開催にあたって 岡山市は 穏やかな瀬戸内海の水運と 吉井川 旭川 高梁川が形成した岡山平野の中央部に位置しており 温暖な気候でもあることから 各時代の遺跡が数多く存在しています 遺跡を発掘調査すると まず目に付くのは当時の人々が頻繁に使用していた石の道具や土でつくった器などです それらは生活必需品で

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番号遺跡名遺跡名 2 遺跡数所在地遺跡種別出土遺構時期時期細分材質器種点数 点数未確定分 穿孔方向使用法報告書番号 自然科学分析 岡山 0060 根岸古墳 根岸古墳 7 岡山市 古墳 横穴式石室 後期 6C 末 ~7C ガラス 管玉 6 第 20 図 断面を六角に面取り 岡山 013 岡山 0061


五條猫塚古墳の研究 報告編 2014( 平成 26) 年 3 月 奈良国立博物館

福知山-大地の発掘


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第 1 章 調査標準に関する現状と課題 jtd


1, 埴輪の基礎知識 a, 埴輪とは古墳の墳丘上や周囲に立て並べられる土製品 円筒埴輪 朝顔形埴輪から様々な形態の器財 人物 動物などの埴輪があります 古事記 日本書紀には野見宿禰が殉死に代わって土製の人形を埋めるように進言したしたのが埴輪のはじまりという説話があります ( 埴輪を作る工人 = 土師

市報かすが12月15日号


平成 30 年度発掘調査遺跡の紹介 六日町藤塚遺跡 Ⅱ 古墳時代後期のムラ よ 所在地 : 南魚沼市余 かわ川 地内 むいかまちふじつか六せんじょうち うおのがわ しょうのまたがわの 日町藤塚遺跡は魚野川の左岸 庄之又川扇状地の標高 178mに位置します 国道 17 六日町バイパスの建設に伴って 平

す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査

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特集 海戸田遺跡 3 区全景 海戸田遺跡所在地 : 菊川市吉沢調査の結果 川の跡や溝が検出され そこから中世の簗 ( やな ) が検出されました 中世の生活の様子がうかがかいとだいせきえる貴重な成果が得られました 遺跡の位置 海戸田遺跡は JR 菊川駅から北東に3 km ほど離れた吉沢地区にあります

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美濃焼

本文/西川先生 2009‐04

目次 第 1 章吉野ケ里遺跡の紹介 吉野ヶ里遺跡とは... 3 吉野ケ里の歴史... 8 発掘について 弥生 Q&A 環壕入口 南内郭 ~ 王や支配者層が住んでいた場所 ~ 北内郭 ~まつりごとの場所 ~ 北墳丘墓 ~ 歴代の王の墓 ~..

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同志社大学所蔵堺市城ノ山古墳出土資料調査報告 1 城ノ山古墳 城ノ山古墳は現在の大阪府堺市北区百舌鳥西之町1丁目 百舌鳥古墳群の東南部分 に所在していた 丘陵上に前方部を西に向けて築かれた古墳である 大山古墳の南側 百舌鳥川左 岸の台地が一段高くなる部分に築かれている 墳丘上からは大山古墳や御廟山古

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割付原稿

表紙

最新レポート Ⅰ 金井東裏遺跡 平成 25 年度の調査 調査統括 友廣哲也 平成 24 年 11 月 渋川市の金井東裏遺跡で 甲を着た古墳人 が発見されました 6 世紀初頭の榛名山二ツ岳噴火に伴う火山灰や火砕流に覆われ その後の6 世紀中頃に起きた二ツ岳の二回目の大噴火で降下した厚さ2mに及ぶ軽石に

(1)-2 東京国立近代美術館 ( 工芸館 ) A 学芸全般以下の B~E 全て B 学芸 ( コレクション ) 1 近現代工芸 2デザイン 所蔵作品管理 展示 貸出 作品調査 研究 巡回展開催に関する業務 C 学芸 ( 企画展 ) 展覧会の準備 作品調査 研究 広報 会場設営 展覧会運営業務 D

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遺跡分布地図から見る広島

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井田川茶臼山古墳 

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第 1 部研究の目的と経過

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Transcription:

