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1 Ⅰ 制作者に着目した文化遺産の研究 11 左沢原町仏師林家一門の調査研究 岡田 靖 はじめに 林家仏師について 林家仏師は江戸時代末期から明治時代にかけて 親子四代に渡って大江町左沢に居を構えて活躍した仏師 の一族である 初代治作 二代目文作 三代目治三郎 四代目治郎兵衛と続く林家仏師一族の活動は 大 江町史 および 大江町史 近現代編 において一部紹介され さらに平成 10 年 12 年にかけて大江町教育 委員会から発行された 大江町の仏師 1 3 巻においてより詳しく紹介されている そして歴代林家仏師の 作品は 大江町を中心に山形県内の広範囲にわたって残されていることが判明している それらの先行研究 による成果によれば 林家四代の生没年は以下の通りとなる 生年は大江町善明院興教大師像銘文の 文化九年 1812 治作四十九歳 の記述から推定され 没年は巨海院に残る文書からの推定による 生年は西川町永源寺韋駄天像銘文の 文政七年 1824 文作廿三才 の記述から推定され 没年 は慶応 4 年 1868 とされている 生年は寒河江市山岸毘沙門堂観音像銘文 天保十四年 1843 治三郎十七才 の記述から推定さ れ 没年は慶応 2 年 1866 とされている 生年は嘉永 2 年 1849 没年は大正 9 年 1920 とされている 林家仏師は大江町を中心に活発な造仏活動を行ったこととともに 西川町に優れた作品を残す彫刻師 高 山文五郎が二代目文作に師事していたこと 3 や 山形を代表する近代彫刻家 新海竹太郎が四代目治郎兵衛 に師事していたことなどが先行研究によって知られている 8 それらの先行研究から 林家が江戸時代か ら明治期にかけての山形県の彫刻界の中心的な存在であったと推測し 本研究において林家の作例を集中的 に調査することとした 次節より 今年度に実践した調査結果を仏師ごとに時代順に沿って報告したい 平成 23 年度の調査は 先行研究書である 大江町の仏師 1 3 巻に記載されている林家仏師一族の代表 的な作例を中心に開始した また調査により 先行研究時にはまだ確認されていなかった志津旧玄海参籠所 の不動明王三尊像や寒河江市常林寺の達磨大師坐像や大権修理菩薩倚像などの新たな発見も得られた Ⅰ 制作者に着目した文化遺産の研究 21

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5 2 二代 文作 1802 年 1868 年 七条庵大仏師 左沢原町大仏師 左澤仏師職 などと名乗る 先行研究では 京最 とも名乗ったと されるが その確定のためにはより詳細な研究が必要である 3 作例が多く現存し その作風は京都風で 優れた造形力を示している A 永源寺 寒河江市 木造韋駄天立像 図 23 法量 単位 像高 頂 - 顎 3. 3 面奥 3. 8 面幅 2. 7 兜幅 5. 9 像幅 像奥 6. 7 台座高 9. 0 岩座高 4. 0 品質構造 木製 一木造 矧目が確認されないため丸彫りか 彫眼 表面 に彩色を施す 頭部を挿首とする 銘文 文政七申年閏八月吉日 左澤原町仏師文作廿三才 文政 7 年 1824 文作 22 歳 図 23 永源寺 韋駄天立像と台座底面の銘文 所見 文作の銘が残る最初期の作例で 小像ながら複雑な韋駄天の甲冑表現を破綻なくまとめあげる技量が確認 できる B 黒森大日堂 大江町 木造弘法大師坐像 図 24 法量 単位 像高 頂 - 顎 面奥 耳張 面幅 8. 7 胸奥 腹奥 肘張 膝張 坐奥 品質構造 木製 寄木造 玉眼 泥地彩色仕上げ 体幹部は主材を一材からとり 板材を左後方に矧付ける 頭部は差し首とする 銘文 奉本尊建立弘法大師一躰 施主人道清房 世話人吉兵衛 名主市兵衛 天保八酉霜月一日 左沢仏師細工文作 天保 8 年 1837 文作 35 歳 所見 一木造で造像する技法や写実的な表現が特徴的で 先の韋駄天像と比べると文作の造形が確立した感があ る像である しかし 現状の状態は全体に剥落が進行し 虫食いも生じているため 本像の文化的意義のた めにも修復処置やよりよい保存維持が望まれる 図 24 黒森大日堂 弘法大師坐像と像底部 Ⅰ 制作者に着目した文化遺産の研究 25

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11 所見 本像は明治 25 年に大江町の左沢 本郷 七軒地区および西川町大井沢地区の四ヵ村に制定された新四国 八十八箇所霊場のために造像された弘法大師坐像のうちの一体である 上記の地区の霊場に制定された寺院 には 本像とほぼ同形 同色の弘法大師坐像があることが知られており 大江町に残されている資料をもと に悉皆的な調査を進めている E 林家所蔵 大江町 近代彫刻作品群 林家子孫宅には 四代目林治郎兵衛が制作したと伝わる近代風の作品が数点所蔵されている それらの内 の 木造羅漢像 図 53 木造子持ち布袋像 図 54 には像底に 慶䑸 慶最 の陰刻があり そ れにより治郎兵衛の作であることが断定できる 他の治郎兵衛の制作像においても キャラ イチイ の木 を丸彫りして精緻に仕上げた彫刻表現は極めて秀逸かつ近代的な表現を示しており 治郎兵衛が近代彫刻家 としても優れた技術や表現力を持っていたことを知ることができる しかし 治郎兵衛はこのような近代彫 刻を手掛けていた同時期に 江戸時代の造形を踏襲した表現の仏像を制作している それは治郎兵衛が近代 彫刻制作と仏像制作を意図的に分けていたであろうことを示唆し 明治期の仏師から彫刻家への変遷を考え る上でも極めて興味深い 図 53 林家 羅漢像と像底の陰刻 像高 31. 0cm 図 54 林家 子持ち布袋像と像底の陰刻 像高 22. 8cm 図 56 治郎兵衛が大正 5 年 1916 に 制作した如来坐像の写真 図 55 林家所蔵の林治郎兵衛作の彫刻 Ⅰ 制作者に着目した文化遺産の研究 31

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14 Ⅰ. 制 作 者 に 着 目 した 文 化 遺 産 の 研 究 1-2 当 該 地 域 における 近 世 近 代 の 仏 像 の 造 像 活 動 の 展 開 岡 田 靖 宮 本 晶 朗 1.はじめに 本 研 究 テーマ1では 地 域 固 有 の 文 化 を 色 濃 く 伝 える 文 化 遺 産 の 保 護 を 目 的 に 文 化 遺 産 の 把 握 と 意 義 の 再 確 認 についての 研 究 調 査 を 進 め 研 究 の2 年 度 目 からは 対 象 地 域 の 歴 史 文 化 背 景 に 基 づいて 設 定 した 研 究 キーワードの 中 で 制 作 者 に 着 目 した 研 究 調 査 活 動 を 行 ってきた その 中 でも 対 象 地 域 である 大 江 町 左 沢 に 居 住 し 江 戸 後 期 から 明 治 期 にかけて 親 子 四 代 に 渡 って 活 躍 した 林 家 仏 師 一 族 についての 研 究 を 行 い 注 平 成 23 昨 年 度 の 研 究 成 果 報 告 書 においてその 成 果 を 述 べた 1 平 成 24 年 度 は 23 年 度 まで 進 めてきた 林 家 仏 師 の 研 究 調 査 をさらに 進 めるとともに 林 家 仏 師 に 師 事 した 仏 師 である 新 海 宗 慶 竹 太 郎 親 子 についての 研 究 調 査 を 実 践 したことによって 今 まであまり 着 目 されていなかった 新 海 宗 慶 の 活 動 の 解 明 と 竹 太 郎 の 少 年 期 の 造 仏 活 動 の 一 端 を 明 らかとする 成 果 を 得 た 平 成 23 年 度 の 研 究 では 林 家 仏 師 が 京 都 七 条 仏 師 に 師 事 した 可 能 性 が 高 いことを 指 摘 したが 24 年 度 の 研 究 では 七 条 仏 師 の 山 形 における 活 動 の 背 景 と 林 家 仏 師 一 族 の 活 動 そして 新 海 仏 師 へと 繋 がる 活 動 へと 続 く 当 該 地 域 における 一 連 の 仏 像 の 造 像 活 動 に 関 する 平 成 22 年 度 から24 年 度 までの3 年 間 の 成 果 について まとめ 以 下 に 報 告 したい 2. 古 代 中 世 における 山 形 の 造 仏 活 動 山 形 県 は 古 代 より 宗 教 活 動 が 盛 んに 展 開 してきた 歴 史 を 持 つ 山 形 に 現 存 する 最 古 の 仏 像 には 真 室 川 町 山 神 社 蔵 の 銅 造 如 来 形 倚 像 ( 図 1)や 鶴 岡 市 大 日 坊 蔵 の 銅 造 釈 迦 如 来 立 像 などの 飛 鳥 時 代 ( 白 鳳 時 代 )の 金 銅 仏 がある それらはいずれも 小 型 で 大 陸 や 近 畿 地 方 で 造 像 されて 山 形 にもたらされたと 考 えられている 奈 良 時 代 になると 山 形 に 国 分 寺 がおかれ 多 くの 仏 像 が 安 置 されたと 推 測 されるが その 時 代 の 現 存 事 例 は 残 念 ながらほとんどない 次 の 平 安 時 代 になると 山 形 市 の 山 寺 立 石 寺 や 寒 河 江 市 の 慈 恩 寺 高 畠 町 の 亀 岡 文 殊 な どに 代 表 される 寺 院 が 発 展 し 平 安 時 代 に 造 像 された 仏 像 が 今 でも 多 く 残 る 他 にも 現 在 山 形 市 宝 積 院 に 安 置 される 木 造 十 一 面 観 音 菩 薩 立 像 ( 図 2)などの 平 安 時 代 初 期 に 造 像 されたと 推 定 される 檀 像 仏 が 知 られている これらの 仏 像 は 小 サイズであるため 奈 良 や 京 都 などの 中 央 において 造 像 されて 山 形 にもたらされた 可 能 性 もあ ろう しかし 一 方 で 中 世 まで 山 形 市 西 蔵 王 の 瀧 山 を 拠 点 に 繁 栄 した 瀧 山 寺 に 関 する 遺 物 と 伝 えられる 山 形 市 松 尾 観 音 堂 の 木 造 十 一 面 観 音 立 像 木 造 勢 至 菩 薩 観 音 立 像 ( 図 3)などの3メートルを 超 える 規 模 の 仏 像 は 当 時 の 運 搬 や 流 通 体 制 から 推 測 すると 中 央 から 仏 師 が 出 向 き 当 地 で 造 像 した 可 能 性 または 在 地 の 仏 師 による 造 像 の 可 能 性 も 考 えられよう これらの 活 発 な 造 像 活 動 の 背 景 には 前 述 した 各 宗 派 の 大 寺 の 宗 教 的 活 動 の 活 性 化 とともに 在 地 の 貴 族 らによる 宗 教 活 動 への 庇 護 も 大 きく 関 係 していると 思 われる 特 に 藤 原 摂 関 家 や 平 泉 に 拠 点 を 置 いて 東 北 の 広 範 囲 を 支 配 下 においた 奥 州 藤 原 家 の 影 響 は 大 きく 当 該 時 期 の 山 形 地 方 の 仏 像 の 造 像 に 与 え た 影 響 は 少 なくないであろう 次 の 時 代 では その 奥 州 藤 原 氏 を 滅 ぼし 新 たな 覇 権 を 掌 握 した 源 頼 朝 が 率 いる 鎌 倉 幕 府 が 成 立 する 鎌 倉 時 代 に 入 ると 奥 州 合 戦 の 功 績 として 山 形 の 地 の 一 部 が 鎌 倉 幕 府 の 実 力 者 である 大 江 廣 元 に 与 えられる 新 政 権 による 統 治 では 当 該 地 の 人 心 を 掌 握 するために 宗 教 的 庇 護 活 動 が 活 発 化 することが 往 々にしてあり 大 規 模 な 伽 藍 の 復 興 や 造 仏 が 行 われたと 推 測 される 慈 恩 寺 の 木 造 十 二 神 将 像 は 造 形 様 式 的 にみて 鎌 倉 幕 府 の 武 士 たちがひきたてた 慶 派 仏 師 の 工 房 による 秀 逸 な 作 例 であり 造 像 の 背 景 には 鎌 倉 幕 府 の 庇 護 の 影 響 がみえる また 本 センターの 平 成 22 年 度 の 調 査 によって 確 認 された 亀 岡 文 殊 ( 大 聖 寺 )に 安 置 される 木 造 不 動 明 王 立 像 ( 図 4)もまた やはり 慶 派 の 造 形 様 式 を 表 す 鎌 倉 時 代 の 造 像 仏 であると 推 測 され 鎌 倉 幕 府 との 関 係 性 が 示 唆 されるものである 不 動 明 王 像 の 存 在 は 文 字 資 料 の 不 足 のために 中 世 の 活 動 が 不 明 瞭 となっている 亀 岡 文 殊 の 歴 史 を 解 明 するうえで 極 めて 貴 重 な 仏 像 であるといえる 以 上 かなり 大 掴 みではあるが 山 形 での 古 代 から 中 世 にいたる 仏 像 の 歴 史 を 辿 ってみた ここで 触 れて いない 古 代 中 世 の 造 像 も 多 く 存 在 するが 山 形 に 現 存 するこれらの 時 代 の 作 例 は 奈 良 や 京 都 に 残 る 同 時 代 の 作 例 に 比 較 すると 数 の 点 では 決 して 多 くはない しかし それら 仏 像 の 質 は 中 央 のそれと 比 べても 引 け を 取 るものではなく 優 れた 文 化 的 活 動 が 展 開 されていたことは 想 像 に 容 易 い 古 代 や 中 世 に 造 像 された 山 形 に 残 存 する 仏 像 は 中 央 の 仏 師 らによって 造 像 された 可 能 性 が 高 いと 推 測 さ Ⅰ. 制 作 者 に 着 目 した 文 化 遺 産 の 研 究 35

