研究成果の概要 ( 背景 ) 従来の遺伝子工学は, 実質的に外来遺伝子の導入に限られ, 標的部位への導入は極めて困難でした ZFN, TALEN, CRISPR/Cas 1) 等のゲノム編集は, 微生物起源の人工酵素による遺伝子改変技術の総称で, 外来遺伝子の標的部位への導入のほか, 内在遺伝子の破

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( 樹立の用に供されるヒト胚に関する要件 ) 第 6 条第 1 種樹立の用に供されるヒト受精胚は 次に掲げる要件を満たすものとする 一生殖補助医療に用いる目的で作成されたヒト受精胚であって 当該目的に用いる予定がないもののうち 提供する者による当該ヒト受精胚を滅失させることについての意思が確認されて

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本成果は 主に以下の事業 研究領域 研究課題によって得られました 日本医療研究開発機構 (AMED) 脳科学研究戦略推進プログラム ( 平成 27 年度より文部科学省より移管 ) 研究課題名 : 遺伝子改変マーモセットの汎用性拡大および作出技術の高度化とその脳科学への応用 研究代表者 : 佐々木えり

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を行った 2.iPS 細胞の由来の探索 3.MEF および TTF 以外の細胞からの ips 細胞誘導 4.Fbx15 以外の遺伝子発現を指標とした ips 細胞の樹立 ips 細胞はこれまでのところレトロウイルスを用いた場合しか樹立できていない また 4 因子を導入した線維芽細胞の中で ips 細

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妊よう性とは 妊よう性とは 妊娠する力 のことを意味します がん治療の影響によって妊よう性が失われたり 低下することがあります 妊よう性を残す方法として 生殖補助医療を用いた妊よう性温存方法があります 目次 はじめにがん治療と妊よう性温存治療抗がん剤治療に伴う卵巣機能低下について妊娠の可能性を残す方

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1. 背景生殖細胞は 哺乳類の体を構成する細胞の中で 次世代へと受け継がれ 新たな個体をつくり出すことが可能な唯一の細胞です 生殖細胞系列の分化過程や 生殖細胞に特徴的なDNAのメチル化を含むエピゲノム情報 8 の再構成注メカニズムを解明することは 不妊の原因究明や世代を経たエピゲノム情報の伝達メカ

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妊娠 出産 不妊に関する知識の普及啓発について 埼玉県参考資料 現状と課題 初婚の年齢は男女とも年々上昇している 第一子の出生時年齢も同時に上昇している 理想の子ども数を持たない理由として 欲しいけれどもできないから と回答する夫婦は年々上昇している 不妊を心配している夫婦の半数は病院へ行っていない

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( 主催者挨拶 ) 開催趣旨と日本生命科学アカデミーの紹介 日本生命科学アカデミーは日本学術会議第二部の活動を多方面から支援する組織として昭和 62 年に設立されました 日本生命科学アカデミーの旧称は日本医歯薬アカデミーでしたが これは日本学術会議が平成 17 年まで七部体制であったことによるもので

2017 年 3 月臨時増刊号 [No.165] 平成 28 年のトピックス 1 新たに報告された HIV 感染者 AIDS 患者を合わせた数は 464 件で 前年から 29 件増加した HIV 感染者は前年から 3 件 AIDS 患者は前年から 26 件増加した ( 図 -1) 2 HIV 感染者

統合失調症発症に強い影響を及ぼす遺伝子変異を,神経発達関連遺伝子のNDE1内に同定した

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CiRA ニュースリリース News Release 2014 年 11 月 20 日京都大学 ips 細胞研究所 (CiRA) 京都大学細胞 物質システム統合拠点 (icems) 科学技術振興機構 (JST) ips 細胞を使った遺伝子修復に成功 デュシェンヌ型筋ジストロフィーの変異遺伝子を修復

PRESS RELEASE (2017/7/28) 北海道大学総務企画部広報課 札幌市北区北 8 条西 5 丁目 TEL FAX URL:

<1. 新手法のポイント > -2 -

る として 平成 20 年 12 月に公表された 規制改革推進のための第 3 次答申 において 医療機器開発の円滑化の観点から 薬事法の適用範囲の明確化を図るためのガイドラインを作成すべきであると提言したところである 今般 薬事法の適用に関する判断の透明性 予見可能性の向上を図るため 臨床研究におい

