聖餐1

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創世記5 創世記2章4節b~25

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

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イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

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2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

の詩や歌があるかもしれません もちろん 賛美歌が挿入されることもあります しかし ほとんど の場合 礼拝のこの部分は 信経または信仰の宣言をそのクライマックスとして持つことが適切です 準備言葉の典礼が明らかになると それに対する準備とそれに対する祈りの反応がどのように適合しているかが分かりやすくなり

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

牧会の祈り

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

創世記5 創世記2章4節b~25

2016 年 2 月 14 日川越教会 すべての民と共に 加藤享 [ 聖書 ] ローマの信徒への手紙 15 章 7~13 節だから 神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように あなたがたも互いに相手を受け入れなさい わたしは言う キリストは神の真実を現すために 割礼ある者たちに

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2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

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2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

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牧会の祈り

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

牧会の祈り

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

全国担当者2009 プレゼン資料

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

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1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2 を重んじてきた人たちがいたからでした そういう人たちに対して 自分は宗教に熱心であると思っても つまり 形 を整えることに一生懸命であっても と語りかけているのです 今の私たちに当てはめるならば 洗礼を受けたといっても とか どんなに礼拝を守っているとしても とか あるいは 奉仕を一生懸命やって

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

集会祈願全能永遠の神よ ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ 愛する子であることを示してくださいました 洗礼によって新たに生まれ あなたの子どもとされたわたしたちが いつもみ心に従うことができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に行き 支配しておられるみ子 わたしたち

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

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に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

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( し じゆんせつ 四旬 節とたいこうせつ待降節にはこの部分はありません ) 歌います 司祭天のいと高きところには神に栄光 会衆地には善意の人に平和あれ われら主をほめ 主をたたえ 主をおが拝み 主をあがめ 主の大いなる栄光のゆえに感謝したてまつる 神なる主 天の王 全能の父なる神よ 主なるおん御ひ

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

礼拝の恵み 牧師チャールズ フレドリクソン どうして クリスチャンは日曜日に礼拝するの? 多くのクリスチャンやまだクリスチャンではない人たちも この疑問を持っています そもそも 聖書時代には 今日でもそうなのですが 安息日を守るという律法がありました 安息日は 金曜日の夜から土曜日の日没までの一日で

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

Microsoft Word 年4月30日説教「気づく」.doc

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記


は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

日本基督教団と在日大韓基督教会総会との協約


2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

牧会の祈り

集会祈願唯一の神 すべての人を一つに呼び集めてくださる方 ここに集うわたしたちの心を照らしてください 滅びることのないキリストのことばに いつも信頼をおくことができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に生き 支配しておられるみ子 わたしたちの主 イエス キリストによって アーメン [2

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

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で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

集会祈願いつくしみ豊かな神よ あなたの栄光の輝きはすべての人を照らし 悲しみを喜びへと変えてくださいます 救いの道に招かれたわたしたちが キリストと一つに結ばれる日まで あなたの愛のうちに歩み続けることができますように 聖霊の交わりの中で あなたとともに世々に生き 支配しておられるみ子 わたしたちの

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

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[1] 開祭 2017 年 9 月 17 日 年間第 2 4 主日の礼拝を始めます しばらく間をおいてから入祭唱を唱 ( とな ) えます 入祭唱 ( シラ書 36:21) 神よ しもべの願いを聞き入れてください あなたにより頼む人々に平和を与え あなたのことばに従う民を支えてください 主 イエス

とは言えないような気がします 弟子達もすぐには主の復活を信じることが出来ない人達だったのです この人達はどうして主の復活を信じるようになったのでしょうか この最初の弟子達の証言によってイースターのメッセージが全世界に告げられていったことは事実です それだけにこの最初の弟子達が復活の信仰を持つようにな

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

子たちも オリーブ山から神殿を眺めて これはまあ 何とみごとな石でしょう 何とすばらしい建物でしょう ( マルコ 13:1) と感嘆の声を挙げました しかし イエス様は この大きな建物を見ているのですか 石がくずされずに 積まれたままで残ることは決してありません ( マルコ 13:2) と言われたの

