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す 遺跡の標高は約 250 m前後で 標高 510 mを測る竜王山の南側にひろがります 千提寺クルス山遺跡では 舌状に 高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線 新名神高速道路 建設事業に伴い 平成 24 年1月より公益財団法人大 張り出した丘陵の頂部を中心とした 阪府文化財センターが当地域で発掘調査

福知山-大地の発掘


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レイアウト 1

美濃焼


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見 学 の 手 順 1 土 岐 市 美 濃 陶 磁 歴 史 館 に 連 絡 見 学 予 定 日 の1ヶ 月 以 上 前 に 見 学 日 の 確 認 と 打 ち 合 せ 日 時 について 土 岐 市 美 濃 陶 磁 歴 史 館 ( 土 岐 市 文 化 振 興 事 業 団 )に 連 絡 する 他 校 他

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見 学 の 手 順 1 見 学 の 日 程 コースの 希 望 を 市 教 育 委 員 会 に 報 告 年 度 のはじめに 見 学 を 希 望 する 日 程 とコースを 学 校 単 位 で 市 教 育 委 員 会 に 報 告 する 市 教 育 委 員 会 が 各 校 の 希 望 日 程 と 美 濃 陶


○現説資料 2回目作成中 その3

膳所城遺跡 記者発表資料(2012.7)

28 簡便なことがあげられる 炉体を立ち上げる前に深さ 30 cmほどの土坑を掘り その内部で火を焚き 防湿を図ったと考えられるが 掘方の壁の上面が赤変する程度のものが大半である このタイプの炉は Ⅱ 類 Ⅲ 類に切られるものが多く Ⅰ 類からⅡ 類 Ⅲ 類の炉へ大型化が想定される Ⅱ 類の特徴とし

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昼飯大塚現説資料 indd

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表紙

10月号.indd


ほんぶん/pdf用表紙


目 次 本 編. 地 価 公 示 価 格 一 覧 表 ページ. 地 価 公 示 価 格 選 定 替 廃 止 等 一 覧 7ページ 3. 地 価 公 示 地 価 調 査 共 通 地 点 の 価 格 一 覧 表 8ページ 資 料 編 4. 宇 都 宮 市 ( 用 途 地 域 別 ) 均 価 格 変 動

イマジン_表1表4

69 Sector V / H-11 Grid Layer 3б Пласт 4 No. 301 削器 71 Sector V / M-15 Grid Layer 3б Пласт 5 No. 337 削器 72 Sector V / M-20 Grid Layer 3б Пласт 4 No. 2

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地 区 追 浜 N0 施 設 名 契 約 年 月 日 備 考 21 追 浜 下 水 ポンプ 場 旧 海 軍 天 神 用 地 平 成 7 年 7 月 18 日 22 市 道 敷 ( 第 4,818 号 ) 旧 第 一 海 軍 技 術 廠 昭 和 26 年 3 月 2

L 1997 L L M M M M 2

旧 市 町 村 コード 名 称 種 別 時 代 所 在 地 概 要 備 考 旧 30 実 竹 城 跡 城 跡 中 世 青 近 郭, 堀 切, 土 塁 広 島 県 中 世 城 館 遺 跡 総 ,( 実 竹 山 城 跡 ) 31 ほてくら 北 第 1 号 古 古 古 青 近 横 穴 式

第205回資料.indd

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H26秋リーグ詳細記録(女子).xls

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鹿児島県内出土のガラス玉の化学分析 中井泉 1, 柳瀬和也 1, 松﨑真弓 1, 澤村大地 1, 永濵功治 Chemical Analysis of glass beads excavated from Kagoshima prefecture Nakai Izumi,Yanase Kazuya,M


最 新 調 査 成 果 から 2 飯 山 線 ひんご 遺 跡 平 滝 郵 便 局 117 フランセーズ 悠 さかえ 502 平 滝 駅 502 樓 蘭 常 慶 院 横 倉 駅 栄 小 栄 村 ひんご 遺 跡 竪 穴 住 居 跡 の 炉 炉 石 の 脇 から 石 棒 が 出 土 した

Microsoft Word - アロマルーム通信11月12月号NO151.docx

平 成 27 年 地 価 公 示 結 果 ( 山 形 県 ) 1 地 価 公 示 とは 地 価 公 示 とは 地 価 公 示 法 に 基 づいて 国 土 交 通 省 土 地 鑑 定 委 員 会 が 毎 年 1 月 1 日 時 点 における 標 準 地 の1 平 方 メートル 当 たりの 正 常 な

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男 子 敗 者 復 活 戦 5 北 日 体 袋 4 北 掛 川 東 掛 川 工 新 居 5 北 立 7 城 4 6 北 市 工 立 南 開 誠 館 掛 川 北 城 北 工 市 立 市 袋 湖 南 北 商 代 北 商 湖 東 4 8 商

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同 上 5,000 山 奥 町 山 奥 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室 同 上 40,000 三 万 谷 町 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室 同 上 5,000 田 尻 町 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室 同 上 95,000 間 戸 自 治 会 同 上 行 政 管 理 室

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H29 発掘調査 おおすがなみ大 菅波コショウズワリ遺跡 い せきかがし [ 加 賀市 ] 大菅波コショウズワリ遺跡は JR 加賀温泉駅から福井方向へ約 1km の丘陵裾から低地にかかる場所に立地する集落遺跡です 調査は北陸新幹線建設に伴い平成 28 年度から行っています 昨年度のやりさきがたせんと

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金 銅 製 馬 具 須 恵 器 ( 壺 高 坏 平 瓶 坏 など) 土 師 器 ( 甕 高 坏 皿 など) 鉄 製 品 ( 鉄 斧 鉄 鏃 など) 市 域 の 横 穴 墓 模 型 ( 相 坂 横 穴 墓 ) 海 の 豪 族 こうしんのう 古 墳 群 模 型 鉄 製 銛 頭 釣 針 など 装 身 具

