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Transcription:

親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 新 井 雄 ( 国 立 政 治 大 学 歴 史 学 科 博 士 課 程 ) 要 約 日 中 国 交 正 常 化 時 期 において 日 本 のマスコミ 政 治 家 企 業 家 学 者 評 論 家 の 多 くが 中 華 人 民 共 和 国 ( 以 後 中 国 と 省 略 ) 1 との 国 交 回 復 支 持 へと 傾 斜 した その 潮 流 とは 対 照 的 に 日 本 と 中 華 民 国 ( 以 後 台 湾 と 省 略 )との 関 係 は 悪 化 した 同 時 期 において 台 湾 との 関 係 維 持 を 表 明 することは 日 本 の 世 論 すべてを 敵 に 回 すよう なものであり ましてや 台 湾 訪 問 などはとてもできそうにない 雰 囲 気 が 日 本 国 内 に 蔓 延 していた ところが そのような 環 境 において も 一 部 の 政 治 家 学 者 評 論 家 の 中 には 台 湾 擁 護 を 主 張 し 中 国 へと 傾 斜 する 日 本 世 論 と 真 正 面 から 立 ち 向 かった 人 々が 存 在 した 本 論 において 取 り 上 げる 桑 原 寿 二 も その 一 人 である 本 論 は 親 台 湾 派 と 呼 ばれた 人 々の 思 想 及 び 活 動 を 詳 らかにする 上 での 一 事 例 研 究 として 現 代 中 国 研 究 者 桑 原 寿 二 の 思 想 を 考 察 し さらに 戦 後 日 台 関 係 における 桑 原 の 活 動 を 取 り 上 げ 桑 原 と 彼 1 本 論 においては 便 宜 的 に 中 華 人 民 共 和 国 政 府 を 中 国 と 記 し その 略 称 を 中 とする また 中 華 民 国 政 府 は 台 湾 と 省 略 し 略 称 は 台 とする また 中 国 あるいは 台 湾 が 正 統 政 府 として 主 張 するところの 中 国 は 括 弧 つきで 中 国 とする -125-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 を 中 心 とする 人 脈 が 果 たした 役 割 を 明 らかにするものである キーワード 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 大 陸 問 題 研 究 会 議 トラック 2-126-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 一 はじめに 国 家 と 国 家 の 交 流 とは つまるところ 人 と 人 との 繋 がりである たとえ 政 府 間 の 交 流 が 断 絶 したとしても 国 家 間 における 人 的 交 流 がすべて 断 ち 切 られるわけではない 日 台 関 係 においても それ は 同 じである 現 在 も 日 本 と 台 湾 に 政 府 間 関 係 はないが 経 済 文 化 交 流 を 中 心 に 人 的 交 流 は 年 々 深 化 している しかしながら 1972 年 の 日 中 国 交 正 常 化 及 び 日 台 断 交 時 期 において マスコミ 政 治 家 企 業 家 学 者 評 論 家 の 多 くが 中 国 支 持 へと 傾 斜 した その 潮 流 と は 対 照 的 に 日 台 関 係 は 悪 化 した 同 時 期 は 戦 後 の 日 台 関 係 史 上 最 も 冷 え 込 んだ 時 期 といえよう そのような 状 況 下 において 台 湾 擁 護 を 表 明 することは 日 本 の 世 論 すべてを 敵 に 回 すようなものであ り ましてや 台 湾 訪 問 などはとてもできそうにない 雰 囲 気 が 日 本 に 蔓 延 していた ところが そのような 政 治 的 社 会 的 環 境 において も 一 部 の 政 治 家 学 者 評 論 家 の 中 には 台 湾 擁 護 を 主 張 し 中 国 へと 傾 斜 する 日 本 世 論 と 真 正 面 から 立 ち 向 かった 人 々が 存 在 した 本 論 において 取 り 上 げる 桑 原 寿 二 も その 一 人 である 桑 原 は 1908 年 6 月 22 日 和 歌 山 県 田 辺 市 生 まれである 1931 年 東 京 外 語 学 校 中 国 語 学 科 卒 業 後 2 北 京 に 留 学 する その 後 満 州 国 協 和 会 華 北 政 務 委 員 会 などの 勤 務 を 経 て 1946 年 に 日 本 へ 帰 国 し 国 際 善 隣 協 会 資 料 主 任 総 合 研 究 所 中 国 部 長 国 際 関 係 研 究 所 参 与 などを 歴 任 した 1972 年 から 問 題 と 研 究 の 発 行 人 を 務 め 問 題 と 研 究 出 版 株 式 会 社 が 設 立 されると 1973 年 10 月 から 代 表 取 締 役 に 就 任 した また 1971 年 12 月 呉 俊 才 国 際 関 係 研 究 所 主 任 らと 協 力 し 両 国 の 学 者 研 究 者 を 糾 合 し 日 中 中 国 大 陸 問 2 現 東 京 外 国 語 大 学 -127-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 題 研 究 会 議 3 を 組 織 した また 日 本 側 の 窓 口 である 大 陸 問 題 研 究 協 会 会 長 として 第 3 回 会 議 (1974 年 )から 第 18 回 会 議 (1991 年 ) まで 団 長 を 務 め 多 くの 日 本 側 の 学 者 研 究 者 を 率 い 中 国 研 究 と 日 台 両 国 の 学 術 文 化 交 流 に 多 大 な 功 績 を 遺 した 4 桑 原 は 日 台 断 交 から 2001 年 に 逝 去 されるまで 日 台 関 係 を 影 から 支 え 続 けていた 人 物 である 本 論 は 親 台 湾 派 と 呼 ばれた 人 々の 思 想 及 び 活 動 を 詳 らかにする 上 での 一 事 例 研 究 として 桑 原 寿 二 の 思 想 を 考 察 し また 彼 の 戦 後 日 台 関 係 における 活 動 を 整 理 し 桑 原 と 彼 を 中 心 とする 人 脈 が 果 た した 役 割 を 明 らかにする 二 桑 原 寿 二 の 中 国 観 と 台 湾 観 前 述 の 如 く 桑 原 は 問 題 と 研 究 出 版 株 式 会 社 設 立 とともに 代 表 取 締 役 に 就 任 し また 大 陸 問 題 研 究 会 議 を 組 織 し 同 会 議 の 会 長 を 務 め 現 代 中 国 研 究 と 日 台 両 国 の 学 術 文 化 交 流 において 大 き な 功 績 を 遺 した 桑 原 は 日 台 関 係 の 維 持 発 展 に 対 し 貢 献 したので あるが その 思 想 的 背 景 はどのようなものであったのであろうか 桑 原 が 中 国 ではなく 台 湾 を 支 持 した 理 由 は 以 下 の 三 つにあると 考 3 4 日 中 中 国 大 陸 問 題 研 究 会 議 の 名 称 であるが 第 4 回 会 議 より 日 華 大 陸 問 題 研 究 会 議 となり 第 32 回 会 議 より 日 台 アジア 太 平 洋 問 題 研 究 会 議 と 改 名 された 本 論 では 便 宜 上 大 陸 問 題 研 究 会 議 で 統 一 する 主 な 著 書 に 毛 沢 東 と 中 国 思 想 (1969 年 ) 北 京 の 異 変 (1972 年 ) 中 国 の 実 像 (1973 年 ) 中 国 のなかの 中 国 (1980 年 ) 中 国 の 新 しい 選 択 (1987 年 ) 中 国 が 危 ない (1989 年 )など 訳 書 に 李 天 民 著 周 恩 来 (1973 年 )など かかる 長 年 にわたる 桑 原 の 研 究 に 対 し 1990 年 中 華 民 国 から 紫 色 大 綬 勲 章 が 授 与 されてい る また 2000 年 2 月 第 15 回 正 論 大 賞 特 別 賞 ( 産 経 新 聞 )が 授 与 されている 2001 年 7 月 逝 去 ( 問 題 と 研 究 編 集 委 員 一 同 桑 原 寿 二 先 生 のご 逝 去 を 悼 む 問 題 と 研 究 第 30 巻 12 号 2001 年 9 月 1-3 ページ) -128-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 えられる 1 桑 原 の 反 共 思 想 第 一 の 理 由 は 反 共 ということである 桑 原 の 反 共 思 想 が 現 れている 事 例 として 1989 年 6 月 の 天 安 門 事 件 に 対 する 桑 原 の 分 析 が 挙 げられる 1 天 安 門 事 件 の 結 果 は 共 産 主 義 体 制 そのものが 末 期 的 であり 武 力 行 使 以 外 の 他 に 手 段 がなくなったことを 意 味 している 2 民 主 化 運 動 を 動 乱 暴 乱 と 規 定 したことは 共 産 主 義 シス テムの 失 敗 を 実 証 した 3 共 産 主 義 システムの 失 敗 は ソ 連 のエリツィン 現 象 ポーラン ドの 連 帯 ( 独 立 自 主 管 理 労 働 組 合 連 帯 )の 圧 勝 で 証 明 された それは 共 産 圏 を 含 めた 