松九会との交流登山は 平成十年に始めて満十年目で十一回を迎える記念すべきことだと思います 今年(十一回目)は 五月二十三日~二十七日まで 登山解禁になった普賢岳をメインに周辺の山に案内してもらった(詳細は後で記す) 松九会との交流登山は 平成十年五月に第一回として九重連山に登り 毎年欠かさず十年間続けてきた 一度十年間を振り返り 大変お世話願った九州の藤井さん 澤田さんご夫妻に感謝を申し上げたいと思う 第一回の前に前座として二回交流登山をしている 其の一回は 平成五年に九松登山部の太田さん 佐藤さん 奥平さんにMRCから三名 総勢六名で久住岳を案内してもらった 其の時宿舎の法華院温泉小屋で 太田さんと 九松とMRCとの交流登山を続けてはと言う事になった 満十年を迎えた松九会との交流会を懐古して思う その次は 平成七年に九松からは太田さんを始め五名,MRCからは五名が 大山に登った これがきっかけで交流登山が始まった 十回の記録は MRC六十年の歩み に記載されているが 集大成としてまとめた 第一回の九重連山は 平成十年五月にMRCから三十二名 松九会からは十三名と大部隊が素晴らしく咲いたミヤマキリシマを眺めて中岳 久住岳 大船山 平治岳と登った 法華院温泉小屋では 藤井さんから 坊がつる賛歌 の指導があり大いに盛り上がった 坊がつる賛歌 人みな花に酔うときも残雪恋し山にいり涙をながす山男雪解の水に春を知るこの元唄は 広島高師の山岳部の歌で 昭和十二年の作 二十七年に当時九大生だった三人の学生が 坊がつるの山小屋(あせび小屋)で小屋番の退屈しのぎに替え歌を作ったのがこの歌である これが山仲間によって歌い広められ 芹洋子が阿蘇高原のコンサートではじめて聞かされ これらがきっかけとなり五十三年にレコード化され流行した歌です 第二回は 平成十一年五月 朝国岳~霧島山 に登る MRCから三十六名 松九会十三名と昨年を上回る参加で 韓国岳から新燃岳 中岳 とミヤマキリシマが満開のなかを縦走する さらに天孫降臨の霊峰高千穂の峰にも登り オプションとして三十一名が開聞岳に登った 片井巌高千穂の峰 道標 平成 16 号
第三回は 一度関西でお世話をしようとなり 平成十二年六月に稲村ヶ岳と山上ヶ岳 大台ケ原に登る MRCからは二十七名 松九会から九名参加する 稲村小屋から上は石楠花が綺麗な花を見せてくれた 今回は 今村御大の傘寿のお祝いで盛り上がる 内二十六名が大台ケ原に行った 第四回は 平成十三年六月に行縢山(むかばきさん) 祖母山に登る MRCから二十一名 松九会から十一名の参加で 行縢山と言う珍しい名前の山(山の形が 昔の武士が狩をする時に履く 鹿の皮で出来た足当ての形に似ている所から付けられたそうだ)と日本百名山の祖母山に登る 行縢山はジグザグのキツイ登りを行く 夜は高千穂神社のお神楽を楽しんだ 行榺山オプションは 二十九名が 傾山に登った 第五回は 平成十四年六月に 由布岳 阿蘇山にMRCから三十名 松九会から九名が参加して ミヤマキリシマが咲く東峰 西峰と登り阿蘇山 ( 高岳 ) 三百六十度の展望を楽しむ 二日目は 阿蘇の高岳 中岳と登り お鉢にはミヤマキリシマが綺麗に咲いていた 三日目は 三名ほど帰阪したが 根子岳に登り 高岳 祖母山 久住山系を眺めて下山する 第六回は 平成十五年七月に 今回は関西の担当で 北陸の田中さんの協力を得て 加賀白山 日野山に登る MRCからは三十九名 松九会から八名の参加で 天気が余り思わしくなかったが実施する 日野山では登山口から雨で比丘尼ころばしの登りにくい坂を登る 二日目は 本番の白山で 運よく晴れて 黒ボコ岩日野山 道標 平成 16 号
では展望を楽しみ 室堂に着いた時はガスで視界が悪くなってきた 三日目は小雨で展望が利かないので頂上は諦めて下山する 折角九州から来ていただいたが天気が悪く残念であった 第七回は 平成十六年六月に 大崩山(おおくえさん)に登る MRCからは二十一名 松九会から九名の参加で 残念ながら雨のため大崩山の 山の凄い姿を眺めながら登るコースは危険で中止になる 二日目は何とか晴れたのでコースを変えて登る なんとか大崩山の頂上に着くが残念ながら展望は利かなかった 大崩山第八回は 平成十七年五月に 英彦山 福智山に登る MRCからは二十三名 松九会は七名と今回は少し参加が少なかったが 和気藹々と楽しく登る 英彦山は福岡県の山ですが 大分県との県境にある修験道の山で 福岡 北九州から近く登山者が多いようです 一日目は大日ヶ岳 釈迦ヶ岳にのぼり 二日目は 英彦山に 三日目に福智山と福岡県の四箇所の山に登る 英彦山第九回は 平成十八年六月に関西側が担当で 八が岳に登る,MRCからは二十三名 松九会から三名の参加で 赤岳登頂組みと 硫黄岳組みとに分れて登る この年は各地に雪が多く雪崩の事故があり八が岳も残雪の心配をした 幸いたいしたことが無かったが 中岳と阿弥陀岳のコルを下るルートに残雪が多く ルートを一部変更して下山した 二日とも天気が良く展望も 御岳 乗鞍 北アルプスまで眺められ八ヶ岳 ( 赤岳山頂 ) 道標 平成 16 号
