沖 縄 の 水 資 源 開 発 がもたらしたもの ~ 県 民 のくらしと 水 道 ~ 中 村 正 秀 沖 縄 県 企 業 局 建 設 計 画 課 計 画 調 整 監 NAKAMURA Masahide 1.はじめに 水 資 源 に 恵 まれない 沖 縄 県 は 永 年 の 間 水 の 確 保 に 苦 労 した 島 であった 沖 縄 本 島 における 水 資 源 開 発 がどのように 行 われていったか ま たそのもたらした 効 果 について 戦 前 戦 後 本 土 復 帰 以 降 と 各 時 代 別 にみながら 水 資 源 及 び 水 道 施 設 の 整 備 状 況 の 変 遷 を 報 告 したい 2. 沖 縄 の 自 然 環 境 沖 縄 は160の 珊 瑚 礁 の 島 々からなる 島 しょ 県 で 本 島 も 細 長 い 地 形 をしており 大 きな 河 川 や 湖 などの 水 源 に 恵 まれていない そのため 先 人 たちは 昔 から 希 少 な 水 の 確 保 に 知 恵 を 絞 り たゆまない 努 力 を 重 ね また その 中 から 水 に 対 する 信 仰 や 芸 能 伝 統 行 事 な ど 沖 縄 独 特 の 水 文 化 を 育 んできた し 引 いた 量 に 当 該 地 域 の 面 積 を 乗 じた 値 )は 1,837m 3 / 年 人 で 全 国 平 均 3,230 m 3 / 年 人 の 57%にすぎない また 降 雨 の 年 間 変 動 も 大 きく 年 間 降 雨 量 の 大 部 分 が 梅 雨 期 と 台 風 の 襲 来 する 夏 期 に 集 中 している さらに 沖 縄 本 島 内 に 散 在 する 中 小 の 河 川 に ついてみると 流 域 面 積 が 小 さく 流 路 延 長 も 短 いうえに 勾 配 が 急 なため 雨 水 の 大 部 分 は 利 用 されないまま 海 に 流 出 してしまう 特 徴 があ る 3. 戦 前 の 県 民 のくらしと 水 道 戦 前 は 那 覇 市 など 一 部 の 市 町 村 に 水 道 が 引 かれていたが ほとんどの 地 域 で 生 活 用 水 を 井 戸 天 水 湧 き 水 等 に 依 存 していた (1) 沖 縄 県 の 人 口 の 推 移 及 び 分 布 状 況 沖 縄 県 の 人 口 は 終 戦 後 の1946( 昭 和 21) 年 に 約 51 万 人 であったのが 本 土 復 帰 時 の1972( 昭 和 47) 年 に 約 96 万 人 2008( 平 成 20) 年 には 約 137 万 人 になり 復 帰 直 後 と 比 べると 約 1.4 倍 に 増 えている 企 業 局 の 水 源 は 北 部 中 部 にあり その 中 でも 水 源 の 大 部 分 を 占 める 北 部 のダム 水 及 び 河 川 水 を 県 人 口 の 約 8 割 が 集 中 する 中 南 部 の 消 費 地 へ 送 っているのが 特 徴 である (2) 降 水 量 の 特 徴 年 平 均 降 水 量 は 約 2,037mm( 那 覇 )で 全 国 平 均 1,718mmを 上 まわっており 全 国 でも 比 較 的 雨 量 の 多 い 地 域 である しかし 人 口 密 度 が 高 いため 年 間 の 水 資 源 賦 存 量 ( 理 論 上 人 間 が 最 大 限 利 用 可 能 な 水 の 量 で 降 水 量 から 蒸 発 散 によって 失 われる 量 を 差 写 真 -1 ガジュマルの 木 の 根 からしたたる 水 を 利 用 している 様 子 出 典 : 水 のいまむかし( 沖 縄 の 水 研 究 会 ) 9
