書 評 : 平 成 薬 証 論 を 読 んで 野 口 衛 私 は, 平 成 22 年 12 月 6 日 より 同 20 日 まで, 糖 尿 病 の 検 査 のため 大 阪 市 内 の 西 淀 病 院 に 入 院 することになり,この 間 に 標 記 著 作 に 目 を 通 すことにした そこで, 以 下 に, 簡 単 にその 感 想 を 述 べることにする 1 は じ め に 本 書 の 著 者 渡 邊 武 氏 は 京 都 在 住 で, 東 大 卒. 武 田 薬 工 に 1938 年 に 入 社, 厚 生 省 の 第 6 改 正 日 本 薬 局 方 委 員 や 同 一 般 用 漢 方 製 剤 承 認 審 査 の 専 門 委 員 会 委 員 をされており,また, 日 中 医 薬 研 究 会 会 長, 日 本 漢 方 交 流 会 顧 問 をされるなど 薬 学 系 の 漢 方 医 学 の 大 家 としても 高 名 な 方 で, つい 先 日 お 亡 くなりになるまで, 私 も 学 会 等 で 数 回 直 接 お 会 いしたことがあるものの, 文 献 で 薬 膳 の 効 能 解 析 の 論 文 を 数 多 く 読 ませて 頂 いただけの,われわれの 大 先 輩 にあたる 方 である 本 書 のタイトルは 平 成 薬 証 論 1) とつけられているが,これは, 先 生 が, 神 農 本 草 経, 名 医 別 録 以 降 歴 代 の 本 草 書 について 従 来 行 われていたのと 同 様 に 生 薬 の 特 質 を 丁 寧 に 調 査 され - 56 -
ながら,ともすれば 患 者 への 適 用 が 中 心 になりがちな 漢 方 医 学 を,とくに 薬 の 側 面 に 力 を 入 れ て 解 説 され,その 意 味 で 今 までに 例 のなかったという 意 味 をこめて 平 成 という 語 をタイトルに 入 れられたと 推 測 するものである 本 書 においては, 漢 方 で 汎 用 されている 生 薬 117 種 を, 漢 方 医 学 の 理 論 に 従 って 気 剤 28 種, 血 剤 44 種, 水 剤 37 種, 脾 胃 剤 8 種 に 分 け, 漢 方 医 学 の 原 典 たる 神 農 本 草 経, 名 医 別 録 から 本 草 綱 目, 重 校 薬 徴, 一 本 堂 薬 選, 薬 性 堤 要, 古 方 薬 議, 千 金 要 方, 万 病 回 春, 和 剤 局 方, 新 古 方 薬 嚢,その 他 現 代 までの 古 文 献 の 記 載 内 容 を 各 論 的 に 調 査 し,これらを 元 に 古 方 の 調 剤 原 理 を 明 らかにし,その 適 応 する 証 を 明 らかにされ,さらに,その 中 でも 桂 枝 湯 及 び 関 連 処 方 につ いてとくに 詳 細 な 考 察 を 行 い, 芍 薬 が 患 者 の 病 因 である 大 腸 の 水 滞 を 尿 利 で 取 り 去 り, 桂 枝 の 発 汗 作 用 に 代 わる 利 尿 作 用 を 示 すことを 明 らかにされた そして, 芍 薬 を 大 腸 の 水 滞 を 尿 利 で 取 り 去 る 水 剤 と 位 置 づけることにより, 葛 根 湯, 桂 枝 湯, 桂 枝 加 芍 薬 湯 の 芍 薬 の 使 用 量 と それに 対 応 する 病 像 の 移 動 や 病 証 の 病 態 生 理 学 的 変 化 を 明 らかにし, 従 来 血 剤 とばかり 考 えられてきた 芍 薬 に 新 しい 位 置 づけを 与 えられることになったのである これは, 長 年 にわたり 文 献 の 示 すままに 機 械 的 に 用 いられてきた 漢 方 薬 に 臨 床 データと 新 し い 着 想 を 加 えて 解 析 を 行 うという 画 期 的 な 取 組 みであり, 本 書 では,これ 以 外 の 生 薬 において も 従 来 には 見 られない 新 しい 考 察 が 行 われていることから,その 意 味 で,タイトルに 平 成 とつけるのにふさわしい 現 代 の 漢 方 医 学 と 生 薬 に 関 する 名 著 であると 思 うのである 2 調 剤 原 則 を め ぐ っ て 本 書 において, 渡 邊 博 士 は,まず,これまでの 学 説 に 従 い 生 薬 をその 効 能 により1 気 剤,2 血 剤,3 水 剤,4 脾 胃 剤 に 分 け, 漢 方 処 方 がそれらの 組 み 合 わせにより 成 り 立 っているという ことを 明 らかにするため, 以 下 に 示 す 10 項 目 の 調 剤 原 則 を 明 らかにされた 調 剤 原 則 1. 