15 れる しかし 近 世 に 入 ると 時 代 の 変 容 に 伴 って 前 時 代 とは 異 なる 活 動 がみられるようになる 本 センターでは 室 町 時 代 末 期 ( 戦 国 時 代 ~ 安 土 桃 山 時 代 )に 造 像 された 七 条 仏 師 大 貳 ( 康 住 )の 銘 が 残 る 永 禄 4 年 (1561)の 造 像 年 が 記 された 西 川 町 大 井 沢 大 日 寺 地 蔵 堂 の 木 造 地 蔵 菩 薩 坐 像 ( 図 5)や 永 禄 6 年 (1563)の 修 理 銘 と 推 定 される 銘 文 が 記 された 山 形 市 長 源 寺 の 木 造 釈 迦 如 来 坐 像 ( 図 6)の 調 査 研 究 を 実 践 した また 天 正 15 年 (1587)の 造 像 銘 のある 白 鷹 町 正 念 寺 の 木 造 阿 弥 陀 如 来 坐 像 にも 同 じく 大 貳 の 造 像 を 示 す 銘 文 が 確 認 されている 大 貳 は 七 条 仏 所 の 運 慶 十 代 を 名 乗 る 康 譽 が 開 いた 七 条 西 仏 所 の 系 譜 に 属 する 七 条 仏 師 の 傍 流 仏 師 であり 各 像 に 関 与 した 年 代 が 近 いことなどから 大 貳 が 山 形 の 地 で 造 像 や 修 理 を 行 った 可 能 性 があると 考 えられる 造 像 銘 に 記 された 永 禄 年 間 は 応 仁 の 乱 に 端 を 発 する 戦 国 時 代 のまっ ただ 中 であり 京 都 でも 永 禄 8 年 に 第 13 代 将 軍 足 利 義 輝 が 三 好 三 人 衆 と 松 永 久 秀 らに 殺 害 された 事 件 ( 永 禄 の 変 )がおきるなど 不 穏 な 情 勢 下 にあった そのような 情 勢 を 背 景 として 京 都 を 拠 点 として 活 動 していた 七 条 仏 師 たちが 戦 乱 の 難 を 逃 れるなどの 目 的 で 遠 く 東 北 の 地 まで 下 向 してきたのであろうか また 江 戸 時 代 初 期 の 山 形 県 での 作 例 では 山 形 市 宝 光 院 の 木 造 不 動 明 王 立 像 ( 図 7)に 七 条 仏 師 治 部 卿 法 橋 による 寛 永 19 年 (1642)の 造 像 銘 が 記 されている 作 例 が 本 センターの 調 査 によって 確 認 されている 注 治 部 卿 法 橋 は 七 条 仏 師 二 十 二 代 康 猶 の 二 男 であり 二 十 三 代 康 音 の 弟 である 康 看 のことであると 推 測 される 2 また 同 寺 に 伝 わる 木 造 聖 観 音 菩 薩 坐 像 ( 図 8)も 銘 文 がないもののその 造 形 的 特 徴 から 康 看 によって 造 像 された 可 能 性 が 高 いと 推 定 されている 本 センターによる 研 究 調 査 によって 確 認 されている 七 条 仏 師 によ る 造 像 例 の 一 部 を 紹 介 したが 他 にも 七 条 仏 師 の 関 与 が 推 定 されている 作 例 が 数 点 確 認 されており 今 後 も その 作 例 が 新 たに 確 認 されることが 予 測 される 現 時 点 では 山 形 での 七 条 仏 師 の 動 向 を 正 確 には 把 握 でき ていないが 今 後 さらに 調 査 研 究 を 進 めることで 七 条 仏 師 の 地 方 での 活 動 を 明 らかにしていきたい 中 世 から 近 世 に 至 るまで 日 本 の 造 仏 界 を 牽 引 した 七 条 仏 師 の 活 動 は 同 時 代 に 活 動 を 活 発 化 していく 町 仏 師 や 地 方 仏 師 にも 多 大 な 影 響 を 与 えたことであろう そして 室 町 時 代 から 江 戸 時 代 には 日 本 海 舟 運 や 最 上 川 舟 運 の 開 発 に 伴 い 京 都 や 大 阪 または 江 戸 との 交 流 が 盛 んとなり 山 形 からは 紅 花 青 苧 といった 特 産 物 や 米 などが 各 地 に 運 ばれ それと 同 時 に 中 央 の 文 化 の 流 入 があった 山 形 の 地 において いつの 頃 から 造 仏 活 動 が 活 発 化 したかについては 未 だ 定 説 を 見 ないが 江 戸 時 代 中 期 に 現 在 の 山 形 市 において 江 戸 に 出 て 後 藤 茂 右 衛 門 に 師 事 し 木 彫 を 学 んだ 初 代 星 野 吉 兵 衛 (1721~1777) 注 が 仏 壇 製 造 業 を 起 業 し その 後 6 代 に 渡 って 活 発 に 活 動 したことが 広 く 知 られている 3 以 上 のような 山 形 での 造 仏 の 歴 史 を 背 景 として 研 究 対 象 地 域 である 大 江 町 において 江 戸 時 代 末 期 から 明 治 期 にかけて 大 江 町 左 沢 原 町 を 拠 点 に 活 躍 した 仏 師 一 族 がいた それが 初 代 林 治 作 から 始 まり 二 代 目 文 作 三 代 目 治 三 郎 四 代 目 治 郎 兵 衛 と 繋 がる 林 家 仏 師 一 族 である 図 1 真 室 川 町 山 神 社 銅 造 如 来 形 倚 像 図 2 山 形 市 宝 積 院 木 造 聖 観 音 菩 薩 立 像 図 3 山 形 市 松 尾 観 音 堂 木 造 十 一 面 観 音 立 像 および 勢 至 菩 薩 立 像 図 4 高 畠 町 大 聖 寺 木 造 不 動 明 王 立 像 図 5 西 川 町 大 井 沢 地 蔵 堂 木 造 地 蔵 菩 薩 坐 像 図 6 山 形 市 長 源 寺 木 造 釈 迦 如 来 坐 像 図 7 山 形 市 宝 光 院 木 造 不 動 明 王 立 像 図 8 山 形 市 宝 光 院 木 造 聖 観 音 菩 薩 坐 像 36

16 3. 地 域 で 活 動 した 林 家 仏 師 一 族 の 造 仏 における 造 形 表 現 と 技 法 親 子 四 代 に 渡 って 活 躍 した 林 家 仏 師 一 族 の 活 動 は 大 江 町 史 および 大 江 町 史 近 現 代 編 において 一 部 紹 介 され さらに 平 成 10 年 ~12 年 にかけて 大 江 町 教 育 委 員 会 から 発 行 された 大 江 町 の 仏 師 において より 詳 しく 紹 介 されている そして 歴 代 林 家 仏 師 の 作 品 は 大 江 町 を 中 心 に 山 形 県 内 の 広 範 囲 にわたって 残 されていることが 判 明 している また 林 家 仏 師 は 大 江 町 を 中 心 にした 活 発 な 造 仏 活 動 とともに 西 川 町 な どに 優 れた 作 品 を 残 す 彫 刻 師 高 山 文 五 郎 が 二 代 目 文 作 に 師 事 していたことや 山 形 を 代 表 する 近 代 彫 刻 家 注 新 海 竹 太 郎 が 四 代 目 治 郎 兵 衛 に 師 事 していたことなどが 先 行 研 究 によって 知 られている 4 それらの 先 行 研 究 から 林 家 が 江 戸 時 代 後 期 から 明 治 期 にかけての 山 形 県 の 彫 刻 界 の 中 心 的 な 存 在 であったとの 推 測 のもと 本 研 究 において 林 家 一 族 を 中 心 とした 調 査 研 究 を 実 践 し さらに 新 海 家 親 子 の 作 例 を 調 査 することで 近 世 から 近 代 にかけての 当 該 地 域 における 彫 刻 活 動 の 展 開 についての 研 究 を 行 った 以 下 に 本 年 度 までに 実 践 した 林 家 仏 師 および 新 海 家 仏 師 の 作 品 調 査 から 得 られた 成 果 と 見 解 について 詳 述 する (1) 初 代 治 作 1764 年 ~1824 年 頃 治 作 は 林 家 初 代 の 仏 師 である 治 作 以 前 の 系 譜 は 現 在 では 明 らかとなっていないが 大 江 町 の 上 北 山 地 区 に 居 住 した 後 に 現 在 の 左 沢 原 町 に 移 転 したとされている 林 家 の 菩 提 寺 は 上 北 山 の 善 明 院 であり 同 寺 に は 治 作 が 制 作 した 木 造 興 教 大 師 坐 像 が 現 存 している 善 明 院 は 現 在 の 住 職 が 同 寺 に 居 住 されていないこ ともあって 現 時 点 では 調 査 の 実 践 ができていないが 林 家 の 来 歴 や 治 作 の 代 表 作 とも 推 定 される 興 教 大 師 坐 像 の 詳 細 調 査 を 近 々 実 践 する 予 定 であり 新 たな 見 解 の 取 得 が 期 待 される 善 明 院 での 調 査 が 未 敢 行 であることもあって 治 作 がどのような 経 緯 で 仏 師 業 を 始 めたのかについては 今 のとこ ろ 定 かとなっていない しかし 本 センターの 研 究 による 林 家 子 孫 宅 に 伝 わる 木 造 仏 頭 ( 図 9)に 記 された 墨 書 銘 の 新 たな 解 釈 によって 治 作 が 京 都 七 条 仏 所 三 十 代 康 傳 のもとで 修 業 し 仏 像 の 造 像 技 術 を 学 んだ 可 能 性 が 高 い 注 との 推 定 を 得 ている 1 治 作 が 生 まれた18 世 紀 中 頃 には 最 上 川 の 開 削 事 業 も 完 了 し 米 沢 から 酒 田 までの 流 通 の 中 継 地 として 大 江 町 左 沢 は 大 いに 栄 えていた それによって 以 前 から 盛 んであった 京 都 江 戸 との 交 流 が 左 沢 や 米 沢 にまで 繋 がることとなり そのような 背 景 の 中 で 治 作 が 京 都 へ 出 向 き 仏 師 修 業 を 行 ったのではなかろうか 現 時 点 ではそれらを 断 定 できる 資 料 を 得 ていないが 七 条 仏 師 と 治 作 の 関 係 性 について 三 十 代 康 傳 やその 周 辺 仏 師 に 関 する 七 条 仏 所 の 動 向 と 治 作 の 来 歴 や 左 沢 の 歴 史 的 背 景 に 関 する 調 査 の 両 方 向 から さらに 研 究 を 深 めていきたい また 治 作 は 大 江 町 本 郷 にある 巨 海 院 十 二 世 住 職 活 全 と 親 交 が 深 かったことが 知 られている 巨 海 院 には 治 作 の 制 作 銘 がある 木 造 十 六 羅 漢 像 ( 図 10)が 安 置 されており 同 寺 との 造 仏 を 通 じた 関 係 があったこ とも 確 認 されている また 巨 海 院 にある 木 造 活 全 倚 像 ( 図 11)は 裙 裾 裏 側 に 制 作 の 縁 起 を 示 す 銘 が 残 っ ているものの 残 念 ながら 作 者 名 は 確 認 することができない しかし 治 作 と 活 全 の 関 係 や 像 の 制 作 年 ま たは 造 形 的 な 表 現 や 構 造 技 法 の 特 徴 に 巨 海 院 十 六 羅 漢 像 と 近 い 特 徴 がみられることから 活 全 倚 像 もまた 治 作 の 制 作 像 である 可 能 性 が 高 いと 推 定 される 治 作 の 造 形 的 特 徴 は 善 明 院 の 木 造 興 教 大 師 坐 像 においては 京 都 で 学 んだ 証 拠 と 推 定 される 木 造 仏 頭 にも 見 られるような 写 実 的 で 雅 な 表 現 がみられる しかし 巨 海 院 木 造 十 六 羅 漢 像 では 近 年 の 塗 り 替 えによって 造 形 が 不 明 瞭 になっていることも 起 因 してか 全 体 的 にやや 大 づくりな 表 現 がみられ 面 相 や 衣 文 の 細 部 においてはやや 硬 い 表 現 が 見 受 けられる 技 法 構 造 的 には ヒノキ 材 を 用 い 木 材 を 規 則 的 に 組 み 合 わせる 寄 木 造 が 主 流 であった 京 都 仏 師 のそれに 対 し 木 造 十 六 羅 漢 像 では 広 葉 樹 であるヤナギ 属 の 注 木 材 を 用 い 5 頭 体 幹 部 を 一 木 で 彫 り 出 して 内 刳 りを 施 さない 技 法 構 造 を 用 いている 点 が 興 味 深 い このよ うな 一 木 造 りの 技 法 は 木 彫 技 法 が 未 発 達 であった 平 安 時 代 初 期 以 前 に 多 く 用 いられた 古 式 な 技 法 であるが 一 方 で 眼 部 には 玉 眼 を 嵌 入 するなどの 鎌 倉 時 代 以 降 に 発 展 した 技 法 を 用 いている 京 都 七 条 仏 師 に 学 んだと 推 定 される 治 作 であるが 造 形 的 な 特 徴 にはその 影 響 をみることができるものの 造 像 の 技 法 材 料 的 になぜ このような 新 旧 入 り 混 じった 方 法 を 用 いたのであろうか その 理 由 は 定 かとはなっていないが 治 作 が 用 い たヤナギ 属 の 木 材 は 現 在 でも 大 江 町 近 辺 で 容 易 に 入 手 できることから 東 北 に 自 生 しないがゆえに 入 手 しづ らいヒノキではなく 身 近 に 入 手 しやすい 木 材 を 用 いつつその 木 材 の 特 性 を 活 かした 技 法 の 応 用 を 図 ったの ではないかと 推 測 される それはつまり 治 作 が 山 形 の 地 域 に 根 差 した 形 で 造 像 活 動 を 展 開 したことを 示 唆 するもので 地 方 仏 師 の 技 法 材 料 に 関 する 工 夫 やその 展 開 を 見 るうえで 興 味 深 い 治 作 に 関 する 今 後 の 研 究 は 冒 頭 で 述 べた 善 明 院 での 調 査 実 践 と 治 作 の 銘 の 残 る 諏 訪 神 社 厨 子 入 り 神 像 や 近 年 新 たな 情 報 が 寄 せられた 寒 河 江 市 慈 恩 寺 天 台 大 師 堂 の 木 造 役 行 者 倚 像 などの 調 査 を 実 践 し 治 作 の 来 歴 や 造 像 に 関 する 造 形 や 技 法 材 料 について 明 らかにしていきたい そして 地 方 仏 師 の 開 祖 の 作 例 としての 文 化 遺 産 意 義 について 検 討 を 進 めていきたい Ⅰ. 制 作 者 に 着 目 した 文 化 遺 産 の 研 究 37

