武 器 としての 日 本 史 Pain is inevitable Suffering is optional センター4 初 期 議 会 条 約 改 正 日 清 戦 争 近 代 05 (2007 年 本 ) 初 期 議 会 1. 政 府 は 詔 勅 により, 民 党 の 反 対 を 抑 え, 予 算 を 成 立 させた 2. 第 1 回 帝 国 議 会 では, 自 由 党 の 一 部 が 予 算 成 立 に 協 力 した 3. 民 権 派 の 再 結 集 に 対 して, 政 府 は 超 然 主 義 の 立 場 を 声 明 した 近 代 05 解 答 [3 2 1] 3. 大 日 本 帝 国 憲 法 発 布 (1889 年 )の 翌 日, 超 然 主 義 演 説 を 行 ったのは 黒 田 清 隆 首 相 2. 第 1 帝 国 議 会 のときの 内 閣 総 理 大 臣 は 山 県 有 朋 ( 第 1 次 ) 1. 建 艦 詔 勅 により 軍 事 費 増 に 成 功 したのは 第 2 次 内 閣 初 期 議 会 第 一 議 会 第 二 議 会 第 2 回 総 選 挙 の 内 容 が 問 われるぞ! 議 会 首 相 事 項 衆 議 院 議 員 選 挙 法 制 定 1889 黒 田 清 隆 25 歳 以 上 男 子 直 接 国 税 15 円 以 上 納 入 者 に 選 挙 権 超 然 主 義 政 府 の 政 策 は 政 党 の 意 向 に 左 右 されない 第 1 回 総 選 挙 1890 民 党 ( 反 政 府 系 )が 過 半 数 以 上 山 県 首 相 は 軍 事 費 の 拡 大 を 要 求 山 県 有 朋 第 一 議 会 民 党 側 は 民 力 休 養 政 費 削 減 主 張 して 反 発 政 府 が 民 党 の 一 部 を 買 収 し 一 部 予 算 案 を 可 決 民 党 は 軍 艦 建 造 費 の 予 算 削 減 を 主 張 第 二 議 会 政 府 は 軍 艦 建 造 費 を 含 む 予 算 案 を 主 張 対 立 樺 山 資 紀 海 相 の 蛮 勇 演 説 予 算 削 減 松 方 正 義 政 府 が 民 党 の 予 算 削 減 に 同 意 せず 衆 議 院 解 散 品 川 弥 二 郎 内 相 らの 選 挙 干 渉 民 党 勢 力 は 覆 せず 第 三 臨 時 議 会 も 予 算 案 対 立 選 挙 干 渉 非 難 で 総 辞 職 第 三 議 会 松 方 内 閣 の 退 陣 第 四 議 会 予 算 削 減 建 造 詔 勅 で 予 算 成 立 条 約 改 正 交 渉 で 対 立 構 図 が 変 わる 第 五 議 会 政 府 自 由 党 ( 条 約 調 印 賛 成 派 ) 改 進 党 国 民 協 会 など( 条 約 調 印 反 対 派 ) 対 外 硬 派 連 合 解 散 に 次 ぐ 解 散 第 六 議 会 日 清 戦 争 勃 発 により 政 争 中 止 近 代 06 (2004 年 追 ) 欧 米 文 化 の 摂 取 1. 岩 倉 具 視 を 全 権 大 使 とする 遣 外 使 節 団 が, 欧 米 に 向 けて 出 発 した 2. 多 くの 外 国 人 教 師 を 指 導 者 として 招 き, 東 京 大 学 が 開 設 された 3. 鹿 鳴 館 が, 外 国 要 人 接 待 の 社 交 場 として 使 用 された 近 代 06 解 答 [1 2 3] 1. 岩 倉 使 節 団 は, 廃 藩 置 県 (1871 年 ) 直 後 に 派 遣 され, 条 約 改 正 の 予 備 交 渉 とともに 欧 米 を 視 察 した 2. 東 京 大 学 は 開 成 学 校 と 医 学 校 を 併 合 して 設 立 され(1877 年 ), 西 洋 の 知 識 を 学 んだ 3. 