ルカによる福音書 21 章 近づいた贖い 1A 信仰の模範 1-4 2A 終わりの前兆 B 惑わし 5-9 2B キリスト者の迫害 B エルサレム包囲 B 天変地異 A 目を覚ました祈り 本文 ルカによる福音書 21 章から学びます

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2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

Microsoft Word - ◎中高科

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

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2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

創世記5 創世記2章4節b~25

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

牧会の祈り

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

創世記5 創世記2章4節b~25

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

(1) 千年王国の最後に サタンが底知れぬ所から再び解き放たれる 1 その理由は 再び人類を試すためである 2 神は 人類がいかに堕落しているかを証明される (2) 千年王国にも罪は存在する 1 千年王国が始まった時点では 未信者は存在しない 2 千年王国では ほぼ理想に近いような生活環境が実現する

に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか (1) ここで場面は 地から天に移行する 1 大患難時代を通して継続している状況の描写である (2) ヨハネは キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻を見た 1 彼らは 祭壇の下にいた 2 旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

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一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

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2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

牧会の祈り

ヘブル人への手紙1章

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

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牧会の祈り

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

比喩:その他

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

4きょう取り上げる 3~5のパターンは ユダヤ的に解釈する必要がある 5イエス時代のユダヤ教のラビたちの旧約聖書引用法 * 直接引用とその成就 * その箇所の解釈ではなく 適用である * きょうの3~5 のパターンは すべて適用である 6マタイは 5 つの引用によってイエスのメシア性を証明しようとし

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

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B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

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な声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った ここに上れ この後 必ず起こる事をあなたに示そう (1) ヨハネは 7 つの教会への手紙の啓示を聞いた後 天の御座の幻を見た 1 その後 私は見た とは 時間の流れを示す言葉である (2) 招きの言葉がかかった 1 一つの開いた門があった * ヨ

sermon

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(1) 獣の形状 (1~2 節 ) (2) 獣の復活 (3~4 節 ) (3) 獣の支配 (5~8 節 ) (4) 励ましのことば (9~10 節 ) 3. 結論 : 反キリストはキリストの真似をする 反キリストの働きについて学ぶ Ⅰ. 獣の形状 (1~2 節 ) 1.1 節 Rev 13:1 また

黙示録 3 章 7-13 節 忠実な教会 1A 聖なる 真実な方 7 2A 主に知られた行ない 8 3A 報い B 中傷者からの擁護 9 2B 試練の時からの守り 10 3B 冠 11 4B 都での安全 本文 黙示録 3 章 7 節からです フィラデルフィヤにある教会に対する

1イエスがバプテスマを受けたとき 天が開かれて聖霊が鳩のように下った 2ここでは 天が開かれて再臨のメシアが地に下ってこられる 3 黙 4:1 では ヨハネを招くために天が開かれた 4ここでは キリストが地に下るために天が開いた (2) 白い馬に乗った方 1ローマ軍の将軍は 白い馬に乗った 2 再臨

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

Ⅱ. 信仰生活の再建 : エズラの指導 (7~10 章 ) 1. エルサレムに到着するエズラ (7~8 章 ) 2. 民の罪を告白するエズラ (9 章 ) 3. 国を清めるエズラ (10 章 ) 結論 : 私たちへの適用 1. 悔い改めの力 2. みことばの力 エズラ記を通して リバイバルの原則につ

Rev 17:2 地の王たちは この女と不品行を行い 地に住む人々も この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです (1) 大淫婦と不品行 1 旧約聖書では 淫婦 は 偽の宗教 を象徴する言葉である 2 淫行 は 偶像礼拝を象徴する言葉である 霊的姦淫である * 通常は 真の神を信じると告白しながら 偶像

ラム原理主義過激派組織がおり 国を不安定にさせているからです そして ハマス等 過激派組 織を助けているのがイランです そこで エジプト ヨルダン サウジと首長国連邦は イスラエルと 共に緩い連携を持つようになってきました これは あり得ないことでした そしてロシアの拡張主義が止まることを知りません