17 図 9 大 江 町 林 家 木 造 仏 頭 と 銘 文 の 赤 外 線 写 真 像 高 : 13.0cm 表 1 治 作 制 作 像 の 調 査 一 覧 図 10 大 江 町 巨 海 院 木 造 十 六 羅 漢 像 と 像 底 像 高 ( 坐 高 ):46.7cm 図 11 大 江 町 巨 海 院 木 造 活 全 倚 像 と 像 底 像 高 ( 坐 高 ):45.0cm (2) 二 代 文 作 1802 年 ~1868 年 文 作 は 林 家 の 二 代 目 仏 師 である 七 条 庵 大 仏 師 左 沢 原 町 大 仏 師 左 澤 仏 師 職 などと 名 乗 り 先 行 研 究 では 京 最 (けいさい) とも 名 乗 ったとされる 大 江 町 西 林 寺 の 木 造 聖 観 音 菩 薩 立 像 には 京 都 七 條 左 京 門 人 羽 前 国 村 山 郡 左 澤 原 町 仏 師 職 文 作 坂 と 記 された 墨 書 銘 がある( 図 12) この 銘 文 は 羽 前 国 の 記 載 から 明 治 時 代 以 降 に 記 されたもの と 推 定 されるため 四 代 目 治 郎 兵 衛 によって 記 された 可 能 性 が 高 いと 考 えられる 銘 文 に 記 された 京 都 七 條 左 京 門 人 は 先 の 治 作 の 制 作 に 帰 属 した 林 家 子 孫 宅 の 木 造 仏 頭 の 墨 書 の 内 容 と 一 致 するため 文 作 が 京 都 で 学 んだ 治 作 の 功 績 を 受 け 継 いだことを 示 したものか 文 作 もまた 七 条 仏 師 に 習 った 可 能 性 を 示 唆 す るものであると 推 測 される 文 作 の 作 例 としては 確 かな 銘 文 が 残 る 事 例 として 寒 河 江 市 永 源 寺 の 木 造 韋 駄 天 立 像 寒 河 江 市 常 林 寺 の 木 造 十 六 羅 漢 像 および 木 造 大 権 修 理 菩 薩 倚 像 木 造 達 磨 大 師 坐 像 木 造 才 岩 嫩 藝 和 尚 坐 像 の3 体 大 江 町 黒 森 大 日 堂 の 木 造 弘 法 大 師 坐 像 西 川 町 志 津 の 木 造 不 動 明 王 三 尊 像 などが 確 認 されて いる 以 下 本 センターによるそれらの 調 査 によって 得 られた 見 解 についてまとめてみたい まず 23 歳 の 時 に 造 像 したことを 記 す 銘 が 残 る 文 作 の 最 初 期 の 作 例 である 永 源 寺 木 造 韋 駄 天 立 像 ( 図 13) では 一 木 造 りで 彫 出 し 小 像 ながら 細 部 まで 丁 寧 に 彫 られた 造 形 表 現 から 文 作 の 仏 師 としての 十 分 な 技 量 が 確 認 でき その 時 にはすでに 一 人 前 の 仏 師 として 活 動 していたことが 想 像 される 続 いて 天 保 8 年 (1837)に 造 像 されたことを 示 す 銘 が 残 る 大 江 町 黒 森 大 日 堂 の 木 造 弘 法 大 師 坐 像 ( 図 14)では 一 木 造 りで 内 刳 りを 施 さない 技 法 を 用 い 写 実 的 で 丁 寧 に 仕 上 げられた 造 形 表 現 を 示 している 文 作 の 数 え35 歳 の 時 の 造 像 である 弘 法 大 師 坐 像 には 永 源 寺 韋 駄 天 像 からの 表 現 と 技 術 における 確 かな 発 展 が 確 認 される 嘉 永 元 年 (1848) 嘉 永 2 年 (1849)の 銘 が 記 された 文 作 歳 の 造 像 となる 寒 河 江 市 常 林 寺 の 木 造 十 六 羅 漢 像 では 16 体 の 羅 漢 それぞれを 個 性 的 に 造 形 し 巧 みな 彫 刻 技 術 による 生 き 生 きとした 表 現 がみ られる( 図 15) この 表 現 を 治 作 の 制 作 した 巨 海 院 木 造 十 六 羅 漢 像 と 比 較 すると 人 体 の 写 実 的 な 表 現 が 顕 著 であり 文 作 が 治 作 の 造 形 力 を 凌 ぐ 力 量 を 有 していたことが 感 じられる また 同 寺 には 嘉 永 6 年 (1853)の 造 像 銘 が 記 された 木 造 大 権 修 理 菩 薩 倚 像 木 造 達 磨 大 師 坐 像 木 造 才 岩 嫩 藝 和 尚 坐 像 が あり 十 六 羅 漢 と 同 様 の 写 実 的 で 巧 みな 造 形 表 現 が 確 認 される( 図 15) これら 常 林 寺 の 諸 像 は いずれも 内 刳 りを 施 さない 広 葉 樹 を 用 いた 一 木 造 りによる 構 造 技 法 によって 造 像 されており その 手 法 は 先 に 述 べた 治 作 による 巨 海 院 木 造 十 六 羅 漢 像 と 酷 似 している 文 作 の 造 形 表 現 と 構 造 技 法 は 文 作 の 最 晩 年 となる60 歳 の 時 ( 文 久 2 年 (1862))に 造 像 した 西 川 町 志 津 の 木 造 不 動 明 王 三 尊 像 ( 図 16)においても 一 貫 して 見 られる シナノキ 材 を 用 いた 内 刳 りを 施 さない 造 像 技 注 法 を 用 い 眼 部 に 玉 眼 を 嵌 入 した 写 実 的 な 造 形 表 現 には 円 熟 した 文 作 の 技 量 が 確 認 される 6 このような 文 作 の 造 像 技 法 は 広 葉 樹 を 主 とする 木 材 の 使 用 や 内 刳 りを 施 さない 一 木 造 りによる 技 法 にお 38

18 いて初代治作からの踏襲がみられるが その造形表現は治作から大きく発展した感がある その造形表現の 発展は 治作が居住地である左沢での造像が多かったのに対し 文作では活動範囲を寒河江や西川町にまで 拡大し特に常林寺において19体もの造像を手掛けた活躍ぶりから 林家仏師工房としての発展に連動したも のとも言えるだろう 今回は文作の銘が確認される作例を中心にその技法や造形表現について述べたが 本センターでは文作が 造像したと推定されている巨海院の 木造三十三観音像 などの調査も実践している 他にも文作の作と推 定される三十三観音形態の仏像が山形県内に数点確認されており 随時それらの調査を実践してきた しか し 三十三観音の造形表現は型にはまった形式的な表現が強いため 十六羅漢像や弘法大師像などに比べる と仏師の個性的な作風を掴みづらく その検証が難しい 最上 置賜 庄内と それぞれの地域に三十三観 音信仰が制定されている山形県内には 江戸時代に造像された多くの三十三観音像が存在している いまま で江戸時代に造像されたそれらの諸像に対する研究的な調査はほとんどされていないため 検証には多くの 時間が必要ではあるが 今後同時代の他の仏師の制作による三十三観音の作例調査の実践を含め 文作の造像 と推定される観音像についての見解を深めていきたい 図14 大江町黒森大日堂 木造弘法大師坐像 と像底 像高 42. 7cm 図12 西川町西林寺 木造聖観音菩薩立像 と台座の銘文 像高 26. 7cm 図13 寒河江市永源寺 木造韋駄天立像 像高 26. 0cm 図15 寒河江市常林寺 木造十六羅漢像 左 木造大権修理菩薩倚像 右 と像底 十六羅漢 像高 坐高 36. 0cm 図16 西川町旧玄海参籠所 木造不動明王三尊像 と像底 像高 42. 8cm 表2 文作制作像の調査一覧 Ⅰ 制作者に着目した文化遺産の研究 39

19 (3) 三 代 治 三 郎 1827 年 ~1866 年 父 文 作 とともに 常 林 寺 十 六 羅 漢 の 造 像 に 関 わったと 伝 わる 先 行 研 究 によれば 治 三 郎 は39 歳 の 若 さで 亡 くなっ たとされている そのためもあってか 作 例 が 比 較 的 乏 しく その 作 風 や 造 形 性 は 現 状 では 把 握 できていない 今 後 文 作 や 治 郎 兵 衛 などの 治 三 郎 前 後 の 作 風 理 解 を 深 めつつ 治 三 郎 の 制 作 像 の 研 究 調 査 を 進 めていきたい (4) 四 代 治 郎 兵 衛 1849 年 ~1920 年 治 郎 兵 衛 は 江 戸 から 明 治 をまたいで 活 躍 した 林 家 の 四 代 目 仏 師 である 仏 師 職 左 沢 仏 師 細 工 人 林 治 郎 兵 衛 慶 最 慶 などと 名 乗 っていたことが 各 作 例 の 銘 文 などから 知 られている 治 郎 兵 衛 は 現 存 する 作 例 が 多 く 確 認 されており 明 治 18 年 の 新 四 国 八 十 八 箇 所 霊 場 ( 最 上 三 十 三 観 音 霊 場 に 重 なる)と 明 治 25 年 の 新 四 国 八 十 八 箇 所 霊 場 ( 大 江 町 左 沢 本 郷 七 軒 西 川 町 大 井 沢 の4カ 村 )の2 度 の 制 定 にあたり それぞれにほぼ 同 形 同 寸 同 色 の 木 造 弘 法 大 師 坐 像 の 造 像 を 大 量 に 手 掛 けた 明 治 18 年 に 制 作 された 木 造 弘 法 大 師 坐 像 群 では 内 刳 りなしの 一 木 造 の 構 造 技 法 で 造 像 しており 治 作 や 文 作 からの 影 響 を 感 じさせる また 造 形 表 現 では 同 時 代 の 他 の 仏 師 の 弘 法 大 師 像 と 比 較 すると 写 実 的 な 表 現 がみられ 同 じく 治 作 文 作 からの 京 風 の 造 形 的 特 徴 を 受 け 継 いだものと 思 われる( 図 17) 一 方 の 明 治 25 年 に 制 作 した 木 造 弘 法 大 師 坐 像 群 では 体 幹 部 に 板 状 の 木 材 を 寄 せた いわゆる 箱 組 み による 寄 木 造 り 技 法 を 用 いている( 図 18) このような 技 法 の 違 いがなぜ 生 じたのかは 明 らかではないが 寄 木 造 りでは 使 用 する 木 材 の 消 費 を 少 なくでき 大 量 制 作 の 際 の 効 率 化 を 図 ることができるなどの 利 点 があ るため 治 郎 兵 衛 が2 度 目 となる 大 量 の 造 仏 に 際 してより 効 率 的 な 制 作 技 法 を 選 んだためと 思 われる 以 上 のように 四 代 目 の 治 郎 兵 衛 は 明 治 時 代 に2 度 にわたる 八 十 八 箇 所 霊 場 制 定 に 際 した 大 量 の 弘 法 大 師 像 の 造 像 を 行 ったが それが 治 郎 兵 衛 の 仏 師 としての 代 表 的 な 活 動 と 言 えるであろう それらの 弘 法 大 師 像 の 調 査 は いままでにそれぞれの 造 像 作 例 を 数 点 ずつ 実 践 してきたが 山 形 県 の 各 地 に 安 置 される2 期 全 ての 弘 法 大 師 坐 像 の 調 査 には 至 っていない 現 在 の 山 形 においては これらの2 期 の 新 四 国 八 十 八 箇 所 の 信 仰 は 衰 退 しており 各 霊 場 を 巡 る 信 者 もほとんどいなくなっている そのため 制 定 されていた 寺 院 に 弘 法 大 師 像 が 現 存 していないことも 想 定 されるが 今 後 できる 限 りの 悉 皆 調 査 を 実 践 し 治 郎 兵 衛 の 造 像 活 動 に ついての 見 解 を 深 めていきたい このような 多 量 の 弘 法 大 師 像 を 手 掛 けた 治 郎 兵 衛 であるが 現 在 確 認 されている 作 例 を 概 観 すると この 他 の 形 態 の 造 像 事 例 はあまり 多 くはなく 特 に 大 型 の 仏 像 の 造 像 は 寒 河 江 市 山 岸 の 毘 沙 門 堂 に 安 置 される 毘 沙 門 天 像 と 写 真 によってその 造 像 が 分 かる 如 来 坐 像 などが 確 認 されるのみである 治 郎 兵 衛 が 何 歳 ぐらい から 造 仏 を 始 めたのは 定 かではないが 当 時 の 通 例 から 見 て 本 格 的 に 造 像 を 手 掛 け 始 めたであろう20 歳 前 後 に 治 郎 兵 衛 は 明 治 維 新 を 迎 えている この 時 代 の 全 国 の 仏 師 業 を 営 む 者 たちは 明 治 初 頭 の 神 仏 分 離 や 廃 仏 毀 釈 の 影 響 を 受 けて 造 仏 の 仕 事 が 激 減 し 廃 業 や 転 職 を 迫 られるなどの 危 機 的 な 状 況 に 陥 った それは 山 形 で 活 動 していた 治 郎 兵 衛 にとっても 同 様 であったであろう そのような 時 代 背 景 を 鑑 みると 先 に 述 べた 治 郎 兵 衛 が 記 したと 推 定 される 大 江 町 西 林 寺 木 造 聖 観 音 菩 薩 立 像 の 台 座 裏 の 京 都 七 条 左 京 門 人 の 銘 は ただ 単 に 文 作 や 治 作 の 功 績 を 記 したものでなく 造 仏 の 仕 事 が 得 難 い 時 代 の 中 で 治 郎 兵 衛 も 七 条 仏 師 の 系 譜 に 属 する 正 統 な 仏 師 であることを 誇 示 する 必 要 性 に 迫 れたことが 関 係 しているのではなかろうか 一 方 で 治 郎 兵 衛 は 先 の 弘 法 大 師 像 のような 寺 院 に 納 める 仏 像 の 制 作 とは 別 に 個 人 宅 でまつる 恵 比 寿 像 ( 図 19)や 大 黒 天 像 などを 多 数 制 作 している 林 家 子 孫 への 聞 き 取 り 調 査 によれば 治 郎 兵 衛 は 個 人 宅 の 繁 栄 を 願 った 財 宝 神 福 徳 神 である 大 黒 天 や 恵 比 寿 を 造 り 生 活 の 糧 を 得 ていたといわれている このことは 本 業 の 寺 院 相 手 の 造 仏 仕 事 だけでは 生 活 が 成 り 立 たなくなっていた 当 時 の 様 子 を 物 語 るものであろう また 治 郎 兵 衛 は 仏 像 の 形 式 的 な 表 現 とは 異 なる 極 めて 近 代 的 な 彫 刻 作 品 ともいえる 羅 漢 像 なども 制 作 している これらの 像 は 主 にイチイ 材 を 用 いた 一 木 丸 彫 り 造 りで 制 作 され 光 沢 のある 塗 膜 を 表 面 に 施 して 木 地 のま まで 仕 上 げている 本 センターで 調 査 した 林 家 子 孫 宅 の 木 造 羅 漢 像 ( 図 20) 木 造 子 持 ち 布 袋 像 など の 近 代 的 な 治 郎 兵 衛 の 彫 刻 作 品 や 山 形 市 伝 昌 寺 の 素 地 仕 上 げの 木 造 聖 観 音 菩 薩 坐 像 ( 図 21)などの 像 底 面 には 慶 または 慶 最 の 陰 刻 が 施 してあり 治 郎 兵 衛 もまた 治 作 の 代 から 受 け 継 いたと 思 われる けいさい を 名 乗 っていることが 確 認 される これは 先 の 七 条 仏 師 の 系 譜 に 属 することの 表 明 とともに 治 郎 兵 衛 が 林 家 仏 師 工 房 の 継 承 者 であることを 誇 示 したことを 示 すものであろう 治 郎 兵 衛 が 仏 師 業 を 営 むものにとっての 苦 難 の 時 代 をどのように 乗 り 切 ったのか 現 存 する 作 例 から 辿 っ て 行 きたいが 治 郎 兵 衛 の 手 掛 けた 近 代 的 な 表 現 を 示 す 諸 像 には 寺 院 に 納 める 仏 像 と 違 って 造 像 や 奉 納 の 年 月 日 を 記 していないため 正 確 な 制 作 年 代 を 知 ることができないことが 障 害 となっている しかし 寒 河 江 40

20 市鈴木家宅の 木造布袋像 に明治40年の銘があることが先行研究で判明していることから その像と造形表現が 酷似しているその他の作例も明治時代後半から大正時代頃に制作されたものであろうと推察することはできる 以上のことをまとめると 明治期の山形左沢の林家仏師においては 治郎兵衛が新四国八十八箇所の弘法 大師坐像を手掛けた明治18年頃には仏像の造像依頼が次第に増え始めたといえるであろうが 一方で大型の 造仏の機会を得ることは少なく 個人向けの大黒天や恵比寿などの小型の彫刻や置物的ともいえる近代的な 彫刻作品を制作することで細々と仏師業を続けながら 明治から大正にかけての生計を立てていたことが分 かってくる また治郎兵衛は このような制作業とは別に 仏像の修理も行っていたことが同家の聞き取り 調査によってわかった 運慶らも古仏の修理を行っていたことは広く知られていることであるが 林家仏師 も古仏修理を行っていたことは興味深い しかし その古仏修理を請け負った目的は 時代的な背景を踏ま えてみると 制作業だけでは生計が成り立たなかったことが大きな理由なのではなかろうか いずれにして も 江戸時代末期に生まれ 激動の明治時代から大正時代まで生き 初代治作から続く京風の造形表現およ び構造技法を踏襲しながら 一方で明治時代以降には近代彫刻的な制作活動を行い 他方で古仏の修理まで 手掛けた治郎兵衛の多様な活動は 地方における仏師の動向を知る上で大変興味深い 治郎兵衛は 同地域で現在でも優れた仏師であったとの評判が語り継がれているが 一方で山形を代表す る近代彫刻家 新海竹太郎の少年期の師匠としても知られている また 竹太郎の父親である宗慶 宗松 も 林家仏師に師事していたと言われている 次項では 新海親子の造仏活動の研究について述べたい 図17 大江町巨海院 左 寒河江市永源寺 右 木造弘法大師坐像 像高 45. 6cm 左 図19 大江町林家 左 木造恵比寿立像 像高 11. 0cm 図18 大江町貫見地蔵堂 左 大江町黒森庄司家 右 木造弘法大師坐像 像高 25. 0cm 左 図21 山形市伝昌寺 木造聖観音菩薩坐像 像高 9. 6cm 図20 大江町林家 右 木造羅漢坐像 像高 31. 0cm 表3 治郎兵衛制作像の調査一覧 Ⅰ 制作者に着目した文化遺産の研究 41