【古代4 キリスト教の成立と発展】

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

テモテへの手紙第一 5 章 節 指導の任への尊敬 1A 二重の尊敬 A 監督者への監査 B 公正な裁き B 慎重な按手 B 透明性 本文 テモテへの手紙第一 5 章を開いてください 17 節から読んでいきます 私たちは

ここで 私たちの人生の旅路を思い起こすならば 荒れ野 とはまさに私たちの人生そのものだと言えましょう より正確に言えば 人生の旅路の中で さまざまな出来事や事件が起こり 私たちはしばしば困難な状況に置かれることがあり その点で 私たちは荒れ野時代を避けることが出来ないのです もちろん 人生がただ荒れ

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

(3) まっすぐにしなさい 1 されば衰へたる手 弱りたる膝を強くし ( 文語訳 ) 2ギリシア語の アノルソオウ である 上げる まっすぐにする 強くする 3ルカ 13:13(18 年も病の霊につかれ 腰が曲がって 伸ばすことができない ) Luk 13:13 手を置かれると 女はたちどころに腰が

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Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

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人によって被災状況は違いますが 家族を失い 家を失い それまでの人生で築いてきたものをすべて失うという悲劇に突然見舞われ 茫然自失状況に追い込まれての絶望感 これらのことを想像すると 悲しみが一挙に襲ってきました 本当に悲しい出来事です 被災者にとっては 悲しみだけではなく 空しさや 憤りや 絶望が

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ヘブル人への手紙1章

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

存在する 弟子訓練は 人が思考 感情 行動において よりキリストに似た者となることを手助けするプロセスである このプロセスは 人が新しく生まれたときから始まり 残る生涯中続くものである このキリストを わたしたちは宣べ伝えており すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように 知恵を尽くしてすべ

聖書に聞く会 ( 第 2 回 ) マルコによる福音書 1 章 1-8 節 2014 年 5 月 8 日 古本靖久 1 聖歌 60 番 ヨルダンのほとりヨハネはさけべり 2 お祈り 3 テキストの位置 今日の箇所はマルコ福音書のはじめの部分であり この福音書は何について書くのか決定づける所です 特に

Transcription:

初代教会の礼拝の様子 A. 初代教会の礼拝と聖餐のようす 初代教会では 聖餐は毎日行われていました 家ごとに集まってパンを裂き ( 使徒 2:46) 彼らは使徒の教え 相互の交わり パンを裂くこと 祈ることに熱心であった ( 使徒 2:42) 週の初めの日 私たちがパンを裂くために集まっていると ( 使徒 20:7) 弟子たちは最初 土曜日 ( 安息日 ) の神殿礼拝を続けていました その様子は使徒言行録にのせられています 毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り 家ごとに集まってパンを裂き喜びと真心をもって一緒に食事をし 神を賛美していた ( 使徒 2:46) ペトロとヨハネが 午後三時の祈りの時に神殿に上って行った ( 使徒 3:1) キリスト教徒たちは 最初はユダヤ教の一派 ( ナザレ派 ) であると思われていました ところがイエスをメシアと告白する者をユダヤ人は会堂から追放するように決めたのです ユダヤ人たちは既に イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば 会堂から追放すると決めていたのである ( ヨハネ 9:22) キリスト教徒たちは 会堂からも神殿からも追放され 信者だけの集会を日曜日に信者の家の教会 ( マルコの家 リィデアの家など ) でもつようになります 日曜日はまだ休みではなかったので 日曜日 ( 週の初めの日 ) の早朝 仕事に行く前に共に集まって祈り 食事をしました 再び夕方信者の家に集まって礼拝と聖餐 ( 夕の食事の中でパン裂きをしていた ) をしていたということが分かっています 彼らは土曜日 ( 安息日 ) 礼拝をやめ 日曜日を 真の安息日 主の復活の日 ( 主の日 ) として祝い始めたのです 土曜日の安息日は 7 日間の天地創造を記憶するが 日曜日の安息日は第八日目 天国の一日を記憶するのであって 質が違う そこでは最初 普通の食事 ( 愛餐 = アガペーと呼ばれる ) の一部として パン裂き と呼ばれる聖餐が行われていましたが やがて聖餐は愛餐から分離されるようになりました それはコリント教会にあるような聖餐の問題が生じたからです (1 コリント 11:17) 当時の聖餐式は 愛餐式の中で行われていた 愛餐会は アガペー と呼ばれ 聖餐式は ユーカリスティア と呼ばれ 愛餐会は習慣になっていたようである 信者はそれぞれに食べ物を持ち寄り 分け合って食べていた その持ち寄った物 1

