建 学 の 精 神 諸 井 虔 学 園 長 理 事 長 田 上 保 幸 自 分 の 才 能 をよく 発 揮 し 社 会 のために 尽 くした 卒 業 生 諸 井 虔 (もろい けん1928~2006 年 )を 紹 介 します 著 名 な 作 曲 家 諸 井 誠 は 彼 の 弟 で やはり 暁 星 の 卒 業 生 です 暁 星 学 園 創 立 百 周 年 記 念 式 典 の 折 武 道 館 で 東 京 交 響 楽 団 と 東 京 混 声 合 唱 団 により 演 奏 された 交 響 曲 暁 星 讃 歌 暁 の 星 は 諸 井 誠 作 曲 串 田 孫 一 作 詞 (1933 年 卒 )によるものでした 諸 井 虔 は 第 二 次 世 界 大 戦 の 終 戦 間 際 1945 年 3 月 に 暁 星 中 学 ( 旧 制 )を 卒 業 しました 戦 後 の 社 会 の 混 乱 や 学 制 の 大 変 革 にもかかわらず 彼 は 旧 制 浦 和 高 等 学 校 東 京 大 学 へと 順 調 に 進 み 1953 年 3 月 に 東 京 大 学 経 済 学 部 を 卒 業 しました 同 年 日 本 興 業 銀 行 に 入 行 し 実 業 家 としてのスタートをきります その 後 秩 父 セ メント( 株 ) 代 表 取 締 役 社 長 秩 父 小 野 田 ( 株 ) 代 表 取 締 役 会 長 太 平 洋 セメント( 株 ) 取 締 役 相 談 役 としてセメント 業 界 で 活 躍 します さらに 請 われて TBS 取 締 役 日 本 航 空 ( 株 ) 取 締 役 にも 就 任 します その 間 財 界 から 高 く 評 価 され 経 済 同 友 会 副 代 表 幹 事 日 経 連 ( 現 経 団 連 ) 副 会 長 に 就 任 します また 政 府 の 地 方 分 権 推 進 委 員 会 委 員 長 政 府 税 制 調 査 会 委 員 政 府 地 方 制 度 調 査 会 会 長 等 の 公 職 を 歴 任 しました 彼 は これら 多 種 多 様 の 職 責 をみごとに 遂 行 しました 諸 井 虔 は 財 界 の 論 客 財 界 の 参 謀 財 界 のご 意 見 番 などと 呼 ばれました それは 彼 が 自 分 の 頭 で 考 え そして 自 分 で 行 動 したこと また 一 個 人 や 一 企 業 の 利 害 だけにとらわれず 広 く 社 会 のため 公 平 公 正 に 発 言 し 行 動 したことにより 自 ずと 得 られた 名 声 です 彼 はマスコミ 等 で 活 発 に 発 言 しましたが 会 社 経 営 財 界 活 動 お 酒 と 多 忙 で 本 を 書 くことは 諦 め ていると 冗 談 を 言 っています しかし 異 才 活 用 マネ ジメント ( 諸 井 虔 堀 紘 一 共 著 PHP 研 究 所 発 行 ) NHKの 企 画 による 日 本 解 剖 ~ 経 済 大 国 の 源 泉 ( 全 6 巻 )の 第 6 巻 日 本 経 済 を 語 る ( 諸 井 虔 香 西 泰 編 著 NHK 出 版 協 会 発 行 ) 等 の 著 書 をのこしています そ の 中 の 一 文 を 紹 介 します 内 にあっては 創 造 的 なタ イプの 人 間 をどのようにして 育 て 時 代 の 変 化 に 対 応 する 環 境 をつくりだしていけるか 外 にあっては 国 際 社 会 の 中 で 孤 立 しない 日 本 の 生 き 方 を 確 立 できるか どうかが 当 面 の 最 大 の 課 題 であり 二 一 世 紀 へ 託 すこ との 可 能 な 私 たちの 遺 産 であるということができるで あろう ( 日 本 経 済 を 語 る) 終 わりに 彼 の 行 動 の 一 例 を 紹 介 します 