2014 年 1 月 5 日新年礼拝説教要旨 カイザルのものはカイザルに 神のものは神に返しなさい ルカによる福音書第 20 章 節今年の元旦礼拝で開きました言葉を 礼拝堂の正面の左右に掲げました 右の みことばの戸が開くと 光が差し込み わきまえのない者に悟りを与えます という詩篇 1

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2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

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* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

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2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

牧会の祈り

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

創世記5 創世記2章4節b~25

創世記5 創世記2章4節b~25

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

牧会の祈り

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

何度もふるいにかけて 麦の実とごみとを分けるように 信仰が本物かどうかを何度も試される 父なる神さまのお許しのなかで サタンの激しい攻撃が始まる この時 もしかしたら 誰が一番偉いか 誰が一番大きいかという争論で ペテロがやはり一番だろうと 弟子たちもペテロ自身を自他共に思っていたのかも知れません

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

牧会の祈り

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6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

牧会の祈り

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

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2017 年 2 月 21 日 ( 火 ) 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 60 分でわかる旧約聖書 (24) エレミヤ書 1. はじめに (1) 預言者たちの中でのエレミヤの位置づけ 1 預言書を書いた預言者 (the writing prophet) * 王国が南北に分裂して以降

1.1 節 Rev 14:1 また私は見た 見よ 小羊がシオンの山の上に立っていた また小羊とともに十四万四千人の人たちがいて その額には小羊の名と 小羊の父の名とがしるしてあった (1) ヨハネは キリストの再臨後の状況を見ている 1 実際にキリストの再臨が起こるのは 19 章になってからである

4きょう取り上げる 3~5のパターンは ユダヤ的に解釈する必要がある 5イエス時代のユダヤ教のラビたちの旧約聖書引用法 * 直接引用とその成就 * その箇所の解釈ではなく 適用である * きょうの3~5 のパターンは すべて適用である 6マタイは 5 つの引用によってイエスのメシア性を証明しようとし

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このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

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Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

Ⅰ. 管理人の不正の発覚 (1~2 節 ) 1.1 節 a Luk 16:1 イエスは 弟子たちにも こういう話をされた (1) イエスは 弟子たちに話している 1これは 弟子訓練のためのたとえ話である 2 聴衆が誰かを判断することが たとえ話の解釈のために重要である (2) その周りで パリサイ人

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1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

(1) イゼベル 彼にとっては ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった それどころか彼は シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり 行ってバアルに仕え それを拝んだ (1 列 16:31) 1オムリの子アハブは イゼベルと結婚し バアル礼拝をイスラエルに導入した 2 預言者


聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

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2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

牧会の祈り

ヘブル人への手紙1章

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

の詩や歌があるかもしれません もちろん 賛美歌が挿入されることもあります しかし ほとんど の場合 礼拝のこの部分は 信経または信仰の宣言をそのクライマックスとして持つことが適切です 準備言葉の典礼が明らかになると それに対する準備とそれに対する祈りの反応がどのように適合しているかが分かりやすくなり

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

私自身 OIC に来てまだ 2 年弱です ですから この教会の歴史は少ししか知りません けれども 神は OIC の歴史のすべてをご存じです 創立当時から 神ご自身がこの教会を支えてこられました そして この教会に来た人 去っていった人すべての心をご存じです この 42 年の歴史をとおして 神は OI

荒野において 所々に緑の残っている道のようなものが見えますが ひとたび雨が降ったときに水が流れていく川です そういうところでは水源が見つけやすく 旅人はワジを歩いていました この詩篇の言葉を読んだり 歌ったりする時に 緑豊かな水の豊富なところで悠長に水を飲んでいる姿を思い浮かべますが 水溜めがあるの

24:24 それで わたしたちの仲間が数人 墓に行って見ますと 果して女たちが言ったとおりで イエスは見当りませんでした 24:25 そこでイエスが言われた ああ 愚かで心のにぶいため 預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ 24:26 キリストは必ず これらの苦難を受けて その栄光に入

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

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2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

新約聖書の学び

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

2 を重んじてきた人たちがいたからでした そういう人たちに対して 自分は宗教に熱心であると思っても つまり 形 を整えることに一生懸命であっても と語りかけているのです 今の私たちに当てはめるならば 洗礼を受けたといっても とか どんなに礼拝を守っているとしても とか あるいは 奉仕を一生懸命やって

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

Rev 17:2 地の王たちは この女と不品行を行い 地に住む人々も この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです (1) 大淫婦と不品行 1 旧約聖書では 淫婦 は 偽の宗教 を象徴する言葉である 2 淫行 は 偶像礼拝を象徴する言葉である 霊的姦淫である * 通常は 真の神を信じると告白しながら 偶像

