をみせるが 朝 廷 東 大 寺 場 合 によっては 当 時 の 政 権 によって ほぼ 絶 え 間 なく 必 要 十 分 な 監 守 修 理 が 加 えられ てきたことは 本 稿 で 確 認 したとおりである このような 過 不 足 のない 手 当 が 今 日 まで 正 倉 院 宝 庫 宝 物 が 守 り 伝 えられる 上 での 要 諦 であったことに 思 いを 致 しつつ 筆 を 擱 きたい 注 (1) 歴 史 上 確 認 できる 地 震 については 震 源 地 震 度 等 が 判 明 している 場 合 が 多 く 本 稿 では 理 科 年 表 等 を 参 考 にしてそれらに 関 する 情 報 を 付 加 した (2) 三 代 実 録 の 同 日 条 によれば 諸 司 の 倉 屋 や 東 西 京 の 廬 舎 が 倒 壊 し 死 者 も 多 数 にのぼった 平 城 宮 第 一 次 大 極 殿 院 回 廊 には 地 震 の 痕 跡 が 残 る (3) 杉 本 一 樹 正 倉 院 ( 中 公 新 書 2008) 第 5 章 宝 庫 宝 物 の 一 千 年 (4) 天 平 宝 字 8 年 (764)から 天 平 神 護 2 年 (766)までの 楽 具 欠 失 関 係 文 書 など 第 14 回 ザ グレ イトブッダ シンポジウム 古 代 東 大 寺 の 世 界 東 大 寺 要 録 を 読 み 直 す (2015 年 12 月 19 日 20 日 開 催 )での 吉 川 真 司 氏 の 報 告 古 代 東 大 寺 の 楽 舞 と 楽 人 による (5) 新 井 孝 重 東 大 寺 の 修 造 構 造 ( 東 大 寺 領 黒 田 荘 の 研 究 校 倉 書 房 2001 初 出 は1989) (6) 佐 藤 泰 弘 東 大 寺 の 組 織 と 財 政 ( 日 本 中 世 の 黎 明 京 都 大 学 学 術 出 版 会 2001 初 出 は 1997) (7) 東 南 院 文 書 号 は 共 に 同 第 2 櫃 第 3 巻 に 成 巻 される 225 号 は3 断 簡 に 分 かれ 前 半 の 2 断 簡 は 康 平 元 年 (1058)の 修 理 注 進 記 であるが 最 後 の 断 簡 ( 第 2 櫃 第 3 巻 第 55 紙 以 降 )は 内 容 的 に 天 喜 5 年 の 注 進 記 (224 号 )との 対 応 が 確 認 できる 224 号 が 土 代 であり 必 要 な 情 報 を 取 捨 選 択 してまとめたものの 一 部 が225 号 の 第 3 断 簡 である 225 号 第 3 断 簡 に 記 す 天 喜 5 年 の 南 倉 勅 封 倉 の 修 理 記 録 は 以 下 のとおりである 一 正 蔵 院 南 御 庫 修 理 料 百 三 十 七 石 八 斗 五 合 / 方 尺 木 三 支 直 十 八 石 支 別 六 石 車 力 一 石 八 斗 六 領 料 / 四 五 寸 木 八 支 直 二 石 四 斗 支 別 三 斗 車 力 九 斗 三 領 料 / 榑 二 百 三 十 寸 直 十 一 石 五 斗 寸 別 五 升 車 力 一 石 二 斗 四 領 料 / 釘 四 百 二 十 四 隻 八 寸 四 十 八 隻 六 寸 五 十 隻 / 一 尺 六 隻 三 寸 十 六 連 / 鉄 四 十 六 廷 直 十 三 石 八 斗 廷 別 三 斗 / 瓦 五 千 百 五 十 枚 焼 料 六 十 五 石 五 竈 料 / 藁 八 十 六 束 直 八 斗 六 升 束 別 一 升 / 木 工 百 六 十 五 人 食 十 三 石 七 升 / 大 工 十 五 人 長 三 十 二 人 連 百 十 八 人 各 食 同 前 / 葺 工 八 十 五 人 食 六 石 七 斗 七 升 五 合 / 大 工 十 