橋 本 龍 太 郎 首 相 は 沖 縄 県 の 基 地 問 題 などの 解 決 のため 当 時 の 大 田 昌 秀 沖 縄 県 知 事 との 仲 介 役 を 諸 井 虔 に 依 頼 しまし た 彼 は 自 分 一 人 で 沖 縄 に 飛 び 知 事 と 二 人 だけで 長 時 間 話 し 合 い 知 事 の 真 意 を 政 府 に 伝 えました 後 に 大 田 知 事 は 諸 井 虔 を 次 のように 評 しています 諸 井 さんは 誠 実 な 人 でした 何 かを 画 策 しようという 人 で はなかった 1
海 外 体 験 のスゝメ 暁 星 中 学 高 校 校 長 勝 部 純 明 今 年 英 語 が 話 題 です 来 年 度 から 小 学 校 5 6 年 生 で 英 語 が 本 格 実 施 されるのに 加 え 英 語 を 社 内 公 用 語 や 管 理 職 への 昇 進 の 条 件 にする 企 業 が 新 聞 で 報 道 され 注 目 を 集 め ました 国 内 市 場 が 頭 打 ちになる 中 海 外 に 活 路 を 開 かな ければならない 事 情 が 背 景 にあると 思 われます 東 京 大 学 では 濱 田 純 一 総 長 が 国 境 なき 東 大 生 になっ てほしいと 入 学 式 で 訴 えました 世 界 大 学 ランキングで 東 大 は26 位 に 後 退 し アジア 首 位 の 座 を 香 港 大 学 に 譲 りまし た また 200 位 以 内 の 大 学 数 でも 中 国 に 追 い 抜 かれるな ど 大 学 間 の 競 争 も 激 しさを 増 しています 欧 米 に 学 ぶものはない と 携 帯 電 話 に 象 徴 されるよ うに 独 自 の 進 化 を 遂 げた 日 本 のモノづくりですが 日 本 の 技 術 や 部 品 を 使 った 韓 国 中 国 製 品 に 苦 戦 を 強 いられてい ます 同 様 に 大 学 についても ガラパゴス 化 が 危 惧 さ れています この10 年 で 海 外 に 派 遣 された 研 究 者 数 が 半 減 アメリカへの 留 学 生 数 も40% 減 少 し 留 学 生 数 の 調 査 では 世 界 75カ 国 地 域 中 41 位 でした 日 本 の 大 学 の 研 究 水 準 が 高 いこと インターネットの 普 及 で 情 報 の 入 手 が 容 易 なこと 就 職 活 動 への 不 安 等 の 要 因 が 考 えられますが 大 学 生 の 内 向 き には 世 界 の 潮 流 から 取 り 残 されてしまう のではと 不 安 を 覚 えます 今 日 本 人 に 求 められているのは 単 に 外 国 語 を 話 せる ということではありません 異 なる 考 え 方 や 発 想 価 値 観 とぶつかり 合 うことを 通 じて 逞 しさと 柔 軟 性 を 鍛 え 失 敗 を 恐 れない 行 動 力 を 身 につけることです 生 徒 と 話 してみ ると 感 性 の 豊 かな 人 格 形 成 期 に 異 文 化 に 触 れての 活 動 は たとえ1カ 月 間 のホームステイであっても 世 界 的 視 野 で 物 事 を 考 える 下 地 や 創 造 力 の 基 盤 が 養 われているのを 感 じ ます 創 立 以 来 2ヶ 国 語 を 学 んできた 暁 星 の 生 徒 には 知 の 鎖 国 ともいうべき 現 状 を 打 ち 破 る 挑 戦 を 期 待 します 夢 僕 は 将 来 医 者 になりたい 夢 はサッカー 選 手 昆 虫 博 士 等 々 子 どもたちの 将 来 の 夢 です 豊 かに 夢 を 語 る 暁 星 の 子 どもを 誇 りに 思 います 世 の 中 の 閉 塞 感 からか 若 者 が 夢 を 持 たなくなった