解  題

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手 形 1 玉 島 商 店 から 注 文 のあった 商 品 650,000 を 発 送 し 代 金 のうち 520,000 については 取 引 銀 行 で 荷 為 替 を 取 り 組 み 割 引 料 を 差 し 引 かれた 手 取 金 514,000 は とした なお 残 額 は 掛 けとした 手


損 益 計 算 書 ( 自 平 成 25 年 4 月 1 日 至 平 成 26 年 3 月 31 日 ) ( 単 位 : 百 万 円 ) 科 目 金 額 営 業 収 益 75,917 取 引 参 加 料 金 39,032 上 場 関 係 収 入 11,772 情 報 関 係 収 入 13,352 そ

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目 次 市 民 税 の 減 免 に つ い て 1 減 免 の 一 般 的 な 留 意 事 項 2 減 免 の 範 囲 お よ び 減 免 割 合 3 1 生 活 保 護 法 の 規 定 に よ る 保 護 を 受 け る 者 3 2 当 該 年 に お い て 所 得 が 皆 無 と な っ た

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損 益 計 算 書 自. 平 成 26 年 4 月 1 日 至. 平 成 27 年 3 月 31 日 科 目 内 訳 金 額 千 円 千 円 営 業 収 益 6,167,402 委 託 者 報 酬 4,328,295 運 用 受 託 報 酬 1,839,106 営 業 費 用 3,911,389 一

Ⅲ 相 続 財 産 の 分 割 に 関 する 確 認 事 項 1 遺 言 がありますか? 有 遺 言 公 正 証 書 又 は 家 公 証 人 役 場 等 要 月 日 無 庭 裁 判 所 の 検 認 を 受 否 ( 通 ) けた 遺 言 書 2 死 因 贈 与 があります 有 贈 与 契 約 書 要


寄 附 申 込 書 平 成 年 月 日 一 般 社 団 法 人 滋 賀 県 発 明 協 会 会 長 清 水 貴 之 様 ご 住 所 ご 芳 名 ( 会 社 名 ) 印 下 記 により 貴 協 会 に 寄 附 を 申 し 込 みます 記 1. 寄 附 金 額 金 円 也 1. 寄 付 金 の 種 類

Taro-契約条項(全部)


定款  変更

1 平 成 27 年 度 土 地 評 価 の 概 要 について 1 固 定 資 産 税 の 評 価 替 えとは 地 価 等 の 変 動 に 伴 う 固 定 資 産 の 資 産 価 値 の 変 動 に 応 じ その 価 格 を 適 正 で 均 衡 のとれたものに 見 直 す 制 度 である 3 年 ご

 

                         庁議案件No

定 性 的 情 報 財 務 諸 表 等 1. 連 結 経 営 成 績 に 関 する 定 性 的 情 報 当 第 3 四 半 期 連 結 累 計 期 間 の 業 績 は 売 上 高 につきましては 前 年 同 四 半 期 累 計 期 間 比 15.1% 減 少 の 454 億 27 百 万 円 となり

1_2013BS(0414)

貸 借 対 照 表 内 訳 表 212 年 3 月 31 日 現 在 公 益 財 団 法 人 神 奈 川 県 公 園 協 会 科 目 公 益 目 的 事 業 会 計 収 益 事 業 等 会 計 法 人 会 計 内 部 取 引 消 去 合 計 Ⅰ 資 産 の 部 1. 流 動 資 産 現 金 預 金

別 紙 軽 費 老 人 ホームの 収 入 認 定 について 平 成 22 年 3 月 9 日 千 葉 県 健 康 福 祉 部 高 齢 者 福 祉 課 本 紙 は 平 成 18 年 1 月 24 日 老 発 第 号 厚 生 労 働 省 老 健 局 長 通 知 老 人 保 護 措 置 費

目 次 高 山 市 連 結 財 務 諸 表 について 1 連 結 貸 借 対 照 表 2 連 結 行 政 コスト 計 算 書 4 連 結 純 資 産 変 動 計 算 書 6 連 結 資 金 収 支 計 算 書 7

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2. 居 住 用 財 産 を 売 却 し た 場 合 の 特 例 譲 渡 資 産 は 居 住 用 財 産 で す か? 住 宅 取 得 特 別 控 除 の 適 用 を 受 け て い ま せ ん か? 所 有 期 間 が 1 0 年 を 超 え て い ま す か? 居 住 期 間 は 3 0 年

65 発 送 管 理 2 賦 課 期 日 情 報 66 発 送 管 理 3 賦 課 期 日 情 報 67 発 送 管 理 4 賦 課 期 日 情 報 68 発 送 管 理 5 賦 課 期 日 情 報 69 発 送 管 理 6 賦 課 期 日 情 報 70 発 送 管 理 7 賦 課 期 日 情 報


区議会月報 平成19年4-5月

土 購 入 土 借 用 土 所 有 権 移 転 登 記 確 約 書 農 転 用 許 可 書 ( 写 ) 農 転 用 届 出 受 理 書 ( 写 ) 土 不 動 産 価 格 評 価 書 土 見 積 書 ( 写 ) 又 は 売 買 確 約 書 ( 写 ) 土 売 主 印 鑑 登 録 証 明 書 売 主

弁護士報酬規定(抜粋)


情 報 通 信 機 器 等 に 係 る 繰 越 税 額 控 除 限 度 超 過 額 の 計 算 上 控 除 される 金 額 に 関 する 明 細 書 ( 付 表 ) 政 党 等 寄 附 金 特 別 控 除 額 の 計 算 明 細 書 国 庫 補 助 金 等 の 総 収 入 金 額 不 算 入 に 関

1 特 別 会 計 財 務 書 類 の 検 査 特 別 会 計 に 関 する 法 律 ( 平 成 19 年 法 律 第 23 号 以 下 法 という ) 第 19 条 第 1 項 の 規 定 に 基 づき 所 管 大 臣 は 毎 会 計 年 度 その 管 理 する 特 別 会 計 について 資 産

4. その 他 (1) 期 中 における 重 要 な 子 会 社 の 異 動 ( 連 結 範 囲 の 変 更 を 伴 う 特 定 子 会 社 の 異 動 ) 無 (2) 簡 便 な 会 計 処 理 及 び 四 半 期 連 結 財 務 諸 表 の 作 成 に 特 有 の 会 計 処 理 の 適 用 有


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第1号様式

4. その 他 (1) 期 中 における 重 要 な 子 会 社 の 異 動 ( 連 結 範 囲 の 変 更 を 伴 う 特 定 子 会 社 の 異 動 ) 無 (2) 簡 便 な 会 計 処 理 及 び 四 半 期 連 結 財 務 諸 表 の 作 成 に 特 有 の 会 計 処 理 の 適 用 有

の 提 供 状 況 等 を 総 合 的 に 勘 案 し 土 地 及 び 家 屋 に 係 る 固 定 資 産 税 及 び 都 市 計 画 税 を 減 額 せずに 平 成 24 年 度 分 の 固 定 資 産 税 及 び 都 市 計 画 税 を 課 税 することが 適 当 と 市 町 村 長 が 認 め

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第1章 簿記の一巡

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奨学事業戦略部個人情報ファイル簿

類 ( 番 号 を 記 載 ) 施 設 名 事 所 名 所 在 事 開 始 年 月 日 事 規 模 ( 定 員 ) 公 益 事 必 要 な 者 に 対 し 相 談 情 報 提 供 助 言 行 政 や 福 祉 保 健 医 療 サービス 事 者 等 との 連 絡 調 整 を 行 う 等 の 事 必 要

中 央 公 民 館 ( 所 在 地 日 野 本 町 ) 実 習 室 ホール 談 話 室 講 座 室 A 講 座 室 B 視 聴 覚 室 調 理 実 習 室 小 会 議 室 保 育 室 24 人 50.2m2 20 人 66.0m2 16 人 45.6m2 36 人 51

別紙3


(4) ラスパイレス 指 数 の 状 況 ( 各 年 4 月 1 日 現 在 ) ( 例 ) ( 例 ) 15 (H2) (H2) (H24) (H24) (H25.4.1) (H25.4.1) (H24) (H24)

40 総 論 41 法 人 課 税 01 租 税 法 概 論 ( 4001 ) 02 税 制 の 動 向 ( 4002 ) 91 事 例 研 究 ( 4091 ) 99 その 他 ( 4099 ) 01 法 人 税 ( 4101 ) 3. 税 務 官 庁 の 組 織 4. 不 服 申 立 て 税 務

Ⅰ 平成14年度の状況

( 参 考 ) 国 家 戦 略 特 別 区 域 法 ( 平 成 25 年 法 律 第 107 号 )( 抄 ) 国 家 戦 略 特 別 区 域 法 及 び 構 造 改 革 特 別 区 域 法 の 一 部 を 改 正 する 法 律 ( 平 成 27 年 法 律 第 56 号 ) による 改 正 後 (

目 次 第 1. 土 区 画 整 理 事 業 の 名 称 等 1 (1) 土 区 画 整 理 事 業 の 名 称 1 (2) 施 行 者 の 名 称 1 第 2. 施 行 区 1 (1) 施 行 区 の 位 置 1 (2) 施 行 区 位 置 図 1 (3) 施 行 区 の 区 域 1 (4) 施