1~4の 一 剤 のみから 構 成 される 処 方 として 血 剤 のみからなる 処 方 : 大 黄 瀉 心 湯, 三 黄 瀉 心 湯, 黄 連 解 毒 湯, 茵 蔯 蒿 湯 水 剤 のみからなる 処 方 : 独 参 湯, 四 苓 散, 脾 胃 剤 のみからなる 処 方 : 甘 草 湯 調 剤 原 則 2. 二 剤 からなる 処 方 として 気 剤 と 水 剤 からなる 処 方 : 葛 根 湯, 桂 枝 湯, 苓 桂 朮 甘 湯,( 脾 胃 剤 を 加 味 ) 気 剤 と 血 剤 からなる 処 方 : 芎 黄 散, 桃 核 承 気 湯, 六 神 丸 水 剤 と 血 剤 からなる 処 方 : 四 逆 散, 猪 苓 湯, 大 黄 牡 丹 皮 湯, 当 帰 芍 薬 散, 調 剤 原 則 3. 気 血 水 三 種 の 組 み 合 わせとこれに 脾 胃 剤 を 加 味 した 処 方 として 8 通 り, 例 : 柴 胡 剤, 桂 枝 茯 芩 丸 温 経 湯 防 風 通 聖 散 他 調 剤 原 則 4. 気 血 水 脾 胃 剤 の4 種 の 中 2 種 の 組 み 合 わせの 方 剤 はそれぞれ 補 剤 と 剋 剤 か 補 剤 と 为 剤 を 基 準 とする 例 : 大 黄 甘 草 湯 芎 黄 散, 桃 核 承 気 湯 六 神 丸 調 剤 原 則 5. 陽 証 熱 証 血 証 には 苦 寒 薬 を 運 用 する 血 証 専 一 の 時 には 気 剤 と 脾 胃 剤 水 剤 は 投 与 しない - 57 -
例 : 大 黄 瀉 心 湯 三 黄 瀉 心 湯 黄 連 解 毒 湯 茵 蔯 蒿 湯 抵 当 湯 但 し 水 滞 があり, 水 剤 配 合 の 場 合, 脾 胃 に 訴 えのあるときは 脾 胃 剤 を 加 味 する 例 : 調 胃 承 気 湯 桃 核 承 気 湯 大 黄 甘 草 湯 ) 調 剤 原 則 6. 大 陰 病 小 陰 病 厥 陰 病 などの 陰 病 には, 水 剤 温 熱 剤 を 配 し, 原 則 として 気 剤 と 脾 胃 剤 は 投 与 しない 例 : 真 武 湯 当 帰 芍 薬 散, 調 剤 原 則 7. 水 滞 を 専 一 に 排 除 する 方 剤 には 脾 胃 剤 の 甘 草 大 棗 を 配 合 しない 例 : 五 苓 散 猪 苓 湯 当 帰 芍 薬 散, 調 剤 原 則 8. 実 証 には, 脾 胃 剤 の 甘 草 は 避 ける 例 : 大 柴 胡 湯 柴 胡 加 竜 骨 牡 蛎 湯 大 黄 瀉 心 湯 三 黄 瀉 心 湯 黄 連 解 毒 湯 茵 蔯 蒿 湯 抵 当 湯 調 剤 原 則 9. 陰 虚 証 には, 原 則 として 気 剤 脾 胃 剤 は 配 合 しない 調 剤 原 則 10. 丸 散 剤 を 湯 剤 にするときには, 原 則 として 甘 草 大 棗 生 姜 を 加 味 する 原 典 において 蜂 蜜 で 製 丸 し 酒 服 を 指 示 しているのは, 胃 腸 を 補 うためで, 湯 剤 でそれを 怠 る と, 服 後 胃 腸 障 害 を 訴 えることが 多 い 例 : 桂 枝 茯 芩 丸 八 味 丸 麻 子 仁 丸 当 帰 芍 薬 散 当 帰 飲 抵 当 丸, このように, 漢 方 処 方 を 一 つの 一 般 則 の 中 で 捕 らえようとされているのは, 従 来 の 漢 方 文 献 にはみられないすごくユニークな 立 場 であり,これに 加 えて 渡 邊 先 生 は,すでに 別 の 著 作 にお いて, 同 様 の 調 査 の 結 果 を 元 に 薬 膳 の 