聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分ま

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創世記5 創世記2章4節b~25

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2011 年 07 月 17 日 ( 日 ) 18 日 ( 月 )29 ローマ人への手紙 8:12~17 聖化の力 ( 聖霊 )(3) 養子の霊 1. はじめに (1) 聖化 に関する 8 回目の学びである 最終回 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は ク

2013 年 3 月 10 日 ( 日 ) 11 日 ( 月 ) 51 回目 Ⅵ-054 山上の垂訓 山上の垂訓 054 マタ 5:1~2 ルカ 6:17~19 1. はじめに (1) 呼び名について 1マタ 5:1~8:1 は 通常 山上の垂訓 ( 説教 ) と呼ばれる 2しかし この名称は 説教

* ユダヤ人の歴史家ヨセフスもまた同じような書き方をしている 5 テオピロは ルカの執筆活動を支援するパトロンであった可能性が高い 6 もしそうなら テオピロはローマ人クリスチャンであったと思われる (2)1~2 節は ルカの福音書の要約である 1 前の書 というのは ルカの福音書 のことである 2

2011年度 牧羊者 第Ⅳ巻

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創世記5 創世記2章4節b~25

2012 年 1 月 22 日 ( 日 ) 23 日 ( 月 )54 ローマ人への手紙 15:4~13 希望から希望へ 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)14:1~15:13 は 雑多な問題を扱っている 1 超道徳

2011 年 06 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )26 ローマ人への手紙 7:14~25 律法からの解放 (3) ロマ書 7 章クリスチャン 1. はじめに (1) 聖化 に関する 5 回目の学びである 1 最大の悲劇は 律法を行うことによって聖化を達成しようとすること 2この理解は

2018 年 5 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) 14 回 ペテロの第 2 のメッセージ (2) ペテロの第 2 のメッセージ (2) 使徒 3:17~26 1. はじめに (1) ペンテコステの日に教会が誕生した 1ペテロの第 1 回目のメッセージにより 3,000 人ほどの人たち

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た 義認 の祝福を述べたものでしょうか しかしこの 1 節は 2 節の頭に なぜなら という言葉があるように 2 節と密接に関連しています ですから 2 節を見て行くことによって 1 節の意味を確かめることができます 2 節が述べていることは何でしょうか それは罪と死の原理からの解放です 私たちが

2019 年 7 月 28 日 ( 日 ) 29 日 ( 月 ) 70 回 12 人の弟子たちの救い 12 人の弟子たちの救い 使徒 19:1~7 1. はじめに (1) 第三次伝道旅行が始まった 1 使 18:23~21:17( 紀元 53 年の春から 56 年の春 ) 2パウロは ひとりで出かけ

(2) ロマ 7:1~6 の要約 1 律法の大原則 * 律法は 人に対して権限を持つ * 律法は 死んだ人には権限を持たない 2 結婚関係の例話 * 夫が生きている間は 結婚の律法によって制約されている * それを破れば 姦淫の女と呼ばれる * 夫が死ねば 結婚の律法から解放される * 再婚しても

1 説 教 聖日礼拝 北浜チャーチ 黒田 禎一郎 2017 年 6 月 4 日 ( 日 ) 主 題 : すべてを感謝しましょう! テキスト :1コロサイ人への手紙 3 章 17 節 はじめに たった一度しかない人生 私たちはどのように生きているでしょうか? 生き方を知っている人は幸いです しかし 多

2017 年 10 月 8 日 ( 日 ) 9 日 ( 月 ) 15 回さらにすぐれた契約 さらにすぐれた契約 ヘブル 8:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし (2) ユダヤ教の 3 つの柱

2 イエスの戒めを守るなら イエスの愛に留まることになる (2) その教えを話した理由は 弟子たちが喜びに満たされるためである 1イエスは 自分が経験している喜びを弟子たちに与えようとしている 2イエスの喜びは 父なる神への従順 ( 喜ばせること ) によって生まれる 3ヘブ 12:2 Heb 12

2011 年 10 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 )42 ローマ人への手紙 11:25~36 拒否の解決 (3) イスラエルの救い 1. はじめに (1)10 月 13 日 ( 木 ) の日没から仮庵の祭りが始まった 1 第 7 の月の 15 日 満月 2 満月を眺めながら イスラエル