현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

勧めるところから始まります それは いつでも祈るべきであり 失望しない ことです 1B 祈りによって C 忍耐を尽くす訴え :1 いつでも祈るべきであり 失望してはならないことを教えるために イエスは彼らにたとえを話された 18:2 ある町に 神を恐れず 人を人とも思わない裁

テモテへの手紙第一 5 章 節 指導の任への尊敬 1A 二重の尊敬 A 監督者への監査 B 公正な裁き B 慎重な按手 B 透明性 本文 テモテへの手紙第一 5 章を開いてください 17 節から読んでいきます 私たちは

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

シリーズ キリストの再臨と終末の預言 -No.2( 改訂 ) キリストの空中再臨と教会の携挙 ( その二 ) 教会の 携挙 についての聖書的根拠 ベレーシート 前回は シリーズ キリストの再臨と終末の預言 の第一回目として キリストの空中再臨と教会の携挙 について学びました このことはとても重要な教

2 を重んじてきた人たちがいたからでした そういう人たちに対して 自分は宗教に熱心であると思っても つまり 形 を整えることに一生懸命であっても と語りかけているのです 今の私たちに当てはめるならば 洗礼を受けたといっても とか どんなに礼拝を守っているとしても とか あるいは 奉仕を一生懸命やって

子たちも オリーブ山から神殿を眺めて これはまあ 何とみごとな石でしょう 何とすばらしい建物でしょう ( マルコ 13:1) と感嘆の声を挙げました しかし イエス様は この大きな建物を見ているのですか 石がくずされずに 積まれたままで残ることは決してありません ( マルコ 13:2) と言われたの

2017 年 2 月 21 日 ( 火 ) 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 1. はじめに (1) 預言者たちの中でのエレミヤの位置づけ 1 預言書を書いた預言者 (the writing prophet) * 王国が南北に分裂して以降

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

Heb 11:23 信仰によって モーセは生まれてから 両親によって三か月の間隠されていました 彼らはその子の美しいのを見たからです 彼らは王の命令をも恐れませんでした (1) この節は モーセの信仰ではなく モーセの両親の信仰を記録している 1 彼らは その子の美しいのを見た * ギリシア語で ア

さい あなたはこのために召され また 多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました Ⅱ テモテ 4:7 私は勇敢に戦い 走るべき道のりを走り終え 信仰を守り通しました これらの箇所では 戦い となっています b. 苦闘 コロサイ 2:1 あなたがたとラオデキヤの人たちと そのほか直接私の顔を見たことの

テモテ第二 2 章 1-13 節 キリストの兵士 1A 共にする苦しみ 1-7 1B ゆだねる教え 1-2 2B 立派な務め 3-7 2A イエス キリストの福音 B つながれていない御言葉 B 共に生き 死ぬ 本文 テモテへの手紙第二 2 章を見ていきます 私た

1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

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ルカによる福音書 21 章 近づいた贖い 1A 信仰の模範 1-4 2A 終わりの前兆 5-28 1B 惑わし 5-9 2B キリスト者の迫害 10-19 3B エルサレム包囲 20-24 4B 天変地異 25-28 3A 目を覚ました祈り 29-38 本文 ルカによる福音書 21 章から学びます 私たちは今 イエス様の最後の週の後半部分に入っています 主が宮で教えておられて 祭司長や律法学者らが 何の権威によってこれらのことをしているのかと問い質しました むしろイエス様は では バプテスマのヨハネは天から来たのか 人から来たのか と問い質され 彼らを答えなくさせました そして 彼らが預言者も認めず 神の御子ご自身も殺すということを語られました それから 納税についてカエザルはカエザルのものに 神のものは神に返しなさいと言われて サドカイ人からは 死者の復活について 彼らの信じているモーセ五書から論証しました そして イエス様はキリストについて彼らに問い質されます キリストがダビデの子であれば どうしてダビデはこの方を主と呼んでいるのか? と問われています このようにして イエス様はご自身がキリストであり 神の御子であることを示しておられるのですが 彼らは答えることができませんでした 彼らは反論することができなかったのです であれば 受け入れればよいものを それはしません だから黙るしかないのです このような人に対して イエス様もお答えになりません 主の言葉に心を開かなければ 主は無理やりその心を押し開けることはできませんから 主も黙るしかないのです そしてイエス様は 弟子たちに彼らのことについて気をつけなさいという注意喚起をされます 20:45-47 律法学者たちには気をつけなさい 彼らは 長い衣をまとって歩き回ったり 広場であいさつされたりすることが好きで また会堂の上席や宴会の上座が好きです また やもめの家を食いつぶし 見えを飾るために長い祈りをします こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです 表向きに霊的に見せる 人々に見せるための霊性を主は問題視されています 神を恐れるのではなく 人にどう見られるのかを気にしているのです そしてもう一つは やもめの家を食いつぶしている ということです 貧しい人たちの捧げる献金を 自分の私腹を肥やすために使っていたという問題です そして このやもめのことを取り上げて まことの霊性 霊的であるというのはどういうことかを 教えられます