効 能 解 析 にレーダーグラフ 法 を 導 入 する 方 式 を 提 唱 され ており, 私 も 大 いに 参 考 にさせて 頂 いているので,それについては 著 者 は 別 の 論 文 で 明 かにし ておいた 2-5) 3 薬 味 と 薬 性 に つ い て 漢 方 医 学 の 理 論 においては, 五 味 の 薬 味 は,それぞれ 酸 苦 甘 辛 鹹 すなわち 補 助 益 生 剋 の 五 つ の 薬 能 で 表 わされており,それは1 所 属 する 臓 腑 を 補 う 作 用,2 親 にあたる 臓 腑 を 助 ける 作 用, 3 祖 父 に 当 たる 臓 腑 を 益 する 作 用,4 子 に 当 たる 臓 腑 を 生 じる 作 用,5 孫 に 当 たる 臓 腑 を 剋 る 作 用 の 五 つであり( 五 行 説 ),これは, 現 代 医 学 においては 個 々の 生 薬 の 薬 理 作 用 と 考 えると 理 解 しやすい 一 方, 五 味 の 薬 味 の 中 身 については, 酸 味 の 薬 能 とは, 散 らばったものを 収 める 薬 能 のことであり, 収 を 司 り, 为 作 用 は 肝 胆 と 目 筋 の 機 能 を 補 い,その 目 標 は 青 色 である 同 時 に 心 小 腸 にはその 機 能 を 生 む 働 き, 腎 膀 胱 には 働 きを 助 け, 肺 大 腸 には 有 益 に 働 くが 脾 胃 だけには 剋 の 働 きがある このため, 酸 味 には 脾 胃 を 護 るため 甘 味 を 添 え, 心 小 腸 を 補 う 苦 味 を 配 するのが 普 通 である また, 苦 味 の 薬 能 とは, 柔 らかいものを 引 き 締 め, 湿 りを 乾 かす 薬 能 のことであり, 固 を 司 り, 为 作 用 は 心 小 腸 の 機 能 を 補 い,その 目 標 は 赤 色 である 同 時 に 脾 胃 の 機 能 を 生 む 働 き があり, 肝 胆 の 機 能 を 助 け, 腎 膀 胱 には 有 益 に 働 くが, 肺 大 腸 だけには 剋 の 働 きがある 苦 味 には 肺 大 腸 を 護 るために 辛 味 を 添 え, 脾 胃 を 補 う 甘 味 を 配 するのが 普 通 である - 58 -
甘 味 の 薬 能 とは, 激 しいものを 緩 め 薄 める 薬 能 のことであり, 緩 を 司 り, 为 作 用 は 脾 胃 の 機 能 を 補 い,その 目 標 は 黄 色 である 同 時 に 肺 大 腸 の 機 能 を 生 む 働 きがあり, 心 小 腸 の 機 能 を 助 け, 肝 胆 には 有 益 に 働 くが, 腎 大 腸 だけには 剋 の 働 きがある 甘 味 には 腎 膀 胱 を 護 るため 鹹 味 を 添 え, 肺 大 腸 を 補 う 辛 味 を 配 するのが 普 通 である 辛 味 の 薬 能 とは 滞 りを 散 らす 薬 能 のことであり, 散 を 司 り, 为 作 用 は 肺 大 腸 と 鼻 皮 膚 の 機 能 を 補 い,その 目 標 は 白 色 である 同 時 に 腎 膀 胱 の 機 能 を 生 む 働 きがあり, 脾 胃 の 機 能 を 助 け, 心 小 腸 には 有 益 に 働 くが, 肝 胆 だけには 剋 の 働 きがある 辛 味 には 肝 胆 を 護 るため 酸 味 を 添 え, 腎 膀 胱 を 補 う 鹹 味 を 配 する 鹹 味 の 薬 能 とは 乾 きを 抑 制 し 軟 らげる 薬 能 のことであり, 濡 を 司 り, 为 作 用 は 腎 膀 胱 耳 骨 髄 の 機 能 を 補 い,その 目 標 は 黒 色 である 同 時 に 肝 胆 の 機 能 を 生 む 働 きがあり, 肺 大 腸 の 機 能 を 助 け, 脾 胃 には 有 益 に 働 くが 心 小 腸 だけには 剋 の 働 きがある 鹹 味 には 心 小 腸 を 護 るため 苦 味 を 添 え, 肝 胆 を 補 う 酸 味 を 配 するのが 普 通 である また 酸 苦 は 陰 に 属 し 涌 泄 を 为 り, 酸 は 