人 々は 十 分 な 水 道 施 設 がないため 夏 場 の 日 照 り 干 ばつなどに 悩 まされ 飲 み 水 の 確 保 に 苦 労 していた 4. 戦 後 ~ 復 帰 前 の 県 民 のくらしと 水 道 (1) 戦 後 の 水 道 供 給 体 制 戦 争 によって 灰 じんに 帰 し 戦 後 しばらくの 間 水 道 の 空 白 時 代 があったが 琉 球 政 府 が 設 立 された1952( 昭 和 27) 年 以 降 琉 球 政 府 及 び 米 国 民 政 府 の 補 助 金 によって 水 道 がしだいに 普 及 し 始 め 1960( 昭 和 35) 年 頃 には 那 覇 市 コザ 市 ( 現 沖 縄 市 )をはじめとする8つの 市 町 村 水 道 と 局 所 的 な 簡 易 水 道 を 合 わせると 約 200の 水 道 が 誕 生 し 琉 球 列 島 において 人 口 の 約 40%の 人 々に 給 水 していた 図 1の 一 日 平 均 需 要 量 をみると1964( 昭 和 39) 年 度 までは 民 需 より 軍 需 の 方 が 大 きくその 年 を 境 に 民 需 が 上 まわり 逆 転 している また 1962( 昭 和 37) 年 度 には2,100 万 ガロン (79,000m 3 )/ 日 だったのがその9 年 後 の1971( 昭 和 46) 年 度 には5,000 万 ガロン(189,000m 3 )/ 日 と 約 2.4 倍 に 著 しく 増 大 している ある 琉 球 水 道 公 社 が 設 立 された 琉 球 水 道 公 社 は 米 軍 が 管 理 する 全 島 統 合 上 水 道 から 分 水 を 得 て 市 町 村 へ 給 水 を 行 っていた また 米 軍 は 琉 球 水 道 公 社 から 付 託 を 受 け 水 源 開 発 や 水 道 施 設 の 建 設 及 び 管 理 を 行 っていた 写 真 2は 米 軍 当 局 へその 余 裕 水 の 供 与 を 訴 え 水 道 施 設 費 の 援 助 を 求 める 陳 情 書 である ~ 前 略 ~ 住 民 の 苦 労 とは 別 に 米 軍 にあっては 当 時 散 在 的 にではあったが 比 較 的 一 貫 した 水 道 施 設 を 琉 球 進 駐 以 来 有 していたので 地 域 住 民 は 琉 球 政 府 をとおして 米 軍 当 局 にそ の 余 裕 水 の 供 与 を 訴 え また 市 町 村 等 からは 水 道 施 設 費 の 援 助 を 求 める 陳 情 がしばしば 行 われた なかでも 学 生 児 童 を あずかる 学 校 当 局 やPTA( 父 兄 会 )からの 陳 情 は 子 供 達 が 飲 用 水 を 休 み 時 間 等 を 利 用 して 近 隣 の 井 戸 から 共 同 して 持 ち 運 ぶ 苦 労 や 井 戸 水 質 の 劣 悪 さによる 伝 染 病 の 懸 念 等 の 実 情 を 切 々と 訴 えるものが 多 く 当 時 の 窮 状 が 強 くしのばれる また 一 般 の 人 々にあっても 同 様 な 状 況 下 にあり 水 を 求 め る 声 は 社 会 的 にも 日 増 しに 強 まる 一 方 であった 公 益 水 道 の 欠 如 は 人 々に 水 汲 みの 苦 労 伝 染 病 の 誘 発 火 災 時 におけ る 消 火 活 動 の 不 便 さらには 経 済 活 動 への 支 障 等 々を 必 然 に 若 起 した このような 実 情 の 重 大 さを 背 景 に 当 時 の 為 政 者 は 日 毎 に 高 まる 水 道 に 対 する 社 会 的 要 請 を 焦 眉 の 問 題 として その 対 処 策 の 早 急 な 樹 立 の 要 を 深 く 認 識 させられたのである 写 真 -2 水 道 施 設 費 の 援 助 を 求 める 陳 情 書 ( 英 文 翻 訳 ) 出 典 : 公 社 13 年 の 歩 み( 琉 球 水 道 公 社 ) (2) 水 道 普 及 率 と 赤 痢 患 者 数 について 赤 痢 菌 はその 国 の 衛 生 状 態 を 表 す 傾 向 がある ため