は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

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2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

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2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

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2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

牧会の祈り

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

牧会の祈り

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牧会の祈り

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

ヘブル人への手紙1章

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

れているのは お与えになる神 神は 与える ことをご自身の特性とされる神です また 惜しげなく 神は与える際 どうしようか やっぱりやめておこうか 少し出し惜しみしようか などとは考えない この言葉は 8 節に出てくる 二心 と反対の意味の言葉です すなわち心が二つに別れていない 神は私たちに対して

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

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このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

Heb 11:23 信仰によって モーセは生まれてから 両親によって三か月の間隠されていました 彼らはその子の美しいのを見たからです 彼らは王の命令をも恐れませんでした (1) この節は モーセの信仰ではなく モーセの両親の信仰を記録している 1 彼らは その子の美しいのを見た * ギリシア語で ア

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

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  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

裁きます けれども 実は自分たち自身も その基準には到達できていないのです これが偽善の始まりです 律法主義に陥ると 相手をこき下ろし けれども こき下ろしている基準に自分自身が満ちていないことが起こります 高らかに主張している人ほど 実はその教えを行なっていないという問題が起こるのです パウロは

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2016 年 2 月 14 日川越教会 すべての民と共に 加藤享 [ 聖書 ] ローマの信徒への手紙 15 章 7~13 節だから 神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように あなたがたも互いに相手を受け入れなさい わたしは言う キリストは神の真実を現すために 割礼ある者たちに

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聖書 :Ⅱ サムエル 20:1~26 説教題 : シェバの反乱 日時 :2019 年 2 月 10 日 ( 夕拝 ) サムエル記第二は 24 章までありますが 最後の 21~24 章は 20 章までと区別されます 最後の 4 章はサムエル記を閉じるにあたっての結びあるいは付録の部分です ですから今日

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

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2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

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4 伝承によれば 彼はクレテ島のゴルティナで監督となり 94 歳で召されたと言われています では 今日は発信人であるパウロと 受信人であるテトスから学びたいと思います 発信人であるパウロはどのような教訓を与えているか また受信人であるテトスがどういう信仰を送ったか大切なポイント 1. 発信人パウロ

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

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失敗がこわいから ルールに反するから 仕事をしてるから 恥ずかしいから 人脈がないから 女だから で ほんとはどうしたいの?名言集 01.indd p11 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:35:42 名言集 01.indd p10 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:

ヘブル人への手紙 11 章 1-16 節 信仰とは 1A 信仰のあかし 1-7 1B 信仰の説明 1-3 1C 望んでいることがらの実体 1 2C 称賛 2 3C 神の創造 3 2B 信仰の足跡 4-7 1C アベル - 良いささげ物 4 2C エノク - 神を喜ばす歩み 5-6 3C ノア - 神

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Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

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1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)


1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

しイエス様は 5 章 20 節でこう言っておられました わたしはあなたがたに言います あなたがたの義が 律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ あなたがたは決して天の御国に入れません 律法学者やパリサイ人は 当時のユダヤの社会で最も道徳的な人たちと敬われていた人々です 彼らは当然 自分たちは正

テモテ第二 2 章 1-13 節 キリストの兵士 1A 共にする苦しみ 1-7 1B ゆだねる教え 1-2 2B 立派な務め 3-7 2A イエス キリストの福音 B つながれていない御言葉 B 共に生き 死ぬ 本文 テモテへの手紙第二 2 章を見ていきます 私た

ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

Microsoft Word - G229A-一人の人から空の星のように

た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ

Microsoft Word - Advanced Sp. Warfare.J.doc

                 

(1) イゼベル 彼にとっては ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった それどころか彼は シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり 行ってバアルに仕え それを拝んだ (1 列 16:31) 1オムリの子アハブは イゼベルと結婚し バアル礼拝をイスラエルに導入した 2 預言者

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聖書 : ローマ 9:1~5 説教題 : パウロの大きな悲しみ 日時 :2016 年 1 月 10 日 ( 朝拝 ) 今日の 9 章から後半に入ります 一般にローマ書は内容的に 1~11 章までと 12 ~16 章までに分けられ それぞれは 教理篇 また 実践編 と位置づけられます すでに私たちは 8 章で前半の一つのクライマックスを見ましたが とするとこれからの 9~11 章は何を語る部分なのでしょうか それは イスラエルの問題 です 特にイスラエルの不信仰の問題です パウロは 1 章 16~17 節で 福音は ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも 信じるすべての人にとって救いを得させる神の力 と言いましたようにイスラエルの優先性を認めています 神のみことばはまずイスラエルに語られ 次に異邦人に語られました 新約聖書の福音は旧約聖書に基礎を持ち 旧約聖書が指し示す祝福を伝えるものです とすると一つの問題があります それはこれまで約束を受けて来たユダヤ人が皆 この福音を受け入れ その祝福にあずかっているなら良いのですが 実際には彼らの多くが福音を受け入れず キリストの教会に連なっていません であるならどういう意味で福音は旧約との連続性の上に立っていると言えるのでしょうか ユダヤ人に与えられてきた約束は無効になったのでしょうか ユダヤ人は救われないのでしょうか このことは神は真実でないということにもなるのではないでしょうか またこれはイスラエルの問題だけでは済まないことになり 今 福音を信じている私たちもやがて神の恵みから落ちるかもしれないということを意味するのではないでしょうか ですからこのテーマに関することも 神の福音の解説には欠かせないことになります このことを通しても私たちは神の福音をより良く知るように導かれるのです そしてこのことも 12 章以降で見る実践的な勧めの土台となることなのです まず 1 節でパウロは 私はキリストにあって真実を言い 偽りを言いません 次のことは 私の良心も 聖霊によってあかししています と言います これはキリストと聖霊の名を引いて来ての誓いです パウロはこのことをしてでも これから語ることを読者たちに良く受け止めてもらいたいと思っている その内容は 2 節にありますように 私には大きな悲しみがあり 私の心には絶えず痛みがあります というものです パウロは 8 章で 勝利の歌 を歌いましたが そんな彼には 大きな悲しみ と表現されるほどの圧倒されるような悲しみもあった 私たち

