年報31号-リスボン条約とEUの課題

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5. 文書類に関する要求事項はどのように変わりましたか? 文書化された手順に関する特定の記述はなくなりました プロセスの運用を支援するための文書化した情報を維持し これらのプロセスが計画通りに実行されたと確信するために必要な文書化した情報を保持することは 組織の責任です 必要な文書類の程度は 事業の

法第 20 条は, 有期契約労働者の労働条件が期間の定めがあることにより無期契約労働者の労働条件と相違する場合, その相違は, 職務の内容 ( 労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度をいう 以下同じ ), 当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して, 有期契約労働者にとって不合

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課題研究の進め方 これは,10 年経験者研修講座の各教科の課題研究の研修で使っている資料をまとめたものです 課題研究の進め方 と 課題研究報告書の書き方 について, 教科を限定せずに一般的に紹介してありますので, 校内研修などにご活用ください

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習う ということで 教育を受ける側の 意味合いになると思います また 教育者とした場合 その構造は 義 ( 案 ) では この考え方に基づき 教える ことと学ぶことはダイナミックな相互作用 と捉えています 教育する 者 となると思います 看護学教育の定義を これに当てはめると 教授学習過程する者 と

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Ⅲ コース等で区分した雇用管理を行うに当たって留意すべき事項 ( 指針 3) コース別雇用管理 とは?? 雇用する労働者について 労働者の職種 資格等に基づき複数のコースを設定し コースごとに異なる配置 昇進 教育訓練等の雇用管理を行うシステムをいいます ( 例 ) 総合職や一般職等のコースを設定し

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日本 EU 学会年報 第 31 号,pp. 102-126 平成 23 年 リスボン条約における社会的市場経済の適用 EU の経済秩序に関するオルド自由主義からの考察 黒川洋行 はじめに 2007 年 12 月に調印されたリスボン条約においては, 社会的市場経済 という概念的用語が EU の目的としてはじめて明記された (EU 条約第 条 項 ) しかしながら, リスボン条約上には, 社会的市場経済の定義が明記されていない そのため, 社会的市場経済の概念がもつ抽象性が, 今後さまざまな解釈をめぐる議論を惹起することも予想される そこで, 本稿では, これまで戦後一貫してドイツにおける経済秩序の基本理念であった社会的市場経済の本源的な定義および理論構造について, その考案者であるアルフレート ミュラー = アルマックの言説に立ち返って明らかにしたい その上で, それがいかにしてリスボン条約体制下の EU の経済秩序に位置づけられるかについて, オルド自由主義による秩序政策理論の見地から規範的に分析することとしたい. 社会的市場経済とは何か ⑴ ドイツ経済政策の根本原理としての理念社会的市場経済 (Soziale Marktwirtschaft : social market economy) は, 今日に 102

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) 至るまで戦後ドイツにおける経済政策のあり方を根本的に規定してきた経済理念であり経済秩序理論である ) この概念は, アルフレート ミュラー = アルマック (Alfred Müller-Armack) が1946 年に執筆し1947 年に刊行した論文 経済操舵と市場経済 ( Wirtschaftslenkung und Marktwirtschaft ) において歴史上初めて登場し, 当時のルートヴィヒ エアハルト連邦経済大臣 ( 後に連邦首相 ) によって実際の経済政策運営に採用されるとともに国内外に広く啓蒙された この社会的市場経済の概念は, 今日ではすべての政治的スペクトルにわたって, 経済システムを議論する際のキーワードともなっており, 同時に, さまざまに異なるニュアンスの意味付けにおいて使用される用語でもある それゆえ, 本稿では, まず社会的市場経済の提唱者であるミュラー = アルマック自身による本源的な定義と理論的構成について明らかにすることとしたい ⑵ 社会的市場経済の定義と政策アルフレート ミュラー = アルマックは, 社会的市場経済の定義について次のとおり述べている 社会的市場経済の概念は, つの秩序政策的な理念として定義することができる その目的とは, 競争経済という基盤の上に, 自由なイニシアティブと, 市場経済の遂行を通じて保障される社会的進歩とを結びつけることにある ) すなわち, 社会的市場経済とは, 市場経済という競争秩序の制度的基盤の上に, 個人の自由と社会的公正 安全という つの価値を総合させる経済秩序理論である また, 実際の用法としては, その理論から帰結される具体的な経済政策あるいは経済の状態をさして用いられる場合もある 社会的市場経済の理論においては, 自由な競争秩序 (freie Wettbewerbsordnung) を確立するために, 国家 ( 政府 ) の市場介入による役割を是認する それは, 第 に, 市場経済が健全に機能するような競争秩序の法的 制度的枠組みを確立 維持するための秩序政策的な役割をさす これは, 政府による秩序政策 (Ordnungspolitik) により実現される この秩序政策には, 競争秩序を実 103