で宣教していると非難されないように そういう恐れがあるところでは一切 献金を受 けませんでしたが ピリピ教会との間にその心配はなかったのです このことから見て も いかにパウロと良好な関係にあった教会だったかが分かります さてパウロはこの手紙の執筆時 どこにいたのでしょう この手紙から分かることは

は歯が痛くなるとズキンズキンとして何をしていても繰り返し襲って来る痛みに悩まされますが そのように 絶えず痛みがある と言わずにいられないような痛みを感じ続けていた 一体それはどんな悲しみ 痛みだったのでしょうか それが同胞ユダヤ人の不信仰に関することでした パウロがどんなに同胞 同国人のことを思っ

2000 年は二日です ですからこちらも 遅い! と言えるほど 時は経っていないと言えます もちろん 1000 年イコール一日と言われているのではなく 一日のようだと言われていますので 単純計算できる話ではないのですが 先ほど引用した詩篇 90 篇 4 節では 私たちの時間のはかなさ 些細さという側

に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において 神の霊を満たした (2~3 節 ) (1) ユダ部族のフル その子ウリ その子ベツァルエル 1フルとはモーセの手を両側から支えた 2 人のうちのひとり ( 出 17 章 ) 2フルの孫がベツァルエルである (2) 神の霊を満たした 1 知恵 (wisdom)

よと言っておられます あなたが思っているような安定した生活を送ることはできない 心地よい生活ではない 狐や空の鳥以下の生活であると なぜイエス様ともあろう大先生の生活がこういうものなのでしょう その答えは一言で言えば 私たちのため ということです マルコの福音書 10 章 45 節 : 人の子も 仕

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2017 年 8 月 13 日 ( 日 ) 14 日 ( 月 ) 7 回 第 2 の警告 (2) 第 2 の警告 (2) ヘブル 4:1~13 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と誤

2013 年 3 月 24 日 ( 日 ) 25 日 ( 月 ) 52 回目 Ⅵ-054 八福の教え 八福の教え 054 マタ 5:3~12 ルカ 6:20~26 1. はじめに (1) 文脈の重要性 1 文脈を無視して 山上の垂訓のある言葉を取り出すことが余りにも多い 2イエスは 神の国の福音をも

2 奇跡 3 父 4 聖書 4. メッセージのゴール (1) イエスを誰だと言うか (2) イエスを信じる者の幸いとは何か このメッセージは イエスの業と主張について考えようとするものである Ⅰ. イエスと父は一体である (19~29 節 ) 1. 行動において まことに まことに あなたがたに告げ

このメッセージは メシアの義とパリサイ人の義について学ぼうとするものである Ⅰ. 真の信仰者の特徴 (5:13~16) 1. 地の塩 (13 節 ) あなたがたは 地の塩です もし塩が塩けをなくしたら 何によって塩けをつけるのでしょう もう何の役にも立たず 外に捨てられて 人々に踏みつけられるだけで

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3 仲介者としての祭司たちが存在していた (2) 新約時代の状態 1すべての信者が まことの聖所に入ることができる * 天の聖所で 神の臨在の前に出ることができる 2これは 万人祭司の教えである 3 訳文の比較 こういうわけですから 兄弟たち 私たちは イエスの血によって 大胆にまことの聖所に入るこ

を与えられて 祈りつつ取り組んで行くように導かれる ですから私たちは自分の願い事を一方的に神に祈る祈りはやめて まず聖書を通してまず神を見上げること 御名を賛美することから始めたいのです そのような神への賛美また信仰告白から始まる祈りこそ祝福される祈りの基礎です さて第 2 の祈りは 御国が来ますよ

一 マリヤへの恵みある教会に 何かというと 恵まれた女よ おめでとう と言う人がいました 女性のための聖書のクラスで 誰かが正しい答えを言ったら 恵まれた女よ おめでとう 感謝なことの証しをしたら 恵まれた女よ おめでとう 誰かが牧師に祈ってもらっている姿を見たら 恵まれた女よ おめでとう 彼女はい

良いこと となります ともするとクリスチャンは こう考えやすいかもしれません 私は人がどう考えるかは気にしない 神がどう思われるかだけを心に留める と 確かにそこに真理はあるのですが そのあまり 人々がどう考えるかを顧慮しない傍若無人な態度を取るのが良いのではありません パウロはここで 人々がどう見