ここで 復 帰 前 の1960( 昭 和 35) 年 から 1994( 平 成 5) 年 までの 水 道 の 普 及 率 と 赤 痢 患 図 -1 一 日 平 均 需 要 量 出 典 :1971 会 計 年 度 年 次 報 告 書 ( 琉 球 水 道 公 社 ) 米 軍 は1950( 昭 和 25) 年 陸 海 空 海 兵 隊 の 四 軍 が 独 立 して 運 営 していた 軍 水 道 を 全 島 統 合 上 水 道 として 一 元 化 し 余 剰 水 を 基 地 周 辺 の 市 町 村 へ 分 水 していた ところが 復 興 の 進 展 に 伴 う 人 口 増 加 都 市 への 集 中 が 激 しくなり 1950 年 代 後 半 に 入 ると 民 間 地 域 の 水 不 足 が 深 刻 な 問 題 になってきた そこで 米 国 民 政 府 によって 全 島 統 合 上 水 道 を 基 にした 民 間 地 域 を 含 めた 広 域 水 道 構 想 が 検 討 され 1958( 昭 和 33) 年 沖 縄 県 企 業 局 の 前 身 で 図 -2 沖 縄 県 における 水 道 普 及 率 と 赤 痢 患 者 数 の 推 移 出 典 : 平 成 6 年 衛 生 統 計 年 報 ( 衛 生 統 計 編 ) ( 沖 縄 県 環 境 保 健 部 ) 環 境 保 健 行 政 の 概 要 平 成 7 年 ( 沖 縄 県 環 境 保 健 部 ) 沖 縄 県 の 水 道 概 要 平 成 7 年 度 版 ( 沖 縄 県 環 境 保 健 部 生 活 衛 生 課 ) 沖 縄 の 水 道 その 歴 史 と 技 術 の 変 遷 ( 金 城 義 信 著 ) 10
者 数 の 推 移 を 表 した 図 を 紹 介 する 図 2より 1960( 昭 和 35) 年 から 毎 年 のよう に 約 200 人 から 約 1900 人 の 患 者 が 発 生 していた 状 況 に 対 して 1972( 昭 和 47) 年 を 境 にして 急 激 に 減 っている 水 道 の 普 及 率 の 上 昇 とともに 衛 生 状 態 が 改 善 され 赤 痢 患 者 が 減 っていったものと 思 われる (3) 戦 後 の 水 源 本 土 復 帰 の1972( 昭 和 47) 年 までは 水 道 施 設 は 米 軍 管 理 であったため 仕 様 も 米 国 基 準 で あった そのため 単 位 も 水 量 についてはガロ ン 長 さはフィート 又 はインチ 重 さはポンド が 使 われていた 当 時 の 水 源 は 中 部 及 び 北 部 の 河 川 と 嘉 手 納 登 川 及 び 天 願 地 域 の 井 戸 群 から 取 水 していた 沖 縄 本 島 の 中 北 部 にある9つの 主 な 河 川 からは 一 日 におよそ4,000 万 ガロン( 約 15 万 m 3 )の 取 水 が 可 能 であり また 嘉 手 納 登 川 及 び 天 願 地 域 にある47 ヶ 所 の 井 戸 からは 一 日 およそ2,500 万 ガロン( 約 9 万 4,000 m 3 )の 取 水 が 可 能 であっ た この 井 戸 群 については 水 量 が 安 定 的 に 取 水 できたため 天 候 に 左 右 されない 水 源 として 渇 水 期 にも 大 いに 威 力 を 発 揮 した また 6 億 2,400 万 ガロン( 約 235 万 m 3 )の 貯 水 能 力 をもつ 瑞 慶 山 ダム( 現 在 の 倉 敷 ダムの 再 開 発 前 )と3 億 3,400 万 ガロン( 約 125 万 m 3 )の 貯 水 能 力 をもつ 天 願 ダム( 現 山 城 ダム)の 水 は 渇 水 期 に 中 部 の 河 川 水 が 減 少 した 際 その 不 足 分 を 補 うために 利 用 された 福 地 ダムは 琉 球 水 道 公 社 から 付 託 された 米 軍 による 監 督 下 で 建 設 が 始 まっていたが 着 工 してまもなく 復 帰 を 迎 えた 1971( 昭 和 46) 年 1 月 以 来 の 異 常 干 ばつのた め 河 川 水 や 地 下 水 が 極 端 に 減 少 し 沖 縄 の 水 事 情 は 窮 地 に 立 たされた 写 真 3は1971( 昭 和 46) 年 6 月 の 天 願 ダムの 写 真 である 5. 