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月現するための法的規制の制定ならびに狭義の経済 社会政策による市場介入が含まれる 第 に, 経過政策 (Prozeßpolitik) とは, ケインズ的な裁量的経済政策をさし, 市場活動に対する政府の直接的介入を意味する この経過政策については, 秩序政策に内包されている狭義の経済政策とは区別されるが, 景気政策として補完的にその援用が是認されている いずれにせよ, 政府が市場介入する場合には, それが 市場適応性原則 (Marktkonformitätsprinzip) に従って, できるだけ市場活動本来の機能に沿うかたちで実施されなければならない このように, 市場を通じた個人の自由なイニシアティブの発揮に最大のねらいを置くと同時に, 健全な市場経済システムの構築と維持および社会的目的を実現する政策主体としての政府の役割に重要性を認めるところが, この秩序政策理論の最大の特徴であるといってよい ⑶ オルド自由主義の系譜社会的市場経済は, 上述のとおり, 政府の役割を是認している点において, 19 世紀以来のいわゆるレッセ フェールによる自由放任主義に基づく市場経済とは明らかに異なる概念である なぜなら, それは, 自由放任主義への批判とそれに対する反応から生まれた新しい市場経済理論として考案されたからである したがって, 社会的市場経済は, このようなヨーロッパの新自由主義 ( ネオリベラリズム ) の つとして位置づけられる こうした新自由主義の代表として, ヴァルター オイケン (Walter Eucken), フランツ ベーム (Franz Böhm) らのフライブルク学派によるオルド自由主義 (Ordoliberalismus ) ) があるが, ミュラー = アルマックの社会的市場経済は, このオルド自由主義の秩序政策理論の影響を強く受けているため, オルドリベラルの系譜にあるとも位置付けられる ⑷ 社会的市場経済は混合経済体制ではない社会的市場経済は, 決して社会主義的な意味合いを含んだ概念ではない な 104

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) ぜなら, この概念は, オルド自由主義と同様に, 生産手段の私有制をその重要な構成要素としており, また中央管理経済 ( 計画経済 ) を全面的に否定しているからである ミュラー = アルマックは, リベラルな人間と社会主義者たちとの間では, 追求されるべき目標, すなわち十分な財貨の供給, 社会的安全, 人間の尊厳の保障については一致をみているが, こうした目標を達成するための手段の選択, すなわち計画経済か市場経済かという選択において, 決定的な対立があると述べている ) かれはリベラルの立場から, 自由とは, 真の業績競争なしには考えることができない 多くの人間がそれを前にして尻込みするし, 社会的公正の理想を社会的安全の理想にすり替えようとする 扶助の理想が能力の理想を押しのけるのだ これは, われわれから見れば, 人間から自らが持つべき経済の責任を取りあげ, 集団的な安全によってそれに置き換えようとする多くの社会主義的試みの根拠として映る と述べている ) また, 社会的市場経済は 第三の道 と呼ばれる場合もあるが, エアハルトは, 第三の道という言葉を使うことを嫌ったといわれる ) なぜなら, それがあたかも市場経済秩序と計画経済秩序の中間に位置するような混合経済体制を連想させるイメージを与えてしまうため, 社会的市場経済の理念が誤って理解されてしまうおそれがあると考えていたからである 社会的市場経済は, あくまでも市場経済秩序を基盤とするのであって両極の混合経済体制ではなく, また, 計画経済的な考え方との折衷ないし妥協の産物では決してないのである. 社会的市場経済の構成原理 ⑴ オルド自由主義におけるオイケンの秩序政策理論社会的市場経済の理論は, オルド自由主義の影響を強く受けている なかでも, オルド自由主義の代表的学者であるフライブルク学派のヴァルター オイケンによる秩序政策理論をその基礎理論としている オイケンは, 競争秩序を 105

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月構築するための経済憲法たる原理を 構成的原理 と名付けている その構成要素は次の諸原理である ) 1 機能的な価格メカニズム : オイケンは, これを 経済憲法の根本原理 と呼んでいる この原理において, 人為的な価格操作が否定されるとともに, 特定の経済勢力 利益団体による価格支配力を排除できる制度的枠組みが要求される 2 通貨政策の優位 : 物価の安定が最優先目標となる インフレなどによる物価の不安定化は, 社会の最も弱い国民階層に対し, その財産形成の促進面などにおいて重大な不利益を与えることにつながるからである 3 開かれた市場 : 潜在的な財貨の供給者が市場に障害なく参入できる状態が保証されなければならない これにより市場の競争秩序は高められる 4 私有財産制 : 競争秩序における財産法上の非中央集権化のために当然必要となる ただし, 私有財産制が許容されるのは, 財産法上の権利が独占やカルテルといった市場形態に集中されていない場合に限られる 5 契約の自由 : これは, 競争秩序が成立するための前提条件をなす ただし, それがカルテル契約のように契約の自由そのものを阻害するような場合には規制される 6 責任 : 財産所有者あるいは経営決定権者は, みずからの誤った決断によるリスクについて完全に責任を負わなければならない 7 経済政策の恒常性 : 経済政策が頻繁に変更されるような一貫性に欠けることは, 企業の生産計画, 個人の消費計画における不安定性を増幅させることになるためである 上記のそれぞれの原理は, つの経済政策上の全体的決定に役立ち, 全体決 106

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) 定を実際に貫徹するための手段となる ただし, 上記の構成的原理を遵守しようとする際, この体系とは相いれない秩序形態が生じるのをそのままでは阻止できない また, 完全競争が実現されている限り, それには弱点や欠陥が含まれていて改善が必要となる かくして, 競争秩序を機能的に保持するために, 次の つの 規制的原理 が必要となる 1 独占の監視 : 競争秩序の構築にとり最重要な経済政策分野であり, 反トラスト法, 反カルテル法制定が含まれる 2 所得政策 : 市場過程による所得分配は効率的であるが, 必ずしも共同体社会が必要とする要求を満たすとは限らないから, 投資量や効率性に留意しつつ政府による所得再分配が行われなければならない ( 累進課税制を含む ) 3 経済外部効果への対応 管理 : 例として環境破壊, 労働者の健康, 労働時間の制限などがあげられる 上記の構成的原理と規制的原理は, ともに一体性をなしており, これらの原理に基づいて経済政策が首尾一貫して遂行されることにより, 競争秩序が構築され機能的なものとなる そして, オイケンは, 秩序形成勢力としての国家が行う経済政策の基本原理を次のとおり つあげている ) ⅰ) 経済政策の第 原理 : 国家の政策は経済権力を解体し, その動きを制限する方向に向けられなければならない ⅱ) 経済政策の第 原理 : 国家の経済政策活動は, 経済過程の制御ではなく, 経済秩序の形成に向けられなければならない ⑵ 社会的市場経済の独自的な諸原理ミュラー = アルマックの社会的市場経済の理論的構造は, 彼自身が著した 107