の中からパンとワインを残しておいて 聖餐に用いたのである しかし コリント教会ではこの愛餐が悲しむべき方向に向かってしまっていた 教会の中には富める者も貧しい者もおり 食料をたくさん持ってくることのできる者も 何も持って来られない奴隷たちもいた ( 今も一緒である ) 奴隷にとっては愛餐会が本当に自由に食べられる食事の時であったかもしれない コリント教会では 富める者が 貧しい者 奴隷 身分の低い者と共に食事をするのを嫌がり 金持ち同志で集まって先に食事をしていた 貧乏人は何も食べる物がなく 腹をすかせていた有様であった 食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい 空腹の者がいりかと思えば 酔っている者もいるという始末だからです 神の教会を見くびり 貧しい人々に恥をかかせようというのですか ( 21~22 節 ) 聖餐式の前なのに もう酔っ払っている者がいるという これがコリント教会のあり様だった 無秩序そのものである 教会員の社会的格差をなくすはずの愛餐会が 逆にますますそれを悪化させてしまった あなたがたの集まりが 良い結果よりは むしろ悪い結果を招いているからです ( 1 コリント 11:17) 教会は当時 奴隷と自由人 男と女 大人とこども ユダヤ人と異邦人など といった 壁 を破壊して一つに集まった驚異的な共同体であった これは画期的なことであり奇跡に近かった その中でも聖餐式というのは一つになる具体的な式なのである だから パンは一つだから わたしたちは大勢でも一つの体です (1 コリント 10:17) という言葉を読んだのだ この一体が損なわれるようなものは聖餐の目的を果たしていないのである その一つが仲間割れ 分派である あなたがたが教会で集まる際 お互いの間に仲間割れがあると聞いています それでは一緒に集まっても 主の晩餐を食べることにならないのです ( 1 コリント 11:18 20) 金持ちたちは 奴隷や貧しい者や病人 障害者と共に一つの杯から飲むことを嫌がった そこでプロテスタント教会はオチョコを開発したのである これは差別の産物であって良くない 一つの杯から飲むべきである そこで キリスト教徒特有の パン裂き を中心とする礼拝が生まれてきます 信者たちは それぞれ家から持ち寄った 捧げ物 奉納物 収穫物を神に捧げていました その中から パンとぶどう酒と水 が分けられ 祈りが捧げられ 聖別されて 信者たちに与えられました このパンとぶどう酒と水が献げられ 聖別され分配される儀式を 彼らは パン裂き ( エウカリスティア ) と呼んでいました エウカリスティアに用いられなかったパンは 祝福されたパン ( エウロギア アンティドール ) と呼んで 未信者にも与えられました 迫害が始まって 結社禁止令が出された時 キリスト教会は愛餐会 ( アガペー ) はめましたが 聖餐を止めることはありませんでした 聖餐については 異教徒たちの間では キリスト教徒は子どもの肉を食い 血を飲んでいるいかがわしい群れ 2