全 世 界 が 反 共 であることの 証 明 であっ た 4 天 安 門 の 虐 殺 の 結 果 冷 戦 以 来 反 共 が 最 も 悪 質 な 反 動 とさ れてきたが 共 産 主 義 を 信 じるものが 最 も 悪 質 な 反 動 というこ とになった 以 上 が 桑 原 が 分 析 するところの 天 安 門 の 世 界 史 的 意 義 であ る 5 桑 原 は 共 産 主 義 の 危 険 性 及 び 同 システムの 限 界 を 把 握 し 共 産 主 義 は 世 界 に 受 け 入 れられる 制 度 ではないと 考 えていた また 桑 原 は 中 国 の 外 交 戦 略 を 次 のように 分 析 している 中 国 の 統 一 戦 線 と 一 点 集 中 主 義 とは 主 要 敵 (ソ 連 )を 確 立 し その 主 要 敵 打 倒 をすべての 政 策 の 中 心 に 据 えることであるという 主 要 敵 5 桑 原 寿 二 天 安 門 血 の 弾 圧 を 考 える 問 題 と 研 究 (1989 年 7 月 ); 所 収 桑 原 寿 二 著 伊 原 吉 之 助 編 賢 人 がみつめた 中 国 ( 東 京 : 扶 桑 社 2002 年 ) 383 ページ -129-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 から 身 を 守 るため 日 本 との 妥 協 は 当 然 であり 中 国 が 日 本 と 手 を 結 ぼうとするのは 中 国 の 伝 統 的 な 術 策 に 当 てはめれば 夷 を 以 て 夷 を 制 す ということである 主 要 な 夷 を 打 倒 するため 他 の 夷 と 手 を 結 ぶのは 当 たり 前 という 戦 略 である 6 つまり 中 国 が 日 本 に 接 近 してくる 理 由 は ソ 連 打 倒 のための 戦 略 である 統 一 戦 線 の 一 環 であるというのである 桑 原 からすれば 西 側 陣 営 は 第 二 次 世 界 大 戦 において ソ 連 を 味 方 としたことが ソ 連 強 大 化 の 跳 躍 台 となったと 考 えており 中 国 と 手 を 結 ぶことは その 過 ちをもう 一 度 繰 り 返 すことと 考 えてい た 7 中 国 を 援 助 することは 近 い 将 来 必 ず 日 本 の 脅 威 となる それ を 知 るべしということである 桑 原 は たえず 共 産 主 義 の 危 険 性 を 強 調 しており その 脅 威 を 誌 上 において 何 度 となく 訴 えた この 反 共 意 識 を 礎 に 桑 原 は 台 湾 の 重 要 性 を 考 えていた 桑 原 は 日 台 断 交 前 の 誌 上 において 以 下 のように 台 湾 擁 護 を 表 明 している 我 々に 与 えられた 選 択 基 準 は 自 由 か 共 産 かの 価 値 観 しかあ るまい 中 国 問 題 の 核 心 は 台 湾 問 題 になりつつあるが そのま た 核 心 は この 価 値 基 準 であろう いま 我 々は 敗 戦 によって 得 た 唯 一 のこの 価 値 をあまりにもお 粗 末 にしてないか 自 由 を 脅 かす 左 右 両 翼 の 全 体 主 義 は いずれにしても 排 撃 すべきであ ろう それが 日 本 の 筋 というものであろう 8 中 国 は 自 由 を 脅 かす 共 産 主 義 の 国 家 である だからこそ 中 6 7 8 桑 原 寿 二 中 国 外 交 戦 略 のねらい 週 刊 世 界 と 日 本 (1980 年 4 月 28 日 ) 所 収 前 掲 桑 原 寿 二 著 伊 原 吉 之 助 編 前 掲 書 245-246 ページ 同 上 246 ページ 桑 原 寿 二 日 本 の 筋 改 革 者 (1970 年 7 月 第 136 巻 ) 39 ページ -130-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 国 を 支 持 するのは 危 険 であるということである 上 記 のような 主 張 を 展 開 した 時 期 まさに 日 本 の 世 論 は 中 国 へと 大 きく 傾 斜 していた ゆえに 共 産 主 義 国 家 である 中 国 を 支 持 しようとする 日 本 の 世 論 に 対 し 桑 原 は 警 鐘 を 鳴 らしたのである また 桑 原 は 共 産 主 義 世 界 の 軒 並 みな 経 済 崩 壊 はその 国 の 指 導 者 の 指 導 能 力 に 問 題 があるのではなく 体 制 そのものの 問 題 である と 考 えていた 9 指 導 者 の 能 力 に 関 係 なく 共 産 主 義 体 制 であること が 危 険 なのである それが 桑 原 の 共 産 主 義 に 対 する 考 え 方 の 基 本 であった だからこそ 自 由 主 義 陣 営 の 一 員 である 台 湾 との 関 係 を 重 視 したのである 桑 原 は 台 湾 を 自 由 を 守 るための 砦 と 認 識 して いた 2 桑 原 が 見 た 中 国 と 台 湾 の 国 内 状 況 桑 原 が 台 湾 を 支 持 する 第 二 の 理 由 として 中 国 経 済 に 対 する 不 信 及 び 台 湾 経 済 に 対 する 信 頼 があった 70 年 代 初 頭 桑 原 は 台 湾 と 中 国 の 経 済 状 況 を 比 較 し 国 際 経 済 面 における 台 湾 の 重 要 性 を 訴 えて いる 当 時 台 湾 の 一 人 当 りの 国 民 所 得 が 292 ドルであるのに 対 し 中 国 のそれの 最 高 推 定 額 は 100 ドルである つまり 約 3 倍 の 開 き があった また 国 民 総 生 産 額 における 工 業 農 業 の 占 める 比 率 が 逆 転 した 台 湾 に 対 し 中 国 は 10 年 間 の 年 平 均 農 業 成 長 率 は 約 1.2% で 人 口 自 然 増 加 率 推 定 2% と 極 端 なアンバランスを 呈 しているという ことから 農 業 が 国 家 工 業 化 のための 資 本 蓄 積 源 としての 機 能 を はたしていない 農 業 国 家 に 中 国 は 転 落 した と 分 析 している さら に 貿 易 面 においても 台 湾 の 1970 年 度 の 貿 易 総 額 は 30 億 8900 万 9 桑 原 寿 二 近 代 化 と 党 権 力 十 二 中 総 会 は 何 を 問 い 何 を 問 われたか 問 題 と 研 究 (1986 年 3 月 ) 所 収 桑 原 寿 二 著 伊 原 吉 之 助 編 前 掲 書 295 ページ -131-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 ドルであり 一 人 当 り 貿 易 額 も 213 ドルに 達 し 入 超 から 出 超 に 転 じ 輸 出 構 成 も 50% 以 上 を 工 業 製 品 が 占 めるという 状 況 にいたった のに 対 し 中 国 は 同 年 度 貿 易 総 額 が 約 42 億 ドル 1 人 当 り 貿 易 額 5.6 ドルである 中 国 と 台 湾 の 人 口 比 率 は 50 対 1 にもかかわらず 貿 易 総 額 は 4 対 3 ということになる 桑 原 は 自 由 中 国 と 共 産 中 国 の 勝 負 は この 面 に 関 する 限 り すでにあったと 言 わねばなるまい と 述 べている かつ 台 湾 は 繁 栄 型 経 済 の 段 階 に 離 陸 した というの が 桑 原 の 見 解 であった 10 その 台 湾 とは 対 照 的 に 中 国 の 経 済 に 光 は 見 えない 80 年 代 に 入 り 近 代 化 政 策 を 進 める 中 国 に 対 しても その 経 済 面 に 関 して 桑 原 は 懐 疑 的 に 見 ていた 11 さらに 中 国 の 近 代 化 が 成 功 しない 原 因 として 中 国 の 教 育 行 政 の 失 敗 と 人 口 問 題 を 指 摘 している 台 湾 や 韓 国 と 異 なり 教 育 に 予 算 を 使 わず 人 材 が 育 たない さらに 増 加 する 人 口 に 対 して 具 体 的 な 対 策 を 講 じず 治 安 は 悪 化 し 政 局 も 不 安 定 になる 桑 原 は 同 時 期 の 中 国 の 状 況 をまさに 危 機 的 状 況 とみていた 12 以 上 のように 桑 原 は 中 国 の 国 内 状 況 及 び 経 済 の 発 展 に 対 し 悲 観 的 観 測 を 持 っていた それとは 対 照 的 に 台 湾 をすでに 繁 栄 型 経 済 状 況 へと 移 行 した 地 域 としてみているだけでなく 中 ソ 関 係 にお ける 台 湾 の 存 在 を 鑑 み 台 湾 のアジアの 安 定 に 対 する 貢 献 を 評 価 し 将 来 は 台 湾 を 中 心 とした 文 明 圏 が 構 成 される と 述 べている 13 10 11 12 13 桑 原 寿 二 中 国 と 中 国 台 北 の 街 頭 で 思 う 問 題 と 研 究 1971 年 10 月 第 1 巻 第 1 号 19-20 ページ 台 湾 国 立 政 治 大 学 国 際 関 係 研 究 センター 問 題 と 研 究 誌 編 集 室 中 日 学 者 による 中 国 大 陸 問 題 座 談 会 紀 要 問 題 と 研 究 1981 年 4 月 第 10 巻 第 7 号 74 ペー ジ 桑 原 寿 二 中 国 近 代 化 の 鐘 は 鳴 るか 問 題 と 研 究 1980 年 7 月 所 収 桑 原 