大いに満足した例会であった 第十回は 平成十九年六月に 六十周年記念登山をかねて稲村ヶ岳に登る 今村御大の米寿のお祝いもかねて行った MRCからは二十七名 松九会から四名の参加で 今村御大は元気で登られた 夜は稲村小屋の定番のカレーではなく豪勢な料理が出て御大の米寿のお祝いで大いに盛り上がった 稲村小屋にて今村御大の米寿祝い二日目は 山上が岳登頂組みと下山組みに分かれて下山した 洞川では温泉にゆっくり浸かり疲れを癒した 第十一回は 平成二十年五月に 登山解禁になった普賢岳をメインに眉山 国見岳 妙見岳 黒髪山 青螺山と登る MRCからは 十五名 松九会から八名の参加で 一日目は 小雨降るなか眉山に登り あとは噴火の時に大屋根まで埋まった家 噴火の熱風で焼けた小学校の跡 当時の惨事の展示を見学した 二日目は 快晴になり山一面ミヤマツツジが満開の中を普賢岳を目指して登る 赤 ピンク系であるが いろんな色の(五種類ほどある)ミヤマツツジをいやと言うほど眺めながら登る 九重連山も綺麗だがここの方がはるかに綺麗と思った 更に国見岳 妙見岳と続いて又ミヤマキリシマの山を登る ミヤマキリシマの中を下山して雲仙の地獄を観光し 旅館の良い温泉で疲れを癒した 三十年ほど前に来た時と比べるとかなり整備されて観光しやすくなっていた 三日目も快晴で黒髪山に登る 登山口から渓谷に入り二回ほど渡渉して登る 頂上は岩山で展望もよく快適だった 黒髪山を後にして 青螺山組みと 中腹にある寺をめぐり下山する組に分かれて行動した 登山口の駐車場で合流し 高速の途中のサービスエリアーで 松九会の方と別れて帰路に着く 十年を振り返って思うに この例会は本当にお世話が大変である 往復の船の手配 宿舎の手配 弁当の手配 バスの手配と間違いなくきっちりと手配して 尚コースの案内もきめこまかくしていただき ただ大変だ! の一言に普賢岳 道標 平成 16 号
尽きる これを十年間も続けて担当してもらった藤井さんと 澤田さんご夫妻に再度感謝申し上げたい 又,MRCの担当をして頂いた東脇さん 久保田さんにも大変な世話をしていただき改めて感謝を申し上げる次第です この機会に お世話になっている松九会の藤井さんと澤田さんご夫妻の紹介をしなくては申し訳ないと思い 少し紹介をします 藤井さんは 九州松下のOBで松九会の登山クラブの世話役代表で また福岡まいずる山岳会の会長をされております 福岡まいづる山岳会とは,MRCと違って一般の山仲間の集まりで 日本山岳会の会員が沢山居られる素晴らしい会です 会の名前の まいずる とは白い可愛い花をつけるまいづる草から取ってあるそうです 多趣味で絵画 書道 陶芸と最近は版画もされており 毎年素晴らしい版画の年賀峡をいただいています この交流会のコース設定は殆ど藤井さんがされるようで感服している次第です 澤田さんは,MRCの会員ですので 古い方は良くご存知でしょうが 若い時からMRCラジオ部会の会員で活躍されており 今は松九会登山クラブの世話役を藤井さんと一緒にされておられます 趣味は写真パソコンと色々有るようですが 素晴らしいのは 皆さんも六十周年記念展示会でご覧になったと思いますが 切り絵はプロ顔まけです 奥さんも若い時からMRCの会員で活躍されており 何でもされますが 特に最近では陶芸にはまっておられ 其の作品を普賢岳に登られた方はお土産に頂かれと思います MRCは九州例会(松九回との交流登山) 北陸例会 以前は関東例会もありましたが 地方の会員の皆さんにお世話をいただき 地方の方と交流ができ 色々地方の山に登れるのは他の山岳会に無いMRCの特長であると思います なんと十一回皆勤の方が居られます(植村さん)です (あっぱれ!)これからもお世話を願う方々は大変だと思いますが 何とか末永く続けて頂くことを強く希望する次第です 満 10 年を迎えた MRC と松九会との交流会の記録参加者回数年月登山先リーダー MRC 松九会第 1 回 H10 年 5 月九重連山澤田 32 名 13 名第 2 回 H11 年 6 月韓国岳 ~ 高千穂の峰澤田 36 名 13 名第 3 回 H12 年 6 月稲村ヶ岳 ~ 大台か原清水 27 名 9 名第 4 回 H13 年 6 月行縢山 祖母山 傾山澤田 22 名 12 名第 5 回 H14 年 6 月由布岳 阿蘇山澤田 30 名 9 名第 6 回 H15 年 7 月白山東脇 39 名 8 名第 7 回 H16 年 6 月大崩山 比叡山澤田 21 名 9 名第 8 回 H17 年 5 月英彦山 福知山 澤田 23 名 7 名第 9 回 H18 年 6 月八が岳 ( 赤岳 阿弥陀岳 硫黄岳 ) 久保田 23 名 3 名第 10 回 H19 年 6 月稲村ヶ岳 (60 周年記念登山 ) 久保田 27 名 4 名第 11 回 H20 年 5 月普賢岳 国見岳 妙見岳, 青螺岳澤田 15 名 8 名 道標 平成 16 号