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* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

創世記5 創世記2章4節b~25

創世記5 創世記2章4節b~25

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

牧会の祈り

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

Microsoft Word - ◎中高科

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

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2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

ダニエル書は終末についてどのように語っているか No.2 御使いガブリエルが告げた 七十週 の預言 聖書箇所 9 章 20 節 ~27 節 はじめに 前回はダニエル書 2 章から バビロンの王ネブカデネザルの見た正夢に ついて学びました その正夢は終わりの日に起こることを示されたものでした ダニエル

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

牧会の祈り

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としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

《 耕地を開拓せよ 》 羽石兄  ‘05

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

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현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

牧会の祈り

From the Pulpit of the Japanese Baptist Church of North Texas July 8, 2018 信仰の勇者 ギデオン士師記 7:1-7 7:1 さてエルバアルと呼ばれるギデオンおよび彼と共にいたすべての民は朝早く起き ハロデの泉のほとりに陣を取っ

(1) 獣の形状 (1~2 節 ) (2) 獣の復活 (3~4 節 ) (3) 獣の支配 (5~8 節 ) (4) 励ましのことば (9~10 節 ) 3. 結論 : 反キリストはキリストの真似をする 反キリストの働きについて学ぶ Ⅰ. 獣の形状 (1~2 節 ) 1.1 節 Rev 13:1 また

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

(2) ケンクレヤにある教会に属していた 1コリントの南東 11 キロのところにある港町 2コリントの東の港としての役割を果たした アジア方面の交易のための港 * 西の港は カイオン 両港の間の距離は 8 キロ 3パウロは 第 2 回伝道旅行でここを訪れている 4 誓願が成就したのを記念して そこで

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

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比喩:その他

子たちも オリーブ山から神殿を眺めて これはまあ 何とみごとな石でしょう 何とすばらしい建物でしょう ( マルコ 13:1) と感嘆の声を挙げました しかし イエス様は この大きな建物を見ているのですか 石がくずされずに 積まれたままで残ることは決してありません ( マルコ 13:2) と言われたの

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

ヘブル人への手紙1章

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

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一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

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夢を超えたもの_Culture A.indd

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

(1) 処 女 降 誕 (2)イエスの 歴 史 性 (3) 福 音 の 3 要 素 (4)イエスの 死 後 の 状 態 (5) 昇 天 (6) 再 臨 * 今 回 は (4)イエスの 死 後 の 状 態 を 取 り 上 げる * 死 んでから 復 活 までの 3 日 間 をどのように 過 ごされたの

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

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2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

て 驚 いた (1)ひとりのパリサイ 人 が イエスを 食 事 に 招 いた 1 食 事 という 動 詞 は アリスタオウ である 2 名 詞 の アリストン は 朝 食 である (2)ルカ 7:36~50 と 似 ている(パリサイ 人 シモンの 家 に 招 かれた) 1 古 代 世 界 では 酒

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

2015年12月20日 クリスマス説教、イエスさまの誕生

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

2 神はイスラエルをぶどうの木 ぶどうの実にたとえられました 神に選ばれたイスラエルは 本来その実を結ばせるべき存在でした しかし 聖書は次のように語っています エレミヤ書 2:21 わたしは あなたをことごとく純良種の良いぶどうとして植えたのに どうしてあなたは わたしにとって 質の悪い雑種のぶど

イゼベルという女は 商売繁盛のために信仰を妥協するよう しきりに教会の人々に勧めました では これらの背景を踏まえて 学びに入りましょう 今日の聖書個所には 大切なポイントが 5 つあります 1. イエスの描写 (18 節 ) ここでイエスは 燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足のお方だ

sermon

2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

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* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

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マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

いでしょう (1)2 重の質問 1 弟子たちは いくつかのたとえ話とその解き明かしを聞いてきた 2ここでイエスは 弟子たちに考えるチャンスを与えている 3 弟子たちは 奥義としての王国 の性質について考え始める (2) イエスのたとえ話は 弟子たちが想像したものとは大いに異なる 1 種のたとえでは