鹿 鳴 館 は 井 上 外 相 の 欧 化 政 策 の 中 で 建 設 された(1880 年 代 ) 近 代 07 (2001 年 本 改 ) 明 治 期 のアジア 外 交 1. 天 津 条 約 が 結 ばれ, 日 清 両 軍 の 朝 鮮 からの 撤 兵 などが 定 められた 2. 日 本 は 江 華 島 事 件 を 機 に 朝 鮮 との 間 で 日 朝 修 好 条 規 を 結 んだ 3. 朝 鮮 で 国 王 の 父 大 院 君 が 閔 氏 一 族 から 政 権 を 奪 おうとし 反 乱 を 起 こしたが 失 敗 した 近 代 07 解 答 [2 3 1] 2 日 朝 修 好 条 規 (1876)の 締 結 により 朝 鮮 を 開 国 させた その 後, 親 日 開 化 派 の 台 頭 から 攘 夷 派 の 大 院 君 が 壬 午 軍 乱 (1882)を 起 こした 朝 鮮 の 独 立 党 による 甲 申 事 変 (1884 年 )に 日 清 両 国 が 介 入 し, 日 清 関 係 が 悪 化 したが 天 津 条 約 (1885 年 )で 調 整 した 条 約 改 正 担 当 者 首 相 交 渉 内 容 など 岩 倉 具 視 1871~73 岩 倉 使 節 団 寺 島 宗 則 関 税 自 主 権 回 復 を 主 眼 アメリカ 賛 成 イギリス ドイツ 反 対 で 失 敗 井 上 馨 欧 化 主 義 政 策 鹿 鳴 館 の 建 設 政 府 部 内 の 反 対 領 事 裁 判 権 の 回 復 関 税 自 主 権 の 一 部 回 復 を 主 眼 改 正 草 案 回 復 後 内 地 雑 居 法 典 整 備 過 半 数 の 外 国 人 裁 判 官 任 用 1866 ノルマントン 号 事 件 条 約 への 不 満 拡 大 国 内 の 反 発 ボアソナード ボアソナード 谷 千 城 農 商 務 省 三 大 事 件 建 白 運 動 井 上 外 相 辞 任 大 隈 重 信 黒 田 清 隆 領 事 裁 判 権 の 回 復 関 税 自 主 権 の 一 部 回 復 を 主 眼 米 独 露 と 条 約 調 印 外 国 人 裁 判 官 の 任 用 を 大 審 院 に 限 る がスクープ 大 隈 暗 殺 未 遂 で 片 足 を 失 う 黒 田 内 閣 総 辞 職 領 事 裁 判 権 の 回 復 と 関 税 自 主 権 の 一 部 回 復 を 主 眼 青 木 周 蔵 方 針 転 換 - 外 国 人 裁 判 官 を 大 審 院 に 任 用 しない など 山 県 有 朋 イギリスと 交 渉 妥 結 ロシアの 東 アジア 進 出 に 警 戒 松 方 正 義 大 津 事 件 で 辞 任 犯 人 の 津 田 三 蔵 は 法 律 に 基 づき 無 期 徒 刑 陸 奥 宗 光 1894 日 英 通 商 航 海 条 約 締 結 自 由 党 の 支 持 を 受 ける 領 事 裁 判 権 撤 廃 関 税 自 主 権 の 一 部 回 復 居 留 地 の 廃 止 相 互 対 等 の 最 恵 国 待 遇 1899 年 発 効 で 有 効 期 間 は 12 年 小 村 寿 太 郎 桂 太 郎 1911 日 米 通 商 航 海 条 約 締 結 関 税 自 主 権 の 回 復 に 成 功 1
武 器 としての 日 本 史 Pain is inevitable Suffering is optional 近 代 2009 追 日 清 戦 争 の 講 和 条 約 に 関 して 述 べた 文 として 誤 っているものを 次 の1~4のうちから 一 つ 選 べ 1 条 約 交 渉 の 日 本 全 権 は 陸 奥 宗 光 であった 2 日 本 は 台 湾 と 澎 湖 諸 島 を 割 譲 させた 3 日 本 は 遼 東 半 島 を 割 譲 させたが のちに 返 還 した 4 日 本 は 清 からの 賠 償 金 をもとに 官 営 富 岡 製 糸 場 を 設 立 した 日 清 戦 争 1880 年 