人 長 十 五 人 連 六 十 人 各 食 同 前 / 鍛 冶 五 人 食 二 石 五 斗 人 別 五 斗 一 勅 封 御 庫 棟 修 理 葺 料 三 石 八 斗 七 升 五 合 / 瓦 二 百 枚 焼 料 二 石 五 斗 / 藁 十 八 束 直 一 斗 八 升 / 葺 工 十 五 人 食 一 石 一 斗 九 升 五 合 / 大 工 二 人 長 二 人 連 十 一 人 各 食 同 (8) 224 号 には 綱 封 御 庫 を7 月 22 日 から22 日 間 で 修 理 したとの 記 録 もあるが 南 倉 は 半 年 前 に (110)

23 修 理 済 であるので 南 倉 とは 別 の 倉 を 指 すと 考 えられる( 杉 本 氏 先 掲 注 (3) 著 書 参 照 ) (9) 本 誌 所 収 の 光 谷 拓 実 年 輪 年 代 法 による 正 倉 院 正 倉 の 建 築 部 材 の 調 査 (3) (10) 修 理 注 進 記 ( 東 南 院 文 書 222~225 号 )によれば 天 喜 4 年 (1056)に 講 堂 西 廊 三 面 僧 房 北 室 馬 道 第 一 大 坊 戒 壇 院 金 堂 西 廊 大 殿 ( 大 仏 殿 ) 屋 根 西 廊 等 18 箇 所 の 修 理 同 5 年 には 食 堂 廊 虹 梁 千 手 院 小 塔 堂 上 政 所 庁 大 殿 ( 大 仏 殿 ) 同 廊 食 堂 講 堂 綱 封 倉 等 併 せ て25 箇 所 の 修 理 康 平 元 年 (1058)には 戒 壇 院 僧 房 食 堂 登 廊 大 仏 殿 等 25 箇 所 の 修 理 がそ れぞれ 実 施 されている(なお 当 時 の 別 当 覚 源 には 文 書 要 録 東 大 寺 別 当 次 第 等 いずれ においても 修 造 に 努 めたとの 評 価 はみられない) (11) 天 喜 4 年 の 修 理 注 進 記 ( 東 南 院 文 書 222 号 )には 正 倉 院 宝 庫 と 転 害 門 の 間 に 鎮 座 する 鼓 坂 社 の 修 理 に 関 する 記 録 もあり 同 社 の 長 い 歴 史 を 窺 うことができる 同 社 は 現 在 正 倉 院 構 内 に その 痕 跡 をとどめている (12) 大 河 直 躬 造 東 大 寺 所 と 修 理 所 平 安 時 代 の 東 大 寺 造 営 組 織 について ( 建 築 史 研 究 ) なお 大 河 氏 は 造 寺 所 が 実 施 していた 封 戸 の 管 理 は 寺 政 所 へと 移 り 修 理 所 は 財 政 的 に 寺 政 所 に 従 属 するとの 見 解 を 示 されるが 後 に 発 表 された 佐 藤 氏 先 掲 注 (6) 論 文 では 造 寺 所 の 封 物 の 管 理 が 移 った 先 は 寺 政 所 ではなく 三 綱 であったことなどが 指 摘 されており 若 干 の 修 正 を 要 する (13) 御 物 整 理 掛 購 入 文 書 は 明 治 25~37 年 (1892~1904)に 置 かれていた 正 倉 院 御 物 整 理 掛 が 正 倉 院 の 関 連 資 料 として 購 入 し 現 在 は 正 倉 院 事 務 所 が 管 理 に 当 たっているが そもそもの 伝 来 購 入 先 購 入 時 期 を 含 めて 詳 細 は 不 明 である 森 哲 也 宮 内 庁 書 陵 部 所 蔵 東 大 寺 所 蔵 古 文 書 について ( 正 倉 院 文 書 研 究 )を 参 照 されたい (14) 東 南 院 文 書 には 治 暦 3 年 の 遣 使 を 東 大 寺 に 伝 える 文 書 ( 同 229 号 )は 残 るが 実 際 の 調 査 結 果 は 現 存 しない 承 暦 3 年 当 時 はこれが 