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映像学 96 (2016) 149 チャールズ マッサー著岩本憲児編 監訳 仁井田千絵 藤田純一訳 エジソンと映画の時代 森話社 2015 年 4 月 大久保遼 * 本書の概要 1970 年代以降 飛躍的に進展したアメリカ初期映画研究において チャールズ マッサーは トム ガニングやミリアム ハンセンらとともにこの潮流を牽引する役割を果たしてきた 今回 この定評ある著者の邦訳書がはじめて刊行されたことは 映像史にかかわる研究者として大変喜ばしいことである また著者自身による序文と若手研究者による訳者解説が付されることで 初期映画研究に馴染みのない読者にも議論の内容とその位置づけが理解しやすいものとなった マッサーの論考はいずれも関連する諸文化への言及が巧みであり 同時期の文化史 メディア史に関心を寄せる読者にとって 大いに参考になるだろう エジソンと映画の時代 は 1995 年に刊行された Thomas A. Edison and His Kinetographic Motion Pictures の翻訳を第 1 章とし それにアメリカ初期映画に関する論文 4 本を加えた日本語オリジナル版の書籍である 第 1 章 映画の始まり トーマス A エジソンとキネトグラフによる動く写真 は 訳者解説において藤田純一が指摘する通り エジソンがキネトスコープとキネトグラフを発明する 1888 年から 1893 年まで および興行を始める 1894 年から事業を売却する 1918 年までを対象としており 映画史におけるエジソンの位置とその意義を明快に示している 以下 主に 3 章と 4 章がキネトスコープの発明から初期映画期の製作様式 産業構造の変化に焦点をあてるもので 2 章と 5 章は同時期の映画に対するメディア横断的なアプローチ とりわけ演劇と映画との関係に照準している 全体として 着実で実証的な歴史的アプローチと 産業構造やフェミニズム 労働環境への着目といった社会学的な視点 そしてインターメディアリティに焦点をあてる横断的な文化史の方法がバランスよく組み合わされた記述であると言えるだろう 基礎的な事実から 歴史認識 研究方法に至るまで 評者としてもあらためて勉強になった しかしながら 本書の意義はそれだけではない 私たちは本書が描きだした黎明期の映画の状況から 現在との接点を数多く見いだすことができる この点について訳者解説で仁井田千絵が以下のように指摘している そこでは 現在我々が映画はこうであると考えるさまざまな要素 ( 俳優が出てきて観 * 愛知大学文学部人文社会学科 / メディア論 社会学 映像文化史 Eizōgaku, No.96, pp.149-154, 2016 2016 The Japan Society of Image Arts and Sciences

150 レヴュー エジソンと映画の時代 大久保遼 客はストーリーの展開を楽しむ 映画館でスクリーンに上映される 等々 ) は決して当然のことではなく 他に同時にあったさまざまな可能性のうちの一つにすぎない だからこそ この時期の映画の歴史をたどることは 映画がなぜ現在みられるような形になったのかを知る手がかりにもなり またここから 現在の多様なメディアの進出にみられるタイアップや受容形態の変化との意外な接点を見いだすことができるのである (217 頁 ) 私たちは本書の記述を辿りながら 現在の映画と映像文化をめぐる状況を考え 研究のなかに位置づけていくための思考実験を行うことができるだろう また映画というメディアを中心としながら 他の文化領域やメディアを横断していくマッサーの記述は デジタル化以降の文化状況に関心を持つ読者にとっても 参考になる点が多いはずだ 以下 本書の記述に即しながら 各章を横断する形で より詳しく内容を紹介していきたい 産業構造の変化から見る映画史 ポストプロダクションの創造性 本書におけるマッサーの分析の顕著な特徴は 技術開発や特許 エジソンのラボやハリウッドのスタジオ 初期の映画製作のプロセス等に注目することで 映画産業の構造的な変化から初期映画の特徴を明らかにしていく点にある マッサーによれば 1907 年以降 D W グリフィスの映画に代表される表現様式が勝ち残ることになった決定的な要因は 規格化や物語の効率 利益の最大化 であり それはニッケルオデオンの隆盛以降の 製作様式の変化 によってもたらされたのである マックス ホルクハイマーとテオドール W アドルノによる著名な文化産業論において ハリウッドの映画製作は 管理された工場と同様の大量生産にすぎないと論じられてきた しかしながら マッサーによれば 映画スタジオと工場の比較は しばしば実際の製作プロセスの詳細な分析を抜きにした実体のない比喩となる傾向がある (139 頁 ) 確かに映画産業は 