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別紙3

Taro-事務処理要綱250820

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1. 決 算 の 概 要 法 人 全 体 として 2,459 億 円 の 当 期 総 利 益 を 計 上 し 末 をもって 繰 越 欠 損 金 を 解 消 しています ( : 当 期 総 利 益 2,092 億 円 ) 中 期 計 画 における 収 支 改 善 項 目 に 関 して ( : 繰 越

2. 会 計 規 程 の 業 務 (1) 規 程 と 実 際 の 業 務 の 調 査 規 程 や 運 用 方 針 に 規 定 されている 業 務 ( 帳 票 )が 実 際 に 行 われているか( 作 成 されている か)どうかについて 調 べてみた 以 下 の 表 は 規 程 の 条 項 とそこに

(1) 率 等 一 覧 ( 平 成 26 年 度 ) 目 課 客 体 及 び 納 義 務 者 課 標 準 及 び 率 法 内 に 住 所 を 有 する ( 均 等 割 所 得 割 ) 内 に 事 務 所 事 業 所 又 は 家 屋 敷 を 有 する で 内 に 住 所 を 有 し ないもの( 均 等

類 ( 番 号 を 記 載 ) 施 設 名 事 所 名 所 在 事 開 始 年 月 日 事 規 模 ( 定 員 ) 公 益 事 1 必 要 な 者 に 対 し 相 談 情 報 提 供 助 言 行 政 や 福 祉 保 健 医 療 サービス 事 者 等 との 連 絡 調 整 を 行 う 等 の 事 必

130117_『高齢社会をむかえた東京23区の将来 人口と建物の関係から見て

連結計算書

(5) 給 与 改 定 の 状 況 事 委 員 会 の 設 置 なし 1 月 例 給 事 委 員 会 の 勧 告 民 間 給 与 公 務 員 給 与 較 差 勧 告 A B A-B ( 改 定 率 ) 給 与 改 定 率 ( 参 考 ) 国 の 改 定 率 24 年 度 円 円 円 円 ( ) 改

(4) ラスパイレス 指 数 の 状 況 H H H5.4.1 ( 参 考 値 ) 97.1 H H H H5.4.1 H H5.4.1 ( 参 考

個人住民税徴収対策会議

目 次 本 編. 地 価 公 示 価 格 一 覧 表 ページ. 地 価 公 示 価 格 選 定 替 廃 止 等 一 覧 7ページ 3. 地 価 公 示 地 価 調 査 共 通 地 点 の 価 格 一 覧 表 8ページ 資 料 編 4. 宇 都 宮 市 ( 用 途 地 域 別 ) 均 価 格 変 動

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(4) ラスパイレス 指 数 の 状 況 ( 各 年 4 月 1 日 現 在 ) (H25.4.1) (H25.4.1) (H25.7.1) (H25.7.1) (H25.4.1) (H25.7.1)

目 次 事 務 手 引 き 住 民 税 特 別 徴 収 の 義 務 個 人 住 民 税 について 1 特 別 徴 収 事 務 の 手 引 き 特 別 徴 収 義 務 者 の 指 定 2 特 別 徴 収 税 額 決 定 通 知 書 の 送 付 特 別 徴 収 税 額 の 決 定 通 知 書 ( 特 別

税制面での支援

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( 別 紙 ) 以 下 法 とあるのは 改 正 法 第 5 条 の 規 定 による 改 正 後 の 健 康 保 険 法 を 指 す ( 施 行 期 日 は 平 成 28 年 4 月 1 日 ) 1. 標 準 報 酬 月 額 の 等 級 区 分 の 追 加 について 問 1 法 改 正 により 追 加

退職手当とは

(1) 貸 借 対 照 表 ( 平 成 26 年 11 月 30 日 現 在 ) ( 単 位 : 千 円 ) 資 産 の 部 負 債 の 部 科 目 金 額 科 目 金 額 流 動 資 産 4,623,985 流 動 負 債 3,859,994 現 金 及 び 預 金 31,763 支 払 手 形

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・モニター広告運営事業仕様書

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平 成 24 年 4 月 1 日 から 平 成 25 年 3 月 31 日 まで 公 益 目 的 事 業 科 目 公 1 公 2 公 3 公 4 法 人 会 計 合 計 共 通 小 計 苦 情 相 談 解 決 研 修 情 報 提 供 保 証 宅 建 取 引 健 全 育 成 Ⅰ. 一 般 正 味 財

全設健発第     号

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平成21年分 確定申告書作成シート

Microsoft Word - 【溶け込み】【修正】第2章~第4章


[ 組 合 員 期 間 等 の 特 例 ] 組 合 員 期 間 等 については 年 齢 職 種 などにより 過 去 の 制 度 からの 経 過 措 置 が 設 けられ ており 被 用 者 年 制 度 の 加 入 期 間 ( 各 共 済 組 合 の 組 合 員 期 間 など)については 生 年 月 日

報酬規定(25年4月)

1. 任 免 1-1 採 用 ( 試 験 採 用 ) 1 任 免 試 験 採 用 採 用 者 予 定 者 数 報 告 試 験 公 告 任 命 結 果 通 知 書 採 用 予 定 者 数 の 報 告 採 用 説 明 会 の 計 画 実 施 人 事 異 動 対 象 者

後期高齢者医療制度

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32 農事組合法人法人用パンフ_24.2一部改正)

Transcription:

解 題 一 はじめに 既 刊 の 小 平 市 史 料 集 第 十 二 集 は 新 田 開 発 1 として 新 田 開 発 入 村 者 離 村 者 奉 公 人 に 関 するものを 第 十 三 集 は 新 田 開 発 2 として 年 貢 抱 屋 敷 を 収 録 しました この 第 十 四 集 は 新 田 開 発 3 として 貸 借 と 寺 社 を 収 めました 貸 借 は 武 蔵 野 新 田 の 総 検 地 が 行 なわれた 元 文 元 年 ( 一 七 三 六 )までの 史 料 を 集 め 寺 社 については 基 本 的 な 収 録 年 代 は 同 じですが それ 以 降 の 年 代 の 史 料 は 由 緒 紛 争 参 詣 等 の 歴 史 的 に 重 要 だと 思 われるものを 収 録 し 村 ごとに 年 代 順 に 配 列 しました この 結 果 本 冊 には 貸 借 六 九 点 寺 社 二 一 六 点 合 計 二 八 五 点 が 収 録 されています 新 田 開 発 の 中 でも 今 回 は 貸 借 関 係 の 史 料 を 取 り 上 げ 新 田 開 発 初 期 の 村 の 生 活 の 様 子 を 探 ると 共 に 寺 社 の 歴 史 に 関 する 史 料 をまとめることによって 村 人 の 信 仰 について 辿 ることができるものと 思 われます 二 貸 借 貸 借 関 係 の 史 料 には 個 人 的 な 貸 借 証 文 の 他 に 村 全 体 での 貸 借 の 史 料 があります これらの 内 明 暦 四 年 ( 一 六 五 八 )か ら 寛 文 四 年 ( 一 六 六 四 )までの 史 料 1 から 18 までの 史 料 を 見 ると 新 田 開 発 初 期 の 財 政 政 策 と 農 民 の 実 態 が 分 かりま す 元 禄 十 三 年 ( 一 七 〇 〇 )と 享 保 六 年 ( 一 七 二 一 )の 夫 食 拝 借 願 は 第 十 三 集 の 解 題 で 触 れた 災 害 の 問 題 と 関 連 してお り その 程 度 を 如 実 に 物 語 る 興 味 深 い 史 料 です また 小 川 九 郎 兵 衛 に 宛 てた 貸 借 証 文 の 中 には 他 村 のものも 含 まれて いて 開 発 名 主 小 川 九 郎 兵 衛 の 実 像 に 迫 る 貴 重 な 史 料 となっていますので 順 次 これらの 史 料 について 解 釈 を 試 みるこ とにします 先 ず 別 表 1 小 川 村 拝 借 金 一 覧 をご 覧 ください 別 表 1 小 川 村 拝 借 金 一 覧 史 料 番 号 史 料 年 拝 借 年 返 済 年 拝 借 金 返 済 金 史 料 1 明 暦 4 年 2 月 24 日 明 暦 4 年 2 月 (1658) 寛 文 2 年 12 月 (1662) 74 両 史 料 2 明 暦 4 年 3 月 29 日 明 暦 4 年 12 月 (1658) 寛 文 2 年 12 月 (1662) 50 両 史 料 3 万 治 2 年 3 月 25 日 万 治 2 年 春 (1659) 万 治 2 年 暮 (1659) 100 両 史 料 9 寛 文 3 年 3 月 4 日 寛 文 2 年 暮 (1662) 寛 文 4 年 2 月 (1664) 100 両 史 料 14 寛 文 3 年 12 月 20 日 寛 文 4 年 2 月 (1664) 史 料 16 寛 文 3 年 12 月 20 日 寛 文 4 年 1 月 (1664) 40 両 この 表 を 基 に 史 料 の 分 析 をしてみましょう 明 暦 四 年 二 月 の 史 料 1には 御 代 官 様 え 被 レ 仰 御 ちひニ 金 子 百 性 壱 間 分 に 壱 両 つゝ 御 かり 被 レ 下 とあり 七 十 四 人 の 入 村 者 が 寛 文 二 年 ( 一 六 六 二 ) 十 二 月 までの 五 年 賦 で 代 官 から 借 金 をし ています また 同 年 三 月 の 史 料 2には 金 合 五 十 両 但 江 戸 小 判 也 右 之 金 小 川 新 田 御 取 たて 新 百 姓 ニ 付 様 々 御 そし やう 申 上 候 へハ 御 ちひニ 借 シ 被 下 候 とあり 四 十 七 人 が 五 年 賦 で 代 官 から 五 十 両 の 借 金 をしています 更 に 翌 万 治 二 年 ( 一 六 五 九 )の 史 料 3には 当 春 小 川 新 田 百 姓 詰 り 申 ニ 付 中 略 為 二 夫 食 一 御 金 百 両 本 借 しニ 而 被 二 借 遣 一 難 レ 有 奉 レ 存 候 とあり この 年 の 暮 れまでの 約 束 で 代 官 から 百 両 の 借 金 をしています いずれも 代 官 から 借 金 をしており 単 純 に 計 算 すれば 明 暦 四 年 に 寛 文 二 年 十 二 月 までの 五 年 賦 で 一 二 四 両 の 借 金 をした 上 に 翌 年 にはそれに 加 えて 夫 食 と して 同 年 暮 れまでの 期 限 で 百 両 の 借 金 をしたことになり 万 治 二 年 には 都 合 二 二 四 両 の 借 金 をしたことになります こ のことは 入 村 者 たちにとって 新 田 開 発 は 食 糧 にも 事 欠 く 程 の 困 難 な 事 業 だったことを 物 語 っています 一 方 幕 府 と しては 小 川 村 に 二 二 四 両 の 貸 付 をしている 訳 で 積 極 的 な 財 政 支 援 を 実 施 したことになります しかし 寛 文 三 年 ( 一 六 六 三 ) 十 二 月 の 史 料 14 に 小 川 新 田 ぶしき 拝 借 金 之 儀 ニ 付 而 年 来 不 レ 残 御 取 たて 可 レ 被 レ 成 之 由 御 尤 ニ 奉 レ 存 候 然 共 当 分 金 子 無 レ 之 ニ 付 来 二 月 まてと 様 々 御 そし ( 脱 カ ) や う 致 候 得 共 数 年 之 儀 ニ 候 間 めいめいろう しや 可 レ 被 レ 仰 候 由 とあり 万 治 二 年 暮 れまでという 約 束 で 拝 借 した 夫 食 の 借 金 は 容 易 に 返 済 することができず 延 滞 を 重 ねたようです そこで 代 官 も 強 硬 策 を 打 ち 出 して 返 済 できない 者 の 籠 舎 を 言 い 渡 すに 及 び 小 川 村 の 惣 百 姓 は 翌 寛 文 四 年 二 月 十 五 日 までに 返 済 する 約 束 をしています この 結 果 史 料 15 16 に 寛 文 四 年 正 月 に 名 主 九 郎 兵 衛 が 四 〇 両 1