準 決 勝 4 組 3 着 +4 7 着 TR 1 組 ( 風 速 +1.3m) 2 組 ( 風 速 -1.3m) 3 組 ( 風 速 +0.9m) 平 野 相 洋 Q 嶋 﨑 相 洋 Q 佐 藤 相 洋 Q 青 山 座 間

黄 檗 宇 治 大 久 保 線 宇 治 大 久 保 淀 線 103 ー 21 ー 京 阪 淀 駅 ー 240 ー 240A 立 命 館 宇 治 経 由 250 ー 250A ー 立 命 館 宇 治 経 由 平 野 町 黄 檗 公 園 ニ

やよい絵画がえがかれた弥生土器をさがしてみよう!( 第 1 展示室 ) 左の絵画にえがかれた建物を何といいますか この建物は何に用いられたのでしょうか 左の絵画は何をえがいたものでしょうか この絵画がえがかれた土器は 奈良県の何という遺跡で見つかりましたか す須 え恵 き器 はじきと土師器 ( 第

考古学ジャーナル 2011年9月号 (立ち読み)

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三 条 通 西 洞 院 西 入 る 塩 屋 町 三 条 通 東 洞 院 西 入 梅 忠 町 三 条 通 室 町 西 入 る 衣 棚 町 の 各 新 町 通 姉 小 路 下 る 町 頭 町 の 全 域 新 町 通 夷 川 下 る 二 条 新 町 新 町 通 御 池 下 る 神 明 町 新 町 通 御


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宮崎市 2 住吉 3,320 ( 宮 ) 42 ( 宮 ) 105 瓜生野 2,270 ( 宮 ) 85 ( 宮 ) 24 ( 宮 ) 50 木花 1,920 ( 宮 ) 36 ( 宮 ) 140 青島 1,210 ( 宮 ) 30 ( 宮 ) 9 ( 宮 ) 59 ( 宮 ) 25 生目 2,34

研究紀要 第3号 (その2)

Microsoft Word - 通し(印刷用).docx

大 手 2 丁 目 大 手 3 丁 目 大 畑 町 大 宮 1 丁 目 273

大 手 2 丁 目 大 手 3 丁 目 大 畑 町 大 宮 1 丁 目 272 1

大 手 2 丁 目 大 手 3 丁 目 大 畑 町 大 宮 1 丁 目 272

大 手 2 丁 目 大 手 3 丁 目 大 畑 町 大 宮 1 丁 目

内 の 遺 体 は 朽 ちていたが 10 余 枚 の 歯 が 残 っていたので 死 者 の 年 齢 を 30~60 歳 と 鑑 定 で


九州地方一問一答 (15 分 各 1 点 ) 実施日 : 年月日 問 1. かつて薩摩藩があったのは今の何県か 問 2. 北海道南部に広がる 火山活動によってつくられた台地を何というか 問 3. 前問の台地を形成しているのは何という火山か 問 4. 樹齢 3000 年を超える縄文杉が生息し 世界自然

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学 校 対 抗 男 子 学 校 対 抗 6 月 3 日 ( 金 ) 9:00~ 開 始 式 ~ 学 校 対 抗 決 勝 リーグ2 回 戦 まで 6 月 4 日 ( 土 ) 9:00~ 学 校 対 抗 決 勝 リーグ3 回 戦, 個 人 戦 ( 複 ) 決 勝 まで, 個 人 戦 ( 単 )1 回 戦

青 森 5-9 青 森 市 本 町 5 丁 目 4 番 27 本 町 , , 青 森 5-10 青 森 市 本 町 2 丁 目 5 番 3 本 町 , , 青 森 5-11 青 森 市 中 央 1 丁


キラキラ

市大会(卓球)組合せ(入力済み)


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この 表 は の 住 宅 別 営 繕 工 事 の 予 定 です 掲 載 されている 案 件 が 発 注 されない 場 合 公 表 時 期 内 容 江 東 区 亀 戸 七 丁 目 アパート 耐 震 改 修 9~ 戸 第 4 四 半 期 亀 戸 七 丁 目 第 2アパート 屋 上 防 水 4

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別添

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時間貸し駐車場のリスト

7 火焔型土器の色調は 大きく分けて 2 種類あります 一つは赤色系 もう一つは何色系 でしょうか? a) 黒色系 b) 黄色系 c) 白色系 d) 青色系 8 火焔型土器の容量で最小のものは次のうちどれでしょうか? a)350ml b)420ml c)500ml d)720ml 9 一般的な火焔型


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西条藩陣屋跡

42 祐 天 寺 一 丁 目 ふれあい 公 園 祐 天 寺 平 成 区 街 かど 公 園 43 中 央 緑 地 公 園 中 央 町 , 昭 和 区 都 市 緑 地 44 こなべ 野 公 園 目 黒 本 町

Transcription:

ID 1 城 航空写真 ミヤコノジョウアト都城跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 2 8 1 32 都城跡全体の航空写真 ( 南より ) 都城は北郷義久が永和元年 (1375) に築いたお城といわれている 都島にあるお城 ということから 都城 と呼ばれ 現在の市名の由来となったといわれている ID 2 道具 ( 陶磁器 ) ミヤコノジョウアト都城跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 1 都城跡出土の青磁 ( 中国で焼かれた貴重なお茶碗 : 緑色の釉がかかっている ) 完全な形で見つかった ID 3 祭祀 ミヤコノジョウアト都城跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 1 都城跡出土の土師器 ( 素焼きのお茶碗 ) 墨でまじないの意味がある文字や絵が描かれている