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ヘブル人への手紙1章

6ユダヤ人は 人種的 宗教的理由によって サマリヤ人を軽蔑した * ユダヤの格言 私の目が サマリヤ人を見ることがないように 7サマリヤ人も ユダヤ人を軽蔑し 敵対した * ユダヤ人がエルサレムから下ることは許したが 上ることは許さなかった 8 現代もサマリヤ人の子孫たちが存在している ( 千名以下

2012 年 1 月 15 日 ( 日 ) 16 日 ( 月 )53 ローマ人への手紙 14:13~15:3 キリスト者の自由 1. はじめに (1) 文脈の確認 11~8 章が教理 29~11 章がイスラエルの救い 312~16 章が適用 (2)12 章は 基本的には教会内の行動についての勧めであ

2017 年 7 月 16 日 ( 日 ) 17 日 ( 月 ) 3 回 御使いに勝る御子 (2) 御使いに勝る御子 (2) ヘブル 2:1~9 1. はじめに (1) この手紙が書かれた理由を再確認する 1 信仰が後退しつつあった第 2 世代のメシアニック ジューたちへの励まし 2 彼らは 迫害と

Heb 11:7 信仰によって ノアは まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき 恐れかしこんで その家族の救いのために箱舟を造り その箱舟によって 世の罪を定め 信仰による義を相続する者となりました (1) ノアは 神から警告を受けた 1 創 6:17 Gen 6:17 わたしは今 いの

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第二に 聖さを得るために 私たちはすべての人との平和を追い求めなければなりません 私たちの思いの内にある敵対心や闘争心などを放っておかず 平和的に生きるように努めなければなりません へブル書の著者は このことについて 非常に厳しく警告しています 私たちが神の聖さにあずかる者とならない限り 主を見るこ

テモテ第二 2 章 1-13 節 キリストの兵士 1A 共にする苦しみ 1-7 1B ゆだねる教え 1-2 2B 立派な務め 3-7 2A イエス キリストの福音 B つながれていない御言葉 B 共に生き 死ぬ 本文 テモテへの手紙第二 2 章を見ていきます 私た

2012 年 2 月 26 日 ( 日 ) 27 日 ( 月 )59 ローマ人への手紙総まとめ 総まとめ 1. はじめに (1) 執筆の意図 1 使徒としての使命 * 所々 かなり大胆に書いた (15:15) 2 使徒としての奉仕の原則 * 他人の土台の上に建てない (15:20) * これまで ロ

2017 年 7 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 1 回 ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル人への手紙のテーマ ヘブル 1:1~3 1. はじめに (1) 著者 1いくつかの名が上げられてきた * パウロ * ルカ ( パウロがヘブル語で書いたものを ルカがギリシア語に翻訳した ) * バ

牧会の祈り

牧会の祈り

このメッセージは 父なる神について考えようとするものである Ⅰ. 聖書が使用する比喩的言葉 1. 神という言葉について (1) ヘブル語でエロヒム ( エル ) ギリシア語でセオス 1 普通名詞 神々を指す言葉である 2 日本語の神も 多くの神々を指す言葉である 3 聖書の神は どういう神かを示す必

07/06/17  礼拝メッセージ  近藤修司 牧師

2 神はイスラエルをぶどうの木 ぶどうの実にたとえられました 神に選ばれたイスラエルは 本来その実を結ばせるべき存在でした しかし 聖書は次のように語っています エレミヤ書 2:21 わたしは あなたをことごとく純良種の良いぶどうとして植えたのに どうしてあなたは わたしにとって 質の悪い雑種のぶど

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名称未設定-2

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2010 年 4 月 18 日 ( 日 ) 19 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京出エジプト記 19 出エジ 19 出エジプト記 14 章 15 節 ~15 章 21 節 紅海を渡る 1. 文脈の確認 (1) イスラエルの民は 430 年後にエジプトを脱出した (2) エジプト脱出の記録は

Rev 7:1 この後 私は見た 四人の御使いが地の四隅に立って 地の四方の風を堅く押さえ 地にも海にもどんな木にも 吹きつけないようにしていた (1) この後 私は見た 1 物事の時間的流れではなく ヨハネが見た幻の順番を示している 2この幻は 神の裁きが迫っていることを示唆している 3 地の四方