第 第 3 章第 第 第 3 第 4 第 5 第 4 章第 第 第 3 第 5 章第 第 第 3 第 4 インフォームド コンセントヒト受精胚の取扱い作成の制限取扱期間胎内への移植等の禁止他の機関への移送研究終了時の廃棄研究の体制研究機関提供機関研究機関と提供機関が同一である場合における当該機関の長

SNPs( スニップス ) について 個人差に関係があると考えられている SNPs 遺伝子に保存されている情報は A( アデニン ) T( チミン ) C( シトシン ) G( グアニン ) という 4 つの物質の並びによってつくられています この並びは人類でほとんど同じですが 個人で異なる部分もあ

遺伝子の近傍に別の遺伝子の発現制御領域 ( エンハンサーなど ) が移動してくることによって その遺伝子の発現様式を変化させるものです ( 図 2) 融合タンパク質は比較的容易に検出できるので 前者のような二つの遺伝子組み換えの例はこれまで数多く発見されてきたのに対して 後者の場合は 広範囲のゲノム

STAP現象の検証の実施について

研究の背景 ヒトは他の動物に比べて脳が発達していることが特徴であり, 脳の発達のおかげでヒトは特有の能力の獲得が可能になったと考えられています この脳の発達に大きく関わりがあると考えられているのが, 本研究で扱っている大脳皮質の表面に存在するシワ = 脳回 です 大脳皮質は脳の中でも高次脳機能に関わ

群馬大学人を対象とする医学系研究倫理審査委員会 _ 情報公開 通知文書 人を対象とする医学系研究についての 情報公開文書 研究課題名 : がんサバイバーの出産の実際調査 はじめに近年 がん治療の進歩によりがん治療後に長期間生存できる いわゆる若年のがんサバイバーが増加しています これらのがんサバイバ

顕微授精に関する承諾書

不妊治療について Ⅰ 一般的な不妊治療 1 排卵誘発剤などの薬物療法 2 卵管疎通障害に対する卵管通気法 卵管形成術 3 精管機能障害に対する精管形成術 Ⅱ 生殖補助医療 1. 人工授精 2. 体外での受精 精液を注入器を用いて直接子宮腔に注入し 妊娠を図る方法 夫側の精液の異常 性交障害等の場合に

資料5:ゲノム編集技術の生命倫理に関する国際的な議論の動向

2 反復着床不全への新検査法 : 検査について子宮内膜の変化と着床の準備子宮内膜は 卵巣から分泌されるステロイドホルモンの作用によって 増殖期 分泌期 月経のサイクル ( 月経周期 ) を繰り返しています 増殖期には 卵胞から分泌されるエストロゲンの作用により内膜は次第に厚くなり 分泌期には排卵後の

60 秒でわかるプレスリリース 2008 年 7 月 12 日 独立行政法人理化学研究所 生殖細胞の誕生に必須な遺伝子 Prdm14 の発見 - Prdm14 の欠損は 精子 卵子がまったく形成しない成体に - 種の保存 をつかさどる生殖細胞には 幾世代にもわたり遺伝情報を理想な状態で維持し 個体を

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料 情報の提供に関する記録 を作成する方法 ( 作成する時期 記録の媒体 作成する研究者等の氏名 別に作成する書類による代用の有無等 ) 及び保管する方法 ( 場所 第 12 の1⑴の解説 5に規定する提供元の機関における義務 8 個人情報等の取扱い ( 匿名化する場合にはその方法等を含む ) 9

                           2005年12月1日

リプロダクション部門について

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学位論文の内容の要旨 論文提出者氏名 松尾祐介 論文審査担当者 主査淺原弘嗣 副査関矢一郎 金井正美 論文題目 Local fibroblast proliferation but not influx is responsible for synovial hyperplasia in a mur

医薬品タンパク質は 安全性の面からヒト型が常識です ではなぜ 肌につける化粧品用コラーゲンは ヒト型でなくても良いのでしょうか? アレルギーは皮膚から 最近の学説では 皮膚から侵入したアレルゲンが 食物アレルギー アトピー性皮膚炎 喘息 アレルギー性鼻炎などのアレルギー症状を引き起こすきっかけになる