1A 信仰の模範 1-4 21:1 さてイエスが 目を上げてご覧になると 金持ちたちが献金箱に献金を投げ入れていた 21:2 また ある貧しいやもめが そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった 21:3 それでイエスは言われた わたしは真実をあなたがたに告げます この貧しいやもめは どの人よりもたくさん投げ入れました 21:4 みなは あり余る中から献金を投げ入れたのに この女は 乏しい中から 持っていた生活費の全部を投げ入れたからです 当時は 今のような福祉制度はありません また女性が働き 報酬を得るような制度も発達していませんでした したがって 未亡人になるということは乞食すれすれの生活を強いられるということです 旧約聖書だけでなく 新約聖書にも教会が 本当のやもめを助けるために聖徒たちの捧げた金銭によって養う制度があったことを教えています レプタは今の通貨に換算すると 二 三百円程度のものだと思います ここで イエス様が人間の常識からするとびっくりするようなことを語られます このやもめの献金のほうが おそらく数万円ぐらいの価値のある金額を献金箱にいれた宗教者たちよりも もっとたくさん入れたと言われるのです 私たちが 目に見えるものではなく つまり 地上によるものではなく 天を見上げて その視点から物事を見ることができるようになっているかどうか 私たちは試されています 東北にある教会の牧師さんが教えてくれましたが 東日本大震災の時に中国の家の教会の人たちからの醵金があったそうです その逆は日本の物価のことを考えれば決して多額ではありませんが 胸が詰まるほど感動したそうです こうしたものが 天から来た富ですね イエス様の目による献金というのは 生活費全部を投げ打って捧げたというところ つまり犠牲を伴っているかどうかを見ておられます ダビデは神殿の敷地を購入する時に 所有者のエモリ人に金銭を支払ってその区画を購入しました 彼は すべて差し上げます と言ったのですが ダビデは 費用もかけずに 私の神 主に 全焼のいけにえをささげたくありません (2サムエル 24:24) と答えました 私たちの救いの喜びは こうした犠牲的行為によって表れます 犠牲のない主への礼拝は 十字架のない救いと同じです 主は私たちを愛して ご自分の独り子を与えられるという犠牲をもって その愛を示されました したがって 私たちが神の愛の中に留まっているためには その愛に応答して犠牲をともなった捧げ物をする必要があるのです 主は 私たちに地上で与えられたものを楽しむ恵みも与えられています しかし 惜しみなく与え その分かち合いによっても祝福したいと願われています 受けるよりも 与えることのほうが幸いであると主は言われました 2A 終わりの前兆 5-28 そしてこの章の中心的内容である イエス様の語られた 終わりの日の前兆を見ていきます

