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日 本 人 の 宗 教 意 識 とドストエフスキー 研 究 小 林 銀 河 はじめに 現 在 ロシアにおけるドストエフスキー 研 究 は 大 変 活 発 であり 学 会 研 究 会 の 度 に 多 くの 研 究 者 による 活 発 な 討 論 を 目 の 当 たりにし 本 場 ロシアの 研 究 の 圧 倒 的 な 層 の 厚 さを 見 せつけられる 思 いをする と 同 時 に 彼 らの 興 味 は 決 して 閉 ざされたものではなく 我 々 外 国 人 研 究 者 に 対 しても 門 戸 は 開 かれている それどころか 外 国 でドストエフスキーが どのように 読 まれているかということが 大 変 興 味 をもたれているのである モスクワの 世 界 文 学 研 究 所 を 拠 点 とする ドストエフスキー 研 究 委 員 会 (Комиссия по изучению творчества Достоевского) は 外 国 の 研 究 者 に 各 国 におけるドストエフスキー 受 容 に 関 する 論 文 の 執 筆 を 依 頼 しており それらは 現 在 出 版 準 備 中 の 論 文 集 ドストエフスキーと 20 世 紀 (Достоевский и XX век) に 掲 載 予 定 である 私 も 日 本 人 研 究 者 の 一 人 としてこの 企 画 に 参 加 した 無 論 日 本 についてロシアの 研 究 者 向 けに 書 いた 以 上 その 内 容 を 日 本 の 側 にも 示 し 意 見 を 問 わなければならないのは 当 然 である 以 下 は 概 ね 今 回 私 がロシア 向 けに 執 筆 した 論 文 と 同 趣 旨 のものである 0) 日 本 人 の 宗 教 意 識 という 切 り 口 日 本 におけるドストエフスキー を 考 えるにあたり 私 は 次 の2 点 に 留 意 した 1 ドストエフスキーの 受 容 という 局 面 において 顕 れる 日 本 人 日 本 文 化 の 特 徴 が 浮 か び 上 がってくるようにする 2 なおかつ それがドストエフスキー 文 学 における 本 質 的 なテーマと 関 わるような 形 に もってゆく そして 今 回 選 んだのが 日 本 人 の 宗 教 意 識 という 切 り 口 である ロシアのドストエフスキー 研 究 において 現 在 圧 倒 的 に 主 流 を 占 めているのは キリスト 教 ロシア 正 教 の 観 点 からのアプローチである ソ 連 時 代 の 弾 圧 を 生 き 抜 いたロシア 正 教 会 は 1990 年 代 に 急 速 に 勢 いを 取 り 戻 し 現 在 ロシア 国 民 の 二 人 に 一 人 はロシア 正 教 徒 で 18

ある 1 ペレストロイカ 後 にようやく ソ 連 時 代 にはできなかったドストエフスキーの 核 心 的 テーマを 論 じることが 可 能 になり 以 前 抑 圧 されていたものが 現 在 噴 出 してきていると いう 一 面 もあろう ともかく ロシア 人 研 究 者 はドストエフスキーの 文 学 をまず 第 一 にキ リスト 教 文 学 として 受 け 止 めている 一 方 で 日 本 の 人 口 に 占 めるキリスト 教 徒 の 割 合 はたかだか1パーセント 弱 である 2 に もかかわらずドストエフスキーが 多 くの 人 々に 読 まれている ドストエフスキーの 読 者 は 必 ずしもキリスト 教 徒 だというわけではない むしろそうでない 人 のほうが 多 いであろう これをどう 考 えればよいであろうか 次 の2つの 可 能 性 が 考 えられる 1 ドストエフスキーの 描 いたキリスト 教 的 でないテーマに 日 本 人 が 関 心 を 抱 いた すな わち ドストエフスキーの 文 学 はキリスト 教 という 枠 を 超 えたスケールをもっている 2 キリスト 教 で 問 題 になっていることを 日 本 人 は 実 は 別 の 文 脈 で 考 えており ドスト エフスキーはそのような 問 題 に 光 を 投 げかけてくれる ドストエフスキーの 描 いたことのうちのどれがキリスト 教 的 であり どれがそうでない かということを 明 瞭 に 判 別 することは 私 のような 非 キリスト 教 徒 には 不 可 能 に 近 い キリ スト 教 と 一 口 に 言 っても カトリック プロテスタント ロシア 正 教 とそれぞれで 教 義 も 異 なってこようし ドストエフスキーはロシア 正 教 の 作 家 であると 枠 を 狭 めてみたところ で ではドストエフスキーのどこからどこまでがロシア 正 教 的 なのかという 同 様 の 確 定 不 能 な 問 題 が 出 てくるだけである 3 しかし 少 なくとも 現 在 ロシア 人 がドストエフスキーをキリスト 教 文 学 として 読 んで いる 以 上 彼 らに 日 本 人 のドストエフスキー 理 解 を 説 明 する 上 で 日 本 人 の 宗 教 意 識 と いう 問 題 を 背 景 にしていくことは 共 通 のコンテクストに 立 つという 意 味 で 相 互 理 解 に とってたいへん 有 力 な 方 法 であると 思 われる 日 本 文 化 論 日 本 人 論 についてはすでに 多 くの 蓄 積 があり 近 年 はその 系 譜 をまとめる 仕 事 も 出 てきており 盛 んに 語 られているが 今 回 日 本 人 のドストエフスキー 理 解 をロ シア 人 研 究 者 に 説 明 するという 場 において 説 得 力 のある 拠 り 所 を 与 えてくれる 日 本 文 化 論 として 次 の2つの 著 作 を 取 り 上 げた 1 ヨーロッパ 世 界 年 鑑 (The Europa World Year Book)2004 (Vol. 2)によると ロシアにおけ るロシア 正 教 徒 は 約 7500 万 人 に 達 するという 2002 年 10 月 におけるロシアの 総 人 口 は 同 年 鑑 によると 約 145,164,000 人 2 ヨーロッパ 世 界 年 鑑 (The Europa World Year Book)2004 (Vol. 1)によると 日 本 のキリス ト 教 徒 は 約 100 万 人 (1993 年 の 時 点 で 1,050,938 人 ) そのうち 正 教 徒 は 約 2 万 5 千 人 (24,821 人 )である 日 本 の 総 人 口 は 2002 年 半 ばの 公 式 見 積 もりで 約 127,450,000 人 3 もっとも ロシア 正 教 徒 の 立 場 からすると ドストエフスキーがロシア 正 教 的 作 家 であるとい うことは 明 白 なことであるようだ 19