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

1 パンの家 という意味 農業生産の豊かな地 ダビデの町とも呼ばれた 2ガリラヤのベツレヘムと区別するために ユダヤのベツレヘムと書かれている 年代 200 軒の家 クリスチャンとイスラム教徒が平和に住んでいる 4 今日 パレスチナ自治区 2 万 2 千人 クリスチャンは迫害に会っている

マルコの福音書のヘブル的考察 黙れ 出て行け マルコの福音書 1:23~28 はじめに今日はイエス キリストの十字架の死からの復活を祝う イースター という祭りの日にあたり 世界中の教会でこれにちなんだ催しや取り組みがなされています ところで皆さんは イースター という名前の意味を御存知でしょうか

あなたへの 聖書メッセージ ヨハネの福音書 3 章 16 節 ヨハネの福音書 3 章 16 節 神は 実に そのひとり子をお与えになったほどに 世を愛された それは御子を信じる者が ひとりとして滅びることなく 永遠のいのちを持つためである この ヨハネ 3 章 16 節のみことばは 聖書 66 巻の

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

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2014 年 1 月 5 日新年礼拝説教要旨 カイザルのものはカイザルに 神のものは神に返しなさい ルカによる福音書第 20 章 19-26 節今年の元旦礼拝で開きました言葉を 礼拝堂の正面の左右に掲げました 右の みことばの戸が開くと 光が差し込み わきまえのない者に悟りを与えます という詩篇 119 篇 130 節の言葉は 今年だけでなく わたしたちが聖書の御言葉を読むとき聴くとき繰り返し味わうときに この通りに神の言葉が光を与え わたしたちに働きかけてくださる約束です 信じ期待して進みましょう また左の 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています というローマ書 8 章 28 節の言葉は わたしたちが考える益ではなく 神がお考え下さる最善の益にわたしたちを導いてくださるとの約束です この年に 山があり谷があり 損と思えることが続き どうしてと思うことが続いたとしても 神の最善は実現すると信じて行きましょう 今年は 3 月までルカによる福音書の 20 章から 24 章までの御言葉を聴いていきます わたしたちの目が開けて 主イエスのことが深く分かり 礼拝のたびごとに お互の心が内に燃やされる恵みをいただきと願っています 25 節の カイザルのものはカイザルに 神のものは神に返しなさい という言葉は 英語の辞書には有名なことわざとして 聖書の箇所まで付けて載せられています ローマの皇帝カエサル 英語ではシーザー この名前は紀元前 100 何から 44 年まで生きた人の個人名でしたが やがて皇帝 ( 帝王 ) の意味になります ここで始まった修羅場のような駆け引きは 9 節からの ぶどう園と農夫 のたとえ話がきっかけとなっています 悪い農夫たちは借りていたぶどう園の主人が送った 3 人の僕を辱め 最後には農園主のひとり息子まで殺してしまいます ぶどう園を自分たちのものにしようとしたのです 神が遣わされた者を殺そうとしている自分たちに当てつけて 主イエスが語られた話だと分かり 律法学者たちや祭司長たちは 主イエスを殺そうとします でも自分たちでは難しいので ローマ皇帝への税金問題の質問をして 言葉じりを捕らえて 総督に引き渡して死刑にしようと企んだのです 主イエスはこのような罠から逃げるのではなく むしろ的確に答えつつ さらに非常に大切な教えを語られる機会としてしまいました カイザルのものはカイザルに 神のものは神に返しなさい と命じられた言葉に この地上に生きる信仰生活の基本があります 1デナリ銀貨は大きさは1 円玉ですが 銀貨であり 当時の 1 日分の労賃の額でした 紀元前 200 年ころから鋳造されたもので 作られた時の皇帝の肖像が刻まれています 律法学者たちや祭司長たちは ローマ帝国の支配には反抗していますが 経済はローマの貨幣で動いている社会でしたから 矛盾していますが彼らも銀貨を持っていました デナリ銀貨を見せない と主イエスは言われ その貨幣の肖像を彼らに確認させ カ 1