代 朝 鮮 問 題 1890 年 代 日 清 戦 争 朝 鮮 問 題 開 国 後 の 朝 鮮 貿 易 は 日 本 の 輸 出 超 過 米 の 買 い 付 けで 朝 鮮 国 内 は 米 不 足 1882 壬 午 軍 乱 親 日 派 の 閔 妃 一 族 に 対 し 守 旧 派 兵 士 が 大 院 君 を 担 いでクーデター 済 物 浦 条 約 後 閔 妃 派 は 清 とのつながりを 強 める 1884 甲 申 事 変 閔 氏 親 日 派 から 親 清 派 に 転 じたことに 注 目 閔 妃 政 権 ( 親 清 派 )と 独 立 党 ( 親 日 派 金 玉 均 ら)の 対 立 清 仏 戦 争 後 にクーデター 清 の 干 渉 で 失 敗 漢 城 条 約 (1885 朝 鮮 ) 1885 天 津 条 約 と 李 鴻 章 日 清 両 軍 の 朝 鮮 撤 退 将 来 の 出 兵 時 は 相 互 通 告 日 本 国 内 の 世 論 の 転 換 福 沢 諭 吉 の 脱 亜 論 1889 防 穀 令 事 件 - 朝 鮮 で 凶 作 大 豆 米 の 対 日 輸 出 禁 止 で 打 撃 賠 償 金 支 払 いで 承 認 1894 甲 午 農 民 戦 争 ( 朝 鮮 ) 東 学 が 農 民 を 率 いて 大 規 模 な 反 乱 に 発 展 清 が 救 援 出 兵 日 本 も 対 抗 して 出 兵 終 了 後 も 両 軍 が 対 峙 1894 日 清 戦 争 豊 島 沖 海 戦 などで 開 戦 宣 戦 布 告 平 壌 の 戦 い 黄 海 海 戦 大 連 旅 順 占 領 威 海 衛 占 領 戦 局 日 本 の 圧 倒 的 優 位 政 党 の 政 府 批 判 中 止 戦 費 は 約 2 億 円 1895 下 関 条 約 日 本 側 全 権 - 首 相 陸 奥 宗 光 外 相 清 国 側 全 権 - 李 鴻 章 内 容 清 国 は 朝 鮮 独 立 の 承 認 遼 東 半 島 台 湾 澎 湖 諸 島 の 割 譲 賠 償 金 2 億 両 (3 億 1 千 万 ) 支 払 沙 市 重 慶 蘇 州 杭 州 の 開 港 日 清 戦 争 後 の 議 会 第 2 次 伊 藤 自 由 党 と 提 携 板 垣 退 助 内 務 大 臣 軍 備 拡 張 をめざす 政 府 は 政 党 を 無 視 できなくなったのだ 第 2 次 松 方 進 歩 党 と 提 携 大 隈 重 信 外 務 大 臣 第 3 次 伊 藤 地 租 増 徴 案 提 出 自 由 進 歩 両 党 の 反 発 憲 政 党 の 結 成 地 租 を 払 っているのは 地 主 たちのみ 第 1 次 大 隈 初 の 政 党 内 閣 憲 政 党 与 党 大 隈 外 相 兼 任 板 垣 内 相 ( 隈 板 内 閣 ) 1898 地 租 増 徴 案 可 決 2.5% 3.3% へ 第 2 次 山 県 1899 文 官 任 用 令 改 正 政 党 員 が 官 僚 に 進 出 するのを 防 ぐ 1900 軍 部 大 臣 現 役 武 官 制 陸 海 軍 大 臣 は 2
近 代 08 (2001 年 本 改 ) 綿 糸 紡 績 業 1. 紡 績 女 工 などを 保 護 するため, 工 場 法 が,さまざまな 例 外 規 定 を 持 ちつつも 実 施 された 2. 綿 糸 紡 績 業 は, 朝 2. 鮮 中 国 への 輸 出 を 伸 ばし,その 結 果 綿 糸 輸 出 量 は 輸 入 量 を 上 回 った 3. 綿 糸 生 産 の 増 大 をはかるため 臥 雲 辰 致 がガラ 紡 を 発 明 した 近 代 08 解 答 [3 2 1] 3.ガラ 紡 は, 殖 産 興 業 政 策 の 一 環 として 行 われた 内 国 勧 業 博 覧 会 (1877 年 )に 出 品 された 2. 