1907 年以降 ヒエラルキー構造と分業に基づく近代的な中央プロデューサ システムへと組織化されたが しかしマッサーによれば これが映画を大量生産にしたわけではない 映画産業が組織化されたこと ( 垂直構造を基盤にした中央プロデューサ システム ) と 映画が大衆娯楽になったことは同時期に起こっており 互いに連関もあるが 両者は同じものでもなければ 直接の因果関係が成り立っているわけでもない 我々は狭義の映画製作のプロセスとは別の視点から 映画が大量生産になったという直観的な定理をきちんと説明しなければならない 流れ作業に言及するこれらの論考には見逃されている点があり 狭い意味での映画作り (filmmaking) と 映画の製作 興行 受容も含めた広い意味での映画 (cinema) が混在している (139 頁 ) したがって マッサーは映画の 製作様式 を 狭義の映画作品の製作 filmmaking だけでなく 上映や受容の局面まで含むものと捉え この製作様式が他の社会的 経済的 文化的な要素に影響を受けながら 映画の表現様式を規定するとする ただし 製作様式と表現様式の関係は相互作用的である (147 頁 ) ここで映画製作は ネガフィルムの製作だ

映像学 96 (2016) 151 けでなく 様々なパフォーマンスを含む具体的な上映の場面にまで拡張される このように捉え直した時 何が言えるだろうか? マッサーによれば 大量生産としての映画を論じる場合 重要なのは 狭義の filmmaking ではなく ポストプロダクションと映写の画一化なのである 20 世紀初頭まで映画は大量生産でもマス コミュニケーションでもなかった なぜなら同じフィルムであっても 最終的な映写の局面において 各興行者が独自のプログラムを提供していたからだ 興行者が上映に際して短いフィルムを組み合わせ さらにスライドによって字幕が上映された そのためのポストプロダクションは映写室で行われており この作業はオペレーター ( 映写技師 ) によって担われていたのである また実際の映写の場面では マジック ランタンの上映 巡回興行における映画解説 歌手や演奏者 上映と組み合わされたショーや演劇 トーキング ピクチャーの俳優たちの出演など 興行者による多様な介入がさかんに行われていた しかし 映画制作会社が字幕をフィルムに統合し 短いフィルムをあらかじめ編集しパッケージ化するようになったことで 根本的な労働の再編成 が行われた (141 頁 ) 映写室の作業は画一化され 映写技師の仕事は映写機のクランクを機械的に回し続けるだけになった ポストプロダクションの画一化により 映写室から創造性が失われ 興行者による介入や上映の一回的なパフォーマンス性も衰退していった その結果 映画作品は純粋な商品により近いものになった のである (178 頁 ) こうして映画はマス コミュニケーションになり マス エンターテイメント ( 大衆娯楽 ) になり そしてマス プロダクション ( 大量生産 ) になった マッサーは以下のように述べている 20 世紀における労働の衰退 を考える時 映画史家はまず映画の実験室 編集室 そして映写室を思い起こさなければならない ここで我々は 映画版の流れ作業の労働者をみるのである (142 頁 ) しかしそれだけではない ポストプロダクションと映写は画一化したかもしれないが 逆にいえば 狭義の filmmaking のプロセスは未だ多様なのである ハリウッドにおいて 垂直構造と労働の分割を特徴とする中央プロデューサ システムが確立した後も かつての映画製作の方式が失われたわけではなかった 初期映画の時代には 複数の専門家による共同製作 劇映画と実写映画の製作方式の混合や 複数ユニット システムを組み合わせた複雑な製作の方式が採用され それが表現における多様性の源泉となった マッサーによれば こうした ヒエラルキーを伴わない共同製作の方式は 後の方式の未熟な状態ではなく 根本的に異なるものである (146 頁 ) したがって それは主流の映画製作へのアンチテーゼとして 1920 年代の前衛映画から現代における独立系のドキュメンタリー映画の製作に至るまで繰り返し歴史のなかに浮上する マッサーの歴史観に従うならば オルタナティヴな表現様式の模索は オルタナティヴな製作方式の模索でもある そこでは しばしば異ジャンルの作家 技術者による共同製作が行われ 製作のプロセスにおいても既存の方法や画一化が拒絶されるだろう それは 現在のデジタル化された映像制作において 多様なバックグラウンドを持つ作家 技術者 ディレクターによる共同製作の活性化が 新しい映像表現をもたらしていることを想起させる また ポストプロダクションにおける興行者の創造的役割 を強調するマッサーの