する 研究実施施設の環境 ( プライバシーの保護状態 ) について記載する < 実施方法 > どのような手順で研究を実施するのかを具体的に記載する アンケート等を用いる場合は 事前にそれらに要する時間を測定し 調査による患者への負担の度合いがわかるように記載する 調査手順で担当が複数名いる場合には

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子宮頸がん予防措置の実施の推進に関する法律案要綱

     

卵黄 PIP 2 IP 3 mammalian ICSI ER Ca 2+ 胚盤

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ェクトチームにおいて, 議員立法による法案作成が行われ, 平成 28 年 5 月には自民党の法務部会 厚生労働合同部会において, 生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例等に関する法律案 が了承されたが, いまだ法案の国会提出には至っていない 3 検討の必要性親子法制

別紙様式 (Ⅱ)-1 添付ファイル用 本資料の作成日 :2016 年 10 月 12 日商品名 : ビフィズス菌 BB( ビービー ) 12 安全性評価シート 食経験の評価 1 喫食実績 ( 喫食実績が あり の場合 : 実績に基づく安全性の評価を記載 ) による食経験の評価ビフィズス菌 BB-12

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本成果は 以下の研究助成金によって得られました JSPS 科研費 ( 井上由紀子 ) JSPS 科研費 , 16H06528( 井上高良 ) 精神 神経疾患研究開発費 24-12, 26-9, 27-

(定義)附則第一章総則第一条ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律(以下 法 という )に定めるもののほか この指針において 次の各号に掲げる用語の意義は それぞれ当該各号に定めるところによる 四提供医療機関特定胚の作成に用いるヒトの未受精卵又はヒト受精胚(以下 未受精卵等 という )の提供を

12_モニタリングの実施に関する手順書 

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長期/島本1

背景ヒトを含むほとんどの哺乳類は性染色体によってその雌雄が決定されます 性染色体はX 染色体とY 染色体から成り 性染色体がXX 型ならばメスが XY 型ならばオスが生じます つまりY 染色体 ( の遺伝子 ) があるか否かでメスになるかオスになるかが決定します しかしながら Y 染色体は進化の過程

クローン ES 細胞を利用したクローンマウスの作出方法

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PRESS RELEASE (2015/6/15) 北海道大学総務企画部広報課 060-0808 札幌市北区北 8 条西 5 丁目 TEL 011-706-2610 FAX 011-706-2092 E-mail: kouhou@jimu.hokudai.ac.jp URL: http://www.hokudai.ac.jp 生殖細胞系ゲノム編集による遺伝子疾患の遺伝予防 : 社会的議論のための論点提示 研究成果のポイント ゲノム編集によるヒト受精卵の遺伝的改変の実行性は, 近い将来, 臨床応用水準に到達すると推定 ヒト受精卵研究は日本では規制下で実施しうるが, 十分な説明がなければ社会的懸念を起こす 重篤な遺伝子疾患の遺伝予防を目的とするゲノム編集医療に関する論点を提示 研究成果の概要近年, 世界的に普及したゲノム編集技術は標的遺伝子の高効率改変を可能としました 一方, 今年 4 月, ヒト受精卵のゲノム編集論文が発表されると, 将来世代に及ぼす健康被害や医療目的外への濫用の懸念が世界的に生じました 生殖細胞系の遺伝的改変を行う医療の是非の議論に先立ち, 研究動向, 現行規制, 関連事例をふまえた上での生命倫理上の論点提示が重要となっています 昨年, 私たちはヒト生殖細胞系ゲノム編集研究を想定し, 関連規制上の課題を見出しました 今回, 哺乳類におけるゲノム編集研究を詳細に分析したところ, 受精卵, 精子幹細胞, 卵子を対象として, マウスのほか, 中 ~ 大型動物を用いた遺伝的改変が行われており, 現在は標的部位以外への変異導入などの技術課題はあるものの, 近い将来, 臨床応用水準に到達すると推定しました ヒト受精卵作製を伴う研究規制を確認したところ, 日本を含め, いくつかの国は規制下で認可していました 生殖細胞系ゲノム編集研究の正当性について, 着床前診断や今年英国で規制案が承認された卵子間ないしは受精卵での核移植によるミトコンドリア置換などを考慮して論点整理しました その結果, 重篤な遺伝子疾患の子への遺伝予防を目的としたゲノム編集研究に一定の正当性は認められました 一方で, 受精卵の倫理的地位の見方, 出生子の尊厳の確保が今後の重要な論点と考えられます ゲノム編集の安全性の更なる向上が予想される今, 一般の人々も含めた広範な議論を開始すべきでしょう 論文発表の概要研究論文名 :Germline genome editing research and its socioethical implications( 生殖細胞系ゲノム編集研究の倫理的, 社会的意味 ) 著者 : 石井哲也 ( 北海道大学安全衛生本部 ) 公表雑誌 :Trends in Molecular Medicine Volume 21, Issue 8, 2015( 先端医療の専門誌 ) 公表日 : 日本時間 ( 現地時間 ) 2015 年 6 月 13 日 ( 土 ) 午前 1 時 ( 米国東部時間 6 月 12 日 ( 金 ) 正午 )

