日 本 近 現 代 文 学 におけるタイ 表 象 の 研 究 トリラッサクルチャイ タナポーン
2014 年 2 月 比 較 社 会 文 化 学 府
目 次 序 章 ------------------------------------------------------------- 1 1 タイの 表 象 研 究 の 前 提 として 1 2 タイのイメージ/ 表 象 に 関 する 研 究 3 3 各 章 の 概 要 5 第 1 部 メディアの 中 のタイ 第 1 章 読 売 新 聞 におけるタイ ----------------------------------- 10 1 はじめに 10 2 明 治 大 正 期 11 3 戦 前 昭 和 期 16 4 戦 後 昭 和 平 成 期 18 5 まとめ 22 第 2 章 タイ 国 旅 行 日 本 人 旅 行 者 たちは 何 を 見 たのか ----------- 24 1 はじめに 24 2 シャムへの 旅 25 3 探 検 時 代 から 冒 険 時 代 へ 28 4 タイに 渡 航 する 特 派 員 31 5 タイ 旅 行 自 由 化 のはじまり 36 6 まとめ 40 第 2 部 日 本 近 代 文 学 におけるタイ 表 象 第 3 章 山 田 長 政 関 連 のテクストにおけるシャム ----------------------- 44 1 はじめに 44 2 山 田 長 政 テクストについて 45 3 遅 塚 麗 水 少 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 47 4 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 57 5 遠 藤 周 作 王 国 への 道 山 田 長 政 63 6 まとめ 70
第 4 章 南 方 徴 用 作 家 の タイ アジア 太 平 洋 戦 争 下 の 日 タイ 表 象 75 1 はじめに 75 2 徴 用 作 家 が 見 たバンコク 76 3 タイ 人 への 眼 差 し 78 4 チャイヨー と 叫 ぶタイ 人 80 5 タイ 文 学 における 日 本 軍 の 表 象 82 6 まとめ 88 第 5 章 1970-1980 年 代 のミステリー 小 説 におけるタイ ----------------- 91 1 はじめに 91 2 太 平 洋 戦 争 の 記 憶 93 3 癒 しの 空 間 から 危 険 な 空 間 へ 96 4 救 われる 女 性 たち 100 5 ミステリー 小 説 におけるタイ 103 第 6 章 村 上 春 樹 タイランド から 見 た タイ --------------------- 106 1 はじめに 106 2 根 というものがない さつき 108 3 バンコクからリゾートの 空 間 へ 110 4 未 開 地 の 老 女 の 予 言 112 5 タイランド におけるタイ 115 終 章 -------------------------------------------------------------- 118 1 明 治 大 正 期 の シャム 118 2 アジア 太 平 洋 戦 争 期 の タイ 119 3 アジア 太 平 洋 戦 後 期 の タイ 120 4 平 成 期 (1990 年 代 )の タイランド 121 主 要 参 考 文 献 ------------------------------------------------------ 123
序 章 1 タイの 表 象 研 究 の 前 提 として 本 研 究 の 目 的 は 明 治 期 から 1990 年 代 の 日 本 近 現 代 文 学 におけるタイの 語 られ 方 を 考 察 することで 近 代 以 降 の 日 タイ 関 係 におけるタイ 表 象 はどのように 語 られてきたのかを 考 えることである 日 本 とタイが 正 式 に 国 交 を 結 んだのは 明 治 20 年 であったが さらに 600 年 前 にさかのぼれば 日 本 とタイの 御 朱 印 船 貿 易 が 行 われていた 長 い 交 流 の 歴 史 の 上 に 多 くの 日 本 の 文 献 でタイは 様 々に 語 られてきた 具 体 的 な 例 を 挙 げると 例 えば 山 田 長 政 テクストの 舞 台 としてのタイや 時 代 などのモチーフは 共 通 していても タイについての 語 り 方 はそれぞれ 相 違 している ここから 見 ると 山 田 長 政 テクストなどの 日 本 の 文 献 は タイの 本 質 を 語 れば タイの 語 り 方 は 全 て 統 一 すべきである しかし 日 本 の 新 聞 記 事 や 旅 行 記 や 小 説 などの 文 献 におけるタイは 語 る 人 の 知 識 や 価 値 観 などによって 描 写 されているため それぞれ 異 なる 表 象 となっているのである 表 象 (レプレゼンテーション)とは 眼 の 前 に 存 在 しない 実 在 あるいは 自 らを 表 せな い 実 在 を 表 す 行 為 あるいはその 代 理 となる 行 為 を 指 す 1 ということは 表 象 は 他 者 へ の 眼 差 しと 関 わっている 何 か モノ を 見 る にあたって その モノ は 眼 の 前 に 存 在 しなくても 根 本 として 位 置 付 けられる 概 念 (あるいは 意 味 )が 見 る 者 によっ て 作 成 される モノ に 意 味 を 付 与 する 際 には 意 味 作 用 システム を 使 わなければ ならない 意 味 作 用 システムとは 言 語 から 法 ルール 常 識 習 慣 儀 式 流 行 などに 至 る まで 世 界 を 構 成 する 物 出 来 事 行 為 人 々などといった モノ に 意 味 を 付 与 す るためのあらゆる 体 系 を 指 す それは 第 一 義 に 人 々が 物 出 来 事 ( 自 らを 含 め た) 人 間 のことを 学 び 話 すことを 可 能 にする 体 系 として 捉 えられる その 体 系 は 特 定 の 時 間 や 空 間 での 社 会 的 構 築 物 であり 時 代 や 地 域 などの 社 会 状 況 や 人 々の 生 活 様 式 が 異 なれば 内 容 がそれぞれ 異 なるものでもある また そのようなシステムとシステ ムの 間 には 強 度 の 差 があり あるシステムは 別 のシステムに 従 属 してサブ システム 化 していたり あるシステムと 別 のシステムは 互 いに 対 立 しあったりもしている つ まり 強 度 の 差 こそあれ システムの 数 だけ モノ にも 複 数 の 意 味 が 付 与 されてい る ( 小 暮 修 三 アメリカ 雑 誌 に 映 る 日 本 人 オリエンタリズムへのメディア 論 的 接 近 青 弓 社 2008 年 12 月 ) 1 REPRESENTATION 表 象 (ジョゼフ チルダーズ ゲーリー ヘンツィ 編 コロンビア 大 学 現 代 文 学 文 化 批 評 用 語 辞 典 杉 野 健 太 郎 中 村 裕 英 丸 山 修 訳 松 柏 社 2002 年 4 月 ) 1
意 味 作 用 システム において モノ そのものに 唯 一 不 変 の 真 の 意 味 が 内 在 する わけではない 社 会 や 歴 史 などによって 異 なる 意 味 作 用 システム に 応 じて 意 味 が 生 成 されるのである 具 体 的 な 例 として 赤 い 服 という モノ は 中 国 においては 赤 色 が 最 も 縁 起 が 良 い 色 であるため 旧 正 月 に 赤 い 服 を 着 る これに 対 して 西 洋 の 国 の 人 に とって 赤 い 服 といえば サンタクロースを 連 想 させる 一 方 タイで 赤 い 服 は 民 主 党 と 対 立 するタクシン 元 首 相 派 の 政 治 的 シンボルである このように 赤 い 服 が 持 つ 意 味 合 いは それぞれの 文 化 における 意 味 作 用 システム の 違 いに 応 じて 異 なっている 赤 い 服 それ 自 体 に 固 定 的 な 真 の 意 味 があるわけではない また この 意 味 作 用 シス テム は 知 識 を 持 つ 支 配 集 団 が 規 定 する 意 味 や 価 値 など 諸 制 度 によって 知 識 を 持 たない 従 属 集 団 をコントロールする 機 能 もある これについて スチュアート ホー ルはイギリスの 黒 人 についての 例 を 挙 げている ホールによれば イギリスの 黒 人 は 周 縁 的 で 劣 等 な 存 在 の 表 象 として 支 配 集 団 である 白 人 によって 構 築 され そして その 表 象 は メディアによってステレオタイプ 化 された 黒 人 の 否 定 的 な 表 象 は 黒 人 のアイデン ティティ 構 築 に 構 成 的 役 割 を 果 たして( 中 略 )できるだけ 真 正 性 をもたらす 2 のであり それによって 支 配 集 団 の 利 益 が 保 障 されるのである 支 配 集 団 によって 構 築 された 表 象 に 抵 抗 するため まずその 表 象 を 分 析 する 必 要 がある これは エドワード サイードが 西 洋 の 植 民 地 主 義 者 に 構 成 された 東 洋 の 表 象 オリエンタル つまり オリエンタリズム について 批 判 している 通 りである サイードによれば 東 洋 人 は 非 合 理 的 で 下 劣 で( 堕 落 していて) 幼 稚 で 異 常 である したがって ヨーロ ッパ 人 は 合 理 的 で 有 徳 で 成 熟 しており かつ 正 常 であるということになる 3 と いう 西 洋 人 によるステレオタイプ 化 され 表 象 が 固 定 化 された こうして 東 洋 と 西 洋 の 関 係 性 は 支 配 者 被 支 配 者 という 二 項 対 立 化 された 表 象 に 基 づくのである タイと 日 本 の 関 係 を 見 れば タイはアジア 太 平 洋 戦 争 中 に 日 本 によって 軍 事 的 に 侵 攻 された 過 去 があり 戦 後 においても 日 本 企 業 が 進 出 し 経 済 的 に 支 配 された 一 面 がある し かし そうした 支 配 被 支 配 の 構 図 は 従 来 のタイ 日 関 係 についてのタイ 日 双 方 の 研 究 において 日 中 関 係 や 日 韓 関 係 における 同 種 の 研 究 に 比 して それほど 問 題 視 されてこ なかった ただし タイ 側 から 見 れば 日 本 の 影 響 力 は おそらく 一 般 に 日 本 人 が 想 像 す る 以 上 に 大 きい その 日 本 が 近 代 においてタイをどのように 把 握 し 表 現 してきたのか その 表 象 のあり 方 を 新 聞 紀 行 旅 行 記 および 文 芸 作 品 を 中 心 的 な 素 材 として 考 察 するこ とが 本 論 の 具 体 的 な 内 容 となる 文 学 は 帰 属 する 社 会 や 文 化 を 通 して 成 立 する 一 つのメディアであり 読 者 は 文 学 作 品 の 中 から 時 代 性 社 会 性 文 化 性 の 反 映 を 読 み 取 ることができる また それぞれの 文 学 作 品 は 個 別 の 要 素 や 想 像 力 の 要 素 によってそれぞれのタイイメージを 生 成 しながら 同 時 に それらのイメージの 集 積 から 全 体 的 な 表 象 をもたらすため 文 学 作 品 を 分 析 することは 不 2 ジェームス プロクター シリーズ 現 代 思 想 ガイドブック スチュアート ホール ( 小 笠 原 博 毅 訳 青 土 社 2006 年 2 月 ) 3 エドワード W サイード 平 凡 社 ライブラリー11 オリエンタリズム 上 ( 今 沢 紀 子 訳 平 凡 社 2002 年 2 月 ) 2
可 避 なのである このように 日 本 の 時 代 性 社 会 性 文 化 性 におけるタイの 表 象 を 読 む ため 本 論 では 明 治 期 から 1990 年 代 までタイを 舞 台 とした 日 本 近 現 代 文 学 作 品 を 研 究 対 象 として 取 り 上 げる 江 戸 末 期 から 明 治 期 にかけての 日 本 は 西 洋 文 化 の 流 入 に 従 って 新 し い 知 識 新 しい 社 会 観 文 化 観 などを 取 り 入 れ 様 々な 国 と 交 流 することによって 日 本 という 近 代 国 民 国 家 を 形 成 した つまり 近 代 国 民 国 家 として 位 置 づけるため 国 家 ではないもの ( 外 国 )が 排 除 されなければならない このように 明 治 期 は 外 国 の 概 念 が 作 り 出 された 時 期 なのである また 日 本 とタイの 関 係 は 明 治 20 年 (1887 年 )に 公 式 な 外 交 関 係 を 結 んだため タイ 表 象 を 考 察 する 際 に 表 象 の 出 発 点 から 検 討 する 必 要 が ある 明 治 期 からの 長 い 交 流 の 中 でタイは 日 本 により 様 々な 表 象 を 押 し 付 けられてきた 1985 年 のプラザ 合 意 後 海 外 旅 行 は 一 般 化 され タイを 訪 れる 日 本 人 旅 行 者 も 急 増 した しか し 1980 年 代 の 日 本 人 旅 行 者 が 見 たタイは 買 春 の 街 や 麻 薬 生 産 地 といったタイにとって 好 ましくないイメージが 強 い これらのイメージを 払 拭 するため 1987 年 にタイ 国 政 府 観 光 局 ( 現 在 タイ 国 政 府 観 光 庁 )がタイ 文 化 やビーチなどの 観 光 地 を 宣 伝 する タイ 観 光 年 というキャンペーンを 打 ち 出 して 成 功 し 観 光 客 を 誘 致 するためにタイ 観 光 開 発 を 全 国 的 に 推 進 した このように 1990 年 代 のタイは 以 前 のように 外 国 に 見 られるタイ か ら 見 せるタイ に 変 化 した 時 代 なのである 以 上 のように 本 論 の 研 究 対 象 の 期 間 はタ イ 表 象 が 作 り 出 された 明 治 期 から 1990 年 代 までとする 2 タイのイメージ/ 表 象 に 関 する 研 究 タイのイメージ 研 究 については ファンスワン ノップマット SMILES OF DECEIT : FARANGS AND THE IMAGINING OF THAILAND IN COMTEMPORARY WESTERN NOVELS (チュ ラーロンコーン 大 学 文 学 部 比 較 文 学 学 科 2008 年 )という 博 士 論 文 がある ファンスワン は 1989 年 から 2004 年 までのタイを 舞 台 とした タイ 人 の 女 主 人 公 と 西 洋 人 の 男 主 人 公 が 登 場 する ロマンスの 要 素 がある 西 洋 文 学 4 (イギリス アメリカ カナダ)におけるタイ のイメージについて 考 察 している ファンスワンは 西 洋 文 学 でタイ 人 女 性 と 西 洋 人 男 性 は ネオン 街 (red light zone) というタイで 男 女 関 係 を 展 開 する タイ 人 女 性 にとっ て 西 洋 人 男 性 にサービスすることは 彼 女 たちの 仕 事 だと 見 なされている 一 方 西 洋 人 男 性 にとって タイ 人 女 性 のサービスは 西 洋 人 に 対 する 愛 情 があるためだと 思 われてい る ノップマットは このような 関 係 の 中 で 現 代 の 西 洋 社 会 にない 男 性 至 上 主 義 的 な タイ 人 女 性 のサービスを 受 けることは 西 洋 人 男 性 がタイに 求 めるものと 等 価 であるとを 指 摘 している 4 Collin Piprell Bangkok Knights (1989 カナダ) David Young The Scribe (2000 イギリス) Christopher G. Moore Minor Wife (2002 カナダ) David Young Thailand Joy (2002 イギリス) J.F. Gump Even Thai Girls Cry (2003 アメリカ) Phillip J Cunningham Peacock Hotel (2004 アメリカ) Andrew Hicks Thai Girl (2004 イギリス) Stephen Leather Private Dancer (2004 イギリス)がが 挙 げられている 3
一 方 日 本 文 学 ではタイを 舞 台 とした 文 学 作 品 は 第 二 次 世 界 大 戦 前 には 山 田 長 政 を 扱 った 作 品 以 外 にあまり 例 はない 戦 後 になるとタイを 舞 台 にした 作 品 が 書 かれていくが 日 本 文 学 におけるタイのイメージや 表 象 研 究 はまだ 盛 んとは 言 えないのである 日 本 文 学 におけるタイのイメージ 研 究 の 先 駆 者 は 江 戸 期 のシャムのイメージを 検 討 したラッダ ー ケーウリッデージ 5 である ラッダーは 寺 島 良 安 和 漢 三 才 図 会 (1712 年 ) 宗 心 天 竺 徳 兵 衛 物 語 ( 制 作 年 不 明 ) 木 下 八 石 衛 問 暹 羅 國 山 田 氏 興 亡 記 ( 制 作 年 不 明 ) 暹 羅 國 風 土 軍 記 ( 作 者 不 明 制 作 年 不 明 )におけるシャムのイメージを 考 察 している ラッダーによると 江 戸 時 代 にはシャムに 渡 った 人 たちが 自 らの 経 験 をもとに 書 いた 書 物 は 存 在 したが それらは 江 戸 幕 府 の 政 策 もあり ほとんど 読 まれることはなかった その ため 当 時 のシャムのイメージは シャムの 体 験 談 よりも 主 に 中 国 の 書 籍 によって 形 成 さ れており 珍 妙 で エキゾチックなイメージとなっていると 指 摘 している ラッダーの 結 論 に 合 致 する 原 田 実 山 田 長 政 伝 説 を 作 った 侠 ( 新 潮 45 2004 年 3 月 )でも 水 滸 伝 に 注 目 して 水 滸 伝 の 中 のシャムについて 暹 羅 は 必 ずしも 山 田 長 政 のシャム すなわちこんにちのタイではない それは 単 に 遠 い 遠 い 国 であり あるいはいっそ どこにもない 国 の 謂 である ( 中 略 ) 山 田 長 政 のシャム もまた 日 本 人 にとっての 遠 い 遠 い 国 どこにもない 国 だったのではないだろうか と 述 べられている この ように 江 戸 期 のシャム 像 は 山 田 長 政 に 関 する 文 献 を 中 心 に 形 成 され どこにもない 国 遠 い 遠 い 国 として 捉 えられていたのである 土 屋 了 子 6 は 江 戸 期 から 1990 年 代 までの 山 田 長 政 の 文 献 を 調 査 し 山 田 長 政 のイメージ と 日 タイ 関 係 について 研 究 している 土 屋 によれば 明 治 期 の 山 田 長 政 像 はアジア 主 義 や 南 進 論 を 実 践 した 模 範 として 位 置 づけられ 1940 年 代 には 戦 争 遂 行 という 政 治 目 的 のため に 歪 められている しかし 戦 後 になると 神 話 化 された 山 田 長 政 像 が 見 られなくなると いう 山 田 長 政 像 については 久 保 田 裕 子 7 も 日 清 戦 争 期 に 発 表 された 山 田 長 政 については 伝 説 的 に 人 物 が 召 喚 されたと 考 えられるが 暹 羅 の 国 や 人 に 関 する 描 写 は 殆 ど 見 ら れない と 指 摘 し また 昭 和 10 年 代 に 書 かれた 山 田 長 政 についても 殆 どが 現 地 を 訪 れ ずに 書 いたという 制 約 もあり 対 象 の 思 いがけない 姿 を 知 り 驚 きと 共 に 描 くというより は 見 る 側 ( 書 き 手 側 )の 欲 望 を 他 者 の 姿 に 反 映 させるものとなっている とする その 上 で 戦 前 期 の 山 田 長 政 にはタイのイメージよりも 南 洋 のイメージが 投 影 されている と 指 摘 している 久 保 田 裕 子 には 1960 年 代 に 発 表 された 三 島 由 紀 夫 暁 の 寺 を 取 り 上 げ 暁 の 寺 におけるタイ 国 表 象 について 分 析 した 論 8 もあり タイという 場 所 をエロス 的 な 魅 惑 に 満 5 ล ดดา แก วฤทธ เดช. รายงานการว จ ยเร องภาพล กษณ สยามประเทศท ปรากฏในวรรณคด ญ ป นช วงศตวรรษท 17-18. รายงานการว จ ยในโครงการว จ ยท นพ ฒนาอาจารย ใหม / น กว จ ย ใหม กองท นร ชดาภ เษกสมโภช จ ฬาลงกรณ มหาว ทยาล ย, 2546. 6 土 屋 了 子 山 田 長 政 のイメージと 日 タイ 関 係 ( アジア 太 平 洋 討 究 2003 年 3 月 ) 7 久 保 田 裕 子 近 代 日 本 における タイ イメージ 表 象 の 系 譜 昭 和 10 年 代 の 南 洋 へのまなざし ( 立 命 館 言 語 文 化 研 究 2010 年 1 月 ) 8 詳 しくは 久 保 田 裕 子 王 妃 の 肖 像 三 島 由 紀 夫 暁 の 寺 におけるタイ 国 表 象 ( 福 岡 教 育 大 学 国 語 科 研 究 論 集 2011 年 2 月 )を 参 照 4
ちた 女 性 のジェンダーやセクシュアリティと 結 びつけて 表 象 する 9 と 指 摘 している メ ータセート ナムティップ 10 は 三 島 由 紀 夫 暁 の 寺 から 1980-1990 年 代 のタイを 舞 台 とした 日 本 文 学 作 品 宮 本 輝 愉 楽 の 園 嵐 山 光 三 郎 蘭 の 皮 膜 山 田 詠 美 天 国 の 右 手 佐 藤 亜 有 子 ボディ レンタル 辻 仁 成 サヨナライツカ を 取 り 上 げ 舞 台 となったタイの 表 象 には まなざす 側 = 旅 人 の 心 像 欲 求 などが 投 影 されており 主 人 公 である 日 本 人 のロマンスや 空 想 を 盛 り 上 げるための 舞 台 装 置 として 現 実 のタイの 姿 とは 似 ても 似 つかないような よりエキゾチック( 時 にはグロテスク)で より 官 能 的 な オリエンタル としてのイメージが 創 造 され 強 調 された 11 と 論 じている 以 上 のように 江 戸 期 から 戦 前 戦 中 にかけての 山 田 長 政 に 関 する 作 品 や 1960 年 代 の 三 島 由 紀 夫 暁 の 寺 1970-1980 年 代 のロマンス 小 説 1990 年 代 に 発 表 された 村 上 春 樹 タ イランド 12 などの 戦 後 の 文 学 作 品 が 中 心 となっている しかし ロマンス 小 説 以 外 の 他 の ジャンルの 文 学 や 戦 時 中 の 日 本 文 学 などにも タイのイメージは 描 写 されており それ らを 総 合 的 に 検 討 する 必 要 がある 旅 行 記 などのメディアや 戦 時 中 の 文 学 作 品 や ロマ ンス 小 説 以 外 の 他 のジャンルの 文 学 作 品 を 取 上 げ 総 合 的 に 検 討 することで 日 本 近 現 代 文 学 におけるタイ 表 象 の 問 題 を 多 角 的 から 全 円 的 に 描 き 出 したい なお タイ 国 はかつて シャム( 暹 羅 ) と 呼 ばれていたが 1939 年 に シャム を タ イ に 改 称 した 本 論 では 1939 年 以 前 のタイは シャム とし 1939 年 以 降 のタイは タ イ と 記 述 する 広 義 のタイは タイ と 記 述 する 3 各 章 の 概 要 本 論 は 明 治 期 から 1990 年 代 にかけてのタイを 舞 台 とする 日 本 近 代 文 学 作 品 タイについ ての 報 道 記 事 タイについての 紀 行 旅 行 記 を 対 象 として それらのメディアにおけるタ イの 表 象 はどのように 構 築 されたのかを 分 析 し タイ 表 象 の 変 容 を 明 らかにすることを 目 的 とする 本 論 は 2 部 6 章 の 構 成 である 第 1 部 メディアの 中 のタイ では タイにつ いての 一 般 的 な 情 報 を 伝 える 新 聞 や 現 地 を 実 際 に 訪 れた 記 録 である 旅 行 記 などの 資 料 を 中 心 に 検 討 する 第 2 部 日 本 近 現 代 文 学 におけるタイ では 小 説 というフィクションに おいてどのような 特 色 が 見 られるかを 検 討 する 第 一 部 第 二 部 ともに 検 討 の 範 囲 は 明 治 期 から 1990 年 代 にかけてである まず 第 1 部 メディアの 中 のタイ は 第 1 章 と 第 2 章 から 成 る 第 1 章 では 読 売 新 聞 に 掲 載 されているタイに 関 する 記 事 を 取 り 上 げる 第 2 章 では タイについての 観 9 久 保 田 裕 子 近 代 日 本 における タイ イメージ 表 象 の 系 譜 昭 和 10 年 代 の 南 洋 へのまなざし ( 立 命 館 言 語 文 化 研 究 2010 年 1 月 ) 10 メータセート ナムティップ 日 本 文 学 にみるタイ 表 象 オリエンタリズムのまなざしから 観 光 のまなざしへ ( 立 命 館 言 語 文 化 研 究 2010 年 1 月 ) 11 注 10 に 同 じ 12 村 上 春 樹 タイランド についての 先 行 研 究 は 第 2 部 第 6 章 を 参 照 5
光 メディアを 取 り 上 げる ニュースや 観 光 体 験 記 におけるタイの 表 象 はどのように 形 成 さ れたのかという 問 題 を 解 明 することを 目 的 としている 第 1 章 では 1874 年 ( 明 治 7 年 ) 創 刊 の 読 売 新 聞 におけるタイ 関 係 の 記 事 を 検 討 す る 情 報 を 日 々 記 録 する 新 聞 は 読 者 だけではなく 他 のメディアにも 大 きな 影 響 を 与 えて いる そこで 本 章 では 代 表 的 な 大 衆 向 けの 新 聞 である 読 売 新 聞 を 通 して 明 治 期 から のタイの 社 会 現 象 を 大 まかに 紹 介 しながら タイに 関 する 記 事 の 中 で 特 別 連 載 記 事 話 題 になって 連 続 掲 載 された 記 事 を 中 心 として これらの 記 事 を 検 討 することで 大 きく(1) 明 治 大 正 期 (2) 戦 前 昭 和 期 (3) 戦 後 昭 和 平 成 期 に 区 分 し それぞれの 時 期 のタイ 表 象 の 特 色 について 分 析 する シャムの 情 報 がまだ 不 十 分 な 明 治 大 正 期 の 読 売 新 聞 は シャム 国 情 の 記 事 により 読 者 にシャムについての 知 識 を 提 供 する 役 割 を 果 たしている 明 治 大 正 期 の 特 色 は 南 進 論 や 移 民 政 策 に 関 係 し その 文 脈 においてシャムのイメージは 豊 饒 な 資 源 がある 日 本 の 南 進 先 となる 戦 前 昭 和 期 は 日 本 の 重 要 な 貿 易 相 手 国 で 大 東 亜 共 栄 圏 的 関 係 性 の 中 で 友 邦 や 日 本 の 弟 として 表 現 される 戦 後 昭 和 平 成 期 は 一 概 に 括 るのは 難 しいが タイ 情 報 の 多 様 な 移 入 に 伴 い 多 様 なイメージ( 買 春 麻 薬 観 光 リゾートなど)が 投 影 する それらの 分 析 を 通 じ 日 本 におけるタイ 表 象 が 各 時 期 の 日 本 の 政 治 的 経 済 的 戦 略 と 不 可 分 に 結 びついていることを 考 察 した 第 2 章 では タイに 関 する 紀 行 旅 行 記 やガイドブックなどに 注 目 し 日 本 人 の 渡 航 目 的 や 現 地 における 眼 差 しのあり 方 について 検 討 する 明 治 大 正 期 の 旅 行 記 は 国 益 に 資 す る 報 告 書 的 性 格 や 探 検 冒 険 記 でありながら 資 源 の 存 在 を 伝 えるものも 少 なくない 昭 和 10 年 代 の 特 色 は 日 本 企 業 の 貿 易 奨 励 のため 明 治 大 正 期 のように 未 開 さは 強 調 されず 近 代 化 の 要 素 や 観 光 にふさわしい 寺 院 などのエキゾチックな 要 素 が 強 調 される 観 光 目 的 の 旅 行 が 自 由 化 された 1964 年 以 降 の 旅 行 記 では 買 春 麻 薬 のイメージが 頻 繁 に 取 上 げら れる タイ 国 政 府 観 光 局 による 観 光 宣 伝 が 成 功 した 1987 年 以 降 急 増 する 観 光 客 によって 多 種 多 様 な 旅 行 スタイルが 生 まれ 多 様 なタイのイメージが 様 々なジャンルの 旅 行 記 に 反 映 することになる 第 1 章 の 読 売 新 聞 と 第 2 章 の 紀 行 旅 行 記 におけるタイ 表 象 は 多 少 相 違 部 分 がある が 相 互 のメディアで 投 影 されたタイの 表 象 は 時 代 を 支 配 する 思 想 とともに 変 容 し (1) 明 治 期 から 昭 和 初 期 にかけてのシャム(2)アジア 太 平 洋 戦 期 のタイ(3)アジア 太 平 洋 戦 後 期 のタイ(4) 平 成 期 (1990 年 代 )のタイという 4 つタイの 表 象 に 分 けられる この ような 読 売 新 聞 や 紀 行 旅 行 記 におけるタイ 表 象 の 変 容 が 文 芸 作 品 にどのように 投 影 されているのか 第 1 部 は 第 2 部 での 文 芸 作 品 の 分 析 を 行 うための 前 提 として 位 置 づけ られる 内 容 になっている 第 2 部 日 本 近 現 代 文 学 におけるタイ 表 象 は 第 3 章 から 第 6 章 までの 4 章 から 成 る まず 第 3 章 で 日 タイ 友 好 の 象 徴 としての 山 田 長 政 の 文 献 を 中 心 に 明 治 戦 前 戦 後 の 山 田 長 政 像 を 分 析 する 次 に 第 4 章 で 戦 時 中 の 南 方 徴 用 作 家 の 作 品 第 5 章 で 戦 後 (1970 から 1980 年 代 まで)のミステリー 小 説 第 6 章 で 1990 年 代 の 村 上 春 樹 タイランド な 6
どの 各 時 代 を 代 表 する 作 品 を 取 り 上 げて 文 学 におけるタイの 表 象 について 考 察 する 第 3 章 では 近 代 の 山 田 長 政 テクストにおけるシャム 表 象 の 変 遷 を 検 討 する 明 治 期 の 山 田 長 政 テクストを 代 表 する 遅 塚 麗 水 少 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 (1899 年 )は 江 戸 以 来 の 長 政 ものを 引 き 継 ぐ 一 方 明 治 期 のシャムに 関 する 種 々の 情 報 や 資 料 を 摂 取 援 用 す る 同 書 には 明 治 期 南 進 論 を 奨 励 する 意 味 合 いがあり シャムはその 理 想 的 空 間 となっ ている 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 (1940 年 )は 長 政 とルタナ 姫 のロマンスを 通 して 当 時 の 大 東 亜 共 栄 圏 のイデオロギーを 優 位 の 日 本 ( 長 政 / 男 )と 劣 位 のシャム( 姫 = 女 /タ イ)というパターンを 通 じて 表 象 し 親 日 的 なシャムを 強 調 している 以 上 から この 二 つの 山 田 長 政 テクストが それぞれの 時 期 の 政 治 的 言 説 を 背 景 に 生 成 受 容 されたことを 指 摘 する 遠 藤 周 作 王 国 への 道 山 田 長 政 (1979 年 )は 日 本 ( 長 政 / 男 )とアユタ ヤ=シャム( 姫 / 女 )のパターン 化 は 従 来 通 りであるが アユタヤ=シャムは 怖 ろしい 女 性 として 描 写 され 戦 前 までの 理 想 的 な 長 政 像 や 政 治 的 言 説 との 呼 応 が 稀 薄 になる 近 代 においても 繰 り 返 し 文 芸 化 される 山 田 長 政 テクストの 変 容 から 日 本 におけるタイの 対 象 化 のあり 方 を 考 察 する 第 4 章 は 戦 時 中 の 南 方 徴 用 作 家 が 書 いた 作 品 におけるタイの 描 写 を 検 討 する 南 方 徴 用 作 家 の 作 品 に 共 通 するのは 戦 中 にありながら 癒 しをもたらす 平 和 な 空 間 としてのタイ である また その 関 係 が 日 本 ( 男 )とタイ( 女 )というロマンスとして 反 復 されるこ とである 南 方 徴 用 作 家 が 用 いた 構 造 は 戦 後 におけるタイの 作 家 が 書 いた 人 気 小 説 メ ナムの 残 照 (1967 年 )でも 見 られる ただし それは 単 純 な 反 復 ではなく メナムの 残 照 には 親 日 と 反 日 感 情 の 混 在 が 投 影 しており その 点 に 日 本 におけるタイ 表 象 を 内 面 化 しつつ 変 容 するタイの 複 雑 な 自 画 像 が 窺 われることを 指 摘 する アジア 太 平 洋 戦 争 後 にタイを 舞 台 とした 多 くの 文 芸 作 品 の 中 で ミステリー 小 説 はメ ディアと 深 い 関 係 性 を 持 つ 文 芸 作 品 である 特 にタイを 舞 台 としたミステリー 小 説 は 当 時 の 新 聞 などのメディアに 報 道 されたタイ あるいは 大 衆 の 関 心 を 引 くタイを 題 材 にしてい る このような 理 由 から 第 5 章 は 1970-1980 年 代 のミステリーのジャンルでのタイを 考 察 する ミステリーにおけるタイの 特 色 は 政 治 的 不 安 定 性 や 麻 薬 と 売 春 の 問 題 などから 成 る 危 険 な 空 間 として 描 かれている 点 にある また 日 本 ( 男 )とタイ( 女 )というパタ ーン 化 されたロマンスを 頻 用 しながら 社 会 問 題 や 貧 困 の 中 で 苦 労 し 民 族 や 家 族 のため に 働 く 女 性 がしばしば 登 場 する 点 にある それらの 特 色 を 通 じて 日 本 人 男 性 は 可 愛 そう なタイ 人 女 性 を 援 助 する 存 在 として 自 己 を 主 体 化 するというパターンが 見 られる この 現 象 は 同 時 代 に 問 題 化 した 日 本 人 による 売 春 行 為 を 結 果 的 に 美 化 してしまう 言 説 構 造 を 持 っている タイを 舞 台 にした 1970-1980 年 代 のミステリー 小 説 は 当 時 の 日 本 の 無 意 識 の 欲 望 を 映 し 出 すジャンルになっている 第 6 章 は 1990 年 代 の 小 説 として 世 界 中 の 読 者 に 読 まれている 村 上 春 樹 タイランド (1999 年 )を 検 討 する タイランド は 従 来 のタイ 表 象 で 慣 用 化 された 危 険 な 空 間 ロ マンス 化 される 空 間 有 名 な 観 光 地 歴 史 的 文 化 的 な 要 素 などに 言 及 しない その 一 方 7
で 国 際 的 な 都 市 性 リゾート 化 された 癒 し 空 間 未 開 地 的 な 要 素 などが 同 居 する 場 所 と してタイの 奥 行 きを 描 き 従 来 のタイ 表 象 では 見 えなかったタイの 奥 行 きが 登 場 人 物 ニ ミットのタイ 語 における 複 数 の 意 味 ( 前 兆 記 号 原 因 夢 男 女 の 生 殖 器 など)に 託 さ れていることを 指 摘 する しかし 一 般 の 日 本 人 読 者 には ニミットの 名 が 持 つ 複 数 性 や 象 徴 性 や 多 様 性 は 読 まれない 日 本 人 にとってのタイの 画 一 的 な 表 象 とタイの 側 から 見 た 場 合 の 奥 行 きとの 非 対 称 性 を 黙 示 的 に 示 したテクストが タイランド であることを 論 じ ている 日 本 近 現 代 文 学 におけるタイ 表 象 の 変 容 は シャム タイ タイランド の 三 つ の 語 に 呼 応 している シャム は 基 本 的 に 江 戸 期 以 来 の 山 田 長 政 テクストに 見 られ る 遠 い 南 国 という 漠 然 としたイメージを 負 いつつ 南 進 論 の 対 象 として 政 治 的 言 説 を 背 景 に 生 成 する 場 合 が 多 い 20 世 紀 の 近 代 国 家 として 戦 時 中 に 誕 生 した タイ は 戦 時 下 にお いては 兄 妹 関 係 として 語 られ 戦 後 においては 1970-1980 年 代 のミステリーのジャンルに 見 られるかたちで 表 象 が 形 成 されていく その 表 象 の 画 一 化 を 脱 する 志 向 性 を 持 つのが タイランド であろう 本 論 で 具 体 的 に 分 析 することはなかったが 1990 年 代 以 降 の 日 本 の 現 代 文 学 におけるタイ 表 象 は タイランド が 持 つ 複 数 性 や 多 様 性 に 呼 応 するもの として 表 現 されていると 観 察 している 本 研 究 の 意 義 は 日 本 近 現 代 文 学 研 究 では 散 発 的 にしか 研 究 されてこなかったタイ 表 象 について 新 聞 旅 行 記 文 学 という 範 囲 で 明 治 期 から 1990 年 代 までを 鳥 瞰 的 に 把 握 し 鳥 瞰 的 に 把 握 することで 浮 上 する 問 題 を 焦 点 化 する 点 にある 8
第 一 部 メディアの 中 のタイ 9
第 1 章 読 売 新 聞 におけるタイ 1 はじめに この 章 では 近 代 日 本 の 一 般 的 なタイのイメージやタイの 表 象 がどのようなものであっ たのかを 大 まかに 把 握 するために 読 売 新 聞 の 記 事 を 中 心 的 な 素 材 としてトピックの 変 遷 を 概 観 する 新 聞 は 他 の 書 物 と 違 って 毎 日 発 行 される 情 報 源 である また 新 聞 はそれぞれ 独 自 の 政 治 的 主 張 を 持 つため 国 民 の 政 治 思 想 の 浸 透 に 大 きな 役 割 を 果 たすだけではなく 様 々 な 言 説 を 固 定 化 し 読 者 に 影 響 を 与 えるメディアである 日 本 の 新 聞 は 明 治 期 の 文 明 開 化 の 流 れに 乗 って 多 数 創 刊 された その 中 で 先 発 の 新 聞 例 えば 東 京 日 日 新 聞 や 郵 便 報 知 新 聞 や 朝 野 新 聞 などは 記 事 の 文 体 が 漢 文 調 で 知 識 人 層 の 専 有 物 1 だと 見 な された これに 対 して 一 般 庶 民 や 婦 女 人 を 対 象 に 娯 楽 を 売 物 にし 口 語 体 で 総 ふりがな 付 きの 文 章 を 持 つ 新 聞 2 として 東 京 で 創 刊 された 読 売 新 聞 (1874 年 ( 明 治 7 年 )11 月 2 日 創 刊 )と 大 阪 で 創 刊 した 朝 日 新 聞 (1879 年 ( 明 治 12 年 )1 月 25 日 創 刊 )がある 読 売 新 聞 と 朝 日 新 聞 は 現 在 までも 広 く 大 衆 に 読 まれているだけではなく 人 気 が 高 まるメディアとして 社 会 で 共 有 される 知 識 を 生 産 / 再 生 産 する 役 割 を 果 たしている シャム あるいは タイ について 一 般 的 な 概 念 やイメージは 大 衆 のメディアとして の 新 聞 によって 明 治 大 正 期 に 定 着 していった 現 在 まで 発 行 されている 大 衆 新 聞 としての 読 売 新 聞 と 朝 日 新 聞 におけるタイの 受 容 と 定 着 の 様 相 を 通 観 するために 両 紙 を 調 査 する 必 要 がある ただし 本 研 究 の 調 査 範 囲 は 明 治 期 から 1990 年 代 までという 広 範 囲 に 及 ぶため 両 紙 を 同 時 に 調 査 することは 不 可 能 である そのため 本 章 では 読 売 新 聞 のみを 研 究 対 象 として 取 上 げたい 一 方 朝 日 新 聞 におけるタイの 描 かれ 方 については 今 後 の 課 題 としたい 本 章 では 1874 年 ( 明 治 7 年 )の 創 刊 から 今 日 までの 読 売 新 聞 記 事 が 検 索 可 能 なデータ ベース ヨミダス 歴 史 館 で 1874 年 11 月 2 日 から 2000 年 12 月 31 日 までの 期 間 シ ャム タイ 国 3 バンコク チェンマイ アユタヤ 山 田 長 政 のタイについて のキーワードを 用 いて 検 索 を 行 った 検 索 結 果 は 政 治 経 済 社 会 文 化 事 件 国 際 社 説 の 分 野 により 各 時 代 に 注 目 される 特 別 連 載 記 事 話 題 になって 連 続 掲 載 された 記 事 を 中 心 として 各 時 代 の 新 聞 記 事 における の 国 というタイについての 記 述 に 注 目 する これらの 記 事 を 検 討 することで (1) 明 治 大 正 期 (1874 年 -1926 年 )(2) 戦 前 昭 1 読 売 新 聞 社 社 史 編 集 室 読 売 新 聞 発 展 史 ( 読 売 新 聞 社 1987 年 11 月 ) 2 藤 原 肇 朝 日 と 読 売 の 火 ダルマ 時 代 大 ジャーナリズムを 蝕 むデカダンス ( 国 際 評 論 社 出 版 事 業 部 1998 年 5 月 ) 3 タイ を 入 力 すると 検 索 結 果 の 精 度 は 下 がる 傾 向 にあるため タイ 国 とした 10
和 期 (1927 年 -1945 年 )(3) 戦 後 昭 和 平 成 期 (1946 年 -2000 年 )に 区 分 する (1) 明 治 大 正 期 は 日 本 とシャムの 関 係 が 構 築 されていくようになる 時 期 である (2) 戦 前 昭 和 期 には 様 々な 交 流 によって 日 本 とシャムの 良 好 な 関 係 が 強 化 され 戦 時 の 同 盟 国 として 協 力 関 係 が 築 かれた 時 期 である そして (3) 戦 後 昭 和 平 成 期 (1946 年 -2000 年 )はタ イの 親 日 的 な 態 度 が 一 時 的 に 薄 らぎ その 後 の 1960 年 代 からの 日 系 企 業 のタイへの 進 出 に よって 日 タイ 間 に 経 済 的 なつながりが 再 構 築 された 時 期 である こうした 時 代 背 景 によ る 日 本 とタイの 関 係 の 中 で タイに 関 する 記 事 ではどのようにタイが 表 現 されたのか そ の 特 色 に 注 目 して 新 聞 記 事 によって 構 築 された 一 般 的 なタイのイメージや 表 象 について 検 討 する そして 大 衆 のメディアとしての 読 売 新 聞 における 大 まかなタイの 変 遷 や 日 本 とタイの 関 係 史 を 概 観 した 上 で 第 2 部 日 本 近 現 代 文 学 におけるタイ 表 象 で 一 般 的 なメディアにおけるタイの 表 象 と 文 芸 作 品 におけるタイの 表 象 を 比 較 して 考 察 したい 2 明 治 大 正 期 読 売 新 聞 に 掲 載 された 初 めてのシャムについての 記 事 (1877 年 ( 明 治 10 年 )9 月 29 日 朝 刊 )は シャムに 貢 納 を 拒 否 された 中 国 が 戦 争 を 仕 掛 けるという 騒 然 とした 内 容 である シャムは 中 国 との 貿 易 を 維 持 するため 昔 から 貢 納 の 義 務 を 果 したが 1850 年 代 に 英 仏 の 植 民 地 として 分 割 の 危 機 が 迫 ったため 中 国 との 貢 納 制 貿 易 を 停 止 した また 明 治 10 年 代 に シャムの 保 守 派 が 引 退 して チュラーロンコーン 王 を 主 導 者 とする 革 新 派 が 成 立 し た 当 時 シャムは 独 立 を 維 持 するため 日 本 のように 近 代 化 して 日 本 との 外 交 関 係 を 築 くことになった 明 治 20 年 (1887 年 )9 月 26 日 に 和 親 通 商 に 関 する 宣 言 書 に 調 印 したが 日 本 はシャムに 領 事 館 を 設 置 しなかった その 理 由 を 新 聞 は 暹 羅 は 我 邦 と 政 治 上 の 交 渉 は 勿 論 通 商 上 の 関 係 も 未 だ 厚 からざるに 付 目 下 の 所 にては 別 に 領 事 館 を 置 くほどの 必 要 な 4 いと 報 じてい る 領 事 館 設 置 にからんでシャムへの 関 心 が 高 まったことは 読 売 新 聞 で 暹 羅 の 国 情 ( 明 治 21 年 (1888 年 )1 月 21 日 22 日 24 日 )の 記 事 が 連 載 されたことから 推 測 される 暹 羅 の 国 情 は 百 科 事 典 と 同 様 にシャムの 地 理 から 社 会 政 治 風 俗 などのシャムにつ いての 知 識 を 讀 者 の 参 考 5 にするために 書 かれたものである 未 開 という 印 象 を 与 え る 内 容 6 を 誇 張 拡 大 して 取 上 げる 傾 向 があるが 亞 細 亞 の 東 方 に 位 する 一 の 獨 立 國 で 日 本 人 と 嗜 好 7 が 合 う 国 とも 語 られている 明 治 25 年 (1892 年 ) 前 後 は 明 治 期 日 本 のシャム 観 を 考 える 上 で 重 要 な 時 期 である そ 4 暹 羅 に 領 事 館 を 置 かず ( 読 売 新 聞 1888 年 3 月 3 日 朝 刊 ) 5 シャムの 国 情 ( 読 売 新 聞 1888 年 1 月 21 日 朝 刊 ) 6 例 えば シャム 人 の 出 産 について シャムの 国 情 ( 読 売 新 聞 1888 年 1 月 21 日 朝 刊 )で 出 産 の 時 ハ 産 と 了 れバ 産 婦 は 直 に 一 室 に 籠 り 薪 と 積 みて 火 を 燃 し 裸 體 になりて 背 を 焙 る 始 めて 産 を 為 したる 者 ハ 廿 亓 日 二 度 目 ハ 廿 日 三 度 目 ハ 十 八 日 四 度 目 ハ 十 亓 日 間 焙 る 定 式 にて 實 に 残 酷 なる 話 なるが 此 火 焙 と 為 す 間 に 生 命 を 亡 ふ 者 も 多 しといふ 此 事 たる 外 國 人 の 眼 より 見 れバ 最 も 驚 くべき と 書 かれている 7 シャムの 国 情 ( 読 売 新 聞 1888 年 1 月 24 日 朝 刊 ) 11
れは 日 本 近 代 における 山 田 長 政 への 関 心 が 高 まった 時 期 だからである 山 田 長 政 の 建 碑 の 募 金 集 めのために 東 京 大 相 撲 大 会 の 開 催 (1982 年 5 月 23 日 朝 刊 )が 発 表 されてから 山 田 長 政 についての 伝 記 8 が 相 次 いで 刊 行 され あらためてシャムと 山 田 長 政 との 関 係 に 関 心 が 集 まった シャムについて 言 及 する 時 山 田 長 政 は 欠 かすことのできない 存 在 となり シャムに 関 する 資 料 の 中 で 繰 り 返 し 言 及 されることになる 9 翌 年 明 治 26 年 (1893 年 )7 月 16 日 に 始 まる 暹 仏 事 件 10 は 世 界 的 に 報 道 され 日 本 では 強 大 国 フランスに 強 引 に 侵 略 される 弱 小 国 タイに 同 情 が 集 ま 11 り 欧 米 勢 力 をアジアから 追 放 しようとする 考 えから アジア 解 放 のためのアジア 主 義 を 宣 伝 した その 一 方 で 日 本 でもシャムの 植 民 地 化 が 計 画 された シャムの 植 民 地 計 画 のため 明 治 27 年 (1894 年 ) 熊 本 国 権 党 の 熊 谷 直 亮 がシャ ムの 国 情 の 視 察 旅 行 を 行 った その 後 シャムの 植 民 地 の 話 題 が 注 目 され 3 月 11 日 か ら14 日 にかけてシャムの 日 本 植 民 地 化 に 関 する 記 事 が 連 載 された これらの 記 事 の 共 通 点 は シャムで 成 功 した 山 田 長 政 の 神 話 を 利 用 しながら 日 本 人 のシャムへの 出 稼 ぎを 促 進 するため 土 地 何 れも 豊 饒 水 運 の 便 利 生 活 ハ 我 國 と 同 じく 米 食 好 都 会 と 云 ふ べし 12 という 宣 伝 的 な 要 素 に 満 ちていることである シャムへの 関 心 の 高 まりは 日 本 側 の 植 民 地 への 欲 望 や 期 待 と 不 可 分 である そうした 欲 望 や 期 待 の 前 提 としてあるのは シャムが 植 民 地 化 されなければならないような 国 情 や 風 俗 の 土 地 であるといった 把 握 の 仕 方 である たとえば 人 見 一 太 郎 は 國 民 的 大 問 題 ( 民 友 社 1893 年 7 月 )で 嗚 呼 彼 れ 暹 羅 如 何 なる 国 ぞ 彼 れは 殆 んと 英 佛 の 餌 食 也 彼 れの 領 地 は 年 々に 縮 り 彼 れの 國 狀 は 歳 々に 微 なり 彼 れは 殆 と 亡 國 彼 れは 猶 ほ 未 開 之 邦 土 其 民 は 人 情 本 數 冊 の 外 國 語 を 以 て 記 せる 文 書 を 有 せす 只 賭 博 懶 惰 放 蕩 以 て 蠢 々 然 として 一 日 を 送 る 彼 等 は 大 半 奴 隷 にして 二 十 金 又 は 亓 十 金 を 以 て 賣 買 せらる ( 中 略 ) 我 は 七 百 個 の 新 聞 雑 誌 を 有 し 年 々 一 億 八 千 萬 部 を 發 兌 し 我 邦 の 著 作 者 は 年 々 新 に 政 治 社 會 實 業 文 學 上 の 著 書 一 萬 八 千 部 を 書 述 す と 述 べている このように シャム のイメージは 一 般 的 な 文 献 において 強 調 された 野 蛮 な シャムと 読 売 新 聞 に 見 られ るような 理 想 的 な 植 民 地 としてのシャムという 連 動 する 二 つのイメージに 分 けられるので ある 13 明 治 28 年 (1895 年 ) 岩 本 千 綱 が 山 口 県 出 身 の 移 民 32 名 を 連 れてシャムへ 渡 航 した 日 タイ 交 流 六 〇 〇 年 史 14 によれば 到 着 後 は 土 地 農 具 は 約 束 どうり 借 りることができた 8 明 治 25 年 関 口 隆 正 山 田 長 政 伝 ( 草 深 十 丈 書 屋 1892 年 4 月 ) 間 宮 步 山 田 長 政 偉 勲 録 ( 間 宮 步 1892 年 6 月 ) 岡 村 信 太 郎 山 田 長 政 一 代 記 ( 岡 村 信 太 郎 1892 年 6 月 )など 山 田 長 政 についての 書 籍 が 数 多 く 刊 行 された 9 たとえば 熊 谷 直 亮 氏 の 消 息 ( 読 売 新 聞 1894 年 1 月 25 日 朝 刊 )で 山 田 長 政 の 故 城 たる 暹 羅 と 書 かれてい る 10 フランスはメコン 河 東 岸 のラオス 全 土 の 割 譲 を 要 求 し 同 年 (1893 年 :タナポーン 注 )7 月 16 日 にはフランスの 砲 艦 2 隻 がメナム チャオプラヤーを 遡 航 して バンコクのフランス 公 使 館 の 向 かい 河 に 停 泊 し バンコク 市 を 威 嚇 しな がらタイ 側 に 最 後 通 牒 を 送 った 結 局 10 月 3 日 タイ 国 はフランスにメコン 河 東 岸 を 割 譲 し 賠 償 金 を 支 払 うことになっ た ( 吉 川 利 治 アジア 主 義 者 のタイ 国 進 出 : 明 治 期 の 一 局 面 東 南 アジア 研 究 1978 年 6 月 ) 11 吉 川 利 治 アジア 主 義 者 のタイ 国 進 出 : 明 治 期 の 一 局 面 ( 東 南 アジア 研 究 1978 年 6 月 ) 12 暹 羅 の 日 本 植 民 地 ( 読 売 新 聞 1894 年 3 月 14 日 朝 刊 ) 13 岩 本 千 綱 については 第 2 章 タイ 国 旅 行 の 表 象 の 第 2 節 シャムへの 旅 を 参 照 14 石 五 米 雄 吉 川 利 治 日 タイ 交 流 六 〇 〇 年 史 ( 講 談 社 1987 年 8 月 ) 12
が そのほかの 必 要 な 設 備 をまかなう 資 力 がなく 移 民 でやってきた 人 びとと 日 暹 殖 民 会 社 とは 契 約 上 のトラブルを 起 し 農 作 業 に 従 事 する 余 裕 なくした 移 民 たちはたちまち 生 活 に 困 った また 農 作 業 の 代 わりに 多 くの 移 民 がシャム 内 地 で 鉄 道 建 設 の 工 事 などの 作 業 を しても コレラや 森 林 熱 などにかかり 結 局 全 員 が 死 亡 した 明 治 30 年 (1897 年 )3 月 稲 垣 満 次 郎 は 初 代 駐 箚 羅 国 弁 推 公 使 に 任 命 され シャムに 渡 り 明 治 31 年 (1898 年 )2 月 15 日 に 日 暹 修 好 通 商 航 海 条 約 に 調 印 した この 時 期 日 本 とシャムの 関 係 は 深 まっていて 様 々な 交 流 が 進 められた 特 に 明 治 33 年 (1900 年 ) 佛 教 國 として 15 のシャムが 日 本 に 仏 骨 を 寄 贈 しようとしたことから 18 人 の 仏 骨 奉 迎 団 がシ ャムに 派 遣 された 実 はこのような 日 本 とシャムの 仏 教 的 な 交 流 は 明 治 20 年 代 から 始 まっ た 明 治 21 年 (1888 年 )に 真 宗 の 僧 侶 寺 田 福 壽 島 地 黙 雷 平 松 理 英 が 鹿 鳴 館 に 暹 羅 公 使 と 訪 ひ 該 國 佛 教 上 の 談 話 し 将 來 宗 教 上 の 通 信 と 開 く 事 と 約 せられ 16 てから 明 治 24 年 (1891 年 )に 生 田 得 能 が シャム 國 へ 渡 りて 佛 教 の 景 況 と 視 察 し 17 て そ して 明 治 28 年 (1895 年 )にシャム 国 王 が 治 世 二 十 亓 年 紀 の 紀 念 として パーリー 語 の 佛 典 を 浄 土 本 山 宛 にて 寄 贈 した 18 明 治 33 年 (1900 年 )6 月 にシャムに 派 遣 された 仏 骨 奉 迎 団 はワット ポーで 行 われてい た 盛 大 な 仏 骨 奉 迎 式 典 に 参 加 してから シャム 国 政 府 に 様 々な 所 に 案 内 された 19 この 体 験 をもとに 写 真 師 の 気 賀 秋 畝 は 暹 羅 土 産 仏 骨 奉 迎 20 を 著 し シャムの 有 名 な 寺 院 や バンパイン 離 宮 を 写 真 で 紹 介 している また 岩 本 千 綱 も 仏 骨 奉 迎 始 末 を 著 した こ のように 仏 教 の 国 のシャムに 関 する 興 味 は 明 治 33 年 の 仏 骨 奉 迎 という 出 来 事 と 深 く 関 係 しているのである 明 治 35 年 (1902 年 )にはシャム 皇 太 子 ( 即 位 前 のラーマ 6 世 )の 訪 日 のため 新 聞 はシ ャム 皇 太 子 の 動 静 を 報 道 し シャムについての 記 事 を 連 載 した 来 日 するシャムの 皇 太 子 は 両 国 の 親 交 の 象 徴 と 見 なされる 21 一 方 シャムの 我 に 望 む 所 (1902 年 12 月 12 日 朝 刊 )でシャム 皇 太 子 の 訪 日 の 目 的 は 自 家 の 危 殆 を 覚 つて 救 を 善 隣 に 求 むる ので 彼 の 我 に 望 む 所 實 に 山 田 長 政 の 功 績 を 追 ひて 再 び 彼 等 を 今 日 の 窮 地 より 救 ふ と 書 かれており 日 本 とシャムの 関 係 は 救 う 者 と 救 われる 者 と 見 なされている また シ ャムと 日 本 及 び 各 国 (1903 年 4 月 18 日 朝 刊 )で 当 時 のシャム 公 使 稲 垣 満 次 郎 は 暹 羅 ハ 確 かに 日 本 を 自 分 の 兄 位 に 思 ひ 皇 帝 陛 下 にハ 日 本 風 の 御 殿 と 日 本 風 の 御 庭 を 作 る 程 日 本 を 信 用 していると 指 摘 している 日 本 が 日 本 とアジア 諸 国 との 関 係 を 兄 弟 として 語 る 言 説 は 第 二 次 世 界 大 戦 下 にも 反 復 される 定 型 的 な 語 り 方 であり そうした 大 15 佛 骨 奉 迎 に 就 ての 希 望 ( 読 売 新 聞 1900 年 5 月 19 日 朝 刊 ) 16 真 宗 の 僧 侶 がシャム 公 使 を 訪 問 将 来 宗 教 上 の 通 信 を 約 束 ( 読 売 新 聞 1888 年 2 月 14 日 朝 刊 ) 17 シャムの 仏 教 を 視 察 した 生 田 得 能 師 四 谷 の 笹 寺 で 土 産 法 談 / 東 京 ( 読 売 新 聞 1891 年 5 月 8 日 朝 刊 ) 18 シャム 国 王 ケラレコルン1 世 が 編 纂 出 版 した 仏 典 を 浄 土 宗 本 山 に 寄 贈 ( 読 売 新 聞 1895 年 7 月 12 日 朝 刊 ) 19 岩 本 千 綱 大 三 輪 延 弥 著 仏 骨 奉 迎 始 末 ( 岩 本 千 綱 1900 年 ) 20 気 賀 秋 畝 暹 羅 土 産 仏 骨 奉 迎 ( 仏 骨 奉 迎 写 真 発 行 所 1901 年 3 月 ) 21 太 陽 (9 巻 1 号 1903 年 1 月 )の 論 説 では 日 暹 兩 國 の 親 交 は 輓 近 に 及 んで 益 す 濃 厚 を 加 へ 其 殊 に 國 内 諸 般 の 設 備 を 進 暢 するに 於 て 遙 かに 我 れと 厚 誼 を 敦 ふするに 鋭 意 するより 兩 國 の 交 情 も 為 に 著 しく 密 なると 致 せし 也 ( 中 略 ) 日 暹 の 関 係 は 此 の 如 く 親 交 を 加 へり と 述 べられている 13
東 亜 共 栄 圏 的 な 発 想 の 根 が 明 治 期 の 日 本 とシャムの 関 係 についての 眺 め 方 においても 萌 し ていることが 推 測 される こうした 兄 弟 関 係 の 中 で 兄 の 日 本 はシャムの 近 代 化 に 協 力 し 暹 羅 国 華 族 女 学 校 22 ( 現 在 はラチニー 学 校 )などの 近 代 的 な 設 備 を 設 立 した もう 一 つの 明 治 期 のシャムのイメージと 言 えば 暹 羅 の 象 狩 (1902 年 10 月 19 日 別 刷 )にあるような 自 然 齷 齪 で 大 きな 動 物 園 へ 行 つたやうな 感 が 起 る というイメー ジである 特 に 大 抵 亓 六 百 頭 の 象 の 数 や 最 大 最 強 の 象 を 捕 らえる 描 写 や 全 身 白 くな り 珍 重 な 白 象 などの 象 狩 の 描 写 は 日 本 人 の 関 心 を 呼 び サファリ 的 なシ ャムのイメージが 生 成 された このシャムのイメージは 当 時 の 日 本 人 の 未 知 なる 南 洋 への 憧 憬 を 誘 うものとなり 昭 和 初 期 まで 様 々なメディアの 中 で 言 及 されている 例 えば 23 第 2 章 の 紀 行 案 内 記 亓 大 洲 探 険 記 第 一 巻 亜 細 亜 大 陸 横 行 ( 中 村 直 吉 押 川 春 浪 編 亓 大 洲 探 険 記 第 一 巻 亜 細 亜 大 陸 横 行 博 文 館 1908 年 )ではシャムの 風 俗 や 仏 教 の 文 化 について 述 べられるとともに アユチヤ の 象 狩 が 冒 険 的 であることも 述 べられて いる また 冒 険 壮 遊 亓 洲 怪 奇 譚 ( 河 岡 潮 風 冒 険 壮 遊 亓 洲 怪 奇 譚 博 文 館 1910 年 10 月 )では 様 々な 国 の 話 が 載 せられており その 中 でシャムに 関 する 唯 一 の 話 が シ ャム 象 狩 怪 談 である さらに 明 治 44 年 5 月 に 発 表 された 馬 来 半 島 の 猛 獣 狩 ( 松 尾 茂 馬 来 半 島 の 猛 獣 狩 博 文 館 1911 年 5 月 )では 象 狩 のみではなく 鰐 犀 虎 狩 な どの 猛 獣 狩 に 興 ずるシャムが 描 写 されている それに 紀 行 案 内 記 以 外 象 の 描 写 は 第 3 章 の 山 田 長 政 の 文 献 の 中 にも 頻 繁 に 描 かれている 一 方 当 時 のシャムは 日 本 をどのように 見 ていたのか これについては タネート ア ーポーンスワンがシムポシアム タイ 王 国 における 日 本 のイメージ において 雑 誌 テュ ンウィパークポジャナキット(ต ลว ภาคพจนก จ) (1899-1906 年 )に 掲 載 されているシャムの 知 識 人 であるティアンワン (เท ยนวรรณ) の 記 述 を 取 上 げている ティアンワンは 最 初 は 朝 鮮 支 配 を 巡 って 清 国 と 戦 闘 を 開 始 した また 清 国 の 義 和 団 と 戦 争 した さらに 虎 とネズミの 戦 いのような 日 露 戦 争 で 大 国 のロシアに 勝 利 した 日 本 は 非 常 に 有 能 だと 意 識 するようにな った ( 中 略 ) 日 本 の 法 制 や 政 府 の 行 政 を 見 ると 全 てヨーロッパと 同 等 である(タナポー ン 訳 ) 24 と 日 本 への 驚 嘆 を 記 している 大 正 2 年 (1913 年 )には シャムも 日 本 人 の 成 功 地 なり (1913 年 9 月 18 日 20 日 朝 刊 )という 連 載 記 事 が 見 られる この 記 事 におけるシャムは 自 由 な 國 なれども 其 實 何 の 點 が 自 由 國 なるを 知 らず 外 人 又 暹 羅 を 呼 で 白 象 國 と 云 ひ 黄 衣 國 と 云 ふ 是 れ 國 旗 に 象 を 書 き 勲 章 に 象 を 刻 し また 佛 教 の 僧 侶 が 黄 衣 を 着 する 故 と 述 べられている 暹 羅 に 於 ける 自 然 の 生 産 力 は 極 めて 旺 盛 だが シャム 人 は 世 界 の 國 民 中 暹 羅 人 ほど 怠 惰 にし 22 明 治 35 年 (1902 年 )に 来 日 したシャム 皇 太 子 は 日 本 の 女 子 教 育 の 諸 設 備 を 視 察 し シャムでもこのような 学 校 を 設 立 しようと 決 意 した そこで 教 師 として 安 五 哲 子 河 野 清 子 中 島 富 子 22 を 雇 い 入 れ 暹 羅 国 華 族 女 学 校 ( 現 在 は ラチニー 学 校 )を 設 立 した ( 吉 川 利 治 アジア 主 義 者 のタイ 国 進 出 : 明 治 期 の 一 局 面 東 南 アジア 研 究 1978 年 6 月 ) 23 冒 険 紀 行 文 におけるシャムのイメージについては 第 1 部 第 2 章 を 参 照 24 ธเนศ อาภรณ ส วรรณ. ภาพล กษณ ญ ป นในสยามประเทศไทย. 120 ป ความส มพ นธ การท ตไทย-ญ ป น: เอเช ยตะว นออกก บอ ษาคเนย (2430-2550). สม ทรปราการ : ม ลน ธ โตโยต า ประเทศไทยและม ลน ธ โครงการตาราส งคมศาสตร และมน ษยศาสตร, 2551.(2008 年 ) 14