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月 1948 年および1956 年の論文の内容等から判断すると, 上述のオルドリベラル的な構成的原理および規制的原理を基礎として, さらに次の つの独自の構成要素から形成されている ) 1 個人の自由 : これは, それ自体が価値であると同時に, 個人が市場で自らの能力を最大限に発揮できるための前提条件でもある 2 社会的平衡 : ここでは, 自由と社会的公正とを, 複雑かつ時として対立的な関係性のなかで意識的に総合化する必要性が主張される また, そこでは人間性をもった共同体構築のため, カトリックの教皇回勅に由来する連帯性原理が尊重される 3 景気政策および成長政策 : 市場経済が必ずしも自動的に完全雇用に達するとは考えられていないためである 4 市場適応性 : 政府による市場介入が行われる際, それが市場メカニズムのもつ資源配分機能へ与える効果を常に考慮しなければならない 10). 社会的市場経済理論の特徴 ⑴ 自由と社会的公平のバランスミュラー = アルマックの社会的市場経済は, 自由と社会的公正という つの相互にトレード オフの関係にある価値の二重原則によって構成されている 11) そして, その つの価値のうち, 自由を担保するための手段としては, 経済政策を用いて, 自由で競争的な市場経済の基盤を実現させる そして他方の価値である社会的公正を担保するための手段としては, 社会政策を用いて, 所得再分配という国家介入を通じて, 広く国民階層全体で豊かさを実現させようとする 12) ミュラー = アルマックは, 社会政策の積極的な必要性を認め, 経済政策と社会政策によって相反する つの価値, すなわち自由と公正の総合化を行おうとしたのである ここに, オルド自由主義の系譜とされる社会的市場経済理論の独自性がある 108

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) 図 社会的市場経済における目標設定 ( 出所 ) Müller-Armack[1974] より, 著者作成 この点において, 同じ新自由主義の系譜にありながら, フリードマンを代表とするシカゴ学派が主導したアングロ サクソン型の新自由主義 ( ここでは, 小さな政府 と規制緩和に重きを置いた, いわゆる市場原理主義とも言われる市場経済システムによる狭義のネオリベラリズムと定義する ) と, 社会的市場経済との最大の相違点が存在するのである また, ミュラー = アルマックは, 社会政策を実施する上での原則として, それが市場の機能をできるだけ阻害しないように行われるべきだという上記 4の 市場適応性原則 に加え, 実際問題としてどれほどの量の所得再分配を行うべきかという論点については, 妥協形成の原則 (Kompromißprinzip) をあげている 13) つまり, 経済における自由と公正という つの価値は, 互いにトレード オフの関係にあるから, どの組み合わせをとるかは, すぐれて政治的な妥協の形成によるしかない ただし, 一国の国民経済が成長している場合には, こうした妥協形成がより容易に行われると述べており, したがって, 経済成長が内在的な目的価値として設定されているのである 14) 上記のミュラー = アルマックによる概念をまとめると, 社会的市場経済における価値的目標は, 上記の図 に示したとおり,1 個人の自由とイニシアティブ,2 社会的公正および安全,3 経済成長となる これらの諸目標は相互に緊張的関係にあるが, 社会的市場経済の目的は, この つの目標間のバランスを 109

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月 とることにある 15) ⑵ 秩序政策理論としての意義社会的市場経済は, なぜ, 戦後一貫してドイツ経済システム上の指導的原理たりえたのだろうか その要因は, 第 に, 社会的市場経済の理論が,19 世紀から20 世紀前半にかけての自由放任による旧来の自由主義 (Altliberalismus) に基づく市場経済と, 当時新たに台頭した社会主義計画経済の間の二項対立を克服し, 市場経済システムと介入による政府の役割とを理論的に統合することによって, いわば両者の関係を止揚したことにある 第 として, 社会的市場経済の理念は, 旧西ドイツにおける憲法上のヒューリスティックとしての位置づけをもっていた たしかに, 社会的市場経済の理念は,1949 年に施行された西ドイツの基本法上には明示的に規定されていなかった しかし, 基本法における自由主義と社会国家という国家秩序形態としての二元性は, 社会的市場経済の理念において, 自由と社会的公正という経済 社会政策上の目標設定上の二重性として再生されているのである 16). リスボン条約における 社会的市場経済 条項 社会的市場経済という用語は, リスボン条約ではじめて EU の目的として明示的に規定された リスボン条約 (EU 条約 ) 第 条 項は, 同盟は, 域内市場を設立する 同盟は均衡のとれた経済成長と価格安定, 完全雇用と社会的進歩を目的とする競争力の高い社会的市場経済, ならびに環境の質の高水準の保護および改善を基礎とする, 欧州の持続可能な発展のために活動する 同盟は, 社会的排除および差別と闘い, かつ, 社会的な公正と保護, 男女平等, 世代を超えた連帯, ならびに児童の権利の保護を促進する ( 後略 ) ( 下線は筆者 ) と規定している 社会的市場経済は, 上述のとおり, 経済秩序に関する理念的概念である そ 110