1B 惑わし 5-9 21:5 宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった するとイエスはこう言われた 21:6 あなたがたの見ているこれらの物について言えば 石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます ルカは 貧しき者への福音を福音書において強調していますが 当時のユダヤ教の中にある世の影響 富をもって宗教を飾っている姿にも批判的視点を向けています ここで 宮がすばらしい石や奉納物で飾ってある と言っていますね しかしイエス様は これらが 石がくずされずに積まれたまま残ることのない と告げられるのです ですから まだ 金持ちたちの献金に対すること 宗教を金を貯める手段としていることへの警鐘を鳴らしています この宮は 第二神殿 と呼ばれますが バビロンによって破壊されたソロモンの建てた神殿を 第一神殿 と呼びます バビロン帰還後に ゼルバベルとヨシュアによって建てられた神殿を第二神殿と呼びます けれども ヘロデがエルサレムの王となった時 彼はこの神殿の大改修を行いました ほとんど建て直すような形でその工事を行いました その敷地はモリヤ山の上にありますが それを平らにするための作業から始まりますが なんと紀元前 19 年から紀元後 63 年までかかったと言われています イエス様のおられた時にも まだ工事は完成していなかったのです それは 大理石で造られ 金の板が張られていました 日が差すと その反射光が眩しくて目を向けることができないほどだったそうです しかし イエス様はその廃墟となる姿を語られています 語られた約 40 年後 ローマがエルサレムを取り囲み 神殿を破壊します 火を付けると 神殿の金の飾りが溶けはじめて そして石の割れ目の中に入っていきました それを取り出すために 石を一つ一つ取り除いていったと言われています イエス様が言われた通りになったのです 21:7 彼らは イエスに質問して言った 先生 それでは これらのことは いつ起こるのでしょう これらのことが起こるときは どんな前兆があるのでしょう イエス様になぜ このような質問をしたかというと 旧約の預言に主の到来の前にエルサレムの破壊があることを予告しているところがあるからです 見よ 主の日が来る その日 あなたから分捕った物が あなたの中で分けられる わたしは すべての国々を集めて エルサレムを攻めさせる ( ゼカリヤ 14:1) それで神殿の破壊を 世の終わりと結びつけて弟子たちは質問しました そしてイエス様が終わりの時の前兆について語られます しかしルカによる福音書では 紀元 70 年における このエルサレムの破壊にもっと詳しい説明をイエス様が行われたのを書き記しています マタイの福音書にも マルコの福音書にも イエス様がオリーブ山で語られた この終わりの日の徴を書きとめていますが ルカも書いていますが 神殿破壊により注目しています

21:8 イエスは言われた 惑わされないように気をつけなさい わたしの名を名乗る者が大ぜい現われ 私がそれだ とか 時は近づいた とか言います そんな人々のあとについて行ってはなりません 21:9 戦争や暴動のことを聞いても こわがってはいけません それは 初めに必ず起こることです だが 終わりは すぐには来ません イエス様は 第一に 惑わされていけません という注意を出されます 終わりの日について 惑わしがあるということをまず 知る必要があります 終末を語る者たちによって多くの扇動が行われてきました 教会の中にもありました 私たちは気をつけないといけません そして 自称イエスが増えます ユダヤ人の間では第二次ユダヤ人反乱で バル コクバというリーダーをユダヤ人はメシヤとして持ちあげました そして今に至るまでたくさんの偽イエス キリストが出てきています そして 戦争や暴動のことも数多く出てきますが その度に多くの人が 終わりの日ではないか と疑います イエス様は こうしたものによって終わりが来たという煽りに乗ってはいけないことを 教えられました 2B キリスト者の迫害 10-19 21:10 それから イエスは彼らに言われた 民族は民族に 国は国に敵対して立ち上がり 21:11 大地震があり 方々に疫病やききんが起こり 恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます 前兆の始まりは ここに書かれてあることです 民族は民族に 国は国に敵対して という言い回しですが 歴代誌第二 14 章 6 節に 民は民に 町は町に相逆らい という言い回しがあります イザヤ 19 章 2 節にも エジプトに対する預言で国中で相逆らう預言があります これは国中で その全域でという意味として使われています ルカ 21 章 35 節に その日は 全地の表に住むすべての人に臨む とありますが つまり 世界の全域で敵対が起こるということとしてイエス様は使っています 終わりの日の特徴は グローバル化 世界化であります 前世紀は 二つの世界大戦によって始まりました そして今に至るまで 世界的な規模で民族主義が起こり 互いに敵対しています そして大地震があります これは前世期から幾何級数的に増加しています 人類に記録されている大地震で イエス様の後の千年間 合計五つの地震だけだったのが 14 世紀は 157 15 世紀は 174 16 世紀は 253 17 世紀は 278 18 世紀は 640 そして 19 世紀は 2119 もの記録的地震があり 20 世紀は 90 万件を超えたのです! 1 そして疫病についてですが 私たちは 新型 と呼ばれる疫病をほぼ毎年というぐらいニュースで 1 Fruchtenbaum, A. G. (2003). The footsteps of the Messiah : A study of the sequence of prophetic events (Rev. ed.) (96 97). Tustin, CA: Ariel Ministries.

