学 科 共 通 科 目 (2009 年 度 ) 比 較 思 想 研 究 3. 宗 教 における 善 と 悪 キリスト 教 における 善 と 悪 第 13 回 (その1)
3. 宗 教 における 善 と 悪 キリスト 教 と 日 本 の 仏 教 特 に 親 鸞 において 善 と 悪 がどう 扱 われてい るかを 論 じる
3.1キリスト 教 における 善 と 悪 キリスト 教 では 善 悪 の 基 準 は 神 に 求 められる キリスト 教 において 善 と 悪 がいかに 扱 われて いるかを 論 じる
キリスト 教 における 悪 キリスト 教 では 悪 の 問 題 を 人 間 の 内 面 と 関 わ らせて 考 え また 悪 を 神 との 関 係 で 捉 えるた めに 悪 は 罪 の 問 題 と 考 えられる 聖 書 には 悪 に 対 して たとえば 旧 約 聖 書 の 律 法 預 言 者 などにみられるように 一 方 ではそれを 厳 しく 責 めたり 厳 粛 に 裁 く 態 度 があるが 他 方 では 悪 を 許 す あるいは 罪 の 裁 きを 身 代 わり なって 負 うイエスのような 態 度 もある
キリスト 教 における 悪 ( 続 き) 聖 書 における 罪 は 根 本 的 には 神 への 反 逆 ないしは 神 からの 離 反 を 意 味 し そこにす べての 罪 の 原 因 が 見 られる しかも 人 間 は 原 罪 のゆえに その 自 由 意 志 で 善 を 選 択 しえ ないほど 堕 落 してしまっている と 考 えられる 人 間 が 自 ら 悪 の 問 題 を 解 決 したり 自 らの 力 で 罪 から 救 われる 道 はない このような 人 間 における 悪 理 解 罪 理 解 のゆえに イエス キリストによる 贖 罪 の 死 による 救 いが 必 要 と される
ユダヤ 教 からキリスト 教 へ キリスト 教 を 律 法 を 守 ることに 制 限 されたユダヤ 民 族 のための 宗 教 (ユダヤ 教 )から 人 類 を 救 済 する 世 界 宗 教 へと 作 りかえるきっかけを 与 えたのはパウロ であった ユダヤ 人 ( 特 にパリサイ 人 )の 強 い 信 仰 によれば 神 ヤハウェは 昔 イスラエルの 民 を 選 び 自 らの 民 とし た つまり 民 と 契 約 を 結 んだ 契 約 とは 神 と 人 との 共 存 の 合 意 である この 契 約 の 成 立 に 基 づき 民 の 側 では 神 ヤハウェとともにある 以 上 ヤハウェに 対 して 守 るべき 義 務 (なすべきこと なすべからざるこ と)が 発 生 する その 義 務 が 律 法 である
原 始 キリスト 教 の 新 しい 契 約 原 始 キリスト 教 によって 人 の 救 済 の 根 拠 は イエスの 死 と 復 活 にあることになった イエス の 死 によって 神 と 民 との 間 に 新 しい 契 約 が 成 立 した イエスの 贖 罪 死 によって 神 の 祝 福 に 与 る 新 しい 道 が 開 かれた 人 の 罪 は 赦 さ れた 律 法 を 学 ぶ 機 会 もなく ゆえに 律 法 も 知 らず したがってそれを 行 うこともできない 罪 人 も いまや 救 いに 与 ることができる
旧 約 聖 書 における 悪 旧 約 聖 書 では 悪 は エデンの 園 における 最 初 の 人 類 であるアダムとイヴの 堕 罪 その 子 孫 のカインとアベルの 兄 弟 殺 し ソドムとゴム ラに 下 された 神 の 裁 き 悪 が 地 にはびこった ことに 対 する 神 の 裁 きとしての 洪 水 等 々 多 く の 事 柄 に 関 して 述 べられている 典 型 的 なも のとしての 原 罪 と 十 戒
(1) 原 罪 堕 罪 の 物 語 創 世 記 に 語 られた 堕 罪 の 物 語 悪 魔 ( 蛇 として 示 さ れる)の 誘 惑 に 負 け 神 によって 与 えられた 自 由 を 悪 用 して みずからが 善 悪 の 審 判 者 になろうとした 人 間 のあり 方 を 象 徴 的 これが 原 罪 と 呼 ばれ 人 間 の 一 切 の 悪 はこの 罪 に 起 因 する キリスト 教 におけ る 罪 は 神 の 意 志 に 背 くこと を 意 味 する アダムが 神 の 意 志 に 反 する 行 為 を 犯 したことによって 罪 と 死 がこの 世 にもたらされた このアダムの 罪 によっ て 全 人 類 は 生 まれながら 罪 を 負 うことになった