企画展ア発ク掘セさサれリたー2011 岡山市埋蔵文化財センター OKAYAMA CITY ARCHAEOLOGICAL RECERCH CENTER

開催にあたって 岡山市は 穏やかな瀬戸内海の水運と 吉井川 旭川 高梁川が形成した岡山平野の中央部に位置しており 温暖な気候でもあることから 各時代の遺跡が数多く存在しています 遺跡を発掘調査すると まず目に付くのは当時の人々が頻繁に使用していた石の道具や土でつくった器などです それらは生活必需品でもあり 朽ちにくい素材ですので 出土品の大半を占めることが常です また 水分の多い土で埋もれた地点を発掘調査すると 木の道具や器が出土することがあります いずれにしましても 時代を遡るほどに 生活に密着した道具類が大半を占めるようになります しかしながら 道具に比べると出土数は少ないものの 身を飾るためのアクセサリーも出土することがあります また お墓などでは アクセサリーを数多く副葬している場合があります わたしたちの祖先達は おしゃれに高い関心があったことを知ることができます 今回の展示では 縄文時代から江戸時代の遺跡から出土したアクセサリーを展示し 各時代のおしゃれ感覚の変遷を感じてみたいと思います

縄文時代のアクセサリー 縄文時代 ( 約 16,000 ~ 3,000 年前 ) は 狩猟採集の時代といわれ 原始的なイメージが ありますが 非常に豊富なアクセサリ-が知られています 岡山県下では草創期と早期の事いそのもりけつじょうすいしょく例は未発見ですが 早くも前期の倉敷市の磯の森貝塚では 玦状耳飾 サメ歯製垂飾 腰飾 腕飾が出土しています ひこざき彦崎貝塚 ( 岡山市南区 ) では縄文中期を中心にイノシシの牙製のペンダント サメ エ イの骨製のイヤリングやネックレス 貝製 のブレスレットなどが出土しています こ うしたアクセサリ - は骨や貝などの素材で 作られているものが多いのですが 晩期のよしのぐち吉野口遺跡 ( 岡山市北区 ) では 九州産と みられる 長崎ヒスイ と呼ばれる石材で 作られた管玉が出土しており 当時より遠 隔地との交流 交易が行われていたことを うかがわせます 彦崎貝塚出土サメ椎骨製イヤリング 彦崎貝塚出土貝製ブレスレット ( 貝輪 ) 彦崎貝塚出土イノシシ牙製ペンダント 吉野口遺跡の管玉 1

弥生時代中期の装い - 南方遺跡は語る - みなみかた南方遺跡 ( 北区国体町 ) からは普通は残りにくい木製や骨製 貝製の装飾品がたくさん出 土しています 緑 白 茶 黒 赤 髪飾り 首飾り 腕飾りなど弥生時代中期の人々が身 につけた装飾品の色です 石製の勾玉や管玉は緑 貝製品は白や乳白色 骨角製品や木製品 は白や茶色で 素材の違いや使い込むことによって色が変化したり 深みや味わいが加わっ たことでしょう さらに赤や黒の漆が塗られることもありました 骨角製品や木製品 多くの貝製品は身近 でとれる材料で作ったものです これとは 別に遠隔地から素材や製品を手に入れたも のもあります 勾玉や管玉は北陸や山陰地 方から ゴホウラ貝などの南海産の貝は南 九州地方からのものです こうした貴重な 品々は ムラの指導者や司祭者の権威を高 めたことでしょう 南方遺跡出土の貝製ペンダント 指輪 2 南方遺跡出土のヒスイや碧玉製の玉類 南方遺跡出土の貝や骨 牙製の玉類

弥生時代後期の装い 弥生時代後期は 吉備社会の大きな転換 点となる時代です その 1 つが 墳丘をも つ特別な墓に葬られる人があらわれること です そういった墓の副葬品としては ガへきぎょくラス製 碧玉製 ヒスイ製 めのう製 土 製の玉や銅鏡が認められます 大きなお墓 には 多くの玉類が納められる傾向もあり たてつき倉敷市の楯築弥生墳丘墓ではおよそ 600 点 もの玉類が副葬されていました アクセサ リーが身を飾るだけの道具ではなく 権威 や権力を見せつけるための道具の 1 つに使 われるようになってきたことを示していま 吉備東山遺跡の鏡片 ( 内行花文鏡 ) す しかし一方で 小規模な土壙墓や集落遺へきぎょく跡からも碧玉製の勾玉や管玉 ガラス小玉 土製の玉が出土しており 幅広い階層の 人々が一般的な生活のなかでもこうした玉 類をアクセサリーにする習慣が広まってい たようです 吉備東山遺跡の玉類 ( 碧玉製管玉 ガラス小玉 土製勾玉 ) 原遺跡の住居跡出土の玉類 ( 碧玉製管玉 ガラス小玉 土玉 ) 陣場山遺跡の土壙墓出土の玉類 ( 碧玉製管玉 ガラス製管玉 ガラス小玉 ) 3