復 帰 以 降 の 水 道 本 土 復 帰 1972( 昭 和 47) 年 とともに 沖 縄 県 企 業 局 が 琉 球 水 道 公 社 の 財 産 等 を 引 き 継 ぎ 水 道 用 水 供 給 事 業 がスタートした 劣 悪 な 水 事 情 の 解 消 及 び 将 来 の 水 需 要 の 増 大 に 対 処 するため 第 1 次 ~ 第 3 次 沖 縄 振 興 開 発 計 画 及 び 沖 縄 振 興 計 画 に 基 づき 水 源 開 発 や 水 道 施 設 の 整 備 を 図 ってきた その 結 果 本 土 復 帰 時 点 の1972( 昭 和 47) 年 度 には89.2%だった 水 道 普 及 率 が1986( 昭 和 61) 年 度 末 には 県 内 53 市 町 村 のすべてに 水 道 が 布 設 され1994( 平 成 6) 年 度 末 には 県 全 体 で99.7%と 高 い 水 道 普 及 率 を 達 成 し さらに 平 成 15 年 度 末 には100%に 達 した また 沖 縄 本 島 では 毎 年 のように 繰 り 返 されていた 断 水 も1994( 平 成 6) 年 度 からなくなり 現 在 もその 状 況 が 続 いている (1) 水 源 別 取 水 量 本 土 復 帰 時 点 の1972( 昭 和 47) 年 度 の 日 平 均 取 水 量 は227.8 千 m 3 であったが2008( 平 成 20) 年 度 には433.2 千 m 3 になり 約 2 倍 ( 図 3)に 増 え ている また 水 源 別 取 水 量 の 割 合 も1972( 昭 和 47) 年 度 は 河 川 水 が54.6%を 占 めていたのが2008( 平 成 20) 年 度 では18.5%となり 逆 にダムからの 取 水 量 が14.9%から72.7%と 大 幅 に 増 えている 図 3 水 源 別 取 水 量 の 推 移 出 典 : 企 業 局 概 要 沖 縄 の 水 ( 沖 縄 県 企 業 局 ) 写 真 3 貯 水 量 が 底 をついた 天 願 ダム 出 典 :1971 会 計 年 度 年 次 報 告 書 ( 琉 球 水 道 公 社 ) (2) 復 帰 以 降 のダム 開 発 復 帰 以 降 は 国 が 事 業 主 体 となり 米 軍 から 引 き 11
継 いだ 建 設 中 の 福 地 ダムを 完 成 させ 企 業 局 は 水 道 用 水 供 給 事 業 者 としてダム 開 発 へ 参 画 する 形 態 をとった その 後 も 同 様 の 形 態 で 福 地 と 連 結 する 安 波 ダム 新 川 ダム 普 久 川 ダム 辺 野 喜 ダムのいわゆる 北 部 5ダムを 次 々と 多 目 的 ダ ムとして 完 成 させた さらにその 後 も 引 き 続 き 漢 那 ダム 倉 敷 ダム 羽 地 ダムを 完 成 させ 現 在 は 大 保 ダムの 試 験 湛 水 と 億 首 ダムの 建 設 を 行 っている (3) 東 系 列 導 水 管 東 系 列 導 水 管 は 福 地 ダムから 久 志 浄 水 場 を 経 て 石 川 浄 水 場 までの 導 水 管 であるが 写 真 4 は 復 帰 後 整 備 した 東 系 列 導 水 管 の 一 部 で 現 在 も 石 川 浄 水 場 の 前 庭 に 展 示 されている この 水 道 管 は 企 業 局 で 使 われている 一 番 大 きな 導 水 管 で 直 径 