(1) 中 村 元 日 本 人 の 思 惟 方 法 (2) 梅 原 猛 日 本 人 の あの 世 観 言 うまでもなく いずれの 著 作 も 日 本 人 の 宗 教 意 識 という 観 点 から 日 本 文 化 論 を 展 開 しており 日 本 人 によるドストエフスキー 受 容 を 説 明 するにおける 手 がかりを 与 えてく れる 4 両 者 には 共 通 する 部 分 も 多 いが 見 解 の 異 なる 部 分 もあり 並 べて 見 ることによって より 多 角 的 な 理 解 を 可 能 にしてくれる これらの 著 作 は 単 独 に 見 ていくだけでも 十 分 に 知 的 満 足 を 与 えてくれるものであるが ドストエフスキーの 文 学 さらには 日 本 人 によるド ストエフスキー 論 と 並 べてみるとき その 面 白 さは 倍 加 すると 言 ってよいだろう 以 下 それぞれの 著 作 のキーポイントを 見 てゆきたい 1) 中 村 元 日 本 人 の 思 惟 方 法 とドストエフスキー この 著 作 で 中 村 元 氏 は その 仏 教 に 関 する 博 識 を 背 景 にし 仏 教 の 観 点 から 日 本 文 化 論 を 展 開 している 日 本 人 の 思 惟 方 法 と 銘 打 たれたこの 著 作 には 実 は 諸 文 化 現 象 こ とに 仏 教 の 受 容 形 態 にあらわれた 思 惟 方 法 の 特 徴 という 副 題 が 付 されており たいへん 示 唆 的 である 例 えば 次 のような 指 摘 がある [ ] 仏 教 思 想 も 決 してシナにおけるものがそのまま 摂 取 されたのではない 日 本 の 仏 教 僧 は 相 当 に 漢 文 が 読 めるはずではあるが しかしそれを 忠 実 に 理 解 していないことがある それに ついては 二 つの 場 合 が 考 えられる 一 言 語 上 の 読 解 能 力 の 不 足 のために 漢 文 の 原 文 を 忠 実 に 理 解 しえなかった 場 合 二 漢 文 の 原 意 を 理 解 することはできたけれども なんらかの 動 機 にもとづいて 曲 解 してい る 場 合 (6-7 頁 ) 5 中 村 元 氏 が 特 に 注 意 を 向 けているのは 言 うまでもなく 第 二 の 場 合 である また 第 二 の 場 合 として 日 本 人 がわざわざ漢 文 を 読 みちがえていることがある これはとく に 重 視 されるべき 思 想 史 的 現 象 である [ ]とくに 日 本 的 特 徴 が 認 められるといわれている 仏 教 家 ほど ますます 漢 文 に 対 して 無 理 な 解 釈 を 施 している (8 頁 ) 4 近 年 出 た 日 本 人 論 の 系 譜 に 関 する 仕 事 として 船 曳 武 夫 日 本 人 論 再 考 ( 日 本 放 送 出 版 協 会 NHK 人 間 講 座 2002 年 ) 大 久 保 喬 樹 日 本 文 化 論 の 系 譜 : 武 士 道 から 甘 え の 構 造 まで ( 中 央 公 論 新 社 中 公 新 書 1696 2003 年 )の 2 点 を 挙 げることができるが そ こでは 中 村 梅 原 両 氏 の 著 作 は 取 り 上 げられていない いわゆるスタンダードな 日 本 人 論 として は 見 なされていないということであろうが 今 ここで 問 題 になっているのは 日 本 におけるドス トエフスキー 受 容 をいかに 説 明 するかということである 5 中 村 元 選 集 第 3 巻 日 本 人 の 思 惟 方 法 ( 東 洋 人 の 思 惟 方 法 III) 春 秋 社 1989 年 カッコ 内 に 頁 数 を 記 す 以 下 同 20

著 者 の 挙 げている 具 体 例 を 細 かく 見 てゆくことはここではしないが 一 つだけ 引 いてお こう く ま らじゅう シナへ 来 たクマーラジーヴァ( 鳩 摩 羅 什 )は サンスクリット 語 の dharmatā などという 語 を 諸 法 実 相 と 訳 した それは われわれの 経 験 する 諸 現 象 の 真 実 のすがた という 意 味 であ る だから 諸 法 と 実 相 とは 異 なった 概 念 であるのみならず 両 者 のあいだには 矛 盾 対 立 が 予 想 されている ところが 天 台 学 においては 諸 法 は 実 相 なり という 解 釈 を 成 立 させ て いわゆる 現 象 即 実 在 論 の 立 場 にたったのであるが 道 元 はむしろ 逆 に 実 相 は 諸 法 なり ということを 強 調 する すなわち 人 々の 求 めている 真 理 なるものは じつはわれわれの 経 験 す る 現 実 世 界 そのものにほかならない 6 (15-16 頁 ) この 抜 粋 は 第 2 章 与 えられた 現 実 の 容 認 からの 抜 粋 であるが このような 文 献 学 的 論 拠 に 基 づき 諸 事 象 の 存 する 現 象 世 界 をそのまま 絶 対 者 と 見 なし 現 象 をはなれた 境 地 に 絶 対 者 を 認 めようとする 立 場 を 拒 否 するにいたる 傾 きがある (13 頁 )という 日 本 人 の 思 惟 方 法 が 述 べられている このコンセプトによって 展 開 されている 第 2 章 の 論 議 のうち ここでは 特 に 次 の3 点 に 着 目 しておきたい 第 1に 日 本 人 の 現 世 主 義 世 界 の 諸 宗 教 がややもすれば 現 世 を 穢 土 とし 来 世 を 清 浄 な 楽 土 とし 永 久 に 幸 福 な 天 国 を 理 想 としているのに 原 始 神 道 はどこまでも 現 世 に 価 値 を 認 める (37 頁 ) 無 論 このような 態 度 はドストエフスキーの 世 界 すなわち 現 象 世 界 の 理 解 において 超 越 的 存 在 たる 神 や 来 世 の 問 題 を 考 えることが 不 可 欠 である 世 界 とは 異 質 のものと 言 えよ う ロシアの 若 い 世 代 は 今 太 古 からの 問 題 (вековечные вопросы)ばかりを 論 じている (14; 212) 7 というイヴァン カラマーゾフの 台 詞 を 引 くまでもなく あの 世 の 問 題 ( 特 に 魂 の 不 死 永 遠 の 生 はあるかないか という 問 題 )が 人 間 の 生 き 方 を 根 本 から 揺 るが すのがドストエフスキーの 文 学 の 世 界 である 第 2に 日 本 人 の 自 然 愛 好 著 者 は 日 本 人 の 自 然 との 関 わり 方 をインド 中 国 などと 比 較 しながら 様 々な 角 度 から 特 徴 付 けているが それは 日 本 の 仏 教 書 にしばしば 登 場 する 草 木 国 土 悉 皆 成 仏 という 考 え 方 において 顕 著 に 示 されている 第 3に 人 間 の 内 なる 自 然 欲 望 や 感 情 をそのまま 容 認 する 傾 向 それは 仏 教 におい ては 戒 律 破 棄 という 現 象 となってあらわれてくる また 一 方 で それは 人 間 に 対 する 愛 情 を 育 み 慈 悲 の 観 念 が 日 本 の 仏 教 ではとくに 強 調 された (69 頁 )という 今 掲 げた3 点 のドストエフスキーとの 関 わりについては 後 ほど 述 べることにして 中 村 6 諸 法 =すべての 事 物 = 現 象 実 相 = 真 実 ありのままの 姿 = 実 在 と 整 理 して 考 えるとよい 7 ドストエフスキーの 引 用 は Достоевский Ф.М. Полн. собр. соч. в 30 т. Л.:Наука, 1972-1990 に 拠 る カッコ 内 に 巻 数 と 頁 数 を 記 す 訳 は 拙 訳 以 下 同 21