まつりの装い 弥生時代のまつりとして思い浮かぶのは 銅鐸や銅剣などの青銅器を用いたまつりです それらの印象は強いのですが 他に様々なまつりが存在していたことを教えてくれる遺物があります 頭に鳥を真似した帽子を被り 手に羽根を真似したひも状の飾りを垂らしている姿を描いた土器です 鳥の姿をな ぞらえて踊る姿を表現していると考えられまつわのす 島根県津和野町などでおこなわれているさぎまい 鷺舞 などに通じるものといえます 昔か ら伝わる説話の中には 鳥は 稲穂を運んで 島根県津和野町の鷺舞写真提供 : 津和野町観光協会 くる縁起の良い生き物とする内容もあり そういった考えが弥生時代にまでさかのぼることをうかがわせます いずれにしましても まつりの装いを示す貴重な例です? 鳥装の人物? 高床式建物 4 新庄尾上遺跡の絵画土器 ( 鳥装の人物?)

弥生人 古墳人の入れ墨 - 鯨面と文身 - げいめんぶんしん 黥面 とは顔面に施す入れ墨のことです 顔面以外に施す入れ墨は 文身 とよびます 魏 志倭人伝 によると 3 世紀頃の倭人の男性は入れ墨をしていたという記述があります そ のことを裏付けるかのように 土偶や土器に入れ墨の表現が描かれているものがみられます げいめん古墳時代も弥生時代と同様に 5 6 世紀頃の人物埴輪に黥面の表現がみられる場合がありげいめんます 武人など男性の埴輪にのみみられる表現です これら黥面を施す理由は 魔除け 通 過儀礼などが考えられます 愛知県亀塚遺跡の人面土器 ( 弥生後期 ) 津寺 ( 加茂小 ) 遺跡の土偶 ( 弥生後期 ) 倉敷市上東遺跡の人面土器文様 ( 弥生後期 ) 挿図出典 / 安城市教育委員会 2007 亀塚遺跡 Ⅱ 安城市埋蔵文化財発掘調査報告書第 18 集 ( 一部改変 ) 岡山県教育委員会 2001 上東遺跡- 主要地方道箕島高松線道路改築に伴う発掘調査 2 - 岡山県埋蔵文化財発掘調査報告 157 5

古墳時代前期 中期の装い - 首長と戦の装い - 古墳の埋葬施設からは 亡き首長が身につけていたものでしょうか アクセサリーが出土 することがあります また 布や木 革などでできたものはほとんど残っていないのですが 形象埴輪はそうした失われたものを知る上で非常に重要な手がかりとなります 古墳時代の首長は祭祀を司る人物でもありました 碧玉やガラス製のネックレス 腕にはぎじょうきぬがさ碧玉や青銅製のブレスレット 鏡や儀仗を持ち 従者が蓋と呼ばれる飾られた傘をさしかけ る - 当時の首長はこのようないでたちだっ たようです こうした首長たちも次第に武人としての 性格が強くなっていきます 当時の武装は 出土品のほか埴輪からもうかがうことがで きます 甲冑は鉄の板を組み合わせたもの こざねで 小 けいこう 札を組み合わせた桂甲 胴丸のよう たんこうな短甲がありました 盾は文様が描かれた り巴形銅器と呼ばれる金具で飾られていま した 猪ノ坂東古墳の青銅鏡 ( 四獣鏡 ) 猪ノ坂東古墳のネックレス ( ガラス小玉 ) 6 造山第 4 号古墳の短甲形埴輪 造山第 2 号古墳の冑の埴輪 ( 盾持人形埴輪 )

千足古墳 - 黄泉の世界を飾る文様 - 石室内を色彩や彫刻などで飾った古墳そうしょくこふんのことを 装飾古墳 とよびます 中国 地方を代表する装飾古墳である千足古墳にちょっこもんは 石室内の仕切石に 直弧文 という文 様が刻まれています 直弧文は直線と弧線 が複雑に組み合った文様で 古墳時代の日 本列島内で独自に発達した文様と考えられ ます 西は熊本県から東は宮城県までとい う広い範囲で使用されていました 石室内 伝千足古墳出土の巴形銅器 ( 盾の飾金具 ) や石棺に刻まれる例が多く 死者を悪霊かへきじゃら守る辟邪 ( 魔除け ) としての意味があっ たと考えられます その他腕輪や刀剣類のつかさや柄 鞘 埴輪 土器などにきざまれる例が あります 直弧文の起源は 弥生時代末頃 に作られた倉敷市楯築弥生墳丘墓上にあるせんたいもんせき旋帯文石に彫刻されている文様 ( 弧帯文 ) であると考えられています 伝千足古墳出土の玉類 千足古墳の直弧文 7