研究成果の概要 ( 背景 ) 従来の遺伝子工学は, 実質的に外来遺伝子の導入に限られ, 標的部位への導入は極めて困難でした ZFN, TALEN, CRISPR/Cas 1) 等のゲノム編集は, 微生物起源の人工酵素による遺伝子改変技術の総称で, 外来遺伝子の標的部位への導入のほか, 内在遺伝子の破壊, 変異遺伝子の修復を高効率に可能とし, 農業応用のほか医療応用も期待されています ZFN で改変した免疫細胞を用いる AIDS 治療は既に臨床試験段階にあります 一方で, 今年 4 月に CRISPR/Cas でヒト受精卵の変異修復を目的とした論文が中国の研究グループによって発表されると, 拙速な医療応用が将来世代に及ぼす健康被害や, いわゆるデザイナーベビーなどへの技術濫用について倫理的懸念の声が上がりました 5 月, 米国ホワイトハウスも, 生殖細胞系のゲノム編集の臨床応用は現在, 行うべきではないと声明発表しました 私たちは昨年, ヒト受精卵を用いたゲノム編集の研究が近い将来行われると想定し,39 か国について生殖細胞系遺伝的改変の医療利用に関する規制を分析しました 2) 禁止している 29 か国の内, 日本は生殖細胞系の遺伝的改変を法ではなく, 指針 3) で禁じる少数派 4 か国の一つであることを示しました 今般, 哺乳類生殖細胞系のゲノム編集について研究報告を分析した上で, 生殖補助医療の関連技術と比較しつつ, 想定される研究目的と生命倫理の観点からの是非を考察しました ( 研究手法 ) 1. 哺乳類生殖細胞系ゲノム編集論文 30 報について, 研究対象, 改変内容, 効率などを詳細に分析 2. ヒト受精卵を用いる研究規制に関して 17 か国を踏査し, 我が国の国際的位置を確認 3. 症例や生殖補助医療関連技術をふまえ, 想定される研究目的とその是非の検討 ( 研究成果 ) 1. 哺乳類生殖細胞系ゲノム編集の研究の分析 30 論文を研究対象で分類 ( 重複あり ) すると, マウス (18), ラット (4), ブタ (3), ヒツジ (1), ウシ (2), サル (3), ヒト (1, 子宮移植はせず, 培養研究のみ ) でした 受精卵へのゲノム編集酵素精密注入法がほとんどの研究で選ばれ, 設計通りの改変個体作製を達成していました また, マウスやラット精子幹細胞の改変, マウス卵子から変異ミトコンドリア DNA の除去も少数見られました 受精卵への精密注入法の課題として発生能の低下, 改変細胞と非改変細胞の混在 ( モザイク ), 標的部位以外への変異 ( オフターゲット変異 ) 導入が主に挙げられますが, 前二者は酵素注入条件 ( 量, 酵素形態, 注入部位 ) の最適化で克服が進むとみられます また, 筋ジストロフィーモデルマウスの実験ではモザイクとなっても症状緩和の効果がありました オフターゲット変異については, 改良型酵素の使用, 標的 DNA 配列の綿密な検討, 胚性幹 (ES) 細胞を用いた予備実験で低減可能とみられます なお, 遺伝子破壊サル作製の論文において受精卵段階での改変効率は最高で 40.9%, オフターゲット変異の可能性がある 84 部位で変異は認められなかったと報告していました 中国グループのヒト受精卵ゲノム編集論文では, 改変効率は受精卵注入あたり 4.7% と高くなく, モザイクやオフターゲット変異も認められましたが, 異常受精卵を用いた影響や, 標的 DNA 配列の検討が不十分だった可能性もあります 哺乳類での実験結果を総合的に考察すると, 現在は技術的問題があるものの, 近い将来, ヒト生殖細胞系ゲノム編集は臨床応用水準に到達しうると推定されました 2. ヒト受精卵を用いる研究規制そもそもヒト受精卵の研究利用に規制上の, あるいは倫理的な問題はないのでしょうか 精子や卵子のゲノム編集の場合, 改変生殖細胞の発生能を確かめる, 即ち受精卵を作製する実験も予想されます ヒト受精卵作製実験について, ヒト ES 細胞研究を容認する 17 か国の規制を確認すると, ベルギー, カナダ, デンマーク, 日本, 英国, 中国は, 生殖補助医療の技術向上などの理由があれば, 受精

