Discussion Paper No. 716 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 : 文 献 サーベイと 最 新 データからの 考 察 チャールズ ユウジ ホリオカ 菅 万 理 June 2008 The Institute of Social and Economic Research Osaka University 6-1 Mihogaoka, Ibaraki, Osaka 567-0047, Japan
高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 : 文 献 サーベイと 最 新 デ ータからの 考 察 * チャールズ ユウジ ホリオカ 大 阪 大 学 社 会 経 済 研 究 所 教 授 ** 菅 万 理 東 京 大 学 社 会 科 学 研 究 所 助 教 *** 2008 年 6 月 要 旨 本 稿 では, 高 齢 者 の 貯 蓄 資 産 の 実 態 について 解 説 する. まず, 貯 蓄 と 資 産 を 定 義 し, 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 関 する 経 済 モデルの 考 察 を 行 い,これまで 行 われてきた 欧 米 諸 国 と 日 本 におけ る 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 関 する 研 究 結 果 を 紹 介 する. 次 に, 遺 産 動 機 が 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 与 える 影 響 に 関 して 理 論 的 考 察 を 行 い, 欧 米 諸 国 と 日 本 における 遺 産 動 機 と 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 との 間 の 関 係 に 関 する 研 究 結 果 を 紹 介 し, 最 後 に 結 論 および 政 策 的 含 蓄 を 述 べる. 結 果 を 要 約 すると, 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 の 実 態 と 遺 産 動 機 の 影 響 について 検 証 し, 欧 米 諸 国 においても 日 本 においても 高 齢 者 ( 特 に 退 職 後 の 高 齢 者 )は 貯 蓄 を 取 り 崩 しており, 資 産 の 取 り 崩 し 率 の 水 準 がほぼ 妥 当 であり, 遺 産 動 機 が 高 齢 者 の 資 産 の 取 り 崩 し 率 を 減 少 させる 傾 向 が 見 られ るものの, 遺 産 は 利 己 的 であり, 老 後 の 世 話 援 助 に 対 する 見 返 りの 色 彩 が 強 いということが 分 かった.これらの 分 析 結 果 は 欧 米 諸 国 においても 日 本 においてもライフ サイクル モデル が 成 り 立 っており, 利 他 主 義 モデルが 成 り 立 っていないことを 強 く 示 唆 する. * 大 内 尉 義 秋 山 弘 子 編 新 老 年 学 ( 第 3 版 )( 東 京 大 学 出 版 会 )に 貯 蓄 資 産 とし て 掲 載 予 定 である この 論 文 の 作 成 に 当 たり 島 田 佳 代 子 さんから 有 益 な 助 言 を 頂 いた こ こで 記 して 感 謝 の 意 を 表 したい ** 連 絡 先 : 567-0047 大 阪 府 茨 木 市 美 穂 ケ 丘 6-1, 大 阪 大 学 社 会 経 済 研 究 所. メールアド レス: horioka@iser.osaka-u.ac.jp *** 連 絡 先 : 113-0033 東 京 都 文 京 区 本 郷 7-3-1, 東 京 大 学 社 会 科 学 研 究 所.メールアドレ ス:mkan@iss.u-tokyo.ac.jp 1
本 稿 では, 高 齢 者 の 貯 蓄 資 産 の 実 態 について 解 説 する. まず, 貯 蓄 と 資 産 を 定 義 し, 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 関 する 経 済 モデルの 考 察 を 行 い,これまで 行 われてきた 欧 米 諸 国 と 日 本 におけ る 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 関 する 研 究 結 果 を 紹 介 する. 次 に, 遺 産 動 機 が 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 与 える 影 響 に 関 して 理 論 的 考 察 を 行 い, 欧 米 諸 国 と 日 本 における 遺 産 動 機 と 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 との 間 の 関 係 に 関 する 研 究 結 果 を 紹 介 し, 最 後 に 結 論 および 政 策 的 含 蓄 を 述 べる. 1.1. 貯 蓄 と 資 産 の 定 義 まず, 経 済 学 でいう 貯 蓄 と 資 産 を 定 義 しよう. 貯 蓄 ( 貯 蓄 のフロー)とは,ある 期 間 ( 例 えば 一 年 )において 稼 いだ 可 処 分 所 得 ( 税 引 き 後 の 所 得 )のうち,すぐに 消 費 せず, 将 来 の 消 費 に 備 えて 銀 行 郵 便 局 に 預 けたり, 有 価 証 券 ( 債 権, 株 式 ), 生 命 保 険, 土 地 住 宅 などを 購 入 した りするために 使 った 部 分 のことを 指 し, 貯 蓄 率 とは, 可 処 分 所 得 に 占 める 貯 蓄 の 割 合 のこと を 指 す.また, 資 産 ( 貯 蓄 のストック)とは,ある 時 点 で 保 有 している 金 融 資 産 ( 銀 行 預 金, 郵 便 貯 金, 有 価 証 券, 生 命 保 険 など)と 実 物 資 産 ( 土 地 住 宅 など)の 残 高 のことを 指 す. 貯 蓄 と 資 産 の 関 係 を 示 すと, 貯 蓄 はある 期 間 における 資 産 の 増 減 額 である. 1.2 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 関 する 理 論 的 考 察 家 計 の 行 動 を 理 解 するために 様 々な 経 済 モデルが 構 築 されているが,ここでは 代 表 的 な2 つのモデルを 概 観 し,それぞれのモデルが 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 にどのような 含 蓄 を 持 つかを 述 べる. a. ライフ サイクル モデル(life cycle model).