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24 埼玉医科大学雑誌第 38 巻第 1 号平成 23 年 8 月 学内グラント報告書 平成 21 22 年度学内グラント終了時報告書 研究代表者駒崎伸二 ( 医学部解剖学 ) * 研究分担者猪股玲子 緒 言 生活環境に存在する交流磁界 ( たとえば, 高圧送電線から発生される交流磁界など ) から我々が受ける影響については, 現在までに数多くの研究が行われ, 交流磁界が人体に及ぼすさまざまな影響が報告されている. それらの中でも, 近年, 特に重要な社会問題として提起されているのが, 低周波交流磁界の長期暴露による人体への影響である. たとえば, 交流磁界への長期暴露によるアルツハイマー病や乳癌の発症率の増加, メラトニン分泌の減少などの影響が指摘されている 1-4). しかしながら, それらの研究は, 疫学的な調査を中心としたものであり, 交流磁界が生物の細胞に及ぼす生理的な作用や, それらが病気の発症に及ぼすメカニズムなどについては依然として不明な点が多い. 我々は以前に行った研究で, 環境からの影響を受けやすい発生初期の胚細胞に対する交流磁界の影響を解析した. その結果,WHO が安全とする基準値に近い強さの交流磁界 (50 Hz,5-30 mt) でも, 両生類の胚の発生速度の増加や, 胚細胞内の Ca イオン濃度の上昇などが引き起こされることを明らかにした 5). そこで, 今回の研究では, 低周波交流磁界の作用により引き起こされる細胞内 Ca イオン濃度の変化と, それが胚細胞の運動性に及ぼす影響を解析した. 今回の研究で問題としている交流磁界が細胞内の Ca イオン濃度に及ぼす影響については, 動物の発生への影響のみならず, アルツハイマー病や乳癌などの発症, メラトニンの分泌機能などにも密接に関わっている事象であるがゆえに, ここで明らかにされた事実は, 交流磁界が人体に及ぼすさまざまな影響の解明とその予防策に貢献することが期待される. 材料と方法 実験材料には両生類のイモリ (Cynops pyrrhogaster) の胚を用いた. 両生類の胚は, 実験材料として扱いや * 医学部解剖学 すく, 発生学に関する膨大な研究データの蓄積があることなどから, この種の実験によく用いられる材料の 1 つである. 採卵用のイモリは, 秋に新潟県から採取し, 冷蔵庫 (10 前後 ) の中で冬眠させておいた. 実験に先立ち, 冷蔵庫から取り出したイモリにヒトのゴナドトロピン ( ゴナトロピン, あすか製薬 ) を腹腔内に注射することにより受精卵を産卵させ, それを目的の発生ステージ ( 原腸胚,Stage 12) になるまで水道水中で発生させた. 両生類の原腸胚の時期には, 原腸の陥入と中胚葉の形成を中心とした活発な形態形成運動が行われる. それを成り立たせているのが,3 つの胚領域 ( 予定外胚葉, 予定中胚葉, 原口形成域 ) に引き起こされる活発な細胞運動である ( 図 1A). 胚細胞の運動性は自動能 (Motility) と移動性 (Migration) を中心に成り立っている. そこで, 今回は, 図 1 に示した 3 つの胚領域から胚細胞を取り出して, 交流磁界がそれらの胚細胞の運動性と細胞内 Ca イオン濃度に及ぼす影響の関連性について調べた. 胚細胞の培養には Steinberg s solution( 両生類の胚の培養に一般に用いられている生理食塩水 ) を使用した. 胚細胞の解離は,Ca 2+,Mg 2+ -free の Steinberg s solution(1 mm GEDTA を含む ) を用いた. 解離した胚細胞は, 図 1B に示した培養装置により, 交流磁界の影響を解析した. この際に, 作用させた 50 Hz の磁界強度は胚細胞が置かれたチャンバーの中央部で 20-30 mt であった. 胚細胞の自動能を解析する際には, 細胞の凝集を防ぐために Ca 2+,Mg 2+ -free の Steinberg s solution(1 mm GEDTA を含む ) を用いるとともに, 細胞がガラス面へ粘着するのを防ぐためには, 培養チャンバーの底面のカバーグラスをウシ血清アルブミンでコートした. 一方, 胚細胞の移動性の解析には, 細胞が移動運動しやすいように, 培養チャンバーの底面のカバーグラスをフィブロネクチン (Itoham Foods Inc.) でコートした. 解離した胚細胞は, 磁界を作用させない状態と, 磁界