残 っていた 可 能 性 がある (15) 治 暦 3 年 以 降 では 延 久 2 年 (1070)10 月 20~23 日 に 奈 良 で 大 きな 地 震 があり 東 大 寺 でも 大 鐘 が 落 下 しているが( 百 練 抄 同 年 同 月 20 日 条 ) 正 倉 院 宝 庫 への 影 響 は 不 明 である (16) 千 手 院 は 手 向 山 八 幡 宮 の 現 在 の 鎮 座 地 に 存 した 承 暦 3 年 の 修 理 対 象 の 地 理 的 な 分 布 は 比 較 的 広 範 囲 にわたっている (17) 慶 信 は 修 造 に 努 めた 功 労 賞 で 応 徳 3 年 (1086)に 法 印 に 任 じられている なお 慶 信 の 修 理 実 績 としては 他 に 寛 治 7 年 (1093)に 実 施 された 東 塔 蓋 層 角 木 の 取 り 替 えがある (18) 別 当 次 第 は 要 録 より 詳 細 に 慶 信 の 修 造 履 歴 について 記 すが 勅 封 倉 修 理 の 扱 いとしては 主 題 が 麝 香 の 出 蔵 と 銀 提 子 の 施 入 であるという 点 で 要 録 とさほど 変 わらない (19) 寛 喜 2 年 (1230)7 月 17 日 北 倉 南 倉 の 修 理 のために 全 倉 が 開 封 されているが その3ヶ 月 後 に 中 倉 が 窃 盗 の 被 害 に 遭 っている( 続 要 録 宝 蔵 篇 ) 開 封 による 宝 物 への 感 心 の 高 まりと 窃 盗 との 間 には 因 果 関 係 を 想 定 すべきであろう (20) さらに 遡 れば 寛 治 5 年 (1091)8 月 7 日 にも 金 峰 山 寺 蔵 王 堂 等 に 被 害 をもたらした 地 震 が 発 生 している( 石 清 水 文 書 5 宮 寺 縁 事 抄 末 2) (21) 嘉 保 2 年 (1095)6 月 の 別 当 就 任 後 経 範 は 寺 内 修 理 の 財 源 不 足 を 朝 廷 に 訴 えている 朝 廷 は 修 理 を 進 めさせるべく 使 者 を 東 大 寺 に 派 遣 し その 結 果 を 受 けて 翌 3 年 7 月 に 堂 塔 回 廊 以 下 の 具 体 的 な 修 理 対 象 を 示 し その 修 理 実 施 を 促 す 官 宣 旨 を 下 した これに 対 して 同 年 9 月 東 大 寺 は 修 理 財 源 確 保 のため 諸 国 封 物 を 完 済 させて 修 理 料 に 充 てられるよう 朝 廷 に 要 請 して いる( 東 南 院 文 書 232 号 ) (111)

24 (22) 永 観 については 五 味 文 彦 永 観 と 中 世 ( 院 政 期 社 会 の 研 究 山 川 出 版 社 1984 初 出 は 1983)に 詳 しい (23) 要 録 別 当 章 が 修 理 対 象 を 網 羅 的 に 記 す 訳 ではないことは 承 暦 3 年 の 修 理 事 業 に 関 する 記 事 を みても 明 確 である 実 際 康 和 4 年 (1102)の 修 理 対 象 として 要 録 別 当 章 は 食 堂 登 廊 のみを 掲 げるが 同 年 の 修 理 について 記 したと 思 しき 長 治 元 年 (1104)7 月 20 日 東 大 寺 修 理 材 木 注 進 状 ( 東 南 院 文 書 235 号 )には 登 廊 僧 房 東 室 馬 道 上 司 南 北 御 蔵 等 8 箇 所 の 修 理 における 用 材 を 計 上 しており 康 和 2 年 にも 勅 封 倉 以 外 の 修 理 が 実 施 された 可 能 性 がある しかしながら 要 録 に 採 録 されたことを 考 えても 少 