を 立 て 替 えて 代 官 に 返 済 することになり 史 料 17 に 正 月 十 五 日 切 ニ 此 人 数 之 分 不 レ 残 指 上 ケ 可 レ 申 候 とあるように 個 別 に 返 済 計 画 を 立 てて 返 済 に 努 めたようです しかし この 証 文 の 筆 頭 に 名 前 を 連 ねた 又 右 衛 門 の 借 金 の 額 は 一 両 と 九 四 九 文 ですが 此 度 御 取 立 被 レ 遊 候 付 右 百 姓 中 間 より 預 置 申 候 御 金 出 シ 候 へと 被 レ 申 候 所 ニ かの 又 右 衛 門 預 り 置 申 候 金 子 出 し 不 申 何 方 へか 他 行 致 中 略 かの 又 右 衛 門 弐 間 屋 敷 何 方 へも 御 売 被 レ 成 御 公 儀 様 拝 借 金 のたりにも 被 レ 成 可 レ 被 レ 下 候 其 上 又 右 衛 門 女 子 馬 迄 売 立 指 上 可 申 候 ( 史 料 18)とあるように 又 右 衛 門 は 自 分 の 一 両 一 分 程 の 借 金 の 他 に 百 姓 仲 間 から 預 かった 金 の 問 題 もあって 返 済 に 窮 して 二 軒 の 屋 敷 と 女 子 供 や 馬 まで 売 り 払 って 借 金 を 返 済 さ せられます しかも これは 又 右 衛 門 に 限 ったことではなく 寛 文 二 年 十 一 月 に 又 右 衛 門 他 八 名 が 訴 えた 名 主 九 郎 兵 衛 非 法 の 訴 状 ( 第 十 五 集 史 料 3)には 新 田 ニ 而 つぶれ 百 姓 六 拾 四 間 御 座 候 此 者 ともニ 妻 子 我 身 を 売 御 江 戸 在 々 方 々 ニ 罷 在 候 とあって 前 年 の 暮 れには 六 十 四 軒 の 潰 百 姓 が 在 ったことが 記 されています 六 十 四 軒 といえば 明 暦 四 年 二 月 に 借 金 をした 七 十 四 軒 の 大 半 を 占 めるわけで 新 田 開 発 の 困 難 さを 物 語 っています 元 禄 十 三 年 ( 一 七 〇 〇 ) 二 月 の 史 料 44 夫 食 御 願 人 別 御 書 上 之 覚 には 惣 人 別 九 八 三 人 の 内 当 分 の 夫 食 を 持 ってい る 者 は 一 六 七 人 で 残 り 八 一 六 人 は 是 ハ 一 切 夫 食 持 不 レ 申 候 百 姓 とあって 麦 ができるまでの 救 済 を 願 い 出 ています この 前 年 には 八 月 の 風 損 で 九 十 一 軒 の 家 が 倒 され 九 八 五 本 の 木 が 折 れる 程 の 強 風 被 害 に 遭 い( 小 川 家 文 書 I-1 1) こ の 年 の 四 月 には 当 巳 麦 作 如 何 仕 候 哉 殊 之 外 年 内 寒 気 ニ 当 寒 麦 之 分 ハ 大 方 ぬけ 申 候 所 ニ 当 春 度 々 之 風 ニ 吹 かれ 其 上 大 分 霜 ニあい 候 ということで 不 作 になり 年 貢 減 免 願 を 出 しています( 第 十 三 集 史 料 59) その 上 十 四 年 も 大 霜 しめ り はねむし 大 風 等 の 被 害 によって 年 貢 減 免 願 を 出 す( 第 十 三 集 史 料 61) 程 の 凶 作 続 きですが 遅 れたものの 五 月 に は 元 禄 十 三 年 の 年 貢 を 納 めています( 第 十 三 集 史 料 60) また 享 保 六 年 ( 一 七 二 一 ) 正 月 の 史 料 63 夫 食 拝 借 奉 二 願 上 一 候 によれば 拝 借 願 をしたのは 一 一 三 軒 四 二 三 人 ですが 実 際 は 一 四 五 軒 五 八 三 人 の 家 族 構 成 が 記 さており 当 時 の 家 族 構 成 を 知 る 上 でも 貴 重 な 史 料 です これによれば 一 人 家 族 が 三 軒 二 人 が 十 五 軒 三 人 が 四 十 八 軒 四 人 が 二 十 七 軒 五 人 が 二 十 五 軒 六 人 が 二 十 一 軒 七 人 が 三 軒 八 人 が 一 軒 九 人 が 二 軒 となっています 三 人 家 族 が 四 十 八 軒 と 圧 倒 的 に 多 く 平 均 すると 四 人 になります 史 料 64 によれば 当 村 近 年 打 続 旱 損 仕 去 子 年 者 別 而 旱 損 ニ 付 夫 食 無 二 御 座 一 及 レ 飢 候 間 家 財 諸 道 具 四 壁 之 竹 木 等 迄 売 払 当 月 迄 漸 々 送 候 得 共 最 早 麦 作 出 来 迄 取 続 可 レ 申 様 無 二 御 座 一 と いうことで 享 保 八 年 までの 三 年 賦 で 夫 食 を 拝 借 しています 夫 食 として 支 給 されたのは 粗 麦 二 二 石 六 斗 四 升 でこの 代 金 は 一 四 両 と 永 一 五 〇 文 です 引 き 続 く 旱 魃 で 家 財 や 竹 木 まで 売 り 払 ってしまっても この 年 の 十 二 月 には 五 両 の 拝 借 金 を 返 済 しています( 史 料 65) これらのことは 寛 文 期 のような 開 発 当 初 と 違 って 元 禄 期 や 享 保 期 までには 畑 の 開 発 も 進 み 天 候 が 回 復 すれば 様 々 な 気 象 災 害 にも 耐 えて 生 き 抜 くだけの 生 産 性 が 確 保 できるようになっていたということであり 村 人 の 力 強 さを 感 じさ せられます 先 に 引 用 した 寛 文 三 年 の 史 料 16 の 差 出 人 は 村 山 ノ 九 郎 兵 衛 と 記 されています これは 何 を 意 味 するのでしょう か 小 川 村 の 新 田 開 発 を 願 い 出 たのは 小 川 九 郎 兵 衛 であり 寛 文 九 年 ( 一 六 六 九 )までの 入 村 請 書 の 宛 名 も 尽 く 小 川 九 郎 兵 衛 であり 入 村 請 書 に 町 次 に 家 作 らせ 少 しもあけ 置 不 レ 申 とあるように 入 村 者 には 家 を 作 り 定 住 するように 求 めているわけですから 開 村 名 主 九 郎 兵 衛 は 率 先 して 新 田 に 定 住 していたものと 思 われるかもしれません しかし こ の 史 料 はそのことに 疑 問 を 投 げかけています そこで もう 少 し 調 べてみると 意 外 な 事 実 が 明 らかになります 第 十 二 集 の 入 村 請 書 で 小 川 九 郎 兵 衛 の 肩 書 きの 住 所 を 調 べてみると 明 暦 三 年 正 月 の 史 料 17 には 村 山 村 寛 文 七 年 四 月 の 史 料 71 には 村 山 ノ 同 年 七 月 の 史 料 72 には 村 山 とあり 寛 文 八 年 十 二 月 の 史 料 73 のみが 小 川 となっ ています また 第 十 五 集 史 料 3の 寛 文 二 年 十 一 月 の 村 方 出 入 の 裏 書 に 勘 定 頭 岡 田 豊 前 守 と 妻 木 彦 右 衛 門 から 呼 出 し 状 があり それには 明 確 に 武 州 村 山 岸 村 九 郎 兵 衛 と 記 されており 本 文 には 新 田 より 本 村 御 宿 へ 二 里 余 り 御 座 候 而 是 も 八 人 ニ 而 乗 物 まわしおくり 付 申 候 とあって 江 戸 からの 帰 りに 新 田 ( 小 川 村 )から 本 村 ( 岸 村 )のお 宿 まで 乗 り 物 で 送 り 届 けたとされています 寛 文 四 年 の 検 地 帳 には 屋 敷 地 が 書 き 上 げられており 小 川 村 にも 屋 敷 を 持 っていたのは 当 然 ですが 小 平 町 誌 に 九 郎 兵 衛 は 近 郷 の 農 民 を 集 めて 小 川 村 の 開 発 に 当 る 一 方 本 村 においては 祖 先 伝 来 の 田 畑 を 所 持 し しかも 岸 村 の 持 添 新 田 をも 開 発 して 村 内 第 二 位 の 耕 地 所 有 者 として 農 業 経 営 に 当 っていたのである (38 ページ 所 収 )とあるように 生 活 の 拠 点 は 岸 村 に 在 って 小 川 村 の 新 田 開 発 も 手 掛 けたというのが 実 態 ではなかったかと 思 われます また 九 郎 兵 衛 の 貸 借 証 文 は 別 表 2 小 川 九 郎 兵 衛 貸 借 一 覧 の 通 り 二 〇 件 ありますが 三 件 を 除 いて 全 て 貸 与 した ものです 金 額 は 五 両 十 両 といった 高 額 のものもあり 相 当 資 金 力 があったものと 思 われます 年 代 的 に 見 ると 寛 文 2