泄 を 司 り, 苦 は 涌 を 司 る 辛 鹹 は 陽 に 属 し 発 散 を 司 り, 辛 は 散 を 司 り, 鹹 は 発 を 司 る 甘 は 平 に 属 し, 陰 陽 の 歪 みを 平 にするのを 司 る 甘 ( 脾 胃 )を 陽 とする 説 があるが, 甘 ( 脾 胃 )そのものは 平 で 飲 食 物 がそこで 消 化 されて 始 めて 陽 となるの で, 甘 ( 脾 胃 )は 平 とするのが 正 しい 陰 陽 論 である 本 書 24 ページにはこれらの 因 果 関 係 が 五 行 の 座 標 で 図 示 されている 4 芍 薬 配 合 の 意 味 の 方 剤 か ら の 考 察 本 著 の 特 徴 の 一 つは, 漢 方 処 方 における 芍 薬 の 役 割 について,それぞれの 処 方 の 効 能 と 特 徴 を 古 文 献 の 記 載 をもとにしながら 考 察 し,ついに 腸 内 の 水 分 を 排 泄 することにより 処 方 の 効 能 に 寄 与 している ことを 明 かにしたところにある 例 えば 葛 根 湯 と 桂 枝 湯, 桂 枝 加 芍 薬 湯 の 芍 薬 配 合 量 は 通 常 それぞれ 3.0,4.5,9.0 グラムで あるが,これは, 桂 枝 湯 に 麻 黄 を 加 味 して 表 の 寒 証 表 の 実 証 の 身 体 通, 関 節 痛 を 強 く 温 散 し, さらにこれに 葛 根 を 加 味 することにより 上 焦 の 炎 症 性 充 血 性 の 諸 疾 患 に 対 応 し(= 葛 根 湯 ), また 桂 枝 湯 証 の 表 証 が 尐 なく, 脾 胃 症 状 が 为 となる 場 合 に 芍 薬 の 配 合 量 を 増 加 した 桂 枝 加 芍 薬 湯 を 投 与 することを 示 すものである なお,これとはまったく 別 のことであるが, 著 者 自 身 も, 先 に 芍 薬 の 薬 としての 特 徴 を 把 握 するため,20 年 にわたる 芍 薬 の 栽 培 法 と 調 製 加 工 法 の 研 究 を 論 文 にまとめているので 6), 機 会 があれば 参 考 にしていただきたい 5 お わ り に このように, 漢 方 処 方 の 特 徴 を 処 方 を 構 成 する 生 薬 の 組 み 合 せやその 量 から 考 察 する とい うのは, 一 つの 攻 め 口 として 筆 者 もその 昔 からずっと 考 えていた 手 法 であり, 筆 者 自 身 は 結 局 黄 連 と 甘 草 や 大 黄 を 配 合 した 処 方 中 のベルベリンとグリチルリチンの 湯 液 中 での 沈 殿 反 応 につ いてはついに 実 験 に 成 功 したものの 7) これ 以 外 については 自 分 では 攻 め 口 がうまくみつけら れなかったものである それで, 渡 邊 博 士 のこの 文 献 にもっと 早 く 出 会 っていたら 研 究 が 別 の - 59 -
方 面 に 展 開 したかもしれない と 返 す 返 す 残 念 に 思 うものである 以 上, 本 文 献 を 紹 介 しながら, 著 者 の 研 究 経 験 についても 併 せ 述 べてみた 文 献 1) 渡 邊 武, 平 成 薬 証 論,メディカルユーコン 社,1999 2) 野 口 衛, 西 嶋 久 美 子, 大 野 勝 子, 薬 草 料 理 の 効 能 解 析 渡 邊 武 氏 の 方 法 を 応 用 す る,F.F.I.J. 209,549-558 (2004) 3) 同, 同,Ⅱ, 同,210,535-542 (2005) 4) 同, 同, Ⅲ, 同,211,513-525 (2006) 5) 同, 同, Ⅳ, 同,212,281-292 (2007) 6) 野 口 衛, 大 野 勝 子, 芍 薬 の 栽 培 法 と 調 製 加 工 法 に 関 する 研 究 -20 年 のまとめ, F.F.I.J. 213,727-736 (2008) 7) 野 口 衛, 続 薬 学 を 学 ぶ 人 のために,28-29, 博 文 堂, 2009-60 -