見ています さらに飢饉ですが これだけ飽食の時代になったのに人災とも呼べるべき餓死が世界で起こっています 最近のものですと 北朝鮮は 1990 年代に約三百万人が死んだと言われています そして残りは 天からの凄まじい前兆ですが これはまだ起こっていません 巨大な隕石が落ちてきたり 月が赤くなったりする現象はありますが まだ先のことです ですから 私たちはこうした終わりが来るという前兆の中に生きていると言ってよいのです 21:12 しかし これらのすべてのことの前に 人々はあなたがたを捕えて迫害し 会堂や牢に引き 渡し わたしの名のために あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう イエス様は これらのすべてのことの前に と言われています これらの前兆の前に弟子たちは迫害を受ける ということです これらのことが 福音書の後 使徒の働きや書簡の中に書かれています 会堂に引き渡されるというのは 同じユダヤ人が自分を罪に定めるということです そして牢は ローマ当局に捕えられるということです パウロは カイザリヤで牢に入れられている間 ローマ総督と ヘロデ王の前で証しをしました 21:13 それはあなたがたのあかしをする機会となります 21:14 それで どう弁明するかは あら かじめ考えないことに 心を定めておきなさい 21:15 どんな反対者も 反論もできず 反証もでき ないようなことばと知恵を わたしがあなたがたに与えます 使徒の働きは これらのことも書き記しています 殉教したステパノは 聖霊に満たされて論破することによって 誰も反論できなかったことが書かれています 彼は殺されましたが しかしその残した種は確実に 迫害者であるサウロ 後のパウロの心に残りました イエス様が すでに弟子たちに語っておられました 人を恐れず神を恐れよ そして聖霊が証しの言葉を与えてくださる ということです ルカ 12:11-12 また 人々があなたがたを 会堂や役人や権力者などのところに連れて行ったとき 何をどう弁明しようか 何を言おうかと心配するには及びません 言うべきことは そのときに聖霊が教えてくださるからです 私たちにも 主は聖霊で満たしてくださいます 人を恐れず 主を恐れて証しをする時に 同じようにしてくださいます 21:16 しかしあなたがたは 両親 兄弟 親族 友人たちにまで裏切られます 中には殺される者もあり 21:17 わたしの名のために みなの者に憎まれます 21:18 しかし あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません 21:19 あなたがたは 忍耐によって 自分のいのちを勝ち取ることができます 裏切られる という言葉をイエス様は使われています それは仲間としての絆がある者たちが その絆を断ち切るからです そして殉教者も出てきます このことは 教会が歴史を通じて経験してきたことであり 現代にまで至っています 世界で最も迫害が酷いと言われている北朝鮮では 信者は布団を顔にかぶせて主を礼拝しています なぜなら 家族の人に知られたら当局に知らさ