卵を作製した後,14 日目まで, ないしは原始線条が形成されるまで培養実験を認めています 米国は連邦としてはヒト受精卵を直接扱う研究に助成しない方針ですが, 研究自体に規制はなく, 州単位ではヒト受精卵を扱う研究を禁止する州がある一方, 容認している州もあります 中国グループによる論文では, 研究のための受精卵作製は行っておらず, 生殖補助医療で生じた, 医療に使わない異常受精卵を患者同意の上で使いました 従って, このゲノム編集研究自体は受精卵研究の規制や手続き上問題はありません 最近, ヒト生殖細胞系ゲノム編集の潜在的倫理問題を理由に臨床応用のみならず, 基礎研究をも一時中止を呼びかける意見表明がありましたが, 議論を重ね, ヒト受精卵の研究利用の規制を制定してきた国の研究者は基礎研究中止に同意しないかもしれません ゲノム編集酵素の精密注 遺伝的検査 TCAGTTTTCCCG ゲノム中の標的遺伝 1 細胞期受精卵 遺伝的改変 培養 桑実胚 ( 受精後 3 ) 培養 胚盤胞 ( 受精後 4 5 ) 内部細胞塊取り出し 分化誘導 継代 機能解析へ 増殖 株の樹 ES 細胞 参考図ヒト受精卵へのゲノム編集酵素の精密注入による遺伝的改変実験いくつかの国では, 生殖補助医療の技術向上などの理由でヒト受精卵を作製し, 発生 14 日目あるいは原始線条が形成されるまで培養は許されている 胚盤胞の段階で ES 細胞を樹立すれば, さらに培養を継続し, 機能も解析も可能 この場合, 日本ではヒト ES 細胞の樹立に関する指針を順守する必要がある 3. 想定される研究目的の考察とその是非一方,1960~70 年代の英国における体外受精の開発過程で生じた倫理的懸念が示唆するように, ヒト受精卵を扱う研究は, さらに遺伝的改変を行うのであればその正当性について充分な説明が求められます 中国グループは遺伝子変異による重篤貧血の遺伝予防を最終的な目的としていました この点について, 不妊克服のためのミトコンドリア DNA に着眼した生殖細胞系遺伝的改変の二事例 4), 重篤な遺伝子疾患の子への遺伝を予防するための着床前診断 5), 及びミトコンドリア病の母系遺伝を予防のための卵子あるいは受精卵間での核移植 ( ミトコンドリア置換 ) を考慮すると,1 単に不妊克服ではなく, 重篤な遺伝子疾患を対象として,2その遺伝の確率が高く,3 遺伝的改変に伴うリスクより遺伝的改変による遺伝予防の恩恵が上回る, とみられる生殖補助医療のケースは更なる検討に値すると考えました そこで, 重篤な遺伝子疾患の遺伝予防を目的とする生殖細胞系ゲノム編集の是非について主要論点を整理しました 支持論 受精卵からの割球採取に起因する受精卵あるいは出生子にリスクをもたらしうるが, 重篤な遺伝子

