何度もふるいにかけて 麦の実とごみとを分けるように 信仰が本物かどうかを何度も試される 父なる神さまのお許しのなかで サタンの激しい攻撃が始まる この時 もしかしたら 誰が一番偉いか 誰が一番大きいかという争論で ペテロがやはり一番だろうと 弟子たちもペテロ自身を自他共に思っていたのかも知れません

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2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

創世記5 創世記2章4節b~25

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

創世記5 創世記2章4節b~25

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

牧会の祈り

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

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2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

牧会の祈り

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

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2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

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た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

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3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ


聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

私自身 OIC に来てまだ 2 年弱です ですから この教会の歴史は少ししか知りません けれども 神は OIC の歴史のすべてをご存じです 創立当時から 神ご自身がこの教会を支えてこられました そして この教会に来た人 去っていった人すべての心をご存じです この 42 年の歴史をとおして 神は OI

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

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一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

牧会の祈り

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

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2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

sermon

2014 年 1 月 5 日新年礼拝説教要旨 カイザルのものはカイザルに 神のものは神に返しなさい ルカによる福音書第 20 章 節今年の元旦礼拝で開きました言葉を 礼拝堂の正面の左右に掲げました 右の みことばの戸が開くと 光が差し込み わきまえのない者に悟りを与えます という詩篇 1

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

ヘブル人への手紙1章

集会祈願全能永遠の神よ ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ 愛する子であることを示してくださいました 洗礼によって新たに生まれ あなたの子どもとされたわたしたちが いつもみ心に従うことができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に行き 支配しておられるみ子 わたしたち

人によって被災状況は違いますが 家族を失い 家を失い それまでの人生で築いてきたものをすべて失うという悲劇に突然見舞われ 茫然自失状況に追い込まれての絶望感 これらのことを想像すると 悲しみが一挙に襲ってきました 本当に悲しい出来事です 被災者にとっては 悲しみだけではなく 空しさや 憤りや 絶望が

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

牧会の祈り

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

Ⅰ. 管理人の不正の発覚 (1~2 節 ) 1.1 節 a Luk 16:1 イエスは 弟子たちにも こういう話をされた (1) イエスは 弟子たちに話している 1これは 弟子訓練のためのたとえ話である 2 聴衆が誰かを判断することが たとえ話の解釈のために重要である (2) その周りで パリサイ人

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ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

2016 年 2 月 14 日川越教会 すべての民と共に 加藤享 [ 聖書 ] ローマの信徒への手紙 15 章 7~13 節だから 神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように あなたがたも互いに相手を受け入れなさい わたしは言う キリストは神の真実を現すために 割礼ある者たちに

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2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

Microsoft Word 年4月30日説教「気づく」.doc

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

集会祈願唯一の神 すべての人を一つに呼び集めてくださる方 ここに集うわたしたちの心を照らしてください 滅びることのないキリストのことばに いつも信頼をおくことができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に生き 支配しておられるみ子 わたしたちの主 イエス キリストによって アーメン [2

集会祈願いつくしみ豊かな神よ あなたの栄光の輝きはすべての人を照らし 悲しみを喜びへと変えてくださいます 救いの道に招かれたわたしたちが キリストと一つに結ばれる日まで あなたの愛のうちに歩み続けることができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に生き 支配しておられるみ子 わたしたちの

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

(1) イゼベル 彼にとっては ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった それどころか彼は シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり 行ってバアルに仕え それを拝んだ (1 列 16:31) 1オムリの子アハブは イゼベルと結婚し バアル礼拝をイスラエルに導入した 2 預言者

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

の詩や歌があるかもしれません もちろん 賛美歌が挿入されることもあります しかし ほとんど の場合 礼拝のこの部分は 信経または信仰の宣言をそのクライマックスとして持つことが適切です 準備言葉の典礼が明らかになると それに対する準備とそれに対する祈りの反応がどのように適合しているかが分かりやすくなり

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

とは言えないような気がします 弟子達もすぐには主の復活を信じることが出来ない人達だったのです この人達はどうして主の復活を信じるようになったのでしょうか この最初の弟子達の証言によってイースターのメッセージが全世界に告げられていったことは事実です それだけにこの最初の弟子達が復活の信仰を持つようにな

テモテ第二 2 章 1-13 節 キリストの兵士 1A 共にする苦しみ 1-7 1B ゆだねる教え 1-2 2B 立派な務め 3-7 2A イエス キリストの福音 B つながれていない御言葉 B 共に生き 死ぬ 本文 テモテへの手紙第二 2 章を見ていきます 私た