152 レヴュー エジソンと映画の時代 大久保遼 立場を敷衍するならば 現在における即興演奏やオーケストラとの上映 活動写真弁士による語り さまざまなパフォーマンスとの組み合わせといった 初期映画的な上映スタイルの再浮上は かつて映画の最終的な創造の場であった映写と映写室に 多様性と創造性を回復する試みであると見なすことができるだろう インターメディアリティ 映画史の刷新のために 産業構造の変化とともに 本書におけるマッサーの方法の要となっているのが インターメディアリティ (intermediality) への注目だろう 映画と他のメディアの関係を論じることは たしかに現在の映画研究においてとりたてて目新しい視点とは言えない しかしマッサーにおけるインターメディアリティへの注目は たんに映画が他の文化領域と相互作用をしていたことを強調するためのものではない それは 映画史 という枠組みそのものを更新していくための方法なのである マッサーによれば 映画が 催事会場 幻燈 ヴォードヴィル ビア ガーデンといった大衆文化のすみずみに浸透していっただけではない 映画はそれらを変え 揺るがし 予期せぬ方向へと導いた (86 頁 ) したがって 映画史を 映画 というメディアの枠組みのなかだけで捉えることは 映画の果たした役割を理解するためにも望ましくないのである このことを マッサーは メイ アーウィンの接吻 という一本のフィルムと サラ ベルナールという一人の女優に即して明らかにしていく 1896 年の メイ アーウィンの接吻 はエジソン社の最初期のフィルムであり 元々 1895 年に初演されたミュージカル コメディ 未亡人ジョーンズ の一部を撮影したものだった メイ アーウィンの接吻 は初期映画の時代に最も成功した映画の一つであり 先行研究でも繰り返し論じられてきた対象である しかし マッサーによれば この映画がどのように機能したのかを理解するためには 今日の映画 メディア 文化研究の中で前提とされている歴史の枠組み自体を 根底から見直す必要がある (88 頁 ) この観点から マッサーは 未亡人ジョーンズ の上演の最終週が メイ アーウィンの接吻 の上映に重なっていたことに注目する 少なくとも一週間の間 ニューヨークの観客はメイ アーウィンとジョン C ライスのキス シーンを 二つの異なる劇場で しかも二つの異なる形態で見ることができたのである 中略 この前例のない連携が示すように 映写式の映画の到来と メイ アーウィンの接吻 は 劇場に行く観客の主観的経験に根本的な変化をもたらす先駆けになっており さらに広い文脈で捉えるならば これはモダニティの始まりと密接に結びついているということもできる (97 頁 ) メイ アーウィンの接吻 は 19 世紀に演劇と映画の間で観客の経験を編成していった フィルムで上映されるイメージは舞台上のパフォーマンスの複製にすぎないが しかしループで繰り返し再生されることで 同じキスであってもその文化的な意味を一変させてしまう 舞台での未亡人と求婚者の控えめなキスは それがフィルムに複製され過剰に反復されることで 観客を喝采させるコメディに変わる 映画はもはや単なる短い幻影や 舞台のノスタルジックな回想 アーウィンの次回作の宣伝ではなくなっていった 映画は

映像学 96 (2016) 153 それ自体が笑いと喜びを生みだしていたのだ (101 頁 ) そして この映画は現実とイメージの間に揺らぎをもたらすことで 劇場文化と観客の経験を再編していく 一方 マッサーにとってメディア横断的なアプローチは サラ ベルナールという一人の女優を理解するためにも欠かせない方法である ベルナールは当時最も高名な舞台女優として知られており これにレコードの録音 ヴォードヴィルへの出演 そして映画女優としての一面が加わる しかしながら 彼女はまた画家であり 彫刻家であり 作家でもあった こうした多面性は 演劇や映画といった特定のジャンルにのみ焦点をあてる研究からは見えてこない メディア横断的な視点を取ることによって マッサーによれば 彼女のキャリアのなかで研究が進んでいなかった 1910 年代初頭を フェミニズムと女性参政権運動を背景とした転換の時期として再評価することが可能だという 引用者注: ベルナールの 1910-1913 年の変化は この女優がヴォードヴィル レコード 映画 新聞といったメディア形態に その多くは複製メディアとしての新しい形態であったが 芸術と思想の伝達手段として積極的に興味を示したことである 彼女は これらのメディア形態をうまく使うことによって 正劇のスター俳優が自身の芸術性を投影するやり方を再定義したのだ しかし これらの集約されたメディアは 彼女の新たな主張となったフェミニズムと共に 彼女の文化的ペルソナとしての役割を変えたのである 伝統的な研究では 特定のメディアに沿ってみていくことが多いため このような重大な変化を捉えるのが難しい (185-186 頁 ) ベルナールの伝記の多くは 