目 次 : 凡 例 :...4 序 論 :...5 第 一 部 : アルセスト 上 演 まで...15 第 一 章 コルネイユと プシシェ 第 一 節 プシシェ の 内 容...16 第 二 節 コルネイユの 驚 くべきもの の 考 えと 当 時 の 宮 廷 での 古 代 神 話

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1 東 京 藝 術 大 学 大 学 院 音 楽 研 究 科 博 士 論 文 驚 くべきもの le merveilleux の 概 念 から 見 たフランス オペラの 成 立 リュリ/キノーのオペラを 巡 るペローとラシーヌの アルセスト 論 争 を 中 心 に 平 成 二 十 五 年 度 村 山 則 子 0

2 目 次 : 凡 例 :...4 序 論 :...5 第 一 部 : アルセスト 上 演 まで...15 第 一 章 コルネイユと プシシェ 第 一 節 プシシェ の 内 容...16 第 二 節 コルネイユの 驚 くべきもの の 考 えと 当 時 の 宮 廷 での 古 代 神 話 の 流 行...18 第 三 節 コルネイユのオペラ 成 立 に 与 えた 影 響 と 問 題 点...21 第 二 章 ペランとカンベールの ポモーヌ...23 第 一 節 ペランの 手 紙 と リリック 技 法...23 第 二 節 ポモーヌ について...26 第 三 節 フランス オペラ 成 立 におけるペランの 役 割...28 第 三 章 王 立 音 楽 アカデミー 設 立 とリュリ...30 第 一 節 リュリの 経 歴 とモリエールとのコメディ=バレエ...30 第 二 節 トラジェディ アン ミュジックの 確 立 とレシタティフ...32 第 三 節 その 他 の 音 楽 形 式...35 第 一 項 エールについて...35 第 二 項 ディヴェルティスマンと 合 唱 について...36 第 三 項 リュリの 器 楽 曲 について...37 第 四 節 リュリによるトラジェディ アン ミュジックの 成 立...37 第 四 章 キノーについて...39 第 一 節 キノーの 経 歴...39 第 二 節 劇 作 家 とオペラ 戯 曲 家 としてのキノー...40 第 三 節 キノーのオペラ 作 品 の 構 造...42 第 四 節 キノーのオペラの 作 風...43 第 五 節 キノーのトラジェディ アン ミュジック 成 立 における 役 割...45 第 二 部 : アルセスト 論 争 1 ペローによる アルセスト 批 評

3 第 一 章 アルセスト の 作 品 分 析...46 第 一 節 キノーがエウリピデスを 題 材 とした 理 由...46 第 二 節 アルセスト の 戯 曲 構 造 古 典 悲 劇 との 比 較...48 第 三 節 アルセスト におけるリュリの 音 楽...49 第 四 節 エウリピデス アルケスティス の 梗 概...51 第 五 節 アルセスト 作 品 分 析...54 第 二 章 アルセスト 批 評 1- アルセスト 上 演 を 取 り 巻 く 状 況...69 第 一 節 シャルル ペローと 小 アカデミー の 役 割...69 第 二 節 アルセスト 上 演 における 反 応...73 第 三 節 アルセスト 批 評 導 入 部 と アルセスト 上 演 時 の 陰 謀...76 第 四 節 当 時 の アルセスト 上 演 を 取 り 巻 く 状 況...80 第 三 章 アルセスト 批 評 2- 本 論 の 展 開...82 第 一 節 アルセスト 批 評 前 半 筋 の 展 開 からエウリピデスとキノーの 比 較...83 第 二 節 アルセスト 批 評 後 半 驚 くべきもの について...95 第 三 節 アルセスト 批 評 に 賭 けられていたもの 第 三 部 : アルセスト 論 争 2 ラシーヌの 批 判 とペローの 反 駁 第 一 章 イフィジェニー 上 演 第 一 節 ラシーヌとオペラ 第 二 節 イフィジェニー 上 演 とオペラの 影 響 第 三 節 イフィジェニー の 梗 概 第 一 項 エウリピデス アウリスのイピゲネイア 梗 概 第 二 項 ラシーヌの イフィジェニー 梗 概 第 二 章 イフィジェニー 序 におけるラシーヌのオペラ 批 判 第 一 節 ラシーヌと 驚 くべきもの の 概 念 第 一 項 超 自 然 的 な 驚 くべきもの 第 二 項 筋 の 展 開 からの 驚 くべきもの 第 三 項 ラシーヌによるエウリピデスの 変 更 第 二 節 ラシーヌによる アルセスト 批 評 の 批 判 第 三 節 ラシーヌの イフィジェニー 序 の 問 題 点 第 三 章 ペローの 反 駁 と アルセスト 論 争 の 纏 め

4 第 一 節 ペローの 反 駁 第 二 節 古 典 悲 劇 の 変 容 第 三 節 当 時 のオペラの 人 気 第 四 節 アルセスト 論 争 の 纏 めと 問 題 点 第 四 章 ペローとラシーヌ/ボワローとの 新 旧 論 争 および アルミード 第 一 節 アルセスト 論 争 後 のラシーヌのオペラの 試 み エステル と アタリー 第 二 節 ボワローのキノー 批 判 とヴォルテールによるキノー 擁 護 第 三 節 アティス と アルミード について 第 一 項 テゼー と アティス 第 二 項 アルミード について 第 四 節 ペローによる 新 旧 論 争 とそのオペラ 美 学 の 完 成 第 五 節 その 後 のキノー 結 論 参 考 文 献 表 参 考 図 版

5 凡 例 作 品 名 書 名 雑 誌 名 著 者 引 用 による 原 典 における 引 用 符 音 楽 作 品 名 譜 例 楽 曲 名 図 例 原 文 中 の 大 文 字 表 記 和 文 引 用 文 原 典 における 引 用 符 筆 者 による 強 調 語 句 [ ] 中 略 ( ) 固 有 名 詞 の 原 名 [=] 著 者 による 補 足 名 詞 の 並 列. 欧 米 単 語 の 省 略 傍 点 原 典 本 文 でイタリック 字 体 により 記 された 語 句 譜 例 の 楽 譜 はすべて 以 下 を 参 照 した Jean-Baptiste Lully, Alceste, Chefs-d œuvre classiques de l opéra français. New York: Broude Brothers, 原 題 名 及 び 脚 注 に 付 け 加 えた 世 紀 の 主 な 原 典 の 引 用 文 は アクサン 記 号 や 綴 りの 差 異 を 含 めて すべて 原 文 通 り 記 載 した 4

6 序 論 フランス オペラはそれまでの 宮 廷 バレエ パストラル 劇 古 典 劇 イタリア オペラ 機 械 仕 掛 け 劇 などの 影 響 下 に 17 世 紀 後 半 ルイ 14 世 治 世 時 代 に 成 立 を 見 た その 際 オ ペラは 常 に 当 時 の 古 典 悲 劇 との 比 較 において 論 じられ 評 価 されてきた それにはオペラ の 形 式 を 確 立 したとされるキノー (Philippe Quinault) /リュリ (Jean-Baptiste Lully) の 作 品 が 悲 劇 tragédie あるいは トラジェディ アン ミュジック tragédie en musique と 銘 打 っており 古 典 悲 劇 に 対 抗 して 古 代 ギリシア 悲 劇 の 復 活 を 目 指 していたこと また 当 時 の 人 々にとってオペラはそれまでの 演 劇 の 新 しい 一 分 野 と 考 えられたという 事 情 があ る このオペラという 新 しい 舞 台 作 品 は 古 典 劇 以 上 に 聴 衆 の 人 気 を 博 したために 古 典 劇 側 にとって 看 過 できない 状 況 となった よって 自 らの 立 場 を 堅 持 しようと 古 典 劇 側 からのオ ペラに 対 する 批 判 や 攻 撃 が 起 こり フランス オペラ 成 立 にはまずこれらの 批 判 攻 撃 を 乗 り 越 え 新 しい 美 学 を 構 築 する 必 要 があった そのオペラ 側 と 古 典 劇 側 との 間 で 最 初 に 展 開 された 論 争 が 本 論 で 取 り 上 げる アルセスト 論 争 である 古 典 劇 側 からのオペラ 批 判 はキノーの 戯 曲 台 本 に 集 中 した よって アルセスト 論 争 は 文 学 論 争 の 様 相 を 呈 するが 同 時 にそれは 当 時 の 社 会 構 造 や 人 々の 趣 味 趣 向 など 社 会 全 体 の 動 向 にまで 触 れる 論 争 であったと 思 われる 本 論 では アルセスト 論 争 を 経 て オペラが 成 立 していく 過 程 を これら 当 時 の 社 会 状 況 への 考 察 を 見 据 えながら 主 に 驚 くべきもの le merveilleux の 概 念 から 考 察 することとする この 序 論 ではまず 17 世 紀 オペラ 成 立 時 には 驚 くべきもの には 二 つの 概 念 があった ことを 確 認 しておきたい 第 一 に 超 自 然 的 な 舞 台 上 の 表 象 を 意 味 する 驚 くべきもの の 概 念 である これまでフランス オペラ 理 論 においては 機 械 仕 掛 けを 用 い 古 代 神 話 の 神 々 が 登 場 するいわゆる デウス エクス マーキナーdeus ex machina や 魔 術 的 なもの 奇 跡 的 なもの 天 変 地 異 などの 超 自 然 的 なものの 表 象 が 驚 くべきもの と 見 なされてき た その 概 念 は 18 世 紀 に 芸 術 論 を 書 いたバトゥー 師 (abbé Charles Batteux) や 戯 曲 家 でありダンスの 専 門 家 であったカユザック (Louis de Cahusac) 等 のオペラに 関 する 理 論 によって 規 定 され 以 来 今 日 においても 音 楽 学 者 カンツレル 1 やアンソニー2などによって 超 自 然 的 な 意 味 に 限 定 して 使 用 されている バトゥー 師 は 1746 年 その 著 作 でこう 述 べる 二 種 類 の 悲 劇 がありうる 一 方 は 英 雄 的 な 種 類 でそれは 単 に 悲 劇 と 呼 ばれる 他 方 は 驚 くべきものでそれは 音 楽 劇 あるいは オペラ と 名 付 けられた 驚 くべ きもの le merveilleux は 第 一 の 舞 台 からは 除 外 される なぜならそこでは 人 間 が 人 間 と して 振 舞 うからである それに 引 き 換 え 第 二 の 舞 台 では 神 は 神 として 超 自 然 的 な 1 カンツレルのオペラに 関 する 研 究 には 以 下 の 著 作 などがある Catherine Kantzler, Jean-Philippe Rameau, splendeur et naufrage de l esthétique du plaisir à l âge classique (Paris: Minerve, 1988). Poétique de l opéra français de Corneille à Rousseau (Paris: Minerve, 1991). Théâtre et opéra à l âge classique (Paris: Fayard, 2004). 2 James R. Anthony, French Baroque Music from Beaujoyeulx to Rameau (Portland: Amadeus Press, 1997). 5

7 すべての 力 を 持 った 姿 で 行 動 する 3 以 上 が 18 世 紀 バトゥー 師 により 定 義 されたオペラについての 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 である 17 世 紀 トラジェディ アン ミュジックが 復 活 を 目 指 した 古 代 ギリシア 悲 劇 において アリストテレス (Aristotelēs) は 機 械 仕 掛 けの 神 々が 登 場 する 超 自 然 的 な 驚 くべきもの ついて 次 のように 述 べる [...] 筋 の 解 決 もまた 筋 そのものから 生 じなければならないことは 明 らかである [...] しかし 機 械 仕 掛 けを 用 いる 必 要 があるとすれば それは 劇 の 外 のことがら すなわち 人 間 が 知 ることのできない 過 去 の 出 来 事 か あるいは 予 言 や 報 告 を 必 要 とする 未 来 の 出 来 事 についてである というのは 神 々が 全 知 全 能 であることをわたしたちは 認 め るからである 4 以 上 見 るように アリストテレスは 機 械 仕 掛 けを 用 いることを 進 んでは 推 奨 しなかった が 古 代 ギリシア 悲 劇 には 機 械 仕 掛 けが 使 われたこと それはギリシア 神 話 の 神 々の 介 入 に 用 いられたことに 言 及 しているといえよう 古 代 ギリシアの 悲 劇 詩 人 エウリピデス (Eurīpidēs) は 機 械 仕 掛 けを 好 んだといわれている 5 その 慣 習 をトラジェディ アン ミュ ジックが 引 き 継 ぎ ジュピテル アポロン ディアーヌなどさまざまな 神 々の 登 場 に 機 械 仕 掛 けを 用 いた また ドラポルト (Victor Delaporte) は 1891 年 の 著 作 において ルイ 14 世 治 世 当 時 驚 くべきもの の 概 念 が 宮 廷 社 会 のみならず 演 劇 叙 事 詩 古 代 神 話 寓 話 などあらゆ る 文 学 領 野 に 渡 って 用 いられ 流 行 をもたらしたことを 検 証 している 彼 は 17 世 紀 におけ る 驚 くべきもの の 概 念 の 定 義 を 同 世 紀 のイエズス 会 の 学 者 ラパン (René Rapin) の 著 作 6 から 取 り 上 げ すべての 超 自 然 的 なもの 7 とする 古 典 悲 劇 が 次 第 に 機 械 仕 掛 けの 使 用 を 禁 じたのに 対 し トラジェディ アン ミュジッ クにおいては 機 械 仕 掛 けを 多 用 した この 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 古 典 悲 劇 の 側 からは その 筋 書 きは 子 供 っぽく 荒 唐 無 稽 であり 真 実 らしさ la vraisemblance に 背 3 Charles Batteux, Les Beaux Arts réduits à un même principe, 1 ère éd. Paris, 1746 (Genève: Slatkine Reprint, 1969), p «[...]il peut y avoir aussi deux especes de Tragédie, l une héroïque, qu on appelle simplement Tragédie, l autre merveilleuse, qu on a nommée Spectacle lyrique, ou Opera. Le merveilleux est exclus de la premiere espece, parce que ce sont des hommes qui agissent en hommes; au lieu que dans la seconde, les Dieux agissant en dieux, avec tout l appareil d une puissance surnaturelle,[...]» 4 アリストテレース 詩 学 松 本 仁 助 岡 道 男 訳 東 京 : 岩 波 文 庫 1997 年 15 章 60 頁 5 同 上 頁 註 (12) 6 René Rapin, Les Réflexions sur la poétique et sur les ouvrages des poètes anciens et modernes, 1 ère éd. Paris, 1684 (Paris: Champion Classiques, 2011), p ちなみにドラポルトが 引 用 したラパンの 原 文 は 次 の 通 りである «Le merveilleux est tout ce qui est contre le cours ordinaire de la nature.» このラパンの 定 義 はよく 用 いられる が 彼 は 超 自 然 的 surnaturel という 用 語 は 用 いていない 1951 年 ルネ ブレは 同 じ 箇 所 を 彼 の 論 の 驚 く べきもの の 定 義 に 用 いるが そこではもう 一 つの 基 本 的 普 遍 的 な 驚 くべきもの の 定 義 として 用 い ている René Bray, La Formation de la doctrine classique en France, 1 ère éd. Paris, 1927 (Paris: Nizet, 1966), p Victor Delaporte, Du merveilleux dans la littérature française sous le règne de Louis XIV (Paris: Retaux-Bray, 1891), p. 8. 6

8 くとして 常 に 批 判 に 晒 されてきた サン=テヴルモン (Saint-Évremond) はフーケ 事 件 8 の あおりでイギリスに 自 主 的 に 亡 命 したが 古 典 悲 劇 擁 護 の 視 点 から 機 械 仕 掛 けの 神 々を 多 用 するオペラを 偽 の 驚 くべきもの faux merveilleux 9 として 非 難 している われわれの オペラ の 構 成 は 真 実 らしさと 驚 くべきものの 概 念 の 良 い 趣 味 を 持 った 者 には 全 く 常 軌 を 逸 していると 思 われるに 違 いない 10 こう 彼 が 非 難 するということは 逆 説 的 には 正 しい 驚 くべきもの の 概 念 が 当 時 はあっ たということを 示 唆 しているであろう 機 械 仕 掛 けを 用 い 超 自 然 的 なもの として 用 い られた 驚 くべきもの に 対 して 17 世 紀 オペラ 成 立 時 にはもう 一 つの 普 遍 的 な 驚 くべ きもの の 概 念 があった これが 第 二 の 驚 くべきもの の 概 念 である それはアリストテレス 以 来 の 筋 の 展 開 からもたらされる 驚 き/ 称 賛 という 悲 劇 の 基 本 要 素 としての 概 念 であった 17 世 紀 前 半 の 古 典 主 義 の 推 進 者 シャプラン (Jean Chapelain) は 次 のように 述 べる 叙 事 詩 と 同 様 に 劇 詩 は 人 間 的 行 為 の 模 倣 を 目 的 とし その 必 須 条 件 として 真 実 らしさ かつ 完 璧 な 劇 作 のために 驚 くべきものを 持 つ / 真 実 らしさと 驚 くべきもの le merveilleux を 技 巧 的 に 集 合 させたものから この 種 の 作 品 において 最 高 の 美 が 生 ま れる 11 シャプランはアリストテレスと 共 にイタリアの 詩 人 マリーノ (Giambattista Marino) から 影 響 を 受 けている 1623 年 マリーノの アドニス Adonis に 序 文 をつけイタリア 語 源 の la maraviglia から 驚 くべきもの を 論 じている 12 彼 は アドニス の 序 で 次 のように 言 う 外 部 から 強 いられず 要 請 も 受 けない 要 因 からの 筋 のつながりで その 結 果 事 件 が 起.. こり それが 観 客 の 期 待 と 異 なり あるいは 尋 常 なものでない 時 に その 主 題 の 資 質 年 当 時 の 財 務 卿 フーケ (Nicolas Fouquet) は 自 分 の 城 館 ヴォー=ル=ヴィコントで 若 きルイ 14 世 を 招 き 大 祝 宴 を 開 いたが その 豪 奢 さはかえって 王 の 嫉 妬 を 買 い マザラン 亡 き 後 のコルベールとの 権 力 闘 争 も 影 響 して 彼 は 同 年 9 月 に 国 費 乱 用 の 罪 で 逮 捕 され 獄 中 で 世 を 去 った なおこの 祝 宴 でモリエールは ボーシャン (Pierre Beauchamps) の 音 楽 でコメディ=バレエの 嚆 矢 とされる うるさがた Les Fâcheux を 初 演 した 9 Saint-Évremond, «Sur les Opéra à Monsieur le duc de Bouquinquant» dans L Œuvres en prose, 1 ère éd. Paris, 1684 (Paris: Marcel Didier, 1966), t. 3, p Ibid., p «[...] la constitution de nos Opera doit paroistre bien extravagante à ceux qui ont le bon goust du vray-semblable & du merveilleux;» 11 Jean Chapelain, «Discours de la poésie représentative» dans Opuscules critiques, éd. Alfred C. Hunter (Genève: Droz, 1936), p «La poésie représentative, aussi bien que la narrative, a pour objet l imitation des actions humaines, pour condition nécessaire la vraisemblance, et pour sa perfection la merveille. / De l artificiel assemblement du vraisemblable et du merveilleux naît la dernière beauté des ouvrages de ce genre;» 12 Georges Forestier, Essai de Génétique Théâtrale (Genève: Droz, 2004), p

9 が 驚 くべきもの le merveilleux を 作 り 出 す 13 シャプランは 有 名 な ル シッド 論 争 においてコルネイユを 批 判 したが 1637 年 悲 喜 劇 ル シッド に 関 するアカデミー フランセーズによる 意 見 Les Sentiments de l Académie Française sur la tragi-comédie du Cid において アカデミーを 代 表 して 次 のよう に 意 見 を 述 べる ビ ア ン セ ア ン ス これらの 規 則 [= 真 実 らしさや 適 切 さ= 節 度 ]をかくも 正 確 に 遵 守 すべく 望 まれることは 驚 くべきもの le Merveilleux を 生 み 出 すためにはなんら 別 の 手 段 はないということ である この 驚 くべきもの は 魂 を 驚 きと 快 楽 とで 魅 了 するものであり かつまた 優 れた 詩 が 有 用 性 のために 供 される 完 璧 な 方 法 である 14 現 代 において 古 典 劇 研 究 家 フォレスティエは 上 記 シャプランの 定 義 を 引 用 し その 驚... くべきもの は 並 外 れた 真 実 らしさ le vraisemblable extraordinaire から 創 り 出 され かつ 大 団 円 へと 導 き 筋 書 きを 一 気 に 解 決 する 急 転 回 la péripétie の 成 果 であるとする その 急 転 回 は 予 期 せぬやり 方 で 観 客 を 驚 かせるが その 後 には 理 性 的 に 説 明 の 付 くよ うな 方 法 によって 結 末 がもたらされる 15 フォレスティエより 早 く 1927 年 古 典 主 義 研 究 家 ルネ ブレは 17 世 紀 全 般 に 渡 って シャプランが 定 義 した 魂 を 驚 きと 快 楽 とで 魅 了 する という 概 念 が 支 配 したとする こ の 概 念 は 前 述 したように ル シッド 論 争 においてシャプランが 用 いたが その 文 脈 か らブレは 驚 くべきもの がなければ 好 奇 心 も 称 賛 も 引 き 起 こさないと 述 べる 16 彼 によ ると 驚 くべきもの の 概 念 は 17 世 紀 において 真 実 らしさ と 共 に 重 要 な 概 念 だった と その 重 要 性 を 強 調 する 叙 事 詩 や 悲 劇 での 神 々の 介 入 だけではなく 喜 劇 において 従 僕 による 急 転 回 オード における 豊 かなイメージが 驚 くべきものである この 驚 くべきもの le merveilleux は 驚 き la surprise によって 称 賛 l admiration を 引 き 起 こすすべてのものである 17 ブレによれば 喜 劇 においても 驚 くべきもの は 作 り 出 されるとする そして 17 世 紀 は 叙 事 詩 と 同 じように 悲 劇 にも 驚 くべきもの を 作 り 出 す 必 要 性 で 合 意 がなされてい たと 述 べる Jean Chapelain, «Préface de l Adonis» dans Opuscules critiques 1 ère éd. Paris, 1623, op. cit., p «[...]la nature de sujet produit le merveilleux lorsque par un enchaînement de causes non forcées ni appelées de dehors, on voit résulter des événements ou contre l attente ou contre l ordinaire;» 14 Jean-Marc Civardi, La querelle du Cid ( ) (Paris: Champion, 2004), p «Ce qui fait desirer une si exacte observation de ces loix est qu il n y a point d autre voye pour produire le Merveilleux, qui ravit l ame d estonnement & de plaisir, & qui est le parfait moyen dont la bonne Poësie se sert pour estre utile.» 15 Georges Forestier, Essai de Génétique Théâtrale, op. cit., p René Bray, La Formation de la doctrine classique en France 1 ère éd. Paris, 1927 (Paris: Nizet, 1966), p Ibid., p Ibid., p

10 やはり 現 代 の 古 典 主 義 研 究 家 ジャック シェレルやクリスティアン ビエは 驚 くべき もの の 概 念 は 古 典 悲 劇 において 真 実 らしさ の 概 念 を 持 たねばならないとする 19 シェレルはその 著 作 において 18 世 紀 に 書 かれた 驚 くべきものについての 定 義 を 引 用 する それによると 真 実 らしさが 驚 くべきものと 結 びつくと 卓 越 したものになる 反 対 に 驚 くべきものは 真 実 らしさがないと 馬 鹿 げたものになるか 何 も 生 み 出 さない ほんとうら しくないものに 感 激 させられることができようか と 規 定 している ピエール パスキエはシャプランの 驚 くべきもの の 概 念 はその 根 拠 としてアリスト テレス 詩 学 のタウマストン thaumaston に 拠 っているゆえ 17 世 紀 においてはその 正 統 性 を 請 合 われ 古 典 主 義 の 中 に 位 置 を 占 めるに 至 ったと 述 べる 20 フォレスティエもシャ プランの 定 義 がアリストテレスのタウマストンから 来 ていることを 知 らせる 21 それではシャプランが 論 拠 としたアリストテレスの 詩 学 では 驚 くべきもの はど のように 述 べられているのであろうか パスキエはアリストテレスにおけるタウマストン という 用 語 がフランス 語 に 翻 訳 される 時 の 問 題 点 を 次 のように 述 べる 実 を 言 うと フランス 語 の 実 詞 は 驚 き surprise と 称 賛 admiration という 二 重 の 意 味 を 持 つギリシア 語 [=タウマストン]の 豊 かさを 計 算 にいれない 詩 学 においてタウマ ストン thaumaston が 用 いられているとみられる 時 単 に 驚 きの 意 味 le sens de surprenant に 限 って 用 いている さらにしばしばもう 一 つ 別 の 概 念 茫 然 自 失 の 驚 き le frappant (ekplektikon) の 意 味 と 結 び 付 けて 使 ったりする 22 パスキエはこう 注 釈 する そして わが 国 の 詩 学 の 翻 訳 においてもタウマストンは 単 に 驚 き と 訳 されている アリストテレスはその 詩 学 の 中 で 悲 劇 において 最 も 重 要 なものは 出 来 事 の 組 み 立 ミ ュ ー ト ス てであり 筋 書 き は 悲 劇 の 原 理 であり いわば 魂 である 23 と 劇 作 上 の 筋 の 重 要 性 を 述 べる そして 筋 を 展 開 する 上 で 悲 劇 詩 人 にとって 大 事 なのは タウマストンの 効 果 を 作 り 出 すことと 明 示 する 作 者 たちは 急 転 回 péripétie を 用 いるときも 単 一 の( 急 転 回 を 欠 く) 出 来 事 にも とづく 時 も 彼 らが 欲 するもの すなわち 驚 き 24 を 狙 う なぜなら 驚 きは 悲 劇 的 で 19 Jacques Scherer, La dramaturgie classique en France 1 ère éd. Paris, 1950 (Paris: Nizet, 2001), p Christian Biet, La tragédie (Paris: Arman Colin, 2010), p Pierre Pasquier, «Le merveilleux peut-il être merveilleux?» dans Histoire de la France littéraire: Classicismes XVII e -XVIII e siècle, dir. Jean-Charles Darmon et Michel Delon (Paris: Presses Universitaires de France, 2006), p Georges Forestier, Essai de Génétique Théâtrale, op. cit., p Pierre Pasquier, op. cit., p アリストテレース 前 掲 書 6 章 37 頁 24 この 訳 文 中 の 驚 き という 用 語 には thaumastōn と 読 む という 訳 者 の 註 がある 同 上 197 頁 註 19 9

11 あって 人 情 に 訴 えるものだからである 25 このアリストテレスの 論 点 からは 17 世 紀 の 哲 学 者 デカルト (René Descartes) の 情 念 論 Les traitées des passions de l âme が 思 い 起 こされるであろう デカルトは 人 間 の 普 遍 的 かつ 基 本 的 な 情 念 の 第 一 位 に 驚 き を 与 え 次 のように 言 う 驚 き/ 称 賛 26 がすべての 情 念 のうちで 一 番 と 考 える [...] われわれはそれ 自 体 に おいて 何 も 驚 きを 与 えないものには 少 しも 感 動 しないし そこに 情 念 はないとみな すであろう 27 本 論 で 取 り 上 げるシャルル ペロー (Charles Perrault) は 上 述 したシャプランらが 企 画 し た アカデミー フランセーズ の 一 大 事 業 アカデミー フランセーズ 辞 典 Dictionnaire de l Académie françoise [= 以 後 辞 典 と 略 する]の 編 纂 を 助 け 1694 年 第 一 版 の 巻 頭 に アカデミーを 代 表 して 王 への 献 辞 を 書 いた その 第 一 版 の 辞 典 によると 形 容 詞 とし ての merveilleux は 称 賛 すべき admirable 予 想 だにしない surprenant 驚 くべき étonnant となっており 驚 くべきもの le merveilleux としては 名 詞 化 され 詩 において 驚 き / 称 賛 admiration を 引 き 起 こす 神 話 の 部 分 と 定 義 し その 例 文 として 驚 くべきものは 真 実 らしさと 結 びつかねばならない 28 とある ここにはシャプランの 本 質 的 な 驚 くべ きもの についての 定 義 があると 思 われる 以 上 検 討 したように 17 世 紀 オペラ 成 立 時 には 驚 くべきもの は 18 世 紀 以 降 使 用 さ れる 超 自 然 的 なもの に 限 定 されておらず 辞 典 が 説 明 するように 真 実 らしさ と 共 に 悲 劇 の 基 本 要 素 としての 驚 き/ 称 賛 という 定 義 があった 本 論 では 驚 くべき もの の 定 義 として この 二 つの 概 念 があることを 確 認 して 論 を 進 めたい 以 上 の 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 についての 確 認 をした 上 で 本 論 ではキノー/リュ リのトラジェディ アン ミュジック アルセストあるいはアルシードの 勝 利 Alceste, ou le Triomphe d Alcide [= 以 後 アルセスト と 略 する] 上 演 およびその 上 演 を 巡 って 繰 り 広 げられたペローとラシーヌ (Jean Racine) との アルセスト 論 争 を 中 心 に 検 討 する ア 25 アリストテレース 前 掲 書 18 章 頁 なお 訳 文 は péripétie を 逆 転 としているが 文 脈 によっ て 急 転 回 と 改 めた Aristote, Poétique, trad. Michel Magnien (Paris: Le Libre poche classique, 1990), p デカルトは l Admiration という 用 語 を 用 いる われわれは 次 ページの 1694 年 アカデミー フランセー ズ 辞 典 により 17 世 紀 l admiration は le merveilleux と 同 意 語 であることを 確 認 するであろう また 以 下 の 翻 訳 書 においては 驚 き と 訳 してある ルネ デカルト 方 法 序 説 情 念 論 野 田 又 夫 訳 東 京 : 中 公 文 庫 1974 年 140 頁 ただ 次 章 でみるコルネイユの l admiration は 千 川 などにより 驚 嘆 と 訳 さ れている 27 René Descartes, Les traitées des passions de l âme (Paris: H. Legras, 1649), art. 53. p. 83. «[...]il me semble que l Admiration est la premiere de toutes les passions. [...] si l objet qui se presente n a rien en soy qui nous surprene, nous n en sommes aucunement émeus, & nous le considerons sans passion.» 28 «Le merveilleux doit estre joint au vray semblable.» ちなみに 1798 年 第 5 版 で 詩 や 叙 事 詩 劇 作 におけ る 神 々の 介 入 を 意 味 する という 超 自 然 的 な 概 念 が 加 味 される なおアカデミーより 先 に 辞 書 を 出 版 したとして 会 員 から 追 放 されたフュルティエールの 1690 年 出 版 の 辞 書 では le merveilleux としては 賞 賛 すべき admirable 優 れた excellent 稀 有 な rare 予 想 だにしない surprenant となっており 例 文 とし て 良 い 戯 曲 には 驚 くべきものと 予 想 だにしないものがなくてはならない とある «Une bonne pièce de Théâtre doit avoir du merveilleux & du surprenant.» 10

12 ルセスト 上 演 後 古 典 劇 側 からキノーの 戯 曲 台 本 に 対 して 批 判 が 集 中 した そのキノー 批 判 に 応 えてペローが アルセスト を 擁 護 するために 出 版 した 論 評 が オぺラ 批 評 もし くは アルセストあるいはアルシードの 勝 利 という 題 の 悲 劇 検 討 Critique d Opéra, ou Examen de la tragédie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide [= 以 後 アルセスト 批 評 と 略 する]であり アルセスト 論 争 はここに 始 まる このように アルセスト 論 争 はキ ノーの 戯 曲 に 関 するトラジェディ アン ミュジックと 古 典 悲 劇 との 間 の 論 争 であるが ボーサンも 述 べるように 世 紀 の 文 学 と 共 に 当 時 の 趣 味 や 社 会 的 位 置 関 係 が 良 く 分 か る 論 争 だったといえよう 本 論 ではこの 論 争 が 置 かれた 当 時 の 社 会 文 化 的 状 況 を 加 味 し ながら 二 つの 驚 くべきもの から アルセスト 論 争 を 考 察 していきたい ペローの アルセスト 批 評 についてはこれまであまり 論 じられてきていないが そこ におけるペローの 位 置 取 りを 見 ると 彼 は 二 つの 驚 くべきもの からキノーの 戯 曲 を 弁 護 していることが 分 かる 第 一 にトラジェディ アン ミュジックが 古 代 悲 劇 の 復 活 を 目 指 し 悲 劇 と 銘 打 たれていた 以 上 シャプランが 定 義 した 悲 劇 の 基 本 要 素 としての 驚 くべきもの の 概 念 について ペローは 検 討 を 加 えている そしてこれもあまり 言 及 され ていないが アカデミー フランセーズ や 小 アカデミー において 長 年 シャプラン とペローとの 間 には 緊 密 な 信 頼 関 係 があった ペローが 自 ら 編 集 に 深 く 関 わった 辞 典 の 定 義 が 示 しすように ペローはシャプランの 驚 くべきもの の 定 義 を 継 承 していると 考 えられるであろう 第 二 に 超 自 然 的 な 機 械 仕 掛 け による 驚 くべきもの の 概 念 か らペローはオペラ 擁 護 をしている そこにはオリンポスの 神 々に 擬 されたルイ 14 世 の 神 話 的 象 徴 性 を 主 導 する 小 アカデミー の 一 員 としての ペローの 政 治 的 役 割 が 見 られるで あろう このようにペローの アルセスト 批 評 については 以 上 見 たように 二 つの 驚 くべき もの の 概 念 からオペラ 戯 曲 について 検 討 が 加 えられた 最 初 の 貴 重 な 理 論 書 と 考 えられ るといえよう アルセスト 論 争 に 関 する 論 考 を 纏 めたブルックス ノーマン ザルッ チの 三 人 の 編 者 はペローをフランス オペラ 理 論 の 確 立 者 とする 30 それに 対 して 古 典 劇 の 側 からは アルセスト に 対 抗 して 上 演 されたラシーヌの イ フィジェニー と アルセスト 批 評 に 対 する 彼 の 批 判 を 考 察 し 続 いてボワロー (Nicolas Boileau-Despréaux) のキノー 批 判 に 言 及 する ボワローのキノーに 対 する 侮 蔑 そして 自 ら 主 唱 したラシーヌ 中 心 主 義 により キノーはフランス 文 学 史 上 しばらく 忘 れさられるこ とになった 本 論 ではその 地 位 を 低 められているキノーの 再 評 価 も 同 時 に 試 みたい 本 論 は 以 下 の 構 成 で 論 を 進 める 第 一 部 は アルセスト 上 演 に 至 るまで オペラ 成 立 に 影 響 を 与 えたと 思 われる 1671 年 初 演 の 二 つの 音 楽 劇 作 品 を 考 察 する 一 つはコルネイユが 主 に 戯 曲 を 担 当 した 機 械 仕 掛 け 音 楽 劇 プシシェ であり もう 一 つは オペラ アカデミー 杮 落 しとして 上 演 された ペランのパストラル ポモーヌ である 次 にペランの 跡 を 継 いで 王 立 音 楽 アカデミー を 開 設 し アルセスト を 上 演 した リュリとキノーそれぞれの 経 歴 作 風 を 述 べる 29 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil (Paris: Gallimard, Théâtre des Champs-Élysées, 1992), p William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Introduction» dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, (Genève: Droz, 1994), p. xiii. 11

13 第 二 部 アルセスト 論 争 1 においては まず アルセスト の 作 品 を 分 析 する 続 い て アルセスト 上 演 とシャルル ペローによる アルセスト 批 評 を 中 心 に 彼 がシャ プランと 共 に 属 した 小 アカデミー の 役 割 や 当 時 のオペラを 取 り 巻 く 社 会 状 況 を 加 味 し ながら ペローの 驚 くべきもの の 論 点 を 検 証 する そして 彼 が 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 を 用 いてキノーの 戯 曲 を 擁 護 し 新 しいオペラ 美 学 の 確 立 を 目 指 したことを 検 討 し たい 第 三 部 アルセスト 論 争 2 においては アルセスト に 対 抗 して 上 演 されたラシー ヌの 古 典 悲 劇 イフィジェニー における 二 つの 驚 くべきもの の 使 われ 方 を 検 討 する 続 いてラシーヌの アルセスト 批 評 に 対 する 反 論 とそれに 応 えたペローの 反 駁 を 論 考 する この 時 点 で アルセスト 論 争 は 一 応 の 決 着 を 見 るが 論 争 自 体 は 近 代 派 の 領 袖 ペ ローと 古 代 派 ラシーヌ/ボワローとの 間 で 新 旧 論 争 として 継 続 される 最 終 章 ではキ ノー/リュリの アルセスト 以 降 のトラジェディ アン ミュジックにおいて アティ ス アルミード を 中 心 に 検 討 しながら これらの 作 品 において 二 つの 驚 くべきも の の 概 念 が 融 合 され 新 しい 境 地 が 開 かれたことで ペローが 目 指 した 革 新 的 なオペラ 美 学 がその 到 達 地 点 を 迎 えたことを 見 る 結 論 においては 全 体 の 論 を 再 考 察 し キノーの アルミード 上 演 により ペローが 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 を 融 合 させ 従 来 の 古 典 主 義 の 枠 組 みを 超 えたオペラの 美 学 理 論 を 確 立 したことを 見 ると 共 に キノーの 再 評 価 を 行 う これまでの 先 行 研 究 は 以 下 の 通 りである 従 来 17 世 紀 文 学 史 に 関 しては 1949 年 から 1956 年 にかけて 書 かれたアダンの 5 巻 に 及 ぶ 17 世 紀 フランス 文 学 史 31 においても 見 られるように コルネイユからラシーヌを 中 心 に 論 じられ キノーやオペラについては 低 い 評 価 でわずかに 触 れられているだけであ る 古 典 主 義 研 究 家 の 間 では 1896 年 のブリュヌティエール 32 から 1950 年 ナイト 33 同 年 シェレル 34 そして 上 述 した 現 代 のフォレスティエやフュマロリ 35 に 至 るまで 17 世 紀 に 全 盛 を 誇 ったコルネイユやラシーヌに 代 表 される 古 典 悲 劇 を 中 心 に 捉 える 古 典 主 義 が 考 察 されている 彼 らにとってオペラは 古 典 主 義 理 論 から 逸 脱 した 周 縁 的 な 位 置 づけがなされ 古 典 劇 の 影 に 隠 されてその 価 値 を 十 分 に 評 価 されてこなかったと 思 われる そういう 中 で エティエンヌ グロが 1926 年 キノー 論 を 世 に 問 い 古 典 劇 側 より 等 閑 視 されてきたキノー のオペラ 戯 曲 を 擁 護 したことは 画 期 的 なことであった 36 また 1927 年 ブレは 従 来 の 古 典 主 義 に 対 して 独 自 の 論 説 を 展 開 した 37 それに 対 して 音 楽 理 論 の 側 からは 1980 年 代 後 半 以 降 カンツレルが オペラも 古 典 主 義 の 枠 内 で 捉 える 論 考 を 展 開 している カンツレルの 論 証 は 実 例 を 挙 げながら 綿 密 詳 細 なも 31 Antoine Adam, Histoire de la littérature française au XVII e siècle, vol ère éd (Paris: Editions Mondiales, ). 32 Ferdinand Brunetière, Les Époques du Théâtre français ( ) (Paris: Hachette, 1896). 33 Roy. C. Knight, Racine et la Grèce (Paris: Boivin, 1950). 34 Jacques Scherer, La dramaturgie classique en France 1 ère éd. Paris, 1950 (Paris: Nizet, 2001). 35 Marc Fumaroli, «Les abeilles et les araignées» dans La Querelle des Anciens et des Modernes, éd. Anne-Marie Lecoq (Paris: Gallimard, 2001). 36 Étienne Gros, Philippe Quinault: sa vie et son œuvre (Paris/Aix-en-Provence: Champion/Feu, 1926). 37 René Bray, La Formation de la doctrine classique en France 1 ère éd. Paris, 1927 (Paris: Nizet, 1966). 12

14 ので 17 世 紀 の 古 典 劇 とフランス 初 期 オペラを 分 離 しながらも 関 連 づけ オペラ 理 論 は 驚 くべきもの の 概 念 共 々 古 典 主 義 の 枠 組 みの 中 に 入 れられるとする 新 しい 視 点 を 提 示 して いる しかしカンツレルの 驚 くべきもの は 18 世 紀 バトゥー 師 やカユザック 以 来 の 超 自 然 的 なもの に 限 定 され シャプランが 述 べる 悲 劇 の 基 本 要 素 としての 驚 くべきもの には 言 及 されていないと 思 われる 一 方 で 現 代 21 世 紀 において 音 楽 学 者 ノーマンは 古 典 主 義 について 今 日 考 えられるよう な 限 定 され 凝 縮 された 規 範 に 則 した 概 念 であっただけではなく 当 時 は 現 実 には 多 様 性 を 持 った 様 式 が 混 在 していたとする 38 彼 に 従 えば 17 世 紀 において 多 様 な 様 式 が 見 られる 古 典 主 義 の 中 で オペラは 周 縁 的 な 芸 術 ではなく 一 つの 中 心 をなしていたと 考 えることが 可 能 であろう そしてそこには 機 械 仕 掛 けによる 超 自 然 的 な 驚 くべきもの だけではな く 劇 作 上 の 本 質 的 な 驚 くべきもの がない 限 り デカルトが 言 うように 観 客 は 感 動 し ないし 情 感 に 訴 えることは 不 可 能 と 思 われる ノーマンは 同 じ 文 脈 に 立 つ 同 世 代 のコル ニック 39 やトーマス 40 ブルックス 41 とともにさらに 進 んで オペラは 古 典 主 義 理 論 を 超 え て 独 自 の 美 学 の 確 立 を 目 指 したとする 上 記 に 述 べた 論 に 加 えてオペラ 美 学 としてはジルレトーヌ 42 アンソニー43 リュリにつ いてはラ ゴルス 44 ボーサン 45 デュロン 46 クヴルール 47 などの 論 考 を 参 照 し わが 国 のラシーヌ 研 究 家 のなかでも 戸 張 智 雄 小 倉 博 孝 両 氏 の 論 考 から 多 くの 教 示 を 受 けた 筆 者 はこれらの 先 行 研 究 を 下 に 次 のような 論 点 を 立 ててみた オペラで 用 いられる 驚 くべきもの には 一 方 で 超 自 然 的 な サン=テヴルモンの 言 葉 に 従 えば 真 実 らしさ に 背 く 偽 の 驚 くべきもの があり そして 他 方 でシャプランが 定 義 した 筋 の 展 開 からも たらされ 魂 を 驚 きと 称 賛 で 満 たすという 本 質 的 な 驚 くべきもの という 二 つの 概 念 があり それら 二 つの 驚 くべきもの が 混 在 しているからこそ 観 客 を 魅 惑 し 感 動 を 与 える それがオペラの 本 質 ではないだろうか その 常 軌 を 逸 した 魅 力 古 典 劇 の 作 劇 法 に も 従 い しかも 超 自 然 的 な 要 素 も 加 味 した 驚 くべきもの の 表 現 は 見 るものにある 種 の 怪 物 性 を 醸 し 出 し それがオペラの 人 々を 引 き 付 けて 止 まない 魔 力 となった そしてそ の 問 題 に 最 初 に 立 ち 向 かったのがこれから 論 じるペローの アルセスト 批 評 であり 彼 38 Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces (Paris: Mardaga, 2001), pp Sylvain Cornic, L enchanteur désenchanté, Quinault et la naissance de l opéra français (Paris: Presses de l université Paris-Sorbonne, 2011). 40 Downing A. Thomas, Aethetics of opera in Ancien Régime, ( ) (Cambridge: Cambridge University Press, 2002). 41 William Brooks, Philippe Quinault, Dramatist (Berne, Peter Lang, 2008). 42 Cuthbert Girdlestone, La tragédie en musique ( ) considérée comme genre littéraire (Genève: Droz, 1972). 43 James R Anthony, French Baroque Music from Beaujoyeulx to Rameau (Portland: Amadeus Press, 1997). 44 Jérôme de La Gorce. Jean-Baptiste Lully (Paris: Fayard, 2002). 45 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit. 46 Jean Duron, «L instinct de M. de Lully» dans La tragédie lyrique (Paris: Cicero, 1991). 47 Manuel Couvreur, Jean-Baptiste Lully, musique et dramaturgie au service du prince (Bruxelles: Marc Vokar Éditeur, coll, «la musique et son temps», 1996). 48 戸 張 智 雄 ラシーヌとギリシア 悲 劇 東 京 : 東 京 大 学 出 版 会 1967 年 49 小 倉 博 孝 アルセスト 論 争 とラシーヌの イフィジェニー 頁 上 智 大 学 仏 語 仏 文 学 論 集 (47) 東 京 : 上 智 大 学 仏 文 学 科 2013 年 13

15 はキノーのオペラ 戯 曲 に 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 を 見 出 し そこに 従 来 の 古 典 主 義 の 枠 を 超 えた 新 しいオペラ 美 学 の 確 立 を 目 指 したのであり ペローが 理 想 としたオペラ 美 学 はリュリとキノーの 最 後 の 共 作 アルミード で 完 成 を 見 たといえるのではないであろ うか 以 上 のような 論 点 の 下 に 検 討 を 進 めていきたいと 考 える オペラには 劇 のあらすじの 展 開 や 人 物 像 から 生 み 出 される 基 本 的 な 作 劇 上 の 驚 くべき もの の 概 念 に 機 械 仕 掛 けという 視 覚 的 な 驚 くべきもの の 概 念 が 加 味 され それに バレエや 音 楽 という 視 覚 的 にも 聴 覚 的 にも 観 客 を 驚 嘆 させ 楽 しませる 要 素 があった 古 典 悲 劇 がそれらの 要 素 を 切 り 捨 て 純 化 されていく 過 程 で オペラに 取 り 込 まれた 上 記 の 要 素 は サン=テヴルモンには 常 軌 を 逸 した 構 成 に 見 え 古 典 劇 にとって 危 険 な 魅 惑 に 思 えたであろう ラシーヌの 古 典 劇 もリュリとキノーのオペラも 同 時 代 に 成 立 し 同 じ 観 客 に 向 かって 楽 しませ 感 動 を 与 えるという 使 命 を 持 っていた そして 古 典 悲 劇 側 からの 批 判 を 裏 切 るように 当 時 のオペラの 人 気 は 演 劇 を 上 回 っていたという 事 実 がある ペロー は 古 典 劇 側 からの 批 判 に 反 駁 してキノーの 戯 曲 台 本 を 擁 護 し 観 客 の 人 気 に 応 えるべく 新 しいオペラ 美 学 を 確 立 する 必 要 性 を 感 じていたと 思 われる ペローの アルセスト 批 評 を 中 心 に トラジェディ アン ミュジックが 内 包 してい た 驚 くべきもの の 概 念 を 検 討 し それが 従 来 の 古 典 主 義 の 枠 を 超 えた 新 しい 美 学 を 目 指 していたこと そしてトラジェディ アン ミュジックを 確 立 したキノーの 戯 曲 の 再 評 価 をこれから 考 察 していきたいと 考 える 14

16 第 一 部 アルセスト 上 演 まで 第 一 部 においては 1674 年 アルセスト 上 演 までのオペラの 試 みを 考 察 し 続 いてリュ リとキノーのそれまでの 経 緯 その 作 風 を 検 討 する 第 一 第 二 章 で トラジェディ アン ミュジック 成 立 に 大 きな 影 響 を 与 えた 二 作 プシシェ Psyché と ポモーヌ Pomone を 見 てみたい 二 作 とも 1671 年 の 初 演 で プシシェ は 1 月 17 日 テュイルリー 宮 殿 の 機 械 仕 掛 け 劇 場 で 初 演 され モリエール コルネイユ リュリ キノー 四 人 の 共 作 で 悲 喜 劇 とバレエ tragi-comédie et ballet と 銘 打 っていた 一 方 ポモーヌ は 3 月 3 日 ブテイ ユ 掌 球 場 において 詩 人 ペラン (Pierre Perrin) と 作 曲 者 カンベール (Robert Cambert) の オ ペラ アカデミーAcadémie d opéra 杮 落 しとして 上 演 され パストラルであった フランス オペラは 宰 相 マザラン (Jules Mazarin) が 推 奨 したイタリア オペラの 影 響 を 受 け フランス 独 自 のオペラを 創 設 するという 機 運 のもとに 生 まれた 特 に 1647 年 に 上 演 された 台 本 ブーティ 師 (abbé Buti) 作 曲 ロッシ (Luigi Rossi) のイタリア オペラ オルフェ オ Orfeo によって フランスは 羨 望 と 反 感 とが 相 対 立 する 大 きな 衝 撃 を 受 ける その 結 果 フランスにおける 独 自 の 音 楽 劇 に 対 する 要 請 は 自 然 と 高 まった このような 状 況 の 下 コルネイユもその 影 響 を 受 け 1650 年 アンドロメード Andromède という 機 械 仕 掛 けの 神 々が 登 場 する 音 楽 入 りの 作 品 を 創 作 上 演 した 一 方 でペランは 1659 年 フランスで 上 演 された 初 めてのフランス 音 楽 劇 と 自 ら 誇 る イッシーのパストラル Pastorale d Issy を 上 演 し 1669 年 にはルイ 14 世 よりフランスで 初 めてとなる オペラ アカデミー 設 立 の 許 可 を 得 た このコルネイユが 関 わった プシシェ とペランの ポモーヌ について リュリとキ ノーのトラジェディ アン ミュジック 成 立 に 与 えた 影 響 から 検 討 する 第 一 章 コルネイユと プシシェ コルネイユは ル シッド Le Cid シンナ Cinna などの 語 られる 古 典 悲 劇 の 形 式 を 確 立 した 一 方 1650 年 上 述 した アンドロメード 1660 年 金 の 羊 毛 La Toison d Or と 古 代 神 話 に 題 材 を 採 り 機 械 仕 掛 けの 音 楽 劇 を 創 作 してきた 一 方 で 彼 は 1660 年 戯 曲 に 関 する 三 篇 の 理 論 書 三 劇 詩 論 Les trois discours sur le poème dramatique において 驚 く べきもの について 言 及 し その 理 論 は 演 劇 のみならず オペラ 成 立 においても 多 大 な 影 響 を 与 えた ここではまず モリエール リュリ キノーとの 共 作 になるコルネイユ 三 作 目 の 機 械 仕 掛 け 音 楽 劇 となる プシシェ 1 の 内 容 から 見 てみることにする コルネイユ 以 外 の 三 人 の うちモリエールとリュリは 1664 年 以 来 町 人 貴 族 Le Bourgeois gentilhomme に 代 表 され る 芝 居 に 音 楽 やバレエ 歌 を 組 み 込 んだコメディ=バレエ (comédie-ballet) を 作 ってきた そしてキノーは 1653 年 より 喜 劇 悲 喜 劇 悲 劇 の 作 者 として オテル ド ブルゴーニュ 座 での 人 気 劇 作 家 であった コルネイユに 加 えて 以 上 の 三 人 が 共 作 したことで 2 年 後 の 1 なおこの 台 本 を 下 に 1678 年 にトマ コルネイユとリュリはトラジェディ アン ミュジック プシシェ を 上 演 した キノーは イジス 事 件 で 失 脚 中 であった 本 論 143 頁 参 照 15

17 リュリとキノーのトラジェディ アン ミュジックの 成 立 に 大 きな 影 響 を 与 えたと 考 えら れる 第 一 節 プシシェ の 内 容 プシシェ は 悲 喜 劇 とバレエ として 作 られた もともとコメディ=バレエを 得 意 としたモリエールが 手 がけたもので 彼 の 依 頼 によりコルネイユは 15 日 間 で 戯 曲 の 1200 行 を 韻 文 化 し それは 全 体 の 四 分 の 三 にわたる プロローグと 第 一 幕 全 体 第 二 第 三 幕 それぞれの 第 一 場 はモリエールが 書 いた 2 原 作 は 古 代 ローマ 時 代 125 年 頃 から 180 年 頃 生 存 した 北 アフリカ 生 まれのアプレイウ ス (Lucius Apuleius) の 金 のロバ L Âne d Or に 採 られた 神 話 に 基 づいている 1671 年 のカーニヴァルのためにルイ 14 世 がモリエールに 命 じ 同 年 1 月 17 日 テュイルリー 宮 殿 の 機 械 仕 掛 け 劇 場 で 初 演 が 行 われ 大 成 功 を 収 めた この 戯 曲 では 機 械 仕 掛 けによる 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 要 素 は 多 くの 場 面 で 豪 奢 に 用 いられている プロローグでヴェニュスがアムールと 共 に 空 から 降 りてくるのを 始 めとして 最 後 にはジュピテルにより 不 死 の 身 になったプシシェがアムールやヴェニュス とともに 空 に 昇 って 行 く また 場 面 転 換 の 装 置 で 冥 界 の 場 面 が 第 四 幕 間 劇 から 第 五 幕 に わたって 舞 台 に 掛 けられた 3 この 冥 界 の 場 面 は 機 械 仕 掛 けによらない 超 自 然 的 な 驚 くべ きもの の 要 素 であり 通 常 の 演 劇 では 舞 台 の 外 に 置 かれた 4 アルセスト でも 第 四 幕 にアルシードの 冥 界 下 りが 舞 台 で 見 せられるであろう 地 上 で 演 じる 主 役 たちに 眼 を 移 すと そこには 叙 情 的 で 若 々しい 二 人 の 恋 愛 が 描 かれて いる コルネイユ 全 集 を 編 集 したラットはこの 戯 曲 での コルネイユの 詩 句 はその 自 然 さ 率 直 さ 優 しさ 若 々しさで 間 違 いなく 彼 の 傑 作 のひとつであり ル シッド と 双 璧 をなすものである と 絶 賛 している 5 ヒロイン プシシェの 逆 境 にあってもアムールへ の 一 途 な 哀 切 に 満 ちた 愛 の 表 現 アムールが 母 ヴェニュスにプシシェを 許 し 二 人 の 結 婚 を 認 めてくれるよう 哀 訴 する 場 面 など 瑞 々しい 叙 情 と 細 やかな 思 いやりに 溢 れた 人 物 像 や 状 況 が 筋 の 展 開 によって 作 り 出 されている 機 械 仕 掛 けによる 超 自 然 的 な 驚 くべきも の と 共 に ここには 悲 劇 の 要 素 としての 驚 き/ 称 賛 に 値 する 驚 くべきもの の 要 素 がコルネイユの 巧 みな 劇 作 術 による 筋 の 運 びからもたらされている この 作 品 ではそれまでのコルネイユの 機 械 仕 掛 け 劇 アンドロメード 金 の 羊 毛 と 比 べると 音 楽 の 比 重 は 高 まり 各 幕 の 間 には 音 楽 付 のバレエと 歌 からなる 四 つの 長 大 な 幕 間 劇 がある また 最 終 場 では 壮 大 な 歌 と 合 唱 そしてバレエで 幕 が 降 りる リュリが 2 Pierre Corneille, «Notice de Psyché par Maurice Rat» dans Théâtre complet, texte établi sur l édition de 1682, éd. Maurice Rat (Paris: Éditions Garnier Frères, 1962), t. 3, p 後 述 するラ グランジュ=シャンセルの 証 言 によれば もともとこの プシシェ の 企 画 はテュイルリー 宮 殿 の 家 具 倉 庫 に 仕 舞 われていた 1662 年 恋 するエルコレ で 使 われたヴィガラーニ 作 の 冥 界 の 装 置 を 活 用 するために 王 が 命 じたものであった 本 論 文 108 頁 を 参 照 4 通 常 の 演 劇 では 人 間 のみが 舞 台 に 登 り 超 自 然 的 な 神 々や 冥 界 の 場 面 などは 舞 台 外 に 置 かれ 登 場 人 物 の 台 詞 による 描 写 である 活 写 法 (l hypotypose)により 表 現 される 5 Pierre Corneille, «Notice de Psyché par Maurice Rat», op. cit., p

18 イタリア 語 で 書 いた イタリア 女 の 歎 き 6 を 除 き 歌 詞 の 部 分 はキノーが 書 き リュリが 作 曲 した またバレエの 場 面 はそれまでのコルネイユの アンドロメード 金 の 羊 毛 二 作 の 機 械 仕 掛 け 劇 にはなかったものだった バレエは 宮 廷 バレエとしてのフランス 独 自 の 伝 統 があり このイタリア 起 源 のダンスは カトリーヌ ド メディシスと 共 にフランスに 紹 介 されたが 1581 年 ボージョワイユー (Beaujoyeulx) 等 を 中 心 とした 王 妃 のバレエ コミック Ballet comique de la Reine 上 演 によって 初 めて 詩 と 音 楽 ダンス 舞 台 装 置 が 結 び 合 わされて 始 められた 7 その 後 歴 代 の 王 は 祝 祭 において 自 ら 踊 り よってバレエ 音 楽 も 多 く 作 曲 された リュリは 宮 廷 バレエ の 作 曲 家 として 活 躍 を 始 めた イタリア オペラと 比 べてフランス オペラ 成 立 に 特 徴 的 な 点 は このフランス 独 自 の 伝 統 である 宮 廷 バレエの 影 響 が 大 きいと 思 われる やがて 成 立 するトラジェディ アン ミュジックにおいては 古 典 悲 劇 では 演 奏 されなくなったバ レエを 要 素 として 取 り 入 れていくであろう またこの プシシェ で それまで 格 子 に 隠 れた 席 に 着 いて 観 客 の 前 に 出 たがらなかっ た 歌 手 たちが 俳 優 のように 初 めて 舞 台 に 登 って 素 顔 を 見 せた 8 プロローグでのバレエと 歌 またそれぞれ 四 つの 幕 間 劇 での 同 じく 歌 とバレエ そして 大 団 円 では 観 客 の 目 を 奪 ったであろう 豪 華 で 長 大 な 祝 祭 の 一 大 絵 巻 が 繰 り 広 げられ 舞 台 は 締 めくくられる しかしながら この プシシェ において コルネイユは 音 楽 の 言 葉 には 関 与 していな い 彼 の 担 当 した 箇 所 の 登 場 人 物 主 役 たちにはいずれも 歌 は 付 されていない コルネイユは 1650 年 の 機 械 仕 掛 け 劇 第 一 作 アンドロメード において この 戯 曲 初 版 に 付 けた 梗 概 で 音 楽 の 役 割 についてこう 述 べる 歌 われる 言 葉 での 会 話 は 聞 き 取 りにくいので 私 は 劇 の 理 解 のためには 全 く 歌 わ せないように 心 がけた なぜなら 一 般 に 歌 って 交 わされる 会 話 は 同 時 にさまざまな 声 で 発 せられるので 混 乱 をもたらし 観 客 には 聞 き 取 りにくく 作 品 全 体 に 曖 昧 さを 多 く 与 えることになったであろう 9 ここからも 分 かるようにコルネイユは 歌 を 劇 の 進 行 を 妨 げるものと 考 えていた 彼 の アンドロメード の 梗 概 に 機 械 仕 掛 けを 使 うトレッリ (Giacomo Torelli) の 名 はあっ ても 作 曲 者 ダスーシー (Charles Coypeau d Assoucy) の 名 は 記 されていない コルネイユ のこの 音 楽 に 対 する 考 えは 21 年 経 った プシシェ においても 変 わっていないように 見 え る 20 世 紀 初 頭 音 楽 学 者 エコルシュヴィルはそのことを 次 のように 注 釈 する 6 Ibid., p James R. Anthony, French Baroque Music from Beaujoyeulx to Rameau, op. cit., p Arthur Pougin, Les vrais créateurs de l opéra français, Perrin et Cambert (Paris: Charavary, 1881), p Pierre Corneille, Argument d Andromède, éd. Christian Delmas (Marcel Didier: Paris, 1974), pp «[...]je me suis bien gardé de faire rien chanter qui fût nécessaire à l intelligence de la Pièce, parce que communément les paroles qui se chantent étant mal entendues des auditeurs, pour la confusion qu y apporte la diversité des voix qui les prononcent ensemble, elles auraient fait une grande obscurité dans le corps de l ouvrage, [...]» 17

19 コルネイユにとって 音 楽 の 響 きは 専 制 的 なものとして 映 った 音 楽 の 前 では 詩 人 の 霊 感 は 隷 属 させられてしまう [...] 音 楽 にはわれわれの 精 神 を 不 安 にする 夢 や 幻 想 や 愚 かしいことが 出 現 する それは 悪 夢 であり 理 性 を 重 んじるコルネイユにとって 用 心 深 く 遠 ざかるべき 魂 の 牢 獄 と 思 えたのだ 10 エコルシュヴィルがこのように 述 べるように コルネイユは 言 葉 に 置 き 換 えられない 音 楽 の 専 制 的 な 力 を 怖 れるゆえに 台 詞 には 音 楽 を 付 けなかった オペラとなるには すべてが 台 詞 で 歌 われるレシタティフの 確 立 が 何 よりも 必 要 とされ るであろう この プシシェ ではキノーとリュリという 二 人 が 歌 詞 と 音 楽 を 担 当 した ということが 重 要 である そして プロローグ 付 き 五 幕 構 成 はやがて 成 立 するトラジェ ディ アン ミュジックに 引 き 継 がれていく 第 二 節 コルネイユの 驚 くべきもの の 考 えと 当 時 の 宮 廷 での 古 代 神 話 の 流 行 ラシーヌは 1685 年 コルネイユの 跡 を 継 いだ 弟 トマ (Thomas Corneille) の アカデミー フランセーズ 入 会 の 際 に 演 説 し 亡 き 兄 のコルネイユについて 次 のように 述 べている あなたの 偉 大 な 兄 上 はしばらくの 間 正 しい 道 を 探 され 時 代 の 悪 趣 味 と 敢 えて 言 わせ てもらいますが それに 対 抗 して 闘 争 された 後 で ついに 並 外 れた 才 能 に 霊 感 を 受 け 古 代 劇 の 読 破 の 助 けを 持 って 舞 台 の 上 に 理 性 を 登 場 させたのです しかし その 理 性 は 完 璧 な 荘 重 さを 備 え われわれの 言 語 が 可 能 なすべての 装 飾 を 持 ち 幸 いにも 真 実 らしさと 驚 くべきもの le merveilleux が 調 和 したものでした 11 この アカデミー フランセーズ におけるラシーヌの 演 説 は 前 述 したシャプランの 劇 作 の 必 須 条 件 として 真 実 らしさ 完 璧 な 劇 作 として 驚 くべきもの が 必 要 だと 考 12 えるという 定 義 を 思 い 起 こさせるであろう ここで コルネイユが 1660 年 三 劇 詩 論 で 驚 くべきもの について 言 及 した 箇 所 を 見 てみたい その 時 までに 彼 は 1650 年 機 械 仕 掛 け 劇 の アンドロメード を 創 作 し 1660 年 11 月 には 機 械 仕 掛 け 劇 第 2 作 金 の 羊 毛 を 上 演 することになっていた この 三 劇 詩 論 においてコルネイユは 驚 くべきもの le merveilleux を 超 自 然 的 な 意 味 に 限 定 して 用 い 悲 劇 における 基 本 要 素 である 驚 くべきもの には 驚 き/ 称 賛 l admiration 10 Jules Ecorcheville, Corneille et la musique (Paris: Impressions Artistiques L. -Marcel Fortin et C ie, 1906), p Jean Racine, «Discours prononcé à l Académie française à la réception de MM. de Corneille et de Bergeret» dans Œuvres complètes, éd. Raymond Picard (Paris: Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard, 1950), t. 2, p «[...]votre illustre frère, après avoir quelque temps cherché le bon chemin, et lutté, si j ose ainsi dire, contre le mauvais goût de son siècle; enfin, inspiré d un génie extraordinaire et aidé de la lecture des anciens, fit voir sur la scène la raison, mais la raison accompagnée de toute la pompe, de tous les ornements dont notre langue est capable, accorda heureusement le vraisemblable et le merveilleux, [...]» 12 本 論 8 頁 参 照 Jean Chapelain, «Les discours de la poésie représentative» dans Opuscules critiques, op. cit., pp

20 という 用 語 で 使 い 分 けていることが 分 かる そしてこの 驚 き/ 称 賛 は 前 述 したように 辞 典 では 驚 くべきもの の 同 意 語 となっており そこで 用 いられる 驚 くべきもの はアリストテレス 詩 学 のタウマストンであることは 序 論 で 確 認 した 13 コルネイユが 本 質 的 な 劇 作 上 の 驚 くべきもの に le merveilleux という 用 語 を 敢 えて 用 いず l admiration とし le merveilleux を 神 話 や 伝 説 の 超 自 然 的 な 概 念 に 限 定 して 用 いた のには 上 述 したようにシャプランによる ル シッド 論 争 において シャプランが le Merveilleux という 用 語 を 用 いてコルネイユを 批 判 したことも 影 響 があるのではないかと 考 える 14 コルネイユはこの 三 劇 詩 論 の 中 の 第 二 の 悲 劇 論 で アンドロメード で 用 い た 神 話 伝 説 を 次 のように 述 べる 神 話 伝 説 がわれわれに 伝 える 神 々や 彼 らの 変 身 はすべて 不 可 能 なことであるが そ れでもそれが 語 られるのを 聞 くのに 慣 れ 親 しんできたというわれわれ 共 通 の 認 識 お よび 伝 説 の 理 解 によって ほんとうと 信 じられるといわざるを 得 ない われわれには この 古 代 のモデルに 従 って 創 作 し 古 代 の 誤 謬 がもたらす 出 来 事 に 同 様 の 不 可 能 な 事 件 を 付 け 加 える 権 利 がある その 劇 詩 の 題 名 によって 前 もって 実 際 には 不 可 能 なこと しか 上 演 しないということを 知 らされていれば 聴 衆 は 期 待 を 裏 切 られることはない 聴 衆 はすべてを 信 じ その 劇 には 神 々がいて 彼 らは 人 間 に 興 味 を 持 って 介 入 すると いうことを 初 めに 想 定 した 聴 衆 は すでに 準 備 ができており その 他 すべてを 容 易 に 信 じ 込 むのだ 15 彼 はまた 同 じ 悲 劇 論 において 超 自 然 的 な 驚 くべきもの という 概 念 に cette merveille という 用 語 を 当 てはめ 次 のように 述 べる ヴェニュスやエオール[=ネプテューヌの 子 で 風 の 神 ]の 出 現 は アンドロメード にお いては 相 応 しい 魅 力 を 持 ちえた しかし もしニコメードと 父 を 仲 直 りさせるために [=1651 年 ニコメード ]ジュピテルを あるいはオ-ギュストにシンナの 陰 謀 を 明 らかにするために[=1642 年 シンナ ]メルキュールを 空 から 降 りるようにしたと したら 全 く 私 の 聴 衆 に 背 くことになったであろう そしてその 驚 くべきもの cette merveille は 残 りの 筋 書 きが 獲 得 するはずの 信 憑 性 をすべて 壊 してしまったであろう 13 本 論 9-10 頁 参 照 千 川 はコルネイユの l admiration はアリストテレースのタウマストンであると 注 釈 す る 千 川 哲 生 論 争 家 コルネイユ フランス 古 典 悲 劇 と 演 劇 理 論 東 京 : 早 稲 田 大 学 出 版 部 2009 年 60 頁 14 本 論 文 8 頁 註 13 参 照 15 Pierre Corneille, «Discours de la tragédie» dans Œuvres complètes, éd. Georges Couton (Paris: Gallimard, 1984), t. 3, p «Tout ce que la fable nous dit de ses dieux, et de ses métamorphoses, est encore impossible, et ne laisse pas d être croyable par l opinion commune, et par cette vieille traditive qui nous a accoutumés à en ouïr parler. Nous avons droit d inventer même sur ce modèle, et de joindre des incidents également impossibles à ceux que ces anciennes erreurs nous prêtent. L auditeur n est point trompé de son attente, quand le titre du poème le prépare à n y voir rien que d impossible en effet; il y trouve tout croyable, et cette première supposition faite qu il est des dieux, et qu ils prennent intérêt et font commerce avec les hommes, à quoi il vient tout résolu, il n a aucune difficulté à se persuader du reste.» 19

21 この 機 械 仕 掛 けに 乗 った 神 々による 終 幕 の 解 決 はギリシア 人 たちにおいては 史 実 に よるとみられる あるいはほとんどそれに 近 い 真 実 らしさを 持 った 悲 劇 で 多 く 見 ら れた アリストテレスもそのような 機 械 仕 掛 けの 演 劇 を 全 く 否 定 しているわけではな く それが 主 題 から 好 ましいということであれば 良 しとすることで 満 足 している 16 続 いてコルネイユは 機 械 仕 掛 けの 神 々の 出 現 はアテネ 人 たちには 信 じられていたが 当 時 の 許 容 によって 判 断 して われわれが 模 倣 することは 危 険 であると 述 べる 彼 は 続 け る しかしまた 少 なくともわれわれが 天 使 や 聖 人 の 出 現 を 信 じるように 古 代 の 人 々 はアポロンやメルキュールの 出 現 を 信 じていたと 言 えよう 17 コルネイユにとっては 古 代 神 話 伝 説 は それが 語 られるのを 聞 くのに 慣 れ 親 しんで きたというわれわれ 共 通 の 認 識 および 伝 説 の 理 解 によって 信 じられるのであり 機 械 仕 掛 けによる 神 々の 登 場 を 否 定 してはいない しかしながら その 使 用 は 人 間 のみが 登 場 する ニコメード Nicomède や シンナ では 禁 じられる そして 彼 はここで 驚 くべき もの le merveilleux という 用 語 をこれら 古 代 神 話 や 伝 説 に 登 場 する 神 々 すなわち 超 自 然 的 なものに 限 定 して 用 いていることがわかる 1891 年 ドラポルトはその 著 作 で ルイ 14 世 時 代 の 驚 くべきもの の 流 行 を 述 べる 18 当 時 宮 廷 においては 異 教 の 神 々は 宮 殿 や 庭 園 のあらゆる 装 飾 を 絵 画 彫 刻 織 物 などで 飾 った しかし その 神 話 伝 説 超 自 然 的 な 魔 力 は 古 代 人 のようにそのまま 信 じられて いたわけではない それはスタール 夫 人 (Madame de Staël) が 百 年 後 に 言 うように まさ しく 祝 祭 の 装 い であった 19 ギリシア ローマ 神 話 は 人 文 主 義 以 来 培 われ 宮 廷 人 と して 要 請 された 古 代 への 文 学 的 素 養 であり また その 神 話 を 信 じるのではなく それを 楽 しむこと 20 であり ひとつの 装 飾 であった ドラポルトはルイ 14 世 治 世 末 期 時 代 を 経 験 したサン=シモン (Saint-Simon) の 回 想 録 を 引 いて ルイ 14 世 が 二 人 の 自 分 がいると 告 白 したのはもっともなことだ と 述 べる 控 えの 間 庭 公 苑 ではオリンピアの 神 々が 支 配 しているが 個 人 的 な 部 屋 では 敬 虔 なキ リスト 教 の 多 くの 聖 像 十 字 架 像 が 溢 れていた 21 ルイ 14 世 のみならず 宮 廷 生 活 において 個 人 の 日 常 の 場 ではキリスト 教 が 支 配 し 社 交 の 場 祝 祭 の 場 ではギリシア ローマの 異 教 の 神 々が 独 占 していた その 流 行 が トラジェディ アン ミュジックにおいて 機 械 仕 掛 けの 神 々が 使 用 されることに 観 客 がそれほど 違 和 感 を 覚 えなかった 一 因 と 思 われる 16 Ibid., p «Les apparitions de Vénus et d Éole ont eu bonne grâce dans Andromède; mais si j avais fait descendre Jupiter pour réconcilier Nicomède avec son père, ou Mercure pour révéler à Auguste la conspiration de Cinna, j aurais fait révolter tout mon auditoire, et cette merveille aurait détruit toute la croyance que le reste de l action aurait obtenue. Ces dénouements par des dieux de machine sont fort fréquents chez les Grecs, dans des tragédies qui paraissent historiques, et qui sont vraisemblables à cela près. Aussi Aristote ne les condamne pas tout à fait, et se contente de leur préférer ceux qui viennent du sujet.» 17 Ibid., p «[...]: mais aussi doit-on m accorder que nous avons du moins autant de foi pour l apparition des anges et des saints, que les Anciens en avaient pour celles de leur Apollon et de leur Mercure.» 18 彼 が 用 いる 驚 くべきもの は 上 述 したように 超 自 然 的 な 驚 くべきもの に 限 って 使 用 している 本 論 文 6 頁 参 照 19 Victor Delaporte, Du merveilleux dans la littérature française sous le règne de Louis XIV, op. cit., p Ibid., p Ibid., p

22 まさにコルネイユが 指 摘 するように 神 話 の 神 々の 介 入 を すでに 想 定 した 聴 衆 は 準 備 ができており その 他 すべてを 容 易 に 信 じ 込 む と 言 えよう 第 三 節 コルネイユのオペラ 成 立 に 与 えた 影 響 と 問 題 点 これまで 見 てきたように コルネイユは 古 代 神 話 伝 説 を 主 題 として 扱 う 音 楽 劇 におい て その 機 械 仕 掛 けを それが 語 られるのを 聞 くのに 慣 れ 親 しんできたというわれわれ 共 通 の 認 識 および 伝 説 の 理 解 によって という 留 保 付 きながら その 真 実 らしさ を 保 証 したといえるであろう やがて 成 立 するキノー/リュリのトラジェディ アン ミュジッ クにおいては 同 じく 機 械 仕 掛 けを 用 いる 古 代 神 話 伝 説 が 主 題 として 取 り 上 げられる そこで 用 いられる 機 械 仕 掛 けという 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 真 実 らしさ に 理 論 的 保 証 を 与 えたという 功 績 は 認 められるであろう また 悲 喜 劇 と 銘 打 った プシシェ において 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 の うち もう 一 つの 筋 の 展 開 による 劇 作 上 の 本 質 的 な 驚 くべきもの の 概 念 が 見 られるこ とを 確 認 した しかしながら コルネイユは ニコメード や シンナ など 従 来 の 語 られる 古 典 悲 劇 においては 神 々による 超 自 然 的 な 介 入 を 認 めなかった そのことから 2006 年 の 著 作 で カンツレルは 次 のようにコルネイユによるこの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 定 義 が やがてオペラと 古 典 悲 劇 二 つの 演 劇 を 分 ける 重 要 な 要 素 となっていくと 述 べる 歴 史 的 なものと 神 話 的 なものの 先 端 を 辿 った 体 系 的 な 区 別 によって 明 確 に 二 つの 舞 台 を 分 かつというフランス 演 劇 において 特 徴 的 な 性 格 の 一 つが 現 われた それぞれに おいて 支 配 する 演 劇 の 規 則 は 相 似 であると 同 時 に 対 立 するというものである この 分 担 はコルネイユの 死 後 ほどなくして 輝 かしい 一 つの 成 果 を 得 ることになった そ れはすなわち 音 楽 劇 であり フランス オペラの 創 設 によって 音 楽 劇 は 驚 くべきも の le merveilleux の 領 野 を 掴 み 取 り そのすべての 規 則 性 の 中 で 詳 細 な 技 量 を 用 い 驚 くべきものの 領 野 を 展 開 して 行 く 22 カンツレルは 以 上 のように 論 じる 歴 史 的 なものは 古 典 悲 劇 が 担 い そこでは 確 かに 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 表 象 の 代 表 的 手 段 である 機 械 仕 掛 けは 次 第 に 古 典 悲 劇 の 舞 台 か ら 姿 を 消 していく このカンツレルの 定 義 は 先 に 述 べた 18 世 紀 のバトゥー 師 のオペラ 理 論 に 依 っている 繰 り 返 すなら バトゥー 師 はこう 述 べる 二 種 類 の 悲 劇 がありうる 一 方 は 英 雄 的 な 種 類 でそれは 単 に 悲 劇 と 呼 ばれる 他 方 は 驚 くべきものでそれは 音 楽 劇 あるいは オペラ と 名 付 けられた 驚 くべき もの le merveilleux は 第 一 の 舞 台 からは 除 外 される なぜならそこでは 人 間 が 人 間 とし て 振 舞 うからである それに 引 き 換 え 第 二 の 舞 台 では 神 は 神 として 超 自 然 的 なす 22 Catherine Kintzler, Poétique de l opéra français de Corneille à Rousseau (Paris: Minerve, 2006), p

23 べての 力 を 持 った 姿 で 行 動 する 23 以 上 のようにカンツレルはバトゥー 師 の 論 を 援 用 しながら 古 典 劇 と 音 楽 劇 を 驚 くべき もの で 区 別 するが しかしながらこの 区 別 こそが 17 世 紀 後 半 の 1674 年 に 起 きた ア ルセスト 論 争 において 揺 らぎ 始 めたのではないかと 筆 者 は 考 える 第 一 にカンツレルや 18 世 紀 のバトゥー 師 は 驚 くべきもの の 概 念 を 17 世 紀 トラジェ ディ アン ミュジック 成 立 時 に 主 張 された シャプラン 等 の 劇 作 の 理 念 としての 本 質 的 な 驚 くべきもの の 視 点 ではなく 超 自 然 的 な 驚 くべきもの に 限 定 して 見 ていると 思 われる 17 世 紀 シャプランに 基 づいてわれわれが 定 義 したもう 一 つの 普 遍 的 な 作 劇 上 の 観 客 を 驚 かせ 称 賛 させる という 驚 くべきもの の 本 質 は 当 時 はトラジェディ アン ミュジックにも 古 典 劇 にも 悲 劇 の 最 大 の 楽 しみとして 要 請 されていたのではないだ ろうか 第 二 にコルネイユの 三 劇 詩 論 が 書 かれた 1660 年 を 過 ぎて 本 論 で 取 り 上 げる 1674 年 キノー/リュリのオペラ アルセスト に 対 抗 して 書 かれた ラシーヌの 同 じく 1674 年 古 典 悲 劇 イフィジェニー には 機 械 仕 掛 けこそ 用 いられていないが 超 自 然 的 な 驚 くべきもの が 劇 全 体 を 動 かす 原 動 力 の 一 つとなっている このラシーヌの 主 題 の 選 択 に はコルネイユの 時 代 にはいまだ 成 立 していなかったトラジェディ アン ミュジックの 存 在 が 影 響 を 与 えていると 思 われる コルネイユの 時 代 と 異 なり ラシーヌとキノー/リュ リは 同 じ 観 客 に 向 かって 競 合 して 創 作 を 行 った よってラシーヌにとって オペラの 劇 作 法 がその 作 風 に 少 しも 影 響 を 与 えなかったとは 考 えにくい オペラの 出 現 によって 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 古 典 劇 側 に 影 響 を 与 え そして 翻 ってオペラにおいては 古 典 劇 側 からの 機 械 仕 掛 けを 用 いることへの 批 判 に 応 えて 次 第 にそこに 悲 劇 における 本 質 的 な 驚 くべきもの の 概 念 を 融 合 していった 1660 年 にコルネイユは 確 かに 超 自 然 的 な 驚 くべ きもの で 機 械 仕 掛 けの 音 楽 劇 と 古 典 劇 を 区 別 したが 1673 年 にトラジェディ アン ミュ ジックが 成 立 し むしろその 境 界 が 曖 昧 になっていった そのことが アルセスト 論 争 で 明 らかになったのではないかと 筆 者 は 考 える こうして 見 てくると コルネイユにおいてトラジェディ アン ミュジック 成 立 に 与 え た 影 響 としては まずその 機 械 仕 掛 けの 音 楽 劇 で 古 代 神 話 伝 説 を 主 題 とし 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 を 用 いて 機 械 仕 掛 けの 真 実 らしさ を 留 保 つきながら 保 証 した こと そして 音 楽 劇 においても 演 劇 としての 最 大 の 楽 しみである 観 客 を 驚 かせ 称 賛 させ る という 本 質 的 な 驚 くべきもの の 劇 作 法 を 用 いたことであろう しかしながら これら 機 械 仕 掛 けの 音 楽 劇 はオペラではなかった オペラとなるにはす べての 台 詞 筋 の 展 開 が 音 楽 でつながれることが 必 要 であった コルネイユにとって 言 葉 を 聞 き 取 るためには 音 楽 は 障 害 物 でしかなかった よって フランス オペラの 理 論 形 成 に 重 要 な 基 盤 を 固 めたことは 否 めないが その 創 始 者 とみなすことはできないと 思 われる ここで オペラとなるのに 不 可 欠 なレシタティフによって フランス 語 の 台 詞 と 音 楽 を 結 び 付 けようと 努 力 した 最 初 の 詩 人 が 次 にみるペランである 23 本 論 文 5 6 頁 参 照 22

24 第 二 章 ペランとカンベールの ポモーヌ 前 章 で 見 た プシシェ 初 演 のわずか 2 ヶ 月 足 らず 後 の 1671 年 3 月 3 日 に オペラ ア カデミー の 杮 落 しとしてブテイユ 掌 球 場 において 上 演 されたのが 台 本 ペラン(Pierre Perrin)/ 作 曲 カンベール(Robert Cambert) によるパストラル ポモーヌ Pomone である ペランによると 公 演 は 大 成 功 のうちに 7 ヶ 月 続 き 146 回 の 上 演 回 数 を 誇 った 1 ウェルギリウス (Virgile) の アエネイス L Énéide の 膨 大 な 翻 訳 書 などで 名 を 挙 げた 詩 人 ペランは 1659 年 イッシーのパストラル La Pastorale d Issy をパリより 1 リュウ[= 約 4 キロメートル] 離 れたイッシーにある 金 銀 細 工 商 の 貴 族 ラ エ 氏 (René de La Haye) の 館 で 8 回 ないしは 10 回 上 演 した しかしながらフランス オペラはこの イッシーのパ ストラル 以 来 1671 年 ポモーヌ まで 12 年 間 も 上 演 されなかった 一 方 でイタリア オペラは 作 曲 家 カヴァッリ (Francesco Cavalli) と 装 置 家 ヴィガラーニ 親 子 (Gaspare, Carlo et Lodovico Vigarani) で 1660 年 台 本 ミナート (Niccolo Minato) の セルセ(クセルクセ ス)Xerse 1662 年 には 台 本 ブーティ 師 (abbé Francesco Buti) で 恋 するエルコレ(ヘラ クレス)Ercole amante 2 が ピレネー 条 約 の 締 結 及 びルイ 14 世 とマリー=テレーズ (Marie-Thérèse)の 祝 婚 のために 上 演 された リュリは 各 オペラにルイ 14 世 の 好 みに 応 じ バレエ 音 楽 を 挿 入 した しかしそれぞれ 8 時 間 6 時 間 もの 上 演 時 間 を 要 し 莫 大 な 費 用 が 掛 かり 主 導 したマザランが 没 した 後 コルベール (Jean-Baptiste Colbert) の 時 代 になる とオペラの 上 演 は 省 みられなくなった その 間 フランス 宮 廷 で 人 気 を 博 したのがモリエー ル/リュリによるコメディ=バレエであった 3 そのような 状 況 において ペランは 1669 年 6 月 28 日 ルイ 14 世 に 願 い 出 て フランス 語 によるオペラ 上 演 のための オペラ アカデミーAcadémie d opéra 設 立 の 許 可 を 得 た 4 そして 上 演 されたのが ポモーヌ である 第 一 節 ペランの 手 紙 と リリック 技 法 5 ペランは 第 一 作 イッシーのパストラル 成 功 の 後 1659 年 サヴォイ 公 のフランス 大 使 であったトリノ 大 司 教 ラ ルエール 師 (abbé de la Rouёre, archevêque de Turin) 宛 てに イ タリア オペラを 批 判 し 自 作 を 弁 護 する 長 大 な 手 紙 を 送 った プガン (Arthur Pougin) に 1 James R. Anthony, French Baroque Music from Beaujoyeulx to Rameau, op. cit., p 年 成 婚 のために 発 注 されたが 1662 年 テュイルリー 宮 殿 の 機 械 仕 掛 け 劇 場 完 成 まで 上 演 が 待 たれ た この 機 械 仕 掛 け 劇 場 は 4000 とも 6000 とも 言 われる 座 席 数 を 誇 り その 巨 大 な 空 間 のため 音 響 は 良 く なかった 3 Jérôme de La Gorce, L opéra à Paris au temps de Louis XIV (Paris: Édition Desjonquères, 1992), pp ちなみに 現 在 のガルニエのパリ オペラ 座 の 緞 帳 にはペランがルイ 14 世 より 創 設 の 認 可 を 得 た 日 付 1669 年 6 月 28 日 が 創 設 日 として 記 されている 竹 原 正 三 パリ オペラ 座 フランス 音 楽 史 を 飾 る 栄 光 と 変 遷 東 京 : 芸 術 現 代 社 1995 年 23 頁 5 ペランの 手 紙 と リリック 技 法 の 詳 細 については 以 下 の 拙 論 にある 村 山 則 子 フランス 初 期 オ ペラにおける 創 始 者 としてのピエール ペランの 役 割 彼 の 論 考 から 見 た 詩 と 音 楽 との 関 係 音 楽 文 化 論 集 第 1 号 頁 東 京 : 東 京 藝 術 大 学 大 学 院 音 楽 研 究 科 2011 年 23