て 無 氣 力 なるはなかるべし また 僧 侶 が 多 いため シャムで 不 生 産 的 人 間 は 人 口 の 大 部 分 を 占 むるに 至 る このような 記 事 には 日 本 がシャムへ 進 出 することを 正 当 化 する 南 進 論 につながるメッセージがうかがえる 25 大 正 7 年 (1918 年 )6-7 月 に 南 天 子 の 旅 行 記 事 が 読 売 新 聞 で 連 載 された 南 天 子 は 香 港 やシンガポール 経 由 でシャムへ 渡 り 連 載 記 事 金 剛 宝 都 で 旅 行 中 のシャムの 風 景 やシャム 人 の 風 俗 を 詳 しく 描 写 している 南 天 子 の 旅 行 記 事 は 第 2 章 で 取 上 げるシャム の 案 内 紀 行 記 との 類 似 点 は 不 潔 なるシャム 人 や 無 智 文 盲 にして 趣 味 の 低 級 なるシ ャム 26 などのシャムの 非 文 明 的 な 要 素 を 強 調 する 描 写 が 見 られることである 一 方 南 進 政 策 を 奨 励 する 案 内 紀 行 記 に 反 して 南 天 子 は 日 本 人 は 多 くの 場 合 一 攫 千 金 は 愚 か のこと 一 攫 萬 金 一 攫 百 萬 金 を 夢 み 南 洋 へ 行 けば 金 塊 やダイヤモンドが 其 處 等 中 轉 がつて 居 るかのやうに 思 うて 出 て 來 る 手 合 が 多 いさうである ( 中 略 ) 來 て 見 ると 事 實 は 日 本 で 夢 想 して 居 た 所 は 大 違 ひ 自 分 で 之 はと 思 ふほどの 仕 事 はなし 其 の 中 に 準 備 の 金 は 無 くなる 病 氣 になる 慈 善 病 院 の 厄 介 になる やがて死 んで 日 本 人 共 同 墓 地 に 送 られる 27 と 大 正 期 にマレー 半 島 の 日 本 人 移 民 の 状 況 を 取 り 上 げて 批 判 している 大 正 9 年 (1920 年 )12 月 15 日 にシャムはアメリカと 暹 米 条 約 を 締 結 した この 条 約 は 住 居 商 業 布 教 および 慈 善 の 目 的 だが 最 高 裁 判 所 以 外 の 裁 判 所 で 係 争 中 の 事 件 を 領 事 裁 判 へ 移 審 する 権 利 (Right of evocation)を 新 法 典 実 施 後 も 亓 年 間 保 有 するこ と 28 という 内 容 である 一 方 第 一 次 世 界 大 戦 へ 参 戦 し シャムとの 外 交 関 係 を 調 整 する 日 本 は 大 正 10 年 (1921 年 )に 暹 米 条 約 をもとにする 新 条 約 を 締 結 するため シャム 政 府 と 交 渉 を 開 始 した しかし 日 本 政 府 が 欧 米 以 上 の 帝 国 主 義 的 主 張 29 するような 無 期 限 の 移 審 権 などを 要 求 をしたため この 日 本 国 暹 羅 国 間 通 商 航 海 条 約 は 大 正 13 年 (1924 年 )に 発 効 された 以 上 のように 日 本 とシャムの 関 係 は 仏 教 的 な 交 流 によって 築 かれた しかし 日 本 の シャムへの 関 心 は 仏 教 国 としてのシャムよりも シャムを 日 本 の 植 民 地 にすることに 向 けられている つまり 読 売 新 聞 の 記 事 における 象 などの 異 国 的 な 風 景 や 未 開 な 描 写 な どは シャムの 未 開 さを 強 調 し 優 位 な 日 本 / 务 位 なシャムという 関 係 がパターン 化 され ている 特 に シャムに 関 連 する 記 事 でよく 言 及 される 山 田 長 政 の 伝 説 は 成 功 地 としての シャムの 表 象 を 利 用 して 日 本 の 移 民 や 植 民 を 奨 励 する 役 割 を 果 たしているだけでなく シ ャムの 表 象 構 築 に 影 響 を 及 ぼしていると 考 えられる なお 山 田 長 政 とシャムの 表 象 の 関 連 性 については 第 2 部 第 3 章 で 考 察 する 25 南 天 子 の 連 載 記 事 は 香 港 見 聞 記 シンガポールより 金 剛 宝 都 がある 長 崎 から 香 港 までの 旅 行 の 話 につい ての 香 港 見 聞 記 ( 上 下 )は 1918 年 3 月 5-6 日 に 連 載 された シンガポールより (1-3)は 香 港 からシンガポ ールまでの 話 であり 1918 年 6 月 25-27 日 に 連 載 されている そして 金 剛 宝 都 (1-9)は 6 月 5 11 16 17 24 日 7 月 1 4 8 15 日 に 連 載 され シャムの 旅 行 をを 語 っている 26 [ 金 剛 宝 都 ]=5/ 南 天 子 ( 連 載 ) ( 読 売 新 聞 1918 年 6 月 24 日 朝 刊 ) 27 [シンガポールより]=2/ 南 天 子 ( 連 載 ) ( 読 売 新 聞 1918 年 6 月 26 日 朝 刊 ) 28 石 五 米 雄 吉 川 利 治 日 タイ 交 流 六 〇 〇 年 史 ( 講 談 社 1987 年 8 月 ) 29 注 28 に 同 じ 15
3 戦 前 昭 和 期 30 外 交 関 係 を 強 化 するため 昭 和 2 年 ( 1927 年 )にはシャムが 日 本 に 仏 像 を 贈 り そして 31 昭 和 4 年 (1929 年 )には 日 本 へ 尐 年 団 を 派 遣 している また 昭 和 5 年 (1930 年 )に 国 王 殿 下 の 御 旨 意 により シャムの 使 いとして 日 本 尐 年 團 二 十 名 を 招 待 し 32 同 年 12 月 日 本 尐 年 団 はシャムへ 出 発 した 昭 和 7 年 (1932 年 ) シャムの 婦 人 と 家 庭 33 では 当 時 のシャムの 婦 人 や 子 どもの 生 活 の 様 子 が 伝 えられている それによれば シャムには 中 産 階 級 といふものがない 上 層 と 下 層 の 二 つ しかないため シャムの 街 には モダンと 原 始 が ハッキリ 區 別 されると 記 されている そして 同 年 6 月 に シャムは 立 憲 革 命 により 絶 対 王 政 から 立 憲 君 主 制 へ 移 行 する その 後 クーデターや 反 乱 が 頻 発 し 結 局 昭 和 9 年 (1934 年 )からシャムは 日 本 と 再 び 国 交 を 結 ぶ 昭 和 10 年 (1935 年 )4 月 に 神 秘 と 情 熱 の 國 シャムの 都 バンコックからサクラ 咲 く 日 本 に 訪 れた 藝 術 使 節 シャム 國 立 音 樂 舞 踊 團 34 がシャムの 伝 統 的 な 踊 りを 披 露 し 日 本 のメ ディアに 非 常 に 注 目 された 昭 和 12 年 (1937 年 )3 月 に おとゝしシャムしょうねん 團 か ら 贈 られた 上 野 動 物 園 の 花 子 象 大 阪 大 王 寺 動 物 園 のランブム 嬢 の お 禮 に 尐 年 團 日 本 聯 盟 は シャムへ 出 発 することになつた 35 帰 国 後 日 暹 親 善 のお 役 目 を 果 た した 尐 年 團 日 本 聯 盟 は 象 のお 国 シャムの 面 白 いお 土 産 話 36 の 記 事 で 僕 たちは 心 から 日 本 を 愛 し 尊 敬 してゐます! と 園 遊 会 で 言 った シャムの 尐 年 團 の 一 人 や チャイ ヨ チャイヨ!( 萬 歳 ) と 手 を 叩 いて 歓 迎 し た 日 本 に 好 意 を 持 つてゐる シャム 人 の 様 子 が 伝 えられ 親 日 のシャムという 表 象 が 強 調 されている 昭 和 14 年 (1939 年 )6 月 に わが 友 邦 山 田 長 政 以 來 の 深 い 好 調 に 結 ばれる 暹 羅 國 が シャム から 自 由 の 國 37 という 意 味 を 持 つ タイ に 国 名 を 変 更 という 記 事 がある さらに 同 年 6 月 25 日 の 読 売 新 聞 ( 朝 刊 )の 半 面 サイズの 特 集 記 事 歓 呼 に 揺 らぐ 白 象 の 国 で 国 名 改 称 によってタ イについて 紹 介 されている 内 容 を 見 ると 当 時 のタイ 社 会 や 日 本 との 友 好 関 係 以 外 に ミ ス 暹 羅 についての 記 事 も 掲 載 されている ミス シャムについては それ 以 前 に 昭 和 11 年 (1936 年 )1 月 9 日 裸 足 の 美 人!ミス シャム ( 朝 刊 )として 紹 介 され 1936 年 度 のミス シャムの 写 真 が 掲 載 されている また その 翌 年 三 五 物 産 招 待 で 日 暹 親 善 視 察 團 として 来 朝 した 艶 麗 振 袖 姿 のミス 38 シャムの 写 真 がある これらのミス シャムの 写 真 について 久 保 田 裕 子 は 民 族 的 なス テレオタイプを 強 調 する 際 に 女 性 表 象 が 引 用 されている これも 選 る 側 の 男 性 = 日 本 30 シャム 仏 像 奉 迎 ( 読 売 新 聞 1927 年 10 月 17 日 朝 刊 ) 31 シャム 尐 年 団 来 月 末 来 朝 ( 読 売 新 聞 1929 年 7 月 1 日 朝 刊 ) 32 シャムへ 行 く 尐 年 使 節 ( 読 売 新 聞 1930 年 11 月 13 日 朝 刊 ) 33 シャムの 婦 人 と 家 庭 ( 読 売 新 聞 1932 年 2 月 21 日 朝 刊 ) 34 神 秘 と 情 熱 シャムの 踊 り ( 読 売 新 聞 1935 年 4 月 11 日 朝 刊 ) 35 象 のお 礼 にシャムへ 尐 年 団 ( 読 売 新 聞 1937 年 2 月 17 日 朝 刊 ) 36 象 のお 国 シャムの 面 白 いお 土 産 話 ( 読 売 新 聞 1937 年 5 月 9 日 朝 刊 ) 37 タイと 国 名 改 称 ( 読 売 新 聞 1939 年 5 月 26 日 夕 刊 ) 38 艶 麗 振 袖 姿 で ミス シャム 神 戸 へ ( 読 売 新 聞 1937 年 4 月 24 日 夕 刊 ) 16
選 ばれる 女 性 =タイという 関 係 を 視 覚 化 し それを 日 本 国 内 に 目 に 見 える 形 で 紹 介 すると いう 機 能 を 果 たした いわばジェンダー ポリティクスと 帝 国 主 義 的 欲 望 が 結 びついた 一 例 と 言 えよう 39 と 指 摘 している それに 昭 和 14 年 (1939 年 )9 月 22 日 話 の 港 ( 朝 刊 ) で 面 白 いのは 昨 年 度 ミス シャムが 日 本 の 化 粧 品 でメーキアップ するという 記 述 や 昭 和 14 年 (1939 年 )11 月 5 日 泰 國 で 邦 品 見 本 市 ( 朝 刊 )で タイ 國 の 娘 達 の 憧 れ の 的 ミス タイ が 日 本 の 化 粧 品 などを 使 うことは 日 本 の 商 品 に 人 氣 があつまりさ らに 欧 州 動 乱 の 余 波 で 欧 米 製 品 の 減 尐 となる こうして 毎 年 来 朝 するミス シャム/ タイは 日 暹 親 善 の 建 前 として 揚 げられたが 実 は 当 時 にタイへ 進 出 した 日 本 初 の 総 合 商 40 社 である 三 五 物 産 のマーケティング 戦 略 として 利 用 されたのである 昭 和 15 年 (1940 年 )にタイは 割 譲 したメコン 川 右 岸 の 失 地 ( 現 在 ラオスのルアンプラ バーン 対 岸 とチャムパーサック)をタイに 返 還 するように フランスに 要 求 した しかし タイはフランスに 要 求 を 拒 否 され フランスと 紛 争 を 起 こした 仲 介 役 としての 日 本 は 両 国 の 代 表 を 招 いて 東 京 で 交 渉 を 開 始 し タイ 佛 印 の 國 境 紛 争 は 日 本 の 申 入 によつて 停 戦 とな り タイは 失 地 を 回 復 することができた この 事 件 によって タイ 國 政 府 は 東 亜 の 兄 貴 として 日 本 の 指 導 的 地 位 を 認 め 41 た 第 二 次 世 界 大 戦 にタイは 中 立 を 宣 言 していたが 1941 年 12 月 8 日 未 明 にタイの 南 部 が 日 本 軍 に 侵 略 されたため 日 本 軍 と 交 戦 した この 戦 闘 行 為 によって タイ 側 一 八 三 人 日 本 側 一 四 一 人 の 戦 死 者 が 出 ていた が 新 聞 ではこの 事 件 についての 報 道 はなされず わ が 部 隊 は 日 泰 協 定 に 基 き 八 日 夕 刻 居 留 民 並 び 泰 人 に 迎 へられて 歩 步 堂 々バンコクに 進 駐 した 42 と 書 かれている また タイ 軍 が 日 本 に 抵 抗 した 事 件 については 八 日 朝 南 泰 ( 中 略 ) 英 軍 と 交 戰 したと 書 き 換 えられている 国 の 独 立 を 守 るため 同 年 12 月 21 日 に 日 泰 攻 守 同 盟 条 約 に 調 印 しても タイ 国 内 で 日 本 軍 に 対 する 抵 抗 運 動 が 何 度 か 起 こった 翌 年 (1942 年 ) 読 売 新 聞 で 報 道 されたタイに 関 する 記 事 を 見 れば 例 えば 日 泰 攻 守 同 盟 締 結 秘 話 毅 然 頑 張 るピブン 首 相 43 や 血 に 結 んだ 日 泰 きょう 同 盟 から 1 年 のお 祝 い 44 などの 記 事 で 日 本 軍 を 歓 迎 する 戦 友 や 盟 邦 泰 としてのタイのイメージが 大 々 的 に 主 張 されている しかし タイの 資 料 を 見 れば タイ 人 の 日 本 軍 への 不 満 や 抵 抗 について 多 く 書 かれている 45 例 えば ソッサイ カンティヴォラポングによれば 親 日 派 と 見 なされる 当 時 の 首 相 のピブーンは 1941 年 5 月 21 日 の 内 閣 府 政 策 会 議 で 次 のように 発 言 している 日 本 の 軍 人 たちはタイで 日 本 円 を 使 ったり タバコの 吸 殻 をタイ 人 女 性 の 胸 に 入 れ 39 久 保 田 裕 子 近 代 日 本 における タイ イメージ 表 象 の 系 譜 昭 和 10 年 代 の 南 洋 へのまなざし ( 立 命 館 言 語 文 化 研 究 2010 年 1 月 ) 40 三 五 物 産 について 第 2 章 タイ 国 旅 行 の 第 4 節 を 参 照 41 アジアに 還 るアジアの 歓 び ( 読 売 新 聞 1941 年 1 月 26 日 夕 刊 ) 42 堂 々 バンコク 進 駐 皇 軍 泰 国 の 歓 迎 浴 びて ( 読 売 新 聞 1941 年 12 月 10 日 夕 刊 ) 43 日 泰 攻 守 同 盟 締 結 秘 話 毅 然 頑 張 るピブン 首 相 ( 読 売 新 聞 1942 年 4 月 1 日 朝 刊 ) 44 血 に 結 んだ 日 泰 きょう 同 盟 から1 年 のお 祝 い ( 読 売 新 聞 1942 年 12 月 21 日 朝 刊 ) 45 これについて 第 4 章 南 方 徴 用 作 家 の タイ の 第 5 節 を 参 照 17
たりと 悪 戯 をしている しかも 日 本 は 自 己 中 心 的 である かつて 映 画 ミカド がタイで 上 映 される 予 定 があったが 天 皇 に 対 する 不 敬 という 理 由 で 上 映 が 禁 止 され た 日 本 の 大 使 も 日 本 人 はどこにいても いつも 日 本 式 の 生 活 をする 他 の 国 の 文 化 に 従 わず 気 のままに 過 ごす 今 日 本 とタイの 葛 藤 は 毎 日 起 こっている (สดใส ข นต วรพงศ. ประเทศไทยก บป ญหาอ นโดจ นของฝร งเศส 1937-1947 (Thailand and The French Indochina Question: 1937-1947). ว ทยาน พนธ มหาบ ณฑ ตแผนกว ชาประว ต ศาสตร บ ณฑ ตว ทยาล ย จ ฬาลงกรณ มหาว ทยาล ย. 2540. (1997 年 タナポーン 訳 )) このように 日 本 に 抵 抗 するタイの 姿 勢 が 毎 日 起 こっている のだが なぜ 読 売 新 聞 では 一 切 言 及 されていないのか それは 戦 時 中 に 報 道 されたタイは 血 に 結 んだ 日 泰 という 日 本 の 同 盟 国 としてのイメージが 一 方 的 に 押 しつけられていたためである そ れと 同 時 に 同 盟 国 として 相 応 しくない 行 為 は 日 本 国 内 において 報 道 されることなく マスコミに 削 除 されたのである こうしたタイで 対 日 行 為 を 抑 えるため 昭 和 18 年 (1943 年 )に 中 村 明 人 がタイ 駐 屯 軍 司 令 官 に 就 任 し 様 々な 日 タイ 親 善 交 流 例 えば 仏 教 的 な 46 47 48 交 流 や 夫 人 の 交 流 会 や 日 タイ 文 化 振 興 活 動 などを 行 っている 特 に 戦 争 で 中 止 に 49 なった 日 タイ 親 善 の 象 徴 としてのミス タイの 選 定 は 3 年 振 りに 復 活 した このように 昭 和 18 年 以 降 昭 和 10 年 代 前 半 のような 日 タイ 交 流 が 再 開 されたのはタイ 人 の 対 日 感 情 を 取 り 除 き 日 タイ 親 善 を 奨 励 するという 軍 事 戦 略 の 目 的 で 利 用 されたと 考 えられる 前 期 昭 和 期 の 読 売 新 聞 におけるタイは 日 タイ 交 流 によって 日 本 との 良 好 な 関 係 が ある 国 として 語 られた 日 タイ 交 流 をみれば 文 化 ( 仏 教 伝 統 文 化 ) / 女 性 ( 婦 人 交 流 ミス タイ) / 子 供 ( 尐 年 交 流 象 ) という 三 つのポイントがよく 取 り 上 げら れている 文 化 / 女 性 / 子 供 は 非 政 治 的 な 領 域 に 存 在 し 戦 争 と 無 縁 であるように 見 え るが 文 化 / 女 性 / 子 供 の 非 政 治 的 な 交 流 はタイ 人 の 日 本 に 対 する 信 頼 感 や 安 心 感 につ なかり 日 本 の 貿 易 利 益 や 効 果 的 な 軍 事 力 の 運 用 をもたらす また 戦 時 中 の 厳 しい 時 代 の 中 で 文 化 / 女 性 / 子 供 の 交 流 を 強 調 することは 戦 争 しない= 平 和 なタイがみられる のである このようなタイの 表 象 は 戦 時 中 の 南 方 徴 用 作 家 の 小 説 でよく 描 かれている こ れについては 第 4 章 で 考 察 する 4 戦 後 昭 和 平 成 期 戦 時 中 のタイは 日 本 と 同 盟 国 になっても その 裏 では 反 日 組 織 自 由 タイ 運 動 を 結 成 し 連 合 国 に 軍 事 情 報 を 提 供 していた この 運 動 によって 日 本 の 同 盟 国 であったタイは 敗 戦 国 の 地 位 から 脱 却 できたが 1946 年 にフランスに 失 地 を 返 還 することになる 戦 後 のタイはアメリカの 支 援 を 受 けながら イギリスに 資 産 の 原 状 復 帰 ビルマとマラヤ 46 10 日 に 仏 舎 利 恭 迎 式 ( 読 売 新 聞 1943 年 7 月 7 日 夕 刊 ) 47 桃 の 節 句 に 日 泰 婦 人 の 交 驩 ( 読 売 新 聞 1943 年 3 月 3 日 夕 刊 ) 48 泰 国 で 日 本 賞 日 本 文 化 の 論 文 入 選 決 る ( 読 売 新 聞 1943 年 2 月 9 日 夕 刊 ) 49 タイの 花 ミス タイ を 改 称 3 年 ぶりに 栄 冠 は 輝 く ( 読 売 新 聞 1944 年 1 月 6 日 朝 刊 ) 18
の 領 土 返 還 コメの 一 亓 〇 万 トン 供 与 し イギリスと 平 和 条 約 の 交 渉 を 行 った 50 こうし てタイは 親 日 的 な 態 度 が 薄 らいだ 一 方 アメリカとの 関 係 が 強 化 していった 1948 年 後 半 から 日 本 はタイとの 貿 易 を 再 開 し 戦 後 の 食 糧 不 足 のため タイから 米 を 大 量 輸 入 した しかし タイ 米 は 多 くの 記 事 で カビが 発 生 する 病 変 米 51 と 書 かれる など 日 本 での 評 判 は 良 くなかった こうした 貿 易 関 係 の 記 事 以 外 で 注 目 されるのは タ イで 中 国 名 に 変 名 して 52 終 戦 後 日 本 軍 から 逃 亡 して 帰 国 しなかった 残 留 兵 がタイに 53 移 住 している 記 事 である タイは 他 の 東 南 アジア 諸 国 がそうであるように 日 本 にとって 戦 争 の 記 憶 と 結 びつき 戦 前 の 自 国 の 姿 を 映 し 出 す 場 所 になっていることが 分 かる 戦 後 中 国 では 共 産 党 勢 力 が 急 速 に 拡 大 し 共 産 主 義 がインドシナまでに 浸 透 してきた アメリカと 親 密 な 関 係 にあるタイは 東 南 アジア 条 約 機 構 (SEATO) 本 部 としてアメリ カから 援 助 されながら 反 共 産 主 義 政 策 を 推 進 した 1956 年 7 月 24 日 安 定 した 反 共 国 家 タイ ( 朝 刊 )で アメリカ 製 品 の 宣 伝 する 広 告 やネオンの 数 のアメリカ 化 されたタイ や アメリカの 経 済 軍 事 援 助 によって 安 定 しているタイを 東 南 アジアで 古 くから 独 立 を 維 持 してきた 唯 一 の 国 であり 伝 統 的 な 巧 妙 な 保 身 現 実 外 交 をとっている と 伝 え ている これに 対 して 日 本 との 貿 易 は 東 南 アジアの 新 興 民 族 国 家 は 戦 後 もなお 日 本 に 対 して 不 信 の 念 と 敵 意 を 抱 く ため アジア 全 体 は 1930 年 代 半 ばには 日 本 の 輸 出 の 半 分 を 占 めていたが 今 では 亓 分 の 二 にすぎ 54 ない 日 本 は 東 南 アジアとの 貿 易 を 振 興 する ため アメリカの 助 力 をあおぎ 東 南 アジア 諸 国 との 相 互 理 解 と 信 頼 の 回 復 に 努 めた ま た アジアの 経 済 を 伸 ばそうとするいろいろな 動 きをみんな 日 本 の 小 さな 利 己 主 義 の 現 わ れだという 見 方 をしているものが 多 かった 55 ため 1960 年 代 の 日 本 は 東 南 アジアに 対 する 態 度 は 経 済 的 な 面 だけではなく 東 南 アジアの 尐 数 民 族 への 関 心 も 高 めた その 後 1968 年 に 話 題 になった タイ 国 留 学 生 の 麻 薬 密 輸 事 件 が 起 こってから タイ は 大 麻 薬 ルート や 世 界 一 のアヘン 密 作 地 帯 として 有 名 56 になり その 報 道 の 中 で 取 り 上 げられた 麻 薬 栽 培 する 山 岳 民 族 を 調 査 するため 様 々な 日 本 の 調 査 団 がタイに 訪 れ 読 売 新 聞 に 調 査 結 果 を 発 表 している 上 記 の 麻 薬 関 連 の 記 事 以 外 でも 1960 年 代 以 降 になると タイについての 記 事 が 多 く 見 られるようになる 57 例 えば 連 載 記 事 聖 火 の 道 よみうり 機 で 飛 ぶ16 58 で 山 田 長 政 の 墓 と 日 本 人 街 跡 がある 仏 教 国 タイの 表 象 が 復 元 され そしてタイ 人 を 何 をきい 50 柿 崎 一 郎 物 語 タイの 歴 史 微 笑 みの 国 の 真 実 ( 中 公 新 書 2007 年 9 月 ) 51 [ 時 の 言 葉 ] 病 変 米 ( 黄 変 米 ) ( 読 売 新 聞 1953 年 2 月 18 日 夕 刊 )など 52 まだいる 日 本 兵 バンコクに 二 百 引 揚 者 の 話 ( 読 売 新 聞 1952 年 10 月 12 日 朝 刊 ) 53 タイに 残 留 兵 二 三 百 現 地 での 結 婚 組 もいる ( 読 売 新 聞 1952 年 3 月 21 日 朝 刊 ) 54 開 国 百 年 の 日 本 ( 読 売 新 聞 1958 年 3 月 17 日 朝 刊 ) 55 [ 月 例 座 談 会 ] 日 本 の 問 題 世 界 の 問 題 ( 読 売 新 聞 1962 年 9 月 28 日 朝 刊 ) 56 タイに 大 麻 薬 ルート 黒 幕 は 女 貿 易 商 留 学 生 を 利 用 (( 読 売 新 聞 1968 年 9 月 19 日 朝 刊 ) 57 タイの 麻 薬 関 連 の 記 事 については 1960 年 以 前 にはなかった 初 めて 読 売 新 聞 で 掲 載 されたタイの 麻 薬 関 連 の 記 事 は 首 謀 5 人 を 起 訴 バンコク 直 輸 麻 薬 団 (1961 年 3 月 30 日 朝 刊 )であった 1960 年 代 のタイの 麻 薬 関 連 の 記 事 だけは 13 件 であった 1970 年 代 には 75 件 を 突 破 した 58 [ 聖 火 の 道 ]=16 バンコク 市 内 に 400 寺 外 人 僧 も 修 行 ( 連 載 ) ( 読 売 新 聞 1964 年 1 月 23 日 夕 刊 ) 19
てもニコニコ 笑 うだけ と 表 現 している また 連 載 記 事 バンコクだより 上 59 では 自 動 車 の 六 割 は 日 本 製 であり トラックに 至 っては 八 割 まで 日 本 から 輸 入 され る 友 邦 のタイ の 姿 や 連 載 記 事 アジアに 生 きる タイと 日 本 60 では タイは 東 南 アジアで 最 も 日 本 人 が 多 いところで 戦 争 にまつわる 反 日 感 情 もない 商 売 がしやすい と 語 られている さらに コラム 特 派 員 のえんぴつ 61 では みやげ 物 屋 はもちろん( 中 略 ) タクシーの 運 転 手 トルコぶろのマッサージ 女 にいたるまで 片 言 の 日 本 語 でごきげんをと る 有 名 ナイトクラブ(うち 一 軒 は 日 本 人 経 営 )にいけば あちこちで 日 本 語 が 聞 こえ ショーの 司 会 者 歌 手 まで 日 本 語 をあやつり 日 本 語 の 流 行 歌 をサービスする という 日 本 化 されたタイ 社 会 を 伝 えている 1972-1973 年 にタイで 日 本 製 品 排 斥 運 動 が 起 こった その 原 因 の 一 つは 野 口 ジム 襲 撃 事 件 である 野 口 ジム あるいは 野 口 キックボクシング ジムは 日 本 のキックボクシング 界 の 草 分 けの 野 口 修 によって 開 設 されたジムである 野 口 はタイで 日 本 タイ 対 抗 のキックボ クシングの 試 合 を 行 っていたが 野 口 のキックボクシングは タイ 国 技 を 汚 すものだ と いう 一 部 のタイ 世 論 の 強 い 反 感 を 買 ったため キックボクシング ジムが 1972 年 10 月 15 日 の 夜 に ピストル 弾 三 発 が 打 ち 込 まれ 62 63 た 一 方 タイの 資 料 から 見 ると 野 口 キ ックボクシングがタイのマスコミに タイ 国 技 を 汚 すものだ と 非 難 された 理 由 は 野 口 は 日 本 とタイのキックボクシング 試 合 を 行 う 時 格 下 のタイ 人 選 手 を 格 上 の 相 手 と 戦 わせ ただけではなく ボクシングの 試 合 の 放 送 中 に 野 口 キックボクシングがタイのキックボク シングより 優 れていると 自 分 のジムを 宣 伝 したのである このように 1960 年 代 後 半 から 対 日 貿 易 赤 字 や 日 本 商 品 の 氾 濫 や 日 本 人 の 乱 行 に 対 するタイ 人 の 不 満 は 野 口 ジム 襲 撃 事 件 が 引 き 金 となって 全 国 的 な 日 本 製 品 ボイコット 運 動 を 引 き 起 こすことになる 反 日 的 なタイの 態 度 について 微 笑 みの 国 といわれるタイの 人 は 元 来 が 平 和 で 妥 協 的 で 解 放 的 なのである 加 えて 王 家 を 中 心 に こぞって 敬 けんな 仏 教 徒 たちだ( 中 略 ) 日 本 に どっかと 座 り 込 まれては ほほえみのタイも 怒 りのヒョウ に 変 身 せざる を 得 ない 64 と 書 かれている 反 日 運 動 の 他 に 1970 年 代 にタイでタノム( 当 時 の 首 相 ) 軍 事 独 裁 政 権 に 反 対 する 学 生 運 動 やクーデターが 多 発 したため バンコクを 中 心 に 合 弁 企 業 を 経 営 する 外 国 資 本 は( 中 略 ) 相 当 危 機 感 を 覚 え 65 た 1960-70 年 代 のタイは 反 日 運 動 や 政 治 運 動 や 麻 薬 の 問 題 を 抱 える 危 険 な 都 市 と 見 なされている 1973 年 にチェンマイに 住 むカマモト(またはタマモト) トシオが 人 身 売 買 麻 薬 覚 せ い 剤 密 輸 組 織 で 逮 捕 された という 日 本 人 から 非 常 に 注 目 された チェンマイ 事 件 66 が 起 59 バンコクだより 上 ( 読 売 新 聞 1964 年 8 月 17 日 朝 刊 ) 60 [アジアに 生 きる] タイと 日 本 ( 読 売 新 聞 1966 年 4 月 18 日 朝 刊 ) 61 特 派 員 のえんぴつ ( 読 売 新 聞 1968 年 12 月 13 日 朝 刊 ) 62 タイの 野 口 プロに 抗 議 の 弾 丸 反 日 感 情 高 まる/キック ボクシング ( 読 売 新 聞 1972 年 10 月 18 日 朝 刊 ) 63 เข ยน ธ ระว ทย. รายงานว จ ยเร องความส มพ นธ ทางเศรษฐก จระหว างไทยก บญ ป น (ส นส ดป พ.ศ. 2517). กร งเทพฯ : สถาบ นว จ ยส งคม จ ฬาลงกรณ มหาว ทยาล ย, 2517, (1974) 64 経 済 至 上 自 尊 心 砕 く ほほえみの 国 タイの 反 日 ( 読 売 新 聞 1974 年 1 月 11 日 朝 刊 ) 65 安 定 度 増 すタニン 政 権 タイ クーデターから 1 年 成 果 挙 げた 汚 職 一 掃 ( 読 売 新 聞 1977 年 10 月 6 日 朝 刊 ) 66 ひどい 日 本 人 逮 捕 タイで 尐 女 を 人 身 売 買 ( 読 売 新 聞 1973 年 1 月 9 日 夕 刊 ) 20
こる この 事 件 によって ミスター 玉 本 で 有 名 なチェンマイでの 実 話 と 同 様 に 夕 方 になると バスでレストラン キャバレーをまわり 最 後 に 女 性 を 従 えてホテルにご 帰 館 67 という 買 春 目 的 でタイを 訪 れる 日 本 人 が 増 加 した また 1976 年 に 13 人 の 日 本 企 業 のバンコク 駐 在 員 が 秘 密 カジノ で 逮 捕 される 事 件 が 起 こった バンコクの 日 本 人 脱 線 エリートに 高 価 な 夜 (1976 年 6 月 14 日 朝 刊 )で 日 本 人 の 評 判 を 落 とす ドジ な バンコクの 日 本 人 像 が 生 成 された 理 由 は 東 南 アジアのタイだから という 気 軽 さから なのでないかと 述 べられている 1960 年 代 から 共 産 化 の 恐 れがあるインドシナは 1990 年 代 入 って ようやく 沈 静 化 した タイは 国 内 政 治 や 隣 国 からの 難 民 の 大 量 流 入 の 問 題 などがまだ 解 決 できていないが ク ーデターがタイ 政 治 文 化 の 一 部 とされていた 時 代 が 去 り 政 治 的 安 定 と 民 主 主 義 の 定 着 が 外 資 を 呼 68 び グローバル 化 した 経 済 のうねりに 翻 弄 され ( 中 略 ) 世 界 の 高 級 車 や 有 名 ブランド 商 品 はもちろん 最 先 端 のコンピューター 技 術 も 手 にできるようになった 69 特 に 当 時 のタイ 風 景 は ずらりと 真 新 しい 車 の 列 ベンツ BMWなどの 高 級 車 も 目 につ く 常 時 数 十 人 が 席 に 座 れず 順 番 待 ちをしているほどの 大 変 な 盛 況 ぶりだ ラフな 格 好 の 若 者 グループからカップル 職 場 仲 間 数 人 でおしゃべりに 花 を 咲 かせるOL 携 帯 電 話 で 何 やら 打 ち 合 わせに 余 念 のないネクタイ 姿 のエリートサラリーマン という 仏 教 文 化 の 伝 統 を 忘 れ 誤 った 近 代 化 の 道 を 歩 む 70 タイ 人 の 姿 が 伝 えられている 一 方 国 際 化 されたタイの 風 景 以 外 1990 年 代 に 来 日 タイ 人 女 性 をめぐる 問 題 は 日 本 と タイの 大 きな 問 題 になった ニッポンに 行 けば たくさんお 金 が 稼 げる 楽 な 仕 事 だよ と あっせんブローカーに 誘 われ 71 たタイ 人 女 性 たちは 日 本 に 送 られ 暴 力 団 関 係 者 に 引 き 渡 され 強 制 的 に 売 春 をさせられた それに 茨 城 県 土 浦 市 周 辺 の 県 道 を 車 で 走 ると 新 興 住 宅 街 に 不 釣 り 合 いな きらびやかなネオンが 突 然 目 を 引 く タイ 女 性 たちが 働 くス ナックやバーなど 約 二 十 軒 があり リトルバンコクと 呼 ばれる 72 また 1997 年 12 月 5 日 タイ 人 裏 社 会 金 融 の 核 新 宿 に 地 下 銀 行 さらに 2 店 独 自 に 宝 くじ 発 行 で 歌 舞 伎 町 周 辺 の 繁 華 街 の 一 部 も 尐 なくとも 亓 百 人 以 上 のタイ 人 が 居 住 大 半 が 不 法 滞 在 の 女 性 とみられて 73 リトルバンコク と 呼 ばれている このように 固 有 名 詞 と しての リトルバンコク は 普 通 名 詞 となり 中 華 街 や リトルソウル などとは 異 な る 売 春 街 という 意 味 合 いで 受 け 取 られるようになった 67 [ 世 界 の 裏 窓 ] 日 本 人 観 光 客 タイ 一 夜 妻 連 れ 堂 々 ( 読 売 新 聞 1976 年 1 月 16 日 夕 刊 ) 68 戸 惑 うタイ 軍 事 政 権 クーデターから 1 か 月 ( 読 売 新 聞 1991 年 3 月 25 日 朝 刊 ) 69 [ 特 派 員 ノート] バンコク 原 野 喜 一 郎 政 治 改 革 が 導 く 経 済 再 建 ( 読 売 新 聞 1997 年 9 月 20 日 ) 70 [ 東 南 アジア 新 風 景 ](2)バンコクのタッピー 欧 米 型 生 活 楽 しむ 若 者 ( 連 載 ) ( 読 売 新 聞 1991 年 5 月 15 日 朝 刊 ) 71 [ 追 跡 不 法 就 労 ]タイ 女 性 引 き 渡 し 事 件 から(1) 崩 れたニッポン 幻 想 ( 連 載 ) ( 読 売 新 聞 1991 年 7 月 29 日 朝 刊 ) 72 [ 医 療 ルネサンス](152) 第 二 部 現 代 病 の 周 辺 エイズと 闘 う=2( 連 載 ) ( 読 売 新 聞 1993 年 2 月 22 日 朝 刊 ) 73 タイ 人 裏 社 会 金 融 の 核 新 宿 に 地 下 銀 行 さらに 2 店 独 自 に 宝 くじ 発 行 ( 読 売 新 聞 1997 年 12 月 5 日 夕 刊 ) 21
5 まとめ 読 売 新 聞 におけるシャム/タイの 定 義 や 意 味 生 成 は 時 代 とともに 変 化 しても 明 治 時 代 から 伝 わるイメージや 表 象 がまだ 残 っている まず 明 治 期 にシャムの 情 報 はまだ 不 十 分 であるため シャム 国 情 の 記 事 により 読 者 にシャムについての 知 識 を 提 供 する 明 治 20 年 代 後 半 から 山 田 長 政 は 日 本 人 の 英 雄 として 評 価 され シャムは 山 田 長 政 の 伝 説 によ り 日 本 人 に 知 られるようになった また 日 本 と 仏 教 の 交 流 活 動 から シャムは 仏 教 の 国 という 表 象 が 投 影 された そして 山 田 長 政 の 伝 説 や 仏 教 の 国 や 独 立 の 国 の 表 象 は 日 本 と 共 通 しているため 日 本 人 に 友 好 的 であるという 表 象 が 構 成 された しかし 明 治 期 の 総 合 的 なシャム 像 を 見 れば 所 有 者 がいない(= 植 民 地 になっていない) 豊 饒 な 資 源 があり 日 本 と 様 々なコードを 共 有 しているシャムは シャム 国 としてより 日 本 の 南 進 先 として 紹 介 されていると 言 える 戦 前 昭 和 期 に 入 ると 読 売 新 聞 でシャムと 日 本 との 良 好 な 関 係 は 青 年 交 流 活 動 やタ イ 伝 統 舞 踊 の 披 露 などの 文 化 交 流 の 記 事 を 介 して 語 れられた しかし 様 々な 交 流 を 見 る と 例 えば 来 日 したミス タイは タイの 伝 統 的 な 衣 装 を 着 ずに 着 物 を 着 る 親 日 的 なタ イ 人 の 代 表 とされるだけではなく 三 五 物 産 のマーケティング 戦 略 に 利 用 されている そ れに 日 本 がかつてフランスに 奪 われたメコン 川 右 岸 の 失 地 を 友 邦 のタイに 返 還 する ことは タイが 日 本 とタイの 親 密 な 関 係 を 確 認 しただけではなく 西 洋 と 対 抗 できる 日 本 の 勢 力 を 認 める 出 来 事 だったのである 戦 時 中 のタイは 無 条 件 で 日 本 の 同 盟 国 となっ ても 裏 では 日 本 の 侵 略 によって 対 日 感 情 を 持 っていることが 尐 なくない タイ 人 の 反 日 感 情 を 抑 えるため 文 化 / 女 性 / 子 供 の 交 流 が 軍 事 戦 略 として 再 び 利 用 された 一 方 で これらの 交 流 によって 平 和 なタイの 表 象 が 生 成 された 戦 後 になると タイはアメリカと 友 好 関 係 を 結 び アメリカの 支 援 を 受 けながら アメ リカの 反 共 戦 略 に 協 力 した 1950 年 代 から 1960 年 代 にかけて 読 売 新 聞 でタイが 言 及 される 際 アメリカ 化 されたタイの 風 景 を 取 上 げられ 戦 前 のような 友 邦 弟 親 善 関 係 などの 記 述 が 見 られない 1960 年 代 後 半 からは 日 タイ 関 係 が 復 元 され それによっ て 日 本 企 業 が 急 速 にタイへ 進 出 した 日 本 企 業 や 観 光 客 の 増 加 に 伴 って 日 貿 易 赤 字 や 日 本 商 品 の 氾 濫 や 日 本 人 の 乱 行 などの 問 題 が 発 生 した また 政 治 的 な 問 題 や 麻 薬 の 問 題 などを 抱 えていたタイは 危 険 な 空 間 と 見 なされた しかし 1990 年 代 に 入 ると タイは 民 主 主 義 が 定 着 し 政 治 的 に 安 定 したため 世 界 中 から 観 光 客 が 訪 れただけではなく タイ は 産 業 投 資 を 奨 励 し 経 済 発 展 を 経 て 国 際 都 市 となった 大 衆 新 聞 としての 読 売 新 聞 は 明 治 期 から 現 代 にかけてタイのイメージや 表 象 を 生 成 し 大 衆 に 提 供 していても 読 売 新 聞 におけるタイの 表 象 には 描 写 されるタイと 描 写 されないタイがある つまり 新 聞 は 事 実 を 客 観 的 に 報 道 するというイメージが 強 いが 各 時 期 の 日 本 の 政 治 的 経 済 的 戦 略 と 不 可 分 に 結 びついているため それらの 要 素 によって 報 道 する 内 容 を 編 集 したり タイの 表 象 を 構 築 したりするメディアである 例 えば アジ 22
ア 太 平 洋 戦 争 期 に 抗 日 運 動 を 行 ったタイの 描 写 は 読 売 新 聞 の 中 で 描 かれていない つまり タイは 日 本 の 潜 在 的 な 欲 望 の 地 平 において 表 象 されるか 日 本 や 日 本 人 が 直 接 関 係 するような 事 件 や 出 来 事 を 通 して 日 本 人 の 読 者 に 受 容 されて ステレオタイプ 化 され た それでは そうした 新 聞 が 用 意 した 土 壌 を 背 景 に 新 聞 以 外 の 他 のメディアではどの ようにタイを 表 象 しているであろうか この 問 題 について 第 2 章 ではタイについての 観 光 に 関 するメディアを 考 察 したい 23
第 2 章 タイ 国 旅 行 の 表 象 日 本 人 旅 行 者 たちは 何 を 見 たのか 1 はじめに タイはアジア 諸 国 より 早 くから 観 光 振 興 を 進 め 多 くの 外 国 人 旅 行 者 を 受 け 入 れてきた 2012 年 に 22,303,065 人 の 旅 行 者 数 の 中 で 日 本 人 旅 行 者 数 は 1,371,253 人 1 であった ま た 旅 行 者 数 を 国 別 に 見 ると 1970 年 代 後 半 からマレーシア 人 旅 行 者 が 一 位 日 本 人 旅 行 者 が 二 位 の 順 位 を 占 め 今 日 に 至 っている 毎 年 タイを 訪 れる 多 くの 日 本 人 旅 行 者 は い ったいタイで 何 を 見 て また なぜタイを 訪 れるのだろうか 人 が 見 ているものは ほとんど その 現 実 自 体 が 直 接 体 験 されているものではなく 表 象 なのだ 特 に 写 真 という 媒 介 を 通 しての 表 象 なのだ 人 が 眼 差 しを 向 けて いる のは 自 分 が 絵 はがきとかガイドブック(そして テレビ 番 組 も 増 えている) から 取 り 入 れた その 景 色 の 観 念 的 な 表 象 なのである そして その 自 然 の 驚 異 を 本 当 には 見 る ことはできなくても それでも 人 はそれを 見 る( 心 の 中 で 見 る)こと ができるのである そして その 対 象 がたまたま その 表 象 に 沿 ったのものでなかっ たとしても 人 の 心 に まるで 本 当 に 見 た もののようにして 残 りつづけるのはや はり 表 象 の 方 なのだ (ジョン アーリ 観 光 のまなざし 現 代 社 会 におけるレジャ ーと 旅 行 加 太 宏 邦 訳 法 政 大 学 出 版 局 1995 年 2 月 ) 旅 をすることは 日 常 の 空 間 から 非 日 常 の 空 間 へ 移 動 することである ジョン アーリ は 旅 行 によって 異 なる 風 景 町 並 みなどを 観 るという 時 にはちがった 社 会 的 なパター ン 認 識 をも ち つまり 風 景 は 町 並 みの 視 覚 的 要 素 にたいして 通 常 日 常 生 活 で 見 ている より 過 敏 になる 2 と 指 摘 している 日 本 人 旅 行 者 に 対 するタイのまなざしは 日 本 の 日 常 生 活 で 習 慣 的 に 遭 遇 しているものとはっきり 区 別 される ものである しかし それだ けではない 旅 行 体 験 として 見 る ことは 経 済 社 会 構 造 時 代 背 景 あるいは そ の 国 についての 既 知 の 情 報 などと 不 可 分 な 関 係 にあり 人 の 心 に 残 りつづけるのはやは り 表 象 になる 1 2012 年 の 訪 タイ 者 数 2200 万 人 突 破 インターネット ホームページ http://www.thailandtravel.or.jp/news/ detail/?no=857 2013 年 6 月 18 日 参 照 2 ジョン アーリ 観 光 のまなざし 現 代 社 会 におけるレジャーと 旅 行 ( 加 太 宏 邦 訳 法 政 大 学 出 版 局 1995 年 2 月 ) 24
紀 行 案 内 記 は 一 般 的 な 情 報 を 伝 える 新 聞 と 異 なり 旅 行 者 が 現 地 を 実 際 に 訪 れた 旅 行 体 験 を 記 録 して 再 生 産 するメディアであるため 主 観 性 が 強 く フィクションのように 誇 張 される 部 分 もある また 旅 行 記 は 種 々の 違 った 条 件 を 背 負 う 旅 行 者 が 同 じ 場 所 を 訪 れるという 性 格 があるため その 場 所 にそそがれるまなざしの 変 遷 や 旅 行 者 ごとのまなざ しの 特 色 について 考 察 するための 重 要 な 資 料 である そこで 本 章 では 明 治 期 から 1990 年 代 の 間 のタイに 関 する 紀 行 案 内 記 を 中 心 に 取 り 扱 って 日 本 人 旅 行 者 たちはどのような 目 的 でタイへ 渡 航 したのか また 日 本 人 旅 行 者 たちはタイに 対 してどのようなまなざし を 向 けているのかという 問 いについて 考 察 したい なお 紀 行 案 内 記 は 文 学 の 一 つのカテゴリに 分 類 される 場 合 があるが 本 章 で 取 上 げ る 紀 行 案 内 記 は 文 学 的 な 要 素 がある 旅 行 記 ( 冒 険 旅 行 記 )やルポルタージュだけでなく 学 術 的 旅 行 記 ( 調 査 旅 行 報 告 書 )やガイドブックなどの 情 報 を 提 供 する 文 献 などもある そのため 本 論 文 で 取 上 げる 紀 行 案 内 記 は 文 学 のジャンルに 該 当 しないものとし 旅 行 に 関 するメディアとして 取 り 扱 う 2 シャムへの 旅 シャムと 日 本 との 本 格 的 な 交 流 がはじまったのは 明 治 8 年 (1875 年 )2 月 であった オーストリア 公 使 セッファーは 清 国 とシャム 国 との 兹 任 公 使 だった 関 係 から シャムが 欧 米 諸 国 と 友 好 通 商 条 約 を 結 び 貿 易 も 盛 んであると 告 げ 日 本 政 府 もこれに 参 加 するように 勧 めた セッファーの 進 言 を 受 け 大 鳥 圭 介 川 路 寛 堂 河 野 通 猷 が 太 政 大 臣 の 三 条 実 美 に 建 白 書 を 提 出 し シャムに 渡 航 することとなった このとき 大 鳥 等 はシャムの 政 情 経 済 風 俗 などを 視 察 するため 一 ヵ 月 ほど 滞 在 し 帰 国 後 報 告 書 暹 羅 紀 行 ( 大 鳥 圭 介 工 部 省 1875 年 6 月 )を 発 表 した この 報 告 書 は 本 格 的 にシャムを 取 り 上 げて 紹 介 した 最 初 の 書 籍 だと 言 われている 明 治 25 年 (1892 年 )に 言 論 界 で 関 心 が 高 まった 山 田 長 政 に 興 味 を 覚 えていた 3 岩 本 千 綱 は シャムに 渡 った 岩 本 千 綱 は 高 知 県 で 生 まれ 明 治 12 年 (1879 年 )に 士 官 学 校 を 卒 業 して 少 尉 に 任 官 したが 明 治 20 年 (1887 年 )12 月 に 新 発 田 に 赴 任 するときに 杯 盤 の 間 舊 情 を 語 ること 上 官 に 聞 え 物 議 騒 然 終 に 停 職 を 命 ぜられ 4 た 東 洋 の 諸 国 を 漫 遊 するため 明 治 25 年 8 月 岩 本 はシャムを 訪 問 し 数 ヶ 月 にわたって 滞 在 した 帰 国 後 シャムについて 講 演 会 を 開 催 して そして 暹 羅 國 探 検 実 記 ( 岩 本 千 綱 鹿 島 長 次 郎 1893 年 10 月 )が 公 演 録 として 刊 行 された 暹 羅 紀 行 と 同 様 にシャムの 社 会 構 造 経 済 宗 教 歴 史 について 書 かれていたが 暹 羅 國 探 検 実 記 の 特 徴 はシャムの 貴 族 の 風 俗 と 庶 民 の 風 俗 などが 厳 しく 批 判 されるだけではなく 明 治 26 年 (1893 年 )の 暹 羅 危 機 という フランスがシャムの 領 有 を 迫 った 事 件 や 当 時 のシャムと 他 国 との 関 係 なども 書 かれてい 3 金 子 民 雄 解 説 ( シャム ラオス 安 南 三 國 探 検 実 記 中 央 公 論 1989 年 11 月 ) 4 本 文 引 用 は 全 て 明 治 シルクロード 探 検 紀 行 文 集 成 第 13 巻 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 (ゆまに 書 房 1988 年 9 月 )に 拠 る 25
る このように 暹 羅 國 探 検 実 記 におけるシャムは 總 べて 务 等 不 紀 律 を 極 め 放 逸 散 漫 を 極 め ると 描 かれている シャムの 地 を 踏 んだ 岩 本 は シャムへの 移 住 や 日 本 との 通 商 の 計 画 をシャム 農 商 務 大 臣 プラヤー スラサックモントリーに 進 言 し スラサックモントリーの 協 力 を 得 て 明 治 27 年 (1894 年 )に 日 本 農 民 の 移 住 計 画 を 実 行 したが 後 に タイ 国 の 農 繁 期 に 無 頓 着 であっ たため 渡 タイした 日 本 人 は 全 く 逃 散 して 農 業 に 従 事 する 者 なく 移 民 計 画 はさんざんな 結 果 となった 5 とされている しかも タイ 側 の 親 日 家 スラサックモントリーにとって 事 態 はもっと 深 刻 であ 6 り さらに 借 金 の 問 題 もあった シャムの 植 民 地 化 に 尽 力 した 岩 本 もシャムから 姿 を 消 し ラオス ベトナム 探 検 に 向 かった 石 五 米 雄 吉 川 利 治 編 日 タイ 交 流 六 〇 〇 年 史 ( 講 談 社 1987 年 8 月 )によれば 岩 本 はこの 探 検 に 出 発 するまえに バンコク 船 渠 会 社 に 工 員 を 世 話 するといって 手 付 金 210 ドロを 受 け 取 っていた また 日 本 で 装 飾 を 施 してやろうといって プラヤー スラサック モントリーから ラマー5 世 より 下 賜 されて 家 法 にしていた 刀 剣 を 受 け 取 っていた ( 中 略 ) 岩 本 はこのような 手 付 金 をすでに 使 いこんでしまい 刀 剣 は 神 戸 で 他 人 に 売 り 払 って 質 草 になっていた このような 理 由 で バンコクにいづらくなった 岩 本 は 山 本 鋠 介 とシャムを 縦 断 し ラオス 安 南 に 向 かって 三 国 の 実 情 を 視 察 した この 探 検 旅 行 は 翌 明 治 30 年 ( 1897 年 )4 月 に 終 わり 帰 国 した 岩 本 は 旅 行 記 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 を 刊 行 した 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 は 明 治 30 年 に 博 文 館 から 出 版 され 昭 和 17 年 (1942 年 ) に 再 版 された 人 はなぜ 旅 をするか (1942 年 第 8 巻 交 通 公 社 ) 所 収 本 文 は 再 版 本 からの 抄 訳 である また 1988 年 にも 明 治 シルクロード 探 検 紀 行 文 集 成 第 1 巻 とし てゆまに 書 房 により 復 刻 された さらに 同 書 をもとに 翌 年 1989 年 4 月 23 日 と 30 日 TBS テレビで 新 世 界 紀 行 が 放 映 された また 1989 年 6 月 から バンコク 週 報 で 現 代 語 訳 され 連 載 された 7 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 の 物 語 の 内 容 は 鉄 脚 ( 岩 本 千 綱 )と 三 無 ( 山 本 鋠 介 ) が 此 國 に 重 大 なる 關 係 ある 北 方 佛 欄 西 新 殖 民 地 老 撾 を 跋 踄 し 轉 じて 東 方 安 南 東 京 に 向 ひ 至 る 所 の 人 情 風 俗 地 理 宗 教 其 他 萬 般 の 實 況 を 視 察 し 榎 本 子 爵 北 澤 正 誠 氏 等 より 高 岡 法 親 王 の 御 遺 跡 捜 索 の 依 托 を 受 けたる という 目 的 で 無 銭 冒 険 旅 行 を 試 みるというもので ある しかし 宮 崎 滔 天 は 盤 谷 雑 話 8 で 山 本 鋠 介 について 盤 谷 四 十 人 の 醜 業 婦 中 にて 第 一 の 美 人 の お 鶴 に 失 恋 して 狂 氣 の 如 くにな ったので 髪 を 剃 り 眉 を 落 して 法 界 に 佛 心 を 祈 るの 人 にな ったと 述 べている 一 方 当 時 シャム 在 留 の 日 本 人 がスラサッ クモントリーから 金 員 を 得 て 殖 民 の 事 業 を 設 計 して 失 敗 した 岩 本 の 出 家 する 理 由 につい て 宮 崎 は 暹 羅 人 の 日 本 人 に 對 する 感 情 に 於 ては 寧 ろ 得 る 處 多 くして 失 ふ 所 少 からんと 思 はる ため 暹 羅 の 恩 人 に 對 し 日 本 の 知 己 に 對 するの 申 譯 なり 謝 罪 であろうと 指 摘 し 5 吉 川 利 治 アジア 主 義 者 のタイ 国 進 出 : 明 治 期 の 一 局 面 ( 東 南 アジア 研 究 1978 年 6 月 ) 6 注 5 に 同 じ 7 金 子 民 雄 解 説 ( シャム ラオス 安 南 三 國 探 検 実 記 中 央 公 論 1989 年 11 月 ) 8 宮 崎 滔 天 盤 谷 雑 話 ( 宮 崎 滔 天 全 集 第 亓 巻 平 凡 社 1976 年 8 月 ( 出 典 : 國 民 新 聞 1897 年 1 月 30 日 ~2 月 3 日 ) 26
ている しかし 岩 本 は 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 の 冒 頭 で 暹 羅 人 が 僧 侶 に 對 する 常 態 と 云 へ 其 質 朴 愛 すべきもの だと 知 っているため 無 銭 で 食 事 や 宿 泊 を 得 て 盗 賊 等 の 危 害 を 避 くる 目 的 で 巡 礼 僧 に 身 をやつしたと 述 べて 巡 礼 僧 の 建 前 としてバンコクか ら 敬 遠 したとしている 暹 羅 國 探 検 実 記 や 暹 羅 紀 行 などの 報 告 書 と 同 様 にシャムの 経 済 産 業 や 制 度 につ いて 情 報 収 集 が 目 的 の 調 査 旅 行 をしても 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 は 日 本 人 の 足 跡 未 だ 至 らざる 蓋 し 猛 獣 毒 蛇 の 害 は 言 を 待 たず 群 盗 昼 出 でて 人 を 殺 し 時 に 森 林 悪 熱 猖 橛 を 極 め 命 を 殞 すもの 十 中 八 九 なるを 常 とす る 冒 険 探 検 要 素 が 多 分 に 含 ま れており 旅 行 の 準 備 携 帯 品 シャムの 移 動 手 段 なども 紹 介 されている そして シャ ムの 旅 の 終 わりに シャムの 気 候 人 情 風 俗 交 通 農 務 業 軍 事 宗 教 地 方 制 度 など の 概 要 をまとめる しかし 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 で 虎 や 泥 棒 と 出 会 った 出 来 事 や 現 地 の 人 々との 交 流 などの 冒 険 の 要 素 は 読 者 を 楽 しませる 想 像 力 を 喚 起 するような 感 覚 を 与 えず それらの 冒 険 による 様 々な 困 難 は 読 者 の 同 情 を 誘 う 様 々な 困 難 の 描 写 の 要 素 は 国 益 のために 献 身 的 に 旅 行 をするというようなメッセージなどを 見 ると この 旅 行 記 は 岩 本 が 体 験 したことを 記 すものだけではなく バンコクでの 汚 名 を 返 上 し 信 頼 を 取 り 戻 す 役 割 を 果 たしていると 考 えられる 明 治 初 期 の 暹 羅 紀 行 などの 報 告 書 と 同 様 に 無 邪 気 無 教 育 の 土 民 や 野 蛮 無 政 府 の 地 などの 未 開 という 印 象 を 与 える 内 容 を 誇 張 拡 大 して 取 上 げる 傾 向 がある そ のほかに シャム 以 外 ラオスとベトナムも 旅 行 したため 岩 本 は 暹 羅 人 は 先 天 的 懶 惰 にして 各 自 尊 崇 する 佛 者 の 命 と 雖 も 働 くと 云 ふ 事 は 成 る 丈 け 廻 避 せんと 欲 するの 傾 きあり 之 に 反 して 老 撾 人 は 凡 そ 人 間 は 働 きて 衣 食 するを 常 とし 遊 んで 過 すべき 者 にあらずとの 觀 念 を 有 するが 如 し というようにシャムとラオスやベトナムを 比 較 して 書 いている また 岩 本 は 当 時 の 話 題 になったシャムの 鉄 道 設 備 を 取 り 上 げて 請 負 者 たる 英 國 人 某 が 唯 自 家 目 前 の 利 を 計 り 一 時 誤 魔 化 しの 築 造 を 為 し 殆 ど 工 事 を 中 止 して 英 國 に 歸 り 今 に 歸 暹 せ ず 将 來 の 政 略 商 略 に 影 響 を 及 ぼす と シャムを 搾 取 したイギリスを 批 判 している このように 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 の 特 徴 はシャムの 内 地 の 風 景 ( 東 北 部 )が 投 影 されることだけではない 西 洋 の 勢 力 に 進 出 されるシャムの 内 地 の 状 況 が 強 調 され 將 來 日 本 が 當 國 に 對 する 商 略 は 今 日 の 如 き 賣 一 方 の 方 針 を 改 めて 反 對 に 大 に 買 方 に 進 み 深 く 内 地 に 入 て 歐 米 人 若 くは 支 那 人 の 足 跡 到 らざる 處 を 發 見 し 日 本 人 獨 占 の 好 産 物 地 を 取 得 す と 日 本 のシャム 内 地 への 進 出 が 主 張 されている 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 のような 無 銭 旅 行 体 験 記 は 政 治 や 軍 事 の 目 的 で 記 されて も 冒 険 の 要 素 を 持 つため 明 治 20-30 年 代 に 流 行 になって 多 く 刊 行 され 明 治 末 期 に 流 行 した 冒 険 旅 行 記 の 先 駆 けだと 考 えられる 特 に 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 で 描 いた 冒 険 要 素 があるシャム 内 地 のイメージは 明 治 40 年 代 のシャムの 冒 険 記 でも 見 られるため 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 は 冒 険 地 としてのシャムのイメージを 固 定 化 させていると 考 えられる 27
以 上 のように 明 治 初 期 の 旅 行 記 を 見 ると 明 治 初 期 の 日 本 人 はシャムに 関 する 知 識 が 浅 いため シャムは 気 候 人 情 風 俗 交 通 地 理 宗 教 などの 様 々な 観 点 から 分 類 され その 分 類 によって 出 来 上 がる 集 合 の 性 質 がシャムの 知 識 が 生 成 されてきた そして これ らのシャムに 関 する 知 識 によって 明 治 初 期 のシャムの 表 象 が 喚 起 されてきた そのシャム の 表 象 は 日 本 と 対 立 する 性 質 を 持 ち オリエンタリズムの 要 素 がはっきりと 見 られる こ のように 明 治 初 期 から 固 定 化 されたオリエンタリズム 的 なシャムの 表 象 は 明 治 期 以 降 も 引 き 続 き 維 持 されている 3 探 検 時 代 から 冒 険 時 代 へ 明 治 34 年 (1901 年 )には 冒 険 家 の 中 村 直 吉 9 は 世 界 一 周 旅 行 に 出 発 して アジア 中 近 東 アフリカ ヨーロッパなどを 周 遊 し 帰 国 後 亓 大 州 探 検 記 ( 全 5 巻 )を 出 版 した これらは 当 時 冒 険 探 検 小 説 で 人 気 を 博 した 押 川 春 浪 との 共 編 として 刊 行 され そこでは 物 語 の 内 容 が 誇 張 脚 色 された 箇 所 もある 亜 細 亜 大 陸 横 行 第 一 巻 亓 大 州 探 検 記 ( 博 文 館 1908 年 )には 様 々なアジアの 国 々の 話 の 中 で 暹 羅 探 検 の 話 が 収 め られている 暹 羅 探 検 で 中 村 直 吉 は 盤 谷 府 の 市 街 王 城 ワツトプラケオ 寺 院 ローヤル 公 園 動 物 園 博 物 館 バンパインの 離 宮 山 田 長 政 の 舊 跡 などの 観 光 地 を 訪 ねた また 写 真 師 の 気 賀 秋 畝 は 明 治 33 年 (1900 年 )にシャムに 派 遣 された 十 八 人 の 仏 骨 奉 迎 団 とともに 亜 細 亜 大 陸 横 行 亓 大 州 探 検 記 と 同 様 なシャムの 名 所 に 訪 れ て 暹 羅 土 産 仏 骨 奉 迎 ( 仏 骨 奉 迎 写 真 発 行 所 1901 年 3 月 )に 収 録 した 暹 羅 土 産 仏 骨 奉 迎 の 特 徴 は それまでのシャムに 関 する 書 物 にありがちな 未 開 の 蛮 地 を 探 検 すると いった 要 素 がみられず その 代 わり 名 所 の 写 真 や 文 字 情 報 感 想 などが 載 せられ 今 日 の 旅 行 ガイドブックのようなものとなっている 点 である 紹 介 された 名 所 は 今 ではタイ の 有 名 な 観 光 地 になっている 以 上 二 つの 旅 行 記 を 見 ると 明 治 30 年 代 にシャムを 訪 問 する 外 国 人 旅 行 者 は 決 まったコース つまり 王 宮 や 寺 院 博 物 館 などのシャムの 文 明 を 象 徴 する 場 所 に 案 内 されているのである 一 方 シャムの 名 所 以 外 中 村 直 吉 亜 細 亜 大 陸 横 行 亓 大 州 探 検 記 ( 博 文 館 1908 年 8 月 )で 言 及 されるもう 一 つのシャムの 名 物 は 毎 年 一 度 アユチヤ 近 郊 の 原 野 の 象 狩 である また 押 川 春 浪 の 弟 子 である 河 岡 潮 風 の 讀 んで 字 の 如 く 亓 洲 の 怪 奇 譚 を 集 めた 10 冒 険 壮 遊 亓 洲 怪 奇 譚 ( 博 文 館 1910 年 10 月 )でも 様 々な 国 の 話 の 中 で シャム 象 狩 快 談 はシャムの 唯 一 の 怪 奇 譚 として 選 ばれ 象 狩 りは 暹 羅 の 名 物 西 班 牙 の 闘 牛 朝 鮮 の 虎 狩 りとならぶ 冒 険 的 遊 戯 の 三 福 對 で 命 懸 けの 仕 事 で 暹 羅 最 大 の 冒 険 なので ある という 記 述 がある このように 明 治 30 年 代 の 旅 行 実 記 は 象 や 象 狩 を 繰 り 返 し 言 及 9 中 村 直 吉 (1865-1932) 明 治 昭 和 時 代 前 期 の 冒 険 家 慶 応 元 年 6 月 25 日 生 まれ 愛 知 県 豊 橋 の 帽 子 商 明 治 20 年 アメリカに 27 年 カナダにいく 34 年 商 業 視 察 を 名 目 に 無 線 世 界 一 周 の 旅 にでて 六 年 間 に 六 十 カ 国 をめぐった 日 本 人 としてはじめてアフリカ アマゾンを 探 検 したとされる ( 講 談 社 日 本 人 名 大 辞 典 講 談 社 2003 年 5 月 ) 10 河 岡 潮 風 序 文 ( 冒 険 壮 遊 亓 洲 怪 奇 譚 博 文 館 1910 年 10 月 ) 28
され 象 の 國 のシャムのイメージを 生 成 している 特 に 第 3 章 の 少 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 などの 明 治 期 の 山 田 長 政 テクストを 見 れば 象 の 描 写 は 欠 かせない 描 写 である これについて 第 3 章 で 考 察 する その 後 時 代 が 下 って 明 治 末 期 から 大 正 の 初 期 にかけては 報 告 書 や 旅 行 実 記 以 外 冒 険 的 紀 行 文 などが 多 く 残 されている これらの 紀 行 文 は 冒 険 者 の 実 際 の 経 験 に 基 づいて 読 者 を 楽 しませるため 内 容 に 脚 色 されているものが 少 なくない 特 に 日 露 戦 争 後 には 帝 国 主 義 的 価 値 観 によって 領 土 拡 張 が 正 当 化 され その 背 景 の 中 で 冒 険 雑 誌 三 誌 である 探 検 世 界 (1906 年 5 月 創 刊 ) 冒 険 世 界 (1908 年 1 月 創 刊 ) 步 俠 世 界 (1912 年 1 月 創 刊 )が 創 刊 され 冒 険 探 検 小 説 ブームの 時 代 が 到 来 する 11 このような 冒 険 物 ブームの 流 れの 中 で 明 治 30 年 代 から 受 け 継 がれた 象 の 國 のイメージも 含 め シャムは 冒 険 紀 行 で 未 開 で 野 蛮 な 風 景 だけが 強 調 され 日 本 人 冒 険 家 の 冒 険 地 として 舞 台 化 されている 具 体 的 な 例 をあげれば 松 尾 茂 馬 来 半 島 の 猛 獣 狩 ( 博 文 館 1911 年 5 月 )などである 松 尾 茂 についての 伝 記 情 報 は 未 詳 であるが 報 知 新 聞 通 信 員 として 活 躍 した 以 外 宗 教 研 究 者 として 仏 教 和 歌 集 の 道 歌 大 観 ( 光 融 館 1912 年 )を 編 集 している 馬 来 半 島 の 猛 獣 狩 の 内 容 は 西 暦 千 九 百 九 年 亓 月 六 日 に 報 知 新 聞 通 信 員 の 名 によつて 破 天 荒 の 冒 険 紀 行 の 途 に 上 つた 僕 がシンガポールを 出 発 し シャムの 各 地 域 を 回 り その 地 域 の 風 俗 習 慣 について 解 説 しながら 原 住 民 とともに 水 牛 虎 鰐 象 などの 猛 獣 狩 に 行 く というものである 多 くあらわれる 狩 猟 の 場 面 では 危 険 な 野 生 動 物 の 描 写 や 油 断 できな い 狩 猟 行 為 などを 誇 張 して 描 写 している 物 語 の 舞 台 や 背 景 であるエキゾティックな 密 林 は 生 き 生 きとした 描 写 で 読 者 である 少 年 たちの 想 像 力 に 働 きかけながら 無 事 に 狩 を 終 えた 喜 びと 働 きに 應 じて 幾 チカルかの 名 誉 の 賃 金 を 貰 へる という 書 き 方 で シャ ムを 侵 略 することが 有 益 であると 示 唆 している このような 物 語 は 当 時 の 読 者 の 異 文 化 へ の 関 心 理 想 的 な 主 人 公 と 同 じ 道 を 辿 る 冒 険 心 をかきたて 海 外 に 進 出 し 冒 険 するという 植 民 地 主 義 のイデオロギーが 介 在 しているのである 例 えば 裸 で 産 れて 裸 で 死 ぬ 未 開 の 民 衛 生 とか 養 生 とか 云 ふ 思 想 は 全 く 缺 けて 居 るから 自 分 達 が 生 命 をつなぐ 飲 料 水 即 ちこの 濁 浪 滾 々たるメナム 大 河 へ 犬 猫 の 死 骸 を 放 り 込 むのは 未 だしも 大 小 便 を 流 し 込 む その 水 を 勝 手 に 汲 上 げて 平 氣 で 飮 用 水 とする 不 浄 不 潔 な 未 開 なシャムの 風 景 が 描 かれたり 豊 かな 胸 乳 が 揺 れ 男 根 の 形 をした 木 造 の 戀 の 神 を 崇 拝 する 性 的 な 放 縦 さと 野 生 的 なエネルギーといった 幻 想 を 抱 かせるシャムの 土 人 の 女 が 描 かれたり する これらのシャムの 描 写 は 当 時 の 日 本 社 会 と 比 較 すると 高 度 な 文 明 社 会 を 持 つ 日 本 と 未 開 野 蛮 なシャムという 対 比 構 造 がはっきりと 浮 び 日 本 の 優 越 性 が 強 調 されてい るように 描 かれている 馬 来 半 島 の 猛 獣 狩 の 舞 台 は 殆 どシャムとなり 原 住 民 の 風 俗 や 言 語 や 貨 幣 の 単 位 チカル はすべてシャムのものである しかし この 猛 獣 狩 りの 物 語 はなぜ シャム の 猛 獣 狩 というタイトルがつけられずに 馬 來 半 島 の 猛 獣 狩 というタイトルにされた 11 藤 田 みどり アフリカ 発 見 日 本 におけるアフリカ 像 の 変 遷 ( 岩 波 書 店 2005 年 5 月 ) 29