という噂が飛びかいました そこで まだ本当に聖餐の意味を知らない求道者は一部の礼拝で帰らせ 二部から信者だけの 聖餐 を中心とした礼拝が行われるようになりました 一部の礼拝の事を 求道者の礼拝 と呼び 聖書 福音書の朗読と説教が中心でした 二部の礼拝の事を 信者の礼拝 と呼び 聖餐が中心でした 一部から二部に移行する時に 司祭は 啓蒙者 ( 求道者 ) は出なさい という呼びかけがなされました ローマンカトリック教会で ミサ と呼ばれるのは この時の司祭の言葉から来ています 信者の聖体礼拝 は 秘密に行われました また 信者になるには 3 年間の教育が必要とされました 殉教する覚悟がなければ信者にはなれないからです 彼らは命がけで聖餐を守りました 殉教者は 死ぬ前に必死に聖体を求めました 中途半端な信者では 捕まった時に仲間の居所をしゃべり 共同体全体が殉教しかねないからです 彼らは必死になって聖職者を逃がしました 書物は没収され 建物は破壊されましたが 教会は聖職者さえいたら再建できるからです また聖職者はすぐに育たないからです 迫害が終わって 皇帝が聖職者を招いた時 五体満足な者はあまりいなかったといいます リタージーという意味について 英語で礼拝のことを リタージー といいます ギリシャ語の レイトゥルギア から来ています この言葉は ラオス ( 人々 民 国民 ) と エルゴン ( 仕事 働き ) という言葉からなっています 人々の果たす公共の仕事 国民の公務 という意味です ローマ帝国では 公共の土木工事で働くこと 税金を支払うこと 兵役の義務もこの言葉で表現されました 初代教会は この レイトゥルギア = リタージー という言葉を 礼拝用語に使いました ( 使徒 13:2 ヘブライ 9:21 10:11) ❶ 礼拝とは 参加者である神の民全員によって形作られる共同作業です リタージカルな礼拝 という言葉を聞くと 儀式的な礼拝 という意味で捉えている人がいますが そうではありません リタージカルな礼拝 とは 礼拝参加者全員が共に礼拝を守るために 各人がそれぞれの役割を積極的に果たしている状態のこと をいっています 特定の牧師や 一部の信徒だけが礼拝を奉仕し その責任を担い それ以外の人々が お客さん のような状態に置かれている礼拝は 本来の礼拝の姿ではないということです 会衆全員が 自分も礼拝に参加したという実感がもてるような礼拝 自分も声を出して朗読し 歌い 祈り 奉仕をし 動作をする礼拝のことです ❷ 礼拝とは 単なるプライベートな事柄ではなく キリスト者にとっての 公の仕事 です リタージカルな礼拝 とは 公の礼拝 であって キリスト者にとっては何ものに勝って守るべき 公務 であることを意味しています 神の国の市民 = キリスト者にとって礼拝を守ることは公務です 3

B. 当時の礼拝の様子が乗っている資料 ❶. 十二使徒の教訓 ( ディダケー ) (1 世紀末 ) 流れる水によって 父と子と聖霊の名をもって洗礼を授けなさい 流れる水がない場合には 他の水で洗礼を授けなさい 冷たい水でできない場合には 温水でしなさい どちらの水もない場合には 頭に水を三度 父と子と聖霊の名をもって注ぎなさい 洗礼の前には 授洗者 受洗者 また他に誰か可能な人達がいるならば断食をしなさい 主が福音書でお命じになったように祈りなさい 毎日 3 回 このように祈りなさい ( 主の祈りについて ) 主の名をもって洗礼を授けられた人達以外は 誰もあなたがたの聖餐から食べたり飲んだりしてはならない 主の日ごとに集まって あなたがたの供え物が清くあるように まずあなたがたの罪過を告白した上で パンを裂き 感謝を献げなさい 聖なる父よ あなたが私たちの心の中に住まわせられたあなたの聖なる名と あなたの僕イエスを通して私たちに明らかにされた知識と信仰と不死とについて あなたに感謝します あなたに栄光が永遠にありますように 全能の主よ あなたは御名のゆえに万物を創造されました また人々があなたに感謝を捧げるように 彼らに飲食のために食物と飲み物とを与えられました 他方 私たちには 霊的な食物と飲み物と永遠の生命とを あなたの僕イエスを通して賜りました あらゆることに先立って 私たちはあなたが力強い方であることを感謝します あなたに栄光がありますように 主よ あなたの教会を覚えそれをすべての悪から解放し あなたの愛によって完全なものとしてください それを聖めて 四方からあなたがそれのために準備されたあなたの国へと導き集めてください 力と栄えとは永遠にあなたのものだからです 恵みが来ますように この世が過ぎ去りますように ダビデの子にホザナ 聖なる人は来るように 聖でない人は悔い改めなさい マラナ タ アーメン ❷. バルナバの手紙 ( 80~140 年 ) その日には 私 ( 神 ) はすべてを休み 第八日目のはじめ つまり別の世界のはじめを作るであろうと言っておられるのである それゆえに 私たちも イエスが死人の中から復活し 人々に現れて 天に昇った第八日を祝うのである ❸. イグナティオスの手紙 (110 年 ) だから神に感謝し ( 聖餐を行い ) 神に栄光を帰するために もっと頻繁に集まるように努めなさい なぜならあなた方がしばしば集まるなら サタンの力は破られ サタンの災いはあなた方の信仰の一致によって失せるのです あなたがたが集まるのは あなたがたが心を乱さず監督 ( 主教 ) と長老団 ( 司祭 ) に従うためで そこであなたがたは一つのパンを裂くのですが これは不死の薬 死ぬ 4