25 を作用させた状態とを比較することにより磁界の影響を解析した. 培養中の胚細胞の様子はタイムラプスビデオ撮影装置で 20 秒間隔にて記録し, その連続画像をもとに, 磁界が胚細胞の自動能と移動性に及ぼす影響を解析した. 胚細胞の移動性の解析にはフリーの画像解析ソフトの Image J を用いて細胞の軌跡解析を行った. 細胞内の Ca イオン濃度の変化は Ca イオン濃度測定用の 蛍光試薬であるFura-2-AM( 同仁化学 ) を用いて1 分間隔で測定した. その際の測定方法は前回の研究 5) に従った. 蛍光の変化はImageJを用いた画像処理により数値化した. 結 果 胚細胞の自動能への影響予定外胚葉から解離した胚細胞は, 硝子様の丸い突起 (Hyaline bleb) を形成して, その突起を移動させる周転運動 (Circus movement) を活発に行っていた ( 図 2A). 磁界を作用させた後でも, それらの細胞の形態変化には顕著な変化は見られなかった. 予定中胚葉から解離した細胞も, 活発な硝子様の突起形成を行なっていたが, 突起の周転運動は予定外胚葉細胞と比べると活発ではなかった. 磁界を作用させても, ほとんどの細胞はそのまま突起形成を続けていたが, 一部の細胞 ( 約 15%) に突起形成の停止が見られた. 原口形成域から解離した細胞は, 予定外胚葉や予定中胚葉の細胞とは異なり, 多くの細胞が硝子様の突起を形成していなかった. 一部の細胞が長く伸びた虫様の形 (Vermiform) をして伸縮運動をくり返していた. 磁界を作用させても, それらの細胞の形態には顕著な変化 は見られなかった. 以上の 3 部分について, 磁界を作用させた後に観察された胚細胞の形態変化の割合を比較したのが図 2A の棒グラフである. 予定外胚葉細胞と予定中胚葉細胞については, 磁界をかけた後に突起形成を停止した細胞の割合, そして, 原口形成域については, 磁界をかけた後に虫様の細胞から丸い細胞に変化した細胞の割合を比較した. その結果, 予定中胚葉細胞にだけ, 交流磁界の作用による胚細胞の形態変化の有意な差が確認された. 胚細胞の移動性への影響ここでは, 自動能への影響が顕著に見られた予定中胚葉細胞について解析した. 交流磁界を作用させた場合と, 作用させない場合 (Control) の胚細胞の移動性の変化について, 細胞の軌跡解析を行って両者を比較した. 交流磁界を作用させると, 一部の細胞は細長く変化 ( 極性を形成 ) して移動性が活発になった ( 図 2B-a, b). 磁界を作用させた前と後の一定時間における細胞の軌跡の比を比較すると, 磁界を作用させない Control では, その Mean ± 2SD の範囲内に細胞の約 97% が分布していたが, 磁界を作用させた場合では, 約 31% の細胞がこの範囲を超えた移動性の増加を示した ( 図 2B-c, d). 胚細胞内の Ca イオン濃度への影響胚から解離した予定中胚葉細胞に Fura-2-AM を取り込ませた後,2 波長 (340 nm と 380 nm) 測定法によるリアルタイム画像解析法を行った. 写真は撮影した蛍光画像の例を示す. 今回の結果では, 調べた 40 細胞のうちの約 42% の細胞が磁界に反応して細胞内 Ca イオン濃度を上昇させた ( 図 3B-a). 細胞内 Ca イオン 図 1. 今回の実験に用いた両生類の原腸胚と交流の作用を調べた装置の概略図.A: 原腸胚形成の際に活発な細胞運動を行う 3 つの部分 ( 予定外胚葉, 原口形成域, 予定中胚葉 ) の細胞が調べられた.B: 胚から解離された細胞に交流磁界を作用させながら培養する装置の模式図. 細胞の形態や蛍光の変化は一定間隔で連続的に撮影された画像をもとに解析された.

26 駒崎伸二, 他 図 2. 磁界の作用による細胞の形態変化.A: 磁界の作用による細胞の形態変化. 磁界処理前の予定外胚葉細胞 (a), 原口形成領域の細胞 (b, 矢印は Vermiform 細胞を示す ), 予定中胚葉細胞 (c), そして, 磁界処理後の予定中胚葉細胞 (d, 矢印は磁界の作用により硝子様突起形成を停止した細胞 ) を示す. 右の棒グラフは磁界処理により細胞の形態が変化した割合の比較を示す. それぞれの実験グループとも,4 胚以上 ( 平均 6 胚 ) について調べた. 予定外胚葉, 予定中胚葉の細胞については, 磁界をかけた後に突起形成を停止した細胞の割合, そして, 原口形成域については, 磁界をかけた後に虫様の細胞から丸い細胞に変化した細胞の割合を比較した.B: 磁界処理前と磁界処理後の予定中胚葉細胞の形態変化を示す. 磁界処理により, 長く伸びた細胞 ( 矢印 ) の出現が観察される. 写真の下の散布図 c と d は, それぞれ, 磁界処理なし (Control,4 胚, 全 61 細胞 ) と磁界処理 (Magnetic field,6 胚, 全 70 細胞 ) した細胞の移動性の変化を示す. 縦軸に示した細胞の移動性は, 磁界を作用させる前と後の一定時間における細胞の軌跡の比 ( 磁界を作用させた後の距離 / 磁界を作用させる前の移動距離 ) を示す. 横軸は細胞の数を示す. 灰色で示した部分は Control の Mean±2SD の範囲を示す.