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

束の地カナンに入ることが許されなかった 9 死を前にして ヨシュアを後継者に任命し 120 歳でモアブのネボ山で死んだ 10 モーセという人は 地上のだれにもまさって非常に謙遜であった ( 民数記 12:3) 11 自分を しもべとして神の家全体のために忠実でした ( ヘフ ル 3:5) 新約聖書に

2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

何度もふるいにかけて 麦の実とごみとを分けるように 信仰が本物かどうかを何度も試される 父なる神さまのお許しのなかで サタンの激しい攻撃が始まる この時 もしかしたら 誰が一番偉いか 誰が一番大きいかという争論で ペテロがやはり一番だろうと 弟子たちもペテロ自身を自他共に思っていたのかも知れません

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

聖書に聞く会 ( 第 2 回 ) マルコによる福音書 1 章 1-8 節 2014 年 5 月 8 日 古本靖久 1 聖歌 60 番 ヨルダンのほとりヨハネはさけべり 2 お祈り 3 テキストの位置 今日の箇所はマルコ福音書のはじめの部分であり この福音書は何について書くのか決定づける所です 特に

テモテ第二 2 章 1-13 節 キリストの兵士 1A 共にする苦しみ 1-7 1B ゆだねる教え 1-2 2B 立派な務め 3-7 2A イエス キリストの福音 B つながれていない御言葉 B 共に生き 死ぬ 本文 テモテへの手紙第二 2 章を見ていきます 私た

あなたへの 聖書メッセージ ヨハネの福音書 3 章 16 節 ヨハネの福音書 3 章 16 節 神は 実に そのひとり子をお与えになったほどに 世を愛された それは御子を信じる者が ひとりとして滅びることなく 永遠のいのちを持つためである この ヨハネ 3 章 16 節のみことばは 聖書 66 巻の

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

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聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

テモテへの手紙第一 5 章 節 指導の任への尊敬 1A 二重の尊敬 A 監督者への監査 B 公正な裁き B 慎重な按手 B 透明性 本文 テモテへの手紙第一 5 章を開いてください 17 節から読んでいきます 私たちは

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2011.6.12 聖霊降臨節 ( ペンテコステ ) 礼拝説教聖霊の象徴 (8) きよめと熱意をもたらす 火 聖書箇所 ; 使徒 2:2 3/ マタイ 3:11/ 詩篇 51 篇 10 節 / レビ記 6:9 Ch. 1 タイトルはじめに 聖霊の象徴についてのメッセージ 最終回は というシンボルで表される聖霊の働きについて考えてみたいと思います 考えるだけでなく に象徴される聖霊の働きが 神の恩寵として 今私たちのうちに働いておられること また働き続けようとしておられることを認めながら いよいよそれを私たちのうちにしてくださいと祈り求めるようになりたいと思います 今朝の礼拝はペンテコステ記念礼拝です ある教会では ペンテコステ礼拝の にはみな い服を来て礼拝するところがあるそうです かなりインパクト強い になるでしょうね キリスト教の三 祭といわれる中で クリスマスとかイースターは 較的知られている ですが ペンテコステとなるとほとんど なに それ ヘンテコステみたいな感じて あまり重きが置かれていません クリスとマスはイエス様の誕 イースターはイエスさまのよみがえり そしてペンテコステは教会の誕 をお祝いする なのです 私は今から 38 年前 東京の練 神の教会で洗礼を受けました 5/21 ペンテコステの礼拝の でした Ch. 2 神の教会のロゴ 私たちの神の教会 (Church Of God in Anderson, Indiana) のロゴには 炎 (fire) が使われています きよめ派 あるいはペンテコステ派といわれる流れには 鳩 の他に を象徴する 炎 のロゴが多く られます 聖書には 御霊を消してはなりません (Ⅰテサロニケ 5:19) とあります 消してはならない ということは 御霊が だからです 聖霊の炎は決して消してはならないのです 神の教会の改 運動の流れをくむ 本の神の教会は いつの間にか が消えてしまっている感があります いに反省しなければならいところです ロゴというのは常にそこにいる 々の共通認識があるところに意味を持っているわけですから 聖霊の働きは実に豊かで多様です Ch. 3 聖霊の 8 つのシンボルここには 8 つのシンボルを挙げていますが実はもっとあるのです これで礼拝では 柔和さを表わす 鳩 から 渇きを癒す 喜びをもたらす ぶどう酒 を取り上げましたが 今朝は 私たちをきよめて ( 純粋なものとする ) 純化させる および神に対する熱意をもたらす について取り上げたいと思います 五旬節 ( ペンテコステ ) の出来事において 初代教会の弟 たちの上に 炎のような分かれた があらわれて ひとりひとりの上にとどまった ( 使徒 2:3) とあります 彼らは聖霊のバプテスマを受け また の 1