イザルのものはカイザルに と言われました その社会に生きている以上 社会人として納税の義務を果すように教えます 主イエスを信じる人も まだ信じない人も この国に生きる以上は平等に納税の義務を負うのです 特別扱いはありません しかし ローマの皇帝も神のもとにあり 神の許しの中で立てられている国です 世界中のすべての国々は神のもとにあります ですから 税金の問題を越えて 神のものは神に返しなさい と 主イエス キリストは神の下に生きる姿を宣言されたのです 人間の罪とは 一言で言えば 私物化です 神のものを神に返そうとしないで 自分のものだと主張し 全てを自分勝手に用いていくのです そこに権力が生まれ 政治を動かすものが自由に国民の命を利用するようになります それが戦争です 命は神が与えて下さったものです どんなに科学が発達しても 人間には地上の物質を使って命を造ることはできません しかし人間は命を操作することができると思い込み 命の大切さを踏みにじっていきます 気をつけなければならないのは 自分と違う信仰の人々を 神々の名で殺す罪を わたしたち人間は犯してきたし いまも犯し続けていることです 神のものを神に返そうとしない 自分が神になってしまう 自分が神として仕えられようと願う そして人を自分に仕えさせる これは主イエス キリストとは全く反対です 元旦礼拝でもこの話に触れましたが 引用が不正確でしたので 再度お話します 昨年末に関西の 大阪 岡山 龍野 三田の 4 つの教会を訪ねました 途中 小豆島に行き 壺井栄の小説 二十四の瞳 の分教場を訪ねてきました 瀬戸内海の静かな海の岬にあり 映画のロケの場所も残されていて そこで高峰秀子主演 木下恵介監督の映画を見てきました 主人公の大石先生の息子の大吉が 自分は早く中学生になって 航空兵として志願したいと母に言います 母親の大石先生はこう息子に言うのです なあ大吉 おかあさんはやっぱり大吉をただの人間になってもらいたいと思うな 名誉の戦死なんで 一軒にひとりでたくさんじゃないか 死んだら もとも子もありゃしないもん おかあさんが一生懸命に育ててきたのに 大吉あそない戦死したいの おかあさんが毎日泣きの涙で暮らしてもえいの? のぼせた顔に濡れ手ぬぐいをあててでもやるかのように言ったが 熱の激しさは濡れ手ぬぐいでは効き目がなかった かえって大吉は母親を諭しでもするように そしたらおかあさん 靖国の母になれんじゃないか これこそ君に忠であり親には孝だと信じているのだ それでは話にならなかった あーあ このうえまだ靖国の母にしたいの このおかあさんを 靖国 は妻だけでたくさんではないか 神ではないものを神として信じ込ませ そのために命まで無理やり戦場に引き出し 死ぬことを求める 日本は 70 年前には 瀬戸内海の小さな島の隅々まで そうであった でもそこに住む一人の母親が 夫が戦死し靖国の妻とさせられた上に大切な息子を失って靖国の母にされてたまるか と訴えている 神のものは神に返しなさい と 主イエスが あなたに求めておられます 私物化しているものがあるなら 悔い改めて 神にお返ししたい この身も魂も 2

ディボーションノート 1 2014 年 1 月 1 日 11 日 1 月 1 日 ( 水曜 ) 詩篇 77 篇 わたしは神にむかい声をあげて叫ぶ わたしが神にむかって声をあげれば 神はわたしに聞かれる 信仰は神を呼ぶことです 神から与えら得る慰めを求め それ以外の一時的な慰めを拒む キリストを信じる者は 歎きと悲しみを深め 魂が衰え まぶたが閉じない不眠の苦しみ 物言うことのできない沈黙を体験する 渦巻くような混乱の中で 神はわたしたちを捨てられるであろうか いや 決して見捨てられることはない との思うが芽生え 神が今までなさった御業を思い出してゆく まず神の恵みを数えることから始めよう 1 月 2 日 ( 木曜 ) 詩篇 78 篇聖書はイスラエルという小さな民族を導かれた神の歴史を語る 聖書は旧約の律法と文学と預言 それに対する新約の福音と手紙と黙示と 対比できる そして旧約のヨシュア記から始まるイスラエルの歴史と 新約の使徒行伝が語る教会の歴史とが対比される 神は生きて働きかけるお方である 2014 年を神はどう導いてくださるのだろうか 彼らをして神に望みをおき 神のみわざを忘れず その戒めを守らせるため (7 節 ) にも 歴史をしっかりとたどり 神に背いた歴史の結末と 神に従いつつ厳しい歴史を生き抜いた結末との違いをこころに刻みたい 人を通して歴史を動かされる神の働きに信頼して進もう 1 月 3 日 ( 金曜 ) 詩篇 79 篇時代はバビロン捕囚 ( 紀元前 587 年 ) のころだろうか 民族の力の強さは彼らが信じている神の力の強さによると考えられていた 支配するバビロンの民は お前たちの神はどこにいる と豪語する このような侵略と敗北を招いたのは 本当の神を捨てて偶像礼拝に堕ちて行ったからであると分かった そこで初めて われらの救の神よ み名の栄光のためにわれらを助け み名のためにわれらを救い われらの罪をおゆるしください と悔い改める 神の栄光を汚した罪を悔い改め 再び神の栄光が回復されるようにと祈る まず信仰に立とう 神を賛美し 栄光をほめたたえ 神の語りかけを聴く礼拝生活を立て直そう 1 月 4 日 ( 土曜 ) 詩篇 80 篇 神よ われらをもとに返し み顔の光を照してください そうすればわれらは救を得るでしょう 3 7 19 節に 3 回繰り返されている リフレーン ( 繰り返し ) は 詩篇の合唱部分か 二つの歌いあう掛け合いのパートだと思われる そしてこの詩篇の主題を示している 今は滅ばされ 暗黒の中を歩んでいる民の叫び 2 節は北王国がアッシリヤに滅ぼされた様子かも知れない 涙のパンを彼らに食わせ 多くの涙を彼らに飲ませられた神よ どうかみ顔の光を我らに 3