と 言 う 言 葉 をよく 耳 にしま すが 未 来 に 生 きる 子 どもには 是 非 大 きな 夢 を 持 って 育 っ てほしいものです そのためには 大 人 が 前 向 きに 生 きる ことがとても 大 事 なことと 思 います そんな 折 夢 という 言 葉 で 自 分 を 語 った 報 道 があり ました 一 つが 今 年 のノーベル 化 学 賞 受 賞 者 の 米 パデュー 大 学 根 岸 英 一 先 生 の 言 葉 です 大 きな 夢 を 持 つこと 基 礎 的 な 能 力 を 持 ち 50 年 も 夢 を 追 えば その 夢 が 実 現 す る 可 能 性 は 高 い と また 外 ( 外 国 )に 出 て 苦 労 苦 難 を 体 験 するのも 必 要 だ と 続 けています 子 どもに 聞 かせたい 言 葉 です もう 一 つが イチロー 選 手 の 言 葉 です 夢 をつかむと いうのは 一 気 にはできません 小 さな 事 を 積 み 重 ねるこ とで いつの 日 か 信 じられないような 力 を 出 せるように なってきます と 夢 をつかむた めには 日 々の 努 力 がいかに 大 切 か ということを 教 えてくれます イチ ロー 選 手 がすごいのは 常 に 自 分 の コンディションを 整 えるために 日 頃 の 努 力 をコツコツと 積 み 重 ねて いるところです 朝 食 はどんなもの 暁 星 小 学 校 校 長 を 食 べて 球 場 には 何 時 頃 着 いて 佐 藤 正 吉 試 合 前 に 準 備 運 動 をどのくらいし てというように 自 分 が 毎 日 するべ きことをしっかりと 続 けていると 言 います それが10 年 間 連 続 の200 本 安 打 につながったのでしょう ノーベル 賞 なんて 大 リーグなんて と 自 分 で 自 分 の 可 能 性 を 閉 ざさず 未 来 に 向 かって 大 きな 夢 を 描 くことが 大 きな 人 間 に 育 つのだと 思 います 教 師 として 大 切 なのは 子 どもの 可 能 性 を 信 じて より 大 きな 人 間 を 育 てることだと 思 います 日 々の 生 活 の 中 で 子 どもに 夢 を 大 きく 持 たせ 子 ども 自 身 に 努 力 という 苦 労 をさせて 学 ぶ 楽 しみ 学 ぶ 喜 びを 知 らせることです 夢 とは 苦 労 すること とも 言 えます 笑 顔 がはじけるとき 暁 星 幼 稚 園 園 長 逆 井 弘 子 子 どもたちが 夢 中 になって 花 の 種 を 集 めていました 記 録 的 な 暑 さの 今 年 の 夏 は 幼 稚 園 の 庭 にたくさんの 草 花 を もたらしてくれました 草 花 の 種 はやがて 地 に 落 ち 子 ど もたちが 発 見 し 拾 い 集 めていたのでした 次 には 様 々な 植 物 に 関 する 興 味 が 増 し 違 う 草 花 を 見 つけては 友 達 と 顔 を 寄 せ 合 って 上 から 見 下 から 見 て これは 大 きい( 種 )? と 実 りに 関 心 が 広 がっていきました もくじ 建 学 の 精 神 その 体 現 者 (9) 1 暁 星 の 理 念 と 教 育 実 践 2 学 園 トピックス 3 クラブ 活 動 4 学 園 行 事 2010 年 10 月 2011 年 3 月 5 同 窓 会 だより 6 2