なくとも 勅 封 倉 がこの 年 の 最 も 代 表 的 な 修 理 対 象 であっ たことは 間 違 いない なお この 修 理 材 木 注 進 状 は 正 倉 院 の 修 理 に 関 する 記 載 のある 天 喜 5 年 東 大 寺 修 理 所 修 理 注 進 記 ( 東 南 院 文 書 号 )と 同 種 の 資 料 で 康 和 2 年 の 勅 封 倉 の 修 理 用 材 について 記 した 注 進 文 も 作 成 されたはずであるが 現 存 しない (24) 久 野 修 義 中 世 東 大 寺 と 聖 武 天 皇 ( 同 日 本 中 世 の 寺 院 と 社 会 塙 書 房 1999 初 出 は1991) (25) 康 和 年 間 の 修 造 期 間 中 諸 国 の 東 大 寺 領 荘 園 では 国 役 が 免 除 されており( 康 和 4 年 4 月 29 日 東 大 寺 政 所 下 文 案 平 安 遺 文 1482 号 ) 代 わりに 修 造 料 を 負 担 させられるなど 荘 園 も 修 理 財 源 であったことが 分 かる 従 来 の 諸 国 封 物 も 重 要 財 源 であったが その 徴 納 を 促 す 官 宣 旨 が 朝 廷 から 下 されたのは 永 観 の 次 の 別 当 勝 覚 の 求 めに 応 じた 嘉 承 元 年 (1106)8 月 5 日 のこと であった( 大 日 本 古 文 書 家 わけ 第 十 八 東 大 寺 文 書 之 六 253 号 文 書 ) (26) 注 (25) 所 掲 嘉 承 元 年 8 月 5 日 官 宣 旨 (27) 岡 野 浩 二 院 政 期 における 造 東 大 寺 官 について ( 古 代 文 化 ) (28) 修 理 財 源 の 問 題 は 解 決 された 訳 ではなく 久 安 3 年 (1147) 伊 賀 国 を 除 く 大 半 の 国 からの 封 物 が 未 進 であるために 寺 内 修 理 が 滞 っているとの 状 況 を 受 け 徴 納 を 促 す 官 宣 旨 が 下 されてい る( 大 日 本 古 文 書 家 わけ 第 十 八 東 大 寺 文 書 之 七 号 文 書 ) (29) 勅 封 蔵 内 一 宇 とは 北 倉 もしくは 中 倉 のうちの 一 方 を 指 称 するのであろう (30) 光 谷 氏 先 掲 注 (9) 論 文 では 南 倉 1 階 の 天 井 板 に 嘉 禎 4 年 (1238)もしくはその 直 後 に 伐 採 された 材 の 使 用 を 認 め 寛 元 元 年 (1243)の 修 理 時 のものとの 判 断 が 下 されている 寛 元 元 年 の 修 理 規 模 の 大 きさを 裏 付 ける 証 拠 の 一 つとなるであろう (31) 落 雷 時 北 倉 扉 付 近 の 火 災 が 最 も 激 しく 内 部 に 火 が 回 ってすぐに 踏 み 込 むことは 困 難 であっ たと 考 えられる 北 倉 の 外 から 覗 き 込 むだけでは 隣 の 中 倉 への 被 害 状 況 は 把 握 し 難 い よっ て 中 倉 への 被 害 状 況 を 速 やかに 確 認 し 火 が 及 ぶようであれば 即 座 に 宝 物 の 避 難 や 消 火 に 着 手 できるよう 消 火 活 動 の 段 階 で 中 倉 の 扉 を 破 壊 して 中 に 入 る 必 要 があった 結 果 的 に 中 倉 に 火 が 及 ばなかったことは 北 倉 の 消 火 後 には 確 認 できるので その 時 点 で 中 倉 の 扉 を 壊 す 必 然 性 はない 以 上 より 中 倉 扉 の 人 為 的 な 切 放 は 消 火 活 動 中 のことと 推 測 できる (32) 文 化 財 建 造 物 保 存 技 