フランコ モジリアーニ(Franco Modigliani),リチャード ブラムバーグ(Richard Brumberg)などが 提 唱 したライ フ サイクル モデル(life cycle model)によると, 人 々は 利 己 的 であり, 自 分 の 子 にさ えも( 見 返 りのない) 遺 産 を 残 す 意 思 はなく, 主 に 老 後 の 生 活 に 備 えるために 貯 蓄 を する. このモデルによれば, 人 々は 若 い 時 に 働 いて, 稼 いだ 所 得 の 一 部 を 貯 蓄 に 回 し, 退 職 後 の 生 活 に 備 える. そして, 老 後 は 仕 事 を 辞 めて, 以 前 貯 めた 貯 蓄 を 取 り 崩 すこ とによって 生 活 を 賄 う(Modigliani and Brumberg (1954)). したがって,このモデ ルが 成 り 立 っていれば, 働 いている 若 年 層 は 貯 蓄 を 積 み 増 しているはずであり, 退 職 後 の 高 齢 者 は 貯 蓄 を 取 り 崩 しているはずである. b. 利 他 主 義 モデル(altruism model).それに 対 し,ロバート バロー(Robert Barro), ゲーリー ベッカー(Gary Becker)などが 提 唱 した 利 他 主 義 モデル(altruism model)によると, 人 々は 自 分 の 子 に 対 する 世 代 間 の 利 他 主 義 ( 愛 情 )を 抱 いており, そ の 世 代 間 の 利 他 主 義 に 基 づいて 子 に 遺 産 を 残 したいと 考 え, 主 に 子 に 遺 産 を 残 すた めに 貯 蓄 をするので, 老 後 を 迎 えて 退 職 した 後 も 貯 蓄 を 続 け, 貯 蓄 を 取 り 崩 さない (Barro (1974),Becker (1974, 1981) 参 照 ). したがって,このモデルが 成 り 立 ってい れば, 高 齢 者 は 退 職 した 後 も 貯 蓄 を 積 み 増 し 続 け, 取 り 崩 さないはずである. ゆえに,( 退 職 後 の) 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 について 検 証 することによって,ライフ サイクル モデルが 成 り 立 っているのか, 利 他 主 義 モデル( 王 朝 モデル)が 成 り 立 っているのかが 分 か る. しかし,ここで 注 意 しなければならないことは,ライフ サイクル モデルは,すべての 高 齢 者 が 貯 蓄 を 取 り 崩 すと 予 言 しているのではなく, 退 職 後 の 高 齢 者 のみが 貯 蓄 を 取 り 崩 すと 予 言 しているのに 過 ぎないということである.ついては,2つのモデルを 検 証 する 際 は, 退 職 後 の 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 注 目 しなければならない. 2
1.3 欧 米 諸 国 における 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 本 項 では, 欧 米 諸 国 における 高 齢 者 ( 特 に 退 職 後 の 高 齢 者 )の 貯 蓄 行 動 に 関 する 今 までの 実 証 分 析 を 概 観 し,そうすることによって2つの 経 済 モデルのうち,どちらのほうが 実 際 に 成 り 立 っているのかを 明 らかにする. a. 高 齢 者 全 般 の 貯 蓄 行 動 Hurd (1990)は, 米 国 における 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 関 する 実 証 分 析 について 包 括 的 なサー ベイを 行 っており,まず Hurd (1990)に 基 づき, 米 国 における 高 齢 者 全 般 に 関 する 研 究 を 概 観 する.Lydall (1955),Projector and Weiss(1966)など 初 期 の 研 究 では,クロスセクション デ ータ( 横 断 面 データ)を 用 いて 資 産 所 有 の 年 齢 別 プロファイルを 描 くことが 多 く,それらの 研 究 からはしばしば 年 齢 とともに 資 産 が 増 加 することが 観 察 され, 高 齢 者 は 退 職 後 貯 蓄 を 取 り 崩 すというよりむしろ 貯 蓄 していると 結 論 づけられており,このことは 長 くライフ サイ クル モデルに 疑 問 を 投 げかけていた. 後 の 研 究 (Wolff, 1988; Radner, 1989 など)ではクロスセクション データを 用 いながらも, ライフ サイクル モデルと 整 合 的 な 結 果 が 得 られているが, 家 計 のライフ サイクルに 従 った 資 産 の 蓄 積 や 資 産 配 分 に 関 する 研 究 においては,コホート 効 果 を 取 り 除 くためにパネ ル データ( 追 跡 調 査 からのデータ)による 分 析 が 不 可 欠 であるという 認 識 が 定 着 してきて いる.(ここでいうコホート 効 果 とは, 成 長 している 経 済 では,より 早 く 生 まれた 世 代 のほうが 生 涯 所 得 が 少 なく, 資 産 も 少 ないと 考 えられ, 年 齢 と 共 に 資 産 が 低 下 するとクロスセクショ ン データが 示 したとしても, 実 際 に 年 齢 と 共 に 資 産 が 低 下 しているとは 限 らないというこ とを 指 す.) 米 国 のパネル データから 得 られた 知 見 をあげると,Hurd (1987a)は 1969 年 から 1979 年 までの Retirement History Survey (RHS)を 用 いた 分 析 から,この 10 年 間 で 単 身 家 計 では およそ 36 パーセント, 夫 婦 家 計 でおよそ 15 パーセントの 資 産 の 取 り 崩 しが 行 われていたこ とを 明 らかにした. これは 単 身 家 計 では 年 4.5 パーセント, 夫 婦 家 計 で 年 1.6 パーセントの 貯 蓄 の 取 り 崩 しが 行 われていたことを 意 味 する. 資 産 とは, 金 融 資 産, 事 業 資 産, 不 動 産 資 産, 自 動 車 から 負 債 を 差 し 引 いたもので 住 宅 を 含 まない. 夫 婦 家 計 の 資 産 の 取 り 崩 し 率 が 単 身 家 計 のそれよりも 低 いのは, 彼 らの 推 定 寿 命 ( 夫 婦 の 両 方 が 死 ぬまでの 期 間 )の 方 が 長 いからで ある. 