自 然 物 の 変 化 は 発 見 が 大 好 きな 子 どもたちの 心 を 満 た し 気 づく 心 を 育 んでくれます 真 剣 な 表 情 で 種 の 形 を 見 たり 数 を 数 えたりする 姿 から 具 体 的 な 体 験 の 中 で 試 し たり 知 ったりしていくことが 子 どもたちの 自 ら 物 事 に 向 かっていこうとする 気 持 ちを 育 くんでいく ということを 改 めて 実 感 しました 物 事 に 向 かっていこうとする 心 の 成 長 は 運 動 会 でも 発 揮 されていきました ある 日 子 どもたちが 運 動 会 のプログラムのひとつに 取 り 組 む 場 面 に 出 会 いました 何 度 も 何 度 も 両 手 で 自 分 の 体 を 支 えようとするのですがうまくいかず 床 に 体 がついてし まいます でもあきらめることなくひたむきに 取 り 組 む 姿 がそこにはありました 集 団 の 中 で 自 分 の 成 すべきことに 力 を 出 そう 友 達 との 動 きの 中 で 心 を 合 わせてひとつの 物 を 作 り 上 げていこうとする 意 気 込 みが 伝 わってきました 運 動 会 の 日 は 大 勢 のお 客 様 方 からいただいた 拍 手 や 言 葉 が 子 どもたちの 心 に 届 いたのでしょう 楽 しかったよ また したいな といってくれた 子 どもの 笑 顔 は 誇 らしげでした 感 じたことや 不 思 議 だなと 思 ったことにじっくりと 取 り 組 み また 友 達 やいろいろな 人 の 励 ましを 感 じ 物 事 に 一 生 懸 命 取 り 組 む 子 どもたちがこれからも 互 いを 思 いやる 心 を 大 きく 伸 ばしていって 欲 しいと 願 っています 暁 星 学 園 発 祥 記 念 碑 10 月 31 日 建 立 ( 同 窓 会 だより をお 読 みください) 暁 星 学 園 は 明 治 21 年 (1888 年 ) マリア 会 宣 教 師 によって 現 在 のカトリッ ク 築 地 教 会 の 地 において 開 校 されまし た 当 時 その 一 帯 は 築 地 居 留 地 と 言 わ れ 慶 應 義 塾 大 学 明 治 学 院 大 学 女 子 学 院 青 山 学 院 大 学 立 教 大 学 立 教 女 学 院 雙 葉 学 園 暁 星 学 園 関 東 学 院 女 子 聖 学 院 工 学 院 大 学 アメリカンスクー ル 聖 路 加 看 護 大 学 のそれぞれの 前 身 校 13 がありました 全 国 大 会 3 連 覇 中 高 の 競 技 かるた 部 すごーい あっぱれ!! 快 挙 講 堂 の 脇 にある 垂 れ 幕 をご 覧 になった 方 も 多 いと 思 います( 実 は 幕 はもう1 枚 早 稲 田 通 り 側 にもありました) 7 月 の 夏 休 みの 初 めに 滋 賀 の 近 江 神 宮 で 開 催 された 第 32 回 全 国 高 校 小 倉 百 人 一 首 かるた 選 手 権 大 会 が 行 われました いわゆる かるたの 甲 子 園 です 決 勝 で 静 岡 の 富 士 高 校 との 接 戦 を 制 し 今 年 も 優 勝 全 国 大 会 3 連 覇 の 競 技 かるた 部 ですが 実 は 優 勝 した 高 3 生 徒 5 名 は 高 1の 時 も 高 2の 時 も 全 国 大 会 優 勝 したメンバー この 素 晴 らしい5 人 の 勇 者 に 大 拍 手!! マリア 会 本 部 から 2 人 の 訪 問 者 10 月 中 旬 暁 星 学 園 の 経 営 母 体 であ るカトリックマリア 会 からフェティス 神 父 とアルビラ 修 道 士 が 訪 日 し 札 幌 光 星 など 姉 妹 校 を 訪 れた 後 10 月 26 日 か ら 暁 星 を 視 察 しました 暁 星 では 26 日 ( 火 )に 学 園 の 教 職 員 に 対 し 翌 27 日 ( 水 )には 中 高 生 徒 に 対 し 講 話 がありま した フランス 人 留 学 生 2 名 暁 星 で 短 期 留 学 フランスとの 交 換 留 学 生 