のか 日 本 のマレー 半 島 への 関 心 は 明 治 20 年 代 から 始 まっていた 明 治 21 年 (1888 年 )に 日 本 領 事 館 が 創 設 されてから 明 治 25 年 (1892 年 )に 三 五 物 産 の 支 店 が 先 駆 けになり マレ ー 半 島 への 日 本 人 の 移 住 が 開 始 された しかし 明 治 29 年 と 30 年 (1896-7 年 )にはマレ ー 半 島 で 大 洪 水 が 起 き 日 本 人 の 移 民 は 様 々な 困 難 に 直 面 し 四 散 したり 帰 国 したりし た 明 治 39 年 (1906 年 )10 月 に 三 菱 の 資 本 により 設 立 された 商 会 の 三 亓 公 司 が ジョ ホールにゴム 園 を 購 入 した 三 亓 公 司 のマレー 半 島 への 進 出 は 日 本 本 土 の 財 閥 系 資 本 が ゴムの 投 機 に 資 本 を 投 じはじめた 最 初 のできごとであ り 大 資 本 と 並 んで 現 地 邦 人 の 零 細 な 資 本 によるゴム 園 所 有 もブーム 的 に 進 行 12 するようになる ゴム ブームをきっかけ に 日 本 人 におけるマレー 半 島 への 関 心 は 高 まり マレー 半 島 や 南 洋 の 国 々に 関 する 文 献 や 旅 行 記 や マレー 半 島 を 舞 台 にする 冒 険 紀 行 などが 多 く 刊 行 された これらのメディ アを 通 して マレー 半 島 に 関 する 多 くの 情 報 は 大 衆 化 され 当 時 の 売 れる 話 題 となっ たのである このように 当 時 の 読 者 の 関 心 に 応 じるため 物 語 はシャムを 舞 台 にしなが らも 馬 来 半 島 の 猛 獣 狩 と 名 付 けられたのではなかろうか これによって シャム を マレー 半 島 と 呼 ぶことに 違 和 感 がない 当 時 の 日 本 人 にとって シャムは 独 立 国 家 と してのシャムとして 知 られず 13 英 国 の 保 護 地 であるマレー 半 島 の 一 部 として 知 られたと 考 えられる それに ゴム 園 を 解 説 する 際 に 荒 地 や 森 林 を 開 拓 することが 必 要 なため 当 時 のマレー 半 島 のイメージはジャングル 的 なイメージが 植 え 付 けられたのではないだろうか このような 蛮 カラ 冒 険 地 としてのマレー 半 島 は 昭 和 初 期 の 冒 険 小 説 にも( 例 えば 南 洋 一 郎 吼 える 密 林 少 年 倶 楽 部 1932 年 4 月 ~12 月 号 など) 受 け 継 がれている 昭 和 10 年 (1935 年 )6 月 シャムの 少 年 たちが 擧 國 一 致 で 四 千 圓 の 小 遣 ひを 集 めてチ エンマイの 密 林 からはるばる 二 匹 の 象 を 贈 り 物 を 14 したため 昭 和 12 年 (1937 年 )3 月 に はな 子 のお 礼 に シャムへ 十 七 名 の 日 本 聯 合 少 年 團 聯 盟 の 答 禮 使 が 派 遣 された 日 本 聯 合 少 年 團 聯 盟 の 答 禮 使 は シャムの 動 物 園 へ 行 つたら 見 事 な 虎 が 居 り 上 野 動 物 園 の 虎 が 昨 年 死 んで 今 は 虎 居 ないから 譲 つてほしいと 申 し 出 したら 同 動 物 園 でも 喜 んで 承 諾 15 し 日 本 の 少 年 団 にお 土 産 として 熊 の 仔 と 虎 16 を 日 本 に 贈 った これを 見 ると 日 本 少 年 にとってのシャムは 少 年 冒 険 小 説 で 描 いたように 野 生 の 動 物 が 数 多 く 生 息 して いる 場 所 である シャム 側 も そのイメージを 利 用 しながら 日 本 青 年 との 交 流 を 行 って 両 国 友 交 を 深 めるとともに 新 しい 時 代 の 青 少 年 の 国 際 性 の 涵 養 に 資 することを 目 的 とし ている 以 上 のように 明 治 末 期 から 昭 和 初 期 にかけての 旅 行 記 におけるシャムは 明 治 初 期 のよ うなあらゆる 分 野 の 知 識 を 集 めたものより 当 時 の 日 本 人 の 関 心 が 投 影 されたものとなっ ている つまり 明 治 末 期 の 旅 行 記 で 描 写 されているシャムのイメージを 見 れば シャム 12 矢 野 暢 南 進 の 系 譜 ( 中 公 新 書 1975 年 10 月 ) 13 矢 津 昌 永 新 撰 外 国 地 理 ( 丸 善 1901 年 11 月 ) 14 花 子 さん のお 礼 に 少 年 団 から 答 礼 使 ( 朝 日 新 聞 1936 年 12 月 15 日 朝 刊 ) 15 虎 を 送 る の 快 報 シャム 答 礼 使 ( 朝 日 新 聞 1937 年 4 月 21 日 夕 刊 ) 16 シャムから 熊 の 仔 と 虎 ( 朝 日 新 聞 1937 年 4 月 25 日 夕 刊 ) 30
の 文 化 的 な 部 分 例 えば 寺 院 や 王 宮 や 博 物 館 などが 提 示 されているが よく 取 り 上 げられるシャムのイメージは 象 などの 野 生 動 物 がいる 冒 険 地 としてのシャムである こう したシャムの 表 象 は 文 明 の 日 本 と 対 立 する 非 文 化 的 である 一 方 で ジャングルや 野 生 動 物 などの 描 写 はシャムの 資 源 の 豊 かさが 暗 示 され 日 本 の 移 民 や 植 民 の 対 象 地 として 描 かれ ているのではないか また 明 治 期 から 昭 和 初 期 までのシャム 紀 行 に 共 通 しているのは 山 田 長 政 あるいは アユタヤの 日 本 人 町 についての 記 述 があることである 例 えば 明 治 期 の 報 告 書 暹 羅 紀 行 に 山 田 長 政 の 話 という 節 があり 暹 羅 老 撾 安 南 三 國 探 検 実 記 でも 山 田 長 政 が 活 躍 し たアユタヤの 日 本 町 を 訪 問 する 箇 所 がある また 川 上 滝 弥 椰 子 の 葉 陰 ( 六 盟 館 1915 年 5 月 )の 第 三 章 暹 羅 の 日 記 で 山 田 長 政 の 名 に 依 り 知 りし 暹 羅 の 國 と 述 べられ ている これらの 例 から 見 ると 当 時 の 日 本 人 にとって 山 田 長 政 はすでに 一 般 化 されてお り シャムのトレードマークとして 紹 介 されていたと 考 えられる しかし 何 もない 当 時 のアユタヤの 日 本 人 町 を 訪 問 し 言 及 する 日 本 人 たちは シャムの 名 所 を 観 光 し 紹 介 すると いうより 海 外 進 出 が 困 難 だった 時 代 に 海 外 (シャム)で 活 躍 した 日 本 人 の 物 語 を 実 在 の 場 所 (アユタヤ)を 通 して 語 ることで それよりはるかに 海 外 進 出 が 容 易 になった 近 代 の 日 本 人 に 向 けて 日 本 人 町 の 再 現 再 興 を 呼 びかけているように 思 われる 特 に 海 外 で 様 々な 困 難 を 乗 り 越 えて 成 功 するという 物 語 がある 冒 険 旅 行 記 は 海 外 雄 飛 としての 山 田 長 政 の 物 語 と 共 通 しているため 明 治 期 から 昭 和 初 期 にかけての 冒 険 旅 行 記 では 山 田 長 17 政 における 社 会 言 説 が 共 有 されていると 考 えられる 4 タイに 渡 航 する 特 派 員 前 述 のように ゴムの 資 源 のため 明 治 末 期 からマレー 半 島 の 重 要 性 が 高 まった ゴム ブーム 以 前 にシャムから 日 本 へ 多 く 輸 出 されていたものはチーク 材 と 米 であった シャム の 商 品 に 関 する 取 引 を 行 っていたのは 三 五 物 産 である 三 五 物 産 は 日 本 初 の 総 合 商 社 であ り 明 治 時 代 から 海 外 進 出 して 多 くの 海 外 支 店 を 設 置 した 三 五 物 産 が 初 めて 東 南 アジ ア 地 域 の 市 場 を 開 拓 したのは 明 治 25 年 (1892 年 )のシンガポール 出 張 所 を 開 設 した 時 であ った そして 明 治 39 年 (1906 年 )8 月 にチーク 材 の 輸 入 を 目 的 として バンコク 出 張 所 18 が 設 置 された 初 期 のバンコク 出 張 員 の 業 績 は 良 くなかったが 第 一 次 世 界 大 戦 期 に 欧 州 製 品 の 供 給 が 途 絶 し バンコク 出 張 員 の 業 績 は 上 昇 していった 昭 和 2 年 (1927 年 )1 月 にバンコク 出 張 員 はシンガポール 管 下 にバンコク 出 張 所 へと 昇 格 して 昭 和 10 年 ( 1935 年 ) 9 月 にバンコク 出 張 所 はシンガポール 支 店 から 独 立 し バンコク 支 店 に 昇 格 した 19 戦 前 の 三 五 物 産 は 日 暹 貿 易 を 拡 大 しただけではない シャム 国 事 情 の 調 査 研 究 や 紹 介 の 17 山 田 長 政 とタイ 表 象 については 第 2 部 第 3 章 を 参 照 18 鈴 木 邦 夫 花 五 俊 介 三 五 系 企 業 の 進 出 ( 南 方 共 栄 圏 戦 時 日 本 の 東 南 アジア 経 済 支 配 多 賀 出 版 1995 年 6 月 ) 19 川 辺 純 子 戦 前 タイのおける 日 本 商 社 の 活 動 三 五 物 産 バンコク 支 店 の 事 例 ( 城 西 大 学 経 営 紀 要 2008 年 3 月 ) 31
ため 昭 和 10 年 (1935 年 )11 月 に 三 五 合 名 会 社 内 に 暹 羅 室 を 設 置 した 20 暹 羅 室 は 様 々 なシャムについての 調 査 を 行 い 新 興 暹 羅 の 経 済 現 勢 (1937 年 ) 暹 羅 入 国 関 係 法 規 (1937 年 ) 盤 谷 築 港 計 画 委 員 会 調 査 報 告 書 (1937 年 ) 最 近 暹 羅 に 於 ける 政 治 経 済 情 勢 (1938 年 ) 北 部 暹 羅 の 経 済 事 情 : ピサヌロツク 地 方 を 中 心 として (1939 年 ) 北 暹 羅 チエンマイの 経 済 事 情 (1939 年 )などの 参 考 資 料 を 刊 行 した 多 くのシャムに 関 する 文 献 の 中 で 暹 羅 案 内 ( 暹 羅 室 1938 年 11 月 )は 他 のシャム 国 の 参 考 資 料 と 異 なり シ ャム 旅 行 者 の 便 宜 に 止 らず 我 國 に 於 けるシャム 事 情 認 識 促 進 の 一 助 とな るという 目 的 で 渡 暹 者 旅 行 の 便 に 供 するため 極 めて 平 易 なる 文 章 によつて 同 國 の 事 情 を 紹 介 してゐる 21 22 旅 行 案 内 書 である 暹 羅 案 内 は 序 に 代 へて 起 ち 上 るシャム 南 洋 の 寶 庫 シャム 氣 候 人 情 風 俗 暹 羅 に 旅 せんとする 人 々へ 渡 船 經 路 に 就 て メナム 河 口 を 溯 江 して 上 陸 第 一 歩 足 の 便 盤 谷 見 物 寺 院 をさぐる 地 方 行 脚 地 方 行 脚 ( 北 方 線 ) 地 方 行 脚 ( 東 方 線 ) 地 方 行 脚 ( 南 方 線 ) 暹 羅 旅 行 の 手 引 き 趣 味 の 暹 羅 旅 行 結 論 で 構 成 され 付 録 として 暹 羅 鐵 道 時 間 及 運 賃 一 覧 表 と 暹 羅 國 地 圖 が 添 付 されている ここから 見 ると 暹 羅 案 内 の 前 半 は 報 告 書 と 同 様 にシャムの 国 情 を 提 示 し 多 種 多 量 の 工 業 原 料 の 供 給 者 や 日 本 商 品 に 對 して 更 に 重 要 な 市 場 などのシャムに 進 出 する 必 要 性 が 主 張 されている 後 半 はシャムに 行 く 際 に 役 に 立 つ 情 報 例 えば 移 動 手 段 や 宿 泊 の 情 報 両 替 手 続 き シャムの 観 光 名 所 などが 旅 行 ガイドブックと 同 様 に 詳 しく 書 かれている ま た シャムの 地 方 ( 北 部 東 部 南 部 )を 紹 介 する 箇 所 は これまでのシャムの 旅 行 記 に ない 要 素 である シャムの 地 方 の 紹 介 では 各 地 方 の 観 光 名 所 が 書 かれるとともに 主 な 内 容 としてはそれぞれの 地 方 にある 工 業 原 料 が 詳 しく 書 かれている このように 暹 羅 案 内 のシャムは 日 本 の 原 料 地 や 市 場 であり 日 本 に 搾 取 される 立 場 にあるように 見 えるが 暹 羅 案 内 の 結 論 では 次 のように 述 べられている 日 本 が 暹 羅 から 物 的 利 益 を 得 ることは その 半 面 に 於 て 暹 羅 にとつても 精 神 的 及 び 物 質 的 利 益 であり 互 ひに 共 存 共 榮 といふ 楯 の 兩 面 をなすもので 日 暹 親 善 はこの 相 互 的 利 益 の 上 に 增 進 せらるべきである 斯 くて 日 暹 親 善 の 為 政 者 が 互 譲 的 に 利 害 の 衝 突 を 調 節 しつつ 國 交 の 梶 を 巧 にとるならば 兩 國 間 に 理 想 的 な 親 善 關 係 が 樹 立 され 維 持 される 日 が 來 るであらうと 吾 人 は 確 信 するのである ( 暹 羅 室 暹 羅 案 内 暹 羅 室 1938 年 11 月 ) 第 1 章 で 述 べたように 昭 和 戦 前 期 の 読 売 新 聞 の 語 られ 方 によれば 日 本 とシャム 20 日 本 タイ 協 会 について 日 本 タイ 協 会 インターネット ホームページ http://nihon-thaikyokai.go-web.jp/ tabid/91/ language/ja-jp/default.aspx 2013 年 6 月 11 日 参 照 21 暹 羅 室 序 に 代 へて ( アジア 学 叢 書 231 暹 羅 案 内 大 空 社 2010 年 9 月 ) 22 実 は 暹 羅 案 内 のような 旅 行 案 内 書 は 明 治 期 から 存 在 していた 具 体 的 な 例 を 挙 げると 圖 南 商 會 編 暹 羅 王 國 ( 經 濟 雑 誌 社 1897 年 9 月 )の 巻 末 にある 付 録 暹 羅 渡 航 者 案 内 で 旅 行 手 段 や 携 帯 すべき 必 要 品 を 簡 単 に 紹 介 してい る 32
の 交 流 活 動 に 関 する 記 事 が 多 く 掲 載 され 両 国 の 良 好 な 関 係 を 強 調 する 意 図 が 見 られる その 日 暹 親 善 の 意 図 は 以 上 の 引 用 のように 文 化 交 流 活 動 の 面 だけではではなく 互 ひに 共 存 共 榮 という 意 味 も 含 まれている つまり こうした 日 暹 親 善 によって 日 本 は 暹 羅 から 物 的 利 益 を 得 る とともに シャムは 富 強 となる そして 富 強 化 され たシャムは 白 人 強 國 の 植 民 地 をなす 東 南 アジアに 精 神 的 にも 物 質 的 にも 重 大 な 影 響 を 興 へ 東 洋 平 和 に 貢 獻 する と 暹 羅 案 内 で 主 張 されている このように 暹 羅 案 内 はただのガイドブックではなく アジア 主 義 の 言 説 を 取 り 上 げながら 日 本 とシャムが 互 ひに 共 存 共 榮 するという 建 前 のもと シャムへの 搾 取 を 正 当 化 する 文 献 であると 考 えら れる 暹 羅 室 の 文 献 以 外 タイに 関 する 同 時 代 の 文 献 には 日 本 タイ 23 24 協 會 による タイ 國 概 觀 ( 日 本 タイ 協 會 1940 年 12 月 )がある タイ 國 概 觀 はタイの 情 報 第 二 次 世 界 大 戦 前 のタイ 社 会 それまでの 日 タイ 友 好 関 係 などを 暹 羅 案 内 より 詳 しく 述 べている 例 えば 昭 和 十 四 年 十 一 月 二 十 七 日 ( 中 略 ) 日 泰 兩 國 間 定 期 航 空 業 務 の 實 施 に 關 する 協 定 が 調 印 せられ 翌 十 亓 年 六 月 から 開 始 せられ 東 京 から 福 岡 臺 北 廣 東 經 由 で 一 週 間 一 往 復 の 定 期 25 便 についての 最 新 の 日 本 とタイの 航 空 情 報 まで 書 かれている その 他 注 目 すべき 文 献 に 永 田 直 三 廣 東 ハノイ 盤 谷 ( 河 出 書 房 1942 年 7 月 )がある 商 工 省 並 びに 神 奈 川 縣 當 局 及 び 神 奈 川 縣 南 洋 貿 易 協 會 の 援 助 で 南 方 に 於 ける 雑 貨 及 び 布 帛 加 工 品 の 販 路 擴 張 に 關 する 調 査 するため 永 田 は 佛 印 と 泰 國 とに 向 つて 出 發 し 報 告 書 を 兹 ねた 三 国 の 旅 行 記 として 廣 東 ハノイ 盤 谷 を 執 筆 した 広 東 ハノイ 盤 谷 は 戦 前 のタイの 雑 貨 及 び 布 工 業 や モダーンでお 洒 落 で 案 外 見 榮 坊 で 新 しがりやで ある 市 街 を 描 写 するだけではなく タイ 國 概 觀 と 同 様 に 戦 前 の タイの 國 家 主 義 の 情 勢 も 書 いている 以 上 のように 昭 和 10 年 代 のタイ 紀 行 案 内 記 には 明 治 大 正 期 の 紀 行 のような 冒 険 的 要 素 は 見 られない その 代 わりに タイとの 貿 易 を 目 的 とし できるだけ 詳 しくタイの 情 報 ( 移 動 手 段 宿 泊 地 図 など)を 提 供 している また 海 外 進 出 企 業 に 役 に 立 つ 設 備 の 情 報 ( 飛 行 場 電 話 郵 便 局 銀 行 など) タイの 各 地 域 の 資 源 タイ 市 場 の 情 報 も 収 集 さ れている このような 案 内 記 が 昭 和 10 年 代 に 刊 行 された 理 由 は 当 時 タイで 起 こった 日 貨 排 斥 運 動 のためだと 考 えられる 昭 和 12 年 ( 1937 年 )12 月 13 日 に 日 本 軍 が 南 京 を 占 領 し 南 京 大 虐 殺 を 行 ってから 日 系 商 社 と 取 引 している 在 タイ 華 僑 は 日 貨 排 斥 運 動 を 展 開 した 三 五 物 産 バンコク 支 店 は 輸 入 日 貨 ノ 排 斥 ノミナラズ 本 邦 向 暹 羅 米 ノ 買 付 ヲモ 妨 害 26 され るなど 様 々な 影 響 を 受 けた タイの 商 業 經 済 の 樞 軸 を 握 つてゐる 華 僑 の 勢 力 を 弱 め 23 昭 和 14 年 (1939 年 )6 月 24 日 に 当 時 の 首 相 ピブーンが 国 名 の シャム を タイ に 変 更 した 24 昭 和 10 年 (1935 年 )5 月 に 財 団 法 人 に 改 組 して 財 団 法 人 暹 羅 協 会 となり 昭 和 14 年 (1939 年 )6 月 国 名 がシャムか らタイに 変 更 されたのに 伴 い 財 団 法 人 日 本 タイ 協 会 に 改 称 した 25 朝 日 新 聞 ( 泰 へ 定 期 1 番 機 松 風 号 朝 日 新 聞 1940 年 6 月 8 日 夕 刊 )によると 当 時 の 空 路 として 一 日 目 は 東 京 発 福 岡 経 由 で 台 北 へ 行 く 二 日 目 は 台 北 から 広 東 まで 行 き 広 東 で 一 泊 する そして 三 日 目 は 広 東 から バンコクのドンムアン 飛 行 場 へ 行 く 下 り 便 は 毎 週 月 曜 日 に 東 京 に 出 て 水 曜 日 にバンコクに 着 く 上 がり 便 は 金 曜 日 に バンコクから 出 発 して 日 曜 日 に 羽 田 空 港 に 着 く 東 京 バンコク 片 道 の 運 賃 は 七 百 四 十 円 であった 26 石 五 米 雄 吉 川 利 治 日 タイ 交 流 六 〇 〇 年 史 ( 講 談 社 1987 年 8 月 ) 33
るため 日 本 企 業 がさらにタイへ 進 出 する 必 要 がある このように 昭 和 10 年 代 のタイ 紀 行 案 内 記 は 在 タイ 華 僑 に 対 する 日 本 の 反 撃 という 文 脈 を 背 景 にして 日 貨 排 斥 運 動 の 再 発 を 防 止 するための 日 本 の 経 済 的 対 策 の 一 環 という 要 素 がある 1941 年 日 本 がタイと 日 タイ 同 盟 条 約 を 締 結 してから 日 本 軍 はタイに 進 駐 した 三 五 物 産 タイ 支 店 は 駐 屯 軍 へ 物 資 を 納 入 するようになった しかし 1945 年 8 月 に 敗 戦 のた め 三 五 物 産 バンコク 支 店 はすべての 資 産 を 没 収 されて 活 動 を 中 止 させられる 27 戦 時 中 に 東 南 アジアを 中 心 とした 各 地 の 戦 場 に 報 道 や 宣 伝 活 動 などの 義 務 を 果 たす 南 方 徴 用 作 家 た ちが 派 遣 された これらの 南 方 徴 用 作 家 は 東 南 アジアに 関 する 報 告 文 や 小 説 や 日 記 な どを 書 いた 28 日 本 の 同 盟 国 のタイは 徴 用 先 ではなかったが 南 方 徴 用 作 家 たちが 派 遣 され る 前 にしばらく 滞 在 したり 休 暇 を 過 ごしたりした 日 本 軍 の 基 地 であった そこで 南 方 徴 用 作 家 たちの 日 記 ( 例 えば 高 見 順 の 日 記 など)や 旅 行 記 などを 見 れば タイについて の 記 述 が 見 られる それらの 記 述 におけるタイはビルマなどの 前 線 とは 対 照 的 であり 癒 しの 空 間 として 描 写 されている また 日 本 軍 に 服 従 するタイの 姿 は 日 本 にとって 女 性 的 なものとみなされている こうしたタイの 表 象 は 戦 後 の 女 性 天 国 のタイ 表 象 と 関 連 が あると 考 えられる 戦 後 (1950 年 代 )になると 学 術 研 究 を 目 的 とし タイを 訪 れる 若 者 が 少 数 ながら 存 在 した 29 例 えば 1957 年 11 月 から 1958 年 4 月 にかけて 大 阪 市 立 大 学 が タイ カンボジャ ベトナム ラオス の 東 南 アジアに 学 術 調 査 隊 を 送 ったが タイには 一 ばん 長 くいた と いう この 調 査 隊 は みんな 生 態 学 者 で そのうち 二 人 は 植 物 を 他 の 二 人 は 動 物 を 他 の 二 人 は 人 類 を 担 当 した 日 本 から 国 産 ジープを 三 台 もって 行 って それに 研 究 資 材 宿 営 設 備 のいっさいを 積 んだ さいわい 事 故 もなく 約 一 万 二 千 キロを 走 って かなりの 標 本 資 料 映 画 録 音 などをもって 帰 ることができ 30 後 に 帰 国 報 告 会 で 調 査 内 容 を 報 告 し そして タイ 旅 行 体 験 を 基 にした 岩 波 写 真 文 庫 275 タイ 学 術 調 査 の 旅 を 発 表 した 学 術 調 査 の 旅 によって タイは 日 本 の 調 査 の 対 象 になり それまでまだ 発 見 されていなかったものや 日 本 にはないもの 例 えば チェンマイ 山 岳 民 族 たちなどの 調 査 を 行 った 当 時 は 海 外 旅 行 がまだ 自 由 化 されていないため 海 外 に 行 く 日 本 人 は 政 府 や 大 学 や 新 聞 社 などによる 組 織 的 支 援 を 受 け 探 検 隊 や 調 査 隊 などを 編 成 して 団 体 で 海 外 へ 渡 航 す るのである これについて 前 川 健 一 旅 行 記 でめぐる 世 界 ( 文 芸 春 秋 2003 年 2 月 )に よれば 当 時 外 国 に 行 くには 外 貨 の 割 り 当 てを 受 けなければいけなかった 日 本 にあ る 貴 重 な 外 貨 を 持 ち 出 し 外 国 で 使 うのだから それ 相 応 の 理 由 つまり 日 本 にとって 有 益 であるという 理 由 がなければ 海 外 渡 航 は 許 可 されなかった ため 海 外 旅 行 への 渡 航 許 可 27 川 辺 純 子 戦 前 タイのおける 日 本 商 社 の 活 動 三 五 物 産 バンコク 支 店 の 事 例 ( 城 西 大 学 経 営 紀 要 2008 年 3 月 ) 28 第 二 次 世 界 大 戦 中 のタイ 表 象 については 第 2 部 第 4 章 を 参 照 29 これについて 山 口 誠 ニッポンの 海 外 旅 行 若 者 と 観 光 メディアの 50 年 史 (ちくま 新 書 2010 年 7 月 )では 京 都 大 学 探 検 部 知 られざるヒマラヤ 奥 ヒンズー 探 検 記 などが 取 り 上 げられている 30 学 術 調 査 隊 岩 波 写 真 文 庫 275 タイ 学 術 調 査 の 旅 ( 岩 波 書 店 1958 年 9 月 ) 34
を 得 るために 視 察 旅 行 であるかのように 書 類 を 偽 造 し いろいろ 知 恵 を 絞 った のである 例 えば 1960 年 代 の 旅 行 記 野 末 陳 平 プレイボーイ 東 南 アジアを 行 く (サラ リーマン ブックス 1963 年 11 月 )の 有 名 な 冗 句 日 本 人 調 査 団 という 節 で チェ ンマイ 駐 在 日 本 人 によれば 日 本 の 学 術 調 査 はチェンマイに けっこう 来 る それら 学 術 調 査 団 は 日 本 で 寄 付 を 集 め ( 中 略 ) 行 く 先 々で 大 学 の 肩 書 きを 利 用 して ただで 飲 み 食 いし かつ 泊 まり 他 人 の 迷 惑 になり 現 地 のタイ 人 にまで 評 判 悪 い と 1950 年 代 の 研 究 調 査 団 の 実 態 を 暴 露 している プレイボーイ 東 南 アジアを 行 く で 野 末 は プレイボーイ としてマニラ 香 港 マ カオ タイ シンガポール マラヤ サイゴンへ 旅 に 出 る タイのバンコクとチェンマイ を 訪 問 した 野 末 が バンコクの 節 で 悪 質 なタクシー 運 転 手 や 旅 行 者 の 顔 がゼニに 見 える タイ 人 の 悪 いイメージをしばしば 書 いている しかし チェンマイの 節 で 著 者 からプレゼ ントを 一 つ 一 つ 合 掌 して 受 け 取 り くちづけした チェンマイ 美 人 の 様 子 に 対 して タ イ ダンスや 水 上 マーケットよりも はるかに 仏 教 国 タイのイメージに 似 つかわし く チ ェンマイだけは もう 一 度 行 ってみたい と 述 べている 一 方 で プレイボーイ 東 南 アジ アを 行 く には 1950 年 代 後 半 からチェンマイが 売 春 街 として 見 られていたとも 書 かれて いる つまり チェンマイは 美 人 の 町 で 有 名 になっただけではなく チェンマイの 商 売 女 のサービスは 献 身 的 また 自 分 でも 楽 しむ そこで 日 本 の 議 員 や 学 術 調 査 団 などは 美 人 を 世 話 しろ という 態 度 でチェンマイへ 旅 に 出 るのである また 同 年 発 表 された 千 葉 一 男 東 南 アジア 漫 遊 ( 高 陽 書 院 1963 年 8 月 )でも 描 写 されている 同 書 で 千 葉 は 普 通 の 旅 行 記 と 同 様 に 東 南 アジア( 台 湾 フィリピン シンガポール イ ンドネシア タイ 香 港 )の 観 光 地 を 紹 介 しているが 現 地 の 女 性 (あるいは 現 地 で 出 会 った 日 本 人 女 性 も)との 交 渉 も 多 く 書 かれており 同 書 は 千 葉 の 東 南 アジアの 女 性 遍 歴 告 白 書 とも 言 える 両 方 の 旅 行 記 は 観 光 と 売 春 を 目 的 とし 香 港 や 台 湾 を 含 めて 東 南 アジアを 回 る 安 価 で 様 々な 国 の 女 を 買 える 東 南 アジア 地 域 は 日 本 人 の 観 光 者 に 対 して 男 の 性 的 な 欲 望 を 充 たす 空 間 だと 見 なされている 興 味 深 いのは 昔 から 仏 教 の 国 としてのタイと 売 春 先 のタイ は 矛 盾 しているように 見 えるが 従 順 な チェンマイ 美 人 は 仏 教 国 タイ に 似 つかわしいものである 仏 教 を 連 想 させる 安 らぎ や 優 しさ などのイメージ はタイの 売 春 婦 と 結 びつけられ 女 性 天 国 というタイの 表 象 になったのである これは 1970 年 代 から 1980 年 代 の 日 本 人 旅 行 者 のタイ 売 春 ツアーのブームの 始 まりであった このように 昭 和 10 年 代 のタイの 案 内 記 が 刊 行 されてから 多 くの 日 本 人 がタイに 訪 れ た 当 時 の 案 内 記 はタイ 進 出 支 援 情 報 を 提 供 する 目 的 で 刊 行 されたため 案 内 記 には 近 代 化 されたタイのイメージが 多 く 投 影 されている こうした 昭 和 10 年 代 の 近 代 都 市 の 背 景 で 戦 時 中 に 後 衛 地 になったタイは 軍 事 的 に 侵 略 されても 日 本 の 軍 人 に 便 利 さや 快 適 さを 提 供 する 癒 しの 空 間 として 描 写 されている このような 戦 前 戦 中 昭 和 期 の 日 タイ 関 係 を みれば タイは 明 らかに 务 勢 に 立 たされたが 第 1 章 で 述 べたように 日 暹 親 善 や 同 35
盟 国 という 日 タイ 平 等 の 言 説 に 影 響 され 抑 圧 された こうした 流 れの 中 で 戦 後 の 旅 行 記 を 見 ると 癒 しの 空 間 としてのタイは 女 性 天 国 などの 性 的 な 意 味 で 描 写 されている 戦 後 のタイ 旅 行 は 戦 前 のように 国 益 追 求 の 目 的 を 性 的 に 満 足 させることによって 心 を 癒 したり 優 位 性 を 獲 得 したりする 目 的 に 変 更 したと 考 えられる こうした 現 象 の 背 景 とし て 海 外 旅 行 の 自 由 化 後 にタイで 日 本 人 向 けの 歓 楽 街 タニヤ が 誕 生 したのである 5 タイ 旅 行 自 由 化 のはじまり 1964 年 海 外 旅 行 が 自 由 化 されると 旅 券 の 取 得 には 社 会 的 に 承 認 してもらえるよう な 目 的 や 理 由 は 要 らなくなった ( 中 略 )ただ 海 外 が 見 たい 異 国 の 文 化 に 身 を 浸 してみた い 日 本 から 出 たいという 情 熱 だけで 31 海 外 旅 行 に 行 くことができるようになる しかし 当 時 の 航 空 機 の 料 金 はまだ 高 額 で 外 貨 の 管 理 もまだ 日 本 政 府 により 統 括 されていたため 外 貨 割 り 当 てが 認 められないと 海 外 旅 行 はできない 1960 年 代 に 海 外 旅 行 が 出 来 る 者 は カネやコネがある 者 32 である 1965 年 10 月 1967 年 10 月 に 暁 の 寺 の 取 材 のため 三 島 由 紀 夫 はタイに 渡 航 した タイを 舞 台 とした 暁 の 寺 を 執 筆 し 暁 の 寺 は 1968 年 9 月 から 1970 年 4 月 にかけて 新 潮 で 連 載 され 1970 年 7 月 に 新 潮 社 刊 より 単 行 本 が 刊 行 された 暁 の 寺 の 中 で バ ンコク 観 光 案 内 の 様 相 を 呈 する 記 述 があり これについて 久 保 田 裕 子 は あたかも 観 光 する 本 多 のまなざしと 同 一 化 したかのような 語 り 手 の 視 線 33 であると 指 摘 している 暁 の 寺 は 小 説 として 読 まれるだけではなく 観 光 地 としての 暁 の 寺 を 日 本 人 に 広 める ガイドブックとしても 機 能 し その 後 出 版 されたガイドブック 34 でも 三 島 の 暁 の 寺 につ いて 言 及 されている 言 い 換 えれば 暁 の 寺 は 著 名 な 作 家 である 三 島 によるタイ 観 光 案 内 書 のような 役 割 も 果 たして 日 本 人 読 者 にタイのエキゾチックな 風 景 を 印 象 づけたので ある 1970 年 にバンコクで タニヤビル が 完 成 し 東 京 銀 行 ( 現 三 菱 東 京 UFJ 銀 行 )な どの 日 系 企 業 が 次 々と 支 店 を 移 転 させた また 新 たに 進 出 する 日 系 企 業 もタニヤビルに 支 店 を 設 けたため タニヤビルはバンコクの 日 系 企 業 のシンボル 的 なオフィスビルとな った 35 1970 年 の 在 タイの 日 本 企 業 の 数 は 1960 年 代 より 100 社 以 上 増 加 し 日 本 人 駐 在 員 や 出 張 者 も 増 加 していった 1970 年 後 半 タニヤ 通 りに 日 本 人 向 けの 飲 食 店 が 次 々と 開 店 し また 日 本 人 向 けのナイトクラブもタニヤ 通 りに 移 転 してきたため タニヤ は 日 本 人 向 けの 歓 楽 街 となった タニヤのナイトクラブはタイ 駐 在 日 本 人 を 歓 迎 するだけでは 31 山 口 誠 ニッポンの 海 外 旅 行 若 者 と 観 光 メディアの 50 年 史 (ちくま 新 書 2010 年 7 月 ) 32 前 川 健 一 旅 行 記 でめぐる 世 界 ( 文 芸 春 秋 2003 年 2 月 ) 33 久 保 田 裕 子 王 妃 の 肖 像 三 島 由 紀 夫 暁 のタイ 寺 における 国 表 象 福 岡 教 育 大 学 国 語 科 研 究 論 集 2011 年 2 月 34 世 界 文 化 シリーズ 13:すてきな 旅 東 南 アジア ( 世 界 文 化 社 1981 年 )や 大 脇 誉 次 エリアガイド 107 東 南 アジアの 旅 ( 昭 文 社 1989 年 7 月 )などで 書 かれている 35 日 下 洋 子 タニヤの 社 会 学 接 待 から 売 春 まで バンコク 駐 在 員 たちの 聖 地 (めこん 2000 年 9 月 ) 36
ない 1970 年 代 に 日 本 人 観 光 客 にとっても 海 外 旅 行 のハイライト 36 はタニヤで 日 本 人 経 営 のナイトクラブ に 行 くことである 東 南 アジアを 訪 問 する 日 本 人 の 増 加 とともに 東 南 アジアのガイドブックも 1970 年 代 に 増 加 していく 代 表 的 なものをあげれば 世 界 の 旅 11 香 港 / 台 湾 / 東 南 アジア/ 韓 国 ( 中 央 公 論 社 1970 年 10 月 )や 脇 田 恵 暢 東 南 アジアの 旅 (ブルーガイド 海 外 版 1971 年 7 月 )や 小 林 進 東 南 アジアの 旅 徹 底 ガイド ( 三 修 社 1977 年 4 月 )などである こ れらのガイドブック 例 えば 一 〇 〇 万 部 も 売 れる 37 小 林 進 東 南 アジアの 旅 徹 底 ガイ ド は 微 笑 みを 絶 やさない 仏 教 に 生 きる 国 としてのタイの 観 光 地 を 紹 介 する 以 外 ナ イトライブ イン バンコク や 代 表 的 なナイトライフ のコラムも 欠 かさずに 読 者 に 案 内 する 一 方 北 部 の 美 人 の 町 のチェンマイは 1970 年 代 に 入 ると 麻 薬 の 生 産 地 で ある 黄 金 の 三 角 地 帯 として 知 られ 世 界 に 注 目 される 都 市 になった このように ル ポ ライターたちはチェンマイを 訪 れて 黄 金 の 三 角 地 帯 で 麻 薬 の 問 題 についてのルポル タージュ 38 を 書 いた この 時 代 の 旅 行 記 を 見 ると タイは 売 春 の 問 題 や ドラックの 問 題 な どのイメージがよく 投 影 されており このようなタイの 社 会 問 題 やイメージを 題 材 にして 39 日 本 人 作 家 たちはタイを 舞 台 とし ミステリー 小 説 を 多 く 書 いたのである 一 方 同 年 代 に 仕 事 でタイに 駐 在 するようになった 日 本 人 たちは 家 族 と 同 伴 する 者 が 少 なくない 旅 行 者 とは 異 なり 夫 の 仕 事 というやむを 得 ない 事 情 で 外 国 に 滞 在 することに なった 駐 在 員 の 妻 たちは 現 地 の 駐 在 生 活 異 文 化 の 問 題 や 現 地 での 出 来 事 などを 基 に して 滞 在 記 を 書 いている 代 表 的 なものに 例 えば 鶴 文 乃 暁 の 寺 のある 町 タイ 国 で 過 ごした 三 年 間 ( 勁 草 書 房 1983 年 10 月 )がある 1974 年 に 夫 のバンコク 転 勤 によ りタイ 在 住 となった 鶴 文 乃 は 六 歳 の 男 の 子 と 一 歳 十 ヶ 月 の 女 の 子 そして 八 ヵ 月 の 重 み を 抱 え 見 知 らぬ 国 へ 行 く 帰 国 後 必 要 とする 人 に 伝 えたい 目 的 で 駐 在 の 生 活 (アパート 探 し 美 容 院 など)からやタイの 文 化 (タイ 語 の 勉 強 タイ 料 理 タイ 人 の 性 格 など)までを 詳 しく 書 いている 暁 の 寺 のある 町 の 特 徴 は 創 作 わたしはアー ヤさん 在 泰 日 本 人 裏 話 の 鶴 が 製 作 したフィクションが 最 後 に 付 録 されていることであ る 創 作 わたしはアーヤさん 在 泰 日 本 人 裏 話 は タイ 駐 在 日 本 人 と 働 くタイ 人 が 起 こすトラブルの 話 例 えば ルービーリングを そっと 持 ち 出 し たアーヤさんのポー ンの 話 や 自 動 車 のガソリンをぬいて 売 ったり する 運 転 手 のサワットの 話 などがある 鶴 の 鋭 さは 語 り 手 のタイ 人 の 口 を 借 りて タイ 人 の 悪 い 面 や タイ 人 を 批 判 することで ある 1980 年 代 タイ 観 光 案 内 の 記 事 は 当 時 の 海 外 旅 行 誌 例 えば 旅 や 旅 行 読 売 など でも 見 られるようになった 紹 介 された 主 な 観 光 地 は 様 々な 寺 院 があるバンコク 山 田 36 楠 本 憲 吉 東 南 アジア 紀 行 など( 中 国 / 東 南 アジア 新 編 世 界 の 旅 1 小 学 館 1971 年 10 月 ) 37 小 林 進 東 南 アジアの 旅 徹 底 ガイド ( 三 修 社 1977 年 4 月 ) 38 例 えば 鄭 仁 和 幻 のアヘン 軍 団 黄 金 の 三 角 地 帯 にその 影 を 追 う ( 朝 日 ソノラマ 1977 年 3 月 ) 竹 田 遼 黄 金 の 三 角 地 帯 ゴールデン トライアング (めこん 1977 年 9 月 ) 角 川 春 樹 黄 金 の 軍 隊 ゴールデン トライアング のサムライたち (プレジデント 社 1978 年 9 月 )などがある 39 1970 年 代 から 1980 年 代 までのタイを 舞 台 としたミステリー 小 説 については 第 2 部 第 5 章 を 参 照 37
長 政 の 碑 が 残 るアユタヤ アメリカ 軍 兵 士 の 保 養 地 のパタヤ 美 人 の 町 のチェンマイで あり 1970 年 代 から 人 気 がある 観 光 地 である これらの 観 光 地 以 外 でも 名 画 戦 場 の 架 ける 橋 の 舞 台 で 世 界 からの 観 光 客 で 大 賑 わい する タイ 泰 麺 鉄 道 40 などが 紹 介 さ れている 1986 年 にノンフィクションライターの 沢 木 耕 太 郎 は 深 夜 特 急 第 一 便 ( 新 潮 社 1986 年 5 月 )を 発 表 した 深 夜 特 急 は 1974 年 から 1975 年 にかけ 日 本 から 香 港 や 東 南 アジアに 寄 り そしてインド 経 由 でロンドンを 目 指 す 旅 の 話 である タイのバンコク の 街 (チュラロンコーン 大 学 寺 院 マーケット タイ 式 ボクシング)や タイ 南 部 に 旅 行 した 沢 木 は タイ 人 に 何 度 も 騙 されたり 女 を 売 り 込 まれたりしたため バンコクは とにかくやかましい 街 だとタイに 対 する 不 愉 快 な 思 いを 語 っている これと 関 連 して 第 3 章 の 遠 藤 周 作 王 国 への 道 山 田 長 政 や 第 5 章 の 1970-1980 年 代 のタイを 舞 台 とし たミステリー 小 説 においても 恐 ろしい 危 険 な 空 間 としてのタイが 描 かれている この 時 代 の 様 々な 旅 行 記 を 見 ると 一 つの 共 通 点 として 挙 げられる 点 は タイにとって 好 ましくないイメージを 投 影 していることである 駐 在 記 ではタイ 人 の 使 用 人 の 詐 欺 行 為 を 一 般 の 旅 行 案 内 記 や 紀 行 ではセックスとドラックについて 書 かれている 当 時 の 東 南 アジアを 旅 行 する 多 くの 日 本 人 は 海 外 派 遣 者 や 売 春 ツアーであった つまり 東 南 アジアは 大 人 の 男 の 空 間 で 若 者 にとって 興 味 がない 地 域 であった しかし 1980 年 代 後 半 沢 木 の 東 南 アジア 旅 行 体 験 記 深 夜 特 急 が 発 表 された 頃 から 東 南 アジアは 若 い 読 者 の 注 目 を 集 め 1980 年 代 後 半 から 1990 年 代 の 若 者 の 東 南 アジア 旅 行 ブームの 背 景 になったと 考 えら れる また 1980 年 代 後 半 タイでエイズの 流 行 が 急 速 に 広 がった セックス 麻 薬 生 産 地 によるドラッグ エイズの 問 題 などのイメージを 払 拭 するため 1987 年 にタイ 国 政 府 観 光 局 ( 現 在 タイ 国 政 府 観 光 庁 )は タイ 観 光 年 というキャンペーンを 開 始 し 自 然 や 文 化 を 観 光 の 対 象 として 積 極 的 に 宣 伝 する 政 策 を 執 った その 結 果 1990 年 代 のタイは 以 前 より 大 きく 変 化 し 様 々なイメージが 投 影 されているのである 41 この 現 象 のきっかけ で 1990 年 代 にタイ 旅 行 のブームが 起 こり タイに 関 する 書 物 が 日 本 で 多 く 出 版 されるよ うになった 前 川 健 一 によれば 九 〇 年 代 なかばあたりからタイ 関 係 書 が 急 激 に 増 え 神 田 にあるア ジア 書 籍 専 門 店 の アジア 文 庫 では 毎 月 の 売 り 上 げベスト 10 のほとんどはいつもタイ の 本 が 占 めるようになった 42 この 現 象 については 日 本 の 旅 行 ガイドブックの 定 番 とし て 知 られる 地 球 の 歩 き 方 を 見 れば 分 かる 地 球 の 歩 き 方 はダイヤモンド ビッグ 社 43 より 1979 年 に 創 刊 されたが タイを 初 めて 取 り 上 げるのは 1987 年 である その 後 1990 年 代 だけで 地 球 の 歩 き 方 のトレードマークとして 刊 行 されたタイに 関 するガイドブッ クは 大 量 出 版 された 地 球 の 歩 き 方 の 特 徴 は 大 手 旅 行 社 のパック ツアーと 異 なり 40 タイ 泰 麺 鉄 道 とパタヤの 旅 ( 旅 行 読 売 1984 年 11 月 ) 41 安 福 恵 美 子 タイにおける 国 際 観 光 の 諸 相 ホスト ゲスト 関 係 を 中 心 に ( 国 際 関 係 学 部 紀 要 1996 年 3 月 ) 42 前 川 健 一 旅 行 記 でめぐる 世 界 ( 文 芸 春 秋 2003 年 2 月 ) 43 ダイヤモンド スチューデント 友 の 会 地 球 の 歩 き 方 タイ やすらかなる 国 87~ 88 版 (ダイヤモンド 社 1987 年 2 月 ) 38
若 者 の 憧 れる 深 夜 特 急 の 沢 木 耕 太 郎 と 同 様 に 独 力 で 安 価 な 旅 行 ができるように 読 者 に 宿 泊 や 移 動 方 法 などを 提 供 している 点 にある また 地 球 の 歩 き 方 は 若 者 だけではな く 若 い 女 性 (OL)や 比 較 的 休 みが 長 くとれる デザイナー イラストレーター コ ピーライターなどの カタカナ 業 の 人 たち 44 からも 人 気 を 得 ている 1990 年 代 に 刊 行 された 地 球 の 歩 き 方 45 をみると 例 えば 地 球 の 歩 き 方 タイ 91~ 92 版 (1991 年 7 月 )で やすらかなる 国 という 表 現 がタイのキャッチ フレーズ として 使 われて また 表 紙 には 二 人 の 僧 侶 が 川 の 向 こうにあるパゴダを 眺 めている 仏 教 の 国 のタイをイメージさせるイラストレーションが 使 用 されている 内 容 を 見 ると タイの 各 地 域 を 詳 しく 解 説 している 例 えば 徹 底 ガイド 編 で バンコク は 騒 音 公 害 空 気 汚 染 売 春 観 光 これらがバンコクのすべてだろうか 答 えはノーだ バンコクの 市 内 いたるところにあるワット( 仏 教 寺 院 ) このワット 抜 きにはバンコクを 語 られない( 中 略 ) 人 けのない 中 庭 は 不 思 議 な 静 寂 に 満 ちている 外 の 喧 噪 とは 隔 絶 した 空 間 というよ うに 聖 と 俗 が 織 り 成 された 場 所 としてのバンコクを 反 映 した 描 き 方 になっている チェン マイ は この 地 方 の 町 が 持 つしっとりとした 落 ち 着 き 山 々に 囲 まれ こぢんまりと した 田 園 風 景 は 日 本 に 似 ていて 親 しみを 覚 え 町 の 人 々の 笑 顔 とやさしさに 何 度 も 触 れることができる と 描 かれている このように 地 球 の 歩 き 方 におけるタイは 仏 教 の 国 としてのタイのイメージを 重 視 し 仏 教 の 心 による やすらかな タイのイメー ジを 復 元 しているのである ガイドブックの 他 に 1990 年 代 に 様 々なジャンルの 旅 行 記 が 多 く 刊 行 された 例 えば 大 量 のバックパッカーの 紀 行 の 他 にタイ 料 理 案 内 記 ( 清 水 ケンゾー タイは 辛 いよ 美 味 しいよ ( 集 英 社 1994 年 2 月 ) 酒 五 美 代 子 高 野 たけし おいしいタイランド ( 東 京 書 籍 1998 年 8 月 )) タイ 鉄 道 旅 行 案 内 記 ( 岡 本 和 之 タイ 鉄 道 旅 行 (めこん 1993 年 12 月 ) 杉 本 聖 一 魅 惑 のタイ 鉄 道 ( 多 摩 川 新 聞 社 2000 年 9 月 )) 駐 在 記 ( 久 保 木 裕 一 郎 高 橋 行 雄 タイ 長 期 滞 在 者 のための 最 新 情 報 55 (ホリデイワールド 1995 年 8 月 )) タイの 夜 遊 び 案 内 記 ( 家 田 荘 子 ラブ ジャンキー 日 本 発 タイ 行 性 の 直 行 便 ( 集 英 社 文 庫 1992 年 11 月 ) アジア 性 風 俗 研 究 会 編 タイ 売 春 読 本 (データハウス 1994 44 山 口 誠 ニッポンの 海 外 旅 行 若 者 と 観 光 メディアの 50 年 史 (ちくま 新 書 2010 年 7 月 ) 45 1990 年 代 ダイヤモンド ビッグ 社 より 刊 行 されたタイに 関 する 地 球 の 歩 き 方 は 次 のようでる 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 タイ やすらかなる 国 90~ 91 版 (1989 年 12 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 フロンティア タイ 北 部 山 岳 民 族 を 訪 ねて (1990 年 10 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 タイ 91~ 92 版 (1991 年 7 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 バンコク 92~ 93 版 (1991 年 12 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 バンコク 93~ 94 版 (1993 年 3 月 ) 戸 田 杏 子 佐 藤 彰 地 球 の 歩 き 方 旅 のグルメ タイ タイ 料 理 の 楽 しみ (1993 年 2 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 タイ 94~ 95 版 (1993 年 10 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 バンコク 94~ 95 年 版 (1994 年 7 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 旅 の 会 話 集 13 タイ 語 英 語 (1994 年 8 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 RESORT308 プーケッ ト (1994 年 11 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 タイ 95~ 96 版 やすらかなる 国 (1995 年 2 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 バンコク 96~ 97 版 (1995 年 7 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 RESORT プーケット (1995 年 11 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 やすらかなる 国 タイ 96~ 97 版 (1996 年 2 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 バンコク 97~ 98 版 (1996 年 7 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 タイ やすらかなる 国 97~ 98 版 (1997 年 3 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 RESORT プー ケット サムイ 島 ピピ 島 クラビ (1997 年 8 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 タイ 98~ 99 版 や すらかなる 国 (1998 年 3 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 旅 マニュアル タイ 個 人 旅 行 マニュアル 98~ 99 年 版 (1998 年 4 月 ) 地 球 の 歩 き 方 編 集 室 地 球 の 歩 き 方 タイ 1999~2000 版 (1999 年 3 月 ) 39
年 7 月 )) そして タイの 農 村 の 訪 問 記 ( 山 下 惣 一 タマネギ 畑 で 涙 して タイ 農 村 ふ れあい 紀 行 ( 農 山 漁 村 文 化 協 会 1990 年 11 月 ) 山 下 惣 一 タイの 田 舎 から 日 本 が 見 える 農 山 漁 村 文 化 協 会 1996 年 12 月 ) 水 野 潮 マンゴーが 空 から 降 ってくる タイの 田 舎 に 暮 らすということ めこん 1998 年 10 月 ))などがある 特 に 観 光 地 ではないタイの 農 村 の 訪 問 記 は タイの 街 の 風 景 を 投 影 する 他 の 旅 行 記 と 異 なり まだ 近 代 化 されていな い 子 供 のころの 日 本 の 農 村 に 似 ている 46 タイの 田 舎 の 風 景 を 描 き 日 本 人 が 昭 和 三 十 年 代 の 初 めまで 私 の 村 と 感 じるようなノスタルジアを 生 じさせる 場 所 としてタイを 描 く 点 に 特 色 がある このように 1990 年 代 のガイドでは タイが 日 本 人 の 観 光 客 にエキゾ チックの 風 景 だけではなく ノスタルジックな 風 景 や 幸 福 な 田 舎 暮 らしを 提 供 する 場 所 として 描 かれる それは そこを 訪 れる 観 光 客 として 老 年 世 代 を 呼 び 込 もうとしているこ とと 無 関 係 ではないだろう つまり 日 本 における 海 外 旅 行 に 行 く 人 々の 多 様 化 や 高 齢 化 応 じて タイが 売 り 込 む 自 国 イメージも 変 容 している 可 能 性 がある 6 まとめ 本 格 的 にシャムを 取 り 上 げて 紹 介 した 最 初 の 書 籍 である 大 鳥 圭 介 暹 羅 紀 行 は 視 察 旅 行 から 得 られたシャムに 関 する 情 報 を 百 科 事 典 的 に 収 めた 明 治 期 におけるシャムの 参 考 書 といえる 明 治 30 年 代 に 入 ると 明 治 期 南 進 論 によって 豊 かなシャムは 日 本 人 に 開 拓 されるべき 資 源 の 豊 かな 未 開 地 と 見 なされている しかし 昭 和 10 年 代 のシャムの 案 内 記 を 見 ると アジア 主 義 の 言 説 を 背 景 として 日 本 企 業 の 貿 易 を 奨 励 するため 未 開 の シャムのイメージは 近 代 化 されたシャムのイメージに 置 き 換 えられる このように 第 二 次 世 界 大 戦 前 日 本 の 旅 行 記 におけるシャムは 王 宮 や 寺 院 などの 風 景 より 仏 教 の 国 とし て 知 られ 他 の 東 南 アジア 国 と 同 様 に 日 本 の 経 済 的 植 民 地 として 見 なされている 日 本 人 のタイに 対 するまなざしが 変 化 していくのは 1964 年 に 観 光 目 的 の 旅 行 が 自 由 化 されてからである 1960 年 代 からタイは 香 港 台 湾 フィリピンなどの 売 春 街 と 見 なされている 国 のひとつとして 捉 えられ 売 春 目 的 で 多 くの 日 本 人 がタイを 訪 れた 旅 行 者 は 仏 教 の 国 の 表 象 から 連 想 される 優 しさや 従 順 さをタイ 人 女 性 に 押 し 付 け 優 し い 女 性 がいる 売 春 街 としてタイの 表 象 が 形 成 されていったのである サービスがいい タイ 人 女 性 のイメージは 1970 年 代 から 1980 年 代 前 半 までタイへのセックスツアーのブー ムを 巻 き 起 こした 一 方 エイズの 問 題 ももたらした これらのイメージを 払 拭 するため 1987 年 にタイ 国 政 府 観 光 庁 はタイ 文 化 やタイの 自 然 (ビーチ リゾートなど)を 取 り 上 げ て 世 界 中 で 観 光 宣 伝 を 行 った その 後 1990 年 代 から 多 くの 日 本 紀 行 案 内 記 は タイ 国 政 府 観 光 庁 が 日 本 人 に 見 て 欲 しいタイ (タイ 料 理 やタイリゾート 地 など)のように 書 かれたが 日 本 人 が 見 たタイ という 旅 行 記 もまだ 残 っている 特 に タイの 農 村 の 探 検 記 でノスタルジックで 未 だ 近 代 化 されていないタイの 田 舎 は 都 会 の 生 活 に 疲 れた 日 本 46 山 下 惣 一 タイの 田 舎 から 日 本 が 見 える 農 山 漁 村 文 化 協 会 1996 年 12 月 ) 40
人 旅 行 者 たちが 憧 れる 風 景 になった 寺 院 や 世 界 遺 産 観 光 雑 貨 ショッピング スパ(エステ) グルメなどタイ 旅 行 には 楽 しみがいっぱい 文 化 も 多 様 性 に 富 みビーチリゾートも 数 あるタイは 魅 力 満 載 ( タ イ 関 連 エリア 情 報 JTB インターネット ホームページ http://www.jtb.co.jp/ kaigai/asia/thailand/ 2013 年 9 月 9 日 参 照 ) 以 上 の 引 用 のように 1990 年 代 から 2000 年 代 にかけて 観 光 によるタイのイメージは 非 常 に 多 様 化 している 外 国 人 観 光 客 にとってタイは 多 様 な 魅 力 を 持 つだけではなく 多 様 な 体 験 が 可 能 な 空 間 であるため 観 光 旅 行 者 の 多 様 な 需 要 に 応 える 観 光 地 として 見 なされ ている このように 2012 年 にタイは 22,303,065 人 の 外 国 人 観 光 客 を 迎 え 入 れ 2011 年 比 15.98%の 大 幅 な 増 加 となった 特 に 訪 タイ 日 本 人 数 だけは 21.58% 増 加 した 47 タイ 国 政 府 観 光 庁 の 調 査 Thailand Destination Image 48 によれば 日 本 人 旅 行 者 が 見 たタイの イメージについて 1 位 は 果 物 /タイの 屋 台 料 理 2 位 は タイ 人 の 微 笑 み/タイ 人 のホ スピタリティ 3 位 は 暖 かい 気 候 /ビーチ 4 位 は 物 価 が 安 い/ 買 い 物 5 位 は ス パ/マッサージ である 調 査 結 果 のように 多 様 なタイのイメージの 中 で 日 本 人 旅 行 者 が 見 たタイは 寺 院 や 世 界 遺 産 観 光 などのエキゾチックなイメージではなく しかし タイの 料 理 気 候 タイ 人 のホスピタリティ 安 価 な 物 価 というイメージである この 変 化 を 説 明 すると 1995 年 代 後 半 のインターネットの 普 及 により 社 会 全 体 の 情 報 化 が 進 んでいるため 人 々が 移 動 することなくても 異 文 化 接 触 することができる つまり タイに 行 ったことない 人 でもタイの 寺 院 や 世 界 遺 産 観 光 などの 歴 史 的 文 化 的 なタイに ついての 知 識 をすでに 持 っている しかし 料 理 気 候 タイ 人 のホスピタリティ 安 価 な 物 価 などの 日 常 生 活 に 関 するイメージはタイで 体 験 しないと 接 触 することができな いことである このように 2000 年 代 のタイのイメージは 以 前 のような 全 体 的 なイメージ ではなく 個 人 の 旅 行 でタイに 触 れることによって 生 成 されると 考 えられる また 以 上 の 日 常 生 活 的 なタイのイメージは 住 みやすい タイのイメージをもたらすため タイは 日 本 人 の 観 光 地 だけではなく 長 期 滞 在 地 としても 人 気 が 高 まっている 高 齢 者 は もちろん 若 者 も 日 本 の 難 から 逃 げられてき 49 て バンコクで 外 こもりという 形 で 長 期 滞 在 をしている 日 本 人 が 少 なくない このように 現 在 のタイは 日 本 人 にとって 観 光 地 だけではなく 避 難 地 という 存 在 としても 活 躍 している 以 上 のように 明 治 期 から 1990 年 代 にかけての 紀 行 旅 行 記 にはそれぞれの 時 代 のタイ 表 象 がなされている これらのタイ 表 象 は 第 2 部 日 本 近 現 代 文 学 におけるタイ 表 象 を 47 2012 年 の 訪 タイ 者 数 2200 万 人 突 破 インターネット ホームページ http://www.thailandtravel.or.jp/news/ detail/?no=857 2013 年 6 月 18 日 参 照 48 รายงานข นส ดท าย โครงการศ กษาภาพล กษณ ด านการท องเท ยวของประเทศไทยในสายตาของน กท องเท ยวชาวต างชาต Thailand Destination Image. เข าถ ง ได จาก: http://tourismlibrary.tat.or.th/link/book/t23536_11.pdf (ว นท ค นข อม ล:28 ส งหาคม 2556)(2013 年 8 月 28 日 参 照 ) 49 下 川 裕 治 日 本 を 降 りる 若 者 たち ( 講 談 社 2007 年 11 月 ) 41
見 れば 多 少 共 通 している 部 分 が 存 在 する つまり 紀 行 旅 行 記 と 文 芸 作 品 は 影 響 関 係 があると 考 えられる そのため 第 2 部 ではタイを 舞 台 とした 日 本 近 現 代 文 学 作 品 を 対 象 として 紀 行 旅 行 記 で 描 写 されていない 文 芸 作 品 におけるタイ 表 象 を 検 討 する 42
第 二 部 日 本 近 代 文 学 におけるタイ 表 象 43
第 3 章 山 田 長 政 関 連 のテクストにおけるシャム 1 はじめに 明 治 期 に 入 ってから 人 々に 海 外 に 関 する 知 識 を 広 めることを 目 的 として 世 界 の 地 理 風 俗 に 関 する 書 籍 や 旅 行 記 案 内 書 などが 多 く 刊 行 された 新 聞 雑 誌 や 教 科 書 に 各 国 の 代 表 的 な 風 景 や 人 物 の 版 画 などを 添 えて 紹 介 した 例 も 多 い その 中 に シャム を 紹 介 し た 書 籍 もある その 特 徴 は 地 理 的 な 情 報 を 提 供 するのみではなく 江 戸 期 の 文 献 の 中 にも 登 場 する 山 田 長 政 の 伝 説 を 収 めている 点 にある 例 えば まとまったかたちでシャム を 紹 介 したものとしては 最 初 の 刊 本 といえる 暹 羅 紀 行 ( 大 鳥 圭 介 工 部 省 1875 年 6 月 ) では 地 理 気 候 などが 詳 細 に 記 されるとともに シャムの 歴 史 の 観 点 から 山 田 長 政 が 取 り 上 げられたことが 確 認 される 山 田 長 政 の 設 の 記 述 がある また 明 治 期 のシャム 旅 行 記 1 などを 見 ると 必 ず 日 本 人 町 跡 や 長 政 の 遺 跡 を 訪 ねたことが 書 かれている さらに 明 治 初 期 には 歴 史 教 科 書 の 中 にも 山 田 長 政 が 登 場 する また シャムを 舞 台 とする 長 政 に ついてのテクストは 現 代 まで 引 き 続 き 書 かれ 日 本 人 にシャムのイメージを 提 供 し 続 けて きた 日 本 のシャムについての 関 心 は 山 田 長 政 という 人 物 を 介 して 得 られたものである と 言 える そのため 近 代 から 現 代 まで 日 本 におけるタイの 表 象 を 検 討 する 際 に 山 田 長 政 に 関 する 文 献 は 不 可 欠 のものである 土 屋 了 子 2 は 山 田 長 政 に 関 する 文 献 から 山 田 長 政 像 を 分 析 し 1 長 政 の 死 から 開 国 まで 2 開 国 から 第 一 次 世 界 大 戦 勃 発 まで 3 第 一 次 世 界 大 戦 勃 発 から 一 九 三 二 年 まで 4 一 九 三 二 年 から 第 二 次 世 界 大 戦 終 結 まで 5 第 二 次 世 界 大 戦 終 結 から 現 代 まで という 5 つの 時 期 に 区 分 している 土 屋 によれば 1 長 政 の 死 から 開 国 まで の 山 田 長 政 は 後 世 の 書 物 の 材 料 原 型 を 提 供 し それを 基 に 形 成 された 2 開 国 から 第 一 次 世 界 大 戦 勃 発 まで の 山 田 長 政 のイメージは 神 話 化 され アジア 主 義 や 单 進 論 を 実 践 した 模 範 として 位 置 づけ られた そして 3 第 一 次 世 界 大 戦 勃 発 から 一 九 三 二 年 まで は 明 治 末 期 ほどの 注 目 は 得 られなかったが 4 一 九 三 二 年 から 第 二 次 世 界 大 戦 終 結 まで は 再 び 山 田 長 政 ブームが 起 こり 大 東 亜 共 栄 圏 や 戦 争 遂 行 という 政 治 的 のため に 再 び 神 話 化 された 5 第 二 次 世 界 大 戦 終 結 から 現 代 まで の 山 田 長 政 像 は 戦 時 中 のように 神 話 化 されることはない が 新 たな 長 政 像 が 描 かれることになる と 論 じられている 土 屋 の 分 析 からも 分 かるように 2 開 国 から 第 一 次 世 界 大 戦 勃 発 まで と 4 一 九 三 二 年 から 第 二 次 世 界 大 戦 終 結 まで の 山 田 長 政 のイメージは 当 時 の 政 治 的 な 影 響 を 受 けな 1 岩 本 千 綱 の 暹 羅 老 檛 安 单 三 国 探 検 実 記 ( 博 文 館 1897 年 9 月 )や 中 村 直 吉 亜 細 亜 大 陸 横 行 亓 大 州 探 検 記 ( 博 文 館 1908 年 8 月 )などである 2 土 屋 了 子 山 田 長 政 のイメージと 日 タイ 関 係 ( アジア 太 平 洋 討 究 2003 年 3 月 ) 44