25 よると この ラ エール 師 への 手 紙 Lettre à l abbé de la Rouёre はフランスにおいて 初 め て 出 版 された 音 楽 上 の 論 説 文 であるにもかかわらず 1881 年 の 自 著 まで 200 年 以 上 誰 にも 顧 みられることはなかったと 言 う 6 その 手 紙 の 中 で ペランはイタリア オペラに 対 して 長 大 すぎる イタリア 語 の ため 理 解 できない 観 客 が 多 すぎるなどと 9 点 の 論 点 で 批 判 し フランスで 上 演 された 初 めてのフランス 語 による 音 楽 劇 と 自 ら 誇 る 自 作 の 独 自 性 を 論 じた ペランの 上 記 のよ うなイタリア 批 判 に 対 してロマン ロランは イタリアの 諸 傑 作 にたいするこのような 無 知 ないしは 無 関 心 は 奇 妙 なことで これはフランスにおける 音 楽 精 神 の 凡 庸 さを 証 明 し ている 7 と 非 難 する また ラ ローランシーも ペランの 勝 利 は イタリア 芸 術 の 移 入 に 反 駁 するフランスのショーヴィニスムの 圧 力 と 合 致 したからである 8 とし フランス オペラはイタリアによって 霊 感 を 与 えられた 勝 利 であるということを 忘 れてはならない 9 と 結 論 づける デュロンは 2004 年 の 著 作 において ペランの 言 及 したこの 9 点 のうちに 彼 のフランス オペラに 対 する 指 向 が 読 み 取 れるとする イタリア オペラはフランス 聴 衆 の 熱 望 を 満 足 させられない なぜなら フランス 独 自 の 趣 味 楽 器 の 音 色 ダンス 合 唱 変 化 への 指 向 上 演 構 成 効 果 や 情 熱 を 測 る 尺 度 それらがイタリアとは 絶 対 的 に 異 なるからだ ま た 言 葉 がよく 理 解 されるためには 少 ない 聴 衆 の 前 に 多 くの 出 演 者 をというペランの 要 請 は 世 紀 フランス 音 楽 の 一 つの 問 題 点 であり 収 益 性 経 済 性 と 矛 盾 している そ のためペランは 生 涯 経 済 的 な 欠 乏 を 招 いていたとデュロンは 述 べる 10 しかしなんと 言 ってもペランの 業 績 において 注 目 すべきは これまであまり 検 討 されて こなかった リリック 技 法 L Art lyrique と 題 する 考 察 で フランス 語 と 音 楽 の 問 題 を 考 えたことであろう ペランが 1666 年 コルベールに 献 呈 した 音 楽 詩 歌 選 集 Recueil de paroles de musique の 冒 頭 に 載 せる 心 積 もりで 音 楽 と 言 葉 に 関 する 考 察 を 纏 めたのが リリッ ク 技 法 である その 手 稿 は 残 念 ながら 散 逸 し 断 片 のみが 残 っているが オールドは 1986 年 に リリック 技 法 に 関 する 詳 細 な 研 究 書 を 出 版 している 11 デュロンはオールドの 論 考 を 参 照 しながら リリック 技 法 の 断 片 からは ペランの 音 楽 と 言 葉 にたいする 深 い 認 識 が 読 み 取 れるとしている 12 その 中 で 何 点 か 挙 げると ペランは 音 楽 戯 曲 の 一 般 的 構 造 6 Arthur Pougin, Les vrais créateurs de l opéra français, Perrin et Cambert, op. cit., pp Daniela Dalla Valle, «Le succès du premier opéra en français: La première comédie française en musique. Pastorale de Pierre Perrin et Albert (sic) Cambert» dans L âge de la représentation: L art du spectacle au XVII e siècle, éd. Rainer Zaiser (Tübingen: GunterNarr Verlag, 2007), pp Catherine Kintzler, Poétique de l opéra français de Corneille à Rousseau, op. cit., pp なお ペランの 一 次 資 料 は 以 下 であるが 日 本 での 入 手 が 困 難 なため 参 照 されていない Pierre Perrin, Les Œuvres de poésie (Paris: Loyson, 1661). この 手 紙 に 関 してカンツレルは プガンより 引 用 し ヴァッレは 上 記 ペランの 原 作 より 引 用 している 7 ロマン ロラン 近 代 音 楽 劇 の 起 源 リュリおよびスカルラッティ 以 前 のヨーロッパにおけるオペラの 歴 史 ロマン ロラン 全 集 20 戸 口 幸 策 訳 東 京 : みすず 書 房 1982 年 258 頁 8 Lionel de la Laurencie, Les Créateurs de l opéra françias (Paris: Alcan, 1921), p Ibid., p Jean Duron, «Pierre Perrin un Virgile françias?» dans Poésie & calligraphie imprimée à Paris au XVII e siècle, dir. I. de Conihout et F. Gabriel (Paris: Bibliothèque Mazarine, Les Éditions Comp Act, 2004), p Louis E. Auld, The Lyric Art of Pierre Perrin, Founder of the French Opera (Henryville: Institute of Medieval Music, 1986) 12 Jean Duron, «Pierre Perrin un Virgile françias?», op. cit., pp

26 として クープレ (couplet) とエール (air) に 分 け クープレでは 2 行 詩 4 行 詩 5 行 詩 6 行 詩 を 用 い 不 必 要 な 語 句 を 切 り 詰 め 短 い 不 規 則 な 詩 行 を 勧 める エールにおいて は 自 由 で 荘 重 な 拍 子 や 動 きで 進 む (marche à mesure et à mouvement libres et graves) ので 4 行 詩 5 行 詩 6 行 詩 を 推 奨 する またフランス 語 独 特 の 無 音 の e の 処 理 が 詩 人 にとって 問 題 になることを 指 摘 し 句 切 れ ではリエゾンやエリジヨンのために 歌 い 手 の 息 継 ぎができなくなるので 無 音 の e を 使 うことを 終 始 一 貫 して 避 けるよう 彼 は 提 唱 する 脚 韻 は 特 に 音 楽 的 詩 句 では 必 要 とされる そこで 歌 い 手 は 息 継 ぎが 可 能 になるし カデン ツを 強 調 できる 彼 はこの 脚 韻 のうち[= 語 尾 が 無 音 の e である] 女 性 韻 について 語 尾 から 一 つ 前 の 音 節 がカデンツのために 長 く 目 立 つ 保 持 音 を 要 求 するので 不 安 定 さに 気 を 配 る よう 忠 告 する 彼 は 緩 慢 で 長 い 音 節 では 女 性 韻 を 軽 快 で 短 い 音 節 では 男 性 韻 を 使 うこと を 勧 める こうして 語 そのものが そのリズムによって 音 楽 となる また 脚 韻 が 作 りだす 言 葉 は その 語 尾 が 音 で 模 倣 されることによって 全 ての 美 が 作 り 出 される このことにつ いてデュロンは ペランはすでに 1650 年 代 はじめには 脚 韻 と 結 びついた 音 声 的 なカデン ツの 構 造 的 重 要 性 を 認 識 していた 13 と 述 べる このようなペランの 音 楽 と 言 葉 についての 具 体 的 で 詳 細 な 考 察 は それまで 誰 も 行 って いないとデュロンは 言 う 14 筆 者 はこの リリック 技 法 の 考 察 が 1660 年 代 半 ばだという ことを 勘 案 すれば 首 肯 できると 考 える 実 作 においてもペランはランベール (Michel Lambert) が 音 楽 を 付 けた 三 人 の 羊 飼 いの 男 女 が 歌 で 対 話 する 小 品 を 創 っていた 15 また 彼 は イッシーのパストラル でパストラ ルとして 初 めてフランス 語 のレシタティフを 用 いた 16 そして 同 時 代 のメネストリエ (père Ménestrier) 17 も 注 釈 するように 当 時 古 典 悲 劇 の 12 音 節 アレクサンドラン (alexandrin) による 朗 誦 が 全 盛 だった 時 に 彼 はアレクサンドラン によらない 歌 う 声 に 適 した 自 由 な 韻 文 詩 を 創 りだす そのことを 上 記 手 紙 の 中 で ペ ランはこう 述 べる 自 作 [= 音 楽 劇 の 台 本 ]に 加 えたのは アレクサンドランではありません なぜなら 短 く 句 切 れや 脚 韻 の 多 い 詩 句 の 方 が 歌 うのにはもっと 適 していて その 方 がより 頻 繁 に 気 楽 に 息 継 ぎができるから 声 には 便 利 なのです 18 ここから 見 るとペランは 詩 句 において なによりも 声 に 適 した 自 由 な 韻 律 詩 を 創 りだす 13 Ibid., p Ibid., p Arthur Pougin, op. cit., pp Claude-François Ménestrier, Des représentations en musique anciennes et modernes, 1 ère éd (Genève: Minkoff reprint, 1972), p H. Schneider, art. «pastorale» dans Dictionnaire de la musique en France aux XVII e et XVIII e siècles, dir. M. Benoit (Paris: Fayard, 1992), p Claude François Ménestrier ( ) 歴 史 学 者 で 音 楽 愛 好 家 宮 廷 バレエに 関 する 著 作 で 有 名 Arthur Pougin, op. cit., p Ibid., p. 66. «Ce que j ay ajousté du mien, est que j ay composé la pièce de vers lyriques et non pas alexandrins, parce que les vers courts et remplis de césures et de rimes sont plus propres au chant et plus commodes à la voix qui reprend son haleine plus souvent et plus aisément.» 25

27 ことに 苦 心 したと 言 えよう メネストリエは 1681 年 その 著 古 代 及 び 現 代 の 音 楽 による 上 演 Des représentations en musique anciennes et modernes の 中 でペランの 業 績 を わが 国 の 優 れた 作 曲 家 の 大 家 達 が 彼 の 言 葉 にエールを 作 曲 し われわれの 言 語 [=フラン ス 語 ]がもっとも 美 しい 情 熱 や 優 しい 感 情 を 表 現 できると 認 識 していた と 述 べている 19 ペランの 手 紙 の 論 点 は 確 かにショーヴィニスム 過 ぎる 傾 向 も 見 られ 一 種 の 揶 揄 を 持 って 引 用 されることも 多 い しかし リリック 技 法 において 至 っては 彼 が 手 紙 で 示 した 論 点 が 具 体 的 に 真 摯 に 深 められ 考 察 されていることが 分 かる 特 に 彼 が 脚 韻 と 結 びついた 音 声 的 カデンツの 構 造 を 認 識 したことは 音 楽 と 言 葉 との 関 係 に 重 要 な 視 点 を 導 入 したと 考 えられよう 第 二 節 ポモーヌ について 前 節 で 見 たように 音 楽 と 詩 句 について 考 察 したペランだが 彼 の 台 本 自 体 はこれまであ まり 評 価 されていない 当 時 において 彼 はサン=テヴルモンにその 詩 句 は 平 凡 だと 評 さ れ 古 典 劇 の 擁 護 者 であるボワローからもその 風 刺 詩 サティール 9 SatireIX の 中 でキノー 等 共 々 彼 は 宮 廷 中 を 退 屈 させる 駄 作 詩 人 として 執 拗 な 攻 撃 を 受 け その 詩 を 削 除 するよう 仮 借 なく 糾 弾 される 20 しかし 彼 は 音 楽 に 適 した 言 葉 を 書 いたという 点 では 評 価 されな ければならないと 考 える それにこの 作 品 は 悲 劇 ではなくパストラルであった 演 劇 としてのパストラルは 16 世 紀 半 ばよりイタリア スペインの 田 園 劇 のフランス 語 翻 訳 が 始 まり フランスの 田 園 劇 (pastorale dramatique) としては 1607 年 デュルフェ (Honoré d Urfé) の アストレ L Astrée が 出 版 され 大 流 行 をした 宮 廷 人 たちは 16 世 紀 半 ばから 始 まった 宗 教 戦 争 などの 陰 惨 な 現 実 の 世 相 から 逃 避 し 架 空 の 愛 の 世 界 に 遊 ぼ うとした 21 そこでは 舞 台 を 田 園 に 限 り 時 場 所 筋 の 三 単 一 は 限 定 を 広 げながらも 守 られ ギャラントな 恋 愛 が 主 筋 であり 神 話 上 の 神 々が 登 場 し 超 自 然 的 な 驚 くべきも の が 要 素 として 用 いられ また 夢 や 眠 りの 場 面 が 取 り 入 れられた 22 この 演 劇 としての パストラルは 1650 代 には 次 第 に 姿 を 消 し 代 わって 1659 年 ペランの イッシーのパスト ラル から 始 まる 音 楽 付 きのパストラル (pastorale lyrique) の 流 行 を 見 る この 演 劇 としてのパストラルには 要 素 として 超 自 然 的 な 驚 くべきもの のエピソード が 多 く 含 まれていた その 伝 統 を 音 楽 付 きのパストラルでも 引 き 継 いだ しかし 悲 劇 でな い 以 上 過 酷 な 運 命 を 前 にした 気 高 い 人 物 像 予 想 しない 筋 の 急 転 回 による 解 決 とい う 悲 劇 作 劇 上 の 驚 くべきもの の 要 素 は 要 求 されていない 19 Claude-François Ménestrier, Des représentations en musique anciennes et modernes, op. cit., p Arthur Pougin, op. cit., p. 51. «[...]le Sieur Perrin [ ] ayant fait souvent des paroles pour les airs que nos meilleurs Maîtres de Musique composoient, s apperçut que nôtre langue étoit capable d exprimer les passions les plus belles, & les sentiments les plus tendres,[...]» 20 Nicolas Boileau-Despréaux, «Satire IX» dans Satires, Épîtres, Art poétique, éd. J. -P. Collinet (Paris: Gallimard, Poésie, 1985), v «Ils ont bien ennuyé le roi, toute la cour,/ Sans que le moindre édit ait, pour punir leur crime,/ Retranché les auteurs, ou supprimé la rime.» 21 伊 東 洋 十 六 世 紀 末 の 演 劇 ( 年 ) フランス 文 学 講 座 4 演 劇 東 京 : 大 修 館 書 店 1977 年 63 頁 22 Catherine Kintzler, Jean Philippe Rameau, splendeur et naufrage de l esthétique du plaisir à l age classique (Paris: Minerve, 1988), pp

28 ポモーヌ の 舞 台 は 果 実 の 女 神 であるポモーヌの 果 樹 園 とその 庭 園 樫 の 庭 園 で 繰 り 広 げられ ポモーヌとヴェルテュヌ (Vertumne) の 恋 愛 の 成 就 で 幕 を 閉 じる プロロー グおよび 五 幕 からなるパストラルである この 劇 では イッシーのパストラル と 比 較 す ると 登 場 人 物 も 増 え 彼 らの 様 々な 変 身 シーンがあり 場 面 の 転 換 や 構 成 はより 複 雑 になっ ている プガンによると 前 作 イッシーのパストラル は パリ 郊 外 の 一 貴 族 の 館 で 上 演 されただけに 簡 素 なもので ダンスの 場 面 や 機 械 仕 掛 けはなかった 23 ペランの オペラ アカデミー において 機 械 仕 掛 けは 金 の 羊 毛 でコルネイユと 共 作 したスルデアック 侯 爵 (marquis de Sourdéac) が 担 ったが 結 局 ペランは 彼 に 裏 切 られ 借 金 を 一 人 で 担 わされ 投 獄 の 憂 き 目 に 会 う その 権 利 が 後 にリュリによって 買 い 取 られ 王 立 音 楽 アカデミー Académie royale de musique となって 独 占 されるにいたることは よく 知 られている 24 フランス オペラ 成 立 に 重 要 な 役 割 を 果 したペランだが 不 幸 な 結 末 に 終 わった 詩 人 といえよう ここで 作 曲 者 カンベールの 音 楽 について 見 てみよう 17 世 紀 においてすでにサン=テヴルモンはこの ポモーヌ について 詩 句 は 全 く 取 る に 足 らないが 音 楽 は 素 晴 らしいと 賞 賛 し そのレシタティフはリュリより 優 れていると 評 している 25 またプガンも 前 述 した 1891 年 の 著 作 で カンベールの 序 曲 でのオーケストラ の 配 置 や 和 声 のつけ 方 はリュリの 初 期 のオペラより 勝 っているとしている そして この ポモーヌ はそのレシタティフの 扱 い 方 や 和 声 の 自 然 さなどで カンベールが 非 常 に 熟 練 した 作 曲 家 だったと 分 かるとする 26 現 代 においてもアンソニーはカンベールの 記 譜 は リュリのそれより 進 んでいると 述 べる 27 ポモーヌ の 楽 譜 は 王 立 音 楽 アカデミー における 公 式 出 版 を 担 っていたバラール (Christophe Ballard) より 1671 年 に 出 版 されているが プロローグから 第 一 幕 および 第 二 幕 の 始 めまで 合 計 40 ページしか 残 されていない そのことについてプガンはリュリが 1672 年 には 新 たに 王 立 音 楽 アカデミー の 権 利 を 獲 得 し カンベールの 締 め 出 しを 図 ったこ とと 関 連 するとしている また 結 果 的 にイギリスに 亡 命 を 余 儀 なくされたカンベールが ポモーヌ の 楽 譜 を 持 ち 出 したとも 推 定 されると 述 べている 28 この 作 品 には 王 への 賛 辞 を 捧 げる プロローグ がオペラとして 初 めて 取 り 入 れられて いる プガンは この プロローグ をキノーの 創 設 とするのは 間 違 いであると 述 べる 29 確 かに イッシーのパストラル 終 幕 でのディアーヌによる 王 への 賛 辞 が ポモーヌ で 初 めて 独 立 した プロローグ として 設 定 されている 30 このプロローグ 付 き 五 幕 構 成 は リュリを 経 てラモー (Jean-Philippe Rameau) にも 引 き 継 がれる 23 Arthur Pougin, op. cit., p この 辺 りの 事 情 は Charles Nuitter et Louis Étienne Thoinan, Les origines de l opéra français (Paris: Plon, Nourrit et C ie, 1886), pp に 詳 細 な 記 述 がある 25 Lionel de la Laurencie, Les Créateurs de l opéra français, op. cit., p Arthur Pougin, op. cit., pp James R. Anthony, op. cit., p Arthur Pougin, op. cit., p Ibid., p この 王 を 讃 えるプロローグ 付 き 5 幕 構 成 は 1650 年 コルネイユの アンドロメード より 用 いられ 1671 年 プシシェ でも 同 じ 構 成 である しかしそれらは 機 械 仕 掛 け 劇 であり オペラではなかった 27

29 第 一 幕 冒 頭 でのポモーヌとニンフたちとが 歌 うエールは 4 音 節 の 繰 り 返 しが 用 いられ 古 典 劇 の 典 型 であるアレクサンドランは 用 いられていない 続 いてリトルネルの 後 にポ モーヌが 歌 うエールはプガンが 全 曲 を 引 用 し それは 優 雅 に 満 ちたカンティレーヌ[= 叙 情 的 で 簡 素 な 旋 律 ]であり カンベールの 音 楽 的 美 質 の 証 拠 であるとしているが この 音 節 は 5 音 節 で 成 り 立 っている ペランが 自 ら 述 べているように 音 楽 に 合 わせて 響 きの 良 い 言 葉 を 選 び 息 継 ぎが 楽 な ように 短 い 音 節 の 自 由 韻 律 の 詩 を 書 いた 現 われであろう ペランがカンベールと 共 に イッ シーのパストラル に 続 いて フランス 語 のレシタティフを 試 みたことはあきらかである 特 に 難 点 とされていた 無 音 の e および 語 尾 前 の 音 節 の 保 持 音 について ペランとカンベー ルは 注 意 深 く 言 葉 と 旋 律 を 考 えている 1672 年 リュリが 王 立 音 楽 アカデミー の 独 占 権 を 得 たことで カンベールはフランス での 音 楽 活 動 が 禁 じられ 1674 年 ロンドンに 渡 りチャールズ 二 世 の 音 楽 監 督 官 となり 同 年 ポモーヌ の 上 演 音 楽 喜 劇 アリアーヌまたはバッカスの 結 婚 Ariane ou Le Mariage de Bacchus 31 の 初 演 を 行 ったが 1677 年 不 可 解 な 死 を 遂 げた それはリュリの 指 示 による 暗 殺 だったという 説 もある 32 第 三 節 フランス オペラ 成 立 におけるペランの 役 割 ここまで 見 てきたように ペランがやがて 成 立 するトラジェディ アン ミュジックに 与 えた 影 響 は 以 下 に 要 約 されると 思 われる 第 一 に 彼 はそのオペラ 作 品 において 初 めてフランス 語 によるレシタティフを 用 い 自 由 韻 律 詩 を 創 り 出 し 王 を 賛 辞 する プロローグ を 設 けた 第 二 にその 理 論 に 関 して 手 紙 と リリック 技 法 という 二 つの 論 考 によって その 後 のフランス オペラ 理 論 の 基 本 を 創 った 手 紙 に 関 して イタリア 音 楽 とフランス 音 楽 との 優 劣 という 問 題 点 については 18 世 紀 初 頭 のラグネ 師 (abbé Raguenet) 33 を 始 め 様 々 な 芸 術 家 や 論 者 が 取 り 上 げたテーマであり やがて 1752 年 からの ブフォン 論 争 を 導 く ことになるであろう また リリック 技 法 では それまで 誰 も 論 じなかった 音 楽 と 言 葉 との 関 係 を 具 体 的 に 詳 細 に 検 討 した 第 三 にペランの 業 績 としては 何 よりも 1659 年 イッシーのパストラル 以 来 のフランス オペラ 上 演 の 空 白 を 乗 り 越 えて 1669 年 オペラ アカデミー の 設 立 を 実 現 し 1671 年 の ポモーヌ 上 演 を 果 したことであろう オペラ アカデミー はリュリに 買 い 取 られ ペラン 自 身 は 共 作 者 カンベールと 共 に 不 運 な 結 末 を 迎 えた しかし オペラ アカデミー の 創 設 があったからこそ リュリの 王 立 音 楽 アカデミー にフランス オペラの 設 立 が 引 き 継 がれていったといえよう 31 ペランとカンベールにより 1659 年 イッシーのパストラル 後 創 作 されたが 1661 年 マザラン 卿 の 死 により リハーサルのみで 終 わっていた 32 Lionel de la Laurencie, op. cit., p François Raguenet, Parallèle des Italiens et des François en ce qui regarde la musique et les opéra (Paris: Jean Moreau, 1702). 28

30 こうして 見 てくると ペランをフランス オペラの 創 始 者 と 呼 ぶことは 妥 当 であると 思 われる しかしながら 彼 が 上 演 した 二 つのオペラはパストラルであり トラジェディ アン ミュジックではなかった それはコルネイユの 機 械 仕 掛 け 劇 のように 古 代 神 話 や 伝 説 を 主 題 にしたものではなく また 悲 劇 でもなかった よって 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 舞 台 上 に 現 われるが 悲 劇 作 劇 上 の 観 客 の 驚 きと 称 賛 を 目 指 す 本 質 的 な 驚 くべきも の の 概 念 は 考 慮 されていないといえるであろう 29

31 第 三 章 王 立 音 楽 アカデミー 設 立 とリュリ 前 述 したように ペランの 権 利 を 買 い 取 ったリュリにより 1672 年 3 月 王 立 音 楽 アカデ ミーAcadémie royale de musique が 設 立 される 杮 落 しの 作 品 は 1672 年 11 月 のパストラ ル 愛 の 神 アムールとバッカスの 祭 典 Les Fêtes de l Amour et de Bacchus 1 であったが 翌 年 の 1673 年 4 月 キノーの 台 本 で 第 一 作 目 のトラジェディ アン ミュジック カドミュス とエルミオーヌ Cadmus et Hermione [= 以 後 カドミュス と 略 する]が 初 演 され 稀 に 見 る 成 功 を 収 めた トラジェディ アン ミュジックの 成 立 はこの 作 に 帰 されることが 一 般 的 である 2 カドミュス の 成 功 後 すぐにルイ 14 世 により 次 作 への 要 望 が 出 され リュリ とキノーは 早 速 創 作 にかかった それが 本 論 で 取 り 上 げるトラジェディ アン ミュジッ ク 第 二 作 アルセスト である 二 人 はこの 作 で カドミュス と 同 様 にそれまでのパス トラルから 縁 を 切 り さらに 意 欲 的 に 悲 劇 詩 人 エウリピデスの 原 作 を 用 い 古 代 ギリシア 悲 劇 の 再 興 をめざした この 試 みはフィレンツェのカメラータと 同 様 フランスでも 人 文 主 義 演 劇 以 来 の 100 年 に 渡 る 願 望 であった 古 代 ギリシア 悲 劇 のアイスキュロス ソポクレ ス エウリピデスの 悲 劇 は 言 葉 と 共 に 音 楽 やダンスが 挿 入 されていたが 当 時 は 勿 論 現 代 まで 音 楽 やダンスの 資 料 は 失 われたままである 3 本 章 ではまずリュリの 経 歴 作 風 について 見 ておきたい 第 一 節 リュリの 経 歴 とモリエールとのコメディ=バレエ リュリ (Jean-Baptiste Lully) はフィレンツェ 出 身 で 後 にフランス 国 籍 を 取 得 しルイ 14 世 の 宮 廷 で 活 躍 した 1646 年 14 歳 でフランスに 渡 り 1652 年 までルイ 13 世 王 弟 ガストン オルレアン 公 の 一 人 娘 モンパンシエ 公 女 (duchesse de Montpensier)の 館 に 仕 えた 1653 年 夜 のバレエ Ballet de la Nuit で 踊 り 手 として 宮 廷 にデヴューし 舞 踏 を 好 んだルイ 14 世 に 好 まれた やがて 宮 廷 バレエ (ballet de cour) の 音 楽 を 任 されるようになり,1658 年 から は 主 に 詩 人 バンスラード (Isaac de Benserade) と 共 作 し そのバレエ 作 品 は 次 第 に 演 劇 的 統 一 性 を 強 めるに 至 った 1661 年 王 の 宮 廷 音 楽 監 督 官 および 作 曲 家 (Surintendant et Compositeur de la musique de la chambre du roi) に 任 命 され フランスに 帰 化 し 翌 年 作 曲 家 ランベールの 娘 と 結 婚 した 1664 年 フォンテーヌブローにおける 祝 祭 で 再 演 されたコルネ 1 リュリは 王 立 音 楽 アカデミー の 開 場 を 急 ぎ モリエールと 共 作 したコメディ=バレエ 田 園 喜 劇 ジョルジュ ダンダン 気 前 のよい 恋 人 たち 町 人 貴 族 などの 中 から 引 用 合 成 してキノーの 台 本 を 付 け 加 え このパストラルを 作 った 2 トラジェディ アン ミュジックの 第 1 作 として カンツレルやアンソニーはペラン/ボエセの アド ニスの 死 La Mort d Adonis を 挙 げる 成 立 年 代 については カンツレルは 年 を 推 定 し アン ソニーは 台 本 は 1666 年 以 前 に 書 かれたとするが 楽 譜 は 散 逸 した Catherine Kintzler, Poétique de l opéra français de Corneille à Rousseau, op. cit., p James R. Anthony, French Baroque Music from Beaujoyeulx to Rameau, op. cit., p Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p

32 イユ エディップ Œdipe では 王 の 要 請 で 序 曲 と 幕 間 でのバレエ 音 楽 を 書 いた 年 5 月 3 日 間 に 渡 って 繰 り 広 げられたヴェルサイユ 宮 殿 の 祝 祭 魔 法 の 島 の 悦 び Les Plaisirs de l Isle enchantée はアリオスト (Ludovico Ariosto) の オルランド 狂 乱 Orlando furioso を 下 に 構 成 され リュリも 参 画 した 初 日 は 王 や 貴 族 たちの 騎 乗 行 進 アポロン の 戦 車 宮 廷 バレエ 四 季 Ballet des Saisons のテーマからバレエのアントレ 5 が 繰 り 広 げ られた 2 日 目 ではモリエールの エリード 姫 La Princesse d Élide がリュリの 音 楽 とバレ エを 交 えて 上 演 され 3 日 目 には アルシーヌの 宮 殿 のバレエ Ballet du Palais d Alcine が 上 演 された デュロンは この 祝 祭 の 催 しはリュリの 後 のトラジェディ アン ミュジック の 形 成 に 大 きな 影 響 を 与 えたと 述 べる すなわち 初 日 での 行 進 やアポロンの 出 現 はプロ ローグに 当 たり 2 日 目 からが 本 体 の 劇 になり 歌 や 踊 りのディヴェルティスマンが 挿 入 されるという 構 成 である 6 コメディ=バレエは 1661 年 フーケ (Nicolas Fouquet) のヴォー=ル=ヴィコント 城 での 祝 祭 でモリエールがボーシャン (Pierre Beauchamps) の 音 楽 で 喜 劇 うるさがた Les Fâcheux を 初 演 した 時 が 始 まりとされる この 時 リュリは 短 い 曲 を 付 けただけであったが 1664 年 無 理 強 いの 結 婚 Le Mariage forcé よりモリエールと 組 んでコメディ=バレエを 作 り 始 め ヴェルサイユを 中 心 にさまざまな 祝 宴 を 飾 った 1664 年 上 記 の エリード 姫 1665 年 恋 は 医 者 L Amour médecin 1667 年 田 園 喜 劇 La Pastorale comique 1667 年 シシリー 人 Le Sicilien 1668 年 ジョルジュ ダンダン George Dandin 1669 年 プールソニャッ ク 氏 Monsieur de Pourceaugnac 1670 年 気 前 のよい 恋 人 たち Les Amants magnifiques 1670 年 町 人 貴 族 Le Bourgeois gentilhomme など 多 くの 作 品 を 送 り 出 した 後 のトラジェ ディ アン ミュジックが 主 題 を 古 代 の 神 話 や 英 雄 物 語 に 求 めたのに 対 し コメディ=バレ エでは 同 時 代 の 日 常 生 活 が 喜 劇 的 に 風 刺 を 交 えて 描 かれた よって 悲 劇 的 な 概 念 の 驚 く べきもの は 考 慮 されていないといえよう 1671 年 にはすでに 見 たようにモリエールとリュリはコルネイユとキノーを 加 えて 台 詞 歌 バレエ 機 械 仕 掛 けを 用 いた 悲 喜 劇 とバレエ プシシェ を 作 り これは 古 代 神 話 を 主 題 にし 後 のトラジェディ アン ミュジックを 導 いた プシシェ の 共 作 の 後 モリエールとの 関 係 は 悪 化 し リュリは 次 第 にオペラへと 関 心 を 向 けるようになる リュリは 当 初 フランス 語 はオペラには 向 かないと 思 っていた フ ランス オペラは 1659 年 のペランの イッシーのパストラル 以 後 は 1671 年 ポモーヌ まで 12 年 間 上 演 されなかった その 間 フランス 宮 廷 で 人 気 を 博 したのが このモリエール /リュリによるコメディ=バレエであった しかし 上 述 したように 1669 年 にペランにより オペラ アカデミー が 創 設 され 1671 年 3 月 にはブテイユ 掌 球 場 で ポモーヌ が 上 演 され 大 好 評 を 博 した 続 いてペランとカンベールに 協 力 して 1671 年 11 月 にはヴェル 4 ラ ゴルスによれば やはり 宮 廷 での 祝 祭 における 再 演 に 際 して リュリは 1669 年 コルネイユ ニコ メード で 間 奏 曲 を 1670 年 ラシーヌの ブリタニキュス でも 同 様 にバレエ 付 きの 間 奏 曲 を 作 曲 して いる Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully (Paris: Fayard, 2002), p. 138, pp , p フランスの 宮 廷 バレエにおいては, 仮 面 や 扮 装 を 施 した 登 場 人 物 が 音 楽 に 伴 われて 登 場 し, 歌 や 踊 りを 披 露 する 場 面 を 指 した またこの 用 語 はディヴェルティスマンの 始 まりを 告 げる 行 進 曲 風 の 音 楽 にも 用 い られた 6 Jean Duron, «L instinct de M. de Lully» dans La tragédie lyrique, op. cit., p

33 サイユでギシャール (Henry Guichard) 台 本 /サブリエール (Jean de Granouilhet Sablières) 作 曲 のパストラル ディアーヌとアンディミオンの 愛 Les Amours de Diane et d Endymion が 初 演 された そして オペラ アカデミー では 1672 年 1 月 より パストラル 愛 の 神 アムールの 悩 みと 悦 び Les Peines et les Plaisirs de l Amour がジルベール(Gabriel Gilbert) 台 本 /カンベール 作 曲 により 好 評 の 中 に 上 演 を 重 ねていた 7 最 初 リュリはペラン/カンベールの 二 つのオペラを 問 題 にしていなかったが 次 第 にその 成 功 や 利 益 を 見 て 野 心 を 燃 やすようになった 年 リュリはペランより オペラ ア カデミー の 権 利 を 買 い 取 り 3 月 ルイ 14 世 より 王 立 音 楽 アカデミー として 独 占 権 を 得 て 図 例 1 オペラ 創 作 活 動 を 開 始 する 9 パストラル 愛 の 神 アムールの 悩 みと 悦 び は 急 遽 上 演 中 止 された 現 在 この 楽 譜 は ポモーヌ と 同 じくプロローグと 第 一 幕 しか 残 されていない 年 4 月 28 日 には 後 述 するようにコルベールやペローの 支 援 を 受 け モリエール 一 座 が 占 有 していたパレ=ロワイヤル 劇 場 をモリエール 亡 き 後 自 分 の 専 用 劇 場 とする 11 また 1673 年 4 月 30 日 には 王 令 を 得 て それ 以 後 リュリが 関 わらない 音 楽 上 演 において 歌 手 2 声 およびヴァイオリン 6 本 以 上 そしてダンサーを 使 用 することは 禁 止 されるように なる 12 以 上 のように 王 の 愛 顧 を 下 に リュリは 次 々に 自 らの 特 権 の 取 得 を 重 ねていき その 結 果 敵 対 者 が 増 えていったことは 自 然 の 成 り 行 きであった このことが 後 に 見 るパレ =ロワイヤル 劇 場 での アルセスト 初 演 時 における 不 評 と 陰 謀 の 一 因 ともなったと 考 え られる 第 二 節 トラジェディ アン ミュジックの 確 立 とレシタティフ リュリは 1671 年 プシシェ で 作 曲 と 一 部 歌 詞 を 担 当 し 1672 年 王 立 音 楽 アカデミー の 杮 落 しとして 愛 の 神 アムールとバッカスの 祭 典 を 上 演 したが まだ 完 成 されたレシ タティフは 書 いていなかった 一 方 で 詩 人 ペランは 1669 年 頃 までに トラジェディ アン ミュジックの 第 一 作 として ボエセ (Jean-Baptiste Boesset) と アドニスの 死 La Mort d Adonis を 書 いたが 作 品 は 失 わ れてしまった 1673 年 カドミュス において トラジェディ アン ミュジックの 最 初 の 形 式 が 確 立 さ 7 Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Charles Perrault, Mémoires de ma vie, éd. Paul Bonnefon (Avignon: Renouard, 1909), p «Lulli, qui s étoit moqué jusques-là de leur musique, voyant le grand gain qu ils faisoient, demanda au Roi qu il lui fit don du droit de faire seul des opéras et d en avoir tout le profit.» 9 王 立 音 楽 アカデミー の 許 可 状 が 発 布 された 日 付 については 諸 説 があり 1672 年 3 月 11 日 -18 日 の 間 とされている Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p art. «Les Peins et les Plaisirs de l Amour» dans Dictionnaire de la musique en France aux XVII e et XVIII e siècles, dir. M. Benoit (Paris: Fayard, 1992), p Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Emmanuel Haymann, Lully (Paris: Flammarion, 1991), p Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Lionel de la Laurencie, Lully (Paris: Félix Alcan, 1919), p

34 れる それには プシシェ が 最 も 参 考 にされた 13 デュロンの 解 説 によると リュリは これまでのフランス オペラ ポモーヌ 愛 の 神 アムールの 悩 みと 悦 び で 使 われたパ ストラルを 回 避 し あくまで 古 代 悲 劇 の 復 元 を 目 指 し 音 楽 と 詩 を 完 全 に 結 び 付 けようと した 14 こうして 成 立 したトラジェディ アン ミュジックは 宮 廷 バレエからの 伝 統 を 引 き 継 ぎ 同 時 代 の 古 典 悲 劇 を 対 立 項 として 成 立 した 主 題 は 古 代 神 話 や 英 雄 物 語 から 引 か れ 機 械 仕 掛 けを 用 いた 華 麗 なスペクタクルで 観 衆 を 魅 了 した 戯 曲 は 主 にルイ 14 世 を 讃 えるプロローグと 五 幕 から 成 り 楽 曲 的 にはレシタティフとエール 合 唱 バレエ 器 楽 か ら 構 成 され ほとんどすべての 幕 に 合 唱 とダンスが 組 み 合 わさった 将 来 ディヴェルティ スマン 15 と 呼 ばれる 要 素 が 取 り 入 れられた プロローグと 五 幕 構 成 はペランやジルベー ルの 形 式 を 引 き 継 いでいるが リュリはレシタティフを 考 案 し すべての 台 詞 が 歌 で 繋 が れるようになった 2002 年 のリュリに 関 する 著 作 でラ ゴルスが 述 べるように トラジェ ディ アン ミュジックは 心 と 聴 覚 視 覚 を 同 時 に 楽 しませるという 野 心 的 な 出 し 物 で あった 16 と 言 えよう リュリはキノーにレシタティフによって 筋 を 進 められる 柔 軟 な 共 作 者 を 見 出 した グ ロは 1926 年 の フィリップ キノー その 生 涯 と 作 品 において 言 葉 はキノーが 先 に 書 いてリュリが 音 楽 を 付 け ディヴェルティスマンのエールはリュリが 先 に 音 楽 を 書 き キノーが 言 葉 をつけた 17 と 伝 える エールはそれまでの 宮 廷 エール (air de cour) から 引 き 継 がれたが レシタティフは 演 劇 の 朗 誦 法 を 手 本 にしたと 言 われている 今 日 ナンシー は 声 楽 的 見 地 からは 超 絶 的 技 巧 を 見 せる 場 面 はほとんどなく テクストの 理 解 が 優 先 された 18 と 分 析 する 前 に 見 たようにペランはレシタティフについてある 程 度 考 慮 した しかしコルニックは ペランのレシタティフは 完 全 ではなかった 19 と 述 べる ペランはまだ 最 低 限 しか 用 い なかった トラジェディ アン ミュジックとなるにはレシタティフで 劇 を 続 けることが 必 要 であった それまでにもフランスでは 宮 廷 バレエにおけるレシ[= 劇 中 の 朗 読 ]の 伝 統 が あり その 伝 統 をリュリは 宮 廷 バレエ モリエールと 共 作 したコメディ=バレエなどで 少 しずつ 発 展 させていった 20 聴 衆 はレシタティフを 韻 律 で 区 分 された 通 奏 低 音 に 伴 われた メロペ[= 古 代 ギリシア 劇 での 叙 唱 部 分 ]の 一 種 として 聞 いた しかし 悲 劇 を 進 行 させるレ シタティフはリュリのトラジェディ アン ミュジックで 確 立 された リュリとイタリアのレチタティーヴォとの 違 いで 何 よりも 顕 著 なのは イタリアでのレ チタティーヴォ セッコとアリアという 明 確 な 区 別 はフランスにはなく その 境 界 は 曖 昧 なことである レシタティフはエールの 抑 制 されパターン 化 された 旋 律 によって 助 長 され 13 Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Jean Duron, «L instinct de M. de Lully» dans La tragédie lyrique, op. cit., p アンソニーによるとこの 名 称 は 18 世 紀 の 作 曲 家 カンプラ 以 前 には 使 用 されなかった James R. Anthony, op. cit., p Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Étienne Gros, Philippe Quinault: sa vie et son œuvre, op. cit., p Sarah Nancy, «Les règles et le plaisir de la voix dans la tragédie en musique» dans Revue de dix-septième siècle, n o 223 (Paris: Presses Universitaires de France, 2004), p Sylvain Cornic, L enchanteur désenchanté, Quinault et la naissance de l opéra français, op. cit., pp Ibid., p Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., pp , p. 515, p. 534, p

35 エールはレシタティフの 朗 唱 する 傾 向 を 完 全 に 放 棄 しない 年 の 著 作 でルセール (Lecerf de la Viéville) が 伝 えるところによると リュリは 歌 手 たちに 少 しも 装 飾 はつけないように 私 の レシタティフ はただ 話 すためにあって 全 くむらがないようにして 欲 しい 22 と 指 示 した そのレシタティフは 今 日 アンソニーが 説 明 するように 18 世 紀 に 見 られるような 幾 分 装 飾 音 を 加 えたものではなく 簡 潔 明 瞭 なものだった 23 またイタリアのレチタティーヴォは 拍 子 が 決 まっているが リュリには 三 種 類 のレシタ ティフの 形 式 がある 一 つは 単 純 叙 唱 (récitatif simple ou ordinaire) と 呼 ばれ 最 も 多 く 用 いられ 筋 書 きを 迅 速 に 進 めるために 短 い 対 話 のエールと 共 に 使 われる 決 まったリズ ムや 拍 子 がなく 会 話 のテクスト 理 解 のために 唯 一 の 通 奏 低 音 楽 器 に 伴 われる アルミー ド 第 二 幕 第 五 場 におけるアルミードのモノローグは 最 良 の 例 である 第 二 にレシタティフの 表 現 を 強 調 したい 時 には 拍 節 はやはり 変 化 するが 通 奏 低 音 の 伴 奏 だけではなく オーケストラが 付 けられる それが 伴 奏 付 き 叙 唱 (récitatif accompagné) と 呼 ばれ 24 ロラン 第 四 幕 第 二 場 アルミード 第 二 幕 第 三 場 にその 例 がある 特 に アルミード では アルミードの 魔 法 によって 出 現 した 麗 しい 庭 園 を 見 てルノーが 感 嘆 する 時 の 叙 唱 にオーケストラが 伴 奏 し 場 面 の 調 子 を 決 めるのに 重 要 な 役 割 を 果 してい る 25 第 三 に 規 則 的 な 拍 節 を 持 った 拍 節 叙 唱 (récitatif mesuré) である 1768 年 ルソー (Jean-Jacques Rousseau)がその 著 音 楽 辞 典 Dictionnaire de musique の レシタティフ の 項 目 でこの 用 語 を 使 い 説 明 している 通 常 の 単 純 叙 唱 が 通 奏 低 音 に 伴 われ 詩 句 の 韻 律 に 対 応 して 拍 節 を 変 えるのに 対 し 拍 節 叙 唱 においては 規 則 正 しい 拍 節 で 歌 われ 詩 句 によ る 拍 節 変 化 を 伴 わない 通 常 の 叙 唱 が 突 然 歌 の 旋 律 に 変 化 して 聴 衆 の 驚 きを 引 き 起 こす 効 果 のために 用 いられ ア テンポ (à tempo) と 記 譜 された 拍 節 叙 唱 は 通 常 の 叙 唱 より 詠 唱 に 近 く より 叙 情 的 で 喜 びや 悲 しみ 怒 りなどの 感 情 を 表 わす しかし 本 来 の 詩 句 の 持 つリズムを 重 視 すれば それに 応 じて 拍 節 は 変 化 するのが 自 然 であり ルソーは 拍 節 と 叙 唱 という 二 つの 語 は 矛 盾 を 伴 うと 述 べる 26 アティス 第 一 幕 第 四 場 サンガリード の 腹 心 ドリスのレシタティフに 拍 節 叙 唱 の 実 例 がある 27 イタリアではアリオーゾに 匹 敵 する 28 ルセールはまた リュリはラシーヌ 役 者 のシャンメレ (Marie Desmares Champmeslé) の 21 James R. Anthony, op. cit., p Lecerf de la Viéville, Comparaison de la musique italienne et de la musique françoise (Bruxelles: F. Foppens, 1704), t. 2, p «[...]point de broderie; mon Récitatif n est fait que pour parler, je veux qu il soit tout uni.» 23 James R. Anthony, op. cit., p Paul-Marie Masson, L opéra de Rameau (Paris: Henri Laurens, Rpt. New York: Da Capo Press, 1972), p James R. Anthony, op. cit., p Jean-Jacques Rousseau, art. «Récitatif» dans Dictionnaire de musique, 1 ère éd. Paris, 1768 (Arles: Actes Sud, 2008), p «Ces deux mots sont contradictoires. Tout Récitatif où l on sent quelqu autre Mesure que celles des vers n est plus du Récitatif.» 27 Rémi Castonguay, «Meter Fluctuation in Lully s Recitative» in Independent Study in Music History (NewYork: Hunter College, City University of New Yok, 2006), p James R. Anthony, op. cit., p

36 朗 誦 を 手 本 とした 29 と 記 す シャンメレはオテル ド ブルゴーニュ 座 の 女 優 でその 朗 誦 の 音 楽 性 をラシーヌに 高 く 評 価 されていた 当 時 歌 は 朗 誦 の 一 種 とされていた このリュ リがシャンメレの 朗 誦 を 手 本 にしたというルセールの 言 説 は 今 日 まで 定 説 となっている が それについてはラ ゴルスは 疑 問 を 呈 する リュリは 宮 廷 では 演 劇 を 観 劇 したと 思 われ るが その 頃 リュリが 得 た 上 演 の 独 占 権 に 対 して 反 目 するオテル ド ブルゴーニュ 座 の 主 役 が 演 じる 舞 台 をパリ 市 中 に オペラで 有 名 なリュリが 聞 きに 行 ったかどうかは 分 からな いとラ ゴルスは 述 べる 30 またクヴルールはルセールの 著 作 は 注 意 深 く 読 むようにと 勧 める 31 なぜなら イタリ アの 作 曲 家 がリュリより 優 れているとした 1702 年 ラグネ 師 (abbé François Raguenet) の 著 音 楽 とオペラに 関 するイタリアとフランスとの 比 較 Parallèle des Italiens et des François en ce qui regarde la musique et les opéra に 対 する 反 論 として 書 かれたので リュリを 無 条 件 に 賛 美 し 一 方 キノーをただその 台 本 作 家 としか 見 ていないと 述 べる その 真 偽 のほどは 確 かではないが 筆 者 としてはラ ゴルスの 述 べるように ラシーヌ などの 古 典 悲 劇 を 凌 駕 しようという 野 心 的 試 みをもってトラジェディ アン ミュジック の 創 作 に 当 たり しかも 宮 廷 音 楽 家 としてルイ 14 世 の 愛 顧 を 受 け 王 立 音 楽 アカデミー の 権 利 を 独 占 していたリュリが 今 や 自 分 の 独 占 権 のために 敵 対 する 市 井 のオテル ド ブルゴーニュ 座 の 女 優 の 朗 誦 を 聞 きにわざわざ 行 ったかは 分 からない 古 典 劇 の 朗 誦 に 適 ったレシタティフの 詩 句 を 書 く 役 目 は むしろ 当 のオテル ド ブルゴーニュ 座 におい て 長 年 多 岐 にわたる 演 劇 戯 曲 を 書 いて 来 たキノーが 担 っていたのではないか なぜなら リュリはキノーの 力 量 に 信 頼 を 置 いていたと 考 えられるからである 第 三 節 その 他 の 音 楽 形 式 第 一 項 エールについて イタリア オペラと 比 べて エールとレシタティフの 差 異 がない 点 について アンソニー は 1787 年 初 めて 王 立 音 楽 アカデミー でフランス オペラを 観 劇 したイタリアの 劇 作 家 かつオペラ 台 本 作 家 ゴルドーニ (Carlo Goldoni) の 言 葉 を 伝 えている 私 はアリアを 待 った [...] 踊 り 手 が 現 われた その 幕 はアリアなしで 終 わったと 思 った 私 が 隣 席 の 人 にそう 言 うと その 人 は 私 を 嘲 笑 して たった 今 聞 いた 数 場 面 の 中 に 六 つのアリアがあったと 請 合 った どうしてそんなことが 私 は 聾 じゃない!と 叫 んだ 器 楽 合 奏 がいつも 声 に 伴 奏 していた[...]しかし それは 全 部 レチタティーヴォと 思 った Lecerf de la Viéville, Comparaison de la musique italienne et de la musique françoise, op. cit., t. 2, p «Il écoutoit déclamer la Chanmélé, retenoit ses tons, puis leur donnoit la grace, l harmonie & le degré de force qu ils devoient avoir dans la bouche d un Chanteur, pour convenir à la Musique à laquelle il les approprioit de cette maniere.» Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Manuel Couvreur, Jean-Baptiste Lully, musique et dramaturgie au service du prince (Bruxelles: Marc Vokar Éditeur, coll, «la musique et son temps», 1996), pp James R. Anthony, op. cit., p

37 ゴルドーニが 勘 違 いしたようにイタリア オペラのアリアと 比 べて フランスのエール は 際 立 った 明 確 な 形 体 を 持 たない それはエール ド クール 33 の 伝 統 を 受 け 継 いでいて リュリはエール ド クールを 多 く 作 曲 した 義 父 のランベールからこのフランス 独 自 の 形 式 を 習 った 1972 年 のマッソンの 研 究 を 下 に 1997 年 アンソニーは トラジェディ アン ミュジック のエールを 四 種 類 に 分 ける 34 第 一 に 対 話 のエールは 短 いエールで レシタティフで 間 を 埋 めながらあらすじを 前 に 進 めるために 使 われた 第 二 にモノローグのエールで 俳 優 が 一 人 で 深 い 感 情 を 自 分 自 身 に 語 りかける 時 に 用 いられた 第 三 の 格 言 のエールは 主 に 腹 心 や 侍 女 など 脇 役 のエールに 使 われ 恋 愛 の 遊 戯 的 傾 向 を 持 つ この 第 三 のエールについては 17 世 紀 のリュリやキノーと 同 時 代 人 ボワローによって その 音 楽 と 詩 句 は 道 徳 的 に 淫 奔 だ と 弾 劾 された 35 第 四 にダンスの 歌 でディヴェルティスマンの 中 に 組 み 入 れられる 17 世 紀 前 半 のエール ド クールにその 源 が 見 出 せるが リュリはそれをコメディ=バレエで 発 展 させた そしてアンソニーの 分 析 によると リュリのトラジェディ アン ミュジックのエールに は 二 部 形 式 が 432 ロンド 形 式 が 83 三 部 形 式 が 55 ある 36 第 二 項 ディヴェルティスマンと 合 唱 について レシタティフとエールに 続 いてトラジェディ アン ミュジックで 大 切 な 音 楽 的 要 素 は ディヴェルティスマンである それは 世 紀 のフランス オペラにおいて 幕 中 幕 間 あるいは 劇 の 終 わりに 置 かれたバレエ 歌 器 楽 伴 奏 が 一 体 になった 演 目 を 指 した 宮 廷 バレエを 起 源 とし 劇 の 筋 書 きや 主 題 とは 離 れて 自 由 に 台 本 作 家 や 作 曲 家 の 裁 量 が 許 され ていた 箇 所 である 主 役 の 俳 優 たちは 自 分 の 存 在 を 提 示 する 必 要 がある 時 以 外 は 参 加 せず 見 物 する 側 に 廻 り 脇 役 たちや 踊 り 手 合 唱 などで 演 じられる また 合 唱 はダンスと 同 様 フランス オペラの 重 要 な 要 素 である それまでにも 宮 廷 バレ エでのプロローグやコメディ=バレエなどの 終 幕 の 出 し 物 として 使 われていた トラジェ ディ アン ミュジックにおいて 合 唱 はディヴェルティスマンの 装 飾 的 な 役 割 のみならず あらすじにおいても 受 身 ではあるが 劇 の 進 行 の 注 釈 者 として 活 動 する 17 世 紀 のオペラ 33 エール ド クール air de cour 宮 廷 歌 謡 の 意 である 16 世 紀 末 から 17 世 紀 前 半 アンリ 4 世 からルイ 13 世 の 時 代 にフランスの 宮 廷 や 貴 族 のサロンで 演 奏 された 世 俗 的 歌 謡 の 1 種 である 1571 年 A. ル ロアによって 最 初 の 曲 集 が 出 版 さ れた リュート 伴 奏 付 きの 独 唱 曲 と 4 声 ないし 5 声 の 重 唱 曲 の 2 種 類 があり 一 般 的 には 同 じ 旋 律 に 異 なっ た 詩 節 がつけられた 典 雅 な 歌 曲 である 宮 廷 バレエに 用 いられるようになると 対 比 の 付 いたより 劇 的 要 素 が 加 味 されていった 主 な 作 曲 家 として P. ゲドロン G. バタイユ A. ボエセ M. ランベールなどが いる ルイ 13 世 の 死 後 エール ド クールの 新 しい 曲 集 の 出 版 は 稀 になり 急 速 に 衰 えて 行 ったが 宮 廷 バレエを 経 て リュリが 曲 を 付 けたコメディ=バレエに 引 き 継 がれ トラジェディ アン ミュジックの エールとなり その 成 立 に 影 響 を 与 えた 34 Paul-Marie Masson, L opéra de Rameau, op. cit., pp James R. Anthony, op. cit., p Nicolas Boileau-Despréaux, «Satire X» dans Satires, Épîtres, Art poétique, op. cit., v «Et tous ces lieux communs de morale lubrique/ Que Lulli réchauffa des sons de sa musique?» 36 James R. Anthony, op. cit., p

38 台 本 には 出 演 者 全 員 のリストは 印 刷 されていないので 合 唱 の 人 数 は 分 からないが ペラン のオペラ アカデミーでは 15 名 であった 1778 年 には 50 人 になったと 推 定 されている 37 第 三 項 リュリの 器 楽 曲 について 王 立 音 楽 アカデミー のオーケストラについては 1704 年 に 公 式 記 録 があるが リュリ の 時 代 の 記 録 は 残 されていない しかし 大 きな 変 化 はなかったと 思 われる 大 合 奏 と 小 合 奏 に 分 かれ 大 合 奏 では 10 本 のヴァイオリン 8 本 のヴィオラ 8 本 の 低 音 部 を 受 け 持 つ ヴァイオリン (basse de violon 38 ) 計 26 本 の 弦 楽 器 と 8 本 の 管 楽 器 (オーボエ フルート 通 常 リコーダー バスーン) 1 組 のティンパニーで 構 成 され 序 曲 や 舞 曲 合 唱 の 伴 奏 を 担 当 した 小 合 奏 は 優 れた 演 奏 家 たちで 構 成 され ヴァイオリン 2 バス 2 バス ド ヴィ オル 2 クラヴサン 1 テオルボ 2 指 揮 者 1 で 構 成 され おもにソロや 重 唱 を 伴 奏 したり 時 には 独 奏 もあり また 大 合 奏 とともに 演 奏 したりした 39 器 楽 曲 は 三 つに 分 かれる 第 一 に 序 曲 は 世 紀 のオペラ オラトリオ 組 曲 の 冒 頭 に 置 かれた 器 楽 曲 による 一 様 式 を 指 すが 1658 年 アルシディアーヌのバレエ Ballet d Alcidiane でリュリにより 初 めてフランス 風 序 曲 が 用 いられた 40 フランス 風 序 曲 は 堂 々 とした 付 点 付 き 2 拍 子 系 の 開 始 の 緩 徐 部 分 フーガ 形 式 の 急 速 部 分 再 現 の 付 点 付 き 2 拍 子 系 緩 徐 部 分 の 三 部 で 構 成 される リュリはイタリア 風 序 曲 [=シンフォニア 形 式 の 導 入 曲 で 急 緩 楽 章 の 構 成 ]をフランス 風 に 変 えてこの 序 曲 の 形 式 を 確 立 した 1730 年 ごろまでは フランス 風 序 曲 は 聴 衆 を 静 かにさせ 舞 台 に 集 中 させるために 用 いられたが デュロンは 音 楽 的 な 見 地 から それは 聴 衆 の 耳 を 音 楽 に 馴 れさせ 次 に 入 る 悲 劇 への 準 備 を 導 くとい う 目 的 があった 41 と 述 べる 第 二 にドラマ 的 器 楽 曲 としてプレリュードとリトルネルが 場 面 転 換 や 人 物 の 登 場 を 導 き またエールやアンサンブルを 挿 入 するために 用 いられた 第 三 にダンス 曲 がある アンソニーはリュリのトラジェディ アン ミュジックに 取 り 入 れられたダンス 曲 数 を 調 べ 上 げている 42 2 拍 子 4 拍 子 系 のダンス 曲 としてルール Loure (2) ブーレ Bourrée (8) ガヴォット Gavotte (17) リゴドン Rigaudon (2) ジーグ Gigue (10) カ ナリー Canarie (5) また 3 拍 子 系 としてサラバンド Sarabande (4) パッサカイユ Passacaille (4) シャコンヌ Chaconne (8) メニュエット Menuet (47) パスピエ Passepied (2) そして 行 進 曲 はリュリには 2 拍 子 3 拍 子 系 両 方 見 られる 37 Ibid., p このバス ド ヴィオロンと 呼 ばれる 楽 器 については 明 らかではなく 4 弦 5 弦 など 諸 説 がある 関 根 敏 子 項 目 リュリのオーケストラ オディール デュスッド/ 伊 藤 洋 監 修 フランス 17 世 紀 演 劇 辞 典 東 京 : 中 央 公 論 社 2011 年 591 頁 39 James R. Anthony, op. cit., p 関 根 敏 子 項 目 リュリのオーケストラ 前 掲 書 頁 40 Henry Prunières, La vie illustre et libertine de Jean-Baptiste Lully (Paris: Libraire Plon, 1929), p Jean Duron, «Introduction» dans Atys (Paris: Avant Scène d Opéra, 2011), p James R. Anthony, op. cit., p

39 第 四 節 リュリによるトラジェディ アン ミュジックの 成 立 以 上 見 たように トラジェディ アン ミュジックが 成 立 するために 音 楽 的 に 多 岐 に 渡 る 要 素 をリュリは 創 作 し 結 びつけた 第 一 にフランス 語 によるレシタティフを 考 案 し 言 葉 の 韻 律 に 忠 実 に 音 楽 を 付 した 第 二 にエールはエール ド クールの 伝 統 を 引 き 継 ぎ 歌 手 の 技 巧 的 見 せ 場 はなく むし ろ 自 然 なレシタティフの 拡 大 された 形 式 を 採 り レシタティフとの 際 立 った 明 確 な 差 異 の 形 体 を 持 たない 第 三 にディヴェルティスマンというフランス 独 自 の 演 目 が 幕 中 幕 間 あるいは 劇 の 終 わりに 置 かれる それは 宮 廷 バレエを 起 源 とし バレエ 歌 器 楽 伴 奏 が 一 体 になり 劇 の 筋 書 きや 主 題 とは 離 れて 自 由 に 台 本 作 家 や 作 曲 家 の 裁 量 が 許 されていた 箇 所 である また それまでフランスにおいて 好 まれてきた 合 唱 はトラジェディ アン ミュジック においてさらに 大 きな 役 割 を 果 した 第 四 に 器 楽 曲 として リュリはフランス 風 序 曲 を 作 り また 場 面 や 登 場 人 物 の 導 入 にプ レリュードやリトルネルを 書 いた そしてトラジェディ アン ミュジックにおいて 宮 廷 バレエの 伝 統 を 受 け 継 ぐダンス 音 楽 が 多 く 挿 入 された こうしてみると リュリのトラジェディ アン ミュジックにおいては 新 しくフラン ス 語 のレシタティフが 考 案 されたと 同 時 に これまでのフランスの 音 楽 舞 台 の 伝 統 が 集 大 成 された 仕 事 でもあったといえよう 38

40 第 四 章 キノーについて リュリは 宮 廷 バレエやモリエールと 共 作 したコメディ=バレエなどで 20 年 近 いキャリア を 積 んできたが いまだ 長 いレシタティフをもった 文 学 的 な 劇 作 上 のテクストには 巡 り 合 っていなかった その 文 学 的 テクストを 書 いたのがキノー (Philippe Quinault) である 今 日 われわれは リュリのオペラ と 呼 ぶが 当 時 の 人 々は キノーのオペラ とも 呼 ん でいた 1 また 今 日 われわれが 用 いるオペラの 台 本 (livret) 及 び 台 本 作 家 (livrettiste) と いう 用 語 は 17 世 紀 にはなく キノーはあくまで 戯 曲 詩 人 と 呼 ばれた 2 それでは 戯 曲 を 担 当 したキノーについて 見 てみよう 彼 はわずか 18 歳 でデヴューした 早 熟 な 劇 作 家 であった 3 第 一 節 キノーの 経 歴 キノーは 1635 年 パリのパン 屋 に 生 まれ 4 19 世 紀 の 歴 史 家 ボシュロン(Boscheron)によれ ば 当 時 有 名 な 劇 作 家 トリスタン レルミット (Tristan l Hermite) の 家 に 従 僕 として 仕 え やがてギーズ 公 (duc de Guise) の 館 で 働 いたとされ これまでの 通 説 となっていた その ことに 関 してコルニックは 近 年 の 研 究 から 当 時 のキノーの 出 自 としては 珍 しいことであ るが 彼 はコレージュで 高 等 教 育 を 受 け 古 代 ラテン 語 や 古 代 演 劇 を 学 び 法 律 の 勉 学 にも 励 んだとしている 5 しかし いずれにしてもトリスタン レルミットやギーズ 公 の 庇 護 を 受 けたことは 確 かである 1653 年 18 歳 にして 喜 劇 恋 敵 Les Rivales より 劇 作 を 始 め 1671 年 までの 足 掛 け 19 年 間 で 喜 劇 5 作 悲 劇 4 作 悲 喜 劇 8 作 パストラル 1 作 宮 廷 バレエ 挿 入 の 喜 劇 1 作 音 楽 田 園 劇 1 作 合 計 20 作 を 書 いた そのうち 3 作 を 除 きオテル ド ブルゴーニュ 座 で 上 演 した なかでも 8 作 の 悲 喜 劇 は 1654 年 から 1662 年 にかけて 書 かれ キノーの 最 も 得 意 とする 分 野 であった 時 の 宰 相 マザランやフーケに 気 に 入 られるようになり 1661 年 に は 王 の 日 常 居 室 の 従 僕 の 地 位 を 得 また 1664 年 よりコルベールの 依 頼 を 受 けてシャプラン が 作 成 した 王 の 年 金 リストに 加 えられ 1670 年 10 月 35 歳 で アカデミー フランセー ズ 会 員 となる 当 時 は 古 典 劇 で 音 楽 が 挿 入 されていたが 1654 年 悲 喜 劇 寛 大 な 恩 知 らず La Généreuse Ingratitude では 二 人 の 恋 敵 が 同 じ 女 にセレナードを 歌 う 場 面 があった 6 また 1655 年 喜 1 Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p フランスでは 1884 年 ゴーチエ (Théophile Gautier) により イタリア 語 の libretto より 初 めてオペラ 台 本 に livret という 語 が 用 いられるようになった Sylvain Cornic, op. cit., p コルニックは シャルル ペローによる キノーが 15 歳 の 時 大 変 楽 しい 喜 劇 を 書 いた とする 説 を 紹 介 しているが 現 在 までそれを 証 拠 付 ける 資 料 は 見 つかっていない Sylvain Cornic, op. cit., p. 41. not. 1. Charles Perrault, Les Hommes illustres qui ont paru en France pendant ce siècle avec leur portrait au naturel (Paris: Antoine Dezailler, ) t. 1, p フュルティエールはキノーの 卑 しい 出 自 を 揶 揄 する フュルティエールが 許 可 なく 辞 書 を 刊 行 した 理 由 で アカデミー フランセーズ からの 除 籍 にキノーが 票 を 投 じたため Sylvain Cornic, op. cit., p キノーが 学 んだのは 当 時 名 高 い ルモワーヌ 枢 機 卿 コレージュ le collège du Cardinal- Lemoine とされ ている Sylvain Cornic, op. cit., p Philippe Quinault, La Génereuse Ingratitude, tragi-comédie pastorale (Paris: T. Quinet, 1656). 39

41 劇 のない 喜 劇 La Comédie sans comédie は 唯 一 マレー 座 で 機 械 仕 掛 けを 使 って 上 演 され その 第 五 幕 には 後 にリュリの 義 父 になるランベールが 作 曲 したトリトンとセイレンの 2 重 唱 が 挿 入 された 年 2 月 13 日 には 宮 廷 バレエ 仮 装 した 愛 の 神 アムールのバレエ Ballet des Amours déguisés に 加 わったとされている 特 に 1664 年 12 月 末 あるいは 1665 年 1 月 始 め 初 演 の 悲 劇 アストラート ティールの 王 Astrate, roi de Tyr はコルネイユ モリエー ル ラシーヌに 匹 敵 するほどの 成 功 を 収 めた 8 こうして 1672 年 オペラに 転 身 する 前 に 戯 曲 作 家 として 20 年 近 くのキャリアを 誇 った リュリとの 合 作 の 時 期 は 早 く 1660 年 頃 から 宮 廷 バレエで 顔 を 合 わせているとされる しかし 2011 年 のキノーに 関 する 著 作 でコルニックは 1660 年 代 初 期 に 関 しては 現 在 はっ きりした 資 料 はないと 述 べる 1666 年 マスカレード インドにおけるバッカスの 勝 利 Le Triomphe de Bacchus dans les Indes 1666 年 宮 廷 バレエ ミューズのバレエ Ballet des Muses その 他 カーニヴァルでも 音 楽 のための 言 葉 を 書 いたとコルニックは 推 測 している 年 音 楽 田 園 劇 (églogue en musique) ヴェルサイユの 洞 窟 La Grotte de Versailles が 公 式 に 記 録 されたリュリとの 最 初 の 共 作 である 当 時 の 音 楽 劇 の 公 式 出 版 を 担 っていたバラール (Robert Ballard) 編 集 の 台 本 によると この 中 で 王 はディヴェルティスマンとしてニンフ の 一 人 を 踊 ったとされている 10 続 いて プシシェ において モリエール コルネイユ と 共 に 二 人 が 共 作 したことはすでに 触 れた 一 方 でキノーは 1671 年 パリの 会 計 院 (Chambre des Comptes) の 監 査 官 (auditeur) の 地 位 を 買 い 終 生 任 務 に 努 めたという 経 歴 も 持 つ 1672 年 11 月 王 立 音 楽 アカデミー の 杮 落 しとして ベレール 掌 球 場 (Jeu de paume du Bel-Air) でパストラル 愛 の 神 アムールとバッカスの 祭 典 が 上 演 され 続 いて 1673 年 4 月 キノー/リュリのトラジェディ アン ミュジックの 第 一 作 カドミュス が 同 じくベ レール 掌 球 場 劇 場 において 王 の 御 前 で 上 演 され 大 好 評 を 博 した この 作 品 でキノーは 原 作 としてオウィディウス(Ovidius)の 変 身 物 語 Les Métamorphoses から 主 題 を 採 った それ は 戯 曲 に 宮 廷 バレエを 付 け 加 え ヴィガラーニ (Carlo Vigarani) の 機 械 仕 掛 けと 舞 台 装 置 を 用 い 豪 華 で 華 美 なスペクタクルの 要 素 を 加 味 した 舞 台 であった 台 本 の 表 紙 には 悲 劇 と 銘 打 ってあり そこにキノーの 従 来 の 古 典 悲 劇 を 超 え 新 しい 悲 劇 を 創 出 するとい う 意 欲 が 読 み 取 れる この カドミュス の 人 気 は 絶 大 なもので 当 時 の 言 論 人 であった ロビネ ( Charles Robinet) は 1673 年 6 月 3 日 付 けの 韻 文 の 手 紙 で この 偉 大 な 出 し 物 では すべてが 満 たされている と 絶 賛 している 11 第 二 節 劇 作 家 とオペラ 戯 曲 家 としてのキノー 劇 作 家 としてのキノーは 自 由 さをなによりも 望 んだため いろいろな 形 式 の 戯 曲 を 書 い 7 Philippe Quinault, La comédie sans comédie (Paris: G. de Luyne, 1660), p. 91. Sylvain Cornic, op. cit., p Sylvain Cornic, op. cit., p Ibid., p not Philippe Quinault, La Grotte de Versailles, églogue en musique (Paris:Impr. de R. Ballard, 1668), p. 9. Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p

42 た 12 しかしなんと 言 っても 悲 喜 劇 が 一 番 オペラ 成 立 に 影 響 を 与 えているだろう コルニッ クはキノーの 作 風 において 悲 喜 劇 より 十 数 年 先 のオペラにその 反 響 を 見 ている 13 具 体 的 には 彼 は 1660 年 悲 喜 劇 ストラトニス Stratonice とトラジェディ アン ミュジック 1674 年 アルセスト 1675 年 テゼーThésée 1676 年 アティス Atys との 間 テク スト 性 を 見 る 世 紀 の 演 劇 の 傾 向 を 概 観 すると 悲 喜 劇 は 古 典 主 義 第 一 期 あるいは リシュリュー 古 典 主 義 の 年 頃 に 全 盛 期 を 迎 える 悲 喜 劇 は 当 時 のロマネスクな 教 養 で 形 成 され 教 義 規 則 論 争 には 無 関 心 で 舞 台 に 筋 書 きの 快 楽 と 状 況 の 急 転 回 を 発 見 したい と 欲 した 運 命 に 打 ち 砕 かれた 主 人 公 が 偉 大 な 情 熱 との 葛 藤 を 乗 り 越 えようとする 筋 書 き が 多 い しかし 1634 年 ロトルー (Jean de Rotrou)の 死 にゆくエルキュール[=ヘラクレス] Hercule mourant 以 来 規 則 だった 悲 劇 への 回 帰 が 見 られ コルネイユは 1637 年 悲 喜 劇 ル シッド を 1648 年 には 悲 劇 と 表 題 を 変 更 した 1650 年 代 悲 喜 劇 と 悲 劇 の 創 作 が 停 滞 していた 頃 モリエールなどの 喜 劇 が 起 きる その 後 悲 喜 劇 は 復 活 し キノーは 第 二 世 代 だがそこには 第 一 世 代 の 遺 産 が 見 られる それは 劇 の 終 末 の 出 来 事 が 急 テンポになり 真 実 らしさ に 比 較 的 無 関 心 であり 急 転 回 に 雪 崩 打 つまで 筋 を 宙 吊 りにするなどに 見 られる そして 計 算 された 筋 の 多 様 さも 17 世 紀 前 半 の 遺 産 と 言 えよう またキノーはトマ コルネイユなどと 共 に 特 に 社 交 界 の 婦 人 たちの 間 で 大 流 行 した 恋 愛 中 心 のギャラントリー15 を 劇 の 中 に 組 み 込 んだ 1665 年 のラシーヌ アレクサンドル 大 王 も 同 じ 趣 向 で 書 かれている しかし 1660 年 三 劇 詩 論 を 書 いたコルネイユはギャラント な 演 劇 を 失 墜 させる 悲 劇 概 念 を 説 き 次 第 に 新 しい 演 劇 概 念 が 生 まれてくる そこでは 国 家 の 偉 大 な 関 心 事 あるいは 恋 愛 よりも 一 層 高 貴 でより 男 性 的 な 情 熱 すなわち 野 望 や 復 讐 のような 16 情 念 が 良 しとされた そしてコルネイユの 悲 劇 論 ではギャラントな 悲 劇 は 除 外 され 真 実 らしさが 一 番 要 請 される 17 ようになり かつて 隆 盛 を 誇 った 恋 愛 や ロマネスクな 題 材 は 廃 れていく 1666 年 よりオテル ド ブルゴーニュ 座 では 悲 喜 劇 の 上 演 が 無 くなった そしてルイ 14 世 時 代 の 第 二 古 典 主 義 時 代 には 単 純 な 悲 劇 統 一 され 規 則 正 しく 心 理 的 内 省 に 集 中 した 悲 劇 が 誕 生 し 1667 年 ラシーヌ アンドロマック を 見 る キノーの 演 劇 における 創 作 傾 向 とオペラに 転 向 してからの 初 期 作 品 との 関 連 性 で 一 番 特 徴 的 な 点 は 彼 が 持 っていた 悲 喜 劇 を 得 意 とした 作 風 であろう 戯 曲 作 家 としての 彼 は 始 め 喜 劇 を 書 き 悲 喜 劇 悲 劇 と 進 んでいく こうしてキノーは 悲 喜 劇 より 悲 劇 に 向 かい 次 第 に 筋 を 単 純 化 し 凝 縮 させようとした しかしその 悲 劇 には 1654 年 から 1662 年 に 12 Sylvain Cornic, op. cit., p Ibid., p Ibid., p la galanterie : 17 世 紀 貴 族 夫 人 のサロンを 後 ろ 盾 に 流 行 した 中 世 の 武 勲 詩 などの 騎 士 道 精 神 を 準 拠 と し 女 性 に 対 する 献 身 服 従 などの 礼 儀 を 重 んじる 美 学 様 式 本 論 ではその 様 式 を 用 いた 作 風 を ギャラン ト として 用 いる 16 Pierre Corneille, «Discours de l utilité et des parties du poème dramatique» dans Œuvres complètes, éd. Georges Couton (Paris: Galllimard, 1987), t. 3, p «Sa dignité demande quelque grand intérêt d État, ou quelque passion plus noble et plus mâle que l amour, telles que sont l ambition ou la vengeance;» 17 Sylvain Cornic, op. cit., p

43 かけて 8 作 書 かれた 彼 の 悲 喜 劇 のロマネスクでギャラントな 指 向 が 残 っている 彼 の 悲 喜 劇 を 得 意 とする 傾 向 は オペラ 戯 曲 においても アルセスト を 含 め 彼 の 初 期 のトラジェ ディ アン ミュジックに 強 く 見 られる その 傾 向 とは 第 一 に 悲 劇 において 遵 守 すべしとされた 場 所 時 間 筋 書 きの 三 単 一 の 原 則 からは 悲 喜 劇 もトラジェディ アン ミュジックも 共 に 逸 脱 していることである 悲 喜 劇 においては 場 面 は 次 々とめまぐるしく 変 化 するため 場 所 の 単 一 は 守 られていない むしろ 悲 喜 劇 では 場 面 の 多 様 さと 場 所 の 転 換 18 が 求 められた その 場 所 の 転 換 という 悲 喜 劇 の 要 素 は トラジェディ アン ミュジックにおいては 機 械 仕 掛 けや 装 置 の 転 換 に よって 世 紀 の 文 学 者 ヌガレ(Pierre-Jean-Baptiste Nougaret) の 言 葉 によれば 驚 きの 楽 しみ le plaisir de la surprise 19 の 効 果 を 狙 って 一 段 と 華 麗 に 取 り 入 れられ 見 せ 場 の 一 つ となっていくであろう 第 二 に 悲 劇 と 喜 劇 を 同 時 に 並 べ 暴 力 とロマネスクな 素 材 を 共 に 嵌 めこむのも 悲 喜 劇 の 特 徴 であった 初 期 のトラジェディ アン ミュジックにおいても 悲 劇 的 筋 と 共 に 副 筋 的 なコミックなエピソードが 挿 入 された またラシーヌなど 古 典 悲 劇 では 舞 台 の 外 とさ れた 戦 闘 流 血 死 の 場 面 が 舞 台 に 乗 せられる そして 悲 喜 劇 で 主 筋 とされたギャラン トな 恋 愛 は トラジェディ アン ミュジックでも 用 いられる 第 三 に 悲 喜 劇 では 結 末 はハッピー エンドで 終 わったが 初 期 のトラジェディ アン ミュ ジックにおいてもその 傾 向 を 引 き 継 いだ 悲 喜 劇 を 得 意 とするキノーの 劇 作 術 の 特 徴 としてコルニックは キノーが 規 則 論 争 理 性 よりも 技 巧 によって 感 覚 想 像 力 快 楽 に 訴 えることに 惹 かれていたと 述 べる 20 悲 喜 劇 の 美 学 で 育 てられたキノーの 傾 向 はオペラにも 引 き 継 がれていく トラジェディ アン ミュジックが 悲 劇 と 銘 打 っている 以 上 当 時 支 配 したアリストテレスの 詩 学 以 来 の 伝 統 をキノーは 考 慮 しながらも 自 然 とその 規 則 を 逸 脱 する 傾 向 を 持 っていた そして そこにオペラにおいて 従 来 の 悲 劇 を 乞 えて 新 しい 形 式 を 生 み 出 そうという 前 衛 的 な 試 みが 展 開 していく 素 地 があったといえよう 第 三 節 キノーのオペラ 作 品 の 構 造 キノーのトラジェディ アン ミュジックはプロローグと 五 幕 から 構 成 されている 一 作 品 において 平 均 して 1039 詩 行 6121 語 の 言 葉 があり このうち 97 詩 行 がプロローグに 用 いられた 一 方 で ラシーヌ 劇 では 平 均 1653 詩 行 で 語 の 言 葉 が 使 われる 21 レシタティフ 会 話 独 白 などは 前 もってキノーが 詩 句 を 書 き それにリュリが 音 楽 を つけた 一 方 ディヴェルティスマンはリュリが 音 楽 を 書 き それにキノーが 詩 句 をつけた 22 ボワローにキノーはその 詩 の 凡 庸 さを 誹 謗 されたが オペラの 詩 句 は 歌 われるので 歌 18 Antoine Adam, Histoire de la littérature française au XVII e siècle, 1 ère éd (Paris: Editions Mondiales, 1958), t. 1, p Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Sylvain Cornic, op. cit., p Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p. 28. not Ibid., p

44 の 中 で 一 つの 音 節 が 聞 こえなくても 言 葉 の 意 味 が 判 ること いくつかの 言 葉 が 聞 こえなく てもその 詩 句 全 体 が 判 ることが 義 務 付 けられ そのために 自 然 でよく 知 られ よく 使 われ る 言 葉 使 いがなされる 23 と ノーマンはペローの 言 説 を 引 用 して 弁 護 する その 引 用 さ れたペローの 言 説 は アルセスト 論 争 後 の 1692 年 に 書 かれた 古 代 人 と 近 代 人 の 比 較 Parallèle des Anciens et des Modernes 第 3 巻 の 中 にある 24 キノーはその 経 歴 から 見 る 通 り オテル ド ブルゴーニュ 座 での 俳 優 たちの 朗 誦 法 に 通 じていた 詩 を 作 る 技 法 にも 優 れていた 彼 は 1675 年 1677 年 と 王 の 祝 勝 記 念 讃 歌 を ア カデミー フランセーズ を 代 表 して 捧 げた 25 トラジェディ アン ミュジックのリハーサルではキノーは 重 要 な 役 割 を 果 し 俳 優 に 詩 句 の 叙 唱 法 を 教 えた 1678 年 には カドミュス 再 演 で 俳 優 たちに 指 導 を 行 った 功 績 に 対 して 王 はコルベールを 通 じて 3000 リーヴルの 下 賜 金 を 与 えた 26 また 1681 年 1 月 初 演 されたバレエ 愛 の 神 アムールの 勝 利 Le Triomphe de l Amour のリハーサルで 歌 手 指 導 のランベール 振 付 師 のボーシャンの 傍 らで 監 督 の 役 割 も 果 した 27 ここから 見 られるよ うに キノーの 仕 事 は 台 本 を 書 くのみならずリハーサルまで 続 いた リュリはオテル ド ブルゴーニュ 座 で 長 らく 戯 曲 を 書 き 俳 優 たちの 朗 誦 法 に 精 通 していたキノーの 資 質 を 十 分 評 価 して 共 作 者 に 選 んだであろう よって リュリがシャンメレの 朗 誦 を 聞 きにオテル ド ブルゴーニュ 座 へ 行 ったというルセールの 説 の 信 憑 性 は ここでもラ ゴルスが 述 べ るように 疑 問 符 がつくことになろう 第 四 節 キノーのオペラの 作 風 キノーはそれまでの 劇 詩 人 として 悲 劇 の 形 式 を 熟 知 していた よって 悲 劇 の 作 劇 要 素 である 驚 くべきもの の 概 念 は 当 然 念 頭 にあった そこに 超 自 然 的 な 驚 くべきもの をバネとして 効 果 的 に 結 びつけた 1926 年 にキノー 論 を 書 いたグロは 次 のように 評 価 する キノーはコルネイユの 理 論 をできるだけ 合 わせようと 努 力 した 筋 書 きに 機 械 仕 掛 け やダンスをうまく 結 びつけ 驚 くべきもの [=この 場 合 は 超 自 然 的 なもの]を 作 品 に 同 化 させようとした 28 またコルニックは 2011 年 の 著 作 で オペラの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの はキノーによっ て 真 実 らしさ を 正 当 化 されたと 述 べる 29 少 し 長 くなるが 彼 の 説 明 を 要 約 して 引 用 し てみよう 23 Ibid., pp Charles Perrault, Parallèle des Anciens et des Modernes, t. 3 (Paris : Jean-Baptiste Coignard, 1692), pp Étienne Gros, op. cit., pp Sylvain Cornic, op. cit., p Paris, BNF, Manuscrits, Mélanges Colbert 301, fol, 216v o. 27 Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Étienne Gros, op. cit., p Sylvain Cornic, op. cit., p

45 驚 くべきもの [=ここでは 超 自 然 的 なものに 限 ってコルニックは 使 用 する]はパストラ ルと 機 械 仕 掛 け 劇 からの 遺 産 である しかしフランス オペラに 適 用 する 際 の 矛 盾 は 同 様 に 大 変 注 目 に 値 する コルネイユとモリエールの 後 世 への 貢 献 は 決 定 的 であるが 彼 らはこの 実 際 に 演 じられているが 理 論 的 でないオペラへの 試 みには 敵 意 を 抱 いてい た 音 楽 付 きの 朗 誦 は 彼 らにとって 命 あるものではなかった モリエールはコルネイ ユほど 厳 格 ではなかったが この 音 楽 付 きの 朗 誦 の 場 面 は 劇 の 本 筋 からは 切 り 離 すか ごく 小 さいパストラルに 限 った ペランはたしかに ポモーヌ という 最 初 のオペラ の 詩 句 を 作 ったが 劇 詩 人 としての 才 能 はなかった キノーはここまで プシシェ でしかその 才 能 を 発 揮 する 場 を 与 えられていない しかしあらゆるジャンルの 演 劇 の 形 態 を 熟 知 していた リュリは 才 能 はあるが 作 曲 家 でダンサーでしかなかった 劇 詩 人 でも 文 学 者 でもなかった このことで フランス 音 楽 劇 の 成 立 にキノーがいかに 寄 与 したかが 分 かる 30 以 上 のようにグロとコルニックは キノーが 従 来 の 悲 劇 の 筋 書 きに 超 自 然 的 な 驚 くべ きもの を 結 び 付 けたと 評 価 する そしてペランは 超 自 然 的 な 驚 くべきもの をただの 装 飾 としたが キノーは 基 本 的 要 素 とした 31 キノーは 超 自 然 的 な 驚 くべきもの に 悲 劇 の 本 質 的 な 驚 くべきもの をうまく 結 び 付 けようとした そのことがキノーのオペ ラの 劇 作 術 において 基 本 的 な 構 造 を 担 っているといえるであろう また キノーは 当 時 の 社 交 界 の 婦 人 たちのサロンで 文 学 的 教 養 を 育 てたということも そのオペラのギャラントな 性 向 に 大 きい 影 響 を 持 っている ラ ゴルスはこう 述 べる キノーは その 詩 句 がサロンで 語 り 聞 かされることで 評 価 を 得 たという 経 歴 を 持 ち ゆえに 音 楽 性 に 優 れていた そして 繊 細 な 感 情 を 描 き 出 すすべを 心 得 ていた よって 最 もすぐれた 音 楽 劇 の 作 者 となった 32 このようなキノーの 繊 細 でギャラントな 傾 向 については 1674 年 アルセスト 上 演 の 年 に 没 したシャプランも 言 及 している 彼 は キノーは 深 さや 技 巧 がない 詩 人 だが 性 格 が 良 く 恋 愛 の 優 美 さで 感 動 させる 33 と 述 べている またコルニックはキノーの 特 徴 として 人 目 を 引 く 急 転 回 (péripéties spectaculaires) の 豊 富 さ 騎 士 道 精 神 34 を 指 摘 する キノーの 舞 台 の 主 人 公 たちは 絶 望 に 陥 っても 反 抗 せず 苦 難 にしっかりと 耐 え 復 讐 に は 訴 えない 英 雄 的 な 悲 劇 性 とギャラントな 倫 理 感 が 共 存 し ギャラントな 悲 劇 の 作 風 を 持 つと 言 えよう 30 Ibid., p Ibid., p Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p William Brooks, Philippe Quinault, Dramatist, op. cit., p Sylvain Cornic, op. cit., p

46 第 五 節 キノーのトラジェディ アン ミュジック 成 立 における 役 割 以 上 見 てきたように トラジェディ アン ミュジックの 成 立 にはキノーの 劇 作 家 とし ての 役 割 が 大 きかったと 思 われる 第 一 に 音 楽 を 付 けるのに 適 した 自 然 でよく 知 られ よく 使 われる 言 葉 使 いがなされる そこではアレクサンドランに 限 定 されず 後 に 見 るように 音 節 など 多 様 な 韻 律 の 詩 行 が 使 われた 第 二 にその 劇 作 法 において 長 年 の 戯 曲 作 家 としての 経 歴 から 劇 作 の 基 本 理 念 である 筋 の 展 開 により 観 客 の 驚 き/ 称 賛 を 得 て 感 動 させるというその 驚 くべきもの は 当 然 考 慮 されている そこに 超 自 然 的 な 驚 くべきもの を 単 なる 装 飾 ではなく 必 然 的 な 要 素 として 結 びつけるように 考 慮 がなされた しかしながらこの 考 慮 は 次 に 見 るように 1674 年 のトラジェディ アン ミュジック 第 二 作 アルセスト においてはいまだ 探 求 の 途 中 であり その 完 成 は 1686 年 アルミード などの 後 の 作 品 に 見 られるであろう 第 三 にその 作 風 には 当 時 の 恋 愛 中 心 のギャラントで 優 美 な 騎 士 道 精 神 が 見 られる 第 四 にその 喜 劇 悲 喜 劇 悲 劇 という 多 岐 に 渡 る 劇 作 家 としての 経 歴 から キノーには 悲 劇 の 必 須 条 件 とされたその 演 劇 規 則 に 縛 られず それを 超 えようとする 柔 軟 性 前 衛 性 があった 以 上 のような 柔 軟 で 逸 脱 性 を 備 えたギャラントな 作 風 により キノーはトラジェディ アン ミュジックの 成 立 を 導 いたといえよう 35 本 論 文 48 頁 参 照 45