元 氏 の 著 作 の 展 開 をもう 少 し 追 ってみることにしよう 上 のようなことが 述 べられている 第 2 章 の 論 議 を 踏 まえ 第 3 章 人 間 結 合 組 織 を 重 視 する 傾 向 第 4 章 非 合 理 主 義 的 傾 向 が 展 開 されているが この2つのテーマはドスト エフスキーの 残 した 様 々な 言 葉 と 共 鳴 している 地 下 室 の 手 記 に 出 てくる 有 名 な 言 葉 二 二 が 四 は 死 のはじまり はまさに 非 合 理 主 義 的 マニフェストである 人 間 結 合 組 織 の 重 視 に 関 しては 中 村 元 氏 が 特 定 個 人 に 対 する 絶 対 帰 投 という 項 目 で 取 り 上 げている 問 題 がたいへん 興 味 深 い ところで 宗 教 がややもすればなんらかの 権 威 にたよろうとする 傾 向 のあることはいうまでも ない しかしインドやシナの 思 想 家 は もちろん 特 定 個 人 にたよることも 多 くあったが 普 遍 的 な 理 法 をかかげて それに 随 従 しようとする 合 理 主 義 的 傾 向 がなお 著 しかった ところが 日 本 の 過 去 の 思 想 家 はややもすれば 普 遍 的 な 理 法 を 閑 却 して 特 定 の 個 人 の 権 威 を 強 調 しようと する (214 頁 ) そして 親 鸞 の 師 の 法 然 に 対 する 絶 対 的 帰 投 を 示 すものとして 次 のような 言 葉 が 引 か れている 親 鸞 にをきては たゞ 念 仏 して 弥 陀 にたすけられまひらすべしと よきひとのおほせをかうぶ りて 信 ずるほかに 別 の 子 細 なきなり 念 仏 は まことに 浄 土 にむまるゝたねにてやはんべ るらん また 地 獄 におつべき 業 にてやはんべるらん 総 じてもて 存 知 せざるなり たとひ 法 然 聖 人 にすかされまひらせて 念 仏 して 地 獄 におちたりとも さらに 後 悔 すべからずさふらふ (216 頁 歎 異 鈔 ) たとえ 法 然 にだまされ 念 仏 して 地 獄 に 堕 ちたとしても 後 悔 しない というこの 親 鸞 の 師 に 対 する 態 度 は たとえ 真 理 がキリストとは 別 にあると 誰 かが 私 に 証 明 し また 実 そうだとしても 際 に 私 は 真 理 と 共 にあるよりもキリストと 共 にありたい (28 к.1; 176) 8 というドストエフスキーの 言 葉 を 想 起 させずにはおかない どちらにとっても 人 間 対 人 間 の 結 びつきが 合 理 的 真 理 よりもはるかに 重 要 なのである しかし このような 類 似 点 と 共 に 親 鸞 とドストエフスキーとの 間 に 横 たわる 一 つの 大 きな 相 違 点 を 指 摘 しておかなければならない それは 親 鸞 の 帰 依 の 対 象 が 師 法 然 という 実 在 の 人 間 であり 親 鸞 との 間 に 現 世 における濃 密 な 個 人 的 接 触 があったのに 対 し ドス トエフスキーの 信 仰 の 対 象 であるキリストは 仮 に 実 在 の 人 物 であるとしても 少 なくと も 19 世 紀 のロシアに 生 きた 人 物 ではなく ドストエフスキーと 現 世 において 出 会 うなどと いうことは 決 してありえなかったということである 人 間 的 結 合 の 重 視 非 合 理 主 義 的 8 1854 年 2 月 下 旬 フォンヴィージナ 婦 人 への 手 紙 22

傾 向 という 面 において 見 事 なまでの 一 致 をみる 両 者 であるが 現 世 主 義 という 局 面 に おいては 両 者 は 決 定 的 な 違 いを 見 せる 親 鸞 の 帰 依 の 対 象 は 自 らの 直 接 の 師 である 法 然 であり 仏 教 における 絶 対 者 である 釈 迦 ではなかった ドストエフスキーの 信 仰 の 対 象 は 絶 対 者 キリストであり 現 世 における 直 接 の 師 ではない ここに 日 本 のキリスト 教 作 家 遠 藤 周 作 の 沈 黙 を 並 べてみるともっとよく 分 かる だろう この 作 品 の 中 で キリスト 教 布 教 のために 日 本 に 渡 りながら 転 んだ つまり 信 仰 を 捨 てたフェレイラは 次 のように 語 る お 前 には 何 もわからぬ 澳 門 やゴアの 修 道 院 からこの 国 の 布 教 を 見 物 している 連 中 には 何 も 理 解 できぬ デウスと 大 日 と 混 同 した 日 本 人 はその 時 から 我 々の 神 を 彼 等 流 に 屈 折 させ 変 化 さ せ そして 別 のものを 作 りあげはじめたのだ 言 葉 の 混 乱 がなくなったあとも この 屈 折 と 変 化 とはひそかに 続 けられ お 前 がさっき 口 に 出 した 布 教 がもっとも 華 やかな 時 でさえも 日 本 人 たちは 基 督 教 の 神 ではなく 彼 等 が 屈 折 させたものを 信 じていたのだ [ ] 日 本 人 は 今 日 まで[ ] 神 の 概 念 はもたなかったしこれからももてないだろう [ ] 日 本 人 は 人 間 とは 全 く 隔 絶 した 神 を 考 える 能 力 をもっていない 日 本 人 は 人 間 を 超 えた 存 在 を 考 える 力 も 持 っていない [ ] 日 本 人 は 人 間 を 美 化 したり 拡 張 したものを 神 とよぶ 人 間 と 同 じ 存 在 をもつものを 神 とよぶ だがそれは 教 会 の 神 ではない 9 もちろん ドストエフスキーにおいても 無 神 論 や 信 仰 への 懐 疑 は 描 かれてはいる しか しそれと 同 時 に 例 えばアリョーシャ カラマーゾフが 星 空 の 下 で 跪 き 大 地 に 口 づけし た 瞬 間 彼 は あたかもこれらすべての 神 の 世 界 からの 糸 が 一 度 に 彼 の 魂 の 内 で 触 れ 合 っ たかのようで 彼 の 魂 は 別 の 世 界 に 触 れ 深 くおののいた (14; 328)という 感 覚 を 覚 え る 場 面 がある ここでは 現 世 とあの 世 との 境 界 そのものが 取 り 払 われ あの 世 の 事 物 や 人 物 超 越 的 存 在 が 強 力 な 実 在 性 を 帯 びて 立 ち 顕 れてくるのである 2) 梅 原 猛 日 本 人 の あの 世 観 とドストエフスキー 学 生 時 代 にハイデッガーのニヒリズム 的 側 面 に 影 響 を 受 け ドストエフスキーの 神 がな い 神 がなかったら 道 徳 はない 道 徳 がなかったらすべてのことは 許 されるという その ようなスタヴローギンやイヴァンを 破 滅 させた 恐 ろしい 論 理 を 自 らの 肉 体 で 問 おうとして 9 遠 藤 周 作 沈 黙 新 潮 社 文 庫 1981 年 233-236 頁 23