がら 作 られている それでは 神 話 化 された 時 代 の 山 田 長 政 テクストの 中 で 物 語 の 舞 台 としてのシャム(タイ)については どのように 描 かれ どのように 意 味 付 けられたのか この 問 題 を 解 明 するために 本 章 では 2 開 国 から 第 一 次 世 界 大 戦 勃 発 まで では 遅 塚 麗 水 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 (1898 年 ) 4 一 九 三 二 年 から 第 二 次 世 界 大 戦 終 結 まで で は 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 (1940 年 )を 各 時 代 の 代 表 的 文 献 として 取 り 上 げ 山 田 長 政 を 描 いた 作 品 の 中 で 物 語 の 舞 台 であるシャムにはどのようなイメージが 投 影 されているのか また 5 第 二 次 世 界 大 戦 終 結 から 現 代 まで の 山 田 長 政 の 新 たな イメージは 神 話 化 さ れた 山 田 長 政 像 とどのように 異 なるのか そして 山 田 長 政 の 新 たな イメージはシャム のイメージとどのように 関 連 付 けられているのか 戦 後 の 代 表 的 な 文 献 として 遠 藤 周 作 王 国 への 道 山 田 長 政 (1984 年 ) 考 察 する 2 山 田 長 政 テクストについて 明 治 25 年 (1892 年 )には 山 田 長 政 ブームがあり 山 田 長 政 についての 書 籍 が 多 く 刊 行 さ れた 明 治 期 の 山 田 長 政 ブームのきっかけについて 矢 野 暢 は 次 のように 述 べている 清 水 次 郎 長 こと山 本 長 亓 郎 が 静 岡 県 と 多 尐 とも 縁 故 のあるらしい 人 物 として 山 田 長 政 のことを 知 り それを 郷 土 の 英 雄 に 仕 立 てようとして 建 碑 の 計 画 を 発 想 したのが その 明 治 二 亓 年 であった 次 郎 長 は 資 金 集 めのために 東 京 大 相 撲 を 同 年 七 月 に 呼 んで かんゆう いる その 計 画 には 自 由 民 権 論 地 方 分 権 論 を 主 唱 し 支 えていた 函 谷 日 報 静 た い む 岡 大 務 新 聞 などの 地 元 紙 が 積 極 的 に 協 力 することとなり そして 競 争 関 係 にあるそ ういう 複 数 のメディアによって 動 員 された 郷 土 史 家 たちが 同 年 七 月 までに 刊 行 という 条 件 で 文 筆 の 力 で 清 水 次 郎 長 の 計 画 を 応 援 する 作 品 を 書 いたのである ( 山 田 長 政 神 話 と 虚 妄 講 座 東 单 アジア 学 10 東 单 アジアと 日 本 弘 文 堂 1991 年 2 月 ) 山 田 長 政 の 建 碑 の 募 金 集 めのために 行 われた 東 京 大 相 撲 は 多 くのメディアで 取 り 上 げられ 注 目 された 明 治 25 年 (1892 年 )に 関 口 隆 正 山 田 長 政 伝 ( 草 深 十 丈 書 屋 1892 年 4 月 ) 間 宮 步 山 田 長 政 偉 勲 録 ( 間 宮 步 1892 年 6 月 ) 岡 村 信 太 郎 山 田 長 政 一 代 記 ( 岡 村 信 太 郎 1892 年 6 月 )などの 山 田 長 政 についての 文 献 が 多 く 刊 行 された それを 契 機 として 山 田 長 政 の 知 名 度 も 一 層 上 がる また 明 治 27 年 (1894 年 )の 征 清 軍 歌 忠 君 義 勇 ( 石 原 貞 堅 明 玉 堂 1894 年 9 月 )の 中 には 山 田 長 政 六 昆 国 兵 防 戦 の 歌 があり やまだながまさほまれのぐんせん 明 治 32 年 (1899 年 )には 明 治 座 で 狂 言 山 田 長 政 譽 軍 扇 3 が 公 演 された このように 明 治 25 年 (1892 年 )の 山 田 長 政 ブームをきっかけに 山 田 長 政 は 広 く 日 本 人 の 間 で 知 られ るようになった 3 明 治 座 ( 朝 日 新 聞 1898 年 12 月 18 日 朝 刊 ) 45
明 治 期 の 山 田 長 政 の 情 報 源 になった 重 要 な 作 品 4 は 暹 羅 国 山 田 氏 興 亡 記 である 暹 羅 国 山 田 氏 興 亡 記 は 元 禄 年 間 (1688~1704 年 )に 著 述 されたと 推 測 される その 内 容 は 次 の 通 りである 尾 張 出 身 の 山 田 仁 左 衛 門 (のちの 山 田 長 政 )が 商 人 として シャムに 滞 在 する 山 田 仁 左 衛 門 は 才 知 に 溢 れ シャムの 官 人 に 東 洋 の 物 語 を 語 る 東 洋 の 文 步 学 を 学 ぶため 国 王 は 仁 左 衛 門 を 採 用 し 国 守 に 任 ずる 仁 左 衛 門 は 国 王 に 拝 謝 し 日 本 町 にい る 勇 士 を 集 め 将 軍 として 活 躍 する その 後 シャムの 国 王 は 重 病 で 亡 くなり 13 歳 の 太 子 が 即 位 する しかし 太 后 はカウハムと 不 義 し 太 子 を 每 殺 し 自 ら 女 王 として 即 位 す る 仁 左 衛 門 は 先 王 のため 復 讐 を 決 意 し 戦 争 の 準 備 を 行 う 仁 左 衛 門 を 排 除 するため 女 王 は 公 使 のチヤントポラに 仁 左 衛 門 を 每 殺 させる 仁 左 衛 門 の 息 子 オインは 女 王 に 復 讐 するため 義 兵 を 集 める しかしオインは 復 讐 できずに 戦 場 でなくなる シャムの 日 本 町 も 焼 かれる 山 田 長 政 についての 物 語 は 江 戸 時 代 から 変 化 し 続 けてきた 天 竺 徳 兵 衛 物 語 (1707 年 ) では 長 政 はシャム 王 になると 書 かれ 駿 河 国 志 (1783 年 )では 長 政 は 駿 河 の 出 身 だ と 述 べられている 山 田 仁 左 衛 門 渡 唐 録 (1794 年 )では 長 政 は 駿 府 の 商 人 滝 左 右 衛 門 と 太 田 治 右 衛 門 の 船 に 乗 り シャムまで 渡 航 する そしてシャム 王 の 王 女 と 結 婚 し 王 になった 後 で 二 人 の 商 人 と 再 会 し 恩 返 しのため 淺 間 神 社 を 敬 拝 し 駿 府 の 旧 友 に 土 産 を 送 るエピソードなどが 書 き 加 えられたが オインの 復 讐 のエピソードは 削 除 されてい る このことから 山 田 長 政 の 伝 説 は 尐 しずつ 脚 色 削 除 されたことが 分 かる 明 治 時 代 に 入 ると 尐 年 向 けの 読 み 物 や 教 科 書 の 中 で 山 田 長 政 伝 説 は 頻 繁 に 登 場 する 子 どもに 分 かりやすく 伝 えるために 会 話 や 日 本 的 な 滑 稽 味 やエピソードを 加 えて 物 語 に 仕 立 て 上 げている 様 々な 資 料 を 見 ることで 明 らかとなった 明 治 期 の 長 政 の 特 長 を 以 下 にまとめる まず 長 政 の 出 身 については 前 掲 の 江 戸 期 の 資 料 を 見 ると 尾 張 出 身 か 駿 河 出 身 かは っきりしていなかったが 明 治 期 の 資 料 ではほとんど 駿 河 出 身 である これは 明 治 25 年 (1892 年 )の 山 田 長 政 ブームに 関 連 していると 考 えられる また 明 治 期 の 長 政 についての 資 料 特 に 尐 年 向 け 読 み 物 では 子 ども 時 代 の 生 活 が 述 べられている 習 文 必 用 ( 高 島 正 清 編 梅 巌 堂 等 1876 年 3 月 )では 尐 メ 大 志 アリ 好 テ 書 ヲヨミ 步 技 ヲ 演 ス と 述 べられ 静 岡 県 郷 土 史 談 ( 法 月 鋭 児 修 誠 堂 書 店 1894 年 12 月 )では 幼 より 兵 書 を 繙 き 步 藝 を 講 す 常 に 海 外 に 航 して 名 を 顯 さむと 欲 せり と 書 かれている 江 戸 時 代 の 資 料 と 比 べると 長 政 の 幼 尐 期 の 性 格 などが 加 えられている その 理 由 は 子 どもである 読 者 に 物 語 に 親 しみやすくさせるためであっただろう 大 志 や 海 外 進 出 を 欲 することなどが 創 作 された 長 政 のイメージは 子 どもに 明 治 期 の 英 雄 精 神 を 認 識 させると 考 えられる また 明 治 初 期 の 資 料 を 見 ると 長 政 は 織 田 信 長 の 孫 で 商 人 の 家 に 生 まれたと 述 べら れている 明 治 34 年 (1901 年 )8 月 に 発 行 された 教 科 書 小 学 修 身 訓 高 等 科 教 員 用 巻 三 ( 学 海 指 針 社 編 集 英 堂 )では 織 田 信 長 の 孫 ではなく 元 は 一 貧 乏 人 の 子 が この 4 矢 野 暢 近 代 日 本 の 单 方 関 与 ( 東 单 アジアと 日 本 弘 文 堂 1991 年 2 月 ) 46
功 名 を 立 てたのは 是 も 日 本 の 譽 れとして 今 に 我 々が 愉 快 を 感 ずる 所 であり と 書 かれ ている 古 英 雄 之 俤 ( 町 田 源 太 郎 編 晴 光 館 1910 年 3 月 )では 日 本 に 居 ては 飯 が 喰 へない 長 政 の 財 政 状 況 を 述 べている こうした 山 田 長 政 の 描 かれ 方 貧 乏 な 家 の 子 ども が 海 外 雄 飛 をすることで 立 身 出 世 を 果 たすという 明 治 初 期 の 理 想 的 な 価 値 観 を 反 映 した ものと 考 えられる 江 戸 期 の 山 田 長 政 に 関 するテクストを 見 れば シャムは 单 天 竺 の 中 にある 国 とされ ている 天 竺 とはインドだけではなく 海 の 向 うの 国 5 も 意 味 している シャムは 当 時 の 人 々にとって 遠 くて あまり 知 られていない 所 である 单 天 竺 にあるシャムのイメージ は 明 治 初 期 まで 見 られる 明 治 20 年 代 に 入 ると 軍 人 精 神 叢 談 ( 岡 田 宗 吉 楠 美 六 亓 郎 九 皋 堂 1890 年 8 月 )でシャムに 行 く 決 意 をする 前 に 臺 灣 ニ 航 セント 欲 すと 書 かれて おり その 後 台 湾 経 由 でシャムへ 渡 航 する 長 政 が 頻 繁 に 描 かれていく 日 本 之 光 輝 ( 関 徳 ( 遂 軒 ) 編 青 木 嵩 山 堂 1895 年 2 月 )では 臺 灣 に 止 まることとなりしかば 夫 より 各 所 を 巡 廻 し 其 地 勢 を 通 覧 なしつ 丶 思 ふやう 斯 る 蕞 爾 たる 一 小 島 にも 己 に 主 ありて 吾 自 由 に なすべからず という 長 政 が 台 湾 に 滞 在 しない 理 由 までも 述 べられている また 尐 年 亀 鑑 ( 三 育 舎 編 輯 所 編 三 育 舎 1897 年 2 月 )で 國 内 にては 功 を 立 つるに 足 らず ( 中 略 ) 臺 灣 は 未 開 の 一 孤 島 にして 未 だ 事 を 爲 すに 足 らざりしかば 又 進 みて 暹 羅 に 渡 りき と 書 かれている 遠 く 想 像 のできない 单 天 竺 にあるシャム 像 は 台 湾 の 单 にある 国 だと 描 写 されたことで 单 天 竺 にある 国 より より 一 層 現 実 的 な 存 在 になったと 考 えら れる 明 治 7 年 の 台 湾 出 兵 や 日 清 戦 争 後 の 台 湾 占 領 のため 日 本 人 は 台 湾 を 身 近 に 感 じ るようになった 日 本 にとって 台 湾 は 单 への 玄 関 口 であり 单 洋 開 発 の 基 礎 になる のである 台 湾 に 留 まらず より 一 層 单 に 渡 ると 付 け 加 える 文 章 は 当 時 の 单 方 への 関 心 の 証 だと 思 われる また 前 掲 のような 江 戸 期 の 資 料 では 長 政 は 元 々 商 人 としてシャム に 渡 航 し 官 人 に 任 命 された 後 で 軍 人 として 活 躍 する しかし 明 治 期 の 多 くの 資 料 で は 長 政 は 最 初 から 軍 人 として 活 躍 し 国 王 の 娘 を 妻 にし 国 王 になり シャムと 日 本 の 貿 易 を 奨 励 する 貿 易 が 行 えるきっかけとしては 山 田 長 政 が 恩 人 滝 左 右 衛 門 や 太 田 治 右 衛 門 と 再 会 することによる 滝 左 右 衛 門 太 田 治 右 衛 門 との 再 会 のエピソードは 江 戸 か ら 明 治 にかけて 書 き 換 えられてきた 山 田 長 政 に 関 するテクストにおいて 不 可 欠 なエピ ソードとして 描 き 続 けられている このように 山 田 長 政 伝 はその 時 代 の 要 請 に 応 じて 尐 しずつ 改 変 されたり 加 筆 されてきた 経 緯 がある 3 遅 塚 麗 水 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 遅 塚 麗 水 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 と 明 治 期 の 移 民 政 策 5 1876 年 幕 府 は 日 本 ハワイ 臨 時 親 善 協 定 を 結 んだ 出 稼 ぎ 人 に ハワイ のことを 説 明 するため 幕 府 は 日 本 人 になじみのである 天 竺 という 言 葉 を 使 用 した ( 藤 崎 康 夫 編 日 本 人 移 民 写 真 絵 画 集 成 (1)ハワイ 北 米 大 陸 日 本 図 書 センター 1997 年 11 月 )ように 天 竺 とは 当 時 の 日 本 人 が 知 らない 遠 いところにある 国 のことを 説 明 する 言 葉 なのである 47
前 述 したように 明 治 期 に 数 多 く 刊 行 された 山 田 長 政 テクストの 一 つに 遅 塚 麗 水 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 ( 博 文 館 1899 年 4 月 )がある 尐 年 読 本 は 一 八 九 八 年 ( 明 治 三 一 年 ) 一 〇 月 博 文 館 は 好 評 だった 叢 書 尐 年 文 学 とは 趣 向 を 変 えた 新 たな 尐 年 向 け 叢 書 の 刊 行 を 開 始 した 尐 年 読 本 全 亓 〇 編 わが 国 最 初 の 複 数 の 著 者 による 伝 記 児 童 書 の シリーズ 出 版 で 6 尐 年 読 者 に 雄 大 な 気 性 を 育 って 大 事 業 を 目 指 す 志 を 抱 か せる 7 という 趣 旨 で 刊 行 された このシリーズは 各 編 刊 行 のつど 多 くの 新 聞 雑 誌 が 批 評 を 揚 げるなど 好 評 を 得 て 重 版 も 相 ついだ 8 と 言 われており 当 時 の 尐 年 読 者 に 人 気 が あったことが 分 かる 一 方 著 者 の 遅 塚 麗 水 は 生 まれ 育 った 沼 津 と 山 田 長 政 が 尐 年 期 を 送 ったとされる 府 中 とは 亓 〇 キロメートルの 距 離 しかなく 長 政 が 奉 額 した 淺 間 神 社 には 麗 水 もしばしば 参 詣 していた 旅 が 好 きで すでに 紀 行 文 作 家 として 世 に 知 られていた 麗 水 が 長 政 を 担 当 するのは 尐 年 文 学 ですでに 一 編 書 いた 経 験 もあり ごく 当 然 のことで あった 9 遅 塚 麗 水 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 は 口 承 的 なかたちでも 伝 わる 江 戸 以 来 の 山 田 長 政 像 を 内 面 化 した 作 者 がどのような 長 政 像 を 用 意 したかという 点 で 注 目 される 明 治 25 年 (1892 年 )の 長 政 のテクストでは 明 治 期 の 地 理 的 な 資 料 を 参 照 し 読 者 にシ ャムを 紹 介 している 例 えば 山 田 長 政 一 代 記 ( 岡 村 信 太 郎 岡 村 信 太 郎 1892 年 6 月 ) は 二 人 の 商 人 がシャムに 再 来 するエピソードであり 繁 華 なる 一 都 府 に 着 き 府 衙 と 思 しき 家 に 連 られ 行 きぬ 此 の 都 は 抑 も 何 處 で 暹 羅 王 城 の 在 る 處 全 國 一 の 大 都 バンコ ツク 府 にして 兩 個 の 誘 はれたる 家 は 府 廳 にてありけるなり と 書 かれている 興 味 深 いのは この 描 写 が 長 政 が 生 きたアユタヤ 時 代 のシャムではなく この 本 が 書 かれ 読 まれ た 明 治 時 代 と 同 じラーマ 亓 世 時 代 の バンコツク の 風 景 であるという 点 である つまり 著 者 は 長 政 の 時 代 の 物 語 であるにもかかわらず 明 治 期 のシャムの 地 理 書 を 参 照 し その ままシャムの 情 報 として 読 者 に 提 供 したのである 一 方 麗 水 は 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 を 執 筆 するために 同 時 代 の 様 々な 資 料 を 参 照 し アユタヤ 時 代 のシャムについても 詳 細 に 調 べた アユタヤをバンコクと 誤 解 している 他 の 伝 記 と 異 なり 麗 水 は 関 口 隆 正 山 田 長 政 傳 附 牛 山 復 讐 録 を 一 つの 典 拞 に 山 田 長 政 の 伝 記 を 描 いたと 考 えられる 関 口 隆 正 山 田 長 政 傳 附 牛 山 復 讐 録 について 矢 野 暢 は 長 政 の 步 勇 伝 に 満 ちた 生 涯 の 事 蹟 も 文 中 に 巧 妙 にちりばめられた 江 戸 時 代 の 書 物 からの 引 用 のおかげで あたかも 歴 史 的 事 実 であったかのように 信 憑 性 をも 10 つと 言 われ る 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 と 山 田 長 政 傳 附 牛 山 復 讐 録 を 比 較 すると 次 の 通 りで ある 6 勝 尾 金 弥 本 格 的 シリーズはじまる 博 文 館 尐 年 読 本 ( 伝 記 児 童 文 学 のあゆみ 1891 から 1945 年 ミ ネルヴァ 書 房 1999 年 11 月 ) 7 鳥 越 信 はじめて 学 ぶ 日 本 児 童 文 学 史 (ミネルヴァ 書 房 2001 年 7 月 ) 8 注 6 に 同 じ 9 注 6 に 同 じ 10 山 田 長 政 神 話 と 虚 妄 第 十 巻 東 单 アジアと 日 本 ( 弘 文 堂 1991 年 2 月 ) 48
仁 左 衛 門 は 山 田 長 政 の 通 稱 なり 駿 河 國 安 倍 郡 藁 科 村 の 人 母 は 寺 尾 氏 といひ 母 の 父 を 惣 太 夫 といふ 初 め 府 中 ( 今 の 靜 岡 )の 馬 場 町 に 紺 屋 の 山 田 九 平 次 といふ 者 あ り 年 老 ひて 家 を 嗣 ぐべき 子 なかりしが 偶 々 伊 勢 國 山 田 の 御 師 なる 九 左 衛 門 友 昭 と いへるもの 零 落 て 府 中 に 流 寓 したりし( 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 ) 長 政 以 二 仁 左 衛 門 一 行 駿 河 國 安 倍 郡 藁 科 郷 人 不 レ 知 二 何 姓 一 生 母 寺 尾 氏 寺 尾 氏 父 為 二 惣 太 夫 一 近 代 心 説 砕 玉 詒 暹 羅 王 歌 並 序 山 田 氏 過 去 帳 駿 河 志 料 駿 河 府 志 初 府 中 馬 場 街 染 戸 駿 河 志 松 五 筆 記 山 田 事 跡 駿 河 志 料 曰 二 山 田 友 山 一 以 二 九 平 次 一 行 養 二 伊 勢 人 友 昭 一 為 レ 嗣 友 昭 曰 二 九 左 衛 門 一 ( 関 口 隆 正 山 田 長 政 傳 附 牛 山 復 讐 録 草 深 十 丈 書 屋 1892 年 4 月 ) 以 上 のように 双 方 のテクストは 同 じ 順 番 で 同 じことを 記 述 しており 偶 然 とは 言 い 難 いほど 一 致 している 山 田 長 政 に 関 する 他 の 箇 所 を 見 ると 書 き 加 えられたものもあるが 内 容 的 には 山 田 長 政 傳 附 牛 山 復 讐 録 に 沿 って 語 られる しかし 山 田 長 政 傳 附 牛 山 復 讐 録 は 長 政 が 每 殺 される 場 面 で 終 わっている その 後 のオインの 話 しや 每 殺 され た 後 のストーリーを 描 くため 麗 水 は 山 田 長 政 事 蹟 合 考 (サトー 著 寺 崎 遜 訳 宮 内 省 1896 年 5 月 )を 参 照 したと 考 えられる 山 田 長 政 事 蹟 合 考 の 特 徴 は ヴハン ウ 五 リエ 11 ト 氏 の 暹 羅 誌 や シャム 語 の 歴 史 的 な 資 料 フ ホ ングサ ヴ ハ ダン からの 引 用 があり 他 の 資 料 には 見 られないシャムの 歴 史 上 の 人 物 が 登 場 することにある 麗 水 は 山 田 長 政 事 蹟 合 考 に 記 された 歴 史 的 な 事 実 を 自 分 の 長 政 伝 に 採 用 する 例 えば 長 政 伝 の 中 で 暹 羅 新 王 の 名 前 は 言 及 されてなかったが 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 は 山 田 長 政 事 蹟 合 考 により プラオー アヂ 五 トソグラス ヴォー と 記 している あるいは 山 田 長 政 事 蹟 合 考 に 記 されたアユタヤ 時 代 のシャムと 日 本 との 経 済 的 な 関 係 は 次 のようにパラフレ ーズされる 使 節 ハ 十 月 十 一 日 ( 元 和 7 年 :タナポーン 注 ) 江 戸 ニ 到 着 シ 神 田 須 田 町 ノ 誓 願 寺 ヲ 旅 舘 ト 為 シタリ 其 一 行 ハ 總 敷 六 七 十 人 トス 其 中 チ 使 節 二 人 ノ 外 十 八 名 ハ 自 國 ニ 在 リテ 親 シク 君 主 ニ 拜 謁 スルヲ 得 ルノ 地 位 ニ 在 ルモノナリ 此 一 行 ハ 境 ノ 商 人 ニシテ 敷 回 暹 羅 ヘ 渡 航 シタル 木 屋 彌 左 衛 門 ナル 者 ヲ 伴 ヒ 來 リ(サトー 著 寺 崎 遜 訳 山 田 長 政 事 蹟 合 考 宮 内 省 1896 年 5 月 ) 元 和 七 年 使 者 復 た 來 聘 し 十 月 十 一 日 江 戸 に 到 着 して 神 田 須 田 町 の 誓 願 寺 を 旅 舘 とせり 一 行 都 て 六 十 餘 人 正 使 一 人 副 使 一 人 は 言 ふまでもなく 其 の 他 十 八 人 も 11 ヴハン ウ 五 リエト 氏 (Jeremias Van Vliet)は 1633-1642 年 にシャムに 渡 航 したオランダ 人 の 商 人 である シャム に 滞 在 していた 間 に 彼 はシャムのことを 記 録 した その 記 録 は 今 までタイの 重 要 な 歴 史 的 な 資 料 となっている 49
親 しく 國 王 に 謁 見 すること 得 る 榮 爵 盛 位 を 有 てる 人 なりき 泉 州 境 の 商 人 にて 度 々 暹 羅 に 渡 航 したる 伊 藤 九 太 夫 木 屋 彌 左 衛 門 使 者 に 伴 ひ 來 たり( 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 ) 以 上 からも 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 の 本 文 が 山 田 長 政 事 蹟 合 考 を 典 拞 にしてい ることは 分 かるが 山 田 長 政 事 蹟 合 考 の 長 政 に 関 する 書 簡 も 両 者 の 典 拞 関 係 を 証 明 して いる 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 の 山 田 長 政 ヨリ 土 五 大 炊 頭 ヘ 贈 リシ 書 翰 や 暹 羅 在 留 ノ 山 田 長 政 ヨリ 酒 五 忠 世 家 臣 ヘノ 書 翰 は 山 田 長 政 事 蹟 合 考 から 引 用 されたと 思 わ れる 山 田 長 政 事 蹟 合 考 は オインの 話 や 当 時 のシャムと 日 本 との 経 済 的 な 関 係 や 長 政 に 関 する 書 簡 の 典 拞 と 認 められよう また 山 田 長 政 の 物 語 の 導 入 部 で 当 時 の 日 本 人 にあまり 知 られていないシャムについて 紹 介 している その 典 拞 になっているのが 暹 羅 王 國 ( 圖 单 商 會 編 經 濟 雑 誌 社 1897 12 年 9 月 )である 暹 羅 王 國 はシャムの 歴 史 資 料 の パレゴイ 僧 正 の 暹 羅 史 とプレ バド ソムデツチ プラ プラメンドル マハ モンクト 王 ( 今 王 (ラーマ 亓 世 :タナポ ーン 注 )の 父 )の 著 書 13 を 参 照 しているため 信 憑 性 が 高 いと 思 われる 例 を 挙 げると 次 の 通 りである 昔 時 釋 迦 如 來 の 在 世 の 頃 サトザナライとシチモンコンといへる 二 人 の 婆 羅 門 僧 あ り この 國 北 方 の 山 林 に 世 を 避 け 草 を 結 びて 家 となし 麋 鹿 をともとして 閑 生 涯 を 送 り 各 々 百 数 十 歳 の 齡 に 躋 りしが 暹 羅 の 人 は 其 の 徳 風 を 慕 ひて 四 方 より 子 のごと く 集 まり 來 たり 頓 て 賬 はしき 七 箇 の 村 落 を 成 したり( 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 ) 昔 時 釋 迦 如 來 と 同 時 代 に 暹 羅 の 北 方 の 山 林 に 二 人 の 婆 羅 門 僧 の 隠 遁 したる 者 あ り 一 人 をサトザナライと 云 ひ 他 をシチモンコンと 云 ふ 共 に 百 亓 十 才 の 高 齢 を 保 ち 曾 て 世 に 在 りし 頃 は 其 の 多 くの 子 孫 を 集 めて 七 個 の 城 壁 ある 小 市 街 をも 作 り し( 圖 单 商 會 編 暹 羅 王 國 經 濟 雑 誌 社 1897 年 9 月 ) 以 上 から 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 は 主 に 三 つの 種 本 山 田 長 政 傳 附 牛 山 復 讐 録 (1892 年 ) 山 田 長 政 事 蹟 合 考 (1896 年 ) 暹 羅 王 國 (1897 年 )を 参 考 にして 執 筆 さ れたことが 確 認 できる 関 口 隆 正 山 田 長 政 傳 附 牛 山 復 讐 録 は 様 々な 江 戸 時 代 の 歴 史 的 な 資 料 を 引 用 し 歴 史 的 事 実 が 溢 れ 信 頼 できる 資 料 である 山 田 長 政 事 蹟 合 考 は シャムに 滞 在 していたオランダ 人 の 視 点 で 語 られたシャムの 歴 史 資 料 を 引 用 したため 他 の 資 料 にはない 明 治 期 のシャムに 関 する 歴 史 的 事 実 が 述 べられている そして 暹 羅 王 國 はシャム 語 で 書 かれたラーマ 四 世 の 著 書 などを 引 用 している 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 は 典 拞 の 性 格 から 見 るなら 日 本 の 資 料 シャムの 資 料 オランダの 資 料 から 構 成 されて 12 本 名 は Jean-Baptiste Pallegoix で 30 年 間 以 上 シャムに 滞 在 していたフランス 人 の 宣 教 師 である Description du Royaume Thai ou Siam (1854 年 )というシャムの 事 情 について 本 などを 執 筆 した 13 圖 单 商 會 編 暹 羅 王 國 ( 經 濟 雑 誌 社 1897 年 9 月 ) 50
いる 事 実 関 係 において 信 憑 性 の 高 い 資 料 を 利 用 する 麗 水 は 史 実 的 な 次 元 での 山 田 長 政 の 物 語 や アユタヤ 時 代 の 時 代 背 景 を 正 確 に 描 くことにこだわっていたことが 分 かる さ らに 言 えば 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 は 叢 書 として 刊 行 されるため 麗 水 は 数 多 く 刊 行 された 山 田 長 政 テクストの 中 で 内 容 的 に 正 しいテクストを 求 めて 完 璧 な 山 田 長 政 テクストである 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 を 作 成 しようとしたのではないかと 思 われる こうした 内 容 的 に 正 しい 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 は 歴 史 上 に 実 在 する 山 田 長 政 神 話 を 強 化 し 山 田 長 政 のように 海 外 で 立 身 出 世 をするという 青 年 読 者 の 興 味 を 喚 起 する その 一 方 で 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 は 山 田 長 政 像 の 背 景 にある 明 治 期 の 道 徳 教 育 を 青 年 読 者 に 推 進 する 役 割 を 果 たしている ところで 麗 水 は 紀 行 文 作 家 であっても 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 を 書 いた 時 点 では シャムに 行 っていなかった 様 々な 種 本 を 使 うもう 一 つの 理 由 は 作 品 執 筆 当 時 の 麗 水 の シャムに 対 するイメージが 漠 然 としたものであり また 一 般 の 人 にもあまり 知 られてい ないという 点 にも 起 因 しよう シャムをより 正 確 に 描 くためには 多 くの 文 献 を 参 照 しな がらテクストを 書 く 必 要 があった ただし 参 照 したと 思 われる 文 献 と 本 文 を 詳 しく 比 較 すると 麗 水 が 書 き 加 えた 箇 所 もある 例 えば 設 定 描 写 などである 麗 水 の 想 像 によっ て 書 き 加 えられた 箇 所 は どのようにシャムを 描 写 しているのか これについて 次 に 検 討 したい 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 におけるシャム 江 戸 時 代 の 暹 羅 国 山 田 氏 興 亡 記 では シャムは 天 竺 の 中 の 大 国 で 繁 盛 の 地 とされている このようなイメージは 明 治 期 まで 引 き 続 き 描 かれる 明 治 期 の 教 科 書 や 尐 年 向 けの 読 み 物 を 見 ると 土 地 豊 饒 物 産 甚 だ 富 14 み 暹 羅 國 王 は 常 に 國 の 開 けるを 喜 び 且 つまた 日 本 人 を 取 り 扱 ふに 最 も 親 切 15 というシャムの 描 写 が 描 かれている また シ ャムにいる 日 本 人 たちについては 日 本 人 の 威 勢 には 日 頃 恐 怖 して シャム 人 が 日 本 人 の 名 を 聞 けば 自 ら 屏 息 16 するというイメージは 頻 繁 に 反 復 されている 国 王 が 日 本 人 に 親 切 であり 何 も 怖 がらず 安 全 に 住 めるシャムは 日 本 人 にとって 理 想 的 な 空 間 として 描 か れている 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 も 他 の 山 田 長 政 伝 と 同 様 にシャムの 繁 昌 を 描 いている 日 本 人 にとっての 理 想 的 な 土 地 としてのシャム 以 外 に 様 々なかたちで 描 写 されたシャ ム 像 についても 見 ておこう 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 で 菱 田 春 草 が 描 いた 挿 絵 ( 図 1 図 2)を 見 てみよう 14 古 今 名 誉 実 録 第 二 巻 ( 春 陽 堂 1893 年 9 月 ) 15 間 宮 步 山 田 長 政 偉 勲 録 ( 間 宮 步 1892 年 6 月 ) 16 関 徳 ( 遂 軒 ) 編 日 本 之 光 輝 ( 青 木 嵩 山 堂 1895 年 2 月 ) 51
図 1 図 2 図 3 図 1 は 13 歳 の 童 王 の 挿 絵 で 図 2 は 山 田 長 政 の 挿 絵 である 双 方 の 挿 絵 は 冠 や 装 飾 やコ ートなどが アユタヤ 時 代 のシャムの 衣 装 として 描 かれている しかし アユタヤ 時 代 の タイの 歴 史 書 でよく 使 われる 日 本 人 義 勇 軍 図 17 ( 図 3)を 見 ると 衣 装 は 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 と 同 様 に 冠 はあるが コートのような 衣 装 は 見 られない このコートに 関 しては 明 治 26 年 の 資 料 岩 本 千 綱 暹 羅 国 探 検 実 記 18 に 記 述 がある それによると 当 時 (ラーマ 亓 世 時 代 )のシャムの 衣 装 について 男 子 は 平 常 風 呂 敶 の 如 き 布 匹 を 腰 部 に 纒 ひ 其 肌 には 肉 襦 袢 を 着 け 其 上 に コート 即 ち 吾 人 か 着 用 する 所 の モーニング コート に 稍 や 類 似 せるものを 被 って 居 るを 常 とす と 述 べられている ここから 見 ると 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 の 挿 絵 を 描 いた 菱 田 春 草 は ラーマ 亓 世 時 代 のシャムの 衣 装 を 取 り 入 れて 挿 絵 を 描 いたのではなかろうか 挿 絵 ( 図 1 2)を 見 ると 山 田 長 政 と 童 王 はローブを 着 ている 姿 で 描 かれている しかし 実 際 には シャムの 衣 装 にローブはない 17 アユタヤのワットヨムの 壁 に 描 かれていた 日 本 人 義 勇 軍 図 ( 出 典 :ชาญว ทย เกษตรศ ร, กาญจน ละอองศร บรรณาธ การ. เอกสารสร ป การส มมนาว ชาการ 120ป ความส มพ นธ การท ตไทย-ญ ป น: เอเช ยตะว นออกก บอ ษาคเนย ( 2430-2550 ). สม ทรปราการ : ม ลน ธ โตโยต าประเทศไทย : ม ลน ธ โครงการตาราส งคมศาสตร และมน ษยศาสตร, 2551.(2008 年 )) 18 岩 本 千 綱 暹 羅 国 探 検 実 記 ( 鹿 島 長 次 郎 1893 年 10 月 ) 52
ローブの 描 写 は 現 実 とはまったくかけはなれており 菱 田 春 草 は 岩 本 の 本 などから 想 像 し 描 いたのではないか 山 田 長 政 テクストで 不 可 欠 な 場 面 は 長 政 の 象 による 戦 いの 場 面 である 昭 和 時 代 の 長 政 のテクストを 見 れば 象 に 乗 り 戦 う 場 面 がよく 描 かれる 実 は 象 のエピソードは 江 戸 期 の 山 田 仁 左 衛 門 渡 唐 録 から 記 されている その 場 面 では 象 に 乗 る 長 政 は 描 写 され ず 戦 略 として 山 田 長 政 が 普 通 の 象 を 日 本 の 白 象 に 偽 装 し 六 昆 国 の 軍 使 を 騙 す 様 子 が 描 かれている 明 治 初 期 の 資 料 を 見 ると 象 の 場 面 は 言 及 されていないが 明 治 25 年 (1892 年 )に 山 田 仁 左 衛 門 渡 唐 録 と 同 様 に 象 を 偽 装 する 場 面 がある ただし 偽 装 された 象 は 軍 使 に 見 せず 戦 場 に 出 ると 描 写 されている 19 また 明 治 32 年 (1899 年 )の 遅 塚 麗 水 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 でも 象 に 乗 る 長 政 の 描 写 はないが 一 頭 の 象 しか 描 いてい ない 明 治 25 年 (1892 年 )の 諸 本 に 対 して この 戰 象 敷 十 頭 を 陣 前 に 驅 り 進 め て 戦 争 をすると 過 剰 に 描 写 された しかし 実 際 には 当 時 のシャムにおける 象 の 風 景 は 図 3 の ようなものであったと 思 われる 象 は 第 1 章 や 第 2 章 で 述 べたように 江 戸 時 代 から 日 本 人 のエキゾチックで 珍 しいと いう 单 洋 のイメージを 象 徴 するものであった 明 治 に 入 ると 象 は 单 洋 の 動 物 として 知 られ ていたが 他 の 单 洋 の 国 と 比 べると 当 時 の 書 物 や 雑 誌 などには 赤 地 に 白 象 のシャム 国 旗 の 挿 絵 や シャムの 風 景 としての 象 の 写 真 などが 頻 繁 に 載 せられている また 当 時 の 日 本 人 は メディアを 通 じてシャムの 象 を 知 っただけではなく 本 物 のシャムから 来 た 20 象 を 見 たのである 好 評 を 得 た 象 によって シャムの 象 の 国 というイメージは 強 化 さ れ 象 の 国 という 表 象 が 作 り 上 げられたと 思 われる また 当 時 のほかの 資 料 を 見 れば シャムは 白 象 の 國 21 や 象 の 國 と 頻 繁 に 形 容 されている シャムのいろいろ(1) 象 の 乞 食 ほか ( 読 売 新 聞 1902 年 12 月 13 日 朝 刊 )では 象 は 暹 羅 の 名 物 であることハ 事 新 しく 言 ふまでも 無 い 象 狩 の 景 況 ハ 嘗 て 本 紙 の 日 曜 附 録 に 載 せたことがある 暹 羅 と 象 とハ 其 國 旗 にも 象 の 姿 を 現 はしてあるが 如 く 甚 だ 深 い 中 である と 書 かれている 明 治 期 に 広 く 流 通 した 象 の 国 のシャム のイメージを 利 用 し シャムらしい 風 景 を 描 くため 象 の 場 面 を 復 活 させ 象 を 描 写 していると 思 われる だが 戦 象 について 具 体 的 に 記 述 し た 文 献 が 見 られない 以 上 象 の 戦 争 の 場 面 は 日 清 戦 争 後 の 尐 年 向 けのテクストという 性 格 から 派 生 した 可 能 性 もある 19 その 場 面 は 次 のようである 額 に 二 本 の 角 あり 背 上 に 兩 枚 の 翼 を 生 じ 身 体 恰 かも 鐡 の 如 く 其 の 咆 ゆる 聲 は 雷 に 似 て 異 様 の 步 具 に 身 を 固 めし 日 本 の 兵 士 と 覺 しき( 中 略 ) 此 の 象 は 此 等 邊 の 國 に 棲 む 普 通 の 物 にはあらず 只 日 本 の 國 のみに 稀 に 出 ると 聞 えにし 神 象 と 呼 ぶ 霊 獣 にて 之 れを 戰 闘 に 用 ふる 時 は 克 く 鼻 尖 を 以 て 敵 の 兵 士 の 閃 めかす ( 岡 村 信 太 郎 山 田 長 政 一 代 記 岡 村 信 太 郎 1892 年 6 月 ) 20 明 治 9 年 (1876 年 )には シャム( 現 在 のタイ 国 )からきた 3 歳 8 か 月 のゾウが 浅 草 奥 山 の 見 世 物 に 出 ている 明 治 19 年 の 例 のチャリネ 大 曲 馬 団 にも ゾウがついてきている そして 明 治 21 年 (1888 年 )5 月 23 日 シャム(タイ) の 皇 帝 から 15 歳 になるオスとメス 二 頭 のゾウが 我 が 帝 室 に 贈 られてきて 動 物 園 に 下 げ 渡 しの 形 で 収 容 された その うちメスは 明 治 26 年 (1893 年 )3 月 5 日 に 死 亡 したが オスの 方 は 長 く 生 き 次 第 に 凶 暴 になり しばしば 飼 育 係 を 負 傷 させるなどの 事 故 をおこし 明 治 36 年 (1903 年 )には 見 物 に 来 た 水 兵 にも 傷 を 負 わせている ( 東 京 都 恩 賜 上 野 動 物 園 編 上 野 動 物 園 百 年 史 東 京 都 恩 賜 上 野 動 物 園 1982 年 3 月 ) 21 明 治 期 のシャムに 関 する 資 料 を 調 べると 白 象 のことが 頻 繁 に 見 られる 明 治 45 年 (1912 年 )5 月 に 山 口 步 がシ ャムの 情 報 に 関 する 本 を 発 表 し 白 象 の 国 ( 内 山 正 如 1912 年 5 月 )と 名 付 けられた ここから 当 時 シャムは 白 象 の 国 として 知 られたと 思 われる 53
このようにシャム 王 の 衣 装 や 象 などの 描 写 は 明 治 時 代 のシャムに 関 する 資 料 から 引 用 された 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 で 描 かれたシャムは アユタヤ 時 代 のシャムではなく 書 き 手 の 空 想 によるものであっても シャムをあまり 知 らない 当 時 の 読 者 に 違 和 感 なく 受 け 入 れられたと 思 われる このことから 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 におけるシャムの 描 22 写 は 椰 樹 や 珍 禽 などの 单 洋 的 風 物 が 多 く 描 かれ 熱 帯 の 風 景 に 映 る 以 外 事 実 と 空 想 の 挟 間 で 作 り 上 げたと 思 われる 書 き 手 の 幻 想 で 書 き 加 えた 描 写 はこれだけに 留 ま らず 山 田 長 政 の 殿 閣 の 描 写 も 一 つの 例 である それは 次 のようである 唵 普 羅 臨 御 すと 二 賈 浦 伏 して 再 拝 し 僅 かに 頭 を 上 げて 唵 普 羅 を 見 る 唵 普 羅 峨 冠 綾 衣 し 虎 皮 胡 床 に 據 り 殿 上 に 座 す 金 紫 燦 然 して 目 を 射 り 正 視 すべからず 其 の 左 右 劒 戟 森 然 儀 衛 甚 だ 盛 なり 二 賈 惶 恐 して 屏 息 し 敢 て 仰 ぎ 視 ず 膝 行 頓 首 して 恩 を 謝 して 退 く 麗 服 したる 官 人 は 更 に 二 人 を 別 館 に 誘 へり 窓 には 雲 紋 紗 の 帳 幃 を 懸 け 床 には 花 様 氈 を 市 き 中 に 几 卓 を 安 排 し 上 に 百 味 の 盛 饌 を 列 ね 置 けり 夜 光 の 盃 琥 珀 の 皿 器 具 は 皆 西 洋 单 蠻 の 物 なり 二 人 大 に 驚 き 唯 だ 官 人 の 誘 ふまゝに 任 す 既 にして 美 人 敷 人 躚 々として 出 で 來 りて 酒 を 行 る 其 の 酒 芳 烈 鼻 より 脳 に 入 る 肴 は 山 海 の 美 を 盡 せり 美 味 人 間 のものにあらず 酒 半 酣 なるころほひ 劉 亮 たる 音 樂 帳 外 より 起 る 二 人 陶 然 として 神 悦 び 身 の 化 境 に 游 ぶかと 疑 ふ 終 に 酩 酊 して 伏 す 美 人 左 右 より 扶 け 起 して 別 室 に 入 らしむ( 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 ) 同 じエピソードを 他 のテクストは 夢 路 に 夢 を 見 し 心 地 23 と 表 現 している 麗 水 はその 夢 の 世 界 を 一 層 詳 細 に 描 いている 劉 亮 たる 音 樂 美 人 敷 人 百 味 の 盛 饌 酒 の 描 写 は 共 通 して 用 いられる 享 楽 的 な 要 素 であり シャムの 描 写 とは 言 い 難 く この 描 写 は 想 像 の 世 界 だと 思 われる また 雲 紋 紗 の 帳 幃 の 雲 については 日 本 の 文 様 天 象 24 によると 雲 にとどくほど 高 い 棟 やのきを 意 味 する 場 合 もあるが それよりも 具 体 的 に 雲 気 を 描 いて 飾 った 建 築 と 考 えた 方 が 当 たっている 場 合 が 多 い それというのは 雲 気 は 総 じて 天 上 の 神 々や 仙 人 たちと 深 い 関 係 があるからで いわば 吉 祥 的 な 意 味 から 装 飾 に 用 いられたからである と 指 摘 される 享 楽 的 な 雰 囲 気 で 美 しい 夢 見 心 地 の 空 間 の 描 写 から 雲 紋 紗 の 帳 幃 は 読 者 に 天 国 を 連 想 させるのではないだろうか この 夢 のような シャムの 描 写 は 日 本 に 居 ては 飯 が 喰 へない 明 治 社 会 の 現 実 的 な 空 間 と 対 比 される 日 本 人 を 歓 迎 し 豊 饒 であり 日 本 人 の 共 同 体 の 日 本 町 もあるシャムの 空 間 は まるでユー トピアのようである しかし 雲 紋 紗 の 帳 幃 や 虎 皮 胡 床 などは シャムの 風 俗 とは 言 いにくい 雲 の 文 様 は 中 国 から 伝 わる 文 様 であり 虎 皮 も 古 くから 知 られた 朝 鮮 の 舶 来 品 である つまりこの 場 面 には シャムを 表 すものが 一 つもなく その 代 わりに 日 本 の 伝 22 それは 椰 樹 の 葉 は 晴 れたる 空 に 風 を 扇 ぎて 枝 に 珍 禽 の 好 音 を 弄 するあり 池 中 には 於 牣 魚 躍 りて 白 鶴 汀 に 立 ち 馴 れて 人 に 親 しめり 四 海 の 木 石 を 集 め 天 下 の 花 卉 を 簇 からしたる 苑 の 眺 めも 心 に 平 かならぬことあれば 王 は 尐 し も 樂 しからず という 宮 殿 の 後 園 の 描 写 がある 23 古 今 名 誉 実 録 第 二 巻 ( 春 陽 堂 1893 年 9 月 ) 24 吉 田 光 邦 他 日 本 の 文 様 天 象 ( 光 琳 社 出 版 1974 年 5 月 ) 54
統 の 中 で 定 型 化 されている 東 洋 的 な 享 楽 世 界 を 表 すものが 反 映 されている 幻 想 のシャムと 单 進 論 明 治 20 年 頃 单 洋 を 舞 台 として 社 会 改 良 小 説 が 多 く 書 かれた これらの 小 説 の 特 徴 は 現 実 離 れした 観 念 小 説 25 である その 内 容 は 当 時 の 社 会 や 政 治 などについて 不 満 を 抱 き 单 洋 に 渡 り ユートピア 的 な 空 間 で 英 雄 のような 活 動 をするというものである いいかえれ ば 单 洋 に 渡 って そこで 王 になる 夢 が 書 きこまれた 小 説 26 だといわれる その 点 からは ユートピアとしての 单 洋 空 間 を 象 徴 するシャムに 渡 り シャム 王 の 娘 を 妻 にし 王 になる 山 田 長 政 はそうした 单 進 論 的 な 政 治 小 説 の 元 型 を 反 復 していると 言 える しかしながら 一 方 で 当 時 のシャムに 関 する 記 事 は 第 一 章 で 取 上 げられた 読 売 新 聞 の 記 事 のように 暹 羅 全 國 の 形 勢 は 亡 國 27 で 暹 羅 國 王 は 國 債 を 有 するにあらざれど も 欲 する 儘 に 税 を 課 し 28 シャムの 女 性 は 色 も 黒 く 唇 も 厚 く 29 と 野 蛮 な 国 としても 紹 介 している つまり シャムのユートピア 的 な 享 楽 空 間 の 記 述 は 单 進 政 策 の 主 張 を 分 か りやすく 民 衆 に 伝 えるため 理 想 的 な 面 だけを 強 調 している 遅 塚 麗 水 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 もその 中 の 一 つである しかし なぜ 山 田 長 政 テクストにおけるシャムの 描 写 はユートピアのような 单 洋 空 間 として 描 写 されなければならないのか 伝 説 は 空 間 と 時 間 という 二 つの 契 機 が 人 々の 記 憶 と 忘 却 の 多 様 な 出 会 い 方 の 中 で 常 に 再 構 築 され 意 味 あるかたちを 装 うとする 30 指 摘 もある 伝 説 がどのように 受 容 され 語 り 継 がれ どのように 排 除 されるのかということは その 時 代 のコンテクストと 関 わり 時 代 のコンテクストを 離 れて 語 ることはできない 山 田 長 政 についての 記 述 の 変 遷 を 見 る と 明 治 20 年 代 から 長 政 の 出 生 子 ども 時 代 の 生 活 台 湾 の 記 述 恩 人 との 再 会 の 場 面 な ど 新 たに 書 き 加 えられた 記 述 が 多 いことが 分 かる 山 田 長 政 についての 記 述 の 変 遷 を 読 むためには 明 治 時 代 の 社 会 的 コンテクストを 重 ねて 読 む 必 要 がある 明 治 時 代 の 社 会 的 コンテクストで 特 に 注 目 しておきたいのは 移 民 に 関 する 言 説 である 31 富 国 強 兵 の 政 策 を 強 硬 に 推 し 進 めた 明 治 政 府 は 不 況 の 問 題 に 直 面 していただけではなく 余 剰 人 口 の 問 題 も 抱 えていた 例 えば 教 科 書 の 中 の 日 本 に 居 ては 飯 が 喰 へない 一 貧 乏 人 の 子 という 長 政 の 設 定 は 当 時 の 庶 民 の 状 況 と 重 なるような 記 述 だと 考 えられる 当 時 これらの 社 会 問 題 を 解 決 するため 政 府 は 農 村 の 若 者 に 海 外 移 民 を 奨 励 することで 25 矢 野 暢 日 本 の 单 洋 史 観 ( 中 央 公 論 社 1979 年 8 月 ) 26 小 松 和 彦 单 洋 に 渡 った 壮 士 森 小 弁 单 洋 群 島 以 前 の 日 本 ミクロネシア 交 流 史 の 一 断 面 ( 近 代 日 本 の 他 者 象 と 自 画 象 柏 書 房 2001 年 5 月 ) 27 中 村 弥 六 暹 羅 の 視 察 ( 太 陽 第 3 巻 第 5 号 1879 年 3 月 5 日 ) 28 暹 羅 ( 太 陽 第 1 巻 第 10 号 1895 年 10 月 5 日 ) 29 松 尾 茂 馬 来 半 島 の 猛 獣 狩 ( 博 文 館 1911 年 5 日 ) 30 波 平 恵 美 子 編 伝 説 が 生 まれるとき ( 福 步 書 店 1991 年 11 月 ) 31 日 清 戦 争 後 の 日 本 は さまざまな 社 会 問 題 を 抱 えていた 凶 作 から 貧 民 の 暴 動 があいつぎ 足 尾 銅 山 の 鉱 每 で 付 近 の 山 林 と 渡 良 瀬 川 流 域 が 侵 された 事 件 でも 近 隣 の 県 会 議 員 が 立 ち 上 がり 東 京 で 大 きなデモが 行 われた 日 清 日 露 戦 争 による 重 税 は 国 民 のほぼ 半 数 を 小 作 農 とした 資 本 主 義 経 済 が 浸 透 するにつれて 農 村 でも 現 金 が 必 要 になり 男 女 とも 肉 体 労 働 の 出 稼 ぎに 出 やがては 都 市 の 工 場 地 帯 に 労 働 者 となって 流 れ 出 てゆく そのように つくられたス ラム 街 は 社 会 不 安 のもとになった こんな 矛 盾 のただなかに 立 たされた 知 的 青 年 たちは いかに 生 きるべきか と 悩 み はじめる ( 鈴 木 貞 美 日 本 の 文 化 ナショナリズム 平 凡 社 新 書 2005 年 12 月 ) 55
32 移 民 政 策 を 推 進 し 移 民 の 送 金 による 外 貨 獲 得 を 目 指 していた 数 多 くの 日 本 人 の 移 民 は 経 済 的 困 窮 の 苦 難 のために 海 外 でのよりよい 生 活 を 夢 見 て 故 郷 を 離 れることになった そのような 歴 史 的 コンテクストにおいては 長 政 のテクストは 单 進 論 のメッセージを 内 包 する 海 外 への 経 済 進 出 の 物 語 として 読 まれることになる 具 体 的 には 当 時 の 読 者 はどの ように 経 済 進 出 と 関 連 させ 読 んだのだろうか これについて 山 口 県 大 島 郡 の 移 民 の 実 例 を 参 照 しよう 移 民 の 為 め 其 地 方 に 及 ぼせる 影 響 中 特 に 著 しきは 教 育 の 發 達 なり 郡 内 小 松 志 保 村 は 凡 そ 一 千 戸 を 有 する 村 落 にして 以 前 は 高 等 小 學 校 に 通 學 する 者 四 亓 十 人 に 過 ぎざりし が 漸 く 增 加 して 今 は 百 四 十 人 の 多 きに 達 す 他 村 概 ね 此 類 なり 葢 し 生 計 上 児 童 を 通 學 せしむる 餘 裕 を 生 じたると 一 は 移 民 が 外 國 に 到 り 深 く 自 ら 無 教 育 の 不 便 なると 知 覺 したるとによる ( 大 河 平 隆 光 日 本 移 民 論 文 步 堂 1905 年 12 月 ) 明 治 期 の 教 科 書 は 基 本 的 に 政 府 の 意 向 に 従 って 作 られ 読 まれた 高 等 小 学 校 に 通 学 し た 子 どもたちは 山 田 長 政 を 教 科 書 で 読 んだ 海 外 雄 飛 の 山 田 長 政 は 政 府 のひとつのモ デルになる 長 政 は 成 功 した 移 民 の 先 駆 けとして 捉 えられ それにより 尐 年 たちに 理 想 的 な 海 外 進 出 のイメージを 与 える 山 田 長 政 テクストは 移 民 を 理 想 化 する 言 説 として 利 用 されたのである 鍋 島 知 事 の 訓 示 は 二 つの 部 分 からなる 一 つは 訓 示 の 本 文 である 出 稼 ぎ 人 が 健 康 を 維 持 し 秩 序 に 従 うという 訓 戒 である それは 六 つの 条 項 からなっている 第 一 条 では 出 稼 ぎ 人 は 大 日 本 帝 国 の 臣 下 であることを 忘 れるな 恥 ずべき 印 象 を 海 外 に 残 すな というものである 他 の 条 項 は 典 型 的 なもので 労 働 契 約 に 従 って 働 くこと 道 徳 的 に 振 る 舞 うこと 賭 け 事 や 飲 酒 を 慎 むこと 稼 いだお 金 を 慎 重 に 取 り 扱 い 本 国 に 送 るこ となどである 第 三 条 を 除 き 出 稼 ぎ 人 は 互 いを 家 族 だと 思 い 助 け 合 っていくこと と 述 べられている( 一 八 八 亓 ~ 九 四 年 の 移 住 者 への 訓 示 ジャパニーズ ディアスポ ラ 新 泉 社 2008 年 4 月 ) 出 稼 ぎの 条 項 にある 日 本 を 忘 れないことや 国 にお 金 を 送 ることは 山 田 長 政 テクストの 中 で 描 かれていることと 重 なっている また 出 稼 ぎ 人 は 互 いを 家 族 だと 思 い 助 け 合 っ ていく ことも 長 政 が 滝 や 太 田 と 再 会 するエピソードを 通 して 描 かれ そこでは 日 本 人 同 士 の 助 け 合 いという 意 味 での 道 徳 が 印 象 づけられる 山 田 長 政 の 物 語 は 明 治 期 の 社 会 的 32 单 方 への 関 心 を 鼓 吹 した 当 時 の 先 覚 者 はまた 日 本 人 のその 他 への 移 住 通 商 拟 大 開 発 等 全 体 を 通 じて 経 済 的 進 出 を 強 調 している 志 賀 重 昂 も 日 本 人 の 海 外 への 雄 飛 や 商 業 活 動 の 活 発 化 を 主 張 しているし 田 口 卯 吉 が 明 治 23 年 に 発 表 した 单 洋 経 略 論 では 单 洋 開 発 や 日 本 人 の 移 住 を 積 極 的 に 唱 えている ただ そのようにして 明 治 20 年 代 頃 か ら 唱 えられた 单 進 論 は いずれも 民 間 人 の 主 張 であり その 内 容 も 通 商 や 移 民 の 促 進 あるいはそれを 通 じての 国 利 増 進 の 主 張 であり 一 般 に 非 政 治 的 性 格 が 著 しかった ( 大 畑 篤 四 郎 单 進 論 の 系 譜 第 十 巻 東 单 アジアと 日 本 弘 文 堂 1991 年 2 月 ) 56
現 実 の 件 では 国 家 的 な 要 請 でもある 海 外 進 出 移 民 政 策 のメッセージと 呼 応 するような 要 素 に 満 ちている 国 家 の 収 入 を 増 やすため 海 外 進 出 に 成 功 した 山 田 長 政 のイメージを 利 用 し 読 者 の 尐 年 たちに 道 徳 的 理 想 的 な 移 民 の 概 念 を 内 面 化 させ 海 外 に 雄 飛 する 欲 望 をはぐくむ 山 田 長 政 テクストの 記 述 の 改 変 は 結 果 として このような 社 会 的 コンテクストを 反 映 している 明 治 27 年 (1894 年 )3 月 (3 日 11 日 ~14 日 )から 4 月 (10 日 )にかけて 読 売 新 聞 に 掲 載 されたシャム 植 民 についての 記 事 は 移 民 を 奨 励 しながら シャムの 実 情 を 提 供 して 33 いる その 中 で 山 田 長 政 の 名 前 も 言 及 されている 暹 羅 から 歸 つた 吾 々の 同 胞 は 非 常 なる 失 望 の 表 情 をして アユチヤ 附 近 に 日 本 人 町 の 形 跡 のないことを 話 す 何 故 ぼんやりして 爾 んな 事 を 云 つてゐるのだ? 吾 々は 祖 先 の 事 業 の 跡 を 残 さぬことを 歎 いてゐる 間 に 彼 等 が 何 故 その 跡 を 残 さなかつたかを 考 へて その 原 因 を 芟 除 することに 努 力 せねばならぬではないか ( 西 村 真 次 新 国 史 観 努 力 の 跡 富 山 房 1916 年 6 月 ) 前 述 のように テクストを 読 む 読 者 は 長 政 の 海 外 雄 飛 のイメージを 抱 き シャムには 日 本 町 がまだ 存 在 していることを 信 じ 英 雄 山 田 長 政 の 足 跡 を 訪 ねることを 期 待 した し かし 現 実 のシャムに 渡 ると その 期 待 ははずれ 日 本 人 町 の 形 跡 のないこと が 分 かり 失 望 する その 失 望 は 移 住 先 駆 者 としての 山 田 長 政 についての 認 識 を 揺 さぶる だけではなく 長 政 をアイドルとして 扱 う 移 民 たちのアイデンティティも 脅 かされると 思 われる ただし そこに 留 まるのではなく 彼 等 が 何 故 その 跡 を 残 さなかつたかを 考 へて その 原 因 を 芟 除 することに 努 力 せねばならぬではないか と 述 べ 第 2 の 日 本 人 町 を 作 るためには 山 田 長 政 が 代 表 する 祖 先 の 教 訓 に 学 び 自 らが 第 2 の 山 田 長 政 と して 祖 先 たちが 日 本 人 町 を 維 持 できなかった 原 因 を 芟 除 すること が 期 待 され ているのである このように 明 治 期 の 山 田 長 政 テクストにおけるシャムは 当 時 の 单 進 政 策 に 都 合 のよい 側 面 だけが 理 想 化 され 描 かれているのである 4 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 における 第 二 次 世 界 大 戦 前 の 日 本 国 民 の 姿 大 正 期 から 昭 和 初 期 にかけて 山 田 長 政 が 教 科 書 に 登 場 することはなくなり 山 田 長 政 についての 文 献 も 尐 なくなった 34 しかし 1940 年 6 月 13 日 に 日 タイ 間 の 傳 統 的 友 好 関 係 を 確 認 しこれを 益 々 強 固 35 にするため 日 タイ 友 好 和 親 條 約 を 締 結 してから 山 田 長 政 ブームが 再 び 起 こった 土 屋 了 子 によれば 昭 和 16,17 年 の 教 科 書 及 び 一 般 書 における 33 植 民 協 會 の 演 説 會 ( 承 前 ) ( 読 売 新 聞 1894 年 4 月 10 日 朝 刊 ) 34 土 屋 了 子 山 田 長 政 のイメージと 日 タイ 関 係 ( アジア 太 平 洋 討 究 2003 年 3 月 ) 35 日 泰 和 親 友 好 条 約 きょう 調 印 戦 争 の 場 合 敵 国 不 援 助 ( 朝 日 新 聞 1940 年 6 月 13 日 夕 刊 ) 57
長 政 ブームの 先 駆 けとなったもの 36 は 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 ( 大 日 本 雄 辨 會 講 談 社 1941 年 2 月 )である 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 は 1940 年 7 月 25 日 から 12 月 20 日 まで 読 売 新 聞 夕 刊 に 連 載 された 新 聞 は 雑 誌 や 書 物 よりもはるかに 大 きな 市 場 を 形 成 しており 新 聞 小 説 への 関 心 も 高 かったので 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 も 多 くの 人 に 読 まれ 非 常 に 人 気 が 高 く 様 々なメディアで 繰 り 返 し 取 り 上 げられた このルタナ 姫 と 長 政 のロマンスは 当 時 人 口 に 膾 炙 したものと 思 われる というの も 翌 1941 年 に 当 時 の 流 行 歌 手 東 海 林 太 郎 がテイチクレコードから 角 田 喜 久 雄 作 詞 山 田 長 政 の 唄 というレコードを 出 しているが その 中 にも 山 田 長 政 とルタナ 姫 との 恋 のエピソードが 出 てくる また 同 年 田 澤 丈 夫 が 書 いた 白 象 という 本 の 中 にも 長 政 とルタナ 姫 という 項 がある ( 土 屋 了 子 山 田 長 政 のイメージと 日 タイ 関 係 アジア 太 平 洋 討 究 2003 年 3 月 ) 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 は 歌 化 されただけではなく 日 泰 親 善 海 外 発 展 37 の 目 的 で 東 寶 で 映 画 化 された 土 屋 によれば 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 の 人 気 の 理 由 は ルタナ 姫 と 長 政 のロマンス の 要 素 である 明 治 期 の 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 は 一 方 で 歴 史 的 正 確 性 にこだわりながら 一 方 で 享 楽 的 世 界 や 戦 象 による 冒 険 的 ムードを 演 出 したが 角 田 は 後 者 の 戦 略 すなわち 当 時 の 人 々の 欲 望 に 沿 うように 山 田 長 政 テクスト をメロドラマ 化 して シャムの ルタナ 姫 と 長 政 のロマンス の 要 素 を 書 き 加 えた その ため 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 は 当 時 人 口 に 膾 炙 し 戦 前 の 他 の 山 田 長 政 テクストにか なり 影 響 を 与 えた 探 偵 小 説 作 家 として 知 られていた 角 田 喜 久 雄 は 戸 川 貞 雄 などと 1940 年 7 月 10 日 に 文 化 の 為 の 文 化 ( 國 家 から 遊 離 した)を 排 撃 し 文 藝 活 動 によって 國 防 國 家 に 對 する 新 しい 理 念 を 鼓 吹 する 38 ため 国 防 文 藝 連 盟 を 結 成 した 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 はルタナ 姫 と 長 政 の 愛 をモチーフとする 感 傷 的 なメロドラマの 要 素 が 含 まれても 国 防 文 藝 として のイデオロギーも 読 者 に 提 示 している これについて 山 田 長 政 が 新 聞 に 連 載 される 前 1940 年 7 月 19 日 の 読 売 新 聞 夕 刊 の 一 面 には 連 載 小 説 山 田 長 政 の 広 告 が 表 示 され その 中 で 角 田 喜 久 雄 の 記 述 がある 作 者 は 偉 大 なる 暹 羅 人 たらんと 願 つた 偉 大 なる 日 本 人 長 政 の 波 瀾 多 い 生 涯 を 辿 り ながら 當 時 の 日 本 國 民 の 鬱 勃 なる 精 神 力 の 盛 なる 姿 を 描 いてみたいと 願 つてゐる ( 次 に 夕 刊 連 載 小 説 山 田 長 政 読 売 新 聞 1940 年 7 月 9 日 夕 刊 ) 角 田 によれば 連 載 小 説 山 田 長 政 を 書 く 理 由 は 當 時 の 日 本 國 民 の 鬱 勃 なる 精 神 力 36 土 屋 了 子 山 田 長 政 のイメージと 日 タイ 関 係 ( アジア 太 平 洋 討 究 2003 年 3 月 ) 37 タイ 國 で 現 地 ロケ 本 紙 小 説 で 東 寶 が 國 策 映 画 ( 読 売 新 聞 1940 年 7 月 27 日 朝 刊 ) 38 新 體 制 への 文 化 團 體 (2) 国 防 文 藝 連 盟 ( 読 売 新 聞 1940 年 9 月 14 日 夕 刊 ) 58