れてしまうからです そして わたしの名のために みなの者に憎まれます とありますが これ は驚くべきことですね すべての良きものの初めが 私たちの主イエス キリストです しかし 人々はその善を嫌い 悪を愛します したがって 光が来るとそれを憎むのです けれども約束があり 決して害を受けることがないということです 殉教したとしても その後 自分に対して何もすることができません そして 忍耐によって いのちを勝ち取るといっていますが この忍耐はただ我慢するという消極的なものではなく 神の約束を積極的に信じていき その喜びに満たされ 熱心に祈るその中での忍耐です この世における報いよりも 後の世に来る報いを期待して生きます 3B エルサレム包囲 20-24 21:20 しかし エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら そのときには その滅亡が近づいたことを悟りなさい 21:21 そのとき ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい 都の中にいる人々は そこから立ちのきなさい いなかにいる者たちは 都にはいってはいけません 21:22 これは 書かれているすべてのことが成就する報復の日だからです 21:23 その日 悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です この地に大きな苦難が臨み この民に御怒りが臨むからです これは紀元後 70 年の出来事です 66 年に カイザリヤからユダヤ人のローマへの反乱が始まりました ローマから独立するための戦いです けれども ローマは戦っていき ついに 70 年にエルサレムを包囲して 神殿を破壊します ユダヤ人たちは この時こそメシヤが到来してローマの力から解放してくださると信じて戦いましたが キリスト者となったユダヤ人はそうは考えておらず このイエス様の言葉をしっかりと心に携えていました 一時的に ローマのエルサレム封鎖が解除された時に 彼らはほぼ全員 主の命じられたことを守り行い ヨルダン川を越えたところにあるペラに逃げたのに 彼らはほとんど死ぬことがなかったことが 教会の指導者エウセビオスが 教会史 の中で書き記しています そしてそれが 書かれているすべてのことが成就する報復の日 と主は言われていますが これはモーセがイスラエルの民に残した預言と警告のことを指しています イスラエルの民が主に聞き従わないために 都が包囲されて そこで飢えで赤ん坊を食べるほどになり 主が宣言された呪いの全てが下るという言葉の成就であります ( 申命 28 章 ) 主の怒りがご自分の民に下ったことを見ることになります 21:24 人々は 剣の刃に倒れ 捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ 異邦人の時の終わる まで エルサレムは異邦人に踏み荒らされます イスラエル人が敵に踏みにじられた後に あらゆる国に連れて行かれることもモーセは預言しま した しかし 主がイスラエルの民を顧みてくださり 最後に彼らを救ってくださることを教えていま

す このことをイエス様が語られています エルサレムが 異邦人の時 と呼ばれるものが終わる 時には イスラエルが救われるのです この言葉は 私たちが今の時代を見る時に知らなければいけない大切な御言葉です エルサレムは 紀元七十年にローマによって破壊されて以降 ビザンチン朝 イスラム勢力 十字軍 マムルク オスマン トルコというように 異邦人の勢力によって踏み荒らされました そして ユダヤ人がこの土地に少しずつ戻り始めました そのとき オスマン トルコと戦ってこの地域を支配した英国が ユダヤ人に民族郷土の約束をしたのです そして 1948 年に イスラエルという名で独立を果たしました そして 1967 年に 今の神殿の丘が六日戦争の中でイスラエル軍の中に落ちました それ以降 イスラエルの主権下の中に入ったのです しかし イスラエル軍はすぐに 神殿の丘の管轄をヨルダンのムスリム宗教局に引き渡しました したがって 治安はイスラエルが行っていますが その中で何をするかは未だ 異邦人に任されており ユダヤ人は何もすることができないでいます したがって 私たちはたった今 異邦人の時が終わりそうで終わらないというニュースを見ているであり 特別な時に生きているのです 4B 天変地異 25-28 21:25 そして 日と月と星には 前兆が現われ 地上では 諸国の民が 海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み 21:26 人々は その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して 恐ろしさのあまり気を失います 天の万象が揺り動かされるからです 21:27 そのとき 人々は 人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです 21:28 これらのことが起こり始めたなら からだをまっすぐにし 頭を上に上げなさい 贖いが近づいたのです 24 節まではこれまでおこったことですが 先に話しましたように天変地異はこれから先のことです 主の日と旧約聖書に書いてあるところは このような天変地異を預言しています 黙示録はもっと詳しく自然界が揺り動かされることを予告しています しかし その時に主が地上に戻ってこられます その時代に生きている人々で主を信じる人々は 贖いが近づいた ことを知ります 贖いとは これまで罪によって失われていたものが 神が代価を払って買い戻され 再びご自分の所有とされるということです 神はすでにキリストによって その代価を支払われました そして キリストが戻ってこられる時に罪と不法に満ちるこの世を裁き そしてこの地を刷新して 元々の姿に取り戻してくださるのです 神の国がこの地上に始まります エルサレムに主ご自身がその王座に座られます そして世界を統治するので 神の知識が世界に及ぶのです 3A 目を覚ました祈り 29-38 このように 世の終わりの前兆をお語りになったイエス様は 聞いている者たちにどのように応