いたのである 10 という 梅 原 猛 氏 にとって ドストエフスキーとの 付 き 合 いは 古 く また 11 根 源 的 である 社 会 主 義 陣 営 の 崩 壊 オウム 真 理 教 事 件 などに 際 して 発 せられた 氏 の 言 説 はそれ 自 身 ロシアに 紹 介 するに 値 するものであるが ここではそのことを 頭 の 片 隅 に 置 きつつも 氏 の 別 の 著 作 を 取 り 上 げてみたい 日 本 人 の あの 世 観 12 という 論 文 集 の 最 初 に 収 められているのが 世 界 の 中 の 日 本 の 宗 教 日 本 人 の あの 世 観 という 公 演 記 録 である ここでは 梅 原 氏 の 考 えるところ の 日 本 人 の 宗 教 意 識 が 端 的 にまとめられている 著 者 は 最 初 に 仏 教 移 入 以 前 から 日 本 に 存 在 している あの 世 観 をもっとも 純 粋 な 形 で 残 しているものとして アイヌと 沖 縄 の あの 世 観 に 着 目 し その 特 徴 を 以 下 の4 点 にまとめている 1 あの 世 は 空 間 時 間 の 秩 序 ( 上 下 左 右 昼 夜 )はこの 世 とアベコベである 以 外 は この 世 とあまり 変 わらず 従 って 天 国 と 地 獄 の 区 別 もなく 最 後 の 審 判 もない 2 人 が 死 ぬと 魂 は 肉 体 を 離 れて あの 世 に 行 って 神 になり そこで 待 っている 先 祖 の 霊 と 一 緒 に 暮 らす 3 人 間 ばかりか すべての 生 きるものには 魂 があり 死 ねばその 魂 は 肉 体 を 離 れてあの 世 へいける 4 あの 世 でしばらく 滞 在 した 魂 は やがてこの 世 へ 帰 ってくる 誕 生 とは あの 世 の 魂 の 再 生 にすぎない このようにして 人 間 はおろか すべての 生 きとし 生 けるものは 永 遠 の 生 死 を 繰 り 返 す そしてこのような あの 世 観 は 多 少 の 変 形 はあるにせよ 日 本 人 の 心 の 奥 底 に 残 っ ているという この 後 日 本 の 仏 教 と 神 道 の 発 展 段 階 についての 話 に 移 る ここで 詳 しくは 紹 介 しない が 例 えば 神 道 の 発 展 段 階 がいずれも 仏 教 の 発 展 段 階 の 中 間 に 位 置 していることから 日 本 の 神 道 思 想 の 発 展 は 仏 教 の 影 響 あるいは 仏 教 に 対 する 反 動 として 起 こっていると 考 えられ 従 って 仏 教 思 想 は 外 来 のもので 神 道 思 想 は 土 着 のものである という 常 識 的 な 見 解 は 必 ずしも 成 り 立 たないのである という 指 摘 など 興 味 深 いものが 多 々ある そして 日 本 の 宗 教 の 中 から 最 も 日 本 的 な 特 徴 をもつものとして 親 鸞 の 浄 土 真 宗 を 一 つ 選 び 考 察 を 加 える 著 者 は 論 点 を 以 下 の3つに 整 理 している 10 梅 原 猛 山 折 哲 雄 宗 教 の 自 殺 : 日 本 人 の 新 しい 信 仰 を 求 めて PHP 研 究 所 1995 年 186 頁 11 例 えば 1992 年 1 月 1 日 付 の 読 売 新 聞 朝 刊 に 寄 せられた 社 会 主 義 崩 壊 に 関 する 論 説 1995 年 6 月 2 日 付 の 朝 日 新 聞 朝 刊 に 寄 せられたオウム 真 理 教 事 件 に 関 する 論 説 著 書 心 の 危 機 を 救 え 日 本 の 教 育 が 教 えないもの ( 光 文 社 カッパハード 1995 年 ) 梅 原 猛 の 授 業 仏 教 ( 朝 日 新 聞 社 2002 年 )などでドストエフスキーへの 言 及 が 見 られる 12 梅 原 猛 日 本 人 の あの 世 観 中 央 公 論 社 文 庫 1993 年 以 下 カッコ 内 に 頁 数 を 記 す 24

(a) 仏 性 論 仏 性 論 というのは 仏 になりうる 範 囲 についての 問 題 で 奈 良 仏 教 は 仏 になれるのは 人 間 の 中 の 一 部 の 人 であり どうしても 仏 になれない 人 や 仏 になれるかどうかわからない 人 も 多 いという 見 解 をとった このほうが 釈 迦 仏 教 インド 仏 教 に 忠 実 だと 思 われる と ころが 天 台 宗 が 真 言 密 教 の 影 響 を 受 ける 中 で 仏 性 の 幅 は 人 間 をこえすべての 衆 生 に 拡 がり ついに 草 木 国 土 悉 皆 成 仏 という 言 葉 が 日 本 仏 教 の 合 言 葉 になった 親 鸞 の 浄 土 真 宗 を 含 め 鎌 倉 仏 教 はすべてこの 考 え 方 から 出 ている (b) 戒 律 論 日 本 仏 教 史 における 戒 律 論 に 関 して 最 澄 が 果 たした 画 期 的 な 役 割 は 重 要 である 彼 は 戒 律 の 簡 素 化 と 内 面 化 を 主 張 する 煩 瑣 で 煩 わしい 戒 律 を 退 け 簡 素 ではあっても 厳 しく 戒 律 を 守 ることを 説 いた ここで 心 からの 懺 悔 が 強 調 される (44 頁 )のである 著 者 は 最 澄 の 戒 律 論 を キリスト 教 は ユダヤ 教 の 戒 律 を 形 式 的 として 否 定 し (44 頁 ) たことと 対 比 している 親 鸞 はこの 戒 律 の 簡 素 化 内 面 化 の 線 をさらに 進 め これによっ て 日 本 の 仏 教 は 戒 律 否 定 在 家 仏 教 の 方 向 に 決 定 的 に 進 んだ (45 頁 )と 言 える (c) 浄 土 論 本 来 釈 迦 仏 教 の 眼 目 は 業 によって 輪 廻 をまぬがれない 人 間 を 輪 廻 の 世 界 から 解 放 しようとする (47 頁 )ところにあり 源 信 の 浄 土 論 はこの 点 で 釈 迦 の 考 え 方 に 近 いもの であった しかし 輪 廻 から 解 放 される 方 法 は 戒 律 を 守 り 瞑 想 をし 知 恵 を 磨 くという ものであり このようなことができるのは 少 数 者 であった それに 対 して 法 然 は 往 生 の 方 法 として 口 称 念 仏 をすすめ すべての 人 間 が 口 称 念 仏 によってあの 世 へ 行 くことが できる (49 頁 ) 道 を 開 いた これはまた 仏 性 は 誰 にでもあり 誰 もが 往 生 できる (49 頁 )という 日 本 仏 教 の 仏 性 論 と 戒 律 論 の 伝 統 の 下 にある そして 親 鸞 は 法 然 の 思 想 を 受 け えこう 継 ぎつつ 独 自 の 考 え 方 を 打 ち 出 した 彼 の 独 自 性 の 一 つは 二 種 廻 行 という 思 想 であ おうそう げんそう り それは 往 相 廻 行 