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) こで, リスボン条約に規定された社会的市場経済が,EU がめざすべき経済秩序といかなる関係性をもつかが論点となる この点について, たとえば,Mario Monti [2009] は, ヨーロッパは, その諸国間で程度の違いこそあれ広い範囲で, 社会的市場経済である それは, ルートヴィヒ エアハルトらによってドイツで始まり, 第 段階でヨーロッパ レベルへと移植 (transpose) されたのである 第 段階はローマ条約であり, その際, 市場, 競争, そして統合という概念が取り込まれた 第 段階はマーストリヒト条約であり, そこでは単一通貨とともに通貨の安定性, そして中央銀行の独立性という概念が取り込まれたのである 17) と述べている. 統合の社会的側面と社会的市場経済 ⑴ 統合の社会的側面への取り組み上述のように, 社会的市場経済という概念は, リスボン条約で, 突如として EU レベルの概念として採択されたのではない それは, 統合における社会的側面への取り組みとの関係性においても理解されなければならない 確かに, 欧州統合プロセスは, 域内市場統合を中心として進められたが, 同時に, 統合の社会的側面への取り組みについても徐々に強化されてきている それは, 1980 年代半ばに J. ドロールらが主導した ソーシャル ヨーロッパ によって本格化した 具体的には, 単一欧州議定書 における経済的社会的結束の概念の導入において, その端緒をみることができ, それはマーストリヒト条約第 条における共同体の使命として規定された 同条約第 条には, 共同体の使命の つとして 雇用と社会保護との高い水準, 生活水準と生活の質の向上および加盟国間の経済的社会的結束と連帯を促進すること と記されている また,1989 年に採択された EC 社会憲章では, 労働者の生活 労働条件の向上と社会的保護などが社会的基本権として規定され, さらに, これが基盤となって2000 年 12 月ニースにて EU 基本権憲章が制定されている そして, リスボ 111

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月 ン条約では, この EU 基本権憲章が, 条約と同一の法的価値を有するもの とされるに至っている (EU 条約第 条 項 ) ⑵ リスボン戦略 2000 年 月の リスボン戦略 においては, グローバリゼーションと知識型社会への対応として, 新たな長期的成長戦略が策定されるとともに, 欧州経済社会モデルの社会的側面が強調され, 雇用へのフォーカスがあてられている すなわち, 次の10 年間に達成すべき EU の主な戦略的目標として次の つが掲げられている ⅰ) 持続的な経済成長 : 知識社会に即して EU 全体を高い競争力をもつ経済地域とする ⅱ) 完全雇用 : ここでは, より多くのそしてより良い雇用と, より高い社会的結束をともなった完全雇用と表記されている また,2010 年までに全体の就業率を70% に引き上げるなどの具体的数値目標を設定している ⅲ) 社会結束の強化 : このように, リスボン戦略は, あるべき欧州経済社会モデルについての つの具体的な道筋を示したものであるが, 競争的秩序における 成長 を通じた雇用拡大 ( 完全雇用目標 ) と同時に, 社会的結束の強化をはかるという意味において, 社会的市場経済の理論的構造とも一定の整合性をもつものと評価できる この点に関し, リスボン戦略策定後の2001 年 月 15 日に, 欧州議会が, 社会的市場経済と EU との関係性に関する次の決議を行っている すなわち, 欧州議会は,EU およびその加盟各国の経済 通貨政策が, 完全雇用, 物価安定そしてインフレの欠如に基づき, かつ持続的で環境的に両立できる経済成長への道を切り開いた社会的市場経済の諸原則に導かれるべきである この決議からは, すでに2001 年の時点で, 少なくとも欧州議会では, 社会的市場経済の概念が EU の指導原理たるべきとの一定の認識が存在していたことが示唆され 112

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) る 18) さて, 上述の統合の社会的側面に関する取り組みを概観するならば, リスボン条約において社会的市場経済が明記された事実は,EU の域内市場統合のなかに社会的結束あるいは社会的保護という価値を如何にして実現していくかという社会的側面に対する一連のプロセスの つの結果として表れたものであると考えることが可能であろう このことを裏付ける証左として, 欧州憲法条約草案の作成にあたった 欧州の将来諮問委員会 による社会的市場経済に関する検討過程についての報告書がある 次節ではそこでの議論を詳しく見ることとする ⑶ 欧州の将来諮問委員会上述のリスボン戦略の基本的指針の下,2002 年 月に発足した 欧州の将来諮問委員会 (the European Convention : 以下ではコンベンションと呼ぶ ) は, 各専門分野別の作業部会での審議を経て,2003 年 月には最終的な欧州憲法条約草案を提出している リスボン条約の EU 目的条項は, これを元に起草された欧州憲法条約をほぼそのまま継承している したがって, ここではコンベンションでの議論の内容から, 社会的市場経済が EU の目的として明記された動機 背景について点検することとしたい コンベンションは, 当初 つの専門作業部会を設置したが, 域内市場および経済秩序に関する討議は, 秩序政策作業部会 において行われた 19) その後, 2002 年 11 月から2003 年 月まで新たに設置された 社会的ヨーロッパ作業部会 で, 社会的市場経済を EU の目的として明記するかどうかについて集中的な審議が行われている 同部会では, ドイツ議会代表のマイヤー (Meyer : ドイツ社民党 ) が, EU の目標としての完全雇用と社会的市場経済の原則を確定すること を提案し, その理由として 我々は経済面と社会面の対等関係の間での密接なつながりを必要とする我々の社会モデルを促進し, 守るべきであるというのが, 私の確信である と述べている また, 欧州労連からオブザーバー 113