米 国 以 外 の 国 の 実 証 結 果 では,Börsch-Supan (1992)が 1978 年 と 1983 年 の German Income and Expenditure Survey より 構 築 した 疑 似 パネル データから,60 歳 から 70 歳 ま での 間 に 資 産 は 減 少 するものの,その 後 また 増 加 し, 最 年 長 のグループでは 資 産 が 取 り 崩 さ れるよりむしろ 蓄 積 されている 事 実 を 確 認 した. また,Demery and Duck (2006)は,1969 年 から 1998 年 の U.K. Family Expenditure Survey から, 家 計 レベルのデータを 用 いると 若 年 層 と 高 齢 者 の 貯 蓄 率 を 過 大 評 価,また 45 歳 から 60 歳 の 中 年 層 のそれを 過 小 評 価 する 可 能 性 が 生 じることを 発 見 し,それらを 調 整 した 場 合, 英 国 では 個 人 の 貯 蓄 と 貯 蓄 の 取 り 崩 しは ライフ サイクル モデルにうまく 当 てはまると 結 論 づけた. b. 退 職 後 の 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 しかし, 今 まで 紹 介 した 研 究 は 高 齢 者 全 般 に 関 するものであり, 前 述 の 通 り,ライフ サイク ル モデルの 妥 当 性 を 検 証 する 際, 最 も 重 要 なのは, 高 齢 者 全 般 の 貯 蓄 行 動 ではなく, 退 職 後 の 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 である. 欧 米 諸 国 における 退 職 後 の 高 齢 者 に 関 する 研 究 は 少 ないが, 少 な くとも2つの 例 がある.Bernheim (1987)は, 退 職 後 の 資 産 の 取 り 崩 し 率 に 注 目 し 推 定 を 行 っ たが,その 率 は Hurd (1987a)と 類 似 していた. また,Diamond and Hausman (1984)が National Longitudinal Survey を 用 いて 推 定 した 退 職 後 の 資 産 の 取 り 崩 し 率 は 約 5 パーセ ントで RHS から 得 た 数 値 よりも 高 かった. 欧 米 諸 国 に 関 する 研 究 について 要 約 すると,ほとんどの 高 齢 者 全 般 に 関 する 信 頼 度 の 高 い 研 究 と 退 職 後 の 高 齢 者 に 関 する 研 究 のすべてが 高 齢 者 ( 特 に 退 職 後 の 高 齢 者 )が 貯 蓄 を 取 り 3
崩 しているといった 結 果 を 得 ており,ライフ サイクル モデルの 妥 当 性 を 支 持 するもので ある. 1.4 日 本 における 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 本 項 では, 日 本 における 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 関 する 研 究 を 概 観 するが,まず 高 齢 者 全 般 の 貯 蓄 行 動 に 関 する 研 究 を 貯 蓄 のフローに 関 するデータを 用 いた 分 析 と, 資 産 ( 貯 蓄 のストッ ク)を 用 いた 分 析 に 分 けて 紹 介 する. a. 高 齢 者 全 般 の 貯 蓄 行 動 高 齢 者 全 般 の 貯 蓄 行 動 に 関 する 分 析 をフロー データを 用 いた 分 析 とストック データを 用 いた 分 析 に 分 けることができる. (i)フロー データを 用 いた 分 析. フロー データを 用 いた 分 析 はさらに, 独 立 している 高 齢 者 を 対 象 とした 分 析 と, 子 供 の 家 計 に 吸 収 されている 高 齢 者 を 対 象 とした 分 析 に 大 別 でき る. 前 者 のうち, 石 川 (1987,1988)は 独 立 している 高 齢 者 の 金 融 貯 蓄, 実 物 貯 蓄,およびそれら の 合 計 についてのフローはすべて 正 であるが, 自 営 無 業 者 の 場 合 は, 金 融 貯 蓄 がわずかなが ら 負 であるという 結 果 を 得 ている. また, 安 藤 ほか(1986)と Hayashi, Ando and Ferris (1988)は, 独 立 している 高 齢 者 がある 年 齢 を 超 えると 貯 蓄 を 取 り 崩 すという 結 果 を 得 ている. さらに 大 竹 (1991)は, 独 立 している 高 齢 者 の 貯 蓄 率 は 年 齢 とともに 低 下 し, 子 供 のいない 者 の 場 合 は 80~84 歳, 別 居 の 子 供 がいる 場 合 は 85~89 歳 の 年 齢 から 負 になるという 結 果 を 得 て いる. 子 供 の 家 計 に 吸 収 されている 高 齢 者 を 対 象 とした 分 析 のうち,Ishikawa (1988)は 同 居 し ている 高 齢 の 親 の 存 在 が 子 供 の 家 計 の 貯 蓄 額 をわずかながら 減 少 させるという 結 果 を 得 て いるが,その 結 果 は 住 居 形 態 の 影 響 を 除 去 した 場 合 にのみ 有 意 である. また,Hayashi, Ando and Ferris (1988)では, 子 供 の 家 計 に 吸 収 されている 高 齢 者 の 貯 蓄 率 を 間 接 的 に 推 定 した 結 果,それが 年 齢 とともに 低 下 し, 子 供 が 65~69 歳, 親 が 87 歳 の 年 齢 階 級 から 負 になるという 結 果 を 得 ている. フロー データを 用 いた 分 析 を 総 合 すると, 独 立 している 高 齢 者 も 子 供 の 家 計 に 吸 収 され ている 高 齢 者 も, 遅 くとも 80 歳 代 からは 貯 蓄 を 取 り 崩 している. (ii)ストック データを 用 いた 分 析. ストック データを 用 いた 分 析 も, 独 立 している 高 齢 者 を 対 象 とした 分 析 と 子 供 の 家 計 に 吸 収 されている 高 齢 者 を 対 象 とした 分 析 に 分 けること ができる. 