2017 年 6 月 11 日 ( 日 ) 12 日 ( 月 ) 39 回 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 新しいエルサレムの特徴 ( 後半 ) 黙 22:1~5 1. はじめに (1) 旧約聖書の預言のハイライトは メシア的王国である 1 黙示 20 章は メシア的王国が千年で終わることを啓

2016 年 2 月 14 日川越教会 すべての民と共に 加藤享 [ 聖書 ] ローマの信徒への手紙 15 章 7~13 節だから 神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように あなたがたも互いに相手を受け入れなさい わたしは言う キリストは神の真実を現すために 割礼ある者たちに

                 

牧会の祈り

HからのつながりH J Hでは 欧米 という言葉が二回も出てきた Jではヨーロッパのことが書いてあったので Hにつながる 内開き 外開き 内開きのドアというのが 前の問題になっているから Hで欧米は内に開くと説明しているのに Jで内開きのドアのよさを説明 Hに続いて内開きのドアのよさを説明している

イエスさまの公的な活動は 2 年から 3 年と言われます その短い時間の中で人々に与えた影響は 考えられないほど大きいものでした ここに今日 わたしたちが集まって礼拝しているのも そのせいです けれどもその 2 年ないし 3 年のイエスさまの活動はずっと順調であったわけではありません イエスを愛し慕

た私の霊が住んでいる大事な住居として用いるようにされており 私であるという強い自意識を持ちながら からだも心も性格もあらゆる特徴も 私らしさという特質を持った者として生かされているのです * それは 後に与えられると言われている霊のからだ 朽ちないからだと表現されている 天に属するよみがえりのからだ

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神殿とは 神の住まいです 自分の中に神が住まわれたということが救いであり このよ うにしてイエス様とつながっているから イエス キリストを知ることができるようになる のです 神とのつながりを断ち切ることはできない わたしは彼らに永遠のいのちを与えます 彼らは決して滅びることがなく また だれ もわた

としたこと それに対してイエスは 今は 止めないでほしい 正しい ことをすべて行うのは 我々にふさわしいことです ( マタイ 3 15) と 言って ヨハネから洗礼をお受けになったと伝えています しかしマルコ福音書は そういうことは何も伝えていません イエス は ユダヤの全地方から集まって来た大勢の

* ペリシテ人の古代都市ガザは 前 93 年に破壊され 前 57 年に再建された * この道路は ガザの遺跡を通過し 新ガザに至る荒野の道である 5 ピリポは その命令に従順に従った 2.27b~28 節 Act 8:27b すると そこに エチオピヤ人の女王カンダケの高官で 女王の財産全部を管理し

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* ダニエル書 3 捕囚期後 (3) * ハガイ書 * ゼカリヤ書 * マラキ書 (5) 預言者たちが語ったメッセージの要約 1 神の主権と聖なるご性質 2 契約の民イスラエルの不従順の罪 3 悔い改めへの招き 4 迫り来る神の裁きと捕囚 5イスラエルの民を攻撃する周辺国への裁き 6 捕囚からのレム

1:14 ことばは人となって 私たちの間に住まわれた 私たちはこの方の栄光を見た 父のみもとから来られた ひとり子としての栄光である この方は恵みとまことに満ちておられた 今日はこの後 神が人となってくださったことについて考えたいと思いますが まずこの聖句にある 住まわ れた について ご一緒に考え

B2 神はどのようなお方か 1Chro.29:10-12 Dt.10:12-13 Ps.95:1-7 B3 イエス キリストはどのようなお方か John.14:8-10 Mk.6:31-56 John.10:30-33 Heb.2: John.4:2-3 2John.7-10 B4 三位

らしめ ということばが使われています 箴言 13:24 むちを控える者はその子を憎む者である 子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる また箴言 22:15 愚かさは子どもの心につながれている 懲らしめの杖がこれを断ち切る また申命記 8:5 あなたは 人がその子を訓練するように あなたの神 主 があ