と 還 相 廻 行 とからなる すなわち 念 仏 の 徒 はいったん 浄 土 に 往 生 した( 往 相 廻 行 ) 後 一 定 期 間 をおいてまたこの 世 に 戻 ってくる( 還 相 廻 行 )という 考 え 方 であるが ここで 着 目 したいのは 還 相 廻 行 この 世 に 戻 ってくるという 運 動 で ある この 世 とあの 世 あの 世 とこの 世 を 無 限 の 往 復 の 運 動 をするように 阿 弥 陀 仏 に よって 菩 薩 は 定 められている (52 頁 )のである そしてこの 考 え 方 は 先 に 述 べた 古 来 から 日 本 人 が 持 ち 続 けていたと 思 われる あの 世 観 に 一 致 する 日 本 に 土 着 した あ の 世 観 が 自 然 に 仏 教 に 浄 土 教 に 影 響 を 与 え 親 鸞 のような インドにも 中 国 にもな いような 浄 土 教 を 生 み 出 したのではないかという 仮 説 (56 頁 )がここに 成 り 立 つ 以 上 のように 親 鸞 の 仏 教 を 例 に 取 りつつ 外 来 の 仏 教 が 日 本 の 土 着 の 世 界 観 の 影 響 の 下 独 自 の 変 形 をこうむっていったことが 論 証 される さらに 著 者 はこのような 日 本 人 の あ 25

の 世 観 は 旧 石 器 時 代 においてすべての 人 類 に 共 通 な 原 初 的 な あの 世 観 を 色 濃 く 残 しているのではないか (62 頁 )と 考 える そしてこのような あの 世 観 は 生 きとし 生 けるものの 同 根 性 と その 共 存 関 係 の 重 要 性 (64 頁 ) 生 命 の 持 続 あるいは 生 命 の 永 久 の 循 環 という 思 想 (67 頁 )という 2 点 において 重 要 な 現 代 的 意 義 を 持 っていると 主 張 す るのである 3) 両 日 本 人 論 の 対 比 ならびに 日 本 のドストエフスキー 論 ここまで 簡 単 に 中 村 梅 原 両 氏 による 日 本 人 論 を 見 てきたが ひとまず 両 者 の 共 通 点 と 相 違 点 を 整 理 しておきたいと 思 う 1 仏 教 の 日 本 的 な 変 容 中 村 梅 原 両 氏 ともに 日 本 の 仏 教 を 取 り 上 げているが 具 体 的 な 内 容 はともかく 仏 教 が 日 本 に 受 容 される 際 あるいはその 後 日 本 に 広 まり 発 展 する 過 程 において 日 本 人 の ものの 考 え 方 世 界 観 の 影 響 を 受 けて 変 容 されていった という 全 体 の 流 れは 両 者 一 致 し て 述 べているところである 2 自 然 観 両 者 一 致 して 草 木 国 土 悉 皆 成 仏 という 言 葉 を 引 用 していることが 示 しているように 日 本 人 の 自 然 に 対 する 独 特 の 関 わり 方 がいずれの 論 においても 重 要 な 特 徴 として 挙 げら れている 中 村 元 氏 は 日 本 人 の 自 然 愛 好 というトピックでさまざまな 具 体 例 を 挙 げて 他 の 国 の 文 化 と 比 較 し 梅 原 氏 は 日 本 人 の 世 界 観 におけるアニミズム 的 性 格 を 述 べている 3 世 界 観 日 本 人 の 世 界 観 に 関 しては 両 者 の 着 目 点 に 顕 著 な 相 違 が 見 られる 中 村 元 氏 は 日 本 人 の 現 世 的 思 考 という 側 面 を 取 り 上 げ 来 世 や あの 世 についてはまったく 触 れ ていない 一 方 梅 原 氏 は 日 本 人 の 原 あの 世 観 から 話 を 始 め 親 鸞 の 二 種 廻 向 を 取 り 上 げて その あの 世 観 が 仏 教 の 日 本 的 発 展 に 反 映 されていることを 述 べている 4 戒 律 論 日 本 仏 教 の 歴 史 が 戒 律 を 簡 素 化 し 最 終 的 には 無 戒 律 の 状 態 にまで 至 ったことは 両 者 と もに 触 れているところであるが その 背 景 の 認 識 においては 差 異 が 見 られる 中 村 元 氏 は 戒 律 破 棄 の 背 景 として ありのままの 現 実 を 容 認 する 姿 勢 を 挙 げ 日 本 仏 教 において 慈 悲 の 観 念 が 強 調 されたことを 指 摘 する 一 方 梅 原 氏 は 戒 律 の 簡 素 化 の 裏 側 にある 懺 悔 の 重 要 性 を 指 摘 し そのプロセスにキリスト 教 における 旧 約 聖 書 から 新 約 聖 書 への 移 行 との 類 似 を 見 ている 26

さて 二 つの 日 本 人 論 についての 大 まかな 整 理 ができたところで いよいよ 日 本 におけ るドストエフスキー 論 そのものに 目 を 向 けてみたい これまで 述 べてきた 文 脈 において 日 本 のドストエフスキー 論 に 見 られる 二 つの 特 徴 に 着 目 したい 一 つは 自 然 観 という 論 点 もう 一 つは 甘 え という 論 点 である Ⅰ.ドストエフスキーにおける 自 然 観 日 本 人 によるドストエフスキー 論 においてしばしば 見 受 けられるのは 作 家 や 作 品 世 界 における 自 然 観 に 着 眼 している 点 である 自 然 の 中 には 人 間 の 内 なる 自 然 感 覚 も 含 まれるとするならば それについて 端 的 に 言 及 した 最 初 の 論 者 は 私 が 知 る 限 り 桶 谷 秀 昭 氏 であると 思 われる 例 えば 罪 と 罰 に 関 する 論 稿 で 氏 は ощущение( 感 触 ) という 言 葉 をキーワードとして 執 拗 に 用 い ている この 感 触 にわれわれがどんな 正 確 な 意 味 をあたえることも 不 可 能 に 近 い たとえば ラスコオリニコフは 一 切 の 他 者 一 切 の 世 間 を 失 ったのだ その 孤 独 こそこの 感 触 にほか ならないのだ といってみたところで それが 何 であろう 孤 独 という 意 識 など 彼 をさ いなむこの 感 触 にくらべれば 何 ものでもない ラスコオリニコフの 眼 に 触 れる 周 囲 のすべ てにたいする 限 りない 嫌 悪 は 冷 静 な 自 意 識 に 由 来 しない その 嫌 悪 は 彼 の 肉 体 を 苦 しめ るほとんど 生 理 的 な 苦 痛 そのものである 孤 独 にひとしい (30 頁 ) 13 このような 観 点 は 罪 と 罰 に 限 らず 他 の 長 編 についての 論 稿 においても 貫 かれてい る 何 らかの 観 念 の 組 織 を 思 想 と 呼 ぶのだとすれば ドストエフスキイはまったく 思 想 家 ではな い 彼 はどんな 思 想 も 作 品 の 中 で 語 ったことはない まして カラマアゾフの 兄 弟 は 思 想 小 説 などではない ドストエフスキイが 語 ろうとしたことは どんな 観 念 の 組 織 にも 到 達 しえな い 人 間 の 存 在 を 揺 がす 或 る 瞬 間 の 強 い 感 触 そのものであるような 絶 対 的 な 思 念 である 彼 はそこに 達 するために 近 代 の 知 性 の 過 程 をすっかり 歩 いたのであり その 逆 の 方 向 からでは ない 歩 いた 果 てに 知 性 の 推 論 の 糸 は 絶 たれ 一 つの 光 景 が 突 如 あらわれる 光 景 の 中 に 隠 れ ている 一 つの 眼 が 心 を 射 抜 く 太 陽 は 輝 き 木 の 葉 はきらめき 小 鳥 は 囀 っている これはなんら 比 喩 ではない ゾシマの 精 神 的 直 覚 となった 事 実 である (242-243 頁 ) 13 桶 谷 秀 昭 ドストエフスキイ 河 出 書 房 新 社 1978 年 カッコ 内 に 頁 数 を 記 す 下 線 は 小 林 以 下 同 27