の 盛 なる 姿 を 読 者 に 提 示 するためであるという 山 田 長 政 を 見 ると 日 本 人 は 步 勇 には 勝 れて しみ 入 るやうに 情 の 細 やかな 人 達 というイメージを 持 っている 特 に 暹 羅 のソンタム 王 も 日 本 人 の 凄 まじい 勢 ひ について 次 のように 発 言 している わしは 不 思 議 でならぬが 日 本 人 といふものは 何 故 それ 程 までに 命 を 惜 しま ぬのであらう 日 本 人 にとつて 死 は 恐 ろしうないのか? 餘 り くどく 願 ひ 出 る 久 右 衛 門 に ソンタム 王 はさう 云 つて 質 問 した いゝえ 陛 下 日 本 人 だとて 命 は 惜 しうござります 死 ぬことは 恐 しうごさります しかし 命 よりも 尚 名 が 惜 しうござります ( 山 田 長 政 39 ) 以 上 の 引 用 は 王 城 をお 騒 がせ 申 した 罪 に 服 するため 日 本 人 頭 領 久 右 衛 門 が 腹 切 っ た 場 面 である ソンタム 王 は 久 右 衛 門 の 行 為 に 対 して 日 本 人 が 義 理 といふものに 飽 く までこだはつて その 為 には 平 然 と 命 をさへすてる という 異 様 な 特 異 性 を 持 つと 見 なしている 久 右 衛 門 以 外 長 政 と 十 左 衛 門 の 友 情 や 長 政 のソンタム 王 に 対 する 義 理 などの 日 本 人 の 美 しい 步 士 道 精 神 が 繰 り 返 し 取 り 上 げられている また テクストの 中 で 日 本 人 の 男 性 の 姿 だけではなく 日 本 人 女 性 の 鬱 勃 なる 精 神 力 は 登 場 人 物 の おりん を 通 じて 提 示 されている それは 長 政 と 十 左 衛 門 はおりんに 心 を 惹 かれ たが 男 の 友 情 のため 長 政 は おりん 殿 を 娶 ることは 出 来 ぬ お 二 人 様 のお 美 しい 御 友 情 のため おりんは この 地 を 旅 去 つて 行 く 外 はごさりませぬ このよ うに おりんの 行 為 は 奪 ふことでなくて 與 へる 事 であり 勝 つことでなくて 犠 牲 となる こと という 最 も 大 いなる 愛 であり 男 の 友 情 にも 勝 つた 女 の 純 情 である それから おりんも お 陰 で 元 氣 にやつて 居 りますよ と 誰 にともなく 何 氣 なくさうつけ 足 した 最 近 では まるで 男 のやうに 身 なりもかまはず 荒 くれ 男 共 にまじつて 健 氣 に 働 い てゐます 却 つてわしなどより 男 を 使 ふ 呼 吸 がうまくなつてな ( 中 略 ) 長 政 と 十 左 衛 門 は 顔 を 見 合 せて 何 か 涙 ぐましいやうな 感 慨 にうたれてゐた ( 山 田 長 政 ) 日 本 に 戻 っても まるで 男 のやうに 活 動 しているおりんの 姿 も 日 本 國 民 の 鬱 勃 なる 精 神 力 の 盛 なる 姿 として 投 影 される 小 説 の 連 載 当 時 は 労 働 力 不 足 のため 1939 年 に 精 動 委 員 会 が 女 性 をも 勤 労 動 員 せよといふ 方 策 40 を 策 定 し 一 九 四 〇 年 代 は 女 子 勤 労 動 員 として 何 十 万 人 もの 若 い 女 性 が 軍 需 工 場 におくりこまれた 41 のである 身 な りもかまはず 荒 くれ 男 共 にまじつて 健 氣 に 働 いてゐ るおりんの 姿 は 国 が 望 む 日 本 人 女 性 39 本 文 引 用 は 全 て 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 ( 大 日 本 雄 弁 会 講 談 社 1941 年 2 月 )に 拞 る 40 嫁 入 り 前 の 娘 さんも 勤 労 に 参 加 せよ 精 動 総 会 で 意 見 続 出 ( 朝 日 新 聞 1939 年 7 月 12 日 朝 刊 ) 41 斉 藤 美 奈 子 ああ すばらしき 軍 国 婦 人 ( モダンガール 論 文 春 文 庫 2007 年 2 月 ) 59
の 姿 であると 考 えられる このように 1939 年 から 政 府 が 戦 争 への 努 力 を 支 持 するように 精 神 的 動 員 のキャンペーン 42 を 背 景 に 全 体 の 利 益 を 私 的 な 利 益 よりも 優 先 させるという 日 本 人 の 登 場 人 物 の 道 徳 を 描 いた 山 田 長 政 は 読 者 に 受 容 されやすいメロドラマとい う 形 式 の 中 で 精 神 的 動 員 と 国 民 協 力 のメッセージを 提 供 していると 考 えられる 美 化 される 日 本 の 侵 略 長 政 とルタナ 姫 のロマンスの 要 素 以 外 にも 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 には 他 の 山 田 長 政 テクストの 異 なる 特 徴 がある それは タイをめぐってヨーロッパ 諸 国 と 日 本 とが 対 立 するという 構 図 をとっている 43 ことである 明 治 時 代 から 大 正 時 代 にかけての 山 田 長 政 テ クストの 中 では ヨーロッパの 勢 力 については 全 く 言 及 されていない しかし 角 田 の 山 田 長 政 では シャムの 隣 国 の 敵 例 えば ルアンプラバン などの 国 名 を 取 り 上 げて 佛 領 印 度 支 那 の 北 部 高 原 地 帯 にある という 戦 前 の 出 来 事 の 記 述 などが 付 け 加 えられて いる そのため 山 田 長 政 においては 長 政 が 活 躍 した 過 去 の 時 代 の 出 来 事 が それ 以 降 の 近 代 的 事 象 (ヨーロッパの 勢 力 など)と 混 在 するような 書 き 方 になっている なぜ 角 田 は 意 図 的 にヨーロッパの 勢 力 などをテクストで 書 き 加 えたのだろうか 日 頃 長 政 が 痛 切 に 感 じてゐる 事 が 一 つあつた それは 日 本 人 より 遥 におそく 東 洋 の 海 に 姿 を 現 はした 欧 羅 巴 人 が 長 政 の 眼 前 ( マ マ ) に 於 て 何 時 の 間 にか 着 々と 侵 略 の 地 歩 を 擴 げ 日 本 人 活 動 の 舞 臺 をせばめて 行 くこ とである ( 中 略 ) 資 本 を 持 ち 步 勇 を 持 ち 誠 實 を 持 ち 早 くからこの 地 方 に 往 来 してゐる 日 本 人 に とつて 不 抜 の 勢 力 を 植 ゑつけた 土 地 が 果 して 何 處 にどれだけあるだろうか (その 原 因 は 一 つには 日 本 人 の 愛 郷 心 が 餘 りにも 強 く その 土 地 への 執 着 は 無 さすぎる 事 にあるが もう 一 つには 日 本 人 に 國 家 としての 目 的 と 團 結 がないからだ)( 中 略 ) 和 蘭 人 は 和 蘭 人 として 英 吉 利 人 は 英 吉 利 人 として 國 家 の 背 景 を 持 ち 他 國 に 一 歩 も 譲 らぬ 團 結 力 と 一 貫 した 目 的 があるのに 日 本 人 は 往 々にして 同 胞 相 討 つの 悲 劇 をくりかへしてゐるのである ( 山 田 長 政 ) ヨーロッパの 諸 国 と 比 べると 日 本 は 國 家 としての 目 的 と 團 結 がない ため 他 の 地 歩 を 擴 げ ず 同 胞 相 討 つの 悲 劇 をくりかへしてゐる そこで 資 本 を 持 ち 步 勇 を 持 ち 誠 實 を 持 ち 早 くからこの 地 方 に 往 来 してゐる 日 本 人 はヨーロッパと 対 抗 するため 団 結 する 必 要 がある このような 国 民 の 團 結 の 観 念 は 小 説 発 表 当 時 の 時 代 性 を 考 えるなら ナチス ドイツ 的 な 民 族 全 体 主 義 の 影 響 を 受 けた 日 本 的 全 体 主 義 であ る 日 本 的 全 体 主 義 は 基 本 的 には 西 洋 文 明 の 利 己 主 義 個 人 主 義 の 終 わるところに 出 42 リチャード H.ミッチェル 国 民 総 動 員 体 制 ( 戦 前 日 本 の 思 想 統 制 奥 平 康 弘 江 橋 崇 訳 日 本 評 論 社 1980 年 8 月 ) 43 土 屋 了 子 山 田 長 政 のイメージと 日 タイ 関 係 ( アジア 太 平 洋 討 究 2003 年 3 月 ) 60
発 する 個 人 主 義 を 止 揚 するものとして 登 場 してきたが しかし 全 体 主 義 といっても 独 伊 と 比 較 して 日 本 の 場 合 は 特 殊 が 多 く 大 和 族 ( 日 本 族 )は 皇 室 を 中 心 とせる 族 で あって 一 大 血 族 関 係 によって 成 立 する いはば 本 家 ( 皇 室 )と 分 家 ( 臣 民 )との 関 係 という 日 本 的 な 天 皇 中 心 の 家 族 的 全 体 主 義 44 と 結 びつく しかし 山 田 長 政 にお ける 團 結 の 観 念 は 国 内 にいる 日 本 国 民 だけではない 单 洋 諸 國 の 各 地 に 散 在 す る 日 本 人 達 も 団 結 しなければならないと 述 べる 欧 米 植 民 地 体 制 を 打 破 して 東 单 アジア を 守 るために 団 結 を 促 す 言 葉 は しかし 実 際 には 日 本 の 東 单 アジアへの 侵 略 を 正 当 化 する ためのタテマエに 過 ぎなかったのである (( 前 略 ) 徳 川 家 こそ 我 々に 何 の 援 助 を 下 されなかつたが 我 々には 結 局 祖 國 日 本 といふ 絶 大 な 後 盾 があつたのだ 日 本 といふ 祖 國 がなくして 何 で 我 々にこれだ けの 仕 事 を 貫 徹 させる 強 い 團 結 力 と 勇 氣 が 生 れるだらうか)( 中 略 ) 祖 國 のありがたさを 思 ふにつけ わしは この 國 (シャム:タナポーン 注 )の 土 と なるこそ 祖 國 に 報 いるの 道 だと 考 へてゐる 総 てはこれからだ わしの 仕 事 はこれ からなのだ ( 山 田 長 政 ) 山 田 長 政 は 團 結 や 祖 國 という 日 本 の 家 族 的 全 体 主 義 のイデオロギーを 取 り 上 げながら 徳 川 家 の 鎖 国 政 策 を 批 判 している 当 時 政 治 評 論 家 の 馬 場 恒 吾 など 45 も この 時 代 ( 徳 川 幕 府 の 時 代 :タナポーン 注 )に 日 本 も 亦 世 界 に 横 行 濶 歩 してゐたなら ば 今 の 東 洋 单 洋 は 勿 論 アメリカ 西 岸 ぐらゐは 日 本 の 領 土 になつてゐたかもしれない と 徳 川 幕 府 の 政 策 を 批 判 しながら アジア 侵 略 行 為 を 奨 励 している また 日 本 による シャムなどのアジアへの 侵 略 は 莫 大 中 間 利 潤 を 得 る 英 吉 利 と 和 蘭 の 商 館 と 異 なり シャム の 土 とな り ソンタム 王 に 對 する 義 理 を 貫 かんとする 一 徹 の 心 以 外 に 領 土 も 富 も 名 誉 さへもなかった こうして 西 洋 の 侵 略 は 悪 の 行 為 とされる 一 方 日 本 の 侵 略 は 有 徳 者 の 行 為 として 読 者 に 提 示 されている 角 田 の 山 田 長 政 がそれ 以 前 になかったヨ ーロッパへの 言 及 を 含 むのは 戦 時 下 において 国 家 連 合 を 体 現 したテクストとして 山 田 長 政 を 歴 史 の 彼 方 から 召 喚 しているためである 日 本 に 従 順 なシャム 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 は 当 時 の 様 々なイデオロギーに 縛 られている これらのイデオ ロギーは 日 本 自 体 を 美 徳 化 し 東 单 アジアへの 侵 略 を 正 当 化 するものとして 機 能 した その 正 当 性 は 読 者 に 日 本 国 民 としての 自 信 を 与 え 戦 争 への 努 力 を 一 層 払 うように 促 し た こうした 政 治 的 な 目 的 のため 山 田 長 政 テクストは 日 本 の 都 合 がいいように 加 工 され て 特 に 1940 年 から 1943 年 にかけて 多 く 出 版 された 客 観 的 に 見 れば 長 政 像 を 歪 曲 して 44 河 原 宏 他 全 体 主 義 日 本 ファシズムのイデオロギー ( 日 本 のファシズム 有 斐 閣 選 書 1979 年 7 月 ) 45 正 しき 自 己 認 識 ( 読 売 新 聞 1940 年 8 月 4 日 朝 刊 ) 61
いる 山 田 長 政 は どのようにシャムのイメージを 描 いているのか 次 に 見 てみよう 鬱 勃 なる 精 神 力 を 持 つ 日 本 人 のイメージに 反 して シャム 人 は 残 忍 な 緬 甸 軍 に 對 する 恐 怖 と 憎 悪 は 殆 ど 本 能 的 なものであ り 臆 病 な 性 質 だと 描 写 されている また 軍 事 力 だけではなく シャムは 英 吉 利 と 和 蘭 の 商 館 に 巧 妙 な 商 業 政 策 で 莫 大 中 間 利 潤 を 奪 われ 経 済 的 に 搾 取 される このように シャムは 軍 事 的 な 面 も 経 済 的 な 面 も 日 本 の 従 属 的 な 位 置 に 置 かれる このような 日 本 とシャムの 関 係 の 描 写 は 長 政 と 日 本 贔 屓 である ルタナ 姫 の 関 係 を 通 して 反 復 されている ルタナ 姫 はソンタム 王 の 妹 で 日 本 人 に 御 好 意 を 持 ち お 美 しい おやさし く 完 璧 なシャム 人 女 性 である 日 本 人 は 柬 埔 寨 人 と 結 託 して 暹 羅 を 攻 め 滅 さうと いう 噂 でソ ンタム 王 に 誤 解 されて ペプリーの 方 角 へ 逃 走 したときに ルタナ 姫 の 懸 命 のお 執 りな しで ソンタム 王 は 余 程 おゆるぎになられました テクストの 中 でルタナ 姫 は 長 政 を 先 に 好 きになり ソンタム 王 は 後 に 敵 を 撃 破 した 賞 賜 としてルタナ 姫 を 長 政 に 与 える わしは 暹 羅 人 になり 切 り 暹 羅 の 土 になる 決 意 でゐる そなたは 日 本 人 の 魂 を 理 解 し 日 本 人 の 精 神 に 生 き 抜 いて 貰 ひたいと 思 ふ 二 人 の 結 びつきが 唯 二 人 だけ のものであつては 何 にもならぬ そなたとわしの 心 の 結 びつきがこの 地 へ 根 をおろ して やがて 見 事 な 花 の 開 くことを 望 みたい はい お 言 葉 よく 分 りました 私 は 日 本 が 好 きでございます 心 から 好 きでご ざいます それ 故 お 側 へ 参 りたいと 望 んで 居 りました ( 山 田 長 政 ) 以 上 の 引 用 は 披 露 宴 の 場 面 の 長 政 とルタナ 姫 の 台 詞 である 長 政 の 暹 羅 人 になり 切 り 暹 羅 の 土 になる という 発 言 は 日 本 の 侵 略 を 美 化 するものに 他 ならない 特 に 日 本 が 好 きでございます 心 から 好 きでございます それ 故 お 側 へ 参 りたいと 望 んで 居 りま した とシャム 人 のルタナ 姫 の 口 を 借 りて 発 言 させることは シャムなどの 東 单 アジア 諸 国 の 日 本 に 従 順 で 服 従 的 な 姿 という 日 本 側 の 願 望 を 反 映 している また 長 政 とルタナ 姫 の 結 婚 は 將 来 暹 羅 の 柱 石 となつて 貰 はうとの 意 味 がある それは 非 常 に 親 日 的 なシ ャムのイメージを 描 写 しているだけではなく 日 本 の 侵 略 を 勧 んで 受 け 入 れるという 意 味 もある 特 に 日 本 の 方 々が 大 きな 手 柄 を 立 てゝ 下 さつたことを アユチヤの 人 達 が どれほど 安 堵 し 喜 ぶ という 日 本 人 の 侵 略 に 対 する 感 謝 の 言 葉 などは 日 本 に 支 配 される ことを 望 むという 幻 想 がはっきりと 見 られる また このロマンスが 提 示 する 侵 略 する 日 本 が 男 性 ( 山 田 長 政 )で 侵 略 されるシャムは 女 性 (ルタナ 姫 )であるという 図 式 は 第 1 部 でも 指 摘 したように 日 本 と 東 单 アジアの 諸 国 を 兄 弟 の 比 喩 で 語 るステレオタイプ 化 され た 言 説 の 新 しいヴァージョンであり 後 のテクストで 繰 り 返 し 反 復 されることになる 明 治 期 の 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 と 比 べると 山 田 長 政 は 内 容 的 に 長 いが シャ ムについての 描 写 は 尐 ない テクストにおけるシャムの 描 写 は 亓 つの 高 搭 をもつた 壮 麗 な 王 宮 と 城 壁 の 内 外 に 四 百 を 敷 へたといふ 大 寺 院 の 金 色 に 輝 く 尖 塔 などの 明 治 期 のテク 62
ストと 同 様 にエキゾチックで 珍 しいというイメージで 描 かれている 一 方 明 治 期 のテ クストにない 佛 でなければ 猛 獣 のみ 棲 む 別 天 地 の 如 く 岸 邊 を 蔽 つて 生 茂 つてゐる 椰 子 やマングローブの 森 という 原 始 的 なイメージも 見 られる このように 経 済 的 困 難 がある 日 本 人 にとっての 理 想 的 な 移 民 先 すなわちユートピア 的 な 单 洋 空 間 としての 第 一 次 世 界 大 戦 前 のシャムのイメージは 第 二 次 世 界 大 戦 期 になると 西 洋 諸 国 の 脅 威 から 日 本 に 助 力 を 求 める 弱 者 としてのシャムというイメージになったのである このようなイ メージは 戦 時 中 の 山 田 長 政 の 文 献 の 中 で 繰 り 返 し 描 かれ 日 本 の 東 单 アジアへの 侵 略 につ いての 言 説 を 正 当 化 するものとして 機 能 したのである 5 遠 藤 周 作 王 国 への 道 山 田 長 政 メナム 河 の 日 本 人 から 王 国 への 道 山 田 長 政 へ 第 二 次 世 界 大 戦 後 連 合 国 諸 国 と 日 本 との 間 で 講 和 条 約 が 調 印 されてから 1952 年 にタ イは 日 タイ 友 好 通 商 航 海 条 約 を 復 活 し 日 本 との 外 交 関 係 を 再 開 することになった 1950 年 代 後 半 から 日 本 とタイの 貿 易 は 急 速 に 拟 大 し 日 タイ 間 に 経 済 的 な 深 いつながりができ た これにより 戦 争 の 終 結 とともに 消 えた 山 田 長 政 の 神 話 は 日 タイの 友 好 関 係 として の 象 徴 を 再 び 利 用 され 日 タイ 親 善 合 作 映 画 と 銘 うった 大 映 作 品 山 田 長 政 王 者 の 剣 46 として 登 場 する 映 画 の 全 場 面 はタイが 舞 台 このため 衣 装 大 小 道 具 セット デザインなど タ イの 人 たちがみてもおかしくないようにと 日 本 側 もタイ 側 も 気 をくばり さきごろセ ット 撮 影 の 行 われる 京 都 撮 影 所 にアスビン フィルムの 衣 装 デザイナー 美 術 監 督 ら やってきて 手 はずをととのえた かつてユル ブリナーの 王 様 と 私 がタイで 市 民 のデモにあい 上 映 中 止 になった 例 もあるので かなり 神 経 質 になっているようだ ( ロケ 隊 タイへ 山 田 長 政 王 者 の 剣 朝 日 新 聞 1959 年 3 月 6 日 夕 刊 ) 初 の 日 タイ 合 作 映 画 となった 山 田 長 政 王 者 の 剣 は 日 本 とタイの 両 国 で 上 映 するた め 日 本 人 にもタイ 人 にも 受 け 入 れられるように 山 田 長 政 がタイ 人 に 每 殺 されるシーン が 書 き 換 えられ 長 政 は 每 と 承 知 しながら 長 政 暗 殺 の 命 令 を 受 けたカムヘーンの 酒 杯 を 飲 むという 結 末 になっている 山 田 長 政 王 者 の 剣 における 山 田 長 政 の 姿 は タイの 経 47 済 を 発 展 させるため タイへ 進 出 する 日 本 企 業 のイメージを 美 化 することに 他 ならない しかし この 映 画 は タイ 国 へロケ 隊 が 行 き 象 などを 使 って 話 題 をよんだ しかし 象 46 ロケ 隊 タイへ 山 田 長 政 王 者 の 剣 ( 朝 日 新 聞 1959 年 3 月 6 日 夕 刊 ) 47 外 資 進 出 の 受 け 皿 のため 1959 年 にタイ 政 府 は 投 資 奨 励 委 員 会 などを 設 置 し 外 資 に 魅 力 的 な 環 境 を 作 り 出 した この 結 果 タイに 進 出 する 外 国 企 業 は 増 加 した 1960 年 代 だけで 日 系 企 業 を 中 心 に 8 社 がタイに 進 出 した ( 柿 崎 一 郎 物 語 タイの 歴 史 微 笑 みの 国 の 真 実 中 公 新 書 2007 年 9 月 ) 63
の 群 もタイ 国 人 も 出 陣 の 場 面 にぞろぞろと 歩 くだけで 合 作 の 内 容 はおそまつだ 48 と 評 価 され 日 本 でもタイでもヒットしなかった 49 1960 年 代 の 日 本 の 経 済 進 出 に 伴 い 1970 年 代 には 東 单 アジア 各 国 で 大 規 模 な 反 日 運 動 が 行 われた 例 えば 当 時 タイでは 反 日 感 情 が 高 まり( 克 服 なるか 反 日 感 情 朝 日 新 聞 1970 年 3 月 3 日 朝 刊 ) 日 本 製 品 の 不 買 運 動 ( 日 本 品 をボイコット 経 済 進 出 に 反 発 朝 日 新 聞 1972 年 11 月 7 日 朝 刊 )や 当 時 の 田 中 角 栄 首 相 タイ 訪 問 に 対 する 反 日 デモ などが 発 生 した このような 日 本 とタイの 関 係 によって 戦 後 の 山 田 長 政 テクストは 新 た に 解 釈 されることになった 遠 藤 周 作 王 国 への 道 山 田 長 政 50 ( 平 凡 社 1981 年 4 月 ) ( 以 下 王 国 への 道 と 表 記 )もその 中 の 一 つである 銃 と 十 字 架 ( 中 央 公 論 社 1979 年 4 月 )を 執 筆 するため 遠 藤 周 作 はキリシタン 関 係 の 文 献 から ローマから 日 本 に 帰 る 日 本 人 神 父 ペトロ 岐 部 が 山 田 長 政 に 会 った 51 という 資 料 を 発 見 した 山 田 長 政 を 劇 曲 にしたい 気 持 ちがあったので 52 遠 藤 は 1971 年 に 小 説 死 海 のほとり 取 材 の 帰 りに アユタヤの 元 日 本 町 を 訪 ねてみた 53 初 めてのアユタヤ 訪 問 について 遠 藤 は 次 のように 述 べている その 時 ふと 芝 居 が 終 わった 劇 場 の 舞 台 と 客 席 を 思 い 出 したのは 何 故 だろう ひ とつの 劇 が 終 り 登 場 人 物 たちの 運 命 と 情 熱 が 燃 えつくし 幕 がおり そして 客 たち がすべて 引 きあげていったあとの 空 ろなホール それはなんとアユタヤ 王 宮 の 廃 墟 に 似 ていることだろう この 廃 墟 の 静 かさは 幕 がおり 人 人 が 姿 を 消 した 劇 場 内 部 の 静 寂 を 私 に 思 いおこさせた ( 廃 墟 と 芝 居 波 1973 年 11 月 ) アユタヤ 王 宮 の 廃 墟 の 静 寂 や 当 時 の 日 本 と 現 代 の 日 本 とはあまりにも 類 似 し すぎている 54 という 点 に 興 味 を 持 ち 遠 藤 はアユタヤや 山 田 長 政 について 調 べ 劇 曲 メ ナム 河 の 日 本 人 ( 新 潮 社 1973 年 9 月 )を 執 筆 した 劇 曲 メナム 河 の 日 本 人 は 劇 団 雲 によって 1973 年 10 月 十 二 日 から 二 十 七 日 まで 東 京 新 橋 のヤクルトホール 二 十 九 三 十 日 が 大 阪 毎 日 ホール 55 で 上 演 されている 遠 藤 のインタビューによると 劇 曲 メ ナム 河 の 日 本 人 は 見 せ 場 たっぷり と 自 信 作 であったことが 分 かる 最 近 新 劇 は 見 ていてもおもしろくないだろう 高 い 料 金 取 って 見 せるくせに 舞 台 に 出 ている 連 中 だけ 楽 しみやがって まったく 演 劇 の 衰 弱 を 感 じるねえ こ 48 内 容 お 粗 末 な 日 タイ 合 作 ( 朝 日 新 聞 1959 年 5 月 7 日 夕 刊 ) 49 土 屋 了 子 山 田 長 政 のイメージと 日 タイ 関 係 ( アジア 太 平 洋 討 究 2003 年 3 月 ) 50 2006 年 ブッサバー バンチョンマニーによってタイ 語 訳 された (บ ษบา บรรจงมณ. ส แดนสยาม ยามาดะ นางามาสะ.กร งเทพฯ: เนช นบ คส อ นเตอร เนช นแนล, 2549.) 51 雲 新 体 制 第 一 弾 は 遠 藤 作 品 復 帰 した 芥 川 比 呂 志 演 出 で 上 演 ( 読 売 新 聞 (1973 年 10 月 5 日 夕 刊 ) 52 遠 藤 周 作 アユタヤの 日 本 人 町 を 訪 れて ( 読 売 新 聞 1971 年 12 月 4 日 朝 刊 ) 53 注 51 に 同 じ 54 遠 藤 周 作 傭 兵 日 本 人 ( 読 売 新 聞 1972 年 6 月 15 日 夕 刊 ) 55 注 51 に 同 じ 64
れは 料 金 を 払 った 分 だけは 楽 しんでもらおうと わざと 波 乱 万 丈 の 物 語 にしてある それぞれの 役 者 に 見 せ 場 も 設 定 してやった と 遠 藤 氏 のハナ 息 は 荒 い ( 雲 新 体 制 第 一 弾 は 遠 藤 作 品 復 帰 した 芥 川 比 呂 志 演 出 で 上 演 読 売 新 聞 1973 年 10 月 5 日 夕 刊 ) しかし 芥 川 周 作 の 作 品 56 である メナム 河 の 日 本 人 は 演 出 の 苦 心 にもかか わらず 舞 台 が 案 外 盛 り 上 がらないのは 結 局 遠 藤 台 本 の 表 現 が 弱 いからだ ことに 日 本 人 論 と 並 んでこのドラマを 支 える 作 者 の 信 仰 観 が 最 後 まで 神 をしりぞける 長 政 と 殉 教 す るペトロ 岐 部 ( 橋 爪 功 )との 関 係 で 明 確 に 形 象 化 されたとはいいがたい 57 という 厳 しい 評 58 価 を 受 けた また 尾 崎 宏 次 は 山 田 長 政 とペトロ 岐 部 との 対 話 の 場 面 に 対 して 意 外 にし り 切 れとんぼにな り 全 体 をこれほど 物 語 性 に 依 存 してまとめるには 及 ば ず 長 政 像 のなかの 英 雄 ぶりがこっけいなだけに 惜 しい としている このように 劇 曲 メナム 河 の 日 本 人 は 評 価 が 低 いその 理 由 は 台 本 の 問 題 であり かつ 遠 藤 が 提 示 した 新 たな 山 田 長 政 像 が 当 時 の 日 本 人 には 受 け 入 れ 難 いものであったためだと 考 えられる 1978 年 12 月 1 日 に 山 田 長 政 を 描 く 夜 9 時 5 分 からの 2 時 間 半 スペシャルドラマ 单 十 字 星 コルネリアお 雪 異 聞 わたしの 山 田 長 政 ( 早 坂 暁 脚 本 朝 日 テレビ 製 作 )が 放 送 された 1978 年 11 月 8 日 読 売 新 聞 によれば タイでロケを 行 ったこのドラマの 見 どころは 地 響 き 立 てて 走 るゾウの 軍 団 による 戦 闘 シーン 59 である このドラマでは 遠 藤 の メナム 河 の 日 本 人 のように 長 政 とキリストとの 関 りについて 言 及 しているが 長 政 の 終 焉 につい て 新 解 釈 を 加 え 書 き 直 している 具 体 的 には メナム 河 の 日 本 人 では 他 の 山 田 長 政 テク ストと 同 様 に 長 政 はタイ 人 に 每 殺 されるが 单 十 字 星 では 長 政 が シャムで 力 と 人 気 を 得 て キリシタンを 保 護 する ため 幕 府 の 政 策 と 対 立 する 大 物 になりすぎて 60 幕 府 の 密 偵 に 殺 される 翌 年 1979 年 に 遠 藤 は メナム 河 の 日 本 人 を 基 にする 王 国 への 道 を 執 筆 するため に 再 びタイを 訪 れた そして 王 国 への 道 は 雑 誌 太 陽 (1979 年 7 月 ~1981 年 2 月 ) に 連 載 され 1981 年 4 月 に 平 凡 社 より 卖 行 本 化 されている 1981 年 5 月 4 日 朝 日 新 聞 の 書 評 では 今 回 は 内 容 的 にもはるかに 充 実 している それは 王 宮 内 の 陰 謀 の 場 面 設 定 と か 長 政 の 死 に 至 る 過 程 などが 綿 密 であるというだけではない 主 題 がはっきり 設 定 されて いる 61 と 高 く 評 価 されている アユタヤの 暑 さ 王 国 への 道 が 主 題 がはっきり 設 定 されている と 評 価 された 理 由 は 遠 藤 が あ 56 メナム 河 の 日 本 人 を 書 き 下 ろすまで 遠 藤 は 芥 川 比 呂 志 に 三 回 も 書 き 直 しさせられてね つまらん 劇 曲 をいい 舞 台 にするのが 演 出 家 だな この 舞 台 は 芥 川 周 作 の 作 品 だ と 述 べた ( 雲 新 体 制 第 一 弾 は 遠 藤 作 品 復 帰 し た 芥 川 比 呂 志 演 出 で 上 演 読 売 新 聞 1973 年 10 月 5 日 夕 刊 ) 57 俳 優 座 マリアの 首 雲 メナム 河 の 日 本 人 演 劇 評 ( 朝 日 新 聞 1973 年 10 月 20 日 夕 刊 ) 58 尾 崎 宏 次 句 読 点 のはっきりした 舞 台 劇 団 雲 メナム 河 の 日 本 人 ( 読 売 新 聞 1973 年 10 月 19 日 夕 刊 ) 59 長 政 を 描 く 单 十 字 星 タイでロケ ( 読 売 新 聞 1978 年 11 月 8 日 夕 刊 ) 60 土 屋 了 子 山 田 長 政 のイメージと 日 タイ 関 係 ( アジア 太 平 洋 討 究 2003 年 3 月 ) 61 海 外 雄 飛 を 今 に 映 して 遠 藤 周 作 著 王 国 への 道 山 田 長 政 ( 朝 日 新 聞 1981 年 5 月 4 日 朝 刊 ) 65
とがき で 述 べた(1) 東 单 アジア 人 の 日 本 人 観 (2) 日 本 人 と 東 单 アジア 人 の 性 格 対 比 62 (3) 長 政 とペドロ 岐 部 の 対 比 という 山 田 長 政 に 興 味 をひいた 3 点 の 理 由 であると 考 えられる 特 に 東 单 アジア 人 の 日 本 人 観 について 遠 藤 は 日 本 史 学 者 の 岩 生 成 一 との 対 談 では 次 のような 意 見 を 述 べている 遠 藤 ( 前 略 ) 東 单 アジアの 人 たちが 今 の 日 本 を 経 済 大 国 として 敵 視 するし 軍 事 的 な ことに 結 びつけて 脅 えていますね あれは 日 本 人 のなかに そのころの 傭 兵 のイメー ジが 残 っているためではないでしょうか ( 中 略 ) 岩 生 そうですね それから 日 本 人 は 土 着 民 と 違 って 信 義 を 重 んずるというふうに 褒 めていますし ( 中 略 )けれども 恐 がられているのは 東 单 アジアどこでもですね 非 常 に 勇 敢 だということです ( 鎖 国 時 代 の 日 本 人 岩 生 成 一 遠 藤 周 作 日 本 人 を 語 る 遠 藤 周 作 対 話 集 小 学 館 1974 年 12 月 ) 日 本 が 経 済 大 国 として 敵 視 され そのため 日 本 日 本 人 日 本 製 品 などが 排 斥 され る アユタヤ 人 に 每 殺 された 山 田 長 政 も 1970 年 代 の 東 单 アジア 人 の 反 日 運 動 のように 強 い 日 本 人 と 見 なされたため 排 除 されたと 考 えられる このように 王 国 への 道 で 遠 藤 は 他 の 山 田 長 政 テクストと 同 様 に 典 型 的 な 山 田 長 政 あるいは 日 本 人 の 強 いイメージを 取 り 上 げる 一 方 その 強 さの 中 で 日 本 人 の 弱 さも 主 張 している 例 えば 金 色 に 光 った 寺 院 や 日 本 でもマカオでも 目 にしたことのないほど 異 国 的 な しかし 蒙 奢 で 華 麗 な 光 景 が あるアユタヤの 中 で 生 活 している 強 い 日 本 人 たちは タイの とても 口 に 合 わぬ 食 べも のや また 湿 気 多 く 気 が 狂 いそうなほど 暑 く 熱 病 にかかると 治 りにくい ア ユタヤの 天 気 に 対 する 不 満 を 述 べる ( 前 略 )アユタヤは 怖 ろしいぞ お 前 にはまだアユタヤの 怖 ろしさはわかるまい 老 人 は 吐 息 とも 溜 息 ともつかぬものを 洩 らした わかりませぬ まずこの 国 の 暑 さよ お 前 たち 日 本 人 には 馴 れぬこの 暑 さは 年 と 共 に 人 間 の 体 だけ ではなく 頭 と 心 とを 鈍 らせる アユタヤの 者 はこの 暑 さの 怖 ろしさを 知 っている( 中 略 )アユタヤの 者 と 争 う 時 には それより 前 にこの 暑 さとも 闘 わねばならぬ それを 憶 えておくがよい ( 後 略 ) ( 王 国 への 道 山 田 長 政 63 ) 暑 さの 怖 ろしさ を 持 つアユタヤは 暑 い 気 候 に 根 ざした 独 特 の 文 化 を 持 つため 気 候 風 土 と 全 く 異 なるところから 来 た 日 本 人 にとって 苛 酷 な 土 地 である この 点 については 岩 生 成 一 は 单 洋 日 本 町 の 研 究 ( 岩 波 書 店 1966 年 5 月 )で 指 摘 しており 遠 藤 はそれを 62 遠 藤 周 作 あとがき ( 王 国 への 道 山 田 長 政 平 凡 社 1981 年 4 月 ) 63 本 文 引 用 は 全 て 遠 藤 周 作 王 国 への 道 山 田 長 政 ( 平 凡 社 1981 年 4 月 )に 拞 る 66
基 にしてテクストで 以 下 のように 描 写 した 64 ( 前 略 )あのジャンクに 日 本 人 の 欲 しがるものがたくさん 積 んである 日 本 人 の 欲 しがるもの? そう 米 醤 油 味 噌 老 人 は 皮 肉 に 頬 をゆがめて 笑 った ひな 日 本 の 刀 もある 鉄 砲 もある そして 雛 人 形 雛 人 形 までも ( 中 略 ) 日 本 人 はおかしい どんな 土 地 に 行 ってもその 土 地 の 食 べもの 気 風 に 馴 れないな 日 本 にいた 時 と 同 じ 食 べものをほしがり 日 本 にいた 時 と 同 じに 暮 そうとする だか ら この 品 物 を 悦 んで 買 ってくれる それが 日 本 人 の 弱 いところ ( 王 国 への 道 山 田 長 政 ) 以 上 のように 日 本 人 はアユタヤに 暮 らしても アユタヤ 人 のような 暮 らし/ 生 活 をせ ず 日 本 の 食 べ 物 を 欲 しがり 日 本 式 の 生 活 を 求 める また アユタヤの 風 土 に 慣 れない 日 本 人 はアユタヤに 移 り 住 んでも 定 住 せず いつか 日 本 に 帰 国 することばかり 考 えてい る のである このように 異 国 空 間 としてのアユタヤの 暑 さと 調 和 できない 日 本 人 の 描 写 から 弱 い 日 本 人 のイメージが 生 成 されるのである 王 国 への 道 における 日 本 人 の 弱 さについて 五 上 絵 里 は 遠 藤 の 主 観 的 日 本 人 論 ( 朝 日 新 聞 1972 年 8 月 21 日 朝 刊 )を 取 り 上 げて この 日 本 人 の 弱 さは 日 本 町 に 生 きる 過 去 の 日 本 人 と 海 外 に 住 む 現 在 の 日 本 人 に 共 通 し 日 本 人 特 有 の 弱 点 がその 日 本 町 を 退 廃 の 一 途 を 辿 らせており それは 世 界 史 の 中 の 弱 者 として 抽 出 できる 65 と 論 じている しかし テクストの 中 で 他 の 日 本 人 傭 兵 と 異 なり 狭 くるしい 日 本 などに 帰 る 気 持 ちな ど 毛 頭 ない アユタヤで 自 分 の 人 生 を 賭 けてみる と 思 う 山 田 長 政 の 描 写 は 遠 藤 の 日 本 人 の 弱 さ という 主 題 をどのように 反 映 しているのか 恐 ろしい アユタヤ 一 般 の 山 田 長 政 テクストを 見 ると 長 政 のイメージは 外 国 で 成 功 する 強 い 日 本 人 のイ メージを 持 っているが 王 国 への 道 の 山 田 長 政 は 歴 史 人 物 としての 理 想 的 なイメージだ けではなく 人 間 的 な 感 情 の 面 も 描 かれている 例 えば 王 宮 に 足 を 踏 み 入 れる 男 になり たい 日 本 人 だけのゆたかな 国 を 作 ろう この 国 の 王 女 を 妻 とするぐらい 出 世 したい などの 様 々な 情 熱 を 追 及 している このような 日 本 人 のイメージについて 遠 藤 はウィリ アム ジョンストンとの 対 談 で 次 のように 述 べている 64 岩 生 成 一 との 対 談 で 遠 藤 は ( 前 略 ) 私 があの 先 生 の 御 本 でいちばん 面 白 かったのは 日 本 人 町 に 住 みついていた 日 本 人 が 日 本 と 同 じような 生 活 をやっていたということです つまり 味 噌 醤 油 からお 雛 さままで 取 り 寄 せていた と 述 べた ( 鎖 国 時 代 の 日 本 人 日 本 人 を 語 る= 対 談 集 = 小 学 館 1974 年 12 月 ) 65 五 上 絵 里 遠 藤 周 作 における 歴 史 小 説 創 作 の 意 味 : 王 国 への 道 山 田 長 政 から ( 九 大 日 文 10 号 2007 年 10 月 ) 67
話 がそれましたけれども 確 かに 日 本 人 は 自 信 を 持 ったのでしょうが 同 時 に 二 つ の 弱 みがある 生 活 の 繁 栄 はあるけれども 生 活 の 底 力 をまだ 持 ってないということ が 一 つ 二 番 目 に 日 本 人 は 戦 後 とにかく 建 て 直 すために 必 死 だったわけですか ら 物 質 的 なことでずっと 追 求 してきましたけれども このごろになって 初 めて 非 常 な 空 虚 感 が 全 部 を 襲 っていますよ ( 中 略 )その 空 虚 感 を 何 かで 埋 めなければいけない ということが やっとわかってきたんです つまり 幸 福 というものが 電 気 洗 濯 機 や 自 動 車 を 買 ったりすることではないということに 尐 しずつ 気 がついてきたわけです よ ( 日 本 人 を 考 える ウィリアム ジョンストン 遠 藤 周 作 日 本 人 を 語 る 遠 藤 周 作 対 話 集 小 学 館 1974 年 12 月 ) 遠 藤 によれば 戦 後 の 日 本 人 の 二 つの 弱 み は(1) 生 活 の 底 力 をまだ 持 っていないこ とと ( 二 ) 物 質 的 なことを 追 求 することである 戦 後 の 日 本 人 は 物 質 的 には 生 活 が 豊 か になっても それが 幸 せをもたらすことはないという 空 虚 感 を 感 じることになる こ れを 長 政 の 話 と 対 比 するなら 新 しい 自 動 車 や 新 しいテレビなどを 買 い 込 み 自 分 たちの 生 活 を 向 上 させようとする 戦 後 の 日 本 人 の 行 為 や 姿 は 最 後 まで 富 や 力 を 追 求 する 長 政 の 行 為 や 姿 と 重 なってくる このように 山 田 長 政 の 描 写 は 戦 後 の 日 本 人 の 弱 さを 反 映 して いると 考 えられる 富 と 力 を 獲 得 するために 長 政 はアユタヤの 王 宮 に 入 ることを 目 指 し た しかし 王 国 への 道 のアユタヤの 王 宮 にはそれまでにないイメージがある それは 次 のようである だが この 王 宮 こそ 怖 ろしいところだ 怖 ろしう ございますか 怖 ろしいとも 王 宮 には 至 るところに 罠 がある 笑 うている 者 に 每 がある 近 よっ てくる 者 は 刃 をかくしている 温 和 しい 者 は 術 策 を 考 えている お 前 たち 日 本 人 はそ うした 王 宮 の 者 から 見 れば まるで 子 供 だ とても 太 打 ちはできぬ ( 王 国 への 道 山 田 長 政 ) アユタヤの 王 宮 には 急 病 にかかった ソングタム 王 幼 い チェータ 王 僧 となり 身 をかくしていた シーシン 親 王 弱 々しい ヨターティプ 王 女 などの 上 流 階 級 のアユタ ヤ 人 が 住 んでいる ここから アユタヤの 王 宮 は 支 配 者 が 住 む 空 間 であっても それらの 支 配 者 たちは 病 者 や 女 性 や 子 どもなどの 弱 者 なのである そのため 日 本 人 傭 兵 は 王 宮 を 守 り アユタヤで 活 躍 する 弱 者 としてのアユタヤのイメージを 一 層 主 張 するため 遠 藤 はアユタヤ 人 の 登 場 人 物 オークヤ カラホームに 女 性 のように 柔 らか く 女 性 的 な 顔 を 持 ち 男 の 臭 いの 全 くしない という 女 性 的 なイメージを 押 し 付 ける また 女 性 のよう なオークヤ カ 68
ラホームは 皮 肉 のこもった 微 笑 なのか 好 意 の 微 笑 なのかわからな い 謎 のような 微 笑 をし 何 か 不 気 味 なものをその 底 にひめている 人 物 である このようなオークヤ カラホームのイメージは 上 の 引 用 の 笑 うている 者 に 每 がある という 箇 所 と 同 様 に 描 写 されている このように 王 国 への 道 のアユタヤは 第 二 次 世 界 大 戦 中 の 山 田 長 政 テク ストの 中 で 創 造 された 親 日 的 なアユタヤのイメージと 全 く 異 なる なぜ 遠 藤 はアユタヤ 人 をこのようなイメージで 描 かなければならないのか 岩 生 シャムと 日 本 との 国 交 の 場 合 シャムの 政 府 は 長 政 の 力 を 借 りていろいろやっ ていますし そのほか 長 政 の 前 任 者 の 場 合 にも その 人 の 助 けでいろいろなことをや っています 長 政 のような 地 位 を 利 用 することは シャムにとって 非 常 に 有 利 と 思 わ れましたから 長 政 を 利 用 して 日 本 との 国 交 を 親 しくしようということをやっていま す ( 鎖 国 時 代 の 日 本 人 日 本 人 を 語 る= 対 談 集 = 小 学 館 1974 年 12 月 ) 岩 生 成 一 によれば アユタヤ 人 が 山 田 長 政 のような 日 本 人 に 位 を 与 えるのは 日 本 人 を 利 用 するためである こうしたタイ 人 の 態 度 について 戦 後 の 日 本 とタイなどの 東 单 アジア 諸 国 との 関 係 を 見 れば 多 尐 重 なっていると 考 えられる 第 二 次 世 界 大 戦 時 にタイは 独 立 を 保 つため 日 本 と 日 泰 攻 守 同 盟 条 約 を 結 んで 日 本 に 協 力 的 な 姿 勢 を 取 った 一 方 連 合 国 側 との 関 係 も 保 ち 続 けた 二 重 外 交 により タイは 戦 後 の 敗 戦 国 処 理 を 免 れた また 王 国 への 道 と 同 時 代 に 発 表 されたタイを 舞 台 としたミステリー 小 説 におけるタイ 人 女 性 の 描 写 を 見 れば タイ 人 女 性 は 優 しいイメージが 反 映 されている 一 方 で タイ 人 女 性 による 詐 欺 行 為 も 描 かれている 66 ただ ミステリー 小 説 のタイ 人 女 性 はマイナスイメージとは 見 なされず またテクストには タイ 人 女 性 への 同 情 を 表 した 記 述 が 見 られる しかし 遠 藤 はミステリー 小 説 と 同 じようなタイ 人 への 同 情 を 描 写 することはなく 岩 生 に 同 意 しな がら 胸 中 を 往 来 しているものは 長 政 にも 推 測 できない オークヤ カラホームを 通 して 二 重 人 格 のタイ 人 のイメージを 生 成 した これについては 王 国 への 道 の あとが き で 遠 藤 は 次 のように 述 べている 日 本 人 はアジアの 他 の 民 族 にくらべるとそれほど 二 重 人 格 で 生 きてこなかった 大 陸 的 な 陰 湿 な 陰 謀 や 偽 善 や 面 従 腹 背 を 本 能 的 に 嫌 悪 する 傾 向 があるから アユタヤ 宮 廷 の オークヤ カラホームのような 人 間 の 前 ではさすがの 長 政 も 太 刀 うちできなかったの は 無 理 もなかったと 思 われる ( あとがき 王 国 への 道 山 田 長 政 ) 怖 ろしい アユタヤは 神 の 王 国 の ペドロ 岐 部 の 世 界 に 反 して 世 俗 と 人 間 の 野 望 が 渦 まく 世 界 である 長 政 の 世 界 として 描 写 されている つまり テクストにお けるアユタヤは 人 事 の 面 では 人 間 の 醜 悪 な 欲 望 の 空 間 が 描 き 込 まれ 自 然 の 面 では 現 66 1970-1980 年 代 のミステリー 小 説 におけるタイについては 第 2 部 第 5 章 を 参 照 69
世 の 地 獄 のように おそろし く 気 が 狂 いそうなほど 暑 い というイメージが 強 調 さ れている このように 遠 藤 周 作 王 国 への 道 は 明 治 期 と 戦 時 期 の 山 田 長 政 テクストと 比 べると 様 々な 面 で 異 なっている まずは 王 国 への 道 における 山 田 長 政 像 は 新 たに 解 釈 しなお されたものである 遠 藤 が 描 いた 山 田 長 政 は 日 本 人 の 英 雄 であり 理 想 的 な 山 田 長 政 では なく 日 本 人 の 弱 さを 持 つ 山 田 長 政 である また 王 国 への 道 におけるアユタヤも 以 前 のテクストのような 享 楽 的 な 空 間 や 山 田 長 政 と 王 女 のロマンス 的 空 間 ではなく 暑 くて 恐 ろしいアユタヤである さらに 王 国 への 道 は 日 本 = 男 性 /アユタヤ= 女 性 というパ ターンは 共 通 していても 女 性 として 描 かれたアユタヤは 従 順 で 親 日 のアユタヤではな く 二 面 性 を 持 ち 日 本 人 を 利 用 しているように 描 写 されている これらの 要 素 によって 遠 藤 周 作 王 国 への 道 における 日 本 とタイのイメージはこれまでの 山 田 長 政 の 神 話 を 脱 神 話 化 したように 見 えるが テクストに 投 影 された 弱 い 日 本 人 のイメージは 強 いア ユタヤ のイメージと 対 立 されていない しかし 恐 ろしいアユタヤ は 二 重 人 格 ( 悪 ) という 否 定 的 な 価 値 が 決 められている 一 方 弱 い 日 本 人 は 二 重 人 格 で 生 きてこなかっ た ( 善 )という 肯 定 的 な 価 値 が 維 持 されている よって 遠 藤 の 王 国 への 道 は 角 田 の 山 田 長 政 などの 戦 前 の 山 田 長 政 テクストと 同 様 にオリエンタリズムの 言 説 が 内 包 され ていると 考 えられる 6 まとめ 山 田 長 政 の 物 語 の 中 で シャムの 描 写 は 江 戸 時 代 から 加 工 されたり 複 製 されたりしてい る 明 治 初 期 に 歴 史 教 科 書 の 中 に 山 田 長 政 が 登 場 し そして 明 治 25 年 の 山 田 長 政 ブームの 際 には 山 田 長 政 についての 書 籍 が 多 く 刊 行 され 長 政 は 全 国 的 に 知 られるようになる しかしながら そのような 出 版 物 が 多 く 刊 行 されればされるほど 山 田 長 政 伝 説 の 内 容 は 尐 しずつ 変 化 していく その 理 由 の 一 つとしては 明 治 期 の 单 進 論 の 影 響 が 考 えられる 遅 塚 麗 水 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 も 明 治 期 の 单 進 論 における 経 済 的 な 海 外 進 出 政 策 を 奨 励 するため 山 田 長 政 は 海 外 雄 飛 として 捉 えたテクストの 一 つである 遅 塚 麗 水 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 は 明 治 32 年 に 刊 行 され 多 くの 読 者 を 獲 得 した 山 田 長 政 を 知 っていても シャムを 訪 れたことがない 麗 水 は 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 を 執 筆 するために 史 実 や 実 情 を 反 映 した 様 々な 歴 史 的 資 料 を 典 拞 として 用 いた その 一 方 理 想 的 な 空 間 としてのシャムの 描 写 や 象 の 国 の 描 写 など 江 戸 時 代 のテクストから 引 き 継 がれたものも 利 用 している 明 治 期 の 山 田 長 政 テクストを 通 して 紹 介 されたシャムの イメージは 好 意 的 に 描 写 されたが 漠 然 としたものだと 思 われる しかし シャムのイ メージ 自 体 はまだ 漠 然 としても 山 田 長 政 テクストに 反 映 されている 单 進 論 の 言 説 は 当 時 の 人 々に 認 識 された また 他 の 明 治 期 の 資 料 でシャムについて 言 及 される 場 合 例 えば 70
67 第 二 章 のシャムに 関 する 旅 行 記 を 見 てみると 山 田 長 政 の 旧 跡 に 日 本 人 がよく 訪 問 してい たことが 分 かる 山 田 長 政 の 旧 跡 まで 訪 れるのは 山 田 長 政 の 実 在 を 確 認 することができ るだけではなく 当 時 の 人 々の 山 田 長 政 に 対 する 憧 れの 証 であり 山 田 長 政 自 体 がシャ ムの 表 象 そのものであったと 考 えられる 第 二 次 世 界 大 戦 前 に 日 タイ 友 好 和 親 條 約 を 締 結 してから 明 治 期 からすでにシャム の 表 象 となっていた 山 田 長 政 は 日 本 とタイの 関 係 の 象 徴 として 用 いられ 戦 争 への 努 力 を 促 すものとして 利 用 された 当 時 の 山 田 長 政 ブームの 中 で 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 は 様 々 なメディアで 繰 り 返 し 取 り 上 げられ 多 くの 読 者 に 受 容 されたのである 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 は 以 前 の 山 田 長 政 テクストと 同 様 に 物 語 の 内 容 を 改 変 し 山 田 長 政 とルタナ 姫 のロマンスの 要 素 を 追 加 している そして そのロマンスを 通 して 当 時 のアジア 主 義 のイデオロギー 例 えば 国 民 の 精 神 的 動 員 や 日 本 の 家 族 的 全 体 主 義 などを 伝 え 日 本 の 東 单 アジア 侵 略 を 美 化 しながら 各 地 を 侵 略 するヨーロッパを 批 判 し 敵 国 として 仕 立 て 上 げたのである 一 方 で 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 におけるシャムについての 描 写 を 見 る と それ 以 前 のテクストのように 漠 然 としたイメージのままである このように 山 田 長 政 像 は 当 初 は 郷 土 の 英 雄 として 取 り 上 げられたが 明 治 末 期 から 第 二 次 世 界 大 戦 にかけて 山 田 長 政 の 物 語 は 次 々に 脚 色 され 政 治 の 道 具 として 利 用 され たため 山 田 長 政 像 もシャムの 栄 光 を 回 復 する 救 国 の 国 民 的 英 雄 として 描 かれた それと ともに 各 時 代 に 沿 って 理 想 の 日 本 人 像 が 反 映 された 山 田 長 政 像 は 国 家 の 求 める 国 民 道 徳 を 広 める 機 能 を 有 しているのである これらの 山 田 長 政 像 は 優 位 の 日 本 ( 長 政 / 男 )と 务 位 のシャム( 姫 = 女 /タイ)というようにパターン 化 されていく こうして 政 治 的 な メッセージを 中 心 とする 第 二 次 世 界 大 戦 以 前 の 山 田 長 政 像 は 舞 台 のシャムとの 相 互 関 係 によって 山 田 長 政 のイメージが 生 成 された しかし テクストの 中 でのシャムの 描 写 を 見 れば 歴 史 的 テクストにあるシャムの 風 景 が 描 かれても はっきり 見 られるのは 日 本 の 侵 略 や 搾 取 などを 喜 んで 受 け 入 れるという 日 本 に 都 合 のいいように 作 られたシャムのイメ ージである 山 田 長 政 テクストにおけるシャムの 役 割 は 舞 台 となっているシャムだけで はなく その 他 の 单 洋 の 国 々の 表 象 ともされているのである 第 二 次 世 界 大 戦 後 多 くの 山 田 長 政 テクストは 新 しく 解 釈 され 山 田 長 政 のイメージも 新 たに 生 成 された 特 に 遠 藤 周 作 王 国 への 道 では 戦 前 期 の 理 想 的 な 長 政 像 ( 例 えば シャムの 姫 と 結 婚 して シャム 王 になることなど)を 否 定 し 人 間 らしい 山 田 長 政 を 登 場 させた そして その 山 田 長 政 像 を 通 して 戦 後 の 日 本 人 を 批 判 している 遠 藤 周 作 が 2 回 のタイの 取 材 旅 行 の 経 験 を 基 にして 書 かれた 王 国 への 道 では 舞 台 となったアユタヤ はそれ 以 前 の 山 田 長 政 テクストと 比 べてより 具 体 的 に 描 かれている また 他 の 山 田 長 政 の 文 献 でよく 描 写 される 強 い 日 本 / 弱 いアユタヤ のモデルを 弱 い 日 本 / 恐 ろしいア ユタヤ のモデルに 逆 転 して 物 語 っている その 恐 ろしいアユタヤ は 戦 前 のように 67 例 えば 中 村 直 吉 亜 細 亜 大 陸 横 行 亓 大 州 探 検 記 ( 博 文 館 1908 年 8 月 )には 様 々なアジアの 国 々の 話 の 中 で 暹 羅 探 検 の 話 が 収 められている 暹 羅 探 検 で 中 村 直 吉 は 盤 谷 府 の 市 街 王 城 ワツトプラケオ 寺 院 ローヤル 公 園 動 物 園 博 物 館 バンパインの 離 宮 山 田 長 政 の 舊 跡 などの 観 光 地 を 描 写 されている 71
従 順 で 親 日 的 なアユタヤではなく 日 本 を 利 用 する 二 重 人 格 のアユタヤである 江 戸 時 代 から 語 り 続 けられる 山 田 長 政 テクストは 日 本 人 にシャム(タイ)を 印 象 付 け 偉 人 の 山 田 長 政 が 駐 在 したシャムのイメージを 生 成 してきた 本 章 で 取 り 上 げた 三 つの 長 政 テクストで 投 影 されるシャムのイメージは 時 代 によって 異 なるが そこに 共 通 している のはシャムが 女 性 化 されるということである こうしたオリエンタリズムのパターン( 日 本 = 男 性 タイ= 女 性 )は 明 治 期 から 様 々な 山 田 長 政 テクストで 固 定 化 され 日 タイの 昔 68 から 深 い 友 好 関 係 という 象 徴 として 利 用 されている 山 田 長 政 が 日 タイ 修 好 百 年 のことし ブームだ タイ 政 府 の 観 光 キャンペーン も 功 を 奏 してか 長 政 ゆかりのアユタヤに 行 く 日 本 人 は 例 年 になく 多 く テレビ 番 組 や 旅 行 記 などにも 長 政 ものが 目 立 つ 日 本 政 府 も 修 好 百 年 事 業 の 目 玉 商 品 として 現 地 に アユタヤ 歴 史 資 料 館 を 無 償 援 助 でつくることを 決 め 経 団 連 なども 日 本 人 町 跡 整 備 のための 募 金 活 動 を 始 めている ( 実 在 したのか 英 雄 山 田 長 政 朝 日 新 聞 1987 年 3 月 10 日 夕 刊 ) 1980 年 代 アユタヤ 歴 史 資 料 館 や バンコクユースセンター(タイ ジャパン) な どが 日 本 政 府 の 援 助 により 建 設 された このような 文 化 的 な 設 備 を 投 資 した 日 本 政 府 は 日 本 とタイの 友 好 関 係 を 強 化 するだけではなく 1970 年 代 のタイの 反 日 運 動 が 再 び 起 こら ないように 山 田 長 政 を 介 して 両 国 の 長 い 交 流 の 歴 史 をタイ 社 会 に 深 く 根 付 かせるのであ る つまり 英 雄 としての 山 田 長 政 は 真 実 として 管 理 され このことを 知 らないタイ 69 人 に 山 田 長 政 に 関 する 知 識 を 広 めた その 知 識 の 中 に 山 田 長 政 によって 敵 から 救 わ れたシャムと 同 じように 日 本 から 援 助 されるタイという 言 説 が 内 包 され 1970 年 代 の 日 本 企 業 のタイへの 進 出 を 促 したのではないのか 国 策 的 に 作 られた 山 田 長 政 の 扱 いは 外 交 上 のマイナスをもたらすと 国 際 政 治 学 者 の 矢 野 70 暢 の 反 論 があるが 山 田 長 政 はタイ 政 府 やタイ 人 に 拒 絶 されたことはない なぜ 山 田 長 政 はタイでマイナスイメージを 持 たないのだろうか タイ 人 にとって 山 田 長 政 は 学 生 知 識 人 の 一 部 は 長 政 がいろいろいた 外 国 人 傭 兵 の 一 人 と 知 っているが 普 通 のタイ 人 は ま ず 知 らな 71 くても 侵 略 者 として 扱 われていない タイの 古 典 文 学 や 歴 史 的 な 資 料 を 見 れば 隣 国 の 人 や 外 国 人 などが 母 国 を 去 って 山 田 長 政 のようにアユタヤで 生 活 するこ とは アユタヤ 王 の 保 護 を 受 けることである つまり 外 国 人 を 保 護 することは 国 王 の 力 を 示 すことにつながるのである 昔 からタイには 国 王 の 保 護 にかかる 外 国 人 が 存 在 する 後 に 国 籍 を 変 えてタイ 人 に 68 1987 年 の 日 タイ 修 好 百 年 に 山 田 長 政 は 日 タイの 友 好 の 象 徴 として 取 り 上 げられた 69 実 在 したのか 英 雄 山 田 長 政 ( 朝 日 新 聞 1987 年 3 月 10 日 夕 刊 ) 70 注 69 に 同 じ 71 普 通 のタイ 人 まず 知 らない ( 朝 日 新 聞 1987 年 3 月 10 日 夕 刊 ) 72
なった 外 国 人 は 尐 なくない 国 籍 にかかわらず 国 王 は 母 国 で 困 難 に 遭 遇 した 外 国 人 たちに 対 して 思 いやりを 持 つため 国 王 の 保 護 を 受 ける 人 々は 幸 せに 暮 らせる (กองทหาร อาสาต างชาต ในประเทศไทย.(ม.ป.ป.) เข าถ งได จาก : http://www1.tv5.co.th/service/mod/heritage/ nation/military/volunteer/ (ว นท ค น ข อม ล: 9 เมษายน 2556) (2013 年 4 月 9 日 参 照 :タナポーン 訳 ) このように タイ 人 にとっては 山 田 長 政 は 国 王 の 保 護 の 下 にシャムで 暮 らし そして 国 王 に 恩 返 しをするために 傭 兵 になる そのため 国 王 の 恩 を 知 る 山 田 長 政 はタイ 人 にと っても 好 意 的 に 受 け 入 れられている また 山 田 長 政 がいた 日 本 人 町 跡 を 見 るために ア ユタヤには 毎 年 多 くの 日 本 人 旅 行 者 が 訪 れる そのような 日 本 人 観 光 客 によってタイの 観 光 収 入 が 増 加 している タイにも 日 本 にもメリットがあるため 山 田 長 政 は 今 でも 日 タ イの 友 好 の 象 徴 として 扱 われている 72 タイ 日 修 好 124 年 を 記 念 として 2010 年 12 月 2 日 にタイ 映 画 Yamada:The Samurai of Ayothaya(ヤマダ:アユタヤの 侍 ) が 公 開 された 主 役 の 山 田 長 政 には 日 本 人 俳 優 の 大 関 正 義 で 山 田 長 政 が 惚 れたタイ 人 女 性 チャムパー の 役 は 2007 年 度 のミス タイランドワー ルドのカノッコーン チャイチュンである また 日 本 人 によく 知 られている K-1 王 者 のブア カーオ ポー.プラムック 選 手 とも 山 田 長 政 にムエタイの 技 術 を 伝 授 する 師 匠 の 役 で 出 演 した 映 画 ヤマダ:アユタヤの 侍 でアユタヤの 日 本 人 村 の 忍 者 の 組 織 に 追 われる 山 田 長 政 はアユタヤの 住 民 に 助 けられ タイ 人 女 性 チャムパー に 介 抱 してもらう 回 復 した 山 田 長 政 はアユタヤ 人 の 村 でムエタイ 修 業 をし ナレースワン 王 の 傭 兵 隊 員 となる アユタ ヤのため ホンサワディー(ビルマ)の 兵 士 を 討 伐 した 後 山 田 長 政 は 日 本 人 村 へ 戻 って 組 織 に 対 して 復 讐 をする 監 督 としてのノポーン ワティンのインタビューによれば 映 画 の 楽 しさ 以 外 で アジアーのムエタイなども 見 せ 所 として 取 り 上 げています 海 外 で 上 映 されたら この 映 画 のタイ 伝 統 文 化 や 観 光 や タイの 面 白 さがきっと 世 界 中 の 人 たち の 気 に 入 ると 信 じています 73 と 述 べている このように ヤマダ:アユタヤの 侍 は 歴 史 的 正 しさより 74 山 田 長 政 の 伝 説 を 介 してタイを 宣 伝 する 目 的 で 製 作 されたのである こ の 映 画 を 見 た 日 本 人 は 史 実 通 説 が 入 り 交 じりその 上 作 り 話 が 多 く 加 わるので 増 々 歴 史 的 事 実 から 遠 くなってファンタジーの 世 界 否 漫 画 になってしまっている ( 中 略 )こ の 映 画 の 見 せ 所 は ムエタイ これだけを 観 るつもりなら がっかりしないでしょう 75 と 評 価 され またタイの 方 も 日 タイの 歴 史 を 美 化 する 76 と 批 判 している これについて 72 ซาม ไร อโยธยา เป ดต วอล งการ โชว มวยพาห ย ทธ อ ง ท ง มากความสามารถจากเหล าเยาวชนต วน อย. เข าถ งได จาก:http://movie.mthai.com/movie-news/ 83323.html (ว นท ค นข อม ล:28 ส งหาคม 2556)(2013 年 8 月 28 日 参 照 ) 73 เป ดหน งบ ควบไทย-เกาหล -ญ ป น.เข าถ งได จาก: http://www.bangkokbiznews.com/home/detail/life-style/movie-music/20101203/ 365785/เป ดหน งบ -ควบ-ไทย- เกาหล -ญ ป น.html (ว นท ค นข อม ล:28 ส งหาคม 2556)(2013 年 8 月 28 日 参 照 ) 74 歴 史 上 で 山 田 長 政 はソンタム 国 王 の 治 世 下 (1611 年 -1628 年 )にあったが ヤマダ:アユタヤの 侍 ではナレー スワン 国 王 の 治 世 下 (1590 年 -1605 年 )にあった 75 タイ 映 画 : Yamada the Samurai of Ayutthaya 2010 年 インターネット ホームページ http://d.hatena.ne.jp/ midorilicht/20130106/1357501142 ( 2013 年 8 月 28 日 参 照 ) 76 ซาม ไรอย ธยา แฟนตาซ ประว ต ศาสตร ความส มพ นธ ไทย-ญ ป น. เข าถ งได จาก: http://www.iseehistory.com/index.php? lay=show&ac= article &Id=538787100 &Ntype=7(ว นท ค นข อม ล:28 ส งหาคม 2556)(2013 年 8 月 28 日 参 照 ) 73