47 第 二 部 アルセスト 論 争 1 ペローによる アルセスト 批 評 こうしていよいよ 1674 年 1 月 本 論 で 取 り 扱 う アルセスト が 上 演 される カドミュ ス の 成 功 でルイ 14 世 始 め 宮 廷 中 はリュリとキノーの 次 作 アルセスト の 初 演 に 大 き な 期 待 を 寄 せた この 間 1673 年 4 月 に 王 はリュリに 2 月 に 亡 くなったモリエールが 一 座 の 占 有 劇 場 としていたパレ=ロワイヤル 劇 場 を 王 立 音 楽 アカデミー として 使 用 とす る 許 可 を 与 えていた 初 演 は 1674 年 1 月 11 日 新 装 なったパレ=ロワイヤル 劇 場 で 行 わ れた 舞 台 装 置 や 機 械 仕 掛 けはヴィガラーニが 受 け 持 った( 図 例 2) セヴィニエ 夫 人 (Madame de Sévigné) が 8 日 月 曜 日 に オペラは 木 曜 日 に 上 演 される と 書 いている 一 方 で 当 時 のパリの 情 報 誌 ガゼット Gazette の 記 事 から 18 日 か 19 日 という 説 もある 1 この 時 王 はオランダ 戦 役 のため 不 在 で 初 演 には 臨 席 できなかった 宮 廷 でのリハーサルは 大 評 判 を 取 ったが 1674 年 1 月 パレ=ロワイヤル 劇 場 での 初 演 は 半 ば 失 敗 に 終 わり 陰 謀 も 取 りざたされた リュリの 音 楽 については 皆 が 認 めたが 不 評 の 矛 先 は 台 本 作 家 キノー 一 人 に 向 けられた その 理 由 は 古 代 ギリシアのエウリピデス ア ルケスティス を キノーは 改 竄 して 台 無 しにしてしまったというものであった それで はここでそのエウリピデス アルケスティス と キノーの アルセスト をその 梗 概 か ら 比 較 し どのようにキノーが 原 作 を 変 更 したかを 見 てみたい 第 一 章 アルセスト の 作 品 分 析 まず どうしてキノーはエウリピデスを 題 材 としたのであろうか それにはどんな 意 図 があったのか その 点 から 検 討 を 進 めていきたい 第 一 節 キノーがエウリピデスを 題 材 とした 理 由 リュリとキノーは アルセスト において 王 立 音 楽 アカデミー 杮 落 しの 1672 年 パストラル 愛 の 神 アムールとバッカスの 祭 典 でもなく またトラジェディ アン ミュ ジック 第 一 作 1673 年 カドミュス でのオウィディウス 変 身 物 語 からでもなく 古 代 ギリシアの 悲 劇 詩 人 エウリピデスを 原 作 とした 古 代 ギリシア 悲 劇 には 機 械 仕 掛 けによる 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 介 入 音 楽 や 合 唱 ダンスの 場 面 などトラジェディ アン ミュジックと 共 通 の 要 素 が 存 在 した しかしな がらグロによると その 共 通 の 要 素 はギリシア 古 代 悲 劇 とトラジェディ アン ミュジック では いろいろな 点 で 異 なっていたという 前 者 ではダンスは 控 えめで 神 々は 見 えない か 通 常 大 団 円 にしか 現 われない そして 機 械 仕 掛 けは 初 歩 的 なもので プロローグは 本 劇 と 一 体 化 され 歌 の 分 担 はほとんど 合 唱 に 限 定 される 2 この 点 についてラシーヌ 研 究 者 戸 張 は リュリとキノーは 単 にギリシアの 神 話 伝 説 から 人 物 を 借 り 悲 劇 に 合 唱 隊 を 導 入 し 歌 と 踊 りの 要 素 を 加 えればギリシア 的 なものとみなした とし しかし これは 1 Buford Norman, Quinault, librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p. 96, note Étienne Gros, op. cit., p

48 似 非 ヘレニズムでありラシーヌと 対 立 するものだ 3 と 批 判 を 加 える グロが 指 摘 するように 古 代 悲 劇 とトラジェディ アン ミュジックとではその 構 造 や 規 模 において 差 異 があったことは 確 かであろう 当 時 の 宮 廷 バレエ コメディ=バレエ 機 械 仕 掛 け 劇 の 祝 祭 的 絢 爛 豪 華 な 伝 統 の 下 に 成 立 したトラジェディ アン ミュジックは そ の 舞 台 装 置 機 械 仕 掛 け 合 唱 やダンス 登 場 人 物 の 多 彩 さなどで 古 代 ギリシア 悲 劇 の 簡 潔 さとは 異 質 なものであった しかしながら 古 典 悲 劇 がその 純 度 を 保 つために 機 械 仕 掛 けによる 驚 くべきもの の 介 入 音 楽 や 合 唱 ダンスの 場 面 などを 次 第 に 排 除 して いくのに 対 して トラジェディ アン ミュジックにおいては 構 造 的 規 模 的 差 異 は 別 とし てそれらの 要 素 がすべて 取 り 入 れられた キノーがエウリピデスを 原 作 とした 理 由 については 今 日 さまざまな 論 者 が 解 説 を 加 え ている ジルレトーヌは トラジェディ アン ミュジックが 古 代 悲 劇 の 領 野 に 属 している 主 題 を 攻 略 することが 可 能 で それに 値 することを 証 明 するため 4 と 説 明 している グロ もリュリがパストラルではなく 悲 劇 を 作 りたいという 願 望 にキノーが 答 えたとする リュ リとキノーは 古 代 悲 劇 を 復 元 し 悲 劇 であるということを 立 証 したかった 5 またデュロン によると リュリは オペラを 演 劇 よりももっと 古 代 の 理 想 に 近 づいた 高 貴 なジャンル として 提 示 したかったとする 6 フォレスティエは リュリとキノーの 側 としては 合 唱 やダンスや 機 械 仕 掛 けを 持 った トラジェディ アン ミュジックは 古 代 ギリシア 悲 劇 の 正 統 な 後 継 者 であり かつ 伝 統 的 な 悲 劇 や 喜 劇 の 上 演 においては 未 知 の 新 しいジャンルであると 示 したかった 7 と 述 べる このラシーヌ 研 究 者 フォレスティエの 解 釈 が 古 典 劇 のラシーヌたちと 対 立 して アルセ スト 批 評 を 書 いたペローと 似 通 った 意 見 であることは 興 味 深 い 古 代 ギリシアの 後 継 者 を 自 認 するラシーヌが リュリとキノーの 意 図 を 察 して 反 撃 に 出 ないわけはなかった フォ レスティエは これは 語 られる 悲 劇 に 対 する 闘 争 宣 言 だった 8 とする ラシーヌは 次 に 見 るように アルセスト を 擁 護 するペローの アルセスト 批 評 に 痛 烈 な 批 判 を 加 える それ 以 上 に 1951 年 の 研 究 でヴァニュクセンは ラシーヌ 自 身 も アルセスト を 上 演 した い 希 望 を 持 っていたと 伝 える 9 むしろラシーヌのその 兆 候 を 察 してリュリとキノーが 先 を 越 したことも 考 えられるであろう そこから 見 えてくるリュリとキノーの 意 図 は 二 人 には 古 代 悲 劇 の 復 活 を 目 指 すと 共 に 当 時 のラシーヌたち 古 典 悲 劇 を 凌 駕 したいという 野 心 があったことは 否 めないと 思 われる 当 時 17 世 紀 古 典 主 義 時 代 には アリストテレスの 詩 学 は 古 典 悲 劇 の 規 則 において 準 拠 すべき 規 範 とされた 悲 劇 と 銘 打 ったトラジェディ アン ミュジックは アリストテ レス 詩 学 においても 言 及 されるエウリピデスの 古 代 ギリシア 悲 劇 を 拠 り 所 とし しか 3 戸 張 智 雄 ラシーヌとギリシア 悲 劇 前 掲 書 108 頁 4 Cuthbert Girdlestone, La tragédie en musique ( ) considérée comme genre littéraire, op. cit., p Étienne Gros, op. cit., pp Jean Duron, «L instinct de M. de Lully» dans La tragédie lyrique, op. cit., p Georges Forestier, Jean Racine (Paris: Gallimard, 2006), p Ibid., p Jacques Vanuxem, «Racine, les machines et les Fêtes» dans Revue d Histoire littéraire de la France, 54 e n o 1, (Paris: Armand Colin, 1954), pp

49 も 古 典 悲 劇 の 規 則 の 枠 内 には 収 まりきれない 新 しい 舞 台 芸 術 を 目 指 していたといえるので はないだろうか そこに キノーがエウリピデスのあらすじ 構 成 に 大 幅 な 変 更 を 加 えた 一 因 が 見 られると 思 われる 第 二 節 アルセスト の 戯 曲 構 造 古 典 悲 劇 との 比 較 それではキノーの アルセスト の 戯 曲 構 造 はどうであろうか キノーのテクストは 当 時 から 悲 劇 として 独 立 して 読 まれ 彼 の 作 品 集 に 収 録 されている しかし 従 来 の 古 典 悲 劇 からは 明 らかに 逸 脱 した 構 造 が 見 える 第 一 に ラシーヌの 古 典 悲 劇 は 12 音 節 のみの 平 韻 10 で 組 み 立 てられているが キノーは さまざまな 音 節 の 詩 句 を 用 いた アルセスト に 関 する 論 考 を 纏 めた 三 人 の 編 者 はその 序 で 詩 句 の 点 から アルセスト の 構 造 を 詳 細 に 分 析 している 彼 らによると 全 1035 行 のうち 3 から 12 音 節 の 多 様 な 詩 行 が 用 いられている 詩 行 で 最 も 多 いのは 8 音 節 (octosyllabe) で 401 アレクサンドランは 252 脚 韻 形 式 は 様 々である 11 8 音 節 はこの 時 代 軽 い 音 楽 劇 で 用 いられた キノーは 12 音 節 ばかりのモノトーンや 重 い 調 子 を 避 け 8 音 節 を 多 用 したと 思 われる 3 行 以 上 のアレクサンドランが 続 くのは 稀 である アレクサン ドランは 多 くは 身 分 ある 主 役 たちのレシタティフに 使 われている 短 い 詩 行 はエールや 叙 情 的 なパッセージ 合 唱 などに 使 われた これら 詩 行 の 変 化 多 様 性 が 耳 に 心 地 よいリズ ムを 作 り 出 している ノーマンは キノーはアリストテレスデカルト 的 なミメーシス (mimēsis) を 用 いて 頭 脳 の 理 性 的 能 力 を 働 かせることにはあまり 関 心 がなく 直 接 的 に 感 覚 に 訴 えようとした 12 と 述 べる ラシーヌのように 精 巧 に 組 み 立 てられ 選 び 抜 かれた 詩 句 の 見 事 さというよりも キノーにおいてはペローが 後 にその 著 古 代 人 と 近 代 人 との 比 較 において 擁 護 するように 日 常 的 で 平 易 な 言 葉 で 直 接 耳 に 喜 びを 与 えることが 重 視 された といえよう それは 音 楽 を 通 して 聞 く 観 客 に 台 詞 を 理 解 しやすくするためになされた 自 然 の 配 慮 であろう 第 二 に アルセスト では 古 典 劇 の 三 単 一 の 原 則 において 時 間 場 所 の 単 一 は 守 ら れていない 第 一 幕 のスキロス 島 から 第 四 幕 の 冥 界 までを 一 日 で 巡 り 第 五 幕 で 戻 ってくる のはとても 無 理 な 行 程 である またヴィガラーニの 機 械 仕 掛 けによる 場 所 の 転 換 はトラ ジェディ アン ミュジックの 見 世 物 の 一 つであった ゆえに 場 所 の 単 一 も 守 られていない 第 三 に 第 一 幕 の 終 わりから 第 三 幕 始 めにかけて 誘 拐 嵐 町 の 包 囲 アドメートの 負 傷 アルセストの 自 死 と 多 くの 暴 力 場 面 や 流 血 事 件 が 展 開 する ラシーヌ 等 古 典 悲 劇 では それら 暴 力 や 流 血 死 の 場 面 は 舞 台 の 外 とする 規 則 があり 舞 台 上 には 乗 せられなかっ た 第 四 に 古 典 悲 劇 と 異 なり 喜 劇 の 要 素 もエピソードとして 加 えられている そこにボー サンは 17 世 紀 前 半 アストレ 以 来 のパストラルの 影 響 を 見 ている 彼 によると 忠 実 な 10 男 性 韻 と 女 性 韻 が 2 行 ずつ 交 互 に 置 かれる 脚 韻 形 式 11 William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Introduction» dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, op. cit., p. xxii. not Buford Norman, «Ancients and Moderns, Tragedy and Opera: The Quarrel over Alceste» in French Musical Thought , éd. Georgia Cowart (Ann Arbor: UMI Research Press, 1989), p

50 愛 と 心 変 わりする 不 実 な 愛 との 対 比 はパストラルの 基 本 的 テーマ 系 である キノーは 登 場 人 物 に 不 実 な 愛 と 忠 実 な 愛 との 様 々なヴァリエーションを 描 き 出 していると 述 べる 13 永 井 は 侍 女 セフィーズを 中 心 にバロック 美 学 から アルセスト を 論 じ 彼 女 の 心 変 わりに トラジェディ アン ミュジックにおいて 使 われる 機 械 仕 掛 けによる 場 所 の 転 換 との 関 係 性 を 見 ている 14 それらの 観 点 も 加 味 した 上 で 筆 者 はやはりキノーのそれまでの 戯 曲 作 家 としての 経 歴 においてコルニックも 説 くように 悲 喜 劇 の 作 者 だったことが 悲 劇 と 喜 劇 の 混 在 する 様 式 に 一 番 影 響 を 与 えているのではないかと 考 える セフィーズや 冥 界 への 渡 し 舟 を 操 るカロンのエールを 聞 くと その 味 わいは 17 世 紀 のリュリとキノーにしか 出 せな い 美 点 ではないかと 思 われる そして 悲 喜 劇 の 前 例 に 倣 い 結 末 がハッピー エンドに 終 わっていることも 悲 劇 と 銘 打 ちながらも 古 典 悲 劇 との 差 が 明 確 な 点 であろう 第 五 に 古 典 悲 劇 では 次 第 に 使 われなくなった 機 械 仕 掛 けが 多 用 され その 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 空 から 到 来 するアポロンやディアーヌ 海 の 女 神 テティス 風 の 神 エ オール 冥 界 のプリュトンやプロゼルピーヌなどの 表 象 の 形 で 舞 台 に 出 現 する その 神 々 には 後 の アルミード などの 戯 曲 と 比 較 すると いまだ 複 雑 な 心 理 的 葛 藤 は 与 えられ ず 装 飾 的 に 類 型 的 に 使 用 されていると 思 われる 第 六 に 以 上 の 超 自 然 的 な 驚 くべきもの だけではなく キノーは 観 客 の 予 期 せぬ 筋 の 急 転 回 からもたらされるアルセスト アドメート アルシード 三 人 の 主 人 公 たちの 格 調 高 い 人 物 像 を 造 型 し 悲 劇 の 基 本 要 素 である 驚 くべきもの の 効 果 を 上 げている 以 上 から 言 えることは キノーのトラジェディ アン ミュジックは 古 典 主 義 の 規 則 を 守 りながらも それを 逸 脱 する 多 様 性 の 中 に 新 しい 美 学 を 求 めていたと 思 われる よって 規 則 に 厳 格 で 統 一 性 を 尊 ぶ 古 典 劇 側 からの 攻 撃 は 激 しかった しかしながら 多 様 な 要 素 を 結 びつけ 観 客 を 悲 劇 として 感 動 させ 驚 き/ 称 賛 を 勝 ち 得 るには 高 度 な 構 築 力 と 技 巧 とが 必 要 とされたと 考 えられる トラジェディ アン ミュジックでは 悲 劇 の 驚 くべきもの の 規 則 に 従 いながらも その 規 則 を 逸 脱 した 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 介 入 によって 変 化 を 導 き 音 楽 とバレエのディヴェルティスマン で 観 客 の 目 や 耳 を 楽 しませることが 要 請 された しかもキノーの 歌 われる 台 詞 には 聞 き 取 りやすい 平 易 な 言 葉 が 用 いられたため 古 典 演 劇 の 長 台 詞 による 朗 誦 の 豊 かさ 複 雑 な 言 葉 のニュアンスはその 使 用 が 制 約 される またリュリの 音 楽 は 言 葉 の 理 解 を 妨 げないよう に 旋 律 を 抑 え 控 えめに 用 いられ 派 手 な 装 飾 は 取 り 去 られていた これらの 要 素 を 結 びつ けるには やはり 戯 曲 家 としてのキノーが 並 々ならぬ 技 量 を 持 っていたことが 理 解 される と 思 われる 第 三 節 アルセスト におけるリュリの 音 楽 ここで アルセスト で 用 いられたリュリの 音 楽 について 述 べておきたい まず 声 楽 的 には この 作 品 で 用 いられたレシタティフの 特 徴 は 決 まったリズムや 拍 子 13 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p 永 井 典 克 アルセスト : 十 七 世 紀 フランス オペラの 軽 さ もしくは 心 変 わり 教 養 論 集 (17) 頁 東 京 : 成 城 大 学 2003 年 49

51 がなく 会 話 のテクスト 理 解 のために 唯 一 の 通 奏 低 音 楽 器 に 伴 われる 単 純 なレシタティフ (récitatif simple ou ordinaire) が 多 く 用 いられている 筋 書 きを 迅 速 に 進 めるために 短 い 対 話 のエールと 共 に 使 われる 規 則 的 な 拍 節 を 持 ったレシタティフ (récitatif mesuré) の 様 式 はまだ 確 立 されていない 15 またエールは 対 話 の 短 いエールが 多 く レシタティフで 間 を 埋 めながらあらすじを 前 に 進 めるために 使 われた エールは 主 にストラトン セフィーズ カロンなど 腹 心 や 侍 女 な どの 脇 役 のエールに 使 われ 恋 愛 の 遊 戯 的 傾 向 と 滑 稽 味 を 受 け 持 つ セフィーズのエール は 巷 で 大 流 行 し ヴォードヴィルでは 盛 んに 替 え 歌 が 歌 われた そしてリュリのエールは レシタティフとの 差 異 がイタリア オペラほど 目 立 たない 合 唱 の 役 割 は アルセスト では 大 きくなり それは 重 層 化 し 多 様 化 した リュリは 古 代 ギリシア 悲 劇 のコロスの 役 割 を 合 唱 に 与 えている ラ ゴルスはイギリス 人 アディソン (Joseph Addison) の 1714 年 著 フランス オペラ 観 劇 記 を 伝 えているが その 中 でアディソン は 合 唱 隊 は 何 度 も 舞 台 に 現 われ 平 土 間 の 観 客 たちはしばしばその 声 と 唱 和 した 舞 台 上 の 俳 優 たちと 一 緒 に 歌 いたいという 願 望 はフランスでは 大 変 支 配 的 である 16 と 述 べて いる このフランスで 伝 統 的 に 人 気 のあった 合 唱 に リュリは 大 きな 比 重 を 掛 けている 第 五 幕 第 五 場 での アルシードは 冥 界 の 勝 利 者 だ という 合 唱 の 箇 所 は 年 当 時 の 戦 果 に 即 して トゥレーヌは 戦 争 に 勝 った と 歌 詞 を 変 えられて 流 行 した 17 器 楽 曲 では 開 幕 でフランス 風 序 曲 を 使 用 している ここでのフランス 風 序 曲 は 堂 々とし た 付 点 付 き 2 拍 子 系 の 開 始 の 緩 徐 部 分 フーガ 形 式 の 急 速 部 分 再 現 の 付 点 付 き 2 拍 子 系 緩 徐 部 分 の 三 部 で 構 成 されている 場 面 や 筋 書 きに 応 じて エールやアンサンブルを 導 入 するためにはプレリュードとリト ルネルが 演 奏 された リュリは 登 場 人 物 のヒエラルキーや 事 件 の 重 大 さによって 導 入 曲 を 変 えている アポロン ディアーヌなど 機 械 仕 掛 けで 登 場 する 驚 くべきもの の 告 知 には ロンド 形 式 の 器 楽 合 奏 によるエールや 全 合 奏 のリトルネルが 長 い 小 節 を 使 って 奏 で られる また 第 一 幕 第 七 場 アルセストがリコメードに 連 れ 去 られる 場 面 ではプレリュード が 2 回 演 奏 される 第 三 幕 第 五 場 での 葬 祭 の 合 唱 は 壮 大 なオーケストラのプレリュードで 導 かれる 第 四 幕 冥 界 の 王 プリュトンはプレリュードに 導 かれて 登 場 し 第 五 幕 でのアル シードたちをアドメートが 迎 える 場 面 アドメートとアルセストの 再 会 アポロンの 登 場 も 壮 麗 で 典 雅 なプレリュードが 用 いられる 一 方 でセフィーズとストラトンの 対 話 やカ ロンの 登 場 の 前 には 軽 妙 なリトルネルが 挿 入 される また 第 三 幕 の 第 三 場 と 第 四 場 は 犠 牲 になったのはアルセストだと 皆 に 知 れる 急 転 回 の 場 面 で その 筋 の 展 開 からの 驚 くべきもの を 効 果 的 に 表 わすために 導 入 曲 はなく いきなりアドメートの 驚 愕 の 台 詞 で 始 まる 次 に 器 楽 曲 としてダンス 曲 があるが その 頃 メヌエットが 流 行 し 多 く 用 いられている 15 カストンゲイは récitatif mesuré の 完 成 を 1676 年 アティス に 見 ているが アンソニーは 1685 年 ロ ラン から 例 を 引 き ラモーの 時 代 に 確 立 されたとする Rémi Castonguay, «Meter Fluctuation in Lully s Recitative» in Independent Study in Music History (New York: Hunter College, City University of New Yok, 2006), pp James R. Anthony, op. cit., p Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Ibid., p

52 特 に 序 幕 と 最 終 幕 すなわち 最 も 豪 華 で 輝 かしい 場 面 に 用 いられる 第 一 幕 最 終 場 にはガ ヴォットが 入 れられ 第 三 幕 葬 祭 の 場 面 でのシャコンヌが 注 目 を 引 く バレエ 歌 器 楽 伴 奏 が 一 体 になったディヴェルティスマンは 各 幕 に 置 かれ 舞 台 を 華 麗 に 彩 る 主 役 の 俳 優 たちは 自 分 の 存 在 を 提 示 する 必 要 がある 時 以 外 は 参 加 せず 見 物 する 側 に 廻 り 脇 役 たちや 踊 り 手 合 唱 などで 演 じられる プロローグでは 川 や 森 のニンフた ち ナイアードたちが 王 の 帰 還 を 祝 い 第 一 幕 では 船 上 での 結 婚 の 祝 祭 が 繰 り 広 げられ 第 二 幕 はスキロス 攻 防 の 戦 闘 場 面 第 三 幕 においてはアルセストの 葬 儀 第 四 幕 の 冥 界 の 祝 祭 そして 最 後 の 第 五 幕 ではアルシードの 勝 利 およびアドメートとアルセストの 結 婚 を 祝 って 盛 大 なフィナーレとなる 以 上 が アルセスト におけるリュリの 音 楽 の 概 要 で ある それでは 次 に エウリピデスの 原 作 をキノーがどのように 変 更 したのか エウリピデス の 原 作 の 梗 概 と 続 いてキノーの アルセスト の 梗 概 をリュリの 音 楽 共 々 見 ていきたい 第 四 節 エウリピデス アルケスティス の 梗 概 アルケスティス は 現 存 するエウリピデスの 作 品 のうちで 執 筆 年 代 のもっとも 古 い 作 品 とされ 紀 元 前 438 年 に 上 演 された 梗 概 は 次 のようになっている 場 所 はテッサリアの 一 市 ペライの 宮 殿 の 門 前 である 序 としてまずアポロンと 死 の 神 が 登 場 して 応 答 する かねてよりアポロンが 賜 り 物 としてペライの 王 アドメトスに 彼 に 死 が 迫 った 時 代 わりに 死 ぬ 者 がいれば 寿 命 を 延 ばすと 約 束 していた それで 今 妃 の アルケスティスが 身 代 わりを 申 し 出 た 死 の 神 はアポロンが 冥 界 の 秩 序 を 乱 すとこぼす それに 対 してアポロンは いまに 大 した 人 物 が 現 われ アドメトスの 饗 応 を 受 け 力 ずく でアルケスティスを 君 から 奪 い 取 るだろうと 予 言 していなくなる 死 の 神 はアルケスティ スの 命 を 貰 いに 宮 殿 に 入 っていく 宮 殿 から 出 てきた 一 人 の 侍 女 がコロスに 死 の 準 備 をしているアルケスティスの 様 子 を 涙 ながらに 知 らせる 特 にアルケスティスが 臥 所 に 身 を 投 げかけ 新 婚 の 夜 を 思 い 出 して 号 泣 した 有 様 に 皆 が 貰 い 泣 きしたと 伝 える 侍 女 が 退 場 すると 9 人 のコロスは 順 次 この 悲 痛 な 事 件 を 歌 い また 二 部 に 分 かれて 応 唱 し 最 後 に 合 唱 する アルケスティスが 侍 女 に 助 けられて 登 場 し 後 ろにアドメトスと 二 人 の 子 供 が 従 う ア ルケスティスは 冥 界 への 川 を 渡 す 船 頭 カロンがもう 自 分 を 呼 んでいると 怯 え アドメトス は 悲 嘆 にくれる アルケスティスはまだ 若 い 自 分 は 命 を 惜 しまなかったのに アドメトス の 両 親 はもう 死 んでもいい 年 頃 なのに 身 代 わりになろうとしなかったと 恨 む しかしこう なったのも 神 様 の 計 らいだと 諦 めるが 子 供 たちに 継 母 は 持 たせてくれるなと 懇 願 する アドメトスは 約 束 し 今 後 は 琴 や 笛 歌 の 楽 しみも 断 念 し アルケスティスの 像 を 作 らせ 自 分 たちの 閨 に 一 緒 に 休 むように 置 いておくと 誓 う 自 分 にオルペウスの 歌 と 音 楽 の 技 が あったら アルケスティスを 冥 界 から 連 れ 出 せるのにと 歎 く 傍 に 控 えるコロスたちがア ドメトスの 誓 いの 証 人 になると 答 える やがてアルケスティスに 死 が 訪 れ 残 された 息 子 のエウメロスが 一 緒 に 老 後 を 迎 えら れないとは 父 上 も 甲 斐 のない 結 婚 をされたものだ と 歎 く アドメトスはコロスに 葬 儀 の 51

53 ために 歌 のこだまを 上 げ 返 す よう 命 じて 亡 骸 と 共 に 宮 殿 に 戻 る アルケスティスの 死 を 悼 んでコロスの 弔 歌 と 旋 舞 が 繰 り 広 げられる そこへ 12 の 功 業 の 一 つを 終 えたところで 諸 国 巡 業 中 のヘラクレスが 通 りかかり 旧 知 の アドメトスに 迎 え 入 れられる アドメトスは 近 縁 の 女 が 亡 くなったところだとアルケス ティスのことは 内 密 にして 城 の 奥 まった 部 屋 で 休 むようにヘラクレスを 饗 応 する 葬 儀 の 準 備 をしている 所 へ 父 親 のペレスが 弔 意 を 表 わしにやってくる アドメトスは コロスが 止 めるにもかかわらず 父 や 母 が 自 分 の 身 代 わりにならなかったことを 強 い 口 調 で 非 難 し 葬 儀 への 参 列 を 拒 否 する ペレスも 負 けずにお 前 にこの 王 国 を 譲 ってやった 自 分 たちに 悪 態 つくと 息 子 を 責 め 腰 抜 けのお 前 は 自 分 の 女 房 を 死 なせたと 罵 倒 する こう して 親 子 は 果 てしない 悪 態 の 限 りを 尽 くし アドメトスは もう 子 なしのまま 年 取 って 行 け とペレスを 追 い 出 す ヘラクレスをもてなしていた 従 僕 が ヘラクレスの 無 作 法 に 憤 る 飲 食 の 態 度 が 乱 暴 で 大 酒 を 飲 み 大 声 で 歌 をがなり 立 てる 性 の 悪 い 盗 人 とも 追 いはぎともいった 客 人 だ と 歎 く そこにヘラクレスが 出 てきて 従 僕 の 不 機 嫌 を 咎 めるので 従 僕 はアルケスティス の 死 を 教 える ヘラクレスは 驚 いて 快 く 饗 応 してくれたアドメトスへの 恩 義 のためにも 冥 界 へ 降 りてアルケスティスを 取 り 返 してくると 宣 言 する アドメトスはコロスたちに 慰 められながら 葬 儀 から 戻 ってくる アドメトスはこれから 妻 の 思 い 出 に 苦 しめられるだけでなく テッサリア 中 の 人 々が 自 分 のことを 妻 を 身 代 わ りにし 生 みの 親 を 罵 倒 したくせに 生 き 恥 を 晒 す 男 だ と 噂 するだろうと 気 に 病 む そこにヘラクレスがヴェールを 頭 より 被 った 女 の 手 を 取 り 登 場 する この 女 はある 試 合 で 貰 った 商 品 で ぜひ 世 話 をしてくれるようアドメトスに 申 し 入 れる アドメトスは 他 へ 連 れて 行 ってくれるように 言 うが しかし 女 が 若 いことに 興 味 を 示 し もし 置 いておくな ら 何 処 へ 置 けばいいか 戸 惑 い また 女 の 姿 形 がアルケスティスにそっくりなので 涙 が 迸 る ヘラクレスがアドメトスの 心 を 試 すように この 女 と 新 しい 結 婚 をすればいいと 言 うと アドメトスは 断 る ヘラクレスは 女 のヴェールを 挙 げてアルケスティスを 見 せる 驚 くア ドメトスにアルケスティスを 託 し ヘラクレスはまた 旅 立 っていく アドメトスは 一 同 に めでたい 喜 びのために 歌 舞 の 団 を 設 けさせ 祭 壇 に 犠 牲 の 牛 を 捧 げることを 命 じて 幕 とな る 以 上 がエウリピデス アルケスティス の 梗 概 である エウリピデスでは 全 幕 通 して 演 じられる コロスは 歌 い 踊 るように 指 示 され 合 唱 が 多 く 取 り 入 れられているが その 楽 曲 やダンスの 資 料 は 現 存 していない 当 時 悲 劇 喜 劇 作 者 は 単 に 台 本 を 書 いたのみならず 上 演 の 際 の 音 楽 を 作 り 演 出 をし 元 来 は 自 分 も 役 者 と なって 役 を 演 じた 18 ギリシア 古 代 劇 の 中 では 語 られる 台 詞 の 他 に 独 唱 合 唱 という 歌 唱 があり 歌 は 笛 (アウロス)の 伴 奏 を 伴 った また 踊 りもあった 19 コロスは 一 つの 劇 の 中 で 4 5 度 役 者 を 排 してコロスだけで 歌 い かつ 踊 る 場 面 (スタシモン stasimon) を 必 ずあてがわれ 登 場 の 際 にも 歌 いながら 登 場 する(パロドス parodos)のが 原 則 である 18 逸 身 喜 一 郎 ギリシャ ローマ 文 学 韻 文 の 系 譜 東 京 : 放 送 大 学 教 育 振 興 会 2000 年 260 頁 19 同 上 262 頁 52

54 20 こうしてみると グロが 指 摘 するように 規 模 の 差 異 はあるにしても 形 式 的 にはオペラ は 語 られる 演 劇 よりも ギリシア 古 代 悲 劇 に 近 いと 思 われる この 劇 では 舞 台 上 に 現 われ る 超 自 然 的 な 神 々はアポロンと 死 の 神 だけである ボーサンは エウリピデスの アルケ スティス は 大 変 簡 潔 で 大 変 地 味 ほとんど 単 調 であり ドラマ 的 というよりも 叙 情 的 であり 躍 動 的 というより 平 板 である 21 と 評 する 内 容 を 一 見 すると 悲 劇 というよりも 人 間 の 身 勝 手 な 利 己 主 義 ひとりよがり 気 ま ぐれ 矛 盾 などが 風 刺 の 効 いた 台 詞 と 共 に 描 かれているように 思 われる 戸 張 は この 悲 劇 は 身 代 わりに 貞 淑 な 妻 アルケーエスティスを 死 なせる 夫 アドメートスの 自 己 中 心 的 な 態 度 を 批 判 し むしろサテュロス 劇 22 の 趣 向 がある 23 とする またエウリピデスの 戯 曲 を 翻 訳 解 説 した 呉 は 悲 劇 とはいえ これは 幸 福 と 喜 びに 終 わるもので 大 多 数 の 学 者 に よって 恐 らくサテュロス 劇 の 代 わりに 上 演 されたと 考 えられ 内 容 的 にもそうした 気 配 が 濃 厚 に 窺 われる 24 としている ラシーヌは 後 に 見 るようにエウリピデスの 悲 劇 のなかで アルケスティスの 悲 劇 性 に 最 も 心 打 たれたとされる しかし 筆 者 には 戸 張 や 呉 が 指 摘 するように 悲 劇 性 よりもサテュ ロス 劇 の 傾 向 の 方 が 強 く 感 じられる 自 己 中 心 的 なアドメトスの 態 度 には 倫 理 的 に 現 代 でも 肯 定 しかねる 点 があると 思 われる 次 に 見 るようにギャラントな 傾 向 を 持 つキノーは 筋 を 変 えた ラシーヌが 扱 えば どうしたのか 興 味 深 い 点 である また 夫 の 身 代 わりに 妻 が 死 ぬという 主 題 や 試 合 の 商 品 に 女 を 提 供 するという 趣 向 か ら 見 て 古 代 ギリシア 時 代 観 客 は 男 性 だけだったせいもあるのではないか 25 と 思 われる 17 世 紀 においては 宮 廷 中 がこぞってオペラを 観 劇 した 特 に 宮 廷 の 女 性 の 影 響 力 は 強 かっ たので その 女 性 客 の 視 線 を 意 識 してキノーはエウリピデスを 改 作 したと 思 われる この アルケスティス と 同 じく エウリピデスでは タウリケのイピゲネイア や イ オーン のようにハッピー エンドの 悲 劇 が 作 られている このこともトラジェディ アン ミュジックが 悲 劇 と 銘 打 ちながらもハッピー エンドに 終 わる カドミュス アルセ スト などとの 関 連 が 見 られる 次 にキノーの アルセスト をリュリの 音 楽 共 々 検 討 してみよう 20 スタシモン パロドスはアリストテレース 詩 学 が 初 出 である 同 上 266 頁 21 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p 三 月 ないし 四 月 の 五 日 間 のディオニューシア 祭 において 三 日 間 悲 劇 の 上 演 が 行 われ 一 日 当 たり 悲 劇 が 三 篇 と サテュロス 劇 といわれる 一 種 の 滑 稽 な ただし 喜 劇 とは 違 ったジャンルであると 考 えられて いた 芝 居 が 一 篇 の 計 四 篇 が 同 じ 作 者 によって 作 られ 上 演 された 逸 身 喜 一 郎 前 掲 書 260 頁 23 戸 張 智 雄 ラシーヌとギリシア 悲 劇 前 掲 書 106 頁 24 ギリシア 悲 劇 III エウリピデス ( 上 ) 呉 茂 一 訳 東 京 :ちくま 文 庫 1986 年 7 頁 25 逸 身 はこの 説 を 採 るが 一 部 女 性 にも 観 劇 が 許 されたという 説 を 採 る 研 究 者 もいる 逸 身 喜 一 郎 ギ リシャ ローマ 文 学 韻 文 の 系 譜 前 掲 書 頁 53

55 第 五 節 アルセスト 作 品 分 析 プロローグ: 登 場 人 物 名 セーヌ 川 のニンフ テュイルリーのニンフ 栄 光 の 女 神 マルヌ 川 のニンフ 河 の 神 々たち 喜 びの 神 々 川 や 森 のニンフたち ナイアードたち 住 民 たち 声 種 ソプラノ ソプラノ ソプラノ ソプラノ 悲 劇 : 登 場 人 物 名 役 柄 声 種 アルセスト ヨルコスの 王 女 ソプラノ セフィーズ アルセスト 腹 心 の 侍 女 ソプラノ アドメート テッサリアの 王 オート コントル 26 クレアント アドメートの 近 習 テノール アルシード ヘラクレスの 別 名 バス ターユ 27 リュカス アルシードの 腹 心 オート コントル リコメード スキロスの 王 バス ストラトン リコメードの 腹 心 バス フェレス アドメートの 父 テノール テティス 海 の 女 神 リコメードの 姉 ソプラノ アポロン オート コントル ディアーヌ ソプラノ プリュトン 冥 界 の 王 バス プロゼルピーヌ プリュトンの 妃 ソプラノ メルキュール 黙 役 エオール 風 の 神 バス ターユ カロン 冥 界 への 渡 し 舟 の 船 頭 バス ターユ アレクトン 復 讐 の 3 女 神 の 1 人 オート コントル その 他 水 夫 羊 飼 い テッサリアの 人 々 世 紀 後 半 より 18 世 紀 末 にかけて,フランス オペラで 用 いられた 最 高 音 部 を 受 け 持 つテノールを 指 す 世 紀 後 半 より 18 世 紀 末 にかけてフランス オペラで 用 いられた 今 日 ではバリトンの 声 域 を 指 す 54

56 プロローグ 喜 びの 帰 還 と 題 されている 開 幕 のフランス 風 序 曲 は 堂 々とした 付 点 付 き 2 拍 子 の 開 始 の 緩 徐 部 分 とフーガ 形 式 の 急 速 部 分 そして 再 現 の 緩 徐 部 分 の 3 部 で 構 成 されてい る 場 面 の 装 置 はテュイルリー 宮 殿 と 庭 を 表 わしている ノーマンは 舞 台 がどんなに 豪 華 で 祝 祭 的 であろうとヴェルサイユの 庭 や 宮 殿 などの 表 象 形 式 は 統 一 されていると 述 べる 28 そこに 舞 台 装 置 のみならず 舞 台 衣 装 などにも 後 述 するペローが 属 した 小 アカデミー による 統 一 様 式 があったことが 連 想 される ルイ 14 世 の 戦 場 からの 帰 りを 待 ちわびるセーヌ 川 のニンフの 歎 きで 幕 が 開 く ボーサン によれば ルイ 14 世 は 若 い 時 より 戦 場 を 好 んだ 前 年 の 1673 年 だけに 限 っても 1673 年 の 春 から 秋 の 始 まりまで 166 日 間 フランドルに 滞 在 し 騎 乗 したり 戦 場 の 野 営 テントにい た 29 その 時 太 鼓 とトランペットの 軍 隊 行 進 曲 が 鳴 り 響 き 雲 に 乗 って 栄 光 の 女 神 が 降 りて くる もう 王 は 遠 くなくお 戻 りだ と 女 神 が 述 べると 一 同 は 歓 喜 して 王 の 帰 還 を 祝 い 歌 や 踊 りのディヴェルティスマンが 繰 り 広 げられる 特 にテュイルリーのニンフのエー ル 芸 術 の 神 よ 自 然 の 神 と 調 和 して L Art, d accod avec la Nature は 当 時 人 気 を 博 した このプロローグはそれまでの 宮 廷 バレエと 同 じ 形 式 を 踏 襲 している ボーサンはプロ ローグには 次 に 始 まるオペラの 主 題 が 表 現 されていて その 隠 喩 を 解 読 するように 観 客 を 仕 向 けるとする 彼 によればその 隠 喩 とは 次 に 始 まる アルセスト の 本 体 においても 語 られることの 中 心 に 太 陽 王 [=ルイ 14 世 ]の 人 物 像 がある 30 ということである 再 び 開 幕 の 序 曲 が 繰 り 返 されて プロローグは 終 わる 第 一 幕 舞 台 は 海 港 を 表 わす 何 艘 かの 戦 闘 用 の 船 に 交 じり 祭 典 のために 装 飾 された 雅 びな 大 きな 船 が 見 える ボーサンはここに ルイ 14 世 が 1668 年 よりヴェルサイユに 作 らせ 完 成 したばかりの 大 運 河 le Grand Canal に 船 を 浮 かべさせ 貴 婦 人 たちと 行 楽 する 情 景 を 重 ねる 31 ジルレトーヌも アルセスト 上 演 の 近 年 に ヴェルサイユの 大 運 河 に 進 水 した 小 船 団 を 想 起 する 32 第 一 第 二 場 :アルセストとアドメートの 結 婚 の 祝 宴 で 幕 が 開 く アルセストを 秘 かに 恋 するアルシードは 嫉 妬 するが 諦 めている 当 時 のヴェルサイユの 祭 典 の 状 況 が 髣 髴 とされ る 華 麗 な 婚 礼 の 場 では 合 唱 が 祝 婚 歌 を 奏 し 対 照 的 に 悲 嘆 にくれるアルシードのレシタ ティフが 続 く アルシードが 溜 息 をつく 開 幕 の 場 面 はまさに 悲 劇 における 陳 述 のようであ る たった 7 行 で 愛 と 嫉 妬 というアルシードの 内 面 の 葛 藤 に 観 客 を 導 く この 場 でのアル シードとリュカスのレシタティフは 高 貴 な 感 情 が 表 現 される 12 音 節 アレクサンドランで 28 Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p Ibid., p Ibid., p Cuthbert Girdlestone, op. cit., p

57 ある 華 麗 な 祝 祭 の 場 面 を 背 景 に そこに 繰 り 広 げられる 悲 劇 的 な 恋 愛 が 第 一 のテーマで あるということが 開 幕 で 知 れる 第 三 第 四 場 :リコメードの 腹 心 ストラトンが 現 われ アルセストの 侍 女 セフィーズを 巡 っ てリュカスとのやりとりが 続 く この 2 場 に 渡 るコミックな 副 筋 的 エピソードの 展 開 につ いては 後 世 のキノー 支 持 者 の 間 においても 18 世 紀 のヴォルテール 始 め 評 判 はよくなかっ た また 第 四 場 セフィーズのエール 少 し 不 実 になってみたら Essaye un peu de l inconstance は 市 中 いたるところで 流 行 したが ボワローからその 歌 詞 が 道 徳 的 に 淫 奔 だと 批 判 された 譜 例 1 Séphise : Essaye un peu de l inconstance: C est toi qui le premier m appris à m engager; セフィーズ: 少 し 不 実 になってみたら そうするように 最 初 に 教 えてくれたのはあなたなんだから 第 五 第 七 場 :そこへスキロス 王 リコメードが 現 われ セフィーズに 自 分 が 今 日 望 みをす べて 失 うと 話 しかける リコメードはかつてアルセストに 結 婚 を 断 られた 経 緯 があった ストラトンが 祝 宴 の 始 まりを 告 げ フェレスが 結 婚 する 二 人 を 祝 福 し 水 上 のディヴェ ルティスマンが 繰 り 広 げられる この 場 ではバレエ エール 合 唱 器 楽 合 奏 と それま での 宮 廷 バレエの 伝 統 を 引 き 継 いだ 華 麗 で 豪 奢 な 祝 祭 の 絵 巻 が 繰 り 広 げられる 水 夫 たち の 踊 り トリトンの 二 重 唱 海 のニンフの 衣 装 を 着 けたセフィーズがもう 一 人 のニンフと 共 にエールを 歌 い それを 水 夫 たちが 合 唱 で 続 ける セフィーズと 海 のニンフの 二 重 唱 は ガヴォットで 書 かれているが 当 時 メニュエットと 共 に 流 行 した Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p

58 第 七 場 後 半 :リコメードは 婚 礼 を 祝 う 新 しいディヴェルティスマンを 見 せるとアルセス トを 自 分 の 船 に 招 き ストラトンもセフィーズを 乗 り 込 ませる プレリュードが 始 まり ディヴェルティスマンの 終 わりと 新 たな 展 開 を 予 期 させる ここで 突 然 の 急 転 回 la péripétie 34 作 劇 上 の 筋 の 展 開 による 驚 くべきもの が 起 きる アドメートとアルシー ドが 続 いて 乗 船 しようとすると ブリッジが 落 ちるのだ リコメードの 船 はアルセストと セフィーズを 乗 せたまま 逃 走 し アドメートとアルシードはテッサリア 人 たちと 共 にすぐ に 追 走 する 第 八 場 :リコメードの 姉 海 の 女 神 テティス[=テティスとリコメードの 姉 弟 関 係 には 根 拠 はな い]が 現 われ 北 風 の 神 アキロンに 嵐 を 起 こさせる アドメートたちの 船 は 航 行 を 妨 げら れる この 嵐 を 起 こす 場 面 で リュリは 何 小 節 にも 渡 る 器 楽 曲 を 挿 入 し 超 自 然 的 な 驚 くべきもの をうまく 表 現 している ボーサンによるとリュリは 風 の 神 の 主 題 を セヴィ ニエ 夫 人 が 呼 んだように 名 人 芸 で 雄 弁 な 筆 致 で 作 り 上 げた そしてボーサンは 印. 象 主 義 的 概 念 も 交 響 詩 もいまだ 存 在 しない 17 世 紀 におけるリュリの 技 巧 を それは 描.... 写 でも 模 倣 でもなく 風 というレトリック 的 な 概 念 の 音 楽 的 表 明 である と 称 賛 している 35 確 かに 器 楽 合 奏 による 16 音 符 の 切 迫 したパッセージの 繰 り 返 しは リュリが 嵐 という 超 自 然 的 な 驚 くべきもの をレトリック 的 に 表 現 し 舞 台 を 盛 り 上 げようとする 熱 意 が 感 じ 取 れると 思 われる 第 九 場 :やがてネプテューヌが 送 った 風 の 神 エオールによって アキロンはそよ 風 のゼ フィールに 代 わり 嵐 は 鎮 められる ここにも 超 自 然 的 な 驚 くべきもの がある エオー ルには ヴァイオリンの 伴 奏 でバリトンが 歌 う 三 拍 子 の 軽 いエールが 使 われており それ はヴェネチアやローマのオペラ 以 来 の 伝 統 で リュリはその 規 則 を 守 っている 36 第 二 幕 スキロス 島 の 市 街 地 とその 首 都 を 表 わす 舞 台 裏 に 合 唱 が 控 える 第 一 場 :セフィーズはストラトンを 説 き 伏 せて 自 由 になろうとするが 無 駄 に 終 わる 第 二 場 : 自 分 を 略 奪 したリコメードに アルセストがアドメートへの 変 わらぬ 愛 を 歌 う 小 さなエール アルセストの 一 途 な 愛 が 表 現 される この 場 面 もアルセストの 高 貴 な 気 持 ち を 表 わすために 12 音 節 アレクサンドランになっている そして 音 節 に 合 わせて 4 拍 子 と 3 拍 子 が 交 じり 合 っている 譜 例 2 34 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p Étienne Gros, op. cit., p Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., pp Ibid., p

59 譜 例 2 Nousǀ neǀ conǀnaisǀsionsǀ pasǀǀ l aǀmourǀ nyǀ saǀ puisǀsanceǀ ǀǀ 句 切 れ 6 12 音 節 Lorsǀqueǀ d unǀ nœudǀ faǀtal ǀǀ ilǀ veutǀ nouǀs enǀchaîǀnerǀ: ǀǀ 句 切 れ 6 12 音 節 まだ 二 人 とも 愛 について そしてその 力 にも 気 付 きませんでした 37 一 つの 運 命 の 糸 が 二 人 を 結 びつけるまでは 第 三 場 : 行 進 曲 が 鳴 り 響 き アドメートとアルシードが 攻 めて 来 る 第 四 場 :スキロス 包 囲 で アドメートたちとリコメードが 対 峙 し 戦 う 場 面 である テッサ リア 軍 とスキロス 軍 は 突 撃 武 器 を と 叫 び 互 いにぶつかる 合 唱 が 用 いられる リュリは 戦 闘 の 場 面 を 両 軍 に 分 かれたディヴェルティスマンの 様 式 で 表 わす この 場 面 をキノーが 付 け 加 えたのには ボーサンの 指 摘 する ルイ 14 世 の 軍 隊 中 心 の 生 活 王 が 新 しい 町 を 征 服 することを 望 んだこと しかし 戦 闘 そのものではなく オペラに 似 通 った 見 事 な 陣 営 の 有 様 を 好 んだこと 38 からも 影 響 を 受 けていると 思 われる 一 方 で 古 典 悲 劇 では 戦 闘 場 面 は 舞 台 に 乗 せることは 禁 じられていた アルセストはアルシードに 助 けられるが 瀕 死 のリコメードはアドメートに 致 命 傷 を 与 える 第 五 六 場 :フェレスが 皆 を 勇 気 付 ける 戦 闘 が 収 まりアルセストはアルシードに 感 謝 す る どうしてすぐに 行 ってしまおうとなさるのですか と 訊 ねるアルセストに アルシー ドは 私 を 引 き 止 めるのはご 用 心 ください 私 に 魔 法 をかける 魅 力 からどうか 逃 がしてく 37 楽 譜 では connaissons とあるが 正 しくはキノーの 原 文 や 他 の 楽 譜 から connaissions であると 思 われる 38 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p

60 ださい と 答 える キノーのギャラントな 台 詞 が 生 きている 場 面 である 第 七 場 :アルセストは 救 出 され アドメートとの 再 会 を 待 ち 望 む その 時 の 堪 えきれない 熱 情 を 表 わす 小 さいエールで 次 の 場 での 哀 切 な 別 れの 場 面 との 対 比 を 生 み 出 す 譜 例 3 譜 例 3 Peut-on chercher ce qu on ayme Avec trop d empressement? Quand l amour est extrême Le moindre éloignement Est un cruel tourment, こんなに 気 が 急 いていて 愛 する 人 を 探 しだせるかしら? 愛 でもう 心 がはちきれそうで わずかの 別 れでも 残 酷 な 苦 しみだわ 第 八 場 :アルセストがアドメートの 血 を 見 て 動 転 する アドメートの 瀕 死 の 重 傷 という 急 転 回 péripétie 39 がある 音 楽 は 転 調 し 驚 愕 するアルセストは 伝 令 のクレアントの 説 明 に 言 葉 もない 続 いて アドメートが あなたのために 死 ねてうれしい とアルセストに 言 う アドメートとアルセストの 悲 痛 な 二 重 唱 のエールが 交 わされる リュリの 音 楽 は meurs / sort という 二 つの 詩 句 を 中 心 に 数 小 節 を 繰 り 返 し 進 み 低 音 楽 器 の 長 い 音 に 支 えられ 続 い ていく やがて 今 にも 息 絶 えようとするアドメートに 合 わせ 言 葉 は 短 くテンポは 次 第 に 速 くなっていく 二 人 の 別 れの 二 重 唱 でキノーは 巧 みな 言 葉 使 いをする 同 じ 6 音 節 で 同 じ 言 葉 の 響 きを 用 い 4 つの 言 葉 で 脚 韻 が 同 じものを 並 べる 譜 例 4 39 Étienne Gros, op. cit., p

61 譜 例 4 Admète, vous mourez! アドメート! 死 んでいかれるのですね Alceste, vous pleurez! アルセスト! 泣 いていられるのですね 第 九 場 :アルセストとアドメートが 悲 痛 な 思 いで 抱 き 合 っていると 技 芸 の 神 々に 囲 まれ たアポロンが 降 りてくる ここに 本 体 の 劇 では 初 めて 機 械 仕 掛 けの 驚 くべきもの が 用 いられる アポロンの 神 格 を 表 わすために 2 拍 子 の 荘 厳 で 力 強 いリトルネルの 導 入 曲 が 響 き 渡 る アポロンは もしだれかが 代 わりに 死 ぬなら アドメートの 命 を 助 ける と 宣 言 する 続 けて おまえに 完 全 なる 愛 を 遂 行 する 者 のために 技 芸 の 神 々により 豪 華 な 記 念 碑 を 建 立 する と 約 束 する アポロンのレシタティフは 言 葉 の 韻 律 に 合 わせて 4 拍 子 と 3 拍 子 そして 最 後 に 2 拍 子 が 入 れ 替 わる 譜 例 5 60

62 譜 例 5 以 上 の 第 一 第 二 幕 はエウリピデスの 原 作 にはなく キノーの 創 作 である 第 三 幕 技 芸 の 神 々によって 建 立 された 記 念 碑 が 舞 台 上 に 表 わされる 第 三 幕 では 合 唱 は 古 代 ギ リシア 悲 劇 以 上 に 劇 の 進 行 を 受 け 持 つ 重 要 な 役 を 受 け 持 つ 40 第 一 場 : 死 に 行 くアドメートを 前 に 悲 嘆 にくれるアルセストと 対 照 的 に アドメートの 父 フェレスとセフィーズのそれぞれ 死 にたくない 理 由 を 述 べるコミックな 場 面 が 置 かれる ここにも 悲 劇 と 喜 劇 の 混 在 が 見 られるであろう セフィーズの まだ 15 年 しか 生 きていな いのに という 台 詞 には 人 間 の 正 直 な 気 持 ちが 表 わされている 譜 例 6 譜 例 6 Séphise : La mort est affreuse en tous temps; Mais peut-on renoncer à vivre, Quand on n a vécu que quinze ans? セフィーズ: どんな 時 でも 死 は 恐 ろしいものだわ だけどまだ 15 年 しか 生 きていないのに 生 きることを 諦 められるでしょうか 40 Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p

63 第 二 場 :アドメートのやがて 訪 れる 死 を 悼 んで 合 唱 やフェレスが 叫 ぶ Hélas! hélas! hélas! という 合 唱 の 叫 びは 半 音 階 の 繰 り 返 しで 悲 壮 な 切 迫 感 で 終 わる 第 三 四 場 :その 時 人 々は 誰 かが 犠 牲 になり 王 が 助 かったことを 知 る アドメートを 讃 えて 合 唱 が 歌 う ここで どんでん 返 し coup de théâtre 41 すなわち 急 転 回 が 起 こる 次 の 瞬 間 記 念 碑 が 除 幕 されると 犠 牲 になったのはアルセストで 一 言 も 無 く 愛 する 人 の ために 剣 で 胸 を 刺 し 死 んでいったと 分 かる ここに 技 芸 の 神 による 瞬 時 のアルセスト の 肖 像 と 記 念 碑 の 建 立 という 超 自 然 的 な 驚 くべきもの が 見 られる それまで アルセストが 自 分 のために 死 んだとは 知 らなかったアドメートは 驚 愕 と 悲 嘆 に 打 ちのめされる 悲 劇 の 基 本 的 な 筋 の 展 開 による 驚 くべきもの が 効 果 的 に 用 いられ た 場 面 である この 第 三 場 のアドメートの 驚 愕 から 第 四 場 へは それまで 使 用 された 間 奏 曲 もなく 16 分 音 符 を 用 い まさしく 急 転 回 で 驚 くべきもの が 標 示 され 切 迫 感 を 強 調 する 譜 例 7 41 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p

64 譜 例 7 その 驚 くべきもの の 表 現 は アルセストが 死 んだ と 繰 り 返 すセフィーズ アドメー トの 叫 びとなる その 叫 びは 合 唱 に 引 き 継 がれ 繰 り 返 される アルセストの 死 の 知 らせは 通 常 の 古 典 悲 劇 のように 誰 かの 口 から 告 げられるいわゆる 活 写 法 を 用 いるのではなく その 記 念 碑 は 舞 台 上 に 見 せられ 次 の 場 では 荘 厳 な 葬 祭 が 行 われる 第 五 場 :オーケストラのシンフォニアで 壮 麗 な 葬 祭 が 始 まる 悲 壮 なディヴェルティ スマンが 繰 り 広 げられる まず1 人 の 悲 嘆 にくれた 女 が 苦 悩 を 叫 ぶ それは プシシェ でリュリが 書 いた イタリア 女 の 歎 き 42 を 彷 彿 とさせる 続 いて 一 人 の 男 が 悲 痛 を 歌 い 合 唱 が 唱 和 し 皆 は 踊 りながら 衣 装 を 引 き 裂 き 悲 嘆 を 表 わす 最 後 に 悲 しみを 歌 う 合 唱 の シャコンヌで 締 めくくられる リュリとキノーは アルセスト において 古 代 ギリシア 悲 劇 のコロスを 復 活 させようと 意 図 した この 葬 祭 の 場 の 合 唱 はまさにその 役 割 を 担 い し かも 荘 厳 で 華 麗 さ pompe に 相 応 しいものである 17 世 紀 は 貴 族 社 会 ではこのような 壮 麗 な 葬 礼 を 行 うのが 常 であった 第 六 場 :アドメートはアルセストを 失 った 今 もはや 生 きていけないと 歎 く 第 七 場 :アルシードが 自 分 のアルセストへの 愛 を 打 ち 明 け 冥 界 に 降 りてアルセストを 救 うと 申 し 出 る しかしアドメートが 彼 女 を 譲 る 条 件 で アドメートはアルセストに 再 び 会 えるならと 了 承 する 第 八 場 :リトルネルに 導 かれ ディアーヌが 雲 に 乗 って 空 から 現 われる ここでは 機 械 仕 掛 けを 使 い その 騒 音 を 消 すためにも 重 厚 な 和 声 の 11 小 節 の 器 楽 合 奏 が 続 く ディアーヌ 42 本 論 文 17 頁 参 照 63

65 はアルシードを 助 けると 宣 告 し 続 いてメルキュールが 空 から 降 りてきて 杖 で 地 面 を 叩 くと 冥 界 が 開 く アルシードは 地 底 へと 降 りていく この 場 は 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 表 象 で 満 たされている ディアーヌの 託 宣 のレシタティフは 3 拍 子 と 4 拍 子 が 交 代 して 使 われている 譜 例 8 またボーサンによれば 17 世 紀 では 貴 族 の 夫 婦 間 では 愛 について 語 らない 風 習 であった よって アルセストはまだ 恋 人 の 状 態 である 43 譜 例 8 第 四 幕 アケロン 川 と 暗 い 川 岸 続 いてプリュトンの 宮 殿 が 舞 台 である 冥 界 での 神 々の 場 面 は 1647 年 ブーティ/ロッシ オルフェオ 以 来 オペラではよく 用 いられたが 古 典 劇 では 舞 台 上 の 表 現 は 禁 止 された ここで 用 いられた 冥 界 の 舞 台 装 置 はコルネイユの 機 械 仕 掛 け 劇 アンドロメード で 使 われたものが 再 利 用 された 44 第 一 場 :この 場 にコミックな 副 次 的 場 面 をキノーは 挿 入 する 冥 界 への 渡 し 舟 を 操 るカロン が 亡 霊 たちと 金 を 巡 るやり 取 りをする カロンの 描 写 やその 性 格 はリュリが 最 も 得 意 とす るところであった 45 そこにはド ファ ソ ド レ ソ ドという 軽 妙 な 旋 律 に 乗 せて 寄 越 せ 通 れ donne / passe という 言 葉 が 繰 り 返 されている 譜 例 9 43 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p not Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p

66 この カロンのエール は アルセスト が 一 世 紀 に 渡 って 忘 れられた 間 も 唯 一 好 まれた 楽 曲 である 46 カロンがアケロン 川 を 渡 る 亡 霊 に 金 を 要 求 する 場 面 は 当 時 のフランス 音 楽 劇 の 舞 台 でよく 見 かけた 社 会 的 警 句 に 満 ちたコミックな 場 面 である それはまた 悲 劇 の 中 に 喜 劇 が 混 在 する 場 面 であり ローマやヴェネチア オペラから 直 接 由 来 した 伝 統 であっ たが やはり 古 典 劇 を 信 奉 する 人 々からは 多 くの 批 判 を 受 けた 47 第 二 場 :カロンの 舟 でアルシードはアケロン 川 を 渡 る 第 三 場 :プレリュードに 導 かれて 登 場 した 冥 界 の 王 プリュトンの 宮 殿 では 妃 のプロゼル ピーヌ 共 々アルセストの 亡 霊 を 迎 え 入 れる 祭 典 が 準 備 されている 続 いて 冥 界 のディヴェ ルティスマンが 繰 り 広 げられる ここでは 男 声 合 唱 が 冥 界 の 祝 祭 を 巧 みに 表 現 する 第 四 場 : 復 讐 の 女 神 の 一 人 アレクトンが 駆 け 込 んできて 祭 典 を 中 止 させる アルシードが 冥 界 へ 一 人 降 りてきていることを 報 告 する プリュトンは 番 犬 ケルベロス(セルベール) を 放 たせる アルセスト 初 演 の 翌 日 ケルベロスの 吼 え 声 を 擬 したシンフォニアを 皮 肉 った 風 刺 詩 が 流 れた 48 風 刺 詩 が 作 られるのは 当 時 の 慣 習 でもあったが リュリはすぐ にこの 吼 え 声 は 省 いた 第 五 場 :アルシードはケルベロスを 服 従 させ プリュトンの 前 に 出 る 王 妃 プロゼルピー ヌはアルシードのアルセストを 愛 しているという 告 白 に 心 動 かされ 愛 は 死 より 強 い と 述 べ プリュトンは 慈 悲 を 与 える アルシードとアルセストはプリュトンが 用 意 した 2 輪 馬 車 で 出 立 する 第 四 幕 は 語 られる 古 典 悲 劇 では 一 気 に 大 団 円 へと 雪 崩 打 つ 展 開 部 であ るが ここでは 進 行 が 緩 慢 である それについてグロは 古 典 悲 劇 よりも 観 客 の 目 を 楽 し ませる 必 要 があるからと 説 明 する 49 第 五 幕 両 サイドの 円 形 劇 場 の 中 央 に 凱 旋 門 が 見 え 多 くの 人 々が 冥 界 から 凱 旋 したアルシード を 迎 えるために 集 まっている ボーサンはこの 凱 旋 門 に 当 時 建 立 されたばかりのサン=ド ニの 門 を 想 起 する 50 第 一 場 :オーケストラの 合 奏 で 幕 が 開 く アルシードがアルセストを 連 れて 凱 旋 し アド メートと 合 唱 が 歓 喜 で 迎 える 46 Théodore de Lajarte, «Introduction» dans Alceste, Chefs-d œuvre classiques de l opéra français (New York: Broude Brothers, 1971), p James R. Anthony, op. cit., p Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p 三 回 繰 り 返 すが 良 いだろう/おお 低 劣 な 音 楽 よ/なんとそれは 犬 の 音 楽 だ/おお なんたる 悪 魔 の 音 楽 よ 49 Étienne Gros, op. cit., p Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p 図 例 2 本 論 188 頁 参 照 65

67 第 二 三 場 : 捕 虜 になったストラトンをリュカスが 自 由 にする セフィーズが 恋 愛 を 自 由 に 楽 しみ 誰 とも 結 婚 しないとストラトンとリュカスに 宣 言 する 三 人 は 恋 愛 の 魅 力 を 重 唱 する この 2 場 面 はエピソードであり コミックで 幸 福 なイメージが 喚 起 される 第 四 場 : 帰 還 したアルセストは 狼 狽 を 隠 せない 彼 女 はまだアドメートを 愛 していると 知 る アルシードを 前 に 二 人 は 悲 痛 な 言 葉 を 交 わす 譜 例 10 譜 例 10 アルセスト 最 後 の 溜 息 をお 許 しください あなたを 断 念 するよう 決 められた 不 幸 な 愛 に アドメート! アドメート! もはやもう 会 ってはならない 二 人 アドメート! アドメート! もはやもう 会 ってはならない 二 人 アドメート 同 同 アルセスト! アルセスト! 同 アルセスト! アルセスト! 同 66

68 この 二 重 唱 に 続 いてアドメートは 身 を 引 き アルセストはアルシードに 手 を 委 ねようと する ここで 突 然 に 筋 は 急 転 回 し 観 客 を 驚 きと 称 賛 で 満 たす 驚 くべきもの の 情 熱 がアルシードにもたらさる アルシードは 二 人 の 気 持 ちのやり 取 りに 心 打 たれ 自 分 の 方 で 身 を 引 くことを 決 心 する こうしてアルシードは 冥 界 と 死 を 克 服 し さらには 自 分 自 身 の 愛 にも 勝 利 することになる 第 五 場 最 終 場 : 壮 麗 なプレリュードに 導 かれて アポロンがミューズたちを 従 えて 降 り てくる フルートと 全 合 奏 との 交 互 の 演 奏 で 長 さは 27 小 節 にも 及 ぶ それだけ 機 械 仕 掛 け による 神 々の 降 臨 が 荘 重 かつ 豪 奢 であり かつ 時 間 を 必 要 とする 場 面 であることが 分 かる 譜 例 11 アポロンはアルシードを 讃 え 皆 を 祝 福 する 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 登 場 であ る ここからオーケストラのシンフォニアと 共 に 長 大 なディヴェルティスマンが 繰 り 広 げ られる 合 唱 が 歌 い ストラトンとセフィーズがそれぞれ 独 唱 し メヌエットが 踊 られる 合 唱 が 寛 大 なアルシードと 幸 福 な 夫 婦 を 歌 い 栄 光 と 愛 の 神 アムールを 讃 え アポロンが 空 中 に 飛 び 去 って 幕 となる 譜 例 11 以 上 がリュリとキノーの アルセスト の 梗 概 である リュリの 付 曲 はエールもレシタ ティフも 台 詞 の 音 節 に 忠 実 にシラビックに 行 われていることが 明 確 である それだけリュ リが 言 葉 のプロソディに 心 を 配 ったということであろう 戯 曲 構 成 としてはエウリピデスの 簡 素 で 単 純 な 筋 と 比 較 すると 確 かにキノーの 台 本 は 登 場 人 物 も 増 え プロローグ 付 き 五 幕 三 十 七 場 という 壮 大 なスケールを 誇 り 各 幕 には 必 ずディヴェルティスマンが 入 り 機 械 仕 掛 けによるアポロンやディアーヌなど 神 々の 登 場 が 劇 の 筋 を 大 きく 動 かしている また 主 筋 に 副 次 的 エピソードが 加 わり 悲 劇 と 喜 劇 の 並 置 が 見 られる そして エウリピデスの 原 作 からキノーが 削 除 した 場 面 も 見 受 けられる しかし 上 に 見 られるような 変 更 が エウリピデスを 改 竄 したとキノーが 非 難 を 受 ける 67

69 のに 十 分 な 理 由 であろうか その 変 更 にはキノーなりの 考 えがあった 上 でのこととは 言 え ないであろうか その 点 からキノーの アルセスト を 擁 護 したのが 次 に 見 るペローの アルセスト 批 評 である 次 にそのペローの 意 見 を 当 時 のオペラ 上 演 を 取 り 巻 く 状 況 と 共 に 検 討 し ペローの 擁 護 が 妥 当 なものであるかどうかを 見 ていきたい 68

70 第 二 章 アルセスト 批 評 1- アルセスト 上 演 を 取 り 巻 く 状 況 こうして 1674 年 1 月 に 上 演 された アルセスト であったが オペラというまだ 一 般 に 馴 染 みのなかった 新 しい 舞 台 芸 術 は ラシーヌ ボワロー 等 古 代 の 作 品 を 垂 範 とする 古 典 劇 側 より 痛 烈 な 批 判 を 受 け それを 唯 一 擁 護 したのが キノーの 長 年 の 友 人 ペロー (Charles Perrault) であった 彼 は アルセスト 上 演 後 7 月 16 日 に アルセスト 批 評 を 書 き 世 に 問 うた この アルセスト 批 評 は 1674 年 バルバン 版 (Claude Barbin) とビエーヌ 版 (Louis Billaine)の 2 冊 が 出 版 され 当 初 は 匿 名 であった 1 アルセスト 論 争 はこのペロー が 匿 名 で 出 版 した アルセスト 批 評 に 端 を 発 する 2 本 論 ではペローの アルセスト 批 評 を 二 章 に 分 けて 検 討 する まずこの 第 二 章 で は ペローの 当 時 置 かれた 位 置 とキノーとの 関 係 そしてペローが 一 員 であったオペ ラの 諮 問 機 関 である 小 アカデミー について 考 察 し 当 時 の アルセスト 上 演 を 取 りまく 状 況 及 び アルセスト 批 評 の 導 入 部 に 言 及 されている 初 演 時 の アルセス ト に 対 する 敵 意 や 批 判 について 検 討 する 続 いて 第 三 章 では アルセスト 批 評 の 本 論 部 分 をペローの 言 及 する 驚 くべきもの の 概 念 を 中 心 に 考 察 を 行 う それではキノーの 戯 曲 を 擁 護 し アルセスト 批 評 を 著 したペローについて 彼 の キノーとの 係 わり 合 い そしてペローがその 一 員 であった 将 来 オペラの 諮 問 機 関 とな る 小 アカデミー の 役 割 について まず 見 ておきたい 第 一 節 シャルル ペローと 小 アカデミー の 役 割 ペローは 当 時 コルベールの 片 腕 として 政 権 の 中 枢 に 位 置 し また 長 年 キノーと 友 情 を 結 んできた 間 柄 であった ペローがキノーを 擁 護 するには 新 しい 舞 台 芸 術 である オペラに 対 する 彼 自 身 の 美 学 理 念 と 共 に 彼 の 置 かれた 立 場 と 周 囲 の 状 況 が 影 響 を 与 えていたと 思 われる そのことをここで 考 えてみたい 童 話 集 Contes で 今 日 有 名 なシャルル ペローは 若 い 頃 から 詩 作 を 始 め コルベール に 認 められて 1660 年 ルイ 14 世 とスペイン 王 女 マリー=テレーズとの 結 婚 を 寿 ぎ また 翌 1 William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Introduction» dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, op. cit., p. xlvii. 2 グロやラシーヌの 編 集 者 は 作 者 を 次 兄 のピエール ペロー (Pierre Perrault) と 勘 違 いしている Étienne Gros, Philippe Quinault: sa vie et son œuvre, op. cit., p. 109, p p p p William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Introduction», dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, op. cit., p. xii. ペローの 伝 記 を 書 いたボヌファンによると ペローは 末 弟 で 姉 が 一 人 いたが 兄 弟 は 6 人 であった 長 男 ジャン (Jean Perrault) は 父 と 同 じくパリ 高 等 法 院 の 法 官 次 兄 ピエール ペロー (Pierre Perrault) は 3 年 後 に エウリピデスとラシーヌ 二 つのイフィジェニー 批 評 を 書 く また アルセストの 陰 謀 につい てコルベールに 手 紙 を 書 いたのは 3 兄 の 建 築 家 クロード ペロー (Claude Perrault) である 4 番 目 の 兄 ニ コラ ペロー (Nicolas Perrault) はソルボンヌのジャンセニストの 学 者 となり シャルル ペローの 双 子 の 兄 は 生 後 6 ヶ 月 で 亡 くなった Paul Bonnefon, «Charles Perrault: Essai sur sa vie et ses ouvrages» dans Revue l Histoire littéraire de la France (Paris: Armand Colin, 1904), p

71 年 は 王 太 子 の 誕 生 を 祝 ってそれぞれ 頌 歌 を 献 呈 する 年 2 月 シャプランはペローを 文 学 者 としてよりも 行 政 官 として 自 分 の 協 力 者 にすべくコルベールに 強 く 推 薦 し ペロー は 1664 年 王 室 建 造 物 監 督 官 として 王 室 の 建 築 庭 園 美 術 手 工 芸 の 監 督 官 の 地 位 を 得 る 4 続 いてコルベールの 信 頼 を 得 て 傍 に 仕 え 1665 年 財 務 監 督 官 1669 年 王 の 枢 密 院 の 秘 書 となった 古 典 主 義 美 学 の 基 盤 を 固 め われわれが 序 論 ですでに 論 じた 悲 劇 の 作 劇 上 の 要 素 としての 驚 くべきもの の 概 念 を 定 義 づけるシャプランは ぺローと 1659 年 よ り 互 いに 知 り 合 っていて 親 しく 1670 年 より 二 人 はコルベールの 片 腕 となった 1668 年 には 絵 画 において 宮 廷 筆 頭 画 家 ル ブラン (Charles Le Brun) を 褒 め 現 代 のほ うが 優 れていると 評 し すでに 後 の 新 旧 論 争 の 芽 生 えがそこに 見 られる 5 また デマレ (Desmarets de Saint-Sorlin) の 後 を 引 き 継 ぎ 近 代 派 の 領 袖 として 活 躍 するようになり 建 築 家 の 兄 クロードのために 仕 事 を 斡 旋 し クロードは 1667 年 から 1673 年 にかけてルーヴ ル 宮 のファサード 建 立 の 計 画 に 参 加 し また 1670 年 にはサン=アントワーヌの 凱 旋 門 を 作 った 1671 年 11 月 アカデミー フランセーズ の 会 員 に 選 ばれ 1672 年 2 月 には 事 務 局 長 chancelier に 任 命 され 就 任 演 説 や 委 員 会 を 公 開 とすることや 出 席 者 は 点 数 札 を 貰 い それに 応 じて 出 席 謝 礼 金 が 支 払 われるなどのさまざまな 改 革 に 取 り 掛 かった 1672 年 には 中 断 されていた 辞 典 の 仕 事 にペローは 取 り 掛 かる アカデミーの 辞 典 におけるフランス 語 の 制 定 において ペローはその 正 しい 語 彙 を 決 定 し 正 書 法 [= 正 しい 綴 り]を 決 めることに 関 わり 一 度 印 刷 され 王 の 御 前 に 提 出 されても まだ 誤 りや 間 違 っ た 意 味 脱 落 がないか 疑 問 を 示 してその 探 究 を 続 けさせた 6 それだけに 序 論 でわれわれ がその 定 義 を 引 用 した 辞 典 の 驚 くべきもの le merveilleux 7 の 語 彙 の 決 定 にもペロー は 大 きな 責 務 を 負 っていることになるであろう 辞 典 は 1694 年 に 完 成 され アカデミー 会 員 を 代 表 してペローは 王 への 献 呈 の 言 葉 を 書 いた 8 ペローの 伝 記 を 書 いたボヌフォンは ペローほど 事 務 局 長 としてアカデミーのために 働 いた 会 員 はいない 9 と 述 べる またペローは 1664 年 よりコルベールがシャプランを 中 心 に 集 めた 小 アカデミー の 一 員 となり この 会 は 将 来 オペラに 関 してもその 支 援 や 監 督 の 機 関 となる その 一 例 が 1673 年 4 月 28 日 にリュリがパレ=ロワイヤル 劇 場 を 取 得 した 件 である パレ=ロワイヤル 劇 場 はモリエール 亡 き 後 もモリエール 一 座 が 使 用 していたが リュリは 王 立 音 楽 アカデミー の 本 拠 地 とするようにペローに 嘆 願 した ペローはこのリュリの 願 いをコルベールに 仲 介 3 Paul Bonnefon, op. cit., p ボヌファンによるとこの 二 つの 頌 歌 のうち ルイ 14 世 の 結 婚 に 関 しては 以 下 の 出 典 である «Ode sur le mariage du Roy», (Paris: Charles de Sercy, 1660). 王 太 子 の 誕 生 に 関 しての 頌 歌 «Ode sur la naissance du Dauphin»は 初 出 不 明 であるが 以 下 に 収 められている Charles Perrault, Recueil de divers ouvrages en prose et en vers: dédié à son altesse Monseigneur le Prince de Conti ( Paris: Jean Baptiste Coignard, 1675). 4 Paul Bonnefon, op. cit., p Ibid., p Ibid., p 本 論 文 10 頁 参 照 8 «Au Roy» dans Préface du Dictionnaire de l Académie françoise (Paris: J. B. Coignard, 1694). Catherine Magnien, «Introduction» dans Contes 1 ère éd. Paris, 1697 (Paris: Libraire G.Nérale Française, 2006), p Paul Bonnefon, op. cit., p

72 し カドミュス の 成 功 で 大 いに 満 足 した 王 はすぐに 決 定 を 下 した 10 モリエール 一 座 はリュリが 獲 得 した 独 占 権 のためコメディ=バレエの 上 演 を 禁 じられた 上 に 移 動 を 余 儀 なくされ やはり 1673 年 6 月 王 令 により 解 散 を 強 いられた 機 械 仕 掛 け 劇 を 得 意 とするマ レー 座 と 共 に ゲネゴー 劇 団 (Théâtre de l Hôtel Guénégaud) [=1673 年 7 月 9 日 開 場 ]とし て 合 体 された ペローは 1673 年 10 月 にリュリとキノーのためにオペラの 助 成 金 を 獲 得 してやった そ のためにも 二 人 は 新 しい 傑 作 を 作 る 必 要 があった 11 それが 本 論 で 取 り 扱 う アルセスト である それではペローとキノーとの 関 係 はどうであったのだろう 二 人 の 付 き 合 いは 古 く 1655 年 頃 ペローは 無 記 名 で 処 女 作 イリスの 肖 像 など 2 編 の 詩 を 作 り それをキノーはあ るサロンで 自 分 が 惹 かれている 女 性 に 自 分 の 作 として 披 露 したが ペローは 許 した そ のようなエピソードがペローの 回 想 録 Mémoires de ma vie で 紹 介 されている 12 以 後 二 人 は 親 しい 友 人 となった キノーは 1635 年 生 まれ ペローは 1628 年 生 まれで 7 歳 ペロー が 年 長 であった コルニックは リュリが 共 作 者 としてキノーを 選 んだ 理 由 の 一 つとして コルベールか ら 王 立 音 楽 アカデミー の 許 可 を 得 るためでもあったとする 以 上 見 たようにキノーは 王 室 建 造 物 監 督 官 のペローと 親 しく またペローはコルベールが 主 宰 する 将 来 オペラの 諮 問 機 関 となる 小 アカデミー の 一 員 であったからである 13 ペローの 回 想 録 では 彼 はリュリにはあまり 好 意 を 持 っていないことが 分 かる 14 一 方 でキノーを 評 価 し コル ベールに 彼 を 推 薦 した こうしてオペラ 成 立 に 経 済 的 政 治 的 側 面 から 支 持 に 廻 ったのが ペローであったといえ るであろう それは 小 アカデミーla petite Académie の 一 員 としての 役 割 でもあった オ ペラ 成 立 に 重 要 な 役 目 を 果 した 小 アカデミー は 少 人 数 の アカデミー フランセー ズ 会 員 で 構 成 されていた すでに 1662 年 11 月 18 日 の 手 紙 で シャプランはコルベール に 小 アカデミー の 必 要 性 を 説 いている 年 2 月 よりコルベールは 毎 週 水 曜 日 自 分 の 図 書 館 でアカデミー 会 員 のなかから 選 ばれた 数 人 と 集 い 王 権 に 関 する 象 徴 の 表 現 様 式 や 宮 殿 の 装 飾 について 意 見 を 聞 いていた 16 最 初 の 4 人 はシャプラン ブルゼイス 師 (abbé de Bourzéis) カッサーニュ 師 (abbé de 10 Charles Perrault, Mémoires de ma vie, éd. Paul Bonnefon, op. cit., p «Après que Lulli eut obtenu son don, il me pria, conjointement avec M. Vigarani, qui faisoit les machines et les décorations du théâtre, de prier pour eux M. Colbert de demander au Roi la grande salle de comédie du Palais-Royal pour y représenter leur opéra.». Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., p なお ペローの 死 後 残 された 手 稿 からこの 回 想 録 の 初 版 を 出 版 したパットに 拠 れば ペローの 本 稿 は 公 に 出 版 を 予 定 したものではなく 残 された 家 族 のために 自 分 や 兄 弟 たちの 思 い 出 を 遺 言 として 書 き 残 したもので よってこの 作 品 には 信 憑 性 があると 説 明 している Charles Perrault, «Préface de l Éditeur» dans Mémoires de ma vie (Avignon: Patte, 1759), non page. 11 William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Introduction» dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, op. cit., p. xvii. 12 Charles Perrault, Mémoires de ma vie, éd. Paul Bonnefon, op. cit., pp Sylvain Cornic, op. cit., p Charles Perrault, Mémoires de ma vie, éd. Paul Bonnefon, op. cit., pp Downing A. Thomas, Aethetics of opera in the Ancien Régime, , op. cit., p Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p

73 Cassagnes) シャルパンティエ (François Charpentier) でペローはすでに 秘 書 として 関 わっ ていたが 1671 年 にアカデミー 会 員 に 選 ばれると カッサーニュ 師 と 交 代 してその 一 員 と なった 年 コルベールは 王 室 建 造 物 総 監 督 官 となり 小 アカデミー を 公 式 では ないが 一 種 の 芸 術 省 とし この 機 関 はルイ 14 世 の 偉 大 さを 政 治 的 に 表 象 する 戦 略 を 練 る 組 織 となった 小 アカデミー は 宮 殿 の 建 設 碑 文 標 語 彫 刻 タピストリー 記 念 メ ダルの 発 行 公 的 演 説 家 による 説 教 修 史 官 の 年 代 評 定 による 王 の 不 滅 化 などの 制 定 に 関 与 した また 王 に 相 応 しい 祭 典 仮 装 行 列 騎 馬 パレードやオペラ ディヴェルティスマン のテーマを 決 め しばしば 踊 り 手 の 衣 装 の 選 定 にまで 関 わった ほかに 王 への 賛 辞 のため に 作 られた 散 文 や 詩 をルーヴル 印 刷 所 で 上 梓 するために 再 読 したり 訂 正 したりする 仕 事 を 行 った 18 シャプランがコルベールの 傍 での 推 進 者 であったが ペローが 第 一 の 補 助 者 であり 小 アカデミー の 決 定 をコルベールに 伝 達 するのはペローの 役 目 であった 19 王 家 と 内 閣 の 経 済 上 の 管 理 者 であるシャプランの 権 威 下 で ペローは 対 象 になるものを 調 べ その 価 値 付 けをした ペローは 自 分 の 回 想 録 ではそれらの 役 割 については 触 れていないが シャ プランの 手 紙 が 多 くの 実 例 を 知 らせる また リュリとキノーは 1672 年 カドミュス の 計 画 をコルベールに 提 案 したと 思 われる 1672 年 6 月 3 日 のコルベールの 手 紙 をクヴルー ルやノーマンはそれぞれ 引 用 している 20 そして アルセスト 論 争 後 のことであるが この 論 争 に 懲 りたルイ 14 世 によって キ ノーは 1674 年 に 没 したシャプランに 代 わり 小 アカデミー の 一 員 に 任 じられ 以 後 オペ ラ 戯 曲 は 小 アカデミー の 諮 問 を 受 けるようになった クヴルールは 小 アカデミー の 重 要 性 特 にオペラ 成 立 におけるその 政 治 的 意 図 を 強 調 する 台 本 は 王 を 象 徴 する 二 重 の 意 味 を 持 ち 現 実 的 であり 王 を 主 役 とするプロローグは [= 続 く] 悲 劇 によって 象 徴 の 世 界 へと 導 入 される 21 と 述 べる このクヴルールと 同 様 に ボーサンもキノーの オペラ 台 本 の 政 治 的 役 割 を 強 調 する ボーサンはトラジェディ アン ミュジックを まさ に 王 をそのまま 映 した 鏡 22 と 見 なす 確 かにキノーはコルベールが 主 宰 した 王 の 威 光 を 表 象 するメダル 装 飾 図 案 などを 作 成 し 選 定 する 小 アカデミー の 理 想 化 する 辞 書 の 言 葉 を 知 っていた 23 といえよう キ ノーはオペラ 台 本 の 政 治 的 役 割 を 認 識 していた しかしながら 一 方 で キノーはこの 小 アカデミー のチェックにもかかわらず 独 立 した 劇 作 法 を 持 っていた 彼 の 描 く 世 界 は 絶 対 王 制 の 理 想 化 された 姿 を 描 くという 要 請 とはかけ 離 れていると 思 われる コルニック も キノーの 作 品 の 特 徴 は 表 面 的 には 英 雄 的 凱 旋 的 でありながら 人 間 的 弱 さ 幻 滅 と 17 Claude Gros de Boze, Histoire de l Académie royale des inscriptions et belles-lettres, avec les Mémoires de littérature tirés des registres de cette académie, t. I (Paris: Imprimerie royale, 1717), p Charles Perrault, Mémoires de ma vie, éd. Paul Bonnefon, op. cit., p Paul Bonnefon, «Charles Perrault: Essai sur sa vie et ses ouvrages», op. cit., p Manuel Couvreur, Jean-Baptiste Lully, musique et dramaturgie au service du prince, op. cit., p. 54. Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète de Grâces, op. cit., p Manuel Couvreur, op. cit., pp 二 年 後 の 1998 年 トーマスはこのクヴルールの 説 を 取 り 上 げる Downing A. Thomas, op. cit., p Philippe Beaussant, Versailles, opéra (Paris: Gallimard, 1981), p Sylvain Cornic, op. cit., p

74 いう 対 比 を 描 いていることにある 24 と 述 べる そして もしキノーの 台 本 に 登 場 する 主 人 公 がルイ 14 世 自 身 の 投 影 であり その 威 光 を 象 徴 するものだったとしたら アルセスト 論 争 が 示 すように その 頃 まだキノーは 小 アカデミー の 会 員 ではなかったとしても ラシーヌがその 戯 曲 を 論 評 にも 値 しない 駄 作 として 批 判 することも 躊 躇 せざるをえなかったのではないであろうか ラシーヌは たと え 王 の 寵 妃 モンテスパン 夫 人 (Madame de Montespan) の 後 ろ 盾 があったとしても もしキ ノーが 今 日 ボーサンの 指 摘 するように 政 治 的 意 図 の 下 にエウリピデスをルイ 14 世 のイ メージに 合 わせて 変 更 していたとするならば それを 攻 撃 することは 差 し 控 えたであろう と 思 われる 確 かに 今 日 多 くの 研 究 者 が 指 摘 するように 25 同 時 代 の 観 客 は 作 品 の 筋 の 中 に 宮 廷 で の 出 来 事 の 仄 めかしや 政 治 的 な 文 脈 を 読 み 取 ろうとしたことは 明 らかである しかし 将 来 小 アカデミー の 諮 問 を 受 けて 上 演 されたにもかかわらず モンテスパン 夫 人 を 誹 謗 したとしてキノー 失 脚 の 原 因 になった イジス 事 件 は 小 アカデミー の 諮 問 自 体 の 政 治 的 介 入 力 の 限 界 も 露 呈 しているように 思 われる アルセスト に 限 って 言 えば キノーはまだ 小 アカデミー の 会 員 ではなく その 創 作 においての 諮 問 は 受 けなかった しかし 小 アカデミー においてルイ 14 世 治 世 を 象 徴 する 新 しい 芸 術 としてオペラが 位 置 づけられ よってその 成 立 に 庇 護 が 与 えられ そ の 仕 事 を 推 進 する 役 割 をペローが 担 っていたことは 確 かであろう それでは アルセスト はどのような 周 囲 の 反 響 を 受 けて 成 立 したのかを 次 に 見 ていき たい 第 二 節 アルセスト 上 演 における 反 応 アルセスト は 1674 年 1 月 初 演 に 先 立 ち 1673 年 11 月 よりヴェルサイユ 宮 殿 のルイ 14 世 の 寵 妃 モンテスパン 夫 人 の 部 屋 でリハーサルが 行 われ 大 成 功 を 収 めた セヴィニエ 夫 人 の 手 紙 からは 当 時 の 宮 廷 中 の 熱 気 が 伝 わってくる 11 月 の 手 紙 で 夫 人 は 次 のように 娘 に 知 らせる ラ ロシュフコー 殿 はもはやヴェルサイユをお 離 れになれません 王 様 が 彼 に モンテスパン 夫 人 の 部 屋 に 伺 って 他 のすべてに 勝 るオペラのリハーサルを 聞 くよう になされるからです (1673 年 11 月 20 日 ) 26 また 次 のようにも 書 く 24 Ibid., p Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p. 38. Cuthbert Girdlestone, op. cit., p. 331 et p Étienne Gros, op. cit., pp Madame de Sévigné, Correspondance, n o 348. t. I, éd. Roger Duchêne (Paris: Gallimard, ), p «M. de la Rochefoucauld ne bouge plus de Versailles. Le Roi le fait entrer et asseoir chez Mme de Montespan, pour entendre les répétitions d un opéra qui passera tous les autres; [...]» 73