1 月 6 日 ( 月曜 ) 詩篇 81 篇神がわたしたちに求められることは一つです わが民よ 聞け わたしはあなたに勧告する イスラエルよ あなたがわたしに聞き従うことを望む 天地を創造され 今も摂理の御手で導かれる神は唯一の神です ですから わたしたちの中に他の神々があってはならないし 神ではない神々を拝んではならないのです キリスト教は外国の宗教と考えている方が多くいます 確かに欧米から伝わってきました でも聖書の信仰は地域で言えばアジアの西の果てで生まれました そしてどこから始まろうと 神はおひとりです 人間が作り出し 増やしたり減らしたりできる偶像としての神は 礼拝すべき神ではありません 1 月 7 日 ( 火曜 ) 詩篇 82 篇 神は神の会議のなかに立たれる 神は神々の中で さばきを行われる これを言葉の通りに読めば 唯一の神が 偶像の神々の中に立たれて 神々を裁かれる様子に見えます ここでの神々とは 王とか裁判官という責任ある人々を指していると読めます 正しいさばきが行われず 社会を動揺させている中で 神は そのような社会を招いた指導者を罰すると宣言されます 主イエス キリストはヨハネ 10 章 34 節でこの言葉が引用されます 神の言葉を託された人々を神々と言っているなら 父なる神が聖別して世に遣わされた者が わたしは神の子である と言ったからとて どうして神を汚す者だと言うのか 本当に主イエス キリストの旧約聖書の引用の的確さと自由さに驚かされます 1 月 8 日 ( 水曜 ) 詩篇 83 篇 神よ 沈黙を守らないでください 神よ 何も言わずに 黙っていないでください 神の語りかけが聞こえてこない苦しみがあります 周囲の敵の声だけが大きく 連合して敵対してくる敵が立派に見えます 彼らは言いました われらは神の牧場を獲て われらの所有にしよう と 神の声が聞こえないのではなく わたしたちの目も耳も口も神に向けられていなかったからではないか 神は祈りをすべての祈りを聴いていて下さる方ですから 静かに切実に この詩人は再び祈り始めます 全地を治める ( しろしめす ) に信頼して 4

1 月 9 日 ( 木曜 ) 詩篇 84 篇 わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います この詩人は神が御臨在される場所である神殿を 心から慕っています わが魂の 魂 とは言語で ネフェシュ と言い 息 をさします 人は神から吹き込まれた 神の息 によって生かされます 信仰が与えられて 神の子とされ 神が共におられる教会の礼拝 日々の生活 起きているときも寝ているときも 信仰に生きられる日々こそ わたしたちの何物にも換えられない宝の日々です あなたの大庭にいる一日は よそにいる千日にもまさるのです わたしは悪の天幕にいるよりは むしろ わが神の家の門守となることを願います 神を礼拝し 神に仕えることのできる恵みを喜ぼう 1 月 10 日 ( 金曜 ) 詩篇 85 篇神は再び民をかえりみてくださり 捕囚から解放され 民の不義を赦して下さいました これが起こった事実なのか まだ起こらないがやがて起きることなのか 詩篇の内容は一定していません 2 節は過去の回顧であり 5 節は将来についての願いである と読めます 帰国しても厳しい生活を送らなければならなかった人々にとって 神が遣わしてくださる救い主メシアによって到来する新しい国を待ち望むことが希望でした そこでは いつくしみと まこととは共に会い 義と平和とは互に口づけし まことは地からはえ 義は天から見おろす ことが実現します 救い主イエス キリストにあって 大いなることを期待し 企てましょう 1 月 11 日 ( 土曜 ) 詩篇 86 篇 あなたはわたしの神です 私はひねもす( 一日中 ) あなたに呼ばわります 主よ わが魂はあなたを仰ぎ望みます ここには熱心で必死で懸命な祈りがあります こう祈る思いを起こしてくださるのは アバ 父よ と神を呼ばせて下さる聖霊です 聖霊なる神は 神の言葉と神に信頼する心とを与えてくださり 祈りに導いて下さいます 祈祷会で聖書を学び その上で集中して祈ることには意味があります 主イエスが教えて下さった 主の祈り にこそ 祈る順序と内容と集中した短さとが示されています 5

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