で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

Similar documents
2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

創世記5 創世記2章4節b~25

PowerPoint Presentation

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

Microsoft Word - ◎中高科

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

夢を超えたもの_Culture A.indd

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

Microsoft Word - Pastors_no_furi.doc

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

創世記5 創世記2章4節b~25

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

4 伝承によれば 彼はクレテ島のゴルティナで監督となり 94 歳で召されたと言われています では 今日は発信人であるパウロと 受信人であるテトスから学びたいと思います 発信人であるパウロはどのような教訓を与えているか また受信人であるテトスがどういう信仰を送ったか大切なポイント 1. 発信人パウロ

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

牧会の祈り

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

(2) ケンクレヤにある教会に属していた 1コリントの南東 11 キロのところにある港町 2コリントの東の港としての役割を果たした アジア方面の交易のための港 * 西の港は カイオン 両港の間の距離は 8 キロ 3パウロは 第 2 回伝道旅行でここを訪れている 4 誓願が成就したのを記念して そこで

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

牧会の祈り

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

<4D F736F F D C906C82D682CC8EE88E86>

Microsoft Word - Advanced Sp. Warfare.J.doc

テサロニケ人への手紙第一 第5回聖書フォーラムキャンプ 基調メッセージ メッセージ 中川健一

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

牧会の祈り

2016 年 2 月 14 日川越教会 すべての民と共に 加藤享 [ 聖書 ] ローマの信徒への手紙 15 章 7~13 節だから 神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように あなたがたも互いに相手を受け入れなさい わたしは言う キリストは神の真実を現すために 割礼ある者たちに

た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ


テモテ第二 2 章 1-13 節 キリストの兵士 1A 共にする苦しみ 1-7 1B ゆだねる教え 1-2 2B 立派な務め 3-7 2A イエス キリストの福音 B つながれていない御言葉 B 共に生き 死ぬ 本文 テモテへの手紙第二 2 章を見ていきます 私た

れているのは お与えになる神 神は 与える ことをご自身の特性とされる神です また 惜しげなく 神は与える際 どうしようか やっぱりやめておこうか 少し出し惜しみしようか などとは考えない この言葉は 8 節に出てくる 二心 と反対の意味の言葉です すなわち心が二つに別れていない 神は私たちに対して

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

Microsoft Word - MBF_1John_01.docx

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

礼拝の恵み 牧師チャールズ フレドリクソン どうして クリスチャンは日曜日に礼拝するの? 多くのクリスチャンやまだクリスチャンではない人たちも この疑問を持っています そもそも 聖書時代には 今日でもそうなのですが 安息日を守るという律法がありました 安息日は 金曜日の夜から土曜日の日没までの一日で

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

テモテへの手紙第一 5 章 節 指導の任への尊敬 1A 二重の尊敬 A 監督者への監査 B 公正な裁き B 慎重な按手 B 透明性 本文 テモテへの手紙第一 5 章を開いてください 17 節から読んでいきます 私たちは

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

Microsoft Word - O-Rom ~75-GH-「召された」使徒から「召された」聖徒たちへの手紙

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

                 

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

Microsoft Word - MBF_1John_03.docx

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

< F2D E318C8E323493FA2097E CDD82A2>

(3) まっすぐにしなさい 1 されば衰へたる手 弱りたる膝を強くし ( 文語訳 ) 2ギリシア語の アノルソオウ である 上げる まっすぐにする 強くする 3ルカ 13:13(18 年も病の霊につかれ 腰が曲がって 伸ばすことができない ) Luk 13:13 手を置かれると 女はたちどころに腰が

主なるイエスキリストを信じる信仰による以外には救いはありません 私達は 全ての人は罪を犯したために神の栄光を受けることができない ( ローマ 3:23) と記されているように 全ての人間は生まれながらにして 又 罪の道を選ぶ罪人であると信じます 私達は イエス キリストが私達の罪の身代わりになり十字