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っていたかは 3 節に もしできることなら わたしの同胞 肉による同国人のために この私がキリストから引き離されて のろわれた者となることさえ願いたいのです という言葉に現わされています 彼が言っていることは 自分は彼らの代わりに呪われた者になってもいいということです 彼らと入れ替わりに自分が捨てられ 永遠の滅びに投げやられてもいい そのようにしてでも彼らが救われることを選び取りたいということです これはパウロが本当にこの祈りを祈ったということではありません 彼はこの祈りは聞かれないことを知っていました 8 章 38 節 39 節で彼は 何ものもキリスト イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません! と語ったばかりです ここでもパウロはこの願いを 願った とは言っておらず 願いたい と言っています つまりこの祈りは現実には聞かれないものだということを彼は知っていた もちろん どうせ聞かれないんだからと安心して このような言葉を偽善的に語っていたわけではありません 彼の心としては純粋にそう思っているのです それができないことは分かっているが もし可能なら本当にそうなっても良いと私は心から思っていると 果たしてユダヤ人はそんなにパウロにとって魅力的な人たちだったでしょうか むしろユダヤ人はパウロの宣教をいつも妨害し 彼を常に迫害した人たちでした パウロは新しい土地に行くと まずユダヤ人の会堂で宣教しましたが 彼らは決まってパウロを迫害し 町から追い出し その命を付け狙いさえしました パウロはルステラではユダヤ人によって石で打たれて瀕死の状態となりました また Ⅱコリント 11 章にはユダヤ人から 39 のむちを受けたことが 5 度あるとも書いてあります こんな彼らに対しては同胞の愛などとっくの昔に消え去っていてもおかしくありません むしろ怒りと憎しみと苦々しさに包まれて 彼らが滅びるのは当然だ! と言い放っても良い ところがパウロは彼らのことを思って大きな悲しみと絶えざる痛みでその心を一杯にしていたというのです そして彼らの代わりに自分が滅びても良いとまで言っているのです

このパウロの言葉を見る時 私たちが思い起こす人がいるでしょう それはモーセです 出エジプト記 32 章 31~32 節 : ああ この民は大きな罪を犯してしまいました 自分たちのために金の神を造ったのです 今 もし 彼らの罪をお赦しくだされるものなら しかし もしも かないませんなら どうか あなたがお書きになったあなたの書物から 私の名を消し去ってください 彼も自分に逆らい 主に逆らうイスラエルのために 自分の永遠の運命と引き換えにすることを願い出ました 私たちはこのような記事を読む時に非常な衝撃を受けます そして私たちもそこまでしなければならないのだろうかと当惑します しかしここにダブって見えて来るのは何と言ってもイエス キリストのお姿でしょう 主はまさに私たちの代わりにのろわれた者となり そのいのちを十字架上でささげてくださいました またこの犠牲的愛は父なる神のお姿をも私たちに思い起こさせます 神は私たちの救いのためにご自身の最愛の一人子まで惜しまずにささげてくださいました モーセもパウロも このような神との交わりに生きていた者として 失われている魂に対して 神とキリストを映し出すような思いを持つ人となっていたのです 私たちは周りの人々に対してこのような重荷を感じているでしょうか 私たちは信仰を持っていない多くの人と一緒にこの世で生活していて 肉の目で見るなら お互い何も変わらないように見えるけれども 実はこのままでは永遠の行き先が全く違うということを知っています イエス様はある箇所で言われました あなたがたに言うが その夜 同じ寝台でふたりの人が寝ていると ひとりは取られ 他のひとりは残されます 女がふたりいっしょに臼を引いていると ひとりは取られ 他のひとりは残されます 地上で同じ釜の飯を食べ 一緒にテレビを見 遊び アハハと笑っているのに そのままではやがての日に全く異なる運命に行きつこうとしている そのことを見ているのがクリスチャンです そのことを知っているなら 私たちは人々と色々なことを一緒に行なって楽しむけれども ただ一緒に喜ぶだけでそれ以外は何も感じないということはあり得ない 心の底では同時に悲しみも覚えている者でなければなりません そしてもしそのことを思っているなら 私たちは何とかしてその人々の救いのために仕えなくては! と駆り立てられるでしょう その思いを このパウロやモーセの姿を通して新たに自らも持つ者に導かれたいと思うのです