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

今日 復活日の聖書日課には三人のマリアが出て来ました 日曜日の朝早く イエスの墓に行った二人のマリア マグダラのマリアともうひとりのマリア さらにもうひとりのマリアがその前に登場していました 旧約聖書 出エジプト記第 15 章 20 節です アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると 他の

ての事柄を神に伝える行為である 神を賛美する時 どれ程神を愛しているかを伝えることによって神を祝福することになる 同時に 神が誰であるかを覚え 神が生活のあらゆる側面に密接に関わって下さっていることを覚えるとき 私たちの信仰は深まる 主にとって不可能なことがありましょう か ( 創世記 18:14

2017 年 2 月 21 日 ( 火 ) 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 1. はじめに (1) 預言者たちの中でのエレミヤの位置づけ 1 預言書を書いた預言者 (the writing prophet) * 王国が南北に分裂して以降

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主日礼拝説教要旨 2014 年 2 月 9 日 あなたの信仰がなくならないように祈られる主イエス 新約聖書ルカによる福音書第 22 章 24-38 節 言い争う弟子たちに語られた主イエス 弟子たちは主イエスとの過ぎ越しの食事のあと それから 自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って 争論 を始めました 主が 望みに望まれた 過ぎ越しの食事 その席でパンを取られ感謝して裂き これはあなたがたのために与えるわたしの体 と言われ 杯をも同じようにして あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約 と言われて お与えになられた 主のお体と血を受けて 主と一体になった弟子たちが 誰が一番えらいかと言い争いをしている 主イエスはどんな思いで聞かれていたでしょうか 異邦の王たちは民の上に君臨し 権力を振るう あなたがたは そうであってはならない かえって あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように 仕える者 給仕する者のようになりなさい この私がそのようにしてきたではないか こういわれた主イエスのお心を深く受け止めたいと思います ある先生が神学生に 教会の最も低いところに生きることを学んでほしいと と話されました 神学生は 教会の最も低いところとはどこですか と問い返しました 君たちはそんな事も分からずに神学を学んでいるのか 教会の最も低い所とは 人々に仕える所であり そこに主イエス キリストはおられる と答えられました 主イエス キリストの教会では だれもが一番若い者のように仕える 一番低いところに生きて行こうとするのです なぜならそこに 主がおられるからです さらに主は 十字架を目前にされ あなたがたは わたしの試錬のあいだ一緒に最後まで忍んでくれた人たちである と弟子たちに語られました 父なる神が神の国の支配を私にゆだねられたように 主が弟子たちに主の国の支配をゆだねてくださり イスラエルの十二の部族をさばかせる と約束されました こういう地位が約束されているのです ですから誰が偉いかなどと争うべきではない むしろ 自分を小さくすることを学び 逆に他の人を大きくして自分から仕えて行くようにと 主は語られたのです シモン ペテロに語られる主イエス 31 節から場面が変わるかのようです シモン シモン 見よ サタンはあなたがたを 麦のようにふるいにかけることを願って許された この時 主はどのような思い どの ような声で こういわれたのでしょうか 愛する弟子たちがサタンの試練 攻撃を受ける 1