バプテスマを受けたことが記されています すでに バプテスマのヨハネが宣教していた時に 私のあとから来られる は あなたがたに聖霊と とのバプテスマをお授けになります 注 ( マタイ 3:11 ルカ 3:16) と語っていました あなたがたに聖霊と とのバプテスマをお授けになりますとは 正確に訳すならば 聖霊によって また によってバプテスマする ということです つまり 聖霊によってバプテスマ を授けられるということは によってパプテスマ を授けられることと同義だということになります イエスが復活されてから 40 間 いろいろなところに現われて 弟 たちに 分が きておられること そしてすでに教えてきた神の国の福 の教えをもう 度復習するかのように教えられました そして 弟 たちに エルサレムを離れないで わたしから聞いた の約束を聞きなさい ヨハネは でパプテスマを授けたが もう間もなく あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです と って 天に帰って かれました 聖霊のバプテスマを受ける 弟 たちをその約束を待ち望んで 祈りに専 していました すると 10 後に 復活してから 50 です このときはユダヤでは 旧約時代における三つの祝祭の つ シャブリオット (50 を意味する ) という祭りーこれは や などの穀物の収穫を感謝するお祭りで 多くのユダヤ がいろいろなところからエルサレムに集まってきていたのです そしてその に イエスの弟 たちがみな つ所に集まっていたその時 Ch. 4 使徒 2:2 4 突然! です 天から 激しい が吹いて来るような響きが起こり 彼らのいた家全体に響き渡ったのです 響きが起こったのは確かですが 激しい が吹いたわけではありせん ような 響きとあります そしてまた 炎のような別れた が現われて ひとりひとりの上にとどまった すると みなが聖霊に満たされ 御霊がはなさせてくださるとおりに 他国のことばで話しだした とあります バプテスマのヨハネが っていたこと つまり 私のあとから来られる は あなたがたに聖霊と とのバプテスマをお授けになります ということがここで実現したのです に象徴される聖霊の働きは これまでの象徴とは異なり という象徴は神の聖性(Holiness) と深くかかわっており 神の本質に抵触するように思います また には 焼く ( 焼き尽くす ) 燃やす 照らす さばく 精錬する きよめる 守りと導き 臨在といった多様なイメージが付加されています それらすべてを取り上げてお話することはできません 今朝は で象徴される聖霊の多様な働きの中から つの働き Ch. 5 つのポイント つは不純物を 精錬してきよめる 働き それと 愛において 神に仕えることにおいて 燃やす ( 熱意を与える ) という働きに焦点を絞ってお話したいと思います 1. 純化させるきよめの としての働き 私たちの信仰 活においては 私たちのうちにある汚れや不義から私たちを浄化し純化させる聖霊の恩寵的な働きがあることを知らなければなりません それはときには痛みと苦しみを伴うものですが 後になると神のきよさを につける者となります これは神の恩寵として神の に与えられる聖霊による聖別の きよめの と えます それは 間の情熱の中にさえ られる不純物を取り除いて 純粋な情熱 神への純化された愛へと整えてくださる聖霊の です 神に従う者にはこうした 聖霊によるバプテスマ また のバプテスマ を受けることを受け れなければなりません 罪からきよめられる となることを求める必要があるのです 2