綿 糸 輸 出 量 が 輸 入 量 を 上 回 った(1897 年 )のは 日 清 戦 争 後 である 工 場 法 制 定 (1911 年 )は 第 2 次 桂 太 郎 内 閣 のこと 産 業 革 命 近 代 09 (2008 年 本 ) 第 一 次 世 界 大 戦 1.シベリア 出 兵 を 行 った 2. 中 国 政 府 に 二 十 一 カ 条 の 要 求 を 行 った 3. 日 英 同 盟 を 理 由 にドイツに 宣 戦 布 告 した 近 代 09 解 答 [3 2 1] 第 一 次 世 界 大 戦 がはじまると, 第 2 次 大 隈 内 閣 は 3 日 英 同 盟 を 理 由 に 参 戦 した その 後,これを 中 国 権 益 確 立 の 好 機 とみて 2 二 十 一 カ 条 の 要 求 を 中 国 政 府 に 突 き 付 け た(1915) 次 の 寺 内 内 閣 はロシア 革 命 への 干 渉 に 乗 り 出 し,1 シベリア 出 兵 を 断 行 (1918)した 近 代 10 (2009 年 本 ) 普 選 運 動 の 展 開 1. 日 本 初 の 社 会 主 義 政 党 が 結 成 され, 普 通 選 挙 の 実 現 をかかげた 2. 第 二 次 護 憲 運 動 が 展 開 された 3. 選 挙 権 の 納 税 資 格 が 直 接 国 税 3 円 以 上 に 引 き 下 げられた 近 代 11 (2011 年 本 ) 昭 和 初 期 の 経 済 1. 浜 口 雄 幸 内 閣 によって 金 解 禁 が 断 行 されたが, 同 じ ころ 世 界 恐 慌 が 日 本 にも 波 及 した 2. 片 岡 直 温 蔵 相 の 失 言 をきっかけに, 金 融 恐 慌 が 起 こった 3. 関 東 大 震 災 により, 決 済 不 能 になったとみなされる 震 災 手 形 が 現 れた 近 代 11 解 答 [3 2 1] 3 第 2 次 山 本 内 閣 は 関 東 大 震 災 の 処 理 を 進 めたが 震 災 手 形 問 題 が 残 存 し,2 第 1 次 若 槻 内 閣 の 片 岡 蔵 相 の 失 言 により 取 り 付 け 騒 ぎがおこった( 金 融 恐 慌 ) 1 浜 口 内 閣 は 為 替 相 場 を 安 定 させ, 貿 易 振 興 をはかり, 金 解 禁 を 断 行 した(1930)が, 世 界 恐 慌 に 巻 き 込 まれ た 近 代 12 (2009 年 本 ) 軍 縮 の 展 開 1. 国 策 の 手 段 としての 戦 争 の 放 棄 を 約 した 不 戦 条 約 に 調 印 した 2. 補 助 艦 の 総 保 有 量 (トン 数 )を 英 米 の 約 7 割 とすることに 合 意 した 3. 主 力 艦 保 有 量 (トン 数 )を 英 米 の5 分 の3に 制 限 することに 合 意 した 近 代 12 解 答 [3 1 2] 3. 高 橋 是 清 内 閣 の 時,ワシントン 海 軍 軍 縮 条 約 (1922)で 主 力 艦 の 保 有 制 限 に 合 意 した 1. 田 中 義 一 内 閣 の 時,パリで 不 戦 条 約 に 調 印 した(1927) 2. 浜 口 雄 幸 内 閣 の 時, ロンドン 海 軍 軍 縮 条 約 (1930)で 補 助 艦 の 保 有 制 限 に 合 意 した 近 代 13 (2010 年 本 ) 政 商 の 成 長 1. 開 拓 使 官 有 物 払 下 げが 批 判 を 招 き, 中 止 された 2. 前 蔵 相 と 三 井 財 閥 の 幹 部 が, 血 盟 団 員 に 殺 害 された 3. 三 菱 の 岩 崎 弥 太 郎 が, 台 湾 出 兵 の 際 に 軍 事 輸 送 を 請 け 負 った 近 代 13 解 答 [3 1 2] 3. 岩 崎 弥 太 郎 は 明 治 初 期 の 台 湾 出 兵 (1874)の 軍 事 輸 送 で 三 菱 の 基 礎 を 築 いた 1. 