前 者 のうち,Hayashi, Ando and Ferris (1988)は,コホート 効 果 の 影 響 を 除 去 した 後,( 住 宅 宅 地 耐 久 消 費 財 を 含 んだ) 資 産 は 80~84 歳 でピークを 迎 え,その 後 は 減 少 すると いう 結 果 を 得 ている. また,Ohtake (1991)と 大 竹 ホリオカ(1994)は, 独 立 している 高 齢 者, および 子 供 と 同 居 しているが 家 計 を 別 にしている 高 齢 者 の 資 産 は, 年 齢 とともに 減 少 すると いう 結 果 を 得 ている. 子 供 の 家 計 に 吸 収 されている 高 齢 者 を 対 象 とした 分 析 のう ち,Hayashi, Ando and Ferris (1988)は,コホート 効 果 の 影 響 を 除 去 した 後 の( 住 宅 宅 地, 耐 久 消 費 財 を 含 んだ) 資 産 は 子 供 が 60~64 歳, 親 が 85 歳 の 年 齢 階 級 でピークを 迎 え,その 後 は 減 少 するという 結 果 を 得 ている.ストック データを 用 いた 分 析 結 果 を 要 約 すると,コホート 効 果 の 影 響 を 除 去 すれば, 高 齢 者 の 資 産 は 80 歳 前 半 でピークを 迎 え,その 後 は 減 少 する 傾 向 があることがわかった. この 結 果 は,フロー データを 用 いた 分 析 ともライフ サイクル モデルとも 整 合 的 である. b. 退 職 後 の 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 以 上 の 研 究 の 最 大 の 問 題 点 は, 年 齢 によってのみデータを 区 分 しているという 点 である. 前 述 したように,ライフ サイクル モデルは, 高 齢 者 全 般 が 貯 蓄 を 取 り 崩 すのではなく, 退 職 後 の 高 齢 者 が 貯 蓄 を 取 り 崩 すと 予 言 している. 退 職 後 の 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 関 する 分 析 は 少 4
ないが,いくつかの 例 はある. 例 えば, 八 代 前 田 (1994)は, 年 齢 と 就 業 状 態 によってデータを 区 分 し, 世 帯 主 が 60 歳 以 上 の 無 職 世 帯 ( 単 身 者 世 帯 を 含 む)は 貯 蓄 を 急 速 に 取 り 崩 しているこ とを 明 らかにした. また, 高 山 ほか(1989)は, 貯 蓄 から 住 宅 耐 久 消 費 財 に 対 する 減 価 償 却 を 差 し 引 くことによって 純 概 念 に 直 せば, 無 職 の 独 立 している 高 齢 者 のかなりの 割 合 が 貯 蓄 を 取 り 崩 しているという 結 果 を 得 ている.さらに,60 歳 以 上 の 高 齢 者 を 分 析 対 象 とした Horioka et al. (1996)およびホリオカほか(1996)は 半 分 以 上 の 退 職 後 の 高 齢 者 が 貯 蓄 を 取 り 崩 しており, 退 職 後 の 高 齢 者 の 平 均 貯 蓄 額 は 大 きく 負 で, 中 でも 実 物 資 産 の 取 り 崩 しが 特 に 大 きいという 結 果 を 得 ており,ホリオカほか(2002)は 退 職 前 の 高 齢 者 の4 分 の3が 貯 蓄 を 取 り 崩 しており, 彼 らの 取 り 崩 し 率 は 1.32 パーセントであるという 結 果 を 得 ている.これらの 分 析 結 果 は, 退 職 後 の 高 齢 者 は 貯 蓄 を 取 り 崩 しており,その 傾 向 は 高 齢 者 全 般 の 場 合 よりも はるかに 顕 著 であり,より 早 く 始 まることを 示 しており,ライフ サイクル モデルを 強 く 支 持 するものである. c. 最 新 データ 次 に, 先 行 研 究 からの 結 論 を 再 確 認 するため, 最 新 のデータを 用 いて, 日 本 における 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 について 分 析 し,ライフ サイクル モデルの 検 証 を 行 う(ここで 紹 介 するデータ は Horioka (2006a, 2006b)で 紹 介 しているデータを 更 新 したものである). 日 本 では, 戦 前 から 総 務 省 統 計 局 ( 旧 総 理 府 統 計 局 )が 家 計 調 査 を 実 施 しており, 家 計 の 消 費 貯 蓄 行 動 に 関 するデータを 収 集 公 表 している. そしてその 一 環 として, 黒 字 率 に 関 するデータを 収 集 公 表 している. 黒 字 率 は, 可 処 分 所 得 ( 税 引 き 後 所 得 )に 占 める 黒 字 ( 貯 蓄 )の 割 合 として 算 出 されており, 経 済 学 者 が 用 いる 貯 蓄 率 の 概 念 に 近 い( 家 計 調 査 の 黒 字 率 のデー タの 概 念 上 の 欠 陥 については 後 述 する). 家 計 調 査 は 世 帯 主 年 齢 階 級 別 の 黒 字 率 ( 以 下, 貯 蓄 率 と 呼 ぶ)に 関 するデータを 収 集 公 表 しているが, 残 念 ながらこの 調 査 は,1994 年 までは 勤 労 者 世 帯 ( 世 帯 主 が 勤 労 者 である 世 帯 )についてのみ 貯 蓄 率 の 収 集 公 表 をしており, 自 営 業 者 世 帯 および 無 職 世 帯 ( 退 職 後 の 世 帯 を 含 む)の 貯 蓄 率 に 関 するデータの 収 集 公 表 はしていなかった. 幸 い, 家 計 調 査 は 1995 年 からは 無 職 ( 退 職 後 )の 高 齢 者 の 貯 蓄 率 に 関 するデータの 収 集 公 表 をしている が, 未 だに 自 営 業 者 世 帯 の 貯 蓄 率 に 関 するデータは 収 集 公 表 していない. 