が2mもあり 久 志 浄 水 場 からうるま 市 石 川 赤 崎 までの 約 23kmにわたって 布 設 され ており 一 日 あたり396,000m 3 の 水 を 送 ること ができる 写 真 4 東 系 列 2000mm 導 水 管 (4) 西 系 列 水 道 水 源 開 発 事 業 企 業 局 が 昭 和 55 年 度 から 進 めている 事 業 であ り 西 系 列 水 道 水 源 開 発 事 業 は 図 4に 示 す 沖 縄 北 西 部 12 河 川 から 豊 水 時 の 余 剰 水 を 取 水 し 国 が 建 設 している 大 保 ダム 並 びに 再 開 発 し た 倉 敷 ダムに 導 水 貯 留 して 水 道 水 源 の 安 定 確 保 を 図 るもので 日 量 9 万 8,200m 3 の 水 源 が 開 発 さ れる 計 画 となっている (5) 水 の 硬 度 について 水 質 的 には 中 部 一 帯 の 水 源 が 北 部 水 源 に 比 較 して 硬 度 が 高 く とりわけ 井 戸 群 の 硬 度 が 高 かった 硬 度 が 高 い 理 由 としては その 場 所 の 地 質 が 大 きく 影 響 する 地 質 的 に 中 部 一 帯 は 石 灰 岩 層 で 覆 われているため そこに 蓄 えられたカルシ ウムやマグネシウム 等 のミネラル 分 が 地 下 水 の 中 に 溶 け 出 し 井 戸 群 の 硬 度 を 高 めている 井 戸 群 建 設 当 初 はまず 水 の 量 を 確 保 すること に 主 眼 がおかれていたため 水 の 硬 度 が 高 いこ とによる 石 鹸 の 泡 立 ちがすくないことや ヤ カンの 底 に 貯 まる 石 灰 分 等 のことが 話 題 にのぼ ることはすくなかった その 後 水 量 の 充 足 とともに おいしい 水 へ の 関 心 が 高 まり 硬 度 の 低 減 化 が 望 まれてきた その 要 望 に 対 応 するため 中 部 河 川 や 井 戸 群 の 取 水 量 を 調 整 するなど 水 運 用 の 変 更 等 で 徐 々 に 硬 度 を 下 げていった さらに2003( 平 成 15) 年 には 井 戸 群 の 硬 度 低 減 化 施 設 を 北 谷 浄 水 場 内 に 整 備 したことにより 硬 度 は120 程 度 ( 図 5) まで 低 減 している 今 後 は 大 保 ダムの 供 用 開 始 等 により ダム 水 のブレンド 率 が 高 まるため さらなる 硬 度 の 低 減 が 見 込 まれる 図 5 本 島 中 部 地 区 の 浄 水 硬 度 経 年 変 化 図 4 西 系 列 水 道 水 源 開 発 事 業 一 覧 図 一 方 1980( 昭 和 55) 年 頃 から 住 宅 地 へ 近 接 している 登 川 天 願 地 域 では 近 隣 の 民 間 井 戸 の 地 下 水 位 低 下 等 の 影 響 があり その 一 帯 の 井 12
戸 群 は 廃 止 された 現 在 は 嘉 手 納 基 地 及 びその 周 辺 井 戸 のみが 残 っており 取 水 量 もピーク 時 の 約 1/3 程 度 になっている 2 北 谷 浄 水 場 の 更 新 及 び 耐 震 化 3 名 護 ~ 本 部 ラインの 耐 震 化 4 西 原 ~ 糸 満 ラインの 耐 震 化 (6) 安 心 安 全 安 定 した 水 道 沖 縄 本 島 の 地 形 は 南 北 に 細 長 く 大 規 模 水 源 は 北 部 に 集 中 し 需 要 地 域 は 中 南 部 に 集 中 してい るため その 南 北 を 結 ぶ 長 距 離 の 導 水 トンネル や 導 水 管 が 大 動 脈 であり 生 命 線 となっている このため ひとたび 導 水 トンネルや 導 水 管 の 破 損 事 故 及 び 水 源 汚 染 等 の 水 質 事 故 