ダビデは詩篇 51 篇の中で 神よ 私にきよい を造り ( バーラー ) ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください あなたの聖霊を私から取り去らないでください (10 節 ) と嘆願しています そうでなければ 神に背く者たちに 神の道を教えて 彼らが神のもとに帰ることはないからだとしています ダビデという は 分が 咎ある者として まれ 罪ある者 であることを認めていますが この認罪と悔い改めへの導きこそ聖霊の 切な働きです 現代の 預 者である M バジレア シュリンクは 変えられたいあなたに という本の中で 知らず知らずのうちに私たちの内側に侵 し 罪を通して暗やみの砦を築こうとするサタンの働きを発 し 告 して勝利するように呼びかけています 神の御旨は私たちが聖いものとなることです そのために 聖霊は私たちに深くかかわってくださろうとしています ですから 私たちは聖霊に導かれて歩まなければ勝利はありません 私たちの態度や思い のすべての領域において きよめてくださる聖霊の助けが備えられているのです Ch. 6 罪のカタログ (1) 態度の罪無責任 怒り 虚栄 中 正当化 わがまま 権 欲 配欲 迎合 詮索 傲慢 多忙 短気 腹 いらだち 反抗 卑怯 空想 なまぬるさ 無気 など (2) 思いの罪隠し事 思い煩い 嫉妬 憐憫 神経過敏 尊敬の念の 如 貪欲 欲 の関 や認められたいという思い さげすみ 苦々しい思い 落胆 など (3) の罪おしゃべり 論 中傷 への悪 批判 さばき など 以上のリストの中には 罪と思えないものも取り上げています たとえば おしゃべり 詮索すること 空想にふけること 無気 などです シェリンク 史なぜそれが罪なのかをはっきりと説明していますが 本来 私たちが聖霊に導かれて歩むならば 聖霊が教えてくれるはずのものだと えます 預 者イザヤは神殿において神を る経験をしたとき 分のくちびるが汚れていることを されました (6 章 ) それまでも彼は預 者として に対して わざわいだ! と繰り返し叫んでいました(5:8, 11, 18, 20,21,22) しかし彼が神を たときに むしろ 分こそわざわいであること くちびるの汚れた者 であることに気づかされたのです くちびる汚れは 格 その の全存在の汚れと関連があります イザヤは神の聖にふれたときに 分の汚れに気づいたのです 神は 分の汚れに気づいたイザヤに対して 祭壇の上にあった燃えさかる炭をもって彼のくちびるに触れ 彼の不義は取り去られました それから彼の き が変わったのです 別のことばを使うならば きよめられた のです そしてその きよめ のひとつの現われは 神のメッセージを聞いても悟ることのないかたくなな に対して語り続けるという まことに困難な働きに全 涯を費やしたことに ることができます イザヤは 6 章において聖霊のパプテスマ また によるバプテスマを受けたと えます Ch. 7 Ps 66:10,12 詩篇 66 篇の作者が 神よ まことに あなたは私たちを調べ 銀を精錬するように 私たちを練られました 12 私たちは の中を通り の中を通りました しかし あなたは豊かな所へ私たちを 3