四 年 までは 岸 村 が 中 心 で その 他 に 三 ツ 木 村 扇 町 屋 村 といった 岸 村 近 隣 の 村 に 貸 しています 寛 文 五 年 以 降 は 小 川 村 が 中 心 であり 一 件 だけ 青 梅 町 のものがあります 寛 文 四 年 を 境 に 顕 著 な 変 化 傾 向 を 示 していますが いずれにしても 岸 村 と 小 川 村 が 中 心 であり 九 郎 兵 衛 が 岸 村 に 住 んでいた 結 果 といえます 別 表 2 小 川 九 郎 兵 衛 の 貸 借 一 覧 表 年 月 金 額 貸 借 村 名 貸 借 人 内 容 期 限 史 料 万 治 2.11 1 両 3 分 久 兵 衛 貸 与 万 治 3.1 4 寛 文 2.8 4 両 250 分 三 ツ 木 村 五 郎 左 衛 門 他 3 名 貸 与 寛 文 3.5 5 寛 文 2.11 5 両 1 分 300 文 岸 村 太 郎 兵 衛 貸 与 寛 文 3.8 6 寛 文 2.12 2 両 2 分 山 際 六 右 衛 門 貸 与 寛 文 3.10 7 寛 文 3.3 15 両 小 川 惣 百 姓 拝 借 4 5 日 10 10 両 小 川 惣 百 姓 支 払 い 11 寛 文 3.11 1 両 2 分 岸 村 茂 兵 衛 貸 与 寛 文 4.3 12 寛 文 4.7 10 両 扇 町 屋 村 主 計 他 2 名 支 払 い 19 寛 文 4.8 1 両 1 分 岸 村 藤 右 衛 門 貸 与 寛 文 5.5 20 2 分 2 朱 三 ツ 木 村 八 兵 衛 貸 与 寛 文 5.5 21 寛 文 4.11 4 両 猪 飼 五 郎 兵 衛 内 大 竹 八 郎 左 衛 門 貸 金 受 取 22 寛 文 5.2 1 両 1 分 小 川 下 善 左 衛 門 貸 与 23 3 分 小 川 下 市 左 衛 門 貸 与 24 1 分 2 朱 小 川 上 長 兵 衛 貸 与 24 寛 文 6.12 4 両 3 分 小 川 上 久 兵 衛 貸 与 25 寛 文 7.11 3 両 800 文 青 梅 町 三 郎 右 衛 門 貸 与 26 寛 文 8.6 3 両 1 分 小 川 二 郎 左 衛 門 他 9 名 貸 与 27 寛 文 8.12 3 両 小 川 下 茂 兵 衛 貸 与 寛 文 12.10 28 10 両 八 郎 右 衛 門 貸 与 29 1 分 小 川 上 市 右 衛 門 貸 与 30 三 開 拓 当 初 の 小 川 村 入 村 者 寛 文 二 年 ( 一 六 六 二 ) 十 二 月 の 史 料 18 に 六 十 四 軒 の 潰 百 姓 が 在 ったと 記 されていることに 触 れましたが 開 拓 当 初 の 小 川 村 の 入 村 者 についてもう 少 し 詳 しく 調 べてみたいと 思 います 明 暦 四 年 ( 一 六 五 八 ) 二 月 の 史 料 1には 七 十 四 人 が 連 名 しており 同 年 三 月 の 史 料 2には 名 主 九 郎 兵 衛 を 除 いて 四 十 六 人 の 名 前 が 記 されています 史 料 1の 中 で 九 左 衛 門 だけは 印 が 同 じなので 同 一 人 であることが 確 認 できますから 実 質 的 に 七 十 三 人 の 入 村 者 を 数 えることができます 史 料 1と2を 比 較 してみると 印 が 重 なるのは 九 左 衛 門 だけですが 名 前 は 二 十 三 人 が 同 名 で 残 りの 二 十 三 人 は 重 なりま せん 史 料 2を 見 るとこの 史 料 の 中 では 同 一 人 は 同 じ 印 を 使 っているようですが 入 村 請 書 や 別 の 年 代 の 史 料 について は 同 名 の 者 でもほとんど 印 が 符 合 せず この 時 期 は 継 続 的 に 同 一 の 印 を 使 っているようには 見 えません 従 って 印 で の 確 認 は 不 可 能 なので 字 名 と 名 前 の 符 合 する 者 を 同 一 人 と 見 なせば 明 暦 四 年 三 月 には 九 十 六 人 の 入 村 者 が 居 たことに なります また 寛 文 三 年 ( 一 六 六 三 ) 三 月 の 史 料 ( 小 川 家 文 書 A-4 5)では 八 十 一 人 が 寛 文 四 年 の 検 地 帳 ( 小 川 家 文 書 A-1 1)では 八 十 二 人 の 名 前 が 確 認 できます その 上 に 寛 文 四 年 ( 一 六 六 四 ) 二 月 までの 入 村 請 書 で 確 認 できる 八 十 二 人 を 照 合 し 字 名 や 入 村 年 によって 同 一 人 と 確 認 できないものは 別 人 として 別 表 3 小 川 村 入 村 者 一 覧 を 作 成 し てみました 別 表 3 小 川 村 入 村 者 一 覧 名 前 入 村 先 入 村 年 備 考 明 暦 4 寛 文 3 寛 文 4 市 右 衛 門 下 成 木 村 寛 文 2.2 41 3

市 左 衛 門 下 市 兵 衛 上 上 成 木 村 寛 文 元.8 37 市 兵 衛 中 市 郎 右 衛 門 市 郎 右 衛 門 上 高 木 村 寛 文 元.7 36 加 右 衛 門 角 左 衛 門 加 左 衛 門 勘 左 衛 門 上 勘 三 郎 中 勘 次 郎 中 勘 太 郎 林 村 明 暦 2.11 8 喜 右 衛 門 上 義 右 衛 門 上 喜 左 衛 門 喜 左 衛 門 下 青 梅 町 寛 文 3.6 51 屋 守 喜 兵 衛 下 和 田 村 明 暦 3.11 21 喜 兵 衛 久 右 衛 門 上 野 口 村 明 暦 2.11 10 久 左 衛 門 上 久 左 衛 門 下 久 三 郎 久 四 郎 上 久 助 中 久 助 上 宮 寺 村 寛 文 2.2 39 久 太 郎 久 兵 衛 上 芋 窪 村 明 暦 2.12 14 久 兵 衛 上 畠 村 明 暦 2.11 4 金 左 衛 門 金 三 郎 九 右 衛 門 下 九 左 衛 門 上 九 郎 右 衛 門 深 沢 村 明 暦 3.3 18 九 郎 左 衛 門 上 九 郎 左 衛 門 中 源 右 衛 門 上 畠 村 明 暦 2.11 4 源 左 衛 門 小 右 衛 門 五 左 衛 門 上 野 口 村 明 暦 2.11 10 五 左 衛 門 下 五 左 衛 門 山 口 新 堀 寛 文 3.4 49 五 兵 衛 清 水 村 明 暦 2.12 12 五 兵 衛 五 郎 右 衛 門 野 口 村 明 暦 2.11 10 4