スキーム( 日 仏 高 等 学 校 ネットワーク:コリブリ)に よる 2010 年 短 期 留 学 が 10 月 23 日 から 11 月 12 日 の 間 実 施 されました 今 年 は 総 勢 52 名 ( 男 子 7 名 女 子 45 名 )が 来 日 し 全 国 各 地 のフランス 語 を 教 えている 学 校 に 短 期 留 学 しまし た そのうち 暁 星 には 高 2クラスにドゥ ニ クレマン 君 と 高 1クラスにドュボワ リュカ 君 の2 名 が 来 ました 本 当 に 短 い 期 間 でしたが 日 仏 の 情 報 交 換 とともに 友 情 が 芽 生 える3 週 間 でした 富 士 高 校 との 接 戦 を 制 した 決 勝 戦 の 模 様 秋 の 行 事 は 予 定 通 りに 運 動 会 文 化 祭 子 どもたちが 目 を 輝 かせた 大 きな 鉄 道 ジオラマ 昨 年 は 新 型 インフルエンザの 猛 威 によ り 多 くの 秋 の 学 園 行 事 が 中 止 という 事 態 に 追 い 込 まれました 今 年 は 天 候 には 翻 弄 されましたが 無 事 実 施 できました 小 学 校 の 運 動 会 は 雨 による 順 延 のため に 幼 稚 園 の 運 動 会 と 同 日 の 10 月 11 日 に 開 催 中 高 の 上 のグラウンドでは 幼 稚 園 が 小 学 校 のグラ ウンドでは 小 学 校 が 両 方 にお 子 様 のいらっしゃ る 保 護 者 はてんてこ 舞 い の1 日 でした また 中 高 の 文 化 祭 は 10 月 2 日 ( 土 ) 3 日 ( 日 ) 開 催 さ れました こちらは 天 候 にも 恵 まれ 6700 名 ( 主 催 者 側 発 表 )のお 客 様 を お 迎 えしました 昨 年 中 止 となった 分 も 含 め 全 開 パワーの 文 化 祭 でした 3
山 仲 間?ではなく 合 宿 中 の 水 がつなぐ 仲 間 たち 水 泳 部 水 がつなぐ 心 と 心 絆 は 強 く 長 く 水 泳 部 が 部 員 に 求 めているもの そ れは 次 の2 点 に 集 約 される 水 泳 が 好 きであること そして 部 の 仲 間 や 先 輩 後 輩 と 共 に 過 ごす 時 間 が 好 きであるこ と そのいずれか 一 方 あるいは 両 方 が あてはまる 者 すべてに 対 し 水 泳 部 は 門 戸 を 開 いている クラブ 活 動 は 最 上 級 生 である 高 2が 中 心 となって 活 動 計 画 を 立 て 後 輩 の 世 話 や 指 導 に 携 わりつつ 自 らの 泳 力 向 上 とタイム 短 縮 を 図 っている 初 代 顧 問 平 田 濱 造 先 生 の 名 を 冠 する 平 田 賞 獲 得 が すべての 部 員 の 密 かな 野 望 でもある 水 がつなぐ 心 と 心 それ は 端 で 見 るよりも 強 い 絆 で 結 ばれてお り 卒 業 後 暁 星 の 学 舎 を 離 れた 後 も 末 永 く 続 いている 剣 道 部 礼 に 始 まり 礼 に 終 わる 初 心 者 でも 有 段 者 で 卒 業 剣 道 部 では 中 学 生 から 高 校 生 までの 約 40 名 が 揃 って 月 水 土 曜 日 の 放 課 後 に 練 習 しています 月 水 曜 日 は 外 部 のコーチをお 迎 えし 初 心 者 から 道 場 に 通 っている 経 験 者 まで 幅 広 く 指 導 して 頂 いております 中 学 から 剣 道 を 始 める 生 徒 も 各 自 昇 段 試 験 などを 受 け 有 段 者 となって 卒 業 していきます 礼 に 始 まり 礼 に 終 わる 剣 道 は 礼 儀 や トレーニング 研 究 部 創 