大阪インターナショナルチャーチ ダン・ペリー師 2015/8/9

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2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

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2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

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神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

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* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

創世記5 創世記2章4節b~25

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

創世記5 創世記2章4節b~25

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

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2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

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3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

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2017 年 2 月 5 日 ( 日 ) 6 日 ( 月 ) 22 回 イスラエルに対する戦い (2) イスラエルに対する戦い (2) 黙 12:7~17 1. はじめに (1) キリストの再臨の前に何が起こるかを見ている 110 章 ~14 章は 挿入箇所である * 物語の進展はなく 状況の説明が

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2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

牧会の祈り

神学総合演習・聖霊降臨後最終主日                  2005/11/16


牧会の祈り

2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

私自身 OIC に来てまだ 2 年弱です ですから この教会の歴史は少ししか知りません けれども 神は OIC の歴史のすべてをご存じです 創立当時から 神ご自身がこの教会を支えてこられました そして この教会に来た人 去っていった人すべての心をご存じです この 42 年の歴史をとおして 神は OI

2010 年 2 月 21 日 ( 日 ) 22 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 13 出エジ 13 出エジプト記 9 章 13 節 ~10 章 29 節 最後の 3 つの災い 1. 文脈の確認 (1) エジプトに主からの 10 の災いが下る (2)10 の災いの記述は 考え抜

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

いろいろな治療の中で して欲しい事 して欲しくない事がありますか? どこで治療やケアを受けたいですか? Step2 あなたの健康について学びましょう 主治医 かかりつけ医や他の医療従事者にあなたの健康について相談する事も大切です 何らかの持病がある場合には あなたがその病気で将来どうなるか 今後どう

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/4/12

神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

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2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

1 それは キリストにのみ適用される御名である (2) 旧約聖書では 御使いたちは 神の子たち と呼ばれた Job 38:7 そのとき 明けの星々が共に喜び歌い / 神の子たちはみな喜び叫んだ 1 新約聖書では 信者が 神の子たち と呼ばれる ( ヨハ 11:52) 2しかし 御子 ( ヒュイオス

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2012 年 7 月 1 日 ( 日 ) 2 日 ( 月 ) 17 回目 Ⅴ-020~021 バプテスマのヨハネの登場 バプテスマのヨハネの登場 ルカ 3:1~2 マコ 1:2~6 1. はじめに (1) 文脈の確認 1バプテスマのヨハネの誕生 2イエスの誕生 3イエスの幼少期 (2) 今日の箇所は

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2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

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03 Ⅱ-1 配偶者等からの暴力に関する認知度

牧会の祈り

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2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

年 9 月 24 日 / 浪宏友ビジネス縁起観塾 / 法華経の現代的実践シリーズ 部下を育てない 事例甲課乙係のF 係長が年次有給休暇を 三日間連続でとった F 係長が三日も連続で休暇をとるのは珍しいことであった この三日の間 乙係からN 課長のところへ 決裁文書はあがらなかった N

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

さまいイエス様は生きておられる! ふくいんしょしょうふくいんしょしょうふくいんしょマタイによる福音書 28 章とマルコによる福音書 16 章とルカによる福音書 24 章ふくいんしょしょうかはなしさいわヨハネによる福音書 20 章に書かれているお話の再話 しょうと せいしょものがたり ミニ聖書物語 フ

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

最初に 女の子は皆子供のとき 恋愛に興味を持っている 私もいつも恋愛と関係あるアニメを見たり マンガや小説を読んだりしていた そしてその中の一つは日本のアニメやマンガだった 何年間もアニメやマンガを見て 日本人の恋愛について影響を与えられて 様々なイメージができた それに加え インターネットでも色々

失敗がこわいから ルールに反するから 仕事をしてるから 恥ずかしいから 人脈がないから 女だから で ほんとはどうしたいの?名言集 01.indd p11 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:35:42 名言集 01.indd p10 修正時間 2016 年 10 月 13 日 17:

た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ

《 耕地を開拓せよ 》 羽石兄  ‘05

ヘブル人への手紙1章

人には 非日常性が必要です いつもの生活ではなく これは見たことがない 聞いたことがないという意外性 あるいは奇跡と言ってよいでしょう いつも自分のできること していること中で生きているならば 虚しさが残り 死に至ります しかし これまで経験しなかったこと 知り得ないことを知れば そこに命があり 希