五 郎 左 衛 門 下 高 幡 村 明 暦 4.2 29 五 郎 兵 衛 上 五 郎 兵 衛 下 五 郎 助 権 左 衛 門 中 権 左 衛 門 青 梅 裏 宿 寛 文 3.5 50 権 三 郎 下 権 助 下 佐 右 衛 門 上 宮 寺 村 寛 文 元.12 38 作 右 衛 門 下 作 左 衛 門 下 作 内 中 作 兵 衛 左 源 太 上 左 五 右 衛 門 中 畠 中 村 寛 文 2.8 45 左 左 衛 門 下 佐 次 右 衛 門 三 郎 右 衛 門 下 和 田 村 明 暦 3.11 21 三 郎 兵 衛 下 畠 中 村 明 暦 3.11 21 三 郎 兵 衛 三 右 衛 門 中 上 畠 村 明 暦 2.11 4 三 右 衛 門 北 小 曾 木 村 明 暦 2.12 13 次 右 衛 門 次 左 衛 門 下 下 畠 村 明 暦 2.11 3 七 右 衛 門 高 木 村 明 暦 4.2 25 七 右 衛 門 青 梅 新 町 村 寛 文 2.11 48 七 左 衛 門 上 日 野 七 兵 衛 上 事 貫 村 明 暦 4.2 27 酒 井 七 兵 衛 七 郎 右 衛 門 宮 寺 七 郎 左 衛 門 中 林 村 明 暦 3.11 22 七 郎 兵 衛 中 上 畠 村 明 暦 2.11 4 次 兵 衛 重 右 衛 門 清 水 村 明 暦 2.12 12 十 兵 衛 中 庄 右 衛 門 上 庄 吉 庄 左 衛 門 下 庄 左 衛 門 下 庄 左 衛 門 上 庄 三 郎 庄 八 庄 兵 衛 上 沢 井 村 明 暦 2.11 9 庄 兵 衛 下 野 口 村 明 暦 2.11 10 5

庄 兵 衛 次 郎 右 衛 門 下 和 田 次 郎 右 衛 門 三 ツ 木 四 郎 左 衛 門 野 口 村 明 暦 2.11 10 二 郎 左 衛 門 下 下 畑 村 明 暦 3.1 17 次 郎 兵 衛 新 右 衛 門 甚 右 衛 門 甚 左 衛 門 下 甚 左 衛 門 下 甚 十 郎 中 新 兵 衛 助 右 衛 門 上 三 ツ 木 村 寛 文 2.11 47 助 左 衛 門 久 保 田 村 明 暦 2.11 6 助 左 衛 門 久 保 田 村 明 暦 3.11 24 助 十 郎 北 小 曾 木 村 寛 文 2.8 46 助 兵 衛 上 事 貫 村 明 暦 4.2 26 川 窪 助 兵 衛 清 左 衛 門 上 野 口 村 明 暦 2.11 10 清 左 衛 門 清 水 村 明 暦 2.12 12 瀬 兵 衛 善 九 郎 中 善 左 衛 門 下 下 畑 村 明 暦 2.11 1 善 左 衛 門 善 左 衛 門 北 小 曾 木 村 明 暦 2.12 13 善 七 郎 中 善 太 郎 善 兵 衛 総 右 衛 門 上 小 川 村 上 町 寛 文 元.2 34 総 右 衛 門 中 惣 右 衛 門 下 惣 左 衛 門 上 惣 左 衛 門 下 総 左 衛 門 上 惣 兵 衛 太 兵 衛 下 太 郎 右 衛 門 中 廻 田 村 明 暦 2.11 5 太 郎 左 衛 門 下 北 小 曾 木 村 明 暦 2.12 13 太 郎 左 衛 門 下 名 栗 村 明 暦 4.2 31 忠 庵 忠 右 衛 門 上 忠 右 衛 門 下 忠 左 衛 門 北 小 曾 木 村 明 暦 2.12 13 忠 三 郎 上 6

長 右 衛 門 上 清 水 村 明 暦 2.12 12 長 右 衛 門 海 沢 村 明 暦 4.2 28 長 九 郎 長 左 衛 門 上 下 畑 村 明 暦 2.11 1 長 三 郎 野 口 村 明 暦 2.11 10 長 蔵 林 村 明 暦 2.11 8 長 八 中 長 兵 衛 上 北 小 曾 木 村 明 暦 2.12 13 長 兵 衛 上 青 梅 村 明 暦 2.12 15 長 兵 衛 中 高 木 村 明 暦 4.2 25 藤 左 衛 門 上 藤 兵 衛 中 早 稲 田 村 寛 文 2.3 42 屋 敷 守 仁 左 衛 門 仁 兵 衛 上 中 藤 村 明 暦 3.11 23 仁 兵 衛 八 右 衛 門 下 八 左 衛 門 上 高 木 村 明 暦 4.2 25 八 兵 衛 早 稲 田 村 寛 文 4.2 53 八 郎 右 衛 門 上 畠 村 明 暦 2.11 4 八 郎 左 衛 門 大 久 野 村 明 暦 2.12 11 八 郎 兵 衛 小 久 保 村 明 暦 2.11 7 半 右 衛 門 下 畑 村 明 暦 2.11 1 半 右 衛 門 半 三 郎 半 兵 衛 上 彦 右 衛 門 下 吉 見 彦 左 衛 門 下 久 保 田 村 明 暦 2.11 6 平 兵 衛 下 孫 右 衛 門 下 畠 村 明 暦 2.11 3 孫 右 衛 門 孫 左 衛 門 日 影 村 寛 文 2.3 43 又 右 衛 門 青 梅 町 明 暦 3.5 19 又 右 衛 門 下 又 右 衛 門 上 又 左 衛 門 茂 左 衛 門 下 下 直 竹 村 明 暦 2 16 茂 左 衛 門 茂 兵 衛 下 弥 右 衛 門 久 保 田 村 明 暦 2.11 6 弥 左 衛 門 深 沢 村 明 暦 3.3 18 弥 兵 衛 与 右 衛 門 中 上 畠 村 明 暦 2.11 4 与 右 衛 門 下 江 戸 谷 明 暦 3.5 20 与 右 衛 門 下 7

与 五 兵 衛 上 沢 井 村 明 暦 2.11 9 与 左 衛 門 由 左 衛 門 野 口 村 明 暦 2.11 10 与 七 郎 下 与 十 郎 与 惣 左 衛 門 下 三 ツ 木 村 寛 文 2.2 40 屋 守 与 惣 右 衛 門 下 与 兵 衛 上 与 兵 衛 下 里 右 衛 門 上 墨 沢 村 明 暦 2.11 2 里 兵 衛 下 六 右 衛 門 上 畠 村 明 暦 2.11 4 六 右 衛 門 高 木 村 明 暦 4.2 25 六 右 衛 門 下 北 小 曾 木 村 明 暦 2.12 13 六 右 衛 門 六 左 衛 門 合 計 82 人 96 人 81 人 82 人 不 出 17 人 重 複 38 人 44 人 新 出 43 人 38 人 これによると 名 主 九 郎 兵 衛 を 除 いた 明 暦 四 年 の 入 村 者 九 十 六 人 の 内 五 年 後 の 寛 文 三 年 に 重 複 して 確 認 できる 人 数 は 三 十 八 人 ですから 五 年 間 で 五 十 八 人 が 離 村 したことになります また 入 村 請 書 のある 八 十 二 人 の 内 十 七 人 がこの 表 に 記 載 されておらず その 内 の 十 五 人 は 明 暦 四 年 二 月 以 前 の 入 村 者 ですので 入 村 したものの 定 住 するに 至 らずに 村 を 離 れたものと 思 われます 以 上 のことから 寛 文 三 年 三 月 までには 合 わせて 七 十 三 人 の 離 村 者 がいたと 見 ることができ ます 従 って 寛 文 二 年 十 一 月 に 又 右 衛 門 他 八 名 が 訴 えた 名 主 九 郎 兵 衛 非 法 の 訴 状 で 六 十 四 軒 の 潰 百 姓 が 在 ったことが 記 されているのも かなり 現 実 的 な 数 字 だったものと 思 われます また 寛 文 四 年 の 八 十 二 人 の 内 前 年 と 重 複 する 名 前 は 四 十 四 人 で 重 複 していない 者 が 三 十 八 人 です しかし この 間 の 入 村 請 書 は 四 人 分 しか 確 認 できず 新 たな 名 前 として 検 地 案 内 人 の 五 郎 兵 衛 及 び 大 土 地 所 有 者 の 忠 庵 等 の 者 がいる ことや 名 前 が 重 複 している 者 の 中 でも 彦 右 衛 門 や 茂 兵 衛 のように 入 村 請 書 のない 者 もいることから この 中 には 開 村 当 初 からの 入 村 者 が 相 当 数 含 まれているのではないかと 考 えられます 明 暦 四 年 から 寛 文 四 年 まで 通 して 名 前 が 確 認 できるのは 二 十 九 人 で この 内 入 村 請 書 が 在 るのは 十 六 人 です これら のことから 小 川 村 の 開 発 当 初 は 相 当 に 人 の 出 入 りが 激 しかったことが 分 かります 四 寺 社 の 歴 史 寺 社 の 歴 史 については 小 平 町 誌 や 郷 土 こだいら で 既 に 言 及 されていますが 一 部 混 乱 や 不 明 な 点 も 見 られま すのでこの 史 料 集 等 を 参 考 にして 整 理 しておきたいと 思 います 1 川 村 小 川 寺 妙 法 寺 小 川 寺 と 妙 法 寺 は 共 に 小 川 九 郎 兵 衛 の 開 基 で 寛 文 四 年 ( 一 六 六 四 )の 検 地 で 除 地 が 認 められており 安 政 四 年 小 川 村 起 立 書 上 扣 ( 第 十 二 集 史 料 35)によれば 寛 文 八 年 ( 一 六 六 八 )の 造 建 です 小 川 寺 は 臨 済 宗 円 覚 寺 派 で 医 王 山 と 号 し 江 戸 市 ヶ 谷 月 桂 寺 の 末 寺 で 雪 山 碩 林 を 開 山 とし 三 町 三 畝 歩 の 除 地 がありました 妙 法 寺 は 曹 洞 宗 で 瑞 雲 山 と 号 し 中 藤 村 長 円 寺 の 末 寺 で 舜 応 東 堯 を 開 山 とし 二 町 一 反 歩 の 除 地 がありました 当 初 は 少 川 寺 妙 法 寺 両 地 え 当 町 之 分 [ ] 分 ケ 檀 那 に 付 申 候 我 等 前 御 判 塚 より 已 下 え 屋 敷 数 にて 分 見 申 候 得 者 大 方 当 分 にて 御 座 候 ( 史 料 1)とあり 小 川 村 の 上 の 方 は 小 川 寺 下 の 方 は 妙 法 寺 に 檀 家 を 均 等 に 分 けています しかし 妙 法 寺 先 住 普 俊 長 老 去 々 年 巳 ノ 七 月 死 去 仕 候 ニ 付 而 中 略 妙 法 寺 旦 那 八 拾 七 人 不 レ 残 市 郎 兵 衛 菩 提 所 小 川 寺 へ 付 置 申 候 ということで 元 禄 二 年 ( 一 六 八 九 )に 妙 法 寺 の 住 職 普 俊 の 死 去 に 伴 って 無 住 である 当 分 の 間 全 戸 が 小 川 寺 の 檀 家 となり 後 任 の 住 職 8