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

裁きます けれども 実は自分たち自身も その基準には到達できていないのです これが偽善の始まりです 律法主義に陥ると 相手をこき下ろし けれども こき下ろしている基準に自分自身が満ちていないことが起こります 高らかに主張している人ほど 実はその教えを行なっていないという問題が起こるのです パウロは

2013_11_10 ˙$BFy$H?.6D$NBP7h˙(B

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

2 を重んじてきた人たちがいたからでした そういう人たちに対して 自分は宗教に熱心であると思っても つまり 形 を整えることに一生懸命であっても と語りかけているのです 今の私たちに当てはめるならば 洗礼を受けたといっても とか どんなに礼拝を守っているとしても とか あるいは 奉仕を一生懸命やって

Microsoft Word - filename-=ISO-2022-JP''0804%1B%24B%21%21%25%3B%25%5F%25J%21%3C%25F%25%2D%259%25H%21%21%25G%25%23%259%25Z%25s%2

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

スライド 1

付録 C の 1 Page 1 of 9 10/26/2003 付録 C クリスチャン ギリシア語聖書における Kyrios 新世界訳聖書は ギリシア語 Kyrios( ) をさまざ


2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

マタイ 10 章 39 節 失うから見出す命 1A 天の御国と闇の国 1B 狼の中の羊 2B 主人の受けた仕打ち 3B キリストの告白 2A 平和でなく剣 1B 家族関係 2B 社会関係 3B 自己実現 3A 自己中心な社会 1B 自分探し の援助活動 2B 自分探し の弟子活動 3B 探せば失う原

話してみよう

Taro .01元旦礼拝

(Microsoft Word - \203}\203\213\203R\202V\201F\202Q\202S\201`\202R\202O.doc)

あなたへの 聖書メッセージ ヨハネの福音書 3 章 16 節 ヨハネの福音書 3 章 16 節 神は 実に そのひとり子をお与えになったほどに 世を愛された それは御子を信じる者が ひとりとして滅びることなく 永遠のいのちを持つためである この ヨハネ 3 章 16 節のみことばは 聖書 66 巻の

イゼベルという女は 商売繁盛のために信仰を妥協するよう しきりに教会の人々に勧めました では これらの背景を踏まえて 学びに入りましょう 今日の聖書個所には 大切なポイントが 5 つあります 1. イエスの描写 (18 節 ) ここでイエスは 燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足のお方だ

たと聞いて 一緒に集まった 22:35 そして彼らのうちの一人の律法の専門家がイエスを試そうと尋ねた 私が救われるためにどうしたらいいの 教えて -- そういう気持ちがなかったんです 22:36 先生 これも偽善的な態度でした 先生と言う時 結局教えてください どうしたらいいの 知らせて けれどそう

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

<4D F736F F D2088D9964D906C834E838A CC90B382B582A297A782BF88CA9275>

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

さい あなたはこのために召され また 多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました Ⅱ テモテ 4:7 私は勇敢に戦い 走るべき道のりを走り終え 信仰を守り通しました これらの箇所では 戦い となっています b. 苦闘 コロサイ 2:1 あなたがたとラオデキヤの人たちと そのほか直接私の顔を見たことの

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

Transcription:

聖書 : ピリピ 1:1~2 説教題 : 恵みと平安 日時 :2016 年 10 月 23 日 ( 朝拝 ) 今日からピリピ人への手紙を読んで行きたいと思います この手紙は全部で 4 章 パウロの書簡の中では短い方に属します 先に見たローマ書は全部で 16 章ありましたから その 4 分の 1 になります しかしその内容は非常に豊かと言えます 宝石のような御言葉が一杯詰まっています この手紙の言葉に励まされて来た人はたくさんいるのではないでしょうか なぜそうであるのかは この手紙の性格とも関係します まずピリピ教会と この手紙の執筆事情から見て行きたいと思います ピリピ教会は ご存知の通り パウロの第 2 回伝道旅行において設立された教会です 使徒の働き 16 章にその様子が記されています パウロは第 1 回伝道旅行で福音を伝えた町々をフォローアップした後 聖霊に導かれて 小アジア北西部のトロアスへ導かれました そしてある夜 幻の中で一人のマケドニヤ人が マケドニヤに渡って来て 私たちを助けてください と懇願するのを見て 海を渡り ヨーロッパ大陸へと進んで行きます そしてまず伝道したのがマケドニヤ地方のこのピリピでした この町はローマの植民都市で 退役軍人が多く住んでいました 通常 パウロは新しい土地ではユダヤ人の会堂で宣教することから始めましたが この町にユダヤ人の会堂はなかったようです そこで祈り場があると思われた川岸に行き そこに集まった女たちに話をしました そこでまず救われたのが紫布商人で神を敬うルデヤという女でした その後 占いの霊につかれた若い女奴隷が救われ さらに牢屋の番をしていた看守が 主イエスを信じなさい そうすれば あなたもあなたの家族も救われます との言葉により 全家族そろって神を信じました パウロたちはその後 他の町へと進みましたが 今見た人々がピリピ教会の土台になった人たちだったと考えられます その後も パウロとピリピ教会との間には深い関係が継続しました 特にピリピ教会は パウロの福音宣教を支援してくれた教会でした 4 章 15 節 ~16 節 : ピリピの人たち あなたがたも知っているとおり 私が福音を宣べ伝え始めたころ マケドニヤを離れて行ったときには 私の働きのために 物をやり取りしてくれた教会は あなたがたのほかには一つもありませんでした テサロニケにいたときでさえ あなたがたは一度ならず二度までも物を送って 私の乏しさを補ってくれました パウロはお金目的

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは 彼はこの時 囚われの身にあったということです 1 章 13~14 節には キリストのゆえに投獄されている と書かれています 1 章 17 節にも 投獄されている私を と出て来ます これはいつのことなのでしょう 1 章 13 節に 親衛隊 という言葉が出て来ますし 4 章 22 節に カイザルの家 と出て来ることから それはローマであったと考えられます すなわち使徒の働きの最後で 裁判を待つ間 満 2 年間 番兵付きの家に住んだと記録されていますが その時にこの手紙が書かれたものと思われます この投獄中のパウロを助けるために ピリピ教会はエパフロデトを遣わして支援しました 4 章 18 節 : 私は すべての物を受けて 満ちあふれています エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので 満ち足りています しかしそのエパフロデトはパウロのもとにいる間に重病になり 死ぬほどの病気にかかりました そのことがピリピ教会にも伝わっていました しかしエパフロデトは神のあわれみによって回復します そこでパウロはピリピ教会が心配していることを思って エパフロデトを送り返すのです 2 章 28 節 : そこで 私は大急ぎで彼を送ります あなたがたが彼に再び会って喜び 私も心配が少なくなるためです その際に彼に持たせたのが このピリピ人への手紙だったのです パウロはその際 ピリピ人たちが 投獄されている自分を心配していることを知っていたので 自らの近況も記しました パウロは自分のことをどのように報告しているでしょうか それは牢屋の中にあるけれども全く落ち込んでいないということです むしろ喜びに満たされている! ということです もちろん牢屋の中は 外に比べれば何かと不自由です またパウロを苦しめようとする人々がいたこともこの手紙の中から分かります にもかかわらず パウロは一言で 喜び で特徴づけられる状態にあった そしてその彼が 外にいる読者に向かって いつも喜んでいなさい と励ますのです 3 章 1 節 : 最後に 私の兄弟たちよ 主にあって喜びなさい 4 章 4 節 : いつも主にあって喜びなさい もう一度言います 喜びなさい これこそこの書が私たちに語る衝撃的なメッセージではないでしょうか