ID 4 近世の日本の歩み 豊臣秀吉 ミヤコノジョウアト都城跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 1 都城跡出土の瓦 豊臣家の家紋である桐紋が使用されている 当時の城主 ( 伊集院氏 ) と豊臣家の親密な関係が想像される ID 5 城 古文書 絵図 ミヤコノジョウアト都城跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 1 32 都城跡の様子を描いた古絵図 ID 6 近世の日本の歩み 一国一城令 近世 ( 江戸 ) レプリカ 模型 ミヤコノジョウリョウシュヤカタ都城領主館跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 1 124 江戸の都城領主 ( 都城島津家 ) の模型 現在の明道小学校と市役所一体にあった

ID 7 近世の日本の歩み 廃藩置県 近 現代 その他 ミヤコノジョウケンイン都城県印 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 2 10 1 61 明治 4 年 ~ 明治 6 年まで存在した都城県の県印 ID 8 近世の日本の歩み 廃藩置県 近 現代 古文書 絵図 サンケンブンカイズ三県分界図 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 2 10 1 60 明治 4 年 11 月から明治 6 年 1 月まで 大淀川以南の日向国と大隅半島を県域とした都城県が存在し 現在の市役所がある場所に県庁が置かれた ID 9 道具 ( 農具 ) 弥生 タカタダイセキ高田遺跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 1 124 高田遺跡から出土した弥生の木製農具

ID 11 住まい ( 集落 ) 弥生 航空写真 タカダイセキ高田遺跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 1 124 高田遺跡の航空写真 溝で囲まれた弥生のむらの様子がわかる ID 12 文化 ( 文字 ) 古代 ( 奈良 平安 ) ウエノソノダイニイセキ上ノ園第 2 遺跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 2 1 2 124 上ノ園第 2 遺跡で出土した 秦 の字が書かれた土師器 ( 素焼きの茶碗 ) と須恵器 当時文字は役人や身分の高い人などごく一部の人しか書くことができなかった ID 13 文化 ( 文字 ) 古代 ( 奈良 平安 ) ウエノソノダイニイセキ上ノ園第 2 遺跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 1 3,2 1 2 124 硯 ( すずり ) 墨をする時につかうもの もともとは須恵器の茶碗

ID 14 近世の日本の歩み 道具 ( 薩摩焼 ) 近世 ( 江戸 ) コマツバラヤキカマアト小松原焼窯跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 2 9 2 125 鹿児島から薩摩焼の陶工が移り住んで開いた窯の焼き物 底の部分に 松原 の刻印がある ID 15 道具 ( 土器 ) ショウザカバルイセキ正坂原遺跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 2 正坂原遺跡 ( 小松原市民広場 ) から見つかった後期の土器 ID 16 墓 ショウザカバルイセキ正坂原遺跡 市中央部 1( 姫城 妻ケ丘 小松原 ) 掲載 2 125 平安末から鎌倉初めにかけての身分の高い人のお墓 短刀や土師器 ( 素焼きの茶碗 ) のほかにおにぎり状の米の塊が炭化したような状態で見つかっている

ID 17 道具 ( 陶磁器 ) イワヨシイセキ祝吉遺跡 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 3 127 祝吉遺跡出土の彩釉陶器 ( 非常に珍しい ) 表面には花の模様が線刻されている ID 18 墓 ( 副葬品 ) マツバライセキ松原遺跡 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 3 松原遺跡の平安末 ~ 鎌倉にかけてのお墓から出土したお茶碗 ID 19 近世の日本の歩み 道具 ( 薩摩焼 ) 近世 ( 江戸 ) クダマイセキ久玉遺跡 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 3 久玉遺跡出土のお茶碗 ( 薩摩焼 )

ID 20 道具 ( 武器 ) 弥生 イワヨシイセキ祝吉遺跡 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 3 弥生の鉄でつくられた矢じり ( 鉄鏃 ) 当時 日本では鉄の道具は非常に貴重なものだった ID 21 道具 ( 武器 ) 弥生 イワヨシイセキ祝吉遺跡 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 3 弥生の石を磨いてつくった矢じり ( 磨製石鏃 ) ID 22 道具 ( 土器 ) 弥生 イワヨシイセキ祝吉遺跡 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 3 弥生の壺 ( 絵が刻まれている )

ID 23 食 ( 調理 ) 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 ハクサンバルイセキ白山原遺跡 3 の調理施設 熱した石を集め その上に肉などをのせ 上から土をかぶせる ID 24 道具 ( 土器 ) 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 ハクサンバルイセキ白山原遺跡 3 早期の土器 ID 25 道具 ( 狩猟具 ) 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 ハクサンバルイセキ白山原遺跡 3 早期の尖頭器 ( 槍の先につける石器 ) と矢じり ( 石鏃 )

ID 26 源頼朝 史跡写真 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 イワヨシゴショアト祝吉御所跡 2 7 4 17 島津氏初代 惟宗忠久 の館があったといわれている場所 ID 27 仏教 古代 ( 奈良 平安 ) 史跡写真 オキミズコフン沖水 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 2 2 4 127 早水神社参道沿いにある塚 県指定文化財 ID 28 仏教 古代 ( 奈良 平安 ) オキミズコフン沖水 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 2 2 4 沖水出土の経筒

ID 29 住まい 弥生 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 ムコウバルイセキ向原遺跡 4 花弁状住居 花びらの形をした竪穴住居 弥生の南九州東南部に多くみられる ID 30 道具 ( 土器 ) 弥生 市中央部 2( 祝吉 ) 掲載 ムコウバルイセキ向原遺跡 4 弥生の煮炊きに使われた土器 ( 甕 ) ID 31 道具 ( 農具 ) 掲載 弥生 ムコウバルイセキ向原遺跡 4 向原遺跡出土の石庖丁

ID 32 掲載 五十市 史跡写真 ミヤコノジョウコフン都城 2 5 5 130 都城盆地で最も内陸に造られた円墳 東西約 11m 南北約 9.7m ID 33 道具 ( 石器 ) 掲載 五十市 ニシバルダイ2イセキ西原第 2 遺跡 5 130 明和小学校をつくる時に発掘調査を行った 後期の鎌のような石器 ID 34 道具 ( 狩猟具 ) 掲載 五十市 旧石器 オオイワダカミムライセキ大岩田上村遺跡 5 130 旧石器の槍の先につける組み合わせ式の石器