さてパウロのユダヤ人に対するこの感情は 単に同国人であるという自然的な絆によるだけのものではありませんでした 彼の嘆きを一層深いものにしていたのは ユダヤ人が歴史において多くの特権にあずかって来た人々であるという事実でした 4 節と 5 節でパウロはユダヤ人が神から受けた様々な特権を列挙しています まず 彼らはイスラエル人です とあります ユダヤ人ではなく イスラエル人 と言ったのは パウロが神の救いの歴史という観点から彼らを見ているからです すなわち彼らは神の民イスラエルとして 旧約時代から神との特別な関係の中で導かれて来た人々です 次の 子とされること も神との特別な関係を指すものです 主ご自身が イスラエルはわたしの子 わたしの初子である と言われました 誰でも自分の子どもは特別な愛で愛します 主はそのようにイスラエルを取り分け 特別な民として愛し育んで来られました 次の 栄光 はイスラエルが経験した多くの神の臨在のことを指しているのでしょう 昼は雲の柱 夜は火の柱となって彼らを導かれた主の栄光をイスラエルは見ました またシナイ山では全山が煙り 火の中にあって主が山の上に降りて来られました また会見の天幕には主の栄光が満ちましたし 神殿奉献の時もそうでした また彼らには 契約 が与えられました この 契約 は複数形で書かれていますから アブラハム契約 モーセ契約 ダビデ契約といった 歴史が進むごとに順次新しく更新された神の契約を指しているのでしょう そのような尊い一連の契約を彼らは与えられて来ました また 律法 も与えられました 神はどのような方であり 何を喜ばれるかを彼らはこれによってわきまえ知ることができました また 礼拝 も彼らのものでした 異教の人々は自分勝手に作った神を自分勝手な方法で礼拝していましたが イスラエルはどのようにまことの神を礼拝すべきかを教えられ またその礼拝を通して神は彼らに確かに出会って下さいました また 約束 も彼らのものでした すなわちメシヤに関する約束です また 先祖たち も彼らのものでした アブラハム イサク ヤコブ そして 12 部族の祖となる族長たち 彼らを通して神の祝福はイスラエルに与えられたのであり 彼らを先祖として持つことは祝福のしるしでした そして最後に一番重大なことがあげられます それは キリスト です このキリストは 人としては彼らから すなわちユダヤ人から出ました これは彼らにとって最高の特権です それまでのすべての特権は この最高の特権に向けて備えられて来たものと言えます この方は人としては彼らから出ましたが その本質は神であることが 5 節最後に記されています このキリストは万物の上にあり とこしえにほめ

たたえられる神です アーメン この方が人となり メシヤとなって 彼らユダヤ人から出た これこそ彼らに与えられた最も偉大で そのクライマックスに当たる特権でした ところが何とイスラエル人はこの方をミスした! 認めそこなった! 受け入れなかった! すべてはこの方を迎えるために導かれて来たのに 彼らはこの特権の頂点が与えられた時にこれを拒絶した! これがパウロの大きな悲しみの原因だったのです これではいかにイスラエルであっても救いにあずかることはできない そしてパウロのこの悲しみと痛みの感情を強めたのは これでは神の真理はどうなるのかという問いでした 神は長い歴史をかけてずっとこの時のためにと備えて来たのに イスラエルがこのように拒絶したのでは全部無駄になってしまうのか 神がここまで準備して最後に与えてくださったものが このように捨てられて終わりになって良いのか その目的が達成されないまま ユダヤ人が捨てられ 異邦人にだけ祝福が回って来るということで良いのか そのことがこのあと 11 章最後にかけて取り扱われて行きます 今日はそれを前もってまとめて述べることはしません 少しずつ見て行きたいと思います そしてそこに 神の福音 を構成する貴重なメッセージを私たちは学ぶことができるのです 私たちは今日の箇所からどんなメッセージを受け取ったら良いでしょうか 神はイスラエルをそれ自身のために選んだのではなく イスラエルを通して全世界を祝福するという計画のもとにイスラエルを選び 導いて来られました ですからイスラエルの歴史は 世界のすべての国の人のための歴史でもあります 私たちが学ぶことは 神は長い歴史と時間をかけて救い主を送るための準備をして来られたということです そしてイスラエルに与えて来られた様々な特権のクライマックスとして ついにキリストをお与えくださった ですからこのようにしてついに与えられたお方以外には もう救いはないのです この歴史において示されて来た神の啓示の頂点であるお方を退けるなら もう他に神が下さる救いはないのです このキリストは今や全世界のすべての人に差し出されています 誰でもこの方を受け入れるなら救いを自分のものにすることができます 私たちもパウロの思いを持って歩む者へ導かれたいと思います 神がついに与えてくださったキリストを心から尊び 感謝し 周りの人々の救いのために心を砕き 機会を見いだして私たちの言葉と生活を通して神の福音をあかしし 愛する方々の真の祝福のために仕える歩みへ導か

れたいと思います