ヤマダ:アユタヤの 侍 で 山 田 長 政 ( 日 本 )と 長 政 を 助 けるカーム(タイ)の 友 情 に 何 度 も 言 及 するところが 見 られる 具 体 的 な 例 を 挙 げると 以 下 の 台 詞 の 通 りである 長 政 俺 を 助 けてくれて ありがとう カーム 気 にしないで お 前 はホンサー(ビルマ:タナポーン 注 )でもないから ア ユタヤの 敵 ではない 日 本 人 たちはナレースアン 王 の 傭 兵 になって アユタヤのため ナレースアン 王 のために 命 を 捧 げるから お 前 は 俺 の 友 達 だ!(タナポーン 訳 )( 中 略 ) 長 政 ( 日 本 語 ナレーション) 拙 者 はこの 地 に 暮 らしている 遠 方 の 親 類 縁 者 より 拙 者 の 近 くで 共 に 生 計 を 営 むものたちに 惹 かれている 彼 らはあたかも 拙 者 が 同 じ 色 の 血 を 流 すものであるかのように 異 国 から 来 た 拙 者 のようなものでさえ 愛 と 慈 悲 を 与 え てくれる 友 情 とは 魂 と 身 体 を 育 む 孤 独 から 開 放 し あらゆる 障 害 を 乗 り 越 えるた めの 力 水 のようなものだ 拙 者 はこれまで 友 情 というものにこれほど 大 きな 意 味 と 力 があるなどと 感 じたことはなかった 以 上 の 引 用 のように カームは 日 本 人 たちはアユタヤのため ナレースアン 王 のため に 命 を 捧 げる という 前 提 で 長 政 を 友 達 として 受 け 容 れるのである これは 日 本 の 山 田 長 政 の 語 り 方 と 比 べれば 日 本 が 描 いた 山 田 長 政 はアユタヤで 成 功 した 山 田 長 政 の 焦 点 化 する 一 方 で タイが 描 いた 山 田 長 政 はアユタヤや 国 王 のために 犠 牲 になるところが 強 調 さ れていることである こうしたタイ 人 の 語 り 方 によって 山 田 長 政 や 日 本 傭 兵 の 姿 はタイ を 宣 伝 する 役 割 を 果 たしているだけではない 異 国 人 であるのに 国 王 やアユタヤのために 77 78 命 を 捧 げる 者 として タイの 教 育 漫 画 や 歴 史 映 画 などに 頻 繁 に 登 場 している このよ うに タイにおける 山 田 長 政 は 知 らない 存 在 から 日 タイ 友 好 関 係 の 象 徴 となり そし て 2000 年 代 にタイ 人 の 重 要 な 歴 史 人 物 の 一 人 として 見 なされるようになったのである こうした 近 代 においても 繰 り 返 し 文 芸 化 される 山 田 長 政 テクストの 変 容 から 戦 前 のテ クストは 政 治 的 言 説 を 背 景 に 生 成 受 容 された 一 方 戦 後 のテクストとしての 遠 藤 周 作 王 国 への 道 などは 多 様 な 解 釈 を 許 すものになっている つまり タイに 関 する 戦 後 の 文 学 作 品 は 戦 前 の 文 学 作 品 より 政 治 的 言 説 との 呼 応 が 稀 薄 になっている また 作 者 自 身 が 見 たシャムより 種 々の 情 報 や 資 料 を 援 用 して 描 くため 戦 前 のテクスト 尐 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 などにおけるシャムは 遠 距 離 に 置 いて 表 現 するパンフォーカスの 写 真 のように 焦 点 化 される 対 象 が 曖 昧 で 硬 い 印 象 を 与 えるのである これに 対 して 戦 後 期 のテクス ト 王 国 への 道 を 見 ると アユタヤのイメージは 焦 点 距 離 で 一 部 の 対 象 を 焦 点 化 し 戦 前 のシャムのイメージがより 鮮 明 になり シャム(タイ)と 読 者 との 距 離 感 が 縮 まった このように 第 4 章 から 第 6 章 では 戦 時 や 戦 後 の 日 本 現 代 文 学 作 品 を 中 心 とし タイ 表 象 の 対 象 化 のあり 方 を 考 察 する 77 สาราญ จาร ก ลวน ช และคณะ. ยามาดะ ซาม ไรแห งอโยธยา. กร งเทพฯ:แอ คช นเฟรม ค ดส,2553.(2010 年 ) 78 例 えば 全 5 部 作 の 構 成 の The Legend of King Naresuan(キング ナレスワン) (2007 年 から 現 在 まで)でも 日 本 人 傭 兵 が 登 場 している 74
第 4 章 南 方 徴 用 作 家 の タイ アジア 太 平 洋 戦 争 下 の 日 タイ 表 象 1 はじめに アジア 市 場 の 拡 大 を 目 指 して タイに 進 出 し バンコク 支 店 を 設 置 した 三 五 物 産 が 日 本 タイ 間 の 輸 送 のために 名 古 屋 バンコク 間 定 期 航 路 を 開 設 したのは 昭 和 3 年 (1928 年 )1 月 のことである それ 以 降 バンコクでは 日 本 企 業 の 会 社 が 増 加 し 日 タイ 貿 易 が 拡 大 して いった 昭 和 初 期 の 日 タイ 表 象 については 久 保 田 裕 子 近 代 日 本 における タイ イメー ジ 表 象 の 系 譜 昭 和 10 年 代 の 南 洋 へのまなざし ( 立 命 館 言 語 文 化 研 究 2010 年 1 月 )で 詳 しく 指 摘 されている 戦 前 のタイと 日 本 の 経 済 的 な 結 びつきは 戦 中 まで 続 き 両 国 の 関 係 は 強 化 されていった 例 えば 第 3 章 で 取 り 上 げた 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 ( 大 日 本 雄 辨 會 講 談 社 1941 年 2 月 )を 見 れば 親 日 的 なタイの 姿 がよく 見 られる しかし 第 二 次 世 界 大 戦 が 開 戦 すると 中 立 を 宣 言 していたタイは 1941 年 12 月 8 日 に 日 本 軍 にタイ 南 部 を 占 領 され 半 ば 強 制 的 に 日 本 と 同 盟 国 となった 昭 和 一 六 年 一 二 月 八 日 以 降 東 南 アジアに 侵 攻 した 日 本 軍 は 次 々と 各 地 を 占 領 して 軍 政 をしいていた たとえば 第 十 四 軍 はフィリピン 第 十 亓 軍 はビルマ 第 十 六 軍 は オランダ 領 東 インド 第 二 十 亓 軍 はシンガポール マレー スマトラ ボルネオ 守 備 軍 はボルネオにおいて といった 具 合 であった 独 立 国 タイに 対 しては 開 戦 直 後 に 日 本 軍 の 通 過 を 認 めさせ 一 二 月 二 一 日 に 日 タイ 同 盟 条 約 を 結 び 翌 年 一 月 三 日 には 日 泰 協 同 作 戦 ニ 関 スル 協 定 を 結 んで タイの 独 立 と 主 権 を 尊 重 し 軍 政 はもちろんタイ の 国 内 での 顕 著 な 軍 事 行 動 を 差 し 控 えてきた たとえば 一 九 四 二 年 六 月 二 九 日 に 大 本 営 が 南 方 軍 総 司 令 官 に 対 し 南 方 要 域 の 安 定 確 保 と 外 郭 地 域 に 対 する 作 戦 準 備 を 命 じた とき タイに 関 しては 泰 国 駐 屯 兵 力 ハ 情 勢 ニ 変 化 ナキ 限 リ 最 小 限 ニ 止 ムルモノトス としている ( 吉 川 利 治 日 タイ 同 盟 下 のタイ 駐 屯 軍 東 南 アジア 史 のなかの 日 本 占 領 早 稲 田 大 学 出 版 部 1997 年 5 月 ) 当 時 のタイは 他 の 南 洋 諸 国 が 植 民 地 化 される 中 アジアで 唯 一 の 日 本 の 同 盟 国 となってい た 日 タイ 同 盟 条 約 を 結 んだタイは 日 本 の 東 南 アジアの 他 国 への 進 軍 に 積 極 的 に 協 力 し ていった 東 南 アジアを 中 心 とした 各 地 でドイツのP K( 宣 伝 中 隊 )のように 報 道 や 宣 伝 活 動 などの 義 務 を 果 たした 木 村 一 信 は 南 方 徴 用 作 家 の 役 割 について 宣 伝 班 ( 軍 報 道 班 ) 75
の 担 った 業 務 を 三 つにまとめて 説 明 を 加 えている 1 まず 一 つ 目 は 対 占 領 地 宣 伝 であり 日 本 語 の 普 及 教 育 を 中 心 としている また 日 本 映 画 の 上 演 活 動 などもここに 入 る 二 つ 目 は 対 軍 隊 宣 伝 であり ここで 言 う 軍 隊 とは 日 本 軍 を 指 している 戦 意 高 揚 と 聖 戦 思 想 の 普 及 などを 目 的 とし 陣 中 新 聞 の 発 行 を 主 な 業 務 とした 三 つ 目 は 対 敵 宣 伝 であ り 主 にラジオ 放 送 を 通 じての 活 動 である 南 方 徴 用 作 家 たちはビルマ 方 面 マレー 方 面 ジャワ ボルネオ 方 面 フィリピン 方 面 に 渡 って 活 動 したため 東 南 アジアに 関 する 報 告 文 や 小 説 などが 多 く 書 かれている しかしながら タイは 日 本 の 同 盟 国 であり 徴 用 先 ではな いため 当 時 のタイに 関 する 記 述 は 非 常 に 尐 ない 昭 和 16 年 (1941 年 )11 月 に 徴 用 令 の 白 紙 を 受 けた 作 家 たちは 東 南 アジア 方 面 に 向 かう 輸 送 船 に 乗 せられ ビルマ 方 面 やマレー 方 面 に 派 遣 された サイゴンで マレー 方 面 の 文 学 者 は 別 の 汽 船 に 乗 り タイの 南 部 ソンクラに 上 陸 した 一 方 ビルマ 方 面 の 文 学 者 たち はサイゴンからバンコクまでトラックに 乗 ってきた ビルマ 方 面 に 渡 る 作 家 たちはタイ 領 を 経 由 してビルマへ 行 くので 日 記 や 旅 行 記 などの 中 にタイに 関 する 記 述 がわずかながら 存 在 する そこで 本 章 では 同 盟 国 のタイは 当 時 の 日 本 においてどのようなイメージで 捉 えられ いかに 見 なされていたのか という 問 題 を 解 明 するため 徴 用 作 家 が 書 いた 戦 時 中 の 文 学 を 検 討 し 分 析 していく また 徴 用 作 家 が 生 成 したタイの 表 象 をタイ 文 学 におけるタイの 表 象 と 比 較 して 考 察 することが 本 章 の 目 的 である 2 徴 用 作 家 が 見 たバンコク ビルマ 方 面 に 向 かった 作 家 には 岩 崎 栄 小 田 嶽 夫 北 林 透 馬 倉 島 竹 二 郎 榊 山 潤 清 水 幾 太 郎 高 見 順 豊 田 三 郎 山 本 和 夫 などがいる 2 ビルマに 派 遣 される 前 に 彼 らはタ イにしばらく 滞 在 していた 戦 時 中 の 作 家 たちは タイをどのように 見 ていたのか まずは 榊 山 潤 南 洋 記 ( 三 ) 3 ( 文 藝 日 本 1943 年 8 月 )を 見 てみよう 尐 しバンコツクのことを 記 しておきたい 西 貢 は 森 の 都 であり バンコツクは 森 と 運 河 の 都 である 男 女 共 にパヌンと 稱 する 長 さ 七 尺 幅 亓 尺 の 布 を 腰 にまとふ 色 は 曜 日 によ つて 變 へる 習 慣 があつたが 今 は 多 く 靑 色 を 用 ふ 女 子 の 如 きは 殆 ど 洋 風 のパーマネン ト わづかに 乳 を 覆 ふサバイと 稱 する 洋 風 上 衣 を 用 ふ 地 方 都 市 の 下 層 者 はすべて 裸 足 である と 私 はタイの 事 情 を 何 か 書 物 で 讀 んだ 勿 論 バンコツクが 一 流 の 都 市 でな いことは 改 めていふまでもない けれどもバンコツクは 美 しく また 愉 しかつた 榊 山 潤 が 述 べた パヌン と サバイ の 風 景 は 明 治 大 正 期 のシャム 国 情 に 関 する 文 献 例 えば 岩 本 千 綱 暹 羅 国 探 検 実 記 (1893 年 )などの 中 でよく 言 及 されている しかし 実 1 木 村 一 信 南 方 徴 用 作 家 ジャワ を 中 心 に 昭 和 作 家 の 南 洋 行 ( 世 界 思 想 社 2004 年 4 月 ) 2 注 1 に 同 じ 3 南 方 徴 用 作 家 叢 書 [ビルマ 編 ] 第 7 巻 : 榊 山 潤 (3) ( 龍 溪 書 舎 2010 年 2 月 ) 所 収 本 文 76
際 にタイに 来 ると パヌン と サバイ の 風 景 の 代 わりに 洋 風 のパーマネント の 女 子 の 髪 型 などが 現 れた これについて 高 見 順 ビルマ 記 4 ( 協 力 出 版 社 1943 年 2 月 ) でビルマ 人 は 洋 服 を 着 ずにロンジを 着 ている 一 方 タイでは 当 時 の 政 府 による 風 俗 改 善 がな され 多 くのタイ 人 は 洋 服 を 着 ていると タイとビルマの 風 景 を 比 較 して 書 かれている ま た 平 野 零 児 マンゴウの 雨 5 ( 天 祐 書 房 1944 年 5 月 )では タイは 文 明 國 も 野 蠻 國 もない 暹 羅 などと 云 つた 頃 は 只 山 田 長 政 を 思 ひ 出 すだけで 時 代 と 共 に ゑらく 遠 い 遠 い 國 かなんぞのやうに 思 はれ 勝 ちでしたがね タイ 國 と 名 が 變 つてから 急 に 距 離 までが 近 くなつたやうに 思 ひます と 書 かれている いずれも それ 以 前 にはありがちだった 山 田 長 政 と 関 わる 遠 い 国 シャム のイメージより 西 洋 化 され 美 しく また 愉 し い 国 とし ての 近 代 タイ が 語 られている 海 天 へ 赴 く 大 きなシナ 料 理 店 三 階 で 食 事 四 階 がダンス ホール 外 は 燈 火 管 制 で 暗 い 車 で 名 物 の 裸 踊 りを 見 に 行 く あやしげな 家 の 前 で 車 がとまる 一 人 亓 十 銭 あぶない 階 段 をあがって 三 階 へ 行 くと 小 さな 劇 場 風 の 広 間 に 出 る 人 がいっぱいいる ちょうど 休 憩 で しばらくするとはじめる ( 中 略 )ジンタに 似 たへ たなうるさい 音 楽 にあわせて 裸 かの 女 が 幕 の 間 から 出 てきて ゆっくりとものうげに 踊 る 乳 と 陰 部 をかくしただけの 衣 裳 いきなりそう 露 出 されてはかえって 趣 がとぼし い しかし 想 像 したほど 醜 悪 ではない 皮 膚 も 白 く 均 斉 がなかなかとれている もの すごい 顔 のもあるが 多 くは 茶 目 公 のような 顔 をしていてなかなか 可 愛 い はじめは 何 かこっちの 方 が 照 れくさかったがだんだん 見 なれてくる ( 高 見 順 高 見 順 日 記 第 一 巻 勁 草 書 房 1965 年 9 月 ) 高 見 順 は 日 記 の 最 後 で バンコックがおもしろ いと 書 いている 高 見 順 の 日 記 による と バンコクにはダンス ホール ニュー バー P 屋 シナ 料 理 店 Swee Hong レスト ラン 劇 場 映 画 館 などがある 特 に ダンス ホールでの 裸 踊 りは 他 の 徴 用 作 家 の 日 記 の 中 でもよく 言 及 され 日 本 軍 に 人 気 のある 場 所 である このような 歓 楽 街 の 描 写 を 中 心 とし て 戦 時 中 の 他 の 国 とは 異 なる 面 白 くて 愉 し いバンコクのイメージが 表 現 されてい る また 榊 山 潤 ビルマの 朝 でも 静 養 地 としてのバンコクのイメージを 反 映 されている 此 處 じゃ ゆつくり 靜 養 するといふ 譯 にも 行 くまい ラングーンへ 戻 つた 方 がいい 飛 行 機 があつたら 都 合 によつてはバンコツクへ 行 つて 二 週 間 も 靜 養 し 元 氣 をとり 戻 した 方 がよからうといふのである 有 がたい 好 意 である 大 村 大 尉 も それをすすめて 呉 れた いいな バンコツクは 4 南 方 徴 用 作 家 叢 書 [ビルマ 編 ] 第 1 巻 : 高 見 順 (1) ( 龍 溪 書 舎 2010 年 2 月 ) 所 収 本 文 5 南 方 徴 用 作 家 叢 書 [ビルマ 編 ] 第 14 巻 : 平 野 零 児 座 談 会 対 談 ( 龍 溪 書 舎 2010 年 2 月 ) 77
稲 葉 はバンコツクを 思 ひ 出 すやうに 氷 もあるし 麥 酒 もある 地 雷 のない 散 歩 區 域 もあるし 行 つて 來 いよ ( 榊 山 潤 ビ ルマの 朝 今 日 の 問 題 社 1943 年 6 月 6 ) ビルマの 朝 では ビルマでデング 熱 にかかった 矢 木 が 静 養 するためにバンコクに 送 ら れる 回 復 した 矢 木 の 市 民 たちの 喜 ばしげなお 祭 り 騒 ぎ そんな 戰 爭 氣 分 のバンコツク という 言 葉 は 戦 争 を 遠 い 惡 夢 のやうに 拭 ひ 去 る 場 所 としてバンコクを 捉 えていると 考 えられる 一 方 戦 場 になるビルマについては 倉 島 竹 二 郎 ビルマ 戰 線 の 思 ひ 出 7 ( 放 送 1943 年 3 月 )は 瘴 癘 不 毛 の 地 にあつて 物 質 不 足 その 他 のあらゆる 惡 條 件 のもとに 日 夜 をわかたぬ 戰 鬪 や 警 備 をやつてゐられる 兵 隊 さんたちの 御 苦 労 は 竝 大 抵 ではない と 書 いている このように 日 本 人 にとってタイの 空 間 は 歓 楽 街 のイメージを 含 めて 惡 夢 のようなビルマの 戦 線 とは 対 照 的 に 精 神 的 な 癒 しをもたらす 平 和 な 空 間 として 見 なされる そうした 空 間 性 の 表 象 が 戦 時 下 における タイ の 大 きな 特 色 の 一 つである 3 タイ 人 への 眼 差 し 岩 崎 栄 萬 歳 (チャイヨウ) 8 は 昭 和 19 年 (1944 年 )5 月 に 泉 書 房 より 発 行 された 萬 歳 は 輸 送 船 佛 印 バンコツク ( 但 し バンコツク は 目 次 にはない) 宣 傳 戰 紙 の 花 動 く チヱップ 一 家 タイ 軍 從 軍 チヱムマイ という 章 に 分 かれ マレーとビ ルマ 方 面 に 向 かう 南 方 徴 用 の 文 化 人 たちについての 話 である この 作 品 では 輸 送 船 内 の 情 況 南 国 の 風 景 宣 伝 班 の 仕 事 などの 内 容 が 作 者 岩 崎 栄 の 視 線 から 語 られる ただし タイ 人 女 性 チェップと 日 本 軍 一 等 兵 である 藤 五 の 話 だけは 主 に 藤 五 の 視 点 から 語 られてい る チェップと 藤 五 との 関 係 は チェップの 弟 を 仲 立 ちとして 始 められる 藤 五 は 日 本 語 が わからないチェップの 家 族 と 身 振 り 手 振 りでコミュニケーションをとったり チェップの 弟 に 物 をあげたりして 交 流 を 深 めていく チェップの 家 族 も 藤 五 を 同 じ 家 族 の 一 員 として 認 め 果 物 などをあげたりする 最 後 は 藤 五 がビルマに 派 遣 されることで チェップの 家 族 と 別 れ ることとなる このチェップと 藤 五 の 物 語 には 戦 時 の 日 本 人 とタイ 人 の 関 係 が 理 想 化 した かたちで 反 映 されており 日 本 人 のタイ 人 に 対 する 眼 差 しが 見 いだされる チェップの 家 は 兵 隊 の 宿 舎 の 近 く あまり 大 きくない バナナ 畑 の 中 の 茅 屋 である バナナ 畑 や 椰 子 の 木 などがある 果 樹 園 は 豊 饒 な 南 国 の 一 般 的 な 風 景 で 果 樹 園 を 営 むこと は 当 時 のタイ 人 の 典 型 的 な 職 業 であった チェップには 父 親 母 親 弟 小 さな 妹 がいる が 女 性 や 子 供 や 老 人 といった 面 が 強 調 されており その 点 で 庇 護 を 受 けるべき 弱 者 の 空 間 6 南 方 徴 用 作 家 叢 書 [ビルマ 編 ] 第 5 巻 : 榊 山 潤 (1) ( 龍 溪 書 舎 2010 年 2 月 ) 所 収 本 文 7 南 方 徴 用 作 家 叢 書 [ビルマ 編 ] 第 11 巻 : 倉 島 竹 二 郎 ( 龍 溪 書 舎 2010 年 2 月 ) 所 収 本 文 8 土 屋 忍 解 説 岩 崎 栄 著 萬 歳 記 録 性 とユーモア ( 萬 歳 文 化 人 の 見 た 現 代 アジア 16 ゆまに 書 房 2002 年 9 月 )は 他 作 家 と 比 べてかなり 細 かな 情 報 が 織 り 込 まれているのが 特 徴 で 自 らの 感 性 や 記 憶 を 信 じて 書 くタイ プの 文 学 者 が 多 い 中 では 貴 重 な 存 在 があると 述 べている 萬 歳 の 引 用 は 萬 歳 文 化 人 の 見 た 現 代 アジア 16 (ゆ まに 書 房 2002 年 9 月 )による 78
と 読 み 取 ることもできる そうしたチェップの 家 の 人 々が 日 本 軍 人 の 藤 五 を フジー フジー と 呼 びながら 片 手 で 藤 五 を 招 く 場 面 などは 日 本 軍 を 歓 迎 するタイの 縮 図 とい う 印 象 もある チェップは 齒 だけは 白 い 黑 い 妙 齡 の 娘 である チェップだけではなく 父 親 も 赤 ン 坊 を 抱 いた 母 親 も 弟 も 妹 も みんな 黑 い 顔 を 揃 へてゐる 日 本 人 から 見 たタイ 人 の 身 体 は 肌 が 白 い 日 本 人 と 違 い 黑 い 人 種 で 遠 い 異 國 を 感 じさせるものであり これは 土 民 性 や 未 開 性 を 強 調 するものと 言 える 藤 五 はいつもチェップの 話 を 他 の 人 に 語 る その 話 は チェップがスイカとザボンをまちがう 話 当 番 をするときに 徴 用 者 と 将 校 の 区 別 ができない 話 おかしな 日 本 語 を 喋 る 話 などである チェップは 日 本 語 や 英 語 ができず 作 品 中 の 彼 女 の 発 言 は 藤 五 が 教 えてくれた 意 味 もわからない 日 本 語 のみとなっている タ イの 空 間 の 中 にいるタイ 人 でありながら チェップは 語 る 主 体 としては 登 場 せず 藤 五 の 視 点 から 一 方 的 に 語 られる 存 在 である 藤 五 によって 語 られるチェップは スイカとザボンを くれたり 洗 濯 してくれたりするというように 藤 五 (あるいは 日 本 軍 )への 好 意 と 服 従 が 前 景 化 された 存 在 である 黒 い タイ 人 女 性 が 好 意 を 持 つのは 藤 五 である 藤 五 は 困 つたやつ で 脱 柵 した り 上 官 と 喧 嘩 したり つまり 劣 等 兵 であるとされている また 彼 とチェップの 関 係 は 住 民 を 揶 揄 つちやいかん という 日 本 兵 隊 の 規 律 に 反 して 日 本 の 集 団 に にやり にや りしながら 見 られている つまり 藤 五 は 日 本 軍 の 中 では 劣 位 に 立 つが その 彼 でさえ タイ 女 性 のチェップやチェップの 家 族 の 中 では 優 位 に 立 つ 存 在 である おうい チヱツプ! こんちくせう チヱツプが 絹 糸 のやうな 細 かい 聲 で コンチクショウ と 應 じる わしや 下 に 行 つて 晝 寢 をする 藤 五 は 指 を 下 に 指 し 肘 枕 で 眠 る 眞 似 を してみせ 晩 には スイカを 呉 れよゥ と 呶 鳴 りつけて くるりと 廻 れ 右 をする チェップと 藤 五 の 交 際 は 同 盟 國 の 好 意 に 包 まれるやうな 感 激 で 日 泰 親 善 だと 言 われる しかし 藤 五 はチェップの 弟 に 物 を 投 げて やったり チェップに 呶 鳴 った り 守 衛 の 仕 事 を 手 伝 わせたりする しかし いくら 藤 五 に 怒 鳴 られても チェップは 従 順 に 藤 五 の 言 うとおりに 従 う このように 藤 五 に 支 配 されながらも その 藤 五 に 好 意 的 で 従 順 なチェップの 家 族 の 描 写 は 日 本 人 からみた 戦 時 中 のタイ 人 の 表 象 ではないだろうか ところで 榊 山 潤 盤 谷 挿 話 9 ( 新 太 陽 1943 年 7 月 )という 作 品 がある ビルマへの 派 遣 辞 令 を 待 っている 主 人 公 の 坂 五 は バンコクのタイランド ホテルに 泊 まる 彼 は そ こで 働 くパパイという 洗 濯 女 の 娘 と 知 り 合 う パパイを 可 愛 がっている 坂 五 は 彼 女 を 喜 ば せるため いつも 物 をやっている しかし 最 後 にパパイは 敵 の 爆 撃 で 亡 くなり 坂 五 はビ 9 南 方 徴 用 作 家 叢 書 [ビルマ 編 ] 第 7 巻 : 榊 山 潤 (3) ( 龍 溪 書 舎 2010 年 2 月 ) 79
ルマに 派 遣 される 坂 五 は 何 かいい 氣 持 だつた パパイの 素 直 な 喜 びの 鼓 動 が 尐 時 は 室 内 に 殘 つてゐ るやうな 感 じだつた 自 分 には 大 して 必 要 のない 品 物 で 人 が 喜 んで 呉 れるのを 眺 める のは 愉 しい 翌 朝 坂 五 はまた 髭 そりの 後 でつけるクリームを パパイにやつた これは 毛 唐 が 使 用 するものと 見 えて 如 何 にも 濃 く 二 三 度 使 つて 坂 五 は 持 てあました 坂 五 はそれ をパパイにやつて パパイの 喜 びが 日 本 の 蟇 口 の 場 合 と どつちが 大 きいかをためす やうな 氣 持 だつた 盤 谷 挿 話 とチェップの 話 を 比 べてみると 類 似 点 がいくつかある まず パパイとチ ェップは 日 本 軍 人 ( 藤 五 と 坂 五 )に 仕 えるタイ 人 の 女 性 であり 親 日 で 従 順 なタイ 人 の 象 徴 でもあり そこには 日 本 を 男 性 タイを 女 性 とするアナロジーが 用 いられていると 考 え ることができる 二 つ 目 は パパイは 坂 五 から 蟇 口 をもらってから 坂 五 と 親 しくなる こ れに 対 して 藤 五 はチェップの 弟 に 金 平 糖 をやってから チェップの 家 族 のメンバーとして 認 められる しかし 相 手 に 物 を 与 える 行 為 は 日 本 人 の 優 しさや 友 好 関 係 を 表 すだけではな い 物 をあげる 行 為 は あげる 側 ( 日 本 )をもらう 側 (タイ)に 対 し 精 神 的 優 位 に 立 たせ 自 分 ( 日 本 )より 弱 い 者 (タイ)を 守 らなければならないという 感 情 を 引 き 起 こすのである 日 本 人 から 物 をもらうタイ 人 と そのことによって 日 本 を 受 容 するタイとの 関 係 性 は 戦 時 の 日 本 とタイの 関 係 を 象 徴 的 に 表 現 しているようである タイの 土 をタイへ かうして 聲 を 嗄 した 四 十 年 來 の 宿 怨 の 地 パクセ ルアンプラバ ンの 大 都 及 びカンボヂヤの 一 部 が 母 なるタイに 歸 るのだ いままで 笑 ひを 封 じてゐたタ イ 全 民 衆 が 面 を 北 方 に 向 けて 吐 から チヤイヨ を 口 々にいつてゐる 恩 讐 に 綴 られた 永 い 昨 日 も 明 けて 白 象 がほんとの 笑 ひをとり 戻 したのだ ( 白 象 は 微 笑 む 宿 怨 40 年 の 地 メコン 河 の 宝 庫 タイに 還 る 日 読 売 新 聞 1941 年 3 月 12 日 朝 刊 ) 昭 和 15 年 (1940 年 )にタイはフランスに 旧 領 土 の 返 還 を 求 めて 国 境 紛 争 を 起 こした 戦 闘 は 日 本 の 調 停 により 終 了 し タイはフランスから 旧 領 土 を 返 還 された 日 本 の 助 力 で 旧 領 土 を 取 り 戻 したタイの 喜 びは 藤 五 から 金 平 糖 をもらうチェップの 弟 の 話 や 坂 五 から 蟇 口 をもらうパパイの 話 と 重 なっている 言 い 換 えれば もらう 側 のタイは 日 本 人 に 従 順 な チェップやパパイの 描 写 に 反 映 されており それは 戦 時 の 日 本 人 にとって 日 本 人 が 期 待 する タイ 人 を 通 俗 的 かつ 象 徴 的 に 表 象 している 4 チャイヨー と 叫 ぶタイ 人 80
岩 崎 栄 萬 歳 と 榊 山 潤 盤 谷 挿 話 のもう 一 つの 共 通 点 は タイ 人 が 日 本 人 に 対 して 発 する チャイヨー である チャイヨー はタイ 語 であり 日 本 語 の 万 歳 と 同 じ 意 味 を 持 ち 喜 びや 祝 いを 表 すときに 使 う 萬 歳 というタイトルも 部 落 を 通 過 すると 土 民 達 は 仕 事 をやめ 両 手 を 高 く 挙 げ チヤイヨウ チヤイヨウ と 叫 ぶことからつけら れており それは 日 本 軍 に 対 する 歓 呼 の 表 現 である チヤイヨウ と 叫 ぶタイ 人 の 風 景 は 徴 用 作 家 たちの 様 々な 作 品 で 言 及 されている それらの 風 景 は 日 本 人 にとって どのような 意 味 があるのか 次 の 引 用 文 を 見 てみよう 亓 六 人 の 子 供 が これも 向 ふ 側 に 行 くつもりであらう 浦 上 の 車 と 前 の 車 の 間 に どや どやと 駈 けて 入 つた 乘 つてゐる 浦 上 と 岸 が 日 本 人 だと 分 ると 十 くらゐのその 中 の 一 人 が 兩 腕 をあげた チャイヨウ 泰 の 萬 歳 である 他 の 子 供 たちもそれを 眞 似 て 兩 腕 をあげた チャイヨウ バンザイ 車 の 内 で 岸 と 浦 上 もそれに 應 じた 子 供 らは 向 ふ 側 に 走 り 去 つたが どれも 半 裸 體 の 子 供 の 笑 つた 黑 い 顔 が 目 に 殘 つた 張 切 つてゐるな その 後 ろ 姿 を 見 送 つて 愉 しさうに 岸 が 云 つた ( 榊 山 潤 航 空 部 隊 実 業 之 日 本 10 社 1944 年 9 月 ) 榊 山 潤 航 空 部 隊 におけるタイ 人 の 子 供 たちの チャイヨウ は 日 本 軍 人 の 岸 を 張 切 らせる また 清 水 幾 太 郎 は 座 談 會 大 東 亞 靑 尐 年 運 動 の 構 想 11 ( 座 談 會 大 東 亞 靑 尐 年 運 動 の 構 想 時 局 雜 誌 1943 年 6 月 )で 僕 などは 割 合 にセンチメンタルな 性 質 を 有 つてゐるせゐか 異 國 へ 來 て 子 供 が チャイヨー チャイヨーと 聲 を 嗄 してど 鳴 つて くれると 涙 が 出 るほど 嬉 しい と 述 べている タイ 人 の チャイヨー は 他 の 東 南 ア ジアとは 異 なる 風 景 である それに 徴 用 作 家 が 見 ているのは 従 順 な 同 盟 国 としてのタイの 表 象 だけではない タイ 人 の 和 やかな チャイヨー は 日 本 人 に 温 かい 感 情 を 与 え まるで 同 じ 国 民 からの 励 ましを 受 けているような 感 覚 を 与 えるのである このように チャイヨ ー は 日 本 人 にとっては 異 言 語 だが 日 本 とタイが 一 心 同 体 であるような 関 係 を 結 ぶ 言 葉 だ と 読 み 取 れる 萬 歳 の 最 後 に 藤 五 はビルマに 派 遣 され チェップと 別 れることになる 一 方 盤 谷 挿 話 のパパイも 連 合 軍 の 空 襲 で 亡 くなり 坂 五 と 死 別 する 12 双 方 の 作 品 には 戦 争 で 別 れる 話 という 共 通 点 がある 特 に 盤 谷 挿 話 では タイ 人 の 娘 の 死 に 接 した 坂 五 は 唖 然 とし 10 南 方 徴 用 作 家 叢 書 [ビルマ 編 ] 第 6 巻 : 榊 山 潤 (2) ( 龍 溪 書 舎 2010 年 2 月 ) 所 収 本 文 11 南 方 徴 用 作 家 叢 書 [ビルマ 編 ] 第 14 巻 : 平 野 零 児 座 談 会 対 談 ( 龍 溪 書 舎 2010 年 2 月 ) 12 ホテルの 洗 濯 女 の 娘 のパパイの 話 は ビルマの 朝 ( 今 日 の 問 題 社 1943 年 6 月 )でも 登 場 する しかし ビ ルマの 朝 でのパパイは 亡 くなった 友 達 の 写 真 を 矢 木 に 見 せるという 話 である 81
て 眼 を 瞠 っている パパイの 死 ( 被 害 者 としてのタイ)に 対 する 坂 五 の 同 情 には 日 本 人 とタイ 人 の 親 密 な 関 係 性 が 見 られ 戦 時 の 他 の 作 品 でもよく 書 かれている 通 りの 端 には 臨 時 の 食 べ 物 を 賣 る 露 店 まで 出 てゐた 泰 の 高 射 砲 隊 が 初 めて 墜 した 敵 機 すでに 幾 度 も 不 法 な 爆 彈 を 市 中 に 落 した 憎 むべき 英 國 機 それを 現 物 に 行 く 市 民 の 群 れである まるでお 祭 りのやうな 騒 ぎであつた ( 中 略 ) 車 は のろのろと 進 んだ 警 官 の 制 止 も 思 ふやうにならず 狹 い 鋪 道 からあふれ 出 す 人 波 に 速 力 が 出 せなかつた 晝 食 の 時 間 が 過 ぎて ひどく 空 腹 を 感 じ 出 した 浦 上 には それがいくらか 苛 立 たしい が バンコツク 市 民 の 彈 む 鼓 動 を 思 へば そんな 苛 立 ちさ 13 へ 申 譯 ない 感 じだ ( 榊 山 潤 航 空 部 隊 実 業 之 日 本 社 1944 年 9 月 ) 日 本 にとっての 敵 国 である 英 国 機 を 撃 墜 したタイの 人 々(バンコクの 市 民 )の お 祭 りの やうな 騒 ぎ を 見 て 空 腹 からくる 苛 立 ちに 申 し 訳 なさを 感 じる 日 本 軍 人 の 気 持 ちを 通 じて 日 本 とタイが 同 じ 敵 に 向 かい 合 う 同 盟 国 であることを 印 象 づけようとしている 徴 用 作 家 た ちが 描 くタイの 風 景 は 明 るく 日 本 に 好 意 を 持 つ 人 々に 満 ち 他 の 戦 場 とは 違 った 平 和 な 場 所 という 性 格 が 強 い 日 泰 文 化 協 定 は 百 年 千 年 の 懸 案 といふべきでせう 今 後 の 運 用 について 老 婆 心 ながら ただ 一 言 付 け 加 へるとすれば 日 本 は 文 化 的 にも 兄 のやうなつもりで 泰 を 導 かねばならぬといふことです あくまで 指 導 であつて 支 配 のやうな 誤 解 を 持 たせてはならぬ ( 兄 の 氣 持 ちで 導 かう 實 結 ぶ 日 泰 文 化 協 定 読 売 新 聞 1942 年 10 月 29 日 朝 刊 ) こうした 記 事 に 見 られる 兄 の 氣 持 ち という 比 喩 的 表 現 は 戦 時 下 において 大 東 亜 共 栄 圏 を 正 当 化 する 言 説 として 新 聞 雑 誌 をはじめ 多 くのメディアでくりかえし 使 用 されたも のである 藤 五 とチェップ あるいはパパイと 坂 五 の 例 のように 日 本 人 とタイ 人 を 擬 似 的 な 兄 妹 として 描 く 徴 用 作 家 たちの 描 写 のパターンは 自 身 を 兄 として 立 体 化 する 戦 時 下 に 反 復 された 日 本 的 言 説 の 投 影 という 一 面 があることは 否 めない その 上 で タイ 表 象 に 特 色 があるとすれば それがしばしば 妹 として すなわち 女 性 性 が 前 面 化 されるように 描 かれている 点 にあるだろう 5 タイ 文 学 における 日 本 軍 の 表 象 戦 時 中 の 日 本 文 学 におけるタイの 表 象 は 親 日 的 な 表 象 のみが 一 方 的 に 描 かれていた し かし 当 時 侵 略 されたタイ 人 は 日 本 軍 に 対 する 不 穏 な 感 情 を 持 っていた タイは 対 外 的 には 13 南 方 徴 用 作 家 叢 書 [ビルマ 編 ] 第 6 巻 : 榊 山 潤 (2) ( 龍 溪 書 舎 2010 年 2 月 ) 82
日 本 の 同 盟 国 であり 連 合 軍 に 宣 戦 布 告 をしていたが 国 内 では 日 本 の 植 民 地 のように 支 配 され 圧 力 をかけられた 日 タイの 関 係 は 開 戦 直 後 に 締 結 された 日 タイ 同 盟 条 約 に 基 づいて 日 本 軍 のタイ 国 内 通 過 や 駐 留 が 行 なわれていたのだが 日 本 軍 はややもすると 占 領 軍 のようにふるま って 独 立 国 であるタイ 人 のプライドを 傷 つけることが 多 かった たとえば 市 中 のクロ ン( 運 河 )で 白 昼 素 っ 裸 で 水 浴 したり 列 車 で 着 いた 兵 隊 がホームからいっせいに 立 ち 小 便 したり タイ 人 をなぐったり 僧 侶 に 不 敬 を 働 くなどの 行 為 である なかでも 激 しくタイ 民 衆 の 反 感 を 買 ったのが バンポン 事 件 14 であった これは 泰 緬 鉄 道 の 工 事 中 にバンポンという 町 で 鉄 道 第 九 連 隊 の 将 校 がタイ 僧 侶 をなぐったこと から 憤 激 した 民 衆 が 日 本 兵 を 襲 撃 し 数 人 を 殺 害 した 事 件 である ( 市 川 健 二 郎 日 本 占 領 下 タ イの 抗 日 運 動 : 自 由 タイの 指 導 者 たち 勁 草 書 房 1948 年 4 月 ) バンポン 事 件 の 後 タイと 日 本 との 関 係 を 改 善 するため 昭 和 18 年 (1943 年 )1 月 に 15 中 村 明 人 がタイ 駐 屯 軍 司 令 官 に 就 任 し 終 戦 に 到 るまでタイ 国 内 の 活 動 を 取 り 仕 切 った 中 村 明 人 は 両 国 親 善 に 貢 献 し タイの 信 頼 を 得 た いずれにしても 日 本 と 同 盟 国 という 立 場 のタイは 連 合 軍 の 空 襲 を 受 けていた タイ 人 作 家 であるアージン パンジャパンの 戦 時 回 想 録 バム バンコク 16 では 当 時 のタイへの 空 襲 の 状 況 について 次 のように 述 べてい る 日 本 軍 に 侵 略 されてから 僕 は 国 のことを 心 配 し ずっと 恨 みを 抱 いていた だが 今 日 は 最 高 の 幸 せだ!それは 敵 ( 連 合 軍 :タナポーン 注 )の 航 空 機 のしっぽから 煙 が 出 ているのが 見 えたことだ どこから 攻 撃 されたのか 知 らないが そのバンコク 人 がやつ けた 敵 はここに 落 ちて 目 の 前 で 死 につつある (タナポーン 訳 ) 連 合 国 側 により 空 爆 されて 日 本 軍 とともに 空 爆 の 被 害 を 受 けたタイは 日 本 軍 に 同 調 し た つまり 当 時 タイの 日 本 に 対 する 感 情 は 複 雑 で 愛 情 と 憎 しみが 混 ざり 合 ったもので あった これについて 中 村 明 人 は 敗 戦 した 日 本 軍 へのタイ 人 の 態 度 を 次 のように 述 べてい る かれら(タイ 人 :タナポーン 注 )の 日 本 兵 に 対 する 同 情 は 日 一 日 と 高 まっていった 弱 いものを 助 け 貧 しいものに 恵 んでやることは 仏 教 の 教 えである この 教 義 をタイ 人 14 バンポン 事 件 は 1942 年 11 月 24 日 に 勃 発 した 事 件 である その 原 因 は タイ 僧 侶 が 捕 虜 にタバコを 恵 んだ ためである 15 帰 国 後 中 村 明 人 は 太 平 洋 戦 争 期 のタイの 状 況 についての ほとけの 司 令 官 駐 タイ 回 想 録 ( 日 本 週 報 社 1958 年 6 月 )を 執 筆 した 以 下 中 村 の 発 言 は 同 書 による 16 อาจ นต ป ญจพรรค. บอมบ กร งเทพฯ. สาน กพ มพ มต ชน. กร งเทพมหานคร, 2541.(1998 年 ) 83
は 戦 後 如 実 にわれわれに 示 してくれた バナナ 売 りのお 婆 さんが その 日 の 糧 にひさぐ 商 品 を 惜 しげなく 使 役 に 疲 れて 帰 る 日 本 兵 の 雑 嚢 に 押 し 入 れてくれたり 交 番 の 巡 査 が 疲 れた 兵 を 列 からつれ 出 して 付 近 の 店 でコーヒーや 牛 乳 を 飲 ましてくれたり 車 夫 が 車 賃 はいらないから 乗 れとすすめてくれたりしたという 例 は 毎 日 のようにあった 中 村 は 苦 しんでいる 日 本 軍 人 を 助 けるこのようなタイ 人 の 態 度 は シンガポールと( 略 ) まったく 天 地 の 差 でシンガポールでは 日 本 軍 に 敵 意 を 持 ち まったく 人 道 を 無 視 し 復 讐 的 だとも 述 べている 日 本 軍 に 対 する 同 盟 国 タイの 複 雑 な 距 離 感 は トムヤンティ 17 の メナムの 残 照 18 の 中 でも 描 写 されている メナムの 残 照 の 原 題 は 運 命 の 相 手 を 意 味 する クーガム(ค กรรม) で 1967 年 に 雑 誌 シーサヤーム で 連 載 され 翌 1968 年 に 初 版 が 刊 行 された クーガ ム は 戦 後 の 作 品 だが 著 者 であるトムヤンティは 戦 時 中 のタイを 描 く 上 で 戦 争 に 関 する 資 料 の 他 に 幼 い 頃 の 記 憶 と 知 り 合 いの 元 連 合 軍 人 フェルディナンド 氏 の 証 言 を 素 材 に して 書 いたとされている また 主 人 公 コボリ はタイ 駐 屯 軍 司 令 官 の 中 村 明 人 をモデル としている 19 トムヤンティは 軍 人 である 父 から 中 村 明 人 のことを 聞 かされていた メナム の 残 照 の 物 語 は 実 際 の 歴 史 に 沿 って 設 定 されている 物 語 は 開 戦 の 直 前 に 始 まり 自 由 タイ 運 動 のパラシュート 事 件 (1944 年 3 月 6 日 )について 述 べられ 最 後 にバンコク ノ ーイ 駅 が 空 爆 された 事 件 ( 同 年 11 月 29 日 )で 終 わる メナムの 残 照 はタイで 6 度 テレ 20 ビドラマ 化 4 度 映 画 化 1 度 ミュージカル 化 もされている 21 メナムの 残 照 の 中 の 小 堀 と アンスマリン の 悲 劇 的 な 愛 の 物 語 はほとんどのタイ 人 が 共 有 しており メナム の 残 照 はタイ 人 の 側 から 見 る 日 本 のイメージを 表 す 代 表 的 な 作 品 といえる この メナム の 残 照 の 粗 筋 を 尐 し 紹 介 したい 海 軍 士 官 であった 父 親 のルアンはアンスマリン(アン)が 生 まれた 直 後 イタリアに 留 学 する 帰 国 後 ルアンはアンの 母 親 オーンと 離 婚 し アンは 母 親 に 引 き 取 られる 貧 しい 生 活 の 中 アンは 母 親 と 祖 母 の 愛 をうけ 成 長 し 大 学 に 進 学 する アンの 小 さい 時 からの 遊 び 友 達 に 村 長 の 一 人 息 子 で 工 学 部 に 通 う 大 学 生 ワナスがいた 彼 は 5 年 間 のイギリス 留 学 に 発 つ 前 に アンに 愛 を 告 白 し 彼 女 に 自 分 の 帰 りを 待 ってくれるよう 求 める 昭 和 16 年 ( 1941 年 )12 月 8 日 に 日 本 軍 はタイに 進 駐 し バンコクに 駐 留 する 日 本 軍 はアンの 家 の 近 くに あった 小 さな 造 船 所 を 買 い 取 り 沿 岸 や 河 川 を 航 行 する 小 型 船 を 造 るようになる その 造 船 所 の 所 長 のコボリはアンに 好 感 を 抱 くが タイに 進 駐 している 日 本 軍 への 反 発 が 強 いアンは 17 トムヤンティの 本 名 はウィモン シリパイブーンである 1937 年 バンコクに 生 まれる タマサート 大 学 商 学 部 を 卒 業 する 14 歳 より 文 筆 になじみ 20 歳 で 長 編 を 発 表 する トムヤンティは 作 家 として 活 躍 するだけでは なく タイ 女 流 作 家 協 会 会 長 タイ 王 国 上 院 議 員 を 歴 任 した 18 トムヤンティ メナムの 残 照 ( 上 下 ) ( 西 野 順 次 郎 訳 角 川 文 庫 1978 年 12 月 )のち メナムの 残 照 上 下 ( 大 同 生 命 国 際 文 化 基 金 1987 年 12 月 ) 引 用 は 後 者 による 19 สรรพส ร ว ร ยศ ร. ส มพ นธม ตรถล มบางกอกน อย. ศ ลปว ฒนธรรม. 11, 8. 2533.(1990 年 ) 20 1970 年 1972 年 1978 年 1990 年 2004 年 2013 年 にテレビドラマ 化 された 21 映 画 化 されたのは 1973 年 1988 年 1995 年 2013 年 で ミュージカル 化 されたのは 2004 年 である また ミュー ジカル クーガム は 2007 年 に 再 上 演 された 84
コボリを 冷 たくはねつける しかし 二 人 の 関 係 についての 噂 が 村 で 広 まったことを 機 に コ ボリが 日 本 軍 司 令 官 の 甥 であることや アンの 父 親 がタイの 高 級 海 軍 将 校 であったことから タイ 日 親 善 という 政 治 目 的 もからみ アンはコボリと 結 婚 することになる タイの 地 下 工 作 活 動 で 困 っているアンの 周 りの 人 を 助 けるため アンはコボリを 愛 していく しかし ワナ スと 約 束 しているアンはコボリに 自 分 の 気 持 ちを 伝 えることができない 最 後 に 連 合 軍 の 空 爆 でコボリは 重 傷 を 負 う アンは 瀕 死 のコボリを 胸 に 抱 かかえ 自 分 の 思 いを 伝 える コボ リはアンの 胸 の 中 で 息 絶 える 高 橋 勝 幸 は 日 本 軍 のイメージが 悪 い 中 で 小 堀 は 理 想 の 日 本 人 として 人 口 に 膾 炙 してい る タイ 人 女 性 が 日 本 人 を 見 ると 小 堀 と 声 を 掛 けるほどである それはテレビや 映 画 の 影 響 であろう タイ 人 女 性 が 日 本 人 を 見 ると 小 堀 と 声 をかけるぐらいその 名 前 は 浸 透 している 僕 は 1987 8 年 にタイに 交 換 留 学 したが やはり 小 堀 と 学 生 寮 の 食 堂 のお ばちゃんなどに 声 をしばしば 掛 けられた 22 と 述 べている タイ 人 にとって 小 堀 は 日 本 人 の 総 称 として 使 われるほど 最 も 有 名 な 日 本 人 の 名 前 である 永 遠 の 恋 と 日 本 像 ドラ マクーカム( ママ ) ノパドル モンコンパンさん 23 によれば コボリ はタイ 人 の 心 に 入 り 込 み 日 本 と 日 本 人 に 対 するイメージをもつくり 出 している ということである つまり タイ 人 の 心 を 広 く 捉 える メナムの 残 照 は タイにおける 日 本 またはタイ 人 の 日 本 人 に 対 する 表 象 を 生 成 していると 言 える また メナムの 残 照 において 生 成 された 日 本 の 表 象 ( 他 者 表 象 )の 中 には タイの 自 己 表 象 も 潜 んでいると 思 われる 自 分 で 認 識 している 自 分 と 他 の 人 から 見 た 自 分 の 姿 には 相 違 がある 本 人 が 気 づいてい ない 側 面 を 他 の 人 は 気 づいていたり 逆 に 自 分 だけが 知 っていて 他 の 人 に 気 づかれていな い 側 面 があったりもする 自 分 で 思 っている 自 分 を 自 画 像 他 の 人 から 見 た 自 分 を 他 画 像 という 親 日 のタイは 徴 用 作 家 たちの 視 点 で 描 かれたタイであり 日 本 人 によるタイ の 他 画 像 が 見 られるとしたら メナムの 残 照 はタイ 人 の 視 点 で 描 かれたタイであり タイの 自 画 像 が 見 られると 言 える このタイの 自 画 像 がいかに 描 写 されているのか を 次 に 考 察 する メナムの 残 照 のアンスマリンの 家 は コボリの 造 船 所 ( 日 本 人 の 空 間 )の 近 く 萬 歳 のチェップの 家 と 同 様 に 果 樹 園 や 菜 園 がある タイ 式 の 家 である このアンスマリンの 家 の 空 間 は 機 械 だらけの 日 本 の 造 船 所 と 異 なり 自 然 的 でタイ 式 な 空 間 だと 考 えられる ア ンスマリンの 家 族 は 祖 母 と 母 親 というように 女 性 ばかりであり チェップの 家 族 のように 弱 者 ( 女 性 )の 空 間 として 捉 えることができる しかし 日 本 軍 を 大 歓 迎 するチェップの 家 に 対 し トムヤンティが 描 いた タイの 空 間 であるアンスマリンの 家 は 日 本 軍 に 荒 され るだけでなく イギリス 人 の 捕 虜 にも 入 られ 連 合 軍 にも 空 爆 される これは 日 本 軍 にも 連 合 軍 にも 侵 略 されていた 当 時 のタイの 自 己 表 象 であると 考 えられる メナムの 残 照 について トムヤンティは 初 めからこの 本 を 日 本 人 に 読 んでもらいた 22 タイにおける 第 二 次 大 戦 の 記 憶 自 由 タイ メナムの 残 照 王 朝 四 代 記 を 中 心 に ( 地 球 宇 宙 平 和 研 究 所 所 報 2007 年 12 月 ) 23 西 日 本 新 聞 (2004 年 4 月 23 日 ) 85
い 希 望 を 有 していた 24 と 述 べている トムヤンティは 意 図 的 にアンスマリンをタイの 自 画 像 として 生 成 し 理 想 的 なタイ 人 女 性 として 描 写 していると 考 えられる これは 日 本 が 見 た 南 洋 女 性 のステレオタイプから 脱 し 小 柄 白 い 肌 大 きな 眼 を 持 つ 娘 である また 彼 女 はタイ 式 の 家 に 住 み タイの 楽 器 キム を 演 奏 するように 典 型 的 なタイ 人 でありながら 日 本 語 も 英 語 も 話 すことができるインテリ 女 性 である このように タイ 女 性 を 代 表 するア ンスマリンのイメージは 岩 崎 など 徴 用 作 家 たちが 描 いたタイの 女 性 像 とは 全 く 異 なる そ れは 特 に 彼 女 の 反 日 態 度 に 表 れている わたし あんな 奴 と 話 したくない 大 嫌 い どうしたの アン 戦 争 と 個 人 とは 別 よ 彼 らにはあの 人 たちの 任 務 があるのだし わたしたちはわたしたちの 仕 事 をすればよいの ただ 友 好 的 に 話 しかけられても 何 も 迷 惑 にならないでしょう 大 嫌 いよ! 娘 は 強 く 言 い 放 ち さらに 続 けた いやな 奴 らに 近 寄 ってもらい たくないの とにかく 日 本 人 が 嫌 いだわ アンスマリンは 愛 国 者 で 日 本 に 嫌 悪 感 を 持 つ 彼 女 は 女 性 として 弱 い 立 場 に 居 ながら も タイ 人 としてのプライドを 持 って 日 本 軍 を 残 酷 野 蛮 だと 批 判 し 日 本 に 服 従 しないタイ 人 像 を 表 している 敵 国 人 のコボリと 結 婚 させられても 彼 女 は 自 分 の 民 族 を 裏 切 りたく ないと 自 分 の 愛 国 心 を 肯 定 する しかし 結 婚 後 のアンスマリンは 敵 が 損 害 を 受 ければ 喜 ぶべきことであったが それが 今 では 逆 の 感 情 が 湧 いて 日 本 軍 に 同 情 を 表 す 日 本 の 軍 人 に 同 情 したり またイギリス 軍 人 を 助 けたりするアンスマリンは 他 人 の 痛 みを 自 身 の 痛 みと 感 じ 互 いに 助 け 合 う 仏 教 の 教 えの 影 響 とされるタイの 国 民 性 を 示 した ものだと 思 われる つまり タイは 日 本 ほど 強 く なく 日 本 のように 残 酷 でもない 平 和 調 和 を 愛 し 困 っている 者 を 助 けるタイ これがトムヤンティが 伝 えたい 自 画 像 である 一 方 コボリ 海 軍 大 尉 を 見 てみると コボリは 日 本 軍 司 令 官 の 甥 であり 背 の 高 い 青 年 将 校 で 立 派 な 造 船 所 長 である コボリのイメージは 他 の 日 本 軍 人 と 異 なり タ イ 人 にとっての 理 想 的 な 日 本 軍 人 として 描 かれている 全 滅 したのだろう それで 所 長 はどうしたかね まだ 死 んでいませんわ それはよかった! ポンは 心 から 叫 んだ 被 害 を 受 けたと 聞 いてやはり 彼 のことが 気 になったよ どういうわけかわからないが ニッポンはみんな 虫 が 好 かないが 奴 だけは 別 だ 彼 とは 何 回 も 問 題 を 起 こしたが そ れは 親 しいからだよ ほんとうに 日 本 人 であるのは 残 念 だ 24 訳 者 のあとがき メナムの 残 照 下 ( 大 同 生 命 国 際 文 化 基 金 1987 年 12 月 ) 86
コボリは 愛 するタイ 人 女 性 アンスマリンの 存 在 から タイ 人 をよく 助 けている 一 方 25 インターネット 上 での 日 本 人 読 者 の 感 想 によると コボリは 軍 人 としては 落 第 であり 気 弱 で 柔 弱 な 日 本 軍 人 である しかし 仏 教 の 教 えを 内 面 化 したタイ 人 は コボリがタイ 人 を 助 けることを 行 儀 がよい と 認 め マリ(コボリ:タナポーン 注 )のように 女 房 を 愛 する 旦 那 を 見 たことがない とほめている コボリはやさしい 日 本 人 として 描 かれており 日 本 の 固 有 名 コボリ の 代 わりに 周 囲 の 人 々から マリ 26 と 呼 ばれる 萬 歳 などに は 見 られない コボリのような 日 本 軍 人 は タイ 人 にとっての 理 想 的 な 日 本 人 として 生 成 さ れていると 言 える 小 堀 が 転 勤 を 延 期 し 彼 女 と 婚 約 したことは 新 聞 も 大 きく 取 り 上 げて 発 表 していたの で 村 人 たちの 話 題 の 中 心 となった オーンの 娘 は 幸 福 よ! アンスマリンにとってこのような 噂 を 聞 くのは 心 苦 しいことであった 今 や 瞬 時 にして 村 人 たちの 侮 蔑 の 陰 口 は 消 えて 彼 女 は 幸 福 な 人 に 変 わってしまった あの 口 うるさい ミヤンばあさんも ときどき 顔 を 出 してはお 世 辞 を 言 っていくのであった オーンさん 用 事 があればいつでも 手 伝 いますよ アンも 幼 いときから 知 っている 隣 同 士 だから こんな 幸 福 が 舞 い 込 むなんて 夢 のようだね 軍 司 令 官 から 真 珠 やダイヤモ ンドやお 金 など たくさん 贈 られたらしいね 作 中 において タイ 人 女 性 が 日 本 軍 人 と 結 婚 することは 幸 福 なことと 見 なされてい る 日 本 軍 人 と 親 しくしているアンスマリンの 家 は チーズ バター ハム コンデンスド ミルク 牛 乳 など 戦 時 中 に 手 に 入 りにくい 物 をもらい 一 般 人 より 優 遇 されていると 言 え る このような 描 写 は 徴 用 作 家 たちが 書 いたタイ 人 (もらう 側 )と 日 本 人 ( 与 える 側 )の 関 係 (チェップと 藤 五 パパイと 坂 五 )と 重 なっており もらう 側 のタイのイメージが 反 復 して 描 写 されている しかし 一 方 で このことは 村 人 たちに 注 目 され 嫉 妬 のあまり 非 国 民 とまで 言 われ 日 本 人 と 子 供 ができても タイ 人 ではないのが 玉 に 傷 だ と 言 われ る 国 家 間 の 友 好 関 係 という 政 治 的 な 理 由 のため コボリと 無 理 やり 結 婚 させられたアン スマリンは 日 本 に 領 土 を 侵 略 され 同 盟 条 約 を 結 ばされたタイの 状 況 と 重 なる アンスマ リンは 日 本 人 に 反 感 を 抱 きつつ 困 った 時 にはいつもコボリに 助 けてもらう これも 戦 時 中 のタイの 状 況 が 反 映 されていると 考 えられる つまり 日 本 は 侵 略 者 と 見 なされなが らも フランスに 奪 われたタイの 旧 領 土 を 取 り 戻 す 際 にはタイを 援 助 しており また タイ 25 メナムの 残 照 考 インターネット ホームページ http://kuruzou.zero-yen.com/sunset.htm ( 2010 年 10 月 28 日 参 照 ) 26 ジャスミンという 意 味 がある タイ 人 にとって ジャスミンとは 日 本 の 桜 と 同 様 の 存 在 で また 仏 様 にお 供 えする 花 輪 を 編 む 時 の 材 料 の 一 つとしても 使 われる 87
は 日 本 軍 から 大 きな 被 害 を 受 けることがなかった これに 対 して タイ 人 は 日 本 軍 とともに 連 合 軍 による 空 襲 で 被 害 を 受 けた 戦 争 を 時 間 的 空 間 的 に 共 有 していたため 戦 争 に 敗 れ た 日 本 軍 に 対 して タイは 同 情 するしかなかった このようなタイと 日 本 との 関 係 が アン スマリンとコボリの 愛 と 憎 しみに 溢 れた 複 雑 な 関 係 として 表 現 されているのである 6 まとめ 戦 時 下 の 日 本 文 学 におけるタイの 表 象 の 特 色 は 岩 崎 栄 萬 歳 榊 山 潤 盤 谷 挿 話 高 見 順 高 見 順 日 記 など 徴 用 作 家 たちの 言 説 に 典 型 的 に 表 われるように ビルマなどのよ うな 前 線 とは 対 照 的 な 後 衛 地 としての 側 面 にある もちろん 榊 山 潤 航 空 部 隊 やタイの 作 家 たちが 描 くように 日 本 の 同 盟 国 であるタイは 連 合 国 によって 襲 撃 される 戦 場 でもあり そうした 一 面 も 点 景 として 表 現 される しかし 徴 用 作 家 たちのテクストで 前 景 化 するのは レストラン ダンス ホール ホテル 映 画 館 音 楽 酒 女 そして チャイヨーなどの 癒 し の 空 間 であり 日 タイ 同 盟 を 背 景 として 日 本 軍 を 歓 迎 し 服 従 するタイの 姿 である そうしたタイ 表 象 の 背 景 には 大 東 亜 共 栄 圏 を 支 える 日 本 とアジアとの 関 係 性 のモデルであ る つまり 兄 である 日 本 とその 庇 護 や 指 導 を 受 けるべき 弟 妹 であるアジア 諸 国 諸 地 域 という 大 衆 的 な 次 元 で 共 有 されていた 関 係 性 のモデルである そうしたモデルは 岩 崎 栄 萬 歳 や 榊 山 潤 盤 谷 挿 話 など 徴 用 作 家 のテクストには 兄 のような 日 本 の 軍 人 と その 妹 のようなタイの 女 性 という 組 み 合 わせを 通 して 典 型 的 なかたちで 描 かれている 兄 を 歓 迎 する 妹 としてのタイは なぜ 妹 なのだろうか たとえば 松 岡 英 夫 ビルマの 話 ( 児 童 図 書 館 出 版 社 1944 年 11 月 )の 第 1 章 ビルマといふ 國 には ビ ルマは いはば 日 本 の 幼 い 弟 のやうな 國 です 兄 としては 弟 のことは 隅 から 隅 まで 知 つ てゐて 何 かと 面 倒 をみてやらなければなりません という 表 現 がある 日 本 は 何 かと 面 倒 を 見 てやらなければ ならない 兄 として 自 身 を 主 体 化 し 庇 護 や 指 導 の 名 のもとに 擬 似 的 な 兄 弟 兄 妹 関 係 を 強 いる 戦 時 下 のモデルが 看 取 されよう 27 ここではビルマを 弟 として 語 っている ビルマを 弟 とし タイを 妹 として 語 るのは 戦 時 下 における 大 東 亜 共 栄 圏 についての 同 じ 言 説 モデルの 投 影 だとしても 両 者 の 表 象 の 結 び 方 には 何 の 違 い もないのだろうか 弟 と 妹 は 入 れ 替 えてもかまわない 性 格 のものであろうか タイについては チェップやパパイが 弟 ではなく やはり 妹 のような 娘 であった ことには 理 由 があるように 思 われる ひとつには タイがビルマのような 前 線 ではなく 後 衛 の 癒 し の 空 間 として 表 現 されていたことと 関 係 していよう 萬 歳 や 盤 谷 挿 話 の 妹 のような 娘 たちは もちろん 文 字 通 りの 妹 ではなく 恋 人 の 一 面 を 兹 ねたような 存 在 でもある その 存 在 は レストラン ダンス ホール ホテル 映 画 館 音 楽 酒 などに よる 異 国 タイの 中 心 に 位 置 するのにふさわしい ただし チェップやパパイは 文 字 通 りの 恋 人 でもなく 妹 のような 娘 という 性 格 を 失 わない それは 異 国 で 戦 う 兵 士 にとって 故 郷 27 松 本 常 彦 ビルマの 竪 琴 以 前 ( 松 本 常 彦 大 島 明 秀 編 九 州 という 思 想 花 書 院 2007 年 3 月 ) 88
に 残 してきた 庇 護 すべき 存 在 母 や 妹 や 娘 などの 女 性 たちの 代 理 的 な 表 象 でもあるだろう 日 タイ 同 盟 を 結 び チャイヨー と 叫 ぶタイが 女 性 性 を 前 景 化 するかたちで 表 象 される 理 由 のひとつは その 点 に 求 められる チェップやパパイが 妹 のようでもあり 恋 人 のようでもあるのは 庇 護 すべき 存 在 としての 女 性 なるものを 代 表 しているからである 興 味 深 いのは 戦 後 のタイの 作 家 が 戦 時 下 において 徴 用 作 家 たちが 用 いた 日 本 軍 人 とタ イ 人 女 性 のロマンスのパターンを 使 用 している 点 である 日 本 の 戦 争 犯 罪 が 問 われる 戦 後 に おいて 戦 時 下 の 日 本 の 軍 人 と 自 国 の 女 性 を 主 人 公 として その 二 人 のロマンスを 理 想 化 さ れたかたちで 描 くというのは タイ 以 外 には 例 を 求 めにくいのではないだろうか しかも その 作 品 メナムの 残 照 は 小 説 としてのみならず テレビドラマ 映 画 ミュージカル など 種 々のメディアを 通 して 広 く 受 容 され 人 気 も 根 強 いために それぞれの 分 野 で くり かえしリメークされている こうした 受 容 のあり 方 も アジアの 他 の 国 家 や 地 域 では 想 像 し にくい 事 態 であろう こうした 受 容 のあり 方 が 示 唆 するのは メナムの 残 照 における 日 本 軍 人 とタイの 女 性 という 組 み 合 わせが 特 殊 例 外 的 なものというより そういう 組 み 合 わ せを 受 容 する 土 壌 の 存 在 ということであろう そうした 土 壌 を 形 成 する ひとつの 水 脈 とし て 徴 用 作 家 たちが 描 いたタイ 表 象 を 再 考 してみる 必 要 があるだろう ただし それは 単 純 な 反 復 ではない メナムの 残 照 におけるタイの 女 性 (アンスマリ ン)は 愛 国 的 で それゆえ 反 日 感 情 を 持 っていたし 日 本 人 の 主 人 公 (コボリ)も 例 外 的 な 日 本 人 という 一 面 が 強 調 され タイ 人 の 期 待 にそうような 変 形 された 日 本 人 となってい る このコボリに 対 するアンスマリンの 葛 藤 には 戦 時 下 に 表 明 できなかった 日 タイ 関 係 が 再 現 されているようにも 見 える また メナムの 残 照 は 1990 年 代 になってもテレビド ラマ 化 され タイの 国 民 的 スターであるトンチャイ マックインタイが コボリ を 演 じた こともあって 大 ブームを 巻 き 起 こした たとえば そういう 現 象 を 戦 時 下 の 記 憶 だけで 解 釈 するのは 明 らかに 一 面 的 でしかない テレビドラマ 化 も 映 画 化 も 1970 年 代 以 降 のこと である その 当 時 の 日 本 は 敗 戦 国 から いわゆる 高 度 経 済 成 長 を 遂 げ アメリカ 合 衆 国 を 追 う 経 済 大 国 になっていた 自 立 的 で 反 日 的 なアンスマリンが タイ 人 にやさしい 日 本 人 コ ボリとの 間 に 繰 り 広 げられる 葛 藤 に 満 ちた 愛 憎 劇 は 戦 後 復 興 と 高 度 経 済 成 長 を 遂 げ 戦 前 と 同 じように 経 済 や 文 化 を 通 じて 再 びタイに 上 陸 してきた 経 済 大 国 日 本 への 愛 憎 や 葛 藤 を 二 重 写 しにするものとして 受 容 されているのではないか つまり メナムの 残 照 は 戦 時 下 の 徴 用 作 家 たちが 描 写 したタイと 経 済 的 成 長 を 遂 げた 日 本 に 対 するタイの 側 からのま なざしが 合 流 する 場 所 になっている 政 府 は 投 資 奨 励 委 員 会 を 一 九 亓 九 年 に 設 置 し 外 資 進 出 の 際 のタイ 側 の 受 け 皿 とした また 産 業 投 資 奨 励 法 も 改 定 し 外 資 に 魅 力 的 な 環 境 をつくり 出 した この 結 果 タイに 進 出 する 外 国 企 業 は 増 加 し タイの 輸 入 代 替 型 の 工 業 化 が 進 展 することになった ( 中 略 ) 一 九 六 〇 年 代 だけで 日 系 企 業 を 中 心 に 八 社 がタイに 進 出 した この 結 果 一 九 六 一 年 のタイにおける 自 動 車 組 立 台 数 は 亓 二 亓 台 に 過 ぎなかったが 一 九 六 八 年 には 一 万 四 89
〇 〇 〇 台 にまで 増 加 した ( 柿 崎 一 郎 物 語 タイの 歴 史 微 笑 みの 国 の 真 実 中 公 新 書 2007 年 9 月 ) こうした 経 済 状 況 の 中 で 1967 年 に 発 表 され 1970 年 にドラマ 化 された メナムの 残 照 におけるタイ 人 にやさしい 理 想 的 な 日 本 人 としてのコボリのイメージはタイ 人 の 日 本 人 に 対 する 好 感 度 を 上 げ 外 資 に 魅 力 的 な 環 境 をつくり 出 すために 生 成 されたと 考 えられる 1960 年 代 の 日 本 企 業 の 急 激 な 進 出 による 日 本 商 品 の 氾 濫 と 対 日 貿 易 赤 字 の 拡 大 はタイ 人 の 日 本 に 対 する 不 満 をもたらし 1972 年 の 反 日 運 動 の 原 因 となった 興 味 深 いのは 反 日 運 動 の 翌 年 メナムの 残 照 は 映 画 化 され 好 評 を 得 ている 点 である 28 こうした 現 象 によっ て 日 本 とタイの 経 済 的 関 係 が 復 活 が 可 能 となっただけではなく 現 在 まで 日 本 人 による 戦 争 や 経 済 進 出 に 対 するタイ 人 の 反 日 感 情 が 薄 らいだと 考 えられる 28 ก เลน ประลองเช ง. (2556, 29 ส งหาคม). ค กรรม 1. ไทยร ฐ. เข าถ งได จาก http://www.thairath.co.th/column/pol/ chuckthong/338933 (ว นท ค นข อม ล 29 ส งหาคม 2556) (2013 年 8 月 29 日 参 照 ) 90