寿 二 著 伊 原 吉 之 助 編 前 掲 書 247-263 ページ 桑 原 寿 二 柴 田 穂 中 嶋 嶺 雄 毛 沢 東 最 後 の 挑 戦 ( 東 京 :ダイヤモンド 社 1976-132-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 桑 原 は 台 湾 の 経 済 力 を 評 価 し 台 湾 の 存 在 価 値 を 認 めているから こそ 台 湾 を 見 捨 てるかのような 日 本 世 論 を 憂 い 台 湾 擁 護 の 言 論 活 動 及 び 政 治 活 動 に 尽 力 したのである 3 中 国 を 継 承 する 台 湾 と 破 壊 する 中 国 桑 原 が 台 湾 擁 護 を 主 張 する 第 三 の 理 由 として 台 湾 を 中 国 の 伝 統 文 化 及 び 思 想 の 正 統 な 継 承 者 として 考 えていたということであ る 桑 原 が 初 めて 台 湾 を 訪 れたのは 1970 年 の 初 頭 であった そし て 2 回 目 は 1971 年 2 月 3 回 目 が 前 述 した 大 陸 問 題 研 究 会 議 のための 台 湾 訪 問 であった その 一 度 目 と 二 度 目 の 台 湾 訪 問 をまと めた 中 国 と 中 国 というテーマの 論 文 が 日 中 問 題 研 究 会 編 中 華 民 国 の 印 象 の 中 に 収 録 されている 下 記 にあるように 同 書 に おいて 桑 原 は 初 めて 見 た 台 湾 の 印 象 を 端 的 に 記 している 台 北 を 訪 れた 人 は 定 めし 台 北 市 をかこむ 山 上 ( 陽 明 山 ) に 建 設 された 規 模 雄 偉 なる 建 築 物 に 目 を 注 がれたことであろ う 中 山 樓 ( 孫 文 記 念 館 )の 壮 大 な 建 物 文 化 学 院 の 創 設 そ こに 現 出 された 文 化 学 園 都 市 的 な 構 想 教 育 施 設 への 重 点 政 策 故 宮 博 物 館 の 広 大 な 建 設 とそこにかもし 出 された 歴 史 と 文 化 への 郷 愁 中 央 研 究 院 (アカデミー)の 創 設 とそこに 所 蔵 され ている 文 物 等 々によって 伺 われる 発 想 は 武 力 反 抗 もさること ながら より 多 く 中 国 の 伝 統 と 文 化 を 台 湾 島 に 受 け 止 め それを 継 承 し そこで 結 実 開 花 展 開 させようという なみ なみならぬ 決 意 が 先 行 していると 私 は 見 た 14 14 年 ) 193-194 ページ 桑 原 寿 二 台 北 の 街 頭 に 思 う 日 中 問 題 研 究 会 編 中 華 民 国 の 印 象 ( 東 京 : 永 田 書 -133-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 桑 原 が 台 北 における 充 実 した 文 化 財 や 教 育 研 究 施 設 から 嗅 ぎ 取 ったものは 中 国 の 伝 統 文 化 と 伝 統 思 想 による 祖 国 復 帰 への 民 族 的 信 念 であった そして 桑 原 は 中 国 文 化 あるいは 中 国 民 族 を 強 靭 なる 復 元 力 をもった 巨 人 と 定 義 し その 離 れ 小 島 で ある 台 湾 に 歴 史 的 意 義 を 感 じた 台 湾 を 仮 の 住 居 とせず 中 国 の 伝 統 と 文 化 護 持 のための 本 格 的 建 設 や 建 設 体 系 に 民 族 の 洞 察 を 意 識 したのである 15 桑 原 は 台 湾 を 中 国 文 化 中 国 民 族 と の 繋 がり 中 で 捉 えている 大 陸 問 題 研 究 会 議 に 参 加 した 桑 原 は 台 湾 を 中 国 の 歴 史 の 線 上 において 中 国 の 真 理 の 線 上 にお いて 中 国 の 文 化 伝 統 の 線 上 において 立 体 的 に 取 り 上 げなけれ ばならない と 指 摘 している つまり 台 湾 は 国 民 党 政 府 統 治 下 の 台 湾 であることもさることながら 同 時 に もう 一 つ 中 国 民 族 に 還 元 して 台 湾 というものを 取 り 上 げるべき であるというのである 16 以 上 のような 桑 原 の 台 湾 観 は 桑 原 の 蒋 介 石 に 対 するイメージに も 反 映 している 桑 原 によれば 蒋 介 石 及 び 台 湾 指 導 部 は 中 国 の 歴 史 伝 統 文 化 の 真 理 性 と 生 命 力 を 確 信 し その 正 統 継 承 者 た ることにおいて 無 限 なる 意 義 と 使 命 感 を 発 見 し 中 国 は 一 つな りの 民 族 的 背 景 を 持 っている というのである 17 桑 原 は 蒋 介 石 をはじめとする 台 湾 指 導 者 から 中 国 文 化 の 正 統 継 承 者 としての 誇 りと 信 念 を 明 察 している 台 湾 における 中 国 文 化 の 継 続 性 それが 桑 原 の 台 湾 論 の 根 幹 であった つまり 台 湾 こそが 真 の 中 国 である というのである ゆえに 桑 原 は 15 16 17 房 1972 年 ) 103-104 ページ 同 上 106-107 ページ 同 上 112-113 ページ 桑 原 寿 二 蒋 総 統 の 逝 去 と 道 義 的 生 命 力 問 題 と 研 究 1975 年 6 月 第 4 巻 9 号 5 ページ -134-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 李 登 輝 時 代 における 台 湾 の 民 主 化 を 中 国 の 民 主 化 中 国 史 上 初 めての 壮 挙 である と 喝 破 している 18 以 上 の 台 湾 観 とは 対 照 的 に 桑 原 は 中 国 の 本 質 を 破 壊 として 捉 えている 同 時 期 における 桑 原 の 中 国 分 析 を 見 てみると いずれ 中 共 は 中 国 に 飲 み 込 まれる と 結 論 付 けている 19 現 在 中 国 は 急 速 な 経 済 発 展 をとげ 国 際 経 済 面 において 大 国 となったが 90 年 代 に 入 り 文 化 大 革 命 を 否 定 し 近 年 には 中 国 文 化 に 対 する 見 直 しが 始 まった この 中 国 による 中 国 文 化 の 見 直 しは 視 点 を 変 えれば 中 国 の 中 国 化 とみることもできる 中 共 は 中 国 に 飲 み 込 まれる と 主 張 した 桑 原 に 先 見 の 明 があったということで ある 桑 原 は 上 にあげられたような 思 想 を 基 本 として 日 台 関 係 におけ る 政 治 活 動 を 展 開 していく 以 下 桑 原 の 政 治 活 動 を 説 明 していく 三 桑 原 寿 二 と 大 陸 問 題 研 究 会 議 1 大 陸 問 題 研 究 会 議 の 成 立 とその 背 景 1964 年 フランスの 中 国 承 認 以 降 台 湾 の 国 際 的 地 位 が 脅 かされ 益 々 孤 立 化 していく 情 勢 に 対 応 するため 台 湾 政 府 は 対 外 関 係 の 多 元 化 を 図 り 国 際 関 係 研 究 所 20 に 学 術 外 交 を 推 し 進 めるようにと 18 19 20 桑 原 寿 二 鄧 以 後 の 大 陸 そして 台 湾 ASIAN REPORT 1995 年 9 月 第 23 巻 第 272 号 11 ページ 同 上 国 際 関 係 研 究 所 は 1961( 民 国 50) 年 7 月 に 創 立 され 一 民 間 学 術 研 究 機 構 として 同 年 10 月 政 府 教 育 部 の 批 准 を 得 て 登 録 を 済 ませた 以 後 70 年 代 までに 国 際 関 係 と 中 国 大 陸 問 題 の 研 究 ならびに 関 係 資 料 の 出 版 提 供 において 重 要 な 学 術 センターの 一 つとなった( 呉 俊 才 国 際 関 係 研 究 所 について 問 題 と 研 究 第 1 巻 4 号 1972 年 1 月 21-22 ページ) -135-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 要 求 した 当 時 の 呉 俊 才 21 国 際 関 係 研 究 所 主 任 は アメリカ 及 び 日 本 で 良 いパートナーを 探 していた 日 本 においては まず 中 国 研 究 の 泰 斗 であり 新 聞 雑 誌 で 中 国 批 判 の 論 陣 を 張 っていた 桑 原 寿 ニに 白 羽 の 矢 を 当 てた 1969 年 秋 呉 俊 才 はアメリカから 帰 国 する 途 中 東 京 に 立 ち 寄 り 日 本 国 際 情 勢 研 究 所 主 催 の 座 談 会 において 中 国 の 状 況 について 意 見 を 交 換 し その 席 上 で 呉 俊 才 は 桑 原 寿 ニと 初 め て 会 談 すると 両 人 は 意 気 投 合 し 学 術 交 流 の 第 一 歩 を 踏 み 出 した 呉 俊 才 が 帰 国 後 間 もなく 台 湾 駐 日 大 使 館 を 通 して 公 式 に 桑 原 の 訪 台 を 要 請 し 桑 原 は 翌 年 の 1970 年 1 月 に 初 めて 台 湾 の 土 を 踏 み そ の 後 の 協 力 関 係 と 交 流 事 業 について 協 議 し 逐 次 実 行 に 移 していっ た 22 まず 国 際 関 係 研 