術 協 会 編 著 正 倉 院 正 倉 整 備 記 録 ( 宮 内 庁 2015) (33) 詳 細 については 本 誌 所 収 の 春 日 井 道 彦 正 倉 の 鎮 守 について を 参 照 されたい (34) 橿 原 考 古 学 研 究 所 東 大 寺 旧 境 内 唐 禅 院 跡 推 定 地 の 発 掘 調 査 ( 奈 良 県 文 化 財 調 査 報 告 書 ) (35) ここにいう 奈 良 県 所 蔵 文 書 は 岸 熊 吉 正 倉 院 の 建 築 に 就 て ( 正 倉 院 史 論 寧 楽 十 二 1929)に 引 用 翻 刻 されたもので 現 在 原 本 の 所 在 は 確 認 できない (36) 天 保 年 間 の 修 理 の 細 かい 内 容 については 先 掲 (32) 報 告 書 参 照 のこと (37) 久 野 氏 先 掲 注 (24) 論 文 (112)

25 正 倉 院 の 修 理 と 南 都 周 辺 の 自 然 災 害 年 表 元 号 西 暦 月 日 正 倉 院 関 連 事 項 災 害 関 連 事 項 史 料 天 長 4 年 月 12 日 京 で 地 震 (M6.8) 舎 屋 が 多 く 倒 壊 する 余 震 が 続 く 類 聚 国 史 斉 衡 2 年 月 地 震 によって 東 大 寺 大 仏 の 頭 部 が 落 下 する 文 徳 天 皇 実 録 斉 衡 3 年 月 京 とその 南 方 で 地 震 (M6.3) 建 物 の 被 害 あり 文 徳 天 皇 実 録 斉 衡 3 年 月 宝 物 点 検 の 実 施 斉 衡 三 年 雑 財 物 実 録 貞 観 10 年 月 8 日 播 磨 国 で 地 震 (M7.0) 郡 衙 の 建 物 や 定 額 寺 の 堂 塔 が 倒 壊 する 三 代 実 録 京 でも 余 震 が 続 く 元 慶 4 年 月 6 日 京 で 地 震 (M6.4) 大 極 殿 宮 城 築 垣 京 内 廬 舎 で 多 数 の 被 害 三 代 実 録 五 畿 七 道 諸 国 で 地 震 ( 仁 和 地 震 M ) 諸 司 倉 屋 東 仁 和 3 年 月 30 日 西 京 の 廬 舎 が 倒 壊 する 死 者 多 数 ( 三 代 実 録 ) 平 城 宮 第 一 次 三 代 実 録 大 極 殿 院 回 廊 に 地 震 の 痕 跡 あり 寛 平 月 16 日 京 で 地 震 (M6.0) 倒 壊 寸 前 の 建 物 あり 日 本 紀 略 承 平 月 27 日 京 で2 度 の 地 震 (M6.0) 諸 処 で 築 垣 が 倒 壊 する 扶 桑 略 記 承 平 8 年 月 15 日 京 で 地 震 (M7.0) 内 膳 司 の 屋 舎 が 倒 壊 圧 死 者 4 人 京 中 の 築 垣 が 悉 く 崩 れる 家 屋 諸 寺 堂 舎 仏 像 等 も 被 害 多 数 日 本 紀 略 康 富 記 971~ 天 禄 2~4 年 973 天 延 4 年 月 18 日 長 元 4 年 月 天 喜 5 年 1057 正 月 16~26 日 天 喜 5 年 1057 (8~10 月 ) 延 久 2 年 月 20~23 日 東 大 寺 の 寺 内 堂 塔 修 理 正 倉 院 も 破 損 が 著 しく 修 理 対 象 となった 山 城 近 江 国 で 地 震 (M 6.7 以 上 ) 内 裏 諸 司 諸 寺 人 家 等 の 建 物 及 び 築 垣 の 多 くが 倒 壊 京 で 死 者 50 人 以 上 風 損 によって 勅 封 倉 の 修 理 を 行 う また 南 倉 の 湿 損 を 点 検 する 正 倉 院 動 用 倉 の 倒 壊 も 宝 庫 の 被 災 と 同 じタイミングか 東 大 寺 全 体 の 修 理 の 一 環 で 南 倉 を11 日 間 で 