CONTENTS

4 伝承によれば 彼はクレテ島のゴルティナで監督となり 94 歳で召されたと言われています では 今日は発信人であるパウロと 受信人であるテトスから学びたいと思います 発信人であるパウロはどのような教訓を与えているか また受信人であるテトスがどういう信仰を送ったか大切なポイント 1. 発信人パウロ

癒しの業と宣教 ( ルカ 4:38~44) 1) ルカ福音書講義 (23) 章 38 イエス 2) は会堂から立ちあがり シモンの家 3) に入った シモンのしゅうとめが 高熱 4) で苦しめられており 彼らは 5) 彼女のことをイエス 6) に願った 39 彼は彼女の枕

Windows10の標準機能だけでデータを完全バックアップする方法 | 【ぱそちき】パソコン初心者に教えたい仕事に役立つPC知識

日常生活での男女の人権に関する調査報告

ヨハネの福音書講解 ヨハネの福音 ヨハネの福音書 21:15~25 1. 愛する 新改訳改訂第 3 版 ヨハネ 21:15 彼らが食事を済ませたとき イエスはシモン ペテロに言われた ヨハネの子シモン あなたは この人たち以上に わたしを愛しますか ペテロはイエスに言った はい 主よ 私があなたを愛

현장 전도를 위한 1단계 전도훈련교재 4

2016 年 12 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 16 回 ラッパの裁き 5 ラッパの裁き 5 黙 9:1~11 1. はじめに (1)6 章から 9 章までの流れ 16 章で 巻き物の封印が解かれる 最初の 6 つの封印 * ここから大患難時代が始まる 27 章は 挿入句である

2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

れています ローマの大火事とネロ皇帝による迫害は ペテロの第一の手紙の読者がまもなく体験することであり ペテロもパウロもそのとき殉教していますので 少し長くなりますが タキトゥスの年代記 15 巻 44 章から読んでみたいと思います しかし 人々のあらゆる努力も 皇帝の多大のほどこしも 神々へのなだ

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

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Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

裁判員制度 についてのアンケート < 調査概要 > 調査方法 : インサーチモニターを対象としたインターネット調査 分析対象者 : 札幌市内在住の20 歳以上男女 調査実施期間 : 2009 年 11 月 10 日 ( 火 )~11 月 11 日 ( 水 ) 有効回答者数 : N=450 全体 45

今日 復活日の聖書日課には三人のマリアが出て来ました 日曜日の朝早く イエスの墓に行った二人のマリア マグダラのマリアともうひとりのマリア さらにもうひとりのマリアがその前に登場していました 旧約聖書 出エジプト記第 15 章 20 節です アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると 他の

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Ⅰ. 管理人の不正の発覚 (1~2 節 ) 1.1 節 a Luk 16:1 イエスは 弟子たちにも こういう話をされた (1) イエスは 弟子たちに話している 1これは 弟子訓練のためのたとえ話である 2 聴衆が誰かを判断することが たとえ話の解釈のために重要である (2) その周りで パリサイ人

マタイ 25 章 14 節 各自に任された財産 1A 神より与えられている財産 1B 創造の源 2B 信仰の量り 2A 清算の時 1B 永遠の報い 2B 報酬の時 3A 求められていること 1B 心のはかりごと 2B 自分の行程 3B 小さな事への忠実 4B 信じる事 本文 マタイによる福音書 25