古墳時代後期の装い - 古墳の副葬品と集落の出土品 - 古墳時代後期になると 横穴式石室をもった古墳が数多くつくられます 古墳をつくれる 人が増加したことを示しています 横穴式石室を発掘調査すると 様々な副葬品が出土します アクセサリーも多く出土しまじかんめのうひすいす 金や銀のメッキをしたイヤリング ( 耳環 ) 瑪瑙や水晶 碧玉 翡翠などの石製の玉 ガくしラス製の玉 指輪 櫛 冠 靴などです きらびやかに着飾って埋葬されていました 中に 塚段 2 号墳のネックレス はシルクロードを通じてもたらされた輸 入品の装飾品もあります 人物埴輪には 農民の姿のものもあり ます 農民の耳には耳環が表現されてい ます 集落遺跡からも耳環が出土してお り 農作業の時にもアクセサリーをつけ ていることがあったことをうかがうこと ができます 塚段 1 号墳の重層ガラス玉 8 塚段 2 号墳のイヤリング ( 耳環 ) 塚段 1 号墳のアクセサリー

古代 中世の装い - 官人の装束と祈り - 律令制度のもとでは 人々の身分が体系 化され 正装の服装やその色 装飾品やそ の材質に至るまで細かく規定されるように なり そこで使われる装飾品はステータスきびつすぎおにしシンボルともなります 吉備津杉尾西遺跡かわいり ( 北区吉備津 ) や川入遺跡 ( 北区川入 ) など じゅんぽうでは 巡 まるとも 方 丸鞆 と呼ばれる装飾品が 出土しています これは官人の革製のベルようたいかばんト ( 腰帯 ) に取り付ける飾り ( 銙板 ) です アクセサリーの持つ宗教的性格が薄れて きたことや 律令制度の様々な制約のため でしょうか 古墳時代まで盛行した玉など のアクセサリーは古代以降減少していきま す 鏡も祭器としての意味合いが薄れ 文 様も神仙や神獣が描かれたものから 鳥 や花などをあしらったものになっていきま す 鏡はお墓に再び副葬されるようになり ますが これは葬られた人の愛用品 遺品 だったのでしょう ベルト ( 腰帯 ) の飾り ( 吉備津杉尾西遺跡 ) ベルト ( 腰帯 ) 復元図 出土地不明亀甲地双鳥文鏡 お墓の副葬品 ( 備前国府関連遺跡 ) 9

戦国 江戸時代のアクセサリー - 侍と町人のおしゃれ - よろいかぶと戦国時代の鎧兜や武具類には きらびやかな装飾と 伝統にとらわれないあたらしいデザ なんばんぼうえきインを持つものが数多く伝世しています きらびやかな装飾の 変わり兜 や 南蛮貿易で じんばおりもたらされた織物を用いた斬新な模様の陣羽織は 日々を戦いの中に過ごした戦国大名がそ の力を周囲に示す晴れ着といえるものでした くまたにじょう熊谷城 ( 北区御津矢原 ) 出土の銅製品はアクセサリーではありませんが 細かな彫刻と金メッ キを施したきらびやかで斬新なデザインのもので 戦国時代の特徴を示すものといえます 江戸時代には 200 年以上続いた平和な 時代の下で産業が発達したことにより 様々な商品が大量に生産され 大量に供給 され そして大量に消費される これまで にない生活スタイルが始まります アクセ サリーも都市部を中心にして 次第に多く の人達も身につけることができるようにな りました かんざしこうがいくし江戸時代は簪 笄 櫛などの装身具の他きせるに 煙管や刀装具などの携行する道具に装ねつけ飾をほどこしたものや 根付のように携行 熊谷城出土の銅製品 する道具の一部に装飾をほどこしたものなどさまざまな種類のアクセサリーがつくられました これらのアクセサリーには 現在でも和装時に ほぼ同じかたちで使用されているものもありますが ストラップやキーホル ダーの飾りのように かたちを変えて使わ れている例も見られます 岡山城三の外曲輪出土の小柄 ( 刀装具 ) 平成 23 年度岡山市埋蔵文化財センター企画展 発掘されたアクセサリー 平成 23 年 10 月 3 日 編集岡山市埋蔵文化財センター 703-8284 岡山市中区網浜 834-1 発行岡山市教育委員会 700-8544 岡山市北区大供 1 丁目 1-1 10