21 4. 新 海 宗 慶 と 竹 太 郎 親 子 の 造 仏 活 動 林 家 仏 師 の 四 代 にわたって 造 像 された 仏 像 は 同 時 代 の 山 形 における 他 の 仏 師 のやや 形 骸 化 した 造 形 によ る 造 仏 が 主 流 であった 当 時 の 造 形 表 現 に 比 較 して 京 都 風 の 洗 練 した 表 現 を 示 すものであると 評 価 される そして 京 都 で 学 んだと 思 われる 林 家 仏 師 の 活 動 は その 後 の 同 時 代 の 山 形 の 仏 師 に 多 大 な 影 響 を 与 えたと 推 測 できる その 影 響 の 具 体 的 な 事 例 として 本 センターでは 同 時 代 に 現 在 の 山 形 市 を 拠 点 に 活 躍 した 新 海 宗 慶 ( 宗 松 )と 近 代 を 代 表 する 彫 刻 家 として 知 られる 息 子 新 海 竹 太 郎 への 影 響 についての 研 究 を 進 めた (1) 新 海 宗 慶 ( 宗 松 ) 1846 年 ~1899 年 新 海 宗 慶 は 絵 師 であった 黒 木 惣 助 ( 華 郷 )の 三 男 として 山 形 に 生 まれた 戸 籍 上 の 本 名 を 惣 松 通 称 では 宗 松 と 呼 ばれ 仏 師 名 として 宗 慶 を 名 乗 っていた 宗 慶 は 仏 師 修 業 を 積 んだ 後 に 慶 応 3 年 (1867)に 仏 壇 業 を 営 む 新 海 岩 松 の 長 女 サダのもとに 婿 入 りし 仏 師 業 を 継 いだ 宗 慶 の 新 海 家 婿 入 り 前 の 仏 師 修 業 は 今 まで 文 献 によってのみ 知 られることであったが 本 センターの 今 年 度 の 調 査 によって 西 川 町 岩 根 沢 の 個 人 宅 より 慶 応 二 年 田 丸 宗 松 の 銘 を 記 す 木 造 不 動 明 王 立 像 ( 図 22)が 新 たに 確 認 され その 造 形 様 式 と 制 作 年 代 から 宗 慶 が 新 海 家 に 婿 入 りする 前 に 制 作 した 像 である と 断 定 されたことにより 文 献 の 記 述 を 裏 付 ける 証 拠 を 得 た 田 丸 姓 を 名 乗 っている 点 については 今 後 の 研 究 が 必 要 であるが 新 海 家 に 婿 入 りする 前 に 田 丸 家 に 弟 子 入 りして 仏 師 修 業 を 行 っていたのであろうか 今 の 山 形 市 を 拠 点 に 活 動 し 山 形 仏 壇 業 を 興 した 星 野 家 一 門 の 資 料 には 漆 や 金 箔 金 具 などといった 分 業 に 注 よる 星 野 家 門 弟 を 示 す 系 譜 に 木 地 を 担 当 していた 田 丸 姓 の 名 前 があり 3 また 現 在 でも 田 丸 を 名 乗 る 仏 具 店 が 存 在 する 今 後 それらと 新 海 宗 慶 との 関 係 について 調 査 を 進 めていきたい 宗 慶 の 確 かな 作 例 としては 今 までに 山 形 市 法 来 寺 の 木 造 十 大 弟 子 像 ( 図 23)が 知 られていた 十 大 弟 子 像 は 各 像 を 個 性 巧 みに 表 現 するが 林 文 作 の 造 像 した 常 林 寺 十 六 羅 漢 像 に 比 較 すると 目 鼻 立 ちの 大 きい 独 特 の 表 現 がみられる これらは 他 の 宗 慶 の 造 像 仏 にも 共 通 するため 宗 慶 の 独 自 の 表 現 によるものであろう しかし 像 の 技 法 構 造 は 内 刳 りを 施 さない 一 木 造 りを 用 いており 林 家 仏 師 との 共 通 点 がみられる 点 が 興 味 深 い また 平 成 23 年 度 の 本 センターの 調 査 によって 白 鷹 町 塩 田 行 屋 本 堂 に 安 置 される 湯 殿 山 信 仰 に 基 づく 御 沢 仏 ( 図 24~27)と 呼 ばれる 仏 像 25 体 に 新 海 宗 慶 ( 宗 松 )の 制 作 銘 が 記 されていることが 新 たに 確 認 された ( 図 29) また 同 行 屋 には 新 海 宗 慶 の 銘 を 記 す 木 造 如 意 輪 観 音 菩 薩 坐 像 木 造 地 蔵 菩 薩 立 像 ( 図 28) 厨 子 入 り 木 造 四 国 八 十 八 箇 所 本 尊 仏 像 などが 確 認 され それらによって 宗 慶 の 造 形 的 特 徴 の 把 握 が 可 能 となった 宗 慶 の 造 形 は やや 形 式 的 で 人 形 的 な 造 形 的 特 徴 を 示 すものの その 造 形 や 彩 色 技 法 には 林 家 と 似 た 京 都 風 の 表 現 が 見 られる 先 行 研 究 によれば 宗 慶 は 林 家 四 代 治 郎 兵 衛 もしくは 二 代 文 作 に 造 仏 の 手 ほどきを 受 けたとされるが その 影 響 もあったのであろうか また 像 の 耳 の 形 状 を 簡 略 化 し 耳 朶 を 平 坦 に 表 す 点 ( 図 30~32)や 頭 部 の 奥 行 きを 浅 くとり 上 部 から 見 ると 横 長 の 楕 円 の 形 状 にする 点 などの 細 部 の 表 現 において 注 も 宗 慶 の 特 徴 的 な 造 形 表 現 がみてとれる 7 また 宗 慶 が 用 いた 技 法 構 造 は 最 初 期 の 作 例 である 西 川 町 岩 根 沢 個 人 宅 木 造 不 動 明 王 立 像 から 一 貫 して 内 刳 りを 施 さない 一 木 造 りで 造 像 している( 図 23 図 33) 三 尺 以 下 の 造 仏 において 一 木 造 りで 造 像 する 事 例 は 江 戸 時 代 後 期 においては 少 なくないが 同 様 の 技 法 を 用 いた 林 家 からの 影 響 があったとも 考 えられるであろう いずれにしても 宗 慶 は 今 まで 竹 太 郎 の 父 親 として 紹 介 されることが 多 かったが 本 センターの 調 査 研 究 の 新 たな 作 例 の 発 見 によってその 制 作 活 動 が 明 らかとなってきたことにより 仏 師 新 海 宗 慶 としての 評 価 が 可 能 となった 今 後 継 続 して 研 究 を 深 めていくことで 江 戸 時 代 末 期 から 明 治 時 代 に 活 動 した 地 方 仏 師 で ある 宗 慶 の 再 評 価 を 行 っていきたい 図 22 西 川 町 古 沢 家 木 造 不 動 明 王 立 像 像 高 : 50.4cm 図 23 山 形 市 法 来 寺 木 造 十 大 弟 子 立 像 と 像 底 像 高 :63.0cm( 左 ) 62.3cm( 右 ) 42

22 図24 白鷹町塩田行屋 図25 白鷹町塩田行屋 図26 白鷹町塩田行屋 図27 白鷹町塩田行屋 木造御秘密八大金剛童子像 木造御蔵大黒弁財天像 木造日月燈明佛像 木造胎内明王立像 御沢仏 像高 50. 3cm 御沢仏 像高 27. 9cm 辨財 御沢仏 像高 29. 7cm 御沢仏 像高 50. 0cm 図28 白鷹町塩田行屋 木造地蔵菩薩立像 像高 50. 0cm 図30 白鷹町塩田行屋 図31 西川町古沢家 図32 白鷹町塩田行屋 図33 白鷹町塩田行屋 図29 白鷹町塩田行屋 木造御蔵大黒弁財天像 の 木造地蔵菩薩立像 の横顔 木造不動明王立像 の横顔 木造胎内明王像 の横顔 木造日月燈明佛像 の像底 台座底面の銘文 表4 新海宗慶制作像の調査一覧 2 新海竹太郎 1868年 1927年 日本の近代を代表する彫刻家とも言える新海竹太郎は 慶応4 明治元 年に仏師業を営む新海宗松 宗慶 の長男として山形市十日町に生まれた 先行研究によって 竹太郎が数え13 14歳の頃 林家仏師の四代目 である治郎兵衛のもとで仏師修業をしたことが判明している注8 竹太郎が林家で仏師修業をしていた当時に寄宿した大江町松田家には 林家での修業時代に竹太郎が制作 したとされる 木造大日如来坐像 が伝わっている 小像ながら細部まで入念に彫りこんだ大日如来像には 既 に一人前の仏師としての技量を見ることができる 全体的な像の雰囲気は 父であり師である宗慶の作風に 通じるものが感じられるが 頭部の表現や耳の表現などには宗慶の造像した仏像とは異なる表現を示してい ることが確認された 竹太郎がいつ頃から仏像制作に関わり始めたかは定かではないが 平成23年度報告した白鷹町塩田行屋本堂に 安置される 木造如意輪観音菩薩坐像 の台座に新海竹太郎の銘が発見されたことにより 竹太郎が数え10歳の 時には父宗慶の造仏活動を手伝っていたことが明らかとなった さらに 宗慶の銘が記された先述の塩田行屋御 沢仏群像の中に 造形表現が異なる像が2体存在することに気づき その点に着目して考察を行った 竹太郎の制作像と断定される大江町松田家の 木造大日如来坐像 図34 を基準作と位置付け その造 形的特徴の比較検証を行った その結果 先に述べた宗慶の制作像にみられる耳や頭部の奥行きの表現に対 し 松田家 木造大日如来坐像 では 耳の表現において耳朶に刻みをいれて耳朶先端を外側に跳ね上げる 点や耳脚部を上下脚に分けて三角窩を表す点 また 頭部の奥行きを深くとり上部から見て真円に近い形状 Ⅰ 制作者に着目した文化遺産の研究 43

23 をなすなどの点に 宗慶の制作像には見られない独特の表現が確認された これらの特徴を先の塩田行屋御 沢仏群のうちの造形表現が他と異なる 木造十三佛像 図35 木造御沢八萬八千佛像 図36 の2体と比 較検討した結果 同様の特徴が確認されたため 竹太郎がその造像に深く関与していた可能性が高いと判断 された 御沢仏の制作年代は台座銘の記載から明治12年であることが判明している ただし御沢仏は25体も の群像であるため 1年間ですべてを造像したとは考え難く 明治12年の記載は全ての像を完了した年か あるいは銘のある 木造御蔵大黒弁財天像 を造像した年と考えた方が妥当であろう 明治12年の時 竹太 郎は数え12歳となるが 先に述べた御沢仏像のうち2体の頭部の表現が松田家大日如来像と共通することか らみて 10歳の時には台座だけの制作を手伝っていた竹太郎が この時には仏像本体の制作まで行ったこと が確認される 後の13 14歳頃に造像した松田家 大日如来坐像 と比べると 御沢仏の2体はやや彫刻技 術に未熟な点がみられることも 竹太郎が松田家 大日如来坐像 より幼いころに造像したことの根拠とも なろう とはいえ 12歳頃の少年が彫刻したものとしては優れた出来栄えである このような竹太郎の少年期の仏像制作における造形的な特徴の見解から 今回新たに竹太郎が数え12歳頃 に制作した可能性が高い仏像の発見の成果を得たが さらにその後山形市の伝昌寺から林家仏師や新海家仏 師に関係する像であると伝承される仏像があるとの連絡を受け それらの調査を実践した 伝昌寺の伝わる 2体の仏像は いずれも髪部にのみ彩色を施す素地仕上げの仏像で 一方の 木造聖観音菩薩坐像 図21 には 慶 の陰刻があったため林治郎兵衛の制作であると断定された しかしもう一方の 木造如来形坐 像 図37 には銘文がないため作者の断定が難しかったが 先の竹太郎の少年期の造形的特徴に照らして 観察した結果 耳や頭部の奥行きなどの造形的特徴に類似点が多い理由から 竹太郎が制作した可能性が高 いと判断された 如来像が伝昌寺に師である林治郎兵衛の制作像と一緒に伝わっていることから 竹太郎が 林家での仏師修業を行った以後に制作したものであると推測できる 以上のように 本センターの研究によって新海竹太郎の少年期の造仏活動の事例が新たに確認され その 変遷から竹太郎の彫技の成長を確認することができた 19歳で上京し 後に彫刻家として大成していく新海 竹太郎の彫刻技術の基礎は 父宗慶や林治郎兵衛に習った山形での造仏によって築かれたといえるであろう 図34 大江町松田家 木造大日如来坐像 と横顔 像高 11. 2cm 図35 白鷹町塩田行屋 木造十三佛像 と横顔 像高 31. 5cm 表5 少年期の新海竹太郎制作像の調査一覧 44 図36 白鷹町塩田行屋 木造御沢八萬八千佛像 と横顔 像高 30. 2cm 図37 山形市伝昌寺 木造如来形坐像 と横顔 像高 8. 8cm