答すればよいか 勧めを与えられます 21:29 それからイエスは 人々にたとえを話された いちじくの木や すべての木を見なさい 21:30 木の芽が出ると それを見て夏の近いことがわかります 21:31 そのように これらのこと が起こるのを見たら 神の国は近いと知りなさい 神の国が近いことを知りなさい という勧めです 神がアダムが罪を犯す前のようにしてくださる その神の国が これらの前兆を見ることによって近いことを知るようになると言われます いちじくの木は 私たちには馴染みが薄いですね けれども 夏になる直前に芽を出し 七月にはその実を楽しむことができます 21:32 まことに あなたがたに告げます すべてのことが起こってしまうまでは この時代は過ぎ 去りません 21:33 この天地は滅びます しかし わたしのことばは決して滅びることがありませ ん ここで決して過ぎ去らないものを イエス様は約束されています 一つは この時代 と訳されているものです これは この世代 という訳もできます イエス様の地上におられる時代という意味ではなく ユダヤ人は民族として決して過ぎ去ることはなく 大患難の時代に その世代が滅びることは決してないということであります もし その日数が少なくされなかったら ひとりとして救われる者はないでしょう しかし 選ばれた者のために その日数は少なくされます ( マタイ 24:22) ですから ユダヤ民族が今も生きており イスラエルに住んでいるということは あまりにも画期的なことなのです そしてもう一つは イエス様の言葉 は過ぎ去ることはありません 天地が過ぎ去っても 必ずその語られた通りになるということです 主はここで ご自分が神からの者であることを証言されています 主が語られるのは そのものが神の言葉であるということです イザヤ 55:11 そのように わたしの口から出るわたしのことばも むなしく わたしのところに帰っては来ない 必ず わたしの望む事を成し遂げ わたしの言い送った事を成功させる だから 私たちは聖書の言葉 イエス様の言葉を大切にします この天地よりも確かなのです 21:34 あなたがたの心が 放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに その 日がわなのように 突然あなたがたに臨むことのないように よく気をつけていなさい 21:35 そ の日は 全地の表に住むすべての人に臨むからです イエス様の次の勧めは よく気をつけている ことです 放蕩や深酒に代表されるような 周囲 がどうなっているのか分からなくさせる世の煩いがあります 自分だけはその活動に はまってい ますが 自分だけが気づいていません 私たちは この終わりの日にそのような世の思い煩いに

