飛鳥 奈良 平安時代の大集落 ~ 田面木遺跡 ~ 田面木遺跡は馬淵川下流域右岸の丘陵上に所在します 今回発掘調査を行った地点は 現在の八戸工業高等専門学校と田面木小学校の間に位置し 北東方向にある馬淵川に向かって下る緩斜面地です 調査原因は 長芋 ごぼう作付けに伴うもので 平成 27 年度は 2,0
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- へいぞう ふじつぐ
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1 掘りday はちのへ - 八戸市埋蔵文化財ニュース第 19 号 - 墨書土器が出土した竪穴住居跡のカマド ( 平安時代 ) 方人 と記された墨書土器 田 ぼくしょどき田面木遺跡で出土した 墨書土器 は 平安 時代とみられる竪穴住居跡のカマドから 4 点が集中してみつかりました そのすべてに 方人 と記され 筆跡はどれもよく似ていて達筆です よその土地から訪れた人か この集落に暮らしていた人かはわかりませんが 同一人物によって記されたと推測されます 方人 が示す意味は不明ですが カマドから集中して出土したことから 当時の人びとがさいしカマドにまつわる祭祀やおまじないに使った可 方人 銘墨書土器( 高台付坏 ) 能性も考えられます ( 次頁につづく ) た もの面 き 木遺跡 1
2 飛鳥 奈良 平安時代の大集落 ~ 田面木遺跡 ~ 田面木遺跡は馬淵川下流域右岸の丘陵上に所在します 今回発掘調査を行った地点は 現在の八戸工業高等専門学校と田面木小学校の間に位置し 北東方向にある馬淵川に向かって下る緩斜面地です 調査原因は 長芋 ごぼう作付けに伴うもので 平成 27 年度は 2,000 m2を調査しています たてあなじゅう 平成 27 年度の調査では 飛鳥時代の竪穴住きょあと居跡 1 棟 奈良時代の竪穴住居跡 3 棟 平安たてあないこうど時代の竪穴住居跡 12 棟 竪穴遺構 18 棟 土こうろあと坑 8 基 炉跡 2 基がみつかりました ここで は竪穴状の遺構の中でも カマドをもつものを竪穴住居跡 もたないものを竪穴遺構として分類しています 時代ごとの竪穴住居跡の数から この集落が飛鳥時代にできはじめ 奈良時代にかけて徐々に数を増やし 平安時代には飛躍的に多くなっていることがわかります また 飛鳥 奈良時代まではカマドをもつ竪穴住居跡が大半を占めますが 平安時代にはカマドをもたない竪穴遺構が多くつくられます これらは住居ではなく 何らかの作業をする工房的な空間と考えることもできます 集落の人口が増加した平安時代に 人びとの生活や生業に変化があったのかもしれません 2 はじきすえきどせいひんぼうすいしゃ遺物は 土師器 須恵器 土製品 ( 紡錘車 ふいごはぐちまがたませきせいひんといしまがたまくだたま鞴の羽口 勾玉 ) 石製品 ( 砥石 勾玉 管玉 ) とうすすきくわさきかまてがまてつぞくしゃく鉄製品 ( 刀子 鋤鍬先 鎌 手鎌 鉄鏃 錫じょうじょうてっさい杖状鉄製品 鉄滓 ) などが出土しています 特に注目される遺物として 飛鳥時代では石製勾玉と管玉 奈良時代では土製勾玉 平安時代には 墨書土器 があります 石製の勾玉 管玉は 八戸では 格の高いたんごたい人物への副葬品として 国指定史跡丹後平古墳群から出土しているのが有名です この集落では最も規模の大きい竪穴住居跡から出土しており ここに住んだ人が他の人びとに対いしんざいして優越を示す威信財のような役割があったのかもしれません 土製の勾玉は 竪穴住居跡から多くの土器とともに複数みつかっています 奈良時代の人びとが住居を廃棄する際に行った 祭祀に使用した可能性が考えられます これまで数多くの調査を行っている田面木遺跡の中でも 方人 墨書土器や石製勾玉 管玉は 今回の調査で初めてみつかりました 飛鳥 奈良 平安時代と営まれる田面木遺跡の様相を研究する上で 貴重な資料となりました ( 苧坪祐樹 ) まがたま 勾玉 くだたま 管玉 飛鳥時代の竪穴住居跡から出土した石製勾玉 管玉 左から 石製勾玉 (2.9cm) 石製管玉 (2.1cm) 奈良時代の遺構から出土した土製勾玉左上 (3.7cm) 中上 (2.4cm) 右上 (2.0cm) 左下 (2.4cm) 右下 (2.8cm)
3 しけ縄文時代の大集落 ~ 重 ち地遺跡 ~ 重地遺跡は 八戸市庁から南東に 3.5km ほどの新井田地区に所在しています 新井田川を西に臨む 標高 20 ~ 42m ほどの丘陵上に立地し 縄文時代の集落遺跡として知られています 平成 13 年度に行われた発掘調査で 竪穴住居跡 35 棟 土坑 309 基など多数の遺構が検出され 縄文時代前期から後期まで約 4,000 年間の長期にわたり利用された遺跡であることがわかっています 平成 27 年度に長芋 ごぼうの作付けに伴い 約 900 m2を発掘調査しました その結果 竪穴住居跡 11 棟 土坑 35 基を検出し 縄文土器や石器が多数出土しました 竪穴住居跡は 円形や方形など様々な形があり 大きさは約 2.2m 8m 以上までと幅があります また 最大で 7 棟の竪穴住居跡が重なりあっており 同じ場所を選んで繰り返し住居を構築していたようです 出土した土器の特徴から これらの竪穴住居跡は縄文時代前期後半のものであると考えられます 土坑は円形ないし楕円形で 最大規模のものは直径約 2.6m 深さ約 1.5m です 口が底よりも狭い 理科の実験で使う三角フラスコ に形が似ていることから フラスコ状土坑と呼ばれ このタイプの土坑が多く検出されています いくつかの土坑では 壊れが少ない土器がまとまって出土しました 土坑などでまとまって出土する土器は 同じ時期に使われていたセットと考えられるので 土器の時間的 地域的な変化を研究する上でとても役にたちます 今回出土した土器えんとうは 全て円筒土器と呼ばれるタイプで 細長い筒状の形からその名がつけられました 円筒土器の中でも比較的古いタイプのものがほとんどで 縄文時代前期後半に位置付けられます せきぞくいしさじせんとうきせきふ石器は石鏃 石匙 尖頭器 石斧などが出土したほか クリやドングリといった堅果類などの植物を加工する道具だったと考えられすりいしたたきいしはんえんじょうへんぺいだせいせっきる磨石や敲石 半円状扁平打製石器が多く出土しています 平成 13 年度の調査地点が長期間利用されていたのに対して 今回の調査地点でみつかった遺構 遺物は縄文時代前期後半の比較的短い期間に限定されます 同時期の集落の様子がわかる調査事例となりました ( 西村広経 ) 土坑内から出土する縄文土器第 333 号土坑では 円筒土器が横倒しでつぶれたような状態で出土した 円筒土器第 333 号土坑で出土した土器 同じ時期に使われた土器のセット 最大高 (42.0cm) 3