75 ... 今 ヴェネチア のそれを 凌 駕 するオペラの 音 楽 のリハーサルが 繰 り 返 されています (1673 年 11 月 24 日 ) 27 そして 王 の 賛 辞 の 言 葉 をこう 綴 る みなオペラのシンフォニアを 繰 り 返 し 練 習 しています それは 今 まで 聴 いたどんなも のよりも 素 晴 らしいものです 王 様 はこの 前 こうおっしゃいました オペラが 上 演 されている 時 にパリにいたら 毎 日 聞 きに 行 こう と そのお 言 葉 はバティスト [=リュリ]にとって 十 万 フランもの 値 打 ちがあるでしょう (1673 年 12 月 1 日 ) 28 夫 人 の 評 価 は 上 演 の 数 日 前 にはますます 持 ち 上 がる 木 曜 日 にオペラが 初 演 されます それはもう 美 の 極 みです すでに 私 は 涙 なしでは 聞 けない 音 楽 が 何 箇 所 かあります 涙 を 抑 えきれないのは 私 一 人 ではありません ラ ファイエット 夫 人 (Madame de La Fayette) の 魂 もその 箇 所 に 揺 さぶられておいでです (1674 年 1 月 8 日 ) 29 しかし 上 演 後 にはセヴィニエ 夫 人 の 手 紙 には 次 のようにあり その 評 価 は 変 化 してい ることが 分 かる みんな 新 しいオペラを 盛 んに 見 に 行 っていますが それでもみんなはもう 一 つの 作 品 [= カドミュス ]のほうがずっと 楽 しかったと 考 えています バティストは 前 の 作 品 を 超 えたと 考 えていますが 正 確 に 言 えば 彼 は 思 い 違 いをしています 彼 のシン フォニアを 愛 する 人 は そこに 新 しい 魅 力 を 見 出 しているのでしょうが (1674 年 1 月 29 日 ) 30 このセヴィニエ 夫 人 の 変 化 について ボーサンは セヴィニエ 夫 人 の 周 囲 では 多 くのア ルセスト 批 判 が 起 きたため 彼 女 は 意 見 を 変 えざるを 得 なかった 31 と 見 ている その 意 見 と 共 に セヴィニエ 夫 人 やラ ファイエット 夫 人 たちは 土 台 としてルイ 13 世 時 代 の 美 27 Ibid., n o 350, t. I, p «On répète une musique d un opéra qui effacera Venise.» 28 Ibid., n o 352, t. I, pp «On répète souvent la symphonie de l opéra; c est une chose qui passe tout ce qu on a jamais ouï. Le Roi disoit l autre jour que s il étoit à Paris quand on jouera l opéra, il iroit tous les jours. Ce mot vaudra cent mille francs à Baptiste.» 29 Ibid., n o 368. t. 1, p «On joue jeudi l opéra, qui est un prodige de beauté: il y a déjà des endroits de la musique qui ont mérité mes larmes; je ne suis pas seule à ne les pouvoir soutenir; l âme de Mme de la Fayette en est alarmée.» 30 Ibid., n o 376, t. 1, p «On va fort à l opéra nouveau; on trouve pourtant que l autre étoit plus agréable; Baptiste croyoit l avoir surpassé; le plus juste s abuse: Ceux qui aiment la symphonie y trouvent des charmes nouveaux; [...]» 31 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p

76 学 趣 味 を 持 ち 合 わせていたこともあると 思 われる セヴィニエ 夫 人 はラシーヌを 好 んだ が しかし 彼 の 戯 曲 にはよそよそしく 軟 弱 な 箇 所 があるのでコルネイユのほうがずっとい いし 二 人 を 同 列 に 並 べてはならない とその 手 紙 で 娘 を 戒 めている 32 周 囲 の アルセ スト に 対 する 批 判 の 影 響 と 共 に 彼 女 はその 拠 って 立 つ 美 学 において 新 しい 芸 術 であ るオペラに 関 して 判 断 を 迷 っている 様 子 も 見 える パリ 市 中 のパレ=ロワイヤル 劇 場 で 行 われた 初 演 では キノー/リュリの 敵 対 者 が 多 く 座 を 占 め ヴェルサイユ 宮 でのリハーサル 時 のように 大 成 功 とは 行 かなかった また オ ペラ 初 演 を 待 ち 望 んだ 王 自 身 がオランダ 戦 役 のため 不 在 ということもあった 初 演 はこのような 状 況 であったが 王 は 王 妃 や 王 太 子 と 共 に 4 月 10 日 王 立 音 楽 アカデ ミー の 上 演 に 臨 席 した 33 なお 上 演 の 際 オペラ 座 入 口 で 台 本 が 売 られた 観 客 は 戯 曲 を 参 照 しながら 舞 台 を 鑑 賞 した それは 宮 廷 バレエでヴェールと 呼 ばれる 台 本 が 前 もって 配 布 された 所 から 来 る 慣 習 であった 34 図 例 3 また 1674 年 7 月 4 日 にはヴェルサイユの 大 理 石 の 前 庭 で アルセスト が 再 演 された 図 例 4 それはフランシュ=コンテの 征 服 を 祝 った ヴェルサイユの 祭 典 初 日 最 終 の 演 目 であり この 祭 典 自 体 は 8 月 31 日 まで 続 いた なお 5 日 目 8 月 18 日 にはラシーヌの イフィジェニーIphigénie が 初 演 される 王 室 建 造 物 の 修 史 官 フェリビアン (André Félibien) は この 大 理 石 の 前 庭 での アルセ スト 上 演 を 次 のように 伝 えている 王 が 着 席 され 王 立 音 楽 アカデミー の 音 楽 家 や 俳 優 たち が キノー 氏 の 最 新 作 悲 劇 アルセスト を 上 演 した キノー 氏 は 宮 廷 中 から この 優 れた 戯 曲 がこれまで 常 に 受 けてきたと 同 様 の 賞 賛 を 授 けられた また 音 楽 も 同 じ ように リュリ 氏 の 上 演 にいつも 与 えられている 喝 采 を 受 けた 35 このフェリビアンの 記 述 から 当 時 アルセスト が 悲 劇 とされキノーを 優 先 的 に 述 べ ていること そしてキノーの 戯 曲 が 宮 廷 では 常 に 好 評 を 得 ていたという 表 現 には 後 述 する ように 先 の 1 月 に 起 きたパリ 市 における アルセスト に 対 する 陰 謀 に 対 して 暗 に 擁 護 を 行 う 意 図 も 読 み 取 れるであろう アルセスト は 初 演 こそ 不 評 であったが 王 立 音 楽 アカデミー での 公 演 自 体 は 失 32 Madame de Sévigné, op. cit., n o 235, t. 1, p Buford Norman, op. cit., p not. 27. «Ma fille, gardons-nous bien de lui comparer Racine, sentons-en toujours la différence; les pièces de ce dernier ont des endoits froids et faibles, [ ] Vive donc notre vieil ami Corneille!» 33 Étienne Gros, op. cit., p Philippe Quinault, Alceste ou Le triomphe d Alcide. Tragédie. Représentée par l Académie royale de musique (Paris: On la vend à Paris, à l entrée de la porte de l Académie royale de musique au Palais Royal, 1675). 35 André Félibien, Les divertissements de Versaille, donnez par le Roy au retour de la conqueste de la Franche-Conté (Paris: Imprimerie Royale, 1676), p. 6. «Le Roy estant placé, les Musiciens & les autres Acteurs de l Académie Royale de Musique representerent la Tragédie d ALCESTE, dernier ouvrage du sieur Quinaut(sic), qui receût de toute la Cour la mesme approbation que cette excellente pièce en a toûjours eûë; & la Musique receût aussi les mesmes applaudissemens qu on donne toûjours aux productions du sieur de Lully.» Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p

77 敗 とはいえなかった 当 時 オペラは 週 3 回 火 金 日 曜 日 に 開 かれていた 36 ノーマン によると 恒 例 の 復 活 祭 のための 3 週 間 の 中 断 以 外 は 1674 年 10 月 30 日 の カドミュス の 再 演 まで 上 演 は 続 いたと 思 われるからである 37 それでは 次 に アルセスト 上 演 時 に 暗 に 噂 された 陰 謀 に 関 連 して ペローの ア ルセスト 批 評 の 導 入 部 から 見 ていきたい 彼 はこの 批 評 を 周 囲 に 沸 き 起 こったキノー への 批 判 に 言 及 することから 始 めている 第 三 節 アルセスト 批 評 導 入 部 と アルセスト 上 演 時 の 陰 謀 宮 廷 でのリハーサルにおけるセヴィニエ 夫 人 の 高 い 評 価 が アルセスト 上 演 を 観 た 後 では 変 化 するように 初 演 時 王 立 音 楽 アカデミー での 観 客 の 反 応 は 賛 否 両 論 であった リュリの 音 楽 については 全 員 異 議 なくその 才 能 を 認 めたが 特 に 槍 玉 に 上 がったのはキ ノーの 戯 曲 台 本 であった 二 人 は 初 作 のパストラルでもなく 前 作 のオウィディウスの 変 身 物 語 でもなく 古 代 悲 劇 を 復 活 するという 意 図 の 下 に エウリピデスの 戯 曲 を 原 作 と し 悲 劇 と 銘 打 ったので 特 にラシーヌやボワロー 等 古 代 の 文 学 を 範 とする 古 典 悲 劇 の 側 はキノーの 戯 曲 台 本 に 対 して 深 い 敵 意 を 抱 いた アルセスト 上 演 において その 不 評 の 要 因 の 一 つとして 陰 謀 が 取 り 沙 汰 された ま ずリュリの 不 人 気 について ボーサンはそれまでの 2 年 間 プシシェ カドミュス の 成 功 以 来 リュリは 世 間 からひどく 誹 謗 されてきたとする 38 そして 具 体 的 に 敵 対 者 の 名 を 挙 げる 機 械 仕 掛 け 劇 の 関 係 者 としてドノー ド ヴィゼ (Donneau de Visé) ギシャー ル サブリエール スルデアック 演 劇 界 ではモリエールやオテル ド ブルゴーニュ マレー 座 の 面 々 そしてリュリの 特 権 により 被 害 を 蒙 った 音 楽 家 の 連 中 それに 加 えて 戯 曲 を 書 いたキノーを 批 判 する 古 典 悲 劇 側 のラシーヌ プラドン (Jacques Pradon) ボワロー またラシーヌの 擁 護 者 であるモンテスパン 夫 人 とその 姉 のティアンジュ 夫 人 (Madame de Thianges) またボーサンは 名 を 挙 げないが オペラ アカデミー 解 体 の 憂 き 目 に 同 情 し た ペランとカンベールを 支 持 する 一 団 もそこに 含 まれるであろう シャルル ペローの 第 3 兄 で 建 築 家 のクロード ペロー (Claude Perrault) は 初 演 後 ま もなくコルベールへの 手 紙 でこう 書 く 昨 日 私 はル ブラン 氏 [= 画 家 Charles le Brun]と 兄 弟 たち[=Pierre, Charles]と 一 緒 にオ ペラに 行 き とても 満 足 して 劇 場 を 後 にしました 特 に 我 々の 意 見 では 舞 台 装 置 とそ の 転 換 がこれまでの 上 演 中 で 最 も 美 しく 豪 華 で 照 明 も 良 かった しかし 大 部 分 の 観 客 が この 作 品 を 全 く 惨 めな 代 物 であると 判 断 するとは その 偏 見 と 執 拗 さほどわれ われを 驚 かすものはありません それはただ 陰 謀 から あるいは 憤 慨 からのみ もたらされうる 類 いのものです (1674 年 1 月 27 日 ) Jérôme de la Gorce, L opéra à Paris au temps de Louis XIV, op. cit., p Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Introduction» dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, op. cit., pp. x-xi. «Nous allasmes hier, M r. le Brun mes freres et moy, voir l opera d où nous 76

78 クロード ペローは 明 確 に 陰 謀 を 口 にする シャルル ペローは 上 記 の 兄 の 手 紙 に 関 連 するように 彼 の アルセスト 批 評 を アルセスト 上 演 時 に 周 囲 に 沸 き 起 こった 批 判 から 始 める アルセスト 批 評 はアリスティップ (Aristippe) とクレオン (Cleon) という 二 人 の 対 話 形 式 で 書 かれている アリスティップはオペラを 批 判 し クレオンがオペラを 擁 護 すると いう 論 の 立 て 方 である 導 入 部 は 次 のような 二 人 の 対 話 から 始 まる クレオンはオペラに 行 って 大 変 楽 しかったと 言 うが アリスティップは 冗 談 でしょう みんなオペラの 悪 口 を 言 っていますよ と 応 酬 する アリスティップによると 世 間 でなさ れている 批 判 は アルセスト が 耐 えられない 作 品 で ぞっとするほど 退 屈 させる 40 というものであった それに 対 してクレオンは みんなは 大 げさでしょう しかし 多 くの 人 が 悪 口 を 言 っているのは 確 かですね このオペラで 歌 えなかった 音 楽 家 たち 3 つ の 劇 団 の 俳 優 たち 通 常 の 演 劇 の 作 家 たち 小 さい オペラ の 一 派 それにスルデアック 侯 爵 の 仲 間 その 彼 らが 異 を 唱 えるのは 分 かります 41 と 答 える ここに アルセストの 陰 謀 に 加 担 したとペローが 考 える 人 物 たちのリストが 挙 げられ る そこには パレ=ロワイヤル 劇 場 を 追 い 出 された 旧 モリエール 一 座 および 音 楽 付 きの 機 械 仕 掛 け 劇 上 演 を 禁 じられた 旧 マレー 座 の 面 々[=この 二 つの 劇 団 は 前 年 1673 年 ゲネゴー 劇 団 として 解 体 合 併 された] またオテル ド ブルゴーニュ 座 の 俳 優 たちと 共 に 通 常 の 演 劇 の 作 家 たち として 古 典 劇 の 作 者 などをクレオンは 想 定 しているであろう 機 械 仕 掛 けを 扱 うスルデアック 侯 爵 はペランの オペラ アカデミー の 一 員 であった 前 年 の 1673 年 4 月 リュリが 2 声 以 上 6 本 以 上 のヴァイオリンの 演 奏 を 禁 じる 独 占 権 を 手 に 入 れ 自 由 な 演 奏 活 動 を 禁 じられた 俳 優 や 音 楽 家 たちの 反 発 も 大 きかった 次 にアリスティップは 音 楽 にはある 程 度 満 足 したので これからの 論 点 を 音 楽 でも 装 置 でもなく 劇 詩 に 限 ろうと 提 案 する それに 対 してクレオンは 興 味 深 いことを 述 べる こ の 戯 曲 の 宮 廷 におけるリハーサル 時 の 成 功 が かえって 市 中 の 公 演 ではその 成 功 への 忌 々しさから 仕 返 しを 受 けて 陰 謀 を 蒙 り 悪 評 を 買 うという 要 因 の 一 つとなっ た そのことが 信 じられますか 42 この 問 いかけは 語 気 の 緩 和 のため 条 件 法 が 用 いられているが クレオンにとってその 真 意 は 宮 中 のリハーサルで 成 功 し 喝 采 を 勝 ち 得 た 戯 曲 アルセスト が 市 中 の 劇 場 では 多 くの 者 から 不 評 だったのには その 成 功 を 良 しとしない 者 たちの 陰 謀 がそこに 隠 されて sortismes tres satisfaits, particulierement des decorations et changements de theatre qui sont à nostre advis les plus beaux, les plus magnifiques, et les mieux eclairez qui ayent encore esté faits; mais rien ne nous a tant estonné que la prevention et l obstination à trouver tout cela miserable, que l on voit dans la plus grande part des spectateurs ce qui ne peut venir que de cabale ou d indignation.» なおこの 手 紙 はシャルルの 兄 クロードのものとされている が ラ ゴルスはその 文 体 からシャルルとする Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide (Paris: Claude Barbin, 1674), p. 2. «[...]qu il est detestable, & qu on s y ennuye effroyablement.» 41 Ibid., p. 3. «Tout le monde, c est trop; mais pour beaucoup de gens, je le croy. Je suis persuadé que les Musiciens qui n y chantent pas, les Comediens des trois Trouppes, les Poëtes qui composent pour le Théâtre, les Partisans du petit Opera, & les amis du Marquis de Sourdiac, trouvent l Opera mauvais.» 42 Ibid., pp «Croyriez-vous bien que l approbation que cette Piece a receuë à la Cour quand elle y a esté repetée, est cause en partie du décry où elle est dans la Ville, & où l a mise la Cabale pour se vanger du chagrin qu elle en a eu.» 77

79 いると 暗 示 を 与 えていると 思 われる クレオンは 宮 中 と 異 なり 市 中 では 例 を 挙 げた 作 家 や 音 楽 家 たちが 加 担 した 陰 謀 la Cabale があったとはっきり 言 及 している 続 けてアリスティップは 世 間 が この 戯 曲 には 欠 陥 があり 主 題 の 展 開 においても 情 けない 代 物 で 韻 律 法 にとっても 哀 れむべきものだ 43 と 批 判 していると 述 べる さら に 作 者 はエウリピデスの 最 も 美 しい 場 面 を 削 除 して そこに 本 筋 には 結 びつかない 不 釣 合 いな 馬 鹿 馬 鹿 しい エピソード を 加 えて 劇 全 体 を 台 無 しにしてしまった 44 また 彼 らはこうも 批 判 する 語 彙 は 貧 弱 で そこには 優 しさ 若 さ 季 節 道 理 などの 言 葉 の 繰 り 返 ししかない 45 これに 対 してクレオンは 詩 句 や 曲 について 話 す 前 に 主 題 について 検 討 しましょう 46 と 提 案 し エウリピデスとキノーの 戯 曲 構 成 の 差 異 についての 議 論 へと 方 向 を 転 換 する ここまでが アルセスト 批 評 における 導 入 部 で 初 演 当 時 の 世 間 の 批 判 を 伝 えている 箇 所 である こうしてみると ペローが 取 り 上 げた 世 間 での 批 判 はすべて 戯 曲 作 家 キノーに 対 して 向 けられたものである この アルセスト 批 評 でペローはオペラ 批 判 が 広 く 行 き 渡 ってい ると 言 及 するが 同 時 期 パリでキノー/リュリの アルセスト を 名 指 しての 攻 撃 が 出 回 っ たという 記 録 は 見 えない ただオランダの 雑 誌 アムステルダム 通 信 Gazette d Amsterdam が 1 月 25 日 付 けで 1 月 19 日 のパリについて と 題 して アルセスト 上 演 を 伝 えてい る その 頃 フランスはオランダとの 戦 役 真 っ 最 中 であり オペラがルイ 14 世 のお 気 に 入 り であったところから アムステルダム 通 信 では 同 時 期 パリで 上 演 されていたイタリア 劇 団 の 新 作 と 比 較 して 戦 争 に 馴 染 ませようとしてか オペラにはどのディヴェルティス マンにも 戦 闘 場 面 があり 平 板 な 描 写 で イタリア 劇 団 の 新 作 には 適 わない という 趣 旨 の 批 判 を 掲 載 している 47 しかしながら 上 述 したセヴィニエ 夫 人 の 手 紙 において アルセスト 観 劇 後 にその 評 価 が 低 下 したことからも 見 られるように 直 接 アルセスト を 名 指 しせずとも 間 接 的 な オペラに 対 する 批 判 攻 撃 は 文 書 として 残 っている 同 じ 1674 年 アルセスト 批 評 より わずか 一 週 間 足 らず 前 の 7 月 10 日 初 版 の 詩 法 L Art Poétique においてボワローはその 第 4 歌 の 冒 頭 において シャルル ペローと 共 にオペラの 擁 護 者 である 兄 クロード ペ ローに 対 して かつて 殺 人 者 と 言 われた 医 者 が 今 ではもともとそうであったかのように 有 名 な 建 築 家 なっている 48 といった 趣 旨 の 攻 撃 文 を 載 せる シャルル ペローの アル 43 Ibid., p. 6. «[...]cette Piece est defectueuse, tant pour la conduite du sujet, qui est miserable, que pour la versification, qui fait pitié.» 44 Ibid., p. 6. «[...]l Autheur a tout gasté, en ne mettant pas dans sa Piece ce qu il y a de plus beau dans Euripide, & en y ajoûtant des Episodes ridicules, mal liez & mal assortis au sujet.» 45 Ibid., p. 6. «[...]la pauvreté de chaque endroit où l on ne voit que redites de tendresse, jeunesse, saison, raison, &c.». 戯 曲 の 中 で 優 しさ 1 回 優 しい 7 回 若 い 3 回 季 節 2 回 道 理 2 回 が 使 用 されている William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. Alceste suivi de La Querelle d Alceste, op. cit., p. 81, not Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., p. 6. «Avant que de parler des vers & des chansons, parlons du sujet.» 47 Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Nicolas Boileau-Despréaux, «Chant IV de Art Poétique» dans Satires, Épîtres, Art poétique. éd. J. -P. Collinet (Paris: Gallimard, Poésie, 1985), v «Dans Florence jadis vivait un médecin,/ Savant Hâbleur, dit-on, et célèbre assassin, [...]De méchant médecin devient bon architecte.» 78

80 セスト 批 評 が 以 前 より 自 分 たち 兄 弟 やキノーに 対 する 攻 撃 を 繰 り 返 してきたボワロー を 批 評 の 対 象 の 一 人 として 念 頭 に 置 いていることは 確 かであろう また 同 じ 年 にラパンは いまや 古 典 劇 を 凌 ぐほどになったオペラの 人 気 に 対 して 次 のよ うな 危 惧 を 表 明 する オペラのファンタジーには 人 々はしかも 大 半 の 礼 儀 をわきまえた 人 々に 至 るまで 夢 中 になるに 任 せているが もし 悲 劇 の 精 神 に 栄 誉 を 与 え 報 うようにしなければ やがてその 精 神 に 気 力 を 失 わせることになるであろう 49 このように オペラやその 周 囲 を 取 り 巻 くペロー 兄 弟 に 対 する 批 判 は 1674 年 に 書 かれた が ペローが アルセスト 批 評 を 世 に 問 うた 1674 年 7 月 の 時 点 では アルセスト の キノー 戯 曲 を 名 指 しての 攻 撃 の 印 刷 物 は 見 当 たらない よって 当 時 の 文 書 では アルセ スト に 対 して 具 体 的 にどのような 陰 謀 があったのかは 確 認 できない しかしながら ペロー 兄 弟 ははっきりと 陰 謀 と 明 言 している それにはコルベールの 片 腕 として 宮 廷 の 内 情 に 詳 しいシャルル ペローが キノーをオペラの 台 本 作 家 の 位 置 から 引 きずり 降 ろ そうという 画 策 が 秘 かに 進 められている 状 況 をいち 早 く 察 知 していたのではないかと 思 わ れる そしてその 陰 謀 の 動 きに 先 手 を 打 つように キノー 擁 護 の 論 陣 を 張 ったと 思 われる シャルル ペローは 後 に その 著 古 代 人 と 近 代 人 との 比 較 第 三 巻 で 次 のようなエピソー ドを 伝 えている ある 日 彼 らは 夕 食 を 共 にし 終 わるとまだ 食 事 中 のリュリ 氏 の 許 へ 押 しかけ 各 自 持 っていたグラスを 彼 の 喉 元 に 押 し 付 け キノーを 諦 めるか さもないとおまえは 死 ぬぞと 叫 んだ 50 ペローによると リュリに 対 してキノーと 別 れるように 圧 力 が 掛 けられていた ペロー は 彼 ら として 誰 だか 名 指 ししていないし ラシーヌとボワローがそこで 一 緒 に 会 食 し ていたと 確 信 は 出 来 ない しかしフォレスティエは 2006 年 の ラシーヌ 論 の 中 で その 頃 ラシーヌとボワローがキノーとリュリを 別 れさせようとしていたことは 確 かであると 断 言 する モンテスパン 夫 人 やその 姉 ティアンジュ 夫 人 の 愛 顧 を 後 ろ 盾 に 別 の 台 本 作 家 を 選 ぶようにリュリに 圧 力 をかけていた 51 ボーサンも 大 変 控 え 目 なペロー が 名 を 挙 げ ない その 紳 士 たち は ラシーヌ ボワロー ラ フォンテーヌ (Jean de La Fontaine) で 49 René Rapin, Les Réflexions sur la poétique et sur les ouvrages des poètes anciens et modernes (1684), 1 ère éd (Paris: Champion Classiques, 2011), chapitre XXIII, pp «[...]la fantaisie des opéras de musique, dont le peuple et même la plupart des honnêtes gens se sont laissé entêter, sera peut-être capable dans la suite de décourager les esprit pour la tragédie, si l on ne pense à les exciter par la gloire et par la récompense.» 50 Charles Perrault, Parallèle des Anciens et des Modernes, t. 3 (Paris: Jean-Baptiste Coignard, 1690), p «Un jour qu ils souppoient ensemble ils s en vinrent sur la fin du repas vers Monsieur de Lulli, qui estoit du souper, chacun le verre à la main, & luy appuyant le verre sur la gorge, se mirent à crier, renonce à Quinault, ou tu es mort.» 51 Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., pp Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., pp

81 あろうと 推 測 している 52 この 動 きを 裏 付 けるように アルセスト 上 演 後 モンテスパン 夫 人 とティアンジュ 夫 人 はラ フォンテーヌを 使 うよう リュリに 指 示 したという 事 実 が ある リュリは 表 面 上 は 従 うように 見 せ 掛 けて 1674 年 9 月 ラ フォンテーヌの ダフネ Daphné の 戯 曲 をパストラルだからという 理 由 で 拒 否 し 結 局 この 計 画 は 1674 年 10 月 で 中 止 になった 侮 辱 されたラ フォンテーヌはリュリを 狼 に 喩 えて 警 句 フィレンチェ 人 le Florentin 53 を 書 いた その 中 でラ フォンテーヌは ダフネ にはボワロー ラシー ヌ 二 人 の 友 人 が 協 力 を 約 束 したと 述 べている ペローは 続 いて 古 代 人 と 近 代 人 との 比 較 第 三 巻 の 中 でこう 述 べる この 頃 パリで キノー 氏 のために 敢 えて 擁 護 を 表 明 したのはほとんど 私 一 人 だったと いうのは 真 実 です それほど さまざまな 作 家 たち の 嫉 妬 が 彼 に 対 して 沸 き 起 こ り 宮 廷 でも 市 中 でも 彼 へのあらゆる 支 援 が 損 なわれたのです 54 ペローは アルセスト ではキノーを 擁 護 したのはほとんど 自 分 一 人 だったと 述 懐 し ている クロード ペローの 手 紙 にその 名 がある 宮 廷 筆 頭 画 家 のル ブランも 画 家 とし ての 立 場 でヴィガラーニの 機 械 仕 掛 けや 装 置 を 称 賛 したが 公 けに 戯 曲 台 本 の 観 点 からキ ノーを 擁 護 したのはペロー 一 人 であった 第 四 節 当 時 の アルセスト 上 演 を 取 り 巻 く 状 況 これまでの 検 討 から アルセスト 上 演 時 にはその 上 演 に 敵 対 する 動 きがあったこと が 確 認 できた ここで その 状 況 を 纏 めてみたい フランス オペラは 1659 年 のペランによる イッシーのパストラル 以 来 の 空 白 を 乗 り 越 えて 1669 年 に オペラ アカデミー が 創 設 され 1671 年 ペラン/カンベールによる ポモーヌ で 新 しい 幕 が 開 いた それまでの 宮 廷 や 貴 族 の 館 での 祝 典 においてではなく 宮 廷 の 援 護 を 得 て 初 めてパリ 市 中 においてお 金 を 払 った 観 客 のために フランス 語 による オペラが 上 演 されるようになる 1662 年 イタリア オペラ 恋 するエルコレ 上 演 後 のオペラの 空 白 期 間 中 には 音 楽 劇 の 舞 台 では 16 世 紀 末 以 来 の 伝 統 である 宮 廷 バレエが 上 演 され ルイ 14 世 自 身 アポロン ジュピテル ネプテューヌなどに 扮 して 舞 台 に 立 ったが 1670 年 を 境 に 王 はバレエを 踊 ら なくなった 55 一 方 で 1664 年 よりモリエール/リュリによるコメディ=バレエが 人 気 を 博 52 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., pp Jean de La Fontaine, «Le Florentin» dans Œuvres complètes de La Fontaine, t. 6 (Paris: Lefèvres, 1818), pp «Il ressemble à ces loups qu on nourrit, et fait bien; / Car un loup doit toujours garder son caractère, / Comme un mouton garde le sien.» 54 Charles Perrault, Parallèle des Anciens et des Modernes, t. 3, op. cit., p «La verité est qu en ce temps-là j estois presque le seul à Paris qui osait se declarer pour Monsieur Quinault, tant la jalousie de divers Autheurs s estoit eslevée contre luy, & avoit corrompu tous les suffrages & de la Cour & de la Ville;» 55 当 時 のロビネの 手 紙 や ガゼット 誌 の 伝 えるところによると 1670 年 2 月 初 演 のモリエール/リュリ のコメディ=バレエ 気 前 のよい 恋 人 たち に 挿 入 されたディヴェルティスマンにおいて 王 はネプテュー ヌとアポロンを 踊 る 予 定 であったが 側 近 の 二 人 の 貴 族 に 代 役 させ 以 後 王 は 公 の 場 での 踊 りを 断 念 した Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., pp

82 するようになり オテル ド ブルゴーニュ 座 をはじめとしてパリ 市 中 の 劇 場 では 古 典 劇 が 全 盛 を 誇 っていた ペランの オペラ アカデミー は 財 政 難 のため 解 体 の 憂 き 目 に 会 ったが リュリがルイ 14 世 より 王 立 音 楽 アカデミー の 独 占 権 を 獲 得 したことで フランス オペラの 上 演 は 新 たな 局 面 を 迎 えることになる トラジェディ アン ミュジック 第 一 作 となる カドミュ ス は 宮 廷 のみならず パリの 一 般 観 衆 の 人 気 を 獲 得 することになった リュリはその 成 功 により ルイ 14 世 の 愛 顧 の 下 に 独 占 権 を 得 て 強 引 な 手 法 でパリ 市 中 に 地 盤 固 めを 行 った ため 王 立 音 楽 アカデミー の 設 立 過 程 において 解 散 合 体 を 余 儀 なくされたモリエー ル 劇 団 やマレー 座 を 始 め 自 主 上 演 が 不 可 能 になった 音 楽 家 や 俳 優 たちなど 彼 が 多 くの 敵 を 作 ったことは 確 かであろう しかしながら カドミュス の 成 功 で 新 しいオペラに 対 する 期 待 と 熱 意 はルイ 14 世 を 中 心 とする 宮 廷 のみならずパリ 市 中 でも 大 いに 高 まり それまで 市 中 の 劇 場 を 支 配 してき た 古 典 劇 側 が 脅 威 を 抱 きはじめたことは 想 像 に 難 くない ルイ 14 世 の 独 占 権 を 得 たリュリ とキノーの 名 声 は 高 まり 経 済 的 にも 大 きな 利 益 を 享 受 することになった 一 方 で 戯 曲 作 家 たちは 宮 廷 や 大 衆 の 人 気 を 獲 得 したオペラに 羨 望 を 抱 き 自 分 たちが その 作 家 に 成 り 代 わろうとした こうして キノーに 対 する 攻 撃 が 始 まった 戯 曲 作 家 と してのキノーに 対 して 向 けられた エウリピデスを 改 竄 したという 憤 慨 と 断 罪 の 奥 に 嫉 妬 と 羨 望 が 隠 されていたとしても 不 思 議 ではないであろう 小 アカデミー の 支 援 を 得 たオペラはルイ 14 世 時 代 の 栄 華 を 象 徴 する 祝 祭 の 劇 場 であった それには 上 記 のようにル イ 14 世 自 体 がバレエを 踊 らなくなり 王 の 身 体 の 象 徴 ボーサンに 倣 えば 王 を 写 す 鏡 としてオペラが 位 置 づけられたこともある 宮 廷 の 全 面 的 な 援 護 を 受 けたオペラに 対 して 後 の 17 世 紀 後 半 にはラパン サン=テヴ ルモン ラ ブリュイエール (Jea de la Bruyère) などのオペラ 批 判 の 著 作 は 現 われるが 1674 年 の 段 階 では 同 年 ボワローの 詩 法 においても セヴィニエ 夫 人 の 手 紙 を 見 ても 正 面 切 って アルセスト を 名 指 しした 批 判 文 書 は 見 当 たらない ただペローがアリス ティップの 口 を 借 りて 伝 えるように 批 判 は 人 々の 集 まるサロンや 巷 間 での 風 評 において 特 にキノーに 対 する 攻 撃 を 中 心 に 広 く 行 き 渡 っていたと 思 われる そしてペロー 兄 弟 が 陰 謀 を 口 にするように 秘 密 裏 にキノー 降 ろしが 図 られていた その 動 きを 素 早 く 察 知 し たペローが 先 手 を 打 ったのが アルセスト 批 評 であると 思 われる オペラの 諮 問 機 関 で ある 小 アカデミー の 一 員 であるペローは ルイ 14 世 治 世 を 象 徴 する 新 しい 芸 術 として フランス オペラを 推 進 する 役 割 を 担 っていた そして ペローは 長 年 のキノーの 友 人 で あった しかしながら ペローが アルセスト 批 評 を 出 版 したのには 小 アカデミー の 一 員 でありキノーの 長 年 の 友 人 であったというだけではなく その アルセスト 批 評 にお いて 続 いて 述 べられる 本 論 の 部 分 から 彼 自 身 のオペラに 対 する 芸 術 概 念 美 学 理 念 があっ たことが 考 えられる 次 の 章 では アルセスト 批 評 の 本 論 部 分 を 検 討 してみることに する 81

83 第 三 章 アルセスト 批 評 2- 本 論 の 展 開 ペローの アルセスト 批 評 は 導 入 部 において アルセスト 上 演 について 当 時 の 批 判 的 な 世 評 に 言 及 した 後 いよいよ 本 論 のキノーの 戯 曲 擁 護 に 取 り 掛 かる フランス オペ ラにおいて 上 述 したペランの 手 紙 や リリック 技 法 の 後 この アルセスト 批 評 は 2 番 目 のオペラについて 理 論 的 考 察 を 行 った 文 献 である 1994 年 アルセスト 論 争 に 関 する 論 考 を 纏 めたブルックス ノーマン ザルッチの 3 人 の 編 者 はペローをフランス オペラ 理 論 の 確 立 者 とする 1 ここからのペローによるキノー 戯 曲 擁 護 からも 分 かるように アルセスト 論 争 はキ ノーの 戯 曲 に 焦 点 を 絞 った 文 学 論 争 であった 17 世 紀 において オペラの 台 本 はそれ 自 体 で 作 曲 作 品 と 分 離 して 読 まれる 習 慣 があった 2 ノーマンは アルセスト 批 評 について 従 来 オペラと 古 典 悲 劇 との 違 いに 重 きをおいたオペラの 台 本 作 家 の 擁 護 はあったが オペ ラの 台 本 作 家 がいかに 当 時 の 古 典 劇 美 学 に 合 わせて 文 学 的 に 書 いたかは 検 討 されてこな かった この 点 に 立 って 行 われたのが ペローの 擁 護 である 3 と 述 べる 一 方 でボーサンは アルセスト 論 争 は 文 学 論 争 であるが 17 世 紀 の 文 学 と 共 に 芸 術 精 神 構 造 歴 史 を 理 解 する 上 で 最 も 基 本 的 な 問 題 点 に 触 れることができると 述 べる 4 確 か に 前 章 で 考 察 したこの 論 争 におけるぺローの 置 かれた 位 置 オペラを 取 り 巻 く 宮 廷 や 観 衆 などの 周 囲 の 状 況 そして 続 いて 検 討 する 古 典 劇 側 からのラシーヌの 反 駁 などを 考 慮 に 入 れれば アルセスト 論 争 は 単 なる 文 学 論 争 を 超 えた 当 時 の 芸 術 への 指 向 や 社 会 構 造 に 触 れる 論 争 であるというボーサンの 意 見 に 筆 者 は 首 肯 できると 考 える この アルセスト 批 評 でのキノー 戯 曲 を 擁 護 するペローの 位 置 取 りは 新 旧 二 重 の 基 準 を 持 って 批 評 している ノーマンの 言 うように 前 半 ではアリストテレス 詩 学 以 来 の 古 典 劇 美 学 に 合 わせて 擁 護 する 論 点 を 取 り 後 半 ではオペラが 古 典 劇 美 学 の 基 準 を 超 越 し た 全 く 新 しい 芸 術 だという 論 点 を 取 るという 二 重 の 基 準 である 驚 くべきもの の 観 点 から 言 えば 前 半 では 従 来 の 悲 劇 の 要 素 としての 驚 くべきもの の 点 からトラジェディ アン ミュジックを 擁 護 し 後 半 は 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 観 点 からオペラの 新 し さを 強 調 する 彼 の 論 点 にはところどころエウリピデスの 原 典 の 読 み 違 いがあり そこをラシーヌに 衝 かれるという 綻 びも 見 せる 演 劇 専 門 の 理 論 家 ではないペローには 論 理 的 で 詳 細 な 分 析 が 欠 如 しているという 弱 点 もノーマンは 指 摘 している しかし キノーの 戯 曲 を 特 に 驚 くべきもの の 観 点 から 擁 護 している 彼 の 論 は 貴 重 な 資 料 と 思 われる それでは 内 容 を 1 William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Introduction» dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, op. cit., p. xiii. 2 王 立 音 楽 アカデミー より 出 版 された 16 巻 の 王 立 音 楽 アカデミーにおいて 設 立 以 来 上 演 されたオ ペラ 作 品 全 集 Recueil général des operas représentez par l Academie royale de musique は 1671 年 のペラン/カン ベール ポモーヌ より 1737 年 のジョンティ=ベルナール/ラモー カストールとポーリュクス までの オペラを 集 め 1703 より 1745 年 にかけてバラール 社 などより 出 版 されているが いずれも 台 本 のみが 文 学 資 料 として 収 録 されている Sylvain Cornic, op. cit., p. 20. not. 21, 3 Buford Norman, «Ancients and Moderns, Tragedy and Opera: The Quarrel over Alceste» in French Musical Thought , op. cit., p Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p

84 前 半 部 と 後 半 部 に 分 けて 見 てみよう 第 一 節 アルセスト 批 評 前 半 筋 の 展 開 からエウリピデスとキノーの 比 較 前 章 の アルセスト 批 評 において 中 断 した 箇 所 から 続 けよう クレオンは 対 話 の 論 点 を 変 更 することをアリスティップに 提 案 する 詩 句 や 曲 につい て 話 す 前 に 主 題 について 検 討 しましょう まずエウリピデスを 要 約 し 次 にオペラを 検 討 します キノーがどんな 点 を 削 除 し また 創 作 して 付 け 加 えたかを 見 た 後 で キノーの 戯 曲 が 非 難 に 値 するのか それとも 称 賛 されるべきものなのか 判 断 を 下 しましょう まずクレオンはエウリピデスの 戯 曲 の 梗 概 5 を 述 べ キノーが 削 除 した 点 を 6 箇 所 続 い て 付 け 加 えた 点 を 7 箇 所 提 示 し それぞれについて 検 討 する こうしてエウリピデスの 原 作 を 損 ねたと 弾 劾 されるキノーの 戯 曲 擁 護 に 掛 かる 第 一 にキノーによるエウリピデスの 削 除 ではプロローグを 挙 げる エウリピデスではア ポロンと 死 の 神 との 対 話 で 始 めに 筋 の 多 くを 知 らせてしまう それは 演 劇 の 最 大 の 楽 しみである 心 地 よい 驚 きと 巧 みな 解 決 の 仕 方 に 反 するとペローは 論 じる 演 劇 の 戯 曲 における 最 も 高 貴 な 美 の 一 つは その 戯 曲 の 筋 書 きや 絡 みで われわれが 出 会 う 出 来 事 の 心 地 よい 驚 きと 困 惑 や 不 安 が 見 事 な 解 決 法 で 解 放 され るのを 見 る 喜 び そこにあるということが 真 実 ならば アポロンと 死 の 神 のこの 場 面 は エルキュールが 死 の 神 の 腕 の 中 にいるアルセストを 夫 に 返 すために 取 り 戻 しに 行 くと 知 らせてしまい この 喜 びをわれわれから 完 全 に 取 り 上 げてしまう のは 確 かです 6 よってこの 箇 所 を 削 除 したキノーをペローは 支 持 している ミ ュ ー ト ス ここに 悲 劇 の 基 本 要 素 としてのアリストテレスが 論 じる 筋 書 き 7 の 展 開 とその 解 決 法 から 生 じる 驚 くべきもの の 重 要 性 がペローによって 明 確 に 提 示 されている そこ にはペローの 長 年 の 友 人 であるシャプランが アリストテレスのタウマストンの 流 れを 引 き 継 いで 定 義 した 魂 を 驚 きと 快 楽 とで 魅 了 するもの 8 という 驚 くべきもの の 概 念 が ある 困 惑 や 不 安 が 見 事 な 解 決 法 で 解 放 されるのを 見 る 喜 び とは 同 じく 驚 くべき もの の 一 つの 現 われである 劇 の 大 団 円 での 急 転 回 péripétie を 見 る 楽 しみであろう 古 代 ギリシア 劇 においては 劇 の 始 まりにおいてプロローグとして 観 客 にそれまで 起 き 5 ペローはプロローグと 5 幕 に 分 けて 解 説 する 6 Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., pp «S il est vray qu une des plus grandes beautez des Pieces de Theâtre, consiste dans la surprise agreable des évenements, & dans la joye de se voir delivré par un dénouëment ingenieux de l embarras & de l inquietude où nous a mis l intrigue & le nœud de la Piece. Il est certain que cette Scene d Apollon & de la Mort, où l on apprend qu Hercule viendra retirer Alceste d entre les bras de la Mort, pour la rendre à son Epoux, nous oste entierement ce plaisir, [...]» 7 本 論 9 頁 参 照 8 本 論 8 頁 参 照 83

85 た 事 件 を 知 らせ これから 始 まる 劇 の 理 解 のために 情 報 を 与 える 場 が 置 かれた エウリピ デスの ヒッポリュトス Hippolytos においても 冒 頭 アプロディテがヒッポリュトスと パイドラーの 成 り 行 きを 結 末 まで 知 らせてしまう コルネイユはこのプロローグの 扱 い 方 について エウリピデスの 時 代 になると 次 第 に 粗 雑 になってくると 次 のように 批 判 してい る エウリピデスでは[=プロローグで] 機 械 仕 掛 けの 神 を 導 入 して 観 客 にそれまでの 経 緯 を 説 明 したり 主 要 登 場 人 物 の 一 人 がそれを 自 身 で 語 ってしまうような かなり 粗 雑 な 扱 い 方 をしている 彼 の イフィジェニー[=タウリケのイピゲネイア] や ヘレナ [=ヘレネ] での 例 のように この 二 人 のヒロインたちは 最 初 に 自 分 の 身 の 上 話 を 全 部 語 って 観 客 に 知 らせてしまい しかも 彼 女 たちの 語 りかけを 受 ける 相 手 役 は 誰 も 舞 台 上 にいないのだ 9 コルネイユも 指 摘 するように 古 代 ギリシア 劇 においては 劇 の 始 まりで 観 客 の 注 意 を 引 き 続 いて 始 まる 劇 の 筋 を 紹 介 する 慣 習 があった 10 しかし 16 世 紀 の 人 文 主 義 悲 劇 の 時 代 になると 急 転 回 に 反 するとして 次 第 にプロローグで 前 もって 筋 を 知 らせる 慣 習 は 廃 される ジョデル (Étienne Jodelle) の 捉 われのクレオパートル Cléopâtre captive (1553) ではすでに 前 もって 筋 を 知 らせる 意 図 はなく その 代 わりアンリ 二 世 に 対 する 賛 辞 がプロ ローグとして 置 かれた 世 紀 になるとコルネイユやモリエールは プシシェ などの 機 械 仕 掛 け 劇 で 本 体 の 劇 から 独 立 したルイ 14 世 を 讃 えるプロローグを 入 れた キノーの アルセスト でも プシシェ に 倣 い 王 を 賛 辞 するプロローグになっており エウリ ピデス 冒 頭 でのアポロンと 死 の 神 の 応 対 は 削 除 されている 第 二 にキノーが 削 除 した 場 面 としてペローが 指 摘 するのは アルケスティスの 死 の 準 備 をする 有 様 を 伝 える 侍 女 の 語 りの 部 分 である ペローは エウリピデスではすでに 結 婚 適 齢 期 の 子 供 もいる 年 経 た 王 妃 が 死 に 行 く 床 で 新 婚 の 処 女 を 失 った 時 を 思 い 起 こし 泣 き 崩 れるシーンは 大 袈 裟 すぎ 現 代 の 御 婦 人 たちを 当 惑 させ 失 笑 を 買 うとする しかもアルケ スティスは 子 供 たちの 前 では 涙 一 つ 流 さず 顔 色 一 つ 変 えなかった 現 代 では 若 い 恋 人 同 士 とした 方 が 観 客 は 感 情 移 入 しやすいと 述 べる エウリピデスでのアルケスティスの 振 舞 いを われわれの 世 紀 の 趣 味 に 全 然 合 わな い 12 とするペローの 批 判 は 彼 がこの 批 評 の 後 半 部 でその 用 語 を 使 う 当 時 の 社 会 にお ビ ア ン セ ア ン ス ける 適 切 さ= 節 度 la bienséance の 観 点 からの 興 味 深 い 指 摘 であろう この 社 会 での 9 Pierre Corneille, «Discours de l utilité et des parties du poème dramatique» dans Œuvres complètes, éd. Georges Couton (Paris: Gallimard, 1984), t. 3, p «Euripide en a usé assez grossièrement, en introduisant, tantôt un dieu dans une machine, par qui les spectateurs recevaient cet éclaircissement, et tantôt un des ses principaux personnages qui les en instruisait lui-même, comme dans son Iphigénie, et dans son Hélène, où ces deux héroïnes racontent d abord toute leur histoire, et l apprennent à l auditeur, sans avoir aucun acteur avec elles à qui adresser leur discours.» 10 Downing A. Thomas, op. cit., p Sylvain Cornic, op. cit., p Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., p. 32. «[...]cela n est point du tout au goust de nostre Siecle, [...]» 84

86 ビ ア ン セ ア ン ス 適 切 さ= 節 度 に 反 する 筋 書 きや 言 動 は 観 客 に 違 和 感 を 与 え 引 いては 必 然 性 や 真 実 らしさ に 背 き 感 銘 を 与 えられないとペローは 論 じている ビ ア ン セ ア ン ス 演 劇 学 者 シェレルは 古 典 劇 の 規 則 として 用 いられる 適 切 さ= 節 度 に 関 して 次 のよ うに 説 明 する ビ ア ン セ ア ン ス 真 実 らしさ と 同 じように 適 切 さ= 節 度 は 公 衆 が 観 劇 する 戯 曲 で 使 われるべき ビ ア ン セ ア ン ス 手 段 として 定 義 される [...]17 世 紀 の 理 論 家 は 適 切 さ= 節 度 については 暗 示 で 表 現 し どこにそれが 存 在 するのか 正 確 には 決 して 述 べなかったし しばしば 真 実 ら しさ と 混 同 して 用 いた この 二 つの 概 念 は 17 世 紀 に 言 及 される 生 活 慣 習 の 理 論 の 中 に かなり 混 ざり 合 い 介 入 し 合 っている 13 ビ ア ン セ ア ン ス シェレルによると 17 世 紀 古 典 美 学 の 適 切 さ= 節 度 は 真 実 らしさ とかなり 混 同 さ れて 使 用 されていた ペローが 指 摘 する キノーにより 削 除 された 第 二 の 場 面 すなわち アルケスティスの 死 に 臨 んで 新 婚 時 代 の 床 を 思 い 出 して 取 り 乱 した 様 子 を 伝 える 侍 女 の 供 述 それは 17 世 紀 当 時 の 生 活 慣 習 に 反 し よってシェレルによれば 当 時 の 真 実 らしさに 反 するという 点 において 筆 者 としてもエウリピデス 戯 曲 からのキノーの 削 除 は 首 肯 でき る しかしこの 箇 所 にはペローの 誤 りがあり 後 にラシーヌに 指 摘 され 批 判 を 受 ける ペロー はアルケスティスを すでに 結 婚 適 齢 期 の 子 供 もいる 年 経 た 王 妃 としたが エウリピデ スでの 子 供 たちは 年 端 の 行 かない 幼 子 で よってアルケスティスも 若 さの 華 のまだ 身 に 失 せぬ 賜 物 14 を 捨 てて 死 に 趣 くのだ しかし 残 された 息 子 のエウメロスに 一 緒 に 老 後 を 迎 えられないとは 父 上 も 甲 斐 のない 結 婚 をされたものだ 等 の 幼 子 とは 思 えない 長 い 台 詞 が 与 えられていることも 事 実 である ラシーヌからすると ペローの 指 摘 に 綻 びが 見 られるのが 攻 撃 の 格 好 な 隙 を 与 えたのであろう ビ ア ン セ ア ン ス クレオンの 適 切 さ= 節 度 からの 指 摘 に 対 してアリスティップは 侍 女 の 供 述 の 場 面 の 削 除 は 理 解 できないでもないが エウリピデスでの 一 番 美 しい 場 面 アドメトスとアル ケスティスの 最 後 の 別 れの 場 が 省 かれたのは 納 得 いかないと 反 論 する キノーが 削 除 した とする 第 三 の 場 面 である クレオンはそれに 対 して この 場 面 が 美 しいことは 認 めるが 自 分 が 助 かりたいために 妻 を 死 なせることは 現 代 では 憤 慨 の 的 になる キノーではアド メートが 知 らないうちにアルセストは 一 人 死 を 決 心 して 実 行 に 移 す その 方 が 優 れてい て 当 世 紀 の 趣 味 生 活 慣 習 に au goust de notre Siecle 合 致 している ここでもペロー は 当 世 紀 の 趣 味 を 重 んじ アドメートが 臆 病 で 意 気 地 なしの 男 にならないよう 心 配 り をしたキノーを 褒 める 現 代 の 目 から 見 ても この 二 人 の 別 れの 場 面 が エウリピデスでの 一 番 美 しいシーン というのは 納 得 がいかないと 思 われる 後 に 見 るようにラシーヌはラ グランジュ=シャン セル (La Grange-Chancel) の 言 によると アルセストの 話 ほど 人 の 心 を 打 つものはない 15 とアルセストの 悲 劇 性 を 称 賛 してきたとされる しかし エウリピデスでのアルケスティ 13 Jacques Scherer, La dramaturgie classique en France, op. cit., p エウリピデス ギリシア 悲 劇 III ( 上 ) 前 掲 書 1986 年 25 頁 15 本 書 109 頁 参 照 85

87 スは 夫 に 代 わって 自 分 が 死 を 選 ぶしかなかったこと 年 老 いた 夫 の 両 親 が 身 代 わりになら なかったことを 恨 みがましく 訴 え アドメトスも 悲 しんではいるがそれでは 自 分 が 犠 牲 に なろうとはしない 互 いに 身 勝 手 な 台 詞 よく 言 えば 本 音 をぶつけ 合 い 高 貴 で 貞 淑 なア ルケスティスのイメージには 程 遠 いと 思 われる むしろシュールレアリスティックな 夫 婦 の 皮 肉 合 戦 と 受 け 取 れば 現 代 では 理 解 がしやすい しかも 父 ペレスの 罵 詈 雑 言 を 借 りれ ばアドメトスは 自 分 が 助 かりたいために 妻 を 殺 し それでいて お 前 がいなければこ の 先 どうしよう と 歎 くのでは 現 代 でも 観 客 の 同 情 と 憐 れみを 誘 う 場 面 とは 言 えないの ではないだろうか よって キノーがこの 場 面 を 削 除 した 点 はペローに 従 えば 首 肯 できると 思 われるが し かしペローは 再 び 勇 み 足 の 失 言 をする アドメトスが 死 に 行 く 妻 に カロンの 舟 が 着 い たから 早 く 乗 るように 急 かすのはあまりにも 非 情 すぎる と 追 い 討 ちをかける 箇 所 である この 場 面 では まずアドメトスが 死 に 行 く 妻 に 神 々の 慈 悲 を 祈 るように 言 い それに 答 え てアルケスティスが 冥 界 への 渡 し 守 カロンの 姿 とその 舟 がすでに 自 分 を 迎 えに 来 て 早 く 乗 れと 急 かしていると 訴 える この 一 対 の 会 話 が 交 わされる ペローが 読 んだギリシア 語 版 では アルケスティス を 指 す 表 記 が 欠 落 していたため アドメトスの 台 詞 が 続 いていると 勘 違 いしたのだった アリスティップが 二 人 の 最 後 の 別 れの 美 しい 場 面 をキノーは 削 除 したという 批 判 に 対 し て クレオンはこう 答 える それは 美 しい 場 面 の 一 例 でしょうか アドメートが 最 後 の 別 れを 告 げるアルセストを 遮 って 早 く 死 に 赴 くように 急 かすのは 何 故 なら 妻 がその 務 めを 急 がないなら 運 命 の 女 神 が 自 分 を 連 れ 去 りに 来 ていると 言 うのですから 16 案 の 定 この 箇 所 もラシーヌによって 嘲 笑 され ペローのギリシア 語 読 解 力 の 欠 如 を 暴 露 した 箇 所 と 見 なされた 第 四 にクレオンは 次 のように 指 摘 する アドメートと 父 親 の 場 面 は 私 の 考 えで はこれまで 決 して 舞 台 には 乗 せられなかったような とても 浅 ましいものです 17 自 分 の 代 わりに 死 んでくれない 父 親 を 息 子 が 罵 り しかもその 息 子 は 自 分 の 身 代 わりに 妻 に 死 を 強 いるのでは 戯 曲 全 体 を 台 無 しにしてしまうとクレオンは 続 ける 観 客 はこのよ うなアドメトスが 死 を 逃 れてもそこに 喜 びを 感 じないし 続 く 劇 の 展 開 でヘラクレスがア ルケスティスを 連 れ 戻 しアドメトスに 返 しても 楽 しめない よって キノーによるエウリ ピデスのこの 場 面 の 削 除 はペローによれば 適 切 である エウリピデスにおけるこの 場 面 の 父 と 息 子 の 売 り 言 葉 に 買 い 言 葉 の 罵 り 合 いは やはり 現 代 でも 耳 を 覆 いたくなるような 台 詞 のやり 取 りが 延 々と 続 く 若 い 妻 に 代 わって 余 命 幾 ばくもない 年 寄 りの 父 親 が 死 んでくれなかったと 非 難 し アルケスティスの 死 骸 を 前 に こ 16 Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., p. 36. «Est-ce une chose d un bel exemple, de voir Admette qui interrompt Alceste lors qu elle luy dit les derniers adieux, pour luy dire qu elle se haste de mourir; parce qu il voit, dit-il, la Parque qui le va prendre, si elle ne se haste de faire son devoir.» 17 Ibid., p. 38. «[...] la Scene d Admette & de son pere, qui, a mon sens, est la chose la plus odieuse qui ait jamais esté mise sur le Theátre.» 86

88 れはあなたの 意 気 地 無 しのしるしです 卑 劣 この 上 もない と 父 を 罵 るアドメトスに 聴 衆 はそれではアドメトス 自 身 の 卑 怯 さはどうなのかと 疑 問 を 抱 くであろうし 彼 の 妻 を 失 った 悲 しみに 素 直 に 同 化 できそうには 思 えない ここでのアドメトスの 父 に 対 する 応 答 は 倫 理 的 にも 礼 節 的 にも 17 世 紀 のみならず 現 代 においても やはりクレオンが 断 じるよ うに 聴 衆 からは 嫌 悪 感 を 持 って 迎 え 入 れられるであろう 第 五 にクレオンが 述 べるキノーによるエウリピデスの 削 除 の 場 面 は 従 僕 がヘラクレス の 客 人 としての 暴 挙 を 語 るシーンである クレオンは 奥 方 の 喪 の 最 中 に 知 らないとは いえ 酔 っ 払 って 野 蛮 な 行 為 をするのはジュピテルの 息 子 とは 思 えません と 断 罪 する この 場 面 のヘラクレスは 確 かに 粗 野 で 無 遠 慮 な 客 人 として 描 かれている しかし 古 代 ギリシアではこれくらいの 狼 藉 が 英 雄 として 相 応 しいと 考 えられていたとも 思 える ホ メロス (Homēros) の イーリアス Īlias における アキレウスの 怒 り にも 暴 力 的 で パ ト ス 荒 々しい 情 念 が 描 かれている 17 世 紀 の 古 典 悲 劇 に 登 場 する 英 雄 像 からすれば エウリピ デスのヘラクレス 像 は 確 かにそのまま 舞 台 に 乗 せるのは 憚 られるというクレオンの 論 も 分 かる やはり 観 客 は 宮 廷 の 女 性 客 を 含 め 17 世 紀 の 慣 習 礼 節 の 支 配 する 社 会 の 人 々で ある 品 位 ある 社 会 は ジュピテルの 息 子 である 彼 [=エルキュールすなわちヘラクレス] に 野 卑 な 男 の 資 質 を 持 たせて 描 いたら 全 く 驚 かされてしまったでしょう 18 前 述 したドラポルトも 考 察 するように 当 時 の 宮 廷 はギリシアのオリンピアの 神 々が 支 配 して いた ルイ 14 世 自 身 もジュピテル マルス ネプテューヌなどに 仮 装 し また 王 自 身 をア ポロンに 見 立 て 太 陽 王 とし オリンピアの 神 々を 象 徴 として 利 用 した その 政 治 的 役 割 を ペローは 小 アカデミー の 一 員 として 擁 護 する 必 要 性 を 感 じていたであろう それがエ ウリピデスでのヘラクレスの 描 き 方 は ジュピテルの 息 子 とは 思 えない という 表 現 に 結 びついたと 思 われる 第 六 は 終 幕 のアルケスティスをアドメトスに 引 き 渡 す 場 面 についての 言 及 である クレ オンは ヴェールを 付 けさせたアルケスティスを 新 しい 妻 にと 勧 めてアドメトスの 心 を 試 そうとするヘラクレスの 行 為 は 喜 劇 としては 大 変 に 楽 しい 気 配 りである が エルキュー ルがあるべきような 完 璧 で 真 摯 な 英 雄 には 全 然 相 応 しくない 19 と 非 難 する この エルキュールとしてあるべき 英 雄 という 表 現 にも 第 五 の 場 合 と 同 じように エ ルキュールにルイ 14 世 の 身 体 性 を 重 ねた 表 現 だと 思 える この 場 面 の 人 物 描 写 からも や はりエウリピデスは アルケスティス をサテュロス 劇 として 書 いたと 思 われる この 大 団 円 における 急 転 回 は 魂 を 驚 きと 快 楽 とで 魅 了 する という 悲 劇 の 本 質 的 な 驚 くべきもの の 効 果 を 狙 った 展 開 とは 思 われない アルケスティスを 試 合 で 貰 った 商 品 だ と 言 わしめたり 女 性 の 観 客 がいたら 憤 慨 せざるをえないような 台 詞 がエウリピデスには 確 かにあると 言 えるであろう アルセスト 批 評 で 繰 り 返 しクレオンが 述 べるように 古 代 ギリシアの 価 値 観 倫 理 感 慣 習 は 17 世 紀 のそれとは 異 なっているというのは 真 実 だと 思 われる よって キノー がこれら 6 箇 所 の 場 面 を 削 除 した 点 は 筆 者 としても 納 得 できるのではないかと 考 える ペ ローはこの 6 点 について 悲 劇 の 楽 しみの 一 つである 驚 くべきもの の 点 からエウリピ 18 Ibid., p. 40. «[...] le beau monde auroit esté bien surpris, si on luy eût representé le fils de Jupiter, avec les qualitez d un Crocheteur.» 19 Ibid., p. 42. «[...] ne convient guere à un Heros aussi parfait & aussi serieux que le doit estre Hercule, [...]» 87

89 デスのプロローグが 反 していること また 他 の 5 点 が 当 世 紀 の 趣 味 に 合 わず ビ ア ン セ ア ン ス 適 切 さ= 節 度 に 反 するがゆえに 時 代 が 要 請 する 真 実 らしさ に 背 き 観 客 の 心 を 動 かさないことを 指 摘 している 当 時 の 古 典 悲 劇 の 基 本 要 素 である 驚 くべきもの と 真 実 らしさ この 2 つの 観 点 からペローがキノーの 削 除 を 擁 護 していると 言 えよう 次 にクレオンはキノーが 原 作 に 付 け 加 え 創 作 した 点 を 7 点 挙 げる 第 一 に 開 幕 でエルキュール[=アルシード]はアルセストに 恋 している 設 定 を 作 り 出 す クレオンによれば 観 客 は 神 話 をよく 知 らない 限 り エウリピデスの 原 作 でヘラクレスが アルケスティスを 助 けに 冥 界 まで 降 りていくことに 驚 かない 人 はいないと 解 説 する キ ノーの 台 本 ではエルキュールが 秘 かにアルセストを 恋 慕 しているゆえにそれが 冥 界 への 冒 険 の 動 機 となり 人 間 としてより 自 然 な 感 情 であると 変 更 を 加 えたキノーを 擁 護 する 確 かにエウリピデスでは 接 待 の 従 僕 よりアルケスティスの 死 を 知 らされ 即 座 に 冥 界 へ 助 けに 行 くことを 言 明 するヘラクレスの 決 心 が 描 かれるが これは 唐 突 でもあり いく ら 自 分 の 喪 を 隠 して 饗 応 してくれたアドメトスの 恩 義 に 報 いるためとはいえ それほどま での 危 険 をヘラクレスが 冒 すための 必 然 性 に 乏 しいことは 否 めまい この 点 について 古 典 劇 の 要 素 である 真 実 らしさ に 疑 問 を 呈 するクレオンは エルキュールが 秘 かにアルセ ストを 恋 していたとするキノーの 戯 曲 を 擁 護 する ここには 17 世 紀 のギャラントリーの 美 学 その 恋 愛 重 視 がオペラを 支 配 する 重 要 な 要 素 であることを 改 めて 認 識 させてくれる クレオンの 意 見 であるといえよう 第 二 にキノーが 創 作 した アルセストを 略 奪 するリコメードというスキロス 王 の 存 在 を クレオンはアドメートが 瀕 死 の 重 傷 を 負 う 相 手 として 必 要 だとする クレオンによればエ ウリピデスではアドメトスは 病 気 で 死 期 を 迎 えようとしていたが それよりも 恋 人 を 奪 還 しようとして 傷 を 負 うほうが 主 人 公 として 美 しいとする ペローによればその 結 果 ア ルセストに 身 代 わりを 決 心 させるという 必 然 性 が 生 まれるであろう 前 にも 述 べたように アルセスト の 第 一 幕 と 第 二 幕 はキノーの 創 作 である そこに はキノーの 得 意 とする 恋 愛 を 中 心 主 題 とした 騎 士 道 精 神 のギャラントリーで 急 転 回 をもたらす 筋 の 運 びがあり 筋 自 体 も 複 雑 に 絡 み 合 った 構 成 となっている リコメードを 創 作 することで 彼 によるアルセストの 略 奪 アドメートとアルシードの 追 走 スキロス 島 での 戦 闘 場 面 という 視 覚 的 にも 聴 覚 的 にも 観 客 の 驚 きを 誘 う 場 面 が 続 く 自 然 現 象 の 奇 異 を 表 象 する ギリシア 神 話 のテティスやエオールなどの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 神 々が 次 々と 舞 台 で 演 技 し 兵 士 たちの 行 進 や 戦 闘 の 合 唱 が 入 り 乱 れる 最 後 はリコメー ドの 戦 死 とアドメートの 瀕 死 の 重 傷 という 急 転 回 が 繰 り 広 げられる 神 話 の 神 々の 登 場 や 戦 闘 場 面 死 の 場 面 は 古 典 悲 劇 では 舞 台 上 に 載 せることが 禁 じられ ていた しかも 場 所 はテッサリアから 海 上 スキロス 島 へと 急 展 開 する アルセスト は 悲 劇 と 銘 打 っていても 場 所 時 間 筋 の 3 単 一 を 主 唱 する 古 典 悲 劇 の 厳 密 な 理 論 家 からは その 規 則 の 逸 脱 性 を 強 く 弾 劾 された 今 日 でもフュマロリは アルセスト を ディズニー スタジオによるステレオタイプでハリウッド 的 ハッピーエンド 20 であると 酷 評 している 20 Marc Fumaroli, «Les abeilles et les araignées», dans La Querelle des Anciens et des Modernes, éd. Anne-Marie Lecoq (Paris: Gallimard, 2001), p

90 ここでキノーが 複 雑 な 筋 書 きを 作 り 出 したことへの 是 非 は 措 くとしても 作 劇 上 留 意 さ れた 筋 の 急 転 回 による 驚 くべきもの によって 第 二 幕 第 八 場 のアルセストとアド メート 二 人 の 哀 切 な 別 れの 場 面 が 導 かれることは 確 かであろう エウリピデスとは 異 なり 愛 する 相 手 のために 進 んで 自 分 を 犠 牲 にしようとする 気 高 い 二 人 の 人 間 性 が 筋 の 展 開 から 必 然 的 にもたらされ 観 客 に 驚 きと 称 賛 を 与 える 悲 劇 の 基 本 要 素 である 驚 くべきも の 効 果 が 見 られる 場 面 と 思 われる この 第 二 幕 の 展 開 には ギリシア 神 話 のテティスや エオールなどの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの と 悲 劇 の 本 質 的 な 驚 くべきもの とが 並 存 している 一 例 であると 考 える 続 いて 第 三 にキノーが 創 作 した 副 次 的 筋 について 二 人 は 考 察 する アリスティップは セ フィーズの 恋 と 彼 女 の 移 り 気 は 忌 まわしいものではないですか しかもその 話 は 本 筋 と 絡 んでいない 場 違 いな 箇 所 に 置 かれたエピソードというだけではなく このような 真 面 目 な 演 劇 にはとても 似 つかわしくないものです と 反 論 する それに 対 してクレオンはレト リック 上 の 徳 に 対 して 悪 徳 を 置 くという 対 比 の 原 則 を 引 き セフィーズという 庶 民 出 の 侍 女 の 心 が 移 り 気 で 軽 薄 な 様 子 は アルセストの 貞 操 を 引 き 立 たせるその 対 比 として 必 要 であると 擁 護 する 続 けて 次 のように 述 べる しかし その エピソード は 悪 徳 と 徳 とを 対 比 させる 必 然 性 から 劇 に 結 びつい ているだけではなく セフィーズはアルセストの 腹 心 であるということ そして 続 く 場 面 で 一 つの 真 実 を 彼 女 は 披 露 するということにも 結 びついているのです 21 セフィーズは 軽 薄 で 移 り 気 なだけではなく 人 間 として 生 で 真 実 の 声 を 聞 かせる 存 在 だ とクレオンは 擁 護 している 22 快 活 な 庶 民 のエピソードは 悲 劇 に 変 化 を 与 えるのだ またクレオンはセフィーズの 歌 う 小 さなエールを 一 つ 一 つ 別 々に 取 り 上 げても 貴 重 で 王 冠 の 創 作 に 使 われずにはおかれない 宝 石 たちのようなものだ 23 と 讃 えている 確 かにセフィーズの 台 詞 人 間 は 何 歳 であろうと どんな 状 況 であろうと 死 にたくない ものだ と 言 う 箇 所 には 人 間 の 本 音 がある 父 親 のフェレスは 自 分 が 年 寄 り 過 ぎているこ とを 理 由 に セフィーズは 若 すぎることを 理 由 にアドメートの 身 代 わりを 断 る キノーの 台 本 での 父 親 フェレスはアドメトスと 陰 惨 な 応 酬 をするエウリピデスの 父 親 とは 異 なり むしろ 滑 稽 で 陽 気 な 道 化 役 者 の 役 割 が 割 り 振 られている そして リフレインを 持 ったセ フィーズの 小 さなエールは ポン=ヌフ 上 の 大 道 芸 人 は 言 うに 及 ばず 皆 が 覚 えて 至 る 所 で 歌 われたとセヴィニエ 夫 人 などにより 伝 えられている このセフィーズの 役 柄 は 後 に 小 21 Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., pp «Mais cét Episode n est seulement pas joint à la Piece par la necessité qu il y avoit d opposer le vice à la vertu, il y est joint encore, en ce que Cephise est confidente d Alceste, & que dans la suite elle sert à establir une verité,[...]» 22 セフィーズの 心 変 わり については 機 械 仕 掛 けで 場 面 が 転 換 するトラジェディ アン ミュジック との 関 係 性 が 以 下 に 論 じられている 永 井 典 克 アルセスト : 十 七 世 紀 フランス オペラの 軽 さ もし くは 心 変 わり 教 養 論 集 (17) 頁 東 京 : 成 城 大 学 2003 年 23 Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., p. 51. «[...], je les regarde comme des pierreries qui toutes separément sont precieuses, & qui ne laissent pas d entrer en la composition d une Couronne, [...]» 89

91 間 使 い 役 である スーブレット soubrette として 機 転 の 利 く 溌 剌 とした 若 い 娘 を 演 じ る 軽 い 声 質 のソプラノに 引 き 継 がれていくだろう また ペローのアルセストとセフィーズを 対 比 させる 指 摘 箇 所 は 女 主 人 とその 侍 女 と いう 社 会 的 階 層 の 倫 理 観 の 差 異 を 述 べている 箇 所 でもあろう ラシーヌは フェードル Phèdre の 序 でもっと 断 定 的 な 口 調 を 用 い フェードルの 乳 母 エノーヌがイッポリー トに 罪 を 着 せようとテゼーに 讒 言 することについてこう 述 べている 私 はこの 讒 言 は 他 の 点 ではとても 高 貴 できわめて 徳 高 い 王 妃 が 口 にするに は あまりにも 低 俗 でとても 陰 険 なものだと 考 えた 私 にとってこのような 低 劣 さは 乳 母 にこそ 相 応 しいものに 思 われた 乳 母 ならばより 下 賎 な 性 向 があるであろう し しかしながらひたすら 女 主 人 の 命 や 名 誉 を 救 おうと あえてこの 誤 った 告 発 を 企 てるのだ 24 この 箇 所 は 当 時 においても 物 議 を 醸 したが 当 時 一 般 に 認 められていた 身 分 関 係 による 差 別 といえるであろう ちなみに フェードル の 原 作 であるエウリピデスの ヒッポリュ トス では パイドラー[=フェードル] 自 らヒッポリュトスに 罪 を 着 せた 書 板 を 手 に 首 を 括 ることになっている アルセスト で 用 いられた 副 次 的 筋 であるエピソードについて クレオンはアルセス トの 貞 淑 のためにセフィーズの 移 り 気 が 必 要 だったと 擁 護 するが やはりキノーのギャ ラントな 悲 喜 劇 的 志 向 が 強 く 残 っている 箇 所 でもあると 考 える この 悲 劇 と 喜 劇 の 混 在 に ついては キノーは 多 くの 非 難 を 浴 びたが ヴィアラは 次 のように 擁 護 する ギャラントな 手 法 の 基 礎 であるこの 中 庸 な 様 式 は 高 貴 な 調 子 とも 低 俗 な 調 子 とも 切 断 はない 反 対 にあらゆる 種 類 の 文 学 的 な 文 体 を 合 体 し 駆 使 する 25 ノーマンも ギャラントな 作 品 は 軽 快 で 楽 しく その 作 家 たちは 陽 気 な 調 子 を 真 面 目 な ものに 結 びつけるとし アルセスト はヴィアラ 曰 く あらゆる 種 類 の 文 学 的 な 文 体 の 優 れた 一 例 であると 述 べる 26 ノーマンによれば このギャラントな 文 体 は 古 典 主 義 の 統 一 された 様 式 に 反 しているが 彼 によれば 古 典 主 義 の 様 式 自 体 があまりに 狭 く 定 義 され ているとする ノーマンは 次 のように 続 ける 17 世 紀 ラ フォンテーヌも プシシェと キューピドンの 恋 ではギャラントな 美 学 と 英 雄 的 なもの 散 文 と 韻 文 を 混 ぜ 合 わせてい る ボワローもその 風 刺 詩 サティール で 滑 稽 な 調 子 と 真 面 目 な 調 子 倫 理 的 と 快 楽 的 高 尚 なものと 下 劣 なものという 相 容 れない 要 素 を 入 れている それが 当 時 の 趣 味 であり 24 Jean Racine, «Préface de Phèdre» dans Œuvres complètes, t. 1, Théâtre-Poésie, éd. Georges Foresties (Paris: Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard, 1999), pp «J ai cru que la Calomnie avait quelque chose de trop bas et de trop noir pour la mettre dans la bouche d une Princesse, qui a d ailleurs des sentiments si nobles et si vertueux. Cette bassesse m a paru plus convenable à une Nourrice, qui pouvait avoir des inclinations plus serviles, et qui néanmoins n entreprend cette fausse accusation que pour sauver la vie et l honneur de sa Maîtresse.» 25 Alain Viala, Naissance de l écrivain: sociologie de la littérature à l âge classique (Paris: Minuit, 1985), p Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p

92 観 客 を 喜 ばせることであった 27 秋 山 は 2011 年 の 論 考 において アルセスト をギャラントな 美 学 で 論 じ トラジェ ディ アン ミュジックは 悲 劇 でも 喜 劇 でもなく 従 来 のジャンルを 超 越 しようという 野 望 を 持 っていた 28 とする そのギャラントな 美 学 は 多 様 性 を 持 ち やがて 来 るロマン 主 義 のユゴー (Victor Hugo) の 1827 年 クロムウェル Cromwell 序 における 崇 高 さ とグロテスクという 二 つのタイプの 全 く 自 然 な 結 びつき を 予 告 したと 論 じている 29 ノーマンが 言 うように アルセスト におけるキノーの 喜 劇 と 悲 劇 の 混 在 から 従 来 の 古 典 主 義 規 則 における 二 つの 演 劇 の 明 確 な 区 別 を 超 越 しようとする 試 みを 読 み 取 る 考 え は 17 世 紀 の 悲 喜 劇 を 得 意 とする 作 家 であったキノーの あらゆる 種 類 の 文 学 的 な 文 体 を 合 体 し 駆 使 する その 多 形 で 多 様 性 に 満 ちた 文 体 からは 感 じ 取 れると 思 われる そして そこに 秋 山 の 述 べるように やがて 来 るロマン 主 義 文 学 の 一 つの 前 触 れとなった 様 式 を 見 ることは 否 めないと 思 われる しかし 一 方 で ここにはかつてキノーが 得 意 とした 悲 喜 劇 の 様 式 の 名 残 を 見 ることが 可 能 であると 筆 者 は 考 える なぜならキノーは アルセスト において 悲 劇 と 喜 劇 の 混 在 を 批 判 された 後 次 第 に 喜 劇 的 要 素 をトラジェディ アン ミュジックから 除 外 していくか らである 1670 年 代 時 代 は 次 第 に 単 純 な 悲 劇 の 筋 立 てに 純 化 洗 練 されていく 傾 向 があっ た キノーも 次 作 の テゼー では 喜 劇 的 要 素 のエピソードを 3 箇 所 のみに 限 り 翌 年 の アティス 以 後 はすべて 省 くこととなる ペロー 自 身 も アルセスト の 悲 劇 と 喜 劇 の 混 在 には その 概 念 の 革 新 性 から 擁 護 を 行 っているのではなく レトリック 上 の 対 比 の 原 則 に 論 の 重 心 を 置 いていると 思 われる クレオンが 述 べる 第 四 のキノーが 付 け 加 えた 点 は 第 二 と 重 なるが アドメートは 戦 い で 瀕 死 の 重 傷 を 負 う その 若 々しい 戦 士 の 出 で 立 ちのほうが 年 老 いた 老 人 の 病 人 より 舞 台 栄 えする という 擁 護 である オペラの 主 人 公 は 若 々しく 美 しい 男 女 である 必 要 性 をペローは 重 ねて 説 いている オペ ラの 趣 向 は 宮 廷 の 祝 祭 からの 伝 統 を 引 き 継 ぎ 豪 奢 で 華 美 な 舞 台 装 置 や 衣 装 が 用 いられた また ルイ 14 世 時 代 の 宮 廷 風 俗 は 女 性 の 衣 装 よりも 男 性 の 衣 装 が 華 美 かつ 豪 奢 になった 稀 な 事 例 30 だと 言 われている 機 械 仕 掛 けの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 出 現 と 共 に 舞 台 上 で 演 じる 主 人 公 の 姿 に 悲 壮 さと 高 貴 さをもたらし 観 客 に 驚 くべきもの の 効 果 を 与 えるためにも 視 覚 的 な 美 しさが 要 請 されたのであろう そこにボーサンが 形 容 する ように 王 をそのまま 映 した 鏡 としてオペラを 見 る 視 点 も ペローの 小 アカデミー の 一 員 としての 立 場 を 考 えれば 可 能 であると 思 われる 第 五 として 機 械 仕 掛 けで 降 りてきたアポロンが アドメートの 身 代 わりになる 徳 高 い 者 を 讃 えるため 寺 院 と 彫 像 を 造 ると 宣 言 する 場 面 をペローは 指 摘 する 寺 院 と 彫 像 は 技 法 の 神 々によって 即 座 に 稲 妻 から 彫 られるのだ 27 Ibid., pp Nobuko Akiyama, «Alceste de Quinault et de Lully», 青 山 フランス 文 学 論 集 復 刊 東 京 : 青 山 学 院 大 学 2011 年 27 頁 29 同 上 30 頁 30 Philippe Beaussant, Versailles, Opéra (Paris: Gallimard, 1981), p. 22. 渡 邊 守 章 劇 場 の 思 考 東 京 : 岩 波 書 店 1984 年 147 頁 91

93 このような 尋 常 でない 美 徳 の 行 為 に 対 して 神 によって 褒 賞 を 与 えると 宣 告 させ るのは 非 常 に 適 切 であるだけでなく その 記 念 碑 はとても 美 しく また 特 に 奇 跡 的 な 装 置 になるのです 31 続 いてクレオンは アルセストの 彫 像 によって 彼 女 が 自 刃 して 果 てたという 事 情 が 一 瞬 にして 分 かり この 辛 い 場 面 を 描 写 する 長 い 会 話 が 省 略 できるとその 利 点 を 加 える ここには 超 自 然 的 な 驚 くべきもの を 非 常 に 適 切 である tres-convenable として 肯 定 し その 奇 跡 により 美 しい 装 置 が 舞 台 上 に 表 現 されることを 称 賛 するペローがいる ペ ローはこの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの が 悲 劇 の 要 素 として 肯 定 されるためには 当 時 悲 劇 の 必 須 要 件 とされた 真 実 らしさ とどう 折 り 合 うかという 問 題 には 適 切 である と するだけで 解 決 している この 場 合 の 適 切 さ とは コルネイユの 定 義 を 用 いることが 可 能 であろう コルネイ ユの 章 で 前 述 したように 彼 は 神 話 伝 説 がわれわれに 伝 える 神 々や 彼 らの 変 身 はすべ て 不 可 能 なことであるが それでもそれが 語 られるのを 聞 くのに 慣 れ 親 しんできたという われわれ 共 通 の 認 識 および 伝 説 の 理 解 によって ほんとうと 信 じられるといわざるを 得 ない 32 としている クレオンの 言 う 尋 常 でない 美 徳 普 通 の 人 間 には 成 しえない 気 高 い 決 心 に 応 える 神 の 奇 跡 的 な 褒 賞 行 為 は われわれ 人 間 には 不 可 能 であるが アリスト テレスによれば 神 々が 全 知 全 能 であることをわたしたちは 認 めるから 33 そしてコル ネイユ 曰 く われわれ 共 通 の 認 識 および 伝 説 の 理 解 によってほんとうといわざるを 得 な い のだ この 二 人 の 擁 護 でアポロンのなす 超 自 然 的 な 褒 賞 は 適 切 なこと として 真 実 らしさ を 請 合 われるであろう そして 確 かにクレオンが 言 うように 剣 で 自 分 の 胸 を 貫 くアルセストの 彫 像 が 開 示 さ れた 時 のアドメートの 驚 愕 は 多 言 を 弄 するより 視 覚 的 な 表 象 によりもっと 衝 撃 的 なもの となるであろう アルセストの 死 を 知 ったアドメートの 苦 悩 と 関 連 してクレオンは 第 六 として アリスト テレスから 例 を 引 いて 語 る クレオンによれば アリストテレスは アンティゴーヌ に おいて 恋 人 エモンが 父 から 結 婚 の 許 しを 得 て 歓 喜 のあまり 父 によってアンティゴーヌ が 閉 じ 込 められた 地 下 牢 へ 急 ぐと アンティゴーヌはすでに 絶 望 から 息 絶 えていた 場 面 それを 想 像 できるうちで 最 も 美 しいものの 一 つと 言 及 している アリストテレスを 引 いて クレオンはこの 場 面 を 次 のように 説 明 する アリストテレスは 次 のように 言 っています すなわちこの 非 常 な 喜 びから 耐 え 難 い 苦 痛 への 突 然 の 変 化 は [...] 観 客 の 心 に 同 時 に 怖 れと 憐 れみをこの 上 なく 抱 かせる 31 Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., p. 53. «Outre qu il est tres-convenable de faire proposer par les Dieux des recompenses pour les actions d une vertu extra-ordinaire, ce Monument fait une Decoration tres- belle & tres-surprenante.» 32 本 論 文 19 頁 参 照 33 本 論 文 6 頁 参 照 92

94 という 演 劇 が 提 示 する 効 果 のすべてを 作 り 出 すと 34 クレオンによれば アリストテレスは アンティゴーヌ[=アンティゴネ/ソポクレス 作 ] におけるエモンの 歓 喜 から 悲 嘆 への 急 転 回 は 観 客 に 怖 れと 憐 れみ を 与 えると 述 べて いる クレオンはこのエモンの 心 境 とアドメートは 同 じ 状 況 に 置 かれると 説 明 する 自 分 の 傷 が 治 り これからアルセストと 共 に 生 きようと 歓 喜 のうちに 彼 女 の 姿 をあらゆる 場 所 に 探 したところ 開 帳 された 寺 院 の 彫 像 でアルセストが 自 刃 したこと しかも 自 分 の 身 代 わりになったと 知 った 時 ほど 悲 痛 で 絶 望 的 な 思 いをすることはない エモンよりも 癒 され ることの 無 い 苦 悩 であると 述 べる このクレオンの 解 釈 箇 所 は アリストテレスの 指 摘 する 幸 福 から 不 幸 のどん 底 へと 突 き 落 とされる 主 人 公 の 逆 転 観 客 の 予 期 しない 急 転 回 の 場 面 であり ペローがキノーの 戯 曲 から 悲 劇 の 基 本 的 要 素 である 驚 くべきもの の 概 念 の 生 じる 場 面 を 引 き 出 して 解 説 した 部 分 である ここにおいてペローは シャプランが 説 き 自 らも 辞 典 で 確 認 する ことになる 悲 劇 の 驚 くべきもの の 基 本 理 念 を みずからの 演 劇 美 学 として 明 確 に 提 言 している 第 七 にキノーが 付 け 加 えた 点 は アルシードがアルセストとアドメートの 変 わらぬ 愛 を 目 の 前 にし アルセストを 返 すことを 決 心 する 場 面 である この 場 をクレオンはこの 戯 曲 の 中 で 一 番 美 しい 箇 所 であると 称 賛 する クレオンは 続 ける 個 人 的 な 恋 の 炎 に 打 ち 克 ち 真 の 栄 光 を 手 に 入 れたアルシードの 栄 誉 その 英 雄 的 な 美 徳 が 悲 劇 の 解 決 を 導 きだす ア ルシードは 危 険 を 冒 して 連 れ 帰 ったアルセストを 我 がものにしたいにもかかわらず 最 後 には 恋 よりも 名 誉 を 取 り 彼 女 をアドメートに 返 す エウリピデスではアルセストとアド メートの 愛 しか 語 らない アルシードは 半 神 である 人 間 的 弱 さと 偉 大 で 真 摯 な 資 質 が 交 じりあった 存 在 であるが 最 後 に 冥 界 に 勝 利 し 自 分 自 身 にも 打 ち 克 った 真 の 英 雄 である 天 は 彼 [=アルシード]を 偉 大 な 行 為 を 成 さしめるために 地 上 に 送 ったのです すなわち 怪 物 たち や 暴 君 たち 死 の 神 冥 界 を 手 なずけ ついには 自 分 自 身 をも 克 服 し その 栄 光 をほかのすべての 者 に 分 け 与 えるべく そしてこの 悲 劇 は 次 のような 美 しい 詩 句 で 終 わりを 告 げます 寛 大 なるアルシードよ 勝 ち 誇 れ! 幸 いなる 夫 妻 よ 平 和 に 生 きよ! この 言 葉 がこの 戯 曲 を 通 しての 主 題 であり 内 容 なのです 35 そして もし この 種 の 作 品 がいくばくかの 倫 理 性 を 持 っていなかったならば ただ の 空 しいお 遊 びにしか 過 ぎず 思 慮 分 別 のある 人 間 の 興 味 を 喚 起 するには 値 しないと 信 じ 34 Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., p. 55. «Aristote dit, que ce passage subit d une grande joye à une grane douleur [...], produit dans l esprit des Spectateurs tout l effet que le Theâtre se propose, qui est d émouvoir souverainement l horreur & la compassion en mesme temps.» 35 Ibid., pp «[...] le Ciel l a donné à la Terre pour faire de grandes actions; pour dompter les Monstres & les Tyrans, la Mort & les Enfers, il doit aussi se surmonter luy-mesme, & ajoûter cette victoire à toutes les autres. Aussi la Tragedie finit-elle par ces beaux Vers / Triomphez genereux Alcide, / Vivez en paix heureux Epoux, / qui marquent le sujet & la substance de toute la Piece.» 93