中 村 健 之 介 氏 はその 著 作 ドストエフスキー 生 と 死 の 感 覚 14 の 中 で やはり 感 覚 を 中 心 テーマとしてより 端 的 に 論 じており その 第 1 章 の 表 題 罪 と 罰 の 自 然 感 あ るいは 文 章 中 に 用 いられている 思 想 を 感 じる という 表 現 がそのコンセプトを 物 語 って いる 中 村 健 之 介 氏 の 場 合 は 感 覚 という 人 間 の 内 なる 自 然 にとどまらず さらに いわゆる 自 然 動 植 物 が 生 きる 環 境 としての 自 然 についても 論 を 広 げていることも 見 逃 せない 高 橋 誠 一 郎 氏 はその 著 作 罪 と 罰 を 読 む 15 において ドストエフスキーの 創 作 を デ カルト 以 来 の 西 欧 合 理 主 義 に 対 する 批 判 として 位 置 づけつつ 現 在 人 類 が 直 面 している 地 球 環 境 問 題 にも 言 及 をしている 過 酷 な 運 命 を 抗 議 もせずに 受 け 入 れているソーニャやリザヴェータの 姿 を 高 橋 氏 は 樹 木 の 姿 に 例 えている 言 葉 を 換 えれば 樹 木 は 現 在 をそのままの 形 ですべて 受 け 入 れ 時 には 現 在 の 重 さ 苛 酷 さ のゆえに 静 かに 何 の 不 平 も 示 さずに 亡 んでいきます そしてこのような 樹 木 の 死 について 私 達 はしばしばほとんど 気 づかずに 通 りすぎてしまうのです けれども よく 知 られているよ うに 地 球 上 の 酸 素 の 分 子 を 作 り 出 し 動 物 の 生 存 を 可 能 にした 植 物 は 炭 水 化 物 を 作 り 出 して 人 間 も 含 め 動 物 たちに 活 動 のエネルギーをも 与 え 続 けてきたのです 物 言 わぬ 樹 木 の 死 はいつか は 私 たち 自 身 の 死 とつながるでしょう このように 見 てくる 時 ソーニャがラスコーリニコフにたいして 彼 が 血 を 流 して 大 地 をけ がしたと 非 難 し 大 地 への 接 吻 を 迫 るのはごく 自 然 な 行 為 であるでしょう なぜならば 樹 木 は 大 地 に 深 く 根 をおろしており 大 地 の 苦 しみを 直 接 感 ずることができるし また 汚 された 大 地 の 上 で 生 物 が 生 きることのむずかしさをよく 知 っているからです こうして 大 地 を 汚 すな というソーニャの 言 葉 は 素 朴 ではあるが 直 接 的 な 深 い 自 然 認 識 の 上 に 成 り 立 っていると 言 え るでしょう (141 頁 ) また 物 語 に 登 場 する 一 輪 の 花 についての 次 のような 指 摘 もある ドストエーフスキイは 犯 行 の 前 日 にペテルブルクの 郊 外 をさまよったラスコーリニコフが 花 に 見 とれ それをもっとも 長 くみつめた と 書 いています 花 から 強 い 印 象 を 受 けながら もその 意 味 を 理 解 できずに 立 ち 去 ったラスコーリニコフも 今 度 は うっそうたる 森 林 やソー ニャの 存 在 から 目 をそらさないのです このような 日 常 的 な 印 象 の 積 み 重 ねは 大 きな 違 和 感 14 中 村 健 之 介 ドストエフスキー 生 と 死 の 感 覚 岩 波 書 店 1984 年 15 高 橋 誠 一 郎 罪 と 罰 を 読 む 正 義 の 犯 罪 と 文 明 の 危 機 ( 刀 水 書 房 1996 年 ) その 後 新 版 罪 と 罰 を 読 む 知 の 危 機 とドストエフスキー ( 刀 水 書 房 2000 年 )が 出 版 された 28

となって 彼 の 自 然 観 ( 小 林 註 物 語 での 最 初 の 時 点 での)と 対 立 することになります (130 頁 ) ちなみに 桶 谷 秀 昭 氏 も 罪 と 罰 について 論 じた 章 の 冒 頭 でこの 花 を 見 つめる 場 面 を 取 り 上 げ じつに 素 気 ない 描 写 である だが 何 という 人 の 注 意 を 吸 い 寄 せる 文 章 だろう ( 桶 谷 前 掲 書 21 頁 )と 評 し たいへんなこだわりを 以 て 吟 味 しているが 16 桶 谷 氏 の 読 みにおいては しかし 私 にはラスコオリニコフの 見 ている 花 が 見 えない 花 は 見 えない が 花 を 食 い 入 るように 見 ているラスコオリニコフの 姿 や その 視 線 はみえる (23 頁 ) という 言 葉 が 示 す 通 り 関 心 は 花 を 凝 視 するラスコーリニコフの 内 面 世 界 に 向 いており 高 橋 氏 がここに 端 的 に 自 然 観 の 問 題 を 読 み 取 っているのと 大 きな 違 いがある 両 者 の 著 作 が 出 版 された 1978 年 と 1996 年 の 間 に 横 たわる 20 年 近 くの 間 に 日 本 で 起 こった 自 然 を めぐる 状 況 の 変 化 がここに 思 いがけず 示 されているのであろうか 長 編 小 説 白 痴 は 作 者 自 身 が 完 全 に 美 しい 人 間 を 描 こうとした と 言 っていること もあり 特 にロシアではキリスト 教 との 関 わりで 論 じられることが 多 いが 新 谷 敬 三 郎 氏 中 村 健 之 介 氏 はむしろ 人 間 の 生 と 死 というテーマが 中 心 なのではないかと 考 えている 17 このような 日 本 人 の 自 然 観 が 顕 れている 例 として さらに 中 村 健 之 介 氏 の 次 のような 一 節 がある ロシアの 若 い 知 識 人 たちを 惹 きつけたシェリング 哲 学 の 核 心 は もう 少 し 具 体 的 に 言 うと 唯 物 論 的 機 械 論 的 な 自 然 観 を 拒 否 して 自 然 は 生 ける 有 機 的 統 一 であり いわば 神 の 思 想 の 現 われなのだとするその 汎 神 論 風 な 自 然 観 であったようである [ ] ドストエフスキーとその 友 人 たちも 汎 神 論 的 自 然 観 を 歓 迎 した 若 者 たちであった 18 しかし このような 汎 神 論 的 な 理 解 に 対 する 反 論 として 現 代 