原 罪 の 意 味 原 罪 は 単 なる 物 語 ではなく 人 間 の 根 源 的 な 弱 さ 人 間 の 内 面 の 罪 の 自 覚 を 表 す 神 の 前 で 悪 心 をもったこと あるいはもっていること 悪 人 であり 罪 人 であることが 自 覚 される 人 間 はこの 悪 罪 を 自 分 の 力 ではどうしようもない 状 態 にある この 状 態 を 人 間 に 共 通 していると 見 て この 状 態 を 人 間 の 始 祖 アダムに 遡 ると 考 えたのが 原 罪 の 思 想 であ る 悪 を 避 ける 自 由 がありながら それができない 罪 を 犯 さないように 望 みながら それができない 状 態 にある 人 間 それが 原 罪 をもつ 人 間 の 姿 である
原 罪 の 意 味 ( 続 き) 悪 が 人 間 のもつ 原 罪 と 関 わるとする 考 え 方 は 悪 が 人 間 の 個 々の 思 いや 行 為 の 問 題 だけで はなくて 人 間 の 本 性 とその 存 在 に 深 く 関 わ るものだという 認 識 を 示 す ここからさらに 人 間 はこのどうしようもない 罪 の 状 態 からい かにしたら 解 放 されるか という 宗 教 の 救 い の 問 題 が 起 こってくる
(2) 十 戒 律 法 の 中 心 となるものが いわゆるモーセ の 十 戒 である 旧 約 聖 書 では 悪 は しては ならないこと 禁 止 という 意 味 の 十 戒 の 形 で 具 体 的 に 出 エジプト 記 第 20 章 1-17 節 と 申 命 記 第 5 章 6-21 節 の 二 箇 所 で 若 干 の 異 同 を 含 みつつ 述 べられている
十 戒 の 内 容 第 一 戒 ~ 第 四 戒 : 略 第 五 戒 : 君 の 父 と 母 を 敬 え 第 六 戒 : 君 は 殺 してはならない 第 七 戒 : 君 は 姦 淫 してはならない 第 八 戒 : 君 は 盗 んではならない 第 九 戒 : 君 は 隣 人 に 偽 証 してはならない 第 十 戒 : 君 は 君 の 隣 人 の 家 を 貪 ってはなら ない
神 と 人 との 正 しい 関 係 の 表 現 としての 十 戒 十 戒 には 法 や 倫 理 は 神 と 人 との 正 しい 関 係 の 表 現 だという 理 解 が 含 まれている たとえ ば 殺 してはならない という 禁 止 は 原 語 の ヘブル 語 では 命 令 形 で 書 かれているのでは なく 未 完 了 形 で 書 かれている その 原 意 を 直 訳 すれば あなたは 殺 さない ということで ある 神 または 他 人 格 との 正 しい 関 係 の 中 に ある 人 間 は 他 人 を 殺 すようなことはしない ということである
(3)パウロにおける 善 と 悪 原 始 キリスト 教 によって 神 とともに 生 きる 新 しい 道 が 開 けた ゆえに 律 法 を 守 ったり 神 殿 で 祭 儀 を 執 り 行 なったりという 伝 統 的 な 仕 方 で 神 に 仕 える 必 要 はもはやなくなった ここ に 伝 統 的 な 宗 教 であるユダヤ 教 は 克 服 され キリスト 教 が 成 り 立 った パウロの 神 学 は 1 世 紀 に 中 葉 におけるこのような 主 張 の 代 表 的 なものである
パウロの 回 心 パウロは 最 初 は 原 始 キリスト 教 団 を 迫 害 していた しかし パウロは キリスト 顕 現 によってキリスト 教 に 回 心 する パウロは キリストが 私 に 現 れた と 言 い もはや 生 きているのは 私 ではない 私 の 中 で キリストが 生 きている と 言 う キリストはパウロの 全 人 格 的 生 の 営 みの 根 源 パウロをパウロとして 生 か す 働 きとなった しかし パウロによって キリスト は 単 に 自 分 に 対 してだけでなく 万 人 の 生 の 根 源 た るべきものとなった だから 彼 はいまや 万 人 にキリ ストを 宣 べ 伝 えるのである
パウロにおける 悪 悪 はパウロにおいて 抽 象 的 理 念 的 に 捉 えら れておらず 具 体 的 実 践 的 に 捉 えられ 理 解 されている 悪 は 人 間 の 日 常 経 験 する 具 体 的 な 現 実 にほかならない