連れ出されました (9 節 ) と感謝しているように 精錬 純化させる による きよめ の恵みは聖書全体において ることができますし 神に いられた多くの器はみな のパプテスマを受けています 練られている と訳されたヘブル語は ツァーラフ ר ף ( tsaraph )צ 旧約で 34 回 詩篇では 7 回で す 神にも にも使われますが 練る 精錬する ためす 調べる 試みる といった意味です この動詞が最初に登場するのは 師記 7 章 4 節で 神がミデアン との戦いにおいて神の を選抜しようとして 3 万 2 千の を試されました まず 恐れている者たち 2 万 2 千 を帰らせました さらに を飲む飲み によってためし 結局 3 百 を残しました その 3 百 とは臨戦態勢を常に崩さずに を飲んだ者たちでした 神は 1 パーセントの 3 百 の者たちを いてミデアンの 軍を倒したのでした 主の弟 たちはみな特別な聖霊の精錬を受けた者たちでした 特に 神から特別にためされたペテロがいます 彼は特別に神に愛された者ですが 来の弱さを 分にもっていました そうした彼の弱さに気づかせるための精錬が必要でした 精錬の 程や内容は によって異なりますが その 的はみな同じです 聖書には主の弟 たちを 神の として磨くための の精錬をくぐりぬけることを願っています それによって信仰は試され 純化されるからです ダニエル書の三 の若者 シャデラク メシャク アベデ ネゴーも の中をくぐらせられた話は有名です 彼らはバビロンにおいて有能な 年ユダヤ たちでしたが ネブカデネザル王の建てた の像を拝まないということで の燃える炉の中に投げ込まれようとされます ( ダニエル 3 章 ) しかし彼らは たとえ 神が 分たちを救い出さなくとも偶像の神々に仕えず の像を拝むこともしません と断 しました ネブカデネザル王はこれに怒りを燃やし 炉を普通の七倍に熱くせよと命じ の燃える炉に彼らを投げ込むよう命じました 結果は如何に いことに 三 の 年を炉に れようとした者たちはその 炎に焼け死にましたが 三 の 年は焼け死ぬどころか 炉から出て来た時には 頭の も焦げることなく 上着も以前と変りなく の臭いもしませんでした 彼らは以前にもまして栄える者となりました この話は事実だと信じますが 同時にきわめてメタファー ( 喩 ) 的です なぜならすべては によってためされるからです 使徒ペテロは 信仰の試練は を通して精錬されてもなお朽ちていく よりも尊いのであって イエス キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に るものであることがわかります ( ペテロ第 1:7) と 迫害にあって離散している神の に対して語っています 聖霊は神のよしとされるところと時において私たちを精錬します しかしそれが耐えられないものではないことも主は約束しておられます ペテロの場合には サタンが彼を ( 他の弟 たちも ) ふるいにかけることを神に願って聞き届けられました ( ルカ 22:31) もしこのとき 主がとりなしてくれていなかったらどうなっていたことか サタンは弟 たちをふるいにかけて神から引き離そうとしたのですが その意図は実現しませんでした 主が信仰がなくならないように祈ってくださっておられたからです しかも 主イエスはペテロに だからあなたは ち直ったら 兄弟たちを づけてやりなさい (22:33) とまで われたのです なんと配慮の き届いた主のことばでしょうか そんなことも知らずに ペテロは 分の本当の弱さを知らずにいたのです それゆえにペテロが主を拒み裏切ったとしても それを通して彼は彼のうちにある 壮語という罪から解放され きよめられたのです それ以来 彼は 分だけは 丈夫だ と誇ることをしなくなりました 精錬されて清められたからです 聖霊による浄化 純化の恵みにペテロはあずかったからです 4