学 禅 が 来 住 しても 尤 其 後 扱 ニ 而 三 拾 弐 人 妙 法 寺 へ 帰 り 候 得 共 とあるように 三 十 二 人 の 檀 家 しか 帰 檀 せず 妙 法 寺 は 名 主 市 郎 兵 衛 を 訴 えます( 史 料 8) ところが 却 って 六 郎 兵 衛 与 兵 衛 御 召 出 則 籠 舎 妙 法 寺 武 蔵 一 国 御 追 放 被 レ 遊 ( 史 料 11)ということになり 元 禄 五 年 には 帰 檀 した 三 十 人 が 再 び 小 川 寺 の 旦 那 となって( 史 料 12) 小 川 村 の 全 戸 が 小 川 寺 の 檀 家 となるに 至 りました その 後 妙 法 寺 に 関 する 史 料 は 明 治 時 代 までほとんどありませんので 今 まで 詳 しいことは 分 かりませんでした しかし 国 分 寺 市 史 料 目 録 1 の 榎 戸 嘉 市 家 文 書 には 延 享 二 年 と 享 和 元 年 の 二 冊 の 宗 門 人 別 帳 が 収 録 されており 重 要 な 手 掛 か りとなります 延 享 二 年 の 宗 門 人 別 帳 には 榎 戸 新 田 の 内 二 十 軒 が 円 成 院 の 旦 那 であることが 記 され 享 和 元 年 には 二 十 五 軒 が 妙 法 寺 の 旦 那 になっています 宝 暦 四 年 十 一 月 の 武 州 多 摩 郡 榎 戸 新 田 平 兵 衛 新 田 村 柄 様 子 書 上 帳 控 ( 国 分 寺 市 史 料 集 (Ⅰ) 史 料 55)には 寺 壱 ケ 寺 中 略 尤 禅 宗 黄 檗 流 ニ 御 座 候 と 記 されこの 時 までは 円 成 院 の 檀 家 で あったことが 予 測 されます それが 諸 事 留 帳 ( 国 分 寺 市 史 料 集 (Ⅱ) 史 料 166)には 宝 暦 五 年 ( 一 七 五 五 ) に 鳳 林 院 離 檀 と 記 されています 鳳 林 院 は 野 中 新 田 六 左 衛 門 組 に 在 って 円 成 院 支 配 の 寺 なので 実 質 的 には 鳳 林 院 の 檀 家 だったものと 思 われます また 宝 暦 八 年 ( 一 七 五 八 )の 史 料 30 に 妙 法 寺 と 榎 戸 新 田 の 名 主 組 頭 が 小 川 村 の 名 主 組 頭 に 差 し 出 した 覚 には 三 御 奉 行 様 御 連 印 之 御 裏 判 野 中 新 田 円 成 院 御 持 参 被 レ 成 各 方 御 立 合 之 上 拙 寺 方 へ 右 御 裏 御 判 頂 戴 奉 レ 預 候 処 相 違 無 二 御 座 一 候 とあります 本 文 がないので 確 証 はありませんが この 史 料 は 離 檀 出 入 の 決 着 証 文 と 見 られ 榎 戸 新 田 が 妙 法 寺 の 檀 家 となったのは 宝 暦 八 年 ではないかと 考 えられます 妙 法 寺 はその 後 も 小 川 村 に 在 って 榎 戸 新 田 の 二 十 戸 余 を 檀 家 として 存 続 し 明 治 四 十 二 年 十 二 月 に 法 性 院 と 合 併 して 榎 戸 新 田 に 移 転 し 翌 年 十 月 には 全 ての 所 有 地 を 売 り 渡 して 小 川 村 から 姿 を 消 しました 小 川 寺 は 文 政 十 年 七 月 ( 史 料 36 37)と 明 治 二 十 年 十 二 月 の 火 災 によって 寺 宝 や 文 書 等 を 消 失 しています( 史 料 216(4))が 鐘 楼 門 には 檀 家 五 十 七 戸 から 寄 進 された 貞 享 三 年 ( 一 六 八 六 )の 梵 鐘 があり 小 平 市 有 形 文 化 財 に 指 定 されています 墓 地 には 小 川 村 の 開 祖 小 川 九 郎 兵 衛 の 墓 があ り 小 平 市 史 跡 に 指 定 されており 境 内 には 小 川 の 幸 蔵 と 称 された 侠 客 小 山 幸 蔵 の 碑 があります 神 明 宮 岸 村 字 神 明 ケ 谷 に 在 った 阿 豆 佐 味 天 神 社 の 摂 社 を 勧 請 したもので 大 日 孁 貴 命 を 祭 神 とし 一 町 六 反 歩 余 の 除 地 が 認 められ 初 代 の 神 官 は 宮 崎 主 馬 です 神 明 社 と 日 吉 山 王 社 は 寺 院 と 同 様 に 小 川 九 郎 兵 衛 の 勧 請 で 寛 文 四 年 ( 一 六 六 四 )の 検 地 の 際 に 除 地 が 認 められています 神 明 社 は 寛 文 八 年 ( 一 六 六 八 )の 造 建 で 当 初 の 境 内 は 二 百 間 程 北 に 在 り 天 和 元 年 ( 一 六 八 一 ) 九 月 に 現 在 の 地 に 遷 座 したとされ 宝 永 七 年 ( 一 七 一 〇 )に 社 殿 を 建 立 して 神 明 宮 と 改 称 しています( 史 料 17) 明 治 六 年 に 村 社 となり 十 七 年 には 郷 社 に 列 せられました( 史 料 216(13)) 境 内 には 大 正 七 年 に 建 てられた 小 平 市 有 形 文 化 財 の 小 川 村 開 拓 碑 があり 篆 額 は 当 時 の 総 理 大 臣 寺 内 正 毅 の 筆 です 天 神 社 延 宝 二 年 ( 一 六 七 四 )に 除 地 を 願 い 出 ており 伽 倶 土 命 菅 原 道 真 大 山 祇 命 大 己 貴 命 を 祭 神 とし 一 町 二 反 歩 の 除 地 があり 芋 窪 村 の 鹿 島 神 社 の 神 官 石 井 市 之 正 が 初 代 の 神 官 です この 神 社 は 現 存 しませんが 延 宝 二 年 の 小 川 村 地 割 図 にも 明 記 され この 場 所 は 現 在 の 新 小 平 駅 の 南 側 で 山 王 通 りの 東 側 に 当 たります 明 治 元 年 に 懸 隔 之 場 所 ニ 付 社 務 等 難 二 行 届 一 という 理 由 で 芋 窪 村 神 主 石 井 以 豆 美 から 神 明 社 神 主 宮 崎 加 賀 に 譲 渡 されています( 史 料 47) 日 枝 神 社 江 戸 麹 町 ( 現 千 代 田 区 永 田 町 )の 日 吉 山 王 社 を 分 祠 したもので 大 山 咋 命 を 祭 神 としています 除 地 は 一 町 四 反 歩 余 で 初 代 の 神 主 は 宮 西 求 馬 です 享 保 期 になって 山 口 助 之 進 に 代 わり 以 後 山 口 家 で 神 官 を 世 襲 しています 大 風 で 神 殿 が 破 損 して 宝 暦 五 年 ( 一 七 五 五 )に 再 建 し 明 治 元 年 に 名 称 を 日 枝 神 社 に 改 称 しました( 史 料 216(17)) 2 小 川 新 田 平 安 院 臨 済 宗 円 覚 寺 派 で 遠 渓 山 と 号 し 小 川 寺 の 末 寺 です 元 文 元 年 の 検 地 で 平 安 軒 堂 鋪 および 庚 申 塚 鋪 が 除 地 として 認 められています 江 戸 牛 込 月 桂 寺 から 庵 号 を 与 えられ 元 文 四 年 ( 一 七 三 九 )に 平 安 軒 を 創 建 しました( 史 料 216(2)) 開 山 は 関 叔 碩 三 開 基 は 小 川 寺 六 世 省 宗 碩 要 と 小 川 弥 市 です 小 川 利 雄 家 文 書 の 年 貢 皆 済 目 録 等 で 平 安 軒 を 追 って 見 ま すと 享 和 元 年 の 持 畑 反 別 名 寄 帳 (A 6)までは 平 安 軒 と 記 されていますが 享 和 二 年 の 年 貢 永 納 帳 (C 31)からは 平 安 院 となっており 享 和 二 年 ( 一 八 〇 二 )に 平 安 院 と 改 称 しています 熊 野 宮 由 緒 書 によると 宝 永 元 年 ( 一 七 〇 四 )に 岸 村 に 鎮 座 していた 阿 豆 佐 味 天 神 の 摂 社 を 宮 崎 主 馬 が 一 本 榎 の 下 に 遷 祀 したとされ 伊 邪 那 岐 命 伊 邪 那 美 命 事 坂 男 尊 速 玉 男 尊 猿 田 彦 尊 を 祭 神 としている 享 保 二 一 年 の 除 地 願 の 史 料 には 当 小 川 新 田 場 之 内 壱 本 榎 之 儀 古 来 より 武 蔵 野 名 高 榎 ニ 御 座 候 ニ 付 熊 野 社 を 建 則 当 新 田 鎮 守 ニ 勧 請 仕 候 とあ って 熊 野 社 の 勧 請 は 初 代 神 官 の 宮 崎 采 女 事 弥 藤 次 が 入 村 した 享 保 十 五 年 以 降 のことと 思 われます 元 文 元 年 の 検 地 で 除 地 が 認 められ 熊 野 宮 と 改 称 したのは 二 代 目 若 狭 が 神 祇 管 領 から 神 主 許 状 をもらった 享 和 二 年 ( 一 八 〇 二 )のことで あり( 史 料 74) 明 治 六 年 村 社 になりました( 史 料 216(16)) 9