2016 年 10 月 2 日 ( 日 ) 3 日 ( 月 ) 7 回 フィラデルフィアの教会 フィラデルフィアにある教会 黙 3:7~13 1. はじめに (1) 黙示録の 3 区分 1 黙 1:19 は 黙示録を 3 区分している Rev 1:19 そこで あなたの見た事 今ある事 この後に起こ

From the Pulpit of the Japanese Baptist Church of North Texas July 8, 2018 信仰の勇者 ギデオン士師記 7:1-7 7:1 さてエルバアルと呼ばれるギデオンおよび彼と共にいたすべての民は朝早く起き ハロデの泉のほとりに陣を取っ

  聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

裁きます けれども 実は自分たち自身も その基準には到達できていないのです これが偽善の始まりです 律法主義に陥ると 相手をこき下ろし けれども こき下ろしている基準に自分自身が満ちていないことが起こります 高らかに主張している人ほど 実はその教えを行なっていないという問題が起こるのです パウロは

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

Derek Prince Ministries Asia-Pacific THE TEACHING LEGACY OF DEREK PRINCE MINISTRIES ARCHIVE The Battlefield of the Mind - Derek

れているのは お与えになる神 神は 与える ことをご自身の特性とされる神です また 惜しげなく 神は与える際 どうしようか やっぱりやめておこうか 少し出し惜しみしようか などとは考えない この言葉は 8 節に出てくる 二心 と反対の意味の言葉です すなわち心が二つに別れていない 神は私たちに対して

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2 イエスは大胆に わたしは道です と言われました イエスが歩まれた道です イエスが示された道です 正しく この人を見よ! です それが聖書の教えです 私たちはこの一年間 幸いなみ言葉を心に覚えて進みたいと願います 今日は この年間聖句から次の2 点を考えてみましょう 大切なポイント 1. 勝利者イ

礼拝の恵み 牧師チャールズ フレドリクソン どうして クリスチャンは日曜日に礼拝するの? 多くのクリスチャンやまだクリスチャンではない人たちも この疑問を持っています そもそも 聖書時代には 今日でもそうなのですが 安息日を守るという律法がありました 安息日は 金曜日の夜から土曜日の日没までの一日で

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2008 年 7 月 27 日 ( 日 ) 28 日 ( 月 ) ハーベストフォーラム東京創世記 8 創世記 8 創世記 3 章 14 節 ~24 節 アダム契約 イントロ : 1. 前回までの復習 (1) 創世記には 11 の区分 ( トルドット ) がある (2) 第 1のトルドットには 人類の

大阪インターナショナルチャーチ アリステア・マッケナ師 2015/6/28

Taro .01元旦礼拝

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2014 年 10 月 7 日 ( 火 ) 60 分で分かる創世記 60 分で分かる創世記 1. はじめに (1) 60 分で分かる〇〇 のシリーズを開始する 11 節 1 節の解説も重要であるが 鳥瞰図的な理解も必要である 2その場合重要なのは センス オブ プロポーション である (2) 創世記

(1) 神殿の聖所と至聖所を分ける幕である 1 長さが約 18 メートル 厚さが約 10 センチ 2この幕の内側に入れたのは 大祭司だけである それも年に一度だけ 3 大祭司 アロンの家系 ケハテ氏族 レビ族 イスラエルの民 全人類 (2) この幕が 上から下まで真っ二つに裂けた 1 神の御手がこれ

2. アウトライン (1) 過去の回顧 (1~4 章 ) (2) 律法の解説 (5~26 章 ) (3) 未来の展望 (27~30 章 ) (4) 指導者の交代 (31~34 章 ) 3. 結論 (1) 律法の本質 (2) イスラエルの将来 (3) 申命記とイエスの教え 申命記を通して イエスの教え

聖 書 へブル12:11,12 (第41講)

2018 年 2 月 4 日 ( 日 ) 5 日 ( 月 ) 29 回 善行の勧めと信仰上の勧め 善行の勧めと信仰上の勧め ヘブル 13:1~17 1. はじめに (1) この手紙は ユダヤ教への回帰を考えていた第 2 世代のメシアニック ジューたちを励ますために書かれた 1 教理的学び 2 学んだ

4 伝承によれば 彼はクレテ島のゴルティナで監督となり 94 歳で召されたと言われています では 今日は発信人であるパウロと 受信人であるテトスから学びたいと思います 発信人であるパウロはどのような教訓を与えているか また受信人であるテトスがどういう信仰を送ったか大切なポイント 1. 発信人パウロ