95 ます 36 と 強 調 する ペローがこう 力 説 するように アルセストあるいはアルシードの 勝 利 とする 題 名 か らも アルセストの 悲 劇 と 同 時 にアルシードすなわちヘラクレスの 気 高 さ 偉 大 さが 主 題 であったことは 明 らかである ペローの 称 賛 には アルシードにルイ 14 世 のアレゴリーを 見 ることが 可 能 であるし ペローの 小 アカデミー の 一 員 としての 王 の 威 光 を 讃 えると いう 政 治 的 意 図 も 見 えるであろう ただ 筆 者 としてはキノーの 立 場 から 見 ると 彼 は 古 典 悲 劇 を 凌 駕 する 高 貴 で 勇 敢 な 英 雄 像 を 描 こうという 意 欲 があったと 考 える オペラの 世 界 においても 古 典 悲 劇 に 匹 敵 する いやその 枠 を 超 え 観 客 に 深 い 感 銘 を 与 える 人 物 像 を 描 こうとした そしてキノーの 意 気 込 み 野 心 をペローは 感 じ 取 っているからこそ オペラの 戯 曲 はただのお 遊 びではなく そ こにルイ 14 世 の 象 徴 を 見 たとしてもアルシードの 勝 利 には 倫 理 性 が 見 られることをペ ローは 強 調 したと 思 われる 大 団 円 における 筋 の 急 転 回 からもたらされる アルシー ドの 通 常 の 人 間 の 営 みを 超 えた 気 高 く 倫 理 性 に 満 ちた 人 物 像 に 観 客 は 驚 きと 称 賛 の 念 を 禁 じえない ここにおいてペローが その 悲 劇 の 基 本 要 素 として 要 請 される 驚 くべ きもの の 概 念 ついて 検 討 を 加 えていたことが 分 かる アルセスト には 確 かに 筋 の 複 雑 さや 歌 われるゆえに 詩 句 や 修 辞 法 上 の 平 板 さは 見 られる そして 機 械 仕 掛 けやバレエの 加 わった 構 成 から 古 典 悲 劇 の 凝 縮 力 は 持 ち 合 わせ ないと 言 えるであろう しかし キノーが 悲 劇 として 描 こうとしたアルシードの 人 物 像 に は エウリピデスには 見 られない 偉 大 さ 倫 理 性 の 概 念 が 考 慮 され 観 客 を 驚 かせ 称 賛 させる という かつてシャプランが 考 察 し ペローが 編 纂 に 関 わった 辞 典 において 定 義 されている 悲 劇 の 基 本 要 素 としての 驚 くべきもの の 概 念 が 考 察 されていると 考 える ここまでが アルセスト 批 評 前 半 で 論 じられた エウリピデスとキノーの 戯 曲 との 具 体 的 な 比 較 である ここでのペローの 論 の 展 開 は 第 一 に 古 典 主 義 理 論 から 当 時 の 趣 味 ビ ア ン セ ア ン ス を 考 慮 して 適 切 さ= 節 度 を 取 り 上 げ それを 判 断 の 基 準 とし その 結 果 真 実 らしさ ビ ア ン セ ア ン ス がもたらされることを 述 べる この 適 切 さ= 節 度 の 判 断 の 基 準 からエウリピデスの 原 作 を 見 ると ペローによって 多 くの 疑 問 点 が 提 示 される 第 二 にキノーの 戯 曲 には 筋 の 急 転 回 により 観 客 の 予 期 に 反 する 驚 くべきもの が 導 入 され その 驚 くべきもの に よって 観 客 の 心 に 怖 れと 憐 れみ を 呼 び 起 こすことをペローは 例 証 する またペローの 論 じる 驚 くべきもの には アルシードに 代 表 される 筋 の 展 開 から 導 かれる 主 人 公 の 気 高 さ 倫 理 性 が 観 客 に 与 える 驚 きと 称 賛 の 概 念 が 考 察 されている 筋 の 展 開 からも たらされる 運 命 に 立 ち 向 かう 主 人 公 の 気 高 さ 倫 理 性 からもたらされる 観 客 の 驚 きと 称 賛 の 概 念 が 考 察 されている アルセスト 論 争 の 前 半 において ペローは 古 典 主 義 の 規 則 と その 理 論 の 基 盤 となったアリストテレス 詩 学 の 価 値 基 準 の 点 から 論 を 展 開 し ている その 視 点 に 立 って キノーがエウリピデスの 筋 を 変 更 したことの 正 当 性 をペロー は 主 張 している 古 代 悲 劇 の 筋 の 変 更 については コルネイユも 1659 年 エディップ の 作 品 検 討 に 36 Ibid., p. 60. «[...] je suis persuadé que si ces sortes d ouvrages ne contiennent quelque moralité, ce sont de vains amusements indignes d occuper l attention d un esprit raisonnable.» 94

96 おいて 次 のように 述 べる 彼 ら[=ソポクレスやセネカ]の 時 代 には 驚 くべきこと le merveilleux 37 として 受 け 入 れ られていたものも 現 代 ではおぞましく 思 われ また 第 五 幕 全 体 を 占 めるこの 不 幸 な 王 の 目 をくりぬく 様 子 の 奇 妙 なくだくだしい 描 写 は ご 婦 人 方 の 繊 細 な 心 に 嫌 悪 感 を 抱 かせるかもしれない そうするとその 不 興 がたちまち 観 客 全 体 の 不 興 を 呼 ぶ さ らには この 悲 劇 には 恋 愛 がないので 世 評 を 得 られる 劇 の 主 なる 魅 力 を 欠 くことに なると 私 は 認 めた /そういう 配 慮 から 危 険 な 情 景 は 隠 してしまい テゼーとディ ルセの 幸 福 のエピソードを 加 えたのである 38 ここにはまさに ペローと 同 じ 近 代 派 のコルネイユ 像 が 髣 髴 とされる コルネイユはエ ビ ア ン セ ア ン ス ウリピデスの 筋 を 自 分 が 変 更 したことを 当 時 の 適 切 さ= 節 度 の 点 から 妥 当 とし その 上 恋 愛 の 重 要 性 幸 福 なエピソードを 認 めている この 時 コルネイユは 一 時 劇 作 を 中 断 し 再 開 した 1659 年 という 年 代 におり そこにも 時 代 の 美 学 の 変 化 がうかがわれる しかしな がら アルセスト が 上 演 された 1670 年 代 になると 時 代 は 単 純 な 悲 劇 へと 趣 向 が 変 化 していく 第 二 節 アルセスト 批 評 後 半 驚 くべきもの について アルセスト 批 評 の 後 半 部 に 入 ると ペローはもっと 概 念 的 一 般 的 な 見 地 から 古 代 と 当 代 を 比 較 し 驚 くべきもの の 概 念 を 用 い 演 劇 の 各 分 野 の 区 別 にまで 論 を 進 める アリスティップは 言 う あなたの 話 を 信 じると 現 代 の 作 家 はエウリピデスより 優 れて いるようですね 現 代 は 古 代 と 同 格 であるより むしろ 凌 駕 したと それはいまだ 聞 いた ことの 無 い 大 きな 矛 盾 です それに 対 してクレオンはこう 断 言 する われわれの 作 者 が 何 箇 所 かエウリピデスを 模 倣 しなかったことを 私 が 称 賛 したの は それらの 箇 所 が 絶 対 的 に 間 違 っているということではなく われわれの 世 紀 の 慣 習 (les mœurs) に 合 致 しないからだということはお 気 づきいただいたと 思 います 同 様 にエウリピデスが 描 いた 感 情 にも 彼 の 時 代 の 慣 習 に 照 らせば いくばくかの 優 れ 37 なおコルネイユはこの 作 品 検 討 を 前 後 に 幾 分 かの 表 現 の 差 異 はあるものの 下 記 等 の 別 の 版 で 読 者 へ Au lecteur という 前 書 きに 用 い そこでは merveilleux に miraculeux 奇 跡 的 なこと という 用 語 を 使 っている よってここでの 驚 くべきもの はやはり 超 自 然 的 な 意 味 に 限 定 していると 思 われる Pierre Corneille, «Au lecteur dans Œdipe» dans Œuvres complètes suivies des Œuvres choisies de Thomas Corneille, t. 3 (Paris: Hachette, ), p Pierre Corneille, «Au lecteur», Œdipe (Rouen: A. Courbé et G. de Luyne, 1659), non page. 38 Pierre Corneille, «Examen d Œdipe» dans Œuvres complètes t. 3, éd. Georges Couton (Paris: Galllimard, 1980), p. 20. «Je reconnus que ce qui avait passé pour merveilleux en leurs siècles pourrait sembler horrible au nôtre; que cette éloquente et curieuse description de la manière dont ce malheureux prince se crève les yeux, qui occupe tout leur cinquième acte, ferait soulever la délicatesse de nos dames, dont le dégoût attire aisément celui du reste de l auditoire; et qu enfin l amour n ayant point de part en cette tragédie, elle était dénuée des principaux agréments qui sont en possession de gagner la voix publique. / Ces considérations m ont fait cacher aux jeux un si dangereux spectacle, et introduire l heureux épisode de Thésée et de Dircé.» 95

97 た 素 晴 らしい 感 情 があるでしょう 39 続 いてクレオンは 古 代 の 作 者 が 優 れている 点 と 現 代 が 勝 っている 点 を 列 挙 する 彼 によると 古 代 の 作 者 が 優 れている 点 は 自 然 の 物 事 や 人 間 の 心 の 感 情 に 関 する 描 写 すべての 表 現 に 関 することとする 40 現 代 の 作 者 が 優 れているかもしれない 点 と してクレオンは 条 件 法 を 用 いるが 先 立 つ 世 紀 の 仕 事 や 研 究 が 存 在 するという 有 利 さで ビ ア ン セ ア ン ス 適 切 さ= 節 度 秩 序 構 成 配 置 や 各 部 分 の 整 合 性 とする 41 次 にクレオンは 後 の 新 旧 論 争 でも 用 いられるようになった 古 代 派 (Anciens) 近 代 派 (Modernes)という 大 文 字 を 使 う 彼 は 双 方 の 立 場 を 一 方 で 古 代 派 への 侮 辱 はそれ を 研 究 するものにとっては 気 持 ちを 害 された 気 分 であろうし もう 一 方 で 近 代 派 への 侮 辱 はこの 世 紀 の 巧 みな 作 家 にとってはまさに 憤 慨 を 覚 えるという 理 由 で 同 じよう に 困 った 結 果 になる 42 と 述 べる 続 けてアリスティップが 行 う 問 題 提 起 は 超 自 然 的 な 驚 くべきもの についてである 彼 はこう 言 う 舞 台 に 必 要 もなくしょっちゅう 現 われる 神 々の 存 在 を 私 に 正 当 化 してく ださい [...]それはホラティウス (Quintus Horatius Flaccus) の 教 えに 全 く 反 することではな いですか 彼 は 機 械 仕 掛 けの 神 々を 批 判 し 通 常 の 自 然 なやり 方 では 解 決 できない 結 末 で しか 用 いてはならないと 言 っています またエウリピデスは 機 械 仕 掛 けの 神 々を 用 心 して 使 っています それに 対 してクレオンは 半 可 通 の 大 きな 欠 点 の 一 つは 半 分 しか 理 解 しないこと ある いはアリストテレスやホラティウスの 教 訓 を 間 違 って 適 用 することで あなたが 主 張 され た 問 題 はとても 良 い 点 で 喜 劇 や 悲 劇 においてはぜひとも 留 意 すべきことだと 答 える 続 いて しかし オペラ や 機 械 仕 掛 け 劇 はホラティウスの 時 代 には 用 いられなかった ので 当 時 守 られた 規 則 に 従 わせることはできないのです 43 と 断 定 する 39 Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., pp «Vous avez pû remarquer quand j ay loüé nostre Autheur de n avoir pas imité Euripide en plusieurs endroits, ce n a pas esté parce que je trouve ces endroits-là absolument mauvais; mais parce qu ils ne sont pas conformes aux mœurs de nostre Siecle. Ainsi, quelques bons & quelques divins que soient les sentiments d Euripide, par rapport aux mœurs de son temps, [...]» 40 Ibid., p. 63. «[...] les Autheurs anciens ont eu plus de genies que ceux de ce temps icy pour la description des choses de la Nature, des sentiments du cœur de l homme, & pour tout ce qui regarde l expression.» 41 Ibid., pp «[...] comme la bien-seance, l ordre, l œconomie, la distribution, & l arrangement de toutes les parties; [...] il se pourroit faire que les derniers Siecles ont de l avantage en ces sortes de choses, parce qu ils ont profité du travail & de l estude de ceux qui les ont precedez.» 42 Ibid., pp «Parce que si d un costé le mépris des Anciens est une disposition tres-mauvaise pour ceux qui estudient; d un autre costé, le mépris qu on fait des Modernes, est aussi d une fâcheuse consequence, à cause de la juste indignation qu en peuvent concevoir les habiles gens de ce Siecle, [...]» 後 にラシーヌが イフィジェニー の 序 で 近 代 派 (Modernes)という 用 語 を 使 ったのも ここから 引 用 したのであろうと 言 われている William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Critique de l Opera, ou examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le triomphe d Alcide», Alceste suivi de La Querelle d Alceste, op. cit., p. 98,. not. 11. 公 式 の 新 旧 論 争 は 1687 年 1 月 王 の 手 術 からの 回 復 を 祈 りペローは 自 作 のルイ 14 世 時 代 を 讃 える 詩 ルイ 大 王 の 世 紀 を ラヴォー 師 (abbé de Lavau) に 読 んでもらった ここから 正 式 に 新 旧 論 争 が 始 まる 43 Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., p. 67. «[...] mais non pas dans les Opera ou Pieces de Machines, qui n estant point en usage du temps d Horace, ne peuvent estre sujettes aux Loix qui en ont esté faites de ce temps-là.» William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Critique de l Opera, ou examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le triomphe d Alcide», Alceste suivi de La Querelle d Alceste, op. cit., p

98 ここでペローは 機 械 仕 掛 けについてのアリストテレスの 理 論 は 用 いない アリストテ レスは 機 械 仕 掛 けを 用 いる 必 要 があるとすれば それは 劇 の 外 のことがら すなわち 人 間 が 知 ることのできない 過 去 の 出 来 事 か あるいは 予 言 や 報 告 を 必 要 とする 未 来 の 出 来 事 についてである というのは 神 々が 全 知 全 能 であることをわたしたちは 認 めるからであ る 44 と 述 べた しかし ここでペローは 17 世 紀 後 半 の 時 点 で 現 在 弁 護 の 論 を 展 開 して いる アルセスト のようなオペラ そして プシシェ に 代 表 される 大 掛 かりな 機 械 仕 掛 け 音 楽 劇 に 限 定 して 答 えていると 思 われる オペラや 大 掛 かりな 機 械 仕 掛 けの 音 楽 劇 は 確 かにホラティウスの 時 代 には 存 在 しなかった よってその 教 訓 に 従 う 必 要 はない この ことについてノーマンはペローとしては アルセスト に 古 典 悲 劇 の 基 準 を 当 てはめよう としたのではなく むしろ 新 しいジャンルの 文 学 としての 基 準 を 適 用 しようとしたと 述 べ る そして ホラティウスの 時 代 にはトラジェディ リリック 45 はなかったので その 規 則 からオペラを 除 外 しようとする 点 で ペローの 取 った 態 度 は 明 瞭 だ 46 とする 確 かにここでのペローは オペラや 機 械 仕 掛 け 劇 の 革 新 性 ゆえに 古 代 の 規 則 からの 逸 脱 が 許 され 新 しい 規 則 が 適 用 されることを 述 べていると 思 われる ホラティウスの 時 代 に 存 在 しなかったトラジェディ アン ミュジックは ペローによるとその 教 えに 従 う 必 要 は ないのだ ここまではアリスティップの 機 械 仕 掛 けで 登 場 する 神 々についての 質 問 に 対 す るクレオンの 返 答 である つまりわれわれが 定 義 した 二 つの 驚 くべきもの においては 超 自 然 的 な 狭 義 の 驚 くべきもの についてのクレオンの 考 えであるといえよう 続 いてクレオンはアリストテレスの 演 劇 の 基 本 理 念 から もう 一 つの 驚 くべきもの に 言 及 する アリストテレスたちは 戯 曲 を 取 り 扱 ってこう 言 いました そこで 特 に 留 意 すべき 点 がある 真 実 らしさ le vray-semblable と 驚 くべきもの le merveilleux だと 47 ここでペローが 言 及 する 驚 くべきもの とは それがアリストテレス 詩 学 から 引 ミ ュ ー ト ス かれている 以 上 作 劇 上 の 基 本 要 素 とされる 筋 書 き の 展 開 からもたらされる 驚 く べきもの つまりタウマストンについて 述 べていると 思 われる ペローの 長 年 の 僚 友 で あったシャプランが 定 義 した 劇 作 の 基 本 要 素 としての 真 実 らしさ と 驚 くべきもの について ペローによって 同 じ 定 義 が 言 及 されている 次 にクレオンはこの 真 実 らしさ と 驚 くべきもの の 概 念 を 用 い 具 体 的 に 演 劇 の 区 別 を 行 う 44 本 論 文 6 頁 参 照 45 トラジェディ アン ミュジックの 同 意 語 として 1770 年 カユザック (L. de Cahusac) により 規 定 された とされる E. Lemaître, art. «tragédie en musique ou tragédie lyrique» dans Dictionnaire de la musique en France aux XVII e et XVIII e siècles, dir. M. Benoit ( Paris: Fayard, 1992), pp Buford Norman, «Ancients and Moderns, Tragedy and Opera: The Quarrel over Alceste» in French Musical Thought , op. cit., p Charles Perrault, Critique de l Opera, ou Examen de la traedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., pp «Aristote & les autres qui ont traité des Pieces de Theâtre, ont dit qu il y avoit deux choses particulierement à y observer, qui sont le vray-semblable & le merveilleux, [...]» 97

99 喜 劇 では 真 実 らしさ 以 外 はなく 一 方 で 悲 劇 では 驚 くべきものは 節 度 がある のなら 認 められます よって 悲 劇 に 超 自 然 的 な 何 かの 出 来 事 を 混 入 せざるをえなかっ たり 何 がしかの 神 々 を 介 入 させねばならない 時 そこには 必 然 性 が 見 られるの です 48 ここに 来 て クレオンの 驚 くべきもの の 概 念 に 変 容 が 見 られる それはアリストテ レスのタウマストン 悲 劇 で 用 いられる 筋 の 展 開 によってもたらされる 驚 くべきもの の 概 念 から 超 自 然 的 な 驚 くべきもの へと 限 定 され 変 位 している もともとアリス ティップの 問 題 提 起 が 機 械 仕 掛 けの 神 々の 妥 当 性 についてであり それに 対 する 返 答 のせ いもあるであろう クレオンはもう 一 度 念 を 押 す 演 劇 の 詩 を 完 全 に 分 けるには まずひとつには 喜 劇 がありそこでは 真 実 らし さ すなわち 自 然 で 日 常 的 な 出 来 事 のみしか 認 められません その 反 対 に 尋 常 でな い 超 自 然 的 な (extraordinaires & surnaturels) 出 来 事 しか 認 めない 種 類 があり それが オペラ や 機 械 仕 掛 け 劇 のなすことです 一 方 で 悲 劇 はその 中 間 で 真 実 ら しさと 驚 くべきものが 交 じりあっているのです 49 さらにこうも 述 べる そして オペラ においては それらを 用 いるいくばくかの 根 拠 がある 時 には その 類 いの 奇 跡 や 神 々 の 出 現 ほど 素 晴 らしいものはないのです 50 ここで ペローの 論 が 矛 盾 をきたす オペラにおける 機 械 仕 掛 けの 正 当 性 を 弁 護 しよう とするあまり 論 の 前 半 部 でキノーの 戯 曲 において その 筋 を 丁 寧 に 追 いながら 従 来 の 古 典 主 義 において 模 範 とされたアリストテレス 以 来 の 演 劇 規 則 に 則 って 擁 護 していた 驚 く べきもの が 最 後 に オペラや 機 械 仕 掛 け 劇 では 尋 常 でない 超 自 然 的 な 出 来 事 しか 認 め ない となり 驚 くべきもの を 超 自 然 的 なものに 限 定 してしまっている キノーの 戯 曲 の 筋 の 展 開 から 来 る 驚 き/ 称 賛 と 超 自 然 的 なものしかないオペラ という 矛 盾 し た 論 は 何 処 から 来 るのか これまで 見 たように 古 典 悲 劇 においては 機 械 仕 掛 けを 用 いる 神 々の 介 入 に 象 徴 される 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は ロトルーの 時 代 と 異 なり 1670 年 代 には 次 第 に 使 用 は 認 め られなくなっていた しかし 後 に 見 るようにラシーヌの イフィジェニー や フェード 48 Ibid., p. 68. «[...] dans la Comedie il ne doit y avoir rien que de vray-semblable; au lieu que la Tragedie admet le merveilleux, mais avec moderation, en sorte que si l on est obligé d y méler quelques incidens surnaturels, & d introduire quelques Divinitez, il y paroisse de la necessité; [...]» 49 Ibid., pp «Pour rendre la division du Poëme dragmatique parfaite, il faloit que comme une des especes, qui est la Comedie, n admet que le vrai-semblable, c est à dire, que des évenements naturels & ordinaires, il y eust une espece opposée qui n admist que des évenements extraordinaires & surnaturels, & c est ce que font les Opera & Pieces de Machines pendant que la Tragedie tient le milieu, estant mélée du merveilleux & du vray-semblable.» 50 Ibid., p. 70. «Et rien n est plus beau dans les Opera, que ces sortes de miracles & d apparitions de Divinitez, quand il y a quelque fondement de les introduire.» 98

100 ル では 機 械 仕 掛 けこそ 用 いられないが 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 は 存 在 する 一 方 で オペラや 機 械 仕 掛 け 劇 では 機 械 仕 掛 けによる 神 々の 介 入 は 公 然 と 認 められ そ れが 劇 の 魅 力 の 一 つとなる しかしながらクレオンも 論 の 前 半 で 擁 護 したように 筋 の 展 開 から 来 る 基 本 的 な 悲 劇 の 驚 くべきもの も 当 然 に 考 慮 されている ペローにおいて アルセスト 批 評 のこの 箇 所 から 驚 くべきもの の 概 念 が 従 来 のアリストテレスのタウマストン シャプランの 定 義 した 演 劇 の 基 本 としての 真 実 ら しさ と 共 にある 驚 くべきもの から 次 第 に 超 自 然 的 な 驚 くべきもの へと 比 重 が 移 りつつある 変 化 が 感 じ 取 れる そこにはペローのルイ 14 世 の 偉 大 さを 政 治 的 に 表 象 する 戦 略 を 練 る 機 関 小 アカデミー の 一 員 としての 責 務 も 一 因 と 思 われる ルイ 14 世 は 古 代 ギリシア 神 話 の 神 々 ジュピテル アポロン ネプテューヌなどに 擬 せられ 太 陽 王 とし て 君 臨 するその 権 力 のアレゴリーとして 古 代 神 話 は 用 いられた そして 前 にも 見 たとおり 小 アカデミー によって 古 代 ギリシアの 神 々の 表 象 形 式 は 象 徴 化 様 式 化 されていた オペラに 機 械 仕 掛 けで 登 場 する 古 代 ギリシア 神 話 の 神 々は 当 然 ルイ 14 世 を 表 象 する 政 治 的 文 脈 で 観 客 には 理 解 されたであろうし それだけにペローは 機 械 仕 掛 けを 使 う その 妥 当 性 を 擁 護 する 必 要 を 感 じたのであろう ペローのここでの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの についての 性 急 な 規 定 そしてオペラがホラティウスの 時 代 にはなかったという 断 定 には ルイ 14 世 時 代 の 新 しさと 優 越 性 を 述 べようとする 彼 の 政 治 的 文 脈 が 感 じ 取 れる 驚 くべきもの の 概 念 が 17 世 紀 後 半 に 次 第 に 超 自 然 的 なものに 限 定 されていくこと については 前 述 したラシーヌ 研 究 家 フォレスティエも 指 摘 する 彼 によると シャプラン による 驚 くべきもの の 定 義 は 奇 跡 的 なもの 魔 術 的 なものという 狭 い 意 味 は 無 く もっと 崇 高 な 並 外 れた 真 実 らしさ と 言 う 意 味 を 持 っていた しかし ル シッド 論 争 における 真 実 らしさ をめぐる 論 争 において 真 実 らしさ を 狭 い 意 味 において 従 うべき 最 重 要 の 規 則 としたために シャプランの 定 義 する 驚 くべきもの の 崇 高 さ の 理 念 は その 概 念 の 意 味 論 的 展 開 を 制 限 された と 述 べる 51 フォレスティエは シャプランの 定 義 する 驚 くべきもの から 17 世 紀 後 半 に 驚 くべ 52 きものとは 超 自 然 的 なものの 介 入 や 多 様 な 奇 跡 によるその 効 果 であり 奇 跡 の 結 果 魔 術 の 作 用 53 という 狭 い 意 味 に 次 第 に 変 容 されるに 至 るには オペラの 影 響 があるとは 言 及 しない またキノーの 戯 曲 にシャプランの 定 義 する 驚 くべきもの の 概 念 があるこ とにも 触 れていない 彼 がシャプランの 定 義 から 驚 くべきもの の 概 念 を 引 くのは わ れわれが 次 章 で 検 討 するキノーの アルセスト に 対 抗 して 書 かれた イフィジェニー このラシーヌ 作 品 におけるシャプラン 的 な 崇 高 な 並 外 れた 驚 くべきもの に 言 及 するた めであり 彼 はオペラやキノーの 戯 曲 の 価 値 は 等 閑 視 している しかし ペローはその アルセスト 批 評 前 半 において アリストテレスを 典 拠 とする 古 典 主 義 的 規 則 からキノーの 戯 曲 を 擁 護 していることをわれわれは 確 認 した 古 代 悲 劇 の 復 活 を 目 指 したトラジェディ アン ミュジックでは アリストテレスが 悲 劇 の 原 理 で 51 Georges Forestier, Essai de Génétique Théâtrale (Genève: Droz, 2004), pp Georges Forestier, Passions tragiques et règles classiques, Essai sur La tragédie française (Paris: Presses Universitaires de France, 2003), pp Georges Forestier, Passions tragiques et règles classiques, Essai sur La tragédie française, op. cit., p Georges Forestier, Essai de Génétique Théâtrale, op. cit., p. 296, not

101 ミ ュ ー ト ス あり いわば 魂 である とする 筋 書 き の 展 開 からもたらされるタウマストン すなわ ち 観 客 の 驚 きと 称 賛 を 意 味 する 驚 くべきもの が 考 察 されていること また 当 世 ビ ア ン セ ア ン ス 紀 の 趣 味 に 適 った 適 切 さ= 節 度 から 真 実 らしさ がもたらされることをペローは 指 摘 している 一 方 でペローは 機 械 仕 掛 け の 神 々の 導 入 による 超 自 然 的 な 驚 くべ きもの によって オペラの 新 しさを 強 調 している いわば 二 重 の 驚 くべきもの の 概 念 を 用 い アルセスト を 擁 護 していることが 分 かる ペローは 先 述 したようにシャプランらが 企 画 した アカデミー フランセーズ の 一 大 事 業 辞 典 の 編 纂 を 助 け 1694 年 第 一 版 の 巻 頭 に アカデミーを 代 表 して 王 への 献 辞 を 書 いた 再 度 第 一 版 の 辞 典 を 引 用 すると 驚 くべきもの とは 名 詞 化 され 詩 に おいて 驚 き/ 称 賛 admiration を 引 き 起 こす 神 話 の 部 分 と 定 義 され 例 文 として 驚 く べきものは 真 実 らしさと 結 びつかねばならない Le merveilleux doit estre joint au vray semblable とある フュルティエール (Antoine Furetière) の 1690 年 の 辞 書 Dictionnaire universel では 称 賛 すべき admirable 優 れた excellent 稀 有 な rare 予 想 だにしない surprenant という 形 容 詞 のみで この 形 容 詞 の 定 義 は 辞 典 と 大 差 がない そして 名 詞 化 された 驚 くべきもの については 言 及 がなく 例 文 として 良 い 戯 曲 には 驚 くべ きものと 予 想 だにしないものがなくてはならない Une bonne pièce de Théâtre doit avoir du merveilleux & du surprenant とある この 二 つの 辞 典 辞 書 から 判 断 する 限 り 17 世 紀 後 半 に 驚 くべきもの の 概 念 が フォレスティエが 指 摘 するように 驚 くべきものとは 超 自 然 的 なものの 介 入 や 多 様 な 奇 跡 によるその 効 果 という 狭 い 意 味 に 次 第 に 変 容 されるに 至 ったとは 断 定 できない と 思 われる 辞 典 では 1798 年 第 5 版 において 初 めて 詩 や 叙 事 詩 劇 作 における 神 々 の 介 入 を 意 味 する という 解 説 が 付 け 加 えられている しかしながら 17 世 紀 末 に 編 纂 された 上 記 二 つの 辞 典 辞 書 を 比 較 すると 1694 年 辞 典 には 神 話 の 部 分 という 限 定 語 が 加 味 されているがフュルティエールにはそ の 限 定 はない やはり そこに 辞 典 にはルイ 14 世 の 絶 対 王 政 と 結 びついた 古 代 ギリシ アのオリンポスの 神 々の 引 力 が 読 み 取 れる そして その 表 象 を 担 う 一 つがルイ 14 世 時 代 に 新 しく 興 ったオペラでの 超 自 然 的 な 神 々であり 辞 典 に 辞 書 と 異 なった 差 異 が 見 られる 一 つの 要 因 であると 考 える 第 三 節 アルセスト 批 評 に 賭 けられていたもの 以 上 検 討 したように ペローは アルセスト 批 評 の 前 半 部 においては 古 典 主 義 理 論 の 基 本 理 念 である 筋 の 展 開 からもたらされる 驚 くべきもの の 点 からキノーを 擁 護 し 後 半 には 超 自 然 的 な 概 念 からオペラの 驚 くべきもの の 使 用 を 援 護 する この 二 つの 視 点 によりペローは 何 を 言 いたかったのであろうか ノーマンは アルセスト 批 評 におけるペローの 論 は[=アリストテレス ホラティウスな どの] 奇 妙 に 古 典 的 な 基 準 と 同 時 代 の 基 準 とがミックスされていると 述 べる 54 彼 によると 54 Buford Norman, «Ancients and Moderns, Tragedy and Opera: The Quarrel over Alceste» in French Musical Thought , op. cit., p

102 ペローは 二 重 の 戦 略 を 使 い 必 要 な 時 にアリストテレス 以 来 の 古 典 主 義 の 基 準 を 使 う ノーマンはこのペローの 二 重 の 基 準 による 擁 護 について 次 のように 解 釈 する 問 題 は この 新 しいジャンル[=トラジェディ アン ミュジック]を 擁 護 するだけでは なく それが 拠 って 立 っている 当 時 代 の 美 学 を 擁 護 することにあった そしてペロー は このジャンルが 古 代 作 品 の 好 敵 手 となるに 相 応 しい 理 由 を 証 明 しなければならな かった この 新 しい 美 学 が 古 代 によって 保 証 されたより 古 典 主 義 的 な 美 学 から 強 力 な 挑 戦 を 受 けて 以 来 これまでの 確 立 されたジャンルとの 比 較 に 値 するものとしてト ラジェディ アン ミュジックを 提 示 しようとしたのはよい 戦 略 だった /ペローが この 比 較 を 自 分 で 筋 の 構 成 と 呼 ぶものに 基 づいて 行 ったのは 賢 明 であった 55 ノーマンが 指 摘 するように ペローがエウリピデスとの 比 較 において 論 点 を 絞 った ミ ュ ー ト ス 筋 書 き こそアリストテレスが 悲 劇 の 原 理 であり いわば 魂 である とする 最 も 重 要 ミ ュ ー ト ス な 要 素 であった この 筋 書 き の 展 開 から 観 客 の 予 想 を 裏 切 る 驚 くべきもの が 生 じ それは 真 実 らしさ と 共 に 悲 劇 の 基 本 理 念 とされた しかしながら ノーマンは ペローは キノー 台 本 を 一 般 的 な 文 学 的 基 準 から 擁 護 する が その 文 学 的 長 所 を 詳 細 に 検 討 することはしなかった 56 と 述 べる 確 かにノーマンが 述 べる 通 り ペローは 後 に 4 巻 からなる 大 著 古 代 人 と 近 代 人 との 比 較 でキノーの 表 現 法 や 語 彙 について 幾 分 か 解 説 を 試 みることにはなるが その 戯 曲 が 持 っている 文 学 的 特 徴 を 具 体 的 に 示 さなかったことは 確 かである カンツレルはキノーの 戯 曲 を 古 典 悲 劇 との 関 連 で 評 価 し キノーの 近 代 性 は お 互 い に 分 け 持 つ 同 じ 詩 的 領 域 で トラジェディ リリックと 古 典 悲 劇 との 結 びつきを 可 能 にし た 57 とする カンツレルの 理 論 はオペラを 古 典 悲 劇 との 関 連 で 捉 えているが 古 典 悲 劇 の 位 置 を 中 心 に 据 え オペラはその 対 比 で 捉 えられていると 思 われる それは 他 でもない 当 時 の 悲 劇 によって 支 配 されていた 古 典 主 義 演 劇 の 存 在 であった それは 飛 び 越 えるという 意 味 において 障 壁 であった すなわち この 演 劇 はとても 高 い 水 準 を 示 していたと 言 えよう それは 完 璧 なものとして 自 らの 存 在 を 主 張 していた [...]フランスにおいては 演 劇 にこのような 高 い 概 念 を 与 えていたので オペラのような ほかの 演 劇 が 取 って 代 わることはほとんど 不 可 能 に 見 えた [...]オペラが 滑 り 込 もうと する 演 劇 世 界 を 支 配 していたのは 古 典 劇 なので その 古 典 劇 を 脇 に 置 くことは 出 来 な かった 58 そして 次 のようにトラジェディ リリックを 規 定 する 55 Ibid., p Ibid., p Catherine Kintzler, Poétique de l opéra français de Corneille à Rousseau, op. cit., p Catherine Kintzler, «La Tragédie lyrique et le double défi d un théâtre classique» dans La tragédie lyrique, op. cit., p

103 トラジェディ リリックはその 姉 であるドラマ 劇 の 分 身 であると 同 時 にその 裏 返 しで ある このモデルを 離 れてしか 存 在 しないが この 同 じモデルにいつも 標 定 していな くてはその 自 立 性 を 持 ちえない 59 カンツレルは 二 つの 舞 台 の 位 置 取 りについて 上 記 のように 述 べるが これらの 規 定 が カンツレルの 立 つ 位 置 を 顕 著 に 示 していると 思 われる カンツレルにとって オペラ 誕 生 時 において 古 典 主 義 悲 劇 の 地 位 は 絶 対 だったということになる しかし オペラの 拠 って 立 つ 位 置 は それまでのパストラル 悲 喜 劇 宮 廷 バレエ イ タリア オペラなどから 大 きな 影 響 を 受 け 古 典 悲 劇 だけをその 成 立 基 盤 としてきたので はない オペラの 誕 生 した 17 世 紀 後 半 までには 悲 喜 劇 の 流 行 があり 中 世 の 騎 士 道 物 語 や 恋 愛 小 説 が 好 まれ オペラが 誕 生 する 素 地 があったはずである もちろん オペラは 悲 劇 と 銘 打 っている 以 上 キノーの 戯 曲 にはアリストテレス 以 来 の 古 典 悲 劇 の 原 則 は 考 慮 されている そこでの 驚 くべきもの はシャプラン 以 来 ブレも 述 べるように 真 実 ら しさ と 共 に 17 世 紀 を 通 して 古 典 劇 の 二 大 要 素 の 一 つであった しかし カンツレルはこ の 基 本 的 な 驚 くべきもの の 概 念 については 考 慮 していないと 思 われる カンツレルはペローによる アルセスト 批 評 については 前 半 部 ではアリストテレス ビ ア ン セ ア ン ス 詩 学 以 来 の 規 則 必 然 性 と 適 切 さ= 節 度 で 擁 護 していると 評 価 するが 後 半 部 では 驚 くべきもの の 使 い 方 でペローの 誤 り 混 乱 を 指 摘 する 喜 劇 では 真 実 らし さ のみが 許 され オペラでは 驚 くべきもの のみ 悲 劇 では 真 実 らしさ と 驚 くべ きもの が 混 在 すると 説 明 を 加 えるペローに 対 して カンツレルは 次 のように 述 べる ペローは 間 違 っているか 1674 年 においてはすでに 時 代 遅 れの 詩 的 システムの 状 態 に 留 まったままであると 思 われる なぜなら ずっと 以 前 に 古 典 悲 劇 は 全 面 的 にその 結 末 においても 超 自 然 的 な 世 界 を 排 除 し パストラルや 悲 喜 劇 の 半 ば 色 づけされた 世 界 から 離 れていたからである 60 カンツレルはペローの 誤 り あるいはその 理 論 の 時 代 遅 れを 指 摘 するが 疑 問 が 残 る 確 かにカンツレルと 同 様 にわれわれもペローの 驚 くべきもの の 使 い 方 には 混 乱 がある ことは 確 認 した 最 初 にペローはアリストテレスを 準 拠 に 驚 くべきもの を 規 定 し 真 実 らしさ と 驚 くべきもの の 二 つが 重 要 だと 断 定 しているが そこでの 驚 くべきも の は 筋 の 展 開 からくる 基 本 的 な 驚 くべきもの と 考 えられるであろう しかし 喜 劇 悲 劇 オペラを 分 ける 驚 くべきもの についての 言 及 においては 直 前 のアリストテレ スに 拠 った 規 定 は 忘 れたかのように 機 械 仕 掛 けを 用 いる 超 自 然 的 な 驚 くべきもの に 横 滑 りしている しかしながら カンツレルが 指 摘 するように ずっと 以 前 に 古 典 悲 劇 は 全 面 的 にその 結 末 においても 超 自 然 的 な 世 界 を 排 除 してきた と 断 定 できるであろうか カンツレルが 論 59 Catherine Kintzler, Jean-Philippe Rameau, splendeur et naufrage de l esthétique du plaisir à l âge classique, op. cit., p Catherine Kintzler, Poétique de l opéra français de Corneille à Rousseau, op. cit., p

104 拠 にするのは 前 述 したコルネイユとバトゥー 師 の 理 論 である コルネイユは 古 典 劇 には タウマストンから 来 る 驚 き/ 称 賛 l admiration という 用 語 機 械 仕 掛 け 劇 には 超 自 然 的 な 驚 くべきもの le merveilleux という 用 語 を 使 い 二 つの 演 劇 を 分 けた 18 世 紀 バトゥー 師 は 超 自 然 的 な 驚 くべきもの をオペラの 占 有 とし 古 典 劇 から 排 除 した しかし 次 の 第 三 部 に 見 るように 17 世 紀 後 半 キノーの アルセスト と 同 時 代 の 古 典 悲 劇 作 家 ラシーヌは 同 じくエウリピデスを 原 作 とし 古 代 ギリシア 神 話 を 扱 う イフィジェ ニーIphigénie フェードル Phèdre を 書 き そこでは 機 械 仕 掛 けこそ 用 いられてはい ないが 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 は 使 われている また 1675 年 ラシーヌに 対 抗 してゲネゴー 劇 団 によって 上 演 されたル クレール (Michel Le Clerc) とコラス (Jacques de Coras) 二 人 による 古 典 悲 劇 イフィジェニー では 機 械 仕 掛 けが 用 いられている そして イフィジェニー フェードル における 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 の 出 現 このようなラシーヌの 劇 作 上 の 変 化 に 関 連 して そこに 当 時 のオペラの 影 響 を 見 ることは 多 くの 論 者 が 指 摘 するところである エウリピデスを 原 作 とし 古 代 ギリシア 悲 劇 の 再 現 を 目 指 すなら オリンポスの 神 々の 表 象 を 欠 いた 上 演 は 神 話 的 世 界 の 重 層 性 広 がりを 欠 き 困 難 であろう 古 典 劇 とオペラでの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 表 現 は ただ 俳 優 の 口 から 語 られるか 機 械 仕 掛 けを 用 い 舞 台 上 に 表 現 するかの 表 象 方 法 の 差 異 に しか 過 ぎないとも 考 えられるであろう カンツレルがまさに 述 べるように トラジェディ リリックは 語 られる 劇 が 隠 すものを 舞 台 上 に 見 せてしまう 61 のだ カンツレルは ペローは 間 違 っているか 1674 年 においてはすでに 時 代 遅 れの 詩 的 シス テムの 状 態 に 留 まったままである と 述 べる カンツレルが 述 べる 1674 年 において 時 代 遅 れではない 詩 的 システム とは コルネイユによって 1660 年 に 規 定 された 超 自 然 的 な 驚 くべきもの によって 明 確 に 古 典 劇 とオペラを 分 かつという 理 論 である 62 しかしながら オペラという 新 しい 舞 台 芸 術 しかも 古 代 ギリシア 悲 劇 を 目 指 して 悲 劇 と 銘 打 ち それまでの 古 典 悲 劇 にいわば 挑 戦 状 を 突 きつけた 形 のキノー/リュリのト ラジェディ アン ミュジックの 登 場 が アリストテレス 以 来 の 基 本 的 な 驚 くべきもの の 概 念 と 政 治 的 意 味 合 いを 隠 し 持 った 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 を 融 合 し 新 しい 演 劇 美 学 の 確 立 を 目 指 して 動 き 始 めたと 捉 えられるのではないだろうか むしろ そ れまでの 二 つの 演 劇 を 超 自 然 的 な 驚 くべきもの で 分 ける 詩 的 システム が 時 代 遅 れ になり 新 しいオペラ 理 論 の 確 立 を 目 指 して 理 論 的 根 拠 が 模 索 されていた それゆえにペ ローの 驚 くべきもの の 概 念 に 二 つの 定 義 の 混 乱 がみられるのではないか 引 いてはラ シーヌの 古 典 悲 劇 に 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 が 混 入 していくのも オペラの 隆 盛 とその 劇 作 法 が 影 響 を 与 えているのではないかと 思 われる 超 自 然 的 な 驚 くべきもの が 次 第 にその 境 界 を 失 い 従 来 は 排 除 されていた 古 典 悲 劇 の 中 に 要 素 として 組 み 込 まれていくことを コルニックはコルネイユから 始 めて 次 のよう に 述 べる コルネイユはオウィディウス 変 身 物 語 から 主 題 を 採 り そこから 悲 劇 の 主 題 を 61 Catherine Kantzler, Théâtre et opéra à l âge classique (Paris: Fayard, 2004), p 本 論 文 頁 参 照 103

105 引 くことが 出 来 る と 主 張 している 63 彼 が 超 自 然 的 な 世 界 に 現 実 世 界 の 因 果 関 係 の 規 則 を 移 し 変 える 時 神 話 の 驚 くべきものはコルネイユが 定 義 する 並 外 れた 真 実 らしさ の 単 なる 延 長 物 にすぎなくなる 驚 くべきもの[= 超 自 然 的 な]の 概 念 は 古 典 悲 劇 とスペクタクルの 悲 劇 との 境 界 線 を 辿 るどころか 反 対 に 古 典 主 義 美 学 の 中 心 64 にあるのであり 例 として イフィジェニー の 結 末 に 見 られるように 劇 を 統 一 す... る 要 素 にさえなるのである デウス エクス マー キナー の 手 法 は 機 械 仕 掛 け 悲 劇 の 一 つの 典 型 であり キノーのオペラにも 繰 り 返 し 用 いられるが その 真 実 らしくない 性 格 や 美 学 的 理 由 から 非 難 されるのではなく あまりに 恣 意 的 に 容 易 に 使 われすぎる ことにあるのだ 65 このようにコルニックは 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 は 古 典 悲 劇 とスペクタク ルの 悲 劇 との 境 界 線 を 辿 るどころか 反 対 に 古 典 主 義 美 学 の 中 心 になると 述 べる ここで 一 つの 仮 定 が 浮 かぶ ペローは 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 において 次 第 にそ の 境 界 が 曖 昧 になっていくことを 予 想 していた あるいは 期 待 していたのではないか 1674 年 のキノーの アルセスト においては いまだ 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 には 差 異 が 明 確 であった そこで 用 いられた 超 自 然 的 な 神 々は 人 間 社 会 とは 切 り 離 され 人 間 的 な 苦 悩 や 喜 びの 感 情 からは 隔 絶 されている しかしペローはいまだ 到 達 されない 未 知 の 行 く 手 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 が 交 じり 合 った 世 界 を 見 据 え 試 行 していたからこそ その 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 に 混 乱 が 生 じたと 考 えられるのではないであろうか 彼 は 超 自 然 的 な 驚 くべきもの が 次 第 にもう 一 つの 驚 くべきもの と 交 じり 合 い 結 合 し 新 しい 演 劇 美 学 の 世 界 を 切 り 開 いていくことを 期 待 していた そのペローの 期 待 に 応 えるように キノー/リュリは アティス アルミード と 創 作 を 続 け 二 つの 驚 くべきもの の 世 界 が 合 一 する 地 点 を 目 指 して 行 く そこでは 超 自 然 的 な 驚 くべきも の が 次 第 に 真 実 らしさを 獲 得 し 筋 の 展 開 からもたらされる 作 劇 上 の 驚 くべきもの を 内 包 し 新 たな 地 平 を 切 り 開 いていく 世 界 が 見 られるのではあるまいか この 仮 定 に 沿 っ て キノー/リュリの 最 後 のトラジェディ アン ミュジック アルミード 1686 年 まで 検 討 を 続 けて 行 きたいと 考 える 次 の 第 三 部 では 1674 年 ペローの アルセスト 批 評 に 対 してなされた 古 典 劇 側 からの 反 論 として 翌 1675 年 出 版 されたラシーヌの イフィジェニー 序 での 批 判 によって アルセスト 論 争 が 新 しい 局 面 を 迎 えることを 見 る 続 いてラシーヌのオペラとの 関 わ り 合 いと 共 に イフィジェニー での 驚 くべきもの の 概 念 を 検 討 する 最 終 章 にお いては キノー/リュリの 最 後 のトラジェディ アン ミュジック アルミード に 至 るま での 上 演 において われわれが 上 記 で 仮 定 として 取 り 上 げたペローの 目 指 すオペラ 理 念 が どのように 達 成 されていったのかを 考 察 して 行 きたい 年 の 機 械 仕 掛 け 劇 アンドロメード の 自 作 検 討 にある 64 古 典 主 義 美 学 の 中 心 という 定 義 はブレにある René Bray, La Formation de la doctrine classique en France, op. cit., p Sylvain Cornic, op. cit., p

106 第 三 部 アルセスト 論 争 2 ラシーヌの 批 判 とペローの 反 駁 第 二 部 で 見 てきたように ペローが 1674 年 アルセスト 批 評 を 出 版 し その 中 で 陰 謀 について 公 言 し キノーの 戯 曲 を 擁 護 した 上 にエウリピデスの 欠 点 を 列 挙 したことは 古 典 劇 側 特 に 古 代 演 劇 に 崇 敬 の 念 を 持 つラシーヌを 激 怒 させたと 考 えられる ラシーヌ は アルセスト に 対 抗 して 同 じくエウリピデスを 用 い 同 年 戯 曲 イフィジェニーIphigénie を 上 演 する そして 翌 年 出 版 された 当 戯 曲 の 序 でペローの アルセスト 批 評 を 痛 烈 に 批 判 する こうして アルセスト 論 争 は ラシーヌによる 反 論 という 新 しい 展 開 を 見 る 第 三 部 では 第 一 章 でラシーヌのそれまでのオペラとの 関 わりを 検 討 し イフィジェニー 上 演 とその 戯 曲 の 梗 概 を 考 察 する 第 一 章 イフィジェニー 上 演 1674 年 8 月 18 日 ヴェルサイユ 宮 のオランジュリーにおいて フランシュ=コンテ 征 服 を 祝 った 祭 典 の 5 日 目 に イフィジェニー が 初 演 された 1 翌 年 1675 年 2 月 戯 曲 イフィ ジェニー が 出 版 され シーヌはその 序 においてペローの アルセスト 批 評 を 攻 撃 し 古 典 劇 こそがエウリピデスの 正 当 な 後 継 者 だということを 示 そうとした それでは 古 典 悲 劇 の 代 表 的 詩 人 とされるラシーヌは 自 分 と 同 時 代 に 成 立 し 聴 衆 の 人 気 を 博 したオ ペラをどう 見 ていたか ラシーヌにとって 新 興 舞 台 芸 術 であったオペラとはどんなもので あったのか 当 時 の 状 況 を 踏 まえながらラシーヌとオペラとの 係 わり 合 いを 概 観 する 第 一 節 ラシーヌとオペラ 1639 年 12 月 生 まれのラシーヌはキノーより 4 歳 半 年 下 である 1660 年 20 歳 のラシーヌ はルイ 14 世 とスペイン 王 女 マリー=テレーズとの 成 婚 を 祝 して 頌 歌 セーヌ 河 のニンフ La Nymphe de la Seine を 書 いた この 詩 はコルベールの 信 任 厚 い 当 時 の 宮 廷 の 公 式 作 家 であり 互 いに 親 しかったシャプランとシャルル ペロー2 に 認 められ マザランの 死 後 そ の 功 績 を 讃 えてコルベールにより 出 版 された 詞 華 集 枢 機 卿 ユリウス マザリヌス 賛 辞 の 中 に 納 められた この セーヌ 河 のニンフ についてヴァニュクセンは 1954 年 の 論 考 に おいて 寓 意 的 な 二 人 の 登 場 人 物 の 会 話 という 点 で それまでの 機 械 仕 掛 け 劇 のプロロー グや 後 のキノーのオペラのプロローグと 同 じ 趣 味 であると 述 べる 3 また 小 倉 も 2013 年 の ラシーヌに 関 する 論 考 で 若 きラシーヌの 用 いた 寓 意 的 手 法 は 仕 掛 け 芝 居 やオペラの 1 前 に 見 たように 1674 年 7 月 4 日 には 同 じ 祭 典 の 初 日 最 終 演 目 としてヴェルサイユの 大 理 石 の 前 庭 で ア ルセスト が 再 演 された 2 Jacques Vanuxem, «Racine, les machines et les Fêtes» dans Revue d Histoire littéraire de la France, 54 e n o 1, (Paris: Armand Colin, 1954), p Ibid., pp

107 プロローグで 使 用 される 常 套 手 段 4 であるとする 当 時 の 無 名 の 詩 人 にとって シャプランの 注 目 を 引 き コルベールから 王 に 至 るまでに 認 められるには 王 の 成 婚 や 王 太 子 の 誕 生 のような 時 が 詩 人 にとって 稀 有 の 機 会 une occasion merveilleuse であった 年 代 初 めラシーヌは 手 紙 でまだ 自 分 が 成 功 していな い 詩 人 だと 歎 いているが その 頃 頌 歌 ode で 一 番 成 功 していたのはシャルル ペロー であった 一 方 ペローはラシーヌの 最 初 の 戯 曲 アマジーAmasie をあまり 評 価 してい なかったが セーヌ 河 のニンフ はずっと 素 晴 らしいと 褒 めた しかしながら 若 輩 の 無 名 の 詩 人 にとって 宮 廷 で 正 式 に セーヌ 河 のニンフ が 認 められるにはペローやシャ プランの 批 評 を 受 ける 必 要 があり ラシーヌはこの 二 人 により 不 本 意 な 指 摘 をされたと 手 紙 で 嘆 いている 6 このようにラシーヌはまだ 20 歳 のデヴュー 時 から ペローにはその 文 壇 登 場 に 援 助 を 受 けながらも 相 対 立 する 感 情 を 抱 いていた ラシーヌはペローの 詩 に 批 判 的 で 初 めて 二 人 が 会 った 時 聖 書 を 詩 に 入 れ 過 ぎると 批 判 したが ペローは 自 分 は 聖 書 を 良 く 読 んでいると 答 えた と 手 紙 に 書 いている 7 ラシーヌのペローに 対 するこれらの わだかまりが 後 に 見 るように 1674 年 の アルセスト 論 争 においても 影 を 落 としていた ことは 十 分 考 えられる ラシーヌは 1660 年 から 1661 年 頃 マレー 座 に 向 けて 上 述 したギャラントな 戯 曲 アマ ジー でデヴューしようとしたが コルネイユの 機 械 仕 掛 け 劇 金 の 羊 毛 の 上 演 を 控 え ていた 俳 優 たちに 断 られた 1661 年 ラシーヌは 友 人 に 宛 てた 手 紙 で このオウィディウス を 原 作 とした 金 の 羊 毛 上 演 のマレー 座 の 機 械 仕 掛 け 劇 に 興 味 を 示 し 同 年 2 月 か 3 月 に 友 人 と 訪 れようと 計 画 していた 年 にはオテル ド ブルゴーニュ 座 のためにオ ウィディウスを 主 人 公 にした 戯 曲 を 書 くが 上 演 されず この 同 じ 主 題 で 1663 年 に 詩 人 ジル ベール (Gabriel Gilbert) が 機 械 仕 掛 けと 音 楽 を 伴 った オーヴィッドの 恋 Les Amours d Ovide を 上 演 した ラシーヌはこのように 1660 から 1661 年 にかけて 機 械 仕 掛 け 劇 の 趣 味 を 持 ち 合 わせてい たのだった 9 同 時 に 王 太 子 の 出 生 で 打 ち 上 げられた 花 火 のような 祝 祭 にも 興 味 を 示 した 1661 年 10 月 より 南 仏 のユゼス (Uzès) に 滞 在 していたラシーヌは 詩 人 として 認 められる 機 会 だけでなく パリで 行 われた 祭 典 に 参 加 する 時 間 を 持 てなかった ヴァニュクセンに 4 小 倉 博 孝 アルセスト 論 争 とラシーヌの イフィジェニー 頁 上 智 大 学 仏 語 仏 文 学 論 集 (47) 東 京 : 上 智 大 学 仏 文 学 科 2013 年 88 頁 5 Jacques Vanuxem, op. cit., p フォレスティエによると シャプランからはトリトン Triron は 海 の 神 でセーヌ 河 にはいないと 批 評 を 受 け ペローからはルイ 14 世 とその 妃 を 讃 えるのに ヴェニュス Venus とマルス Mars をアレゴリーとして 用 いるのはデリカシーにかけると 評 された Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., pp Jacques Vanuxem, op. cit., p Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., p ヴァニュクセンや 小 倉 はこの 手 紙 はテュイルリーの 機 械 仕 掛 け 劇 場 を 訪 れるためとする Jacques Vanuxem, op. cit., p 小 倉 博 孝 前 掲 論 文 89 頁 及 び 同 脚 注 11.テュイルリーの 機 械 仕 掛 け 劇 場 は 1662 年 2 月 カヴァッリの 恋 するエルコレ で 杮 落 しが 行 われた 1661 年 の 段 階 ではこの 劇 場 がテュイルリーの 機 械 仕 掛 け 劇 場 とすれば 建 設 中 を 見 に 行 ったと 思 われる M. Barthélemy, art. «Tuileries» dans Dictionnaire de la musique en France aux XVII e et XVIII e siècles. dir. M. Benoit (Paris: Fayard, 1992), p Jacques Vanuxem, op. cit., p

108 よると 1662 年 末 か 1663 年 初 めにラシーヌはパリに 戻 ったとする 10 そして 王 より 年 金 を 支 給 される 詩 人 の 一 員 になろうとした それにはシャプランが 支 配 する 小 アカデミー で 認 められることが 大 切 だった 年 に 王 の 麻 疹 からの 回 復 と 栄 光 を 讃 えて 2 つの 頌 歌 を 書 くが 出 版 されないのでラシーヌは 自 分 で 出 版 し 宮 廷 で 読 んだ 年 戯 曲 ラ テバイッド La Thébaïde がモリエールにより 初 演 され ラシーヌは ようやくデヴューを 果 たすことになる しかし 翌 1665 年 12 月 同 じくモリエール 劇 団 が 初 演 した 第 二 作 アレクサンドル 大 王 Alexandre le Grand の 戯 曲 をライヴァル 劇 団 オテ ル ド ブルゴーニュ 座 に 引 き 渡 すことでモリエールを 裏 切 り 以 後 モリエールが 関 わる 王 室 の 祭 典 やディヴェルティスマンからラシーヌは 遠 ざかることになった 13 その 頃 キノーやトマ コルネイユの 作 品 はギャラントな 恋 愛 が 中 心 主 題 であった 1665 年 ラシーヌはその 風 潮 に 応 えるかのように 第 二 作 アレクサンドル 大 王 では 恋 愛 中 心 の 主 題 を 扱 った ラシーヌは 続 いて 1667 年 宮 廷 で 初 演 された アンドロマック Andromaque において 恋 愛 と 復 讐 とを 結 びつけ コルネイユの 国 家 の 偉 大 な 関 心 事 の 概 念 と 対 立 させた 1671 年 頃 のラシーヌは 悲 劇 創 作 の 一 方 で 相 変 わらず 機 械 仕 掛 け 劇 の 大 きなスペクタク ルに 興 味 を 抱 いていた ラ グランジュ=シャンセル (La Grange-Chancel) は 1758 年 自 作 戯 曲 集 に 収 められた 機 械 仕 掛 け 悲 劇 オルフェ の 序 文 で 次 のように 言 う 亡 き 王 は 仕 事 の 疲 れを 休 めるために 宮 廷 中 で 大 きな 祝 祭 を 催 そうと 決 心 されて ラシーヌ キノー モリエールの 意 見 をお 聞 きになった 彼 らは 当 時 の 偉 大 な 天 才 の うちでもその 才 能 において その 悦 楽 の 華 麗 さに 貢 献 するのに 相 応 しいとお 考 えに なった 三 人 だった /そのために [=テュイルリーの] 家 具 倉 庫 に 大 切 に 保 管 されて 14 いる 冥 界 を 表 象 する 素 晴 らしい 装 置 が 使 えるような 主 題 を 三 人 にお 聞 きになった ラシーヌはオルフェの 題 を 提 案 し キノーは 後 にそのもっとも 美 しいオペラの 一 つと なったプロゼルピーヌの 誘 拐 を 挙 げた モリエールは 偉 大 なコルネイユの 助 けを 得 て プシシェの 題 を 提 案 し それが 前 の 二 つより 好 ましいとされた Jacques Vanuxem, op., cit., p フォレスティエは 1662 年 7 月 から 1663 年 7 月 までのラシーヌの 手 紙 が 消 失 しているのでパリに 戻 った 日 付 は 確 定 できないとする Jean Racine, «Chronologie» dans Œuvres complètes, t. 1, Théâtre-Poésie, éd. Georges Foresties (Paris: Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard, 1999), p. LXXV. 11 Jacques Vanuxem, op. cit., p Ibid., p Ibid., p この 装 置 は 1662 年 恋 するエルコレ で 用 いられたヴィガラーニ 作 のものであった 15 La Grange-Chancel, «Préface d Orphée», dans Œuvres, t. 4 (Paris : Pierre Ribou, 1758), p. 63. «Le feu Roi ayant résolu de donner à toute sa cour une de ces grandes fêtes dans lesquelles il aimoit à se délasser de ses travaux, voulut prendre les avis de Racine, de Quinau(sic), & de Moliere, que parmi les grands génies de son siécle, il regardoit comme les plus capables de contribuer, par leurs talens, à la magnificence de ses plaisirs. / Pour cet effet, il leur demanda un sujet où pût entrer une excellente décoration qui représentoit les enfers, & qui étoit soigneusement conservée dans ses garde-meubles. Racine proposa le sujet d Orphée ; Quinaut(sic), l enlevement de Proserpine, dont il fit dans la suite un de ses plus beaux opéra ; & Moliere, avec l aide du grand Corneille, tint pour le sujet de Psyché, qui eut la préférence sur les deux autres.» Jacques Vanuxem, «Racine, les machines et les Fêtes», dans Revue d Histoire littéraire de la France, op. cit., p

109 この 記 述 からすると ここで 触 れられている プシシェ は 前 述 したように 1671 年 1 月 に 上 演 されたので ラシーヌは 1670 年 11 月 オテル ド ブルゴーニュ 座 初 演 ベレニ ス Bérénice と 1672 年 1 月 オテル ド ブルゴーニュ 座 初 演 バジャゼ Bajazet の 間 に オルフェを 主 題 とした 機 械 仕 掛 け 劇 を 書 く 意 図 があったということになる そして 1672 年 の 年 末 には 同 じくオテル ド ブルゴーニュ 座 において ミトリダート Mithridate を 初 演 し 1674 年 8 月 18 日 ヴェルサイユの 祭 典 で イフィジェニー が 上 演 される ラシーヌはエウリピデスの アルケスティス に 興 味 を 持 っていたと 伝 えられている 息 子 のルイ ラシーヌ (Louis Racine) は ジャン ラシーヌの 生 涯 と 作 品 についての 回 想 記 において 彼 [ = 父 ラシーヌ]はまたアルセストの 主 題 を 取 り 扱 う 企 てもあった ロンジュ ピエール 氏 は 私 に 父 がそのいくつかの 断 片 を 朗 誦 するのを 聞 いたことがある と 断 言 し た 16 と 述 べる ヴァニュクセンはラシーヌがアルセスト 上 演 を 考 えていたことについて ラシーヌの 頭 にはコルネイユの 機 械 仕 掛 け 劇 のイメージがあり オテル ド ブルゴー ニュ 座 ではなく テュイルリーの 機 械 仕 掛 け 劇 場 のために 計 画 したのではないか 17 と 推 測 している 1703 年 ラ グランジュ=シャンセルの アルセスト が 1734 年 彼 の 全 集 本 に 収 められ た 時 アルセスト 序 文 では 次 のような 言 葉 が 載 せられている 私 はしばしばラシーヌ 氏 が およそ 古 代 の 題 材 のうちでアルセストの 話 ほど 人 の 心 を 打 つものはない アンドロマック 以 後 作 品 を 舞 台 にかけるごとに 次 には アル セスト を 書 こうと 思 った と 語 るのを 聞 いたものである 18 このように ラ グランジュ=シャンセルによれば 1667 年 アンドロマック の 次 に ラシーヌは アルセスト を 書 く 意 志 を 持 っていたことになる 一 方 でオリヴェ 師 (abbé d Olivet) によれば 1674 年 キノー/リュリの アルセスト 上 演 の 後 1677 年 王 の 修 史 官 historiographe 任 命 の 前 に ラシーヌはエウリピデスをもとに ア ルセスト 上 演 を 考 えていたとされる オリヴェ 師 は 1729 年 アカデミー フランセーズ の 歴 史 Histoire de l Académie farançaise 第 2 巻 で 次 のように 述 べている ラシーヌはプロローグと 合 唱 を 用 いる 意 向 だった それはエウリピデスをもとに ア ルセスト を 書 こうとしていたものだったが 彼 の 結 婚 と またアニェス 修 道 女 19 の 16 Louis Racine, «Mémoires contenant quelques particularités sur la vie et les ouvrages de Jean Racine» dans Œuvres complètes, t. 1, Théâtre-Poésie, éd. Georges Forestier (Paris : Gallimard, coll. Bibliothèque de la Pléiade, 1999), p «Il avait encore eu le dessein de traiter le sujet d Alceste, et M. de Longepierre m a assuré qu il lui en avait entendu réciter quelques morceaux ; c est tout ce que j en sais.» Manuel Couvreur, Jean-Baptiste Lully, musique et dramaturgie au service du prince, op. cit., pp Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., pp, Jacques Vanuxem, op. cit., p La Grange-Chancel, «Préface» d Alceste (Paris: Pierre Ribou, 1704), 戸 張 智 雄 前 掲 書 149 頁 註 26 «J avais souvent entendu dire à M. Racine que de tous les sujets de l antiquité, il n y en avait point de plus touchant que celui d Alceste, et qu il n avait point mis de pièce au théâtre depuis son Andromaque, qu il ne se proposât de la faire suivre par celle d Alceste.» 19 ラシーヌの 父 方 の 叔 母 で ポール ロワイヤルの 女 子 大 修 道 院 長 であった 108

110 忠 告 や 王 の 修 史 官 に 任 命 されたという 名 誉 が 演 劇 作 品 を 書 くことを 永 遠 に 諦 めさせた 20 オリヴエ 師 はプロローグと 合 唱 のことしか 述 べずオペラには 言 及 していないが このこ とについて 1950 年 の 著 作 でナイトは 1677 年 ではリュリの 独 占 権 [=1673 年 より 自 分 以 外 の 舞 台 で 6 本 以 上 のヴァイオリン 2 人 以 上 の 歌 手 を 用 いることを 禁 じた]に 反 するから ラシー ヌが 合 唱 付 きの 悲 劇 を 構 想 するのは 疑 わしい 21 とする ナイトが 述 べるように 当 時 ラシー ヌが 音 楽 付 きの 悲 劇 を 書 こうとしていたことには 筆 者 としても 疑 問 に 思 えるが これまで の 資 料 からやはりラシーヌは 悲 劇 アルセスト 上 演 を 考 えていたのではないかというこ とは 十 分 考 えられる 渡 邊 はヴァニュクセンや 後 述 するオルシバルの 論 考 から ラシーヌの イフィジェニー 上 演 における 状 況 を 考 察 しているが アルセスト を 書 こうとしたラシーヌがキノー に 先 を 越 されたと 採 れば これらの 証 言 の 背 後 にあるラシーヌの 心 理 的 動 因 がよりよく 頷 ける 22 と 述 べている こうして 見 ると アルセスト 上 演 の 1674 年 にはすでに 古 典 悲 劇 の 代 表 的 詩 人 として その 地 位 を 勝 ち 得 ていたラシーヌであったが 彼 はまだ 無 名 の 頃 から 機 械 仕 掛 けの 音 楽 劇 や 宮 廷 の 祝 祭 におけるディヴェルティスマンに 興 味 を 抱 いていたことが 分 かる 一 方 で ラ グランジュ=シャンセルやオリヴェ 師 が 証 言 するようにエウリピデスの アルケルティ ス から 題 材 を 引 こうとしていたとすれば 渡 邊 が 述 べるように 先 手 を 打 たれたラシーヌ の 対 抗 心 に 火 がついたことは 明 らかであろう ラシーヌはトラジェディ アン ミュジッ クが 古 代 悲 劇 の 復 活 を 掲 げ しかも 聴 衆 の 人 気 を 獲 得 したことに 内 心 穏 やかではなかった であろう グロはその 人 気 ゆえにオペラは 古 典 劇 側 にとっては 危 険 な 存 在 であったと 述 べ る 23 よって 古 典 悲 劇 こそがギリシア 古 代 よりの 伝 統 を 受 け 継 ぐ 正 統 性 を 掌 握 している ということを 主 張 するために ラシーヌは イフィジェニー を 書 いた 第 二 節 イフィジェニー 上 演 とオペラの 影 響 イフィジェニー 初 演 24 はヴェルサイユのオランジュリーの 並 木 道 で 上 演 され 背 景 20 Paul Pellisson-Fontainer et Pierre Joseph d Olivet, Histoire de l Académie Farançaise, t ère éd. Paris, 1729 (Paris: Adamant Media Corporation, Elibron Classics, 2005), pp «Il vouloit aussi rétablir les prologues et les chœurs. C est sur ce plan qu il travailloit à un Alceste d après Euripide, lorsque son mariage, les remontrances de la mère Agnès et l honneur d être nommé historiographe du Roi l engagèrent à renoncer pour toujours au théâtre.» 21 Roy. C. Knight, Racine et la Grèce (Paris: Boivin, 1950), p 渡 邊 清 子 Iphigénie を 中 心 に 考 察 した Lully Quinault の opéra (tragédie lyrique) に 対 する Racine の 態 度 について フランス 語 フランス 文 学 研 究 N o 3 東 京 : 白 水 社 1963 年 8 頁 23 Étienne Gros, op. cit., p 年 のフランシュ=コンテ 征 服 の 記 念 祝 典 については 1675 年 と 1676 年 に 版 画 印 刷 された 美 本 6 冊 本 中 2 冊 が 上 演 された 演 劇 に 宛 てられ 第 一 日 目 の アルセスト と 第 三 日 目 のモリエール/シャルパン ティエ (Marc-Antoine Charpentier) 病 は 気 から Le malade imaginaire の 2 作 のみ 述 べられていて イフィ ジェニー とキノー/リュリの 愛 の 神 アムールとバッカスの 祭 典 の 再 演 (1672 年 初 演 )については 触 れられていない Jacques Vanuxem, op. cit., p

111 の 装 置 はテュイルリー 劇 場 から 運 ばれた それは 1660 年 マザランによりイタリアから 呼 ば れた 作 曲 家 カヴァッリと 台 本 ブーティ 装 置 ヴィガラーニ 親 子 のオペラ 1662 年 恋 する エルコレ で 使 われ 1671 年 プシシェ で 再 利 用 されたものだった ヴァニュクセンは ラシーヌの 戯 曲 が 初 めて 宮 廷 の 大 きな 祝 典 で 初 演 されるに 至 ったのには 1665 年 アレク サンドル 大 王 でのラシーヌの 裏 切 り 以 来 彼 に 怨 恨 を 持 っていた 宮 廷 のディヴェルティ スマンを 任 されていたモリエールが 前 年 1673 年 に 亡 くなっていたことにも 原 因 があると 推 測 している 25 王 室 建 造 物 の 修 史 官 フェリビアン (André Félibien) は オランジュリーでの イフィジェ ニー 上 演 の 様 子 を 伝 え 並 木 道 の 突 き 当 たりには 舞 台 奥 の 天 蓋 が 設 えられ そこ に オーケストラ を 覆 う 天 蓋 が 繋 がっていた 26 と 述 べる そのことについてヴァニュ クセンは 悲 劇 上 演 の 途 中 ではオーケストラがいくつかのエールを 演 奏 したであろう [ ] それは 王 の 御 前 のため リュリの 特 権 は 除 外 され 素 晴 らしいオーケストラの 音 楽 であっ たと 思 われる 27 と 推 測 する 登 場 人 物 は 護 衛 を 除 いて 10 人 にもなり ラシーヌのそれま での 悲 劇 中 もっとも 多 い 28 また 登 場 人 物 の 台 詞 アルカスの 絢 爛 たるスペクタクル le spectacle pompeux クリテムネストルの これほどの 壮 麗 さに 満 ちた avec plus de splendeur という 表 現 [=この 形 容 詞 はヴィガラーニや 弟 子 ベラン Jean Berain の 装 置 を 登 場 人 物 二 人 が 褒 める 台 詞 にある]からも フェリビアンの 叙 述 によっても この 上 演 が 視 覚 的 にも 聴 覚 的 にも 華 や かなものであったことがうかがえる この 上 演 では 音 楽 が 用 いられ 登 場 人 物 の 多 さ 装 置 の 華 やかさにオペラの 影 響 がみられるであろう ノーマンは 特 にその 登 場 人 物 像 や 筋 立 てにキノーの アルセスト の 影 響 を 見 る 29 またラシーヌは 出 版 された イフィジェニー 序 で 自 分 が 結 末 で 機 械 仕 掛 けを 用 いなかったことを 自 讃 しているが その 実 舞 台 装 置 は 機 械 仕 掛 け 劇 場 のテュイルリー 劇 場 から 運 ばれ 以 前 に 機 械 仕 掛 けを 用 いた 恋 するエルコレ や プシシェ で 使 用 され たということは かなり 皮 肉 なことである ラシーヌは 1640 年 前 後 に 初 演 されたロトルー (Jean Rotrou) の イフィジェニー で 機 械 仕 掛 けが 用 いられ イフィジェニーは 空 へと 浚 われ 空 が 開 き 雲 の 中 からディアーヌが 登 場 する という 場 面 を 意 識 していたのだろ うとヴァニュクセンは 推 測 する 30 ヴァニュクセンは イフィジェニー が ラシーヌ 悲 劇 の 中 で 最 多 の 登 場 人 物 と 場 scène を 持 つこと 台 詞 全 体 の 行 数 が 最 も 多 く 複 雑 な 構 成 を 持 つこと ヴェルサイユ 宮 における 初 演 時 の 装 置 の 絢 爛 華 麗 さを 指 摘 して オペラの 影 響 を 認 める 31 戸 張 も イフィジェニー にオペラの 影 響 を 見 る 彼 によればラシーヌが エウリピデスから 受 け 継 ぐ 悲 壮 味 le pathétique は オペラではエールの 悲 壮 味 le pathétique と 同 質 とされる また 戸 張 は 両 方 とも ギリシア 古 典 からの 伝 統 を 言 い 立 てて 25 Ibid., p André Félibien, Les divertissements de Versaille, donnez par le Roy au retour de la conqueste de la Franche-Conté. op. cit., p. 20. «Cette allée se terminoit dans le fond du Théâtre par des tentes, qui avoient rapport à celles qui couvroient l Orchestre ; [...]» 27 Jacques Vanuxem, op. cit., p Jacques Scherer, op. cit., p Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p Jacques Vanuxem, op. cit., p 戸 張 智 雄 前 掲 書 123 頁 Jacques Vanuxem, op. cit., pp

112 いる から オペラとラシーヌ 悲 劇 に 対 立 という 概 念 をさしはさむこと 自 体 が これを 文 学 批 評 ではなく 作 劇 法 の 観 点 からみるとき むしろ 誤 りではあるまいか とも 述 べてい る 32 また 渡 邊 は 次 のように 解 釈 する イフィジェニー をそれ 以 前 のラシーヌの 悲 劇 と 区 別 するのは 悲 劇 的 秩 序 の 等 価 物 に 古 代 ギリシャの 神 話 的 宇 宙 を 用 いたことであろう [...]オペラと 同 じ 神 話 的 主 題 しかもロトルー( 五 幕 四 場 )のようには machine による merveilleux な 解 決 をとらない この 二 律 背 反 が ラシーヌの イフィジェニー を 一 方 では ブリタニキュス 以 上 に 緻 密 な 政 治 的 心 理 的 葛 藤 劇 とし 古 典 主 義 的 劇 作 術 の 勝 利 ともいうべき 見 事 な 構 成 にいたらしめた しかも 他 方 その 劇 の mécanisme が pathétique な 感 情 の 吐 露 に 奉 仕 するように 仕 組 まれて ボワローからロビネ Robinet まで 等 しく 認 めた«泣 かす» 悲 劇 としての 成 功 33 を 保 証 した 34 ヴァニュクセンやノーマン 戸 張 はラシーヌの イフィジェニー にオペラの 影 響 を 見 ている 渡 邊 はそこにオペラと 同 じ 神 話 的 主 題 が 採 られているが 悲 劇 的 秩 序 は 保 たれて いるとする 上 述 した 論 者 を 別 として 今 日 古 典 劇 の 研 究 家 たちの 間 では ラシーヌがオペラに 対 し て 演 劇 のよい 手 本 を 示 しその 影 響 に 打 ち 克 ったとし その 打 ち 負 かした 対 象 としてキノー を 名 指 しで 批 判 する 論 が 目 立 つ ナイトは ラシーヌが イフィジェニー と フェード ル を 書 いたのは リュリとキノーのオペラに 対 しての 抗 議 として また 古 代 についての 教 訓 としてであろう 35 と 述 べる そして 規 則 や 理 性 に 従 ってオペラの 主 題 を 扱 うとい うことについて キノーに 対 して 課 されたよい 教 訓 ではないか 36 と イフィジェニー を 称 賛 する 同 じ 意 見 としてブリュヌティエールは 彼 [=ラシーヌ]はキノーに いかに それら[=ギリシアの 主 題 ]を 取 り 扱 わなければならないか 示 したいと 考 えた 37 と 述 べる 今 日 のラシーヌ 研 究 家 にとって イフィジェニー は ラシーヌがキノーに 対 して 古 代 ギ リシア 神 話 の 扱 い 方 について 手 本 を 示 した その 証 明 となった 作 品 と 見 なされるであろう アルセスト を ディズニー スタジオによるステレオタイプでハリウッド 的 ハッピー エンド と 批 評 したフュマロリについては 既 述 したが フォレスティエは 次 のようにキノー とラシーヌの 関 係 について 述 べる [ ]ラシーヌはかつて 語 られる 悲 劇 の 分 野 で 打 ちのめしたキノーと 再 び 対 峙 するこ 32 戸 張 智 雄 前 掲 書 124 頁 33 Nicolas Boileau-Despréaux, «Epîtres VII» dans Satires, Epîtres, Art poétique, op. cit., vv «Jamais Iphigénie, en Aulide immolée, / N a coûté tant de pleurs à la Grèce assemblée, / Que dans l heureux spectacle à nos yeux étalé / En a fait sous son nom verser la Champmeslé.» 34 渡 邊 清 子 前 掲 論 文 9 頁 35 Roy. C. Knight, Racine et la Grèce, op. cit., p Ibid., p Ferdinand Brunetière, Les Époques du Théâtre français ( ) (Paris: Hachette, 1896), p

113 とになった キノーはリュリのおかげでトラジェディ アン ミュジックをその 原 則 で 優 れていると 主 張 し 王 の 心 を 捉 えるためにその 灰 から 再 び 蘇 った エウリピデス のほうへキノーは 向 きを 変 えた そのことはラシーヌにとって 自 分 の 古 代 ギリシア への 趣 味 を 満 足 させる 共 に 語 られる 劇 のみが 古 代 悲 劇 の 継 承 者 で 怖 れと 憐 れみ という 悲 劇 の 真 の 情 熱 を 精 神 に 喚 起 すると 判 断 する 人 々にとって 伝 令 者 の 役 目 を 引 き 受 けることであった 38 フォレスティエはキノーを ラシーヌによって 打 ちのめされたがリュリによってその 灰 から 再 び 蘇 った と 全 く 認 めていない むしろ 現 代 においてもラシーヌ 研 究 家 にとっては キノーの 位 置 は 侮 蔑 の 対 象 とさえなっていることが 理 解 されるであろう しかしながら トラジェディ アン ミュジックやキノーの 存 在 があったからこそ ラ シーヌには イフィジェニー を 書 く 強 い 動 機 が 生 じたことは 確 かであるし それだけに オペラの 存 在 が 古 典 劇 側 にとって 危 険 なものになりつつあったことは 事 実 であると 思 われ る それではここで ラシーヌが 原 作 としたエウリピデスの アウリスのイピゲネイア と ラシーヌ イフィジェニー の 梗 概 に 触 れて 置 こう 第 三 節 イフィジェニー の 梗 概 第 一 項 エウリピデス アウリスのイピゲネイア 梗 概 ラシーヌ イフィジェニー の 原 作 となったのはエウリピデス 晩 年 の 作 アウリスのイ ピゲネイア である この 戯 曲 の 主 要 登 場 人 物 は 6 人 で 他 にコロスと 使 者 従 者 番 兵 な どが 控 え 全 幕 を 通 して 演 じられる アウリスのイピゲネイア は 後 日 譚 として 紀 元 前 414 年 から 412 年 頃 の 成 立 とされるやはりエウリピデス タウリケのイピゲネイア を 持 つ トロイア 王 子 パリスに 誘 拐 された 妻 ヘレネの 奪 還 を 目 指 してスパルタ 王 メネラオスは 兄 のアルゴス 王 アガメムノンを 総 指 揮 官 としてギリシア 中 から 大 軍 を 募 り 只 今 アウリス の 浜 にいる しかし 海 が 凪 いでトロイアへの 船 出 が 出 来 ず 預 言 者 カルカスに 占 わせると これはアルテミス 女 神 の 祟 りでアガメムノンの 長 女 イピゲネイアを 女 神 への 犠 牲 に 捧 げる よう 告 げられる アガメムノンはついに 決 心 して 故 郷 に 手 紙 を 送 り アキレウスとの 婚 儀 を 行 うためと 称 して 長 女 イピゲネイアを 母 妃 のクリュタイメストラ 共 々 呼 び 寄 せる 事 情 を 知 らされたイピゲネイアは 怒 ったクリュタイメストラやアキレウスが 供 犠 を 阻 止 し ようと 企 てるにもかかわらず 最 後 には 自 分 から 進 んで 国 家 のために 命 を 捨 てる 決 心 をす る こうしてアウリスで 生 贄 の 儀 式 が 始 まり 祭 司 カルカスの 刃 がイピゲネイアの 首 に 食 い 入 る 音 を 一 同 が 聞 いたと 思 う 時 イピゲネイアの 姿 は 忽 然 と 消 え 祭 壇 には 血 にまみれた 38 Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., p

114 一 頭 の 牝 鹿 が 横 たわっていた カルカスは 喜 んで これこそが 女 神 が 祭 壇 に 使 わされた 犠 牲 だと 叫 んだ この 奇 跡 はクリュタイメストラへの 使 者 による 口 上 で 伝 えられる コロス は 神 のもとでイピゲネイアは 生 きていると 讃 え 劇 は 終 わる 以 上 がエウリピデスの 梗 概 である アウリスのイピゲネイア ではイピゲネイアのそ の 後 の 運 命 は 人 々には 分 からないまま 終 わるが 後 日 譚 の タウリケのイピゲネイア で は イピゲネイアの 身 は 空 中 を 遥 か 黒 海 のほとりタウリケへ 運 ばれ その 地 にあるアルテ ミス 女 神 の 神 殿 の 巫 女 となっているということが 明 らかにされる 第 二 項 ラシーヌの イフィジェニー 梗 概 それではこの アウリスのイピゲネイア をラシーヌの イフィジェニー はどのよう に 戯 曲 化 したのであろうか 原 作 と 比 べると 登 場 人 物 は 10 人 に 増 え 全 五 幕 三 十 七 場 から 構 成 される その 梗 概 は 次 の 通 りである 第 一 幕 :トロイア 王 子 パリスに 誘 拐 されたメネラス 王 妃 エレーヌ 39 奪 回 のため アガメ ムノンを 総 指 揮 官 としてオーリッドに 集 結 したギリシア 軍 であるが トロイアへの 船 出 の 風 が 凪 いでいるため 占 いに 掛 けると 神 官 カルカスはエレーヌの 血 を 引 く 娘 イフィジェ ニーを 生 贄 に 捧 げよというディアーヌの 神 託 を 伝 えた アガメムノンはユリス[=オデュッ セウス Ulysse]の 説 得 に 屈 し アシール[=アキレウス Achille]との 婚 儀 を 理 由 に 母 妃 クリ テムネストル 共 々イフィジェニーを 呼 び 寄 せる しかし 悩 んだアガメムノンは 再 び 従 者 アルカスに 手 紙 を 持 たせて 送 り エリフィールに 恋 したアシールがイフィジェニーとの 結 婚 を 躊 躇 っていると 虚 偽 の 情 報 を 知 らせて 妻 と 娘 を 中 途 で 引 き 返 させようと 図 る 第 二 幕 :イフィジェニーの 一 行 にはアシールがレスボスで 捕 虜 とし イフィジェニーの 供 に 加 えたエリフィールも 同 行 している 彼 女 は 自 分 の 素 性 を 正 確 には 知 らず 神 官 カル カスに 訊 ねたいと 願 っている 自 分 たち 一 族 の 征 服 者 アシールに 恋 焦 がれるエリフィール は イフィジェニーに 親 しく 接 せられても そのアシールとの 婚 儀 に 嫉 妬 の 苦 悩 を 抑 えき れない アガメムノンが 秘 かに 送 ったアルカスとは 行 き 違 いになり 一 行 はオーリッドに 着 いてしまい その 手 紙 は 今 クリテムネストルの 手 にあり 一 行 は 内 容 を 知 ってしまう クリテムネストルはエリフィールを 残 し イフィジェニーと 引 き 返 す 手 筈 を 整 え イフィ ジェニーはアシールを 奪 ったとエリフィールを 責 める イフィジェニーに 再 会 したアシー ルは 彼 女 が 自 分 を 避 けるので エリフィールに 問 い 質 し 自 分 のイフィジェニーへの 思 い を 吐 露 する もしやアシールが 自 分 のために 婚 儀 を 伸 ばそうとしたのではないかと 期 待 を 繋 いでいたエリフィールはアシールの 気 持 ちを 知 り 絶 望 する 第 三 幕 :アシールはイフィジェニーとクリテムネストルの 前 で 自 分 の 嫌 疑 を 解 き 二 人 の 婚 儀 が 整 えられるが アガメムノンは 妻 クリテムネストルに 婚 儀 の 祭 壇 には 近 づかない ように 申 し 渡 す エリフィールはアシールに 自 分 がこのまま 隠 れ 去 るのを 許 してくれるよ 39 ヘレネ Hélène:トロイ 戦 争 の 原 因 となったスパルタ 王 メネラオス 妃 諸 説 があるが 一 般 にレダとゼ ウスとの 娘 がヘレネで レダと 夫 スパルタ 王 テュンダレオスとの 姉 娘 がイフィジェニーの 母 クリテムネス トルとされる よって イフィジェニーにとってヘレネは 叔 母 に 当 たる Pierre Grimal, art. «Hélène» dans Dictionnaire de la Mythologie grecque et romaine (Paris : Presses Universitaires de France, 1951), pp

115 うに 願 うが アシールはイフィジェニーとの 婚 儀 の 瞬 間 に 自 由 を 与 えると 述 べる 婚 儀 の 祭 壇 が 整 った 時 アルカスが 現 われ イフィジェニー アシール クリテムネスト ルに 姫 を 生 贄 にするためにアガメムノンが 祭 壇 で 待 っていると 打 ち 明 ける クリテムネ ストルはアシールにイフィジェニーを 救 うように 頼 み アシールはアガメムノンと 争 う 決 心 をするが イフィジェニーが 必 死 で 止 める 第 四 幕 :アガメムノンはアルカスが 告 げ 口 をしたため イフィジェニーとクリテムネス トルが 何 のために 祭 壇 が 設 えられたか 了 解 していることを 知 る 母 妃 は 夫 を 責 めイフィ ジェニーを 連 れ 去 る アシールはアガメムノンに 直 談 判 してイフィジェニーを 救 うと 宣 言 し アガメムノンを 威 嚇 する 侮 辱 されたアガメムノンは 娘 をアシールから 引 き 離 そうと 秘 かに 衛 兵 たちに 命 じて イフィジェニーをクリテムネストル 共 々 逃 亡 させようと 計 る エリフィールは 神 官 カルカスにイフィジェニーの 逃 亡 を 密 告 しに 行 く 第 五 幕 :アシールが 駆 けつけてイフィジェニーを 助 けようとするが イフィジェニーは 父 の 命 令 に 従 い 犠 牲 になることを 選 ぶ 怒 ったアシールはイフィジェニーの 生 贄 を 執 行 す る 祭 壇 の 破 壊 を 予 告 して 立 ち 去 る 母 娘 の 逃 亡 は 暴 露 され 二 人 は 衛 兵 たちに 包 囲 される 周 囲 を 取 り 囲 んだ 兵 士 たちはクリテムネストルからイフィジェニーを 取 り 上 げ 祭 壇 に 向 か わせる 絶 望 するクリテムネストルに 腹 心 の 侍 女 が 二 人 の 逃 亡 をギリシア 軍 に 密 告 したの はエリフィールだと 知 らせる そこへアルカスが 来 て アシールが 祭 壇 に 駆 け 上 り 人 身 御 供 の 儀 式 が 中 断 されたと 知 らせる 続 いてユリスが 現 われ 祭 壇 で 起 きた 奇 跡 を 詳 細 に 知 らせる アシールがギリシア 全 軍 を 敵 として 殺 戮 が 始 まろうとする 時 に 神 官 カルカスがすさまじい 形 相 で 中 央 に 進 み 出 て 神 託 を 述 べた エレーヌの 血 を 引 くもう 一 人 の 娘 もう 一 人 のイフィジェニーこそが 犠 牲 になる 娘 で それはエレーヌとテゼーとの 間 の 不 義 の 娘 イフィジェニーという 名 で 今 は エリフィールと 名 を 変 えている 目 の 前 にいる 娘 だと カルカスがエリフィールを 捉 えよ うとすると 彼 女 は 私 に 手 を 触 れるなと 叫 んで 自 ら 祭 壇 に 駆 け 上 がり 自 刃 し 果 てた 驚 愕 した 兵 士 の 言 によると 雲 間 から 女 神 ディアーヌが 降 りてこられ 香 と 祈 りを 受 けて 天 に 携 えられた と 彼 は 信 じているのだ これから イフィジェニーとアシールの 婚 儀 が 始 められるであろう ユリスのその 報 告 に クリテムネストルが 歓 喜 を 表 わして 幕 となる 以 上 がラシーヌ イフィジェニー の 梗 概 である エウリピデスと 比 較 すると 確 かに 登 場 人 物 も 増 え 筋 も 複 雑 化 している それにはラシーヌ 自 身 がその 戯 曲 序 で 述 べる ように エリフィールというもう 一 人 のイフィジェニーの 存 在 を 付 け 加 えたことが 大 きい であろう むしろこのエルフィールこそ ヒロインとしてその 悲 劇 的 な 存 在 が 際 立 つよう に 筆 者 には 思 える 登 場 人 物 にはいずれもアレクサンドランの 長 い 台 詞 (tirade)が 振 り 分 けられ その 陰 影 に 富 んだ 人 物 像 の 嫉 妬 恐 怖 情 愛 愛 欲 怒 りなどの 内 面 的 心 理 描 写 が 繊 細 に 緻 密 に 組 み 立 てられている ラシーヌ 自 身 自 信 作 としてその 戯 曲 序 で 誇 るだけの 傑 作 であることは 確 かである 次 に この イフィジェニー 序 について 検 討 を 加 え ラシーヌの アルセスト 批 評 に 対 する 反 論 批 判 を 見 てみよう 114