修 理 する 躯 体 修 理 と 共 に 瓦 約 5,150 枚 を 葺 き 替 える 東 大 寺 全 体 の 修 理 の 一 環 で 勅 封 倉 の 瓦 200 枚 を1 日 間 で 葺 き 替 えて 修 理 する 山 城 大 和 国 で 地 震 が 連 続 する 洛 中 の 家 々の 築 垣 が 多 く 倒 壊 し 諸 国 寺 院 の 塔 が 破 損 東 大 寺 の 鐘 が 落 下 したが 年 内 に 懸 け 直 す 東 南 院 文 書 34 号 百 練 抄 扶 桑 略 記 日 本 紀 略 小 右 記 左 経 記 要 録 東 南 院 文 書 号 東 南 院 文 書 号 百 練 抄 扶 桑 略 記 要 録 承 暦 3 年 月 勅 封 倉 の 北 西 角 の 破 損 を 修 理 する 御 物 整 理 掛 購 入 文 書 寛 治 5 年 月 7 日 山 城 大 和 国 で 地 震 (M6.2~6.5) 法 成 寺 の 仏 像 堂 塔 に 被 害 扶 桑 略 記 後 二 条 師 通 記 石 清 水 金 峰 山 金 剛 蔵 王 宝 殿 が 破 損 文 書 寛 治 7 年 月 14 日 京 で 地 震 (M6.0~6.3) 諸 処 の 塔 が 傾 く 扶 桑 略 記 後 二 条 師 通 記 中 右 記 永 長 元 年 ( 嘉 保 3 年 ) 近 江 伊 勢 駿 河 国 を 中 心 とした 大 地 震 ( 永 長 の 東 海 地 震 月 24 日 M8.0~8.5) 大 極 殿 西 楼 傾 く 東 大 寺 の 鐘 が 落 下 薬 師 寺 回 百 練 抄 後 二 条 師 通 記 中 右 記 廊 が 倒 壊 康 和 元 年 ( 承 徳 3 年 ) 1099 正 月 24 日 畿 内 南 海 道 で 地 震 ( 康 和 地 震 M8.2) 興 福 寺 西 金 堂 の 柱 が 一 部 破 損 同 じく 塔 が 破 損 回 廊 と 大 門 が 倒 壊 する 後 二 条 師 通 記 康 和 2 年 1100 この 冬 東 大 寺 全 体 の 修 理 の 一 環 で 勅 封 倉 を 修 理 要 録 大 治 5 年 月 1 日 勅 封 倉 に 湿 損 の 疑 いがあるため 法 会 で 東 大 寺 を 訪 れた 右 中 弁 らと 東 大 寺 別 当 が 点 検 を 行 う 中 右 記 治 承 元 年 月 27 日 大 和 国 で 地 震 (M6.0~6.5) 東 大 寺 の 鐘 と 大 仏 螺 髪 の 一 部 が 落 下 玉 葉 百 練 抄 文 治 元 年 ( 元 暦 2 年 ) 月 9 日 近 江 山 城 大 和 国 で 地 震 ( 文 治 地 震 M7.4)があり 余 震 が2か 月 ほど 続 く 内 裏 官 舎 諸 寺 の 被 害 は 大 きく 死 者 も 玉 葉 唐 招 提 寺 千 手 観 音 像 足 枘 修 多 数 唐 招 提 寺 中 門 及 び 同 金 堂 千 手 観 音 像 が 倒 れる 理 銘 文 治 5 年 月 21 日 東 大 寺 の 要 請 により 激 しい 湿 損 があるとされる 勅 封 倉 の 点 検 を 行 うため 造 東 大 寺 司 長 官 らが 下 玉 葉 向 する( 応 急 的 な 修 理 が 施 された 可 能 性 あり) 建 久 4 年 月 5 日 造 東 大 寺 司 長 官 が 東 大 寺 に 下 向 し 勅 封 倉 の 雨 漏 りを 確 認 する 玉 葉 建 久 4~5 年 1193~ 1194 勅 封 倉 を 修 理 する 続 要 録 寛 喜 2 年 月 破 損 のため 北 倉 南 倉 を 修 理 する 続 要 録 嘉 禎 3 年 月 1 日 京 で 地 震 百 練 抄 嘉 禎 3 年 月 3 日 勅 封 倉 綱 封 倉 の 点 検 を 行 う 続 