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大阪インターナショナルチャーチダン ペリー師 2015/8/9 生ける望みへの新生 ペテロ第一 1:1-12 まず背景を少し説明しましょう この手紙は 各地に離散したクリスチャンに向けてペテロが書いたものです そこには 5 つの町の名が挙げられています この手紙は 紀元 64 年ごろに書かれました ペテロの手紙の中で 苦しみや苦難ということばが 15 回も登場します その後 紀元 67 年には ペテロ自身も十字架にかけられました 伝承によると ペテロはイエスのように十字架にかけられました しかし イエスと同じ死に方をする資格が自分にはないと考えたペテロは 十字架をさかさまに立ててほしいと頼んだそうです こうしてペテロは 神を賛美しながら死んでいきました ペテロは ネロによる迫害を受け始めたクリスチャンにこの手紙を書き送りました 皆さん ネロをご存じでしょうか ローマ帝国の皇帝で ひどい人でした 獣と呼ばれたほどです 彼の権力は絶大で クリスチャンをはじめ 多くの人を処刑しました 人を猛獣のえじきにして楽しんだり タールに浸した人を棒にくくりつけて庭に立て 夕方になるとたいまつとして燃やしたりしました それだけでは飽き足りず 人をくいに縛りつけ 自らが猛獣の毛皮を着て 爪に見立てた鋭い刃物を手に付けて 縛られた人を切り裂くこともしました この手紙は 離散した旅人に向けられています つまり 散り散りになってしまった非ユダヤ人のクリスチャンです しかし その内容は現代の私たちにもあてはまります この世でクリスチャンとして生きる私たちも ある意味で旅人です 私たちの国籍はこの世ではなく 天にあります この世は橋だ 賢者はこれを渡るが その上に家は建てない という言葉があります 私たちの永遠の故郷は天国です 一世紀のクリスチャンと同じように 21 世紀に生きる私たちも苦しみを経験するでしょう この手紙は 私たちに勇気を与えてくれます また 神との関係についていくつか大切なことを教えてくれます 正しく理解するために 2 節で三位一体の神が示されていることに注目しましょう 父なる神の予知に従い 御霊の聖めによって イエス キリストに従うように またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ どうか 恵みと平安が あなたがたの上にますます豊かにされますように 父が予知に従って誰が救われるかを選ばれ 御霊がその人たちを聖めます 聖めるとは 罪や悪から取り分けられるという意味です そして 御子であるイエス キリストがいけにえと血の注ぎかけとしてご自身のいのちをささげられました どのようにしてこれらのことが起こるのかについてはもっと詳しくお話することができますが それはまたの機会にしておきましょう 今日のところは 三位一体の神が働いておられるということを覚えておいてください 父が選び 御霊が聖め 子がいけにえとなられました すべては 私たちが神の家族に迎え入れられ 天でとこしえまで過ごす永遠のいのちを受けるためです 3 節は 神が私たちを新しく生まれさせて 生ける望みを持つようにしてくださったと語ります 私たちの主イエス キリストの父なる神がほめたたえられますように 神は ご自分の大きなあわれみのゆえに イエス キリストが死者の中からよみがえられたことによって 私たちを新しく生まれさせて 生ける望みを持つようにしてくださいました 神が与えてくださった新しいいのちです 私たちは 生ける望みを持つようにと生まれ変わりました この望みとは何でしょう 早く涼しくなってほしい のように そうなってほしいと望むことでしょうか この苦労もあと少しで終わってくれるとよいけど といったように 悩みや苦労があって 解決の兆しが見えてきたときに気分が晴れることでしょうか このみことばの望みは それ以上のものです ここで語られる望みは イエスの復活という事実に基づくものです そうだったらいいのにな ではありません これは事実です 聖書がそう語りま 1

す イエスは死んで 死からよみがえりました 数々の証拠がそれを物語ります キリストの十字架の死と埋葬 そして復活を法廷の裁判のように検証したなら それが事実であるとう判決が出るでしょう イエスを見たという目撃証言があります それも数人ではなく数百人の証言です その後 キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました その中の大多数の者は今なお生き残っていますが すでに眠った者もいくらかいます そうであってほしいという理由から 真実でない証言をする人もいるでしょう しかし 偽証する人にプレッシャーを与えたり 殺すと脅したりすると すぐに証言を覆します 一方 イエスの復活の目撃者は 証言の内容を変えたりしませんでした 彼らは拷問を受け ついには殺されましたが 証言は変わりませんでした イエスは生きておられます 彼らは十字架にかけられました この手紙を書いたペテロも逆さ十字架にかけられました 生きたまま火あぶりにされた者もいます 煮えたぎる油に放り込まれたり 皮を剥がれたりしました 多くの観衆の見る前で競技場に入れられ 殺されました それでも 彼らは最後まで イエスが死からよみがえったと証言しつづけました さらに 旧約聖書の預言の数々は イエスがお生まれになる何百年も前に書かれたものですが イエスの復活が真実であることを証言します 皆さん これは真実です 信頼して望みをかけることができる事実です 神はイエスを死からよみがえらされました そして 私たちのことも死からよみがえらせてくださいます 神を信じる者を 神は永遠のいのちへとよみがえらせてくださいます 信じない者は 裁かれます 4 節は イエスの死と復活のおかげで 私たちは永遠に朽ちない資産を天で受け継ぐと語ります また 朽ちることも汚れることも 消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました これはあなたがたのために 天にたくわえられているのです 私の地上の故郷は消えつつあります 私は インディアナ州のウィノナレイクで育ちました 私にとって そこが故郷です けれども 両親が亡くなって以来 私の育った家は 3 度も売りに出されました リフォームが施され すっかり外観も変わりました 何より 両親がもうそこにはいません そこはもはや かつて故郷だった場所に過ぎないのです けれども 天国は永遠です 神の子である私たちには資産があります その資産は消えることはありません 私たちの地上の命は消えつつあります 生きるということは 日々 この命に別れを告げる日に近づいているということです 1 章の後半 24-25 節は 次のように語ります 人はみな草のようで その栄えは みな草の花のようだ 草はしおれ 花は散る しかし 主のことばは とこしえに変わることがない これは 旧約聖書のイザヤ書 40:6-8 の引用です 私たちは草のようです この地上で束の間の命を生きます 美しい花のように開花するかもしれませんが いずれは衰えて死にます しかし 神のことばは永遠に変わりません その神のことばが語ります 神を信じる者には 永遠の命があると 5 節は 神ご自身によって私たちは守られていると語ります あなたがたは 信仰により 神の御力によって守られており 終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです 私たちの資産が神によって天に備えられているだけでなく 私たち自身を神は守ってくださいます 私たちが神のうちにあるなら 守ってくださいます 私は赤ん坊の時から両親に連れられて教会に通っていました それは本当によかったと思っています 不必要な悩みや苦しみから守られました そんな私も 銀行強盗や殺人犯と同様にキリストの赦しを必要とする人間です 教会に幼いころから通っていてよく耳にしたのは イエスを救い主として受け入れることと 良い子でいることでした イエスを受け入れて良い子になる このふたつはセットのようでした それで私は悩みました お父さんの言うことを聞かなかった 誰かに意地悪なことを言ってしまった 人の物を勝手に取ってしまった じゃあ僕は良い子ではないのかな ということは 僕は救われて 2