究 所 が 東 京 に 特 派 員 事 務 所 を 設 け 中 共 問 題 の 研 究 雑 誌 問 題 と 研 究 を 1971 年 9 月 に 創 刊 1972 年 11 月 より 桑 原 が 雑 誌 の 発 行 人 を 担 当 することになった そして 同 誌 発 行 にあたり 呉 俊 才 の 意 を 体 して 張 棟 材 23 が 来 日 した 彼 らの 協 議 の 結 果 雑 誌 名 を 問 題 と 研 究 と 決 定 した 以 後 同 雑 誌 の 発 展 は 張 棟 材 及 びその 後 を 継 いだ 楊 合 義 24 の 尽 力 による 25 21 22 23 24 25 1972 年 に 党 中 央 文 化 工 作 会 主 任 78 年 に 中 央 日 報 社 長 87 年 に 総 統 府 国 策 顧 問 93 年 に 中 国 電 視 公 司 董 事 長 などを 歴 任 ( 劉 紹 唐 主 編 民 国 人 物 小 伝 : 呉 俊 才 傳 記 文 學 第 69 巻 第 五 期 1996 年 11 月 130-131 ページ) 曾 永 賢 日 華 中 国 大 陸 問 題 研 究 会 議 を 回 顧 して 問 題 と 研 究 第 32 巻 第 8 号 2003 年 5 月 97 ページ 大 陸 問 題 研 究 会 議 発 足 当 時 国 際 関 係 研 究 所 駐 日 特 派 員 国 立 政 治 大 学 国 際 関 係 研 究 センター 助 理 研 究 員 副 研 究 員 を 経 て 研 究 員 同 研 究 セ ンター 駐 東 京 特 派 員 兼 日 本 語 版 問 題 と 研 究 編 集 長 平 成 国 際 大 学 教 授 を 経 て 現 在 名 誉 教 授 桑 原 寿 二 著 伊 原 吉 之 助 編 前 掲 書 449 ページ -136-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 2 第 一 回 会 議 の 開 催 とその 内 容 続 いて 台 湾 側 では 呉 俊 才 日 本 側 では 桑 原 寿 二 を 中 心 に 大 陸 問 題 研 究 会 議 の 開 催 を 決 定 し 1971 年 12 月 下 旬 台 北 にて 第 一 回 研 究 会 議 を 挙 行 した 会 議 開 催 を 前 に 桑 原 は 日 本 側 代 表 団 長 の 人 選 を 考 えた 結 果 日 頃 から 交 際 のあった 中 村 菊 男 慶 応 義 塾 大 学 教 授 に 的 を 絞 り 団 長 就 任 を 懇 請 した 26 かくの 如 く 日 本 側 代 表 団 に 慶 応 大 学 の 中 村 教 授 を 迎 え 桑 原 を 副 団 長 に 総 勢 30 数 名 の 学 者 専 門 家 27 が 台 北 に 赴 き 中 国 研 究 のシンポジウムを 挙 行 した 28 その 2 ヶ 月 前 の 10 月 に 台 湾 は 国 連 から 脱 退 し 台 湾 の 人 心 も 落 ち 込 んでい た 矢 先 の 日 本 代 表 団 の 訪 台 は まさに 雪 中 に 炭 を 送 る ものであ ったという 29 当 時 の 日 本 世 論 は 中 国 との 関 係 を 重 要 視 する 傾 向 が 極 めて 目 立 っていた 時 期 であり 台 湾 に 行 ったら 中 国 大 陸 へ 行 く 26 27 28 29 桑 原 寿 二 呉 俊 才 先 生 を 追 思 する 問 題 と 研 究 ( 第 28 巻 第 3 号 1998 年 12 月 ) 所 収 桑 原 寿 二 著 伊 原 吉 之 助 編 前 掲 書 450 ページ 日 本 側 第 一 回 中 日 大 陸 問 題 研 究 会 議 出 席 者 は 以 下 の 通 りである 団 長 中 村 菊 男 副 団 長 桑 原 寿 二 以 下 26 名 (50 音 順 ) 池 井 優 ( 慶 應 義 塾 大 学 助 教 授 ) 宇 野 精 一 ( 二 松 学 舎 大 学 教 授 ) 遠 藤 欣 之 助 ( 民 主 社 会 主 義 研 究 会 議 編 集 部 長 ) 岡 本 幸 治 ( 大 阪 府 立 大 学 講 師 ) 上 条 末 夫 ( 現 代 史 研 究 所 員 ) 川 島 弘 三 ( 国 際 情 勢 研 究 会 研 究 員 ) 倉 田 信 靖 ( 大 東 文 化 大 学 講 師 ) 倉 前 義 男 ( 亜 細 亜 大 学 講 師 ) 桑 原 寿 二 ( 総 合 研 究 所 中 国 部 長 ) 小 林 正 敏 ( 中 央 学 院 大 学 助 教 授 ) 小 平 修 ( 京 都 産 業 大 学 助 教 授 ) 佐 藤 慎 一 郎 ( 拓 殖 大 学 教 授 ) 須 藤 真 志 ( 京 都 産 業 大 学 講 師 ) 高 木 桂 蔵 ( 工 商 通 訊 社 編 集 部 長 ) 中 村 菊 男 ( 慶 応 大 学 教 授 ) 根 本 宏 ( 評 論 家 ) 原 子 林 二 郎 ( 評 論 家 ) 広 瀬 一 ( 国 際 情 勢 研 究 会 研 究 員 ) 広 田 洋 二 ( 欧 亜 協 会 常 任 理 事 ) 福 永 安 祥 ( 明 星 大 学 教 授 ) 藤 井 彰 治 ( 国 際 情 勢 研 究 会 研 究 員 ) 矢 島 鈞 次 ( 東 京 工 業 大 学 教 授 ) 柳 内 滋 ( 香 港 中 文 大 学 講 師 ) 山 田 勝 美 ( 上 智 大 学 教 授 ) 山 村 治 郎 ( 国 士 館 大 学 講 師 ) 利 光 三 津 夫 ( 慶 応 大 学 教 授 )( 上 条 末 夫 中 日 中 国 大 陸 問 題 検 討 会 の 概 要 報 告 ( 上 ) 問 題 と 研 究 第 1 巻 第 6 号 1972 年 3 月 58 ページ) 岡 本 幸 治 断 交 二 十 年 に 思 う 問 題 と 研 究 第 21 巻 12 号 1992 年 9 月 12-14 ペ ージ 曾 永 賢 前 掲 論 文 97-98 ページ -137-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 ことができなくなる という 流 言 が 出 るほどであった 30 そのような 時 期 における 日 本 代 表 団 の 訪 台 に 台 湾 側 は 賞 賛 を 送 った 会 議 は 12 月 20 日 から 26 日 まで 一 週 間 にわたり 台 北 のアンバ サダーホテルにおいて 開 催 された 呉 俊 才 によると 同 会 議 の 趣 旨 は 中 日 両 国 の 学 術 界 の 中 国 問 題 に 対 する 研 究 の 成 果 を 交 換 し 相 互 の 理 解 と 認 識 を 深 め 客 観 的 な 討 議 を 通 じて 中 国 の 本 質 と 中 国 統 治 下 にある 大 陸 の 現 状 及 びその 将 来 発 展 の 趨 勢 について 合 理 的 正 確 な 推 断 を 得 ること にあった 31 会 議 の 内 容 は 22 の 分 科 会 を 設 け 43 本 の 論 文 が 報 告 され 多 角 的 な 角 度 から 中 国 を 分 析 するも のであった 32 とりわけ 台 湾 側 にとっては 政 治 的 な 意 義 もあり 同 会 議 の 開 催 は 歓 迎 された 当 時 の 台 湾 のマスコミも 評 価 し 中 央 日 報 は 社 説 において 日 本 からの 友 人 に 歓 迎 の 意 を 表 する と 述 べ ている 33 さらに 以 下 表 1は 第 1 回 会 議 における 台 湾 側 参 加 者 のリスト である 興 味 深 いのは 参 加 者 の 肩 書 である 表 1 における 肩 書 1 は 台 北 の 国 史 館 に 所 蔵 されていた 資 料 に 記 載 されていた 肩 書 であ り 肩 書 2 は 問 題 と 研 究 に 発 表 されていた 肩 書 である 比 較 してみると 政 府 軍 党 の 職 員 が 肩 書 を 変 え 同 会 議 に 参 加 して 30 31 32 33 会 議 に 参 加 した 岡 本 幸 治 氏 の 回 想 によると 当 時 ある 大 学 の 老 教 授 が 雑 談 の 折 に 次 のようなことを 言 ったという いま 台 湾 などへ 行 ったら 大 陸 へ 行 けなくなります からねえ 私 は 中 共 には 何 のかかわりもないが 大 陸 へ 行 けぬようになっては 困 る ので 小 の 虫 を 殺 しています 20 年 前 このような 異 常 な 雰 囲 気 が 言 論 が 自 由 なは ずのこの 日 本 に 存 在 していたという( 岡 本 幸 治 断 交 二 十 年 に 思 う 問 題 と 研 究 第 21 巻 12 号 1992 年 9 月 15 ページ) 呉 俊 才 開 幕 の 辞 問 題 と 研 究 ( 第 1 巻 6 号 1972 年 3 月 ) 1 ページ 上 条 末 夫 前 掲 報 告 書 及 び 上 条 末 夫 中 日 中 国 大 陸 問 題 検 討 会 の 概 要 報 告 ( 下 ) 問 題 と 研 究 第 1 巻 第 7 号 1972 年 4 月 社 説 文 化 の 角 度 から 中 国 大 陸 をみる 中 央 日 報 (1971 年 12 月 20 日 ) -138-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 いたことが 分 かる これより 当 時 いかに 台 湾 政 府 が 同 会 議 を 重 視 していたか 明 らかである 表 1 台 湾 側 大 陸 問 題 研 究 会 議 出 席 リスト 名 前 肩 書 1( 國 史 館 史 料 ) 肩 書 2( 問 題 と 研 究 ) 呉 俊 才 国 際 関 係 