4 外堀の構築方法解明 ~ 八戸城跡 ~ 八戸城跡は 八戸市内丸に所在する江戸時代 の城跡を中心とする遺跡で 本丸 ( 現在の三八 城神社 三八城公園 八戸市公会堂 ) と二の丸 ( 八 おがみ 戸市庁 南部会館 靇神社等 ) から構成されてかんえいいます 寛永 6 年 (1629) 盛岡藩の代官所としかんぶんて築城されたと伝えられ 寛文 4 年 (1664) に八 戸藩が成立した際に 藩主の居城 藩庁と定め られました はいはんちけんその後 明治 4 年 (1871) の廃藩置県によって 廃城となり 取り壊されるまで 八戸藩二万石の 居城として使用されました 平成 27 年度は 二ノ丸北側にあたる約 3,300 m2の範囲を 6 月 18 日から 10 月 31 日まで調査 を実施しました さくれつ遺構は 外堀からしがらみ状遺構 柵列 4 条 柱穴 平場から竪穴住居跡 ( 古代 )7 棟 土坑 40 基 ( 古代 24 基 近世 16 基 ) 溝跡 5 条 お そ せき石 ほったてばしら とし穴 ( 縄文 )36 基 礎建物跡 1 棟 掘立柱へいあと建物跡 1 棟 塀跡 2 条 性格不明遺構 6 基等が 検出されました 遺物は 陶磁器 土師器 木製品 杭 131 本 銭貨 キセル 鉄製品等が出土しました 今回の調査では 八戸城の外堀跡の深さや構 築方法を確認することができました 堀底を検出 したことにより 現地表面から深さ 4.5 m 二ノ 丸の屋敷地からの高低差が 14 ~ 15 m に及ぶこ とが分かりました また 堀の表面に粘土を貼っ て保護する工法は 今回の調査区で初めて確認じょうかくされました 石垣を持たない土造りの城郭である 八戸城がどのようにつくられ 維持されていたか が分かる貴重な成果です また 堀跡からは江戸時代の陶磁器とともに ものさし 下駄 漆塗の木製品 杭 柱材といっ た木製遺物が出土しています 陶磁器は 17 世 紀中葉 ~ 後葉のもので 八戸藩が成立した時期 にあたり 外堀がつくられた時期をさぐる大きな 手がかりとなりました ( 村木淳 ) 本丸 内堀 平成 27 年度調査区 二ノ丸 外堀 堀と調査区 堀跡 外堀の様子左側が粘土を貼った表面 土留め用の杭列 ( しがらみ状遺構 ) 縦方向に打ち込んだ杭の間を 横方向から小枝を組ませてつくる 4
5 や平安時代の拠点的集落 ~ 八 わた幡 遺跡 ~ 八幡遺跡は 八戸市の中心部から南西へ約 5.5km 馬淵川右岸の東から西に向かって傾斜する 標高 6~ 20 mの低位段丘上に立地します 遺跡範囲の現況は 大半を明治小学校の敷地が占め そのほかの場所は宅地 墓地となっていま 新しい住居がつくられていることがわかりました さらに 調査区の中央を南北に走る幅約 1m 長さ 34 m 以上の溝跡が平安時代の竪穴住居跡を壊してつくられています 溝跡は調査区外に延びることがわかっています ( 横山寛剛 ) す これまでの調査により 縄文時代 弥生時代 古代 中世 近世の各時代の遺構 遺物が多数 検出される 長期にわたって利用された遺跡で あることがわかっています 平成 27 年度の調査は 900 m2という狭い範囲 の中から 縄文時代の土坑墓 1 基 土坑 6 基 時期不明の土坑 21 基 奈良 平安時代の竪穴 住居跡 13 棟 平安時代以降とみられる竪穴建物 跡 1 棟 溝 1 条 ピットなど多数の遺構を検出 しました 竪穴住居跡のうち最も多いのは平安 時代のもので 奈良時代の住居跡の一部を壊し 調査区の全景 ( 上空から撮影 ) 調査原因は館公民館の建て替えによるもので 調査区 = 旧公民館の敷地 900 m2の中から多数の遺構がみつかった 平成 27 年度是川遺跡出土品保存修理事業 平成 23 年度に重要文化財に追加指定された是川中居遺跡の出土品について 欠損した部分の補 修や脆い部分の補強を毎年行っています 平成 27 年度は縄文土器 1 点 掘り棒 2 点 樹皮製容器残欠 3 点 漆塗り弓 2 点 木製品 1 点を修理し 保存用の台座を作成しました ( 横山寛剛 ) 5
6 特別展 漆と縄文人 開催期間 7 月 25 日 ( 土 ) ~9 月 6 日 ( 月 ) 開館から 5 年目の是川縄文館では 春季企画展 掘り day はちのへ のほか 以下の特別展 企画展を開催しました 特別展 漆と縄文人 は 是川遺跡に代表される縄文時代の漆文化を取り上げ 縄文人と漆との関わりについて紹介しました 東日本と北陸地方を中心に各地で発掘された漆塗りの優品を展示し 最新の自然科学分析による成果を紹介しました 特別展のプレイベントとして縄文時代の漆工芸技術についての考古学講座を開催したほか 特別展では見所を解説するギャラリートークと特別展考古学講座を開催しました ( 小久保拓也 ) 鉢形土器 ( 彩文 ) 櫛のつくり籃胎漆器 土器の表面に赤色と黒色系の漆で曲線文様が描かれている 縄文時代前期福井県鳥浜貝塚出土福井県立若狭歴史博物館蔵高さ 8.8cm 重要文化財 櫛は 縄文時代早期の終わりからみられ その多くは櫛の歯を束ねて漆で固めて作られています 最新の分析により 糸まではっきりと確認され 縛り方もわかりました