いないのかな こんなふうに良心の呵責に長年苦しみました けれどもあるとき この個所や これに似たみことばに目が開かれました 私は神に守られているのです 私が良い人かどうかは関係ありません 神が私を神の子としてくださり 神の家族の一員として守ってくださるのです もう悩む必要はありませんでした もちろん神を敬い 神に従おうとしますが もし失敗しても救いを失うことはありません ただ神の御前に出て告白すれば良いのです 罪を犯してしまったら すぐにでも告白したいと私は思っています 同時に 自分の犯した過ちをできるだけ償うことも告白することの一部です 盗ったものを返すとか ひどいことをしてしまった相手には謝罪して赦しを請うなどの行動を起こすのです けれども 失われて再び救われるということではありません 神との良好な関係を取り戻すということです 神は私を神の子として受け入れてくださいました そのことは変わりません 私の息子が何か悪いことをしても 息子を勘当したりしません 役所に行って籍を抜いたりしません 息子は息子です しつけのために 何かを禁止するなど何らかの罰を与える必要があるかもしれません しかし 愛情をもってすることです 息子だから 息子のためを思ってするのです 息子を守るためにできるだけのことをしようと私はします 私たちは信仰をとおして神の力によって守られています ですから 信仰が必要です では 信仰はどこから来るのでしょう 究極的には 信仰も神から来ます 私たちに信仰を与えてくださるのは神です しかし 神の子として私たちにも信仰を育むためにできることがあります 例えば 聖書を読んでみことばに思いを巡らす 毎日祈って神に話しかける 教会に来てともに学び礼拝する 他のクリスチャンと一緒に過ごすなどです 6 節は 私たちが苦しみや悲しみの中で喜ぶと語ります そういうわけで あなたがたは大いに喜んでいます いまは しばらくの間 さまざまの試練の中で 悲しまなければならないのですが 試練と訳された個所が誘惑と訳される場合もありますが 試練のほうが原語のギリシャ語の意味により近いと思われます 8 節は 私たちがことばでは表せない栄光に満ちた喜びをもって喜ぶと語ります あなたがたはイエス キリストを見たことはないけれども愛しており いま見てはいないけれども信じており ことばに尽くすことのできない 栄えに満ちた喜びにおどっています 聖書がいう 喜び とは何でしょう 笑顔があふれるうれしいあたたかい気持ちでしょうか 喜びは 悲しみの反対語と言えるでしょう すべては安泰で 良いことの訪れる兆しがあり 最後にはすべてが正されるという平安と充実感が喜びです うれしいとか 成功とか おもしろいとは違います すべてが良きとなる深い確信と期待です どんなことが起こっても 最後には良くなるという感覚です よく使われる例えですが 生まれてくる赤ん坊を腕に抱く日を楽しみに待つ妊婦のようなものです けれども その前に生みの苦しみを体験しなければなりません 痛みと疲労は相当なものですが 赤ん坊を腕に抱く喜びのために踏ん張ります その痛みを乗り越えれば喜びがやってくると知っているからです クリスチャンにとって この世の人生は生みの苦しみのようなものです 違いは その痛みや苦しみが出産のように一度にやって来るものではなく 一生にわたって少しずつやってくるという点です ローマ人への手紙には 私たちが神の子どもたちの現れを待ち望んでともにうめきともに産みの苦しみをすると語ります 私たちは天国を待ち望み 霊の中でうめいているのです 神が私たちのうちになさっていることがずいぶん後になるまでわからないことがよくあります 神は 人生のあらゆる出来事を用いられます その人がクリスチャンになる前から 神を信じるように導くために あらゆる物事を用いられます 本人が自分はクリスチャンになると知る前から 神は予知によってその人を選び 試練を益のために用いられます 神は私たちの人生のあらゆる出来事を ご自身の栄光のため また私たち自身のために用いられます ですから 私たちは後の喜びに期待することができます つまり 今の苦しみが後になって喜びを生みだすということです 両親が病気の人もいるでしょう 大切な人を亡くした人もいるでし 3