ヨハネの手紙講解 神のあかし ヨハネの手紙第一 5:1~21 1. 油注がれた者 新改訳改訂第 3 版 Ⅰヨハネ 5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも 神によって生まれたのです 生んでくださった方を愛する者はだれでも その方によって生まれた者をも愛します イエスがキリストであると信じる

たと聞いて 一緒に集まった 22:35 そして彼らのうちの一人の律法の専門家がイエスを試そうと尋ねた 私が救われるためにどうしたらいいの 教えて -- そういう気持ちがなかったんです 22:36 先生 これも偽善的な態度でした 先生と言う時 結局教えてください どうしたらいいの 知らせて けれどそう

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聖書 : ピリピ 3:1~3 説教題 : 神の御霊による礼拝 日時 :2017 年 2 月 26 日 ( 朝拝 ) ピリピ人への手紙第 3 章に入ります この手紙は全部で 4 章からなっていますので 今日から後半部に入ることになります パウロは 最後に 私の兄弟たち と始めます この手紙はまだ半分までしか来ていないのに なぜパウロは 最後に と言ったのでしょうか 注解書を見ると パウロはここで手紙を結ぼうとしたが 急に書くべきことが頭に思い浮かんだのでもう少し続けたのではないかなどといった意見が紹介されています しかしここで 最後に と訳された言葉は必ずしも もう終わります ということを意味しないようです Ⅰテサロニケ 4 章 1 節にも 終わりに 兄弟たちよ というパウロの言葉があり そこでも同じギリシャ語が使われています そちらの手紙でも 終わりに と言いながら それから丸々 2 章も書いています そのようにこの言葉は話を次に移行する際にも使い得る言葉のようです そうしてパウロが語っていることは 主にあって喜びなさい ということです このピリピ人への手紙は 喜び で特徴づけられる手紙であることをこれまでも見て来ました そのテーマがまたここに出て来ています そしてここで初めて 主にあって喜びなさい という表現が出て来ています もちろんこのことは これまで見て来た喜びは主にある喜びとは違うという意味ではありませんが パウロはいよいよ 主にあって喜ぶ ことについて語って行こうとしているということでしょう 主にあって という言葉はギリシャ語では エン クリスト - 英語では イン クライスト になりますが これは信者がキリストと神秘的な仕方で結合していることを指す表現です ぶどうの木と枝が一つにつながっているように 私たちはキリストというまことの木につながり キリストと同じいのち 特にキリストが十字架を経て勝ち取った復活の祝福のいのちにあずかっています 果たして私たちは自分の喜びをどこに見出しているでしょうか ともすると私たちの喜びは周りの状況に依存しているものです 良いことが起これば喜べるが そうでなければ喜べない 健康に自信が持てれば喜ぶが そうでなければ喜べない 収入があって経済的に恵まれれば喜ぶが そうでなければ喜べない すべては周りの状況次第 受身的に考えていないでしょうか しかしパウロは 喜びなさい と命じています すなわち私たちが喜ぶためには私たちにすべき