ササなどを編み組みしたカゴに漆を塗った容器です 縄文時代晩期石川県中屋サワ遺跡出土金沢市教育委員会蔵高さ 8.4cm 重要文化財 秋季企画展 小川原湖周辺の縄文文化 開催期間 10 月 10 日 ( 土 ) ~11 月 23 日 ( 月 ) 小川原湖周辺に広がる湖沼地帯で展開した 個性豊かな縄文文化を出土品とともに展示紹介しました 小川原湖周辺からは 旧石器時代の遺物が出土しており 続く縄文時代草創期から晩期まで各時代を通じて遺跡が発見されていることから 人びとは湖沼地帯の豊かな資源を上手に利用して生活していたことがわかります また 小川原湖周辺には 30 箇所以上もの貝塚が発見されており 出土する貝類や骨から 以前は大きな内湾であり 今から約 4,000 年前の縄文時代後期には海水がひき 太平洋側の砂丘にせき止められて 現在の湖の形になったと考えられます ( 小久保拓也 ) 深鉢形土器鼻曲がり土面粘土で縄文の手形 足形をつくろう 東北地方最大級の貝塚と考えられる二ツ森貝塚からみつかった土器 突起の一つに顔がつくられています 縄文時代中期七戸町二ツ森貝塚出土高さ 30.3cm 曲がった鼻がつけられた土製の仮面です 東北地方の太平洋側で5 遺跡からみつかっています 縄文時代晩期六ヶ所村上尾駮 (1) 遺跡出土長さ 14cm 六ヶ所村大石平 (1) 遺跡や上尾駮 (1) 遺跡からは手形や足形付きの土製品がみつかっています 企画展イベントとして 幼児を対象に手形 足形づくりを開催しました 6
7 平成 27 年度八戸市遺跡調査報告会 平成 27 年 11 月 14 日に 八戸市内の遺跡発掘調査の主な成果を発表する遺跡調査報告会を開催しました 今回は 市内外から約 70 名の参加がありました 報告会では 縄文時代前期の重地遺跡 ( 新井田地区 ) 飛鳥 ~ 平安時代の田面木遺跡 ( 田面木地区 ) 縄文時代 古代 近世にまたがる八幡遺跡 ( 館地区 ) 古代 近世の八戸城跡 ( 三八城地区 ) の調査成果の報告を行いました 遺物展示会場では 重地遺跡の円筒土器や石器 田面木遺跡の土師器や鉄製品 八幡遺跡の灰釉陶器 ウシの骨 八戸城跡の外堀から出土した木製品を展示しました 平成 19 年度から 27 年度までの遺跡調査報告会の資料は 是川縄文館のホームページに掲載していますので 是非ご覧ください ( 苧坪祐樹 ) 遺物展示会場のようす 是川遺跡の研究者たち やまのうちすがお 5 山内清男 山内は 縄文土器が出土する地層の層位学的研究 土器の形 文様等からの型式学的研究を応用し 日本全国の土器編年網を作り上げた人です 彼は 明治 35 年 東京に生まれ 大正 11 年 東京帝国大学理学部を卒業し 大正 13 年に東北帝国大学医学部副手となっています 大正 15 年 4 月には 以前紹介した長谷部言人 は せ べことんどとと もに中居貝塚 ( 現一王寺 ( 1) 遺跡 ) の発掘調査を担当し 中居貝塚から出土した土器に長 えんとう 谷部言人が初めて 円筒土器 と言う名前を 付けました 山内は円筒土器を詳しく研究し 上下の地層から出土する円筒土器に大きな違いがあることをつきとめ 上から出土する土器を円筒上層式 ( 縄文時代中期 ) 下から出土する土器を円筒下層式 ( 縄文時代前期 ) としました さらに文様等の違いから上層式を a b の 2 分類 下層式を a ~ d の 4 分類に細分しています この方法と成果は現在でも 円筒 土器の編年の基礎となっています 大正 14 年には岩手県陸前気仙郡赤崎村 ( 現 おおほら 大船渡市 ) 大洞貝塚の調査を行い ここから 出土した土器を基に縄文時代晩期の時期細分を行っていますが 中居遺跡から出土した土器も参考にして分類を行っています また 昭和 11 年には是川遺跡を舞台に繰り広げた ミネルヴァ論争 がありました きたさだきちこれは 雑誌ミネルヴァ誌上で喜田貞吉 ( 東北帝国大学 ) が 堀田遺跡の竪穴住居跡からけいとくがんぽう縄文土器とともに宋銭 ( 景徳元宝 ) が出土したことに注目し 他の縄文遺跡からも古銭が出土していたため 東北地方北部では縄文時代の生活が中世まで続いていたと主張したのに対し 山内は縄文時代の終末は地域間でそれほど違いがないと否定し 考古学史上に残る大論争となったものです この論争は 山内による型式学と層位学に基づく土器編年研究の一つの端緒となりました ( 村木淳 ) 7
8 平成 27 年度八戸市内発掘調査一覧 内遺跡発掘調査事託事調査調査原因調査期間調査面積 ( m2 ) 業駒ヶ沢遺跡第 2 地点 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 史跡根城跡 試掘調査道路舗装工事及 H 縄文 飛鳥 奈良 平安 中世 19 び水みち整備 八戸城跡 試掘調査個人住宅建築 H ~ 縄文 弥生 古墳 近世 近代 前川目遺跡 試掘調査個人住宅増築 H 縄文 寺の上遺跡 試掘調査太陽光発電設備 H 縄文 沢ノ上遺跡第 1 地点 試掘調査太陽光発電設備 H ~ 弥生 奈良 平安 天狗沢遺跡 試掘調査個人住宅建築 H ~ 縄文 平安 上野遺跡 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 平安 中世 近世 雷遺跡 1 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 平安 古玄中寺遺跡 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 館平遺跡 1 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 平安 中世 八戸城跡 試掘調査駐車場整備工事 H ~ 縄文 弥生 古墳 近世 近代 市子林遺跡 1 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 古墳 奈良 平安 中世 近世 前堀 (1) 遺跡 試掘調査太陽光発電設備 H 