ID 35 道具 ( 土器 ) 掲載 五十市 ミヤオ タテノイセキ宮尾 立野遺跡 5 9 工事中に発見された早期の 五十市式土器 市指定文化財 ID 36 食 ( 食べ物 ) 掲載 五十市 弥生 クロツチイセキ黒土遺跡 5 10 晩期の土器に含まれた米粒とその痕跡 ID 37 道具 ( 石器 ) 掲載 五十市 弥生 クロツチイセキ黒土遺跡 5 の終わりから弥生初めごろの石器 ( 土を掘る道具かもしれない )

ID 38 道具 ( 農具 ) 掲載 五十市 弥生 クロツチイセキ黒土遺跡 2 4 5 10 の終わりから弥生の初めごろの石庖丁 ID 39 道具 ( 土器 ) 掲載 五十市 弥生 クロツチイセキ黒土遺跡 5 弥生初めごろの土器 ID 40 道具 ( 土器 ) 掲載 五十市 クロツチイセキ黒土遺跡 5 終わりごろの土器

ID 41 仏教 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 五十市 ヨコオバルイセキ横尾原遺跡 2 3 6 131 奈良の骨壺 ( 火葬した人の骨をおさめたもの ) 身分の高い人のものと考えられる ID 42 仏教 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 五十市 ヨコオバルイセキ横尾原遺跡 2 3 6 131 骨で作られた飾り かんざしか? 蔵骨器内に納められていた ID 43 近世の日本の歩み 街道 近世 ( 江戸 ) 掲載 五十市 史跡写真 イママチイチリヅカ今町一里塚 6 130 江戸に主要な道路の一里ごとにおかれた道しるべ 九州にある一里塚の中で唯一の国指定史跡

ID 44 掲載 横市 住まい ツルハミイセキ鶴喰遺跡 5 7 の竪穴住居跡 住居内にカマド ( 火をたく調理場 ) がある ID 45 道具 ( その他 ) 掲載 横市 ツルハミイセキ鶴喰遺跡 5 7 鶴喰遺跡出土の馬鐸 ( 馬につける飾り ) ID 46 道具 ( 土器 ) 掲載 横市 ツルハミイセキ鶴喰遺跡 鶴喰遺跡から見つかったの土器

ID 47 道具 ( 農具 ) 掲載 横市 弥生 ヒジアナイセキ肱穴遺跡 7 終わりから弥生初めごろにかけての石庖丁 ID 48 道具 ( 石器 ) 掲載 横市 弥生 ヒジアナイセキ肱穴遺跡 7 終わりから弥生初めごろの石斧 土を掘る道具かもしれない ID 49 掲載 横市 祭祀 弥生 サカモトBイセキ坂元 B 遺跡 7 住居を廃棄した際に行った祭祀に使われた土器とその出土状況

ID 50 生業 ( 米づくり ) 掲載 横市 弥生 サカモトAイセキ坂元 A 遺跡 2 4 7 10 都城で見つかっている現在もっとも古い ( 日本に稲作が伝わったのとあまり変わらない時期 ) 水田跡 ID 51 生業 ( 米づくり ) 掲載 横市 サカモトAイセキ坂元 A 遺跡 5 弥生の終わりからにかけて使用されていた水田跡 ID 53 住まい ( 館 ) 掲載 横市 航空写真 カジヤBイセキ加治屋 B 遺跡 7 128 鎌倉の在地領主館跡 大きな溝 ( 赤線 ) で囲まれた内側に多くの建物 ( 青線 ) があるのがわかる

ID 54 仏教 掲載 横市 カジヤBイセキ加治屋 B 遺跡 7 128 銅製の仏花瓶 ID 55 住まい 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 横市 ホシハライセキ星原遺跡 8 128 平安の建物が規則的に並んでいる ID 56 道路 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 横市 ホシハライセキ星原遺跡 平安の道路跡 台地から川に向かって直線的に伸びている

ID 57 生業 ( 畑 ) 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 横市 ホシハライセキ星原遺跡 1 5 8 平安の畠跡 基礎木的に畝間が並ぶ ID 58 道具 ( 土器 ) 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 横市 ホシハライセキ星原遺跡 須恵器の甕 水など液体の物を入れていたと考えられる ID 60 掲載 沖水 二度の世界大戦と日本 戦争 近 現代 航空写真 ミヤコノジョウニシヒコウジョウ都城西飛行場跡 2 11 8 71,129 特攻隊が出撃していった飛行場跡

ID 61 食 ( 食べ物 ) 掲載 横市 弥生 ヒラタイセキ平田遺跡 8 弥生の炭状になったドングリ ID 63 食 ( 食べ物 ) 掲載 横市 弥生 ヒラタイセキ平田遺跡 8 弥生 ( 約 2,000 年前 ) の米 炭のような状態でたくさん見つかった ID 64 道路 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 横市 ヒラタイセキ平田遺跡 2 4 8 14 両側に溝を持つ道路

ID 65 衣 ( 装身具 ) 掲載 横市 弥生 ヒラタイセキ平田遺跡 8 粘土で作られた勾玉 ID 66 掲載 沖水 住まい 弥生 ミヤノシタイセキ宮ノ下遺跡 9 弥生の竪穴住居 ID 67 掲載 沖水 現在の状況 弥生 その他 ミヤノシタイセキ宮ノ下遺跡 9 宮ノ下遺跡の現在の状況 ( 金田児童公園となっている )