私たちは自分を取り巻く状況 あるいは周りの環境に振り回されやすいものです しかし獄中のパウロが私たちに向かって いつも主にあって喜べ と語ります これはとてつもないメッセージです キリストにあるとはどういうことなのかを改めて教えてくれます この書は福音を組織的 系統的に論述するものではありませんが パウロはピリピ人への近況報告のために 自らのあかしを多くこの手紙で述べています そのため この手紙は教会に宛てられたパウロの書簡の中でも最も個人的な手紙となっています 私たちがこのピリピ書を読んで励まされるのは このパウロの個人的なあかしを通して 福音は牢屋の中にいる人であっても何をもたらすのか という実際的なメッセージを聞くからでしょう パウロが持つ信仰 希望 愛 喜び 平安 力 が隅々にあふれています その彼の言わば信仰の鼓動に接することができるのです またパウロは他にいくつかの勧めもこの手紙に含めています ピリピ教会にはある種の不一致の問題があったようです そのための勧めが特に 2 章に記されています また誤った教理に対する警告が 3 章に含まれています いずれも深刻な状況には至っていませんが パウロはピリピ教会の祝福のために そのことにも触れています この書はそういう手紙なのです さて今日は序論として ここまで少し多くの時間を使いましたが 残り半分の時間で最初の 1~2 節を見たいと思います この部分は通常の手紙の形式に従って 第一に手紙の差出人 第二に宛先 第三に初めの祈りが記されています しかし他の手紙もそうであるように ここにすでにこの手紙の特色が出ていると言えます まず差出人としてパウロは自分を キリスト イエスのしもべ と言います 他の多くの手紙では 使徒 であることがまず述べられています このピリピ書の前に置かれているローマ書 Ⅰコリント書 Ⅱコリント書 ガラテヤ書 エペソ書のどの書もそうです またこの後のコロサイ書もそうです しかしピリピ書で パウロは自分を 使徒 とは名乗っていません それはピリピ教会にはそのことが十分に受け入れられていたので あえてそれに触れる必要がなかったからだと考えられます むしろ彼は自分を しもべ と言っています これはギリシャ語ではドゥロスという言葉で 直訳すれば 奴隷 です つまりパウロはキリストの奴隷である そういう者として今 鎖につながれ 囚われの身にある しかしこのように キリストのもの として キリストに徹底して

仕えて生きるところに真の喜びと幸いがあると言っているように思います また同じ言葉は 2 章で互いにへりくだって歩むべきことを奨励する際 キリストが 仕える者 の姿を取ったと語られるところでも使われます 私たちはともすると 低い位置よりも高い位置にいたいと思います しかししもべとして生きる生き方こそ キリストにならう生き方であり そこに神によって高められ 祝福されるあり方があるというメッセージをすでにここに持っていたとも考えられます また共同の差出人として テモテの名があげられています 彼は使徒の働き 16 章でピリピ伝道の前にパウロと行動をともにするようになったパウロの愛弟子です ピリピ教会はもちろん彼のことを良く知っていました またこの後 2 章 19~23 節で語られるように パウロは自分がどうなるか分かり次第 先にテモテを遣わす予定でいました そのテモテの推薦のためにパウロは自分と並べて彼の名も記したのでしょう 次に手紙の宛先についてはこう記されています ピリピにいるキリスト イエスにあるすべての聖徒たち また監督と執事たちへ まずピリピ人たちが 聖徒たち と言われています ご存知のように 聖徒 はクリスチャンの中の特別な聖人 聖者を指す言葉ではありません 聖書における 聖 という言葉の基本的な意味は 区別された とか とり分けられた というもので これはクリスチャンが 聖別された者たち であることを意味しています それはどのようにしてなされたのでしょう それはその前にある言葉の通り キリスト イエスにあって ということです 私たちは自分で自分を救うことはできず ただキリストが私たちのために尊いご自身を十字架上でささげ 私たちの罪の問題を解決してくださいました そしてご自身が持つ 100 点満点の完全な義を私たちに与えてくださり ご自身とのつながりにおいて私たちを聖めてくださいました パウロはこうしてピリピ人たちを信仰の観点から表現することによって 彼らが今やどんな者たちとされているかを思い起こさせているのです そして実にこのことを良く自覚し 心から感謝してこの真理に生きるところに パウロがこれから述べる いつも主にあって喜ぶ という生活が導かれるのです また 監督と執事たちへ と言われています 監督 と 長老 は同じ人たちを指すことが聖書の色々な箇所から分かりますが このように当時の教会にはすでに長老と執事が立てられていたことが分かります なぜ彼らが特別にここで述べられているのでしょうか 詳しい理由は分かりませんが これはピリピ教会のパウロへの支援が長老