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月参加していたイタリアのガバーリョ (Gabaglio) は 社会的ヨーロッパ部会の主要目的は, ヨーロッパ社会モデル の独特の要素を, 憲法条約に反映させることであるべきだ として, 完全雇用に貢献する競争的な社会的市場経済 を EU の目標に加えるべきことを提案している 20) この他にも, フランスからはフロー (Jacques Floch : 社会党 ) や, デュハメル (Olivier Duhamel : 欧州社会党で欧州議会代表 ) がその他 名と賛成の意の共同提案を提出している このように, 同部会での審議過程をみると, 社会的市場経済に賛意を示していたのは, 社会的価値に重きを置いた社会民主系の代表に多いことが注目される ただし, これに加えて一定数の保守系政党出身者からも同様に支持がなされている 21) いずれにせよ, これらの議論内容からは, 社会的市場経済が, 経済面と社会面の対等関係に配慮しながらそのバランスをとるものとして, あるいは社会的目標にも重きを置こうとするものとして理解されていると考えられる 22) いずれにせよ, 社会的市場経済との用語を EU の目的として条文に適用するための憲法条約草案の作成過程からは, それが必ずしもネオリベラルな政治的勢力の影響を強く受けた結果として条約上に登場したのではなく, むしろ中道左派を中心とする政治的思惑もあった点について留意する必要がある. リスボン条約における社会的市場経済の諸要素 ⑴ 自由な競争 と 開かれた市場経済 の概念本節では, リスボン条約体制下の EU の経済秩序において, 社会的市場経済の要素がどのように具現化されているのかについて, オルド自由主義の見地から, その制度的枠組みを規範的に分析することとしたい まず,EU 機能条約第 119 条には, 加盟国および EU の活動が, 自由な競争 を伴う 開かれた市場経済 の原理に従って執行される経済政策の採択を含む旨が規定されている そこで,EU 条約第 条の社会的市場経済と, 自由競争を伴う開かれた市場経済 の概念の関係性が論点となる 114

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) この点に関し,2001 年に当時の欧州委員会の経済通貨問題担当コミッショナーのソルベス (Pedro Solbes) は, 次のように述べている 欧州委員会の見解では, 開かれた市場 と 社会的市場経済 との相違は, 次の点にある すなわち, 前者は, 企業が互いに競争するところの市場における, 規制 監督上あるいは制度上の枠組みに関連している 他方, 後者は, 各国政府が可能な限り自らのものとするべき経済政策上の指導原理として存する 開かれた市場 とは, 全く具体的なものであり, その市場においては, 自由な競争が支配しており市場参入への障壁があってはならない これに対して, 社会的市場経済とは,EC 条約第 条の意味における政策的諸目的, すなわち 調和のとれた持続可能な経済活動の発展, 高い雇用水準と高度の社会的保護 を促進するとの諸目的を具現化するものである つまり, 他のすべての政策分野においても同様, 複数の異なる目標間の平衡が図られなければならない ただし, 次の点を指摘しておくことが重要である すなわち, 開かれた市場の実現追求と, 明確な社会的側面をともなった経済への取り組みとの間には, いかなる矛盾もあってはならないということである 23) 上記の欧州委員会の見解からすれば, リスボン条約上の社会的市場経済との用語も, 具体的な市場形態とは区別され, 理念的 抽象的概念として用いられているとみるのが妥当であろう 他方, 活動規定に置かれた 開かれた市場経済 については, 加盟各国が経済政策を展開する上で実際の基盤となる具体的な市場形態として解するべきであろう ここで, 自由な競争 と 開かれた市場 という概念は, それら自体が社会的市場経済の重要な構成要素であることから, 両者の関係性はとくに矛盾しないと考えられる ⑵ 通貨政策の優位と ECB の独立性オルド自由主義における重要な原理の つは, 経済秩序全体にかかわる 通貨政策の優位 (Primat der Währungspolitik) である その含意は, 物価の安定 が中央銀行の最優先目標でなければならないということである そこで, 115

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月 EU 条約第 条の EU の目的条項には, 物価の安定 が EU の全体目的の つとして明記されている また,EU 機能条約第 127 条では, 欧州中央銀行制度 (ESCB) の主要目的が 物価の安定 を維持することと明記されている この物価安定目標をより確実なものとするため,ECB の独立性に関しては, きわめて高いレベルで保障されている ただし, 従来の ECB 関連規定では, ECB は EU の機関ではなく, マーストリヒト条約付属議定書による定款がその設立根拠法となり, 欧州中央銀行システムにあって独自の機関 (institution sui generis) としての法的地位をもっていた しかし, リスボン条約では, 欧州議会, 欧州理事会, 理事会, 欧州委員会などと同じく,ECB を EU の機関とするとの変更がなされたため (EU 条約第 13 条 項 ),ECB は, 他の EU 機関と制度的に同列に位置づけられたことになる ただし,ECB が加盟国政府あるいは他のいかなる EU 機関からも指示を求めずまた受け入れない旨の独立性規定が, 従来どおり残されているので (EU 機能条約第 130 条 ), リスボン条約による法的地位の変更によって, その独立性が脆弱化したとは言えない いずれにせよ, 高い独立性をもつ欧州中央銀行制度は, 物価の安定という EU の全体目的を担保するための秩序政策的な制度的枠組みを形成しているといえる. リスボン条約における EU の経済秩序の全体的構造 ⑴ 競争的秩序の枠組み John [2007] によれば, 上述の 開かれた市場, 通貨政策の優位, 社会的結束 などの諸要素から,EU における秩序政策的な指導原理は, 社会的市場経済の理念によって特徴付けられているという 24) では, リスボン条約における EU の経済秩序とは何か 上述のリスボン条約上にみられる社会的市場経済の諸要素に基づき, これをオルド自由主義的見地から構築すると, その全体像は, 図 のとおりとなる 116