ID 68 現在の状況 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 沖水 その他 オオシマハタケダイセキ大島畠田遺跡 9 15,132 平安の豪族の屋敷跡の現在の状況 平安にも高千穂がきれいに見えていたと考えられる ID 69 住まい 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 沖水 オオシマハタケダイセキ大島畠田遺跡 1 4,2 5 9 約 88 坪もあるとても大きな建物 ID 70 文化 ( 文字 ) 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 沖水 オオシマハタケダイセキ大島畠田遺跡 1 3 9 15 泉 と書かれた土師器 ( 素焼きの土器 ) 出前授業での貸出は可

ID 71 道具 ( 陶磁器 ) 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 沖水 オオシマハタケダイセキ大島畠田遺跡 9 国内 ( 京都 ) でつくられた緑色の釉がかかったお皿 当時とても高級品だった ID 72 衣 ( 装身具 ) 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 沖水 ナミキゾエイセキ並木添遺跡 1 3,2 5 9 16 皮帯につける石でできた飾り ( 身分の高い人 : 役人が身に着ける ) ID 73 道路 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 沖水 ナミキゾエイセキ並木添遺跡 9 14 平安の道路跡 ほぼまっすぐな道路で 約 420m にわたって見つかっている

ID 74 道路 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 沖水 航空写真 ナミキゾエイセキ並木添遺跡 2 6 2 5 9 132 並木添遺跡の航空写真 道路が直線的に伸びているのがわかる ID 75 掲載 沖水 二度の世界大戦と日本 戦争 近 現代 航空写真 ミヤコノジョウヒガシヒコウジョ都城東飛行場跡 2 11 10 133 特攻隊が出撃した飛行場 ID 76 掲載 沖水 二度の世界大戦と日本 戦争 近 現代 その他 ミヤコノジョウヒガシヒコウジョ都城東飛行場跡 10 都城東飛行場跡に建てられた記念碑と版

ID 77 道具 ( 土器 ) 掲載 志和池 シモゾノイセキ下薗遺跡 11 8,134 小学生が見つけた土器 ID 78 道具 ( 土器 ) 掲載 志和池 ジュウサンヅカイセキ十三塚遺跡 11 8 早期の土器 煮炊きに使われた ID 79 ( 副葬品 ) 掲載 志和池 シワチムラコフングン志和池村群 2 5 11 134 志和地村群で表際されたいろいろな形をした須恵器

ID 80 ( 副葬品 ) 掲載 志和池 チクイケチカシキヨコアナボ築池地下式横穴墓 築池地下式横穴墓から見つかった須恵器の壺 ID 81 ( 副葬品 ) 掲載 チクイケチカシキヨコアナボ築池地下式横穴墓 2 5 2 3 11 築池地下式横穴墓から見つかったの鏡 ID 82 ( 副葬品 ) 掲載 志和池 チクイケチカシキヨコアナボ築池地下式横穴墓 2 3 築池地下式横穴墓から見つかった耳輪 ( じかん )* イヤリング : 金メッキが施されている

ID 83 ( 副葬品 ) 掲載 志和池 チクイケチカシキヨコアナボ築池地下式横穴墓 2 5 2 3 11 12,134 築池地下式横穴墓から見つかった勾玉 ( まがたま ) と管玉 ( くだたま ) ID 84 掲載 志和池 航空写真 シワチムラコフングン志和池村群 11 志和池村群の航空写真 ID 85 現在の状況 掲載 志和池 その他 シワチジョウアト志和池城跡 11 志和池市民広場北側にある志和池城跡の現在の状況

ID 86 城 掲載 志和池 航空写真 シワチジョウアト志和池城跡 11 志和池城跡の航空写真 ID 87 住まい ( 館 ) 掲載 志和池 航空写真 マルタニチクイセキグン丸谷遺跡群 12 丸谷遺跡群 ( 上大五郎遺跡 ) の中世の館跡 二重の溝でかこまれた内側に建物がたくさん建っている 館中央には入口もつくられている ID 88 住まい ( 集落 ) 掲載 志和池 弥生 航空写真 マルタニチクイセキグン丸谷遺跡群 丸谷遺跡群 ( 本池遺跡 ) の航空写真 丸や四角の穴が弥生の住居など ほかに平安の建物 ( 小さい丸をつないだ長方形 ) も見える

ID 89 道具 ( 須恵器 ) 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 志和池 モトイケイセキ本池遺跡 2 6 12 丸谷遺跡群 ( 本池遺跡 ) から見つかった須恵器の甕 水などを入れる容器 ID 91 掲載 志和池 二度の世界大戦と日本 戦争 近 現代 航空写真 ミヤコノジョウキタヒコウジョウ都城北飛行場跡 2 11 12 136 現在の丸の小学校の近くにつくられた飛行場で 主に特攻隊員の訓練が行われていました ID 92 開国と近世の日本の歩み 道具 ( 陶磁器 ) 掲載 庄内 西岳 夏尾 キリハタダイ3イセキ切畑第 3 遺跡 13 138 工事中に墓石とともに発見された 中国の景徳鎮窯で焼かれた壺で とても貴重な

ID 93 掲載 現在の状況 その他 庄内 西岳 夏尾 イセタニダイ1イセキ伊勢谷第 1 遺跡 13 136 くまそ広場をつくるときに発掘調査を行った伊勢谷第 1 遺跡の現在の状況 ID 94 道具 ( 狩猟具 ) 掲載 庄内 西岳 夏尾 イセタニダイ1イセキ伊勢谷第 1 遺跡 13 伊勢谷第 1 遺跡で見つかったの矢じり ( 石鏃 ) ID 95 城 掲載 航空写真 庄内 西岳 夏尾 ヤスナガジョウアト安永城跡 13 庄内小学校の裏手にある山城 15 世紀中ごろにつくられたといわれている

ID 96 現在の状況 掲載 その他 庄内 西岳 夏尾 ヤスナガジョウアト安永城跡 13 庄内小学校の裏手にある安永城跡の現在の状況 ID 97 交流 ( 陶磁器 ) 掲載 庄内 西岳 夏尾 ヤスナガジョウアト安永城跡 13 安永城跡から見つかった中国で作られた茶碗 ID 99 道具 ( 武器 ) 掲載 庄内 西岳 夏尾 ヤスナガジョウアト安永城跡 13 安永城跡で見つかった短刀と小札 ( よろいの一部 )