ことがある それはどういうことなのでしょうか それが 主にあって ということです すなわち自分が主とどんな関係にあるかを良く知ることによって 自分が結ばれている主を益々良く知り その主との生ける交わりに歩むことによって この方にあって自分の将来にはどんな祝福が用意されているかを見つめることによって そのようにして私たちはどんな状況でも喜ぶことができる これまでも見ましたように私たちにとってのチャレンジは パウロがローマの獄中からこのメッセージを語っているということでしょう 普通に考えたら最も喜べない人であるはずなのに 皆から哀れまれてもおかしくない状態にあるのに パウロは牢屋の外にいる私たちに向かって 主にあって喜びなさい! と励ましている それは彼がその環境でも この祝福に生き生きと生きていたからに他なりません 彼はその際 前と同じことを書きますが と言います これから彼が述べることは ピリピ人たちがこれまでも聞いたことがあったことなのでしょう パウロがピリピにいた時だったかもしれませんし あるいは別の機会に何らかの手紙を通してだったかもしれません もしかするとピリピ人の中からは パウロ先生 そのことは前に聞きましたよ だからもうそのことで先生を煩わせることはありませんよ という反応が返ってくることをパウロは予想したのでしょう そこで彼は これは私には少しも煩わしいことではないと言います むしろ繰り返しこのことを語ることはあなたがたの安全のためになることなのだと言います そのために骨折っているパウロです そこまでして語ってくれるパウロのメッセージなのですから ピリピ人たちも また私たちも良く耳を傾け これを心に留めなければなりません さてそうしてパウロが述べているのは 気をつけてください ということです 2 節には 3 回もこの言葉が繰り返して使われています 犬 に気をつけて 悪い働き人 に気をつけて 肉体だけの割礼の者 に気をつけてと これはいわゆるユダヤ主義者たちのことであったと考えられます 聖書を見ると この人々がパウロの福音に色々と反対したことが分かります 彼らの主張はイエス キリストを信じるだけでは不十分であって 正式な神の民になるには割礼を受けなければならない ユダヤ人に帰化しなければならない そして様々な律法の儀式を守らなければならないとするものでした 使徒の働き 15 章 1 節に その人たちの主張が出て来ます ある人々がユダヤから下って来てこう教えていました モーセの慣習に従って割礼を受けなければ あなたがたは救われない と パウロはこの人々に注意せよ! と言っています 言い換えれば この

人たちの主張に流されてしまったら 主にあって喜ぶ 祝福に生きることはできないと いうことです 主にあって喜ぶためにはこの人たちに気をつけ この人たちの教えに従 わないようにしなければならない パウロはそのために 驚くべき仕方で彼らのことを表現しています 3 通りの表現がここにあります 一つ目は 犬に気をつけて 今日 犬はペットとして可愛がられ 愛すべき存在とされていますが 聖書時代はそうでなかったことが聖書の言葉から分かります 彼らは 夕べには帰って来て 犬のようにほえ 町をうろつき回る ( 詩篇 59 篇 6 節 ) 犬は自分の吐いた物に戻る (Ⅱペテロ 2 章 22 節 ) 犬は通りで吠え ごみをあさって食べる たちの悪い動物 不浄な動物とされていました しかしパウロはここでユダヤ主義者たちのことを逆に 犬 と呼んでいます つまり彼らの方が霊的な異邦人である 神の民ではない その 犬 に気をつけて! と言っています 二つ目は 悪い働き人に気をつけて ユダヤ主義者たちは誤った熱心によって相当活発に活動したようです ガラテヤ人への手紙からもそのことが分かります そこでは あなたがたをかき乱す者たちがいて キリストの福音を変えてしまおうとしている と言われています その彼らの活動によってガラテヤ諸教会が急速に別の教えに移って行こうとしていることにパウロが相当な危機感を抱いたことが記されています そういう見過ごせない悪影響を与える人々であるということです そして三つ目に 肉体だけの割礼の者 とあります 原文ではここでカタトメーというギリシャ語が使われています これは 切り取る という意味の言葉で 次の 3 節に出て来る 割礼 ペリトメーという言葉とは違う言葉です つまりパウロはユダヤ主義者たちの割礼は割礼ではないと言っているのです 日本語訳では 割礼 という言葉が入っていますが パウロはその言葉は使っていないのです 彼らはただ肉体を切り刻んでいるだけである そういう彼らに気をつけよ! と言うのです そう述べた上でパウロは 3 節で 私たちの方こそ 割礼の者なのです と言います パウロが問題にしているのは 一体どちらが真の意味での神の民なのかということです 割礼の者 とは ここでは 神の民 ということと同じです 一見 旧約時代と同じように ユダヤ人として生まれ 割礼のしるしを身に帯び 様々な律法や神殿儀式を守る者が神の民であると思うかもしれません しかし聖書は 外見上のユダヤ人がユダヤ

