アフマドさん 25 歳 義手 右肘下 および義足 右膝下 新規作成 東グータ出身 ベドウイン 遊牧民 として生活する彼は 戦闘を避け 家 族と家畜とともにアル ドゥメイル地 区へと避難していましたが 避難先で 負傷しました 野に出て羊の世話をし ていた 2015 年 4 月 彼のすぐ近くに 戦車からの砲撃が落ち 彼の右腕と右 足を奪っていきました また歩く事ができるようになるの は素晴らしい事だ 松葉 を使わずに 歩くのは大きな変化だろう と言うア フマドさん 以前 野で家畜の世話を する時にはやかんやグラスなどの お 茶セット を持ち歩き 火を焚いてお茶 を飲みながら羊が草を食むのを眺めて いたとのこと その 甘い紅茶が恋し い とのこと またそのような平和な 日々が戻ってくる事を願います モハンマドさん 義足 左脚膝上 作り直し モハンマドさんはダマスカス郊外のダライヤ出身です ダライヤは政府軍に包囲され ており戦闘も激しい地域です 2013 年 自宅にいた彼は 砲撃により家が崩壊し全身 に怪我を負いました 足 腕 腹部 背中 首を負傷し ヨルダンの病院へと運ばれそ こで足を切断しました 左腕 手にはうまく力が入らないという後遺症が残りますが リハビリを受けるようになって改善したとのことです 大変な状態でしたが 全体的 に良くなっているんですよ と嬉し そうに言います 義足は 2 本目です 最初に彼が 得た義足は彼の足に合わず 切断し た足を傷めてしまう可能性があっ たため 作り直すことになりました シリアにいた時は 彼は社交的で よく外出していたとのこと 足を切 断してしばらくは義足もなく外に 出ることができないのが辛かった と言います 新しい義足は 彼に ど こにでも自由に行くことができる と感じさせ心強さをも与えます アリさん 55 歳) 義足 右足膝上 シリコンおよびソケット部分作り直し 東グータ地域出身 2014 年 11 月に負傷し ヨルダンに緊急治療のため運ばれてき ました 2 ヵ月以上入院し そこで足を 2 度 切断しました その後 ザアタリ難民キ ャンプに移り そこでリハビリテーションを受け始めます そのリハビリ施設を通し 最初の義足を作成しました その義足のソケットおよびその中に装着するシリコン部分
ても楽しんでいたので 新しい義足でまた歩いて行けるようになるのを楽しみにしてい ます と嬉しそうに教えてくれました 本人の希望により お顔の公表は控えさせていただいています モハンマドさん 25 歳 義手 左腕肘下 作り直し ダラア出身のモハンマドさんは 現在ザアタリ難民キャンプに住んでいます 2014 年 1 月 戦闘に巻き込まれて負傷しました 戦車の砲弾が彼の近くに落ちた時 近く にいた 2 人は亡くなりました 彼自身はラムサ ヨルダン側のシリア国境に近い町 の病院に搬送され そこで負傷した腕を切断しました その後彼の両親 兄弟がすでに 住んでいたザアタリ難民キャンプに来ました 当初 他の NGO から義手を提供されたもの の それが合わなかったとのことで 今回新し く作り直すことにしました 新しい義手は可動 式のもので 手でものを掴むこともできるタイ プです 紛争が始まる前 彼は車の修理や洗車をする ワークショップで働いていたそうです そのワ ークショップは今は閉じられたままです 彼が 住んでいた家は 戦闘の最前線の位置に会った ため 壊されてしまいました 彼がシリアを離 れた当時から その地域には電気も水も通って いなかったとのことです ザアタリ難民キャンプにいる彼とその家族は 安全な状況が戻り次第シリアに戻りたいと言い ます モハンマドさんは 新しい義手を使って 生活するのを楽しみにしています ミナイムさん 45 歳 義足 右足膝下 作り直し ミナイムさんはダマスカス郊外の出身です 農業を営んでいましたが 土地を耕す作業をし ていた時に 耕作機に誤って足を巻き込んでし まい 右足を切断しました その後 シリアに あるパレスチナ赤新月社で義足を得ましたが 日々の使用で傷みが激しくなってきたため 作 り直しとなりました 完成した義足を付けて ミナイムさんは 新 しい義足はとても歩いた時の感じが良く 痛み もありません より自然な感じで歩くことがで きていると思います 私の兄はその姿を見て まるで自分と同じように歩く と言ってくれ ました 義足を付けていることを感じさせない ということです と嬉しそうに教えてくれまし た 普段は知人の農作業を手伝っているミナイ ムさんですが その時は膝関節部分が固定された古い義足を使っているとのことです 新しい義足で日々の生活をより楽に そして楽しく送れるようになるよう願います