縄文 平安 雷遺跡第 2 地点 工事立会擁壁設置工事 H 縄文 平安 熊野堂遺跡 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 奈良 平安 沢目遺跡第 1 地点 試掘調査太陽光発電設備 H 散布地 / 縄文 市子林遺跡 2 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 古墳 奈良 平安 中世 近世 櫛引遺跡主な時代市試掘調査個人住宅建築 H 縄文 奈良 平安 中世 近世 遺跡名 上ノ沢遺跡 試掘調査児童福祉施設建築 H 縄文 奈良 平安 石手洗遺跡 試掘調査範囲確認調査 H ~ 縄文 松長根遺跡 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 中居遺跡 R 区 試掘調査範囲確認調査 H 縄文 松ヶ崎遺跡 試掘調査太陽光発電設備 H 縄文 奈良 平安 雷遺跡 2 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 平安 新田遺跡 試掘調査太陽光発電設備 H ~ 縄文 奈良 市子林遺跡 3 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 古墳 奈良 平安 中世 近世 館平遺跡 2 試掘調査道路舗装工事 H 縄文 平安 中世 市子林遺跡第 21 地点 試掘調査共同住宅建築 H 縄文 古墳 奈良 平安 中世 近世 土橋遺跡 1 試掘調査太陽光発電設備 H 縄文 土橋遺跡 2 試掘調査太陽光発電設備 H 縄文 咽平遺跡 試掘調査個人住宅建築 H 縄文 奈良 平安 雷遺跡 3 試掘調査集合住宅建築 H 縄文 平安 蕪島遺跡 試掘調査神社建築 H 縄文 弥生 細越遺跡 試掘調査個人住宅建築 H 奈良 平安 市子林遺跡第 20 地点 本調査 個人住宅建築 H 縄文 古墳 奈良 平安 中世 近世 八戸城跡第 34 地点 本調査 個人住宅建築 H 縄文 弥生 古墳 近世 近代 重地遺跡第 6 地点 本調査 長芋 牛蒡作付 H 縄文 田面木遺跡第 47 地点 本調査 長芋 牛蒡作付 H ,000 縄文 弥生 奈良 平安 林ノ前遺跡 本調査 自然崩壊 H 縄文 平安 中世 近世 駒ヶ沢遺跡第 2 地点 本調査 個人住宅建築 H 縄文 根城跡岡前館第 63 地点 確認調査個人住宅建築 H 縄文 飛鳥 奈良 平安 中世 業根城跡岡前館第 64 地点 確認調査駐車場整備及び H 擁壁設置 新井田古館遺跡第 30 地点本調査 太陽光発電設備 H 縄文 奈良 平安 中世 近世 八幡遺跡第 7 地点縄文 飛鳥 奈良 平安 中世受本調査 公民館建替 H 縄文 弥生 奈良 平安 中世 近世 八戸城跡 本調査 県道沼館三日町線整備 H ,300 縄文 弥生 古墳 近世 近代 綣久保遺跡 本調査 下水道 H 縄文 田面木遺跡第 48 地点 本調査 道路舗装工事 H 縄文 弥生 奈良 平安 調査事務局 ( 平成 27 年度 ) 八戸市教育委員会 教 育 長 伊藤 博章 教育部長 佐藤 浩志 教育部次長兼教育総務課長 野田 祐子 是川縄文館長 古舘 光治 副 館 長 清川 定吉 埋蔵文化財グループ 埋蔵文化財 GL 村木 淳 主査兼学芸員兼社会教育課主査兼学芸員 杉山 陽亮 主査兼学芸員 船場 昌子 主事兼学芸員 横山 寛剛 主事兼学芸員 田中 美穂 主事兼学芸員 苧坪 祐樹 主事兼学芸員 西村 広経 縄文の里整備推進グループ 縄文の里整備推進 GL 宇部 則保 副 参 事 大野 亨 主 幹 山野下貴信 主査兼学芸員 小久保拓也 主 事 熊野 聡美 主事兼学芸員 市川 健夫 主 事 馬場 彩香 非常勤主事 三浦 賢子 非常勤主事 武山 美郷 非常勤主事菅澤早希子 前堀 (1) 遺跡 蕪島遺跡 平成 27 年度刊行 八戸市埋蔵文化財調査報告書第 152 集八戸市内遺跡 33 第 153 集熊野堂遺跡第 2 地点第 154 集新井田古館遺跡第 30 地点 咽平遺跡 林ノ前遺跡 史跡根城跡根城跡岡前館 田面木遺跡八幡遺跡沢ノ上遺跡上野遺跡櫛引遺跡 熊野堂遺跡 綣久保遺跡八戸城跡沢目遺跡古玄中寺遺跡新井田古館遺跡松長根遺跡雷遺跡重地遺跡館平遺跡市子林遺跡駒ヶ沢遺跡松ヶ崎遺跡新田遺跡石手洗遺跡細越遺跡中居林遺跡上ノ沢遺跡寺ノ上遺跡天狗沢遺跡土橋遺跡 前川目遺跡 試掘 確認調査本調査 掘りday はちのへ第 19 号 発行年月日 2016 年 6 月 15 日編集 発行八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館 青森県八戸市大字是川字横山 (38)9511 [email protected] ( 是川縄文館ホームページ ) 印 刷大東印刷株式会社 印刷部数 :1,000 部印刷経費 : 一部あたり 97.2 円 8
I.平 成12年 遺跡発掘調査 につ い て 加茂市教育委員会社会教育課主事 伊 藤 秀 和 本年 の発掘調査 は下条陣ケ峰線道路建設工事 に伴 い 中沢遺跡が調査 され 加 茂市 では唯 一 の 弥生時代 の集落跡が確認 された 試掘 確認調査 は下条地区で行 われ 3遺 跡 4遺 跡周辺地 を 対象 に行 つた 1口 中沢遺跡 一弥生 平安 一 所 在 地 加 茂市大字下条字芝野地内 調 査 面
加茂市の遺跡 平 成 19年遺跡発掘調査について 加茂市教育委員会社会教育課係長 伊 計 溺 三 秀 禾口 本年 の遺跡調査 は 開発事業 に関連 した確認調査が 3地 区 本調査が 1事 業 によ り2遺 跡を 対象 に行われた 1.荒 叉遺跡一 古墳 古代一 所 在 地 加 茂市大字下条地 内 調 査 面積 約7 2 1 面 調 査期 間 平成 1 9 年 8 月 8 日 9 月 1 2 日 1地