要 録 寛 元 元 ~4 年 1243~ 1246 勅 封 倉 を 雨 漏 り 破 損 のため 修 理 する 続 要 録 東 大 寺 勅 封 蔵 目 録 記 寛 元 3 年 月 27 日 京 で 地 震 家 屋 が 多 く 破 損 する 平 戸 記 百 練 抄 建 長 6 年 月 6 月 17 日 北 倉 の 扉 に 落 雷 破 損 した 扉 束 柱 6 本 などを 交 換 修 理 する 続 要 録 弘 安 11 年 1288 東 大 寺 全 体 の 修 理 の 一 環 で 正 倉 院 の 瓦 の 部 分 的 な 葺 き 替 えが 行 われる 東 大 寺 文 書 89 号 正 和 6 年 1317 正 月 3 日 京 で 地 震 (M ) 白 河 周 辺 の 民 家 倒 壊 清 水 寺 はじめ 多 くの 寺 院 に 被 害 あり 花 園 院 御 記 正 平 5 年 月 23 日 京 で 地 震 (M6.0) 祇 園 社 の 石 塔 に 被 害 祇 園 執 行 日 記 正 平 16 年 月 24 日 畿 内 南 海 道 で 地 震 ( 正 平 地 震 M ) 四 天 王 寺 の 金 堂 が 倒 壊 する 東 寺 法 隆 寺 薬 師 寺 唐 招 提 寺 興 福 寺 春 愚 管 記 斑 鳩 嘉 元 記 東 宝 記 春 日 社 熊 野 社 等 でも 建 物 の 被 害 多 数 日 若 宮 神 殿 守 記 応 永 3 年 月 7 日 大 和 国 で 地 震 唐 招 提 寺 の 伽 藍 で 被 害 多 数 記 録 法 蔵 応 永 32 年 月 5 日 京 で 地 震 (M6.0) 築 垣 が 多 く 倒 壊 する 看 聞 日 記 文 安 6 年 月 10~12 日 京 と 大 和 国 で 地 震 (M ) 仙 洞 御 所 東 寺 神 泉 苑 の 康 富 記 大 乗 院 日 記 目 録 大 和 名 建 物 築 地 などに 被 害 多 数 大 安 寺 の 堂 舎 僧 坊 が 損 壊 する 勝 志 和 漢 三 才 図 絵 明 応 3 年 月 7 日 大 和 国 で 地 震 東 大 寺 興 福 寺 薬 師 寺 法 華 寺 西 大 寺 で 被 害 あり 唐 招 提 寺 の 羂 索 堂 ほかの 堂 塔 門 築 地 等 が 倒 壊 する 大 乗 院 寺 社 雑 事 記 千 歳 伝 永 正 17 年 月 7 日 畿 内 で 地 震 あり(M ) 御 所 の 築 垣 熊 野 本 宮 新 宮 那 智 大 社 等 に 被 害 あり 二 水 記 熊 野 年 代 記 天 正 13 年 月 5 日 摂 津 山 城 伊 勢 国 で 地 震 薬 師 寺 の 金 仏 転 倒 し 首 が 抜 け 落 ちる 大 安 寺 金 堂 傾 く 多 聞 院 日 記 鏑 木 家 蔵 大 安 寺 再 興 願 飛 騨 美 濃 尾 張 伊 勢 近 江 山 城 国 等 で 地 震 ( 天 正 地 震 天 正 13 年 月 29 日 M7.8) 城 民 家 に 多 大 な 被 害 があり 死 傷 者 も 多 数 にのぼる 兼 見 卿 記 東 寺 執 行 日 記 多 門 院 禁 中 築 垣 や 東 寺 講 堂 に 被 害 があり 三 十 三 間 堂 で 仏 像 が 多 数 倒 日 記 れる 興 福 寺 でも 築 垣 や 塔 頭 に 被 害 が 出 る 畿 内 に 地 震 あり( 慶 長 伏 見 地 震 M7.5) 伏 見 城 が 倒 壊 する 慶 長 元 年 ( 文 禄 5 年 ) 1596 閏 7 月 13 日 東 寺 の 食 堂 講 堂 他 が 倒 壊 に 及 び 民 家 の 損 壊 死 傷 者 も 多 数 南 都 では 唐 招 提 寺 で 戒 壇 堂 ほか 多 くの 堂 塔 が 倒 壊 破 損 大 安 寺 の 伽 藍 も 大 半 が 