3 鈴 木 新 田 海 岸 寺 瑞 雲 山 と 号 し 臨 済 宗 妙 心 寺 派 で 牛 込 済 松 寺 末 です 開 山 は 頑 石 慧 堅 で 本 堂 の 建 立 は 天 明 三 年 ( 一 七 八 三 )と されています( こだいらの 史 跡 めぐり 94 ページ) 開 発 当 初 は 鈴 木 新 田 の 出 百 姓 は 全 て 宝 林 院 の 檀 家 でしたが 享 保 十 五 年 ( 一 七 三 〇 ) 十 月 には 円 成 院 との 間 で 檀 家 の 最 寄 り 替 えが 行 われて 鈴 木 新 田 で 円 成 院 の 最 寄 りの 者 は 円 成 院 の 檀 家 に 宝 林 院 の 最 寄 りの 野 中 善 左 衛 門 や 善 左 衛 門 組 の 出 百 姓 は 宝 林 院 の 檀 家 となりました( 第 十 二 集 史 料 66(19)) 享 保 十 九 年 ( 一 七 三 四 )には 離 檀 出 入 が 起 こり 一 旦 延 命 寺 の 檀 家 となった 野 中 新 田 の 者 が 宝 林 院 に 帰 檀 させられていま す( 史 料 108) これと 前 後 して 鈴 木 新 田 内 にも 別 の 寺 を 引 寺 する 動 きがあり 同 年 七 月 に 鈴 木 利 左 衛 門 他 二 名 が 三 峯 山 境 内 に 在 った 越 中 国 泰 寺 末 の 海 岸 寺 の 引 寺 を 谷 中 南 泉 寺 に 働 きかけて 享 保 二 十 一 年 ( 一 七 三 六 ) 三 月 に 上 坂 安 左 衛 門 役 所 から 引 寺 が 許 可 され( 史 料 99(4)) 宝 林 院 は 鈴 木 新 田 から 撤 退 を 余 儀 なくされています 許 可 はされたものの 南 泉 寺 は 資 金 不 如 意 で 元 文 四 年 ( 一 七 三 九 ) 九 月 に 海 岸 寺 を 牛 込 の 済 松 寺 に 譲 渡 しています( 史 料 99(7)) 宝 寿 院 鈴 木 山 と 号 し 真 義 真 言 宗 豊 山 派 で 府 中 妙 光 院 末 です 享 保 十 一 年 ( 一 七 二 六 ) 正 月 に 鈴 木 利 左 衛 門 が 亡 父 利 左 衛 門 重 広 の 菩 提 を 弔 うために 稲 荷 社 地 二 町 五 反 歩 と 合 わせて 七 町 五 反 歩 の 土 地 を 寄 進 して 引 寺 したもので( 史 料 98) 上 鈴 木 と 堀 野 中 が 檀 家 になっています 鎮 守 は 稲 荷 神 社 で 上 鈴 木 下 鈴 木 の 二 カ 所 に 祀 られており 祭 礼 はいずれも 九 月 二 十 二 日 です 明 治 六 年 に 村 社 になりました( 史 料 216(14)) この 他 に 下 鈴 木 には 第 六 天 社 があり 宝 寿 院 が 別 当 にな っています 4 野 中 新 田 武 蔵 野 神 社 野 中 新 田 開 発 の 発 端 は 毘 沙 門 天 の 夢 想 によるものとされ 願 いが 叶 ったら 村 の 鎮 守 に 毘 沙 門 天 を 勧 請 する という 盟 約 が 藤 八 と 円 成 院 大 堅 の 間 で 結 ばれています 享 保 九 年 ( 一 七 二 四 ) 五 月 に 新 田 開 発 が 許 可 され 円 成 院 に 十 二 分 の 一 の 土 地 が 分 けられると 大 堅 は 九 月 二 日 に 新 田 に 引 越 し 翌 三 日 に 毘 沙 門 社 の 遷 宮 祭 礼 が 行 われて 享 保 十 年 四 月 には 南 野 中 新 田 の 鎮 守 として 当 社 から 毘 沙 門 社 が 勧 請 されています( 第 十 二 集 新 田 開 発 史 料 66) 新 編 武 蔵 風 土 記 稿 によると 例 祭 は 九 月 三 日 で 明 治 の 神 仏 分 離 によって 円 成 院 の 管 理 を 離 れ 末 社 の 猿 田 彦 命 を 祭 神 とする 武 蔵 野 神 社 に 改 名 し 明 治 六 年 に 村 社 になりました( 史 料 315) 新 編 武 蔵 風 土 記 稿 によればこの 他 に 弁 天 社 と 諏 訪 社 が 記 され い ずれも 除 地 となっています 弁 天 社 は 小 金 井 街 道 と 東 京 街 道 の 交 差 点 の 西 側 北 の 花 小 金 井 四 丁 目 に 存 在 し 諏 訪 社 は 青 梅 街 道 の 東 端 南 側 花 小 金 井 一 丁 目 に 在 りましたが 現 存 しません また 武 蔵 野 神 社 の 西 側 には 除 地 の 地 蔵 堂 が 存 在 しま した 円 成 院 野 中 山 と 号 し 黄 檗 宗 大 本 山 万 福 寺 末 です 宝 永 二 年 に 師 僧 実 山 道 伝 を 開 山 として 大 堅 が 上 谷 保 村 に 創 建 した もので( 史 料 105) 享 保 十 一 年 ( 一 七 二 六 ) 十 一 月 に 寺 社 奉 行 黒 田 豊 前 守 に 引 寺 を 願 い 出 て 翌 年 五 月 に 許 可 されて います( 第 十 二 集 史 料 66(12)) 当 初 野 中 新 田 の 出 百 姓 は 全 て 円 成 院 の 檀 家 であったが 享 保 一 五 年 には 鈴 木 新 田 宝 林 院 との 最 寄 り 替 えが 行 われ 離 檀 出 入 の 末 享 保 十 九 年 ( 一 七 三 四 ) 十 一 月 に 只 今 迄 之 通 り 円 成 院 宝 林 院 延 命 寺 宝 寿 院 右 四 ヶ 寺 檀 那 百 姓 銘 々 限 り となり( 史 料 107) 野 中 新 田 与 右 衛 門 組 の 菩 提 寺 となったものと 思 われます また 円 成 院 の 西 側 には 円 成 院 と 同 時 に 引 寺 願 を 出 して 許 可 された 観 音 堂 が 存 在 しました 延 命 寺 伽 羅 山 地 蔵 院 と 号 し 真 義 真 言 宗 豊 山 派 で 中 藤 村 真 福 寺 末 です 中 藤 村 から 入 村 した 者 たちが 相 談 して 享 保 十 八 年 ( 一 七 三 三 )に 中 藤 村 真 福 寺 から 引 寺 したと 言 われ( 史 料 こだいらの 史 跡 めぐり 83 ページ) 開 基 は 野 中 善 左 衛 門 と 浄 範 で 開 山 は 浄 範 です 新 編 武 蔵 風 土 記 稿 には 龍 華 山 地 蔵 院 ト 号 し 享 保 二 十 年 ノ 建 立 ナリ と 記 され ています 境 内 西 側 には 稲 荷 社 が 堀 野 中 には 観 音 堂 が 存 在 し いずれも 除 地 です 新 編 武 蔵 風 土 記 稿 によると 観 音 堂 は 葛 飾 郡 亀 戸 村 羅 漢 寺 ニテ 進 退 ス とありますが 現 存 せず 明 治 四 年 村 社 となったとされている( 史 料 216(15)) 稲 荷 神 社 が 上 水 南 町 一 丁 目 にあります これは 明 治 の 神 仏 分 離 によって 稲 荷 社 と 観 音 堂 が 入 れ 替 えられた 結 果 だと 思 われ 明 治 八 年 の 田 畑 其 他 反 別 取 調 野 帳 ( 市 役 所 引 継 文 書 A 7)には 延 命 寺 の 西 側 に 観 音 堂 敷 地 が 記 されています また 稲 荷 神 社 の 西 側 には 明 治 以 前 から 万 福 寺 末 の 閑 翁 庵 が 在 りましたが 明 治 三 十 八 年 に 願 い 出 て 豊 多 摩 郡 落 合 村 大 字 上 落 合 の 泰 雲 寺 に 合 寺 されて( 史 料 216(12)) 現 存 しません 5 大 沼 田 新 田 泉 蔵 院 当 麻 山 と 号 し 天 台 宗 延 暦 寺 派 報 恩 寺 末 です 大 沼 田 新 田 に 最 初 に 引 寺 を 予 定 していたのは 清 水 村 三 光 院 末 寺 で 以 前 後 ヶ 谷 村 に 在 った 西 楽 寺 ですが 現 存 しない 寺 の 引 寺 は 許 可 されず( 史 料 137) 元 文 元 年 の 検 地 帳 には 寺 名 未 詳 のまま 寺 地 と 墓 所 が 除 地 として 記 されています 今 寺 村 報 恩 寺 から 泉 蔵 院 の 引 寺 が 許 可 されたのは 延 享 元 年 ( 一 七 四 四 ) 七 月 で( 史 料 146) 弥 左 衛 門 と 伝 兵 衛 によって 二 町 余 の 寺 地 が 寄 進 され( 史 料 151) 十 二 月 に 当 麻 弥 左 衛 門 と 10