開 拓 使 長 官 黒 田 清 隆 の 政 商 五 代 友 厚 への 官 有 物 払 い 下 げが 問 題 となり, 明 治 十 四 年 の 政 変 につながった 2. 血 盟 団 事 件 (1932 は 昭 和 初 期 で 犬 養 毅 内 閣 の 時 近 代 14 (2008 年 本 ) 軍 部 の 台 頭 1. 関 東 軍 が, 柳 条 湖 で 満 鉄 の 線 路 を 爆 破 した 2. 陸 軍 の 青 年 将 校 らが, 部 隊 を 率 いて 政 府 要 人 や 重 要 施 設 を 襲 撃 した 3. 海 軍 の 青 年 将 校 らが, 犬 養 毅 首 相 を 射 殺 した 近 代 14 解 答 [1 3 2] 1. 第 2 次 若 槻 内 閣 ( 民 政 党 )の 時, 柳 条 湖 事 件 (1931)から 満 州 事 変 が 始 まった 3. 五 一 五 事 件 (1932)で 犬 養 毅 首 相 が 暗 殺 されて, 戦 前 の 政 党 内 閣 は 最 後 となった 2. 岡 田 内 閣 の 時, 陸 軍 皇 道 派 の 青 年 将 校 らにより 二 二 六 事 件 (1936)が 起 こった 近 代 15 (2009 年 本 ) 1. 日 本 軍 が 中 国 の 南 京 を 占 領 するに 際 して, 捕 虜 や 非 戦 闘 員 を 殺 害 する 事 件 が 起 きた 2. 中 国 東 北 部 での 日 本 軍 の 活 動 に 対 して 国 際 連 盟 からリットン 調 査 団 が 派 遣 され た 3. 関 東 軍 参 謀 河 本 大 作 らが, 中 国 軍 閥 の 一 人 である 張 作 霖 を, 奉 天 郊 外 において 爆 殺 した 近 代 15 解 答 [3 2 1] 3. 田 中 義 一 内 閣 の 時, 張 作 霖 爆 殺 事 件 が 起 こった(1928) 2. 満 州 事 変 の 際, 中 国 の 提 訴 により 国 際 連 盟 はリットン 調 査 団 を 派 遣 した 1. 日 中 戦 争 の 際 に 起 こった 南 京 大 虐 殺 (1937)のこと 近 代 16 (2002 年 本 ) 日 中 戦 争 以 降 1. 日 本 は, 援 蔣 ルートを 断 ち 切 るため,フランス 領 インドシ ナ 北 部 に 進 駐 した 2. 近 衛 首 相 は, 国 民 政 府 を 対 手 とせず との 声 明 を 発 表 した 3.アメリカが, 石 油 の 対 日 輸 出 を 禁 止 した 近 代 16 解 答 [2 1 3] 2. 近 衛 声 明 で 日 中 戦 争 の 和 平 交 渉 の 道 は 閉 ざされた( 第 1 次 近 衛 内 閣 ) 1. 第 2 次 近 衛 内 閣, 南 進 策 を 進 め 北 部 仏 印 へ 進 駐 (1940)した 3. 第 3 次 近 衛 内 閣, 日 米 交 渉 を 進 める 一 方 で 日 本 が 南 部 仏 印 へ 進 駐 (1941)したため,アメリカは 石 油 の 輸 出 禁 止 をした 近 代 17 (2004 年 追 ) 日 中 太 平 洋 戦 争 1. 日 本 軍 が,マレー 半 島 に 奇 襲 上 陸 した 2. 大 都 市 では 戦 局 の 悪 化 にともなって 集 団 で 学 童 疎 開 が 行 われた 3. 北 京 郊 外 で 日 本 軍 と 中 国 軍 の 衝 突 事 件 が 起 こり, 日 中 戦 争 がはじまった 3