~ 4 月 ~ 7 月 8 月 ~ 11 月 4 月 ~ 7 月 4 月 ~ 8 月 7 月 ~ 9 月 9 月 ~ 12 月 7 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 12 月 4 月 ~ 6 月 4 月 ~ 6 月 4 月 ~ 8 月 4 月 ~ 6 月 6 月 ~ 9 月 9 月 ~ 12 月 9 月 ~ 12 月 9 月 ~ 11 月 4 月 ~
調査を実施した 調査成果としては 3 面の遺構面を確認し 中世後半 (l 5 ~ (l 3 ~ ところが 調査の結果は 中世後半 (1 5 世紀以降 ) 中世前半 (1 3 ~ ~m ~ 2mm ~ ~ ~ 0.125 ~ 0.063 ~ 0. 1 25111111 ~ 0.063mm ~ 細粒砂 ( ~ 中粒砂 (m.) - 一 \~ ら平安 ~ 鎌倉時代と弥生時代 ( 中期 )~ 古墳 5
す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査
高 速 自 動 車 国 道 近 畿 自 動 車 道 名 古 屋 神 戸 線 建 設 事 業 に 伴 う 埋 蔵 文 化 財 発 掘 調 査 ( 茨 木 市 域 )その5 現 地 説 明 会 資 料 千 提 寺 西 遺 跡 の 調 査 平 成 25 年 3 月 23 日 公 益 財 団 法 人 大 阪 府 文 化 財 センター す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります
福知山-大地の発掘
福知山市の遺跡 平成18年1月に行われた1市3町の合併により 広大な市域を得た福知山市には現在約500箇所の遺跡が登録さ れています このうち古墳や窯跡など群として登録されているものも 多く 実数としては約2000箇所を越えることとなります 遺跡の位置と立地 福知山市域は本州の内陸部やや北側に位 置し 日本海へと注ぐ由良川とその支流によって形作られた盆地 周辺山岳部からなります 市域の約80パーセント近くは山林であり
膳所城遺跡 記者発表資料(2012.7)
記者資料提供資料提供日 : 平成 24 年 (2012 年 )7 月 17 日 ( 火 ) ( 県庁教育記者クラブ ) 機関 : 公益財団法人滋賀県文化財保護協会 件名 : 大津市膳所城遺跡の発掘調査の成果 ぜぜじょう膳所城 北の丸 の石垣を確認 内容 公益財団法人滋賀県文化財保護協会では 滋賀県教育委員会ならびに滋賀県道路公社からの依頼により 近江大橋有料道路建設工事 ( 西詰交差点改良 ) に伴い平成
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月 古 墳 ガイドブック 日 文 化 の 日 出 発 : 午 前 8 時 半 帰 着 : 午 後 4 時 頃 見 学 場 所 庚 申 塚 古 墳 山 の 神 古 墳 ( 柏 原 ) 長 塚 古 墳 ( 沼 津 市 ) 清 水 柳 北 1 号 墳 ( 沼 津 市 ) 原 分 古 墳 ( 長 泉 町 ) 浅 間 古 墳 ( 増 川 ) 実 円 寺 西 1 号 墳 ( 三 ツ 沢 ) 富 士 市 教 育
ほんぶん/pdf用表紙
公園としての整備 収蔵庫の建設が行われ 本遺跡の整備が完成した 発掘調査風景 金堂跡の瓦堆積 和同開珎 銀銭 法 量 外縁径 24 4 内郭 6 9 縁厚 1 4 重量 4 06g 品 質 銀 88 66 硫黄 9 01 その他塩素 カルシウム 鉄 銅等 和同開珎は7 08 和銅元 年に日本で鋳造 発行された銭であり 我が国で最初の流通貨 幣であるといわれる 特に銀銭は7 08年5月 に発行され翌年8月に廃止された鋳造
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平野遺跡第 4 次 1 はじめに所在地調査目的調査期間調査面積 スライド説明会平成 26 年 5 月 18 日 ( 日 ) 14:00~ 鈴鹿市平野町地内保育施設建設に伴う埋蔵文化財の記録保存平成 25 年 1 月 29 日 ~6 月 9 日約 600 m2 2 主な遺構 古代 竪穴建物 13 棟以上 掘立柱建物 2 棟以上 柵 5 条以上 井戸 1 基 中世 溝 2 条 3 主な遺物土師器須恵器製塩土器鉄製品
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松崎遺跡から南に約3 隔てた砂堆上に知 多市法海寺遺跡がある 図5 法海寺遺跡で は5世紀後半のマガキ ハマグリを主体とする 貝層から 鞴羽口2点 鉄滓 骨鏃や刀子など の骨角製品 加工段階の骨角製品 骨角素材が 出土した 他に鉄鏃2点などの鉄製品も出土し て い る 図 6-1 10 法 海 寺 遺 跡 は 東 山 111 号窯期を主体とする初期須恵器 図6-11 17 も多く 加えて韓式系土器に系譜する
イマジン_表1表4
8 7 artist NARA 1 3 4 5 6 7 8 9 1011 1213 1 21 8 21 1 21 2 21 3 21 artist 4 21 5 21 6 21 7 21 NARA 8 21 9 21 10 21 11 21 12 柳生新陰流 で知られる柳生の里は自 然豊かな山里です 江戸時代初期の剣 術家である柳生宗矩が柳生藩初代藩 主として名を馳せた地であり 宗矩の長 男三厳が有名な柳生十兵衛です
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27 28 30 32 34 25 24 29 33 26 31 35 23 22 15 14 36 21 20 19 16 13 18 17 3 11 37 2 38 50 4 8 1 5 12 39 49 7 10 9 54 6 42 40 53 43 44 52 51 45 48 41 47 46 56 57 55 58 59 84 60 61 64 62 63 83 65 79 69 67