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) まず EU がめざすべき域内市場は, 開かれた市場として独占企業体や市場支配力を有する特定の経済的権力や利益団体を利するものであってはならず, 自由な競争的秩序が, 秩序政策的手段によって構築されなければならない これを担保するために, リスボン条約では, まず域内市場の運営に必要な競争法規の確立の分野で EU に排他的権限があることを明確に規定している (EU 機能条約第 条 項 ) そして, 同第 Ⅶ 編の競争法規定では, カルテルの禁止 ( 第 101 条 ), 企業合併のコントロール ( 第 102 条 ), 国家援助のコントロール ( 第 107 条 ) が定められ, さらに, 同第 103 条は, 理事会が第 101 条および102 条の原則に効力を与えるため適切な規則または指令を定めることができるとしている この規則は, 一般的効力を有し全加盟国に対し直接適用可能であることから, 上記の競争法関連規定は, 域内市場への秩序政策的な介入を可能とするものとして, オルド自由主義的な競争的秩序を構築する全体的枠組みとして位置付けることが可能である ⑵ 加盟各国の経済政策とその調整オルド自由主義的な観点から見れば,EU の秩序政策は,1 ECB の排他的権限である通貨政策, および2 加盟各国の権限である経済政策, ならびに社会政策から再構成され, これらは,EU の全体目的を達成するための手段として位置づけられる そして, 加盟各国による経済政策は,EU 条約第 条および EU の一般的指針によって EU の目的達成に貢献するように運用されなければならず (EU 機能条約第 120 条 ), 理事会による監視の下に置かれる ( 同第 121 条 項 ) その際, 理事会が, 加盟国および EU の経済政策の一般的指針草案を作成し, 欧州理事会による討議を経て, この一般的指針に関する勧告を採択する ( 同第 121 条 項 ) もし, ある加盟国の経済政策が,EU の一般的指針に整合しない事態, あるいは EMU の正常な運営を危機にさらすおそれのある事態が発生した場合には, 117

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月 図 EU の経済秩序 ( 出所 ) 欧州の将来諮問委員会の秩序政策部会 2002 年 11 月, 日総会資料,Punkte zu 6, の内容を元に著者作成 欧州委員会は, 当該加盟国に対し 警告 を発することができる ( 同第 121 条 項 ) ニース条約では, これに対しては理事会による 勧告 のみが規定されていたが, リスボン条約では, 新たに欧州委員会の警告が追加されており, これは加盟各国の経済政策に対するサーベイランスの強化の表れといえる また,EU の経済秩序においては,1999 年のユーロ導入以来, 域内各国の経済政策の相互依存性はより高まっている したがって,EMU を安定的に維持するためには, 各国の経済政策が EU 全体の目的に整合的であるかどうか, あるいは政策の接近のために経済政策の調整をいかにして実効的にせしめることができるかが重要性をもつようになっているといえる この点に関し,EU 機能条約第 Ⅰ 編の権限規定においては, 加盟国は連合内においてそれぞれの経済政策を調整する この目的のために理事会は措置, 特にこれらの広範な指針 118

を採択する 旨が規定されている ( 第 条 ) リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) ⑶ リスボン条約体制における社会的側面の構築ここでは, 社会的市場経済の理念が想定する社会的価値の実現について, リスボン条約の体制はいかなる枠組みを構築しているかについて分析することとしたい EU 機能条約第 Ⅱ 編 (EU および加盟国に対する一般適用規定 ) の第 条は 連合の政策および活動の策定ならびに実施において, 連合は, 高水準の雇用の促進, 適切な社会的保護の保障, 社会的排除に対する闘い, および高水準の教育, 訓練ならびに人間の健康の保護に関連する必要条件を考慮する 旨を新規に規定している これは, 自由な競争 と 開かれた市場 という経済的自由の側面に対して, いわば社会的側面が対等的な位置関係にあるということを, 少なくとも条約上の一般適用規定として明確にしたものということができる また,EU 機能条約の社会政策規定においては, 連合は, 国家体制の多様性を考慮に入れて, 連合レベルにおける社会的パートナーの役割を認識および促進する 連合は互いの自律性を尊重しつつ, 社会的パートナー間の対話を促進する との文言を新規に追加している ( 同第 152 条 ) こうした社会的な価値目標に対する政策立案上の考慮は,EU 条約第 条 項の社会的市場経済の目的規定と一定の整合性をもつものと言える ただし, 社会的結束および社会政策のための権限は,EU と加盟国の共有とされている ( 同第 条 項 ) また, 社会政策の権能関係について新規に規定した同第 条 項では, 連合は加盟国の社会政策の調整を確保する発議(Initia- tiven) を行うことができる にとどまっており, 経済政策面における理事会による 広範な指針 (Grundzüge) と比較しても, それが明確に区別されていることがわかる 欧州議会と理事会は, 最低基準を指令によって採択できるが ( 同第 153 条 項 ), 上記からは, 社会的価値目標の具体的な実現については, 加盟各国の政策に依存する部分が大きいと言わざるをえない 119

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月.EU の経済秩序と国内的経済秩序との関係性 ⑴ 加盟国間のシステム競争の促進次に,EU 全体の経済秩序と, 加盟各国それぞれの国内的経済秩序の関係性をどのようにとらえるかが論点となる EU においては, 加盟各国の国内的経済秩序がそれぞれ存在しながらも, それらが EU の全体目的に向かって経済政策を運営し, その全体が つの EU 秩序を形成するという意味で, 相互補完的な秩序形態を構成しているといえる そして, それゆえに, 加盟各国間において, 全体目的の実現に向けた経済システムの競争が行われる余地をもつ (Clapham [2009], S. 66.) なぜなら, 経済秩序に関する革新的なアイデアというものは,EU 機関だけから生まれるのではなしに,EU 各加盟国における多様かつ競争的関係にある経済システム思想のなかから生み出され形成されるべきものだからである ⑵ 裁量的政策調整ここで, システム競争とは,EU レベルにおける社会的市場経済という全体目的に対して, 加盟各国がそれぞれに有する国内的経済システムを, 平和的に切磋琢磨しながら相互に競争的に発展させるプロセスのことである 上述のとおり,EU の経済秩序においては, 経済政策の権限は加盟国に留保され, 各国の任意の選択的な関与により EU の一般的目的の達成に資するべく, 独自かつ裁量的に経済 社会政策を実施するのである ここに, システム競争が生まれる構造的要因があるといえる Clapham (et al.) は, 社会政策のシステム競争に際しては, 加盟各国の個別の政策を通じたボトムアップによる共通目標への統合アプローチ, すなわちソフトな手法による 裁量的政策調整 (OMC : the open method of coordination) がより重視されると述べている 25) また, 上述のコンベンション 秩序政策部 120