ょう 家庭や職場で大きな悩みを抱えている人もいるでしょう 信仰上や霊的なことで疑問を持っている人もいるかもしれません そのひとつひとつの事柄は 意味もなく起こっているのではありません 私たちの中に神がなさっていることの一部だということをしっかりご承知ください 神は悪いことをもたらすことはなさいませんが すべてのことを用いてご自身のみこころを成就されます ただ 私たちにはそれがよく見えないだけです ジョン バニヤン著の 天路歴程 に 解説者の家を訪れる場面が登場します 解説者は 神がどのように働かれるか主人公が理解できるように手助けします 解説者はクリスチャンという旅人を庭に連れ出します そこには壁の下から炎が燃えていました その炎は人の心になされる神の働きです 悪魔はそこで炎に向かって水をかけています その水とは 悲しみ 誘惑 迫害 苦労などです しかし炎は消えません 悪魔がどれほど水をかけても 炎は燃え続けます どういうことでしょう 解説者はクリスチャンを壁の向こう側に連れていきます そこでは キリストの霊が壁の下に通じる穴に恵みの油を注いでいました 火に油が注がれているおかげで どれほど水がかけられても炎を消すことはできないのです クリスチャンである皆さん 今ここにいる私たちも同じです 今はつらいかもしれません 悪魔や私たちを取り巻く状況が 神の働きという炎に水をかけているかもしれません けれども 神の御霊は壁の向こう側の見えないところで ご自身のお働きに休みなく油を注いでくださっています 10-11 節には いつキリストが苦しみ そののちに続く栄光をお受けになるかについて預言者たちが尋ねたとあります 1:10 この救いについては あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも 熱心に尋ね 細かく調べました 1:11 彼らは 自分たちのうちにおられるキリストの御霊が キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき だれを また どのような時をさして言われたのかを調べたのです 苦しみが栄光に続いているのです これは公式とも言えるでしょう ただの苦しみではなく 義を求める苦しみです ヘブル 12:2 は イエスが十字架とその苦しみを耐えられたのはご自分の前に置かれた喜びのためである このお方に目を向けなさいと教えます これこそ喜びです クリスチャンの皆さん 今苦しんでいますか 今苦しんでいなくても いつか必ず苦しみに遭う時がきます そのときは イエスを見上げましょう イエスが苦しみに耐えられた姿に目を向けましょう 人はクリスチャンになると 新しく生まれ変わります 新しい性質をいただきます 罪の性質ではなく 恵みのもとに生きるのです 神の目には 私たちは純真無垢に映ります イエス キリストの義をまとっているからです イエスが身代わりになってくださったのです 私たちが犯した過ちや悪事を イエスがご自身の過ちとして引き受けてくださいます その罰は死です 神はこの世を美しい完全な場所としてお造りになりました しかし 私たち人類が この世を罪と苦しみと死で満たしてしまいました 神は人を愛しておられます けれども 悪に耐えることはできません 神のご臨在の中に悪は存在できないのです ですから 悪を行った罰は死です イエスは 私たちの犯した悪の責任を負って 私たちの代わりに死なれました 私は先週 実話に基づいた戦争映画を見ました 収容所の捕虜の物語です 捕虜たちは 点検のために外に立たされていました そのとき シャベルがひとつなくなっていると道具担当の監視員が報告しました シャベルを盗んだ者は自ら名乗り出るようにと収容所の所長が言いましたが 誰も名乗り出ません 盗った本人が名乗り出ないのであれば 捕虜全員に罰を与えると所長が言うと ひとりの男性が進み出ました 所長はその男がショベルを盗んだことに憤慨し ショベルで男を殴りました 男性は床に倒れましたが 所長は怒鳴りながら男性を殴りつづけました そのときです 道具担当の監視員が出てきて 間違いでしたと言いました シャベルは揃っていました 数え間違ったのです 殴られた捕虜は一命をとりとめましたが 脊椎損傷で下半身不随になってしまいました 無実の人が 他の人のために苦しみを受けたのです 彼は自らその罪をかぶりました 捕虜の仲間を愛していたからです これは イエスがしてくださったことと似ています ただし 私たちは神の律法を実際に破ってしまいました 悪いことをし 憎しみ 傲慢 嫉妬 憤り 恨み 噂 妬みなどの罪を犯してしまい 4