第 5 章 1970-1980 年 代 のミステリー 小 説 におけるタイ 1 はじめに 第 二 次 世 界 大 戦 後 第 1 章 で 述 べたように タイは 戦 時 中 の 反 日 組 織 自 由 タイ 運 動 によって 敗 戦 国 という 扱 いを 免 れ 戦 時 中 は 同 盟 国 であった 日 本 との 関 係 はしばらく 断 絶 した その 代 わりに アメリカとの 関 係 が 良 好 となり アメリカによる 様 々な 支 援 を 受 けた 1967 年 ベトナム 戦 争 に 従 軍 するアメリカ 軍 兵 士 がタイで 休 暇 を 過 ごすため タ イ 政 府 はアメリカ 軍 と レスト アンド レクリエーション 条 約 を 締 結 する 条 約 の 締 結 に 伴 い タイの 首 都 バンコクは 急 速 に 発 展 したが 一 方 で 娯 楽 施 設 や 性 産 業 などの 施 設 も 増 加 し そのためタイは セックスパラダイス と 呼 ばれるようになる また 1974 年 に 公 開 された 映 画 007 シリーズ 黄 金 銃 を 持 つ 男 (The Man with the Golden Gun)はタ イが 舞 台 となっており 人 気 映 画 の 舞 台 としてタイは 広 く 海 外 に 紹 介 された 観 光 の 面 だ けではなく 1960 年 代 以 降 は 再 び 国 交 が 回 復 してから 日 本 企 業 の 海 外 進 出 のため 多 く の 日 本 人 がタイを 訪 れた それと 関 連 してタイの 旅 行 記 や 小 説 なども 多 く 執 筆 されるよ うになった 1960 年 代 以 降 のタイを 舞 台 とした 日 本 文 学 において 例 えば 三 島 由 紀 夫 暁 の 寺 ( 新 潮 1968 年 9 月 -1970 年 4 月 )について 久 保 田 裕 子 は 高 度 に 資 本 主 義 化 さ れた 日 本 というイメージとして 表 象 されている またジャントラパー 姫 は 肉 の 厚 い シャム 薔 薇 として 女 性 ジェンダー 化 されたタイのイメージ 表 象 を 体 現 した 存 在 である が 本 多 は 彼 女 に 託 して タイを 異 性 愛 のまなざしのもとに 女 性 ジェンダーとして 固 定 化 し 審 美 的 対 象 として 見 ている 1 と 指 摘 している 女 性 ジェンダーやセクシュアリティと 結 びつけるタイの 表 象 は 1980 年 2000 年 代 のタイを 舞 台 にした 日 本 のロマンス 小 説 にも 見 られる メータセート ナムティップは 五 つのロマンス 小 説 2 を 取 り 上 げて 次 のように 分 析 している 訪 れた 日 本 人 旅 行 者 の 目 には 南 国 タイは 性 的 な 期 待 倦 むことなき 官 能 性 あくこ となき 欲 望 を 挑 発 する 場 所 で 日 本 本 土 ではもちえない 性 的 体 験 を 誘 発 する 場 所 として 映 っている また 1970 年 代 から 主 要 産 業 となった 観 光 業 とともに 発 展 した 性 風 俗 産 業 によって セックス 天 国 としてのイメージが 外 国 人 旅 行 者 にとって タ 1 久 保 田 裕 子 近 代 日 本 における タイ イメージ 表 象 の 系 譜 昭 和 10 年 代 の 南 洋 へのまなざし ( 立 命 館 言 語 文 化 研 究 2010 年 1 月 ) 2 宮 本 輝 愉 楽 の 園 ( 初 出 : 文 藝 春 秋 1986 年 5 月 -1988 年 3 月 ) 嵐 山 光 三 郎 蘭 の 皮 膜 ( 小 説 新 潮 1989 年 8 月 ) 山 田 詠 美 天 国 の 右 手 ( 贅 沢 な 恋 人 たち 幻 冬 舎 1994 年 4 月 ) 佐 藤 亜 有 子 ボディ レンタル ( 初 出 : 文 藝 1996 年 冬 季 号 ) 辻 仁 成 サヨナライツカ ( 初 刊 : 世 界 文 化 社 2001 年 1 月 )がある 91
イ 社 会 の 固 定 イメージとなっていることは 否 めない (メータセート ナムティップ 日 本 文 学 にみるタイ 表 象 オリエンタリズムのまなざしから 観 光 のまなざしへ 立 命 館 言 語 文 化 研 究 2010 年 1 月 ) ロマンス 小 説 におけるタイは 基 本 的 には セックス 天 国 として 官 能 的 な 表 象 が 焦 点 化 され 前 景 化 されている これについて 第 1 章 の 読 売 新 聞 や 第 2 章 の 旅 行 記 におい ても 買 春 街 としてのタイは 繰 り 返 し 書 かれていた つまり 官 能 的 なタイは 1960 年 代 の 日 本 人 の 関 心 を 引 く 話 題 なのである しかし 読 売 新 聞 や 旅 行 記 によれば 戦 後 の タイは セックス 天 国 だけでなく 政 治 的 不 安 定 や 様 々な 社 会 問 題 を 抱 えた 犯 罪 都 市 と 見 なされた こうした 背 景 により タイは 1970 年 代 から 1980 年 代 にかけてミステリー 小 説 の 舞 台 としてよく 使 われている 例 えば 西 東 登 蟻 の 木 の 下 で ( 講 談 社 1976 年 7 月 ) 山 本 恵 三 新 黄 金 の 三 角 地 帯 (スポニチ 出 版 1980 年 10 月 ) 谷 恒 生 一 人 っ きりの 戦 場 ( 小 説 推 理 1980 年 7 月 8 月 ) 胡 桃 沢 耕 史 ロン コン ( 問 題 小 説 1980 年 5 月 ) 胡 桃 沢 耕 史 ロン コン PARTⅡ ( 問 題 小 説 1980 年 12 月 ) 中 村 敦 夫 チェ ンマイの 首 : 愛 は 死 の 匂 い ( 講 談 社 文 庫 1983 年 8 月 ) 谷 克 二 蒼 き 火 焔 樹 ( 徳 間 書 店 1988 年 12 月 ) 和 久 峻 三 山 田 長 政 の 秘 宝 シャム 日 本 人 町 の 超 人 ( 野 性 時 代 1986 年 8 月 ~11 月 ) 山 本 恵 三 黒 き 魔 境 を 撃 て ( 廣 済 堂 文 庫 1988 年 1 月 ) 中 津 文 彦 バンコ ク 狙 撃 指 令 ( 野 性 時 代 1990 年 1 月 ~3 月 )などがある ミステリー 小 説 には かくれた 秘 密 の 捜 査 と 発 見 という 本 質 があり ハードボイルド 探 偵 小 説 スパイ 小 説 ゴシック ロマンス 犯 罪 スリラーなど 3 の 様 々なジャンルが 含 まれている また ミステリー 小 説 は 社 会 現 象 と 深 く 関 わっている これについて 内 田 隆 三 は 次 のように 述 べている 探 偵 小 説 という 物 語 の 内 部 に 起 こっている 出 来 事 と 大 都 市 という 現 実 に 起 こってい る 出 来 事 とのあいだに 素 朴 な 因 果 関 係 を 設 定 しているからである それは 物 語 の 空 間 と 現 実 の 空 間 をごく 安 易 な 仕 方 でつなげてしまうことになる われわれとしてはそこで 立 ち 止 まるのでなく 探 偵 小 説 に 起 こっている 不 安 なたわむれを 探 偵 小 説 を 構 成 するデ ィスクールそのものから 理 解 するべきだろう ( 内 田 隆 三 探 偵 小 説 の 社 会 学 岩 波 書 店 2001 年 1 月 ) 大 衆 に 読 まれるミステリー 小 説 では 大 都 市 という 現 実 に 起 こっている 出 来 事 が 設 定 されているため 1970-1980 年 代 のタイを 舞 台 としたミステリー 小 説 では 当 時 の 日 本 人 が 関 心 を 持 つタイに 関 する 出 来 事 や 言 説 を 基 にストーリーが 生 成 されたのである このよ うに ミステリー 小 説 は 第 1 部 で 取 り 上 げたメディアとの 影 響 関 係 が 大 きい 一 方 ミス テリー 小 説 で 物 語 の 内 部 に 起 こっている 出 来 事 という 要 素 によってミステリー 小 説 な 3 J.G.カウェルティ 冒 険 小 説 ミステリー ロマンス ( 研 究 社 出 版 1984 年 10 月 ) 92
りにそれぞれの 個 別 のタイの 表 象 が 生 成 されると 考 えられる これらのミステリー 小 説 は どのようにタイの 社 会 問 題 に 触 れ タイの 社 会 の 現 実 を 描 いているのか また タイの 社 会 問 題 を 反 映 したミステリー 小 説 では 読 者 にどのようなタイがイメージ 化 されるのか という 問 題 を 通 して 現 代 日 本 文 学 におけるタイ 表 象 を 検 討 することが 本 章 の 目 的 である 2 太 平 洋 戦 争 の 記 憶 太 平 洋 戦 争 中 東 南 アジア 地 域 が 日 本 軍 に 占 領 される 中 タイはアジアで 唯 一 の 日 本 の 同 盟 国 となっていた 戦 時 中 の 南 方 徴 用 作 家 たちが 描 いたタイは 日 本 軍 にとって ビルマ の 戦 線 とは 対 照 的 に レストラン ダンス ホール ホテル 映 画 館 音 楽 酒 女 など の 癒 し の 空 間 である しかし 癒 し の 空 間 とされる 一 方 で 日 本 軍 を 歓 迎 し 服 従 す るタイの 姿 は 大 東 亜 共 栄 園 を 支 える 日 本 とアジアとの 関 係 性 のモデルであ 4 り 兄 で ある 日 本 とその 庇 護 や 指 導 を 受 けるべき 妹 のようなタイという 組 み 合 わせは 形 式 的 には 共 和 を 唱 えつつ 実 態 としては 支 配 / 被 支 配 の 関 係 にある 日 本 とアジアとの 関 係 を 象 徴 的 に 示 している タイは 日 タイ 同 盟 条 約 を 結 んでも 日 本 の 植 民 地 のように 支 配 さ れて 圧 力 をかけられたのである ところで 1970 代 から 1980 年 代 にかけて インドシナの 諸 国 が 共 産 主 義 化 していく 状 況 の 中 で タイは 民 主 主 義 陣 営 としてインドシナの 中 心 地 となり 隣 国 のラオスやベトナム などからの 避 難 民 が 多 く 流 入 した また インドシナへの 玄 関 口 として 海 外 からの 投 資 が 増 加 した 伴 野 朗 陽 はメコンに 沈 む ( 講 談 社 1977 年 3 月 )は 当 時 のインドシナにつ いて サイゴンで 急 進 派 仏 教 徒 が 反 政 府 デモ メコンデルタで 戦 闘 激 化 カンボジア 政 府 軍 共 産 ゲリラを 掃 討 ジャール 平 原 のパテト ラオ(ラオス:タナポーン 注 ) 軍 拠 点 を 米 軍 機 爆 撃 と 記 し タイをラオスと 比 べ 田 舎 から 大 都 会 へ 出 て 来 た 感 があ り 人 の 多 さ 車 の 数 に 圧 倒 された 街 の 賑 わいも 比 較 にならなかった と 述 べている 内 戦 とは 無 縁 のタイには 1970~80 年 代 に 多 くの 観 光 客 が 訪 れたことも 一 因 となり タイを 舞 台 にし た 小 説 は 他 のインドシナの 国 より 多 く 刊 行 されていると 考 えられる タイを 舞 台 にした 小 説 の 特 徴 の 一 つは 物 語 の 中 で 太 平 洋 戦 争 への 言 及 がなされているこ とである 例 えば 山 田 長 政 の 秘 宝 シャム 日 本 人 町 の 超 人 の 時 代 設 定 は 80 年 代 だが 物 語 の 内 容 は 第 二 次 世 界 大 戦 中 タイ 国 に 駐 留 していた 日 本 軍 が 掘 り 返 した 財 宝 探 しと 殺 人 事 件 に 関 する 生 首 の 謎 についての 話 である 興 味 深 いのは 山 田 長 政 の 秘 宝 シャム 日 本 人 町 の 超 人 以 外 戦 争 の 背 景 を 描 写 している 他 のタイを 舞 台 にしたミステリー 小 説 では 戦 時 中 タイ 国 駐 屯 軍 参 謀 の 辻 政 信 への 言 及 が 共 通 して 見 られる 点 である 辻 政 信 は 戦 後 にイギリス 軍 の 戦 犯 追 及 から 逃 れるために 自 身 は 戦 死 したことにして 4 Treeratsakulchai Thanabhorn 南 方 徴 用 作 家 の タイ 太 平 洋 戦 争 下 の 日 タイ 表 象 ( 九 大 日 文 19 号 2012 年 3 月 ) 93
司 令 部 から 脱 走 して 僧 侶 になり 5 中 国 を 経 由 して 日 本 に 帰 国 した その 後 辻 は 戦 犯 逃 亡 の 体 験 を 基 に 潜 行 三 千 里 ( 毎 日 新 聞 社 1950 年 6 月 )を 執 筆 した 潜 行 三 千 里 は 幸 いご 好 評 をいただき たびたび 版 を 重 ねてまいりましたほか 海 外 でも 英 語 フランス 語 タイ 語 中 国 語 に 翻 訳 出 版 され 6 た 1961 年 辻 は 東 南 アジアの 視 察 を 目 的 としてバンコ ク 経 由 でラオスに 向 かい そこで 消 息 を 絶 った 辻 政 信 失 踪 については 東 北 ラオスでの 病 死 事 故 死 他 殺 説 を 筆 頭 に ハノイ 潜 入 説 雲 南 省 で 死 亡 説 さてはビルマ 国 境 の 秘 密 結 社 に 監 禁 されているといった 情 報 が 乱 れとん 7 で 今 までもまだ 謎 に 包 まれている 辻 政 信 の 失 踪 は 当 時 の 日 本 人 に 注 目 されたため 辻 政 信 の 失 踪 についての 文 献 や 小 説 例 えば 伴 野 朗 陽 はメコンに 沈 む ( 講 談 社 1980 年 10 月 )などが 多 く 刊 行 された 例 えば 蟻 の 木 の 下 で の 淵 上 軍 曹 という 登 場 人 物 は 辻 政 信 と 同 じ 石 川 県 の 出 身 であ り 同 様 に 自 身 は 戦 争 で 戦 死 したことにして 秘 密 裏 に 日 本 に 帰 国 している しかし 淵 上 軍 曹 はタイ 人 女 性 を 犯 したり 無 辜 の 良 民 を 射 殺 し タイ 国 人 といえども 許 されな かった と 描 写 され アジア 諸 国 に 非 道 的 なことを 行 った 戦 時 中 の 日 本 軍 兵 士 の 象 徴 とし て 描 かれていると 考 えられる 一 方 新 黄 金 の 三 角 地 帯 でも 辻 政 信 が 登 場 人 物 として 登 場 している それは 次 のようである 天 野 京 三 は 国 夫 に 驚 くべき 仕 事 を 依 頼 してきた 昭 和 三 十 六 年 ラオスのビエンチャン 北 方 百 二 十 キロ 付 近 で 忽 然 と 消 息 を 絶 った 実 戦 の 神 様 と 言 われた 旧 日 本 軍 陸 参 謀 で 元 参 議 院 議 員 辻 政 信 を 黄 金 の 三 角 地 帯 で 探 してくれということだった 辻 は 第 二 次 大 戦 中 自 分 の 戦 場 でもあった 黄 金 の 三 角 地 帯 で 僧 侶 に 変 装 して 数 十 万 と も 言 われる 日 本 軍 戦 死 者 の 遺 骨 を 収 集 し 手 厚 く 弔 っているという 噂 だった 黄 金 の 三 角 地 帯 は 白 骨 街 道 と 呼 ばれる 位 ビルマ 戦 争 から 敗 走 していた 日 本 軍 の 殆 どが 飢 えと 病 いで 死 んでいった 処 でもあった ( 新 黄 金 の 三 角 地 帯 スポニチ 出 版 1980 年 10 月 ) 以 上 のように 新 黄 金 の 三 角 地 帯 では 辻 の 失 踪 の 理 由 は 黄 金 の 三 角 地 帯 で 日 本 軍 戦 死 者 の 遺 骨 を 収 集 するためとされ 蟻 の 木 の 下 で の 淵 上 とは 新 黄 金 の 三 角 地 帯 の 辻 と 全 く 異 る 描 写 がなされている また 黒 き 魔 境 を 撃 て でも 新 黄 金 の 三 角 地 帯 の 辻 のように 戦 死 者 の 霊 を 慰 めるため 黄 金 の 三 角 地 帯 で 自 分 で 彫 った 仏 像 を 一 体 ずつ 建 てて 歩 く 旧 日 本 兵 の 小 山 の 描 写 もある このように 辻 政 信 のイメージは 黒 き 魔 境 を 撃 て のように 清 廉 潔 白 なイメージがある 一 方 蟻 の 木 の 下 で のような 悪 魔 的 なイメージ もある ビルマの 戦 争 やラオスで 失 踪 事 件 を 連 想 させる 辻 政 信 は なぜタイを 舞 台 とした ミステリー 小 説 の 中 で 繰 り 返 し 語 られるのだろうか 辻 や 辻 のような 登 場 人 物 が 登 場 するミステリー 小 説 を 見 ると 全 てタイのビルマやラオ スの 国 境 地 域 を 舞 台 にしている タイ ビルマ ラオスの 国 境 は 1980 年 代 に 世 界 最 大 の 麻 5 中 村 明 人 ほとけの 司 令 官 駐 タイ 回 想 録 ( 日 本 週 報 社 1958 年 6 月 ) 6 辻 正 信 新 装 版 まえがき ( 潜 行 三 千 里 図 書 刊 行 会 1978 年 10 月 ) 7 [ 海 外 トピック] 辻 政 信 氏 消 えて5 年 ラオス 現 地 も 大 勢 は 死 亡 説 ( 読 売 新 聞 1966 年 5 月 28 日 夕 刊 ) 94
薬 覚 醒 剤 密 造 地 帯 で 凶 悪 犯 罪 が 多 発 する 地 域 として 知 られた 黄 金 の 三 角 地 帯 である 黄 金 の 三 角 地 帯 は タイ 側 から 見 物 できるだけの 場 所 8 のため タイ 北 部 山 岳 地 帯 一 体 に 広 がるケシ 畑 ひいては 阿 片 の 産 地 という 意 味 合 いが 含 まれている 9 タイの 一 部 と しての 黄 金 の 三 角 地 帯 は 麻 薬 生 産 地 や 暗 黒 地 帯 として 描 写 されるが 当 時 は 多 く 観 光 客 が 訪 れる 観 光 地 10 として 知 られていた 終 戦 後 日 本 軍 は 連 合 軍 の 追 撃 によりビルマから 国 境 のジャングルを 越 えて タイ 側 に 逃 れたが 多 くの 日 本 軍 の 兵 士 は 密 林 の 中 で 降 り 続 く 雤 の 中 で 傷 つき 疲 れ 果 て 敵 の 猛 追 飢 え 病 などに 苦 しみ タイまで 辿 り 着 くことなく 密 林 の 中 で 死 んでいった 1974 年 10 月 25 日 に ビルマ 戰 友 会 のメンバーが チェンマイ 西 北 部 ビルマ 国 境 近 くのメイホン ソン(チェンマイの 近 くにある 県 :タナポーン 注 ) 11 へ 元 日 本 兵 の 遺 骨 を 収 集 しにいった また 1977 年 には タイ 日 本 人 戦 没 者 遺 骨 調 査 団 がチェンマイで 遺 骨 調 査 を 行 い 12 翌 年 (ママ) 2 月 に 23 人 の 政 府 派 遣 タイ 国 戦 没 者 第 一 次 遺 骨 取 集 団 として タイ 北 部 ビルマ 国 境 を 中 心 にした 取 集 作 業 を 完 了 千 二 百 八 十 六 柱 をバンコクに 持 ち 帰 った 13 この 遺 骨 収 集 活 動 は NHK 特 派 員 報 告 33 年 目 の 遺 骨 収 集 ~タイ ビルマ 国 境 ~ として 1978 年 2 月 28 日 に 放 送 された しかし 遺 骨 収 集 の 記 事 には 黄 金 の 三 角 地 帯 は 遺 骨 収 集 の 場 所 と して 全 く 言 及 されていない 1970 年 代 の 新 聞 記 事 14 を 調 べると 黄 金 の 三 角 地 帯 という 言 葉 は 1972 年 8 月 から 使 用 されている つまり 戦 時 下 に 日 本 軍 が 展 開 した 地 域 が 後 の 黄 金 の 三 角 地 帯 と 重 なるとしても 戦 時 下 において 黄 金 の 三 角 地 帯 などと 呼 ぶ 呼 称 は なかった したがって 遺 骨 収 集 の 記 事 に 黄 金 の 三 角 地 帯 という 呼 称 が 用 いられないの は 当 然 である ところが タイを 舞 台 とする 一 連 のミステリー 小 説 においては あたかも 戦 時 下 においても 黄 金 の 三 角 地 帯 が 戦 場 であったかのような 記 述 になっている ミス テリー 小 説 のそのような 傾 向 の 背 景 や 理 由 について どのように 考 えるべきであろうか 麻 薬 の 産 地 として 知 られた 黄 金 の 三 角 地 帯 がミステリー 小 説 の 舞 台 として 選 ばれた ことは 疑 いはない しかし 黄 金 の 三 角 地 帯 が 戦 場 になったような 描 写 は <タイとミャン マーの 国 境 >という 要 素 が 太 平 洋 戦 争 末 期 ビルマから 撤 退 した 多 数 の 日 本 兵 が 死 亡 した< タイとミャンマーの 国 境 >と 重 なっているため 黄 金 の 三 角 地 帯 と 戦 場 を 結 びつけ 描 かれた のではないだろうか こうした 描 写 によって 読 者 は 戦 時 の 危 険 なジャングルである<タイ とミャンマーの 国 境 >のイメージから 想 像 し 難 い 黄 金 の 三 角 地 帯 のイメージを 生 成 するこ 8 戸 田 杏 子 佐 藤 彰 著 ゴールデン トライアングル タイ 楽 しみ 図 鑑 ( 新 潮 社 1990 年 5 月 ) 9 地 球 の 歩 き 方 タイ やすらかなる 国 88~ 89 版 (ダイヤモンド 社 1988 年 4 月 ) 10 地 球 の 歩 き 方 タイ やすらかなる 国 88~ 89 版 (ダイヤモンド 社 1988 年 4 月 )によれば 80 年 代 の 黄 金 の 三 角 地 帯 について 旅 行 者 が 多 く 中 には 大 型 バスを 乗 りつけて 来 る 団 体 さんもいる 数 年 前 まで 1 軒 だけだっ たみやげ 屋 も 今 では 道 の 両 脇 にずら~と 並 んでいる おまけに ゲストハウスも5 軒 ある メコン 川 対 岸 は ミャン マー 側 とも ただただジャングルが 見 えるばかりだ と 述 べている 11 遺 骨 五 百 片 故 国 へ タイ 北 部 で 戦 友 会 収 集 ( 読 売 新 聞 1974 年 11 月 6 日 夕 刊 ) 12 遺 骨 九 百 柱 を 確 認 ( 朝 日 新 聞 1977 年 11 月 24 日 朝 刊 ) 13 旧 日 本 軍 傷 病 兵 の 遺 骨 千 二 百 余 柱 を 収 集 ( 朝 日 新 聞 1978 年 2 月 7 日 夕 刊 ) 14 アジアにもマフィアの 黒 手 ( 読 売 新 聞 1972 年 8 月 19 日 夕 刊 ) 麻 薬 ルート タイが 撲 滅 に 全 力 ( 朝 日 新 聞 1972 年 8 月 11 日 朝 刊 ) 95
とができる 戦 場 であったような 黄 金 の 三 角 地 帯 の 描 写 以 外 多 くの 小 説 テクストには 戦 争 で 生 き 残 った 日 本 人 がタイで 生 きる 姿 が 描 写 されている 例 えば 蟻 の 木 の 下 で の 淵 上 は 麻 薬 密 輸 業 者 になり 一 人 っきりの 戦 場 の 旧 日 本 兵 の 中 村 はビルマ 戦 線 から 脱 走 し て タイ 人 になりすましてメソットに 住 み 売 春 窟 のかたわら 麻 薬 宝 石 などの 密 売 を 手 がけるようになった また ロン コン PARTⅡ 母 の 河 (メコン)に 眠 れ を 見 れば バンコクで 阿 片 商 として 生 きる 旧 日 本 兵 が 登 場 し さらに バンコク 狙 撃 指 令 で も 旧 日 本 兵 のガーモン クネィンと 陣 開 明 がバンコクで 狙 撃 手 として 活 躍 している こ れらの 登 場 人 物 の 共 通 点 は 戦 時 中 に 脱 走 したり 除 隊 してアメリカの 諜 報 機 関 に 参 加 す るなど 兵 士 としては 失 格 とされた 者 たちであるという 点 である 戦 後 に 改 名 した 彼 らは 日 本 人 とは 異 なる 存 在 としてタイで 違 法 行 為 を 行 い 金 銭 を 得 ている このように 戦 後 のタイは 堕 落 した 日 本 人 や 悪 人 が 住 むカオス 空 間 として 表 象 されている 3 癒 しの 空 間 から 危 険 な 空 間 へ 戦 後 において インドシナ 諸 国 は 様 々な 政 治 的 問 題 や 社 会 問 題 を 抱 えていた インドシ ナを 舞 台 にしたミステリー 小 説 ( 例 えば 柘 植 久 慶 グリンベレーの 挽 歌 集 英 社 1986 年 12 月 )ではインドシナ 戦 争 (ベトナム 戦 争 ラオス 内 戦 など)を 背 景 にしている 同 様 に 当 時 のタイも 政 治 的 に 安 定 していたとは 言 い 難 く 1970 年 代 に 知 識 人 や 学 生 などが 中 心 となり 社 会 運 動 が 起 っていた 1971 年 にタノム( 当 時 の 首 相 ) クーデターが 発 生 し 1973 年 10 月 には タノム 軍 事 独 裁 政 権 に 反 対 する 学 生 運 動 が 展 開 された この 事 件 による 死 者 は 77 名 で 行 方 不 明 者 は 444 名 に 達 し その 結 果 タノムは 海 外 へ 亡 命 した この 事 件 は 後 に 血 の 日 曜 日 と 呼 ばれ た そして 3 年 後 (1976 年 ) 海 外 に 亡 命 していたタノムが 帰 国 すると 聞 いた 学 生 たちは タノムの 国 外 退 去 を 求 めるため 再 び 学 生 運 動 を 行 った クーデターの 起 きた 十 月 六 日 の 午 前 二 時 頃 から 右 派 勢 力 と 学 生 の 間 の 銃 撃 戦 が 始 ま り 国 境 警 備 隊 が 動 員 され その 銃 撃 に 参 加 するようになり 右 派 勢 力 は 優 勢 となり 右 派 勢 力 は 暴 徒 と 化 して 学 生 を 殴 り 殺 し 死 体 を 木 に 吊 して 椅 子 で 乱 打 したり 死 体 を ひきずって 歩 いたり 気 絶 している 学 生 を 路 上 で 焼 き 殺 すといった 凄 惨 な 光 景 がタマサ ート 大 学 周 辺 で 展 開 した 結 局 死 者 四 一 名 負 傷 者 一 六 七 名 逮 捕 者 三 〇 七 一 名 を 出 して 学 生 の 革 新 的 勢 力 は 潰 滅 している ( 田 中 忠 治 タイ 十 月 学 生 決 起 軍 事 政 権 の 崩 壊 タイ 入 門 日 中 出 版 1988 年 1 月 ) この 事 件 によって 学 生 運 動 に 参 加 した 学 生 は 警 察 に 共 産 主 義 者 であると 決 め 付 けら れ 逮 捕 された また 共 産 党 に 入 党 する 意 思 はなかったが 警 察 の 追 跡 から 逃 れるため 知 識 人 や 学 生 たちはタイ 国 共 産 党 との 接 触 を 求 めてジャングルに 潜 行 した こうして 1970 96
年 代 後 半 タイ 国 共 産 党 の 勢 力 は 拡 大 していった この 二 つのクーデターは 当 時 の 日 本 の 新 15 聞 でも 数 日 間 報 じられ 日 本 人 にも 知 られている ミステリー 小 説 でもこれらの 学 生 運 動 事 件 を 取 上 げている 特 に 学 生 の 死 体 を 木 に 吊 して 椅 子 で 乱 打 する 事 件 は チェン マイの 首 : 愛 は 死 の 匂 い で 次 のように 描 かれている ( 前 略 ) 一 九 七 六 年 わたしは 高 校 三 年 だった タマサート 大 学 の 事 件 で 大 学 生 の 恋 人 が 殺 されたの 学 生 が 全 部 逃 げた 後 わたしは 一 人 で 構 内 に 駆 け 込 んだの あたり 一 面 が 血 の 海 だった 四 人 の 学 生 が 焼 き 殺 されていた 眼 玉 をくり 抜 かれた 若 者 もいた わ やっと わたしはあの 人 を 見 つけた 運 動 場 のサッカー ゴールの 木 に 吊 されて 死 んだあの 人 の 頭 を 奴 らが 折 りたたみ 椅 子 で 代 る 代 る 殴 りつけていた わたしはその 場 で 気 を 失 ったわ ( チェンマイの 首 : 愛 は 死 の 匂 い 講 談 社 文 庫 1983 年 8 月 ) チェンマイの 首 : 愛 は 死 の 匂 い 以 外 新 黄 金 の 三 角 地 帯 バンコク 狙 撃 指 令 一 人 っきりの 戦 場 黒 き 魔 境 を 撃 て 蒼 き 火 焔 樹 などもタイの 不 安 定 な 政 治 状 況 を 物 語 のプロットとして 取 上 げている このようなタイの 政 治 的 混 乱 は 同 時 代 のタイを 舞 台 とする 小 説 の 一 般 的 光 景 として 反 復 され 日 本 の 読 者 に 危 険 なタイのイメージを 与 え る 一 面 を 持 った 市 民 を 守 るべき 政 府 の 警 官 隊 や 兵 隊 が 学 生 を 大 量 虐 殺 する 場 面 からは 国 内 状 況 の 不 安 定 さによって 政 府 から 安 全 の 保 障 されていないタイ のイメージが 作 り 出 される こうした 政 治 的 な 不 安 定 さや 無 秩 序 さの 別 の 面 での 表 象 として 小 説 テクス トでよく 描 写 されているのはタイの 麻 薬 の 問 題 である バンコクは アジアでは 香 港 に 次 いで 多 くの 麻 薬 患 者 を 抱 えている 東 洋 では 香 港 と 二 つしかないといわれる 麻 薬 中 每 患 者 専 用 の 病 院 まである タニヤラック 麻 薬 病 院 であ る 如 何 に 麻 薬 患 者 が 多 いか これからも 想 像 できる このタニヤラック 麻 薬 病 院 の 院 長 は バンコクの 麻 薬 中 每 患 者 の 一 番 多 い 時 は 五 十 万 人 を 超 えたといっている タイ ラオス ビルマの 三 国 国 境 地 帯 いわゆる 黄 金 の 三 角 地 帯 で 採 れるアヘンから 生 産 されるヘロインは バンコクを 基 地 として 世 界 中 に 流 れていく 世 界 の 麻 薬 中 每 患 者 が 使 用 する 麻 薬 の 約 七 割 を 供 給 しているともいわれている ( 新 黄 金 の 三 角 地 帯 スポニチ 出 版 1980 年 10 月 ) このような 麻 薬 の 問 題 は タイを 舞 台 にした 小 説 だけではなく インドシナ 諸 国 を 舞 台 にした 小 説 にも 描 かれている しかし 引 用 文 にもあるように タイは 世 界 の 麻 薬 の 大 産 地 として 知 られていたため 他 のインドシナ 諸 国 より 麻 薬 の 問 題 が 繰 り 返 し 描 かれてい 15 例 えば 1976 年 10 月 7 日 朝 日 新 聞 ( 朝 刊 夕 刊 )の 一 頁 ではタイのクーデターの 記 事 が 掲 載 されている その クーデターについて 同 年 12 月 まで 60 記 事 以 上 連 続 して 報 じている 97
る 特 に 1970 年 代 から 1980 年 代 にかけて 麻 薬 のルートとして 知 られた 黄 金 の 三 角 地 帯 は 日 本 人 の 関 心 を 引 き 鄭 仁 和 幻 のアヘン 軍 団 黄 金 の 三 角 地 帯 にその 影 を 追 う ( 朝 日 ソノラマ 1977 年 3 月 )や 竹 田 遼 黄 金 の 三 角 地 帯 :ゴールデン トライアングル (め こん 1977 年 9 月 )など 黄 金 の 三 角 地 帯 についてのノンフィクションやルポルタージュが 多 く 刊 行 され 70-80 年 代 のミステリー 小 説 の 参 考 文 献 として 利 用 された 例 えば チェン マイの 首 : 愛 は 死 の 匂 い を 執 筆 するため 中 村 敦 夫 は 一 ヵ 月 間 タイで 取 材 を 行 っただけで 16 はなく 主 な 参 考 文 献 で 様 々な 文 献 を 物 的 証 拠 や 根 拠 として 読 者 に 示 しながら あと がき で この 小 説 の 描 写 は 物 語 と 登 場 人 物 以 外 すべて 私 の 目 撃 した 事 実 である と 述 べている その 上 で 中 村 は 暴 力 団 が 介 在 するような 利 権 は すべて 警 察 が 握 ってい る ため 警 官 によるゆすりたかりも 珍 しいことではない などと 自 らが 目 撃 した 事 実 としてタイの 裏 面 を 読 者 に 提 供 する その 他 に タイの 政 治 不 安 や 犯 罪 の 横 行 というイメージを 主 張 する 要 素 としては 性 に 関 する 記 述 がある 具 体 的 には 買 春 観 光 とそれに 伴 う 人 身 売 買 の 記 述 である 1970 年 代 バンコクは 急 成 長 を 遂 げ 娯 楽 施 設 や 性 産 業 などに 関 する 施 設 も 増 加 していった 特 に 日 本 人 男 性 による 買 春 旅 行 が 広 く 行 われた 買 春 旅 行 は 旅 行 のハイライト 17 であり 日 本 旅 行 会 社 が 送 り 出 した 団 体 客 の 現 地 オプショナルツアーで カラオケ+ 夕 食 18 という 暗 号 で 買 春 を 提 供 していた 1987 年 7 月 6 日 の 朝 日 新 聞 ではバンコクのホテルマンによ って 以 前 は 19 二 百 人 の 日 本 人 男 性 が 三 泊 四 日 でここに 来 ると 三 百 人 ( 延 べ)が 女 性 の ところに 行 った 20 という 日 本 人 旅 行 者 の 買 春 ツアーの 実 態 が 述 べられている こうした 実 態 は 小 説 にも 積 極 的 に 導 入 され 一 人 っきりの 戦 場 でも 次 のように 描 かれている タイは 何 より 観 光 に 力 を 入 れている 王 宮 やフローティングマーケットやアユティヤ の 遺 跡 などの 名 所 ではない 観 光 とは 歓 楽 街 枝 路 地 にひしめき 合 う 酒 場 やトルコ 風 呂 で 働 くおびただしい 女 たちを 意 味 しているのだ ( 一 人 っきりの 戦 場 集 英 社 1980 年 9 月 ) 日 本 人 から 見 たタイは 酒 場 やトルコ 風 呂 で 働 くおびただしい 女 たち がいる 空 間 であ る このようなイメージが 膨 大 な 言 説 となって 語 られるようになったきっかけが 第 1 章 で 述 べたように 1973 年 のカマモト 事 件 である カマモトは 1966 年 にチェンマイに 家 を 購 16 主 な 参 考 文 献 としては 例 えば 鄭 仁 和 幻 のアヘン 軍 団 ( 朝 日 ソノラマ 1977 年 3 月 ) プラヤー アヌマ ーンラーチャトン タイ 民 衆 の 生 活 日 タイ 協 会 1982 年 7 月 ) アパイ ポテパット タイ 変 革 の 胎 動 ( 第 三 書 館 1980 年 6 月 )などがある 17 楠 本 憲 吉 東 南 アジア 紀 行 中 国 / 東 南 アジア 新 編 世 界 の 旅 1 ( 小 学 館 1971 年 10 月 ) 18 旅 行 会 社 を 経 営 する 関 泉 氏 は まさか 買 春 手 数 料 などと 記 すわけにもいかないので あたりさわりのない 表 現 に したのです 私 が 問 題 提 起 したいのは 日 本 旅 行 が 団 体 客 に 買 春 を 斡 旋 しているばかりか その 料 金 から 手 数 料 を 徴 収 していることですよ れっきとした 一 流 旅 行 会 社 が 買 春 の 手 数 料 で 稼 いでいる( 後 略 ) と 述 べている ( 安 田 浩 一 買 春 ツアー がバレた 日 本 旅 行 の 厚 顔 無 恥 財 界 展 望 2006 年 9 月 ) 19 買 春 ツアーは 世 界 中 に 不 道 徳 行 為 と 見 なされて 非 難 されたため 1980 年 代 に 禁 止 された 20 減 った? 日 本 人 買 春 ツアー バンコクに 見 る ( 朝 日 新 聞 1987 年 7 月 6 日 朝 刊 ) 98
入 し 1970 年 からタイ 人 の 尐 女 たちを 買 って 一 人 一 ヶ 月 500 バーツを 支 払 って 尐 女 た ちとハーレム 生 活 を 始 めた しかし 1973 年 にカマモトは 麻 薬 覚 せい 剤 密 輸 組 織 との 関 係 と 人 身 売 買 の 疑 いで 逮 捕 される 当 時 の 新 聞 記 事 ではこの 事 件 について 次 のように 述 べられている ( 前 略 ) 九 日 の バンコク ポスト ネーション 両 紙 が 報 じたところによると 八 日 タイ 北 部 のチェンマイで 一 日 本 人 が 尐 女 の 人 身 売 買 の 容 疑 で 逮 捕 された こ れによると チェンマイ 県 警 察 は 同 県 のムアン 都 に 住 む 陶 器 商 カマモト(またはタマ モト) トシオ( 三 八 )を 八 日 朝 自 宅 で 逮 捕 し 取 り 調 べている 警 察 当 局 によると カマモトの 家 から 十 三 歳 から 十 七 歳 までの 尐 女 七 人 が 発 見 され た カマモトは これらの 尐 女 を 一 万 五 万 バーツ( 約 十 五 万 円 七 十 四 万 円 )で 自 分 の 妻 として 買 ったと 自 供 しているが 警 察 当 局 では カマモトが 香 港 その 他 にタイ 女 性 を 輸 出 するための 人 身 売 買 を 行 っていたものとの 傍 証 を 得 同 人 を 追 及 している ( ひどい 日 本 人 逮 捕 タイで 尐 女 を 人 身 売 買 読 売 新 聞 1973 年 1 月 9 日 夕 刊 ) カマモト 事 件 は チェンマイ 事 件 として 知 られ 1970-1980 年 代 のミステリー 小 説 の 中 でも 言 及 されている 例 えば 一 人 っきりの 戦 場 ではカマモト 事 件 に 直 接 触 れていない が タイの 北 部 でハーレムのように 尐 女 に 囲 まれて 暮 らしている 中 村 老 人 という 登 場 人 物 がカマモトをモデルとして 描 かれたと 推 測 できる 黒 き 魔 境 を 撃 て でも チェンマイで 数 人 の 十 代 の 娘 を 嫁 にしている など カマモト 事 件 を 連 想 させる 記 述 がある また ロ ン コン 母 の 河 (メコン)で 唄 え には 東 南 アジア 一 帯 で 一 番 有 名 な 日 本 人 はタマモト 氏 で 彼 がハーレムを 作 ったチェンマイに 行 くため 師 匠 は 三 万 円 払 って 申 し 込 んで おいた という 記 述 がある このように チェンマイ(あるいはタイ)は 観 光 地 としてよ りは カマモトがハーレムを 作 った 場 所 として 知 られることになり カマモト 事 件 によっ てタイの 女 性 天 国 の 表 象 はさらに 強 化 されたのである こうした 性 的 空 間 の 表 象 は はたして 戦 時 下 における 癒 し の 空 間 の 表 象 と 無 関 係 で あろうか チェンマイ 事 件 を 特 殊 で 例 外 的 な 事 件 として 言 及 するのではなく むしろ 形 通 りに 反 復 する 日 本 の 小 説 のありようからすれば 癒 し の 空 間 を 繰 り 返 し 前 景 化 し 表 象 の 上 で そのような 表 象 を 強 制 した 大 日 本 帝 国 以 来 の 文 学 の 伝 統 を 1970-1980 年 代 においても 受 け 継 いでいると 言 うべきではないだろうか ただ 戦 時 下 とは 異 なり 戦 後 に 様 々な 政 治 的 問 題 や 社 会 問 題 を 抱 えたタイは 前 述 のようなカオス 空 間 として 表 現 され ることになった また 戦 前 や 戦 時 中 のテクストの 舞 台 はバンコクが 多 いが 戦 後 のテク ストではチェンマイを 舞 台 にすることが 多 い それは 世 界 の 麻 薬 生 産 地 である 黄 金 の 三 角 地 帯 の 近 く カマモトハーレムなどがあるチェンマイは 性 の 誘 惑 や 刺 激 が 待 ち 受 ける 場 所 であり 主 人 公 たちの 男 性 らしさに 対 する 攻 撃 が 仕 掛 けられているのである 99
4 救 われる 女 性 たち ミステリー 小 説 の 中 での 日 本 人 男 性 の 主 人 公 たちはタイの 様 々な 地 方 に 行 き 原 住 民 と 触 れ 合 いながら 事 件 の 真 相 を 明 らかにしていく ミステリー 小 説 の 原 住 民 たちは 主 人 公 の 通 訳 であり 随 行 者 であり パズルを 正 解 へと 導 く 重 要 な 役 割 を 果 たしている 興 味 深 いのはそのような 役 割 を 担 っている 原 住 民 は 多 くの 場 合 女 性 であるという 点 である 例 え ば 黒 き 魔 境 を 撃 て で 耕 造 と 行 動 を 共 にし 日 本 人 女 性 誘 拐 事 件 の 捜 査 を 手 助 けをする アンジイや 一 人 っきりの 戦 場 で 萩 尾 を 様 々な 事 件 に 巻 き 込 むランワンなどである 彼 女 たちは 日 本 人 たちをタイへ 導 く 随 行 者 である 以 外 日 本 人 との 性 の 対 象 としても 描 かれ ている この 国 の 女 性 は 生 きている 夫 には 日 本 の 女 性 なんかより 遥 かに 優 しく 尽 くしてくれ ます しかし どんなに 夫 を 思 っていたとしても 一 旦 相 手 が 死 んでしまえば カラリ と 忘 れるんです 人 間 は 死 ねば 皆 仏 になって 幸 せになると 信 じているから 尐 しも 哀 しまないんです そのかわり 生 きている 間 は 年 齢 など 全 く 気 にしないで 優 しくし てくれるんです ( 黒 き 魔 境 を 撃 て 廣 済 堂 文 庫 1988 年 1 月 ) この 引 用 には 日 本 人 男 性 が 理 想 化 しつつ 一 般 化 したタイ 人 女 性 のイメージが 典 型 的 に 示 されている ただし そのタイ 人 女 性 の 優 しさ は テクストの 中 では 性 サービスと かかわる 女 性 や 性 的 欲 求 が 強 い 女 性 を 介 して 描 かれる 例 えば チェンマイの 首 : 愛 は 死 の 匂 い での 好 みの 相 手 を 選 ぶタイ 人 ホステスのリーは 勝 手 に 堂 田 のホテルへ 押 しかけ てくる また 新 黄 金 の 三 角 地 帯 での 17 歳 のアサナは 脚 が 国 夫 の 膝 の 上 に 乗 ってきた 手 は 胸 の 上 に 置 かれた 縋 り 付 くように 国 夫 へ 体 を 擦 りよせてき 主 人 公 を 誘 惑 する 性 的 挑 発 者 としてのタイ 人 女 性 の 想 像 できない 程 成 熟 した 小 麦 色 に 日 焼 けした 脚 つやのある 肌 小 さな 黒 い 茂 み ( 新 黄 金 の 三 角 地 帯 )などの 描 写 は 日 本 の 女 性 なんかより 遥 かに 優 しく 尽 くしてくれ るタイ 人 女 性 というイメージを 形 成 し こうしたイメージがミステリー 小 説 を 読 む 男 性 読 者 に 受 容 されたのではないだろうか そして このようなステレオタイプ 化 されたタイ 人 女 性 のイメージが 小 説 の 主 人 公 と 同 様 の 性 的 体 験 を 目 的 とした 日 本 人 の 男 性 をタイへ 赴 かせるのである しかし 興 味 深 いのは 従 順 な 態 度 で 日 本 人 男 性 の 性 的 欲 望 を 満 たすイメージに 反 して ミステリー 小 説 における タイ 人 女 性 たちにはもう 一 つ 意 外 な 顔 がある あんたは 顔 に 日 本 人 をぶらさげて 歩 いてる 鏡 に 写 してみるといいんだ 傲 慢 そのも のの 顔 してるのがわかるよ あんたは あたしたちを 哀 れみ 同 情 し 金 であたしたち の 頬 っぺたをひっぱたく 日 本 のヒヒジジイに 憤 慨 するだろう その 憤 慨 する 気 持 が 傲 慢 なんだ いいかい よくお 聞 き あたしたちはね 好 きで 抱 かれているんじゃない お 100
金 が 欲 しいから 触 れると 膿 がでてきそうな 爺 さんの 腹 に 組 み 敷 かれるんだよ 爺 さん は 孫 みたいな 女 の 身 体 をなでさすり 満 足 して 法 外 なチップをはずんでくれる その 方 がうすっぺらな 同 情 よりどれだけありがたいかしれないんだ ( 一 人 っきりの 戦 場 集 英 社 1980 年 9 月 ) 一 人 っきりの 戦 場 の 冒 頭 では タイ 人 女 性 の 優 しさを 期 待 していた 主 人 公 の 萩 尾 が 買 春 婦 のランワンに 現 金 やトラベルチャックやパスポートを 盗 み 取 られてしまう タイ 人 女 性 に 裏 切 られたことによって 萩 尾 は バンコクで 女 が 鼻 を 鳴 らしてすり 寄 ってきたら その 女 は 懐 の 金 が 狙 いだってこと ( 一 人 っきりの 戦 場 )とタイ 人 女 性 を 蔑 視 するように なる こうした 悪 人 としてのタイ 人 のイメージは ミステリー 小 説 だけではなく 第 2 章 の 旅 行 記 深 夜 特 急 (1986 年 )や 第 3 章 の 王 国 への 道 山 田 長 政 (1984 年 )にも 反 映 されている しかし ミステリー 小 説 において 従 順 な 態 度 で 恋 愛 ビジネスのサービスを したり 観 光 客 のお 金 を 騙 し 取 ったりするタイ 人 女 性 の 登 場 人 物 は 好 きで 抱 かれている のではなく 経 済 的 な 事 情 のために 詐 欺 などの 悪 事 を 働 いてしまう このようなタイ 人 女 性 のイメージは 小 説 テクストで 繰 り 返 し 描 写 されている 例 えば チェンマイの 首 : 愛 は 死 の 匂 い でも 次 のように 描 かれている 女 たちのほとんどはまだ 十 代 か 二 十 代 前 半 で 例 外 なくタイ 北 部 や 東 北 部 の 貧 農 の 娘 たちである 多 くの 尐 女 たちが 親 の 借 金 返 済 や 口 べらしのため バンコクの 同 郷 の 友 人 を 頼 って 汽 車 や 長 距 離 バス トラックなどを 乗 りついでやってくる 昼 は 工 場 で 働 き 運 と 器 量 がよければこうしてホステスの 職 につける 女 たちは 意 味 も 分 からぬ 日 本 語 の 歌 を 必 死 に 覚 え 百 曲 以 上 歌 える 者 も 珍 しくはない ( チェンマイの 首 : 愛 は 死 の 匂 い 講 談 社 文 庫 1983 年 8 月 ) 貧 しいタイ 人 女 性 たちは 親 の 借 金 返 済 のため 昼 は 工 場 で 働 き 夜 は 身 体 を 売 り 野 良 働 き 狩 猟 織 物 家 事 の 一 切 を 女 子 が 受 け 持 つ ( チェンマイの 首 : 愛 は 死 の 匂 い ) のである 同 様 に 一 人 っきりの 戦 場 でも 馬 車 うまのように 働 かなければなりません 家 畜 よりも 身 体 を 酷 使 し 痩 せこけた 肉 体 で 春 をひさ ぐタイ 人 の 女 性 が 描 かれている 悪 と 見 なされている 売 春 婦 たちは 裏 では 家 族 のために 働 き また 親 孝 行 な 娘 などの 日 本 人 が 好 む 美 徳 を 備 えた 女 性 として 描 かれている 一 方 女 性 とは 対 照 的 に 酒 麻 薬 という 悪 魔 に 魂 を 売 りわたし ( 一 人 っきりの 戦 場 ) 働 かず 日 夜 阿 片 を 吸 うだけ ( チ ェンマイの 首 : 愛 は 死 の 匂 い )と タイ 人 男 性 にはマイナスのイメージが 投 影 されている 陰 湿 に 笑 いながらソムサックがズボンをずり 落 とした 股 間 はすでに 怒 張 し 吐 く 息 が 生 まぐさかった その 怒 張 したものを 尐 女 の 顔 面 におしつけた 尐 女 は 二 三 度 首 を 振 り あきらめたように 口 に 含 みこんだ 101
萩 尾 は 正 視 できなかった 後 手 縛 られた 尐 女 がひざまずき 野 獣 のような 大 男 の 股 間 に 顔 を 埋 めている それは あまりにも 残 虐 な 光 景 だった 日 本 野 郎 なんだその 面 は 俺 たちは 犬 畜 生 だと 思 っていやがるのか ソムサックが わめいた 悪 鬼 のような 形 相 だった ( 一 人 っきりの 戦 場 集 英 社 1980 年 9 月 ) 一 人 っきりの 戦 場 のソムサックとその 仲 間 は けだもののように 女 たちを 襲 い 獣 欲 のおもむくままに 凌 辱 すると 形 容 され 非 人 間 的 な 動 物 のような 性 行 為 で 女 性 をレイ プする また 黒 き 魔 境 を 撃 て にも 女 性 の 秘 部 に 蛇 を 半 分 ほど 押 しこんだところで 尻 尾 のほうを 噛 み 切 り 噛 み 切 られた 蛇 の 躰 は 秘 部 の 中 で 全 身 の 鱗 を 逆 立 てて 必 死 に 動 き 回 る という 原 住 民 の 動 物 (アニマル)のような 変 態 的 な 性 行 為 が 描 写 され 非 難 さ れている しかし 実 際 には 1970 年 代 の 日 本 人 の 買 春 ツアーが 世 界 に 知 られ セックス アニマルと 呼 ばれていたのは 日 本 人 である この 言 説 に 対 抗 するため 先 進 的 な 日 本 人 の 基 準 で 原 住 民 男 性 による 残 酷 な 性 行 為 を 非 難 して セックス アニマル という 言 説 を 原 住 民 に 押 し 付 けるのである そして 非 人 間 的 な 蛮 行 を 行 う 原 住 民 男 性 から 可 愛 そうな 美 徳 ある 女 性 たちを 救 うために ヒーローとしての 日 本 人 男 性 が 登 場 するのである ( 前 略 )あなたは 十 数 年 ほど 前 チェンマイで 数 人 の 十 代 の 娘 を 嫁 にしているという ことで まるで 色 魔 のようにマスコミで 報 道 された 男 性 のことを 覚 えていますか もちろんです 俺 も 彼 のことを 色 魔 だと 思 った 一 人 です ところがその 話 はこっちへ 来 て 全 くでたらめであることが 解 ったんです 彼 は 貧 し い 娘 が 可 哀 相 で 面 倒 を 見 てやっただけなんです 娘 たちのほうが 彼 の 好 意 に 感 謝 して 彼 のために 何 かしてやりたいといって 彼 と 一 緒 に 生 活 するようになったんです いまで も 彼 女 たちは その 男 性 のことを 心 から 愛 しているそうです こっちの 女 性 は 日 本 人 の 感 情 の 物 差 しで 測 ることはできない ですから たとえわたしがクン サーの 兵 隊 に 殺 されても 女 房 に 哀 しませることにはならないです それに わたしが 死 んだら 生 命 保 険 の 保 険 料 は 総 て 女 房 へ 渡 ることになっています ( 黒 き 魔 境 を 撃 て 廣 済 堂 文 庫 1988 年 1 月 ) 以 上 のように 貧 し くて 可 哀 相 なタイ 人 女 性 を 救 うため ヒーローとして 日 本 人 男 性 はタイへ 来 て タイ 人 女 性 の 面 倒 を 見 る そして タイ 人 女 性 が 日 本 人 に 感 謝 を 示 す 行 為 としてセックスが 描 かれている 例 えば 黒 き 魔 境 を 撃 て のアンジイは タイ 人 の 警 官 の 身 体 検 査 から 助 けてくれた 耕 造 に 身 を 任 せる タイ 人 女 性 の 感 謝 の 表 現 行 為 と してのセックスは パターン 化 されている 日 本 人 男 性 とタイ 人 女 性 との 買 春 という 不 道 徳 な 性 サービスによる 現 実 の 関 係 が 小 説 では 日 本 人 男 性 の 親 切 心 への 感 謝 による 援 助 関 係 として 書 き 換 えられる これらの 文 学 テクストは 日 本 人 男 性 による 買 春 ツアーを 前 提 に ツアー 客 とは 違 う 日 本 人 の 主 人 公 を 登 場 させながら 結 果 としてはよく 似 た 行 為 102
を 美 化 する 言 説 となっている 5 ミステリー 小 説 におけるタイ ミステリー 小 説 におけるタイは 王 宮 や 寺 院 などの 一 般 的 な 観 光 名 所 によって 代 表 され るのではなく 政 治 の 混 迷 や 麻 薬 買 春 などの 様 々な 社 会 問 題 を 抱 え 犯 罪 が 多 発 する 危 険 な 空 間 として 描 かれる この 危 険 な 空 間 の 中 にやって 来 る 日 本 人 の 登 場 人 物 たちを 案 内 する 随 行 者 になるのはタイ 人 女 性 である これらのタイ 人 女 性 はもちろん 文 字 通 りの 随 行 者 だけではなく セックスの 相 手 としての 一 面 を 兹 ねた 存 在 である 日 本 文 学 テクスト の 中 でタイ 人 女 性 を 取 上 げることは 新 しいことではない 戦 時 中 のテクストをみれば タ イそのものに 庇 護 すべき 存 在 としての 女 性 という 表 象 が 投 影 されている 日 本 の 妹 のような 同 盟 国 のタイを 連 合 軍 から 庇 護 するという 国 際 関 係 がそのまま 小 説 の 人 間 関 パターン 係 として 描 いている こうした 記 述 の 形 には 他 者 (タイ)をどのように 対 象 化 したいか という 主 体 ( 日 本 )の 欲 望 が 表 れている そうした 主 体 ( 日 本 )による 対 象 化 の 欲 望 は 1970-1980 年 代 のロマンス 小 説 やミステリー 小 説 にも 典 型 的 なかたちで 現 れているだろう ロマンス 小 説 は ロマンス ( 恋 愛 官 能 )の 実 践 の 場 21 としてタイを 描 くが タイ 人 を 性 欲 の 対 象 と 描 くことはあっても 恋 愛 対 象 すなわちヒーローまたはヒロイン 格 に 描 くものが 極 めて 尐 ない 22 ここには 対 象 化 への 欲 望 の 素 朴 な 表 れを 見 ることができる そ の 点 では ミステリー 小 説 はやや 違 った 要 素 がある ミステリー 小 説 では ヒロインはタ イ 人 女 性 である ヒロインたちが 性 的 サービスと 関 わるのはロマンス 小 説 と 同 じであるが ロマンス 小 説 と 違 って それだけで 不 道 徳 や 悪 として 片 付 けられることはない むしろ 彼 女 たちは 貧 困 の 中 で 苦 心 して 働 く 面 などの 美 徳 を 兹 ね 備 え 反 対 に 働 かず 怠 惰 なタイ 人 男 性 たちを 非 難 し 悪 とする そして これらのタイ 人 の 男 性 から 可 哀 そ うなタイ 人 女 性 を 庇 護 あるいは 援 助 するのがヒーローとしての 日 本 人 男 性 の 使 命 なのである 他 者 (タイ)を 性 ( 男 女 )によって 非 対 称 的 ( 悪 善 )に 分 割 し その 一 方 ( 女 )だけを 庇 護 の 対 象 にしようとする 構 造 に 主 体 ( 日 本 )の 欲 望 を 認 めること は それほど 困 難 ではないだろう このような 言 説 は 日 本 人 による 買 春 行 為 の 美 化 に 他 ならない つまり 一 方 で 劣 位 化 されたセックス アニマルとして 対 象 化 しながら もう 一 方 で 貧 しい 女 性 を 厚 意 的 に 援 助 する 存 在 として 自 己 を 主 体 化 する 六 十 五 歳 を 過 ぎて 日 本 から 何 千 キロも 離 れた 山 の 中 で 孫 のような 妻 と 夢 中 になって 蝶 やカブト 虫 を 追 いかけている 小 山 の 心 が 何 となく 解 るような 気 がした 停 年 退 職 し て 子 供 や 妻 に 疎 外 され 自 分 の 存 在 感 を 失 って 失 意 に 満 ちた 日 々を 送 っている 日 本 の 21 メータセート ナムティップ 日 本 文 学 にみるタイ 表 象 オリエンタリズムのまなざしから 観 光 のまなざしへ ( 立 命 館 言 語 文 化 研 究 2010 年 1 月 ) 22 楠 本 憲 吉 東 南 アジア 紀 行 中 国 / 東 南 アジア 新 編 世 界 の 旅 1 ( 小 学 館 1971 年 10 月 ) 103
老 人 のことを 考 えれば 小 山 の 生 き 方 は 老 人 の 行 き 方 の 理 想 を 示 しているようであった ( 黒 き 魔 境 を 撃 て 廣 済 堂 文 庫 1988 年 1 月 ) 65 歳 の 小 山 が 日 本 から 離 れた 理 由 は 停 年 退 職 して 子 供 や 妻 に 疎 外 され 自 分 の 存 在 感 を 失 っ たからである しかし タイに 来 てから 孫 のような 妻 に 優 しく 尽 く さ れたため 疎 外 された 存 在 意 義 を 取 り 戻 すことができた 日 本 人 の 買 春 観 光 で 置 き 換 える と 経 済 力 で 女 を 買 うことや タイ 人 女 性 に 従 順 な 態 度 で 歓 迎 されることによって 男 ( 夫 あるいは 父 親 )としての 存 在 価 値 を 確 認 し 自 分 が 優 位 な 立 場 であるという 実 感 を 強 める ことに 似 ている そのようなグロテスクな 対 象 化 とそれによる 主 体 化 が ここでは 理 想 として 語 られているのである 一 方 タイ 人 女 性 たちは 従 順 なふりをして 日 本 人 の 欲 望 を 満 たすことによって 自 分 の 金 銭 に 対 する 欲 望 を 満 たす こうしたタイの 対 象 化 は 2000 年 代 のテクストにおいても 繰 り 返 し 示 される 例 えば 笹 倉 明 愛 闇 殺 ( 早 川 書 房 2006 年 6 月 )の 須 山 昭 次 は 美 容 師 のタイ 人 女 性 ミュと 一 緒 に 暮 らし 彼 女 に 独 立 資 金 を 提 供 して 美 容 院 をはじめさせる ここでも 援 助 する 日 本 人 男 性 と 援 助 されるタイ 人 女 性 のパターンになっている このよう な 記 述 の 形 は 戦 時 下 の 日 本 軍 人 とタイ 人 女 性 のロマンスのパターンの 現 代 版 であり か つての 軍 事 力 が 現 代 では 経 済 力 に 代 わるものの 支 配 と 被 支 配 が 固 定 化 した 帝 国 主 義 的 な 言 説 性 を 持 っている ところで 1970-1980 年 代 のミステリー 小 説 における 危 険 な 空 間 としてのタイに 日 本 人 女 性 が 入 った 場 合 どのようになるのだろうか 例 えば 黒 き 魔 境 を 撃 て の 海 外 青 年 協 力 隊 員 の 風 祭 由 香 や 新 黄 金 の 三 角 地 帯 での 美 香 などは 原 住 民 に 誘 拐 され レイプさ れてしまう このように 1970-1980 年 代 のタイは 女 性 にとっては 危 険 な 空 間 で 日 本 人 男 性 だけが 活 躍 する 空 間 として 構 成 されている 当 時 日 本 人 女 性 たちは 男 性 の 性 的 侵 略 に べ っ し よって 日 本 が アジアの 人 々から 蔑 視 されることになる 23 という 理 由 から 1977 年 に ア ジアの 女 たちの 会 (Asian Women's Association: AWA) を 発 足 し 日 本 人 男 性 の 買 春 観 光 に 反 対 する 活 動 を 行 っていた こうした 背 景 もテクストにおけるタイの 空 間 が 日 本 人 女 性 を 排 除 し 男 性 しか 活 動 できない 空 間 として 生 成 された 一 因 ではないだろうか 1970-80 年 代 のタイを 舞 台 とするミステリー 小 説 における 日 本 人 女 性 の 排 除 とタイ 人 女 性 の 理 想 化 は 主 要 な 読 者 である 日 本 人 男 性 の 現 状 と 願 望 の 投 影 として 捉 えることができるかもし れない 日 本 人 女 性 の 排 除 は 現 実 的 な 世 界 ( 日 本 )での 母 妻 娘 などによる 束 縛 から の 挿 話 は 日 本 の 現 実 世 界 では 実 現 しないこと( 麻 薬 や 買 春 ツアーなど)を 非 現 実 的 な 世 界 (タイ)で 実 現 する 願 望 の 記 述 である このように 日 本 人 男 性 を 主 体 とするタイの 対 象 化 は 当 時 のミステリー 小 説 の 中 で 繰 り 返 し 描 写 され 観 光 ガイドブックではあからさ まに 表 現 できない 快 楽 と 冒 険 のイメージを 伝 え 大 量 の 日 本 人 男 性 を 観 光 客 に 仕 立 て 上 げたのである 23 買 春 ツアー は 妻 にも 責 任 ( 朝 日 新 聞 1980 年 11 月 21 日 朝 刊 ) 104
1970-80 年 代 のミステリー 小 説 における 基 本 的 構 造 が 日 本 人 男 性 ( 主 人 公 読 者 )による 女 性 としてのタイの 対 象 化 にあるとすれば そのような 構 造 の 変 化 が 生 じるのは 1990 年 代 になってからである 1980 年 代 の 様 々な 社 会 問 題 を 解 決 するため 1988 年 に 首 相 に 就 任 し たチャートチャーイは インドシナ 戦 場 から 市 場 へ のスローガンを 揚 げ カンボジアの フンセン 首 相 との 会 談 を 実 現 するなど 積 極 的 な 対 インドシナ 外 交 を 展 開 した 24 また 外 貨 獲 得 政 策 のため タイ 国 政 府 観 光 庁 は 1987 年 に タイ 観 光 年 (Visit Thailand Year) という 観 光 キャンペーンを 実 施 した 1990 年 代 のミステリー 小 説 を 見 ると 例 えば 谷 恒 生 タイ プーケットツアー 殺 人 事 件 (ケイブンシャノベルス 1991 年 2 月 )での 夕 子 とゆ かりはプーケットツアーをプレゼントされ タイに 渡 る そして 彼 女 たちはプーケット で 連 続 殺 人 事 件 と 関 わることになる また 井 原 まなみ 悪 魔 の 果 実 殺 人 事 件 ( 光 文 社 文 庫 1993 年 10 月 )での 真 紀 と 理 沙 は 殺 人 事 件 を 解 明 するためタイに 行 くことになる この ように 1990 年 代 のミステリー 小 説 ではタイに 来 て 探 偵 となるのは 若 い 女 性 へと 変 化 する 1990 年 代 に 入 るとタイは 男 性 の 空 間 としての 表 象 がなくなり 女 性 でも 入 ることができる 空 間 になる 24 加 藤 和 英 タイ 現 代 政 治 史 国 王 を 元 首 とする 民 主 主 義 ( 弘 文 堂 1995 年 10 月 ) 105
第 6 章 村 上 春 樹 タイランド から 見 た タイ 1 はじめに 1970-1980 年 代 の 様 々な 社 会 問 題 を 抱 えるタイについて 1988 年 に 就 任 されたチャート チャーイ 首 相 は インドシナ 戦 場 から 市 場 へ のスローガンを 揚 げ カンボジアのフンセ ン 首 相 との 会 談 を 実 現 するなど 積 極 的 な 対 インドシナ 外 交 を 展 開 した 1 外 貨 獲 得 政 策 のた め タイ 国 政 府 観 光 庁 が 1987 年 に タイ 観 光 年 (Visit Thailand Year)という 観 光 キャ ンペーンを 実 施 し 第 5 章 の 1970-1980 年 代 のミステリー 小 説 で 描 写 されたような 男 性 しか 入 れない 空 間 や 危 険 な 空 間 としてのタイの 表 象 を 払 拭 してから タイ 観 光 は 飛 躍 的 に 成 長 している また 1985 年 のプラザ 合 意 以 後 日 本 では 急 激 な 円 高 が 進 み 海 外 旅 行 ブームが 起 きた 海 外 に 行 けるのは 男 性 だけではなく 女 性 も 海 外 旅 行 をするようにな った ポーラ 文 化 研 究 所 ( 東 京 )の 20 歳 代 の 独 身 OLを 対 象 としたアンケート 調 査 2 によれ ば 今 一 番 欲 しいもの の 1 位 は 海 外 旅 行 であった また JTB の 1992 年 2 月 の 調 査 に 海 外 旅 行 は ちょっとリッチな 気 分 を 味 わえる 旅 行 に 女 性 の 人 気 は 集 まっている ため 海 外 旅 行 をした 人 は 全 国 で 推 定 約 200 万 人 このうち 約 45%が 団 体 のツアー 客 で その 60% 以 上 が 女 性 パッケージツアーを 利 用 した 卒 業 旅 行 の 参 加 者 となると 女 性 は 80%にも 達 する 3 このように 当 時 の 若 い 女 性 にとって 海 外 旅 行 もしたことないの は 格 好 が 悪 い 4 ため 現 代 的 な 女 性 の 象 徴 として 海 外 旅 行 をしていたのである こうした 1990 年 代 の 旅 行 現 象 によって 多 くの 日 本 人 女 性 の 性 観 光 者 は リッチな 気 分 を 味 わえる ため 格 安 なタイのリゾートを 訪 れている 1999 年 6 月 8 日 の 朝 日 新 聞 によれば 日 本 人 の 主 な 旅 行 先 は 米 国 ( 四 百 九 十 五 万 人 ) 韓 国 ( 百 九 十 万 人 ) 中 国 ( 百 万 人 ) タイ( 七 十 八 万 人 )の 順 5 である 日 本 人 旅 行 客 の 急 増 とともに タイを 舞 台 とした 小 説 が 多 く 刊 行 された 1990 年 代 の 日 本 現 代 小 説 に おけるタイの 表 象 を 検 討 するため 本 章 では 1990 年 代 の 小 説 を 代 表 する 村 上 春 樹 タイラ ンド を 取 り 上 げる 村 上 春 樹 は 世 界 中 で 最 も 広 く 読 まれている 現 代 作 家 の 一 人 である 特 に 村 上 の 作 品 には 日 本 国 内 だけではなく 世 界 中 の 読 者 が 共 有 できる 普 遍 的 な 要 素 が 存 在 している また タイランド は 日 本 人 女 性 のタイのリゾート 地 への 旅 行 が 描 かれて おり 1990 年 代 における 女 性 の 海 外 旅 行 の 現 象 と 重 なっているため 本 章 では 村 上 春 樹 タ イランド を 取 り 上 げて 1990 年 代 の 日 本 人 が 見 たタイ また 世 界 中 の 読 者 に 共 有 され 1 タイ 現 代 政 治 史 国 王 を 元 首 とする 民 主 主 義 ( 弘 文 堂 1995 年 10 月 ) 2 独 身 OL 肩 ひじ 張 らず ポーラ 文 化 研 究 所 がアンケート 調 査 ( 朝 日 新 聞 1989 年 10 月 31 日 朝 刊 ) 3 海 外 旅 行 は 女 性 が 主 役 海 外 出 張 減 り 救 いの 女 神 ( 朝 日 新 聞 1992 年 3 月 15 日 朝 刊 ) 4 海 外 旅 行 心 に 余 裕 ある 外 国 の 人 々 ( 朝 日 新 聞 1986 年 9 月 3 日 夕 刊 ) 5 日 本 人 の 海 外 旅 行 昨 年 7 年 ぶり 減 尐 ( 朝 日 新 聞 1999 年 6 月 8 日 夕 刊 ) 106