ことなくイエス キリストにあって常に生きるための死に対する解毒剤なのです 分裂に陥らず ただ一つの聖餐に与るように努めなさい なぜなら 私たちの主イエス キリストの肉は一つ 彼の血と合一するための杯は一つ 祭壇は一つ ちょうど長老団と 私の仲間である執事たちと結ばれている監督はただ一人なのと同様です ❹. プリニウスとトラヤヌスの往復書簡 (110~112 年 ) 彼らは定められた日の夜明け前に集合し キリストに対し あたかも神に対するように こもごも歌を唱い また何か犯罪をしようという誓いではなく 決して盗みをしない事 強盗や姦通をしないこと 信義を破らない事 預かった物を 求められた時には拒まない事 などを誓う誓約をするのを常とした というのであります そしてこれらの行事をすませると一旦散会し その後再び食事をとるために集まるのが習慣だったというのですが その食事はごく普通の害のないものであったと申します しかもこの食事さえ 私が陛下の指令に基づいて 結社を禁止した告示を発しました後は 行うのをやめた ❺. ユスティノスの護教論 (150 年 ) この食物は われわれの間では聖体と呼ばれ われわれの教えが真理であることを信じ 罪の赦しと再生の洗いによって洗われ キリストが教示されたように生きる者でなければ 誰もこれに与ることは許されない われわれはこれを普通の食物 普通の飲み物として受けるのではなく 神の言によるものとして受けるのである 救い主イエス キリストがわれわれの救いのために血肉を取られたように 主から受けた言の祈りによって祝福された食物 それによってわれわれの血と肉が養われるこの食物も それが変化することによって 肉体となられたイエスの血と肉なのである とわれわれは教えられている 使徒たちは福音書と呼ばれる彼らの書いた回想録の中で 次のように語っている 日曜と呼ばれる日には 町や郡に住むすべての人々の集会があり そこでは時間の許すかぎり 使徒の回想録や預言者の書いたものが読まれる そして朗読者がやめると 司式者が語り これらの立派な模範に倣うようにとわれわれを戒め かつ勧める その後でわれわれは一斉に立ち上がって祈りを献げ 前に述べたように 祈りが終わるとパンと水とぶどう酒が持ってこられ 司式者が同じように立ち上がって力を込めて祈り 感謝を献げ 一同は アーメン をもって同意を表わす それから聖餐の食物が分けられ 一同がそれに与り 欠席者には執事の手で届けられる 豊かであり かつそうしたいと望む人達は各自の思い通りに捧げ物をする 集められたものは司式者に託され 彼はみなし子 やもめ また 病やその他の理由で困っている人々に援助を与える 獄にある者 外国からの旅人 すべて必要を持つ人々にとって 彼は保護者なのである われわれは太陽の日に一般の集会を開くが これはその日が 神が暗闇と混沌とした状態を取り去 5

って 世界を造られた第一の日でありまた われわれの救い主イエス キリストが死人の中からよみがえられた日だからである ❻. テルトゥリアヌスの護教論 (197 年 ) われわれの会食はその名称から何であるかがわかる ギリシャ人の間ではそれは 愛 ( アガペー ) と呼ばれている 会食の際の収入はすべて神と人に仕えるために使われる わらわれはまず神への祈りをした後でなければ席に着かない 話をする際にも その場で神も聞いていると思って話すのである 手を洗う水が出て 明かりがつくと各人は皆の前に出て それぞれ聖書や あるいは自分の胸の中から出てくる思いを 皆の中に立って神に向かって歌うように言われる その会食は宴会というより修養会といった方がいい 6