24 5.まとめと 今 後 の 展 望 本 論 では 地 域 における 文 化 遺 産 の 把 握 と 価 値 の 底 上 げを 図 ることによって 地 域 文 化 遺 産 の 保 護 活 動 へと つなげていくことを 目 的 として 実 践 した 近 世 から 近 代 にかけての 仏 像 の 造 像 活 動 の 展 開 に 関 する 研 究 の 成 果 を 報 告 した 山 形 では 古 くから 天 台 宗 や 真 言 宗 といった 仏 教 組 織 が 活 動 を 展 開 し 出 羽 三 山 信 仰 も 含 めて 活 発 な 宗 教 活 動 が 行 われていた 現 在 では 古 代 に 造 像 された 仏 像 はあまり 残 されていないが 各 時 代 の 優 れた 仏 像 が 伝 わ る 山 形 において 室 町 時 代 頃 の 慶 派 の 仏 師 工 房 である 七 条 仏 所 の 大 貳 ( 康 住 )による 造 像 仏 が 数 体 現 存 し 大 貳 が 山 形 で 活 動 した 可 能 性 が 考 えられることは 興 味 深 い それから 時 を 隔 てた 江 戸 時 代 後 期 に 最 上 川 舟 運 で 栄 えた 大 江 町 左 沢 で 七 条 仏 師 に 学 んだ 可 能 性 が 高 い 林 治 作 が 造 仏 活 動 を 開 始 する その 活 動 は 山 形 で 江 戸 時 代 中 期 に 仏 壇 業 を 始 めた 星 野 吉 兵 衛 一 族 の 活 動 も 遠 因 しているのではないかと 推 測 している そして 林 家 仏 師 は 親 子 四 代 にわたって 活 発 な 造 仏 活 動 を 行 い 山 形 の 仏 師 業 に 大 きな 影 響 を 与 えたと 思 われる 今 回 は 触 れてはいないが 林 家 仏 師 二 代 文 作 に 師 事 したとされる 彫 刻 師 高 山 文 五 郎 その 息 子 である 専 蔵 と 富 重 の 作 例 が 西 川 町 や 彼 らの 出 身 地 である 河 北 町 などに 確 認 されている 岩 根 沢 三 山 神 社 の 紅 梁 に 彫 られた 高 山 文 五 郎 作 の 龍 の 造 形 は 秀 逸 で 高 山 親 子 の 残 したいずれの 作 例 からも 彼 らの 卓 越 した 彫 刻 技 量 が 感 じられる また 高 山 家 の 弟 子 筋 に 当 たる 関 源 助 の 作 例 が 山 形 県 内 の 各 所 に 存 在 することも 本 センター の 調 査 によって 判 明 してきている 平 成 25 年 度 以 降 高 山 家 一 派 の 活 動 についても 研 究 を 進 展 していきたい 本 論 で 述 べた 二 代 目 文 作 に 師 事 したと 推 定 される 新 海 宗 慶 また 四 代 目 治 郎 兵 衛 に 師 事 したことが 知 られ る 新 海 竹 太 郎 の 少 年 期 の 作 例 についての 調 査 研 究 では 多 くの 新 発 見 を 得 ることができたこととともに 新 海 親 子 の 造 形 的 特 徴 に 関 する 新 知 見 を 得 ることができた また 新 たに 得 られた 知 見 からの 検 証 により 作 者 が 不 明 であった 作 例 の 帰 属 を 検 討 することで 新 たに 新 海 竹 太 郎 が 少 年 期 に 造 像 した 仏 像 を 判 明 すること ができた 本 研 究 によって 得 られた 成 果 は 林 家 仏 師 の 活 動 の 文 化 的 意 義 を 飛 躍 的 に 高 めることへと 繋 がり また 新 海 宗 慶 の 再 評 価 へと 繋 がると 考 えている さらに 竹 太 郎 の 少 年 期 の 造 仏 活 動 が 明 らかになったことにより 近 代 彫 刻 の 研 究 やその 前 段 を 支 えた 江 戸 時 代 末 期 の 仏 像 彫 刻 の 文 化 遺 産 的 意 義 の 向 上 に 寄 与 できたものと 思 われる 林 家 仏 師 や 新 海 家 仏 師 の 活 動 は 時 代 の 中 で 突 然 変 異 的 に 発 生 したものではない その 活 動 展 開 の 背 景 に は その 土 地 固 有 の 文 化 背 景 が 介 在 している 調 査 活 動 から 判 明 したことはまだ 多 くはないが 林 家 一 族 が 主 に 広 葉 樹 を 用 いた 一 木 造 の 材 料 技 法 で 造 像 を 行 っていたことは 山 形 の 風 土 に 適 応 し 地 域 に 根 差 した 造 仏 活 動 の 展 開 を 行 っていた 証 として 極 めて 興 味 深 い また 竹 太 郎 の 造 仏 では 父 宗 慶 や 師 である 林 治 郎 兵 衛 の 作 風 にはない 独 自 の 表 現 がみられ 竹 太 郎 がこ のような 表 現 を 身 につけた 背 景 について 考 察 した その 結 果 明 治 初 年 に 生 まれた 竹 太 郎 が 神 仏 分 離 令 に よって 廃 仏 毀 釈 が 吹 き 荒 れる 中 で 古 仏 修 理 の 必 要 性 が 増 したことを 背 景 に その 修 理 を 通 じた 古 仏 からの 造 注 形 的 感 受 によって 自 らの 造 形 観 を 形 成 したのではないかと 推 察 した 7 師 匠 たちの 伝 統 的 な 造 形 様 式 を 踏 襲 するだけにとどまらないこの 竹 太 郎 の 柔 軟 な 姿 勢 が 後 に 新 たな 彫 刻 造 形 を 切 り 開 いた 彫 刻 家 新 海 竹 太 郎 を 生 み 出 したのではなかろうか 先 に 述 べたように 山 形 には 優 れた 仏 像 が 多 く 現 存 していた そのような 歴 史 の 積 み 重 ねの 上 に いつの 時 代 も 新 たな 文 化 的 活 動 が 生 みだされてきたことであろう 本 論 ではその 一 例 として 七 条 仏 師 の 活 動 から 林 家 一 族 の 活 動 林 家 仏 師 から 新 海 宗 慶 竹 太 郎 親 子 の 活 動 そして 古 仏 から 彫 刻 家 新 海 竹 太 郎 への 繋 がり まで 山 形 における 一 連 の 彫 刻 文 化 の 展 開 について 論 じた 地 域 の 歴 史 文 化 を 基 盤 とし 人 々の 関 係 や 人 と モノの 関 係 の 中 で 展 開 されてきたこのような 文 化 活 動 が 地 域 文 化 遺 産 から 見 る 地 域 の 潜 在 的 な 文 化 力 なの ではないだろうか このような 事 象 は 仏 像 彫 刻 の 展 開 だけに 限 られたことではなかろう 絵 画 や 建 築 などにおいても 同 様 で それらが 時 に 交 流 し 互 いに 刺 激 を 受 けながら その 時 々の 新 たな 文 化 を 生 み 出 してきたことであろう よ り 複 合 的 な 視 点 で 地 域 をキーワードとして 研 究 を 進 めることで より 総 合 的 な 地 域 文 化 の 意 義 が 確 認 できる と 考 えている 今 後 仏 像 文 化 遺 産 の 研 究 を 深 めつつ 他 分 野 との 研 究 を 複 合 的 に 考 察 していくことで 対 象 地 域 を 中 心 とした 山 形 の 文 化 について 研 究 を 進 めていきたい そして 現 状 では 十 分 な 保 護 がなされてい ないそれらの 文 化 遺 産 に 対 し 総 合 的 な 保 護 体 制 を 構 築 していくことに 取 り 組 んでいきたい Ⅰ. 制 作 者 に 着 目 した 文 化 遺 産 の 研 究 45

25 注 注 1) 東 北 芸 術 工 科 大 学 文 化 財 保 存 修 復 研 究 センター 平 成 23 年 度 文 化 財 保 存 修 復 研 究 センター 研 究 成 果 報 告 書 2012 注 2) 山 形 市 仏 像 詳 細 調 査 報 告 書 山 形 市 教 育 委 員 会 東 北 芸 術 工 科 大 学 文 化 財 保 存 修 復 研 究 センター 2007 注 3) 山 形 佛 壇 関 係 史 料 : 星 野 家 文 書 山 形 市 史 資 料 58 号 山 形 市 史 編 集 委 員 会 1980 注 4) 大 江 町 史 大 江 町 教 育 委 員 会 1984 大 江 町 史 近 現 代 編 大 江 町 教 育 委 員 会 2007 大 江 町 の 仏 師 一 治 作 文 作 治 三 郎 大 江 町 教 育 委 員 会 1998 大 江 町 の 仏 師 二 治 郎 兵 衛 大 江 町 教 育 委 員 会 1999 大 江 町 の 仏 師 三 二 代 文 作 四 代 治 郎 兵 衛 続 き 大 江 町 教 育 委 員 会 2000 注 5) 本 論 中 の 仏 像 の 使 用 木 材 の 樹 種 を 特 定 している 記 述 は 東 北 大 学 学 術 資 源 研 究 公 開 センター 植 物 園 の 大 山 幹 成 氏 による 樹 種 同 定 調 査 の 結 果 に 基 づく 注 6) 西 川 町 志 津 ( 旧 玄 海 参 籠 所 蔵 )の 木 造 不 動 明 王 三 尊 像 は 平 成 23 年 ~24 年 度 に 本 センター 受 託 研 究 ( 担 当 : 岡 田 靖 )と して 修 復 を 実 践 した 修 復 を 通 じて 実 践 した 不 動 明 王 三 尊 像 の 表 面 彩 色 技 法 構 造 樹 種 同 定 などの 詳 細 な 調 査 により 文 作 の 造 像 技 法 の 一 端 を 明 らかとすることができた なお 図 16は 修 復 後 の 写 真 である 注 7) 新 海 宗 慶 の 造 形 的 特 徴 に 関 しての 見 解 は 岡 田 靖 宮 本 晶 朗 新 海 宗 慶 および 新 海 竹 太 郎 の 少 年 期 の 造 形 的 特 徴 における 新 知 見 ~ 神 仏 分 離 に 伴 う 修 理 から 得 られた 古 仏 理 解 の 影 響 に 関 する 考 察 ~ 東 北 芸 術 工 科 大 学 文 化 財 保 存 修 復 研 究 センター 紀 要 No.3 東 北 芸 術 工 科 大 学 文 化 財 保 存 修 復 研 究 センター 2013に 詳 述 している 注 8) 田 中 修 二 彫 刻 家 新 海 竹 太 郎 論 東 北 出 版 企 画 2002 新 海 竹 蔵 新 海 竹 太 郎 伝 1981 田 中 修 二 監 修 近 代 日 本 彫 刻 集 成 第 1 巻 幕 末 明 治 編 国 書 刊 行 館 2010 参 考 資 料 林 家 仏 師 一 族 と 関 係 系 図 46

26 Ⅰ. 制 作 者 に 着 目 した 文 化 遺 産 の 研 究 1-3 山 形 における 中 央 仏 師 と 地 方 仏 師 の 活 動 について 岡 田 靖 石 井 紀 子 1.はじめに 本 研 究 における 制 作 者 に 着 目 した 研 究 キーワードに 沿 って 平 成 24 年 度 までに 大 江 町 左 沢 を 拠 点 に 親 子 四 代 に 渡 って 江 戸 時 代 から 明 治 期 に 活 躍 した 林 家 仏 師 一 族 についての 研 究 を 進 め また 林 家 仏 師 四 代 目 である 注 治 郎 兵 衛 の 弟 子 にあたる 新 海 竹 太 郎 とその 父 親 の 新 海 宗 慶 に 関 する 研 究 を 進 めてきた 1 さらに24 年 度 の 研 究 では 林 家 仏 師 初 代 治 作 の 師 と 推 定 される 京 都 の 七 条 仏 師 の 研 究 に 着 手 し 本 研 究 の 研 究 対 象 地 域 とその 注 周 辺 における 近 世 から 近 代 にかけての 仏 像 の 造 像 における 文 化 的 活 動 の 展 開 について 考 察 を 進 めてきた 2 平 成 25 年 度 の 研 究 では 24 年 度 までの 研 究 成 果 を 基 盤 として 当 該 地 域 における 七 条 仏 師 林 家 仏 師 新 海 家 仏 師 に 関 する 研 究 調 査 を 補 足 的 に 進 めるとともに 林 家 仏 師 二 代 目 である 文 作 に 師 事 したとされる 彫 物 大 工 高 山 文 五 郎 に 関 する 研 究 に 着 手 した さらに 林 家 仏 師 一 族 と 同 時 代 に 活 動 した 他 地 域 の 仏 師 の 研 究 に 着 手 し 主 に 米 沢 を 拠 点 に 活 動 した 横 山 仏 師 一 族 の 活 動 に 着 目 して 林 家 仏 師 や 七 条 仏 師 らの 造 形 やその 活 動 展 開 に 関 する 比 較 を 通 じた 山 形 における 仏 像 の 造 像 活 動 の 広 域 的 な 様 相 について 探 求 することで 近 世 から 近 代 に 至 る 激 動 の 時 代 背 景 を 交 えた 山 形 の 大 局 的 な 文 化 展 開 の 解 明 を 試 みることとした それにより 個 々の 文 化 財 の 再 評 価 を 行 うこ とともに 文 化 遺 産 が 制 作 された 当 時 の 地 域 文 化 力 を 再 発 見 することを 目 指 した ( 岡 田 ) 2. 七 条 仏 師 の 活 動 について (1)はじめに 七 条 仏 師 の 研 究 に 関 しては 平 成 24 年 度 の 本 研 究 の 研 究 成 果 報 告 書 において 概 要 を 述 べるにとどめたが 25 年 度 の 研 究 調 査 では 西 川 町 大 井 沢 の 中 村 地 蔵 堂 に 安 置 される 七 条 仏 師 大 貳 による 制 作 が 確 認 されている 木 造 地 蔵 菩 薩 坐 像 の 詳 細 調 査 を 実 践 したため 調 査 によって 得 られた 知 見 と 作 者 である 七 条 仏 師 大 貳 の 活 動 について 報 告 したい また 林 家 仏 師 初 代 治 作 の 師 と 推 定 した 七 条 仏 所 三 十 代 康 傳 の 関 連 調 査 の 一 環 として 25 年 度 七 条 仏 所 三 十 一 代 康 朝 の 弟 子 である 福 地 善 慶 の 造 像 作 例 七 条 仏 所 三 十 三 代 の 造 像 作 例 についての 調 査 を 実 践 したため それらについて 報 告 したい (2) 調 査 報 告 A. 西 川 町 大 井 沢 中 村 地 蔵 堂 木 造 地 蔵 菩 薩 坐 像 平 成 25 年 度 西 川 町 大 井 沢 の 湯 殿 山 神 社 ( 旧 大 日 寺 )の 門 前 にある 中 村 地 蔵 堂 の 地 蔵 菩 薩 坐 像 の 調 査 を 実 践 した 本 像 は 平 成 6 年 に 西 川 町 教 育 委 員 会 を 主 体 とする 麻 木 脩 平 氏 による 調 査 が 行 われ その 後 西 川 町 の 有 形 文 化 財 の 指 定 を 受 けている その 際 の 調 査 では 像 内 部 に 記 された 銘 文 が 確 認 され 本 像 が 七 条 仏 師 大 貳 によって 永 禄 4 年 (1561)に 造 像 されたことが 判 明 している 主 要 な 調 査 内 容 はすでに 麻 木 氏 によって 報 告 がなされているため 本 書 では 基 本 情 報 だけの 提 示 にとどめるが 本 センターの 調 査 によって 本 像 の 木 材 の 組 み 寄 せ 方 法 などに 関 する 新 たな 知 見 が 得 られたため それらについて 報 告 したい 1 地 蔵 菩 薩 坐 像 の 構 造 について 体 幹 部 の 前 面 材 は 頭 体 幹 部 を 通 して 一 材 で 首 下 で 割 首 としている 体 幹 部 の 背 面 材 は 後 頭 部 と 体 幹 部 背 面 部 材 をそれぞれ 別 材 製 とし 背 面 材 内 部 に 首 枘 を 削 って 挿 首 として 前 後 の 主 要 体 幹 部 材 の 間 の 両 肩 部 位 に 各 小 材 一 材 を 矧 付 けて 体 幹 主 幹 部 を 構 成 している さらに これら 体 幹 主 幹 部 の 両 外 側 に 地 付 まで 至 る 材 を 各 前 後 に 剥 ぎ 寄 せ さらにその 前 後 側 面 材 の 間 に 小 材 を 挟 み 寄 せている そして その 外 側 の 側 面 材 の 左 右 に それぞれ 腕 部 から 腰 に 至 る 側 面 材 を 寄 せ 合 わせている 両 脚 部 は 体 幹 部 に 対 して 横 材 を 一 材 剥 ぎ 付 けとし(ただし 脚 部 中 央 部 前 面 材 の 左 右 束 に 接 する 部 分 に 別 材 を 矧 付 けているが その 理 由 不 明 である) 先 端 に 裳 先 部 の 小 材 を 矧 付 ける(さらに 先 に 裳 先 部 材 が 剥 ぎつけられていたが 現 状 では 欠 失 する) 両 手 先 は 一 材 製 で 脚 部 上 に 置 き その 上 に 両 袖 先 部 を 矧 付 けている( 図 1 図 2 図 3) 以 上 が 地 蔵 菩 薩 坐 像 の 構 造 の 詳 細 である この 構 造 で 特 徴 的 なのは 体 幹 部 の 木 寄 せの 構 成 である 体 幹 部 の 前 後 材 を 大 きく 二 材 で 寄 せ 合 わせる 点 は 平 安 時 代 後 期 以 降 に 多 用 された 寄 木 造 りの 典 型 的 な 方 法 である が 本 像 は 前 後 材 の 間 の 両 肩 部 に 小 材 を 挟 み 込 み さらに 主 要 体 幹 部 材 と 側 面 材 の 間 に 幅 3センチほどの 板 Ⅰ. 制 作 者 に 着 目 した 文 化 遺 産 の 研 究 47