私もペテロと同様の罪を犯しました 主を裏切ったのです しかし主のあわれみにすがりついて祈ったとき ルカ 22:32 の主のことばが にしみる経験をいたしました 私もダビデのように祈ります 神よ 私にきよい を造り ( バーラー ) ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください あなたの聖霊を私から取り去らないでください と 2. 霊を燃やし続ける としての働き Ch. 8 つのポイント 第 のことに きましょう 使徒パウロはローマ書 12 章で 主に対する愛に基づく献 の在り を語っていますが その中の 11 節でパウロはこう っています Ch. 9 ローマ 12:11 新改訳 勤勉で怠らず 霊に燃え 主に仕えよ 新共同訳 怠らず励み 霊に燃えて 主に仕えなさい フランシスコ会訳 熱 でたゆまず を燃やし 主に仕え ( なさい ) 岩波訳 熱 さにおいて遅れをとらぬ者( となり ) 霊において熱くなり 主に隷従し 柳 訳 怠ることなく熱 に努め励み 燃える霊をもって主に仕え エマオ訳 熱 の点では 臆することなく 霊に関しては熱く燃え続け 主に仕え続けなさい 霊に燃え 霊に関しては熱く燃え続け という 燃える 熱く燃え続ける と訳されたギリシャ語は ゼオー ζέω で 本来 煮えたぎる 沸騰する 熱烈である 燃えているという意味です ここと使徒 18:25 の 2 箇所に使われています パウロは 霊において熱く燃え続けながら主に仕える ことを進めています 使徒 18:25 では雄弁なアポロが霊に燃えていたが 聖霊のバプテスマについては知りませんでした そこでプリスキラとアクラは彼を招き れて 神の道を 層正確に説明しました すると彼は より強い語調で イエスがキリストであることを聖書によって論証し ユダヤ たちを徹底的に論破したのでした 単に が燃えていても それが正確な知識に裏打ちされていなければなりません 感情と知性 体験と神学のバランスが重要です 感情だけではだめです 体験だけではだめです 知性も神学もなければ 逆に 知性や神学があっても感情や体験が冷めていてはだめです 神に対する あるいは 真理に対する燃えるような思いを持つ必要があります これらはすべて上から与えられなければなりません 同じ 熱意 であっても ねじ曲がった 熱意 というものもあります ねじ曲がった熱意とは妬みのことです 嫉妬 ジェラシーです ユダヤの指導者たちは 初代教会の弟 たちが 勢の 々をいやしているのを て ねたみに燃えて ち上がり 使徒たちを捕らえて留置場に れました そして彼らをむちで打ち イエスの御名によって語ってはならないと い渡したのです ( 使徒 5 章 17, 18, 40 節 ) 神の熱意が起こってくるところでは ねじ曲がった 熱意 というものも ち上がってくるのです なぜなら その背後に神の敵である冷めていてはサタンが妬みを操作しているからです また 武 によってローマと戦おうとした 間的な熱意もあります 使徒の名前が記されている使徒 1:13 には 熱 党員シモン という 物がおります ローマの 先と 働いて利ざやを稼いでいた取税 のマタイと対象的です 5

第 のポイントとリンクしますが 神に対する 熱意 は聖霊の によってきよめられる必要があります パウロも前は間違った熱意をもってキリスト者たちを迫害しました しかし彼が聖霊のバプテスマを受けて 聖霊に満たされたとき 彼の熱意はきよめられ 聖なる熱意と変えられました そのようにして彼は 涯 主に仕えたのでした 神に対する 聖なる熱意 は主の救いの道を教える 場にある者にとってはきわめて 切な賜物です 霊が燃やされるということは聖霊の働きの何ものでもありません 熱意 は電流のように から へ 葉よりもはるかに早く伝わります 周囲に働きかける 熱意 こそ リーダーシップの秘訣と えないでしょうか 熱意はみせかけやまねごとでは 続きしません 神のために打ち込む聖なる熱意は神から与えられた つの賜物です 分の中に 熱意 が まれるとき その に新しい が始まります 熱意 が 分の中に渦巻くとき 新しい 分を発 します 熱意 は私たちの前に横たわる障害物を乗り越えさせるダイナミックな です ですからその 熱意 は燃え続けていなければなりません かつて 旧約の幕屋においては 絶えず は燃え続けていました 祭司に対する神の命令として 全焼のいけにえは 晩中朝まで 祭壇の上の炉床にあるようにし 祭壇の はそこで燃え続けさせなければならない ( レビ記 6:9) とあります 私たちも主の祭司として 分 を全焼のいけにえとして祭壇の上に置いて 聖霊の で絶えず燃え続けさせる者とならなければなりません それは私たちの 的な 間的な頑張りでは続きません しかし聖霊によって 配されるならば 聖霊に満たされ続けていくならば 内なる神への聖なる熱意は燃え続けていくのです 天からの がひとりひとりの上にくだされるように祈りたいと思います 6