表 1に 1995 年 から 2006 年 までの 期 間 における 家 計 調 査 からの 高 齢 者 の 貯 蓄 率 に 関 するデータが 示 されている. まず 表 1の 第 1 列 には, 世 帯 主 が 60 歳 以 上 の 勤 労 者 世 帯 の 貯 蓄 率 に 関 するデータが 示 されているが,この 列 から 分 かるように, 世 帯 主 が 60 歳 以 上 の 勤 労 者 世 帯 の 貯 蓄 率 は 大 きく 正 であり,8.5 パーセントと 22.6 パーセントの 間 で 推 移 している. た だし, 世 帯 主 が 60 歳 以 上 の 勤 労 者 世 帯 の 貯 蓄 率 は 顕 著 な 減 少 傾 向 を 示 しており,1995 年 から 1999 年 までの 期 間 においては 21,22 パーセントだったのに 対 し,2005 年 には 10 パーセント の 大 台 を 割 り 込 み,2005 年 には 8.5 パーセントに 過 ぎなかった. しかし 前 述 の 通 り, 高 齢 の 勤 労 者 世 帯 が 正 の 貯 蓄 をしているからといって,ライフ サイク ル モデルが 成 り 立 っていないとは 限 らない. ライフ サイクル モデルが 成 り 立 っている か 否 かについて 判 断 するためには, 無 職 ( 退 職 後 )の 高 齢 者 の 貯 蓄 率 に 関 するデータが 必 要 であり, 上 述 の 通 り,1995 年 からはこのようなデータが 存 在 する. 1995 年 から 2006 年 までの 期 間 における 家 計 調 査 からの 無 職 ( 退 職 後 )の 高 齢 者 の 貯 蓄 率 に 関 するデータは 表 1の 第 2 列 から 第 4 列 に 示 されている. 第 2 列 には, 世 帯 主 が 60 歳 以 上 の 無 職 世 帯, 第 3 列 には, 無 職 の 高 齢 者 世 帯 ( 夫 65 歳, 又 は 女 60 歳 以 上 から 成 る 世 帯 で, 少 なくとも1 人 65 歳 以 上 の 者 がいる 世 帯 ), 第 4 列 には, 無 職 の 高 齢 夫 婦 世 帯 ( 夫 65 歳 以 上, 妻 60 歳 以 上 で 構 成 する 夫 婦 1 組 のみの 世 帯 )の 貯 蓄 率 がそれぞれ 示 されているが,こ れらの 列 から 分 かるように, 無 職 ( 退 職 後 )の 高 齢 者 は 貯 蓄 を 大 きく 取 り 崩 しているだけで はなく, 取 り 崩 しの 度 合 は 年 々より 顕 著 になってきている. 例 えば, 世 帯 主 が 60 歳 以 上 の 無 職 世 帯 の 貯 蓄 率 は 1998 年 までの 間 は,-10 パーセント 前 後 だったのに 対 し,1999 年 から 2001 年 までの 間 は,-20 パーセントから-15 パーセントまでの 間 で 推 移 し,2002 年 以 降 は-29 パーセントから-25 パーセントまでの 間 で 推 移 している. 同 5
様 に 無 職 の 高 齢 者 世 帯 の 場 合 は, 貯 蓄 率 が 2000 年 までの 間 は,-9 パーセントから-5 パーセン トまでの 間 で 推 移 したのに 対 し,2001 年 以 降 は-22 パーセントから-15 パーセントまでの 間 で 推 移 している. また 無 職 の 高 齢 夫 婦 世 帯 の 場 合, 貯 蓄 率 は 2001 年 までは-9 パーセントか ら-4 パーセントまでの 間 で 推 移 したのに 対 し,2002 年 以 降 は-23 パーセントから-14 パーセ ントまでの 間 で 推 移 している. よって 日 本 では, 退 職 後 の 高 齢 者 はライフ サイクル モデルが 予 言 するとおり 貯 蓄 を 大 きく 取 り 崩 しており,ライフ サイクル モデルが 成 り 立 ち, 利 他 主 義 モデルが 成 り 立 ってい ないかのように 見 える. しかし, 今 までは 家 計 調 査 からの 黒 字 率 のデータをそのまま 紹 介 したが,この 調 査 で 用 いられている 黒 字 率 の 概 念 は 経 済 学 者 が 用 いる 貯 蓄 率 の 概 念 に 近 いものの,いくつ かの 概 念 上 の 欠 陥 があり,これらの 欠 陥 によって, 黒 字 率 のデータがバイアスを 含 んでいる 恐 れがある. 家 計 調 査 の 黒 字 率 のデータには 少 なくとも 3 つの 概 念 上 の 欠 陥 がある. (1) 黒 字 率 は 粗 貯 蓄 の 概 念 であり, 持 家 住 宅 などに 対 する 減 価 償 却 が 分 母 の 可 処 分 所 得 か らも 分 子 の 貯 蓄 からも 差 し 引 かれていない. (2) 持 家 住 宅, 給 与 住 宅 に 対 する 帰 属 家 賃 が 分 母 の 可 処 分 所 得 に 含 まれていない. (3) 医 療 介 護 サービスの 現 物 支 給 ( 保 険 によって 賄 われる 部 分 )が 分 母 の 可 処 分 所 得 に 含 まれていない. 家 計 調 査 の 黒 字 率 は(1)によ って 過 大 に 評 価 され( 貯 蓄 率 が 負 の 場 合 は 絶 対 値 が 過 小 に 評 価 され),(2)と(3)によ っては 過 小 に 評 価 され( 貯 蓄 率 が 負 の 場 合 は 絶 対 値 が 過 大 に 評 価 され),3つのバイアスを すべて 除 去 すれば, 貯 蓄 率 が 高 くなるのか 低 くなるのかは 一 概 に 言 えないが,3つのバイア スは 互 いに 相 殺 し 合 うため, 全 体 のバイアスがそれほど 大 きくない 可 能 性 が 高 い. よって, 家 計 調 査 からの 黒 字 率 のデータが 含 んでいるバイアスを 考 慮 したとして も, 日 本 では 退 職 後 の 高 齢 者 はライフ サイクル モデルが 予 言 するとおり 貯 蓄 を 大 きく 取 り 崩 しており,ライフ サイクル モデルが 成 り 立 っているという 結 論 になるであろう. 最 後 に, 日 本 の 高 齢 者 の 資 産 の 保 有 額 と 取 り 崩 し 率 に 関 するデータを 示 す. 今 まで 用 いて きた 家 計 調 査 およびその 姉 妹 調 査 であった 貯 蓄 動 向 調 査 は, 貯 蓄 のフローのみなら ず, 貯 蓄 のストック( 資 産 )に 関 するデータも 収 集 公 表 している.ただし, 金 融 資 産 に 関 する データのみが 収 集 公 表 されており, 実 物 資 産 に 関 するデータは 得 られていないが, 日 本 の 高 齢 者 は 土 地 住 宅 を 売 却 し 実 物 資 産 を 取 り 崩 すことは 比 較 的 稀 であり,ほとんどの 場 合, 土 地 住 宅 を 遺 産 として 残 すので, 金 融 資 産 の 水 準 および 取 り 崩 し 率 に 着 目 しても 差 し 支 えな いように 思 われる.また,データが 得 られるのは, 独 立 している 高 齢 者 の 場 合 のみであり, 子 供 の 家 計 に 吸 収 されている 高 齢 者 については 残 念 ながらデータが 得 られない. 表 2の 第 1 列 と 第 3 列 に,1995 年 から 2006 年 までの 期 間 における 日 本 の 退 職 後 の( 独 立 している) 高 齢 者 の 金 融 正 味 資 産 ( 金 融 資 産 残 高 から 負 債 残 高 を 差 し 引 いたもの)の 金 額, 可 処 分 所 得 に 占 める 割 合 がそれぞれ 示 されているが,これらの 列 から 分 かるように, 日 本 の 退 職 後 の 高 齢 者 の 金 融 正 味 資 産 は 2107 万 円 から 2467 万 円 にものぼり,これは 可 処 分 所 得 の 7.63 倍 から 11.96 倍 にも 相 当 する.