ID 100 掲載 現在の状況 その他 庄内 西岳 夏尾 カシノチカシキヨコアナボグン菓子野地下式横穴墓群 2 4,3 13 菓子野小学校南にある菓子野地下式横穴墓群の現在の状況 ID 101 ( 副葬品 ) 掲載 庄内 西岳 夏尾 カシノチカシキヨコアナボグン菓子野地下式横穴墓群 2 4 13 菓子野地下式横穴墓群から見つかった貝の腕輪 ( 南の島でとれる貝を使っている ) ID 102 ( 人骨 ) 掲載 庄内 西岳 夏尾 カシノチカシキヨコアナボグン菓子野地下式横穴墓群 4 13 地下式横穴墓ではの人の骨がそのまま残されていることが多い

ID 103 ( 副葬品 ) 掲載 庄内 西岳 夏尾 カシノチカシキヨコアナボグン菓子野地下式横穴墓群 13 菓子野地下式横穴墓群から見つかった鉄鐸 ( てったく : 鉄でできた鈴のようなもの ) ID 104 開国と近世の日本の歩み 信仰 近世 ( 江戸 ) 掲載 庄内 西岳 夏尾 ヒラタカクレネンブツドウ平田かくれ念仏洞 14 137 平田かくれ念仏洞の内部 * 現在は 危険なので中には入れません ID 105 開国と近世の日本の歩み 信仰 近世 ( 江戸 ) 掲載 その他 庄内 西岳 夏尾 ヒラタカクレネンブツドウ平田かくれ念仏洞 14 137 平田かくれ念仏洞の現在の状況 * 現在は 危険なので中には入れません

ID 106 開国と近世の日本の歩み 道具 ( 薩摩焼 ) 近世 ( 江戸 ) 掲載 庄内 西岳 夏尾 ショウナイショウガッコウイセキ庄内小学校遺跡 14 庄内小学校遺跡から見つかった薩摩焼の甕 ID 107 城 掲載 中郷 航空写真 ウメキタジョウアト梅北城跡 15 140 梅北城跡の航空写真 ID 108 現在の状況 掲載 中郷 ウメキタジョウアト梅北城跡 15 140 梅北城跡の空堀

ID 110 仏教 古代 ( 奈良 平安 ) 掲載 庄内 西岳 夏尾 カミクボイセキ上久保遺跡 15 工事中に発見された経筒 中にはお経を書いた紙の一部が残されていました ID 111 食 ( 調理 ) 掲載 中郷 ウメキタキタバルイセキ梅北北原遺跡 15 中郷中学校の発掘調査を行った時に見つかった早期の集石 ( 調理施設 ) ID 112 住まい 掲載 中郷 カミヤスヒサイセキ上安久遺跡 15 中世の建物跡 ( 黒い丸い穴が柱穴 )

ID 113 道路 掲載 中郷 カミヤスヒサイセキ上安久遺跡 15 中世の道路跡 路面には小さな小石が敷き詰められている ID 114 お金 掲載 中郷 カミヤスヒサイセキ上安久遺跡 15 平安末 ~ 鎌倉にかけてのお墓から見つかった銭 ID 115 墓 ( 副葬品 ) 掲載 中郷 カミヤスヒサイセキ上安久遺跡 15 平安末 ~ 鎌倉にかけてのお墓から見つかったお茶碗 ( 中国でつくられたもの )

ID 116 道具 ( 土器 ) 掲載 中郷 カミヤスヒサイセキ上安久遺跡 15 上安久遺跡から見つかったの土器 ID 117 仏教 掲載 中郷 ショウオウジアト正応寺跡 16 壺の口の下四か所に取っ手のような耳がついているので四耳壺 ( しじこ ) と呼ばれる白磁の壺 中国でつくられたもの 骨壺 ID 118 掲載 中郷 住まい オビラノドウクツ尾平野洞窟 2 3 16 9 都城で唯一確認されている洞窟遺跡

ID 119 道具 ( 石器 ) 掲載 中郷 オビラノドウクツ尾平野洞窟 16 尾平野洞窟で見つかったの石斧 ID 120 食 ( 食べ物 ) 掲載 中郷 オビラノドウクツ尾平野洞窟 2 3 16 9 イノシシの下あごの骨 ID 121 食 ( 食べ物 ) 掲載 中郷 オビラノドウクツ尾平野洞窟 2 3 9 尾平野洞窟から見つかったシカの骨

ID 122 掲載 山之口 ヤマノクチコフン山之口 17 142 県指定史跡 円墳 2 つが東西に並んでいる ID 123 道具 ( 狩猟具 ) 掲載 山之口 ハギガクボダイ1イセキ萩ケ久保第 1 遺跡 17 トロトロ石器矢じりの形をしているが 表面がツルツルにみがかれている ID 124 生業 ( 狩猟 ) 掲載 山之口 ハギガクボイセキ萩ケ久保遺跡 17 イノシシやシカなどを捕まえるための落とし穴 大きさは 1.4 m 0.9m 深さ 0.8m 穴の底には逆茂木といって穴に落ちた動物が逃げられないように竹や木をさしていた穴も残る

ID 125 道具 ( 土器 ) 掲載 山之口 オウジヤマイセキ王子山遺跡 17 8,142 草創期の土器 表面に粘土の紐を張り付けて飾りつけしている ( 隆帯文土器 ) 約 13,000 年前 ID 126 食 ( 料理施設 ) 掲載 山之口 オウジヤマイセキ王子山遺跡 17 連結土坑 ( れんけつどこう ) 二つの穴がトンネル状に地下でつながっている 肉などを燻製する施設といわれている 詳しくは連結土坑イラストを参照 ID 127 掲載 山之口 食 オウジヤマイセキ王子山遺跡 17 約 13,000 年前のドングリ ( 炭状になったもの ) このほか現在のノビルの仲間であるネギ属も見つかっている 現在国内最古の出土例