囲まれています 主に関することを二の次にすること 主以外のものに取り組ませること そして いつの間にか信仰から離れ 他のことをしている状態です 本人だけは 大丈夫 だと思っていますが 全然 大丈夫ではないのです 突如として破壊が襲うので 何の備えもなく滅んでしまうのです 最近 あるキリスト教団体の代表者の方が 私に話してくださいました 日本のクリスチャンの方々が 迫害に対する防災となるような状況を雑誌で提供したい 突如として襲う地震や津波に対して 以前から避難する方法を教えられ 用意していたら すぐに逃げることができます そして キリスト教の葬儀の会社の方ともお話ししました 仏式の葬儀などで 家族や親戚にどのように証しを立てるのか その時になってからでは遅すぎるという話で 野球でも素振りが大事なんです と野球を例えにしておられました 普段から 自分がクリスチャンであることを未信者に囲まれている環境の中できちんと証ししているか このような日常の積み重ねがあるからこそ いざという時にどのような行動を取ればよいのか 自ずと分かるということです 全地の表に住むすべての人 とイエス様は強調されています つまり この日本の国も同じです イエス様が語られていることが世界各地で起こっているのに なぜか日本だけは免除されているという幻想を抱いてしまうのが私たちです 日本という 世界で最も安全で平和な国の一つに住んでいますから そう思ってしまいます しかし 悪魔は暴れています 戦争も起こっていないのに 毎年約三万人の人たちが自ら命を落としています 悪魔は初めから人殺しであると イエス様は言われましたが それが異常ではないと思わせているのも悪魔の仕業です まさに 麻薬やアルコールで感覚が麻痺された状態です 日本も例外ではないということ ここから私たちは目を覚ましていきたいと思います 21:36 しかし あなたがたは やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ 人の子 の前に立つことができるように いつも油断せずに祈っていなさい 最後の勧めは いつも油断せずに祈る ことであります 祈ることは 私たちに御霊へ拠り頼む ことを教えてくれます 主が御霊によって 私たちに見るべきものを見せてくださいます 自分の思 いがこの世の煩いに引き寄せられていても 引き戻されることができています そして二つの大事な動詞があります 一つは 逃れる ということです これらの患難から逃れることができる ということです 主はフィラデルフィアにある教会に 次のように約束してくださいました 黙示 3:10 あなたが わたしの忍耐について言ったことばを守ったから わたしも 地上に住む者たちを試みるために 全世界に来ようとしている試練の時には あなたを守ろう ここ 試練の時には と訳されていますが 正確には 試練の時から であります したがって 試練そのものから守ってくださる 引き離してくださるということです

そして テサロニケ人への手紙では これらの破滅 終わりの日に起こることをパウロが語った後に こう言いました 1テサロニケ 5:9 神は 私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく 主イエス キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです 主が天から空中にまで降りて来てくださいます キリストにあって死んだ人々がまずよみがえり そして生き残っている私たちが一挙に引き上げられ 空中で主とお会いします その携挙の出来事によって 後に来る患難を免れることができるのです そして 人の子の前に立つ という 立つ という動詞があります 主の前に立つことのできるのは やましいことがなく 責められるところもなく そのような責めから自由にされて 主の前にいることができるということです 私たちの前に置かれている神の御座は さばきの御座ではなく 恵みの御座です ヘブル 4:16 ですから 私たちは あわれみを受け また恵みをいただいて おりにかなった助けを受けるために 大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか したがって 私たちはいつもこの恵みの御座に行くことによって 自分が神の前に立つことができるように守られます いつも 主ご自身とその恵みに留まっていることにより かの日にこの方が戻ってこられる時も キリストの血によって清められている私たちは大胆に 喜んで この方に近づくことができるのです ユダ 24 あなたがたを つまずかないように守ることができ 傷のない者として 大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に 私たちが用心して 世の煩いに沈み込むことがないように そして主の前に出る祈りを絶えず行 って 自分がもっぱら恵みによって救われたことを感謝しながら 主が戻ってこられる時に恥ずか しくならないように祈りましょう 21:37 さてイエスは 昼は宮で教え 夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた 21:38 民衆はみな朝早く起きて 教えを聞こうとして 宮におられるイエスのもとに集まって来た イエス様がエルサレムに入られてから捕えられるまでの数日の間を ルカはまとめています 民衆はイエス様の御言葉に興奮していましたが すぐ後に十字架に付けろという怒号がイエス様に向けられます 彼らは後に 五旬節の時に 今や主ともキリストともされたこのイエスを あなたがたは十字架につけたのです ( 使徒 2:36) とペテロに語られて 心が刺され 悔い改めました 主が十字架に付けられる困難な時にも 用心して目を覚ましていなければいけませんが 同じように終わりの日も困難になります 今のうちに 聖霊によって悔い改められる時に 心がまだ刺されるという繊細になっている時に 悔い改めて罪の赦しをいただきましょう