当 麻 伝 兵 衛 を 開 基 とし 報 恩 寺 の 運 承 を 開 山 として 草 堂 が 結 ばれました この 間 野 口 村 の 正 福 寺 徳 蔵 寺 および 久 米 川 村 の 梅 岩 寺 の 三 ヵ 寺 を 菩 提 寺 としていたために 離 檀 出 入 があり 泉 蔵 院 が 評 定 所 の 裁 定 を 得 て 大 沼 田 新 田 の 菩 提 寺 となっ たのは 延 享 二 年 ( 一 七 四 五 ) 五 月 です( 史 料 168) その 後 無 尽 によって 資 金 を 集 め 仮 屋 作 りだった 泉 蔵 院 の 客 殿 建 立 が 着 手 されたのは 宝 暦 九 年 ( 一 七 五 九 ) 三 月 でした( 当 麻 伝 兵 衛 家 文 書 A-3 36) 鎮 守 は 稲 荷 神 社 で 検 地 帳 に 除 地 が 許 され 今 寺 村 から 泉 蔵 院 地 内 へ 勧 進 されたのは 延 享 元 年 ( 一 七 四 四 )で( 史 料 151) 寛 政 期 には 九 月 十 五 日 に 祭 礼 が 行 われています( 第 一 集 史 料 34) 明 治 元 年 現 在 地 に 遷 祀 し( 北 多 摩 神 社 史 126 ページ) 六 年 村 社 になり ました( 史 料 189) 6 廻 り 田 新 田 廻 り 田 新 田 には 寺 院 が 無 く 菩 提 寺 は 久 米 村 の 永 源 寺 清 水 村 の 三 光 院 鈴 木 新 田 の 宝 寿 院 と 海 岸 寺 の 四 寺 に 分 散 し ています 鎮 守 は 氷 川 神 社 で 宝 暦 五 年 ( 一 七 五 五 )に 廻 り 田 村 から 勧 請 し( 史 料 214) 明 治 六 年 村 社 になります( 史 料 213) 五 あとがき 今 回 は 新 田 開 発 3 として 貸 借 と 寺 社 関 係 の 史 料 をまとめました 貸 借 については 第 十 五 集 村 の 生 活 の 事 件 事 故 訴 訟 とも 関 連 がありますのでそちらも 参 照 いただきたいと 思 います 寺 社 については 単 独 で 編 集 することも 考 え ましたが 元 文 元 年 までの 史 料 は 新 田 開 発 の 経 過 とも 密 接 な 関 連 があることから 新 田 開 発 の 中 に 含 めました 貸 借 の 史 料 を 通 して 開 発 当 初 の 入 村 者 の 苦 労 や 代 官 の 対 応 および 災 害 の 様 子 等 について 知 ることができるばかりで なく 開 発 名 主 小 川 九 郎 兵 衛 の 実 像 にも 迫 ることができます これらのことから 代 官 は 小 川 村 一 カ 村 のために 最 大 で 二 二 四 両 もの 金 を 貸 しており 手 厚 い 財 政 支 援 策 が 実 施 されたことが 分 かります また 開 発 者 たちにとっても 小 川 村 に 出 てきたものの 食 糧 にも 事 欠 く 程 の 苦 労 が 続 き 夫 食 の 借 金 が 返 済 できずに 開 発 地 のみならず 馬 や 妻 子 まで 売 る 者 も いたようで 撤 退 を 余 儀 なくされた 者 も 少 なくなかったことが 明 らかです しかし 寛 文 期 のような 開 発 当 初 と 違 って 元 禄 期 や 享 保 期 までには 畑 の 開 発 も 進 み 天 候 が 回 復 すれば 様 々な 気 象 災 害 にも 耐 えて 生 き 抜 くだけの 生 産 性 が 確 保 できるようになっていたと 思 われ 逆 境 に 耐 えて 成 長 していく 村 人 の 逞 しさを 感 じさせられます そして 開 発 名 主 小 川 九 郎 兵 衛 は 五 両 十 両 といった 金 額 を 岸 村 や 小 川 村 の 百 姓 たちに 貸 しており 相 当 資 金 力 があったものと 思 われます また 貸 借 の 史 料 を 丹 念 に 調 べることによって 開 発 当 初 の 村 人 の 移 動 の 激 しさを 知 ることができます 開 発 が 許 可 さ れて 二 年 後 の 明 暦 四 年 三 月 には 小 川 村 に 少 なくとも 九 十 六 戸 の 入 村 者 があったものと 思 われますが その 六 年 後 の 寛 文 三 年 三 月 までにはその 内 七 十 戸 を 越 える 離 村 者 があったものと 思 われ 開 発 当 初 から 小 川 村 に 定 着 できた 村 人 は 極 少 数 だったことがわかります 寺 社 の 歴 史 については 今 まで 古 文 書 目 録 の 解 題 等 で 部 分 的 には 触 れましたが 体 系 的 にまとめることはできませんで したので 今 回 の 史 料 集 刊 行 を 機 に 小 平 市 内 の 寺 社 について 体 系 的 にまとめてみました 小 川 村 の 妙 法 寺 については 小 平 町 誌 の 第 四 編 第 四 章 宗 教 (1296~1298 ページ)には 説 明 がなく 郷 土 こだいら の 三 小 平 の 社 寺 と 旧 蹟 2 寺 院 には 記 されていますが 小 川 寺 との 離 檀 出 入 後 の 経 過 については 不 明 でした また その 他 の 寺 社 につ いてもほとんどが 設 立 の 経 過 を 中 心 とした 説 明 でしたが 今 回 は 史 料 で 確 認 できる 範 囲 の 由 緒 については 調 査 して 記 述 しました そして 今 までその 存 在 すら 知 られていなかった 小 川 村 の 天 神 社 鈴 木 新 田 の 宝 林 院 野 中 新 田 の 弁 天 社 や 諏 訪 社 観 音 堂 閑 翁 等 についても 触 れることができました 最 後 になりましたがこの 史 料 集 の 作 成 に 当 たり 原 文 の 解 読 は 梅 林 富 子 加 藤 とみ 小 林 正 雄 小 堀 恵 美 子 藤 井 一 栄 の 各 氏 にお 願 いし 校 訂 と 解 題 作 成 は 蛭 田 廣 一 が 行 いました また 印 刷 のための 原 稿 作 成 は 古 文 書 嘱 託 の 三 野 行 徳 が 担 当 し 岡 田 美 枝 子 さんと 羽 山 淳 子 さんに 労 を 煩 わしました 関 係 各 位 の 尽 力 に 感 謝 します 平 成 十 五 年 十 一 月 十 一 日 小 平 市 中 央 図 書 館 11