平成 30 年度発掘調査遺跡の紹介 六日町藤塚遺跡 Ⅱ 古墳時代後期のムラ よ 所在地 : 南魚沼市余 かわ川 地内 むいかまちふじつか六せんじょうち うおのがわ しょうのまたがわの 日町藤塚遺跡は魚野川の左岸 庄之又川扇状地の標高 178mに位置します 国道 17 六日町バイパスの建設に伴って 平
新潟県埋蔵文化財センター 発掘調査整理遺跡紹介 2018 Dec. 第 南魚沼市六日町藤塚遺跡 Ⅱ 阿賀野市土橋北遺跡 南魚沼市六日町藤塚遺跡土器集積遺構平成 30 年 11 月撮影 平成 30 年度発掘調査遺跡の紹介 六日町藤塚遺跡 Ⅱ 古墳時代後期のムラ よ 所在地 : 南魚沼市余 かわ川 地内 むいかまちふじつか六せんじょうち うおのがわ しょうのまたがわの 日町藤塚遺跡は魚野川の左岸 庄之又川扇状地の標高
新潟県立歴史博物館研究紀要第4号
新潟県立歴史博物館研究紀要 写真1 第4号 2003年3月 塙東遺跡の土器1 6 層 は 3層 に隣接して ローム の直上に堆積する 石組の南側で 5ピットの開口部の平面位 置から出土した土器4及び その 下部より出土 した土器5は ローム の直上 3層 相当の垂 直位置にある 第1図D これらの土器3 5は 土器1に共伴して 同じ住居跡の床面付近から出 土したものと想定されることになる この想定は
KANTO_21539.pdf
8 20 5 6 9 4 10 21 1 11 13 7 3 2 12 22 14 摩国府 17 定域 18 15 19 23 25 16 24 33 26 32 27 28 29 31 0 500 1000 1500 第5図 2000ⅿ 遺跡の位置及び周辺の遺跡 1 25,000) 16 30 2.7ⅿ
鹿児島県内出土のガラス玉の化学分析 中井泉 1, 柳瀬和也 1, 松﨑真弓 1, 澤村大地 1, 永濵功治 Chemical Analysis of glass beads excavated from Kagoshima prefecture Nakai Izumi,Yanase Kazuya,M
2 調査課第一調査係 3 4 遺 5 5 6 8 8 鹿児島県内出土のガラス玉の化学分析 中井泉 1, 柳瀬和也 1, 松﨑真弓 1, 澤村大地 1, 永濵功治 Chemical Analysis of glass beads excavated from Kagoshima prefecture Nakai Izumi,Yanase Kazuya,Matsuzaki Mayumi,Sawamura
割付原稿
極大型であり それは 大規模 長期継続 集 落 遺跡なのであるから時期ごとの数量を描き 出すことは困難である せいぜい すでに崩壊 し去った数多の遺構に思いを馳せるのみである そもそも大規模であれば それが 過度な集 住 ということでなくても なぜ大規模な集落 遺跡が成立したのか その背景は何なのか と いう単純な問題設定で十分ではないかと考え 犬山扇状地 八王子 二タ子 猫島 大地 台地 大塚 野口
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引用 参考文献 小森俊寛 初期京焼 陶説 特集 洛中出土の茶陶 433 号日本陶磁協会 1989 年 永田信一 京都出土の桃山茶陶 桃山の茶陶 根津美術館図録 1989 年 鈴木裕子 堀内秀樹 東京大学本郷構内遺跡出土の軟質施釉陶器 研究会 近世都市遺跡出土の施釉軟質陶 器 楽とその周辺 関西近世考古学研究会 茶道資料館 1990 年 續伸一郎 堺環濠都市遺跡出土の軟質施釉陶器 同 松尾信裕 大阪城跡出土の軟質施釉陶器
県立自然史博物館世界最大級の肉食恐竜 スピノサウルス の実物頭骨化石を群馬初公開 映画 ジュラシックパーク Ⅲ で T.rex のライバルとして その大きさをしのぐ巨大肉食恐竜として登場した スピノサウルス の実物頭骨化石と背骨の化石 ( 学校法人成城大学所蔵 ) を展示 公開します 公開日 : 平
県立自然史博物館世界最大級の肉食恐竜 スピノサウルス の実物頭骨化石を群馬初公開 映画 ジュラシックパーク Ⅲ で T.rex のライバルとして その大きさをしのぐ巨大肉食恐竜として登場した スピノサウルス の実物頭骨化石と背骨の化石 ( 学校法人成城大学所蔵 ) を展示 公開します 公開日 : 平成 30 年 8 月 5 日 ( 日 ) *8 月は休館日なしで 毎日開館します 展示場所 : 県立自然史博物館常設展示室
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津山弥生の里文化財センターは 名称のとおり沼弥生住居址群 ( 沼遺跡 ) に隣接して建てられ その資料館も兼ねて平成 2 年 11 月に開館しました この沼遺跡の調査は昭和 27 年にまで遡りますが 当初より遺跡は教材公園として位置づけられ 幅広い市民の支援を受けて 逐次津山市が整備を重ねてきました すでに昭和 30 年 1 月には 発見された火災住居跡の炭化材を基にして大型の竪穴住居を復元し 同
表紙
公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター 設立 35 周年記念講演会 シンポジウム やまとごころとからざえ 和魂漢才 京都 東アジア 考古学 ʩ 1 テーマ 和魂漢才 京都 東アジア交流考古学 2 日 時 平成 27 年 11 月 29 日 日 12:30 16:30 3 主 催 京都府教育委員会 公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター 4 後 援 向日市教育委員会 5 会 場 向日市民会館
かない金 しもしんでん 井下新田遺跡 ( 渋川市金井 ) 勾玉の古墳人 と上屋構造がわかる平地建物の発見 主任調査研究員 岩上千鶴 1 平成 29 年度発掘調査の概要 金井下新田遺跡は国道 353 号金井バイパス ( 上信自動車道 ) 建設工事に伴い 渋川土木事務所から委託を受けて平成 29 年 4