27 材 を 前 後 に 分 けて 挟 み 込 んでいる 点 が 典 型 例 とは 異 なる 点 である では なぜこのような 木 寄 せ 方 法 をとっ たのであろうか その 意 味 について 考 察 してみたい 主 要 体 幹 部 を 前 後 二 材 で 組 み 合 わせて 彫 刻 した 場 合 制 作 の 際 の 木 材 の 安 定 は 問 題 がないであろう しか し 本 像 のように 前 後 材 の 間 に 小 材 を 挟 んでいる 場 合 製 材 した 木 材 を 木 組 みした 状 態 で 底 部 が 開 いたコの 字 型 になるため 制 作 時 の 安 定 感 は 失 われる 小 材 を 挟 み 込 む 意 図 は 内 刳 りの 手 間 を 省 くためや 材 の 節 約 のためであろうと 推 測 される コの 字 型 の 体 幹 部 を 制 作 時 に 安 定 させるためには コの 字 の 木 材 の 左 右 側 面 に 材 を 剥 ぎ 寄 せて 四 角 い 箱 状 にすることで 不 安 定 さを 解 決 できる 本 像 にみられる 左 右 の 板 材 の 側 面 材 は そのために 寄 せられたものではないだろうか 制 作 工 程 を 推 測 すると 小 材 を 挟 んだ 前 後 二 材 と 側 面 板 材 を 組 み 寄 せて 箱 状 にした 体 幹 主 幹 部 を 彫 り 進 め ある 程 度 表 面 の 彫 刻 が 進 んだ 後 別 に 彫 り 進 めた 腕 部 を 含 む 側 面 材 を 剥 ぎ 寄 せて 主 要 体 幹 部 と 一 体 化 し そ のうえで 体 幹 部 に 寄 せた 側 面 板 を 含 めて 内 刳 りを 施 していくと 木 寄 せから 表 面 彫 刻 そして 内 刳 り 作 業 ま でを 材 の 安 定 を 図 りながら 彫 り 進 むことができる また 本 像 の 体 幹 部 前 面 材 の 左 右 に 束 が 彫 り 残 されて いることも 主 要 体 幹 部 を 安 定 して 彫 刻 するための 工 夫 の 痕 跡 であると 思 われる そして 体 幹 部 を 彫 りあげ た 後 に 膝 前 の 部 材 を 取 り 付 け 内 刳 り 面 を 合 わせると 像 が 完 成 するといった 工 程 であったのであろうか 以 上 の 制 作 工 程 の 推 測 が 正 しければ この 工 法 による 利 点 は 大 きく 木 材 や 内 刳 りの 手 間 を 省 けるといっ た 利 点 も 得 られるであろうし 図 面 をもとに 体 幹 部 側 面 材 膝 前 材 に 分 けて 復 数 人 で 分 業 することも 可 能 となろう 平 安 時 代 後 期 に 定 朝 によって 完 成 されたとされる 寄 木 造 り 技 法 は 浄 土 教 が 隆 盛 して 仏 像 制 作 の 需 要 が 高 まったことがその 発 生 の 背 景 にある その 後 の 木 造 彫 刻 の 技 法 は 鎌 倉 時 代 室 町 時 代 を 経 て 発 展 していくが その 技 法 的 工 夫 の 根 底 には 常 に 造 像 の 効 率 化 や 木 材 の 節 約 などの 必 要 性 があったものと 推 測 さ れる 特 に 室 町 時 代 頃 から 江 戸 時 代 にかけて 多 用 された 板 材 を 箱 状 に 組 み 寄 せて 体 幹 部 を 構 成 するいわゆる 箱 組 み 技 法 は 造 像 の 効 率 性 を 極 めた 優 れた 技 法 であるといえる しかしその 反 面 で 四 角 い 箱 状 構 造 によっ て 表 現 を 制 限 された 箱 組 み 技 法 は 仏 像 造 形 の 形 骸 化 を 招 く 一 つの 要 因 ともなった だが 本 像 は 効 率 的 か つ 合 理 的 な 技 法 構 造 によって 構 成 されつつも 彫 刻 表 現 は 秀 逸 である 本 像 の 造 形 と 構 造 技 法 は 仏 像 制 作 が 過 渡 期 を 迎 える 室 町 時 代 から 江 戸 時 代 にかけての 木 造 彫 刻 技 法 の 発 展 を 知 る 上 で 重 要 な 作 例 であるとい えるであろう また このような 技 法 構 造 的 な 見 解 を 制 作 者 の 特 定 のための 一 つの 視 点 としていくことで 銘 文 等 が 記 載 されていない 制 作 者 不 明 の 仏 像 の 研 究 を 進 めていきたいと 考 えている 図 1 西 川 町 大 井 沢 中 村 地 蔵 堂 木 造 地 蔵 菩 薩 坐 像 図 2 西 川 町 大 井 沢 中 村 地 蔵 堂 木 造 地 蔵 菩 薩 坐 像 像 底 図 3 地 蔵 菩 薩 坐 像 像 底 図 面 実 線 : 木 寄 せ 剥 ぎ 目 破 線 : 割 剥 ぎ 2 制 作 者 である 大 貳 について では 次 に 作 者 である 大 貳 に 関 しても 新 たな 見 解 が 得 られたため 以 下 に 報 告 したい 山 形 県 内 には 大 貳 と 記 述 された 銘 文 がある 作 例 が4 体 確 認 されていることは 平 成 24 年 度 の 報 告 書 でも 述 べた そのうちの 最 古 の 事 例 が 永 禄 4 年 (1561)の 銘 が 記 されたこの 地 蔵 菩 薩 坐 像 である 地 蔵 菩 薩 の 制 作 年 から2 年 後 にあたる 永 禄 6 年 の 銘 が 記 された 山 形 市 長 源 寺 の 釈 迦 如 来 坐 像 には 中 興 七 条 大 仏 師 大 貳 法 眼 康 住 永 禄 六 年 九 月 吉 日 ( 永 禄 6 年 =1563 年 )と 記 されていることが 平 成 19 年 度 に 実 注 践 された 本 センターの 調 査 によって 明 らかとなっている 3 その 際 の 本 センターの 調 査 結 果 では 釈 迦 如 来 像 の 卵 型 の 面 部 表 現 や 宋 風 の 典 型 的 特 徴 を 示 す 点 または 像 内 に 像 心 束 や 前 後 束 を 設 ける 技 法 構 造 的 な 特 徴 などから 13 世 紀 末 頃 の 院 派 仏 師 の 作 例 であると 推 定 し 頭 部 の 玉 眼 のあて 材 に 記 された 前 述 の 銘 文 は 修 理 48

28 銘 であると 推 定 している しかし 筆 者 は それらの 構 造 的 特 徴 はむしろ 中 村 地 蔵 堂 像 との 類 似 点 と 考 え ま た 玉 眼 のあて 材 の 銘 文 も 当 初 のものと 推 測 するため 長 源 寺 像 は 大 貳 の 制 作 の 可 能 性 もあるのではないかと 推 察 している 長 源 寺 釈 迦 如 来 像 から 降 ること24 年 後 の 天 正 15 年 (1587)の 年 号 が 記 された 白 鷹 町 正 念 寺 阿 弥 陀 如 来 坐 像 注 の 銘 文 には 七 条 仏 所 大 貳 法 印 造 天 正 十 五 年 五 月 吉 日 亮 遊 心 水 斉 とある 4 続 く 天 正 16 年 (1588)の 年 号 が 記 された 米 沢 市 西 明 寺 十 一 面 観 音 菩 薩 像 には 首 枘 前 面 材 に 天 正 十 六 年 九 月 吉 日 七 条 大 仏 師 法 印 康 佑 ( 花 押 ) 同 大 弐 共 作 の 墨 書 銘 が 記 されていることが 米 沢 市 教 育 委 員 会 注 及 び 麻 木 脩 平 氏 によって 報 告 されている 5 ではここで 七 条 仏 所 の 系 図 を 記 した 本 朝 大 佛 師 正 統 系 図 幷 末 流 を 参 考 として 紹 介 した 各 像 の 銘 文 に 記 された 大 貳 と 康 住 または 西 明 寺 十 一 面 観 音 像 に 記 された 康 佑 について 検 討 してみたい まず 康 住 は 七 条 仏 所 第 十 代 康 辨 から 分 派 し 七 条 西 仏 所 を 創 始 した 康 譽 から 数 えて5~6 代 後 の 康 清 ( 豊 後 法 印 東 寺 仏 師 職 )の 次 代 にその 名 がみられる 康 清 ( 豊 後 法 印 )の 次 代 に 記 されたもう 一 人 である 康 清 ( 宰 相 法 眼 )が 東 寺 仏 師 職 を 継 いでいることから 康 住 は 西 仏 所 の 中 でも 傍 流 であったと 推 測 される そして 康 住 の 次 代 に 康 佑 ( 法 印 右 京 )と 大 貳 の 名 がみられ 大 貳 には 猶 子 ( 養 子 の 意 )と 記 載 されている では 以 上 の 本 朝 大 佛 師 正 統 系 図 幷 末 流 の 記 述 と 山 形 県 下 の4 体 の 仏 像 の 銘 文 を 検 証 してみたい まずは 長 源 寺 釈 迦 如 来 像 の 銘 文 にある 大 貳 法 眼 康 住 の 記 述 では 大 貳 が 法 眼 位 を 有 していたことが 確 認 され また 大 貳 と 康 住 は 同 一 人 物 を 示 していると 考 えられる また 記 述 の 配 列 から 見 て 大 貳 は 官 位 康 住 は 名 であると 推 測 される 従 って 中 村 地 蔵 堂 の 地 蔵 菩 薩 像 の 銘 にある 大 貳 も 康 住 のことさす ものと 推 測 される この 見 解 を 本 朝 大 佛 師 正 統 系 図 幷 末 流 の 記 述 にある 康 住 とその 猶 子 である 大 貳 の 関 係 にあてはめてみると 康 住 が 大 貳 の 官 位 を 有 し 後 に 猶 子 にその 官 位 を 譲 ったものと 考 えられる つま り 大 貳 は 大 貳 ( 康 住 )と 大 貮 ( 猶 子 )の 二 人 が 存 在 し 中 村 地 蔵 堂 地 蔵 菩 薩 像 と 長 源 寺 釈 迦 如 来 像 に 関 与 した 大 貳 は 大 貳 ( 康 住 )であると 推 定 される 次 に 正 念 寺 阿 弥 陀 如 来 像 の 銘 文 であるが ここで 注 目 されるのは 永 禄 6 年 までは 法 眼 であった 大 貳 が 天 正 15 年 には 法 印 になっている 点 である 本 朝 大 佛 師 正 統 系 図 幷 末 流 の 康 住 大 貳 の 記 述 の 欄 には 二 人 ともに 僧 綱 位 が 記 されていないため 彼 らの 僧 綱 位 の 叙 位 の 時 期 については 不 明 であるが 永 禄 6 年 ( 1563) から 天 正 15 年 (1587)は24 年 も 期 間 があいているため 大 貳 ( 康 住 )がその 間 に 法 眼 から 法 印 に 昇 格 したも のと 考 えられる 続 いて 西 明 寺 十 一 面 観 音 像 の 天 正 十 六 年 九 月 吉 日 七 条 大 仏 師 法 印 康 佑 ( 花 押 ) 同 大 弐 共 作 の 銘 文 であるが 銘 にある 康 佑 の 名 は 先 述 したように 本 朝 大 佛 師 正 統 系 図 幷 末 流 には 康 住 の 次 代 に 記 されている 同 系 図 には 康 住 と 康 佑 の 血 縁 関 係 は 示 されていないものの 康 佑 の 記 述 の 脇 に 法 印 右 京 と あることからみて 康 佑 は 康 住 の 嫡 男 であったと 推 測 される また この 同 系 図 に 記 された 康 佑 の 僧 綱 位 は 西 明 寺 像 の 法 印 康 佑 の 記 述 と 符 合 する そして 西 明 寺 像 の 記 述 の 順 番 が 法 印 康 佑 が 先 で 後 に 大 貳 共 作 と 続 くことから この 大 貳 は 康 住 ( 大 貳 )の 猶 子 ( 養 子 )である 大 貳 のことであると 推 定 される 康 住 の 養 子 に 入 った 大 貮 は 康 住 の 嫡 男 である 康 佑 と 兄 弟 弟 子 ということになるため 西 明 寺 像 が 康 佑 大 貳 ( 猶 子 )の 共 作 とする 記 述 にも 整 合 性 があると 判 断 される 以 上 山 形 県 下 に 確 認 されている4 件 の 康 住 および 大 貳 の 銘 のある 作 例 について 考 察 を 行 ってきたが 県 外 にも 康 住 や 大 貳 の 銘 が 記 された 作 例 が 数 点 確 認 されているため 合 わせて 考 察 してみたい 西 明 寺 像 の 翌 年 の 制 作 年 が 記 された 滋 賀 県 長 命 寺 の 木 造 大 日 如 来 坐 像 には 七 條 仏 師 康 住 同 子 大 貳 注 と 記 されている 6 この 記 述 から 本 朝 大 佛 師 正 統 系 図 幷 末 流 にある 通 りの 康 住 と 大 貳 ( 猶 子 )の 二 人 の 親 子 関 係 が 確 認 できるとともに 康 住 が 少 なくとも 天 正 17 年 ( 1589)まで 存 命 であったことが 確 認 できる 続 いて 慶 長 4 年 (1599)と8 年 (1603)の 銘 が 記 された 京 都 西 方 寺 の 木 造 豊 臣 秀 吉 坐 像 には 七 條 大 仏 注 師 法 印 康 住 大 貳 公 などの 記 述 が 確 認 されている 7 そして 最 後 に 公 的 には 未 発 表 ではあるが 大 塚 亨 氏 によって 修 復 された 岐 阜 県 長 久 寺 の 木 造 阿 弥 陀 如 来 立 像 の 頭 部 前 面 材 に 七 條 大 仏 師 大 貳 法 印 康 住 造 慶 長 十 年 六 月 日 ( 慶 長 10 年 =1605 年 )と 記 された 墨 書 銘 が 新 たに 確 認 されたとの 情 報 を 受 けた 以 上 山 形 県 内 で 大 貳 の 銘 が 確 認 されている4 体 の 仏 像 の 考 察 と 県 外 の 大 貳 もしくは 康 住 の 銘 がある 仏 像 を 紹 介 した これらの 銘 文 から 考 察 した 年 代 を 総 合 してみると 大 貳 ( 康 住 )は 法 眼 位 の 時 に 造 像 した1561 年 の 中 村 地 蔵 堂 地 蔵 菩 薩 像 の 作 例 を 最 初 例 として 1563 年 から1587 年 の 間 に 法 印 位 を 叙 位 し 1605 年 までの44 年 間 に 渡 って 活 動 したことになる しかし これらはあくまで7 体 の 銘 文 からの 推 測 Ⅰ. 制 作 者 に 着 目 した 文 化 遺 産 の 研 究 49