人なのではなく 外見上のからだの割礼が割礼なのではない と言っています また 信仰による人々こそアブラハムの子孫 であること そしてアブラハムへの祝福はキリストにあって異邦人に及ぶようにと計画されていたので 神はアブラハムに あなたによってすべての国民が祝福される と前もって告げておられたと言われています この御心に従ってキリストを信じ キリストにこそより頼む者が真の神の民 割礼の者なのだとパウロは言っているのです このような真の割礼の者 神の民の特徴をパウロは 3 節で三つ述べています 一つ目は 神の御霊によって礼拝し 聖霊は旧約時代から メシヤの時代の祝福 として語られて来ました それは確かにイエス様が地上に来られたことを通してもたらされました この言葉と関係が深いのはヨハネの福音書 4 章 21~24 節のイエス様の言葉です イエス様はサマリヤの女にこう言われました わたしの言うことを信じなさい あなたがたが父を礼拝するのは この山でもなく エルサレムでもない そういう時が来ます そして言われました 真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます 今がその時です 父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです 神は霊ですから 神を礼拝する者は 霊とまことによって礼拝しなければなりません ここでの 霊 とは聖霊のことです つまり聖霊によって神を親しく礼拝する時が来る そしてイエス様は十字架と復活を成し遂げて天に昇り ペンテコステの日に天から聖霊を注がれました まさにこの祝福にあずかって 霊によって すなわち神の御霊によって礼拝するという恵みに私たちは生かされています このように聞いても私たちはピンと来ないかも知れません その実感が湧かないと言う人もいるかもしれません しかし聖書によれば御霊から離れたクリスチャン生活は存在しません もし私たちがイエス キリストを救い主として認め 信じ そのことで神をあがめているなら それは神の御霊によると言っています ローマ書 5 章 5 節には 私たちに与えられた聖霊によって 神の愛が私たちの心に注がれている という御言葉があります もし私たちが神の愛を心に感じ 神を賛美し 礼拝しているなら それは聖霊によるのです あるいはローマ書 8 章 15 節に 私たちは御霊によって アバ 父 と呼びます とあります もし私たちがビクビクしながら神に近づくのではなく 神は今や私の父であると信じ 天のお父様 と心から確信して祈れるなら それは神の御霊によると言われています 聖書には私たちに対する御霊の働きのことがたくさん書かれています それらを良く考えて行けば 問題は私たちが聖霊の働きに鈍感で聖霊に正

しく感謝していないことにあるのであって 実は私たちは聖霊によるとてつもない恵み の中に生かされていることが分かって来ます 真の神の民の二つ目の特徴は キリスト イエスを誇る ということです 一つ目に御霊の祝福のことが言われましたが 神の御霊に導かれる神の民はキリスト イエスを誇るのです 時々 聖霊を強調する人々の中には不思議なこと 特別な体験ばかりを強調して キリスト イエスを誇るのではなく かえって自分を誇る人たちである場合がありますが それは正しくないということです イエス様は 御霊はわたしの栄光を現わします と言われました 聖霊に導かれる人は益々キリストの素晴らしさが分かり キリストこそを賛美する人です そして神の民の三つ目の特徴は 人間的なものを頼みにしない ということです これは今の裏返しです 自分がどんな生まれであるとか どんな能力を持っているとか どんな業績を上げたとか 社会からどんなに認められた地位にあるかということを頼みにしない ただ全くイエス キリストを誇り イエス キリストにこそより頼む人です 果たして私たちはどうでしょうか 今日 私たちの目の前に文字通りのユダヤ主義者たちがいるわけではないでしょう しかし今日も イエス キリストだけでは不十分であって そこに他の何かを付け加えることが必要だとするメッセージは様々な形を変えて存在するのではないでしょうか そうして私たちの心の目をイエス キリストからいくらかでもそらせ ついには引き離してしまおうとする働きがあるのではないでしょうか あるいは私たち自身の中にも 主にある ということだけでは不十分であって もっと他のところに私の喜びの土台を見つけるためにさ迷い出ようとする傾向があるのではないでしょうか そのために 獄中のパウロが持っているような喜びを十分に知らない状態にあるということがあるのではないでしょうか パウロは 主にあって喜びなさい と言っています 主との結合関係にあるということの内に私たちのすべての喜びがあると言っています パウロはそのことを続く 4 節以降で 自分自身のあかしを通して語ってくれます その言葉に聞きながら 私たちも自分の喜びはどこにあるのか どこに求めるべきかをもう一度良く考えたいと思います そして神の御霊によって礼拝し キリスト イエスを誇り 人間的なものを頼みとしない真の割礼の者 神の民の祝福に歩みたいと思います