したがって, 日 本 の 高 齢 者 の 蓄 えは 老 後 の 資 金 として 充 分 のようである. 金 融 正 味 資 産 などの 時 間 的 推 移 について 見 ると, 金 融 正 味 資 産 の 金 額 はほぼ 横 ばい 状 態 であるが, 可 処 分 所 得 が 減 少 傾 向 を 示 しているため, 可 処 分 所 得 に 占 める 割 合 は 少 なくとも 1998 年 以 降 は 上 昇 傾 向 を 示 している. 表 2の 第 5 列 には, 同 じ 期 間 における 退 職 後 の 高 齢 者 の 資 産 の 取 り 崩 し 率 が 示 されている が,これらの 列 から 分 かるように, 日 本 の 退 職 後 の 高 齢 者 の 資 産 の 取 り 崩 し 率 は 1.21 パーセ ントから 3.02 パーセントであり, 少 なくとも 1997 年 から 2004 年 までの 期 間 においては 上 昇 傾 向 を 示 している.この 取 り 崩 し 率 は, 死 期 に 対 する 不 確 実 性 がないとしたら, 遅 すぎるよ うに 見 えるが, 死 期 に 対 する 不 確 実 性 を 考 慮 したら,ほぼ 妥 当 である. つまり, 日 本 では, 退 職 後 の 高 齢 者 は 充 分 な 蓄 えを 持 ち, 貯 蓄 を 妥 当 な 速 度 で 取 り 崩 してお り,ライフ サイクル モデルに 従 って 行 動 しているようである. これまでの 研 究 成 果 を 総 合 すると, 欧 米 諸 国 においても 日 本 においても 高 齢 者 ( 特 に 退 職 後 の 高 齢 者 )は 貯 蓄 を 取 り 崩 しており, 資 産 の 取 り 崩 し 率 の 水 準 がほぼ 妥 当 であり,ライフ サイクル モデルが 成 り 立 っているといえる. 6
1.5 遺 産 動 機 と 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 との 間 の 関 係 に 関 する 理 論 的 考 察 次 に, 遺 産 動 機 と 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 との 間 の 関 係 について 解 説 する. 理 論 的 には, 遺 産 動 機 を 持 っている 高 齢 者 は 資 産 の 一 部 を 遺 産 として 残 す 訳 だから 彼 らの 資 産 の 取 り 崩 し 率 は 遺 産 動 機 を 持 っていない 高 齢 者 のそれよりも 遅 いはずである.したがって, 遺 産 動 機 が 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 に 与 える 影 響 について 検 証 することによって 遺 産 動 機 の 強 さを 明 らかにするこ とができる.しかし, 利 己 的 な 遺 産 動 機 もあれば, 利 他 的 な 遺 産 動 機 もあり, 遺 産 動 機 の 強 さに よってどの 理 論 モデルが 成 り 立 っているかについて 断 言 できない.ライフ サイクル モデ ルでは 人 は 生 涯 で 自 らの 資 産 を 使 い 切 ると 考 えるので, 遺 産 については, 全 く 残 さないか, 死 亡 時 期 の 不 確 実 性 から 生 じる 意 図 せざる 遺 産 のみを 残 すか, 利 己 的 な 遺 産 動 機 から 生 じる 遺 産 のみを 残 す,という 3 つのケースが 考 えられる. ここでいう 利 己 的 な 遺 産 動 機 とは, 老 後 の 面 倒 を 見 てもらう 見 返 りとして 遺 産 を 残 す 戦 略 的 遺 産 動 機 (Bernheim et al., 1985),また は 老 後 の 生 活 費 に 対 する 援 助 の 見 返 りとして 遺 産 を 残 す 家 族 内 の 暗 黙 的 年 金 契 約 (Kotlikoff and Spivak, 1981)を 指 す. 遺 産 動 機 が 利 己 的 であれば, 人 々は 財 産 をすべて 老 後 の 面 倒 を 見 てくれた 子 や 生 活 費 の 援 助 をしてくれた 子 に 残 すと 考 えられる. 1.6 欧 米 諸 国 における 遺 産 動 機 と 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 ライフ サイクル モデルに, 高 齢 者 の 遺 産 動 機 に 基 づく 貯 蓄 行 動 を 取 り 入 れた 拡 張 モデ ルの 検 証 は 米 国 を 中 心 にこれまで 多 く 行 われてきた. Hurd (1990)のまとめた 先 行 研 究 の 中 で 最 もよく 使 われている 検 証 法 は, 子 供 や 近 しい 身 内 のいる 者 とそうでない 者 の 消 費 や 資 産 の 変 化 を 比 較 する 方 法 である. 強 い 遺 産 動 機 を 持 つものはそうでない 者 に 比 べて 貯 蓄 の 取 り 崩 しが 少 ないはずなので, 子 供 を 持 たない 高 齢 者 の 資 産 減 少 がより 大 きいならば, 遺 産 動 機 の 存 在 が 肯 定 されることになる. この 方 法 を 用 いた Hurd (1987a)は 子 供 のいる 夫 婦 の 取 り 崩 しが 16.8 パーセントであるのに 対 し, 子 供 のいない 夫 婦 の 取 り 崩 しが 1.7 パーセントで あるという 予 想 とは 逆 の 結 果 を 得 ており, 意 図 された 遺 産 動 機 を 観 察 していない 遺 産 動 機 が 資 産 の 変 化 率 に 表 れない 理 由 として, 資 産 の 初 期 値 が 高 ければ,その 取 り 崩 し 率 が 低 くな ることが 考 えられる (Bernheim, 1987; Hurd, 1987b).,Hurd (1987a) 自 身 も 子 供 のいる 夫 婦 の 資 産 の 取 り 崩 し 率 が 高 かったのは, 彼 らが 退 職 前 に 教 育 費 などのような 生 前 贈 与 を 子 供 に 与 え,そうしたがために 退 職 時 の 資 産 が 低 くなり,その 後 の 取 り 崩 し 率 が 高 くなったから であると 解 釈 している. また, 戦 略 的 遺 産 動 機 (Bernheim et al., 1985)の 場 