ました イエスは ご自身のもとに来て赦しを請うすべての人々のために その罰を負ってくださいました そして イエスはご自身の善意と義を与えてくださいます イエスは一度も罪を犯さなかったと聖書は語ります イエスは 父なる神に一度も背きませんでした イエスが代わりになってくださったらどうなるのでしょう 代わりに 神の子という立場が与えられました 私たちはこうして神の子となります もっと知りたい方は ローマ人への手紙 8 章をお読みください キリストのうちにあるなら 私たちは神の子です これは素晴らしいことだったので 預言者たちは待ち望みました しかし これは彼ら自身のためでなく 将来のため 私たちのためであると知らされました 12 節は これについてふたつのことを述べています 彼らは それらのことが 自分たちのためではなく あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました そして今や それらのことは 天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して あなたがたに告げ知らされたのです それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです 神は 栄光に満ちた知恵によって このすべてのことを私たちのために備えてくださいました 昔の預言者たちも私たちのために奉仕してくれました そう考えると とても謙虚な気持ちになります 旧約聖書を読むと 神に仕える人々には神の祝福の御手があったことがわかります とくに ユダヤ民族の上に神の祝福がありました 彼らは神の選びの民でした しかし 神のご計画はそれ以上のものでした 神の御子イエスを全世界の救い主とするために ユダヤ人の女性から生まれさせられました こうして今は 神に選ばれた民は中東に住むユダヤ人だけではなく 世界中にいます 中国 スーダン マレーシア カナダ エジプト ハンガリー 大阪 どこにでもいるのです 12 節は 御使いたちがこれらのことをはっきり見たいと願ったと語ります 神の子であることを当然のことと思わないでください これは特別なことです 皆さんは天使になりたいですか もちろん 天使にはなれません 神は私たちを人間として作ってくださったので 天使になることはありません しかし 少し想像してみてください 天使になれたらすごいと思いませんか 壁をすり抜けたり 誰にも気づかれずに部屋に入ったりできます 物を動かしたり 危険な目に遭っている人を助けたりもできます スーパーマンみたいです 聖書によると 御使いは神に遣わされて仕えます 神に従わなければなりません そのようなすごい力をもってしても 御使いたちが理解できないことがあります 彼らは 救いについてはっきり見たい 知りたいと願います 私たちが罪の中で失われていて 死んで地獄で苦しむ運命にあったのに 神があわれみをもって私たちを救ってくださった話です 御使いにはいろんなものが見え 力を持っていますが 私たちと同じ経験をすることはできません つまり かつて失われていたけれど イエスに救われたという経験です 御使いたちがこれをはっきり見たいと願ったというのは何ともすばらしいことです もしあなたがクリスチャンなら 次のことを覚えていてください 神によってあなたは新しく生まれ変わった 神はあなたのために資産を備えてくださる あなたのために天国に場所を備えておられる 神はあなたを守っておられる この世で苦しんでも 神はご自身の栄光とあなたの益のためにその経験を用いてくださる 最終的には大きな喜びがある 今からそれに期待して喜ぶことができる 神があなたのためにしてくださったことを覚えて感謝しよう あなたがまだクリスチャンでないなら これらのことについて考えてみてください 皆さんにお伝えします これは神の真理です 真理とその力を理解できるように助けてくださいと神に祈りましょう では 祈りましょう まず私が祈って 皆さんが祈る時間を取ります 静かに祈っても 声に出して祈っても どちらでもけっこうです 悩みや疑問 喜びをすべて神のもとに持っていきましょう 5