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) 会 総会資料においても, 経済政策における OMC が想定されることが記されている 26) 次に, こうした加盟国独自の立法措置によるシステム競争が想定される政策的分野がいかなる範囲に及ぶかについては, 経済政策 (EU 機能条約第 120 126 条 ) をはじめ, 雇用 ( 同第 145 150 条 ), 教育 職業訓練 青少年 スポーツ ( 同第 165 166 条 ), 文化 ( 同第 167 条 ), 情報, 企業, 研究開発など幅広い政策分野が挙げられる さらに, 社会政策に関する加盟国の健康医療システム, 年金 介護保険の受給水準に関する数値基準などが含まれると解される 上記に列挙した政策分野は, いずれも加盟国の文化的多様性と大きく関連しており, それゆえ各加盟国での独自性が生じ得るためである ⑶ システム競争のもつ つの機能 Clapham [2009] は, システム競争がもつ機能として, 次の つを指摘している 27) ⅰ) 発見機能 : 各国が競ってより良いものを提案しようとする機能である ⅱ) 管理機能 : もし悪いシステムを提供する国家に対しては抗議を行う機能である 第 に, 発見機能に関しては, ある つの国家が経済 社会政策などで改革を実施した場合, それが加盟国間のシステム競争における つのベンチマークとして機能することを意味する たとえば, 雇用政策分野においては, フレキシキュリティー (Flexicurity) と呼ばれる新しい雇用システムがあげられる これはもともとデンマークやオランダの国内的な労働市場モデルが基礎となっているが, 労働市場の新たな時代への適応をめざすものであり, 市場における企業側の柔軟性と, 被雇用者側の安全性という つの価値的要素を, 二項対立としてではなく相互にバランスをとり合うものとしてとらえる 理事会は, 2007 年の決議文書においてフレキシキュリティーに関する一般原則を採択している 28) これによれば, フレキシキュリティーは, リスボン戦略における雇用創 121

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月出の実現を補強する手段とされ, かつ, このアプローチが決して単一の労働市場ならびにワーク ライフ モデル, あるいは単一の労働市場政策に関するものではなく, 各加盟国の独自の経済環境に合わせて, それぞれつくられるべきであると述べられている したがって, ここでも裁量的政策調整のアプローチが想定されていることがわかる また, 労働者の経営参加という社会的側面については, たとえば, 労働者側の経営参加を法的に義務付けたドイツの 共同決定法 が, 社会的市場経済に基づく政策の代表的な例としてあげられるが, この労使による共同決定制度は, 加盟国によって具体的態様の相違こそあれ, すでに多くの EU 加盟国で実施されており, 欧州経済社会モデルの一部を形成しているといえる リスボン条約においても, ニース条約と同様,EU が共同決定を含め労働者と被雇用者の利益代表および利益の団体的防衛の分野における加盟国の活動を支援し, 補足する旨が規定されている (EU 機能条約第 153 条 項 ) 第 に管理機能に関しては, リスボン条約では, ユーロ参加国に対する特別措置として,EU によるユーロ参加各国の財政規律に対する調整と監視をより一層強化することを目的とした規定が新規に盛り込まれたことが挙げられる (EU 機能条約第 136 条 項 ) おわりに リスボン条約において, はじめて 社会的市場経済 という秩序政策的な理念的用語が明示的に登場したことは, リスボン条約体制下における EU の経済秩序のあり方を考察する上での つの示唆を与えるものと評価することができる その根拠は次の点にあると思われる すなわち,2000 年代以降, 中東欧諸国の新規加盟によって EU 加盟国数は大幅に増加しており, それだけに,EU はかつてないほどの多様性を内包する統合体に変貌しつつあるといえる したが 122

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) って,EU 全体としての経済秩序 ( あるいは経済ガバナンス ) のあり方についての加盟諸国および EU 市民の共通理解を形成する必要性は, 以前にも増して大きくなっていると言える そこで, 社会的市場経済という秩序政策的概念が, EU レベルの経済秩序に関する つの理念的モデル, あるいは全体目的のメルクマールとして機能しえると考えられる かかる理念的モデルとしての社会的市場経済の具体的意義は,EU のあるべ 29) き経済秩序に関して, 新自由主義的な欧州か, あるいは社会的欧州かという二者択一的なジレンマに終止符を打ち, 同時に, それがフリードマン流のアングロ サクソン型の新自由主義による市場経済モデルとは区別された, ヨーロッパ独自の市場経済モデルのあり方を EU 内外に対して示すことが可能だということである そして, 今後, 欧州統合が進むべき道筋において, それが北欧型のより福祉国家的な社会的価値に重心を置いた方向性をめざすのか, あるいは, そうではなく, アングロ サクソン型により近い自由や競争的効率性といった価値を重視した方向に向かうのかという点について, 加盟国間で政策的な対立状況が生じたとしても, 自由と社会的公正のバランスをはかることで対立を緩和する性質をもつ社会的市場経済の理念が, こうした見解の多様性による対立という問題に対して, つの現実的な解決策を提供できる可能性がある これは, ミュラー = アルマック自身の言葉を借りれば, 社会的市場経済が本来的に有する和 30) 解的形式 (irenische Formel ) によるものである ただし, 今後, 加盟各国にゆだねられた現実的な経済政策とその政策の調整が, この理念がめざす目標をいかにして実現できるのかが, 最大の課題であり, そのために,EU が示すべき一般的指針および監視 調整システムが, いかにして有効に機能していくかについて, 今後の動向を注視していかなければならない [ 付記 ] 本稿は,2010 年 11 月 13 日,14 日に青山学院大学で開催された第 31 回日本 EU 123