研 究 所 主 任 国 際 関 係 研 究 所 所 長 政 治 大 学 教 授 兼 東 亜 研 究 所 所 長 鄧 公 玄 国 際 関 係 研 究 所 副 主 任 国 際 関 係 研 究 所 副 主 任 郭 乾 輝 国 際 関 係 研 究 所 副 主 任 仲 肇 湘 中 央 日 報 總 主 筆 中 央 日 報 社 総 主 筆 李 廉 中 国 時 報 總 主 筆 中 国 時 報 社 総 主 筆 許 晏 駢 中 華 日 報 總 主 筆 中 華 日 報 社 総 主 筆 汪 民 楨 新 生 報 總 主 筆 新 生 報 総 主 筆 楊 選 堂 連 合 報 總 主 筆 連 合 報 社 総 主 筆 沈 宋 琳 中 央 社 總 編 輯 項 迺 光 情 報 局 研 究 室 主 任 中 国 研 究 雑 誌 社 社 長 張 鎮 邦 情 報 局 第 二 處 處 長 国 際 関 係 研 究 所 兼 任 研 究 員 范 権 元 ( 范 植 元 ) 余 延 苗 ( 玄 黙 ) 情 報 局 研 究 室 組 長 情 報 局 研 究 室 組 長 中 国 研 究 雑 誌 社 研 究 員 中 国 研 究 雑 誌 社 研 究 員 陳 定 中 情 報 局 研 究 室 組 長 中 国 研 究 雑 誌 社 研 究 員 洪 幼 樵 情 報 局 研 究 室 副 主 任 中 国 研 究 雑 誌 社 研 究 員 趙 育 申 情 報 局 研 究 室 研 究 員 中 国 研 究 雑 誌 社 研 究 員 陳 森 文 調 査 局 處 長 国 際 関 係 研 究 所 兼 任 研 究 員 曾 永 賢 調 査 局 研 究 員 中 国 問 題 研 究 家 黎 明 華 調 査 局 研 究 員 中 国 問 題 研 究 家 王 章 陵 調 査 局 研 究 員 中 国 問 題 研 究 家 呂 永 澍 情 報 参 謀 次 長 室 處 長 国 際 関 係 研 究 所 兼 任 研 究 員 陳 裕 清 中 四 組 主 任 国 際 関 係 研 究 所 兼 任 研 究 員 姚 孟 軒 中 四 組 總 幹 事 大 陸 問 題 研 究 所 研 究 員 李 喆 中 四 組 研 究 員 大 陸 問 題 研 究 所 研 究 員 李 健 華 中 四 組 副 主 任 大 陸 問 題 研 究 所 研 究 員 楊 鋭 中 四 組 副 主 任 大 陸 問 題 研 究 所 副 所 長 崔 垂 言 党 史 會 副 主 任 委 員 国 際 関 係 研 究 所 特 約 研 究 員 -139-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 秦 榕 発 安 全 局 處 長 軍 事 評 論 家 李 振 宋 安 全 局 秘 書 国 際 関 係 研 究 所 特 約 研 究 員 李 雲 漢 党 史 會 研 究 員 国 立 政 治 大 学 兼 任 副 教 授 蒋 永 敬 党 史 會 研 究 員 輔 仁 大 学 副 教 授 裘 孔 淵 中 二 組 秘 書 大 陸 問 題 研 究 所 研 究 員 任 卓 宣 政 治 作 戦 学 校 政 治 研 究 所 主 任 政 治 作 戦 学 校 政 治 研 究 所 主 任 曹 敏 政 治 作 戦 学 校 教 授 政 治 作 戦 学 校 教 授 謝 海 濤 政 戦 学 校 敵 情 系 主 任 政 治 作 戦 学 校 教 授 金 達 凱 政 戦 学 校 副 教 授 政 治 作 戦 学 校 教 授 丘 宏 達 政 治 大 学 教 授 国 立 政 治 大 学 教 授 李 其 泰 政 治 大 学 教 授 国 立 政 治 大 学 教 授 王 健 民 政 治 大 学 教 授 国 立 政 治 大 学 教 授 朱 建 民 政 治 大 学 教 授 国 立 政 治 大 学 教 授 鄭 学 稼 政 治 大 学 教 授 国 立 政 治 大 学 教 授 劉 岫 青 政 治 大 学 教 授 国 立 政 治 大 学 教 授 曹 伯 一 政 治 大 学 副 教 授 国 立 政 治 大 学 副 教 授 連 戦 台 湾 大 学 教 授 国 立 台 湾 大 学 教 授 韓 忠 謨 台 湾 大 学 教 授 国 立 台 湾 大 学 教 授 李 邁 先 台 湾 大 学 教 授 陳 捷 先 台 湾 大 学 教 授 国 立 台 湾 大 学 教 授 黄 得 時 台 湾 大 学 教 授 張 維 亜 中 央 銀 行 顧 問 国 立 政 治 大 学 講 師 梁 敬 錞 中 央 研 究 院 近 史 所 所 長 李 毓 澍 中 央 研 究 院 近 史 所 研 究 員 中 央 研 究 院 近 史 所 研 究 員 宋 晞 中 国 文 化 学 院 院 長 中 国 文 化 学 院 教 授 沈 覲 鼎 陶 希 聖 中 国 文 化 学 院 教 授 兼 日 本 研 究 所 所 長 中 国 文 化 学 院 兼 任 教 授 劉 師 誠 中 国 文 化 学 院 兼 任 教 授 国 立 台 湾 大 学 兼 任 教 授 沈 雲 竜 世 界 新 専 教 授 ( 青 年 党 ) 世 界 新 聞 専 科 学 校 教 授 陳 啓 天 青 年 党 主 席 孫 亜 夫 大 学 教 授 ( 民 社 党 ) 国 立 交 通 大 学 教 授 王 世 憲 大 学 教 授 ( 民 社 党 ) 東 呉 大 学 教 授 尹 慶 耀 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 朱 文 琳 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 札 奇 欺 欽 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 国 立 政 治 大 学 教 授 -140-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 金 開 鑫 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 汪 学 文 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 何 雨 文 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 大 陸 問 題 研 究 所 研 究 員 操 穉 青 国 際 関 係 研 究 所 副 研 究 員 大 陸 問 題 研 究 所 副 研 究 員 王 蘊 国 際 関 係 研 究 所 助 理 研 究 員 国 際 関 係 研 究 所 助 理 研 究 員 劉 懋 34 国 際 関 係 研 究 所 助 理 研 究 員 国 際 関 係 研 究 所 助 理 研 究 員 高 向 杲 国 際 関 係 研 究 所 研 究 員 大 陸 問 題 研 究 所 研 究 員 李 天 民 国 際 関 係 研 究 所 顧 問 国 際 関 係 研 究 所 顧 問 周 自 強 国 際 関 係 研 究 所 顧 問 国 際 関 係 研 究 所 顧 問 孫 桂 籍 国 際 関 係 研 究 所 顧 問 国 際 関 係 研 究 所 顧 問 ( 出 所 ) 台 湾 國 史 館 藏 蔣 經 國 總 統 文 物 總 統 府 秘 書 長 張 羣 呈 總 統 蔣 中 正 為 應 邀 出 席 中 國 大 陸 問 題 研 討 會 之 中 日 兩 國 學 者 一 百 餘 人 請 核 示 可 否 賜 予 茶 會 招 待 典 藏 號 :00501030600016005 及 び 上 条 末 夫 前 掲 中 日 中 国 大 陸 問 題 検 討 会 の 概 要 報 告 ( 上 ) 58-59 頁 より 作 成 肩 書 1 は 國 史 館 の 資 料 を 参 考 にし たもの 肩 書 2 は 上 条 論 文 を 参 考 に 作 成 肩 書 2 が 空 欄 の 者 は 國 史 館 のリス トには 名 前 があったが 上 条 論 文 のリストには 名 前 がなかったもの 第 1 回 会 議 以 降 1972 年 及 び 75 年 を 除 き 毎 年 開 催 され 2009 年 の 第 36 回 まで 開 催 されている 下 の 表 2から 各 会 議 のテーマを 見 てみると 1999 年 の 第 26 回 会 議 から テーマの 内 容 が 中 国 問 題 から 東 アジア 情 勢 を 含 めた 中 国 問 題 に 移 行 し 第 30 回 以 降 は 東 アジア を 中 心 に 会 議 を 展 開 しようとする 意 向 が 見 てとれる 34 は 日 本 語 にない 文 字 のため 左 側 は 木 ヘン 右 側 は 冉 -141-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 表 2 大 陸 問 題 研 究 会 議 一 覧 表 回 数 主 題 会 期 会 場 場 所 1 1971 年 12 月 20 日 ~26 日 台 北 國 賓 大 飯 店 2 以 文 會 友 以 友 輔 仁 1973 年 9 月 1 日 ~3 日 東 京 新 橋 第 一 ホテル 3 1974 年 9 月 9 日 ~13 日 台 北 國 賓 大 飯 店 4 毛 沢 東 以 後 の 中 国 1976 年 4 月 3 日 ~5 日 新 宿 京 王 プラザホテル 5 1977 年 3 月 28 日 ~31 日 台 北 民 航 局 大 樓 6 華 国 鋒 の 運 命 1978 年 5 月 5 日 ~7 日 東 京 ニュー 大 谷 ホテル 7 当 面 の 中 国 対 内 対 外 策 略 の 変 遷 1979 年 3 月 31 日 ~4 月 2 日 台 北 國 賓 大 飯 店 8 中 国 は 何 処 へ 行 くか? 1981 年 5 月 10 日 ~12 日 東 京 センチュリーハイ ヤット 9 中 国 当 面 の 政 策 路 線 