116 第 二 章 イフィジェニー 序 におけるラシーヌのオペラ 批 判 前 述 したようにラシーヌの イフィジェニー は 8 月 ヴェルサイユ 宮 で 華 々しい 祝 祭 の 装 置 のうちに 初 演 され 続 いてパリのオテル ド ブルゴーニュ 座 での 初 演 は 12 月 末 であ ろうと 推 定 されているが 3 ヶ 月 40 公 演 が 行 われた 悲 劇 のシーズンは 11 月 から 3 月 ま でが 通 例 で それまでのラシーヌ 悲 劇 は ラ テバイッド を 除 いて 11 月 から 1 月 にか けて 上 演 されていた 1 フォレスティエは イフィジェニー はオテル ド ブルゴーニュ 座 という ヴェルサイユ 宮 のオランジュリーでのような 夢 幻 的 な 装 飾 がなにもない 舞 台 で 上 演 されたということが 注 目 すべきことである 2 と 注 釈 する 1675 年 2 月 戯 曲 イフィジェニー が 上 梓 される まだオテル ド ブルゴーニュ 座 での 上 演 中 の 出 版 は 稀 なことで 彼 は 早 くペローの アルセスト 批 評 に 反 論 したかった のだとフォレスティエは 説 明 する 3 それに 対 して アルセスト 論 争 についての 論 考 を 纏 めたノーマン ブルック ザルッチ 三 人 の 編 者 は 戯 曲 イフィジェニー を 出 版 する に 当 たっての 序 は 公 平 ではない 4 と 述 べる ラシーヌの イフィジェニー は ラシー ヌ 悲 劇 の 中 でも 最 もオペラを 意 識 して 書 かれた 作 品 であろう 同 時 代 のキノー/リュリ のトラジェディ アン ミュジックの 人 気 はラシーヌには 気 になる 出 来 事 であった それだ けに アルセスト 批 判 も 手 厳 しかった その 序 は 前 半 部 と 後 半 部 に 分 かれ 前 半 が 自 作 イフィジェニー についてで ラ シーヌは 自 作 がエウリピデスに 忠 実 なこと エリフィールというイフィジェニーに 対 立 す る 女 性 の 登 場 人 物 を 見 つけ 出 したのは 古 代 の 文 献 からで 彼 女 によって 結 末 の 機 械 仕 掛 け や 変 身 による 奇 跡 は 回 避 できたことを 誇 る そして 後 半 がペローの アルセスト 批 評 に 対 する 反 論 である ペローの アルセスト 批 評 は 匿 名 で 出 版 されたので ラシーヌも 直 接 ペローを 名 指 しして 非 難 してはいない それではまず その 序 の 前 半 部 から 見 ていこう ラシーヌはここにおいて ペロー の アルセスト 批 評 の 後 半 部 で 言 及 された 驚 くべきもの の 二 つの 概 念 のうち 超 自 然 的 な 驚 くべきもの について 取 り 上 げている そして 自 らが イフィジェニー にお いて 取 った 解 決 策 を 詳 しく 説 明 し オペラとの 違 いを 強 調 する なぜなら 超 自 然 的 な 驚 くべきもの はラシーヌの 時 代 には 古 典 劇 の 舞 台 では オペラのように 機 械 仕 掛 けによっ て 舞 台 上 で 見 せられることは 禁 じられていた しかしながら 小 倉 が 述 べるように ギリシ ア 神 話 に 取 材 しながら 驚 異 をあつかった 作 品 として イフィジェニー の 主 題 は 仕 掛 け 芝 居 やオペラと 軸 を 一 にしている 5 よって ラシーヌは イフィジェニー で 扱 っ た 超 自 然 的 な 驚 くべきもの が オペラの 機 械 仕 掛 けとは 異 なる 手 段 で 解 決 したことを 1 Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., p Ibid., p Ibid., p William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Introduction» dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, éd. par William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi, op. cit., p. xiii. 5 小 倉 博 孝 前 掲 論 文 87 頁 115

117 まず 論 の 最 初 に 強 調 したかったと 思 われる 第 一 節 ラシーヌと 驚 くべきもの の 概 念 それではラシーヌにとって 驚 くべきもの とはどういう 概 念 なのか その 序 の 前 半 から 見 てみよう 第 一 項 超 自 然 的 な 驚 くべきもの ラシーヌは イフィジェニー 序 を その 結 末 の 変 更 についての 説 明 から 始 める それはトロイアへの 船 出 の 風 を 起 こすために 神 託 により 告 げられたイフィジェニーの 供 犠 に 関 してであるが 自 分 が 知 るそれまでの 詩 人 による 解 決 策 として 3 つの 策 をラシーヌ は 述 べる 第 一 にアイスキュロス ソポクレス ルクレティウス ホラティウスその 他 で はイフィジェニーの 血 が 流 されたとする 第 二 はディアーヌがイフィジェニーを 哀 れんで 代 わりに 牝 鹿 を 置 き 王 女 をタウリスへ 連 れ 去 った それはエウリピデスやオウィディウ スにおいて 取 られた 結 末 である 第 三 に 血 は 流 されたが このイフィジェニーは 別 の 王 女 で エレーヌがテゼーとの 間 で 秘 かに 産 んだ 不 義 の 娘 であったという 説 をとるステシコロ ス (Stesichorus) などの 詩 人 の 名 を パウサニアス (Pausanias) が 伝 えている ラシーヌは 特 に 第 三 のパウサニアスの 伝 によってエリフィール (Ériphile) という 別 の 女 を 作 り 出 す ヒントを 得 たと 述 べる そしてこう 続 ける イフィジェニーほどの 徳 深 く 愛 らしい 娘 を 恐 ろしくも 殺 してしまい 舞 台 を 汚 すようなことがあったなら それはどんな 見 せ 方 になっていただろう また 私 の 悲 劇 を 女 神 や 機 械 仕 掛 け あるいはエウリピデスの 時 代 は 信 じられていた が われわれの 時 代 ではあまりにばかばかしく あまりに 信 じがたいものである 変 身 の 助 けで 終 わらせていたとすれば それはどんな 見 せ 方 になっていただろうか 6 ラシーヌはエリフィールというエレーヌとテゼーとの 間 の 不 義 の 娘 に イフィジェニー の 身 代 わりをさせることで 結 末 を 解 決 した ラシーヌが エリフィールを 見 つけられなかっ たなら この 悲 劇 は 書 こうと 思 わなかった と 言 う 時 それはラシーヌの 修 辞 的 な 巧 みさ を 言 いたかったからではなく 反 対 にオペラの 機 械 仕 掛 けの 効 果 にとても 近 いテクニック で それで 以 ってトラジェディ リリックよりも 語 られる 劇 の 優 越 性 を 示 したかったとフォ レスティエは 説 明 する 7 ラシーヌの イフィジェニー 初 演 の 35 年 前 いまだフランス オペラが 存 在 せず 真 実 らしさ の 原 則 が 全 体 的 に 支 配 していなかった 時 代 では ロト 6 Jean Racine, «Préface d Iphigénie» dans Œuvres complètes, t. 1, Théâtre-Poésie, éd. Georges Forestier, op. cit., p «Quelle apparence que j eusse souillé la Scène par le meurtre horrible d une personne aussi vertueuse et aussi aimable qu il fallait représenter Iphigénie? Et quelle apparence encore de dénouer ma Tragédie par le secours d une Déesse et d une machine, et par une métamorphose qui pouvait bien trouver quelque créance du temps d Euripide, mais qui serait trop absurde et trop incroyable parmi nous?» 7 Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., p

118 ルーの イフィジェニー では 王 女 は 牝 鹿 に 変 えられたし 機 械 仕 掛 けも 用 いられた ラシーヌは 序 において 超 自 然 的 な 驚 くべきもの すなわち 女 神 の 登 場 や 機 械 仕 掛 け 変 身 などのばかばかしく 信 じられないような 奇 跡 は 用 いず 人 間 関 係 だけの 解 決 方 法 でいかに 聴 衆 を 感 動 させたかを 誇 る そして その 比 較 の 先 には これら 機 械 仕 掛 け や 女 神 の 登 場 を 用 いるオペラへの 対 抗 心 優 越 感 がうかがわれるであろう その 場 面 はラシーヌでは イフィジェニー 第 五 幕 最 終 場 での 64 行 にも 及 ぶ ユリスの 語 り のシーンである 機 械 仕 掛 けでディアーヌが 空 から 降 りてくるのではなく 第 三 者 の 言 葉 でその 状 況 が 報 告 される いわゆる 活 写 法 (l hypotypose) が 用 いられている ユリ スは 驚 愕 した 兵 士 の 言 葉 として 雲 間 からディアーヌが 祭 壇 に 降 りてこられ 炎 の 中 に 立 たれて われわれの 香 と 祈 りを 受 けて 天 に 携 えられたと 彼 は 信 じている と 伝 える つ まりディアーヌの 出 現 は ユリスの 口 を 通 した 兵 士 の 語 りという 二 重 の 括 弧 入 りの 口 上 で あり しかも 目 撃 した 兵 士 が 信 じている という 慎 重 に 予 防 線 を 張 った 表 現 が 使 われ ている 古 典 主 義 の 研 究 家 ジェヌティオは 17 世 紀 において 古 代 神 話 を 扱 う 時 古 代 神 話 を 救 う 唯 一 の 方 法 は 想 像 力 を 抽 象 的 な 純 粋 の 慣 習 に 還 元 して 古 代 神 話 を 寓 話 に 変 形 し 古 代 神 話 に 真 実 らしさを 与 えること そして 教 化 に 用 いることだった 8 と 述 べる ラシーヌはここで 前 述 したコルネイユの 展 開 した 神 話 の 真 実 らしさ についての 定 義 は 採 らない コルネイユは 1650 年 自 作 の 機 械 仕 掛 け 音 楽 劇 アンドロメード の 大 団 円 において 主 役 の 四 人 セフェ カシオープ ペルセ アンドロメードにジュピテルが そ う 名 づけられている 星 座 があるゆえに 天 に 迎 える 旨 を 申 し 渡 し 機 械 仕 掛 けで 恋 人 た ちの 結 婚 式 を 祝 うために 四 人 とも 天 に 昇 らせる 9 という 結 末 にした そして 1660 年 三 劇 詩 論 において コルネイユは 神 話 伝 説 がわれわれに 伝 える 神 々や 彼 らの 変 身 はす べて 不 可 能 なことであり それでもそれが 語 られるのを 聞 くのに 慣 れ 親 しんできたという われわれ 共 通 の 認 識 および 伝 説 の 理 解 によって ほんとうと 信 じられるといわざるを 得 ない 10 と 論 じている ジェヌティオが 論 じるように 古 代 神 話 伝 説 はいわば 寓 話 化 さ れることで 人 々はその 話 を 慣 習 的 に 理 解 し それがほんとうと 信 じられるようになるの だ しかし 1674 年 時 点 のラシーヌには コルネイユの 時 代 には 存 在 しなかった そして 今 や 自 らの 古 典 悲 劇 の 存 在 を 危 うくするほどの 人 気 を 誇 る 古 代 神 話 を 扱 い 機 械 仕 掛 けを 多 用 するキノー/リュリの アルセスト があった ラシーヌは 機 械 仕 掛 けや 変 身 を 使 わず 人 間 関 係 のみで 古 代 神 話 の 真 実 らしさ を 自 分 が 表 現 できたことを 誇 ると 共 に オペ ラに 対 して 古 典 悲 劇 の 正 統 さを 主 張 しようとする 強 い 対 抗 意 識 がここには 見 えると 思 われ る また 古 典 劇 の 研 究 家 である 小 倉 は この 劇 の 結 末 でラシーヌが 用 いた 超 自 然 的 な 驚 く べきもの の 用 法 において イフィジェニーの 分 身 エリフィールに 犠 牲 の 血 とともに 神 8 Alain Génetiot, Le classicisme (Paris: Presses Universitaires de France, 2005), p Pierre Corneille, Argument d Andromède, éd. Christian Delmas (Paris: Librairie Marcel Didier, 1974), p 本 論 文 19 頁 参 照 117

119 性 が 喚 起 されるという 詩 的 方 法 11 を 考 察 している イフィジェニーとアシールの 結 婚 という 結 末 の 世 俗 性 とエリフィールの 人 身 犠 牲 による 神 聖 化 はここでみごとなコントラス トをなし 神 々の 意 志 の 不 可 解 性 が 示 唆 される 12 とする 小 倉 によればラシーヌは ア ルセスト のように 夢 幻 的 世 界 を 現 出 させることによって 観 客 の 感 受 性 に 触 れようとした のではなく あくまでも 真 実 らしい 展 開 のなかで 詩 的 喚 起 という 方 法 をとおして 神 々の 意 志 の 不 可 解 さ 残 酷 さという 祝 祭 劇 の 枠 組 みでは 直 接 的 には 表 現 しがたいテーマを 感 じ 取 らせようとした 13 そして ユリスが 活 写 法 で 超 自 然 的 な 驚 くべきもの を 語 る 時 の 劇 作 上 の 効 果 について 次 のように 述 べる 五 幕 最 終 場 の 語 りでユリスが 神 々は 祭 壇 の 上 に 雷 鳴 を 轟 かせる (1778 行 目 )と 伝 え るとき 観 客 は 夢 幻 世 界 への 導 入 を 示 す 約 束 事 である 音 楽 が 観 念 的 に 作 り 上 げら れた 舞 台 のなかで 鳴 り 響 くのをきいてはいなかっただろうか [...]また 女 神 を 運 ぶ 機 械 仕 掛 けを 想 像 の 舞 台 上 に 見 てはいなかっただろうか [...]ラシーヌは 王 を 含 む 宮 廷 人 たちを 席 巻 しはじめた 新 しい 演 劇 の 効 果 をみずからの 劇 作 法 に 生 かしていったのであ る 14 小 倉 の 解 釈 によれば ラシーヌは エリフィールの 神 聖 化 を 行 い そのユリスの 活 写 法 にはオペラの 効 果 を 意 識 的 に 利 用 して ことばによる 詩 的 ほのめかしという 方 法 を 核 と した 劇 作 法 をさらに 深 化 させることになった 15 小 倉 はラシーヌがオペラの 音 楽 や 機 械 仕 掛 けの 効 果 を ことばによる 詩 的 ほのめかし によって 利 用 したと 論 じる それはラシー ヌが とりも 直 さずオペラの 効 果 を 念 頭 に 入 れていたということにもなろう この ユリ スの 語 り は 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 扱 い 方 について ラシーヌが 仕 掛 けたオペ ラへの 挑 戦 であることは 明 確 だと 思 われる しかし ラシーヌは 超 自 然 的 な 驚 くべきも の について その 扱 い 方 をオペラと 違 えたというだけであり その 使 用 を 排 除 したので はない ラシーヌ 研 究 家 のフォレスティエは イフィジェニー の 結 末 に 使 われた 超 自 然 的 な 驚 くべきもの について 次 のように 称 賛 する ラシーヌの イフィジェニー は 確 かに 主 題 と 共 存 した 驚 くべきもの で 劇 が 終 わ る しかし それは 古 代 の 驚 くべきもの とも 当 時 の 機 械 仕 掛 け 悲 劇 ともオペラ とも 関 連 性 のない 驚 くべきもの である 16 そしてラシーヌが 用 いた 驚 くべきもの は 崇 高 さ であると 次 のように 述 べる 11 小 倉 博 孝 前 掲 論 文 99 頁 12 同 上 102 頁 13 同 上 105 頁 14 同 上 頁 15 同 上 106 頁 16 Georges Forestier, Jean Racine, op. cit.,

120 イフィジェニー の 結 末 では 観 客 の 驚 きは 突 然 悲 劇 の 最 高 度 の 緊 張 から 解 放 され 避 けようもないと 思 われていたことに 予 期 しない 逆 転 が 起 き 血 が 流 されると 共 に 和... らいだ 気 持 ちが 目 ざまされる しかしそれは 会 話 で 与 えられることによって である ここでの 驚 くべきもの はまさに 詩 的 な 驚 嘆 であり それはもう 一 度 繰 り 返 すが... 崇 高 さ である 17 フォレスティエによれば この イフィジェニー の 結 末 についてラシーヌは 古 代 の エウリピデスの 牝 鹿 への 変 身 による 奇 跡 も 用 いず コルネイユの アンドロメード やキノー/リュリのオペラ アルセスト のように 機 械 仕 掛 けも 用 いず 言 語 の 暗 示 力 のみ によって 崇 高 さ の 解 決 法 を 創 意 し こうしてラシーヌはオペラの 音 楽 や 視 覚 的 誘 惑 に 打 ち 克 ったことを 証 明 したのだった そしてフォレスティエはキノー/リュリの アルセ スト と イフィジェニー との 違 いを 次 のように 強 調 する アルセスト は 同 じギリ シアの 伝 説 に 拠 りながらも むしろ 純 粋 に 妖 精 物 語 の 世 界 へ 観 客 をいざなう それに 比 し て イフィジェニー では 終 末 のユリスによる 尋 常 でないことを 話 す 語 りは もっと 詩 的 であり 修 辞 上 の 言 葉 による 活 写 法 を 用 い 観 客 の 想 像 力 を 膨 らませる 人 間 社 会 にの み 立 ち 向 かう 登 場 人 物 たちである 18 このように ラシーヌの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 使 い 方 を 称 賛 している フォレスティエにとってはラシーヌの 超 自 然 的 な 驚 くべきも の はオペラでの 使 われ 方 とは 異 次 元 の 崇 高 さ まで 達 している しかしながら ラシー ヌの 大 団 円 が 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 で 締 めくくられていることは 確 かである そして ディアーヌは 舞 台 上 には 姿 を 見 せないが その 託 宣 が 悲 劇 全 体 を 動 かしている 基 本 動 因 である 以 上 この 悲 劇 では 人 間 社 会 にのみ 立 ち 向 かう 登 場 人 物 たちである と 断 言 できるであろうか やはりこの ユリスの 語 り に 関 して 古 典 主 義 研 究 者 シェレルはカルカス[= 神 官 ] の 神 託 という 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 用 いられ 方 に 言 及 する この 神 官 カルカスの 姿 はディアーヌ 同 様 に 舞 台 上 には 隠 されたままである その 神 託 は 開 幕 時 のディアーヌ によるイフィジェニーの 供 犠 の 要 請 そして 大 団 円 のエリフィールによる 身 代 わりの 犠 牲 の 託 宣 と この 悲 劇 の 展 開 の 主 動 力 となっているが いずれもアガメムノンの 台 詞 やユリ スの 語 りで 表 現 されている シェレルは 次 のように 述 べる ラシーヌにとってエウリピデスにおけるイフィジェニー の 牝 鹿 への 変 身 は 受 け 入 れ 難 いので エリフィールを 身 代 わりにした よって 結 末 は 真 実 らしくなる しかし この 結 末 は 最 後 の 瞬 間 神 がカルカスに 送 った 犠 牲 になるのはイ フィジェニーではなくエリフィールだ という 奇 跡 的 な 霊 感 から 導 かれるものである 真 実 らしくないもの l invraisemblance はただ 単 純 に 置 き 換 えられ もっと 隠 されただけだ 19 と 述 べる シェレルによれば 次 作 の フェードル の ネプテューヌが 送 った 怪 物 による イッポリートの 死 という 結 末 においても ラシーヌは[...] 奇 跡 的 な 叙 述 と 真 実 らしい 叙 述 を 並 べている そしてこの 驚 くべきもの le merveilleux [=シェレルは 超 自 然 的 な 意 味 に 使 っ 17 Ibid., p Ibid., p Jacques Scherer, op. cit., p

121 ている]によって 平 土 間 の 観 客 を 魅 了 するのだ 20 そしてこう 続 ける これらの 例 において 真 実 らしさは 真 実 らしくないものの 敵 ではなく 真 実 らしくな い も の の 基 本 的 な 補 助 者 と し て 現 わ れ る こ の 驚 く べ き も の の 擬 似 合 理 化 pseudo-rationalisation du merveilleux により 勝 ち 誇 った 真 実 らしくないものはしかしな がら 後 退 する そして 不 名 誉 な 真 実 らしくないものと 呼 べるほうへの 変 遷 を 標 しづけ る 21 シェレルによると イフィジェニー において 結 末 を 真 実 らしくしようとしてラシー ヌが 取 ったエリフィールの 身 代 わりという 解 決 策 は カルカスの 神 託 という 奇 跡 から もたらされたもので その 奇 跡 のような 真 実 らしくないものはただ 隠 されただけであり 驚 くべきものの 擬 似 合 理 化 があるだけだとする シェレルは トラジェディ アン ミュジックに 多 用 される 勝 ち 誇 った 真 実 らしくないもの つまり 機 械 仕 掛 けによる 変 身 を 避 けようとして かえってラシーヌは 不 名 誉 な 真 実 らしくないもの に 向 かうと 判 断 している こうして 見 ると 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 は カンツレルが 述 べるようにオ ペラと 古 典 悲 劇 を 分 かつものではなく むしろ 古 典 劇 側 にも 流 れ 込 んでいることが 分 かる ラシーヌの イフィジェニー や フェードル の 結 末 に 見 られるように そこにはオペ ラのように 機 械 仕 掛 けや 変 身 こそ 使 われていないが 神 々の 介 入 による 奇 跡 はただ 舞 台 上 に 隠 されただけであり 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 が 劇 自 体 を 動 かす 原 動 力 となっ ている そしてシェレルの 論 からは イフィジェニー において 真 実 らしくないもの を 舞 台 外 とするという その 厳 格 な 規 則 が 揺 らぎはじめたと 考 えられる 1674 年 から 始 まった アルセスト 論 争 時 においては この 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は オペラと 古 典 悲 劇 を 分 かつというよりむしろその 境 界 を 危 うくするものであったのではないかと 思 われる 第 二 項 筋 の 展 開 からの 驚 くべきもの ラシーヌは 古 代 悲 劇 を 範 とする 古 典 主 義 の 代 表 的 悲 劇 作 家 である 以 上 アリストテレス 以 来 の 筋 の 展 開 からもたらされる 本 質 的 なもう 一 つの 驚 くべきもの については 当 然 考 察 している ラシーヌはエルフィールを 幾 分 かの 報 いを 受 けるに 相 応 しい ように 嫉 妬 に 燃 え 恋 敵 を 陥 れようとした 女 として 描 き こうして 劇 の 解 決 は 劇 自 体 の 本 筋 から 導 かれる 22 とする それは 前 述 したようにアリストテレスの 筋 の 解 決 もま た 筋 そのものから 生 じなければならないことは 明 らかである 23 という 箇 所 と 呼 応 して いる 20 Ibid., p Ibid., p Jean Racine, «Préface d Iphigénie» dans Œuvres complètes, t. I, Théâtre-Poésie, éd. Georges Forestier, op. cit., p «Ainsi le dénouement de la Pièce est tiré du fond même de la Pièce.» 23 本 論 文 6 頁 参 照 120

122 続 いてラシーヌは 次 のように 宣 言 する そして 悲 劇 の 進 行 中 に 観 客 が 大 変 案 じてきた 徳 深 い 王 女 を 最 後 に 助 け 彼 女 をと うてい 信 じられないゆえに 我 慢 できない 奇 跡 (un miracle) ではなく 別 の 方 法 で 救 いだ すことで 私 がいかに 観 客 を 喜 ばせたか この 劇 の 上 演 を 見 た 人 々には 理 解 され るであろう 24 ラシーヌが 誇 るように イフィジェニーを 牝 鹿 に 変 身 させることなく エリフィールと いう 身 代 わりの 犠 牲 を 用 意 することで 筋 の 展 開 からもたらされる 悲 劇 に 本 質 的 なもう 一 つの 驚 くべきもの の 概 念 が 強 化 されたことは 確 かである 劇 の 最 後 まで われわれは イフィジェニーの 死 しか 予 測 できないが 最 後 の 瞬 間 にエリフィールの 正 体 が 明 らかにな り 身 代 わりにされることで アリストテレスの 急 転 回 の 概 念 に 最 も 合 致 している フォレスティエは 二 重 化 されたイフィジェニーがいて 無 実 のイフィジェニーは 救 われ 有 罪 なイフィジェニーが 殺 される このような 解 決 法 は 機 械 仕 掛 け ではできないと 述 べ る 25 フォレスティエが 絶 賛 するように 確 かに イフィジェニー には 筋 の 展 開 からも たらされ 観 客 に 驚 きと 称 賛 を 与 える 本 質 的 な 驚 くべきもの の 概 念 が 見 られるで あろう その 凝 縮 され 純 化 された 登 場 人 物 の 心 理 的 描 写 により 観 客 は 固 唾 を 呑 んで 筋 の 展 開 を 見 守 り 最 後 の 大 団 円 で 一 気 に 悲 劇 の 緊 張 から 解 放 され 安 らぎを 覚 える このように ラシーヌの イフィジェニー において 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 が 用 いられていることが 確 認 された 悲 劇 の 基 本 要 素 であるアリストテレスのタウマス トンより 引 き 継 がれ シャプランが 定 義 した 驚 くべきもの の 要 素 は 見 事 に 現 わされて いる そしてもう 一 つの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 用 い 方 では 機 械 仕 掛 けや 変 身 を 用 いず 詩 的 な 語 りによってそれを 表 現 したことも 納 得 できる しかしながら それでもって 多 くのラシーヌ 研 究 者 たちが 言 及 するように ラシーヌの イフィジェニー がキノーのオペラ 戯 曲 に 全 面 的 勝 利 したと 言 えるであろうか すでに 見 たように ペローの アルセスト 批 評 では キノーのオペラ 戯 曲 に 二 つの 驚 くべき もの の 概 念 筋 の 展 開 からもたらされるそれと 超 自 然 的 なものがあることをペローは 擁 護 した そしてペローの 論 じる 機 械 仕 掛 けを 用 いる 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 に は ラシーヌが 切 り 捨 てるように とうてい 信 じられないゆえに 我 慢 できない 奇 跡 があ るだけではなく むしろ 政 治 的 意 味 合 いを 含 めて 新 しい 世 紀 の 象 徴 として 本 質 的 な 驚 くべきもの を 内 包 しながら 変 革 を 遂 げていく 過 程 の 勢 い エネルギーがあったといえ よう 24 Jean Racine, «Préface d Iphigénie» dans Œuvres complètes, t. I, Théâtre-Poésie, éd. Georges Forestier, op. cit., p «Et il ne faut que l avoir vu représenter, pour comprendre quel plaisir j ai fait au Spectateur, et en sauvant à la fin une Princesse vertueuse pour qui il s est si fort intéressé dans tout le cours de la Tragédie, et en la sauvant par une autre voie que par un miracle, qu il n aurait pu souffrir, parce qu il ne le saurait jamais croire.» 25 Georges Forestier, Jean Racine. op. cit., p

123 第 三 項 ラシーヌによるエウリピデスの 変 更 ここにもう 一 つの 視 点 を 考 察 してみる ラシーヌ 等 古 代 派 によるキノー 批 判 の 根 本 には 古 代 エウリピデス 原 作 を 改 竄 したという 批 判 があった この 点 においては ラシーヌ 自 身 の イフィジェニー はどうであったろうか 彼 が 尊 敬 と 崇 拝 の 念 を 抱 くと 宣 言 する エウリピデスの 原 作 に 対 してエリフィールという 人 物 を 介 入 させ しかも 結 末 の 一 番 劇 の 要 の 部 分 を 変 更 したという 点 をどう 捉 えたらよいだろうか 同 年 1675 年 にはラシーヌに 対 抗 してゲネゴー 劇 団 によってル クレール(Michel Le Clerc) とコラス (Jacques de Coras) 二 人 による イフィジェニー が 上 演 され 翌 年 出 版 された 当 戯 曲 の 序 ではこう 述 べられている エウリピデスにしたがって 一 般 に 受 け 入 れられている 大 団 円 をそのまま 用 いた これをラシーヌ 氏 はその 序 でばかばかしいとされているが 自 分 で 恩 義 あると 言 われるエウリピデスを 傷 つけることになるのにお 気 づきではない とにかく この 大 団 円 はだれの 反 対 も 受 けず 上 演 された 時 この 罪 のない 王 女 が 死 を 要 求 したディ アーヌおんみずからによって 救 われるのをみて 皆 はこころよい 感 じをもった この 出 来 事 も カルカスの 神 託 と 同 じように 信 じられないことではない 26 このようにル クレールとコラスは ラシーヌがエウリピデスの 結 末 を 変 更 したことを 批 判 している この 二 人 の イフィジェニー はラシーヌのそれよりエウリピデスを 踏 襲 し 単 純 な 悲 劇 としているが しかしながら 5 回 しか 上 演 されなかった これはラシーヌ が 17 世 紀 の 観 客 がギリシア 的 なものを 受 け 入 れる 度 合 いを つねに 綿 密 に 計 算 している 証 拠 でもあろう 27 と 戸 張 は 評 する そして 当 時 古 代 悲 劇 を 原 作 とする 時 筋 の 変 更 は 多 く の 戯 曲 作 家 が 行 っていることでもあった ここで 筆 者 はやはりラシーヌ 自 身 イフィジェニー において フランスの 当 時 の 風 習 に 合 わせてエウリピデスを 変 更 していると 考 えざるを 得 ないと 考 える ラシーヌはこの 序 の 後 半 に 続 けて 行 うペロー 批 判 で ペローがその アルセスト 批 評 で 提 示 した 古 代 神 話 をその 時 代 の 趣 味 に 合 わせる 必 要 性 という 問 題 には 答 えていない しかしラシーヌがイ フィジェニーの 牝 鹿 への 変 身 を われわれの 時 代 ではあまりにばかばかしい と 言 う 時 彼 もペローと 同 じ 当 時 の 風 習 価 値 観 の 位 置 に 立 って 判 断 していたといえよう ラシーヌは 自 分 の 戯 曲 において 機 械 仕 掛 けを 使 わないことを 自 讃 しているが 古 代 ギリ シアの 悲 劇 を 原 作 とする 時 に 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 は 要 素 として 用 いざる を 得 ないであろう 人 間 には 不 条 理 とも 思 われるオリンポスの 神 々の 要 求 小 倉 に 拠 れば 26 Michel Le Clerc, «Préface» dans Iphigénie, 1 ère éd (München: Nabu Public Domain Reprints, 2012), pp. 5-6.«Enfin, j ai conservé avec Euripide une Catastrophe généralement reçûë, & que M. Racine traite d absurde dans sa Preface, sans songer qu il offense Euripide, à qui il a quelque obligation. Elle n a pourtant choqué personne, & dans la réprésentation, on a senti de la joye de voir cette Princesse innocente sauvée par le secours de cette même Diane qui avoit demandé sa mort. Cet événement n est pas plus incroyable que l Oracle de Calcas.» 戸 張 智 雄 前 掲 書 135 頁 註 同 上 136 頁 122

124 神 々の 意 志 の 不 可 解 性 を 除 外 して 筋 書 きは 進 んでいかない イフィジェニー では オペラのように 舞 台 上 にその 神 々の 姿 を 見 ることはないが 観 客 の 想 像 力 に 訴 えることに よってその 超 自 然 的 な 神 々は 悲 劇 の 筋 の 展 開 を 支 配 しているといえよう そしてラシーヌ はその 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 用 い 方 において エウリピデスを 変 更 せざるを 得 な かった ラシーヌがその 悲 劇 を 女 神 や 機 械 仕 掛 け あるいはエウリピデスの 時 代 は 信 じら れていたが われわれの 時 代 ではあまりにばかばかしく あまりに 信 じがたいものである 変 身 の 助 けで 終 わらせ ることを 避 けるため エルフィールを 登 場 させたことを 誇 る 時 ラシーヌ 自 身 大 団 円 の 一 番 観 客 が 驚 きと 称 賛 で 心 動 かされる 場 面 でエウリピデスを 変 更 している ラシーヌは 古 代 のままでは 現 代 では 信 じがたく 観 客 の 感 動 を 得 がたい よっ て 変 更 を 加 えたと 自 ら 説 明 を 加 えている ペローがキノーの 戯 曲 擁 護 で 説 くように ラシー ヌ 自 身 も 現 代 の 趣 味 に 合 わせてエウリピデスの 原 作 を 変 更 しているのだ ラシーヌは 自 分 一 人 が 悲 劇 の 真 の 詩 学 を 護 っていると 証 明 したかった 28 とコルニッ クは 推 測 する アリストテレスはその 詩 学 において 筋 の 解 決 もまた 筋 そのもの から 生 じなければならないことは 明 らかである [...]その 解 決 は 機 械 仕 掛 けによるもので あってはならない 29 と 述 べる ラシーヌは 自 分 がその 教 えに 忠 実 で エリフィールなる 人 物 を 古 代 ギリシアの 文 献 の 中 から 見 つけ 出 したことを 誇 る しかしアリストテレスには 続 きがある 彼 はこう 述 べる しかし 機 械 仕 掛 けを 用 いる 必 要 があるとすれば それは 劇 の 外 のことがら すなわち 人 間 が 知 ることのできない 過 去 の 出 来 事 か あるいは 予 言 や 報 告 を 必 要 とする 未 来 の 出 来 事 についてである というのは 神 々が 全 知 全 能 であること を 私 たちは 認 めるからである 30 エウリピデスの イフィジェニー においては ロト ルーのそれのように 結 末 のディアーヌの 登 場 に 機 械 仕 掛 けは 用 いられていないが 使 者 に よるイフィジェニーの 牝 鹿 への 変 身 が 報 告 される この 変 身 は ディアーヌという 全 知 全 能 の 神 の 介 入 であるゆえに アリストテレスによって 認 められていたと 言 えよう よっ てラシーヌの 結 末 の 変 更 にはアリストテレス 詩 学 以 来 の 教 義 に 忠 実 でありながらも 17 世 紀 当 時 の 価 値 観 風 習 に 合 致 することを 考 慮 に 入 れていたと 言 えるであろう 戸 張 は ラシーヌ 自 身 は 論 壇 を 意 識 するかぎり ギリシア 的 主 題 をつねにフランス 的 な 構 成 に つつんだのであり これをつきやぶるという 努 力 は 机 上 のプランに 終 わったようである 31 と 批 評 する ビ ア ン セ ア ン ス そうとすれば キノーが 当 代 の 風 習 に 合 うようにその 適 切 さ= 節 度 でエウリピデス を 変 更 したとするペローの 理 論 と ラシーヌは 同 じ 根 拠 に 立 っているといえよう 次 に 序 の 後 半 ペローの アルセスト 批 評 に 対 するラシーヌの 反 論 を 見 ていきた い 28 Sylvain Cornic, op. cit., p アリストテレース 前 掲 書 15 章 60 頁 本 論 文 6 頁 参 照 30 同 上 本 論 文 6 頁 参 照 31 戸 張 智 雄 前 掲 書 150 頁 123

125 第 二 節 ラシーヌによる アルセスト 批 評 の 批 判 ラシーヌは イフィジェニー 序 の 後 半 に 次 のように 述 べる すべてホメロスやエウリピデスから 模 倣 したものが 我 々の 舞 台 で 挙 げたる 効 果 によって 良 識 や 理 性 があらゆる 世 紀 を 超 えて 同 じであることを 確 信 できて 喜 ばしく 思 った パリの 趣 味 は 古 代 アテネのそれと 同 じということを 見 出 したのだ 我 が 観 客 はかつてギリシアの 最 も 賢 明 なる 人 民 に 涙 を 流 させ あらゆる 詩 人 の 中 でエウリピデスは 極 めて 悲 劇 的 であり 言 い 換 えれば 悲 劇 の 真 の 効 果 である 憐 れみと 怖 れ (la compassion et la terreur) を 見 事 に(merveilleusement) 喚 起 すること を 知 っていると 言 わしめた その 同 じことに 感 動 したのだ 32 そして いよいよ アルセスト 批 評 に 言 及 する それなのに 最 近 近 代 派 33 たちがその アルセスト で 下 した 判 断 の 中 で この 偉 大 な 詩 人 に 対 してひどく 嫌 悪 感 を 示 したことに 驚 く 私 のこの 序 文 は アル セスト 作 品 についてではない しかし 実 際 私 はエウリピデスに 多 くの 恩 義 を 受 けているので 彼 の 追 憶 にいくばくかの 心 配 りをし これらの 近 代 派 の 諸 氏 34 と 詩 人 とを 仲 直 りさせる 機 会 を 逃 してならないと 考 える 35 このようにラシーヌは 後 半 の 論 を 進 めていく ラシーヌは 自 分 がエウリピデスに 恩 義 を 受 け 自 分 の イフィジェニー が 好 評 を 持 って 受 け 止 められたことを パリの 趣 味 は 古 代 アテネのそれと 同 じということを 見 出 した とする これはペローの 古 代 の 趣 味 は 現 代 のフランスのそれとは 合 致 しない とする アルセスト 批 評 に 対 するアンティ テー ゼであろう しかしながら 前 節 で 見 たように ラシーヌ 自 身 同 じ 序 でエウリピデスに よるイフィジェニーの 牝 鹿 への 変 身 を エウリピデスの 時 代 は 信 じられていたが われわ れの 時 代 ではあまりにばかばかしく あまりに 信 じがたいもの であり とうてい 信 じ られないゆえに 我 慢 できない 奇 跡 (un miracle) であるとし ゆえにエリフィールという 32 Jean Racine, «Préface d Iphigénie» dans Œuvres complètes, t. I, Théâtre-Poésie, éd. Georges Foresties, op. cit., p «J ai reconnu avec plaisir par l effet qu a produit sur notre Théâtre tout ce que j ai imité ou d Homère, ou d Euripide, que le bon sens et la raison étaient les mêmes dans tous les Siècles. Le goût de Paris s est trouvé conforme à celui d Athènes. Mes Spectateurs ont été émus des mêmes choses qui ont mis autrefois en larmes le plus savant peuple de la Grèce, et qui ont fait dire, qu entre les Poètes, Euripide était extrêmement tragique, [...] c est-à-dire qu il savait merveilleusement exciter la compassion et la terreur, qui sont les véritables effets de la Tragédie.» 33 この «des Modernes»という 大 文 字 表 記 は 前 述 したペローの アルセスト 批 評 に 使 用 された 用 語 を 繰 り 返 したものと 考 えられている 本 論 96 頁 註 42 参 照 34 渡 邊 はラシーヌがこの 人 たち«ces Messieurs»と 大 文 字 で 書 くことによって ペローの 背 後 にある 近 代 派 と 彼 らの 支 持 するオペラ 作 者 への 攻 撃 を 向 けたと 取 れるとする 渡 邊 清 子 前 掲 論 文 8 頁 35 Jean Racine, «Préface d Iphigénie» dans Œuvres complètes, t. 1, Théâtre-Poésie, éd. Georges Foresties, op. cit., p «Je m étonne après cela que des Modernes aient témoigné depuis peu tant de dégoût pour ce grand Poète dans le jugement qu ils ont fait de son Alceste. Il ne s agit point ici de l Alceste. Mais en vérité j ai trop d obligation à Euripide, pour ne pas prendre quelque soin de sa mémoire, et pour laisser échapper l occasion de le réconcilier avec ces Messieurs.» 124

126 エピソードを 付 け 加 え 現 代 の 観 客 が 納 得 し 感 動 する 大 団 円 にしたとする 言 及 とは 矛 盾 を きたしているのではないだろうか やはり ラシーヌは 現 代 の 趣 味 と 古 代 のそれとの 差 異 を 認 識 していたと 考 えざるを 得 ないと 思 われる 続 いてラシーヌはペローが 間 違 っている 点 を 具 体 的 に 順 次 並 べて 徐 々に 攻 撃 の 爪 を 研 いでいく 第 一 にエウリピデスの アルケスティス のなかには 一 つの 最 も 驚 くべき 場 面 (une Scène merveilleuse) がある 36 それは 死 に 赴 くアルケスティスとアドメトスの 最 後 の 別 れの 場 面 である それを 近 代 派 がどう 解 釈 したか 近 代 派 はギリシア 語 の 原 典 に 当 たらず ラテン 語 訳 を 参 照 したために 重 大 な 過 ちを 犯 した 37 このように ラシーヌはペローの 間 違 いを 指 摘 する この 箇 所 は 前 述 のペローの アルセスト 批 評 でも 説 明 したが アドメトスの 後 に 来 る アルケスティスの 台 詞 を 示 す 表 記 が 欠 落 していたため ペローはアドメトスの 台 詞 が 続 い ていると 勘 違 いした 箇 所 である ペローは アドメトスがカロンの 舟 に 早 く 乗 れと 妻 を 急 かし 死 に 追 いやったと 解 釈 し 非 難 した ラシーヌはそう 勘 違 いしたならば それが 諸 氏... にとってきわめて野 卑 に思 えたのは 当 然 である と 二 重 の 皮 肉 を 籠 める ラシーヌ 研 究 家 フォレスティエは 近 代 派 がエウリピデスの 欠 点 をあげつらうのは 彼 の 原 典 を 正 しく 読 む 力 がないからだということをラシーヌは 示 したと 述 べる 38 そして 続 いてフォレスティエはこう 注 釈 する ラシーヌはキノーの アルセスト については 一 言 も 述 べない 何 故 なら 彼 が 問 題 にしているのはオペラそのものではなく 古 代 との 関 係 性 なのであるからだ 39 このように 注 釈 するフォレスティエにとっては キノーの 戯 曲 アルセスト そのものは 批 判 する 価 値 もないという ラシーヌの 序 で 取 る 姿 勢 を 代 弁 しているかのようである しかし ペローがこの 箇 所 で 夫 婦 の 会 話 を 混 乱 して 解 釈 したとしても ラシーヌが 指 摘 するようにこの 場 はエウリピデスの 最 も 美 しい 場 面 と 言 えるであろうか われわれはすで にエウリピデスの アルケスティス 原 作 を 検 討 し アドメトスは 自 分 が 助 かりたいため に 妻 アルケスティスの 命 を 犠 牲 にしたことを 確 かめた ラシーヌは 妻 が 死 に 行 くことに 対 してのアドメトスの 悲 嘆 私 も 一 緒 に 連 れて 行 ってくれ という 一 連 の 詩 句 を 引 用 し エ ウリピデスのこの 場 の 悲 劇 的 な 美 しさを 強 調 する しかしながらエウリピデスではアルケ スティスが 死 んだ 後 アドメトスは 皆 が 自 分 を 卑 怯 者 だと 噂 するだろうと 気 に 病 んでいる ペローが 批 判 するように いくら 死 に 赴 く 妻 に 悲 痛 に 満 ちた 台 詞 を 並 べても それならも ともと 死 すべきだった 自 分 が 順 序 通 り 死 を 選 ぶことはせず 妻 を 身 代 わりにするアドメト スは 卑 怯 な 夫 だという 謗 りは 免 れ 得 ないと 思 われる よって この 場 面 がラシーヌが 指 摘 するように 悲 劇 的 で 美 しい 場 面 であるとは 言 い 切 れないと 考 える 第 二 のラシーヌの 批 判 は アルセスト 批 評 ではアルケスティスを 年 経 た 妻 と 解 釈 し ているが 花 のさかりに 入 ったばかり 若 い 夫 のために 死 ぬ とコロスは 歌 っているで はないか またアルケスティスに 結 婚 適 齢 期 の 一 男 一 女 がいるとしているが 二 人 ともま 36 Ibid., p 後 にペローはこの 点 について 反 論 し この 誤 植 のあった 版 はギリシア 語 訳 でラシーヌが 指 摘 するよう にラテン 語 訳 ではなかったことを 明 らかにする 本 論 131 頁 参 照 38 Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., p Ibid., p

127 だ 幼 子 であるとラシーヌは 誤 りを 糺 す この 箇 所 については ペローの アルセスト 批 評 の 章 ですでに 触 れたが ペローの 誤 解 の 一 因 として 息 子 のエウメロスに 幼 子 とは 思 えない 台 詞 が 与 えられていることも 確 認 した 40 そしてラシーヌは 近 代 派 の ほかの 非 難 もほとんどこの 程 度 のものである しかし 私 の 著 者 への 擁 護 はこれで 十 分 であると 思 う 41 として 反 論 を 切 り 上 げる こうしてラ シーヌは ペローが 筋 の 展 開 からエウリピデスの 原 作 とキノーの 戯 曲 を 比 較 しながら 詳 細 に 問 題 を 設 定 して 行 ったキノー 擁 護 論 には まともに 正 面 から 答 える 必 要 もないという 態 度 を 示 す そして 次 が 留 めの 文 言 で これらの 方 々 には 古 代 の 作 品 に 関 しては これか らは 軽 々しく 論 評 を 加 えないようにお 勧 めする 42 として 古 代 ローマ 時 代 の 修 辞 学 者 ク インティリアヌス (Marcus Fabius Quintilianus) の 言 葉 を 持 ち 出 す 優 れた 人 たち の 作 品 について 判 断 するときは 多 くの 例 に 見 られるが われ われが 理 解 できぬものは 非 難 しないように きわめて 慎 重 に 控 えめでなくてはならな い いずれかの 極 端 になるとするならば その 著 作 の 多 くを 非 難 する 罪 をおかすより すべてを 褒 める 罪 をおかすほうがましではないか 43 これでラシーヌは 序 を 終 えている ラシーヌはあらゆる 詩 人 の 中 でエウリピデスは 極 めて 悲 劇 的 であり 言 い 換 えれば 悲 劇 の 真 の 効 果 である 憐 れみと 怖 れ la compassion et la terreur を 見 事 に merveilleusement 喚 起 することを 知 っていると 述 べる しかしながらペローもアンティゴーヌの 例 と 共 に アドメートがアルセストの 死 を 知 ったとき 演 劇 の 効 果 である 観 客 の 心 に 同 時 に 怖 れと 憐 れみ l horreur et la compassion をこの 上 なく 抱 かせる 44 としていることをわれわ れは 見 た 序 の 最 後 で クインティリアヌスを 持 ち 出 し ペローのエウリピデス 批 判 に 対 して われわれが 理 解 できぬものは 非 難 しないように そして その 著 作 の 多 くを 非 難 する 罪 をおかすより すべてを 褒 める 罪 をおかすほうがましではないか と 一 方 的 に ペローの 悲 劇 論 の 理 解 や 認 識 のなさを 非 難 するラシーヌであるが ペローが 従 来 のアリス トテレス 以 来 の 教 義 をもって キノーの 変 更 を 詳 細 に 擁 護 してきたことはすでに 確 認 した それまでのペローの 宮 廷 での 公 式 詩 人 としての 立 場 またコルベールの 片 腕 としての 王 室 建 造 物 監 督 官 小 アカデミー の 一 員 アカデミー フランセーズ の 中 枢 にいる 地 位 しかも 若 い 無 名 の 時 に 取 り 立 ててもらった 恩 義 あるペローに 対 して ラシーヌの 批 40 本 論 85 頁 参 照 41 Jean Racine, «Préface d Iphigénie» dans Œuvres complètes, t. I, éd. Georges Foresties, op. cit., p «Tout le reste de leurs critiques est à peu près de la force de celles-ci. Mais je crois qu en voilà assez pour la défense de mon Auteur.» 42 Ibid., p «Je conseille à ces Messieurs de ne plus décider si légèrement sur les ouvrages des Anciens.» 43 Ibid., p «Il faut être extrêmement circonspect et très retenu à prononcer sur les Ouvrages de ces grands Hommes, de peur qu il ne nous arrive, comme à plusieurs, de condamner ce que nous n entendons pas. Et s il faut tomber dans quelque excès, encore vaut-il mieux pécher en admirant tout dans leur écrits, qu en y condamnant beaucoup de choses.» 44 Charles Perrault, Critique de l Opera, ou examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d Alcide, op. cit., p. 55. «[...] ce passage [...] produit dans l esprit des Spectateurs tout l effet que le Theâtre se propose, qui est d émouvoir souverainement l horreur & la compassion en mesme temps.» 本 論 頁 参 照 126

128 評 はかなり 手 厳 しいものだといえよう 逆 に 言 えば ラシーヌはモンテスパン 夫 人 たちの 後 ろ 盾 とそれまでの 自 作 悲 劇 の 成 功 で 自 信 を 付 けてきたと 言 えるであろう そして その 切 り 捨 てるような 批 判 の 論 調 には 自 分 と 同 時 代 のオペラ 人 気 に 苛 立 ちを 隠 せないラシー ヌの 姿 を 髣 髴 とさせる またそこには 20 歳 のデヴュー 作 セーヌ 河 のニンフ において ペローの 批 判 によって 受 けた 屈 辱 以 来 ラシーヌがペローに 対 して 長 年 抱 いてきた 感 情 も 読 み 取 れる ラシーヌの 批 判 の 基 本 は ペローはキノーとリュリの 選 択 を 正 当 化 するために エウリ ピデスを 貶 め 古 代 を 冒 涜 した よってペローは 有 罪 であると 言 うものであった 45 以 上 から 見 ると ラシーヌはペローの 擁 護 の 誤 謬 を 指 摘 することに 加 えて キノーがエ ウリピデスをギャラントな 筋 に 変 え 各 幕 の 終 わりに 機 械 仕 掛 けを 多 用 して 古 代 悲 劇 を 貶 めたことを 批 判 したいのだろうが 直 接 的 にはペローが 設 定 した 各 問 題 点 には 答 えてい ない ペローの 原 典 の 読 み 間 違 いを 2 箇 所 指 摘 するだけで 後 は 推 して 知 るべし まとも に 反 論 する 価 値 もないという 態 度 を 示 す 自 分 の 同 じくエウリピデス 原 作 の イフィジェ ニー を 見 れば 答 えは 自 ずと 分 かると 彼 は 前 半 で イフィジェニー の 変 更 点 を 記 すの みである 渡 邊 も ペローの 用 いたラテン 語 訳 アルセスト の 誤 訳 を 指 摘 して ペロー の 論 はすべて 根 拠 無 しときめつけるラシーヌの 論 は ペローの 反 駁 [= 本 論 後 述 ]にもある 通 り 議 論 の 核 心 に 触 れていない 46 と 述 べる 17 世 紀 に 限 っても それまで 古 代 の 原 典 を 利 用 して 古 典 演 劇 を 再 構 築 する 演 目 は 多 く あった 47 が ラシーヌにしたら キノーの 改 作 はあまりにもエウリピデスからは 乖 離 し 台 無 しにしていると 言 いたい 所 だと 思 う しかしわれわれはエウリピデスの 戯 曲 から 検 討 し キノーが 原 作 とした アルケスティス はむしろサテュロス 劇 の 傾 向 を 持 ち ラシー ヌが 原 作 とした アウリケのイピゲネイア は 悲 劇 として 書 かれ もともと 戯 曲 構 造 が 異 なることを 確 認 した ペローがキノーを 擁 護 するように 原 作 のままでは 悲 劇 として 当 代 の 観 客 に 感 動 を 与 えられない 箇 所 が 多 々 存 在 することは 確 かであると 思 われる そのエウ リピデスの 原 作 を 追 いながら 分 析 しているペローの 擁 護 に 対 して この 序 でのラシー ヌは ペローの 擁 護 する 論 点 に 反 論 することなく 一 方 的 にエウリピデスはすべて 正 しい と 全 面 的 に 擁 護 し それを 批 判 する 近 代 派 には 正 面 から 答 える 価 値 もないと 切 り 捨 ててい る このようなラシーヌの 態 度 は 筆 者 としてもペローに 対 して 誠 意 を 欠 いているだけで はなく エウリピデスに 対 する 客 観 性 においても 疑 問 を 覚 えざるを 得 ないと 考 える 第 三 節 ラシーヌの イフィジェニー 序 の 問 題 点 これまで アルセスト に 対 抗 して 書 かれたラシーヌの イフィジェニー を 概 観 し その 序 におけるオペラ 批 判 を 検 討 した フォレスティエが 称 賛 するように この 悲 劇 が 筋 の 展 開 からもたらされる 劇 作 上 の 驚 くべきもの の 概 念 を 用 い 崇 高 さ の 領 域 にまでその 効 果 を 高 めていることは 首 肯 できる しかし 次 の 3 点 に われわれは 問 題 点 を 見 出 した 第 一 にラシーヌが 用 いた 超 自 然 的 な 驚 くべきもの についてである 古 典 悲 劇 では 真 ビ ア ン セ ア ン ス 実 らしさ と 適 切 さ= 節 度 の 規 則 により 舞 台 上 には 機 械 仕 掛 けや 神 々は 登 場 せず 45 Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., p 渡 邊 清 子 前 掲 論 文 8 頁 年 ハーディ(Alexandre Hardy) は アルセストあるいは 貞 節 Alceste ou la Fidélité を 書 いている 127

129 戦 闘 や 流 血 の 場 面 は 避 け 人 間 だけの 舞 台 であることが 要 請 された よってラシーヌは 大 団 円 のディアーヌの 降 臨 や 神 官 カルカスの 神 託 は ユリスの 語 り により 活 写 法 を 用 い 慎 重 に 神 々や 神 官 の 姿 を 隠 している まさにペローがその アルセスト 批 評 で 次 のよう に 言 及 していたことを 思 い 起 こそう 悲 劇 では 驚 くべきものは 節 度 があるなら 認 められます よって 悲 劇 に 超 自 然 的 な 何 かの 出 来 事 を 混 入 せざるを 得 なかったり 何 がしかの 神 々 を 介 入 させ ねばならない 時 そこには 必 然 性 が 見 られるのです 48 この 点 について 2006 年 の 著 作 においてカンツレルは すでに 1660 年 のコルネイユの 三 劇 詩 論 より 古 典 劇 とオペラは 超 自 然 的 な 驚 くべきもの により 分 けられたゆえ ペロー は 古 い 理 論 に 従 っているか 間 違 っていると 指 摘 した 49 しかしラシーヌの 時 代 には 1660 年 には 存 在 しなかったトラジェディ アン ミュジックがあった そのオペラは 従 来 のよう に 宮 廷 の 祝 祭 として 上 演 されたのみならず パリ 市 中 の 王 立 音 楽 アカデミー の 劇 場 で お 金 を 払 った 一 般 観 衆 の 前 に 機 械 仕 掛 けを 用 いて 登 場 し それまでの 古 典 悲 劇 の 人 気 を 超 えるようになった そういうなか 古 典 劇 側 もオペラの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 影 響 が 避 けられない 情 況 があった ラシーヌの イフィジェニー には シェレル 曰 く 超 自 然 的 な 驚 くべきものの 擬 似 合 理 化 により うまく 神 々の 姿 は 隠 されているが 超 自 然 的 な 力 の 人 間 社 会 への 介 入 によって 劇 は 進 行 しているといえよう 超 自 然 的 な 驚 く べきもの は 二 つの 舞 台 の 境 界 を 定 めるというよりも まさにオペラにおける 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 影 響 が 古 典 悲 劇 側 にも 流 れ 込 み 古 典 悲 劇 の 拠 って 立 つ 規 則 そのもの にも 変 革 の 動 きが 表 われていると 思 われる そしてさらに 進 んで 古 典 主 義 規 則 に 縛 られ ない 現 代 の 視 点 から 見 れば ディアーヌの 降 臨 の 場 面 は 措 くとしても 少 なくともカルカ スの 神 が 乗 り 移 ったような 託 宣 の 様 子 は ユリスの 長 口 舌 で 語 られるよりも 舞 台 上 で 見 てみたいと 思 う そして 当 時 に 機 械 仕 掛 けでディアーヌやアポロンを 登 場 させ 戦 闘 や 葬 儀 の 場 面 も 舞 台 に 乗 せる アルセスト があったなら たとえその 悲 劇 が 古 典 主 義 の 規 則 を 逸 脱 しているとしても 人 々がその 舞 台 を 見 てみたいと 考 えるのは 自 然 の 成 り 行 きで はないかと 考 える まさにカンツレルが 述 べるように オペラは 古 典 悲 劇 が 隠 すものを 舞 台 上 で 見 せてしまう 50 のである 第 二 に 古 典 劇 側 からのキノー 批 判 の 主 たる 点 は 古 代 ギリシアのエウリピデスの 筋 を 改 竄 し 台 無 しにしたというものであった しかし ラシーヌ 自 身 エリフィールという もう 一 人 のイフィジェニーを 登 場 させ 彼 女 にアシールへの 恋 慕 とイフィジェニーへの 嫉 妬 という 情 念 を 与 え 身 代 わりに 生 贄 として 殺 し エウリピデスが 採 ったイフィジェニー の 牝 鹿 への 変 身 という 結 末 を 変 更 している エウリピデスの 主 筋 に 副 次 的 なエピソードを 加 え より 構 成 を 複 雑 に 二 重 化 し エリフィールの 恋 という 当 時 の 劇 作 上 の 恋 愛 重 視 の 傾 向 に 従 っているといえよう そしてラシーヌ 自 ら エウリピデスにおける 牝 鹿 への 変 身 を 現 代 では あまりにばかばかしく あまりに 信 じ 難 いものである がゆえに 変 更 したと 述 48 本 論 文 98 頁 参 照 49 本 論 102 頁 参 照 50 本 論 103 頁 参 照 128

130 ビ ア ン セ ア ン ス べる 時 ペローがキノーを 擁 護 して 現 代 の 趣 味 習 慣 に 合 わせ 適 切 さ= 節 度 によっ て 筋 を 変 更 したとすることと 同 じ 視 点 に 立 っていると 思 われる ラシーヌにおいても 当 ビ ア ン セ ア ン ス 時 の 趣 味 習 慣 適 切 さ= 節 度 の 尺 度 からエウリピデスを 変 更 していることは 否 めな い そして 古 代 ギリシアのエウリピデスの アルケスティス 自 体 を 検 討 してみると ラ シーヌはその 悲 劇 性 を 全 面 的 に 称 賛 しているが 当 時 や 今 日 の 倫 理 基 準 から 見 ても サテュ ロス 劇 としては 容 認 できても ペローが 指 摘 するように 悲 劇 としては 容 認 できない 点 があ ることは 確 認 した 第 三 に ペローの アルセスト 批 評 で 提 示 した 問 題 点 に ラシーヌは 正 面 から 答 えて いないという 点 である 前 に 見 たように ペローは 論 の 前 半 ではキノーの 戯 曲 の 変 更 点 を ビ ア ン セ ア ン ス アリストテレス 詩 学 の 筋 の 展 開 による 驚 くべきもの の 観 点 と 当 時 の 適 切 さ= 節 度 への 配 慮 から 擁 護 している そしてそこに 悲 劇 においてその 効 果 が 最 も 求 められる 怖 れ と 憐 れみ の 感 情 が 観 客 に 呼 び 覚 まされるとしている また 論 の 後 半 では 驚 くべきもの によって 演 劇 の 種 類 分 けを 試 みている もちろんこの 序 はラシーヌ 自 身 も 述 べるよ うに 自 作 イフィジェニー についてであり ペローの アルセスト 批 評 が 主 題 ではな い しかしながら ペローの 原 典 の 読 み 間 違 いを 2 点 指 摘 するだけで クインティリアヌ スを 持 ち 出 して ただのオペラ 愛 好 家 が 分 からないことを 軽 々しく 批 評 するな という ような 切 り 捨 て 方 は 誠 意 を 欠 いていると 批 判 されても 致 し 方 ないように 思 われる そこ には 新 興 芸 術 であるトラジェディ アン ミュジックへの 優 越 感 と 侮 蔑 そして 聴 衆 のオ ペラ 人 気 への 苛 立 ちが 見 て 取 れる ラシーヌはコルネイユと 異 なり キノー/リュリと 同 じ 時 代 同 じ 聴 衆 に 向 かって 演 劇 を 書 いていたのだ この 序 が 出 版 されると 侮 辱 を 受 けたペローは 直 ちに 反 駁 を 試 みている このペロー の 反 駁 で アルセスト 論 争 は 一 応 の 決 着 を 見 る 次 章 ではこのペローの 反 駁 と 共 に ア ルセスト 論 争 の 問 題 点 を 纏 めてみる 129

131 第 三 章 ペローの 反 駁 と アルセスト 論 争 の 纏 め ラシーヌの イフィジェニー 序 に 対 して ペローのラシーヌへの 反 駁 はすぐに 行 われた ラシーヌはそれにはもう 答 えず アルセスト 論 争 は 一 応 の 終 わりを 迎 えたが 論 争 自 体 は 近 代 派 ペローと 古 代 派 ラシーヌ ボワローという 構 図 で 新 旧 論 争 へと 引 き 継 がれていく ここではまず ペローのラシーヌへの 反 駁 から 見 てみよう 第 一 節 ペローの 反 駁 ペローは イフィジェニー が 出 版 された 数 週 間 後 アカデミー フランセーズのシャ ルパンティエ 氏 へ ラシーヌ 氏 の イフィジェニー 序 について À M. Charpentier de l Académie françoise, sur la Préface de l Iphigénie de Monsieur Racine という 題 で アカデ ミー フランセーズ 終 身 秘 書 官 シャルパンティエ (François Charpentier) [= 小 アカデミー の 一 員 でもあり ペローの 同 僚 であった] 宛 ての 手 紙 を 書 く 年 ノーマンら アルセスト 論 争 に 関 する 論 考 を 纏 めた 編 集 者 たちは この 手 書 きの 手 紙 は 出 版 された 彼 の 全 集 から は 削 除 されたと 思 われるが 関 心 を 抱 く 集 まりには 出 回 ったであろうし ラシーヌ 自 身 も 読 んだと 思 われると 推 定 している 2 ペローの 友 人 で 宮 廷 筆 頭 画 家 ル ブランは 早 速 そのコ ピーを 手 に 入 れようとシャルパンティエに 頼 んでいる 3 この 手 紙 の 中 で ペローはこう 書 き 出 す 初 めはラシーヌ 氏 の イフィジェニー 序 における 私 に 対 する 名 誉 毀 損 を 無 視 し アルセスト 批 評 に 対 する 異 議 を 検 討 にも 値 し ない 言 いがかりとみなそうと 決 めた が 多 くの 人 々に 悪 い 印 象 を 残 したままには 出 来 ないので 反 論 を 試 みる 4 としている その 反 論 は 前 回 の アルセスト 批 評 と 論 点 におい ては 重 複 する 点 が 多 いが その 要 旨 は 次 の 通 りである 1 Charles Perrault, «À Monsieur Charpentier de l Académie françoise, sur la Préface de l Iphigénie de Monsieur Racine» dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, éd. par William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi, op. cit., pp 上 記 編 者 はこのペローの 本 文 について ペローの 伝 記 を 書 いたボヌフォン が 直 接 資 料 を 見 つけて 取 り 上 げたと 紹 介 している Paul Bonnefon, «Charles Perrault: Essai sur sa vie et ses ouvrages», op. cit., pp ボヌフォンはペローのこの 手 紙 の 抄 録 を 掲 載 し この 返 答 文 はラシーヌ 編 者 が 引 用 したものではなく わたしはただペローの 小 論 集 のなかに 印 刷 されたものを 見 つけたのだ それ は 新 旧 論 争 の 只 中 に 現 われ だぶんまもなく 流 通 の 過 程 で 外 されたものだろう としている なお ボヌ フォンの 言 うラシーヌ 編 者 が 取 り 上 げた 資 料 は 以 下 のピカール 編 に 収 録 されているが 著 者 は 2 兄 のピ エール ペローとされている Raymond Picard, Nouveau corpus racinianum, recueil-inventaire des textes et documents concernant Jean Racine (Paris: Éditions du CNRS, 1976), p William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Introduction» dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, op. cit., p. xxxvii. 3 Ibid., p. xxxvii. not Charles Perrault, «À Monsieur Charpentier de l Académie françoise sur la Préface de l Iphigénie de Monsieur Racine», op., cit., p «J avois resolu de negliger l atteinte que me donne M r. Racine dans la Preface de son Iphigenie, et de regarder les objections qu il fait contre ma Critique de l Opera comme de pures chicanes qui meritent peu d estre examinées. Mais puisque vous jugez que je dois y respondre et que ces objections, toutes mal fondées qu elles sont, ne laissent pas de faire impression sur l esprit de bien des gens: voicy ce que j ay à dire pour ma defense.» 130

132 キノー 氏 が 悲 劇 アルセスト を 書 いた 時 古 代 に 熱 中 するあまり 愛 好 家 の 何 人 か がその 作 品 を 全 面 的 に 非 難 した まずエウリピデスから アドメトスとアルケスティス の 最 も 美 しい 場 面 を 削 除 したと 言 う 非 難 に 関 しては キノー 氏 はエウリピデスのその 場 面 はわれわれの 時 代 の 舞 台 では 美 しい 効 果 を 上 げ 得 ないと 考 えた 上 で アルセストに 夫 の 介 在 なしにその 死 を 決 意 させるためにこの 場 面 を 避 けたのだ その 他 にも 死 に 臨 んだ アルケスティスが 処 女 を 失 った 寝 台 の 上 で 号 泣 する 場 面 や アドメトスがアルケスティ スを 慰 めるため 彼 女 の 等 身 大 の 像 を 作 って 死 後 も 貞 節 を 誓 う 場 面 などは 現 代 ではよ い 効 果 が 得 られないと 考 え エウリピデスの アルケスティス からキノー 氏 がこれら の 場 を 削 除 したことを 私 は 妥 当 とした またアドメトスの 父 親 ぺレスに 対 する 卑 劣 な 会 話 や アドメトスの 従 僕 がヘラクレス の 蛮 行 を 非 難 する 言 葉 などについて キノー 氏 がエウリピデスをそのまま 模 倣 しなかっ たのは われわれの 時 代 の 風 習 に 合 わないからだ 物 事 はそれ 自 体 で 良 いものであるだ けでは 十 分 ではなく その 時 代 場 所 その 人 柄 などに 合 致 していなくてはならない ラシーヌ 氏 が 誤 りを 指 摘 したアルケスティスの 台 詞 について 自 分 が 参 照 した 版 を 挙 げると 以 下 の 二 つである 一 つには 1597 年 のポルテュス 版 (Æmilius Portus: l impression d Hierôme Commelin) 第 二 に 1602 年 のカントリュス 版 (Canterus: l immpression de Paul Estienne) のいずれもギリシア 語 版 であり ラシーヌ 氏 が 指 摘 したようにラテン 語 版 で はない 反 対 の 版 があることは 知 っているが 妻 に 勇 気 を 持 って 死 に 臨 むように 説 得 す るほうがいいと アドメトスに 言 わせている 編 者 もいる エウリピデスでのアドメトスの 言 動 は 破 廉 恥 なもので 自 分 で 死 ねず 妻 を 死 なせたア ドメトスは 卑 怯 者 になっている [= 私 が 参 照 した] 二 人 の 編 者 が 間 違 っており 私 がそ の 版 に 従 ったことは 認 めたにしても 二 人 の 別 れの 場 面 で たとえいくら 優 しい 言 葉 を 続 けてもアドメトスが 妻 の 死 に 同 意 したことは 間 違 いない これは 今 日 観 客 に 石 持 て 追 われる 行 為 であると 思 われる もしラシーヌ 氏 がエウリピデスの 名 声 に 応 え 私 の 批 評 に 対 抗 したいならば アドメ トスのやり 方 が 誠 実 であることを 示 し 今 日 の 慣 習 に 合 致 し われわれの 舞 台 で 美 しい 効 果 を 上 げることを 証 明 しなければならない われわれの 舞 台 では 愛 する 人 のために は 死 んでも 自 分 のために 愛 する 相 手 が 死 ぬことを 望 むような 恋 人 たちを 見 ることは 絶 えてないのだ 次 にアルケスティスを 年 経 た 妻 としたのは 間 違 っているという 指 摘 については 父 親 や 母 親 について 分 別 ある 考 えを 言 える 息 子 がいるという 反 論 が 可 能 である 彼 は 子 供 で はなく 年 若 い 息 子 であるだろう 5 またコロスは アルセストが 年 若 くして 死 んでいく と 歎 くが 四 十 四 十 五 歳 で 死 ぬ 妻 は 若 いと 言 われるであろう 以 上 二 点 によりラシーヌ 氏 は 私 が 重 大 な 過 ちを 犯 したように 非 難 し 他 の 点 は 批 評 するに 値 しないかのように 振 る 舞 われる しかしラシーヌ 氏 が アルケスティスの 新 婚 5 このペローの 指 摘 はエウリピデスでの 母 の 死 に 対 して 残 された 息 子 のエウメロスに 長 い 台 詞 が 与 えら れていることを 指 す 前 に 引 用 した 一 緒 に 老 後 を 迎 えられないとは 父 上 も 甲 斐 のない 結 婚 をされたも のだ というのもその 一 部 である 131

133 の 床 を 思 い 出 して 号 泣 する 様 子 や アドメトスが 自 分 の 代 わりに 死 んでくれる 者 を 求 め て 友 人 から 両 親 妻 へと 渡 り 歩 いたり エルキュールがジュピテルの 息 子 にしては 野 卑 に 描 かれていることなどに 何 も 非 難 を 加 えないのは 興 味 深 いことだ ラシーヌ 氏 は 私 に 二 つの 大 きな 間 違 いを 指 摘 し 私 を 貶 め 親 切 にも 古 代 の 名 作 は 批 評 しないように クインティリアヌスの 格 言 まで 持 ち 出 された それに 答 えるに 私 はキケ ロ (Marcus Tullius Cicero) の 言 葉 で 以 ってする われわれが 作 り 出 した 物 事 において はギリシア 人 たちのそれよりもっとわれわれは 賢 明 であり 彼 らから 受 け 継 いだものに 関 してはわれわれの 仕 事 の 主 題 として 相 応 しいと 判 断 した 時 にそれらによりよい 価 値 を 認 めた そういう 意 見 を 私 はいつも 持 っていた クインティリアヌスとキケロは 幾 分 異 なった 意 見 だ キケロは 雄 弁 家 で 執 政 官 であり 古 代 ギリシアを 讃 える 必 要 もな かった 私 が 自 由 主 義 者 と 思 われるかもしれないが 過 去 の 作 家 たちが 神 聖 不 可 侵 であるとい う 理 由 で 現 代 の 作 家 たちから 同 じ 輝 きを 剥 ぎ 取 るということはできない 現 在 古 代 ギリシアと 同 じくらいに 力 量 のある 作 家 ラシーヌ 氏 を 始 め 五 六 人 の 現 代 の 詩 人 がい る 結 論 から 言 うと ラシーヌ 氏 はエウリピデスの 記 念 を 讃 えるために 何 も 変 えないほう がいいと 提 唱 される 私 の 批 評 の 指 摘 箇 所 にすべて 答 えるのは 容 易 なのに そうしな かった よって 答 えることは 不 可 能 であり 彼 が 弁 護 しなかったことはすべて 彼 によっ て[= 自 分 と 同 じように] 断 罪 されたとみなしてよいであろう 私 が 間 違 っていたと 彼 が 指 摘 した 点 を 除 いて すなわち 私 は 正 統 な 版 を 用 いたが アドメトスとアルケスティス の 台 詞 を 取 り 違 えたことを 除 いて アドメトスは 卑 劣 漢 で キノー 氏 がアルセストを 自 発 的 に 死 なせたことは 正 しかった と 考 える 古 代 や 現 代 の 作 家 への 完 璧 な 知 識 をお 持 ちのあなたに 判 断 をお 願 いする こうペローは 結 んでシャルパンティエに 判 断 を 仰 ぐ ボーサンは このペローの 返 答 は かなり 気 高 いものである 6 と 批 評 する エウリピデスにおけるアドメトスの 行 為 や 人 格 へ のペローの 非 難 は 現 代 でも 通 用 すると 筆 者 には 思 われる ラシーヌは 前 述 したヴァニュクセンらによると 自 ら アルセスト を 書 くつもりであっ たとされる われわれはエウリピデスの 原 作 を 梗 概 から 検 討 し ペローが 批 判 するように 17 世 紀 の 観 客 にはもちろん 今 日 でも 首 を 傾 げざるを 得 ない 風 習 倫 理 観 がそこにはうか がえることを 確 認 した ラシーヌはそれらの 点 について どのように 考 え どのようなア ドメート 像 を 想 定 していたのか 興 味 深 い 点 である ラシーヌの 序 の 後 半 で 行 った アルセスト 批 評 の 批 判 では ペローがエウリピデ ミ ュ ー ト ス スと 比 較 し 丁 寧 にキノーの 筋 書 き の 展 開 を 追 いながら 悲 劇 の 劇 作 上 の 驚 くべきも の について 行 った 数 点 の 考 察 に 対 して 確 かに 正 面 からは 答 えていない ラシーヌはエ ウリピデスの 原 作 には 検 討 を 与 えず そこに 見 られる 問 題 点 には 言 及 しない 6 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p

134 また キノーの 戯 曲 に 観 客 の 予 想 だにしない 急 転 回 や 主 人 公 たちの 高 貴 かつ 悲 壮 な 決 意 から 観 客 が 呼 び 起 こされる 驚 くべきもの の 効 果 をペローが 擁 護 した 点 について ラシーヌは 何 も 反 論 していない ペローがエウリピデスの 難 点 について 私 の 批 評 の 指 摘 箇 所 にすべて 答 えるのは 容 易 なのに そうしなかった よって 答 えることが 不 可 能 であ り 彼 が 弁 護 しなかったことはすべて 彼 によって 断 罪 されたとみなしてよいであろう と 反 駁 するように キノーよりエウリピデスが 優 れている 点 をラシーヌが 指 摘 しなかったの は 事 実 であろう ラシーヌの 態 度 には フォレスティエなど 現 代 のラシーヌ 研 究 者 にも 同 様 の 姿 勢 がうかがわれるが キノーの 戯 曲 に 対 してはまともに 取 り 上 げて 批 評 する 価 値 も ないという 全 く 等 閑 視 した 態 度 が 受 け 取 れる ラシーヌはこの 再 度 のペローの 質 問 状 に 答 えなかった フォレスティエはラシーヌに とって 論 争 はもう 終 わっていたとする 1676 年 彼 の 作 品 集 が 再 版 された 時 も 序 はそのままだった ということは 二 人 の 間 で 論 争 はこれ 以 上 悪 化 しなかったといえると 判 断 する 7 一 方 ノーマンは ラシーヌが 答 えなかったのは ペローの 指 摘 つまり 原 作 を 現 在 の 趣 味 に 合 わせてキノーが 変 更 したとするペローの 擁 護 を 暗 黙 のうちに 認 めていたか らではないかと 推 量 する 小 倉 も 古 代 作 家 にたいする 評 価 のちがいにもかかわらず 同 時 代 人 の 感 性 を 尊 重 しなければならないという 点 では 両 者 の 考 えが 一 致 している 8 と 判 断 する 戸 張 も 前 述 したように ラシーヌ 自 身 は 論 壇 を 意 識 する 限 り ギリシア 的 主 題 を つねにフランス 的 な 構 成 につつんだ と 評 した 確 かにペローの 指 摘 は 17 世 紀 の 観 客 の 反 応 を 考 慮 に 入 れれば 納 得 できるものだと 考 え られる 前 述 したようにコルネイユも 1659 年 エディップ で 古 代 ギリシアの 原 作 を 当 時 の 趣 味 に 合 わせ 現 代 ではおぞましく 思 われる 場 面 を 削 除 し 恋 愛 や 幸 福 のエピソー ドを 付 け 加 えることの 正 当 性 を 主 張 している 1951 年 の 著 作 でブレは この エディップ の 例 を 引 きながら 古 代 の 戯 曲 をそのまま 17 世 紀 の 舞 台 に 乗 せることへの 限 界 について 述 べている 世 紀 が 進 むに 連 れて フランスの 趣 味 は 古 代 の 趣 味 から 遠 ざかる [ ]その 差 異 につ いての 証 拠 となるテクストの 大 部 分 は 1660 年 代 から 1670 年 代 周 辺 にある [ ]ペロー と 近 代 派 はそこに 彼 らのもっとも 重 要 な 論 拠 を 見 つけた それに 対 峙 してボワローと その 仲 間 たちは 趣 味 の 違 いに 対 しては 口 を 閉 ざした [ ]つまるところ その 点 では 双 方 とも 相 違 はなく 近 代 派 も 古 代 派 も 自 分 たちの 先 任 者 たちと 共 に ソポクレスの 悲 劇 やホメロスの 叙 事 詩 をルイ 14 世 統 治 の 下 にそのまま 模 倣 することで 起 きるであ ろう 趣 味 の 間 違 いを 排 除 することに 関 しては 合 意 に 至 っていたのだ 9 以 上 のようにブレは ペローら 近 代 派 とボワロー ラシーヌら 古 代 派 の 当 代 の 趣 味 に 7 Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., p 小 倉 博 孝 前 掲 論 文 93 頁 9 René Bray, La Formation de la doctrine classique en France, 1 ère éd. Paris, 1927 (Paris: Nizet, 1966), p

135 合 わせて 古 代 の 戯 曲 を 変 更 することへの 合 意 について 言 及 する そして ラシーヌがペローの 反 論 になんら 応 えなかった 要 因 の 一 つには アルセスト 論 争 後 すぐに 王 の 計 らいでキノーがオペラの 諮 問 機 関 小 アカデミー の 一 員 になっ たことも 関 係 があるのではないかと 筆 者 は 考 える 第 二 節 古 典 悲 劇 の 変 容 これまで 見 たように イフィジェニー では ディアーヌの 神 託 という 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 要 素 がなくては 劇 の 進 行 は 成 り 立 たない ラシーヌは 機 械 仕 掛 けを 用 いな かったことを 誇 るが ディアーヌの 例 を 挙 げればその 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は ロ トルーのように 機 械 仕 掛 けで 介 入 するか ラシーヌのように 他 のものの 口 から 告 げられる かの 相 違 として 表 われると 思 われる 古 典 悲 劇 はそれまで 機 械 仕 掛 けを 排 し 舞 台 の 簡 素 化 を 目 指 し 真 実 らしさ を 第 一 条 件 とし 人 間 だけが 登 場 する 筋 の 展 開 による 驚 くべきもの の 崇 高 さを 求 めて 純 化 の ビ ア ン セ ア ン ス 過 程 を 辿 ってきた しかし 三 単 一 の 原 則 や 真 実 らしさ 適 切 さ= 節 度 必 然 性 などその 準 拠 すべき 規 則 の 厳 密 性 がかえって それ 以 上 の 古 典 悲 劇 の 進 展 を 妨 げてきたと もいえないであろうか 戸 張 は 古 典 主 義 と 古 典 悲 劇 の 関 係 について 次 のように 述 べる フランス 悲 劇 は 1640 年 代 のピエール コルネイユの 作 品 および 1670 年 代 のラシー ヌの 作 品 の 権 威 の 上 に 立 てられた 古 典 主 義 によって 固 定 化 され 悲 劇 作 家 は 束 縛 され ジャンルの 技 術 的 な 革 新 を 企 てることは 不 可 能 になった [ ]フランス 悲 劇 は 人 文 主 義 によって 啓 示 された 古 代 劇 を 理 想 像 とし それを 核 心 として 自 己 閉 鎖 的 な 演 劇 形 態 をつくりあげたのであって ジャンルとして 重 層 的 な 発 展 を 示 すこと はなかった 10 換 言 するならば ギリシア 悲 劇 の 伝 統 を 離 れたとき ジャンルとして フランス 悲 劇 が 成 立 しえなかったことは 演 劇 史 上 の 事 実 である そしてこう 続 ける [=ラシーヌ 以 後 ]17 世 紀 末 から 18 世 紀 にかけては 悲 劇 の 衰 退 期 であった [ ]しか し よく 言 われるように オペラの 流 行 が 悲 劇 の 上 演 そのものを 圧 迫 したのではな く [ ] 旧 作 の 再 演 が 多 く 成 功 をかちうる 新 作 に 乏 しかったのである 11 戸 張 にとって 悲 劇 の 衰 退 は 直 接 的 にはオペラの 流 行 とは 関 係 がない 17 世 紀 後 半 ラ 12 シーヌ 後 の 悲 劇 の 凋 落 についてはランカスターも 日 没 の 時 代 と 言 及 している しかし そこに 同 時 代 を 争 い 古 典 主 義 の 規 則 を 逸 脱 したオペラの 影 響 がなかったとは 言 い 切 れな いと 考 える 10 戸 張 智 雄 前 掲 書 5 6 頁 11 同 上 10 頁 12 Henry Carrington Lancaster, «Introduction» in Sunset, A history of Parisian drama in the last years of Louis XIV: (Baltimore: The John Hopkins Press, 1945), p

136 この イフィジェニー ではそれまでのラシーヌが 主 題 として 来 た 人 間 同 士 の 葛 藤 から もたらされる 悲 劇 と 異 なり トラジェディ アン ミュジックが 得 意 とする 古 代 神 話 から 題 材 が 採 られている そこには 登 場 人 物 の 多 さ エリフィールの 恋 というエピソードを 交 えた 複 雑 な 筋 の 展 開 そしてアシールとイフィジェニーという 主 役 二 人 の 恋 の 成 就 のハッ ピー エンドの 結 末 といい キノーのオペラの 影 響 は 否 めない イフィジェニー の 戯 曲 構 成 は 戸 張 も 述 べるように 古 典 悲 劇 で 要 請 された 単 純 なる 筋 と 恋 愛 のない 悲 劇 からは かなり 遠 いといえるであろう 年 の 著 作 でブリュヌティエールは 古 典 劇 の 立 場 から イフィジェニー における ラシーヌ 戯 曲 の 変 容 について 同 時 代 に 人 気 を 誇 ったキノーのオペラへの ラシーヌの 対 抗 心 を 読 み 取 っている ラシーヌはその 後 1677 年 1 月 上 演 の フェードル Phèdre にお いてもエウリピデスに 基 づき ネプテューヌによるイッポリートの 死 という 超 自 然 的 な 驚 くべきもの により 大 団 円 を 結 んでいる ブリュヌティエールはそこにキノーのオペラ 戯 曲 の 影 響 を 見 た ラシーヌにはキノーのスキャンダラスな 成 功 によって 憤 慨 が 募 り キノーをあるべき 地 位 に 置 き 直 し 聴 衆 に 真 実 を 知 らしめ 古 代 を 正 しくその 時 代 に 置 きたいという 誘 惑 が 起 きたのは 自 然 のことではないだろうか / 残 念 ながらそれに 成 功 するには 自 分 のライヴァルから 彼 が 乱 用 した 度 を 越 えた 技 巧 のいくつかを 借 用 してこなければ ならなかった キノーの 神 話 的 道 具 を その 豪 奢 な 驚 くべきもの [= 超 自 然 的 な] を その 軟 弱 な 優 雅 さとその 様 式 の 流 動 性 を 14 ブリュヌティエールはこのように イフィジェニー の 次 作 フェードル におけるオ ペラの 影 響 を 指 摘 する そして もしラシーヌが 舞 台 作 品 を 書 き 続 けていたら 必 ずやキ ノーからその 要 素 をもっと 借 りてきたであろう そして エステル や アタリー 15 の 合 唱 が 恩 恵 を 受 けているのはキノーからではないと 言 えるだろうか 16 と 疑 問 を 投 げか けている こうして 見 ると ラシーヌは 古 代 戯 曲 を 理 想 として 擁 護 しながらも やはり 時 代 の 観 客 の 趣 味 を 満 足 させることのあいだに 平 衡 を 見 出 そうとしていたと 言 えるであろう そして 1677 年 ボワローと 共 に 王 の 修 史 官 に 任 命 された 後 劇 作 を 断 念 する ラシーヌが 筆 を 折 った 後 その 後 を 継 いでギリシア 的 主 題 で 悲 劇 を 書 いたラ シャペル (Jean de La Chapelle) はその 戯 曲 テレフォント Téléphonte 序 でこう 述 べる 悲 劇 において 観 客 に 驚 き/ 称 賛 l admiration をあたえる 必 要 があるならば そこ には 驚 くべき merveilleux 何 かを 持 つ 出 来 事 を 置 かねばならない [...] 良 識 に 反 しない 限 り 驚 くべきもの le Merveilleux を 悲 劇 から 追 放 してはならないと 私 が 証 明 13 戸 張 智 雄 前 掲 書 148 頁 14 Ferdinand Brunetière, Les Époques du Théâtre français ( ), op. cit., pp 作 とも 後 のラシーヌの 合 唱 付 きの 音 楽 劇 次 章 第 一 節 参 照 16 Ferdinand Brunetière, op. cit., pp

137 しようとしていることは 当 然 のことである 17 ラ シャペルはここで われわれが 定 義 した 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 を 使 ってい ることに 注 意 しよう 悲 劇 の 要 素 としての 筋 の 展 開 からもたらされる 驚 き/ 称 賛 l admiration と 超 自 然 的 な 出 来 事 からもたらされる 驚 くべきもの le Merveilleux の 二 つ の 概 念 を 用 い いずれも 悲 劇 には 必 要 な 要 素 としている そこには 従 来 悲 劇 において 排 除 されてきた 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 を 認 めようとする 態 度 が 見 て 取 れる 戸 張 はこのラ シャペルの 言 説 について それは 古 典 主 義 理 論 のあまりに 厳 しい 真 実 らし さ の 原 則 を 乗 り 越 える 態 度 であると 評 する 18 そして ラシーヌが 自 らの 聖 域 に 閉 じこもったまま 筆 を 折 り 悲 劇 の 伝 統 を 伝 えなかっ たことについて 次 のように 批 判 する [...]たとえ ギリシア 古 典 からつたわる 悲 劇 の 理 念 を ラシーヌがつかんでいて その 承 継 者 として 自 覚 していたとみとめても ラシーヌがこの 理 念 を 体 系 化 し さら につぎの 世 代 に 継 承 させる 考 えは 全 然 なかったとせざるをえない ひとりの 劇 作 家 として ラシーヌのヘレニズムの 本 質 は きわめて 閉 鎖 的 であり あくまでもギリシ ア 悲 劇 の 伝 統 をひとりで 占 有 し 劇 壇 における 地 位 をきづきあげるための 武 器 とし さらにひとたび 劇 壇 を 去 ったあとは その 伝 統 の 維 持 にきわめて 冷 淡 である 19 こうして 古 典 悲 劇 はラシーヌの 後 ランカスター 曰 く 日 没 の 時 代 を 迎 える そして 戸 張 が 述 べるようにラシーヌは 自 らの 古 代 ギリシアに 関 するヘレニズム 文 化 の 伝 統 に 対 し て 理 論 化 を 行 わなかった 一 方 で 古 代 ギリシア 神 話 を 主 題 としたオペラに 対 する 関 心 は 失 っていなかった ラシーヌ 自 身 イフィジェニー の 後 も 自 ら 望 んだかどうかは 別 とし て ラ フォンテーヌやボワロー 等 と 何 度 かオペラの 創 作 を 試 みている ラシーヌはキノーのオペラを 意 識 し 対 抗 心 を 燃 やす 反 面 むしろ 当 のオペラ 美 学 によっ てラシーヌ 自 身 の 劇 作 術 に 揺 らぎ が 生 じていたことが 読 み 取 れると 思 われる 第 三 節 当 時 のオペラの 人 気 アルセスト 論 争 はキノー 一 人 に 向 けられた 文 学 論 争 だったが 彼 は 何 も 言 い 返 しは しなかった 彼 はこの 嵐 に 背 を 向 け いつものように 微 笑 をやめず 礼 儀 正 しかったと 伝 えられている 20 一 時 は アルセスト に 懐 疑 的 だったセヴィニエ 夫 人 は 最 初 のリハー サル 時 の 感 動 に 戻 った 彼 女 は アルセスト のエールが 裏 通 りの 至 るところ 台 所 ポン 17 Jean de La Chapelle, «Préface de Téléphonte» (Paris: S. l. n. d., 1682), Catalogue en ligne de la Bibliothèque Nationale de France. «S il faut donner de l admiration dans la Tragédie, il y faut mettre des événements qui ayent quelque chose de merveilleux; [...] Ce n est pas sans raison que je tâche de prouver que le Merveilleux, pourvu qu il ne blesse point le bon sens, ne doit pas estre banny de la Tragédie.» 18 戸 張 智 雄 前 掲 書 153 頁 19 戸 張 智 雄 前 掲 書 1967 年 167 頁 20 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p

138 =ヌフの 橋 の 上 でも 歌 われたと 教 えてくれる 21 オペラは 次 第 に 聴 衆 の 人 気 を 獲 得 してい く アルセスト に 続 いてキノー/リュリは 毎 年 オペラの 新 作 を 上 演 したが それらは 宮 廷 や 町 中 の 熱 狂 を 集 めた ボワローやラシーヌと 共 に 崇 高 な 部 屋 22 の 常 連 であったセ ヴィニエ 夫 人 は91 回 リュリのオペラに 言 及 し そのうち 46 回 はキノーの 台 本 を 引 用 する 一 方 でセヴィニエ 夫 人 はラシーヌについては 74 回 書 いている 23 ラシーヌ 研 究 家 のピカールによると オペラ 上 演 は 12 ヶ 月 ものロングランが 続 き 大 人 気 であったが ラシーヌ 劇 は 大 成 功 の 劇 でも 3 ヶ 月 以 上 は 続 かなかったとされる 24 またノー マンによるとオペラは 1 シーズンに 150 回 週 3 回 ペースで 50 週 間 上 演 された 一 方 ラシー ヌ 劇 は 多 くても 30 回 17 世 紀 最 も 成 功 したトマ コルネイユの 1656 年 ティモクラート Timocrate でも 80 回 に 過 ぎなかった 25 当 時 のオペラの 人 気 については 同 時 代 いくつもの 証 言 が 残 っている 古 典 主 義 の 規 則 が 当 時 の 演 劇 界 を 支 配 していたとしても 聴 衆 の 人 気 はむしろ 演 劇 よりもオペラにあった この 人 気 は 当 然 ラシーヌ ボワロー ラ フォンテーヌらの 嫉 妬 を 買 ったであろう ラ フォンテーヌは ド ニエール 氏 宛 のオペラに 関 する 手 紙 A. M. de Niert sur l opéra で 誰 も 舞 踏 会 に 行 かないし [=セーヌ 河 畔 の 王 妃 の 散 歩 道 への] 散 策 にも もはや 出 かけな い 冬 も 夏 も 春 も 要 するにいつもオペラだ 26 と 皮 肉 っている 同 じく 古 典 劇 擁 護 の 立 場 から 1677 年 サン=テヴルモンは オペラについて バッキンガム 公 爵 に 宛 てた 手 紙 Sur les Opéra, À Monsieur le duc de Bouquinquant 27 の 中 でこう 歎 いている 人 々が オペラ に 熱 中 することで 私 が 一 番 憤 慨 していることは われわれにとっ て 一 番 美 しく 魂 を 昇 華 するのに 最 も 相 応 しく 最 も 精 神 を 作 り 上 げてくれる 悲 劇 をオペラは 損 なってしまうだろうということです 28 彼 は 1676 年 喜 劇 オペラ Les Opera において キノー/リュリのオペラに 熱 中 した 娘 が 音 楽 でしか 会 話 をせず 両 親 を 失 望 させるという 筋 書 きの 作 品 を 書 いている 一 方 でキ ノーとリュリの 才 能 は 褒 めている しかしながら 同 時 に リュリしか 不 備 な 主 題 をこのようにうまく 扱 うことはできな 21 Ibid., p 崇 高 な 部 屋 Chambre sublime :1674 年 のボワローの 伝 ロンギノス 訳 崇 高 論 Traité du Sublime よ り 名 づけられた 1675 年 ティアンジュ 夫 人 が ルイ 14 世 とモンテスパン 夫 人 との 間 の 子 息 で 5 歳 の 甥 メー ヌ 公 のために 作 った 部 屋 の 名 で ボワローやラシーヌらは 定 期 的 に 集 った 23 Buford Norman, Quinault, Librettiste des Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p Raymond Picard, La Carrière de Jean Racine (Paris: Gallimard, 1956), p Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p Jean de La Fontaine, «A. M. de Niert sur l opéra» dans Œuvres diverses, éd. Pierre Clarac (Paris: Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade, 1958), p «On ne va plus au bal, on ne va plus au Cours : / Hiver, été, printemps, bref, opéra toujours;» 27 Saint-Évremend, «Sur les Opéra, À Monsieur le duc de Bouquinquant» dans Œuvres en prose, t ère éd. 1684, éd. René Ternois (Paris: Didier, ), pp Ibid., p «Ce qui me fâche le plus de l entêtement où l on est pour l Opera, c est qu il va ruïner la Tragedie, qui est la plus belle chose que nous ayons, la plus propre à élever l ame et la plus capable de former l esprit.» 137

139 いし キノーのように 要 請 されたことに 容 易 に 応 えられる 者 はいないと 認 めざるを 得 ないでしょう 29 前 述 したラパンもサン=テヴルモンと 同 じようにオペラが 悲 劇 と 銘 打 っていることで 語 られる 悲 劇 が 影 響 を 受 けないか 心 配 する オペラのファンタジーには 人 々はしかも 大 半 の 礼 儀 をわきまえた 人 々に 至 るまで 夢 中 になるに 任 せているが もし 悲 劇 の 精 神 に 栄 誉 を 与 え 報 うようにしなければ やがてその 精 神 に 気 力 を 失 わせるようになるであろう 30 これらの 証 言 が 明 らかにするように ラシーヌがキノーのトラジェディ アン ミュジッ クに 対 する 聴 衆 の 関 心 の 高 さを 理 解 し その 人 気 に 自 分 の 作 品 が 立 ち 向 かうことに 非 常 な 努 力 と 敵 愾 心 を 掻 き 立 てられたことは 想 像 できる 彼 は イフィジェニー や フェード ル でトラジェディ アン ミュジックに 対 抗 して 古 代 エウリピデスを 原 作 に 古 典 悲 劇 の 舞 台 上 では 姿 を 現 わすことが 禁 止 されていた 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 を 活 写 法 で 隠 しながらも 使 用 した そのことで 古 典 悲 劇 研 究 家 の 間 でも 前 述 したシェレルやブ リュヌティエールなど ラシーヌの 作 劇 概 念 の 変 節 を 指 摘 する 論 者 もいる しかしながら その 二 つの 作 品 は 今 日 でもラシーヌの 最 高 傑 作 であることに 異 論 はないであろう こうして 自 ら 自 信 を 持 って 臨 んだ 悲 劇 も 人 気 の 点 においてはキノー/リュリのトラ ジェディ アン ミュジックには 適 わなかった そしてヴァニュクセンやノーマンの 論 考 を 読 むと 17 世 紀 当 時 のオペラの 人 気 が フェードル の 後 ラシーヌが 戯 曲 作 品 の 筆 を 折 った 原 因 の 一 つと 考 えることも 可 能 だと 思 われる ラシーヌ 以 後 17 世 紀 末 から 18 世 紀 にかけて トラジェディ アン ミュジックはカンプ ラ (André Campra) やラモー (Jean Philippe Rameau) に 引 き 継 がれ 新 作 上 演 を 繰 り 返 した が 古 典 悲 劇 はむしろ 衰 退 期 であり 日 没 の 時 代 を 迎 え ラシーヌを 超 える 悲 劇 詩 人 は 出 現 しなかったといえるであろう 第 四 節 アルセスト 論 争 の 纏 めと 問 題 点 アルセスト 論 争 は ペローによる 1674 年 の アルセスト 批 評 翌 1675 年 のラシー ヌによる イフィジェニー 序 でのペロー 批 判 同 年 それに 対 するペローの 反 駁 で 一 応 決 着 がついた しかしながらこの 論 争 は 次 章 でみる 近 代 派 ペローと 古 代 派 ボワロー ラ シーヌらによる 新 旧 論 争 へと 引 き 継 がれていく ボーサンは 前 述 したように アルセ スト 論 争 はキノー 戯 曲 を 巡 る 文 学 論 争 であり トラジェディ アン ミュジックと 古 典 悲 劇 との 間 の 論 争 であったが 17 世 紀 の 文 学 と 共 に 芸 術 精 神 構 造 歴 史 を 理 解 する 上 29 Ibid., p «Mais il faut avoüer en même temps que personne ne travaillera si bien que Lulli sur un sujet mal conçu, et qu il n est pas aisé de faire mieux que Quinaut(sic), en ce qu on exige de lui.» 30 René Rapin, Les Réflexions sur la poétique et sur les ouvrages des poètes anciens et modernes (1684), 1 ère éd (Paris: Champion Classiques, 2011), chapitre XXIII, pp 本 論 79 頁 註 49 参 照 138

140 で 最 も 基 本 的 な 問 題 点 に 触 れ 当 時 の 趣 味 や 社 会 的 位 置 が 良 く 分 かると 述 べた 筆 者 はそ の 論 点 を 首 肯 できるものと 考 え アルセスト 論 争 において ペローによるキノー ア ルセスト 戯 曲 擁 護 と ラシーヌによる イフィジェニー 上 演 を 検 討 し また アルセ スト 論 争 時 の 社 会 状 況 をも 加 味 しながら 考 察 してきた そして 筆 者 は 次 の 五 点 から ア ルセスト 論 争 が 提 起 した 問 題 点 を 纏 めてみたい 第 一 に ペローが アルセスト 批 評 の 最 初 に 言 及 した 陰 謀 についてである トラ ジェディ アン ミュジックの 宮 廷 や 市 中 の 王 立 音 楽 アカデミー における 人 気 から キノーは 戯 曲 家 としての 名 声 とともに 経 済 的 にも 利 益 を 受 けることになった 当 時 の 古 典 劇 作 家 にとって キノーを 失 脚 させ その 位 置 に 成 り 代 わりたいという 願 望 が 起 きたの は 自 然 の 成 り 行 きであった その 動 きを 裏 付 けるように ラシーヌやボワロー ラ フォン テーヌたちにより モンテスパン 夫 人 を 後 ろ 盾 にキノー 失 脚 の 陰 謀 が 図 られた 宮 廷 の 中 枢 にいたペローはその 陰 謀 をいちはやく 察 知 できる 地 位 にあり モンテスパン 夫 人 やラシーヌの 動 きに 先 手 をかけるようにペローの アルセスト 批 評 が 書 かれたと 思 わ れる 第 二 に 劇 作 法 における 当 時 の 趣 味 と 古 代 のそれとの 違 いをペローが 指 摘 した 点 である エウリピデスの 原 作 は 前 述 したように 五 日 間 のディオニューシア 祭 においてサテュロス 劇 として 上 演 されたと 思 われる そして 逸 身 も 指 摘 するように 31 観 客 は 男 性 に 限 られて ビ ア ン セ ア ン ス いた よって 17 世 紀 の 女 性 観 客 の 目 からすると 適 切 さ= 節 度 において 容 認 できな い 礼 節 や 表 現 方 法 が 見 られる それに 比 して 17 世 紀 トラジェディ アン ミュジック 上 演 時 には 人 々の 風 俗 慣 習 は 異 なっていた 17 世 紀 にはサロン 文 学 が 花 開 き 中 世 の 騎 士 道 精 神 に 則 り 女 性 に 対 する 崇 拝 や 献 身 が 美 徳 とされる いわゆるギャラントリーな 美 学 が 隆 盛 を 誇 り オペラ 観 劇 には 多 くの 女 性 客 が 詰 めかけ 彼 女 たちの 評 価 が 考 慮 に 入 れられ た よってコルネイユの 例 にも 見 られるように エディップ においては 女 性 客 のため に 原 作 のおぞましい 描 写 場 面 を 削 除 し 幸 福 な 恋 愛 場 面 を 付 け 足 した ペローは エウリ ピデスでの 自 分 の 代 わりに 妻 を 死 なせるアドメトスの 行 為 は 今 日 観 客 に 石 持 て 追 われ る 行 為 である と 断 罪 する 当 世 では 愛 する 人 のためには 死 んでも 自 分 のために 愛 す る 相 手 が 死 ぬことを 望 むような 恋 人 たちを 見 ることは 絶 えてない のだ このようにキノー ビ ア ン セ ア ン ス の 戯 曲 変 更 を 当 時 の 慣 習 に 合 致 した 適 切 さ= 節 度 の 点 から 擁 護 するペローに 対 して ラシーヌはエウリピデスの 原 作 を 詳 細 に 検 討 することなく ペローが 提 示 した 原 作 が 抱 え る 問 題 点 には 答 えていない ラシーヌは パリの 趣 味 は 古 代 アテネのそれと 同 じというこ とを 見 出 した と 断 定 する しかし 彼 も パリと 古 代 アテネの 趣 味 の 相 違 を 認 識 していた からこそ エウリピデスによるイフィジェニーの 牝 鹿 への 変 身 をばかばかしいと 退 け さ らに 絡 み 合 った 二 重 の 恋 愛 の 筋 書 きを 付 け 加 えたと 思 われる 第 三 に 演 劇 美 学 の 点 からペローが 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 を 用 い トラジェディ アン ミュジックを 擁 護 している 点 である まず 観 客 の 予 想 を 超 えた 筋 書 きの 展 開 から もたらされる 悲 劇 の 作 劇 要 素 として 驚 くべきもの の 観 点 からペローは 検 討 を 試 みてい る アリストテレス 詩 学 のタウマストンに 基 づき 17 世 紀 前 半 にシャプランが 定 義 し た 驚 くべきもの については オペラの 戯 曲 に 関 してはこれまであまり 論 及 されていな 31 本 論 53 頁 参 照 139

141 い また このペローとシャプラン 二 人 の 密 接 な 関 連 性 についてもこれまであまり 触 れら れてこなかった しかし ペローはシャプランとは 小 アカデミー でその 片 腕 となり アカデミー フランセーズ ではシャプランの 後 を 継 いで 辞 典 の 編 集 に 関 わり 緊 密 な 関 係 を 結 んできた このようにペローはシャプランとの 厚 い 信 頼 関 係 を 築 いてきた 経 緯 からその 演 劇 美 学 において シャプランの 驚 くべきもの の 定 義 を 踏 襲 していると 言 えるであろう そして そのことは 前 述 したように ペローが 編 纂 に 深 く 関 わった 辞 典 における 驚 くべきもの の 定 義 からもうかがえると 考 える 第 四 に ペローはもう 一 つの 超 自 然 的 な 神 々が 機 械 仕 掛 けで 登 場 する 驚 くべきもの の 概 念 から オペラを 擁 護 している 点 である ペローは 機 械 仕 掛 けによる 超 自 然 的 な 驚 くべきもの について ホラティウスの 時 代 にはオペラはなかったので その 規 則 に 従 うことはできない とし オペラには 古 代 よりの 規 則 からの 逸 脱 性 が 認 められ この 逸 脱 性 こそがオペラの 革 新 性 であると 主 張 した この 主 張 はオペラの 諮 問 機 関 小 アカデミー の 一 員 としてのペローの 地 位 から 来 るものであった 小 アカデミー には ルイ 14 世 時 代 の 栄 光 と 繁 栄 を 古 代 ギリシアのオリンポス 神 話 によって 象 徴 的 に 表 象 するという 政 治 的 意 図 があった 古 代 のエウリピデス 時 代 においては オリンポスの 神 々の 存 在 は 人 々に 信 じられていたが 17 世 紀 キリスト 教 が 支 配 する 社 会 において 人 々はもはやその 神 々を 信 仰 の 対 象 としてではなく アポロンやジュピテルに 王 権 の 象 徴 としての 寓 意 を 読 み 取 った よってペローは 機 械 仕 掛 けで 登 場 する 古 代 神 話 の 神 々を 用 いるトラジェディ アン ミュ ジック アルセスト を 擁 護 した 第 五 として 上 記 のようなペローの 擁 護 に 対 してラシーヌは 同 じくエウリピデスの 原 作 に 基 づいた イフィジェニー において 人 間 同 士 の 筋 書 きの 展 開 から 劇 を 解 決 したこ とを 誇 る しかしながら 彼 は エウリピデスの 時 代 に 用 いられた 機 械 仕 掛 けの 神 々の 登 場 や 変 身 は 今 日 ではばかばかしくて 信 じられない とする 点 で 古 代 と 17 世 紀 の 人 々の 古 代 神 話 に 対 する 認 識 の 差 異 を 意 識 していたのであり またその イフィジェニー には 機 械 仕 掛 けや 変 身 こそ 用 いられていないが 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 は 用 いられ ていた 1660 年 いまだトラジェディ アン ミュジックの 成 立 以 前 においては コルネ イユによって 音 楽 劇 と 語 られる 劇 との 間 を 分 ける 指 標 となった 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 は 1674 年 以 降 のラシーヌの 作 品 からうかがえるように トラジェディ アン ミュ ジックの 流 行 によって 語 られる 古 典 劇 側 の 作 劇 法 にも 変 容 を 与 えた 超 自 然 的 な 驚 くべ きもの の 概 念 はオペラと 古 典 劇 両 者 を 分 かつものではなく むしろ 互 いにその 作 劇 法 の 一 つの 要 素 となっていったことが 確 認 された 以 上 が アルセスト 論 争 で 確 認 できた 問 題 点 である しかし 論 争 はここで 決 着 した わけではなく むしろそれは 続 いて 起 きた 新 旧 論 争 の 発 端 となり 先 まで 広 く 論 戦 は 展 開 していく 次 章 では アルセスト 論 争 後 の 新 旧 論 争 の 広 がりをオペラの 成 立 に 限 って 検 討 する なぜなら アルセスト 論 争 後 トラジェディ アン ミュジックは ますますその 隆 盛 を 誇 り 途 中 イジス によるキノー 失 脚 という 事 件 を 乗 り 越 えて リュ リは 1687 年 遺 作 となった アシールとポリクセーヌ Achille et Polyxène まで 12 作 もの 作 品 を 上 演 した リュリの 計 14 作 のトラジェディ アン ミュジックのうち 11 作 にお いてキノーが 戯 曲 を 担 当 した このようなオペラ 隆 盛 の 中 で ペローはオペラが 用 いる 機 140

142 械 仕 掛 けで 表 象 される 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 正 当 性 を 探 そうと 努 力 を 続 けていた 1674 年 の アルセスト 批 評 では キノーの 劇 作 術 と 同 じくその 美 学 は 不 十 分 であった キノーの 劇 作 術 において アルセスト で 用 いられた 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は い まだ 人 間 関 係 の 悲 劇 を 直 接 担 うのではなく 別 世 界 に 住 む 神 として 人 間 の 情 念 からは 隔 離 され 時 には 人 間 にとって 不 条 理 とも 思 えるやり 方 で 人 間 社 会 に 介 入 した しかし アル セスト 批 評 でペローが オペラには 驚 くべきもの しかない という 時 その 視 線 の 先 には 新 しいオペラの 革 新 的 な 美 学 が 模 索 されていたといえよう 従 来 の 古 典 悲 劇 を 超 え より 古 代 悲 劇 に 近 く しかも 王 権 の 表 象 を 担 い 観 客 の 驚 き/ 称 賛 により 訴 えるオペ ラの 美 学 機 械 仕 掛 け の 超 自 然 的 な 驚 くべきもの と 従 来 のアリストテレス 以 来 の 筋 の 展 開 による 驚 くべきもの との 融 合 された 形 式 を 求 め それが 進 歩 の 概 念 と 一 致 す ることを 示 そうとした ペローの 主 張 するその 進 歩 の 概 念 は 次 の 最 終 章 で 検 討 する 新 旧 論 争 で 見 られると 思 われる そしてペローが 目 指 したオペラ 美 学 は キノー/リュ リの 最 後 のオペラ アルミード において 実 現 された 世 界 であった 141

143 第 四 章 ペローとラシーヌ/ボワローとの 新 旧 論 争 および アルミード アルセスト 上 演 で 起 きたペロー 兄 弟 の 指 摘 する 陰 謀 は やがて 1677 年 イジス Isis におけるキノーの 失 脚 という 具 体 的 な 成 果 をもたらすことになった そして 古 代 派 を 標 榜 するラシーヌとボワローの 二 人 はキノーに 代 わってオペラの 戯 曲 を 書 く 意 図 があっ たと 思 われる キノーが 復 帰 して 再 びトラジェディ アン ミュジックの 戯 曲 を 書 き その 最 終 目 的 地 点 に 辿 り 着 くには この 古 代 を 崇 敬 し 古 典 劇 擁 護 を 代 弁 する 二 人 を 自 身 のオ ペラ 戯 曲 によって 凌 駕 する 必 要 があったと 思 われる 第 一 節 アルセスト 論 争 後 のラシーヌのオペラの 試 み エステル と アタリー イフィジェニー の 成 功 は ラシーヌ 研 究 家 たちが 称 賛 するほどにはキノーを 落 ち 込 ませもしなかったし トラジェディ アン ミュジックの 人 気 に 陰 りが 出 たわけでもなかっ た リュリとキノーは 翌 1675 年 テゼーThésée 1676 年 アティス Atys と 次 々にト ラジェディ アン ミュジックを 初 演 していった ルイ 14 世 はパリ 市 中 の 王 立 音 楽 アカ デミー で 上 演 された アルセスト の 騒 動 に 懲 りて 以 後 オペラは 自 分 の 御 前 で 初 演 す る よ う に 決 め た そ れ は セ ー ヌ 川 岸 辺 の 古 い 城 館 サ ン = ジ ェ ル マ ン = ア ン = レ (Saint-Germain-en-Laye) 宮 殿 のバレエの 間 でカーニヴァル 期 間 中 に 初 演 されることになっ た 1677 年 1 月 同 じくサン=ジェルマン=アン=レで 初 演 された イジス の 上 演 自 体 は 成 功 したが モンテスパン 夫 人 たちはついにこのオペラでキノーの 失 脚 に 成 功 する モン テスパン 夫 人 は 1674 年 以 来 ルイ 14 世 のお 気 に 入 りであったマリー=イザベル ド リュー ドル (Marie-Isabelle de Ludre) をイオに 見 立 て 彼 女 を 嫉 妬 で 苛 むジュノンを 自 分 に 擬 した とキノーの 台 本 に 言 いがかりを 付 けたのだった キノーは アルセスト 論 争 後 ルイ 14 世 の 計 らいで 小 アカデミー の 一 員 となり 台 本 をチェックされていたので 全 くの 濡 れ 衣 とコルニックは 釈 明 する 1 キノーの 失 脚 中 リュリは 1678 年 4 月 プシシェ 年 1 月 ベレロフォン Bellérophon 3 において トマ コルネイユの 台 本 を 使 った この 二 つの 戯 曲 にはコルネイ ユの 甥 フォントネル (Bernard le Bovier de Fontenelle) が 手 伝 った しかし プシシェ は 王 の 評 価 をあまり 受 けられず トマ コルネイユは 落 胆 し 続 いて 上 演 された 1679 年 ベ レロフォン では ボワローが 一 部 戯 曲 の 制 作 に 介 入 した 1679 年 にはラシーヌとボワロー はモンテスパン 夫 人 の 後 ろ 盾 でオペラ ファエトンの 墜 落 La chute de Phaéton の 台 本 を 書 いていたが 結 局 1680 年 2 月 キノーが プロゼルピーヌ Proserpine で 復 帰 を 果 すこと になり ファエトンの 墜 落 は 上 演 されなかった その 辺 りの 事 情 については ボワロー 1 Sylvain Cornic, op. cit., p 年 コルネイユ モリエール リュリ キノー 共 作 の 悲 喜 劇 とバレエ プシシェ をトラジェディ アン ミュジックに 改 作 した 年 末 か 1671 年 初 めに 同 名 悲 劇 をキノーはオテル ド ブルゴーニュ 座 において 成 功 のうちに 上 演 している キノーはオペラ 台 本 作 成 に 協 力 したとされる Sylvain Cornic, op. cit., pp

144 の 記 述 がしばしば 引 用 される 彼 はこう 説 明 する M 夫 人 [=モンテスパン 夫 人 ]とその 姉 T 夫 人 [=ティアンジュ 夫 人 ]はキノーのオペラ に 飽 きられて ラシーヌ 氏 に 1 つ 作 らせるよう 王 に 提 案 された ラシーヌ 氏 はお 二 人 にかなり 気 楽 にその 約 束 をしていたが 私 と 共 に 何 度 か 相 応 しいとされたその 仕 事 に 決 していいオペラは 書 けないとその 時 まで 考 慮 していなかった なぜなら 音 楽 は 語 る 術 を 知 らないからだ [...]しかし 事 は 進 んで 引 返 せない 所 まで 来 ていたので 結 局 彼 はオペラの 仕 事 を 引 き 受 けた その 主 題 は ファエトンの 墜 落 であった 彼 はその 数 行 を 王 の 前 で 朗 誦 さえして 王 は 満 足 されているように 見 えた しかし ラシーヌ 氏 はその 仕 事 をいやいやながらしか 取 り 掛 かっていなかったので 私 が 一 緒 でなければ 成 し 遂 げられないときっぱりと 打 ち 明 けて なによりも 私 にプロロー グを 書 くように 言 った 私 はそのような 才 能 を 持 ち 合 わせていないし 恋 の 詩 は 書 いたことがないと 彼 に 表 明 しても 無 駄 で 彼 はその 決 心 を 押 し 付 け プロローグを 私 にというのは 王 の 命 令 だと 言 った 4 ボワローは 自 分 の 才 能 や 傾 向 に 反 する オペラの 台 本 を 書 くという 仕 事 に 不 本 意 にも 携 わった 経 過 を 述 べているが そこには ファエトンの 墜 落 が 上 演 されなかったことの 言 い 訳 もあると 思 われる 続 いてボワローは 自 分 が 書 いたプロローグの 梗 概 を 述 べた 後 こう 続 ける われわれはこの 惨 めな 仕 事 に 仕 方 なくかかずらっていたが 突 然 幸 運 な 事 件 がこの 仕 事 から 引 き 離 してくれた 事 件 というのは キノー 氏 が 御 前 に 罷 り 出 て 両 目 に 涙 を 一 杯 ためて 自 分 が 受 けた 侮 辱 を 述 べ もう 陛 下 のためにディヴェルティ スマンの 仕 事 はお 受 けできないと 直 訴 した 出 来 事 だ 王 はキノー 氏 に 同 情 され 先 ほど 述 べた 御 婦 人 たちにはっきりと 彼 に 悲 嘆 を 与 えてはならないと 宣 告 された 5 このことについて 1992 年 の 著 作 でボーサンは このボワローの 話 ラシーヌたちがオペ ラ 台 本 を 書 く 仕 事 に いやいやながら 取 り 掛 かった という 言 葉 をそのまま 信 じてはなら 4 Nicolas Boileau-Despréaux, «Préface du Fragment d un Prologue d opéra» dans Œuvres complètes, éd. F. Escal (Paris: Gallimard, coll. Bibliothèque de la Pléiade, 1966), p «Mme de M. et Mme de T., sa sœur, lasses des opéra de M. Quinault, proposèrent au roi d en faire faire un par M. Racine, qui s engagea assez légèrement à leur donner cette satisfaction, ne songeant pas dans ce moment-là à une chose, dont il étoit plusieurs fois convenu avec moi, qu on ne peut jamais faire un bon opéra, parce que la musique ne sauroit narrer; [...] mais, il etoit trop avance pour reculer. Il commença dès lors en effet un opéra, dont le sujet étoit la chute de Phaéton. Il en fit même quelques vers qu il recita au roi qui en parut content. Mais comme M. Racine n entreprenoit cet ouvrage qu à regret, il me temoigna résolûment qu il ne l achèveroit point que je n y travaillasse avec lui, et me déclara avant tout qu il falloit que j en composasse le prologue. J eus beau lui représenter mon peu de talent pour ces sortes d ouvrages, et que je n avois jamais fait de vers d amourettes: il persista dans sa résolution, et me dit qu il me le feroit ordonner par le roi.» Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., pp Nicolas Boileau-Despréaux, op. cit., p Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p «Nous étions occupés à ce misérable travail, dont je ne sais si nous nous serions bien tires, lorsque tout à coup un heureux incident nous tira d affaire. L incident fut que M. Quinault s étant présenté au roi les larmes au yeux, et lui ayant remontré l affront qu il alloit recevoir s il ne travailloit plus au divertissement de Sa Majesté, le roi, touché de compassion, déclara franchement aux dames dont j ai parlé, qu il ne pouvoit se résoudre à lui donner ce déplaisir.» 143

145 ないとする ラシーヌはオペラの 台 本 を 書 きたかったからこそ エステル Esther ア タリーAthalie を 後 に 書 いたと 説 明 する 6 また オルシバルも 1949 年 の 論 考 で キノー が 失 脚 した 状 態 は 1677 年 イジス 以 来 のことであり 1679 年 ラシーヌとボワローが ファ エトンの 墜 落 を 書 いていた 時 キノーが 泣 いて 王 に 訴 えたとするボワローの 話 は 信 じら れないとする 7 しかも 同 年 には 王 の 許 しが 出 て キノーは 次 作 プロゼルピーヌ の 制 作 に 取 り 掛 かっていた 8 その 後 オルシバルによると ラシーヌとボワローは 1683 年 に 小 さいオペラを 書 いたと 見 られるが ラシーヌ 自 身 の 著 作 集 には 見 当 たらない 1685 年 7 月 ソー(Sceaux)で 行 われ た 祭 典 に ラシーヌが 平 和 への 田 園 詩 L Idylle sur la Paix を 書 いたことは 確 かである リュリが 音 楽 を 書 き ヴィガラーニの 弟 子 ベランが 装 置 を 受 け 持 った 年 1 月 ラシーヌはマントノン 夫 人 (Madame de Maintenon) の 依 頼 でサン=シール 女 子 学 院 の 生 徒 のために 音 楽 付 きの 宗 教 劇 エステル を 王 の 御 前 で 上 演 する 音 楽 は 宮 廷 音 楽 家 のモロー (Jean-Baptiste Moreau) が 担 当 した その 時 にはすでにリュリは 1687 年 キノーは 1688 年 に 世 を 去 っていた 信 心 深 いマントノン 夫 人 の 要 請 しかも 貧 しい 貴 族 の 子 女 の 教 育 のためという 理 由 で 宗 教 的 主 題 が 取 り 上 げられた 10 エステル の 序 でラシーヌは 次 のように 述 べる 計 画 にしたがって 筆 をすすめるうちに すでに 胸 中 をしばしば 去 来 した 構 想 を あ る 意 味 で 実 行 していることに 気 付 いた すなわち 古 代 ギリシアの 悲 劇 のよう に 合 唱 隊 と 歌 を 劇 の 筋 に 結 びつけ かつて 異 教 徒 が 偽 りの 神 々 を 讃 えて 歌 うのに 使 った 合 唱 部 を 真 の 神 を 褒 め 讃 えて 歌 うのに 用 いよう ということであった 11 このラシーヌの かつて 異 教 徒 が 偽 りの 神 々 を 讃 えて 歌 うのに 使 った 合 唱 部 を 真 の 神 を 褒 めたたえて 歌 うのに 用 い るという 箇 所 について 白 石 は 偽 りの 神 々の 讃 歌 を 真 の 神 の 讃 歌 に 転 用 できるとラシーヌが 主 張 しているとする こ の 前 提 として ラシーヌが 前 述 した イフィジェニー 序 において 主 張 した パリの 6 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p Jean Orcibal, «Racine et Boileau librettistes» dans Revue de l Histoire littéraire de la France ( Paris: Armand Colin, 1949), p. 251, not Étienne Gros, op. cit., p Ibid., p Jean Orcibal, op. cit., p Lecerf de la Viéville, Comparaison de la musique italienne et de la musique françoise, op. cit., t. 2, pp それまで 王 立 音 楽 アカデミー の 舞 台 では 教 会 側 からの 批 判 を 避 けるためにも 聖 書 から 主 題 を 採 ることは 控 えてきたが イエズス 会 のルイ=ル=グラン 学 院 (Collège Louis-le-Grand)などでは 1688 年 2 月 シャルパンティエの ダヴィッドとヨナタス David et Jonathas の 例 に 見 られるように 宗 教 的 主 題 のオ ペラも 上 演 されていた James R. Anthony, op. cit., p Jean Racine, «Préface d Esther» dans Œuvres complètes, t. I, éd. Gerges Forestier, op. cit., p «[...] je m aperçus qu en travaillant sur le plan qu on m avait donné, j exécutais en quelque sorte un dessein qui m avait souvent passé dans l esprit, qui était de lier, comme dans les anciennes Tragédies Grecques, le Chœur et le Chant avec l Action, et d employer à chanter les louanges du vrai Dieu cette partie du Chœur que les Païens employaient à chanter les louanges de leurs fausses Divinités.» 144

146 趣 味 は 古 代 アテネのそれと 同 じ 12 という 論 点 を 指 摘 する 13 たしかに エステル には 合 唱 隊 や 歌 が 筋 書 きと 結 びついて 用 いられ そこに 古 代 ギリ シア 劇 の 影 響 は 見 られるものの 主 題 は 古 代 オリンポスの 神 々が 支 配 する 世 界 ではなく 旧 約 聖 書 から 採 られた 宗 教 劇 であった ラシーヌ 曰 く 偽 りの 神 々 の 讃 歌 から 真 の 神 の 讃 歌 への 転 用 は ペローに 従 えば 古 代 の 趣 味 を 当 代 のキリスト 教 が 支 配 ビ ア ン セ ア ン ス する 社 会 の 適 切 さ= 節 度 に 置 き 換 えたともいえるであろう そのことではわれわれは ラシーヌが イフィジェニー において エウリピデスをパリの 趣 味 に 合 わせて 筋 を 変 更 し 機 械 仕 掛 けや 変 身 という 手 段 を 排 除 したことを 確 認 した ラシーヌは 古 代 の 趣 味 とル イ 14 世 時 代 のそれとが 相 違 することを 認 識 していたのだ そして 古 代 を 崇 敬 しているはずのラシーヌが 古 代 ギリシアの 異 教 の 神 々を 指 して 彼 ら の 偽 りの 神 々 leurs fausses Divinités という 用 語 を 使 う 時 そこに 二 つの 文 脈 が 受 け 取 れると 考 える 一 つにはこの 戯 曲 がキリスト 教 の 信 仰 心 深 いマントノン 夫 人 の 依 頼 でサン =シール 女 子 学 院 のために 書 かれたことである 聖 書 から 題 材 を 引 いた 音 楽 劇 の 上 演 が 可 能 になったのは いまやルイ 14 世 の 寵 愛 深 いマントノン 夫 人 が 主 宰 するサン=シール 女 子 学 院 において その 生 徒 が 学 内 で 限 られた 招 待 客 の 前 で 披 露 するという 条 件 の 下 に 許 され た 上 演 であり お 金 を 払 った 一 般 観 客 の 前 で 行 われるパリ 市 内 の 王 立 音 楽 アカデミー 上 演 とは 状 況 が 異 なっていた しかも 王 は 老 い 簡 素 な 生 活 を 好 むマントノン 夫 人 の 影 響 もあり かつてのリュリとキノー 時 代 の 華 美 で 祝 祭 的 なオリンポスの 神 々に 自 らを 擬 すこ ともなくなった よってラシーヌのオリンポスの 神 々に 対 する 偽 りの 神 々 という 言 葉 が 出 てきた 要 因 にもなったと 思 われる 二 つには やはりそこに 古 代 ギリシアと 同 じくオリンポスの 神 々を 用 いるトラジェ ディ アン ミュジックに 対 する 暗 黙 の 対 抗 意 識 と 批 判 が 読 み 取 れると 考 える 古 代 ギリ シア 悲 劇 の 再 興 を 目 指 し 劇 の 筋 書 きに 音 楽 とダンスを 結 びつける 試 みはトラジェディ アン ミュジックによりすでに 成 され 当 時 の 観 客 から 支 持 されていた しかしそこで 登 場 するオリンポスの 神 々は ルイ 14 世 がそれらに 擬 されることを 辞 めた 今 キリスト 教 に とって 偽 りの 神 々であり 聖 書 を 主 題 とした 題 材 はキノー/リュリのトラジェディ アン ミュジックでは 試 みられていない よってラシーヌは 自 分 こそが 偽 りの 神 々 の 讃 歌 ではなく 真 の 神 の 讃 歌 を 筋 に 結 び 付 け 真 の 古 代 悲 劇 を 再 現 する 演 劇 を 作 り 上 げ たと 誇 りたかった 1691 年 1 月 ラシーヌは 同 じくマントノン 夫 人 の 依 頼 でサン=シール 女 子 学 院 のために 同 じく 旧 約 聖 書 から 主 題 を 採 ったモローの 音 楽 付 きの アタリー を 書 いたが 数 回 のリハーサルのみで 終 わった アタリー の 大 団 円 には 機 械 仕 掛 け 劇 の 影 響 が 見 られる よってラシーヌは 機 械 仕 掛 け 劇 や 豪 華 な 装 置 に 終 生 興 味 を 持 ち 続 けたとヴァニュクセンは 述 べる 本 論 文 124 頁 参 照 13 白 石 嘉 治 新 旧 論 争 とラシーヌ エステル 上 智 大 学 仏 語 仏 文 学 論 集 (36) 頁 東 京 : 上 智 大 学 仏 文 学 科 2002 年 頁 14 Jacques Vanuxem, op. cit., p

147 こうしてみると 確 かにラシーヌはオペラに 関 心 を 持 っていたことは 否 めないであろう そして 自 らも 台 本 を 書 く 機 会 があったが 王 立 音 楽 アカデミー での 上 演 は 適 わなかっ た ラシーヌもボワローも オペラの 戯 曲 に 関 してはキノーのようには 書 けなかったと 言 えるであろう 第 二 節 ボワローのキノー 批 判 とヴォルテールによるキノー 擁 護 ここで これまでラシーヌの 盟 友 としてしばしば 名 の 上 がったボワローとキノーとの 関 わりを 見 ておきたい なぜなら ボワローはその 著 作 でペローやキノーの 批 判 を 繰 り 返 し その 評 価 を 貶 め ラシーヌ 中 心 主 義 の 美 学 を 確 立 した 中 心 人 物 と 見 なされているからであ る 彼 はまず 1663 年 の 風 刺 詩 サティール 2 Satire II から 始 まって 前 述 したように サ ティール 9 でキノーをペラン 共 々 宮 廷 中 を 退 屈 させる 駄 作 詩 人 として 執 拗 な 攻 撃 を 行 い その 詩 を 削 除 するよう 仮 借 なく 糾 弾 した 15 サティール 10 ではキノーの 文 体 を すべ て 道 徳 的 に 淫 奔 で 平 凡 な 箇 所 である と 批 判 し オペラに 熱 中 するご 婦 人 方 を 皮 肉 る 年 の アルセスト 論 争 時 には 崇 高 な 部 屋 の 陰 謀 と 名 づけられた 画 策 により キノー の 追 い 落 としを 試 みた 上 演 されなかった ファエトンの 墜 落 に 付 けた オペラのプロ ローグ Prologue d opéra 17 ではオペラを 痛 烈 に 揶 揄 する 同 じく 1674 年 には 詩 法 L Art poétique と 共 に 伝 ロンギノス (Longinos) 崇 高 論 Le Traité du Sublime を 翻 訳 したが そこでのボワローの 副 題 についてフォレスティエは こう 述 べる その 副 題 である ディスクールにおける 驚 くべきものについて Du merveilleux dans le discours は この 論 のまさに 賭 けられた 点 である 詩 的 な 驚 くべきもの l émerveillement の 概 念 は 観 念 の 偉 大 さに 言 説 の 華 麗 さに そして 表 現 における 驚 きに 基 づいている 18 フォレスティエによると ボワローの 非 難 の 先 には ギャラントで 卑 小 な 詩 句 と 間 違 った 偉 大 さと 絶 望 的 な 重 々しさを 持 つとボワローが 判 断 する 当 時 のキ ノーやトマ コルネイユなどの 劇 詩 があった 続 いてフォレスティエは ボワローが 詩 法 ではどうしてモリエール コルネイユ ラシーヌしか 中 心 にしなかったかがこの 論 で 分 かるとする ボワローにとってモリエールには 留 保 つきの 賛 辞 であったが 彼 はすでに 没 し コルネイユは 年 を 取 って 情 熱 を 失 い もはやラシーヌしかいないと 判 定 を 下 した 19 フォレスティエによればボワローにとっての 驚 くべきもの とは 観 念 の 偉 大 さや 言 説 の 華 麗 さ 表 現 における 驚 きであった 一 方 でキノーは 前 述 したように 悲 喜 劇 を 得 意 と し トラジェディ アン ミュジックにおいては 音 楽 によって 歌 われるのに 相 応 しい 平 易 で 聞 き 取 りやすい 文 体 や 表 現 を 用 いた よって ボワローはキノーを 10 年 間 に 渡 って 非 難 し 続 けることになった 15 本 論 26 頁 参 照 16 この 部 屋 の 由 来 については 本 論 137 頁 註 22 参 照 17 Nicolas Boileau-Despréaux, «Prologue d opéra» dans Œuvres complètes de Nicolas Boileaux, éd. Ch. Lahure (Paris: Hachette, 1857), pp Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., p Ibid., pp

148 ボワローは 1687 年 から 1694 年 にかけて 再 びシャルル ペローを 侮 辱 する 9 編 の 風 刺 を 籠 めた エピグラム ÉpigrammesXXI-XXIX を 書 いた 年 ラシーヌの 死 に 際 し て 詩 を 捧 げたが 21 この 中 でラシーヌについて エウリピデスを 凌 駕 しコルネイユと 肩 を 並 べると 褒 めたたえた これはノーマンたちも 指 摘 するように 古 代 派 ボワローにしては 近 代 派 ペローの 言 っていることと 同 じと 思 われる ボワローは 再 版 ではすぐに エウリピ デスを 凌 駕 する という 箇 所 を 削 除 した 22 これまでのボワローに 対 する 評 価 は 彼 により 古 典 主 義 美 学 が 1660 年 代 に 形 成 され 1674 年 詩 法 を 経 て 1685 年 までに 確 立 されたとする しかしこの 説 には 1926 年 ブレが 異 議 を 唱 えた ブレによると 1660 年 から 1670 年 にかけてのボワローは 前 世 代 であるシャプラン 時 代 の 古 典 主 義 の 理 論 を 引 き 継 いだだけで 何 も 新 しく 理 論 化 して 作 り 出 したものはない 彼 はこう 述 べる 彼 [=ボワロー]は シャプラン ラ メナルディエール (La Mesnardière) そしてドー ビニャック (abbé d Aubignac) が 一 つの 教 義 を 言 い 換 えれば 演 劇 の 規 則 の 総 体 を 作 り 上 げていたこと そして 1660 年 代 にはその 正 当 性 に 彼 自 身 少 しも 異 議 を 挟 もうと 思 わなかったこと そして 1674 年 には 自 分 がその 演 劇 の 規 則 の 総 体 を 確 かに 反 復 し ているだけだということに 気 付 いていないわけはなかった 23 ブレによるとボワローは 古 典 主 義 規 則 の 確 立 者 というよりも むしろ 当 時 大 衆 の 人 気 を 博 していたキノーやプラドンなどの 詩 人 を 貶 め その 攻 撃 やその 皮 肉 な 性 癖 でサロンの 注 目 を 引 き 文 壇 での 一 角 を 占 めることに 成 功 した そしてしばしばその 嘲 弄 は 風 刺 のため に 風 刺 を 愛 するといった 類 いの 精 神 が 持 つ 全 くの 意 地 悪 さでしかない 24 そしてこのキ ノーたちに 対 する 攻 撃 についてブレは フランス 文 学 史 上 これほどの 無 遠 慮 さは 例 を 見 たことがない 25 と 断 定 する しかし 時 代 の 関 心 は 移 っていた シャプラン 時 代 は 規 則 を 第 一 としたが ボワローの 時 代 には 趣 味 趣 向 が 最 優 先 されるようになった 世 論 は 風 刺 を 求 めていて ボワローの 精 力 的 な 作 品 が 必 要 とされるようになった 26 そして 現 代 においてノーマンも ボワローの 詩 法 は 古 典 主 義 美 学 の 公 式 化 ではなく 一 つの 要 約 されたマニュフェストであり 人 々の 支 持 を 得 ようとした 試 みの 一 つに 過 ぎな 20 Nicolas Boileau-Despréaux, «Épigrammes XXI-XXIX» dans Œuvres complètes, éd. F. Escal (Paris: Gallimard, coll. Bibliothèque de la Pléiade, 1966), pp «XXII. ---A M, P***(Charles Perrault), sur les livres qu il a faits contre les anciens. / Pour quelque vain discours, sottement avancé / Contre Homere, Platon, Cicéron ou Virgile, / Caligula partout fut traité d insensé, / Néron de furieux, Adrien d imbécile. / Vous donc qui, dans la même erreur.» 21 Nicolas Boileau-Despréaux, «Vers pour mettre au bas du portrait de M. Racine», op. cit., p «XIX - Vers pour mettre au bas du portrait de M. Racine. / Du théâtre françois l honneur et la merveille, / Il sut ressusciter Sophocle en ses écrits; / Et dans l art d enchanter les cœurs et les esprits, / Surpasser Euripide et balancer Corneille.» 22 William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. «Introduction» dans Alceste suivi de La Querelle d Alceste, éd. par William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi, op. cit., pp. xli-xlii. 23 René Bray, op. cit., p Ibid., p Ibid., p Ibid., pp

149 かったと 述 べる 27 確 かに 詩 法 を 読 むと その 4 編 からなる 詩 篇 は 1657 年 ドービニャッ ク 師 の 演 劇 作 法 La Pratique du Théâtre に 比 して 論 理 的 で 構 築 的 というよりは 一 つの 声 明 で 主 張 であるというノーマンの 説 は 納 得 できる 今 日 でも 有 名 な ついにマレルブ 来 たり 28 という 詩 句 や 古 典 劇 に 三 単 一 の 規 則 が 必 要 なことを 1 箇 所 で 1 日 の 内 に 1 つ の 事 件 だけが 行 われること 29 という 詩 句 で 唱 っているが この 三 単 一 に 関 してはすでに ドービニャック 師 が 留 保 つきの 時 間 の 単 一 を 含 め アリストテレス 詩 学 に 基 づいて 詳 細 に 論 理 的 に 講 じている 同 じく 詩 法 第 4 編 冒 頭 に 置 かれた かつて 医 者 であったシャ ルル ペローの 3 番 目 の 兄 クロード ペローに 対 しての 穏 当 ではない 詩 句 から 始 まる 攻 撃 また サティール などでのオペラやキノー ペロー 兄 弟 への 痛 烈 な 揶 揄 などを 見 ると 客 観 的 な 理 論 家 というよりも 個 人 的 で 複 雑 な 感 情 の 入 り 混 じった 性 向 をそこに 見 てしま うことは 避 けられないであろう ペローの アルセスト 批 評 やその 反 駁 の 手 紙 古 代 人 と 近 代 人 との 比 較 での 論 調 と 比 較 すると ボワローの サティール やラシーヌの イ フィジェニー 序 での 調 子 は むしろ 感 情 的 な 印 象 がそこには 受 け 取 られると 思 う 一 方 でペローの 反 駁 は 堂 々として ボワローやラシーヌの 攻 撃 に 対 して 受 けて 立 つという 立 場 が 鮮 明 に 見 える 双 方 の 論 調 の 差 異 にはペローの 方 が 当 時 はあくまで 体 制 側 であり ラシーヌとボワローは 取 って 代 わろうとする 勢 いがあるとも 考 えられるであろう このボワローの 攻 撃 に 対 しては 1926 年 グロも 批 判 している グロはその 長 大 なキノー 論 の 序 で キノーはボワローの 嘲 弄 により 17 世 紀 古 典 主 義 より 捨 て 去 られた しかし それは 不 当 である 30 と 述 べる そして 18 世 紀 にヴォルテール (Voltaire) が 行 ったキノー 擁 護 を 引 用 している ヴォルテールはキノーのオペラ 台 本 を キノーのオペラは 自 然 な 詩 で 情 熱 とギャラン トさと 精 神 と 優 美 さを 持 った 傑 作 である 31 として 高 く 評 価 している そして 皮 肉 を 籠 めて これがいつもボワローにより 最 も 軽 蔑 すべき 詩 人 だと 評 されていたキノーですよ 32 と 述 べるヴォルテールをグロは 引 用 する ヴォルテールはキノーの 擁 護 を 続 ける ボワローはキノーについて 手 厳 しく 誹 謗 しても その 美 しさには 無 駄 であった 幸 いなるキノーよ サティールの 征 服 者 よ ボワローの 憎 しみを 笑 え そして 彼 らの 陣 営 へと 歩 いて 行 け Buford Norman, «Ancients and Moderns, Tragedy and Opera: The Quarrel over Alceste» in French Musical Thought , op. cit., p not Nicolas Boileau-Despréaux, Art poétique 1 ère éd. 1674, dans Satires, Épîtres, Art poétique (Paris: Poésie/Gallimard, 1985), p. 230, chant I, v «Enfin Malherbe vint,» 29 Ibid., p chant III, v «Qu en un lieu, qu en un jour, un seul fait accompli / Tienne jusqu à la fin le théâtre rempli.» 30 Étienne Gros, op. cit., p. IX. 31 Voltaire, «Correspondance, année 1767» dans Œuvres complètes de Voltaire, t. 45, éd. Lous Moland (Paris: Garnier Frères, ), p «[...] les opéras de Quinault sont des chefs-d œuvre de poésie naturelle, de passion, de galanterie, d esprit et de grâce.» Étienne Gros, op. cit., p Étienne Gros, op. cit., p Voltaire, «A M me du Châtelet, sur la Calomnie, 1733», op. cit., t. 10, p «En vain Boileau, dans ses sévérités. / A de Quinault dénigré les beautés; / L heureux Quinault, vainqueur de la satire, / Rit de sa haine, et marche à ses côtés.» Étienne Gros, op. cit., p

150 また 次 のようにも 述 べる 再 び 繰 り 返 して 問 うが いかにボワローがこれほど 執 拗 にかくも 不 当 に コケッ トな 母 La Mère coquette [=1665 年 オテル ド ブルゴーニュ 座 初 演 のキノーの 五 幕 喜 劇 ] の 作 者 を 侮 辱 しえたのであろうか そして 結 局 どうして 彼 は アティス ロラン アルミード の 作 者 に 許 しを 乞 わなかったのであろうか どうして 彼 はキノーの 美 点 に 心 を 打 たれなかったのか 人 々の 中 で 最 も 心 優 しい 人 間 の 特 別 な 寛 容 さに 34 そして 次 のようにもキノーを 擁 護 する 事 情 を 知 らない 人 はキノーについてあまり 知 らない しかし 彼 はルイ 14 世 時 代 に 栄 華 を 遂 げた 優 れた 天 才 の 一 人 である ボワローはあれほどキノーを 軽 蔑 したが キ ノーが 為 したことを 自 分 では 出 来 なかった だれもこのジャンルではこれ 以 上 のも のを 書 くことは 出 来 なかった 35 またキノーの アルミード や アティス に 最 大 級 の 評 価 を 下 す もし 古 代 に アルミード や アティス のような 作 品 を 書 いた 詩 人 がいたなら どんなに 称 賛 を 受 けて 迎 え 入 れられたことであろう! しかし キノーは 当 代 の 人 であった 36 ヴォルテールは アルミード においては 原 作 となったタッソよりもキノーは 優 れてい るとする またキノーのオペラの 崇 高 な 部 分 を 百 科 全 書 に 付 け 加 えて 引 用 し プ ロゼルピーヌ にピンダロス (Pindaros) [= 古 代 ギリシア 最 大 の 抒 情 詩 人 ]の 力 量 があるとす る しかし 初 期 の 2 作 品 [= カドミュス アルセスト ]にはトラジェディ リリック に 値 しないブフォンな 場 面 があると 批 判 することも 忘 れていない 37 ここでわれわれの 関 心 としては このような 強 力 なヴォルテールの 擁 護 はあっても 17 世 紀 古 典 主 義 美 学 を 確 立 したと 一 般 に 評 されているボワローによって ラシーヌがいわば 神 聖 化 され 後 世 に 渡 って 相 対 的 にキノーの 地 位 が 矮 小 化 され 挙 句 に 忘 却 された その 一 因 をボワローが 担 っていること そして 現 代 においても 前 述 したように ラシーヌ 研 究 家 のフォレスティエやフュマロリによって キノーを 不 当 に 貶 めるボワローの 評 価 は 支 持 34 Voltaire, «Mémoire sur la Satire», t. 23, 1 ère éd. 1734, op. cit., p. 53. «Mais j insiste encore, et je demande comment Boileau pouvait insulter si indignement et si souvent l auteur de la Mère coquette; comment il ne demanda pas enfin pardon à l auteur d Atys, de Roland, d Armide; comment il n était pas touché du mérite de Quinault et de l indulgence singulière du plus doux de tous les hommes, [...]» 35 Voltaire, «Commentaire sur Corneille», t. 32, 1 ère éd op. cit., p. 73. «Les étrangers ne connaissent pas assez Quinault : c est un des beaux génies qui aient fait honneur au siècle de Louis XIV. Boileau, qui en parle avec tant de mépris, était incapable de faire ce que Quinault a fait ; personne n écrira mieux en ce genre:» 36 Voltaire, Le siècle de Louis XIV, t. 3 (Paris: Vve Knoch et J. G. Eslinger, 1753), p. 83. Étienne Gros, Philippe Quinault: sa vie et son œuvre, op. cit., p.744. «Si l on trouvait dans l antiquité un poëme comme Armide ou comme Atys, avec quelle idolâtrie il serait reçu! mais Quinault était moderne.» 37 Étienne Gros, op. cit., pp

151 されていることを 確 認 した 次 にヴォルテールが 賛 辞 を 惜 しまなかった アティス や アルミード によって キ ノーは 筋 の 展 開 からもたらされる 観 客 の 驚 きと 称 賛 に 値 する 驚 くべきもの と 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の この 二 つの 概 念 が 合 体 した 傑 作 を 世 に 送 り 出 したことを 見 て いこう これこそ アルセスト 論 争 によって ペローが 理 想 として 目 指 そうとした し かしその 時 は 未 完 成 であった 新 しい 舞 台 芸 術 であるトラジェディ アン ミュジックの 完 成 された 形 となるであろう 第 三 節 アティス と アルミード について ルイ 14 世 は 1674 年 アルセスト 後 自 分 で 親 しく 綽 名 をつけた 小 アカデミー の 一 員 にキノーを 加 え オペラ 台 本 をチェックさせることにした キノーは 同 年 亡 くなった シャプランの 後 継 者 という 立 場 で ペローやコルベールの 推 薦 を 受 けてのことであった 年 の 著 作 でルセールは 次 のように 伝 える キノーはいくつかの オペラ の 主 題 を 探 し 提 出 した 彼 ら[=キノーとリュリ]は 王 にそれを 持 って 行 き 王 が 一 つを 選 んだ 39 ルセールによると キノーは 王 の 気 に 入 るようにすぐに 台 本 を 変 更 したとするが 今 日 ラ ゴルスやノーマンによるとそのような 事 実 はないと ルセールの 記 述 に 疑 問 を 呈 する 40 最 後 の アマディス ロラン アルミード 3 作 に 関 しては 王 が 主 題 を 選 択 した ことは 明 らかであるが 他 には 確 認 されていない 41 しかしながら 王 は 計 画 の 初 期 に 題 名 を 知 る 立 場 にいたので もし 王 が 不 適 当 と 判 断 すれば 戯 曲 は 書 かれなかったであろうこと は 確 かである この 小 アカデミー は 1701 年 正 式 に 王 立 碑 文 文 芸 アカデミー となったが 1717 年 王 立 碑 文 文 芸 アカデミーの 歴 史 Histoire de l Académie royale des inscriptions を 書 い たボーズ (Claude Gros de Boze) は キノー 氏 は 王 のためにトラジェディ アン ミュ ジックの 仕 事 を 仰 せつかった 42 とし 公 式 的 な 宮 廷 詩 人 となったことを 記 録 する ボー ズは 続 いて 次 のように 伝 えている 38 Sylvain Cornic, op. cit., p Lecerf de la Viéville, op. cit., t. 2. p «Quinaut(sic) cherchoit & dressoit plusieurs sujets d Opera. Ils les portoient au Roi, qui en choisissoit un.» 40 ラ ゴルスやノーマンはルセールが 小 アカデミー と アカデミー フランセーズ を 混 同 してい ると 指 摘 する Jérôme de La Gorce, Jean-Baptiste Lully, op. cit., p Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p たしかに 彼 は 小 アカデミー とすべきところを アカデミー フランセーズ としている Lecerf de la Viéville, op. cit., t. 2. pp Sylvain Cornic, op. cit., p not. 98. Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p Claude Gros de Boze, Histoire de l Académie royale des inscriptions et belles-lettres, avec les Mémoires de littérature tirés des registres de cette académie, op. cit., t. 1, p. 3. «Quand M. Quinault fut chargé de travailler pour le Roy aux tragédies en musique, [...]» 150

152 主 題 を 決 め 筋 書 き を 統 一 し 各 幕 を 配 置 し ディヴェルティスマン を 挿 入 するのはそこ[= 小 アカデミー]においてであった 戯 曲 が 進 捗 するたびにキ... ノー 氏 がその 部 分 を 見 せると 王 はいつも 自 身 がそうお 呼 びになった 小 アカデ.. ミー に 相 談 したかと 訊 ねられた 43 このことについては 現 代 の 研 究 者 ジャキオによって 編 集 された 当 時 の 手 書 きの 文 書 王 立 碑 文 アカデミーの 歴 史 においても 同 様 な 箇 所 がある 1676 年 頃 から 王 はトラジェディ アン ミュジック そして 音 楽 劇 に 特 別 に 才 能 が あり すでに カドミュス と アルセスト を 作 ったキノー 氏 を 愛 顧 されるよう になった 彼 は 小 アカデミー に 諮 問 するという 条 件 で 王 によって 選 ばれた テ ゼー からはまず 小 アカデミー で 主 題 が 決 められ 各 幕 や 場 ディヴェルティ スマンが 割 り 振 られ キノー 氏 は 戯 曲 が 進 行 するごとにすべてを 王 に 提 出 し 王 は 小 アカデミー には 見 せたかとお 聞 きになった 44 このような 当 時 の 記 録 について 2011 年 の 著 作 においてコルニックは 疑 問 を 呈 する 彼 によると 当 時 の 小 アカデミー の 四 人 の 会 員 にはキノーの 他 に 劇 作 家 はいないので ど れほど 介 入 できたか 分 からない その 証 拠 に 小 アカデミー の 諮 問 を 受 けているにもか かわらず 発 生 した イジス のスキャンダルがそれを 表 わしていると 彼 は 説 明 する 45 確 かに それまでのペロー シャルパンティエに 1672 年 亡 くなったブルゼイス 師 に 代 わっ たタールマン 若 師 (abbé Tallemant le jeune) 46 にキノーを 加 えて 四 人 の 顔 ぶれを 見 ると キ ノーの 戯 曲 の 細 部 まで 諮 問 の 目 が 行 き 届 いたかは 疑 問 が 残 る キノーの 自 然 で 生 き 生 きし た 筆 致 を 見 れば 主 題 や 各 幕 の 配 置 ディヴェルティスマンの 挿 入 などにまで 制 約 が 与 え られたとは 考 えにくいであろう そしてヴォルテールも 賛 辞 を 贈 るように キノーの 戯 曲 は 次 第 に 洗 練 と 凝 縮 を 高 めてい く キノーの 戯 曲 の 高 度 に 進 展 していく 過 程 には ペローが アルセスト 批 評 で 論 及 し しかし アルセスト においてはいまだ 明 確 に 分 離 されていた 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 が 次 第 にその 境 界 を 取 り 払 い 一 つに 収 斂 していく 変 化 が 見 られるであろう その キノーの 戯 曲 の 進 展 の 行 程 を キノー/リュリの 第 四 作 に 当 たる アティス と 最 後 の 共 作 アルミード 二 作 を 中 心 に 見 てみよう 43 Ibid., pp «C estoit-là qu on déterminoit les sujets, qu on régloit les Actes, qu on distribuoit les Scénes, qu on plaçoit les Divertissements. A mesure que chaque piéce avançoit, M. Quinault en montroit les morceaux au Roy, qui demandoit toûjours ce qu en avoit dit la petite Académie, car c est ainsi qu il l appelloit.» 44 Josèphe Jaquiot, «Philippe Quinault, membre de la Petite Académie» dans Mélange d histoire littéraire offerts à Raymond Lebèque (Paris: Nizert, 1969), pp このテクストを 引 用 したノーマンは 1676 年 という 年 号 は 間 違 いであり たぶん 1674 年 末 か 1675 年 であろうとする 確 かに 本 文 中 にある すでに カドミュ ス と アルセスト を 作 ったキノー 氏 という 表 現 から アルセスト は 1674 年 初 演 であり またキ ノーが 王 によって 小 アカデミー の 一 員 に 加 えられたのは 同 じ 1674 年 であるのでノーマンの 指 摘 する 通 りだと 思 われる Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p. 129, not Sylvain Cornic, op. cit., p Claude Gros de Boze, op. cit., p

153 第 一 項 テゼー と アティス アルセスト の 翌 年 1675 年 1 月 47 前 述 したようにパリ 市 中 の 王 立 音 楽 アカデミー で 起 きた アルセスト 論 争 に 懲 りたルイ 14 世 の 計 らいで サン=ジェルマン=アン=レ 宮 殿 のバレエの 間 でカーニヴァル 期 間 中 に 第 三 作 目 のトラジェディ アン ミュジック テ ゼー が 初 演 された 前 作 アルセスト と 比 較 して テゼー にはキノーによる 作 劇 上 の 変 化 が 見 られる アルセスト で 多 用 された 機 械 仕 掛 けは テゼー では 抑 制 されて 使 われている また アルセスト では 副 次 的 なエピソードによって 悲 劇 と 喜 劇 の 並 存 が 批 判 されたが テゼー では 副 次 的 なエピソードは 3 場 面 のみで メデーに 付 き 添 うド リーヌには カドミュス での 乳 母 のようなビュルレスクな 性 格 は 見 られない 彼 女 は 古 典 悲 劇 に 使 われる 腹 心 の 役 割 を 担 っている また 第 一 幕 の 戦 闘 場 面 は アルセスト 第 二 幕 のように 舞 台 上 に 描 かれるのではなく 古 典 悲 劇 に 倣 って 舞 台 裏 で 進 行 する ノー マンはその 方 向 転 換 を アルセスト での 批 判 に 対 してキノーが 熱 心 に 取 り 組 んだ 成 果 で あるとしている 48 確 かにキノーは アルセスト 論 争 を 経 て 1674 年 小 アカデミー の 一 員 に 加 えられた 後 その 劇 作 法 において 1670 年 代 の 古 典 主 義 理 論 に 近 づきつつあること が 分 かる 1926 年 の 論 考 でグロも テゼー におけるキノーの 古 典 悲 劇 への 転 向 を 提 示 して そ の 実 際 の 筋 書 きは[= テゼー という] 題 目 にもかかわらず 密 接 にメデーの 嫉 妬 や 激 怒 に 拠 っている 主 役 はメデーである 49 と 述 べる テゼー では 古 典 悲 劇 を 動 かす 人 間 の 情 念 である 嫉 妬 と 憤 激 に 大 きく 焦 点 が 当 てられている そしてグロはメデーの 特 性 である 魔 術 の 変 容 を 次 のように 述 べる その 魔 術 はここで 筋 書 きの 中 で 最 も 活 動 する 役 割 を 担 う 登 場 人 物 の 一 つの 属 性 すなわち 基 本 的 な 属 性 である その 結 果 驚 くべきもの[= 超 自 然 的 な]は カドミュ ス や アルセスト でのように 単 なる 重 なり 合 いではなく 筋 書 きに 密 接 に 結 び ついている それ[= 超 自 然 的 な 驚 くべきもの]は 筋 書 きと 共 に 本 体 を 作 り 出 す 50 こうグロが 評 価 するように メデーの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの であるその 魔 術 は 単 なる 装 飾 から 離 れ 人 間 的 側 面 を 表 わし 筋 書 きからもたらされるもう 一 つの 悲 劇 の 基 本 要 素 である 驚 くべきもの と 結 びつき 悲 劇 的 必 然 性 を 持 つに 至 ったといえるであろう しかしながら テゼー にはラシーヌ 悲 劇 と 比 較 して キノーの 悲 喜 劇 的 様 式 がいま だ 存 続 している 点 が 見 られる それはコルニックが 指 摘 するように テゼーが 身 分 を 隠 し 47 初 演 の 日 付 については 諸 説 ある シュネイデルは 1 月 11 日 とし ドネショーとソルディーニの 研 究 は 1 月 15 日 とする H. Schneider, art. «Thésée» dans Dictionnaire de la musique en France aux XVII e et XVIII e siècles. dir. M. Benoit ( Paris: Fayard, 1992), p Pascal Denécheau et Elisabetta Soldini, dans Thésée ( Paris: Avant Scène Opéra, 2008), p Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p Étienne Gros, op. cit., p Ibid., p

154 て 行 動 し 恋 敵 で 自 分 の 毒 殺 を 謀 った 父 王 によって 最 後 に 認 知 されるという 以 前 キノー が 得 意 とした 悲 喜 劇 の 典 型 を 結 末 に 持 っているからである 51 翌 年 の アティス において キノーはオウィディウス 祭 事 暦 Les Fastes を 原 作 と し 悲 喜 劇 の 影 響 を 払 拭 し 悲 劇 としての 様 式 を 統 一 した アティス は 1676 年 1 月 10 日 サン=ジェルマン=アン=レで 初 演 された アティス は 別 名 王 のオペラ と 呼 ばれ ルイ 14 世 はこのオペラの 登 場 人 物 における 心 理 表 現 の 場 面 や 魂 の 相 反 する 動 きに 深 く 心 を 奪 われたと 伝 えられている その 頃 オランダ 戦 役 は 6 年 にも 及 び 新 たにオランダ と 組 んだスペインとのシシリー 島 を 巡 る 戦 いが 1675 年 から 始 まっていた 東 方 に 遠 征 して いた 王 は 1675 年 7 月 から 1676 年 3 月 末 までヴェルサイユに 戻 った セヴィニエ 夫 人 の 子 息 シャルルは 1676 年 2 月 姉 グリニャン 夫 人 に 宛 てた 手 紙 で アティス を 観 て 感 激 し 特 に 最 初 の 二 幕 が 大 変 美 しかったと 書 き 送 っている 52 このオペラでは 古 典 悲 劇 的 構 造 が 明 確 になり すべてのコミックな 場 面 や 副 次 的 なエピ ソードが 削 除 され 文 体 とあらすじの 統 一 が 成 されている グロによれば この 戯 曲 がそ れまでと 異 なる 点 が 二 つあり まずコミックな 要 素 はすべて 除 外 され 次 に 副 筋 的 なエピ ソードはすべて 消 えている そして 作 品 は 一 つになった 文 体 の 点 で 統 一 され 筋 書 きの 上 からもひとつになった 53 またモレルは キノーはこの 新 しいジャンルが ラシーヌの 厳 格 な 悲 劇 と 誇 りを 持 って 競 い 合 えることを 証 明 したいと 思 った と 述 べる 結 末 を 悲 劇 的 にすることに 彼 は 躊 躇 しなかった 当 時 の 人 々がオペラと 呼 ぶこのジャンルが 悲 劇 と 呼 ばれるのに 相 応 しいこ とを 証 明 しようとした 54 モレルが 注 釈 するように 結 末 はそれまでのハッピー エン ドではなく 主 役 のアティスとサンガリード 二 人 の 恋 人 の 死 で 終 わる しかも アティス は 自 分 を 恋 した 女 神 シベールの 嫉 妬 と 復 讐 により 誤 ってサンガリードを 刺 殺 し 正 気 に 戻 って 自 死 するのである 女 神 シベールはアティスを 憐 れんで 自 分 の 好 む 松 の 木 に 変 身 させる この 作 品 では 登 場 人 物 も 限 られ 主 役 の 他 には 彼 らが 自 分 の 本 心 を 打 ち 明 ける 相 手 とし て 二 人 の 腹 心 が 登 場 するだけであり ここにも 古 典 悲 劇 の 構 図 が 見 られる キノーはこの イダスとドリス 兄 妹 の 腹 心 たちに 主 人 公 の 行 動 の 一 部 を 担 わせると 同 時 に 古 代 悲 劇 のコロ スの 役 割 もあてがっている 55 また 機 械 仕 掛 けは 3 回 のみ 使 われ スペクタクルよりもドラマに 集 中 させている グロ は オペラのジャンルにおいてキノーは 悲 劇 においてのラシーヌと 同 じ 均 衡 を 保 ってい る 56 と アティス を 評 する ジルレトーヌは アティス は 最 も 演 劇 的 で 神 とし て 登 場 するのはシベールだけであり 彼 女 はまた 劇 の 主 役 として 行 動 する その 超 自 然 的 な 力 は 第 四 幕 終 わりまで 出 てこない もっとも 現 実 的 なキノーの 悲 劇 である 57 とする 51 Sylvain Cornic, op. cit., p Jacques Morel, «Philippe Quinault, librettisite d Atys» dans Atys (Paris: L Avant Scène Opéra, 2011), p Étienne Gros, op. cit., p Jacques Morel, op. cit., p Jean Duron, «Introduction» dans Atys, op. cit., p Étienne Gros, op. cit., p Cuthbert Girdlestone, op. cit., p

155 グロも シベールは 人 間 的 に 一 人 の 女 として 恋 し 嫉 妬 し 行 動 し 彼 女 はもはやその 筋 書 きを 展 開 したり 結 末 を 導 く 機 械 仕 掛 けの 神 ではないとする 58 アンソニーも アティ ス は 古 典 主 義 的 用 語 の 悲 劇 に 値 する 59 と 述 べる ここに 女 神 シベールとしての 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 力 は 人 間 の 男 アティスを 恋 することで 地 上 に 生 きる 一 人 の 女 として 苦 悩 し 悲 嘆 する 人 間 的 な 感 情 へと 比 重 が 移 り 次 第 に 筋 の 展 開 からもたらされる 悲 劇 の 基 本 要 素 としての 驚 くべきもの へと 変 容 して いることが 分 かる 女 神 シベールは アルセスト でのディアーヌやアポロンのように 神 として 人 間 世 界 の 感 情 とは 無 関 係 に 機 械 仕 掛 けで 介 入 する 単 なる 超 自 然 的 な 驚 くべ きもの としての 存 在 ではない 自 らの 女 神 としての 不 死 身 その 超 自 然 的 な 驚 くべき もの の 力 に 絶 望 し アティスと 共 に 人 間 として 死 ねないわが 身 を 歎 く 時 この 恋 に 苦 悩 するシベールの 姿 には 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 に 悲 劇 の 基 本 要 素 としての 驚 くべきもの の 概 念 が 混 入 している そしてデュロンは これはオペラと 呼 ぶよりも 悲 劇 であり 真 の 作 者 は 作 曲 家 リュリで はなく 詩 人 キノーである 60 と 評 する デュロンは アティス はキノーにとってもリュ リにとっても 危 険 な 賭 けをした 作 品 だという 主 人 公 たちは 非 常 に 誠 実 であるために 矛 盾 した 行 動 に 出 るという 複 雑 な 性 格 と 錯 綜 した 筋 書 きを 持 つ 案 の 定 分 かりにくいと 宮 廷 では 評 判 が 良 くなかった リュリの 音 楽 も 心 理 的 オペラとしてのキノーの 演 劇 性 に 応 えるべく ディヴェルティス マンを 除 いて 極 力 オーケストラの 参 加 を 控 える よってオペラというよりも 演 劇 に 近 い 61 矛 盾 するようだが 当 時 の 記 録 では 1676 年 の アティス 初 演 の 時 リュリはかなりの 数 のオーケストラと 合 唱 を 用 意 したが 彼 らは 大 半 の 時 間 押 し 黙 ったままだったという このオペラには シンフォニア リトルネル プレリュードは 稀 でしかもとても 短 い オー ケストラ 伴 奏 つきのエールは 数 少 ない しかし 各 幕 のディヴェルティスマンには 盛 大 な 器 楽 が 用 いられている キノーは 詩 句 を 4 行 から 6 行 に 分 け それぞれをレシタティフと 小 さいエールに 区 別 し 曲 が 付 けられている このエールは 通 奏 低 音 に 伴 われ せいぜい 20 小 節 である このレシタティフの 詩 句 はとても 旋 律 的 に 書 かれているので エールのパッ セージも 単 なるニュアンスの 変 化 としか 聞 き 取 れない しかし いくつかのオーケスト ラに 伴 われたエールでは 浮 き 出 た 効 果 を 持 つ 62 とデュロンは 説 明 する コルニックはキノーの 悲 劇 に 対 するコンセプトについて 無 実 で 完 全 な 人 間 が 押 し 潰 さ れることは [=アリストテレス 詩 学 で 要 請 される] 怖 れと 憐 れみよりも 恐 怖 と 嫌 悪 を 喚 起 する 63 とする キノーは 冷 酷 な 進 展 や 逃 げ 道 のない 筋 書 きの 成 り 行 きを 通 して 悲 劇 の 喜 びを 追 求 するのではなく 反 対 に 危 険 の 認 識 主 人 公 を 危 惧 させて 期 待 を 掛 けさせたり 新 たな 展 開 をみせたりして 最 後 のカタストロフを 逃 れさせようとする しかし アティ ス は 例 外 である アティスは 王 と 婚 約 したサンガリードを 奪 うことで 王 の 愛 顧 を 裏 切 り 58 Étienne Gros, op. cit., p James R. Anthony, op. cit., p Jean Duron, «Introduction» dans Atys, op. cit., p Ibid., p Ibid., p Sylvain Cornic, op. cit., p

156 サンガリードは 自 分 の 守 護 神 でありアティスを 愛 しているシベールに 逆 らう 罪 を 犯 したの で その 責 めを 負 わなければならない ゆえにそれはラシーヌ 的 構 図 になるとコルニック は 述 べる ラシーヌにおいては 主 人 公 は 過 ちを 犯 し 不 幸 の 中 で 観 客 の 怖 れと 憐 れみ を 引 き 起 こし 悲 劇 の 主 人 公 としての 尊 厳 に 近 づく そしてモレルはこの アティス の あらすじが 翌 年 1677 年 1 月 ラシーヌの フェードル における フェードルとイッポリー トのそれと 似 通 っていると 指 摘 する 64 二 つの 作 品 ともカタストロフの 後 の 新 しい 世 界 の 秩 序 を 期 待 させる 悲 劇 ともいえよう しかし このオペラは 別 名 王 のオペラ と 呼 ばれルイ 14 世 が 好 んだとしても 王 の 権 威 を 高 めるため 主 人 公 に 王 のイメージが 重 ねられているとは 思 えない 主 人 公 アティスは 優 柔 不 断 で 周 囲 を 見 すぎたために 愛 する 人 を 死 なせ 自 分 も 死 に 行 く 悲 劇 的 結 末 を 迎 える 太 陽 王 としての 輝 かしいルイ 14 世 のイメージとはかけ 離 れている それとも 王 を 取 り 巻 く 現 実 の 環 境 はこのようなものであったのか 王 の 苦 悩 がそこに 描 かれているのであろうか よってルイ 14 世 がこのオペラを 好 んだのか その 辺 りは 推 測 の 域 を 出 ない しかしながら ここには 小 アカデミー の 諮 問 により 主 題 や 配 置 が 決 められたとする 前 述 したボーズ などの 記 述 に 関 連 して キノーの 創 作 から 小 アカデミー の 介 入 によって 自 由 が 奪 われ たという 痕 跡 は 見 付 けにくいと 思 われる 古 典 劇 を 凌 駕 する 新 しいトラジェディ アン ミュジックの 方 向 性 を 確 立 するために キノー/リュリは デュロンが 評 するように 危 険 な 賭 けをした と 言 えよう アティス には 超 自 然 的 な 驚 くべきもの と 人 間 的 で 悲 劇 的 な 驚 くべきもの が その 境 界 を 危 うくするほどの 野 心 的 な 試 み の 結 果 断 絶 なくうまく 融 合 され それまでにない 魔 力 的 な 効 果 を 上 げていると 考 えられるであろ う 第 二 項 アルミード について キノーは 前 述 したように アティス の 翌 年 1677 年 の イジス で 失 脚 した 後 1679 年 6 月 には 王 の 許 しが 出 て すぐ 次 作 に 取 り 掛 かっている その 意 味 でもモンテスパン 夫 人 とラシーヌたちは 自 分 たちがオペラを 書 こうとする 思 惑 が 外 れたことになるであろう 年 2 月 キノーの 新 作 オペラ プロゼルピーヌ がサン=ジェルマン=アン=レ 宮 殿 のバレエの 間 でカーニヴァル 期 間 中 に 初 演 された このオペラは 大 成 功 を 収 め キノーは 無 事 復 帰 を 果 した 66 そして 1682 年 4 月 にはパレ=ロワイヤル 劇 場 で ペルセ Persée が 1683 年 1 月 ファエトン Phaéton がヴェルサイユ 宮 で 初 演 される 1684 年 にはトラジェディ アン ミュジック 11 作 目 において 王 自 らが 中 世 の 騎 士 ア マディス Amadis を 主 題 として 選 んだ ここからオペラの 題 材 が それまでの 古 代 のオリン ポスの 神 々から 中 世 ルネッサンス 期 の 叙 事 詩 へと 移 ることになる そのことについて 1992 年 の 著 作 でボーサンは もはやルイ 14 世 は 古 代 神 話 の 神 々の 力 を 必 要 としなかった 64 Jacques Morel, «Philippe Quinault, librettisite d Atys», op. cit., p Jean Orcibal, «Racine et Boileau librettistes», op. cit., p 年 は 王 太 子 のバレエ 趣 味 を 慮 って 宮 廷 バレエの 様 式 を 引 き 継 ぐバレエ 愛 の 神 アムールの 勝 利 Le Triomphe de l Amour がリュリ/キノー/バンスラートによって 上 演 された 155

157 と 述 べる 今 では 彼 自 身 がアポロンになった 神 話 の 神 々を 借 りた 表 象 は 時 代 遅 れになっ たのだ 67 王 の 寵 愛 はモンテスパン 夫 人 からマントノン 夫 人 へと 移 り 1684 年 王 は 自 分 の 居 室 としていたアポロンの 部 屋 を 出 た そしてその 前 年 1683 年 にはコルベールが 没 し ペ ローも 辞 めた 後 の 小 アカデミー にはラシーヌやボワローたちが 加 わり 時 代 は 少 しず つ 変 化 の 兆 しがあった 1684 年 1 月 アマディス の 初 演 はパレ=ロワイヤル 劇 場 で 行 われ 1685 年 1 月 やはり 王 の 主 題 選 択 で ロラン Roland がヴェルサイユの 大 厩 舎 乗 馬 訓 練 場 で 初 演 された 1686 年 2 月 15 日 アルミード Armide が 王 立 音 楽 アカデミー のパレ=ロワイヤル 劇 場 で 上 演 される これも 王 が 題 材 を 選 択 した イタリアの 詩 人 トルクァート タッソ (Torquato Tasso) の 1575 年 作 エルサレム 解 放 Gerusalemme Liberata を 原 本 にしている そのうちの 第 歌 からオペラは 採 られている しかし 戯 曲 のほぼ 半 分 第 一 幕 の 第 二 - 三 場 第 三 幕 すべて 第 四 幕 の 一 部 第 五 幕 第 二 場 がキノーの 創 作 で ある 68 フランスでは 1630 頃 からヴォアテュール (Vincent Voiture) 等 によって ランスロ 円 卓 の 騎 士 ゴールのアマディス など 中 世 の 武 勲 詩 が 散 文 によって 書 き 換 えられ 社 交 界 における 流 行 となっていた そしてイタリアの 前 世 紀 の 叙 事 詩 の 代 表 的 作 品 アリ オスト オルランド 狂 乱 タッソ エルサレム 解 放 が 超 自 然 的 な 驚 くべきもの に 好 都 合 な 主 人 公 や 状 況 についての 想 像 力 を 提 供 した そこから 魔 女 や 妖 精 魔 法 の 島 や 宮 殿 怪 物 巨 人 ドラゴン 魔 法 の 武 器 などがフランス 語 の 叙 事 詩 のなかに 直 接 入 り 込 ん だ そしてその 流 行 が 最 も 見 られたのは 当 時 の 社 交 界 のジャンルであり 1664 年 魔 法 の 島 の 悦 び に 代 表 される 宮 廷 の 祭 典 であった エルサレム 解 放 は 皆 が 知 っている 物 語 だった 69 キノーは 約 30 年 前 の 1655 年 唯 一 マレー 座 のために 書 いた 喜 劇 のない 喜 劇 La Comédie sans comédie の 第 五 幕 目 で 機 械 仕 掛 けでアルミードとルノーの 話 を 登 場 させている 70 またリュリはバンスラードと 共 に 1664 年 宮 廷 バレエ 仮 装 した 愛 の 神 アムールのバレエ Ballet des Amours déguisés の 第 7 9 のアントレで アルミードとルノーを 主 題 とした 作 品 を 上 演 している 71 ボーサンはその 著 作 の 中 で 当 時 王 室 の 第 一 侍 従 であったダンゴー 侯 爵 (marquis de Dangeau) がヴェルサイユ 宮 殿 の 日 常 について 記 した 日 誌 Journal から 引 用 を 行 い ア ルミード 選 択 の 状 況 を 知 らせる ダンゴーの 日 誌 によると 1685 年 キノーは 王 に 次 作 のオペラとして 三 作 を 候 補 として 提 出 し 王 自 ら アルミード を 選 んだと 言 う 72 し かし 初 演 に 王 は 臨 席 していない キリスト 教 を 信 奉 するマントノン 夫 人 との 関 係 が 異 教 徒 の 魔 女 の 恋 を 主 題 とする アルミード 上 演 への 王 の 観 劇 を 思 いとどまらせた 67 Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p Cuthbert Girdlestone, op. cit., p Ibid., p William Brooks, Philippe Quinault, Dramatist, op. cit., pp Étienne Gros, op. cit., p n Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p