部 3 年 目 の 新 しいクラブ 様 々な 目 的 を 持 った 生 徒 が 一 つに 生 徒 それぞれに 目 的 をもってトレーニングに 励 む トレーニング 研 究 部 は 創 部 3 年 目 の 新 しいクラブです 学 外 で 競 技 をして いる 生 徒 怪 我 をしてリハビリが 必 要 な 生 徒 など 様 々です 一 口 にトレーニ ングと 言 ってもその 目 的 により 方 法 は 様 々で それらについての 実 践 と 研 究 が 部 の 二 本 の 柱 です 作 法 防 具 の 取 り 扱 いなどについて 厳 し い 一 面 を 持 つスポーツですが 生 徒 たち は 皆 楽 しそうに 元 気 よく 練 習 に 励 んでい ます 今 後 とも 人 間 的 な 成 長 の 助 けとな るように 見 守 ってゆきたいと 思 います 厳 しさのなかにも 楽 しく 元 気 に 部 活 動 として 機 能 し 始 めた 頃 生 徒 たちの 気 持 ちの 部 分 に 変 化 が 現 れたよ うに 感 じました それはクラブへの 帰 属 意 識 によってもたらされる 精 神 面 の 安 定 です 大 半 の 部 員 が 以 前 は 別 のクラブに 所 属 しており それぞれの 事 情 により 退 部 を 経 験 しています そこに 挫 折 や 喪 失 感 後 悔 があったこと は 容 易 に 想 像 できます 新 し い 居 場 所 を 見 つけられて 安 心 を 得 た 者 過 去 の 失 敗 を 素 直 に 認 め 反 省 することができた 者 など 様 々です 万 事 が 順 調 とはとても 言 えません 部 活 動 の 正 しい 在 り 方 とはどのような ものなのか 顧 問 自 身 が 考 え 込 んでし まうような 日 もありますが トレーニ ングと 同 じで 結 果 を 焦 りすぎないこと も 大 切 なのだと 考 えています 1 枚 ごとにみるみる 上 達 していく 小 学 校 油 絵 クラブ 子 どもたちの 感 性 を 大 切 に テクニックよりもまず 楽 しむ 絵 は 描 く 者 の 内 面 を 映 すと 思 います 同 じモチーフを 前 にしても 描 き 上 がっ た 絵 にはそれぞれの 個 性 がしっかり 表 れ ているからです 油 絵 初 心 者 の 子 どもたちには テク ニックよりもまず 油 絵 に 親 しむこと 油 絵 を 楽 しむことを 第 一 に 伝 えていきま す 子 どもたちの 感 性 を 大 切 に 臆 する ことなく 筆 を 進 めていくよう 声 をかけま す 良 いところはほめ ちょっとしたア ドバイスを 添 えると 子 どもたちは 自 信 を 持 って 描 いていきます 1 枚 描 き 上 げる ごとにみるみる 上 達 していく 荒 削 り ながら1つ1つの 絵 に 心 引 かれるのは 子 どもたち 自 身 の 魅 力 によるところかも しれません 4
2 学 期 は 多 くの 学 園 行 事 がおこなわれる 時 期 です 今 年 の 幼 稚 園 小 学 校 の 運 動 会 は なんとなんと 同 じ 日 に 開 催 また 中 高 では1 年 ぶりに 文 化 祭 が 行 われました 学 期 2 学 期 月 10 月 運 動 会 芋 掘 り 遠 足 幼 稚 園 小 学 校 中 学 高 等 学 校 全 校 ミサ おにぎりの 日 運 動 会 那 須 合 宿 (4 年 ) 参 観 日 初 金 文 化 祭 外 部 テスト( 高 3) 入 試 説 明 会 中 間 試 験 学 年 ミサ 文 化 祭 に 飾 り 付 けられた 正 門 11 月 入 園 テスト 一 日 動 物 村 七 五 三 の 集 い 入 学 試 験 中 学 進 学 試 験 創 立 記 念 日 