ロシアの 研 究 者 T カ サートキナ 氏 が 2000 年 夏 に 千 葉 で 行 われたシンポジウムにおいて 行 った 報 告 人 間 の 自 然 との 相 互 関 係 からの 抜 粋 を 示 したい しかしながらドストエフスキーのテーゼは 大 まかなものであり それゆえ 曖 昧 で 一 見 著 者 が 汎 神 論 に 傾 倒 していたと 言 うことができるように 思 われるかも 知 れない しかし 汎 神 論 的 な 解 釈 は 正 しくはないであろう ドストエフスキーは 決 して 普 遍 宇 宙 とその 現 象 形 態 との 総 合 は 物 質 が 神 であるというものだ と 主 張 しているわけではない 彼 は 惰 性 と 死 の 克 服 へ 16 高 橋 誠 一 郎 氏 も 註 で 桶 谷 氏 のこの 記 述 に 触 れている 前 掲 書 184 頁 17 新 谷 敬 三 郎 白 痴 を 読 む 白 水 社 叢 書 44 1979 年 35-36 頁 ; 中 村 健 之 介 前 掲 書 93-94 頁 を 参 照 18 中 村 健 之 介 前 掲 書 104-105 頁 29

と 導 いてくれるのは 中 心 (центр) と 普 遍 宇 宙 そしてその 現 象 形 態 すなわち 物 質 との 総 合 であり それを 行 うことができるのは 惰 性 的 な 物 質 にすぎない 生 物 に 永 遠 の 命 を 与 える 神 のみだと 言 っているのである このテーゼは 実 のところ 極 めて 完 全 なる 正 教 の 信 仰 告 白 可 視 世 界 への 正 教 的 態 度 の 表 明 であり 使 徒 パウロの 言 葉 神 は 常 に 全 てにおいてあるだろう の 言 い 換 えなのである 19 カサートキナ 氏 の 主 張 は 特 に 中 村 健 之 介 氏 の 著 作 を 意 識 してなされたものではなく 別 の 文 脈 でなされたものだが 中 村 氏 の 見 解 と 並 べてみると 汎 神 論 的 な 解 釈 に 対 するキリ スト 教 の 側 からの 反 駁 として 読 むことができる ロシア 正 教 の 信 仰 の 立 場 からドストエフ スキーを 読 んでいる 現 代 ロシアの 多 くの 研 究 者 たちは キリスト 教 としての 一 神 教 の 立 場 に 厳 密 にこだわっていることが 見 て 取 れる 中 心 (центр) とはすなわち 創 造 者 たる 神 人 間 の 罪 を 自 分 の 血 であがなうキリストなどが 占 めている キリスト 教 の 言 わば 核 の 部 分 と 考 えればよいだろう そこに 対 するロシア 人 研 究 者 たちのこだわりを 我 々 日 本 人 は 留 意 しなければならない それに 対 し 中 村 健 之 介 氏 の 汎 神 論 的 な 解 釈 の 背 後 からは 日 本 文 化 における 多 神 教 的 あるいは 自 然 信 仰 的 な 土 壌 草 木 国 土 悉 皆 成 仏 という 有 名 な テーゼに 顕 れている 日 本 的 仏 教 思 想 が 見 えてくるように 思 われる キリスト 教 文 化 の 中 で 暮 らすロシア 人 の 立 場 から 日 本 人 の 間 違 い を 指 摘 することは 容 易 かも 知 れないが 間 違 いだと 指 摘 するだけでなく その 間 違 い (それも 彼 らの 目 から 見 た 場 合 の 間 違 い ) が 何 故 起 こるのか 間 違 い の 背 景 にどのような 世 界 観 が 横 たわっているのかを 追 究 する ことによってこそ 異 なる 文 化 間 の 相 互 理 解 にとって 生 産 的 な 議 論 が 可 能 になるのではな いだろうか Ⅱ.ドストエフスキー 文 学 に 描 かれた 甘 え 甘 え というと 甘 え の 構 造 に 代 表 される 一 連 の 研 究 によって 甘 え という 言 葉 を 日 本 文 化 を 理 解 するうえでの 重 要 な 学 問 的 概 念 に 高 めた 土 居 健 郎 氏 の 名 がすぐに 上 がってくる 20 また 甘 え が 実 は 日 本 以 外 の 文 化 における 人 間 の 心 理 や 行 動 を 読 み 解 く うえでも 有 効 な 概 念 であることを 世 界 にアピールし 実 際 に 海 外 の 研 究 者 によって 用 いら れるようになったということも 土 井 氏 の 功 績 であろう その 土 居 健 郎 氏 によって 発 展 さ 19 Касаткина Т.А. Взаимоотношения человека с природой // XXI век глазами Достоевского: перспективы человечества. М., 2002. С. 310. 訳 は 拙 訳 報 告 の 冒 頭 でドストエフスキーのメモ 帳 から 以 下 の 一 節 が 引 かれている: 唯 物 論 者 の 教 えは あらゆるものの 惰 性 的 性 質 と 物 質 の 機 械 性 すなわち 死 である 真 の 哲 学 の 教 えは 惰 性 の 克 服 すなわち 思 惟 すなわち 中 心 そして 普 遍 宇 宙 とその 現 象 形 態 たる 物 質 との 総 合 すなわち 神 すなわち 永 遠 の 生 である (20; 175) このドストエフスキーの テーゼ を 念 頭 に 置 いて 論 が 進 められている 20 先 に 註 で 触 れた 船 曳 武 夫 日 本 人 論 再 考 大 久 保 喬 樹 日 本 文 化 論 の 系 譜 のいずれも が 甘 え の 構 造 を 取 り 上 げている つまりそれだけスタンダードな 日 本 文 化 論 として 認 知 されているということである 30

せられた 甘 え の 概 念 をパラダイムにして 文 学 を 切 ってみたものである 21 という 論 文 集 甘 え で 文 学 を 解 く が 1996 年 に 出 版 された そしてここに 中 村 健 之 介 氏 と 清 水 孝 純 22 氏 がドストエフスキー 文 学 についての 論 文 を 寄 せている ここでは 特 に 清 水 孝 純 氏 の 論 文 ドストエフスキーの 道 化 的 世 界 と 甘 え を 取 り 上 げ 私 が 注 目 したいと 考 える 論 点 をいくつか 指 摘 したい まず 甘 え の 定 義 について 清 水 氏 は 土 居 健 郎 氏 の 著 作 から 甘 えの 心 理 は 人 間 存 在 に 本 来 つきものの 分 離 の 事 実 を 否 定 し 分 離 の 痛 みを 止 揚 しようとすること 23 という 定 義 を 引 き また 分 離 の 事 実 に 全 く 目 を 蓋 うことが 非 現 実 的 ならば 分 離 の 事 実 に 圧 倒 さ れて 人 間 関 係 の 可 能 性 に 絶 望 して 孤 立 することも 同 じく 非 現 実 的 であるといわねばならな いのである 24 という 土 居 氏 の 言 葉 に 寄 せ ドストエフスキーの 甘 える 主 人 公 は 分 離 の 事 実 に 全 く 目 を 蓋 う ことしか 知 らない 存 在 