疾患の遺伝予防を目的とする着床前診断は, 欧州の多くの国で法的に認められている 同様の目的で, オフターゲット変異のリスクを一定の水準以下まで減じれば, 生殖細胞系ゲノム編集は容認しうる 親が常染色体優性遺伝病( ハンチントン病など ) のホモ接合体, または両親とも常染色体劣性遺伝病 ( 嚢胞性線維症など ) のホモ接合体の場合は, 生殖細胞系ゲノム編集によるメリットがある ある遺伝子疾患の変異をゲノム編集で遺伝予防しておけば, 子のみならず, その先の子孫も恩恵を受ける可能性がある 生殖細胞系ゲノム編集は重篤な遺伝子疾患の遺伝リスクがある夫婦を出産に伴う苦悩から解放する助けとなる 反対論 受精卵段階での遺伝的改変のリスクは子の全身に影響を及ぼし, また将来子孫に影響を及ぼしかねないため, 親によるインフォームドコンセントは無効である 生殖細胞系ゲノム編集は, 着床前診断が男女産み分けに濫用されている事実を考えると, 非医学的目的で使われる恐れがある 遺伝子疾患の遺伝予防目的のゲノム編集の開発では変異修復のみならず, 場合によっては遺伝子破壊, 外来遺伝子導入も検討されるだろう このため医療目的, 非医療目的の区別は不明瞭になる 受精した時点で人の尊厳は生じるため, 医療であっても介入は容認されない 受精卵の段階での予防法開発ではなく, 疾患を発症している現在の患者に対する医療開発を優先すべきである 進化の観点で, ヒトは生殖細胞系における変異を自ら修復する, あるいは遺伝的改変する前代未聞の種となってしまう ( 結論 ) 本研究から, ゲノム編集技術の更なる進歩で, 生殖細胞系遺伝的改変の是非に関する議論は, 安全性ではなく, 生命倫理的観点が中心となるとみられます 生殖細胞系の遺伝的改変を禁止する指針はあるものの, 生殖補助医療全体の法規制はない我が国で, 受精卵の倫理的地位をどうみるのか, 非医療的あるいは医療的目的でのゲノム編集を経て出生する子の尊厳をどう確保するのかが今後の重要な論点と考えられました ( 今後の展望 ) 北海道大学は生殖細胞系ゲノム編集の生命倫理について一般の人々の間で議論を深めるサイエンス カフェを設けましたが, 我が国における議論の一層の広まりと, 深化が重要です お問い合わせ先 所属 職 氏名 : 北海道大学安全衛生本部教授石井哲也 ( いしいてつや ) TEL:011-706-2126 FAX:011-706-2295 E-mail:tishii@general.hokudai.ac.jp 用語解説 1)ZFN:Zinc Finger Nuclease( ジンクフィンガーヌクレアーゼ ), TALEN:Transcription Activator-Like Effector Nuclease(TAL エフェクターヌクレアーゼ ), CRISPR/Cas:Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeat/Cas( クリスパーキャス ) 2) Araki M., Ishii T. Reproductive Biology and Endocrinology 2014,12:108 (Open Access). 3) 文部科学省, 厚生労働省 遺伝子治療臨床研究に関する指針 第一章第六生殖細胞等の遺伝的改変の禁止

4) 米国で発生能の低い卵子へドナー卵子由来細胞質 ( ミトコンドリアを含む ) を注入して出産を達成した症例が 1997 年に初めて報告された ヘテロプラスミーになること, また先天異常が見出されたため,FDA( アメリカ食品医薬品局 ) は 2003 年以降規制対象とした 中国でも, 妊娠を目的として正常ミトコンドリアを付与するために受精卵間で前核移植を行い, 妊娠を達成したが早産となり, 出生子が死亡したケースがある この場合も政府が介入し, 核移植を伴う生殖補助医療は禁止する指針が制定された 5) 着床前診断は, 胚の遺伝的検査を行うため受精卵から割球を採取するが, そのリスクは先天異常の頻度でみると顕微授精と同等と言われている しかし,90 年代に臨床利用開始されたため, 出生子の全生涯にわたる健康への影響は不明である 着床前診断は欧州では, スイスやオーストリアなどを除き, 法規制の下, 認められている 米国や日本はそもそも生殖補助医療全体の法規制が国レベルでない 米国では男女産み分けに着床前診断を提供しているクリニックが数多く存在する