式 典 保 護 者 会 学 校 説 明 会 研 修 旅 行 ( 中 3) 校 外 学 習 実 力 テスト( 高 3) 12 月 星 の 子 コンサート クリスマスの 集 い サッカー 大 会 クリスマスの 集 い 期 末 試 験 ソダリティー クリスマスミサ 3 学 期 1 月 始 業 式 おもちつき 後 援 会 文 化 講 演 会 後 援 会 新 春 懇 親 会 始 業 式 保 護 者 会 シャミナード デー 後 援 会 文 化 講 演 会 後 援 会 新 春 懇 親 会 始 業 式 実 力 テスト( 中 1 高 2) 後 援 会 文 化 講 演 会 後 援 会 新 春 懇 親 会 保 護 者 会 サッカー 大 会 2 月 親 子 劇 遊 びの 日 星 の 子 お 楽 しみの 日 星 の 子 なかよしの 日 一 日 コックさん 参 観 日 修 学 旅 行 (6 年 ) スキー 教 室 (5 年 ) 校 外 学 習 (1 年 4 年 ) 音 楽 会 中 学 入 学 試 験 外 部 テスト( 高 1 高 2) 生 徒 会 行 事 役 員 選 挙 編 入 試 験 百 人 一 首 団 体 戦 ( 中 2) 3 月 修 了 を 祝 う 会 修 了 式 春 休 み おにぎりの 日 サッカー 大 会 感 謝 ミサ 修 了 式 卒 業 式 春 休 み 学 年 末 試 験 高 校 卒 業 ミサ 卒 業 式 中 学 卒 業 ミサ 卒 業 式 ソダリティー 春 休 み 力 強 い 演 技 を 見 せてくれた 小 学 校 の 運 動 会 幼 稚 園 のお 芋 掘 り 大 きなサツマイモが ゴロンゴロンと 土 の 中 から 出 てきました 5
暁星学園発祥の地に記念碑建立 暁星学園同窓会 会長 浅尾空人 れたと 私は両親に心より感謝しております 授業時間数は少なかったものの 卒業までの宗 教の授業で教えられた 愛 という言葉 人を 暁星学園発祥記念碑 愛する 人を許す 人のため社会のために尽く す 等 この言葉が私の心の中に卒業以来ずっ 平成22年10月31日 暁星学園発祥記念碑 の と染み込んでいる感じがしており 今でも驚き 除幕式が行われました 創立から122年経った今 とともに 感謝の気持ちが一杯で いつまでも 年 学園と共同で築地明石町築地教会前に記念 大切にしたいと思っております 碑を設置することができた記念する日になりま いま 社会では毎日凄惨な事件が日常茶飯事 した これも暁星学園 同窓会 中央区 築地 のごとく報道されております 今こそ暁星の建 教会 地元の多数の皆様のご協力の賜と感謝い 学の精神を より強く表す時ではないかと思わ たします れてなりません この素晴らしい 記念碑 の 今年は同窓会創立110周年になりますが 記念 建立を契機に 一つの課題ができたような気が 碑の建立に併せて創立110周年記念事業として しております 暁星学園発祥の地 の記念誌も発行することが この記念碑を訪れる皆さんが これらのこと でき 同窓会としても大変喜ばしい年となりま をぜひ思い出していただけたらと思っています した 122年前 江戸から明治に変わり まだ社会全 体が混乱していた時 日本の青少年教育のため 建学の精神を胸に 遠くフランスから来日され た5人の宣教師の方々が 大変な苦労を重ね 今日の暁星学園の礎を築きました そして 暁星学園の今日までの歴史の中で 素晴らしい卒業生を多数世の中に送り出してき ました その教育理念が社会貢献に役立ってい ることを物語っています 数ある学校の中から よくぞ暁星を選んでく 暁星学園の前身 家塾 は築地教会の神学校 写真右の建物 の一部を借りてはじまった 暁 星 学 園 報 第 10 号 発行日 2010 年 12 月1日 発行者 田 上 保 幸 発行所 暁星学園事務室 6