合 や, 家 庭 内 の 暗 黙 的 年 金 契 約 (Kotlikoff and Spivak, 1981)の 場 合, 親 たちは 子 供 からの 支 援 が 約 束 さ れたことによって,より 多 く 資 産 を 取 り 崩 す 可 能 性 がある. そもそも 遺 産 動 機 は 資 産 の 取 り 崩 しを 遅 らせる 効 果 があるので,この 2 つの 効 果 が 互 いに 相 殺 しあうという 可 能 性 も 考 えら れる. しかし, 米 国 では 子 供 から 親 への 経 済 的 な 支 援 は 極 めて 稀 である (Kotlikoff and Morris, 1989 )のでそのような 相 殺 効 果 は 小 さいとも 予 測 される. アンケート 調 査 で 高 齢 者 の 遺 産 に 関 する 意 思 を 直 接 聞 き,その 主 観 的 な 遺 産 動 機 を 使 った 分 析 もある. Mirer (1980)が 主 観 的 遺 産 動 機 の 貯 蓄 額 への 正 の 効 果 を 確 認 したのに 対 し,Alessie et al. (1999)は 統 計 的 に 有 意 な 効 果 を 確 認 できなかった. また, 職 場 の 年 金 プラン 加 入 者 へのアンケート 調 査 から 得 られたユニークなデータを 使 った Laitner and Juster (1996) は, 遺 産 動 機 のある 家 計 とそうでない 家 計 を 比 較 すると, 遺 産 動 機 のある 家 計 の 65 歳 時 点 の 資 産 はそうでない 家 計 の 資 産 より 40 パーセント 多 いことを 明 らかにしている. また, ドイツのデータを 用 い, 子 供 の 数 と 主 観 的 な 遺 産 動 機 の 両 方 の 効 果 を 分 析 した Jürges (2001)では, 子 供 の 数 は 家 計 の 資 産 の 増 減 に 影 響 を 与 えないが, 主 観 的 な 遺 産 動 機 は 資 産 の 増 減 に 影 響 することを 確 認 している. しかし Hurd and Smith (1999)で, 資 産 の 増 減 が 遺 産 動 機 に 影 響 を 与 えるという 逆 の 因 果 関 係 も 明 らかになっており, 遺 産 動 機 と 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 との 間 の 関 係 に 関 して 未 だに 合 意 が 得 られていない. 今 のところ, 多 大 な 資 産 を 持 つ 層 を 別 として, 遺 産 動 機 は 偶 発 的 なものであり, 遺 産 動 機 による 貯 蓄 は 富 裕 な 高 齢 者 のみに 当 ては まると 見 るのが 米 国 を 中 心 に 得 られた 合 意 である(Menchik and David, 1983; Modigliani, 7
1986; Wolff, 1988 参 照 ). 1.7 日 本 における 遺 産 動 機 と 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 日 本 における 遺 産 動 機 と 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 との 間 の 関 係 に 関 する 分 析 に 目 を 向 けると, 大 竹 ホリオカ(1994)は Hurd(1987a)と 同 様, 子 供 の 有 無 を 遺 産 動 機 の 代 理 変 数 として 用 い, 子 供 のいる 高 齢 者 の 資 産 の 取 り 崩 し 率 は 子 供 のいない 高 齢 者 よりも 3 ポイントから 4 ポイ ント 低 いという 結 果 を 得 ている.また, 郵 政 研 究 所 が 行 った 貯 蓄 に 関 する 日 米 比 較 調 査 お よび 家 計 における 金 融 資 産 選 択 に 関 する 調 査 のデータを 用 いたホリオカほか (1998),Horioka et al. (2000),ホリオカほか(2002)の 比 較 研 究 から, 日 本 では 遺 産 動 機 が, 絶 対 的 にもまた 米 国 との 比 較 においても 弱 く, 遺 産 の 大 半 は 死 亡 時 期 の 不 確 実 性 からくる 意 図 せ ざる 遺 産 であるか, 老 後 に 子 供 から 受 ける 世 話 介 護 や 経 済 的 援 助 への 見 返 りであること, 遺 産 の 予 定 額 は 高 齢 者 の 資 産 の 取 り 崩 し 率 を 有 意 に 引 き 下 げ, 親 の 遺 産 動 機, 遺 産 の 分 配 方 法 は 子 の 同 居 介 護 援 助 行 動 に 影 響 し, 親 と 同 様 子 も 利 己 的 と 考 えられることが 分 かった. こ の 結 果 は, 日 本 では 利 己 主 義 を 前 提 とするライフ サイクル モデルの 適 合 度 が 極 めて 高 く, その 適 合 度 は 米 国 と 比 較 して 日 本 の 方 がはるかに 高 いことを 示 唆 している(ホリオカ(2008) も 参 照 ). 1.8 結 論 および 政 策 的 含 蓄 本 稿 では 高 齢 者 の 貯 蓄 行 動 の 実 態 と 遺 産 動 機 の 影 響 について 検 証 し, 欧 米 諸 国 においても 日 本 においても 高 齢 者 ( 特 に 退 職 後 の 高 齢 者 )は 貯 蓄 を 取 り 崩 しており, 資 産 の 取 り 崩 し 率 の 水 準 がほぼ 妥 当 であり, 遺 産 動 機 が 高 齢 者 の 資 産 の 取 り 崩 し 率 を 減 少 させる 傾 向 が 見 られ るものの, 遺 産 は 利 己 的 であり, 老 後 の 世 話 援 助 に 対 する 見 返 りの 色 彩 が 強 いということが 分 かった.これらの 分 析 結 果 は 欧 米 諸 国 においても 日 本 においてもライフ サイクル モデル が 成 り 立 っており, 利 他 主 義 モデルが 成 り 立 っていないことを 強 く 示 唆 する.Horioka (1993), ホリオカ(1994),Horioka (2002),ホリオカ(2002)は 他 の 方 法 を 用 いてライフ サイクル モデ ルの 日 本 における 妥 当 性 について 吟 味 し, 同 じ 結 論 に 達 している. 最 後 に,ここで 得 られた 分 析 結 果 の 政 策 的 含 蓄 について 考 えたい. 退 職 後 の 高 齢 者 が 貯 蓄 を 取 り 崩 しているということは, 人 口 が 高 齢 化 するに 連 れて 家 計 部 門 ( 経 済 全 体 )の 貯 蓄 率 が 低 下 するということを 意 味 する. 