受 容 されているタイの 表 象 について 考 察 したい 村 上 春 樹 タイランド ( 初 出 : 新 潮 1999 年 11 月 )は 短 編 連 作 小 説 集 神 の 子 どもた ちはみな 踊 る ( 新 潮 社 2000 年 2 月 )に 収 録 され 2003 年 にナンタジット コムサン 6 に より 英 語 版 からタイ 語 版 に 翻 訳 された 村 上 はこの 短 編 連 作 小 説 集 について 時 間 をおい てゆっくりと 手 直 ししながら 年 末 までかけて 雑 誌 に 連 載 しています 全 体 としてはビー トルズの サージェント ペパーズ みたいにコンセプト アルバム 的 なものになる 7 と 述 べている サージェント ペパーズ は 正 しくは サージェント ペパーズ ロンリー ハーツ クラブ バンド といい 1967 年 に 発 売 された ビートルズの 最 高 傑 作 といわれ るアルバム 8 である 中 山 泰 樹 9 によれば サージェント ペパーズ は テーマ パー クのよう に どんな 設 備 や 乗 り 物 があるのか どこにどのような 仕 掛 けや 驚 きが 待 って いるのか ワクワクドキドキ で トータル 性 をもった 完 璧 なるコンセプト アルバム である このように 連 作 小 説 集 神 の 子 どもたちはみな 踊 る に 収 録 されている UFO が 釧 路 に 降 りる アイロンのある 風 景 神 の 子 どもたちはみな 踊 る タイランド か えるくん 東 京 を 救 う 蜂 蜜 パイ の 六 つの 短 編 は 阪 神 淡 路 大 震 災 の コンセプト の 下 にそれ 自 体 の 内 面 や 記 憶 という 大 きなテーマ のための 機 能 的 な 要 素 10 がある 11 六 つの 短 編 の 中 では タイランド は 海 外 (タイ)を 舞 台 にした 唯 一 の 作 品 である 村 上 とタイについて 1998 年 11 月 4 日 の 村 上 朝 日 堂 の 読 者 フォーラムで 村 上 は タ イの 空 港 のレストランに 入 って ジャングル カレー というのを 注 文 し 12 たと 書 いた が 旅 行 としてタイに 一 度 も 行 ったことがない 13 と 主 張 している しかし タイランド を 執 筆 する 前 に 村 上 は バリ 島 の アマヌサ というホテルの 広 大 なプールのわきに 寝 こ ろんで 日 がな 本 を 読 んで 過 ご 14 し アマヌサはなにしろプールが 広 くて(ばかでかい!) けっこうすいているので 僕 は 一 日 たっぷりと 泳 いでられて とてもハッピー 15 だと 述 べ ている これは 五 日 間 本 を 読 んだり プールで 泳 ぐ タイランド のさつきの 完 璧 な 休 息 と 重 なる このことから 村 上 がバリ 島 での 体 験 をもとにして 物 語 を 作 り 上 げたと 言 えよう しかし バリ 島 の 経 験 を 書 くのに なぜバリ 島 を 舞 台 にせず タイを 小 説 の 舞 台 として 選 んだのか この 問 いに 答 えるため まず 村 上 が 描 写 したタイを 見 てみよう 6 คมส น น นทจ ต. อาฟเตอร เดอะเควก (AFTER THE QUAKE). กร งเทพฯ:กายมาร ต,2546. 7 村 上 春 樹 ( 著 ) 安 西 水 丸 (イラスト) 16 涙 涙 のブライアン 来 日 公 演 実 況 中 継 CD ROM 版 村 上 朝 日 堂 スメルジ ャコフ 対 織 田 信 長 家 臣 団 ( 朝 日 新 聞 社 2001 年 4 月 ) 8 中 山 泰 樹 超 ビートルズ 入 門 ( 音 楽 之 友 社 2002 年 9 月 ) 9 注 7 に 同 じ 10 松 本 常 彦 地 震 のあとで 彼 女 は 何 を 見 ていたのか ( 九 大 日 文 12 号 2008 年 10 月 ) 11 UFO が 釧 路 に 降 りる の 舞 台 は 北 海 道 で アイロンのある 風 景 は 茨 城 県 神 の 子 どもたちはみな 踊 る かえ るくん 東 京 を 救 う そして 蜂 蜜 パイ は 東 京 都 である 12 村 上 春 樹 ( 著 ) 安 西 水 丸 (イラスト) 読 者 & 村 上 春 樹 フォーラム 183 ( CD ROM 版 村 上 朝 日 堂 スメルジャコフ 対 織 田 信 長 家 臣 団 朝 日 新 聞 社 2001 年 4 月 ) 13 村 上 春 樹 解 説 ( 村 上 春 樹 全 作 品 1990-2000 3 短 編 集 Ⅱ 講 談 社 2003 年 3 月 ) 14 村 上 春 樹 ( 著 ) 安 西 水 丸 (イラスト) 読 者 & 村 上 春 樹 フォーラム 352 ( CD ROM 版 村 上 朝 日 堂 スメルジャコフ 対 織 田 信 長 家 臣 団 朝 日 新 聞 社 ト) 読 者 & 村 上 春 樹 フォーラム 183 ( CD ROM 版 村 上 朝 日 堂 スメルジャコフ 対 織 田 信 長 家 臣 団 朝 日 新 聞 社 2001 年 4 月 ) 15 村 上 春 樹 ( 著 ) 安 西 水 丸 (イラスト) 読 者 & 村 上 春 樹 フォーラム 386 ( 同 上 2001 年 4 月 ) 107
タイランド の 世 界 は 高 級 リゾートを 擁 する 脱 色 化 された 風 景 として 描 かれて おり 歴 史 的 地 政 学 的 実 体 として 立 ち 現 れることはなく ニミットと 占 い 師 の 老 女 以 外 にはタイ 人 も 登 場 しない またニミットがさつきに 提 供 するサービスは メルセ デスでの 送 迎 の 他 プールやサンドイッチ アイスティーといった 西 欧 化 されたもの であり タイの 歴 史 的 文 化 的 記 号 は 消 去 されている むしろさつきが 多 額 の 金 を 払 って 消 費 した タイランド とは( 中 略 ) 西 欧 先 進 国 生 活 を 送 るための 高 級 リゾート であり 例 えばバリなどの 他 の 観 光 地 とも 交 換 可 能 な 場 所 として 描 かれている ( 久 保 田 裕 子 言 葉 は 出 来 事 を 超 えることができるか 村 上 春 樹 タイランド 論 日 本 文 学 2012 年 8 月 ) 久 保 田 裕 子 が 指 摘 したように テクストの 中 でタイの 描 写 は 歴 史 的 文 化 的 記 号 は 表 記 されず バリなどの 他 の 観 光 地 とも 交 換 可 能 な 場 所 として 描 かれている また テ クストをさらに 見 ると 占 い 師 の 老 女 の 登 場 人 物 設 定 は 神 秘 なタイのイメージと 重 なっ ているが これも 村 上 がバリ 島 に 滞 在 していた 間 に インドネシアにはそういう 種 類 の 土 着 的 というか スピリチュアルな 能 力 をもった 人 ( 中 略 )いろんな 不 思 議 な 話 16 が 題 材 になっている なぜ 村 上 は 実 際 に 休 暇 を 過 ごしたバリ 島 を 舞 台 にせず タイを 小 説 の 舞 台 として 選 んだのか また テクストの 舞 台 はタイではなく バリなどの 他 の 観 光 地 とも 交 換 可 能 になるのだろうか それは 他 の 観 光 地 とも 交 換 可 能 なものではない タイに 意 味 があるのではないだろうか この 問 いを 解 決 するために タイランド の 分 析 を 行 う ことで タイランド におけるタイの 空 間 について 考 察 することを 目 的 とする 2 根 というものがない さつき タイランド 17 た び はさつきという 登 場 人 物 の 人 生 についての 物 語 である 出 発 点 とし ての 子 どもの 時 さつきは 父 の 愛 情 を 受 けて 彼 女 のまわりのものごとはすべてうまく 運 んでい て 悪 いことは 何 ひとつ 起 こら ず 幸 せに 育 てられた しかしさつきが 18 歳 の 時 に 父 を 癌 で 失 ってから さつきの 人 生 は まったくべつの 筋 書 きの 話 が 始 まったみた いに すべてが 悪 い 方 向 を 向 いてしまっ た さつきにとって 父 に 対 する 思 い 出 は 四 月 の 思 い 出 のようである This lovely day will lengthen into evening We'll sigh goodbye to all we ever had Alone where we have walked together I'll remember April and be glad 16 村 上 春 樹 ( 著 ) 安 西 水 丸 (イラスト) 読 者 & 村 上 春 樹 フォーラム 309 ( 同 上 2001 年 4 月 ) 17 本 文 引 用 は 全 て 村 上 春 樹 全 作 品 1990-2000 3 短 編 集 Ⅱ ( 講 談 社 2003 年 3 月 )に 拠 る 108
素 敵 な 一 日 も 夕 暮 れとともに 幕 をおろし その 日 の 全 ての 出 来 事 に 別 れを 告 げる ひとり 僕 はかつて 二 人 で 巡 った 道 を 歩 きつつ あの 四 月 の 日 々を 思 い 返 して 幸 せな 気 持 ちになる 18 四 月 という 時 期 からは 春 や 青 春 が 連 想 される 四 月 の 思 い 出 は 青 春 時 代 のさつきの 父 に 対 する 幸 せな 記 憶 なのである しかし 父 親 が 死 んだあと 一 ヵ 月 もたた ないうちに 素 敵 な 一 日 も 夕 暮 れとともに 幕 をおろし たように 母 が ひとことの 相 談 もなく さつきと 父 との 幸 せな 思 い 出 である ジャス レコードのコレクションと 大 き なステレオ 装 置 を 処 分 した 母 の 行 為 に 対 する 不 満 や 母 との 葛 藤 はさつきの 人 生 を 悪 い 方 向 (= その 男 との 関 係 )に 変 えてしまったと 読 み 取 れる 名 前 がない その 男 19 はさつきの 生 まれるはずだった 子 供 たちを 中 絶 させただけではなく その 存 在 自 体 が 辛 い 記 憶 となってさつきを 苦 しめている 家 族 とつながらないさつきは 一 年 間 深 い 孤 独 のうちに 生 きる 心 のふれあい がない 相 互 のコミュニケーション の 関 係 で 過 ごして いる 北 極 熊 の 話 と オーバーラップ 20 するだけではなく 蜂 蜜 パイ の 淳 平 や アイロ ンのある 風 景 の 順 子 と 同 様 に 根 というものがない 深 い 孤 絶 を 感 じ どこにも 結 びついていない 21 のである そして 辛 い 記 憶 から 解 放 されるため 18 歳 で 一 人 遠 く の ひとりも 知 り 合 いがいない 町 22 である 自 由 の 国 のアメリカへ 行 く アメリカのデトロイト 23 でさつきは 甲 状 線 の 免 疫 機 能 についての 研 究 する 医 者 として 働 き オペラしか 聴 かない 証 券 アナリスト をしているアメリカ 人 と 結 婚 した しかし さつきの 夫 はアルコール 依 存 症 で さつきの よく 知 っている 女 性 と 不 倫 し さつきが 子 どもを 欲 しがらな いことを 理 由 に 離 婚 した 離 婚 後 さつきは ジャス レコードのコレクション を 処 分 した 母 と 同 様 に 死 ぬまで 一 度 も アメリカ 人 の 夫 に 対 する 不 幸 な 思 い 出 としてのオペラを 聴 かなくてもとくに 寂 しいとは 思 わない と 語 って いる 自 動 車 の 町 のデトロイトでさつきは 結 婚 生 活 に 失 敗 しただけではなく 自 動 車 の ボンネットの 白 ペンキで JAP CAR と 書 かれ 窓 ガラスとヘッドライトが 誰 かに 叩 き 18 I'll Remember April Lyrics Universal Music Publishing Group DE PAUL, GENE / RAYE, DON 和 訳 は 四 月 の 思 い 出 (I'll remember April) http://take5555.exblog.jp/5291056/ ( 2012 年 11 月 13 日 アクセス)より 引 用 した 19 これについて 河 合 隼 雄 は たとえば 大 江 健 三 郎 さんの 人 生 の 親 戚 の 中 で 大 事 件 が 起 こるんですね 息 子 が 二 人 自 殺 してしまうんですが 主 人 公 の 人 が そのことを 話 すときにいつも あれが 起 こった あれはね あれはね と 言 うんですよ 名 前 は 付 けようがないんです しかしその 人 にとっては あれ というのが 一 生 ついて 回 るわけです ( 中 略 )これをもし 自 我 としておくと 私 の 心 の 中 に it があるんですが さっき 村 上 さんが 言 われたように 周 りの 環 境 というのがあるわけです だから 周 りの 環 境 と it との 関 係 が 一 番 不 思 議 で 訳 のわからないことのように 僕 は 思 います すごい 関 係 があるようにも 思 えますし 関 係 があるようで 何 も 関 係 ないとも 言 えるんです ( 現 代 の 物 語 とは 何 か こころの 声 を 聴 く 新 潮 社 1995 年 1 月 )と 指 摘 している 20 徐 忍 宇 内 なる 闇 へのイニシエーション 村 上 春 樹 神 の 子 どもたちはみな 踊 る 論 ( 九 大 日 文 12 号 2008 年 10 月 ) 21 村 上 春 樹 蜂 蜜 パイ ( 村 上 春 樹 全 作 品 1990-2000 3 短 編 集 Ⅱ 講 談 社 2003 年 3 月 ) 22 注 21 に 同 じ 23 榎 泰 邦 によれば デトロイトに 治 安 状 況 および 市 の 荒 廃 ぶりは 最 悪 の 状 況 を 脱 したといわれる 町 であり 犯 罪 都 市 として 小 説 の 中 でよく 描 写 されている ( デトロイトの 復 活 アメリカ 製 造 業 と 日 本 企 業 丸 善 ライブラリー 1999 年 12 月 ) 109
割 られ るなど 生 活 上 の 安 全 も 保 障 されていなかった 川 村 湊 によれば クルマが それに 乗 っている 人 間 とほぼ 等 身 大 になっている 場 合 があ り クルマという 箱 は 個 人 を 外 側 の 外 界 の 危 機 や 危 険 に 晒 しながら それがまる で 安 全 であるかのように 思 わせる 一 種 の 魔 法 の 箱 にほかならない 24 のであり ホンダ アコード はさつきの 身 を 守 る 箱 なのである 1976 年 5 月 に ユーティリティ 走 り の 良 さ 乗 り 心 地 経 済 性 といったクルマ 自 身 に 求 められる 要 件 と 環 境 にやさしい 低 公 害 性 安 全 性 といった 社 会 的 な 要 請 とをバランスよく 調 和 させた ヒューマン カー という 新 しいコンセプトのもとに 25 デビューしたホンダ アコードは 1993 年 に 日 本 カー オブ ザ イヤー を 獲 得 して 国 内 だけではなく 海 外 でも 高 い 評 価 を 得 た こ れは ノーベル 賞 候 補 になることだって 夢 じゃない と 高 く 評 価 されたさつきと 重 なって いる しかし さつきの ホンダ アコード は 窓 ガラスとヘッドライトが 誰 かに 叩 き 割 られ ボンネットの 白 ペンキで 日 本 人 を 差 別 する 用 語 の JAP CAR と 書 かれた 久 保 田 裕 子 が 自 動 車 がナショナリティを 象 徴 する 記 号 として 機 能 する 状 況 が 背 景 にあったこ とがわかる 26 と 指 摘 しているように 破 壊 された 自 動 車 はアメリカの 社 会 と 調 和 (アコー ド)できず アメリカに 根 をつける ことができないさつきの 象 徴 なのである 結 局 さつきは 再 び 日 本 へ 戻 っていくのである 3 バンコクからリゾートの 空 間 へ 日 本 に 戻 ってから さつきは 東 京 の 大 学 病 院 で 働 き 世 界 甲 状 線 会 議 を 参 加 するためタ イに 行 く タイの 国 名 は タイ 族 の 名 に 由 来 して 自 由 という 意 味 を 持 っている つま り 西 洋 の 自 由 の 国 のアメリカと 同 様 に タイは 東 洋 の 自 由 の 国 である 舞 台 と してのタイは 西 洋 / 東 洋 のパラレル ワールドとされているだけではなく 世 界 甲 状 線 会 議 を 行 った バンコク 27 は 1990 年 代 に デトロイト オブ ジ イースト 28 ( 東 洋 の わいざつ デトロイト)と 呼 ばれていた このように デトロイトと 同 様 に 猥 雑 でうるさくて 空 気 の 汚 く 車 は 渋 滞 し 人 々は 怒 鳴 りあい クラクションが 空 襲 警 報 のように 空 気 を 裂 い て いるバンコク 29 を 舞 台 としたことは 東 洋 にある 南 の 国 や バリ 島 などにはない 24 川 村 湊 自 画 像 としてのクルマ 眠 り ( 村 上 春 樹 をどう 読 むか 作 品 社 2006 年 12 月 ) 25 アコード 20 年 のあゆみ インターネット ホームページ http://www.honda.co.jp/factbook/auto/accord/ 19960700/ac96-001.html ( 2012 年 11 月 13 日 参 照 ) 26 久 保 田 裕 子 言 葉 は 出 来 事 を 超 えることができるか 村 上 春 樹 タイランド 論 ( 日 本 文 学 2012 年 8 月 ) 27 タイについての 村 上 の 小 説 は タイランド だけではない 1993 年 に パーカー 万 年 筆 のシリーズ の 報 告 として 太 陽 に 連 載 された バンコック サプライズ というショート ショートがある バンコック サプライズ で と おおおおってもすごいことがバンコックであったんですよ 超 信 じられないようなこと ものすごおおおおおいこと というをバンコク 描 かれている 28 バンコク 日 本 人 商 工 会 議 所 副 会 頭 を 務 める 村 松 吉 明 TMT 社 長 は 通 貨 危 機 の 逆 風 は いまや 追 い 風 に 変 わりつつあ る 輸 出 という 緊 急 対 策 がタイをワンステージ 上 の 国 に 押 し 上 げている と 話 す そこで デトロイト オブ ジ イ ースト ( 東 洋 のデトロイト)のタイが 90 年 代 初 め 21 世 紀 には 自 動 車 生 産 基 地 になれるよう 掲 げた 目 標 が 再 び 現 実 味 を 帯 び 始 めている ( 内 需 からの 転 換 (アジア 危 機 2 年 変 わる 産 業 地 図 : 上 ) 朝 日 新 聞 1999 年 6 月 3 日 朝 刊 ) 29 1990 年 代 のバンコクの 交 通 渋 滞 の 激 しさは 世 界 に 知 られている たとえば 1995 年 2 月 9 日 の 朝 日 新 聞 にもバ ンコクの 渋 滞 についての 世 界 最 悪 の 渋 滞 出 口 なし タイ バンコク という 記 事 がある 110
近 代 的 な 風 景 を 投 影 したいのではないのか バンコクの 自 動 車 運 転 事 情 はすさまじいです 日 本 で 運 転 していて 割 り 込 まれても ちょっとのことくらいで 短 気 を 起 こしちゃいけないな これに 比 べれば 甘 い 甘 い と 認 識 を 新 たにしました( 笑 ) でもバンコクの 運 転 手 たちは 素 晴 らしいドライヴィン グ テクニックを 持 っているみたいで 車 間 距 離 なくてもぶつかりません(あの 絶 妙 なブレーキング!) 割 り 込 む 側 入 れる 側 の 阿 吽 の 呼 吸 もあり 日 本 人 がやる 場 合 の ただの 危 険 な 運 転 とはものが 違 うみたいです 無 謀 さの 格 が 違 う とも 言 えますが ( 読 者 & 村 上 春 樹 フォーラム 198 CD ROM 版 村 上 朝 日 堂 スメルジャコフ 対 織 田 信 長 家 臣 団 朝 日 新 聞 社 2001 年 4 月 ) 読 者 & 村 上 春 樹 フォーラム で あおい という 読 者 から 送 られたタイについての 手 紙 (1998 年 11 月 4 日 )におけるバンコクは すさまじい 自 動 車 運 転 事 情 であるにも かかわらず タイ 人 の 運 転 手 は 素 晴 らしいドライヴィング テクニックを 持 っている このようなタイ 人 の 運 転 手 の 描 写 は タイランド の とても 美 しいステアリングの 切 り 方 をした きちんと 同 じ 場 所 に 手 をあて 同 じ 角 度 のところで 持 ちかえ るニミットとい う 登 場 人 物 と 重 なっていると 言 える ニミットは 六 十 を 過 ぎた やせたタイ 人 で 33 年 間 ノルウェイ 人 宝 石 商 (その 方 )の 運 転 手 として 勤 めていた ノルウェイ 人 宝 石 商 が 亡 くなる 前 に ニミットはメルセデス ベンツとジャズのカセットテープを 讓 り 受 けた 夫 のオペラをもう 聴 かないさつきに 対 して ニミットは その 方 との 思 い 出 としてのジャ ズのカセットテープを 大 事 にしている また ニミットの 等 身 体 としてのメルセデス ベ ンツも さつきの 叩 き 割 られ た ホンダ アコード とまったく 異 なり 宝 石 のよう に 美 しく 磨 き 込 まれ 車 体 にはしみひとつない 新 車 より 美 しい それは 誰 かの 非 現 実 的 な 妄 想 からそのまま 抜 け 出 してきたみたい である さつきはニミットと 初 めて 出 会 ったときに ニミットという タイ 語 の 固 有 名 詞 に 対 し て ファーストネームなのかラストネームなのか それもわからない とにかく 彼 はニ ミットなのだ とニミットの 存 在 を 受 け 取 る 不 快 に 感 じ 金 綱 がはられた 小 屋 の 中 にいるようであり なにもかも 脱 ぎ 捨 てて 自 由 になりたい と 願 っているさつきを 辛 い 過 去 から 解 放 させるため 素 晴 らしいドライヴィング テクニックを 持 っている ニミット わいざつ はさつきの 導 き 役 として 暑 くて 猥 雑 でうるさくて 空 気 の 汚 い バンコクの 空 間 から 街 の 外 へ 連 れ 出 す そのシーンでニミットは 言 いだしかねて(I Can t Get Started) の カセットテープを 取 り 出 してカーステレオに 入 れ 小 さな 音 でかけた 僕 は 飛 行 機 に 乗 るたびに I Can t Get Started という 古 い 歌 の 出 だしを 思 い 出 します I ve been around the world in a plane / I ve settled revolutions in Spain 111
という 歌 詞 だから 飛 行 機 に 乗 ると 僕 はいつもスペイン 内 戦 のことを 考 える スペ イン 内 戦 のことを 考 えると アーネスト ヘミングウェイのことを 考 える ヘミング ウェイのことを 考 えると 飛 行 機 の 事 故 のことを 考 える だからそんな 歌 について 考 えるのはもうよそうと 思 うのだが ついつい 考 えてしまうんです ( 世 界 でいちばん 気 に 入 った 三 つの 都 市 夢 を 見 るために 毎 朝 僕 は 目 覚 めるのです 村 上 春 樹 インタ ビュー 集 1997-2009 文 藝 春 秋 2010 年 9 月 ) 上 に 引 用 した 旅 行 雑 誌 Papersky ( 2004 年 7 月 号 )のインタビューによれば I Can t Get Started の 曲 は 飛 行 機 の 事 故 = 死 と 結 びついている つまり さつきが 導 か れる 街 の 外 の 空 間 は 死 の 空 間 とも 言 えよう 河 合 隼 雄 によれば 死 は 挫 折 であり 消 滅 であり 否 定 的 な 面 をもつことはもちろんであるが このように 再 生 へとつながって ゆく 限 りにおいては 肯 定 的 な 面 ももっている 30 このように 新 しい よりよいものへ と 再 生 してゆくため さつきは 本 格 的 に 水 泳 ができるプールへ 行 く そのプールは 高 い 塀 で 囲 まれ 重 々しい 鉄 の 門 扉 で 閉 じられ 古 い 石 造 りの 二 階 建 ての 建 物 の 裏 手 に 隠 れ 人 の 気 配 というものが 感 じられない ところである プールの 空 間 は 人 間 同 士 の く バリア( 壁 )があり 人 とコミュニケートできない 空 間 である また 地 下 水 を 汲 みあげ て 使 って いるこのプールは 井 戸 を 連 想 することができる つまり 誰 にも 打 ち 明 け られなかった さつきの 子 どもを 抹 殺 し 底 のない 井 戸 に 投 げ 込 んだ 秘 密 は 井 戸 のような プール を 通 して 象 徴 されるのである さつきは 五 日 間 そのプールで 一 人 で 泳 ぎ いやな 記 憶 を 頭 の 外 に 追 いやることができ 空 を 飛 んでいるような 自 由 な 気 分 になれた この 自 由 な 気 分 はジャズを 聞 く 度 に 胸 の 中 からなんとか 抜 け 出 そうとしている 自 由 な 魂 が 出 てくるニミットの 主 人 のことと 同 様 である ニミットの 主 人 は ラップランドの 故 郷 に 何 かとくべつな 事 情 があった た め 三 十 三 年 のあいだ 彼 は 一 度 としてノルウェイには 戻 らなかった ラップランドは サンタクロースが 住 むところであり 家 族 と 過 ごすクリスマスを 連 想 される また 松 本 常 彦 によれば タイと ラップランド や 北 極 など 南 との 対 照 が 意 識 されており 寒 さと 遠 さを 背 景 に 家 族 との 関 係 の 表 現 になっている 31 ジャズを 聴 くことによ って 辛 い 記 憶 を 一 時 的 に 忘 れることができても 死 ぬる 日 まで 自 分 が 生 まれたラップラ ンドの 故 郷 の 町 を 懐 かしがっていました こうして 主 人 のような 終 わりを 迎 えないため 休 暇 の 最 終 日 にニミットはさつきを 夢 を 予 言 する 年 老 いた 女 のところまで 連 れていくので ある 4 未 開 地 の 老 女 の 予 言 30 河 合 隼 雄 河 合 隼 雄 著 作 集 ユング 心 理 学 入 門 1 ( 岩 波 書 店 1997 年 12 月 ) 31 松 本 常 彦 地 震 のあとで 彼 女 は 何 を 見 ていたのか ( 九 大 日 文 12 号 2008 年 10 月 ) 112
1998 年 8 月 9 日 の 読 者 フォーラム で 村 上 はバリ 島 についての 読 者 の 質 問 に 対 して ライアル ワトソン 未 知 の 贈 りもの ( 村 田 恵 子 訳 筑 摩 書 房 1992 年 12 月 )という 小 説 に 言 及 して バリの 近 くの 小 さな 島 の 巫 女 的 な 踊 り 尐 女 の 話 です 半 分 学 術 的 半 分 ス ーパーナチュラルな 本 ですが なかなか 面 白 い 32 と 述 べ 未 知 の 贈 りもの から 影 響 を 受 けた 33 タイランド でも 人 々の 心 を 治 療 するため 夢 を 予 言 する 老 女 の 描 写 は 未 知 の 贈 りもの の 事 件 がおこる 前 に 警 告 を 運 んできた 夢 を 見 る 八 〇 歳 を 越 している イブ スーリの 描 写 と 重 なっているのである 夢 を 予 言 する 老 女 が 住 む 場 所 はバンコクの 空 間 や リゾートの 空 間 と 全 く 異 なる 世 界 で あり せせこましい 水 田 痩 せた 汚 い 家 畜 がおり 道 路 は 水 たまりだらけで 性 器 をむき 出 しにした 牡 犬 があたりをうろつき 裸 に 近 いかっこうの 子 どもたちが 道 ばたに 並 んで 立 っ て 人 為 的 に 歪 曲 されず 汚 染 されていない 自 然 な 空 間 なのである この 空 間 にいる 老 女 はさつきの 身 体 の 中 には 石 が 入 って その 石 をどこかに 捨 てなくてはなり ません そうしないと 死 んで 焼 かれたあとにも 石 だけが 残 ると 予 言 する その 石 は 三 十 年 間 にわたって 憎 み 続 け 誰 にも 打 ち 明 けられなかった さつきの 内 に 秘 めた 秘 密 である 老 女 によりさつきの 治 療 方 法 は 石 を 飲 み 込 んでくれる 大 きな 蛇 の 出 てく る 夢 を 待 つことである テクストの 終 わりに さつきは 自 分 の 心 の 底 を 認 識 して ニミットに 言 おうと 思 ったが ニミットに 言 葉 は 石 にな るので 言 葉 をお 捨 て 夢 をお 待 ちなさい と 言 われる 言 葉 は 石 になるとはどのような 意 味 なのだろうか たとえば 自 分 はノドに 何 か 詰 まっている というと 何 か 言 いたいことがあるで しょう 思 いきって 言 いなさい と 言 うと いや じつは 父 親 を 殺 したいと 思 う と 言 うとしますね そうすると それを 言 ってしまったことで 傷 つくのです 自 分 は 何 も 意 識 してそんなこと 思 っていなかった と 思 っても 自 分 は 父 親 殺 しの 意 思 を 持 ってい たということで また 辛 くなるわけでしょう ( 河 合 隼 雄 村 上 春 樹 村 上 春 樹, 河 合 隼 雄 に 会 いにいく 岩 波 書 店 1997 年 3 月 ) 河 合 隼 雄 によれば 言 語 的 に 精 神 分 析 することは 通 常 の 意 識 のレベルに 近 いところに 問 題 がある 人 の 場 合 は 分 析 しやすいが 非 常 に 深 いところに 問 題 がある 人 は 言 語 的 に 分 析 しようとしても 傷 が 深 くなり 治 らない 場 合 があると 指 摘 している さつきの 場 合 も 32 村 上 春 樹 ( 著 ) 安 西 水 丸 (イラスト) 読 者 & 村 上 春 樹 フォーラム 131 ( CD ROM 版 村 上 朝 日 堂 スメルジャコフ 対 織 田 信 長 家 臣 団 朝 日 新 聞 社 2001 年 4 月 ) 33 未 知 の 贈 りもの の 目 次 で 第 一 状 態 火 第 二 状 態 地 第 三 状 態 水 第 四 状 態 気 という 四 大 元 素 を 基 にして 分 けられ インドネシアの 孤 島 ヌス タリアン での 自 然 とともに 生 きる 島 の 人 の 話 を 語 られている 神 の 子 どもたちはみな 踊 る で アイロンのある 風 景 で 焚 き 火 を 見 る 順 子 は 火 だとすれば 神 の 子 どもたちはみ な 踊 る でグラウンドで 踊 る 善 也 は 土 タイランド で 水 泳 するさつきは 水 かえるんく 東 京 を 救 う でか えるくんと 出 会 う 片 桐 は 風 である さらに 村 上 は UFO が 釧 路 に 降 りる で 空 気 のかたまりである 小 村 の 空 という 五 つ 目 の 元 素 を 加 えて そして 蜂 蜜 パイ で 最 後 のひとつ そういうものを クロージング 的 に 置 (E メール インタビュー 言 葉 という 激 しい 武 器 聞 き 手 : 大 鋸 一 正 ユリイカ 臨 時 増 刊 号 2000 年 3 月 )くのである また 未 知 の 贈 りもの では 踊 り 夢 予 言 石 大 きなかがり 火 動 物 などの 連 作 小 説 集 神 の 子 どもた ちはみな 踊 る にあるキーワードと 重 なっており 神 の 子 どもたちはみな 踊 る と 関 連 性 があると 言 えよう 113
辛 い 記 憶 ( 石 )を 30 年 間 抱 えてきたため その 辛 い 記 憶 を 言 語 化 してしまうと 言 葉 は 石 にな り さらに 詰 まって 自 分 を 傷 つけるのである その 唯 一 の 治 療 方 法 は 言 語 化 せ ず 夢 を 待 つことである 34 テクストの 冒 頭 にあるバンコクの 場 面 で 村 上 はニミットにバンコク 市 内 の 象 の 話 を 語 らせている バンコク 市 内 の 象 の 話 は 全 体 の 文 脈 と 無 関 係 のように 見 えるが 数 が 増 えす ぎて 市 民 はとても 迷 惑 しています 何 かに 驚 いて 通 りを 暴 走 する 象 もいて このあいだ はずいぶんな 数 の 車 が 壊 され る 市 内 の 象 は とりあげることができ ないさつきの 辛 い 思 い 出 だとすれば その 思 い 出 を とりあげる ためには 放 置 するしかない とい うことになる つまり 放 置 すること 35 は 記 憶 を 言 語 化 せず いつ 来 るのか 分 からない 夢 を 待 つという 自 己 治 療 の 方 法 である これは ニミットが 33 年 間 ずっと 一 緒 にいた その 方 と 一 心 同 体 であったように さつきが 抱 える 30 年 間 の 地 面 みたいな 堅 固 な 苦 しみが 自 分 の 一 部 になることである そして さつきの 苦 しみは 時 間 の 流 れととも に 消 滅 (= 死 )し 蛇 が 石 を 飲 み 込 んでくれるのように 辛 い 思 い 出 から 自 由 になる 36 吉 野 裕 子 によれば 蛇 について 日 本 では 古 代 から 信 仰 されてきた 蛇 は 男 性 の 男 根 を 連 想 させるだけではなく トグロを 巻 く 様 子 は 女 性 器 も 連 想 させるため 蛇 は 性 (= 生 )の 象 徴 としてよく 使 われている 生 の 象 徴 以 外 蛇 の 脱 皮 は 古 い 皮 を 脱 いで( 死 ) 美 しく 新 鮮 な 皮 に 変 わる( 再 生 )ため 死 と 再 生 の 象 徴 的 な 意 味 も 持 っている つまり 蛇 の 夢 は 古 い 思 い 出 を 脱 いで さつきの 新 生 をもたらす 夢 なのである しかし 今 までのさつきは 生 きることだけに 多 くの 力 を 割 きながら その 男 を 責 めて 彼 が 死 ぬことを 求 め てばかりいる 言 い 換 えれば さつきは 自 と 他 を 明 確 に 区 別 し 他 を 観 察 することによって 出 来 上 がって すべてのものを 支 配 するほどの 強 力 さを 誇 るようになった 37 のである こうして さつきの 苦 しんできた 自 我 を 消 滅 するため には 自 と 他 とを 区 別 せず 自 然 の 法 則 ( 死 )を 認 識 して 自 然 の 一 部 にならなければなら ない これによって さつきがタイの 田 舎 に 連 れていかれたことの 意 味 は 自 然 へ 帰 ること である 自 然 な 空 間 にいる 老 女 の 治 療 によって 私 の 生 まれるはずだった 子 どもたちに 対 してした その 男 を 非 難 する 自 我 意 識 から その 子 どもを 抹 殺 するのが 自 分 だと 意 識 す るようになった つまり 自 分 の 井 戸 の 中 に 深 く 入 れば 入 るほど 相 手 の 井 戸 と 共 有 できる 34 バンコク 市 内 の 象 は 90 年 代 の 外 国 人 観 光 客 の 間 で 話 題 になり バンコク 週 報 で バンコク 都 庁 は 九 五 年 二 月 より 象 が 都 内 道 路 を 歩 行 することを 禁 止 している バンコクやその 近 郊 では 象 が 下 水 溝 などにはまって 負 傷 する 事 故 がた びたび 起 きており 死 亡 するケースも 尐 なくない 都 庁 では 車 の 多 い 道 路 を 象 が 歩 くことは 危 険 であり 象 の 健 康 にも 悪 いとして 飼 い 主 に 地 方 へ 帰 るよう 勧 めている しかしこれまでも 地 方 に 帰 った 象 が 再 びバンコクに 戻 ってくると いうことが 繰 り 返 されてきた ( バンコク 出 稼 ぎ 象 デモ 行 進 バンコク 週 報 2000 年 3 月 10 日 )と 述 べられている 35 これについて 村 上 春 樹, 河 合 隼 雄 に 会 いにいく で 河 合 隼 雄 が 自 己 治 療 について ぼくは 何 をしているかという と 偶 然 待 ちの 商 売 をしているのです みんな 偶 然 を 待 つ 力 がないから 何 か 必 然 的 な 方 法 で 治 そうとして 全 部 失 敗 するのです ぼくは 治 そうとなんかせずに ただずっと 偶 然 を 待 っているんです ( 中 略 )そりゃつらいですよ なんに もしないんだから 待 っていて うまいこと 偶 然 が 起 こったら そのときにはやっぱりパッパッとがんばらなくてはい けないんですけれどもね と 述 べている ( 河 合 隼 雄 村 上 春 樹 村 上 春 樹, 河 合 隼 雄 に 会 いにいく 岩 波 書 店 1997 年 3 月 ) 36 吉 野 裕 子 ものと 人 間 の 文 化 史 32 蛇 日 本 の 蛇 信 仰 ( 法 政 大 学 出 版 局 1984 年 5 月 ) 37 河 合 隼 雄 河 合 隼 雄 著 作 集 第 11 巻 宗 教 と 科 学 ( 岩 波 書 店 1998 年 10 月 ) 114
38 と 村 上 春 樹 が 言 ったように さつきは 辛 い 思 い 出 の 裏 で 自 分 が その 男 ( 石 )と 共 存 ( 夢 を 待 つこと)していることを 把 握 できたのである 夢 を 待 つこと という 治 療 の 方 法 は 近 代 人 にとって 馬 鹿 げた 方 法 のように 見 えるが 医 者 のさつきにとっては ホルモン 錠 剤 などの 医 学 的 な 治 療 より さつきの 無 意 識 な 心 に 訴 えるのである 老 女 の 予 言 は 釧 路 に 降 りる UFO アイロンのある 風 景 善 也 の お 方 かえるくんの 存 在 と 同 様 に 理 性 や 科 学 で 解 けない 未 知 のものである 近 代 人 として の 読 者 はこれらの 未 知 なものをどのように 捉 えるべきであろうか 今 われわれが 世 界 について 知 っていることをどうにか 説 明 しようと 苦 闘 している ト ップクラスの 理 論 物 理 学 者 のうちの 数 人 である かれらの 考 えは 当 然 変 化 し 意 識 が 成 長 するように 成 長 してゆく 理 性 の 時 代 の 安 易 な 楽 観 主 義 に 逆 戻 りすることはで きないということだけはたしかだが そのほかにたしかなことは 何 もない 宇 宙 は 非 理 性 的 な 状 態 であり 方 法 より 気 分 に 負 っている 部 分 が 多 い 宇 宙 はわれわれの 耳 に きこえない 音 楽 に 合 わせて 踊 る だが もしわれわれが すること よりも あるこ と に 集 中 すれば そのリズムをとらえることはできるのである 子 供 たちのように すっぽりと 宇 宙 のふところに 入 りこめば (ライアル ワトソン 未 知 の 贈 りもの ち くま 文 庫 1992 年 12 月 ) 宇 宙 は 毎 日 尐 しずつ 踊 るように 変 化 ( 死 と 再 生 )していく そのリズムをとらえ る ため 子 供 たちのようにすっぽりと 宇 宙 のふところに 入 りこ む 特 に 阪 神 淡 路 大 震 災 と 地 下 鉄 サリン 事 件 の 間 に 生 きている 登 場 人 物 あるいは 被 害 者 たち 39 は この 乱 れて いる 地 球 の リズムをとらえ ながら 地 球 のバランスと 調 和 して 生 きなければならない 5 タイランド におけるタイ 神 の 子 どもたちはみな 踊 る の 登 場 人 物 例 えば UFO が 釧 路 に 降 りる で 北 海 道 に 行 く 小 村 や アイロンがある 風 景 で 死 の 世 界 へ 旅 をする 順 子 と 三 宅 などは 生 きられな い 状 態 から 解 放 されるため 遠 くの ひとりも 知 り 合 いがいない 町 に 行 って( 中 略 )そこ で 孤 独 に 一 生 を 終 える 40 タイランド でアメリカに 行 くさつきもその 一 人 である し かし 他 の 登 場 人 物 と 同 様 に どれだけ 遠 くまで 行 っても 自 分 自 身 からは 逃 げられない 38 村 上 春 樹 現 代 の 物 語 とは 何 か ( こころの 声 を 聴 く 河 合 隼 雄 対 話 集 新 潮 社 1995 年 1 月 ) 39 UFO が 釧 路 に 降 りる で 小 村 の オーディオ 機 器 専 門 店 は 秋 葉 原 に 神 の 子 どもたちはみな 踊 る で 善 也 の 海 外 旅 行 関 係 の 本 を 専 門 する 小 さな 出 版 社 は 神 谷 町 駅 に かえるくん 東 京 を 救 う で 片 桐 の 東 京 信 用 金 庫 は 新 宿 に 蜂 蜜 パイ で 小 夜 子 のマンションは 高 円 寺 にある タイランド のさつきは ノーベル 賞 候 補 になることだって 夢 じゃない と 書 かれているので さつきの 職 場 である 東 京 の 大 学 病 院 は 東 京 大 学 医 学 部 附 属 病 院 だと 考 えられる 全 ての 登 場 人 物 の 職 場 や 住 まいは 日 比 谷 線 千 代 田 線 丸 ノ 内 線 とつながり 地 下 鉄 サリン 事 件 からの 被 害 者 が 多 く 発 生 したところである こうして 神 の 子 どもたちはみな 踊 る の 登 場 人 物 たちは 地 下 鉄 サリン 事 件 の 被 害 者 になる 可 能 性 があると 考 えられる 40 村 上 春 樹 蜂 蜜 パイ ( 村 上 春 樹 全 作 品 1990-2000 3 短 編 集 Ⅱ 講 談 社 2003 年 3 月 ) 115
41 ため さつきはタイで 自 分 自 身 と 向 き 合 ったのである タイランド は 国 際 的 な 都 市 性 リゾート 化 された 癒 し 空 間 未 開 地 的 な 要 素 など が 同 居 する 場 所 としてタイを 描 写 する バンコクの 空 間 は アメリカのデトロイトのパラ レル ワールドのように 西 洋 的 な 近 代 社 会 であり 多 くの 問 題 が 生 じる 現 実 の 世 界 である 現 実 の 世 界 から 苦 痛 を 感 じていたさつきは 現 実 の 世 界 ( 現 在 の 空 間 )から 非 現 実 の 世 界 であるリゾートの 空 間 へ 抜 け 出 した リゾートの 空 間 は 非 日 常 的 な 環 境 のなかに 身 を 置 くという 場 所 的 感 覚 も 日 常 の 生 活 空 間 がもつ 都 会 的 便 利 さを 失 うことなくもっていな ければならない 42 さつきが 滞 在 したのは 金 がかかっていた 高 級 リゾート ホテル であり 自 然 景 観 をもつ 山 間 部 リゾートである そこで さつきは 水 泳 で 肉 体 を 使 うこと で 頭 を 解 放 した こうした タイの 歴 史 的 文 化 的 記 号 と 出 会 わず リゾートの 空 間 だ けに 滞 在 するさつきの 旅 行 は 1990 年 代 に 流 行 した 日 本 人 の 海 外 旅 行 の 形 が 反 映 されている のである つまり 旅 先 の 日 常 生 活 が 伝 えてきた 歴 史 や 文 化 から 切 り 離 され お 金 を 介 し た 消 費 行 動 だけで 幸 うじて 接 点 を 持 つ 個 人 旅 行 が 孤 人 旅 行 と 化 した 脱 文 脈 化 す る 海 外 旅 行 の 現 状 である 43 このように タイランド のタイは 国 際 化 され 女 性 が 個 人 旅 行 が 出 来 る 安 全 な 観 光 地 として 描 かれているだけではなく 旅 行 者 をもてなし サ ービスをするニミットのような 優 しいタイ 人 と 接 触 することができる 空 間 としても 見 られ る 最 後 の 日 に さつきは せせこましい 水 田 痩 せた 汚 い 家 畜 道 路 は 水 たまりだらけで 牛 の 糞 のにおいがいたるところに 標 って 裸 に 近 いかっこうの 子 どもたちが 道 ばたに 並 んで 立 って いるという 人 為 的 に 歪 曲 されず 汚 染 されていない みすぼらしい 村 で 西 洋 の 知 識 では 辿 り 着 くことができない 心 の 底 を 認 識 する このように さつきをタイ の 三 つの 空 間 に 案 内 したのはニミットである タイ 語 で ニミット は 固 有 名 だけではな く 一 般 名 詞 としても 使 われている น ม ต nímít [ 動 ]=น รม ต*[ 名 ]=น ม ตต * น ม ตต nímít [ 名 ]1 前 兆 微 候 端 諸 2しるし 記 号 3 原 因 理 由 4 夢 5 文 男 女 の 生 殖 器 // น ม ตต ส บ น sùbin 夢 の 知 らせ[[ 梵 巴 ]]( 松 山 納 タイ 語 辞 典 大 学 書 林 1994 年 10 月 ) ニミット はもともと 仏 教 語 の ニミッタ(Nimitta) から 来 た 言 葉 であり 仏 教 的 な 文 脈 によって 微 妙 に 異 なる 意 味 で 用 いられる 特 に ニミット は 瞑 想 用 語 としてよく 使 われ 心 の 中 に 生 じてくる 種 々の しるし 記 号 という 意 味 がある 44 このことから 41 村 上 春 樹 UFO が 釧 路 に 降 りる ( 注 40 に 同 じ ) 42 長 谷 川 芳 郎 リゾートの 歴 史 と 空 間 考 ( リゾートの 構 図 世 界 にみるリゾートづくりの 発 想 と 手 法 綜 合 ユ ニコム 1987 年 6 月 ) 43 山 口 誠 ニッポンの 海 外 旅 行 若 者 と 観 光 メディアの 50 年 史 (ちくま 書 房 2010 年 7 月 ) 44 nimitta A Buddhist Dictionary A Manual of Pali Terms and Buddhist Doctrines By Nyanatiloka Mahathera インターネット ホームページ http://www.urbandharma.org/udharma2/dictionary/bd17.html ( 2013 年 10 月 10 日 参 照 ) 116
ニミット は 心 の 中 に 現 れるイメージという 概 念 が 存 在 しているため 前 兆 記 号 原 因 夢 などの 複 数 の 意 味 に 託 されているのである このように 一 般 のタイ 人 読 者 にとっ て タイランド の ニミット は 登 場 人 物 のニミットだけではない さつきがみた 夢 や さつきの 心 に 現 れる 記 号 としての 石 や さつきに 対 する 予 言 は 全 て ニミッ ト である つまり 様 々な ニミット はさつきの 無 意 識 的 な 精 神 状 況 が 示 されている これで ニミットというのが( 中 略 )わからない さつきの 描 写 は 自 分 の 心 の 底 が 認 識 していないことが 反 映 されているのではないか このように すべてはうまく 運 ぶ た め さつきは とにかくこのニミットという 男 に 黙 ってまかせて 自 分 の 無 意 識 を 意 識 す るようになった ニミット がわからないのはさつきだけではなく 一 般 の 日 本 人 読 者 に も ニミットの 名 が 持 つ 複 数 性 や 象 徴 性 や 多 様 性 は 読 まれない ニミット の 非 対 称 性 は 西 洋 の 知 識 だけ 重 視 し 精 神 世 界 を 非 対 称 にする 近 代 の 日 本 人 が 反 映 されているのではな いか 以 上 のように タイランド は 従 来 のタイ 表 象 で 慣 用 化 された 危 険 な 空 間 ロマンス 化 される 関 係 有 名 な 観 光 地 歴 史 的 文 化 的 な 要 素 などに 言 及 しない その 一 方 で 国 際 的 な 都 市 性 リゾート 化 された 癒 しの 空 間 未 開 地 的 な 要 素 などが 同 居 する 場 所 としてタ イの 奥 行 きを 描 く 従 来 のタイ 表 象 では 見 えなかったタイの 奥 行 きが タイ 人 読 者 しか 読 めない ニミット の 多 様 性 を 通 じて 描 かれている このように タイランド は 日 本 人 にとってのタイの 画 一 的 な 表 象 とタイの 側 から 見 た 場 合 の 奥 行 きとの 非 対 称 性 を 黙 示 的 に 示 したのではないだろうか 117
終 章 序 章 で 述 べたように モノ の 意 味 は 他 者 によって 作 成 されている タイの 意 味 を 理 解 するためには 日 本 などの 外 部 に 立 つ 観 察 者 からの 視 点 が 必 要 である 本 論 で 見 てきたよ うに 観 察 者 からのタイへの 眼 差 しは 社 会 文 化 時 代 によって 構 成 され メディアを 通 して 表 象 化 される 終 章 ではこれまで 各 章 で 論 じてきた 論 点 をまとめ 日 本 近 現 代 文 学 で 描 かれている 日 タイ 関 係 の 歴 史 の 中 でタイ 表 象 はどのように 変 容 してきたのか という 問 題 について 考 察 する 1 明 治 大 正 期 の シャム 本 論 で 明 治 大 正 期 のシャム 表 象 について 述 べたのは 第 1 部 の 第 1-2 章 と 第 2 部 の 第 3 章 である まず 第 1 章 で 確 認 したように 明 治 期 の 読 売 新 聞 では 仏 教 や 山 田 長 政 つい ての 記 述 が 見 られても 最 も 高 い 関 心 が 寄 せられているのはシャムを 日 本 の 植 民 地 化 する ことについてである こうした 背 景 から 当 時 の 新 聞 におけるシャムは 移 住 に 適 した 生 活 環 境 であるという 南 進 政 策 に 都 合 のよい 側 面 だけが 描 写 されている 第 2 章 タイ 国 旅 行 の 表 象 では 明 治 期 のシャムの 旅 行 記 シャムの 国 情 の 報 告 書 仏 教 交 流 旅 行 記 や シャム 探 検 / 冒 険 記 を 取 上 げた これらの 旅 行 記 によれば 当 時 シャム へ 渡 航 した 日 本 人 はシャムを 植 民 地 化 しようとする 欲 望 を 持 ち シャムの 国 情 や 資 源 など を 徹 底 的 に 探 求 したのである しかし 第 1 章 の 読 売 新 聞 で 描 かれた 理 想 的 な 植 民 地 としてのシャムの 表 象 に 反 して これらの 旅 行 記 におけるシャムは 危 険 な 野 生 動 物 や 野 蛮 な 密 林 などの 原 始 的 なシャム として 描 写 されている 一 方 で シャムの 資 源 の 豊 か さが 暗 示 されている また 冒 険 旅 行 記 馬 来 半 島 の 猛 獣 狩 (1911 年 )では 豊 かな 胸 乳 が 揺 れ 男 根 の 形 をした 木 造 の 戀 の 神 を 崇 拝 する 醜 いシャム 人 女 性 が 描 写 されてい る このような 描 写 はシャム 人 女 性 に 対 する 性 的 幻 想 を 喚 起 するだけでなく 信 仰 深 いシ ャムが 表 現 されている 一 方 第 3 章 で 取 り 上 げた 遅 塚 麗 水 少 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 (1898 年 )を 見 ると 少 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 には 第 1 章 の 読 売 新 聞 と 同 様 に 明 治 期 における 立 身 出 世 や 南 進 論 の 移 民 政 策 の 主 張 が 内 包 されており そうした 理 想 や 主 張 を 伝 えるためにシャムで 成 功 した 山 田 長 政 を 利 用 していた シャムは 第 2 章 の 旅 行 記 のような 原 始 的 なシャムでは なく 理 想 的 な 空 間 として 強 調 され 漠 然 としたシャムの 表 象 となっている そして 当 時 の 旅 行 記 のように 象 の 戦 いなど 読 者 の 冒 険 心 をかきたてる 要 素 が 見 られる また 少 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 においては 山 田 長 政 ( 日 本 = 男 )とシャムの 王 妃 (シャム= 女 ) の 関 係 を 通 して 日 本 とシャムの 好 意 的 な 関 係 のパターンが 定 式 化 される 山 田 長 政 テク ストのシャムの 風 景 はまだ 漠 然 としていても 日 本 人 は 明 治 期 に 繰 り 返 して 語 られた 山 田 118
長 政 の 伝 説 によってシャムを 意 識 するようになったのである 以 上 のように 明 治 大 正 期 のシャムに 関 するメディア( 読 売 新 聞 や 旅 行 記 など)と 少 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 は 南 進 論 の 言 説 を 共 有 している 特 に 馬 来 半 島 の 猛 獣 狩 など の 冒 険 旅 行 記 と 少 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 を 見 れば それぞれの 文 献 で 描 写 されたシャ ムの 表 象 は 正 反 対 であっても 海 外 で 様 々な 困 難 を 乗 り 越 えて 成 功 するストーリーや 異 国 の 風 景 としての 象 などの 野 生 動 物 の 描 写 や シャム 人 女 性 の 登 場 などは 共 通 されている このように シャムの 冒 険 旅 行 記 は 山 田 長 政 の 跡 を 辿 り 理 想 的 な 山 田 長 政 の 冒 険 をリア ルに 再 現 していると 考 えられる 2 アジア 太 平 洋 戦 争 期 の タイ 昭 和 初 期 に 入 ると 三 井 物 産 による 安 価 な 原 料 確 保 と 市 場 拡 大 のため 日 本 とシャムの 関 係 が 強 化 される 読 売 新 聞 で 日 本 とシャムの 外 交 活 動 例 えばミス シャムの 来 日 や 仏 教 的 交 流 や 青 年 交 流 などがよく 報 道 され シャムは 日 本 と 良 好 な 関 係 にある 国 として 語 られている また 戦 前 昭 和 期 の 旅 行 記 として 三 井 物 産 暹 羅 案 内 (1938 年 )でも 読 売 新 聞 と 同 様 に 友 好 親 善 の 言 説 や 西 洋 に 植 民 地 化 されないようにシャムを 富 強 化 する という 建 前 が 書 かれながら 経 済 的 な 利 益 獲 得 の 目 的 として 日 本 人 のシャムへの 渡 航 が 奨 励 されている こうした 目 的 で 暹 羅 案 内 にはシャムの 各 地 方 にある 資 源 や シャム への 進 出 の 必 要 性 などのガイドブックのような 要 素 を 付 け 加 えただけではなく 当 時 の 日 本 人 旅 行 者 にタイの 近 代 的 な 面 や 便 利 な 情 報 も 提 供 している 昭 和 14 年 (1939 年 )にシャムはタイに 国 名 を 改 称 する 読 売 新 聞 の 記 事 によれば 戦 時 中 にタイは 昭 和 初 期 の 日 暹 親 善 の 表 象 を 引 き 継 ぎ 日 本 軍 を 歓 迎 する 同 盟 国 のタ イが 描 かれている これは 第 3 章 の 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 (1940 年 )でも 日 本 とシャ ムの 良 好 な 関 係 の 象 徴 となる 長 政 と 親 日 的 なルタナ 姫 の 関 係 をロマンス 化 し メロドラマ の 形 式 を 介 して 欧 米 の 植 民 地 体 制 を 打 破 して 東 南 アジアを 守 るという 大 東 亜 共 栄 圏 の 言 説 を 強 調 し 読 者 に 戦 争 への 協 力 を 呼 び 掛 けている 一 方 山 田 長 政 におけるシャ ムの 風 景 描 写 は 明 治 期 の 少 年 読 本 第 七 編 山 田 長 政 と 同 様 にまだ 漠 然 としたものである また 第 4 章 南 方 徴 用 作 家 の タイ で 取 り 上 げたように アジア 太 平 洋 戦 争 期 に 南 方 徴 用 作 家 によって 描 かれたタイを 舞 台 とした 小 説 を 見 れば 女 性 的 なタイや 日 本 の 同 盟 国 としてのタイの 表 象 が 見 られる ただ 南 方 徴 用 作 家 の 文 芸 作 品 における 日 タイ 関 係 の 描 写 は 読 売 新 聞 や 角 田 喜 久 雄 山 田 長 政 のような 日 本 の 軍 人 に 協 力 する 同 盟 国 としてのタイだけではなく 兄 の 日 本 によって 庇 護 される 対 象 となる 妹 のようなタ イが 描 かれている つまり 戦 時 中 の 友 邦 のタイ や 同 盟 国 のタイ はただ 日 本 によ って 生 成 された 神 話 であり 実 際 のタイは 他 の 東 南 アジア 国 と 同 様 に 日 本 に 庇 護 (= 支 配 独 占 )される 存 在 と 見 なされていたのである 読 売 新 聞 や 山 田 長 政 で 見 られない 南 方 徴 用 作 家 の 小 説 作 品 においてもう 一 つ 119
のタイの 特 色 は ビルマなどの 前 線 と 対 照 的 な 後 衛 地 であり 癒 しをもたらす 空 間 として のタイが 描 かれていることである こうした 癒 しの 空 間 としてのタイは ダンス ホール やバーなどがある 近 代 的 な 生 活 を 楽 しめる 要 素 があるからだけではなく 日 本 の 軍 人 に 同 情 するというタイの 仏 教 的 な 国 民 性 の 要 素 もある このように アジア 太 平 洋 戦 争 期 の タイ は 明 治 大 正 期 の シャム と 異 なる 表 象 として 語 られている つまり 戦 前 期 の タイ はシャム 人 への 差 別 や 未 開 地 としての 描 写 があまり 描 かれず その 代 わりに 近 代 的 な 風 景 や 癒 しの 空 間 や 優 しいタイ 人 などの 描 写 が 多 く 描 かれている 一 方 で 日 本 に 従 順 な 性 質 を 持 つ 女 性 的 なタイの 表 象 も 固 定 化 されている 3 アジア 太 平 洋 戦 後 期 の タイ 第 二 次 世 界 大 戦 後 タイは 親 日 的 な 態 度 が 薄 らぎ アメリカとの 関 係 を 強 化 していった 読 売 新 聞 には 1950 年 代 のアメリカ 化 されたタイの 姿 が 報 道 されている 1960 年 代 にア メリカの 支 援 で 日 本 は 再 び 東 南 アジアとの 貿 易 を 振 興 し タイとの 様 々な 交 流 活 動 を 推 進 した 1960 年 代 の 旅 行 記 を 見 れば 買 春 街 のタイが 観 光 のハイライトとして 紹 介 され てから 1960 年 代 後 半 からタイは 日 本 人 の 買 春 ツアーの 目 的 地 となった 読 売 新 聞 でも 買 春 街 としてのタイが 書 かれている また 1960 年 代 の 新 聞 における 薬 物 犯 罪 記 事 によって タイの 北 部 にある 麻 薬 生 産 地 で ある 黄 金 の 三 角 地 帯 は 日 本 人 から 注 目 され 人 気 の 観 光 スポットとなっただけではな く 当 時 の 日 本 人 の 関 心 に 応 じて 黄 金 の 三 角 地 帯 を 巡 るルポルタージュも 多 く 刊 行 された さらに 買 春 街 や 黄 金 の 三 角 地 帯 のタイの 表 象 は 1970 1980 年 代 のミステリー 小 説 でミステリーの 要 素 として 利 用 された 多 くのミステリー 小 説 は 日 本 人 男 性 ( 探 偵 役 ) とタイ 人 女 性 ( 随 行 者 )という 登 場 人 物 の 設 定 になっている しかし 随 行 者 のタイ 人 女 性 の 描 写 は 性 風 俗 に 関 わり 観 光 客 のお 金 を 騙 し 取 ったりするという 第 3 章 の 遠 藤 周 作 王 国 への 道 で 描 かれたタイ 人 の 裏 側 と 同 様 の 表 象 がなされている しかし ミステリ ー 小 説 ではタイ 人 女 性 を 悪 く 描 くより 経 済 的 な 事 情 で 困 っている 可 愛 そうなタイ 人 女 性 という 側 面 が 強 調 され 援 助 / 庇 護 すべき 存 在 として 描 写 されている こうしたタイ 人 女 性 と 日 本 人 男 性 の 関 係 は 当 時 の 日 本 人 の 売 春 行 為 を 美 化 する 言 説 であると 考 えられる 戦 後 のタイの 表 象 は 戦 時 中 の 癒 しの 空 間 としてのタイと 無 縁 であるように 見 えるが 日 本 人 男 性 の 性 的 な 欲 望 を 充 たす 買 春 街 としてのタイは 戦 時 下 の 小 説 に 描 かれたバ ンコクのダンス ホールの 裸 踊 りなどの 風 景 による 日 本 軍 にとって 癒 しの 空 間 とし てのタイ 表 象 が 受 け 継 がれたものだと 考 えられる 120
4 平 成 期 (1990 年 代 )の タイランド 買 春 街 や 黄 金 の 三 角 地 帯 などのタイの 表 象 は 1987 年 のタイ 国 政 府 観 光 庁 の タ イ 観 光 年 というキャンペーンにより 払 拭 され 伝 統 的 なタイや リゾート 地 のタイや 国 際 化 されたタイの 表 象 が 積 極 的 に 受 け 入 れられていった これにしたがい 1990 年 代 の 旅 行 記 におけるタイには ビーチリゾート 仏 教 文 化 タイ 料 理 などのタイのイメージが 投 影 されている これらのイメージによって 身 体 や 精 神 を 癒 す やすらかなる 国 とし てのタイの 表 象 が 強 化 されたため タイは 日 本 人 にとって 観 光 地 だけではなく 長 期 滞 在 地 となったのである こうしたタイの 表 象 は 第 6 章 で 取 り 上 げた 村 上 春 樹 タイランド でも 見 られる これまでのタイ 表 象 の 画 一 化 を 脱 する 志 向 性 を 持 つ タイランド では 国 際 的 な 都 市 性 リゾート 化 された 癒 しの 空 間 未 開 地 的 な 要 素 などが 同 居 する 場 所 としてタイの 奥 行 きが 描 かれている また 従 来 のタイ 表 象 では 見 えなかったタイの 奥 行 きが 日 本 人 読 者 にとって 意 味 が 取 れないタイ 語 の ニミット の 複 数 性 や 象 徴 性 を 介 して 無 意 識 を 重 視 するタイが 反 映 されている このように タイランド としてのタイは 世 界 中 に 知 られる 多 様 性 のある 空 間 である 一 方 で タイ 人 しか 理 解 できないタイとしても 語 られているので ある 以 上 のように 日 本 近 現 代 文 学 におけるタイ 表 象 は 大 きく 3 つに 分 けられる それは 明 治 大 正 期 の シャム 戦 時 中 から 戦 後 までの タイ 1990 年 代 の タイランド である まず シャム は 基 本 的 に 江 戸 期 以 来 の 山 田 長 政 テクストに 見 られる 遠 い 南 国 という 漠 然 とした 表 象 を 負 いつつ 南 進 論 の 対 象 として 政 治 的 言 説 を 背 景 に 生 成 される 場 合 が 多 い 戦 時 中 の タイ は 戦 時 下 においては 兄 妹 関 係 として 語 られ 戦 後 においては 1970-1980 年 代 のミステリージャンルに 見 られるかたちで 表 象 が 形 成 されていく その 表 象 の 画 一 化 を 脱 する 志 向 性 を 持 つのが タイランド である * ここまで 新 聞 と 観 光 メディアを 含 めて 明 治 期 から 1990 年 代 にかけての 文 学 作 品 におい て 日 本 人 の 想 像 力 によって 構 成 されたタイの 表 象 を 明 らかにした 日 本 に 明 治 期 から 意 味 づけ 位 置 付 けられることによって タイは 自 らの 自 己 を 意 識 的 に そして 戦 略 的 に 再 構 築 したのである なお 本 論 でタイ 表 象 の 研 究 は 網 羅 的 に 解 明 したが まだ 研 究 されて いないところも 多 くある 具 体 的 に 言 うと 例 えば 1921 年 にタイで 発 行 された ヤマト 新 聞 (หน งส อพ มพ ยะมะโตะ)は 当 時 のタイ 社 会 や 政 治 家 などを 批 判 することで 人 気 を 博 したが 三 年 後 タイ 政 府 によって 廃 刊 されている ヤマト 新 聞 における 当 時 のタイの 表 象 は 今 後 の 研 究 課 題 として 考 察 したい また 本 論 で 取 り 上 げたそれぞれの 時 代 の 主 な 文 学 作 品 は タイを 舞 台 とした 日 本 文 学 作 品 の 一 部 分 に 過 ぎず まだ 研 究 されていない 他 ジャンルの 作 121
品 例 えば バッグパッカー 小 説 駐 在 員 小 説 ボランティア 小 説 など 多 く 存 在 している その 他 に タイを 舞 台 とした 漫 画 映 画 曲 なども 本 論 で 研 究 対 象 になっていないが 文 学 作 品 以 外 の 分 野 ではどのようなタイが 表 象 化 され 広 められていったのか このような 問 題 も 検 討 を 要 すると 考 える 122
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