何度もふるいにかけて 麦の実とごみとを分けるように 信仰が本物かどうかを何度も試される 父なる神さまのお許しのなかで サタンの激しい攻撃が始まる この時 もしかしたら 誰が一番偉いか 誰が一番大きいかという争論で ペテロがやはり一番だろうと 弟子たちもペテロ自身を自他共に思っていたのかも知れません その心のスキをついて サタンの攻撃が始まる ペテロに集中する だから主は 違うぞシモン サタンによる攻撃があなたがたに そしてあなたに始まるぞ あの旧約聖書のヨブのように 神の許しの中で サタンはおまえの信仰をふるいにかけるぞ と言われたのです そして主イエス キリストにはその結果が見えていたのだと思います だからこそ主は続けて しかし わたしはペテロ あなたの信仰がなくならないように あなたのために祈った と言われ それで あなたが立ち直ったときには 兄弟たちを力づけてやりなさい とまで言われたのです そう主から言われたペテロは 主よ わたしは獄にでも また死に至るまでも あなたとご一緒に行く覚悟です と答えます 他の弟子たちは知りませんが このわたしが信仰をなくすなど絶対にありません 投獄も死も覚悟しています ペテロはみんなの前で断言しました しかし主は ペテロよ あなたに言っておく きょう 鶏が鳴くまでに あなたは三度わたしを知らないと言うだろう と言われたのです 三度とか完全の意味です きょう とは同じ金曜日の 今日 です ユダヤの一日は夕方から始まります 最後の晩餐は金曜日の始まりです 翌日早朝に鶏が鳴くまでには数時間です その間に 食事を終え ゲツセマネの園で祈られ ユダの裏切りで捕まり 大祭司の邸宅に引っ張られて裁かれる そこでペテロは お前もイエスと一緒にいた と言われる 違う 知らないと否定する 22 章 59 節には 3 回目の否定をこう描いています 約一時間たってから またほかの者が言い張った たしかにこの人もイエスと一緒だった この人もガリラヤ人なのだから ペテロは言った あなたの言っていることは わたしにわからない すると 彼がまだ言い終らぬうちに たちまち 鶏が鳴いた 主は振りむいてペテロを見つめられた そのときペテロは きょう 鶏が鳴く前に 三度わたしを知らないと言うであろう と言われた主のお言葉を思い出した そして外へ出て 激しく泣いた ペテロの思いを描く詩篇 116 篇なぜペテロは主イエス キリストを知らないと裏切ったのか その時の思いは どういう思いだったのでしょうか 福音書はペテロの内面をほとんど語りません わたくしは今週のディボーション ノートを書きながら 詩篇 116 篇の御言葉と出会いました 詩篇には たとえば51 篇の見出しには ダビデがバテセバに通った後 預言者ナタンが来たときに読んだ 悔い改めの詩篇など ダビデの心を読んだかのように思える詩篇があります この116 篇は 時代の前後はありますが 主イエスを裏切ったシモン ペテロの心を描いている詩篇だと思えたのです 2

116 篇は わたしは主を愛する で始まります 主とは神のことです ペテロの主は主イエスです 三度も主を知らないと否んだペテロを 復活された主が訪ねられて お前は私を愛するか と三度聞かれました ヨハネによる福音書第 21 章です 裏切られた主のほうから裏切ったペテロを訪ねられ ご自分への愛を問われたのです わたしは主を愛する これはペテロの再召命の鍵の言葉です 愛する覚悟があります ではない 主よ そうです わたしがあなたを愛することは あなたがご存知です と 裏切ったわたしを徹底的に愛して下さる主イエスの愛によって内に生まれた愛です 主よ あなたはこの私の愛をご存知です 私の愛はあなたが あなたの祈りが生み出してくださった愛だからです なぜペテロは 投獄も死も覚悟していたのに 主を見捨てて去ってしまったのでしょうか 死の綱が取り巻き 陰府の苦しみが彼を捕ら 悩みと苦しみの中に 突き落とされたからです 大祭司の庭で 侮辱され辱められ 十字架にかけられて行く恐ろしさを目撃し ペテロは怖くなったのです サタンの集中的な攻撃です 裏切ったペテロは外に出て激しく泣きました 魂のどん底に落とされたペテロ そこから救い出して下さったのは主イエスの祈りの手です ペテロの 魂を死から 目を涙から 足をつまずきから救い出して くださった主の両手 釘を打たれた跡のある主イエスの両手が ペテロを掴んで離されなかったのです ここに 主に祈られていることの深く大きな恵みがあります 主イエスは あなたの信仰がなくならないように あなたのために祈って いてくださいます 今も 父なる神の右にあって わたしたちのために執り成しの祈りを続けていてくださるのです だから わたしは主を愛する ひたすらに主を愛する その姿は しもべ としてです わたしの生涯をかけて 主を愛し続ける 主のしもべとして 教会の一番低いところで わたしたちは主をほめたたえ続け 仕え続けるのです 初代教会は ペテロとパウロとを指導者として立てました 主を 3 回 完全に知らないと裏切ったペテロと 主の体である教会を迫害したパウロ 二人とも取り返しのつかない罪を犯した人です そうであるのに どうしてこの二人を初代教会はリーダーとしたのでしょうか 116 篇 15 節に 主の聖徒の死はそのみ前において尊い とあります 新共同訳では 主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い と訳されています 聖徒 というと偉大な人のように感じますが 主の慈しみに生きる人 と訳されると これはまさにペテロでありパウロです 主イエス キリストに あなたの信仰がなくならないように あなたのために祈った と言われ ご自分を裏切り迫害する者の信仰が失われないように 慈しみの思いで祈っていてくださる主イエス キリスト その恵みを体験した二人は 主の祈りによって立ち直り ほかの兄弟たちを力づける しもべ として 愛に生きたのです 3