過去現在未来をつなぐ埋蔵文化財 MAIBUNGUNMA 埋文群馬 63 最新レポートⅠ 金井下新田遺跡 - 勾玉の古墳人 と上屋構造がわかる平地建物の発見- 岩上千鶴 2 最新レポートⅡ 西宮遺跡 - 江戸時代の建物跡建築部材の発見と機織り具 - 宮下寛 石田真 関明愛 飯田陽一 4 目次 いま 地域が見えてくる 2 万木沢 B 遺跡縄文から弥生へ - 二つの文化が融合した大型溝の調査 - 関口博幸
韮山城跡 百年の計 きわめる つたえる いかす 郷土の誇り 平成 26 年 3 月 静岡県伊豆の国市
韮山城跡 百年の計 きわめる つたえる いかす 郷土の誇り 平成 26 年 3 月 静岡県伊豆の国市 伝堀越御所跡 韮山城跡狩野川南から見た韮山城跡周辺 北西から見た韮山城跡 伊豆国田方郡韮山古城図寛政 5 年 (1793) 公益財団法人江川文庫所蔵 小田原陣之時韮山城仕寄陣取図 毛利家文庫 山口県文書館所蔵 小田原陣之時韮山城仕寄陣取図 静岡県史 模式図 資料編中世四より 例言 にらやまじょうあと
112 67 41 1966 1994 1994 12.5 7.6 L 1997 L L M M M M 2
111 李 国 棟 キーワード 石鉞 戉 越 蟠4文 穀文璧 1 拙論 玉で結ぶ日本列島と長江下流域 では 北越地方と日向地方が玉を絆に中国の長江下 流域の越地方と緊密につながっていることを指摘したが 本論では山形県羽黒町中川代遺跡から 出土した石鉞と 日向国那珂郡今町 現宮崎県串間市 王之山の石棺から出た玉璧を考察対象と し 北越地方と山形県沿海側を含めた こし 地方 2 や日向地方と長江下流域の越地方との関
同志社大学所蔵堺市城ノ山古墳出土資料調査報告 1 城ノ山古墳 城ノ山古墳は現在の大阪府堺市北区百舌鳥西之町1丁目 百舌鳥古墳群の東南部分 に所在していた 丘陵上に前方部を西に向けて築かれた古墳である 大山古墳の南側 百舌鳥川左 岸の台地が一段高くなる部分に築かれている 墳丘上からは大山古墳や御廟山古
同志社大学所蔵堺市城ノ山古墳出土資料調査報告 1 城ノ山古墳 城ノ山古墳は現在の大阪府堺市北区百舌鳥西之町1丁目 百舌鳥古墳群の東南部分 に所在していた 丘陵上に前方部を西に向けて築かれた古墳である 大山古墳の南側 百舌鳥川左 岸の台地が一段高くなる部分に築かれている 墳丘上からは大山古墳や御廟山古墳など百舌鳥古墳 群を一望に見渡せたであろう 百舌鳥古墳群では平坦な土地に築かれる古墳が多いなか 眺望のよ
美濃焼
一 美濃窯について 美濃は各務原市を中心に 須恵器が古くから焼かれていた 須恵器は 低火度で焼く 弥生 土師両土器と違って1200度以上 1300度内外に焼かれている高火度の焼 物であって 陶磁らしいものの出現はこの時から始まった このような高火度の窯業技 術は 新羅 百済クダラから渡来したものであり 今日では須恵器と云うのが学説に使 われる通語である 須恵器ははっきりしたロクロによる成形が行われ
6-3
6-3 6-3-1 2 3 2 168 6-10 169 6-3-2 空間形成への影響要因 以上のような過程を経て白山 2 丁目地区の斜面地は現在の状況を呈するようになるわけだが 斜面地の空間形成に関わる要因としては 次の 3 点が挙げられる 例えば 白山地区の台地端に 向かって南北に伸びる袋小路周辺 以下 A 図 6-10 では 3 つの因子が複合作用しながら斜 面地空間を構造的に規定するとともに
~ ~ :~ 2001 ) とされている したがって, 保存状態が不良の試 ~q では, 計測数 ~ 玉 は高純度 Si 検出器 (Xerophy ) で, 試料室の大きさは 350X400X40 阻である 検出可能元素は Na~ 0.08 ~ 0.46mA, ビーム径 100p m, 測定時間 1000 ~ 2000s, パルス処理時間 P4 に ~Å-*, 禍色 ~1 go ~lno, ~f
平成24年度 青森県埋蔵文化財発掘調査報告会
表紙 : 土器内出土のヒスイ製大珠 ( 水上 (2) 遺跡 ) 表紙.indd 1 2012/12/05 15:25:18 平成 24 年度青森県埋蔵文化財発掘調査報告会 日程 日時 : 1 2 月 8 日 ( 土 ) 受付開始 9:30 (1) スライド等による発掘調査報告 ( 大研修室 ) 開催挨拶 ( 青森県公立発掘調査機関連絡協議会会長 ) 1 水上 (2) 遺跡 ( 県埋蔵文化財調査センター
vo l.68 第53回 企画展 科博コラボ ミュージアムin茨城 恐竜発掘 過去からよみがえる巨大動物 The world of dinosaur hunters Digging up the huge animals 近年 世界各地で恐竜類をはじめとする巨大動物化 石の発見が相次いでいます 恐竜
2011.9.15 vo l.68 第53回 企画展 科博コラボ ミュージアムin茨城 恐竜発掘 過去からよみがえる巨大動物 The world of dinosaur hunters Digging up the huge animals 近年 世界各地で恐竜類をはじめとする巨大動物化 石の発見が相次いでいます 恐竜類の調査は 古くは アメリカの古生物学者マーシュとコープによって展開 された古生物学的命名競争が有名ですが
枝幸研究3
浜頓別町クッチャロ湖畔遺跡と豊牛遺跡について ~ 新岡武彦採集資料を中心として ~ 乾茂年浜頓別町教育委員会 098-5792 枝幸郡浜頓別町中央南 1 はじめに オホーツクミュージアムえさしでは, 新岡武 (2) 豊牛遺跡 彦氏が各地で収集した考古遺物を所蔵している. 遺跡はおよそ頓別と斜内の中間に位置し, 国 新岡武彦氏は, 考古学者として北海道各地の遺 道 238 線からやや内陸側の砂丘の標高
八戸高専だより第148号
独立行政法人 第1 4 8号 八戸工業高等専門学校 発行 039 1192 青森県八戸市大字田面木字上野平16番地1 TEL 0178 27 7223 総務課総務係 FAX 0178 27 9379 E-mail [email protected] URL http://www.hachinohe-ct.ac.jp/ 平成27年7月 目 校長先生から 八戸高専の4学期制について 創立