舞台女優としての彼女のキャリアに焦点をあてるため 後の 複製技術時代のサラ ベルナール の 文化的 政治的に重要な刷新 を見逃してしまう したがって ベルナールの演劇 映画以外のキャリアに注目することは たんに彼女が複数のメディアを舞台に活躍した事実や それらの表現上の連関を明らかにするという以上の意味を持つ ベルナールは メディア横断的なパフォーマンスによってフェミニズムを体現するだけでなく 芸術自体を新しいメディア形態の中で再定義した (200 頁 ) のである ベルナールは複製技術時代に 新旧のメディアを横断して活躍することで 既存の芸術観を革新した おそらく フェミニズムの映画史に必要なのは より広いメディア史の視点 古典的な概念を持ち出すならば より広い芸術史観である (201 頁 ) メイ アーウィンの接吻 とサラ ベルナールを論じるマッサーに共通するのは 演劇と映画の歴史を分かつことはできず 両者は他の劇場文化と一体となってモダニティの文化的経験を編成していったという視点だろう さらに付け加えるならば 映画を劇場文化の一部として捉え直すことは マッサーにとって最初の一歩にすぎない マッサーが初期映画という対象によって再編しようとしているのは 映画 フィルム 動画 スクリーン 劇場体験 視覚文化 パフォーミング カルチャー メディア インターメディア性 大衆文化 文化自体 (117 頁 ) といった多岐に渡る領域であり そのための鍵がインターメディアリティへの注目なのである 映画史を開く 本書におけるマッサーの論考から一貫して感じとれるのは 映画史 という領域を絶え

154 レヴュー エジソンと映画の時代 大久保遼 ず刷新しようとする姿勢である マッサーにとって魅力的な対象として立ち現れるのは 定着している映画史の物語を壊す部分 であり 歴史は 新しい研究 / データ / 情報 新しい視点 / 方法によって刷新されなければ 古く ( そして間違った ) ものになってしまう のである (182 頁 ) しかしながら 歴史記述の刷新やインターメディアリティの強調は 一方で 映画 と 映画史 という枠組みを限りなく相対化してしまうのではないか という疑念を抱かせる しかしそうではない というのが本書におけるマッサーの回答だろう 映画史を外に開くこと それはむしろ映画研究の領域の拡大である 映画が劇場文化にだけ影響したという意味ではない まったくその逆である 写真 幻燈 そしてトム ガニングが呼ぶところの文化的光学機器は その全貌のごく一部である 映画は新しいメディアや娯楽を提供しただけではない それは既存の文化的慣習を突き動かし 変容させていった 中略 実際 このようなさまざまな領域において破壊的な影響力を及ぼしたからこそ 映画は新しい形態 新しい慣習 新しい芸術と呼ばれるのである (118 頁 ) 映画史が開かれることで その輪郭は明確さを失うかもしれない しかし それは逆に言えば 隣接する文化領域に映画研究 映像史からのアプローチが可能になるということでもある それは 映画 の歴史ではないかもしれないが 諸文化をつなぐ要としての映画 映像を中心にした文化史 メディア史であり 文学史 演劇史 芸術史 社会史といった領域に映画学 映像史の立場からアプローチする新たな方法を生成することでもある そしてその試みは ポストメディウム状況下における映像の分析に関心を寄せる研究者にとっても 大いに参考になるものだろう また より現代的な視点から評者にとって興味深かったのは エジソンのラボについての詳細な記述である メンローパークの魔術師 と呼ばれたエジソンの研究所は 異なる専門性を持ったエンジニア 研究者たちによるきわめて多様で複雑な共同作業による研究 開発の場であった そこでエジソンの役割は 映画の発明者 というよりも むしろ同時代の技術やアイデア 特許を統合し 研究所をマネジメントし 新しい技術を実用化 産業化することにあった これは現代において ライゾマティクス リサーチやチームラボといった集団が 牽引力ある個人を中心としながらも きわめて多様なスタイルの共同研究 技術開発 作品制作を続け マス メディア的な表現を更新しつつあることを想起させる このことは現在のメディアアート ( もはや アート に限定する必要はないかもしれない ) が 初期のコンピュータ アートやビデオ アートとは異なり 十分に産業化しつつある段階に入ったことと関係しているのだろうか あるいは逆に 落合陽一が言うように エジソンはメディアアーティストだ という結論を導きだすべきなのだろうか (1) いずれにせよ エジソンと映画の時代 は 映像 メディア分野に携わる研究者 実作者にとってさまざまなアイデアの源泉となってくれる書物であると言えよう 注 (1) https://twitter.com/ochyai/status/693726924070191104(2016 年 5 月 7 日 )