しかし今は と語られる主イエス しかし今は 財布のあるものは それを持って行け 袋も同様に持って行け また つるぎのない者は 自分の上着を売って それを買うがよい あなたがたに言うが 彼は罪人のひとりに数えられた としるしてあることは わたしの身に成しとげられねばならない そうだ わたしに係わることは成就している ルカによる福音書の 9 章の冒頭で 12 弟子を派遣されたとき 10 章で 72 人を派遣されたとき 主イエスは 財布も袋も靴も持って行くな と命じられました その伝道にあっては 彼らは何も不自由する事が無かったのです しかしいま イザヤ書の 53 章の預言の成就として 神の小羊である主イエス キリストが 人々の罪の身代わりとして 罪人のひとりに数えられようとしています これは預言の成就であり 神のなさる救いの業でありますが 弟子たちは厳しい道を歩むことになります 64 年のローマの大火から 313 年のミラノの勅令までの約 250 年間 キリストを信じる人々は迫害の歴史を歩みます そこに生きる弟子たちに しっかりと身を備えることを主は命じられました 祈られている幸い わたしたちは祈祷会で 自分たちのことよりも教会の兄弟姉妹のことを祈ります 代わりに祈ることを 代祷 ( だいとう ) と言います この自分のために誰かが祈っていてくださる それは何と力強いことでしょうか 受験の時期ですが わたくしは 1 年浪人して再度の試験の時に 2 日ある試験の 1 日目で 全く試験問題ができず帰宅しました 教会に行って 牧師の中野先生に 先生 全くできませんでした ですから明日の試験はもうやめます と話しました でも先生は 郷家君 教会のみんなが君のために祈っているんだ だから祈っていてくれる人の手前 明日も試験に行ってくれ と言われたのです 19 歳の生意気なわたくしは それでは 祈られている手前 行くだけ行きましょうか と答えて 翌日も試験に行きました 予備校の最後の最後に勉強した問題が 2 日目の試験問題として出ていたのです しかも 3 科目にです 驚きました 完璧に答案が書けました 祈られていることのすごさを実感しました そして合格しました 教会の兄弟姉妹に祈られていることの素晴らしさは 人の 手前 などということではありません 祈りは神様が御手を動かして下さることに通じます それは神の憐れみの御業です ですから ここで主イエス キリストがシモン ペテロの裏切りを予告しつつ なお しかし わたしはあなたの信仰がなくならないように あなたのために祈った と言われ それで あなたが立ち直ったときには 兄弟たちを力づけてやりなさい とまで言われたのです わたしたちも この主の祈りの中に その両手に しっかりと支えられているのです そして アバ父よと呼ぶ御子主イエス キリストの霊である聖霊をお与えくださり 神を呼ばせて下さるのです 4

ディボーションノート 6 2014 年 2 月 10 日 2 月 15 日 2 月 10 日 ( 月 ) 詩篇 111 篇主なる神のなされることは偉大です 坂戸キリスト教会は60 年の間 神の偉大な業を経験してきました 確かに神がお働きになってくださり 今日こうして教会があります 偉大とは大きな出来事だけではなく 日々変わらず その民にあがないを施し その契約をとこしえに立て 続けて下さった真実なみわざも偉大です 礼拝説教を通して御言葉で養ってくださり 日ごとの糧を聖書からお与えくださり またわたしたちの祈りをお聞きとどけ下さり 願う以上に万事を益に導いて下さいました 新しい思いをもって 聖なる神を心から賛美し 礼拝しましょう 主に感謝せよ 主は恵み深く その慈しみはとこしえに絶えることがない 2 月 11 日 ( 火 ) 詩篇 112 篇神のいましめは光です 光は明るく暖かく成長を助けます 正直な光の中を歩むなら 神からの繁栄と富とはその家にあります しかし時には現実が逆に見えます その逆の現実はいつまでも続くでしょうか いつかは神の正義の光のもとに偽りは明らかにされます 他人が作曲した曲を自分で創作したかのように偽ってきた事実が明らかにされました 多くの人々が失望落胆し憤りました 音楽界における前代未聞の恥ずかしい行為だと酷評されました その人は悪事が発覚することを恐れていなかったのでしょうか 良心の麻痺は 神への畏敬の喪失です 信仰が毎週の礼拝で新しくされるように祈り求めましょう わたしたちは悔い改め 罪を悲しみ 主イエス キリストの赦しを感謝し喜び 毎週新しくされて 賛美から新しい一週間を歩みださせていただきましょう お互いのために祈り続けましょう 5