1982 年 4 月 30 日 ~5 月 2 日 台 北 民 航 局 大 樓 10 鄧 胡 体 制 の 前 途 1983 年 3 月 22 日 ~24 日 11 中 国 式 社 会 主 義 道 路 と 鄧 胡 体 制 東 京 センチュリーハイ ヤット 1984 年 3 月 30 日 ~4 月 1 日 台 北 民 航 局 大 樓 12 中 国 における 中 国 1985 年 3 月 25 日 ~27 日 13 14 中 国 改 革 開 放 政 策 の 争 点 と 展 望 中 国 十 三 全 大 会 の 課 題 東 京 センチュリーハイ ヤット 1986 年 4 月 6 日 ~8 日 台 北 民 航 局 大 樓 1987 年 4 月 3 日 ~5 日 新 宿 京 王 プラザホテル 15 十 三 全 大 会 後 の 中 国 1988 年 3 月 21 日 ~23 日 台 北 国 際 関 係 研 究 中 心 16 中 国 政 権 四 十 年 1989 年 3 月 20 日 ~22 日 新 宿 京 王 プラザホテル 17 天 安 門 事 件 後 の 中 国 1990 年 4 月 2 日 ~4 日 大 陸 情 勢 台 北 国 際 関 係 研 究 中 心 18 中 国 の 命 運 1991 年 3 月 25 日 ~27 日 新 宿 京 王 プラザホテル 19 和 平 演 變 と 反 和 平 演 變 1992 年 3 月 23 日 ~25 日 台 北 国 際 関 係 研 究 中 心 20 国 際 秩 序 の 探 索 と 中 国 1993 年 3 月 22 日 ~24 日 新 宿 京 王 プラザホテル 21 社 会 主 義 市 場 体 制 下 の 中 国 大 陸 1994 年 3 月 21 日 ~23 日 台 北 国 際 関 係 研 究 中 心 ポスト 鄧 小 平 の 中 国 22 1995 年 3 月 27 日 ~29 日 新 宿 京 王 プラザホテル 大 陸 23 両 岸 三 地 の 政 経 情 勢 1996 年 3 月 25 日 ~27 日 台 北 国 際 関 係 研 究 中 心 24 香 港 返 還 と 中 国 大 1997 年 3 月 23 日 ~25 日 新 宿 京 王 プラザホテル -142-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 25 26 陸 情 勢 中 国 共 産 党 大 会 後 の 情 勢 変 動 中 の 国 際 環 境 と 江 朱 体 制 1998 年 3 月 22 日 ~24 日 台 北 国 際 関 係 研 究 中 心 1999 年 3 月 28 日 ~30 日 新 宿 京 王 プラザホテル 27 21 世 紀 の 東 アジアの 安 全 と 両 岸 関 係 2000 年 3 月 26 日 ~30 日 台 北 国 際 関 係 研 究 中 心 28 米 台 中 新 世 代 と 両 岸 関 係 2001 年 3 月 25 日 ~29 日 新 宿 京 王 プラザホテル 29 新 世 紀 の 中 国 2002 年 3 月 26 日 ~30 日 台 北 国 際 関 係 研 究 中 心 30 31 32 33 34 転 換 期 の 東 アジアと 日 台 中 関 係 三 十 年 の 分 析 と 展 望 2004 年 の 中 国 大 陸 と 東 アジア 東 アジアと 日 台 中 の 新 潮 流 変 動 する 東 アジアの 国 際 関 係 東 アジアはどこへ 行 く?- 政 治 経 済 安 全 保 障 2003 年 3 月 26 日 ~30 日 新 宿 京 王 プラザホテル 2004 年 3 月 24 日 ~27 日 台 北 国 際 関 係 研 究 中 心 2005 年 3 月 28 日 ~29 日 新 宿 京 王 プラザホテル 2006 年 3 月 29 日 ~4 月 1 日 台 北 国 際 関 係 研 究 中 心 2007 年 3 月 26 日 ~27 日 新 宿 京 王 プラザホテル 35 2008 年 東 アジアの 新 政 局 とその 展 望 2008 年 3 月 27 日 ~28 日 台 北 福 華 大 飯 店 36 経 済 危 機 下 の 東 アジア 2009 年 4 月 2~3 日 市 谷 アルカディア 市 谷 ( 出 所 ) 曾 永 賢 前 掲 論 文 における 日 華 中 国 大 陸 問 題 研 究 会 議 一 覧 表 を 加 筆 修 正 したもの また 桑 原 は 第 3 回 会 議 から 第 18 回 会 議 まで 団 長 を 務 め 19 回 以 降 は 貴 賓 として 参 加 23 回 から 26 回 までは 日 本 開 催 の 会 議 の み 参 加 している( 表 3 参 照 ) -143-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 表 3 大 陸 問 題 研 究 会 議 における 双 方 団 長 及 び 日 本 側 貴 賓 一 覧 表 回 数 双 方 団 長 日 本 側 貴 賓 1 呉 俊 才 中 村 菊 男 2 杭 立 武 宇 野 精 一 船 田 中 3 杭 立 武 桑 原 寿 二 船 田 中 4 蔡 維 屏 桑 原 寿 二 船 田 中 5 蔡 維 屏 桑 原 寿 二 船 田 中 6 蔡 維 屏 桑 原 寿 二 岸 信 介 船 田 中 7 蔡 維 屏 桑 原 寿 二 船 田 中 8 張 京 育 桑 原 寿 二 倉 石 忠 雄 灘 尾 弘 吉 9 張 京 育 桑 原 寿 二 倉 石 忠 雄 10 張 京 育 桑 原 寿 二 岸 信 介 倉 石 忠 雄 11 張 京 育 桑 原 寿 二 12 邵 玉 銘 桑 原 寿 二 岸 信 介 田 中 龍 夫 13 邵 玉 銘 桑 原 寿 二 椎 名 素 夫 14 邵 玉 銘 桑 原 寿 二 藤 尾 正 行 15 張 京 育 桑 原 寿 二 椎 名 素 夫 16 張 京 育 桑 原 寿 二 長 谷 川 峻 17 林 碧 炤 桑 原 寿 二 藤 尾 正 行 18 林 碧 炤 桑 原 寿 二 藤 尾 正 行 19 林 碧 炤 笠 原 正 明 佐 藤 信 二 桑 原 寿 二 20 林 碧 炤 笠 原 正 明 佐 藤 信 二 桑 原 寿 二 21 林 碧 炤 笠 原 正 明 平 沼 赳 夫 桑 原 寿 二 22 邵 玉 銘 笠 原 正 明 藤 尾 正 行 桑 原 寿 二 23 邵 玉 銘 笠 原 正 明 藤 尾 正 行 24 邵 玉 銘 笠 原 正 明 賀 陽 治 憲 桑 原 寿 二 25 邵 玉 銘 古 屋 奎 二 麻 生 太 郎 26 何 思 因 古 屋 奎 二 亀 井 久 興 桑 原 寿 二 27 何 思 因 古 屋 奎 二 亀 井 久 興 28 何 思 因 高 野 邦 彦 亀 井 久 興 29 何 思 因 高 野 邦 彦 亀 井 久 興 30 何 思 因 高 野 邦 彦 粟 屋 敏 信 31 林 碧 炤 高 野 邦 彦 藤 井 孝 男 32 林 正 義 高 野 邦 彦 平 沼 赳 夫 33 鄭 瑞 耀 高 野 邦 彦 亀 井 久 興 -144-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 34 林 碧 炤 高 野 邦 彦 玉 澤 徳 一 郎 35 鄭 瑞 耀 高 野 邦 彦 玉 澤 徳 一 郎 36 鄭 瑞 耀 高 野 邦 彦 平 沼 赳 夫 ( 出 所 ) 曾 永 賢 前 掲 論 文 における 日 華 中 国 大 陸 問 題 研 究 会 議 一 覧 表 を 加 筆 修 正 したもの 3 桑 原 寿 二 の 日 本 政 界 における 人 脈 当 時 の 情 勢 下 では 大 陸 問 題 研 究 会 議 開 催 に 際 し 政 界 の 大 立 者 を 総 後 見 人 として 据 える 必 要 があった そこで 桑 原 はかねてか ら 昵 懇 の 間 柄 であった 岸 信 介 元 総 理 の 事 務 所 を 訪 ね 援 助 を 要 請 した 台 湾 大 使 館 の 口 添 えもあり 承 諾 を 得 ることができた それ は この 会 議 の 権 威 のためにも また 継 続 する 上 でも 意 義 があった そして 岸 元 総 理 の 力 添 えにより 日 華 関 係 議 員 懇 談 会 ( 以 下 日 華 懇 と 省 略 ) 灘 尾 弘 吉 会 長 の 援 助 を 受 けることができた 以 降 日 華 懇 は 大 陸 問 題 研 究 会 議 の 政 界 における 後 ろ 楯 となった こ れで 会 議 の 政 界 地 盤 が 構 築 された 後 に 会 長 として 船 田 中 元 衆 議 院 議 長 倉 石 忠 雄 元 農 相 の 参 加 も すべて 岸 信 介 の 指 名 によ って 実 現 した 35 さらに 第 3 回 会 議 からこの 会 議 の 権 威 を 一 段 と 高 めるため 会 長 を 置 くことになり 李 天 民 36 と 供 に 岸 を 訪 ね 相 談 申 したところ 岸 は 船 田 中 を 推 輓 した 以 後 第 3 回 から 第 7 回 まで 船 田 中 が 大 陸 問 題 研 究 会 議 会 長 を 担 当 した 37 四 桑 原 人 脈 の トラック 2 としての 役 割 桑 原 を 中 心 とする 大 陸 問 題 研 究 会 議 参 加 者 の 学 者 は 日 台 断 35 36 37 桑 原 寿 二 前 掲 呉 俊 才 先 生 を 追 思 する 450 ページ 大 陸 問 題 研 究 会 議 発 足 当 時 国 際 関 係 研 究 所 顧 問 表 1 参 照 桑 原 寿 二 開 会 の 言 葉 問 題 と 研 究 1983 年 4 月 第 12 巻 7 号 126 ページ -145-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 交 後 事 実 上 の トラック 2 38 の 役 割 を 果 たした その 具 体 例 が 江 崎 ミッションの 派 遣 であった 断 交 後 日 台 双 方 は 亜 東 関 係 協 会 と 交 流 協 会 を 設 立 して 民 間 組 織 の 形 で 日 台 関 係 の 問 題 を 処 理 し てきた しかし 日 台 間 で 長 期 的 に 存 在 していた 貿 易 のアンバラン ス 状 態 は 改 善 されないのみならず 益 々 悪 化 の 一 途 を 辿 っていた 1982 年 2 月 12 日 台 湾 は 対 日 貿 易 格 差 是 正 の 措 置 として 1533 品 目 にのぼる 日 本 製 品 の 輸 入 禁 止 を 決 め 翌 2 月 13 日 から 実 施 した 経 済 部 国 際 貿 易 局 が 明 らかにしたところでは 1981 年 の 対 日 貿 易 赤 字 が 34 億 4700 万 ドルに 達 しており この 格 差 是 正 のために 輸 入 禁 止 が 行 われた 規 制 の 対 象 品 目 には 化 粧 品 プラスチック ガラ ス 製 品 繊 維 大 型 トラック バスなどが 含 まれていた 39 翌 3 月 初 旬 日 本 側 はこの 対 日 輸 入 制 限 の 即 時 撤 廃 を 申 し 入 れ 日 台 経 済 摩 擦 は 一 挙 に 深 刻 化 した 3 月 4 日 交 流 協 会 台 北 事 務 所 の 人 見 宏 所 長 は 亜 東 関 係 協 会 の 張 研 田 理 事 長 に 対 し 文 書 で 輸 入 禁 止 の 解 除 を 申 し 入 れた この 申 し 入 れは 日 本 政 府 の 訓 令 に 基 き 日 本 側 見 解 を 伝 達 したものであったが 台 湾 がこの 措 置 を 継 続 する 場 合 は 関 税 上 の 便 益 供 与 の 停 止 などなんらかの 措 置 をとらざるを 得 ない 事 態 に 立 ちいたることを 懸 念 している として 特 恵 関 税 の 停 38 39 トラック 2 または 第 2 トラック 外 交 というタームは アメリカの 元 外 交 官 モントヴィレ(Joseph V. Montville)が 1982 年 に 初 めて 使 用 した 彼 は 第 2 トラ ック 外 交 を 紛 争 解 決 に 向 けて 心 理 的 諸 要 因 への 対 応 を 行 いながら 敵 対 する 集 団 ないしは 国 家 間 の 成 員 による 非 公 式 かつ 構 造 化 されていない 相 互 交 流 の 推 進 と 定 義 した その 後 このタームは 他 の 研 究 者 によってより 精 緻 化 されていくが 最 大 公 約 数 的 に 各 国 の 市 民 ないし 市 民 から 構 成 される 集 団 による 非 政 府 非 公 式 そして un-official な 接 触 および 活 動 として 理 解 されるようになった( 佐 々 木 豊 太 平 洋 問 題 調 査 会 と 第 2 トラック 外 交 相 愛 大 学 研 究 論 集 第 22 巻 2006 年 111 ページ) 産 経 新 聞 ( 夕 刊 ) (1982 年 2 月 13 日 ) -146-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 止 が 示 唆 されるほど 強 硬 な 内 容 であったと 伝 えられている 40 このような 状 況 を 打 開 すべく 7 月 20 日 江 崎 ミッションは 台 湾 を 訪 問 した 団 長 は 江 崎 真 澄 ( 元 通 産 相 ) 団 員 には 村 山 達 男 ( 元 蔵 相 )をはじめ 各 分 野 のエキスパートを 自 認 する 議 員 が 加 わり 田 中 派 幹 部 の 金 丸 信 も 顧 問 格 として 同 行 していた ミッションは 7 月 12 日 から 23 日 にかけてタイ フィリピン 香 港 台 湾 を 順 次 訪 問 し たが 総 裁 の 特 使 という 肩 書 を 外 すために 一 旦 香 港 で 解 散 し 政 府 随 員 を 帰 国 させた 上 で 台 湾 を 訪 問 している 江 崎 団 長 は 終 始 訪 台 の 目 的 は 自 由 貿 易 を 守 るためであり 純 粋 に 経 済 関 係 上 の 目 的 であることを 強 調 している しかし 訪 台 の 直 接 の 目 的 が 経 済 問 題 であったとしても その 台 湾 訪 問 自 体 が 政 治 的 意 味 を 持 つことは 否 定 できない 1972 年 の 外 交 関 係 断 絶 以 来 自 民 党 の 正 式 機 関 が 台 湾 を 訪 問 したのは 初 めてのことであったからである 7 月 21 日 江 崎 ミッションは 趙 耀 東 経 済 部 長 徐 立 徳 財 政 部 長 と 会 談 し 日 台 間 の 意 思 疎 通 をよりよくするため 1 交 流 協 会 の 強 化 充 実 2 経 済 人 会 議 の 充 実 3 自 民 党 議 員 と 台 湾 側 との 交 流 を 活 発 化 する との 点 で 合 意 した 席 上 ミッション 側 は 台 湾 による 禁 輸 措 置 の 解 除 を 公 式 に 要 請 した 41 その 後 8 月 21 日 台 湾 は 対 日 輸 入 制 限 解 除 の 第 1 段 階 として 842 品 目 の 制 限 解 除 を 発 表 した これは 江 崎 ミッションの 台 湾 訪 問 に 際 して 孫 運 璿 行 政 院 長 趙 耀 東 が 8 月 中 に 第 1 回 の 解 除 を 行 う と 約 束 したことを 実 行 したものであった 42 11 月 19 日 台 湾 の 国 際 貿 易 審 議 委 員 会 は 689 品 目 にのぼる 日 本 側 消 費 物 資 の 禁 止 を 翌 日 か 40 41 42 産 経 新 聞 (1982 年 3 月 5 日 ) 森 山 昭 郎 江 崎 ミッションの 台 湾 訪 問 日 台 経 済 摩 擦 ノート 東 京 女 子 大 学 紀 要 論 集 第 34 巻 1 号 1983 年 9 月 162-163 ページ 同 上 164 ページ -147-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 ら 解 くことを 決 定 し 王 昭 明 経 済 次 長 の 談 話 と 共 に 公 表 した 43 ミ ッションの 結 果 規 制 は 解 除 された 以 上 が 日 台 貿 易 摩 擦 に 端 を 発 する 江 崎 ミッション のプロセス であるが 同 ミッションを 成 功 させたのは 水 面 下 における 親 台 湾 派 国 会 議 員 の 活 躍 であった 1982 年 4 月 田 中 派 の 大 番 頭 である 二 階 堂 進 幹 事 長 が 台 湾 の 銭 復 外 交 部 次 長 と 東 京 で 秘 密 裏 に 会 談 し 自 民 党 の 正 式 機 関 派 遣 を 決 断 しているが この 会 談 は 台 湾 側 の 意 向 を 受 けた 日 華 懇 の 有 力 メンバーである 金 丸 信 と 佐 藤 信 二 が 下 工 作 をして 実 現 したといわれている 44 そして その 金 丸 や 佐 藤 等 の 親 台 湾 派 国 会 議 員 と 台 湾 政 府 のパイプ 役 をしたのが 桑 原 を 中 心 とする 人 脈 であった 当 時 桑 原 らは 日 華 議 員 懇 談 会 及 び 政 財 界 の 人 脈 と 密 接 に 連 絡 を 取 り その 解 決 策 を 模 索 し 7 月 に 江 崎 ミッション の 訪 台 へと 導 いた このように 桑 原 を 中 心 とする 大 陸 問 題 研 究 会 議 の 人 脈 は 政 治 的 側 面 で 日 華 懇 と 表 裏 一 体 となり 日 台 断 交 後 の トラック 2 の 役 割 を 果 たし 断 交 後 の 日 台 関 係 の 改 善 と 強 化 に 努 めたのである 45 この 桑 原 の 人 脈 による トラック 2 は 上 述 した 日 台 間 における 経 済 摩 擦 のような 問 題 が 起 こったときにのみ それを 解 決 するとい うものではなく 常 日 頃 から 日 台 間 における 相 互 の 意 思 疎 通 や 新 しい 政 策 重 要 な 政 策 の 相 互 理 解 を 行 うものであった たとえば 1991 年 にも 国 家 統 一 綱 領 を 考 案 する 上 で 当 時 総 統 府 参 議 であり 43 44 45 中 央 日 報 (1982 年 11 月 20 日 ) 田 崎 史 郎 自 民 党 外 交 の 時 代 を 告 げる 江 崎 ミッションの ASEAN 台 湾 歴 訪 世 界 週 報 第 63 巻 31 号 (1982 年 8 月 10 日 ) 32-33 ページ; 土 井 正 行 田 中 派 の 台 湾 接 近 にいらだつ 中 国 朝 日 ジャーナル 第 24 巻 34 号 1982 年 8 月 13 日 20 日 合 併 号 9 ページ 曾 永 賢 前 掲 論 文 98-99 ページ -148-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 46 国 家 統 一 委 員 会 研 究 委 員 であった 曾 永 賢 氏 は 2, 3 名 の 同 僚 を 連 れ て 意 見 の 調 整 のために 日 本 を 訪 れている そして 桑 原 の 紹 介 に より 中 国 問 題 を 研 究 