執事たちのリードによったからかもしれません あるいはこれからこの書で述べられる メッセージをふさわしく用いて この群れを導く使命と責任がこれらの教会役員に特に あることを思い起こさせるためかもしれません そうして 2 節で最初の祈りが記されます これは Ⅰコリント Ⅱコリント ガラテヤ書 エペソ書 ピレモン書と全く同じものです しかしだからと言って 単なる形式的なお決まりの文句というのではなく むしろ聞くたびにキリスト教信仰の根本原則を思い起こさせられる祈りとなっています これは二つの祈りをくっつけたものです 一つ目は 恵みがありますように 当時のギリシャ語での挨拶は 喜びなさい という意味の カイレイン というものでした 新約聖書でもヤコブの手紙の冒頭で この カイレイン という言葉が使われていて 新改訳聖書は 挨拶を送ります と訳しています しかしパウロはこのカイレインと挨拶するところを 恵み という意味の カリス にもじったのです こうしてキリスト教の旗印である 恵み を祈り求める挨拶を第一としたのです 恵みとは何でしょう 恵みとは受けるに値しない者に一方的に与えられる神の好意のことです 私たち罪人にとっての望みは まさにこの恵みです 自分の行ないによらず ただ神が垂れてくださる恵みこそ救いです そして二つ目は 平安がありますように これはヘブル語の シャローム をそのまま踏襲したものです ご存知のように 聖書言語における 平安 は 平和 と同じです この平安は単なる私たちの主観的な心の気持ちのことではありません 平安また平和には客観的な側面があります それは神との平和です 実に私たち人間が平安を持てないでいる根本原因は神との平和を持っていないところに起因します 神との平和を持つことこそ 私たちが平安に生きるための基礎です ここで大事なことは 一つ目の恵みがあって初めて 二つ目の平安があるということです 恵みがなければ平安はないのです 旧約聖書には 平安がないのに 平安だ 平安だ と語る偽りの人々のことが述べられています 平安は私たちの罪が正しく解決されることなしには私たちのところにやって来ません ですからここで恵みと平安は 私たちの父なる神と主イエス キリストから来る と言われています 単に神から来るだけでなく イエス キリストから来る すなわちイエス キリストの十字架のみわざを通して来るのです 私たちの代わりに十字架上で尊い血潮を流してくださった方から来るのです この方と結び合わされることを通して 私たちに真の平安はやって来ます

そしてこの平安を持つ時に 私たちはあらゆる状況を乗り越える喜びに生かされる者と なるのです 私たちは自分に問いたいと思います 私は今 この平安を持っているだろうか 心の静けさ 落ち着き 感謝 確信 満たしを頂いているだろうか それは恵みにより キリストの十字架を通し キリストと結ばれる人に与えられます その人がここで言われている平安を持つことができます 4 章 7 節に 人のすべての考えにまさる神の平安が あなたがたの心と思いをキリスト イエスにあって守ってくれる と出て来ますが 神ご自身の内に満ちている神の平安が 私たちをも包むようになるのです これをいただくところに どんな時も喜ぶという祝福の生活が導かれるのです 私たちはこのピリピ人への手紙を通して 喜びの生活の秘訣を知りたいと思います 獄中から 私は喜んでいる と語り 外にいる私たちに いつも喜べ と語るパウロのメッセージにチャレンジを受けて 自分もその祝福に生きたいと思います そのためにまず 恵みと平安が 神とキリストから益々豊かにありますように と祈るパウロの祈りを自分の祈りとして願って この書を読み進んで行きたいと思います