2 月 12 日 ( 水 ) 詩篇 113 篇この113 篇から118 篇までは ハレルヤ詩篇 と呼ばれ 出エジプトの奇跡を賛美した一連の詩篇です ハルル は ほめたたえる で ヤ は ヤーウェ の短縮形で神という意味です ですから ハレルヤ は 神をほめたたえよ という意味になります 冒頭から会衆に賛美を呼びかけます あの奇跡中の奇跡 出エジプトは 罪からの解放と関連され 罪の奴隷から解放されて自由となり 約束の国を目指す旅を始めました この神を賛美するように勧めます 賛美は歌うだけでなく わたしたちの愛の行いも 慰めの言葉も賛美です 貧しさや乏しさの中 病や試練の中 賛美が生まれるはずがないと思われる中で なお神を賛美し 神に信頼し 互いに助け合って生きる 神は必ず門を開いてくださり 解放してくださり 道を拓いてくださいます 共に賛美し 共に困難に負けずに進みましょう ハレルヤ と歌いつつ 2 月 13 日 ( 木 ) 詩篇 114 篇 異言の民] とは エジプトの民 のことです 出エジプトのときに 神は 海 ( 紅海 ) を二つに分けてイスラエルの人々を通らせてくださいました また荒野の 40 年の放浪のあとで約束の地であるカナンに入るときに ヨルダン ( ヨルダン川 ) を退かせて渡らせて下さいました 山々は踊ったというのは地震を表現していますが どうして山々が震え どうして海と川とが退いたのかというと 神の前に畏れたからだ と歌うのです 神が地上に現われてくださることは それほどに畏れるべきことです 旧約の民の持っている信仰の感覚を わたしたちは忘れていないでしょうか イエス様 と あまりに馴れ馴れしくなっている信仰 説教の学びで 主イエスと神と聖霊のなさることに敬語を使わない点を厳しく注意されたことがあります 祈りにおいても 神への敬語を失っていないでしょうか 心からの畏れをもって 主にお仕えしましょう 6

2 月 14 日 ( 金 ) 詩篇 115 篇偶像を信仰しつつ 軍備も財力もある諸国の民が 真の神を信じる民を侮辱して言うのです おまえたちの神はどこにいるのか 見えないではないか 何もしてくれないではないか しかしこう答えます われらの神は天にいらせられる 神はみこころにかなう全てのことを行われる 真の神は目に見えない 天におられて全てを治められる そして全能にして万事を益としてくださる 逆に偶像の愚かさを厳しく批判します 人間が作り上げた偶像はなにもできません 偶像礼拝の恐ろしさは これを造る者と これに信頼する者とはみな これと等しくなる ことです 偶像礼拝をすると偶像程度の人間になる 本質が見えず 人の意見が聞こえず 手足も動かず 鎮座まします偶像 それが人間の姿でしょうか 神を畏れ 賛美する それは本当に人間を回復する恵みのわざです 賛美を忘れた人は 硬直化しつつある危険を自覚し もう一度 賛美の輪に加わって 共に賛美しましょう 神をとこしえに讃える 神に造られた人間らしい人間として生きてゆきましょう 2 月 15 日 ( 木 ) 詩篇 116 篇 わたしは主を愛する 主とは神のことですが 私は明日(9 日 ) の説教を黙想しつつ この詩篇はペテロの賛美かなと思いました 三度も主イエスを知らないと否んだペテロ 裏切るペテロをご存知で 主イエスは あなたの信仰がなくならないように あなたのために祈った 祈っている 祈り続けている と言葉をかけてくださいました 主を見捨てて去ってしまったペテロ 失望のどん底で 死の綱が取り巻き 陰府の苦しみが彼を捕らえる その悩みと苦しみのなかから救い出して下さったのは主イエスの祈りの手 ペテロの魂を死から 目を涙から 足をつまずきから救い出してくださった主イエスの両手 釘を打たれた跡のある主イエスの両手が ペテロを掴んで下さっている 主に祈られていることの深く大きな恵みよ だから わたしは主を愛する ひたすらに主を愛する わたしの生涯をかけて 主を愛し続ける 主のしもべとして 主をほめたたえ続けます 7

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