はじめての
はじめての沖縄目次 序沖縄について考えることについて考える7 自治の感覚27 沖縄を思って泣く55 彼方と過去79 変化と喪失97
沖縄のはじまり121 たくさんの声 ひとつの境界線147 ほんとうの沖縄 ふつうの沖縄165 ねじれと分断205 終章境界線を抱いて231 謝辞252
序章
は で おもに を している に の の とアイデンティティの について している しかし もとから として に わっていたわけではない は いころ ただの だった の あるいは によっては と ぶ から を れた が その にはまり に かされたように に い がれてしまう を して という 〇 からある らしい も のころ はじめて を れ そうなった に ってきても のことを い の を み の を き はまだ では しかった を して たまに つけると ず って で んでいた そうとう ち い だったと う ただ それはそうなる があった そして その について え べているうちに いつのまにかそれが となり の にまでなった それについて えることは を から き はがす ことだった い をかけて して ようやく から ある は を れるようになったのだが がつくとそれが の になっていた として に ってから として テーマにしてから
9 序章沖縄について考えることについて考える ほどが つ そのあいだに たいしたものではないが についての あるいは と についての や をいくつか いてきた あるいはもっと そのものについての も いた これからもそういうことがらについての や を いていくつもりだが そろそろ について あるいは について えることについて もう し に きたいと うようになった そして この よりみちパン セ のシリーズで かないかというオファーをいただいた いころとても きだったこのシリーズの として あらためて について えて くこと あるいは について えることについて えて くことは ふさわしいテーマだと った だからこの は はじめての というタイトルが けられている がはじめて と って になって な イメージを に して てはめてしまっていたときのことが の の となっているのである このタイトルから されるのはおそらく はじめて に くひとに っておいてほしいような についての な やデータ や を べた だろう しかし この を んでも についてたくさんの を できるわけでもないし それに しくなるわけでもない これは についての ではない に に かれている ではないのだ そういう や などについての は ほかに い がたくさんある もし を ん
10 でわからない が てきたら に せずに や などを っている どうかそういう にあたって ご で べてみてほしい ここではただ はじめて に ったときにさかのぼって について な から に えたことを いてみたいのである もバラバラで な かけら のような が んでいるだけの だが それでも なりに についてずっと きたかったことを いた は や の でなくても それについて えたこと を くだけでも の になるような そういう だ それはまったく ほんとうに のなかの の な なのだ たとえば について か を くときに その の をどうするか そこに が まれるか という く ことにあたってのもっとも な でさえ えられるべきことがたくさんある は という を って を いている しかしこの では たち という がしばしば われることになると う
11 序章沖縄について考えることについて考える というのは いまこの を いているこの だ あなた というのは いまこの を んでいるあなただ とてもわかりやすいし はっきりしている しかし たちという には のたくさんの が まれてしまっている がこの に まれているのか まずこのことからはっきりさせておかないと この は くことができない には ナイチャー という がある ヤマトンチュ という じ の もあるが あまりふだん にしたことがない ではナイチャーという のほうがよく われるような がする どちらも じ で のひと のひと という だ するに の のひと である こういう い は には しあると いたが これほど い として のなかに っているのは やはり だ の には まず しない たとえば の びとが という を とそれ のふたつに けて それぞれを の で するということは かなり えにくい どうしてかというと は のなかで した ではないからだ それは の ではあるが それと それ ぜんぶ を つに けてしまうほど のものと しているわけではない だから でもどこでも を とそれ に けて する は しない しかしこの が にはある ナイチャー あるいはヤマトンチュという があるの
12 だ く き って した には かならず や がある には ナイチャーという がつくられ し な ご いになる な があるのだ がこの のなかで たち という を うときは ナイチャー という を めている たちナイチャーは たちナイチャーにとって たちナイチャーの たちは ナイチャーだ の として ナイチャーだけを しているわけではない むしろ の びとにこそ んでほしい でも ここで である が たち というときには それはほとんどがナイチャーだけを んで っている もちろん で らすすべての が ウチナンチュとナイチャーに されるわけではない がウチナンチュで がナイチャー という もあるだろうし に んでもう になるウチナンチュ あるいは や で まれ って のことをほとんど らないウチナンチュ や あるいは に して もそこで らし の な になっているナイチャー あるいはそもそも まれの びとや にルーツの がある びともたくさんいる にも にも いろいろな がいて この つのカテゴリーの どちらか に ず る というわけではない そういう も もう も に い け ここ ほどは のうち べにして か は に している そうすると という は いまでは のある
13 序章沖縄について考えることについて考える と きの のように えてきている それはすでに の の きな になっているのだ だから は で まれて ではよそ なのだが は にとって に ごと ではない それはすでに かに の の になっているのである しかし それでもなお ウチナンチュとナイチャーという は があり があり がある なぜかというと それは の びとが を しているのではなく という が という の で されているからである あるいは と ってもよい このナイチャーという は ではほんとうに に よく われるのだが の びとのことをちょっと く する い が い だから この を わない の もいる の びとを すこし や ゆするような るような そういうニュアンスで われることもある だから に の の の では この を わないという も い しかし ほとんどの は それほど い もなく ただなんとなく たちと の びとを する で われている けん かなどのときに このくされナイチャーめ という の しい ののしり が われることがあるが は の びとも それほど たちと の びとを しない そんなこといまどき も にしていない しかし それでもなお この は の に いていて のように われている やはり そこには
14 の からの に する がある そしておそらくそれは の からの への の しであると う だから は ひとりの の あるいは の として この のなかでは たち という を いたいと う もちろん によっては それは になったり たちになったりするけれども とにかくこの のなかで が たちというとき それは たち の は という で っている そして の びとのことは ウチナンチュやあるいはただ に の びと という で している でも り すが に きる が きれいにこの つに かれるわけではない しかしそれでもこの には がある なぜ があるのかというと それは この つの が に されてきたからだ かに ひとりひとりの の びとはみな しく フレンドリーで け てなく してくれる さらに でも でも くの びとはそのルーツや において ではなく はっきりと つに かれるわけではない そうしたことをふまえた でなお の びとと の びとは この 〇〇 というもの なる をしてきたのである そういう で この は しているのである に えば たち の あるいは の あるいはこういう い でよければ