悪 の 深 刻 な 現 実 パウロは 特 に ローマ 人 への 手 紙 第 7 章 でよ り 深 刻 な 悪 について 論 じている パウロは 善 との 対 比 あるいは 対 立 によって 特 に 善 を 欲 する 意 志 にもかかわらず そこに 悪 が 存 在 し 悪 を 行 ってしまうという 矛 盾 葛 藤 について 語 っている 悪 は 悪 を 行 おうと 心 に 思 うとこ ろでのみ 生 じるものではない 反 対 に 善 を 行 おうと 欲 するところ 善 をしようとする 意 志 のあるところでさえも 生 じるものである
人 間 の 悪 の 矛 盾 した 現 実 上 のことは 人 間 の 悪 の 矛 盾 した 深 刻 な 現 実 である このときそうした 深 刻 な 現 実 について パウロは このような 悪 を 行 うのは もはや 私 ではなく 私 の 内 に 住 んでいる 罪 である こと を 見 ぬいて 悪 は 罪 に 由 来 し 罪 に 根 ざすも の 罪 の 所 産 であることを 指 摘 している
ローマ 人 への 手 紙 7:18-20 実 際 私 のうちには ということは 私 の 肉 のうちに はということだが 善 いものが 住 んでいないというこ とを 私 は 知 っている なぜならば 良 いものを 欲 す るということは 私 のうちにもあるのだが それを 行 為 するということがないからである 私 は 自 分 が 欲 する 善 いことは 行 なわず むしろ 自 分 が 欲 しない 悪 いこ とをこそ 為 している もしも 私 が [この 自 分 の] 欲 しな いことを 行 っているとするならば もはやこの 私 がそ れを 行 為 しているのではなく 私 のうちに 住 んでいる 罪 が それを 行 為 しているのである
私 の 内 に 住 む 罪 としての 悪 ローマ 人 への 手 紙 7 章 20 節 もし 私 が 欲 し ない 悪 を 行 っているとすれば その 悪 を 行 っ ているのは もはや 私 ではなく 私 の 内 に 住 んでいる 罪 である という 箇 所 に 悪 と 罪 の 関 係 が 凝 縮 されている 悪 の 行 為 の 主 体 は ( 悪 を 欲 しない 悪 を 憎 む 私 ではもはやなく) 私 の 根 源 に 内 在 している 自 力 ではどうにもな らない 罪 である
(4) 人 類 の 救 済 人 類 の 罪 からの 救 済 イエス キリストはわれわれ の 罪 ( 人 類 の 罪 )を 贖 うために 死 に そして 甦 った 預 言 の 成 就 神 の 意 志 の 成 就 このとき 神 と 人 間 との 間 に 新 しい 関 係 が 成 り 立 った それが 新 しい 契 約 である それは 神 とイスラエルとのシナイでの 契 約 を 中 心 とする 古 い 契 約 に 対 して 神 と 人 間 との 間 に イエスの 贖 いに 基 づいた 新 しい 平 和 的 な 共 存 の 合 意 が 成 り 立 った この 新 しい 契 約 により 新 しい 神 の 民 が 成 り 立 つ それがキリスト 教 会 である
すべての 人 間 を 救 うキリスト 教 キリスト 教 はイスラエルの 民 だけでなく すべ ての 人 間 を 救 う 宗 教 となった このときにパウ ロの 果 たした 役 割 は 大 きい
信 仰 による 義 の 実 現 しかし 今 や 律 法 なしに しかも 律 法 と 預 言 者 たち とによって 証 されて 神 の 義 が 明 白 にされてしまって いる すなわち イエス キリストへの 信 仰 をとおし ての そして 信 じるすべての 者 たちへの 神 の 義 である 実 際 そこでは 差 別 は まったく ない す べての 者 が 罪 を 犯 したからであり それゆえに 神 の 栄 光 を 受 けるの に 不 十 分 だからである むし ろ 彼 らは 神 の 恵 みにより キリスト イエスにおける 贖 いをとおして 無 償 で 義 とされているのである ( ローマ 人 への 手 紙 3: 21-24 )
信 仰 による 義 パウロは 人 間 は 信 仰 によって 律 法 の 業 なしで 義 とされる ( ローマ 人 への 手 紙 3: 28)と 述 べている そして 神 はユダヤ 人 たち だけのものではなく 異 邦 人 たちの 神 でもあ ると 述 べている( ローマ 人 への 手 紙 3: 29) こうして 人 間 は 民 族 に 関 係 なく ただイエスを 信 じることにより 罪 から 救 済 されることに なった