29 にすぎず 他の観点から見ると康住 大貳 がこれら7体の造像にどの程度関与したのか疑問が残る点があ る それは それら7体の作例にみる造形的な差異である 特に山形県内の4体で見ると 中村地蔵堂地蔵菩 薩像 図1 や長源寺釈迦像 図4 は 冒頭で紹介した通りの洗練された造形を示し 七条仏師の力量が如 何なく発揮された観がある しかしながら 正念寺阿弥陀像 図5 ではやや硬い造形を示しているような 印象を受け さらに長命寺大日如来像 図7 や西方寺豊臣秀吉像 長久寺阿弥陀像 図8 ではまた異なる 造形性がみられるように思われる ここで 造形性の差異からの視点での推察を行ってみたい まず 今回紹介した7例の事例のうち大貳 猶 子 が関与した西明寺十一面観音像 図6 を見てみたい 西明寺像は やや角ばった面部と体幹部の表現 が特徴的で 明らかに中村地蔵堂地蔵菩薩像や長源寺釈迦像とは異なる造形性がみられる この造形が康佑 のものであるのか それとも大貳 猶子 のものであるのかは定かではないが 父であり師である康住 大 貳 の造形と比較すると劣るものと評価される そして この西明寺像の造形性を基準として 西明寺像の 後に制作されている長命寺大日如来像 西方寺豊臣秀吉像 長久寺阿弥陀像の3例をみると ここでもやは り中村地蔵堂地蔵菩薩像や長源寺釈迦像とは異なる造形性がみられる 長命寺大日如来像 西方寺豊臣秀吉 像 長久寺阿弥陀像の3例と西明寺像の確固たる類似性はまだ明らかにできてはいないために断言できない が 西明寺像の制作時期を境に造形性が一変していることは明らかであろう そのため やや乱暴な仮説で はあるが 7例に見るこの造形性の差異と大貮を名乗る仏師が二人いたことを考えると 中村地蔵堂地蔵菩 薩像や長源寺釈迦像は康住 大貳 の制作であり 正念寺阿弥陀像は康住 大貳 と康佑もしくは大貳 猶 子 との共作 そして康佑と大貳 猶子 の共作による西明寺十一面観音像と大貳 康住 と大貳 猶子 の共作による長命寺大日如来像を制作した後 その頃を境に康住 大貳 が大貳 猶子 に康住の名と大貮 の官位や法印位を譲り 西方寺豊臣秀吉像 長久寺阿弥陀像を大貳 猶子 が制作したと考えることもでき るのではないだろうか 今後 文献学的な研究を同時に進めていく必要があることは言うまでもないが 造 形性の差異に関する詳細な検証を進めていき この仮説に信憑性を加えていきたいと考えている また 外 観の造形性や文献学では判断しかねる事例においては 今回検証した中村地蔵堂地蔵菩薩像の研究から得ら れた構造技法の把握の成果を一つの観点とした検証を進めることで 上記の作風の疑問点や制作者の特定に ついて引き続き研究考察をおこなっていきたい 表1 大貳および康住の銘のある作例一覧 ᚲ ኹ㒮䇭ዅฬ䇭႐ᚲ ᐕ ਛ 䇭ᧁㅧ ထ 䋨ጊᒻ䊶 Ꮉ 䋩 㪋ᐕ䋨㪈㪌㪍㪈䋩 㐳Ḯኹ䇭ᧁㅧ ㄸᅤ ထ 䇭䋨ጊᒻ䊶ጊᒻᏒ䋩 㪍ᐕ䋨㪈㪌㪍㪊䋩 ᱜᔨኹ䇭ᧁㅧ㒙ᒎ㒚ᅤ ထ 䇭䋨ጊᒻ䊶 㣔 䋩 ᄤᱜ㪈㪌ᐕ䋨㪈㪌㪏㪎䋩 ኹ䇭ᧁㅧච 㕙 㖸 ထ 䇭䋨ጊᒻ䊶 ᴛᏒ ᄤᱜ㪈㪍ᐕ䋨㪈㪌㪏㪏䋩 㐳 ኹ䇭ᧁㅧᄢᣣᅤ 䋨 䋩ထ 䇭䋨ṑ 䋩 ᄤᱜ㪈㪎ᐕ䋨㪈㪌㪏㪐䋩 ᘮ㐳㪋ᐕ䋨㪈㪌㪐㪐䋩 㪍 ᣇኹ䇭ᧁㅧ ⑲ศထ 䋨੩ㇺ䋩 ᘮ㐳㪏ᐕ䋨㪈㪍㪇㪊䋩 㪎 㐳ਭኹ䇭ᧁㅧ㒙ᒎ㒚ᅤ 䋨ጘ㒂䋩 ᘮ㐳㪈㪇ᐕ䋨㪈㪍㪇㪌䋩 㪈 㪉 㪊 㪋 㪌 図4 山形市長源寺 木造釈迦如来坐像 左 墨書銘 右上 像底 右下 50 䇭ᢥ 䇸 ᄢ Ꮷ䇭ᄢ ᴺ ㅧ䇭 ᐕව ᣣ䇭ᣉਥᾢ㊁㜞ᨋ䂔䇹 䇸䋨ਛ 䋩 䇭ᄢ Ꮷᄢ ᴺ 䇭ᐽ 䇭 ᐕ ศᣣ䇹 䇸 ᚲ䇭ᄢ ᴺශㅧ䇭ᄤᱜච ᐕ ศᣣ䇭੫ㆆ䇭ᔃ ᢧ䇹 䇸ᄤᱜච ᐕ ศᣣ䇭 ᄢ Ꮷ䇭ᴺශ䇭ᐽ䋨 䋩䇭หᄢᑽ䋨 䋩䇹 䇸 ᄢ Ꮷ䇭ᐽ 䇭หሶᄢᑽ䇭ᄤᱜච ᐕ ᑮ ᣣ䇹 䇸 ᄢ Ꮷᴺශᐽ 䇹䇭䇸ᄢᑽ 䇹䇭䇸ᘮ㐳 ᐕ䇹䇭䇸ᘮ㐳 ᐕ䇹 䇸 䇭ᄢ Ꮷ䇭ᄢ ᴺශ䇭ᐽ ㅧ䇭ᘮ㐳චᐕ䇭 ᣣ䇹 図5 白鷹町正念寺 木造阿弥陀如来坐像 図6 米沢市西明寺 木造十一面観音菩薩坐像注8

30 図 7 滋 賀 県 長 命 寺 注 9 木 造 大 日 如 来 坐 像 図 8 岐 阜 県 長 久 寺 注 10 木 造 阿 弥 陀 如 来 立 像 と 面 部 前 面 材 内 側 の 墨 書 銘 B. 白 鷹 町 相 応 院 木 造 大 日 如 来 坐 像 1はじめに 白 鷹 町 鮎 貝 にある 相 応 院 は 置 賜 地 方 から 大 井 沢 大 日 寺 を 経 て 出 羽 三 山 へと 向 かう 道 を 開 拓 したことで 知 られる 道 智 上 人 によって 応 永 年 間 (1394~1427)に 開 山 された 真 言 宗 豊 山 派 の 寺 院 である 本 センターで は 平 成 26 年 3 月 ~4 月 に 開 催 された 白 鷹 町 文 化 交 流 センターあゆーむでの 企 画 展 白 鷹 町 の 仏 像 3 相 応 院 の 文 化 財 展 に 際 して 展 示 企 画 を 担 当 した 学 芸 員 の 宮 本 氏 から 展 覧 会 事 前 調 査 の 依 頼 を 受 け 相 応 院 の 諸 尊 の 詳 細 調 査 を 実 践 した 本 報 告 書 では 調 査 した 諸 尊 のうち 相 応 院 の 本 尊 として 本 堂 須 弥 壇 に 安 置 され る 木 造 大 日 如 来 坐 像 について 報 告 したい 2 調 査 報 告 法 量 (cm ) 本 体 : () 形 状 本 体 : 金 剛 界 大 日 如 来 高 髻 地 髪 毛 筋 彫 り 宝 冠 を 戴 く 白 毫 玉 眼 嵌 入 耳 朶 貫 通 耳 甲 介 を 深 く 彫 り 耳 輪 脚 を 入 れる 鬢 髪 一 条 耳 を 渡 る 三 道 彫 出 智 拳 印 を 結 ぶ 胸 飾 臂 釧 腕 釧 を 付 ける 条 帛 は 襷 掛 けに し 左 肩 上 でたくし 込 み 胸 前 でその 一 部 を 一 重 目 の 条 帛 の 下 から 出 し 腹 前 にて 上 方 から 出 す 裙 を 着 け る 右 足 を 上 にして 結 跏 趺 坐 する 品 質 構 造 本 体 : 寄 木 造 玉 眼 白 毫 水 晶 嵌 入 髻 は 基 部 地 髪 部 を 含 んで 前 後 二 材 矧 付 頭 部 は 髪 基 部 を 中 心 に 後 頭 部 両 側 頭 部 前 方 部 の 四 材 を 矧 付 ( 箱 組 み 状 ) それにさらに 面 相 部 材 を 矧 付 ける 体 部 は 表 面 塗 膜 が 健 常 のた め 不 明 両 大 腿 部 奥 三 角 材 矧 付 両 肩 以 下 矧 付 両 臂 釧 下 部 で 矧 付 両 前 膊 部 別 材 矧 付 裳 先 部 一 材 矧 付 両 脚 前 は 前 方 一 材 左 右 側 面 材 の 三 材 矧 付 か 底 板 を 貼 る 脚 部 前 方 材 と 裳 先 材 にかけて 板 状 枘 肉 身 は 金 泥 衣 部 は 漆 箔 銘 文 光 背 背 面 金 剛 界 大 日 如 来 寛 政 八 辰 年 京 仏 師 福 地 善 慶 作 * 寛 政 8 年 (1796) 3まとめ 銘 文 により 本 像 が 京 仏 師 福 地 善 慶 によって 寛 政 8 年 (1796)に 制 作 されたことが 分 かる また 相 応 院 に 伝 わる 第 38 世 住 職 の 真 定 によって 大 正 15 年 に 記 された 旭 嶺 録 には 相 応 院 の 縁 起 や 什 物 目 録 などが 記 Ⅰ. 制 作 者 に 着 目 した 文 化 遺 産 の 研 究 51

31 されており その中の本像の記述の欄に 京 建仁寺仲門前住 禁裏宮法橋家大宮大仏師 福地善慶作 と 記されている 制作者である福地善慶は 本朝大佛師正統系図 幷末流 にその名が確認され 三十一代康朝の弟子と記 載されている仏師である 旭嶺録 にある 建仁寺仲門前住 禁裏宮法橋家大宮大仏師 の記述や 光背 に七条仏所の記載がみられないことは 福地善慶が七条仏所での修業を終えて独立した後に本像を制作した ことを示すものと推測される 本像の造形は 七条仏所が踏襲してきた運慶様を示すもので 装身具や台座 光背などを含めて随所に堅実な表現を見せる秀逸な作である 従来の研究では仏像の造像が衰退期に入って いたとされてきた江戸時代後期において このような完成度の高い造像事例が山形地方において確認された ことを特筆したい 図9 相応院 福地善慶作 木造大日如来坐像 C 山形市金勝寺釈迦三尊像および十六羅漢像 五百羅漢像 ①はじめに 山形市にある仏母山金勝寺は 暦応3年 1340 に臨済宗の寺院として開山され 応永17年 1410 には 山形二代目城主斯波直家公の菩提寺となり さらに1530年頃に三光存辰によって曹洞宗に改宗され現在に 至っている なお 三光存辰は本研究にて調査研究を実践している大江町巨海院の開山者と同一人物である注11 本堂裏手にある五百羅漢堂には 釈迦三尊像を本尊として十六羅漢像 五百羅漢像が安置されている こ れらは 寺伝では林家仏師治作が師事したと推定している七条仏師三十代康傳とその次代三十一代康朝の造 立とされていたため 諸尊の調査を実践することとした 図10 金勝寺五百羅漢堂内部 中央最上段に釈迦三尊像 その前 左右に十六羅漢像を配する 中央の下段や左右には 五百羅漢像が配されている 図11 金勝寺十六羅漢像 52

32 2 調 査 結 果 五 百 羅 漢 像 は 表 面 の 彩 色 の 損 傷 が 著 しかったため 現 在 山 形 市 内 の 仏 壇 業 者 によって 随 時 塗 り 替 え 修 理 が 実 践 されている 最 中 である 五 百 羅 漢 像 の 修 理 を 担 当 されている 仏 壇 業 者 に 聞 き 取 りとしたところ 五 百 羅 漢 像 には 制 作 年 や 制 作 者 を 記 した 墨 書 銘 などは 確 認 できなかったとの 情 報 を 得 た 一 方 の 十 六 羅 漢 像 は 制 作 当 初 の 尊 容 のままで 現 代 まで 伝 わっているが 本 センターによって 像 底 台 座 底 部 などの 調 査 確 認 を 行 って みたところ 残 念 ながら 墨 書 銘 などを 確 認 することができなかった では 金 勝 寺 五 百 羅 漢 像 の 制 作 者 を 七 条 仏 師 三 十 代 康 伝 と 三 十 一 代 康 朝 とする 寺 伝 の 典 拠 はどこにあるか 注 12 といえば 五 百 羅 漢 像 を 輸 送 した 際 に 用 いられた 金 勝 寺 に 伝 わる 荷 札 の 記 述 によるとされている その 荷 注 13 札 には 以 下 のように 記 されている 荷 札 表 : 大 阪 上 労 町 室 屋 彦 史 朗 殿 ヤンベ 金 勝 寺 荷 物 二 箇 内 酒 田 船 問 屋 太 田 屋 甚 兵 ヱ 殿 大 そ んじぬき 物 御 用 心 羽 州 最 上 長 崎 円 同 寺 大 和 尚 様 運 賃 酒 田 迄 拂 大 仏 師 職 法 眼 七 条 左 京 荷 札 裏 : 海 上 安 全 申 六 月 二 十 三 日 従 室 町 錦 小 路 上 町 荷 札 の 記 述 からは 五 百 羅 漢 像 が 大 阪 から 酒 田 を 経 て 最 上 川 で 内 陸 へ 運 ばれ 長 崎 ( 山 形 県 中 山 町 )の 円 同 寺 を 経 由 して 金 勝 寺 に 輸 送 されたことが 分 かり 制 作 者 は 室 町 錦 小 路 上 町 に 居 していた 大 仏 師 法 眼 七 条 左 京 であることが 記 されている また 輸 送 された 年 号 の 記 載 には 申 とあるだけである 本 像 が 制 作 されたと 推 定 される 江 戸 時 代 後 期 頃 の 申 年 は 文 化 9 年 (1812) 文 政 7 年 (1824) 天 保 7 年 (1836) 嘉 永 元 年 (1848)などが 可 能 性 として 考 えられるが 寺 の 記 録 によれば 五 百 羅 漢 堂 は 金 勝 寺 十 七 世 住 持 太 素 慧 元 ( 在 位 期 間 : 文 化 5 年 (1808)~ 安 政 2 年 頃 (1855))によって 発 願 され 天 保 3 年 (1832)に 棟 上 げ 式 を 行 って 天 保 6 年 (1835)に 完 成 し 天 保 7 年 (1836)に 五 百 羅 漢 像 が 京 都 より 運 搬 されたと 伝 えられてい るため 荷 札 の 申 の 年 号 は 天 保 7 年 (1836)である 可 能 性 が 高 いと 考 えられる 以 上 の 荷 札 の 記 述 の 検 証 を 踏 まえて 七 条 仏 師 の 系 図 を 記 した 本 朝 大 佛 師 正 統 系 図 幷 末 流 の 記 述 と 照 合 してみると この 頃 に 荷 札 にある 法 眼 位 を 有 していた 仏 師 は 三 十 代 康 伝 三 十 一 代 康 朝 であり 次 代 の 三 十 二 代 康 勝 は 僧 綱 位 を 得 ていないことから 寺 伝 では 五 百 羅 漢 像 の 作 者 を 康 伝 と 康 朝 と 推 定 したものと 思 われる しかし 三 十 代 康 伝 は 寛 政 5 年 (1793)に 没 しているため 寺 伝 の 康 伝 の 関 与 の 推 定 は 誤 ってい るものと 思 われる 一 方 の 康 朝 もまた 文 政 元 年 (1818)に 没 しているため これもまた 誤 りである では 荷 札 の 年 号 を 天 保 7 年 (1836)とした 場 合 の 室 町 錦 小 路 上 町 に 居 していた 大 仏 師 法 眼 七 条 左 京 とは 誰 なのであろうか そのような 疑 問 を 感 じながら 諸 尊 の 中 央 最 上 段 に 安 置 されている 本 尊 釈 迦 如 来 坐 像 の 台 座 天 板 底 部 を 確 認 したところ 以 下 の 墨 書 銘 が 新 たに 確 認 された 五 百 羅 漢 堂 本 尊 釈 迦 如 来 坐 像 台 座 天 板 底 部 墨 書 銘 : 文 政 元 戊 寅 年 大 仏 師 法 橋 七 條 左 京 正 流 三 十 三 世 作 文 政 元 年 (1818) 図 12 金 勝 寺 五 百 羅 漢 堂 本 尊 釈 迦 如 来 三 尊 像 図 13 釈 迦 如 来 像 台 座 天 板 底 面 Ⅰ. 制 作 者 に 着 目 した 文 化 遺 産 の 研 究 53