失 われ 法 華 寺 海 龍 王 寺 でも 諸 堂 が 倒 壊 する 大 地 震 記 義 演 准 后 日 記 招 提 千 歳 伝 記 大 和 名 勝 志 慶 長 7 年 月 徳 川 家 康 の 命 により 正 倉 修 理 事 前 調 査 を 行 う 薬 師 院 実 祐 記 慶 長 8 年 ~8 月 徳 川 家 康 の 命 により 正 倉 の 修 理 を 行 う 薬 師 院 実 祐 記 寛 文 2 年 月 1 日 畿 内 を 中 心 とした 広 範 囲 な 地 震 が 発 生 ( 寛 文 近 江 若 狭 地 震 M7.2~7.6) 京 や 近 江 若 狭 国 での 被 害 が 大 きく 家 屋 の 倒 殿 中 日 記 壊 や 死 者 多 数 寛 文 3 年 月 幕 府 正 倉 の 修 理 を 命 じる 正 倉 院 御 開 封 之 記 寛 文 3 年 月 6 日 京 で 地 震 (M5.9) 二 条 城 や 伏 見 での 被 害 あり 重 房 宿 祢 日 並 記 寛 文 5 年 月 12 日 京 で 地 震 (M5.9) 二 条 城 での 被 害 あり 殿 中 日 記 寛 文 6 年 月 幕 府 の 命 を 受 け 中 倉 の 小 破 を 修 理 する 正 倉 院 御 開 封 之 記 元 禄 3 年 月 正 倉 の 破 損 検 分 書 が 作 成 される 奈 良 県 所 蔵 文 書 天 禄 六 年 御 開 封 記 宝 永 4 年 月 4 日 紀 伊 半 島 沖 を 震 源 とする 全 国 規 模 の 地 震 ( 宝 永 地 震 M8.4) 発 生 被 害 多 数 興 福 寺 薬 師 寺 唐 招 提 寺 法 華 寺 元 興 寺 薬 師 寺 文 書 西 院 堂 方 諸 日 記 東 大 西 大 寺 等 南 都 諸 寺 の 堂 塔 も 多 くの 被 害 を 受 ける 東 大 寺 では 寺 年 中 行 事 記 唐 招 提 寺 関 連 銘 文 東 南 院 の 塀 手 向 山 八 幡 宮 や 二 月 堂 の 石 灯 籠 に 被 害 があった 宝 暦 元 年 月 29 日 京 で 地 震 (M5.5~6.0) 二 条 城 のほか 寺 社 の 築 地 や 家 屋 が 破 損 伊 勢 美 濃 近 江 国 等 で 地 震 (M7.2) 近 江 国 で 家 屋 の 損 害 や 文 政 2 年 月 12 日 死 傷 者 多 数 南 都 では 薬 師 寺 東 塔 九 輪 が 破 損 講 堂 の 日 光 像 の 文 化 秘 筆 薬 師 寺 文 書 首 が 落 ちる 文 政 13 年 月 2 日 京 で 地 震 (M6.4) 死 傷 者 多 数 文 政 雑 記 甲 子 夜 話 文 政 13 年 1830 正 倉 の 屋 根 が 破 損 する 奈 良 県 所 蔵 文 書 天 保 2 年 月 東 大 寺 奈 良 奉 行 所 に 正 倉 院 屋 根 葺 替 修 理 の 口 上 書 を 提 出 奈 良 県 所 蔵 文 書 天 保 6~7 年 1835~ 1836 正 倉 の 本 体 工 事 と 屋 根 葺 替 修 理 を 行 う 天 保 4 年 正 倉 院 御 開 封 之 記 奈 良 県 所 蔵 文 書 本 年 表 は 正 倉 院 の 修 理 と 南 都 に 影 響 を 及 ぼしたと 推 測 される 規 模 の 大 きな 地 震 等 の 災 害 についてまとめたものである 史 料 については 本 年 表 との 関 連 の 深 いものを 挙 げるのみで 網 羅 的 なものではない なお 東 大 寺 文 書 と 東 南 院 文 書 の 号 数 は 大 日 本 古 文 書 家 わけ 所 載 の 文 書 番 号 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