158 アルミード では ダマスカス 王 の 姪 魔 女 アルミードは 敵 である 十 字 軍 の 騎 士 ルノー を 愛 することで 憎 しみと 恋 との 間 で 試 練 を 受 ける 一 人 の 女 として 描 かれている アルミー ドとルノーのみが 主 役 で 副 次 的 筋 を 拒 否 し アルミードの 感 情 に 筋 の 展 開 を 集 中 させてい る アルミードの 長 台 詞 のモノローグが 増 え 770 行 のうち 262 行 全 体 の 約 三 分 の 一 が アルミードに 宛 てられている 73 特 に 第 二 幕 第 五 場 自 分 の 魔 力 により 眠 ってしまったル ノーを 刺 し 殺 そうとして 一 目 で 恋 に 落 ちたアルミードのモノローグ ついに 彼 は 私 の 威 力 の 思 うままだ Enfin, il est en ma puissance は 最 も 完 成 されたレシタティフとされる 音 楽 学 者 アンソニーも 第 二 幕 からのアルミードのモノローグについて テクストと 音 楽 との 完 全 な 一 致 により ドラマ 的 緊 張 が 高 められた 類 のない 例 である 74 と 称 賛 する このレ シタティフは 長 らくトラジェディ アン ミュジックにおける 手 本 とされたが 18 世 紀 半 ば ブフォン 論 争 中 ルソーは 1753 年 フランス 音 楽 に 関 する 手 紙 Lettre sur la musique française を 書 き フランス オペラを 貶 めようとこの 箇 所 を 例 として 引 き アルミード の 突 然 の 心 変 わりを 表 わすには 音 楽 の 旋 律 は 単 調 で 無 味 であると 非 難 した それに 対 し てラモーが 和 声 の 転 調 やカデンツなどの 和 声 体 系 を 証 明 し 擁 護 したのは 有 名 である この アルミード については 称 賛 の 声 は 多 い 残 酷 な 復 讐 を 企 てる テゼー におけ るメデーと 異 なり アルミードは 魔 女 というよりも 恋 する 女 の 意 味 合 いが 強 い ボーサン は アルミード は 魔 力 までも 内 在 化 しようとする その 魔 力 はドラマの 信 じ 難 いほど の 原 動 力 となっているが 女 主 人 公 の 人 格 魂 に 組 み 込 まれている 75 と 述 べる 同 様 に 音 楽 学 者 ジルレトーヌは キノーにおける アルミード は ラシーヌにおける フェー ドル と 同 じく どちらも 両 作 者 の 最 高 傑 作 であり 最 後 の 作 品 であり そのヒロイン 像 はそれまでのそれぞれの 戯 曲 の 女 主 人 公 の 影 を 薄 くしてしまうほど 強 烈 な 個 性 を 放 って いるとする 76 それは 内 省 のオペラ であり キノーが 到 達 した 最 高 地 点 である という 評 価 は 一 定 している グロは 次 のように 述 べる アルミード はとても 美 しい 作 品 である これまでキノーの 最 も 優 れた 作 品 と 認 められてきた そして アティス や ロラン にもかかわらず やはり 彼 の 最 高 傑 作 である 一 方 で アルミード は 彼 の 最 後 の 戯 曲 で たぶん 完 璧 にではない が 彼 の 様 式 が 最 も 特 徴 的 に 現 われている 79 アルミード は 彼 のトラジェディ リリックの 概 念 が 向 かう 最 後 の 地 点 であり 同 時 に 戯 曲 家 としての 彼 のキャリアの 到 達 点 でもある 80 グロがこう 称 賛 するように そこには 魔 力 を 使 うアルミードが 人 間 ルノーへの 宿 命 的 な 73 Sylvain Cornic, op. cit., p. 219, not James R. Anthony, op. cit., p Philippe Beaussant, Lully ou le musicien du soleil, op. cit., p Cuthbert Girdlestone, op. cit., p Sylvain Cornic, op. cit., p Étienne Gros, op. cit., p グロはキノーの 特 徴 が 一 番 完 璧 に 現 われている 作 品 として アティス を 挙 げる Ibid., p not Ibid., p

159 恋 を 知 ることで むしろ 自 分 の 無 力 さに 思 い 悩 む その 人 間 的 な 葛 藤 の 姿 が 描 かれている アルミード には 魔 力 という 超 自 然 的 な 驚 くべきもの と 筋 の 展 開 からもたらさ れ 観 客 を 驚 きと 称 賛 で 満 たす 悲 劇 の 基 本 要 素 としての 驚 くべきもの が 一 体 化 され ているといえよう 外 在 化 された 恋 の 力 はエロスの 恋 の 矢 で 射 られるごとく 外 部 から 来 て 避 けようのない 力 である そしてその 力 はアルミードに 内 在 化 され その 力 に 取 り 込 まれ 彼 女 は 逃 げられ ない ルノーを 刺 し 殺 そうとする 瞬 間 に その 内 在 化 された 力 はアルミードの 魔 力 の 行 使 を 妨 げる フェードルの ヴェニュスによって 刻 印 されたイッポリートへの 欲 望 と 同 じく そこには 避 けられない 運 命 的 な 力 がある ここでは エロスの 恋 の 矢 という 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 深 く 内 在 化 された 主 人 公 の 存 在 そのものと 化 し もはや 単 なる 装 飾 では ない ここに 表 わされる 驚 くべきもの には 内 在 化 された 超 自 然 的 な 驚 くべきもの と 人 間 的 苦 悩 に 立 ち 向 かおうとする 悲 劇 の 本 質 的 な 驚 くべきもの とが 融 合 され 新 たな 舞 台 の 魅 力 活 力 がそこにあるといえよう キノーが アルミード で 舞 台 上 に 見 せる 驚 くべきもの について 2002 年 の 著 作 に おいてトーマスはさらに 進 んだ 視 点 を 取 り 入 れて 次 のように 述 べる [ ] アルミード は 表 象 の 限 界 を 作 り 出 し もう 一 つの 驚 くべきもの を 喚 起 し... ているといえよう すなわちそれは 多 くも 少 なくも 叙 事 詩 やトラジェディ アン ミュ ジックのコード 化 された 要 素 である 驚 くべきものではなく むしろオペラの 崇 高 な 対... 象 としての 驚 くべきもの である [ ]アルミードは 驚 くべきもの[=コード 化 され た 超 自 然 的 な]からも 一 般 的 な 視 覚 的 表 現 からも 離 れた 地 点 を 目 指 すことによって 崇 高 さ の 効 果 を 創 りだす 81 トーマスは アルミード を 崇 高 さ の 美 学 を 取 り 入 れることによって キノーが トラジェディ アン ミュジックを 古 典 悲 劇 と 区 別 して 定 義 しようとした 作 品 だとする 彼 によればトラジェディ アン ミュジックは 古 典 悲 劇 からその 美 学 を 引 き 継 いだという よりも むしろその 話 される 悲 劇 を 超 えた オペラ 的 崇 高 さ の 美 学 を 打 ち 立 てたのだ 彼 の 述 べるコード 化 された 驚 くべきものとは 機 械 仕 掛 けや 魔 術 などで 表 象 され 舞 台 上 で 見 せられる 超 自 然 的 なトラジェディ アン ミュジックの 驚 くべきもの を 指 すであ... ろう そのコード 化 された 驚 くべきものを 超 え そして 音 楽 とオペラ 的 声 という 聴 覚 に 訴 えることで 一 般 的 な 視 覚 的 表 現 からも 離 れた 地 点 を 目 指 すことで オペラは 古 典 劇 を 超 える 崇 高 さ の 効 果 を 得 る そこに 見 られる 驚 くべきもの とは オペラに 多 用 される 単 なる 機 械 仕 掛 けの 見 世 物 的 な 驚 くべきもの のみではなく また 古 典 悲 劇 が 目 指 す 人 間 的 苦 悩 や 情 念 を 展 開 する 筋 書 きによってもたらされる 本 質 的 な 驚 くべきもの のみならず その 二 つの 驚 くべきもの を 超 えた 表 象 の 限 界 を 目 指 すことでオペラの 崇 高 さ が 獲 得 される 二 人 は 音 楽 と 情 熱 のオペラ 的 声 を 使 って 話 す 演 劇 を 超 えた 世 界 81 Downing A. Thomas, op. cit., pp Ibid., pp

160 を 目 指 したのだ 83 続 いてトーマスはカンツレルの 理 論 に 言 及 する カンツレルは リュリとキノーはトラ ジェディ アン ミュジックが 真 に 悲 劇 であり オペラが 単 なる 平 俗 な 見 世 物 ではないこ とを 主 張 しようとした とし オペラをあくまで 古 典 悲 劇 が 拠 って 立 つ 古 典 主 義 理 論 の 枠 内 の 分 析 で 捉 える そのカンツレルの 分 析 についてトーマスはこう 述 べる この[=カンツレルの] 分 析 は 間 違 いなく 支 持 されるべきだが それと 共 にリュリとキ ノーは この 新 しいジャンルのために 戦 う 二 人 にとって 際 限 のない そして 実 りのな い 話 される 劇 との 比 較 からオペラを 逃 れさせようとこの 作 品 を 作 ったと 信 じる 84 トーマスによれば 古 典 劇 との 際 限 のない そして 実 りのない 比 較 を 超 えて 新 し いオペラの 美 学 を 確 立 すべく リュリとキノーは アルミード を 作 った 以 上 のように アルミード をリュリとキノーのオペラ 美 学 の 到 達 点 とみる 論 者 は 多 い そして 筆 者 もこの アルミード の 作 品 において これまで 述 べてきた 二 つの 驚 く べきもの の 概 念 が 融 合 され 新 しい 世 界 が 切 り 開 かれたと 考 える そこには 筋 の 展 開 か らもたらされる 普 遍 的 な 驚 くべきもの が 超 自 然 的 な 驚 くべきもの を 内 在 化 して その 表 象 の 限 界 を 超 えようとし 見 るものに 深 い 感 動 と 驚 きを 与 える その 実 現 された 最 終 地 点 を 見 ることができるであろう そして そのことこそが ペローが 最 終 的 に 目 指 し たオペラ 美 学 の 到 達 点 であった 第 四 節 ペローによる 新 旧 論 争 とそのオペラ 美 学 の 完 成 アルセスト 論 争 におけるペローの 論 点 には 二 つの 視 点 があった 一 つには 当 時 の 古 典 主 義 理 論 を 援 用 し キノー 戯 曲 の 筋 の 展 開 がシャプラン 以 来 の 悲 劇 の 本 質 的 な 驚 くべ きもの の 概 念 に 合 致 し また 古 代 のエウリピデス 原 作 よりもキノーの 戯 曲 の 方 が 同 時 代 ビ ア ン セ ア ン ス の 趣 味 や 習 慣 に 適 う 適 切 さ= 節 度 があり そこに 真 実 らしさ が 見 られることを 述 べた もう 一 つはオペラという 新 しい 舞 台 劇 の 超 自 然 的 な 驚 くべきもの については 古 代 よりの 規 則 からの 逸 脱 性 が 認 められることを 主 張 した ペローは ホラティウスの 時 代 にはオペラはなかったので その 規 則 に 従 うことはできない と 述 べたのだ そこには 続 いて 引 き 起 こされた 新 旧 論 争 において 近 代 派 の 領 袖 として 弁 論 を 展 開 したペロー の 考 えの 端 緒 がみられる アルセスト 批 評 の 中 で 先 立 つ 世 紀 の 仕 事 や 研 究 が 存 在 するという 有 利 さ で 現 代 の 方 が 優 れている 点 があると 述 べたペローは アルセスト 論 争 後 に 起 きたこの 新 旧 論 争 において 進 歩 の 概 念 を 下 に 古 代 よりもルイ 14 世 時 代 の 優 越 性 を 主 張 する そ してこの 新 旧 論 争 においても ホラティウスの 時 代 にはなかった オペラの 擁 護 も 試 みられている コルニックは 新 旧 論 争 におけるペローのオペラ 擁 護 について 当 時 主 流 であった 古 代 モデルを 模 倣 する 教 義 の 修 復 を 目 指 すペローは オペラが 芸 術 創 造 の 83 Ibid., p Ibid., p

161 準 拠 において 進 歩 の 概 念 を 証 明 したと 主 張 し またオペラ 戯 曲 を 文 学 ジャンルの 尊 厳 にま で 引 き 上 げた そして この 概 念 が 論 争 を 引 き 起 こした 85 と 説 明 する ここで アルセスト 論 争 後 の ペローに 代 表 されるオペラを 支 持 する 近 代 派 の 変 遷 を 見 てみよう 1677 年 二 番 目 の 兄 ピエール ペロー (Pierre Perrault) は 弟 シャルル 援 護 の ため イフィジェニー 批 判 を 書 く それは 165 枚 の 未 完 手 稿 のまま 残 され エウリピ デスとラシーヌ 氏 との 二 つの 悲 劇 イフィジェニー についての 批 評 と 互 いの 比 較 Critique des deux tragédies d Iphigénie d Euripide et de M. Racine et la comparaison de l une avec l autre という 題 で 現 代 のラシーヌのほうがエウリピデスよりも 優 れているという 古 代 派 ラシー ヌに 対 して 逆 説 的 な 賛 辞 を 贈 っている 新 旧 論 争 の 正 式 の 発 端 は 1687 年 1 月 86 アカデミー フランセーズ でペローが 自 作 の 詩 をラヴォー 師 (abbé de Lavau) に 読 んでもらったことから 始 まる それは ルイ 大 王 の 世 紀 Le Siècle de Louis le Grand 87 と 題 されていて 王 の 手 術 からの 回 復 を 祈 って 献 呈 さ れた ペローは 古 代 の 作 家 たちに 代 わって 当 代 の 作 家 たちに 栄 誉 を 与 え 新 しい 科 学 の 発 展 を 祝 した しかしその 中 に 古 代 派 のラシーヌ ボワロー ラ フォンテーヌは 除 外 され る 88 彼 は 進 歩 の 概 念 により ルイ 14 世 の 時 代 が 古 代 より 優 れているとする この 中 で ペローはコルネイユに 対 し 次 のような 賛 辞 を 贈 る しかしながら 偉 大 なるコルネイユの 天 命 はいかなるものになろうか フランス 演 劇 において 名 誉 と 驚 くべきもの le merveilleux をもたらし 偉 大 な 出 来 事 に 高 貴 な 感 情 の 英 雄 的 美 をどんなにうまく 解 け 合 わせただろうか! 89 ここでのペローは アルセスト 批 評 において 超 自 然 的 な 機 械 仕 掛 けの 正 当 性 を 擁 護 するためになした 驚 くべきもの の 混 乱 は 見 られない ここでは 驚 くべきもの の 二 つの 概 念 のうち 驚 き/ 称 賛 という 演 劇 の 基 本 要 素 として 捉 えている ル ブランの 絵 画 にも その 光 りの 効 果 などについて 何 箇 所 か 驚 くべきもの という 用 語 を 使 い そこ ではやはり 驚 き/ 称 賛 と 解 釈 される 賛 辞 を 贈 っている また リュリの 音 楽 を 自 然 で 心 を 打 つと 褒 め その 信 じ 難 い 優 美 さは 古 代 ギリシアの 音 楽 は 知 らないと 評 する 90 この 500 行 を 超 える ルイ 大 王 の 世 紀 の 詩 に 対 して ボワローとラシーヌが 攻 撃 した ペローはその 回 想 録 でその 時 の 様 子 をこう 伝 える 85 Sylvain Cornic, op. cit., p 年 前 にキノー/リュリの 最 終 作 アルミード 上 演 87 Chareles Perrault, «Le Siècle de Louis le Grand» dans La Querelle des Anciens et des Modernes, éd. Anne-Marie Lecoq ( Paris: Gallimard, 2001), p Ibid., p Alain Génetiot, Le classicisme. op. cit., p Chareles Perrault, «Le Siècle de Louis le Grand», op. cit., p «Mais quel sera le sort du célèbre Corneille, / Du théâtre français l honneur et la merveille, / Qui sut si bien mêler aux grands événements / L héroïque beauté des nobles sentiments?» 90 Chareles Perrault, «Le Siècle de Louis le Grand», op. cit., p «Tel que ceux de Lully, naturels et touchants; / Mais n ayant point connu la douceur incroyable / Que produit des accords la rencontre agréable, / Malgré tout le grand bruit que la Grèce en a fait, / Chez elle ce bel art fut un art imparfait.» 160

162 この 賛 辞 はデプレオー 氏 [=ボワロー]を 大 いに 苛 立 たせ 彼 は 低 い 声 でしばらくぶ つぶつ 言 っていたが アカデミー の 全 員 の 前 で 突 然 立 ち 上 がり このようなこと を 聞 かされ 古 代 のもっとも 偉 大 な 人 物 たちを 非 難 するのは 恥 であると 言 った その 時 ソワソンの 司 教 であったユエ 氏 (Pierre-Daniel Huet) がお 黙 りなさいと 彼 に 言 っ た 91 また 続 けてラシーヌについてはこう 述 べる ラシーヌ 氏 はこの 作 品 について 大 変 褒 め 私 にお 世 辞 を 言 った しかしそれ[= 私 が 詩 で 述 べたこと]はただ 精 神 の 戯 れに 過 ぎず 私 の 真 実 の 見 解 は 少 しも 含 まれていない ほんとうは 詩 の 中 で 言 明 したこととはすべて 反 対 なことを 私 が 考 えている と 彼 は 想 定 していた 92 よって 彼 らの 誤 解 を 解 くために 今 度 は 韻 文 ではなく 散 文 形 式 で 執 筆 することにした これが 4 巻 の 古 代 人 と 近 代 人 との 比 較 Parallèle des Anciens et des Modernes を 書 こうと した 由 来 である とペローは 回 想 録 を 締 めくくる 93 その 4 巻 は 1688 年 1690 年 1692 年 1697 年 に 刊 行 される 古 代 人 と 近 代 人 の 比 較 は 現 代 を 擁 護 する 修 道 院 長 (l Abbé)と 古 代 派 の 高 等 法 院 評 定 官 (le Président) そして 中 間 の 立 場 にいる 騎 士 (le Chevalier) 三 人 による 鼎 談 の 形 式 で 繰 り 広 げられる 1690 年 第 二 巻 でペローは 修 道 院 長 に 次 のように 言 わしめている 私 はアレクサンドルやアウグストの 時 代 が 野 蛮 だと 言 おうとは 少 しも 思 いません 彼 らは 彼 らなりに 十 分 に 礼 儀 正 しかったのです しかし われわれの 世 紀 は 最 も 後 の 時 代 であり 先 立 つ 世 紀 の 良 し 悪 しの 例 を 役 立 ててきたという 利 点 が すべての 世 紀 のうちで われわれの 世 紀 を 最 も 知 識 があり 最 も 礼 儀 正 しく 繊 細 この 上 な いものとするのです 94 ペローにとってルイ 14 世 時 代 は 古 代 ギリシア ローマに 匹 敵 するだけではなく 進 歩 91 Charles Perrault, Mémoires de ma vie, éd. Paul Bonnefon, op. cit., p «Ces louanges irritèrent tellement M. Despréaux qu après avoir grondé longtemps tout bas, il s éleva dans l Académie, et dit que c étoit une honte qu on fit une telle lecture, qui blamoit les plus grands hommes de l antiquité. M. Huet, alors évèque de Soissons, lui dit de se taire,[...]» 92 Ibid., p «M. Racine me fit compliment sur cet ouvrage, qu il loua beaucoup, dans la supposition que ce n étoit qu un pur jeu d esprit qui ne contenoit point mes véritables sentiments, et que dans la vérité je pensois tout le contraire de ce que j avois avancé dans mon poëme.» 93 Ibid., p «[...] de sorte que je pris la résolution de dire sérieusement en prose ce que j avois dit en vers, et de le dire d une manière à ne pas faire douter de mon vrai sentiment là-dessus. Voila quelle a été la cause et l origine de mes quatre tomes de Parallèles.» 94 Charles Perrault, Parallèle des Anciens et des Modernes, t. 2. (Paris : Jean-Baptiste Coignard, 1690), p «Je ne dis point que les siecles d Alexandre & d Auguste ayent esté barbares, ils ont esté autant polis qu ils le pouvoient estre, mais je prétens que l avantage qu a nostre siecle d estre venu le dernier, & d avoir profité des bons & des mauvais exemples des siecles précedens, l a rendu le plus sçavant, le plus poli & le plus delicat de tous.» La Querelle des Anciens et des Modernes, op. cit., p

163 の 概 念 によって むしろ 古 代 を 凌 ぐ 称 賛 に 値 する 新 しい 芸 術 を 生 み 出 した またその 第 三 巻 ではオペラについて またキノーの 文 体 に 言 及 している キノーはボワ ローなどから その 表 現 は 平 凡 で 日 常 的 であり その 語 彙 には 高 貴 さや 推 敲 された 深 い 考 えがないと 批 判 された それに 対 してペローは キノーの 文 体 は 音 楽 に 合 わせるテクスト を 求 められたからで 語 られる 演 劇 におけるテクストの 要 請 とは 異 なると 主 張 した 音 楽 劇 では 言 葉 をすべて 理 解 することは 困 難 だ よってキノーの 文 体 は 大 変 自 然 で よく 知 られた 言 葉 で 通 常 良 く 用 いられる 言 葉 を 使 用 し 日 常 の 表 現 で 大 変 自 然 な 考 え を 使 ったとペローは 擁 護 している 95 ボワローのキノー 批 判 は オペラの 音 楽 付 きの 台 詞 と 語 られる 演 劇 の 台 詞 とを 同 基 準 で 判 断 し その 基 準 から 見 てキノーの 文 体 や 表 現 の 平 板 さを 非 難 している しかしながら 当 時 のコルネイユやラシーヌに 見 られるアレクサンドランが 朗 々と 響 き 渡 る 悲 劇 の 長 台 詞 を そのままオペラの 台 詞 にしても 音 楽 に 伴 われたその 言 葉 を 明 瞭 にすべて 聞 き 取 ることは 至 難 の 業 であろう しかもラシーヌの 台 詞 に 籠 められた 深 い 陰 影 や 屈 折 した 複 雑 な 表 現 な どは 俳 優 がアレクサンドランの 何 十 行 をも 駆 使 して 仔 細 に 語 ることで 観 客 に 理 解 される 世 界 であり 同 じ 効 果 をオペラの 台 詞 に 求 めても 一 人 の 主 人 公 が 何 十 小 節 もの 間 長 い 台 詞 を 歌 い 続 けても 観 客 には 十 分 には 理 解 されないであろう オペラの 台 詞 と 演 劇 のそれと が 異 なるゆえに 初 めてフランス 語 のオペラを 書 いたペランは 短 い 台 詞 で 自 由 韻 律 を 用 い 歌 い 手 の 息 継 ぎを 楽 にするように 心 がけ リュリもそのレシタティフの 確 立 に 苦 慮 した 戯 曲 家 としてさまざまなジャンルに 通 じ 俳 優 の 朗 誦 法 を 熟 知 していたキノーが 台 本 を 書 くことで リュリはレシタティフの 問 題 を 解 決 できたといえよう キノーの 台 詞 は 音 楽 を 伴 ってもよく 聞 き 取 りやすいように 平 易 で 日 常 的 な 語 彙 が 使 われるというペローの 発 言 は 当 然 なされるべき 擁 護 であると 思 われる またキノーがその 文 体 の 平 易 さや 表 現 の 平 板 さ で 批 判 を 受 けるということは それだけ 17 世 紀 後 半 オペラ 成 立 時 のフランスにおいては オペラが 演 劇 と 同 じ 基 準 で 比 較 され 論 じられたという 証 拠 でもあろう また ペローは 同 じく 古 代 人 と 近 代 人 との 比 較 第 三 巻 でオペラについてこう 修 道 院 長 に 言 わしめる オペラ においてはすべてが 尋 常 でないことであり 自 然 を 超 えているのです この 詩 のジャンルでは 作 り 話 過 ぎるということはありません プシシェ の 話 のように 昔 の 物 語 はオペラにもっとも 美 しい 主 題 を 提 供 しますし それはよく 構 成 され 最 も 規 則 だった 筋 書 きよりもより 大 きい 快 楽 を 与 えてくれます Charles Perrault, Parallèle des Anciens et des Modernes, t. 3. op. cit., p «Il faut que dans un mot qui se chante la syllabe qu on entend fasse deviner celle qu on n entend pas, que dans une phrase quelques mots qu on a ouïs fassent suppléer ceux qui ont échappé à l oreille, & enfin qu une partie du discours suffise seule pour le faire comprendre tout entier. Or cela ne se peut faire à moins que les paroles, les expressions & les pensées ne soient fort naturelles, fort connuës & fort usitées; ainsi, Monsieur, on blasme Monsieur Quinault par l endroit où il merite le plus d estre loüé, qui est d avoir sçû faire avec un certain nombre d expressions ordinaires, & de pensées fort naturelles, [...]» Buford Norman, «Ancients and Moderns, Tragedy and Opera: The Quarrel over Alceste», in French Musical Thought , op. cit., p Charles Perrault, Parallèle des Anciens et des Modernes, t. 3. (Paris: Jean-Baptiste Coignard, 1692). p «: dans un Opera tout doit estre extraordinaire, & au dessus de la nature. Rien ne peut estre trop fabuleux dans ce 162

164 そして 鼎 談 相 手 の 騎 士 の 相 槌 に 応 えて オペラの 魅 力 についてこう 続 ける [...]これらのうまく 扱 われたキマイラは 理 性 自 体 に 反 していても それを 楽 しませ 眠 らせ すべての 想 像 上 の 真 実 らしさよりも 理 性 を 魅 惑 するのです 97 われわれはこの キマイラ という 表 現 に ペローが 目 指 していた 世 界 があると 確 認 し たい ここに ペローが 考 えたオペラ 美 学 の 到 達 点 があると 思 われる 従 来 の 古 典 悲 劇 の 枠 を 超 えてより 古 代 悲 劇 に 似 通 って 神 話 を 取 り 入 れ しかも 観 客 の 驚 き/ 称 賛 に 訴 え ることによってその 理 性 を 眠 らせ 魅 了 するオペラの 美 学 機 械 仕 掛 けの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの と 従 来 のアリストテレス 詩 学 以 来 の 筋 の 展 開 による 驚 くべきもの と の 融 合 された 魔 力 を 放 つキマイラの 魅 惑 それこそがペローが 求 めたオペラの 到 達 点 で あり それが 17 世 紀 における 進 歩 の 概 念 と 一 致 することを 彼 は 示 そうとした 人 間 社 会 に とっては 不 条 理 で 理 解 しがたい 非 日 常 的 で 超 越 的 な 力 を 日 常 の 人 間 社 会 に 結 び 付 け そ こに 新 たな 魔 力 を 獲 得 したいという 願 望 理 性 を 眠 らせ 魅 惑 するキマイラ としての 魔 力 それが 賭 けられていたのがトラジェディ アン ミュジックだとペローは 述 べている そこには 従 来 の 古 典 悲 劇 の 真 実 らしさ を 第 一 義 とし 理 性 に 訴 え 規 則 を 遵 守 する 理 念 に 対 してオペラが 到 達 した 地 点 があり その 地 点 こそが 17 世 紀 の 進 歩 の 概 念 が 象 徴 され る 場 であるとペローは 主 張 している そしてこのようにペローが 主 張 するには この 古 代 人 と 近 代 人 との 比 較 第 三 巻 が 出 版 された 1692 年 には すでにリュリとキノー 両 者 とも 没 していたが 二 人 の 最 後 の 共 作 作 品 であり トラジェディ アン ミュジックの 最 高 傑 作 といわれる アルミード が 書 かれていた ペローはこの 作 品 に 自 分 の 理 想 としたオペラ 美 学 が 完 成 された 形 を 見 たであろう かつてペローが アルセスト 批 評 で 唐 突 に 言 及 した 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 本 質 的 な 驚 くべきもの の 内 部 へ 混 入 し 内 在 化 することによって 新 しい 展 開 を 見 た そ してトラジェディ アン ミュジックはトーマスが 言 うように 古 典 劇 との 際 限 のない 実 り 少 ない 比 較 ではなく それを 超 えるものとして 提 示 されるべきであったのだ ペローが オペラにおいて 古 典 主 義 の 規 則 を 逸 脱 することを 擁 護 して オペラはホラティウスの 時 代 にはなかったからその 規 則 に 従 うことはできない と 言 った 時 コルニックは オペラ とキノーを 古 代 派 の 詩 学 の 監 視 と 悲 劇 のコンセプトから 解 放 した 98 と 述 べる ペローの 脳 裏 には オペラがルイ 14 世 時 代 を 象 徴 する 新 しい 舞 台 芸 術 として それまでの 古 典 主 義 的 束 縛 に 基 盤 を 置 きながらも そこを 超 えて 全 く 革 新 的 な 世 界 を 目 指 していく その 未 来 図 が 描 かれていたのであろう われわれは 序 論 において 仮 説 としてこのように 想 定 した 超 自 然 的 な 驚 くべき もの そして 普 遍 的 な 驚 くべきもの それら 二 つの 驚 くべきもの が 混 在 してい genre de Poësie, les contes de vieille comme celuy de Psyché en fournissent les plus beaux sujets, & donnent plus de plaisir que les intriques les mieux conduittes & les plus regulieres.» 97 Ibid, p «; ces chimeres bien maniées amusent & endorment la raison, quoyque contraires à cette mesme raison, & la charment davantage que toute la vray-semblance imaginable:» 98 Sylvain Cornic, op. cit., p

165 るからこそ 観 客 を 驚 かせ 称 賛 させる それがオペラの 本 質 ではないか そしてその 常 軌 を 逸 した 魔 力 古 典 劇 の 筋 の 展 開 からもたらされる 驚 くべきもの の 作 劇 法 にも 従 い し かも 超 自 然 的 な 要 素 も 加 味 した 驚 くべきもの の 表 現 は 見 るものにある 種 の 怪 物 性 を 醸 し 出 し それがオペラの 人 々を 引 き 付 けて 止 まない 魔 力 となったのではないか そのこ とを 最 初 に 考 察 したのがペローの アルセスト 批 評 ではなかったのかと そして われ われが 序 論 で 仮 定 した 論 点 の 到 達 点 がこの アルミード にあったといえよう この 序 論 での 想 定 は リュリとキノーの 最 後 の 作 品 アルミード で 確 認 されたと 考 える キノーは アティス アルミード と 次 第 に 超 自 然 的 な 驚 くべきもの を 手 の 内 に 収 め 普 遍 的 で 人 間 的 な 驚 くべきもの に 融 合 させることに 成 功 した その 二 つの 驚 くべきもの を 融 合 して 表 象 の 限 界 に 挑 んだ 地 点 において オペラは キマイラ とし ての 魔 力 を 放 ち 新 たな 地 平 を 獲 得 したといえよう そしてその 地 点 こそ ペローが ア ルセスト 批 評 や 古 代 人 と 近 代 人 との 比 較 で 目 指 した トラジェディ アン ミュジッ クが 従 来 の 古 典 悲 劇 を 超 えて 向 かうべき 革 新 的 な 到 達 点 だったと 思 われる しかし 歴 史 はペローたち 近 代 派 の 流 れから 次 第 に 逸 れ 始 めていく アカデミー フ ランセーズ や 小 アカデミー において 近 代 派 は 影 響 を 失 い 始 め ラシーヌ ボワロー 等 の 古 代 派 に 取 って 代 わられるようになる 1682 年 初 めにペローは 子 息 の 養 育 を 理 由 に 王 室 建 造 物 監 督 官 を 辞 め コルベールの 留 意 にもかかわらず 小 アカデミー も 辞 めた そ して 今 日 有 名 な 童 話 集 を 書 く 99 ガ ロア 師 (abbé Gallois) 等 が 替 わりを 務 めたが ペロー の 小 アカデミー でのそれまでの 仕 事 をカヴァーするには 荷 が 重 かったので 18 ヶ 月 に 渡 ってアカデミーや 小 アカデミー の 活 動 は 停 滞 したとボーズは 1717 年 その 王 立 碑 文 文 芸 アカデミーの 歴 史 の 中 で 伝 える 年 コルベールの 死 後 ルヴォア 侯 爵 (marquis de Louvois) が 王 室 建 造 物 の 総 監 督 官 となって 小 アカデミー の 実 権 を 握 り ペローはほとんど 会 合 に 出 ていないという 理 由 で[=コルベールに 近 すぎたという 理 由 もあるであろう] 遠 ざけられた それまでのキノー シャ ルパンティエ タールマンの 三 人 に フェリビアン 師 (père Félibien) 101 王 室 建 造 物 監 督 官 としてペローの 後 任 にラ シャペル (Jean de la Chapelle) そして 王 の 修 史 官 としてボワ ローとラシーヌが 選 ばれ 8 人 目 としてランサン (Pierre Rainssant) が 就 任 した キノーが 99 ちなみにペローの 童 話 集 は ペローが 子 息 の 教 育 に 当 たっていた 頃 に 順 次 発 表 されていた 韻 文 3 篇 の 作 品 を 1695 年 第 4 版 序 文 付 き 韻 文 による 物 語 Contes en vers avec la préface として また 1697 年 に は 新 たに 散 文 8 篇 が 過 ぎし 日 の 物 語 並 びに 教 訓 Histoires ou des Contes du temps passé として 出 版 された 最 初 の 1695 年 版 はシャルル ペロー 作 とされるが 1697 年 版 は 著 者 については 諸 説 ある その 1695 年 版 序 でペローは 古 代 ギリシアの 恋 愛 を 主 題 とした 寓 話 プシシェ に 対 して フランスにおいては 子 供 の 教 訓 となるような 優 れた 昔 話 が 残 っていると 述 べているが そこには 新 旧 論 争 の 影 響 が 見 られる この 童 話 集 には 民 間 伝 承 の 超 自 然 的 な 驚 くべきもの を 用 いた 昔 話 が 収 録 されている ペローは 1703 年 まで 生 きた Charles Perrault, «Introduction» par Catherine Magnien, dans Contes, (Paris: Libraire Générale Française, 2006), pp Claude Gros de Boze, Histoire de l Académie royale des inscriptions et belles-lettres, avec les Mémoires de littérature tirés des registres de cette académie, op. cit., pp ボーズの 伝 えるところによると ルヴォア 侯 爵 に 呼 ばれたキノーとシャルパンティエはペローの 解 任 を 突 然 告 げられて 代 わりの 人 選 を 強 いられ 呆 然 としてそれまで 手 伝 っていたガロア 師 を 忘 却 し たまた まその 場 に 居 合 わせたフェリビアン 師 が 時 折 小 アカデミー の 会 合 に 顔 を 出 したことがあったため 彼 の 名 を 指 名 したという Ibid., p

166 1688 年 没 し ランサンが 不 幸 にもヴェルサイユの 池 で 1689 年 溺 死 した 後 の 交 替 補 充 は 1691 年 ルヴォア 侯 爵 の 死 亡 時 まで 行 われなかった 小 アカデミー は ルーヴル 宮 の ア カデミー フランセーズ と 同 じ 部 屋 に 場 所 を 移 し 集 会 は 週 2 回 月 曜 日 と 土 曜 日 の 夕 方 5 時 から 7 時 まで 行 われた 102 こうして 次 第 に 小 アカデミー の 実 権 はかつてのコル ベール ペローからラシーヌ ボワローという 古 代 派 に 移 っていく またキノーは 亡 くな るまでラシーヌ ボワローと 小 アカデミー で 同 僚 だったということになる オペラは 王 が 管 理 する 事 柄 としてルヴォアたちは 直 接 的 には 介 入 しなかったが 王 は 老 い 信 心 深 いマントノン 夫 人 の 影 響 もあり オペラから 次 第 に 遠 ざかるようになった 小 アカデミー は 1701 年 王 の 勅 書 を 得 て 正 式 に 王 立 碑 文 文 芸 アカデミーl Académie royale des inscriptions et belles-lettres となる 103 以 上 が 小 アカデミー の アルセスト 論 争 後 の 経 緯 であるが 一 方 アカデミー フランセーズ においては 古 代 派 のうち 会 員 に 就 任 した 年 代 はラシーヌは 1673 年 であっ たが ボワローとラ フォンテーヌはようやく 1684 年 であった ボワローは 1711 年 まで 長 寿 を 全 うし 彼 によりラシーヌを 中 心 とする 古 典 主 義 美 学 の 第 二 期 が 主 張 されるように なるであろう 次 世 代 の 中 では 1688 年 にコルネイユの 甥 フォントネルがペローの 後 継 者 の 認 識 で 古 代 派 と 近 代 派 についての 迂 説 Digression sur les Anciens et les Modernes において 現 代 の 作 家 は 古 代 の 作 家 と 入 れ 替 わる 使 命 があるとした その 中 で 彼 は 現 代 のギャラントな 文 学 寓 話 オペラを 新 しい 分 野 として 取 り 上 げ そこには 現 代 優 れた 作 家 たちがいるが 古 代 はその 作 家 たちに 対 峙 するものはだれもいなかったと 賛 辞 する 104 古 代 派 が 台 頭 してい く 中 で 彼 は 強 力 な 近 代 派 の 支 持 者 として 留 意 されるであろう 新 旧 論 争 は 公 式 的 には 1694 年 8 月 アカデミー フランセーズ の 会 合 で アル ノー (Antoine Arnauld) やボシュエ (Jacques-Bénigne Bossuet) ラシーヌの 仲 介 で ペロー とボワローが 和 解 することで 終 結 を 見 た 第 五 節 その 後 のキノー アルミード によりキノー/リュリはトラジェディ アン ミュジックの 到 達 点 を 迎 えたが しかしながら 時 代 は 変 わっていた マントノン 夫 人 の 影 響 もあり ルイ 14 世 のオ ペラに 対 する 態 度 の 変 化 にキノーは 気 付 いていた アルミード の 初 演 後 キノーは 王 の 前 に 申 し 出 て 自 分 が 結 核 に 冒 されており 宗 教 上 の 理 由 から 戯 曲 詩 人 は 続 けられないと その 地 位 を 降 りた 2009 年 の 著 作 でノーマンは キノーが アルミード 以 上 の 作 品 は 書 102 Ibid., pp «Il les fixa ensuite au Louvre, dans le mesme lieu où se tiennent celles de l Académie Françoise, & il regla qu on s assembleroit dex fois la semaine, le Lundi & le Samedi, depuis cinq heures du soir jusqu à sept.» 103 Ibid., pp Manuel Couvreur, Jean-Baptiste Lully, musique et dramaturgie au service du prince, op. cit., pp Bernard le Bovier de Fontenelle, «Digression sur les Anciens et les Modernes» dans La Querelle des Anciens et des Modernes, éd. Anne-Marie Lecoq (Paris: Gallimard, 2001), p «Il y a même des espèces nouvelles, comme les lettres galantes, les contes, les opéras, dont chacune nous a fourni un auteur excellent, auquel l Antiquité n a rien à opposer, [...]» 165

167 けないと 判 断 したからだろうと 推 測 する 105 また 1685 年 にはリュリの 長 年 の 習 癖 であった 男 色 が 明 るみに 出 て 王 によって 不 興 を 蒙 る 事 件 も 発 生 していた リュリがキノーの 引 退 後 の 1687 年 アシールとポリクセーヌ で 使 った 台 本 作 家 カンピストロン (Jean-Galbert de Campistron ) はラシーヌの 弟 子 だった 戯 曲 詩 人 の 地 位 は 降 りたが キノーは アカデミー フランセーズ や 小 アカデミー の 会 員 としての 役 割 また 会 計 院 の 監 査 官 を 1688 年 53 歳 で 亡 くなるまで 務 めた 王 は 継 続 して リーヴルの 下 賜 年 金 を 与 えた 年 に 13 年 間 のオペラ 台 本 作 家 として の 生 活 からは 遠 ざかったが 宮 廷 詩 人 としてナントの 王 令 の 廃 止 [=1685 年 ]を 祝 した 1686 年 の 詩 覆 された 異 端 の 絵 Tableau de l Hérésie détruite を 始 め 1688 年 没 するまで 王 の 威 光 を 歌 い 続 けた ここで 本 論 に 取 り 上 げた アルセスト を 始 めとして その 後 のキノー 作 品 の 上 演 経 緯 について 簡 単 に 触 れておきたい アルセスト は 王 立 音 楽 アカデミー のパレ=ロワ イヤル 劇 場 初 演 においては 多 くの 批 判 に 晒 されたが 王 のお 気 に 入 りの 題 目 の 一 つとなり やがて 聴 衆 の 心 を 掴 み 勝 利 を 収 めた 1677 年 フォンテーヌブロー 1678 年 サン=ジェル マン=アン=レ 1700 年 1703 年 1754 年 と 宮 廷 での 再 演 が 行 われた パレ=ロワイヤ ル 劇 場 では 1678 年 年 年 1716 年 1728 年 1739 年 1757 年 と 再 演 が 続 き その 後 1776 年 カルツァビージ (Ranieri de Calzabigi) を 下 にフランス 語 に 翻 案 された 台 本 に グルック (Christoph Willibald Gluck) が 作 曲 した アルセスト まで 聴 衆 の 人 気 は 続 いた 年 グルックはルイ 14 世 を 讃 えるプロローグを 削 除 した 他 は キ ノーの 台 本 通 りに アルミード を 作 曲 した 1778 年 マルモンテル (Jean-François Marmontel) がキノーのオペラ 台 本 を 下 に 新 しく 台 本 を 書 き ピッチンニ (Niccolo Piccinni) が 作 曲 した ロラン が 上 演 され 1780 年 には 同 じ 二 人 で アティス が 演 じられる 1779 年 J. C. バッハ (Johann Christian Bach) は ゴールのアマディス Amadis de Gaule でキノー の 台 本 を 下 にし 1782 年 ゴセック (François-Joseph Gossec) が 同 じくキノーの 台 本 を 下 に テゼー を 上 演 した 19 世 紀 初 頭 までキノーの 台 本 は 繰 り 返 し 用 いられたが 革 命 が 落 ち 着 くとロマン 主 義 や 自 然 主 義 の 台 頭 の 下 に 忘 れ 去 られることになった その 後 17 世 紀 フランス 古 典 主 義 が 復 活 しても ラシーヌやボワロー ラ フォンテーヌ 等 のキノー 評 価 が 重 きをなし むしろ 嘲 弄 の 対 象 として 認 識 される 傾 向 もあった その 傾 向 は 20 世 紀 前 半 の 文 学 批 評 家 ランソンにも 見 られ 彼 はボワローに 倣 ってキノーを 低 く 評 価 し 108 同 様 に 今 日 においてもこれまで 本 論 で 見 てきたように 古 典 劇 研 究 者 フォレスティ エやフュマロリなどからキノーは 等 閑 視 されている このように 長 らく 文 学 史 の 舞 台 から 忘 れ 去 られていたキノーであったが 1926 年 グロの 博 士 論 文 フィリップ キノーその 生 涯 と 作 品 Philippe Quinault: sa vie et son œuvre がキノーを 再 評 価 し その 業 績 にようやく 光 りが 当 てられることとなった 105 Buford Norman, Quinault, Librettiste des Lully: Le poète de Grâces, op. cit., p. 329, not Sylvain Cornic, op. cit., pp Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p. 96. Étienne Gros, op. cit., p Gustave Lanson, Esquisse d une histoire de la tragédie française (Paris: Champion, 1927). 166

168 20 世 紀 後 半 になるとトラジェディ アン ミュジックの 蘇 演 が 始 まるようになる 1987 年 クリスティー(William Christie) の 指 揮 でレ ザール フロリサン (Les Arts Florissants)に より オペラ=コミック 座 において アティス が 成 功 を 収 め 以 来 シャンゼリゼ 劇 場 で は アルセスト アルミード ロラン が 上 演 された 1992 年 にはマルゴワール (Jean-Claude Malgoire) の 指 揮 により 同 じくシャンゼリゼ 劇 場 で アルセスト が 上 演 録 音 される 年 リヨン 新 歌 劇 場 杮 落 しとして 1688 年 旧 劇 場 開 場 時 と 同 じ 演 目 ファ エトン が 上 演 され その 後 アマディス イジス プロゼルピーヌ と 続 演 さ れる 年 にはリュリ 没 後 300 年 を 記 念 して ヴェルサイユ バロック 音 楽 センター 主 宰 による 国 際 シンポジウムが 開 かれ リュリの 作 品 集 が 刊 行 される それは 現 在 36 巻 で 完 成 している 109 Alceste. La Grande Écurie et La Chambre du Roy: Astrée, E 8527 AD (CD), Enregistrement 1992, Libération Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p. 96. Étienne Gros, op. cit., p

169 結 論 これまで 主 に アルセスト を 中 心 にキノー/リュリのトラジェディ アン ミュジッ クを 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 から 検 討 してきた 従 来 オペラにおける 驚 くべき もの とは 18 世 紀 のバトゥー 師 などが 定 義 した トラジェディ アン ミュジックで 多 用 される 機 械 仕 掛 けによる 神 話 の 神 々の 介 入 や 魔 法 変 身 などを 指 す 超 自 然 的 な 驚 くべ きもの に 限 定 されて 用 いられてきた 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 17 世 紀 ラ ブリュ イエールや 現 代 でもフュマロリの 批 判 に 代 表 されるように その 子 供 っぽさ が 指 摘 さ れ 真 実 らしさ に 背 くと 非 難 を 浴 びてきた しかしわれわれは 17 世 紀 オペラ 成 立 時 に はもう 一 つの 本 質 的 な 驚 くべきもの の 概 念 があり それはアリストテレスのタウマス ミ ュ ー ト ス トン 以 来 の 筋 書 き の 展 開 での 予 期 せぬ 急 転 回 による 驚 き その 効 果 からもたらされ る 魂 を 驚 きと 称 賛 とで 魅 了 するという 概 念 があることを 確 認 した その 驚 くべきも の の 概 念 は 17 世 紀 前 半 シャプランにより 定 義 され 真 実 らしさ とともに 悲 劇 作 劇 上 の 重 要 な 要 素 とされた そして われわれは 序 論 で この 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 が 混 在 しているからこそ 観 客 を 驚 かせ 称 賛 させる それがオペラの 本 質 なのではないかと 仮 定 した オペラには 劇 のあらすじの 展 開 や 人 物 像 から 生 み 出 される 基 本 的 な 作 劇 上 の 驚 くべきもの の 概 念 に 機 械 仕 掛 けという 視 覚 的 な 驚 くべきもの の 概 念 が 加 味 され それにバレエや 音 楽 という 視 覚 的 にも 聴 覚 的 にも 観 客 を 驚 嘆 させ 楽 しませる 要 素 があっ た その 二 つの 驚 くべきもの が 融 合 し 古 典 劇 の 筋 の 展 開 からもたらされる 驚 くべ きもの にも 従 い しかも 超 自 然 的 な 要 素 も 加 味 した 驚 くべきもの の 表 現 は 見 るも のにある 種 の 怪 物 性 を 醸 し 出 し それがオペラの 人 々を 引 き 付 けて 止 まない 魔 力 となった のではないか そしてそのことを 最 初 に 考 察 したのがペローの アルセスト 批 評 ではな いだろうか そういう 仮 定 の 下 に 論 を 進 めてきた ペローは アルセスト 批 評 で 上 記 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 を 用 い キノーの 戯 曲 を 擁 護 している 前 半 ではアリストテレス 以 来 の 古 典 主 義 の 悲 劇 理 論 に 従 い キノー ビ ア ン セ ア ン ス の 戯 曲 をその 筋 の 展 開 から 弁 護 し それが 時 代 の 適 切 さ= 節 度 に 適 い 引 いては 真 実 らしさ を 獲 得 していること また 予 想 外 の 急 転 回 で 筋 が 解 決 される 成 り 行 きを 見 守 る 観 客 の 心 に 驚 きと 喜 びの 効 果 が 生 み 出 されることなどを 論 じている ここでペローはア リストテレスのタウマストンの 教 義 を 受 け 継 いだ シャプランの 定 義 する 驚 くべきもの の 概 念 から 論 じているといえよう ペローはその 置 かれた 社 会 的 役 割 から 小 アカデミー や アカデミー フランセーズ でシャプランと 緊 密 な 関 係 を 持 ち ペローが 深 く 関 わっ た 辞 典 における 驚 くべきもの の 定 義 が 示 すように 彼 がシャプランの 概 念 を 継 承 していることをわれわれは 確 認 した 後 半 の 驚 くべきもの には それまでの 筋 の 展 開 から 来 る 劇 作 上 の 重 要 な 要 素 として の 驚 くべきもの から 超 自 然 的 な 驚 くべきもの への 性 急 な 転 換 と 混 乱 が 見 られる ペローは 前 半 で 劇 作 上 の 要 素 である 驚 くべきもの の 観 点 からオペラを 擁 護 していたこ とは 無 視 したかのように 悲 劇 には 超 自 然 的 な 驚 くべきものと 真 実 らしさが 混 在 し オ ペラには 超 自 然 的 な 驚 くべきものしかない と 断 定 する この 点 についてカンツレルは 168

170 ペローが 時 代 遅 れの 理 論 に 従 っているとする カンツレルによるとすでに 1660 年 のコルネ イユの 三 劇 詩 論 で オペラと 古 典 劇 とは 超 自 然 的 な 驚 くべきもの で 分 けられたと する よって カンツレルによると 古 典 劇 には 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 要 素 はすで に 排 除 されていたのだ しかし 古 代 ギリシア 悲 劇 復 活 を 目 指 すトラジェディ アン ミュジックの 成 立 により 古 典 悲 劇 自 体 も 変 容 を 見 せていたと 思 われる なぜなら ペローの アルセスト 批 評 を 受 けて 上 演 されたラシーヌの イフィジェニー には 機 械 仕 掛 けこそ 使 われていないが ディアーヌの 託 宣 という 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 要 素 が 劇 の 発 端 であり またその 大 団 円 を 締 めくくっているからである そこには 超 自 然 的 な 驚 くべきもの に 関 して 機 械 仕 掛 けで 舞 台 上 に 載 せるか 活 写 法 として 俳 優 の 口 から 語 らせるかという 表 象 形 式 の 違 いしかないようにも 思 われる むしろペローの 言 いたかったことは ホラティウスの 時 代 にはオペラはなかったので オペラはその 演 劇 規 則 に 従 う 必 要 はない ということであったと 思 われる トラジェディ アン ミュジックにおいてはすでに 機 械 仕 掛 けや 装 置 で 観 客 の 目 を 楽 しませるために 場 所 の 転 換 や 時 間 の 経 緯 などで 古 典 劇 の 三 単 一 の 規 則 は 守 られていない ペローは オペラ の 革 新 性 現 代 性 を 言 うために むしろ 古 典 主 義 の 規 則 からの 逸 脱 に 正 統 性 を 与 え オペ ラに 新 しい 理 論 を 与 えたかったのではないかと 思 われる ペローはオペラ 理 論 の 確 立 者 と して オペラに 用 いられる 超 自 然 的 な 驚 くべきもの を 新 しい 作 劇 上 の 要 素 として オ ペラが 古 典 劇 を 超 えることを 意 図 していた そこにはオペラの 諮 問 機 関 である 小 アカデ ミー の 一 員 としてのペローの 立 場 もあった 小 アカデミー ではオペラにおいて 機 械 仕 掛 けで 登 場 するオリンポスの 神 々に ルイ 14 世 時 代 の 栄 光 と 繁 栄 の 表 象 を 担 わせるとい う 政 治 的 役 割 を 受 け 持 っていた 2002 年 の 著 作 でトーマスは 17 世 紀 末 から 18 世 紀 にか けて 活 躍 した 文 学 者 で 王 立 碑 文 文 芸 アカデミー 会 員 であったテラソン(Jean Terasson) の 次 のような 言 葉 を 紹 介 している テラソンは オペラは 演 劇 や 叙 事 詩 では 舞 台 に 乗 せな... い 驚 くべきものを 舞 台 で 見 せるから より 先 端 を 行 っていた 1 と 述 べる テラソンの 用 い る[= 超 自 然 的 な] 驚 くべきもの の 概 念 は ペローの 文 脈 を 言 い 当 てているといえよう こうして 見 ると 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 要 素 は カンツレルの 言 うようにオペ ラと 古 典 劇 を 分 かつものではなく むしろトラジェディ アン ミュジックの 流 行 でその 境 界 が 次 第 に 曖 昧 になり イフィジェニー に 見 られるように 古 典 劇 サイドにも 流 れ 込 み そしてトラジェディ アン ミュジックでは アティス において 次 第 に 人 間 的 な 悲 劇 的 要 素 に 結 びつき アルミード において 内 面 化 内 在 化 されるに 至 ることが 分 か る 1674 年 アルセスト 批 評 を 書 いたペローは 1686 年 アルミード 成 立 後 4 巻 からな る 古 代 人 と 近 代 人 との 比 較 でオペラにおける 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 必 要 性 を 説 いて 次 のように 述 べる 1 Jean Terasson, Dissertation critique sur l Iliade d Homere, où à l occasion de ce Poëme on cherche les regles d une Poëtique fondée sur la raison, & sur les exemples des Anciens & des Modernes, t. 2, 1 ère éd (Geneva: Slatkine, 1971), p Downing A. Thomas, op. cit., p

171 オペラ においてはすべてが 尋 常 でないことであり 自 然 を 超 えているのです こ の 詩 のジャンルでは 作 り 話 過 ぎるということはありません プシシェ の 話 の ように 昔 の 物 語 はオペラにもっとも 美 しい 主 題 を 提 供 しますし それはよく 構 成 され 最 も 規 則 だった 筋 書 きよりもより 大 きい 快 楽 を 与 えてくれます [...]これらのうまく 扱 われたキマイラは 理 性 自 体 に 反 していても それを 楽 しませ 眠 らせ すべての 想 像 上 の 真 実 らしさよりも 理 性 を 魅 惑 するのです 2 ここでのペローの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの には 古 典 劇 が 信 条 とする 理 性 や 真 実 らしさ を 超 えようとする 過 激 な 文 脈 が 見 える オペラの 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 古 典 劇 の よく 構 成 され 最 も 規 則 だった 筋 書 き よりも より 大 きい 快 楽 を 与 えてく れるのだ そしてペローのこの オペラはキマイラ という 表 現 は 同 時 代 のラ ブリュ イエールの オペラは 魔 法 という 言 説 を 思 い 起 こさせるであろう 彼 は 1688 年 オペラ の 機 械 仕 掛 けは 子 供 騙 しでしかなく マリオネットでしかない と 酷 評 しながらも そ の 抗 し 難 い 魔 力 を 次 のように 述 べる 機 械 仕 掛 けはフィクションを 増 大 させ 飾 り 立 て 観 客 の 心 に 演 劇 の 喜 びそのもので ある 甘 美 な 幻 影 を 引 き 出 し そこにさらに[= 超 自 然 的 な] 驚 くべきものを 投 影 する [ ]このスペタクルの 独 自 性 はこのような 魔 法 (enchantement) で 観 客 の 精 神 眼 耳 を 惹 きつけることだ 3 そして 現 代 においてスタロバンスキーは 上 記 ラ ブリュイエールの オペラは 魔 法 という 概 念 を 用 い オペラの 魅 力 をそのオペラ 論 オペラ 魅 惑 する 女 たち Les enchanteresses 4 において[= 超 自 然 的 な] 驚 くべきもの le merveilleux という 項 立 てで 展 開 する またスタロバンスキーはコルネイユの 登 場 人 物 における 修 辞 法 について それ は とても 原 初 的 な 感 情 にその 手 法 を 負 っている とし 次 のように 述 べる 神 話 のレヴェル 詩 的 な 驚 くべきものの (de merveille poétique ) レヴェルにまで 還 元 されたその 感 情 は もはやひとつの 美 しい 欺 瞞 でしかない それは 偉 大 なものを 前 にしてわれわれが 抱 く 尊 敬 の 念 を 誇 張 法 で 表 現 することを 許 容 する 5 キノーはこの 神 話 のレヴェル にまで 還 元 された 超 自 然 的 な 驚 くべきもの と 一 方 で 古 典 主 義 理 論 の 要 素 である 観 客 を 驚 かせ 称 賛 させるという 驚 くべきもの の 要 素 を 融 合 させようと 考 慮 した そこにはキノーの 長 年 の 戯 曲 作 家 としての 熟 練 した 筋 の 運 び 2 本 書 頁 参 照 3 La Bryuère, Les Caractères, fragment 47, 1 ère éd (Paris: Gallimard, 1975), p. 34. «; elle [=la machine] augmente et embellit la fiction, soutient dans les spectateurs cette douce illusion qui est tout le plaisir du théâtre, où elle jette encore le merveilleux. [...] le propre de ce spectacle est de tenir les esprits, les yeux et les oreilles dans un égal enchantement.» 4 Jean Starobinski, Les Enchanteresses (Paris: Édition Seuil, 2005), pp Jean Starobinski, «Sur Corneille», dans L œil vivant (Paris: Gallimard, 1961), p

172 方 があり またその 文 体 の 優 美 さ 自 然 さはヴォルテールの 称 賛 を 浴 びた キノーは 初 期 ビ ア ン セ ア ン ス の アルセスト の 頃 まではそのギャラントな 美 学 を 下 に 古 典 主 義 の 適 切 さ= 節 度 や 真 実 らしさ そして 筋 の 展 開 から 来 る 劇 作 上 の 驚 くべきもの の 要 素 を 忠 実 に 守 る 一 方 でキノーは 超 自 然 的 な 驚 くべきもの として 人 間 社 会 から 隔 絶 された 神 々を 機 械 仕 掛 けで 登 場 させ 二 つの 驚 くべきもの の 作 劇 法 においてその 差 異 を 明 確 にしてい る しかし 最 終 作 アルミード において キノーは 魔 女 アルミードの 人 間 的 苦 悩 を 描 き 切 ったことで 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 魔 女 アルミードの 内 面 に 内 在 化 され 必 然 性 と 真 実 らしさ を 獲 得 し 古 典 悲 劇 の 要 素 としての 驚 くべきもの と 一 体 化 し ていることが 確 認 された 2002 年 トーマスはここに その 古 典 悲 劇 を 超 えた 崇 高 さ を 称 賛 する トーマスはここで 用 いた 崇 高 さ を 次 のように 定 義 する 崇 高 さとは 一 般 的 に 大 海 気 高 い 芸 術 作 品 永 遠 無 限 死 など 巨 大 で 抵 抗 不 可 能 な 対 象 に 直 面 して 痛 苦 と 恐 怖 を 感 じる 超 越 的 な 瞬 間 と 定 義 される その 対 象 により 想 像 力 は 極 限 まで 引 き 伸 ばされ その 直 面 によって 再 び 対 象 は 肯 定 されるのだ 6 ここでのトーマスの 定 義 を 用 いるならば アルミード における 驚 くべきもの は 従 来 の 超 自 然 的 な 驚 くべきもの と 筋 の 予 期 せぬ 展 開 からもたらされる 悲 劇 の 基 本 要 素 としての 驚 くべきもの が 合 体 され 崇 高 さ へと 導 かれているといえよう そこ では 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 内 面 に 必 然 化 され 真 実 らしさ を 獲 得 し 悲 劇 の 驚 くべきもの と 合 体 する そして 巨 大 で 抵 抗 不 可 能 な 対 象 とは ペローが 規 定 する キ マイラ であり スタロバンスキーの 言 う 偉 大 なもの であり その 魔 力 の 前 に 人 間 は 自 らの 無 力 を 痛 感 する ペローが 正 しく 言 うように オペラにおいてはすべてが 尋 常 でな いことであり 自 然 を 超 えている ゆえに 見 る 者 はその 対 象 の 超 越 的 な 崇 高 さ に 驚 きと 称 賛 を 覚 えるのだ 18 世 紀 カユザックも 次 のように 述 べる 詩 的 システムの 結 果 としてもたらされたその 驚 くべきものは 彼 [=キノー]の 作 品 を 満 たした 何 故 なら 彼 は 演 劇 に 十 分 な 真 実 らしさをもって 詩 絵 画 音 楽 ダン ス 機 械 仕 掛 けを 結 びつけた 7 このように 称 賛 を 受 けるキノーは 1673 年 から 1686 年 にかけてその 戯 曲 は 文 学 として 広 く 普 及 し 討 論 された 17 世 紀 の 同 時 代 人 がラシーヌの 古 典 悲 劇 にもオペラにも 熱 中 し た キノーとラシーヌは 活 動 時 期 を 同 じくし 同 じ 観 客 に 向 かって 作 品 を 書 いた そのこ とが 二 人 のライヴァル 関 係 を 際 立 たせることになったであろう 二 つの 戯 曲 における 進 行 形 態 の 違 いをエランジェはこう 述 べる 6 Downing A. Thomas, op. cit., p Louis Cahusac, La danse ancienne et moderne ou traité historique de la danse, 1 ère éd (Paris: Desjonquères Centre national de la danse, 2004), p «Le merveilleux qui résulte du système poétique remplissait son objet, parce que il réunit avec la vraisemblance suffisante au théâtre, la poésie, la peinture, la musique, la danse, la mécanique, [...]» 171

173 古 典 悲 劇 とトラジェディ リリックそれぞれを 動 かす 息 遣 いは 同 じ 律 動 ではない ビ ア ン セ ア ン ス オペラに 馴 れ 親 しんでいる 観 客 の 適 切 さ= 節 度 には 悲 劇 の 力 そのものであるカタ ストロフにまでいたる 過 度 な 緊 張 はうまく 合 わないのだ 極 限 まで 休 息 なく 畳 み 込 んでいく 代 わりに リリック 的 スペクタクルでは 悲 劇 的 な 時 間 と 寛 ぎの 時 間 との 交 互 性 が 必 要 である 8 古 典 劇 では 時 間 場 所 筋 の 三 単 一 の 規 則 のもとに 凝 縮 された 条 件 の 中 で 起 承 転 結 の 一 直 線 の 足 取 りで 大 団 円 のカタストロフへと 一 気 になだれ 込 む それに 対 してトラジェ ディ アン ミュジックでは おなじ 五 幕 構 成 でも 詩 句 の 上 で 緊 張 が 高 まった 後 に 必 ず その 緩 和 場 面 としてバレエが 挿 入 され また 機 械 仕 掛 けで 観 客 の 目 を 驚 かせ 楽 しませた 演 劇 が 直 線 構 造 を 描 くのに 対 して トラジェディ アン ミュジックにおいては いわば 螺 旋 形 を 描 きながら 少 しずつ 上 昇 していく 軌 跡 を 辿 ると 言 えるだろう 悲 劇 もオペラもその 目 的 は 観 客 を 感 動 させ 楽 しませることであった その 意 味 ではボワ ローが 行 ったオペラ 批 判 は 適 切 ではなかったといえよう 彼 はオペラを 例 外 的 な 際 物 扱 い し 古 典 主 義 の 規 則 を 踏 み 外 していると 非 難 し キノーの 文 体 の 平 板 さを 嘲 笑 した しか し その 頃 むしろオペラの 人 気 のほうがラシーヌ 悲 劇 のそれを 上 回 り ラシーヌ 悲 劇 と 同 じように 観 客 を 感 動 させ 満 足 させる 役 目 を 果 していた そして トラジェディ アン ミュ ジックは 古 典 劇 の 規 則 を 逸 脱 してはいるが ノーマンによれば 古 典 主 義 はボワローの 説 く ような 偏 狭 で 一 時 的 な 集 中 ではなく もっと 広 大 で 多 様 性 に 満 ちた 美 学 的 試 みであった 9 筆 者 はペローの 概 念 やトーマス ノーマン コルニック 等 の 言 説 を 下 に オペラは 古 典 主 義 理 論 の 規 則 を 守 ろうとする 古 典 劇 を 超 越 し 新 しい 美 学 を 確 立 しようとした 革 新 性 を 持 っていたと 考 える そして 何 よりも 合 唱 音 楽 ダンスを 加 えたトラジェディ アン ミュ ジックはラシーヌ 劇 よりも よりギリシア 古 代 悲 劇 に 近 いという 利 点 があった オペラに は 古 代 悲 劇 の 再 興 を 目 指 しながらも それを 超 え 新 しい 美 学 を 確 立 しようとする 過 激 性 が あったといえよう そこに 古 代 ギリシア ローマを 模 範 とする 古 代 派 ラシーヌが イフィジェニー を 上 演 し ペローの アルセスト 批 評 に 手 厳 しく 反 論 した 理 由 があった しかし イフィジェ ニー 序 でのラシーヌの 論 考 には 問 題 点 があることを 確 認 した 彼 はペローが 提 示 し ビ ア ン セ ア ン ス た エウリピデスの 原 作 を 時 代 の 適 切 さ= 節 度 に 合 わせることへの 論 点 について 一 切 返 答 せず すべてエウリピデスは 正 しいとする その 一 方 で 自 作 イフィジェニー で ビ ア ン セ ア ン ス は 時 代 の 適 切 さ= 節 度 に 合 わせてエウリピデスを 変 更 し そこでの 超 自 然 的 な 驚 く べきもの の 概 念 にはトラジェディ アン ミュジックの 影 響 が 見 られることをわれわれ は 確 認 した そしてラシーヌ 自 身 機 械 仕 掛 け 劇 や 祝 祭 の 舞 台 に 興 味 を 抱 き オペラの 戯 曲 を 書 く 願 望 を 持 っていた 後 に エステル アタリー という 旧 約 聖 書 から 題 8 Etienne Haeringer, L Esthétique de l opéra en France (Oxford: The Voltaire foundation, University of Oxford, 1990), p Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., pp

174 材 を 採 った 音 楽 劇 をサン=シール 女 子 学 院 で 上 演 するが 王 立 音 楽 アカデミー 上 演 を 目 指 しボワローと 二 人 で 書 き 進 んでいた ファエトンの 墜 落 に 関 しては キノーの 復 帰 により 挫 折 を 味 わった ラシーヌはトラジェディ アン ミュジックの 戯 曲 をキノーのよ うには 書 けなかったといえよう しかしノーマンも 疑 問 を 述 べているが 10 どうしてラシーヌと 比 較 してキノーは 17 世 紀 文 学 史 上 では 等 閑 視 され その 価 値 を 十 分 に 理 解 されないのであろうか それほど 今 日 で は 17 世 紀 古 典 主 義 をラシーヌ 中 心 racinocentrique に 捉 える 論 者 が 多 い 2005 年 ジェヌティ オもこう 述 べる 今 日 われわれが 17 世 紀 の 古 典 主 義 と 言 う 時 それは 古 代 ギリシア ローマを 手 本 にする 古 代 派 [=ボワロー ラシーヌ ラ フォンテーヌに 代 表 される]の 視 点 で ある 11 こうしてしばらくの 間 忘 れ 去 られていたキノーであったが 1926 年 グロの 博 士 論 文 によ り 彼 に 再 び 光 りが 当 てられることになった キノーはボワローの 嘲 弄 により 17 世 紀 古 典 主 義 より 捨 て 去 られた しかしそれは 不 当 である とグロは 述 べる このあまりに も 忘 れ 去 られた 詩 人 を 正 当 に 評 価 し 彼 の 作 品 に 関 心 を 持 たせるためにこの 論 を 書 いた 12 とその 序 でグロは 言 う そして 論 の 後 半 で 次 のように 総 括 する ルイ 14 世 はオペラの 戯 曲 を 聴 くのを 楽 しんだ セヴィニエ 夫 人 とその 息 子 はグリ ニャン 夫 人 とオペラの 戯 曲 について 議 論 した ボワローはキノーを 断 罪 し ペロー 兄 弟 が 弁 護 した サン=テヴルモンはキノーの 才 能 に 賛 辞 を 送 り メネストリエ 師 は 古 代 悲 劇 とトラジェディ アン ミュジックとを 比 較 し ヴォルテールは 一 世 紀 後 に アルミード や アティス の 作 者 をフランス 音 楽 劇 の 第 一 ランクに 置 いた 13 このグロの 論 考 の 後 ノーマンやコルニック 等 2009 年 まで 7 本 のキノーに 関 する 論 文 が 書 かれたが すべてが 出 版 されているわけではない 14 そして 筆 者 もグロやノーマン コルニックに 倣 い キノーの 再 評 価 に 本 論 がいくばくかの 貢 献 が 果 せればと 願 う ここで この 論 を 締 めくくるにあたり もう 一 度 驚 くべきもの の 概 念 に 立 ち 戻 り その 現 代 までの 流 れを 概 観 したい 19 世 紀 の 哲 学 者 美 学 者 ジュフロアは 驚 くべきもの について 次 のように 定 義 する われわれが 自 分 の 悲 惨 な 状 況 を 認 識 し それに 対 して 自 分 の 無 力 を 知 るとき われわ れは 驚 くべきもの の 力 に 思 い 至 る それは 理 性 では 理 解 しがたく 想 像 力 におい ても 思 い 描 くことが 出 来 ないものである それが 驚 くべきものの 感 覚 である[...] 想 像 力 であろうと 理 性 であろうと 無 力 であるという 認 識 が われわれを 驚 くべきもの の 認 識 の 中 に 陥 れる Ibid., p Alain Génetiot, op. cit., p Étienne Gros, op. cit., p. IX. 13 Ibid., p Sylvain Cornic, op. cit., p Théodore Simon Jouffroy, Cours d esthétique, 1 ère éd (Paris: Elibron Classics, 2006), p

175 この 1875 年 のジュフロアの 定 義 からは 前 述 した 2002 年 トーマスの アルミード に おける 悲 劇 を 超 えた 崇 高 さ の 概 念 が 感 じとれる ここにはすでに 機 械 仕 掛 けによる 超 自 然 的 な 驚 くべきもの の 概 念 はない 前 述 したペローの キマイラ であり トーマ スの 巨 大 で 抵 抗 不 可 能 な 対 象 スタロバンスキーの 偉 大 さ を 前 に 感 じる 痛 苦 と 恐 怖 が 我 々を 驚 くべきもの の 力 に 直 面 させ 自 らの 無 力 感 を 認 識 させる オペラの 上 演 において 1789 年 より 始 まった 大 革 命 によりトラジェディ アン ミュジッ クは 姿 を 消 し ジュフロアの 時 代 は 王 立 音 楽 アカデミー の 伝 統 を 引 き 継 ぐオペラ 座 に おいて 1828 年 オ ベ ー ル (Daniel-François-Esprit Auber) を 嚆 矢 と し て ロ ッ シ ー ニ (Gioachino Rossini) マイヤベーア (Giacomo Meyerbeer) アレヴィ (Jacques Fromental Halévy) などのグラントペラ (grand opéra) が 盛 んに 上 演 された そこにおいてはトラジェ ディ アン ミュジック 以 来 のバレエや 合 唱 というフランス 独 自 の 伝 統 も 守 られた しか しながら 主 にスクリーブ (Eugène Scribe) が 受 けもった 戯 曲 においては 当 時 新 興 してきた ブルジョアジーや 海 外 からの 観 光 客 を 目 当 ての 筋 の 展 開 や 派 手 なスペクタクルの 要 素 も 強 かったといえよう このような 状 況 の 中 で やがて 1902 年 に 初 演 されたメーテルランク (Maurice Maeterlinck) 戯 曲 ドビュッシー (Claude Debussy) 作 曲 の ペレアスとメリザンド Pelléas et Mélisande は 運 命 の 不 可 思 議 で 不 条 理 な 力 を 主 題 とし 特 異 な 光 りを 放 っているといえ よう 16 そこで 用 いられる 驚 くべきもの の 概 念 には すでに 19 世 紀 後 半 においてジュ フロアによって 規 定 された 定 義 が 見 られ もはや 超 自 然 的 な 機 械 仕 掛 けによる 神 々の 観 念 はない しかしながら この 作 品 にペローが 目 指 しキノーが アルミード において 成 し 遂 げた 二 つの 驚 くべきもの の 概 念 が 合 体 し 深 い 感 動 を 呼 ぶオペラの 系 譜 を 見 ること は 可 能 であろう ペローが 論 及 した 驚 くべきもの の 概 念 が メーテルランクとドビュッ シーの ペレアスとメリザンド にまで どのような 関 連 性 を 持 って 受 け 継 がれているか を 考 察 することは 今 後 の 研 究 に 待 ちたいと 考 える トラジェディ アン ミュジックは 当 初 イタリア オペラ 宮 廷 バレエ パストラルなど の 影 響 を 受 けて 超 自 然 的 な 神 話 の 神 々は 機 械 仕 掛 けで 登 場 し 彼 らは 神 であるので 万 能 であり 人 間 的 感 情 は 与 えられなかった しかし 次 第 に 神 々や 魔 女 などは 人 間 社 会 におけ る 主 人 公 として 登 場 し 自 らの 属 性 である 超 自 然 的 な 驚 くべきもの を 前 に かえって 自 らの 無 力 を 認 識 し 悲 惨 で 恐 怖 に 満 ちた 人 間 的 な 驚 くべきもの を 受 け 持 つようにな る そしてここに アルミード に 見 られるように 超 自 然 的 な 驚 くべきもの は 筋 の 展 開 からもたらされる 悲 劇 の 基 本 的 な 驚 くべきもの の 核 心 に 内 在 化 し その 表 象 の 限 界 の 地 平 を 明 らかにする そしてその 二 つの 驚 くべきもの の 融 合 から 醸 し 出 される 新 しい 世 界 の 表 象 は 怪 物 的 な キマイラ として 観 客 を 酔 わせ 魔 法 にかける それが リュリとキノーのトラジェディ アン ミュジックであり ペローのオペラ 美 学 の 中 核 に あった 驚 くべきもの の 概 念 であると 考 える 最 後 にあたり 近 年 リュリとキノーの 作 品 再 演 も 盛 んに 行 われるようになり 17 世 紀 16 拙 著 メーテルランクとドビュッシー ペレアスとメリザンド テクスト 分 析 から 見 たメリザンド の 多 義 性 東 京 : 作 品 社 年 参 照 174

176 のトラジェディ アン ミュジックの 成 立 という 主 題 を 選 んだ 筆 者 にとって 本 論 を 通 し て 当 時 論 議 され そして 今 日 において 舞 台 上 で 演 じられる 驚 くべきもの の 概 念 に 少 しでも 理 解 の 光 りが 与 えられればと 希 望 する 次 第 である 最 後 にもう 一 度 デカルトの 言 葉 でこの 論 を 閉 じたいと 考 える 驚 き/ 称 賛 がすべての 情 念 のうちで 一 番 と 考 える [...] われわれはそれ 自 体 において 何 も 驚 きを 与 えないものには 少 しも 感 動 しないし そこに 情 念 はないとみなすであろう 本 論 文 10 頁 参 照 175

177 参 考 文 献 表 原 資 料 17 世 紀 まで Aristote. Poétique trad. Roselyne Dupont-Roc et Jean Lallot. Paris: Édition du Seuil, Aristote. Poétique trad. Michel Magnien. Paris: Le Livre poche classique, アリストテレース 詩 学 松 本 仁 助 岡 道 男 訳 東 京 : 岩 波 文 庫 1997 年 Aubignac, abbé d. La Pratique du Théâtre. (1 ère éd. Paris, 1657) éd. Pierre Martino. Alger: Jules Carbonel, Aubignac, abbé d. La Pratique du Théâtre. (1 ère éd. Paris, 1657) éd. H. Baby. Paris : Honoré Champion, オービニャック 師 演 劇 作 法 (abbé d Aubignac. La Pratique du Théâtre. Alger, 1927) 戸 張 智 雄 訳 東 京 : 中 央 大 学 出 版 部 1997 年 Boileau-Despréaux, Nicolas. Œuvres complètes. éd. F. Escal. Paris: Gallimard, coll. Bibliothèque de la Pléiade, Boileau-Despréaux, Nicolas. Œuvres complètes de Nicolas Boileau. éd. Ch. Lahure. Paris: Hachette, Boileau-Despréaux, Nicolas. Satires, Épîtres, Art poétique (1 ère éd. Paris, 1674). éd. J. -P. Collinet. Paris: Gallimard, Poésie, Boileau-Despréaux, Nicolas. Traité du sublime ou du Merveilleux dans le discours (1 ère éd. Paris, 1674) Genève: Fabri & Barrillot, Chapelain, Jean. Opuscules critiques. éd. par Alfred C. Hunter. Genève: Droz, Corneille, Pierre. Œuvres complètes t éd. Georges Couton. Paris: Galllimard, Corneille, Pierre. Trois discours sur le poème dramatique. (1 ère éd. Paris, 1660) éd. B. Louvat et M. Escola. Paris: Flammarion, Corneille, Pierre. Andromède. (1 ère éd. Paris, 1650) éd. Christian Delmas. Paris: Libraire Marcel Didier, Corneille, Pierre. Théâtre complet de Corneille. texte établi sur l édition de éd. Maurice Rat. Paris: Édition Garnier Frères, Descartes, René. Les traitées des passions d âme. Paris: H. Legras, デカルト ルネ 方 法 序 説 情 念 論 野 田 又 夫 訳 東 京 : 中 公 文 庫 1974 年 Euripide. Tragédies complètes t éd. M. Delcout-Curvers. Paris: Gallimard folio classique, エウリピデス ギリシア 悲 劇 III ( 上 下 ) 呉 茂 一 訳 東 京 :ちくま 文 庫 1986 年 Félibien, André. Les Fêtes de Versaille: chroniques de 1668 et éd. Martin Meade. Paris: Maisonneuve, Félibien, André. Les divertissements de Versaille, donnez par le Roy au retour de la conqueste de la Franche-Conté. Paris: Imprimerie Royale, Fontenelle, Bernard le Bovier de. Entretiens sur la pluralité des mondes. (1 ère éd. 1686) présenté par C. Martin. Paris: GF Flammarion Fontenelle, Bernard le Bovier de. «Digression sur les Anciens et les Modernes (1 ère éd. Paris, 1688)», dans La Querelle des Anciens et des Modernes, pp éd. Anne-Marie Lecoq. Paris: Gallimard, Furetière, Antoine. Dictionnaire universel. (1 ère éd. 1690) Paris: Robert, La Bruyère. Les Caractères. (1 ère éd. Paris. 1688) éd. Antoine Adam. Paris: Gallimard, La Chapelle, Jean de. «Le préface de Téléphonte». Paris: S. l. n. d., Catalogue en ligne de la Bibliothèque Nationale de France. La Fontaine, Jean de. Œuvres diverses. éd. Pierre Clarac. Paris: Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade, La Fontaine, Jean de. Œuvres complètes de La Fontaine, t. 6. Paris: Lefèvres, Lavocat, Louis. Lettres sur l opéra à l abbé Dubos. éd. Jérome de La Gorce. Paris: Cicero, Le Clerc, Michel. Iphigénie, (1 ère éd. Paris,1676). München: Nabu Public Domain Reprints,

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185 ロラン ロマン 近 代 音 楽 劇 の 起 源 リュリおよびスカルラッティ 以 前 のヨーロッパにおけるオペラの 歴 史 ロマン ロラン 全 集 20 (Romain Rolland. Les origines du Théâtre Lyrique Moderne, Histoire de l Opéra en Europe avant Lully et Scarlatti. Paris: 1895) 戸 口 幸 策 訳 東 京 : みすず 書 房 1982 年 フランス 十 七 世 紀 演 劇 集 悲 劇 伊 藤 洋 他 訳 中 央 大 学 人 文 科 学 研 究 所 翻 訳 叢 書 4 東 京 : 中 央 大 学 出 版 部 2011 年 秋 山 伸 子 コルネイユと 仕 掛 け 芝 居 小 倉 博 孝 編 コルネイユの 劇 世 界 東 京 : 上 智 大 学 出 版 2010 年 頁 Akiyama Nobuko, «Alceste de Quinault et de Lully», 青 山 フランス 文 学 論 集 復 刊 東 京 : 青 山 学 院 大 学 2011 年 頁 逸 身 喜 一 郎 ギリシャ ローマ 文 学 韻 文 の 系 譜 東 京 : 放 送 大 学 教 育 振 興 会 2000 年 伊 藤 洋 十 六 世 紀 末 の 演 劇 ( 年 ) フランス 文 学 講 座 4 演 劇 東 京 : 大 修 館 書 店 1977 年 頁 伊 藤 洋 十 七 世 紀 初 頭 の 演 劇 ( 年 ) フランス 文 学 講 座 4 演 劇 東 京 : 大 修 館 書 店 1977 年 頁 小 倉 博 孝 アルセスト 論 争 とラシーヌの イフィジェニー 上 智 大 学 仏 語 仏 文 学 論 集 (47) 東 京 : 上 智 大 学 仏 文 学 科 2013 年 頁 小 倉 博 孝 編 コルネイユの 劇 世 界 東 京 : 上 智 大 学 出 版 2010 年 白 石 嘉 治 新 旧 論 争 とラシーヌ エステル 上 智 大 学 仏 語 仏 文 学 論 集 (36) 東 京 : 上 智 大 学 仏 文 学 科 2002 年 頁 鈴 木 力 衛 編 ラシーヌ 世 界 古 典 文 学 全 集 東 京 : 筑 摩 書 房 1965 年 竹 原 正 三 パリ オペラ 座 フランス 音 楽 史 を 飾 る 栄 光 と 変 遷 東 京 : 芸 術 現 代 社 1995 年 千 川 哲 生 論 争 家 コルネイユ フランス 古 典 悲 劇 と 演 劇 理 論 東 京 : 早 稲 田 大 学 出 版 部 2009 年 戸 口 幸 策 オペラの 誕 生 東 京 : 平 凡 社 2006 年 戸 口 幸 策 森 田 学 編 オペラ 事 典 東 京 : 東 京 堂 出 版 2013 年 戸 張 智 雄 ラシーヌとギリシア 悲 劇 東 京 : 東 京 大 学 出 版 会 1967 年 内 藤 義 博 フランス オペラの 誕 生 その 三 立 命 館 言 語 文 化 研 究 19 (3) 頁 京 都 : 立 命 館 大 学 2008 年 永 井 典 克 アルセスト : 十 七 世 紀 フランス オペラの 軽 さ もしくは 心 変 わり 教 養 論 集 (17) 東 京 : 成 城 大 学 2003 年 頁 橋 本 能 遠 近 法 と 仕 掛 け 芝 居 十 七 世 紀 フランスのセノグラフィ 東 京 : 中 央 大 学 出 版 部 2000 年 村 山 則 子 メーテルランクとドビュッシー ペレアスとメリザンド テクスト 分 析 から 見 たメリザン ドの 多 義 性 東 京 : 作 品 社 2011 年 村 山 則 子 フランス 初 期 オペラにおける 創 始 者 としてのピエール ペランの 役 割 彼 の 論 考 から 見 た 詩 と 音 楽 との 関 係 音 楽 文 化 論 集 第 1 号 東 京 : 東 京 藝 術 大 学 大 学 院 音 楽 研 究 科 2011 年 頁 渡 邊 清 子 Iphigénie を 中 心 に 考 察 した Lully Quinault の opéra (tragédie lyrique) に 対 する Racine の 態 度 について フランス 語 フランス 文 学 研 究 N o 3 東 京 : 白 水 社 1963 年 7 11 頁 渡 邊 守 章 劇 場 の 思 考 東 京 : 岩 波 書 店 1984 年 渡 邊 守 章 舞 台 芸 術 の 現 在 東 京 : 放 送 大 学 教 育 振 興 会 2000 年 渡 邊 守 章 塩 川 徹 也 フランスの 文 学 17 世 紀 から 現 代 まで 東 京 : 放 送 大 学 教 育 振 興 会 1998 年 吉 田 寛 ナショナル オペラの 成 立 と 展 開 オペラ 学 の 地 平 東 京 : 彩 流 社 2009 年 頁 楽 譜 資 料 Cambert, Robert. Pomone pastorale, Paris: C. Ballard,

186 Cambert, Robert. Pomone. New york: Broude Brothers, Cambert, Robert. Pomone, pastorale mise en musique. précédé du livret de Pierre Perrin. (1 ère éd. Paris, 1672) Minkoff Reprint, Genève: Minkoff, Lully, Jean-Baptiste. Alceste, Chefs-d œuvre classiques de l opéra français, New York: Broude Brothers, Lully, Jean-Baptiste. Alceste imprimée pour la 1 ère fois. Paris: J. B. C. Ballard, Lully, Jean-Baptiste. Alceste LWV50. Paris: Bibliothèque nationale de France, RES-F-1701, Lully, Jean-Baptiste. Alceste. Versailles: Bibliothèque municipale de Versailles, musique du roi, Lully, Jean-Baptiste. Alceste tragédie, Première édition gravée par H. de Baussen. Paris: Académie royale de musique, Lully, Jean-Baptiste. Alceste tragédie/ mise en musique par Monsieur de Lully, livret de Philippe Quinault. Besançon: Mémoire vive patrimoine numérisé de Besançon, Lully, Jean-Baptiste. Alceste. tragédie de Philippe Quinault. Œuvres complètes de J. -B. Lully. dir. Henry Prunières. New York: Broude Brothers, Lully, Jean-Baptiste. Atys tragédie en musique, Première édition. Paris: C. Ballard, Lully, Jean-Baptiste. Atys tragédie, Première édition gravée par H. de Baussen. Paris: Académie royale de musique, Lully, Jean-Baptiste. Cadmus & Hermione de Jean-Baptiste Lully et Philippe Quinault. réunis par Jean Duron. Wavre: Mardaga, Centre de Musique baroque de Versailles, Lully, Jean-Baptiste. Amadis. tragédie de Philippe Quinault. Œuvres complètes de J. -B. Lully. dir. Henry Prunières. New York: Broude Brothers, Lully, Jean-Baptiste. Armide. Œuvres complètes de Jean Baptiste Lully. éd. l Association Lully. dir. Jérôme de La Gorce et Herbert Schneider. Hildesheim: G. Olms, Lully, Jean-Baptiste. Psyché tragi-comédie et ballet, dans Œuvres complètes Jean-Baptiste Lully, éd. John S. Powelle et H. Schneider. Hildesheim: G. Olms, Lully, Jean-Baptiste. Psyché tragédie et ballet, Paris: A. Philidor, CD 資 料 Lully, Jean-Baptiste/Corneille, Thomas. Psyché. Boston early music festival orchestra & chorus: CPO, cpo (CD), Enregistrement 2007, Libération Lully, Jean-Baptiste/Quinault, Philippe. Alceste. La Grande Écurie et La Chambre du Roy: Astrée, E 8527 AD (CD), Enregistrement 1992, Libération Lully, Jean-Baptiste, Les Plaisirs de l Ile Enchantée, la Grotte de Versailles. La Simphonie du Marais: Accord, LC (CD), Enregistrement 2000, Libération Lully, Jean-Baptiste/Quinault, Philippe. Thésée. Boston early music festival orchestra & chorus: CPO, cpo (CD), Enregistrement 2006, Libération Lully, Jean-Baptiste/Corneille, Thomas. Bellérophon. Les Talens Lyriques: Aparté, AP015 (CD), Enregistrement 2010, Libération Lully, Jean-Baptiste/Molière, Les Comédies-Ballets. Les Musiciens du Louvre: Erato, (CD), Enregistrement 1987, Libération Lully, Jean-Baptiste /Quinault, Philippe. Atys. Les Arts Florissants, Harmonia Mundi: Erato, WE810-ZK (CD), Enregistrement 1987, Libération Lully, Jean-Baptiste /Quinault, Philippe. Armide. Opera Lafayette, NAXOS: (CD), Enregistré 2007, Libération

187 参 考 図 版 ( 図 例 1)p. 29. ルイ 14 世 による 王 立 音 楽 アカデミー 設 立 の 許 可 勅 書 186

188 図例 2 アルセスト 初演時のヴィガラーニによる舞台装置 187

189 ( 図 例 3)p. 71. アルセスト 上 演 時 王 立 音 楽 アカデミー 入 り 口 で 売 られた 戯 曲 台 本 188

190 ( 図 例 4)p. 71. ヴェルサイユ 大 理 石 の 前 庭 での アルセスト 上 演 189

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