33 釈 迦 如 来 三 尊 像 は 五 百 羅 漢 像 の 本 尊 であるため 墨 書 銘 に 記 されている 大 仏 師 七 條 左 京 三 十 三 世 が 釈 迦 三 尊 像 十 六 羅 漢 像 五 百 羅 漢 像 の 制 作 を 統 括 した 仏 師 であったと 推 定 される この 銘 文 の 発 見 により 諸 尊 の 制 作 者 が 判 明 したものと 思 われたが この 墨 書 銘 の 記 述 は 前 述 した 五 百 羅 漢 像 の 制 作 者 の 典 拠 とされ ていた 荷 札 の 記 述 と 齟 齬 があることに 気 づく 2つの 記 述 の 主 な 違 いは 荷 札 では 申 年 に 大 仏 師 法 眼 七 条 左 京 とあるのに 対 し 釈 迦 像 墨 書 銘 では 文 政 元 年 に 大 仏 師 法 橋 七 條 左 京 とある 点 である では それらの 相 違 点 を 踏 まえ 今 一 度 七 条 仏 所 関 係 の 資 料 や 先 行 研 究 と 照 合 し 諸 尊 の 制 作 者 の 考 察 検 証 を 行 っ てみたい まずは 釈 迦 像 墨 書 銘 の 記 載 から 検 証 してみたい 墨 書 銘 にある 文 政 元 年 の 年 号 を 本 朝 大 佛 師 正 統 系 図 幷 末 流 にある 仏 師 の 生 没 年 と 照 合 すると この 年 に 存 命 していたのは 三 十 二 代 康 勝 三 十 三 代 康 布 三 十 四 代 康 敬 の3 名 となる 次 に 法 橋 位 を 得 たもので 見 ると 前 掲 系 図 の 記 載 では 先 の3 名 のうちでは 康 敬 しか いない しかし 同 系 図 では 康 敬 は 墨 書 にある 三 十 三 世 ではなく 三 十 四 代 と 記 載 されていることに 齟 齬 が ある そこで 次 に 七 条 左 京 の 系 譜 を 記 した 資 料 に 注 目 してみたい 天 保 13~15 年 頃 に 書 かれた 地 下 家 傳 には 七 条 左 京 家 の 仏 師 名 が 記 載 されている それによれば 大 仏 師 七 条 左 京 として 康 音 康 伝 康 朝 康 勝 康 敬 康 教 の 名 前 が 生 没 年 や 僧 綱 位 とともに 記 されている そして 地 下 家 傳 には 本 朝 大 佛 師 正 統 系 図 幷 末 流 には 記 されている 三 十 三 代 康 布 の 名 前 がないこ とが 大 きな 違 いとして 注 目 される 康 布 が 地 下 家 傳 に 記 載 されていない 理 由 としては 康 勝 が 文 政 2 年 (1819) 三 月 五 日 に 病 気 のため 辞 位 していることと その 前 年 の 文 政 元 年 (1818)に 康 敬 が 法 橋 を 叙 位 して いる 記 述 から 七 条 左 京 の 正 流 が 康 勝 から 康 敬 へと 継 承 されていると 解 釈 でき したがって 康 布 は 七 条 左 京 の 正 流 を 継 いでいない 可 能 性 があることが 地 下 家 傳 の 記 述 から 推 察 できる つまり 地 下 家 傳 の 記 注 14 載 では 七 条 左 京 家 の 系 譜 の 世 代 数 の 三 十 三 代 目 は 康 敬 ということになる 表 2 江 戸 時 代 後 期 の 七 条 仏 所 正 流 仏 師 一 覧 では 先 に 指 摘 した 金 勝 寺 の2つの 資 料 にみる 年 号 と 僧 綱 位 の 齟 齬 について 検 証 したい まずは 僧 綱 位 の 記 述 の 差 異 について 考 察 してみたい 荷 札 にある 法 眼 位 を 有 していた 仏 師 は 前 述 した とおり 三 十 代 康 伝 と 三 十 一 代 康 朝 しかいないが 荷 札 にある 申 年 と 推 定 される 天 保 7 年 (1836)には 両 名 とも 存 命 していない また 三 十 五 代 康 教 が 法 眼 位 を 有 していたとの 記 載 が 本 朝 大 佛 師 正 統 系 図 幷 末 流 にみられるが 康 教 が 法 橋 位 に 叙 されたのが 嘉 永 6 年 (1853)であることが 地 下 家 傳 の 記 載 からわ かるため 康 教 は 天 保 7 年 (1836)の 時 には 僧 綱 位 を 全 く 得 ていないことになる つまり 現 在 確 認 されて いる 七 条 仏 師 関 係 の 資 料 や 先 行 研 究 からは 荷 札 にある 天 保 7 年 に 法 眼 位 を 有 していた 七 条 仏 師 を 確 認 する ことができないのである 続 いて 年 号 について 考 察 してみたい 金 勝 寺 の 五 百 羅 漢 堂 の 諸 尊 の 造 像 は 釈 迦 三 尊 像 十 六 羅 漢 像 五 百 羅 漢 像 の 一 具 をまとめて 七 条 仏 師 に 発 注 したものと 推 測 されている そして 五 百 羅 漢 像 の 本 尊 である 釈 迦 像 を 金 勝 寺 から 受 けた 一 連 の 造 像 発 注 の 最 初 期 に 造 像 したと 仮 定 すると 文 政 元 年 (1818)に 釈 迦 三 尊 像 の 造 像 を 開 始 し 18 年 間 をかけて 五 百 羅 漢 像 を 含 む 諸 尊 の 造 像 を 行 い 天 保 7 年 (1836)に 金 勝 寺 に 納 品 し たと 考 えられる この 仮 説 に 則 れば 記 述 の 年 号 の 差 異 を 説 明 することができる そして 文 政 元 年 (1818) から 天 保 7 年 (1836)に 活 動 していた 七 条 左 京 の 仏 師 を 先 の 七 条 仏 師 関 連 の 資 料 の 検 証 結 果 から 推 定 すると 両 年 を 跨 いで 活 動 していた 仏 師 は 康 敬 一 名 しか 存 在 していないことになるのである これらの 資 料 の 記 述 や 考 察 を 総 合 して 検 討 すると 荷 札 と 釈 迦 像 墨 書 銘 の 記 述 にみられる 記 載 の 齟 齬 は 僧 綱 位 だけということになる 現 在 の 確 認 されている 資 料 では 康 敬 が 法 橋 位 を 除 したのが 文 政 元 年 (1818) であることだけが 判 明 しているが 天 保 7 年 ( 1836)までに 康 敬 が 法 眼 位 を 叙 した 可 能 性 も 考 えられるため そ れらの 今 後 の 検 証 を 進 めていきたい また 荷 札 の 記 述 は 仏 師 本 人 が 記 したものではない 可 能 性 も 考 えら 54

34 れるため 記 載 した 人 物 が 法 橋 と 法 眼 を 間 違 えたことも 可 能 性 として 考 えられよう 以 上 の 考 察 の 結 果 をまとめると 金 勝 寺 五 百 羅 漢 堂 諸 尊 の 制 作 者 および 造 像 経 緯 は 文 政 元 年 に 七 条 左 京 の 三 十 三 世 で 法 橋 位 を 有 した 大 仏 師 である 康 敬 を 棟 梁 として 造 像 され 天 保 7 年 (1836)に 金 勝 寺 に 輸 送 されたと 結 論 づけることができる いずれにしても 五 百 羅 漢 諸 尊 の 造 像 は 堂 宇 の 建 立 も 含 めて 金 勝 寺 にとっての 一 大 事 業 であり 今 回 の 本 センターの 調 査 によって 判 明 した18 年 間 に 渡 る 七 条 仏 師 康 敬 を 中 心 とした 造 像 活 動 は 発 願 者 である 十 七 世 住 持 太 素 慧 元 の 尽 力 と 多 くの 寄 進 者 による 支 援 に よって 実 現 したことが 窺 い 知 れる 金 勝 寺 の 一 連 の 五 百 羅 漢 の 造 営 は 江 戸 時 代 後 期 にこのような 一 大 事 業 が 山 形 において 成 されたこと それに 京 都 の 七 条 仏 師 や 当 時 の 山 形 文 化 の 活 力 が 窺 い 知 れる 点 で 極 めて 興 味 深 い 事 例 である (3)まとめと 今 後 の 展 望 平 成 25 年 度 の 調 査 研 究 では 24 年 度 までの 林 家 仏 師 の 師 であると 推 定 した 七 条 仏 師 三 十 代 康 傳 ( 伝 )の 研 究 を 基 盤 として 室 町 時 代 後 期 から 江 戸 時 代 初 期 にかけての 大 貳 ( 康 住 )と 大 貳 ( 猶 子 )の 活 動 を 作 例 に 記 された 銘 文 から 考 察 を 行 うとともに 江 戸 時 代 後 期 の 三 十 一 代 康 朝 の 弟 子 福 地 善 慶 の 造 像 事 例 を 紹 介 し 山 形 市 金 勝 寺 の 釈 迦 三 尊 像 および 十 六 羅 漢 像 五 百 羅 漢 像 の 制 作 者 を 三 十 四 ( 三 十 三 ) 代 康 敬 とする 見 解 につ いての 成 果 を 述 べた この25 年 度 の 補 足 的 な 調 査 研 究 により 室 町 時 代 後 期 から 江 戸 時 代 末 期 にかけて 山 形 の 寺 院 からの 発 注 を 受 けて 七 条 仏 師 が 継 続 的 に 活 動 を 行 っていたことが 明 らかとなってきた これらの 七 条 仏 所 の 正 流 仏 師 の 他 にも 本 研 究 での 平 成 22 年 度 の 調 査 において 大 江 町 法 界 寺 の 本 尊 であ る 釈 迦 如 来 三 尊 像 が 京 仏 師 である 前 田 祐 慶 の 制 作 であることを 確 認 している 前 田 祐 慶 なる 人 物 の 詳 細 は 今 のところ 明 らかとはなっていないが 江 戸 時 代 中 期 の 仏 師 などを 記 した 京 羽 二 重 に 法 橋 祐 慶 の 名 注 15 がみられ この 人 物 が 年 代 的 な 一 致 からみて 前 田 祐 慶 のことである 可 能 性 も 考 えられよう また 本 報 告 書 の 高 畠 町 玉 龍 院 五 百 羅 象 の 保 存 修 復 に 関 する 提 案 (pp.428~430)で 報 告 した 高 畠 町 玉 龍 院 の 五 百 羅 漢 像 の 制 作 者 である 庄 司 覚 太 も 同 時 代 の 七 条 仏 所 に 近 い 仏 師 であると 推 定 されている 現 段 階 では これらの 京 都 の 仏 師 の 活 動 が 山 形 において 展 開 された 背 景 についての 十 分 な 解 明 はできては いないが 山 形 における 七 条 仏 師 や 京 仏 師 が 制 作 した 仏 像 はいずれもハイクオリティかつ 大 規 模 な 造 像 事 例 であることから その 造 像 を 可 能 にした 当 時 の 山 形 の 寺 院 が 有 していた 財 力 と 依 頼 能 力 の 高 さが 窺 い 知 れる また 本 報 告 書 で 示 したように 七 条 仏 師 らが 本 尊 クラスの 仏 像 や 五 百 羅 漢 などの 大 規 模 造 像 を 主 に 請 け 負 っ ている 事 実 から 仏 像 を 発 注 する 寺 院 の 七 条 仏 師 に 対 する 特 別 な 位 置 づけが 垣 間 見 え 七 条 仏 師 の 存 在 やそ の 造 像 作 品 が 当 時 高 いブランド 力 を 持 っていたことが 推 察 できる また 大 江 町 を 拠 点 に 活 動 した 林 家 仏 師 も 七 条 仏 師 のブランド 力 に 魅 了 され 彼 らに 師 事 を 仰 ぐことで 地 元 での 活 動 の 基 盤 を 形 成 していったので はなかろうか そのような 七 条 仏 師 を 中 心 とした 造 像 活 動 の 波 及 性 について 今 後 も 検 証 していきたい また これらの 七 条 仏 師 への 造 像 発 注 からみえる 本 尊 クラスの 造 像 にできるだけ 質 の 良 いものを 求 める 様 子 は 現 代 において 有 名 ブランドの 商 品 を 欲 することとなんらかわりがないのではなかろうか そして 当 時 において 決 して 安 価 ではなかったであろう 七 条 仏 師 への 造 像 発 注 の 背 景 には それを 可 能 にした 当 時 の 山 形 経 済 の 潤 いが 窺 い 知 れて 興 味 深 い 今 後 七 条 仏 師 の 造 形 的 な 研 究 のみならず その 造 像 や 発 注 を 支 えた 当 時 の 山 形 文 化 の 背 景 について 検 証 を 深 めていくことで 当 時 の 山 形 における 総 合 的 な 文 化 力 について 考 察 していきたい ( 岡 田 ) Ⅰ. 制 作 者 に 着 目 した 文 化 遺 産 の 研 究 55

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