(4) 対象区域 基本方針の対象区域は市街化調整区域全体とし 都市計画マスタープランにおいて田園都市ゾーン及び公園 緑地ゾーンとして位置付けられている区域を基本とします 対象区域図 市街化調整区域 2 資料 : 八潮市都市計画マスタープラン 土地利用方針図
市街化調整区域まちづくり基本方針の目的や位置付け (1) 目的 市街化調整区域まちづくり基本方針 ( 以下 基本方針 という ) では 市街化調整区域のあり方及び今後の土地利用の方向性を明らかにし 施策の展開による計画的な土地利用の保全 規制 誘導を図ります (2) 位置付け 基本方針は 都市計画マスタープランの市街化調整区域編として位置付け 都市計画マスタープランをはじめ 県や本市の上位 関連計画に即して定めます
大谷周辺地区 及び 役場周辺地区 地区計画について 木原市街地 国道 125 号バイパス 役場周辺地区 (43.7ha) 美駒市街地 大谷周辺地区 (11.8ha) 地区計画の概要 地区計画とは住民の身近な生活空間である地区や街区を対象とする都市計画で, 道路や公園などの公共施設の配置や, 建築物の
大谷周辺地区 及び 役場周辺地区 地区計画について 木原市街地 国道 125 号バイパス 役場周辺地区 (43.7ha) 美駒市街地 大谷周辺地区 (11.8ha) 地区計画の概要 地区計画とは住民の身近な生活空間である地区や街区を対象とする都市計画で, 道路や公園などの公共施設の配置や, 建築物の建て方などに関するルールを定めることにより, 地区の良好な環境を整備 保全するための制度です 地区計画の構成
象鼻山ペラ校正
第98 図 象鼻山山頂部の地形分類 S 1/1,000 162 第5章 考 察 出土した土器は 質 量ともに十分であり 具体的な編年的位置を示すことができる 一方 ②盛土中や遺構面から土器が出土し その編年的位置が築造時期の上限や下限を示すのみの 墳墓として 3号墳 砂岩礫集積 や4号墳 6号墳 9号墳がある また 遺構として平坦面2が ある このうち 遺構面から出土した3号墳 砂岩礫集積 の土器はその下限
新潟市の火焔土器散歩 秋葉遺跡あきはいせき秋葉遺跡は 新津丘陵にある縄文時代の集落跡で 標高は20mほどです 平成 10(1998) 年と同 11(1999) 年 宅地造成などに先立って新津市教育委員会 ( 当時 ) が秋葉遺跡を発掘調査したところ 土器片や石器などが平箱で130 箱以上出土し 大きく中期と後期の二時期に渡って営まれた遺跡ということがわかりました 遺構としては2 棟以上の竪穴住居跡といくつかの土坑が見つかったほか
4 調査の経緯と経過 発 掘 調 査 は 平 成 15(2003) 年 度 か ら 平 成 16(2004) 年度にかけて行われた 調査面積は 今回の発掘調査は 県道草井羽黒線道路改築事 平成 15 年度 2,700 平成 16 年度 850 であり 業に伴う事前調査として 愛知県建設部道路建設 合計 3,550 の調査を実施した 調査担当者は 課より愛知県教育委員会を通じた委託事業として 平成 15
考古学ジャーナル 2011年9月号 (立ち読み)
遺 跡 速 報 福岡県 首羅山遺跡 福岡平野周縁の山岳寺院 Syurasan-Ruins in Fukuoka Prefecture えがみ ともえ 江上 智恵 久山町教育委員会 Tomoe Egami Hisayama Town Board of Education 近世の地誌類が記すとおり 調査前の首羅山遺 はじめに 跡は藪に覆われ 僅かな文献と伝承のみが残ってい 首羅山遺跡は福岡県糟屋郡久山町大字久原の白
五條猫塚古墳の研究 報告編 2014( 平成 26) 年 3 月 奈良国立博物館
五條猫塚古墳の研究 報告編 2014( 平成 26) 年 3 月 奈良国立博物館 五條猫塚古墳出土遺物 竪穴式石槨内出土武器 武具 竪穴式石槨外出土武器 武具 青銅製品 金銅製品 武具 竪穴式石槨外出土工具 農工漁具 埴製枕 埴輪 例 言 1. 本書は奈良国立博物館が所蔵する 五條猫塚古墳出土資料の調査報告書の報告編である 2. 五條猫塚古墳は奈良県五條市西河内町 388 番地に所在する 発掘調査報告書は
+550 総合資料館だより ޓ 0Q 京都名所五十景 ࡑࡑ ੩ㇺฬᚲ ච᥊ ภ㧔ᵡ ਣጊ 㧕 桜の名所 円山公園は 明治19 1886 年に誕生した京都市内で最も古い公園です 江戸時代以前は安養 寺の敷地で 寺号の慈円山を略して円山と呼ばれていたことが名称の由来となりました この 京都名所五十景 は 明治期に活躍した銅版画師 石田有年の作品で 明治28年の第4回内国勧 業博覧会に出品されたものです
<4D F736F F D20838C C8B8D87>
平成 27 年度 第 3 回考古学講座 日時 平成 27 年 7 26 ( )13:00 16:30 ( 開場 12:30 ) 口頭発表 13:05 13:40 原東遺跡第 3 次調査 ( 相模原市緑区 ) 青木雄大 ( 大成エンジニアリング株式会社 ) 13:40 14:00 王禅寺口横穴墓群第 2 次調査 ( 川崎市麻生区 ) 横山太郎 ( 有限会社吾妻考古学研究所 ) 14:00 14:35
図 1 平成 19 年首都圏地価分布 出所 ) 東急不動産株式会社作成 1963 年以来 毎年定期的に 1 月現在の地価調査を同社が行い その結果をまとめているもの 2
調査レポート 地価構成の類型化とさいたま市の地価分布 はじめに一般的に地価は その土地を利用して得られる収益 ( 便益 ) に応じて形成されるものと考えられる 例えば 大規模ターミナル駅周辺では 商業や業務の需要も多く 高い地価水準となる 一方 駅から概ね徒歩 3 分以上の場所の土地は バス等の交通手段が整っていない場合 住環境が整っている場合でも地価は限定され低廉な値段となる また 人々が便利だと感じる度合いによって