している 人 たち 政 治 家 言 論 人 などと 会 見 し 同 綱 領 に 関 する 情 報 を 説 明 した このような 会 合 には 随 時 日 本 の 課 長 クラスの 外 務 省 職 員 などが 参 加 している 曾 氏 が 日 本 へ 行 く 度 に 桑 原 の 人 脈 を 通 して 会 議 を 開 き その 座 談 会 などに 日 本 政 府 の 関 係 者 が 参 加 し 意 見 交 換 を 行 っていた いわば 台 湾 の 外 交 部 は 桑 原 の 人 脈 を 介 して 日 台 間 における 重 要 な 政 治 課 題 に 関 す る 根 回 し を 常 に 行 える 環 境 があったのである 曾 氏 は 1971 年 の 大 陸 問 題 研 究 会 議 開 催 から 2000 年 までの 間 に 年 平 均 3 4 回 多 い 時 には 6 回 日 本 を 訪 問 しており 友 人 に 曾 氏 は 日 本 に 住 んでいるのではないか と 思 われるほど 日 本 と 台 湾 の 間 を 往 来 して いたという 47 五 結 論 桑 原 の 基 本 思 想 は 反 共 である 桑 原 は 自 由 を 否 定 する 共 産 主 義 を 警 戒 し 徹 底 的 に 批 判 した それゆえに 共 産 主 義 国 家 であ る 中 国 を 信 頼 せず 自 由 主 義 陣 営 の 台 湾 を 支 持 した 桑 原 は 台 湾 を 自 由 を 守 るための 砦 と 考 えていた かつ 急 速 な 経 済 発 展 を 遂 げた 台 湾 の 経 済 力 を 信 じ 台 湾 を 中 心 とする 文 明 圏 が 確 立 されるのを 期 待 していた 70 年 代 80 年 代 と 低 迷 を 続 ける 中 国 とは 対 照 的 に 経 済 的 に 成 長 していく 台 湾 に 光 明 を 見 ていた 現 在 国 際 政 治 経 済 の 両 面 から 見 ても 大 国 となった 中 国 は 90 年 46 47 元 総 統 府 資 政 元 中 華 欧 亜 基 金 会 副 董 事 長 第 1 回 大 陸 問 題 研 究 会 議 参 加 時 期 は 法 務 部 調 査 局 勤 務 曾 永 賢 氏 インタビュー(2008 年 10 月 13 日 ) -149-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 代 以 降 中 国 文 化 の 見 直 しを 図 り 新 政 策 を 打 ち 出 している こ れは 見 方 を 変 えれば 中 国 の 中 国 化 であり いずれ 中 共 は 中 国 に 飲 み 込 まれる と 指 摘 した 桑 原 の 見 解 が 正 しかったというこ ができる また 桑 原 が 中 国 分 析 のために 使 用 した 資 料 は 人 民 日 報 と 紅 旗 であり 資 料 は 限 られていたが 資 料 が 制 限 されている からこそ その 資 料 を 徹 底 的 に 読 み 込 み 深 い 分 析 が 可 能 であった 48 かつ 桑 原 は 自 身 の 北 京 留 学 経 験 を 通 し 中 国 民 族 の 考 え 方 の 複 雑 さ 深 遠 さを 理 解 し そこで 得 た 経 験 と 知 識 は 桑 原 が 中 国 を 分 析 す る 上 でのレンズとなった 49 桑 原 にとって 中 国 の 政 策 は 矛 盾 と 二 面 性 を 多 分 に 含 んだものであり その 本 質 を 破 壊 と 説 い た その 中 国 に 対 し 中 国 文 化 を 維 持 しようとしている 台 湾 に 大 きな 価 値 を 見 顕 したのである ただし 桑 原 は 台 湾 を 日 本 の 安 全 保 障 の 観 点 あるいは 中 国 文 化 の 観 点 からの 考 察 はあるが 国 民 党 政 権 に 対 する 言 及 や 省 籍 問 題 への 考 察 など 台 湾 の 国 内 問 題 に 関 する 分 析 は 管 見 の 限 り 見 当 たら ない それが 桑 原 の 台 湾 観 の 限 界 であったといえる しかしながら 桑 原 は 大 陸 問 題 研 究 会 議 開 催 発 展 に 尽 力 し 両 国 知 識 人 の 相 互 理 解 を 深 めるため 問 題 と 研 究 を 発 行 し また 48 49 福 田 恒 存 桑 原 寿 二 企 画 監 修 中 国 はどうなるか ( 東 京 : 高 木 書 房 1976 年 ) 204 ページ 大 学 卒 業 後 桑 原 は 後 見 人 坂 西 利 八 郎 ( 袁 世 凱 の 顧 問 をしていた 人 物 当 時 貴 族 院 議 員 )に 卒 業 報 告 に 行 った 際 その 坂 西 の 助 言 により 中 国 留 学 を 決 意 する 坂 西 は 桑 原 を 北 京 の 友 人 方 夢 超 に 託 す 桑 原 は 方 夢 超 の 家 に 食 客 として 住 み 北 京 の 大 学 に 通 った しかし 桑 原 が 世 話 になった 方 夢 超 とは 上 海 日 貨 排 斥 運 動 の 闘 将 であった そのような 錯 雑 とした 環 境 において 青 年 期 を 過 ごした 桑 原 だから こそ 中 国 民 族 の 日 常 習 慣 から 作 法 ものの 考 え 方 を 知 悉 することができたとい えよう( 桑 原 寿 二 ある 小 さな 歴 史 問 題 と 研 究 1986 年 3 月 所 収 前 掲 桑 原 寿 二 著 伊 原 吉 之 助 編 賢 人 がみつめた 中 国 339-340 ページ) -150-

2010 年 10.11.12 月 号 親 台 湾 派 桑 原 寿 二 の 思 想 と 政 治 活 動 彼 の 人 脈 を 通 して 日 台 関 係 の 強 化 に 努 めたのである 大 陸 問 題 研 究 会 議 と 問 題 と 研 究 誌 そして 桑 原 人 脈 が 断 交 後 における 日 台 関 係 の 空 白 を 少 なからず 埋 め 日 台 の 紐 帯 を 維 持 してきたことは 否 定 できないであろう -151-

問 題 と 研 究 第 39 巻 4 号 参 考 文 献 中 央 日 報 産 経 新 聞 岡 本 幸 治 断 交 二 十 年 に 思 う 問 題 と 研 究 第 21 巻 12 号 1992 年 9 月 上 条 末 夫 中 日 中 国 大 陸 問 題 検 討 会 の 概 要 報 告 ( 上 ) 問 題 と 研 究 第 1 巻 第 6 号 1972 年 3 月 桑 原 寿 二 日 本 の 筋 改 革 者 第 136 巻 1970 年 7 月 桑 原 寿 二 中 国 と 中 国 台 北 の 街 頭 で 思 う 問 題 と 研 究 第 1 巻 第 1 号 1971 年 10 月 19-20 頁 桑 原 寿 二 台 北 の 街 頭 に 思 う 所 収 日 中 問 題 研 究 会 編 中 華 民 国 の 印 象 ( 東 京 : 永 田 書 房 1972 年 ) 桑 原 寿 二 蒋 総 統 の 逝 去 と 道 義 的 生 命 力 問 題 と 研 究 第 4 巻 9 号 1975 年 6 月 桑 原 寿 二 開 会 の 言 葉 問 題 と 研 究 第 12 巻 7 号 1983 年 4 月 桑 原 寿 二 鄧 以 後 の 大 陸 そして 台 湾 ASIAN REPORT 第 23 巻 第 272 号 1995 年 9 月 桑 原 寿 二 柴 田 穂 中 嶋 嶺 雄 毛 沢 東 最 後 の 挑 戦 ( 東 京 :ダイヤモンド 社 1976 年 ) 桑 原 寿 二 著 伊 原 吉 之 助 編 賢 人 がみつめた 中 国 ( 東 京 : 扶 桑 社 2002 年 ) 呉 俊 才 国 際 関 係 研 究 所 について 問 題 と 研 究 第 1 巻 4 号 1972 年 1 月 呉 俊 才 開 幕 の 辞 問 題 と 研 究 第 1 巻 6 号 1972 年 3 月 佐 々 木 豊 太 平 洋 問 題 調 査 会 と 第 2 トラック 外 交 相 愛 大 学 研 究 論 集 第 22 巻 2006 年 曾 永 賢 日 華 中 国 大 陸 問 題 研 究 会 議 を 回 顧 して 問 題 と 研 究 第 32 巻 第 8 号 2003 年 5 月 曾 永 賢 氏 インタビュー(2008 年 10 月 13 日 ) 田 崎 史 郎 自 民 党 外 交 の 時 代 を 告 げる 江 崎 ミッションの ASEAN 台 湾 歴 訪 世 界 週 報 第 63 巻 31 号 (1982 年 8 月 10 日 ) 土 井 正 行 田 中 派 の 台 湾 接 近 にいらだつ 中 国 朝 日 ジャーナル 第 24 巻 34 号 1982 年 8 月 13 日 20 日 合 併 号 福 田 恒 存 桑 原 寿 二 企 画 監 修 中 国 はどうなるか ( 東 京 : 高 木 書 房 1976 年 ) 森 山 昭 郎 江 崎 ミッションの 台 湾 訪 問 日 台 経 済 摩 擦 ノート 東 京 女 子 大 学 紀 要 論 集 第 34 巻 1 号 1983 年 9 月 問 題 と 研 究 誌 編 集 室 中 日 学 者 による 中 国 大 陸 問 題 座 談 紀 要 問 題 と 研 究 第 10 巻 第 7 号 第 23 巻 第 272 号 問 題 と 研 究 編 集 委 員 一 同 桑 原 寿 二 先 生 のご 逝 去 を 悼 む 問 題 と 研 究 第 30 巻 12 号 2001 年 9 月 劉 紹 唐 主 編 民 国 人 物 小 伝 : 呉 俊 才 傳 記 文 學 第 69 巻 第 五 期 1996 年 11 月 台 湾 國 史 館 藏 蔣 經 國 總 統 文 物 -152-