日本 EU 学会年報 第 31 号, 平成 23 年 月学会研究大会における報告に基づくものである 学会報告に際しては, 分科会司会者の根岸哲会員をはじめ, 有意義な質問やコメントをいただいた多くの会員諸氏に感謝申し上げる また, 名の匿名のレフェリーより, 適切なご指摘と発展的なコメントをいただいた あわせて感謝申し上げたい これらは可能な限り本稿の内容に反映させるべく努力したことを付記する ) Hans Tietmeyer [1999], p.9. ) Müller-Armack [1956], S.245. ) オルド自由主義 (Ordoliberalismus) という名称は,1948 年にドイツで創刊された学術誌 オルド 経済と社会の秩序のための年報 ( ラテン語の ORDO で 秩序 を意味する ) に由 来する ) Müller-Armack [1948], S. 91. ) Ibid., S. 92. ) Hans Tietmeyer [1999], p.7. ) Walter Eucken [1952], S.254. ) Ibid., S. 334. ) Müller-Armack [1974], S.90. 10) Müller-Armack [1956], S.246. 11) Müler-Armack [1952], S.466. 12) Ibid. S. 460. 13) Pies [2000], S.74. 14) Müller-Armack [1962], S.150. 15) Ibid., S. 153. 16) Pies [2000], S.69. 17) Monti, Mario [2009] 参照 18) Klaus-DieterJohn [2007], S. 154. ただし,John は, ここでいう社会的市場経済が, つの 社会的な 市場経済 を意味するのか, あるいは, ミュラー = アルマック固有の定義である 社会的市場経済 であるのかについては, 英語表記からは必ずしも判然としないと述べてい る 19) なお, 本稿の 秩序政策 部会の日本語訳はドイツ語 (Ordnungspolitik) からであるが, 英語表記では同部会は economic governance( 経済ガバナンス ) となっている 20) 石井 [2006],p. 6. 21) CONV574/1/03REV 1, pp. 29-34. 22) 石井 [2006],p. 8. 23) Klaus-Dieter John [2007], S.153. 124

リスボン条約における社会的市場経済の適用 ( 黒川 ) 24) Ibid., S. 178. 25) 2000 年 月のリスボン欧州理事会におけるリスボン戦略の結論文書においては, 今後, 同戦略目標の達成のため 裁量的政策調整 の手法が用いられるべきことが明記されている (Presidency Conclusions of Lisbon European Council 23 and 24 March 2000 参照 ) 26) Europäischer Konvent, [2002], Punkte zu 6., der auf der Plenartagung am 7. und 8. November 2002 vorgelegt wurde. 27) Clapham [2009], S.66. 28) Council of the European Union [2007], p.6. 29) ここでいう新自由主義とは, フリードマンらのシカゴ学派による小さな政府を標榜する狭義のネオリベラリズムをさす 30) Müller-Armack, A., [1962], S. 301. 参考文献 Clapham, Ronald, [2009], Welche Bedeutung haben nationale Wirtschaftsordnungen für die Zukunft der EU -Der Beitrag der Sozialen Marktwirtschaft, in Das Konzept der Sozialen Marktwirtschaft und seine Anwendung Deutschlands im internationalen Vergleich, Peter Verlag. Council of the European Union, [2007], Toward Common Principles of Flexicurity - Draft Council Conclusions, 15431/07 SOC 476 ECOFIN 483, annex to the ANNEX. Eucken,Walter, [1939], Die Grundlage der Nationalökonomie, Springer Verlag( 邦訳 : 大泉行雄訳 国民経済学の基礎 勁草書房,1958 年 ). Eucken, Walter, [1952], Grundsätze der Wirtschaftspolitik, Mohr Siebeck( 邦訳 : 大野忠男訳 経済政策原理 勁草書房,1967 年 ). Guth Wilfried, [1999], Europäische Integration und Soziale Marktwirtschaft Reden und Beiträge 1992-1997, Piper Verlag, München. John, Klaus-Dieter, [2007], Die Soziale Marktwirtschaft im Kontext der Europäischen Integration, aus Der Zukunftsfähigkeit der Sozialen Marktwirtschaft, (hrsg. von Michael von Hauff), Metropolis Verlag. Monti, Mario, [2009], Keynote address by the 10th Brussels Economic Forum 2009, in ECFIN Economic Brief, issue2 June 2009, p. 8. Müller-Armack, A., [1948], Vorschläge zur Verwirklichung der Sozialen Marktwirtschaft, in Genealogie der Sozialen Marktwirtschaft, Haupt Verlag, 1974. Müller-Armack, A., [1952], Stil und Ordnung der Sozialen Marktwirtschaft, aus Grundtexte zur Freiburger Tradition der Ordnungsökonomik, hrsg. von Nils Goldschmidt u. Michael Wohlgemuth, Mohr Siebeck. Müller-Armack, A., [1956], Soziale Marktwirtschaft, in Wirtschaftsordnung und Wirtschaftspolitik, Verlag Rombach Freiburg im Breisgau, 1966. Müller-Armack, A., [1962], Das gesellschaftspolitische Leitbild der Sozialen Marktwirtschaft, 125

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