欧 米 諸 国 においても 日 本 においても, 人 口 は 高 齢 化 して いるが, 特 に 日 本 において 高 齢 化 のスピードが 顕 著 であり, 日 本 は 世 界 一 の 長 寿 国 になりつ つある.したがって, 日 本 において 家 計 部 門 ( 経 済 全 体 )の 貯 蓄 率 の 低 下 が 特 に 顕 著 であると 考 えられる. 日 本 の 家 計 貯 蓄 率 はすでに 2006 年 までにはピーク 時 (1974 年 および 1976 年 ) の 23.2 パーセントから 3.3 パーセントにまで 低 下 しており, 人 口 の 急 速 な 高 齢 化 に 伴 ってこ の 低 下 傾 向 は 存 続 又 は 加 速 し, 日 本 の 家 計 貯 蓄 率 が 数 年 以 内 にゼロまたは 負 になる 可 能 性 さ えもある(Horioka(1989,1991,1992,1997) 参 照 ). 文 献 Alessie, R., Lusardi, A. and Kapteyn, A. (1999) Labour Economics, 6, 277-310. 安 藤 アルバート, 山 下 道 子, 村 上 淳 喜 (1986) 経 済 分 析, 101, 25-139. Barro, R. J. (1974) Journal of Political Economy, 82, 1095-1117. Becker, G. S. (1974) Journal of Political Economy, 82, 1063-1093. Becker, G. S. (1981) A Treatise on the Family, Harvard University Press, Cambridge, M.A. Bernheim, B. D. (1987) NBER Working Paper No. 1409. Bernheim, B. D., Shleifer, A. and Summers, L. H. (1985) Journal of Political Economy, 93, 1045-1076. Börsch-Supan, A. (1992) Journal of Population Economics, 5, 289-303. 8
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表 1: 無 職 の 高 齢 者 の 貯 蓄 率,1995-2006 年 (1) (2) (3) (4) 世 帯 主 が65 歳 以 上 世 帯 主 が65 歳 以 上 無 職 の 高 齢 者 無 職 の 高 齢 夫 暦 年 勤 労 者 世 帯 の 無 職 世 帯 世 帯 婦 世 帯 1995 22.6-11.5-9.2-9.3 1996 21.8-10.8-6.0-5.8 1997 22.4-9.9-6.3-5.1 1998 22.5-11.3-6.1-5.4 1999 21.0-14.6-7.4-6.0 2000 18.4-16.2-5.2-4.0 2001 19.6-20.4-14.5-14.3 2002 14.5-26.0-19.6-18.3 2003 12.8-24.6-16.4-15.7 2004 10.5-29.2-22.0-21.4 2005 8.5-27.4-21.0-17.4 2006 9.0-26.8-21.8-23.0 備 考 : 高 齢 者 世 帯 とは, 男 65 歳 以 上, 又 は 女 60 歳 以 上 から 成 る 世 帯 で, 少 な くとも1 人 65 歳 以 上 の 者 がいる 世 帯 のことを 指 す. 高 齢 夫 婦 世 帯 とは, 男 65 歳 以 上, 妻 60 歳 以 上 で 構 成 する 夫 婦 1 組 の 世 帯 のことを 指 す. 出 所 : 総 務 省 統 計 局, 家 計 調 査 年 報 ( 各 年 )( 日 本 統 計 協 会 ). 11
暦 年 表 2: 家 計 の 金 融 正 味 資 産 と 貯 蓄 の 取 り 崩 し 率,1995-2006 年 (1) (2) (3) (4) (5) 可 処 分 所 得 に 可 処 分 所 得 占 める 金 融 正 ( 千 円 ) 味 資 産 の 割 合 貯 蓄 ( 千 円 ) (パーセント) 金 融 正 味 資 産 ( 期 首 )( 千 円 ) 貯 蓄 の 取 り 崩 し 率 (パーセント) 1995 22,795 2,694.28 8.46-310.78 1.36 1996 22,927 2,765.92 8.29-298.51 1.30 1997 22,893 2,786.22 8.22-276.38 1.21 1998 21,405 2,804.05 7.63-317.51 1.48 1999 21,070 2,751.74 7.66-402.36 1.91 2000 23,919 2,648.63 9.03-429.22 1.79 2001 24,669 2,515.76 9.81-514.15 2.08 2002 23,450 2,439.36 9.61-634.64 2.71 2003 22,230 2,441.46 9.11-599.45 2.70 2004 22,745 2,349.64 9.68-687.05 3.02 2005 23,335 1,998.64 11.68-547.01 2.34 2006 23,415 1,957.74 11.96-525.20 2.24 備 考 : 金 融 正 味 資 産 とは 金 融 資 産 から 負 債 を 差 し 引 いたものを 指 し, 貯 蓄 とは 家 計 調 査 で 用 いる 黒 字 を 指 し, 貯 蓄 の 取 り 崩 し 率 とは 期 首 の 金 融 正 味 資 産 に 占 める 黒 字 ( 貯 蓄 )の 割 合 を 指 す. 2000 年 までは 金 融 正 味 資 産 の 期 末 の 値 しか 公 表 されておらず,2001 年 までは 各 年 の 期 首 の 値 として 前 年 の 期 末 の 値 を 代 用 した. 2002 年 からは 金 融 正 味 資 産 の 暦 年 平 均 しか 公 表 されておらず,2003 年 からは 金 融 正 味 資 産 の 期 首 の 値 を 前 年 の 暦 年 平 均 と 本 年 の 暦 年 平 均 の 平 均 として 算 出 し,2002 年 の 値 は2001 年 の 値 と2003 年 の 値 の 平 均 として 算 出 した. 出 所 : 総 務 省 統 計 局, 家 計 調 査 年 報 ( 各 年 )( 日 本 統 計 協 会 )および 総 務 省 統 計 局, 貯 蓄 動 向 調 査 ( 各 年 )( 日 本 統 計 協 会 ). 12