に 見 舞 われ た 場 合 でも 被 害 を 最 小 限 にくい 止 めるよう 水 源 を 分 散 し 東 系 導 水 管 と 西 系 導 水 管 の 太 い2 つの 幹 線 を 結 ぶハシゴ 状 の 連 絡 管 を 整 備 してい る 整 備 済 みの 導 水 管 連 絡 管 としては 大 宜 味 村 大 保 ~ 東 村 宇 出 那 覇 許 田 ~ 久 志 うるま 市 伊 波 ~うるま 市 赤 崎 の3 箇 所 となっている ま た 浄 水 場 から 送 水 する 送 水 管 の 連 絡 管 としては 石 川 系 と 北 谷 系 を 結 ぶ 沖 縄 市 美 里 ~ 沖 縄 市 山 内 北 中 城 村 石 平 ~ 北 中 城 村 渡 口 中 城 村 南 上 原 ~ 西 原 町 棚 原 と3 箇 所 となっており 建 設 中 の 沖 縄 市 美 里 ~ 沖 縄 市 山 内 は22 年 夏 頃 に 供 用 開 始 予 定 である ( 図 6) 6.おわりに 復 帰 後 毎 年 のように 水 不 足 が 生 じ 給 水 制 限 が 実 施 されていたが 沖 縄 本 島 においては 平 成 6 年 度 以 降 多 目 的 ダムや 西 系 列 水 道 水 源 開 発 等 及 び 海 水 淡 水 化 施 設 の 整 備 もあって 給 水 制 限 のない 安 定 した 状 況 が16 年 続 いている 今 後 は 人 口 や 観 光 客 の 増 加 に 伴 う 水 需 要 に 対 応 するための 拡 張 整 備 が 完 成 した 後 は 老 朽 化 施 設 の 計 画 的 な 更 新 及 び 安 心 でおいしい 水 づ くりに 向 けた 施 設 整 備 へ 重 点 が 移 っていくこと になる 一 方 身 近 にある 水 源 も 地 域 単 位 個 人 単 位 で 利 用 することにより 防 災 上 は 貴 重 な 水 源 と なるため 湧 き 水 や 井 戸 水 雨 水 利 用 等 も 有 効 活 用 し 水 質 的 に 飲 料 水 に 適 さない 場 合 等 は 雑 用 水 に 活 用 するなど 水 利 用 を 工 夫 し 安 易 に 廃 止 することのないようにしていただきたい 県 民 一 人 ひとりが 限 られた 資 源 である 水 の 有 効 利 用 と 節 水 について 普 段 から 心 がけ 節 水 型 社 会 を 形 成 することが 必 要 である また 水 源 を 守 り 維 持 していくためには 水 道 関 係 者 のみならず 水 の 受 益 地 域 の 人 々も 水 源 に 対 する 理 解 を 深 め 水 源 地 と 受 益 地 の 相 互 理 解 の 必 要 がますます 重 要 になってきた 今 後 と も 限 りある 資 源 を 大 切 に 使 っていきたいもので ある 図 6 導 送 水 管 連 絡 管 (7) 今 後 の 水 道 施 設 整 備 計 画 今 後 水 道 施 設 整 備 は アセットマネジメント を 取 り 入 れた 水 道 施 設 の 適 切 な 資 産 管 理 を 行 う 必 要 がある 耐 震 性 のない 老 朽 管 の 更 新 や 浄 水 場 ポンプ 場 調 整 池 等 の 更 新 を 重 要 度 も 加 味 し 総 合 的 に 判 断 して 優 先 順 位 を 決 定 し 更 新 計 画 を 立 てていくことになる 現 在 進 めてい る 主 な 計 画 は 下 記 の 通 りである 1 新 石 川 浄 水 場 の 高 度 処 理 施 設 及 び 原 水 調 整 池 の 整 備 参 考 文 献 1) 琉 球 水 道 公 社 : 公 社 13 年 の 歩 み 2) 沖 縄 の 水 研 究 会 : 水 のいまむかし 3) 琉 球 水 道 公 社 : 年 次 報 告 書 (1971 会 計 年 度 ) 4) 金 城 善 信 : 沖 縄 の 水 道 13