27 は磁界の作用により上昇し, 磁界の作用が停止されるとその濃度は減少した. しかし, 磁界を停止した後でも, 磁界を作用させる前よりも高い値の細胞内 Ca イオン濃度が維持されていた. また, 磁界を作用させて も細胞内 Ca イオン濃度の変化が見られない細胞が約 30% 存在した ( 図 3B-b). 残りの約 28% の細胞には, 磁界の作用によりわずかな細胞内 Ca イオン濃度の増加が観察された. 図 3. 磁界の影響により引き起こされた細胞内 Ca イオン濃度の変化.A: 調べた細胞の蛍光画像の例を示す.B:Fura-2-AM を取り込ませた細胞に 340 nm と 380 nm の紫外線を交互に照射して,Fura-2 の蛍光の変化を冷却 CCD カメラで撮影した.1 分毎に撮影された連続写真をもとに,ImageJ を用いて 340/380 nm の比の変化が計算された. 交流磁界の作用で細胞内 Ca イオン濃度が顕著に増加した細胞の例 ( 図 3B -a) と, 交流磁界を作用させても変化が見られなかった細胞の例 ( 図 3B-b) を示す.

28 駒崎伸二, 他 考 察 低周波交流磁界が胚細胞に及ぼす作用を解析した今回の研究から, 中胚葉の一部の細胞が磁界に対する顕著な反応が見られた. それらの細胞では, 磁界の作用により細胞の自動能が変化し, 細胞の移動性が増加した. そして, その原因が磁界の作用による胚細胞内の Ca イオンの上昇による可能性が指摘された. 今回の研究で明らかにされたように, 磁界に反応して形態や運動性を変化させたのは一部の細胞だけである. なぜ, 一部の胚細胞だけが磁界に反応するのか, 依然として不明な点が多い. このように, 同じ種類の細胞でも磁界の作用が大きく異なることは, 今までの研究ではあまり問題にされてこなかった. おそらく, この点が研究結果の違いや, 研究結果の解釈に混乱を招いている大きな原因の 1 つになっていると考えられる. 異なる種類の細胞 ( たとえば, 筋細胞, 神経細胞, 分泌細胞など ) では細胞内の Ca イオン濃度調節系の構造や機能が異なるので, おそらく, その違いが磁界の影響の違いを反映している可能性が考えられる. それゆえ, 今後の研究ではこの点を考慮して, 交流磁界が細胞内 Ca イオン濃度調節機構に及ぼす影響の分子メカニズムを解析することが重要であると思われる. 細胞内 Ca イオン濃度の変化は, 遺伝子発現や細胞のさまざまな生理機能などに密接に関連するがゆえに, 磁界の作用により引き起こされる細胞内 Ca イオン濃度の変化は, 磁界が人体に及ぼす影響を考える上で最も重要な点の 1 つと考えられる. たとえば, 最近問題になっている, 交流磁界とアルツハイマー病や乳癌の発生率を増加, そして, メラトニン分泌の減少などには, 磁界による細胞内の Ca イオン濃度への影響が少なからず関与していることが指摘され ている 4). それゆえ, 今回の研究で提起された問題点のさらなる解明は, アルツハイマー病や乳癌などをはじめとして, 交流磁界が人体に及ぼしうる影響の解明とその予防策に大きく貢献すると考えられる. 引用文献 1) Davanipour Z, Tseng C-C, Lee P-J, Sobel E. A case-control study of occupational magnetic field exposure and Alzheimer s disease: results from the California Alzheimer s Disease Diagnosis and Treatment Cwnters. BMC Neurology 2007;7:13-23. 2) Garcia AM, Sisternas A, Hoyos SP. Occupational exposure to extremely low frequency electric and magnetic fields and Alzheimer disease: a metaanalysis. Int J Epidermiol 2008;37:329-40. 3) H u s s A, S p o e r r i A, E g g e r M, R ö ö s l i M. Residence near power line and mortality from neurodegenerative diseases: Longitudinal study of the Swiss population. Am J Epidermiol 2008;169: 167-75. 4) Davanipour Z, Sobel E. Long-term exposure to magnetic field and the risks of Alzheimer s disease and breast cancer: Further biological research. Pathophysiology 2009;16:149-56. 5) Komazaki S, Takano K. Induction of increase in intracellular calcium concentration of embryonic cells and acceleration of morphogenetic cell movements during amphibian gastrulation by a 50-Hz magnetic field. J Exp Zool 2007;307:156-62. * 本研究における研究成果の学会や出版物への発表はまだなされていない. 2011 The Medical Society of Saitama Medical University http://www.saitama-med.ac.jp/jsms/