だったと 評 価 している 余 談 になるが 土 居 健 郎 氏 は 自 らの 著 作 の 中 で 中 村 元 氏 の 著 作 に 触 れ 中 村 元 氏 は 東 洋 人 の 思 惟 方 法 を 比 較 研 究 した 結 果 日 本 思 想 の 特 に 顕 著 な 傾 向 は 閉 鎖 的 な 人 倫 的 組 織 を 重 視 するということ である とのべておられるが これは 日 本 人 の 甘 えの 心 理 をいいかえたものと 解 される 25 と 述 べている 清 水 孝 純 氏 の 論 文 の 中 では 正 直 な 泥 棒 のエメリアン スチェパンチコヴォ 村 とそ の 住 人 たち のフォマーやエジェヴィーキン さらに 罪 と 罰 のマルメラードフといっ た 居 候 的 寄 食 的 存 在 である 道 化 的 人 物 に 焦 点 が 当 てられてゆくが 氏 の 論 考 で 注 目 すべき 点 は 第 一 に 甘 えは 甘 える 側 と 甘 えさせ 甘 えを 受 容 する 側 との いわば 暗 黙 の 協 力 の 上 に 成 り 立 っている (246 頁 )という 関 係 を 指 摘 している 点 第 二 にマルメラードフが 上 司 の 情 けで 一 度 は 職 場 に 復 帰 したものの 再 び 酒 におぼれ 始 めたことに 対 し 分 離 の 事 実 に 目 覚 めるべきだった が 本 能 的 にそれをしりぞけ た(274 頁 )という 解 釈 を 与 えてい ること 第 三 に 甘 え の 問 題 は 単 にドストエフスキーの 道 化 的 主 人 公 だけにとどまらず ロシアの 宗 教 性 の 特 徴 すなわち ロシア 民 族 の 母 性 的 心 情 男 性 的 人 格 構 成 原 理 の 欠 如 という 問 題 と 深 くかかわっていることをベルジャーエフを 引 きながら 述 べている 点 である ただし マルメラードフに 関 して 私 個 人 の 見 解 を 付 記 させていただきたい マルメラー ドフ 自 身 は 甘 え の 問 題 性 の 究 極 の 体 現 者 であることはまさにその 通 りだと 思 うが 罪 と 罰 の 作 品 全 体 において 見 たときに 彼 が 自 分 の 境 遇 をラスコーリニコフに 向 かって語 っ ているという 事 実 が 別 の 意 味 で 重 要 だと 思 われるのである ドストエフスキーの 作 品 にお いてはしばしば 決 して 肯 定 的 とは 言 えない 主 人 公 が その 捨 て 身 の 自 己 卑 下 の 中 で 二 分 三 分 の 真 実 を 語 るケースがあり 地 下 室 の 主 人 公 などはその 典 型 的 な 例 と 言 えるが 21 平 川 祏 弘 鶴 田 欣 也 編 甘 え で 文 学 を 解 く 新 陽 社 1996 年 25 頁 22 中 村 健 之 介 ドストエフスキーにおける 依 存 の 心 理 についての 覚 書 き 222-244 頁 清 水 孝 純 ドストエフスキーの 道 化 的 世 界 と 甘 え 245-277 頁 23 土 居 健 郎 甘 え の 構 造 弘 文 堂 新 装 版 2001 年 106 頁 24 同 書 107 頁 25 同 書 108 頁 31

この 場 合 のマルメラードフがそれにあたると 思 われる 神 がマルメラードフを 彼 が 自 ら それに 値 しないと 思 っているがゆえに 最 終 的 に 受 け 入 れてくれることを 願 う というの は 甘 えた 言 い 草 だが マルメラードフはその 弁 明 の 中 で 少 なくとも 自 分 は 救 われるに 価 しない と 言 っている すなわち 懺 悔 の 心 情 を 示 しているわけで この 言 葉 が 殺 人 を 犯 しながら 最 後 の 最 後 まで 自 分 が 悪 いとは 思 えなかったラスコーリニコフに 向 かって 発 せられると 考 えるとき それが 物 語 の 中 で 持 つ 意 味 が 明 らかになってくるのではないだ ろうか 懺 悔 の 問 題 はまた 戒 律 の 簡 素 化 とのかかわりで 仏 教 の 日 本 的 発 展 においても 重 要 な 意 味 を 持 つ 問 題 である 4) 終 わりに 今 回 取 り 上 げたのは 日 本 人 論 ならびに 日 本 におけるドストエフスキーの 膨 大 な 蓄 積 の 中 のごく 一 部 に 過 ぎない 日 本 人 の 宗 教 意 識 という 側 面 に 焦 点 を 絞 り そのコンテクスト の 中 で 解 釈 することのできるドストエフスキー 論 を 取 り 上 げた しかし このわずかなが らの 作 業 を 踏 まえたうえで 私 は 二 つの 提 言 をしたいと 思 う 第 一 に 自 然 観 甘 え といった 日 本 人 が 独 自 の 視 点 で 捉 えた 問 題 は ドストエフス キー 理 解 を 深 め 視 野 を 広 げるうえで 大 きな 意 義 をもっていると 考 えられる 罪 と 罰 や 白 痴 を 論 ずる 際 ロシアにおいては 神 キリスト 人 間 という 関 係 にもっぱら 注 意 が 払 われているが 自 然 と 人 間 という 関 係 にも 目 を 向 けていく 必 要 があるだろう 逆 に 我 々 日 本 人 には 自 然 観 という 独 自 の 文 化 的 土 壌 から 得 られたドストエフスキー 理 解 を 活 かしながら 我 々にとっては 異 質 な キリスト 教 のテーマの 本 質 にどうアプローチ していくかという 課 題 が 与 えられているのである 一 方 甘 え に 関 する 議 論 で 説 かれて いる 人 間 関 係 のあり 方 は 慈 悲 懺 悔 といった 宗 教 的 なテーマとつながっており 日 本 とロシアにおける 人 間 の 行 動 様 式 という 次 元 を 超 え 仏 教 とキリスト 教 を 比 較 するうえ での 有 力 な 手 がかりを 与 えてくれる 可 能 性 を 持 っている そして 第 二 に 仏 教 が 日 本 に 受 容 され 発 展 をとげる 中 で 日 本 人 の 思 考 様 式 世 界 観 に 合 うような 形 に 屈 折 変 容 されていったことは 中 村 元 梅 原 猛 両 氏 がそろって 主 張 してい ることであるが それと 同 様 のことがキリスト 教 がロシアに 受 容 される 際 にも 起 こったで あろうことは 十 分 考 えられる ロシア 正 教 に 見 られる 二 重 信 仰 など 研 究 者 もその 点 には 目 を 向 けているが ドストエフスキー 研 究 の 場 となると ドストエフスキー=キリス ト 教 の 作 家 という 視 点 で 語 られることがほとんどである キリスト 教 受 容 以 前 からロシ ア 人 の 持 っていた 思 考 様 式 世 界 観 がキリスト 教 をロシア 的 に 変 容 し またそれがドスト エフスキーの 創 作 に 顕 れているという 可 能 性 はないだろうか その 意 味 で あえて ドス トエフスキーとロシアの 異 教 という 問 題 がもっとクローズアップされてもよいのではな いかと 思 われるのである 32