ID 128 食 ( 調理施設 ) 掲載 地図 イラスト ナシなし 17 連結土坑の模式図 連結土坑は 地下にトンネル状の穴を掘り 中で火を焚き片側から仰ぐことでもう片方の穴の入口に設置した肉などを燻製する施設 ID 129 食 ( 調理施設 ) 掲載 山之口 オウジヤマイセキ王子山遺跡 17 142 人の頭よりも大きな石を並べてつくられた炉の跡 ID 130 道具 ( 狩猟具 ) 掲載 山之口 旧石器 オウジヤマイセキ王子山遺跡 17 5 剥片尖頭器 ( はくへんせんとうき ) と呼ばれる石を割って作った槍 ( やり ) の先 今から約 2 万年前のもの 現在都城市内で最も古い時期の

ID 131 城 掲載 山之口 史跡写真 ヤマノクチジョウアト山之口城跡 17 142 庄内十二外城の一つ 亀鶴城とも呼ばれ 戦国期には 伊東氏 島津氏 北郷氏などが支配した 元和元年 (1615) の一国一城令により廃城となる ID 132 近世 ( 江戸 ) 掲載 山之口 開国と近世の日本の歩み その他 シマヅカンテンコウジョウアト島津寒天工場跡 2 9 18 51,143 江戸に薩摩藩が管理していた寒天工場跡 当時 藩は財政難だったため 寒天を作り中国やロシアに密輸しお金を蓄えていた ID 133 住まい ( 集落 ) 掲載 山之口 オウジヤマイセキ王子山遺跡 5 王子山遺跡の全体写真 大きな丸い穴が竪穴住居跡 中央上に見えるのは配石炉 草創期の集落跡

ID 134 食 ( 貯蔵 ) 掲載 山之口 オウジヤマイセキ王子山遺跡 王子山遺跡で見つかった早期 ( 約 8 千年前 ) の貯蔵穴 ドングリなど食料を貯蔵するための穴と考えられる ID 135 開国と近世の日本の歩み 信仰 近世 ( 江戸 ) 掲載 山之口 史跡写真 タジマカクレネンブツドウ田島かくれ念仏洞 浄土真宗 ( 一向宗 ) が禁じられた江戸に 信者たちが隠れ祈った場所といわれている ID 136 城 掲載 高城 航空写真 ガッサンヒワジョウアト月山日和城跡 19 144 室町に肝付氏によって築かれた城で 三俣院兼重城 ( みまたいんかねしげじょう ) とも呼ばれていた 南北朝以降 このあたりの戦の拠点となった城で 現在は高城郷土資料館が建てられている

ID 137 掲載 高城 航空写真 タカジョウチョウコフングン高城町群 2 2 19 写真は高城町群のうち牧ノ原群の航空写真 前方後円墳 3 基 円墳 19 基が県の史跡に指定されている ID 138 掲載 高城 マキノハラコフングン牧ノ原群 2 2 144 牧ノ原群の 1 号墳 ( 前方後円墳 ) の現在の状況 ID 139 掲載 高城 マキノハラコフングン牧ノ原群 2 2 19 144 牧ノ原群でみつかった箱式石棺墓 内面には赤い顔料が塗られている

ID 140 掲載 高城 マキノハラコフングン牧ノ原群 2 2 19 牧ノ原群で見つかった木棺墓 木の棺は腐ってしまい残っていなかった ID 141 衣 ( 装身具 ) 掲載 高城 ホソイチクイセキグン細井遺跡群 19 細井遺跡群 ( 山城第 1 遺跡と上原第 3 遺跡 ) から出土した装身具 ( アクセサリー ) ID 142 住まい ( 住居 ) 掲載 高城 ヤマシロダイ1イセキ山城第 1 遺跡 19 山城第 1 遺跡でみつかった後期の竪穴住居跡 この遺跡では 50 軒以上の竪穴住居が見つかっている

ID 143 道具 ( 土器 ) 掲載 高城 ウエハラダイ1イセキ上原第 1 遺跡 19 上原第 1 遺跡から見つかったの土器 ( 土師器 ) 土器上部の片側は注ぎ口のようになっている ID 144 道具 ( 土器 ) 掲載 高城 ウエハラダイ1イセキ上原第 1 遺跡 19 上原大 1 遺跡で見つかったの土器 ( 土師器 ) 赤い顔料が全体に塗られていて 土器の中央には孔が開けられている この穴に 竹などの筒をさし 液体を注いだと考えられる 土瓶のようなもの ID 145 開国と近世の日本の歩み 信仰 近世 ( 江戸 ) 掲載 高城 史跡写真 タナベカクレネンブツドウ田辺かくれ念仏洞 20 40 江戸に浄土真宗 ( 一向宗 ) の信者たちが 隠れ祈った場所 薩摩藩では浄土真宗が禁じられていた

ID 146 道具 ( 狩猟具 ) 掲載 スズメガノイセキグン雀ケノ遺跡群 2 1 20 5 雀ケ野遺跡群で見つかった尖頭器 木などの柄の先につける石器 槍の先の部分 ID 147 道具 ( 狩猟具 ) 地図 イラスト 掲載 2 1 20 5 細石刃と尖頭器の使用想定図 ID 148 住まい ( 集落 ) 掲載 山田 ナカムライセキ中村遺跡 21 中村遺跡の発掘調査の様子 道路拡張の工事の時に発掘調査を行い 今から約 3 千年前のの竪穴住居跡が 2 軒みつかった

ID 149 道具 ( 土器 ) 掲載 山田 ナカムライセキ中村遺跡 21 中村遺跡から見つかったの土器 煮炊きに使ったと考えられる ID 150 道具 ( 調理具 ) 掲載 山田 ナカムライセキ中村遺跡 21 中村遺跡から見つかったの石器 下の石は石皿 上の石が磨石 ( すりいし ) 石皿の上に木の実などをのせ 磨石で実をたたいて割ったり すりつぶしたりする ID 152 道具 ( 土器 ) 掲載 山田 ナカムタイセキ中牟田遺跡 21 中牟田遺跡で見つかった土師器 ( 素焼きの茶碗 ) 山田総合福祉センターをつくる時に発掘調査を行った

ID 153 住まい ( 住居 ) 掲載 山田 弥生 ナカムタイセキ中牟田遺跡 21 山田総合福祉センターをつくる時に発掘調査を行った中牟田遺跡の弥生の竪穴住居跡 南九州では多くみられる間仕切りのある竪穴住居跡 ID 154 城 掲載 山田 航空写真 ヤマダジョウアト山田城跡 21 146 室町に相良定頼が築いたといわれている 山田城の城域は現在の山田総合支所や山田小学校を含むとても広い範囲につくられた 元和元年 (1615) に廃城 ID 155 道具 ( 狩猟具 ) 掲載 山田 旧石器 イケマスイセキ池増遺跡 22 ボラ取の工事の時に発掘調査を行った際に見つかった細石刃 今から 1 万 3 千年ほど前の旧石器の狩猟具でカミソリの刃のような形をしており これを木などの柄にいくつも差し込んで槍のようにして使用した

ID 156 道具 ( 陶磁器 ) 掲載 山田 サツマザコヤカタアト薩摩迫館跡 22 薩摩迫館跡から見つかった青磁 ( 中国でつくられた茶碗 ) 当時はとても貴重な物 薩摩迫館は 室町に島津資忠が築いた館跡といわれている この館を拠点に都城盆地を治めていったと考えられている ID 157 現在の状況 掲載 山田 史跡写真 サツマザコヤカタアト薩摩迫館跡 2 8 22 146 薩摩迫館跡の現在の様子 写真は館の大手口 ( 入口 ) 付近 ID 158 住まい ( 住居 ) 掲載 高崎 ナベマエイセキ鍋前遺跡 23 鍋前遺跡で見つかったの竪穴住居跡 鍋前遺跡は農地を整備する時に発掘調査を行ったの集落跡

ID 159 道具 ( 土器 ) 掲載 高崎 ナベマエイセキ鍋前遺跡 23 鍋前遺跡から出土したの土器 写真は坩 ( かん ) と呼ばれる小型の丸底の壺 ID 160 道具 ( 土器 ) 掲載 高崎 ナベマエイセキ鍋前遺跡 23 鍋前遺跡から出土したの土器 写真は鉢型土器 当時の食器 ID 161 掲載 高崎 史跡写真 タカザキムラコフングン高崎村群 2 5 2 1 23 11 高崎村群の 1 号墳 群は県の史跡に指定されている なかでも 1 号墳は都城盆地最大の前方後円墳で全長 68m 高さ 6m ほどの規模

ID 162 掲載 高崎 航空写真 タカザキムラコフングン高崎村群 23 148 高崎村群 ( 塚原 ) の航空写真 げんざいは塚原に 19 基 横谷に 6 基が残されているが 明治 13 年頃までは塚原だけでも 50 基ほどのがあったといわれている ID 163 道具 ( 副葬品 ) 掲載 高崎 ハラムラウエチカシキヨコアナ原村上地下式横穴墓群 23 高崎村群 ( 横谷 ) 周辺の地下にある原村上地下式横穴墓群から見つかった鉄の矢じり ( 鉄鏃 : てつぞく ) 当時 鉄の道具はとても貴重なものだった ID 164 道具 ( 副葬品 ) 掲載 高崎 ハラムラウエチカシキヨコアナ原村上地下式横穴墓群 23 高崎村群 ( 横谷 ) 付近の地下にある原村上地下式横穴墓群から出土した刀子 ( とうす : 木などを削る時に使う工具 ) 当時鉄の道具はとても貴重な物だった

ID 165 現在の状況 掲載 高崎 史跡写真 コバジョウアト木場城跡 23 148 林道をつくる時に城の一部を発掘調査しました 現在は整備され 城の空堀などを見ることができる ID 166 開国と近世の日本の歩み 流通 近世 ( 江戸 ) 掲載 高崎 その他 カンノンゼ観音瀬 23 江戸に川底の岩を削って川幅を広げ 大きな船が通れるように工事した 機械もないに限られた道具で工事を行行った ID 167 掲載 高崎 墓 弥生 ホウノキ ( フノキ ) イセキ朴木遺跡 24 弥生のお墓 地下に掘った穴に大きな石で蓋をしたもの 中からは土器や磨いた石の矢じりが見つかっている 蓋石は 1m 60 cm

ID 168 墓 ( 副葬品 ) 掲載 高崎 弥生 ホウノキ ( フノキ ) イセキ朴木遺跡 24 弥生のお墓から見つかった磨いた石の矢じり 1 つのお墓から 20 点見つかっていて どれも先が折れたり 刃がかけたりしていた ID 169 道具 ( 石器 ) 掲載 高崎 ヒラマツイセキ平松遺跡 24 平松遺跡から見つかった石斧 使われたことによって 刃が摩耗している ID 170 道具 ( 土器 ) 掲載 高崎 ヒラマツイセキ平松遺跡 24 148 平松遺跡から見つかった早期の土器

ID 171 道具 ( 石器 ) 掲載 高城 ヒラマツイセキ平松遺跡 24 平松遺跡から見つかった黒曜石で作った矢じり ID 172 住まい ( 調理施設 ) 掲載 高崎 ヒラマツイセキ平松遺跡 23 148 平松遺跡で見つかったの調理施設 ( 集石 ) 大小の焼いた石を集め その上に肉などをのせ 上から土をかぶせることで蒸し焼きにしたと考えられている