近 代 17 解 答 [3 1 2] 3. 第 1 次 近 衛 内 閣, 盧 溝 橋 事 件 (1937)より 日 中 戦 争 が 始 まった 1. 東 条 英 機 内 閣, 真 珠 湾 攻 撃 とほぼ 同 時 に 始 まったマレー 半 島 上 陸 により, 太 平 洋 戦 争 が 始 まった (1941) 2.サイパン 島 陥 落 (1944) 後, 本 土 空 襲 が 本 格 化 し, 学 童 疎 開 が 始 まった 近 代 18 (2004 年 本 ) 近 代 の 教 育 1. 大 学 令 が 公 布 され, 公 立 私 立 大 学 の 設 立 が 認 められた 2. 宇 垣 一 成 陸 相 の 下 で, 中 等 学 校 以 上 に 軍 事 教 練 が 導 入 された 3. 義 務 教 育 の 年 限 が4 年 から 6 年 に 延 長 された 近 代 18 解 答 [3 1 2] 3. 明 治 末 期 に 小 学 校 の 義 務 教 育 が 6 年 となり, 義 務 教 育 が 普 及 した 1. 大 正 時 代 には, 新 中 間 層 の 台 頭 から, 原 内 閣 が 高 等 教 育 機 関 の 拡 充 をはかり 大 学 令 を 公 布 (1918)した 2. 加 藤 高 明 内 閣 の 宇 垣 陸 相 の 下, 軍 縮 が 行 われ, 軍 事 教 練 が 始 まった 近 代 19 (2006 年 本 ) 西 洋 の 建 築 1. 日 本 初 のビザンティン 様 式 建 築 の,ニコライ 堂 が 建 設 され た 2.ガラス 戸 や 応 接 間 などを 備 えた, 文 化 住 宅 が 建 設 された 3. 和 風 土 蔵 造 りに 洋 風 の 八 角 の 塔 を 上 げた, 開 智 学 校 ( 長 野 県 松 本 市 )が 建 設 された 近 代 19 解 答 [3 1 2] 3. 開 智 学 校 は 明 治 初 期 の 小 学 校 建 築 の 代 表 的 遺 構 1.ニコライ 堂 は イギリス 人 コンドルの 設 計 により 明 治 中 期 に 建 設 された 2. 文 化 住 宅 は 大 正 時 代 の 中 間 層 の 住 宅 現 代 01 (2011 年 追 ) 吉 田 内 閣 1. 朝 鮮 戦 争 勃 発 前 後, 共 産 主 義 者 やその 支 持 者 を 職 場 から 追 放 するレッド=パージが 行 われた 2.MSA 協 定 締 結 と 同 年, 防 衛 庁 が 設 置 され, 保 安 隊 が 自 衛 隊 に 改 組 された 3. 教 育 基 本 法 制 定 と 同 年, 地 方 自 治 法 が 制 定 され, 都 道 府 県 知 事 が 公 選 された 現 代 01 解 答 [3 1 2] 3. 五 大 改 革 - 教 育 基 本 法 (1947 年 )は 第 1 次 吉 田 内 閣 1. 朝 鮮 戦 争 (1950~53 年 )にともなうレッドパージは 第 3 次 吉 田 内 閣 2. 講 和 後 の 自 衛 隊 創 設 (1954 年 )は 第 5 次 吉 田 内 閣 基 本 的 に 第 1 次 吉 田 内 閣 と 第 2~5 次 吉 田 内 閣 の 区 別 ができればよい 現 代 02 (2012 年 本 ) 1. 米 航 空 機 の 売 り 込 みをめぐる 収 賄 容 疑 により, 前 首 相 が 逮 捕 された 2. 昭 和 電 工 事 件 が 発 覚 して, 片 山 哲 内 閣 から 2 代 続 いた 3 党 連 立 内 閣 が 倒 れた 3. 造 船 疑 獄 事 件 をめぐって 首 相 への 批 判 が 高 まり, 戦 後 初 の 長 期 政 権 が 崩 壊 した 現 代 02 解 答 [2 3 1] 2. 昭 和 電 工 事 件 により 芦 田 均 内 閣 は 総 辞 職 3. 造 船 疑 獄 事 件 は( 第 5 次 ) 吉 田 茂 内 閣 ( 戦 後 初 の 長 期 政 権 より)のとき 1.ロッキード 事 件 ( 米 航 空 機 の 売 り 込 みをめぐる 収 賄 容 疑 )は 三 木 武 夫 内 閣 ( 前 首 相 は 田 中 角 栄 ) 1. 日 ソ 共 同 宣 言 によってソ 連 との 国 交 が 正 常 化 された 2. 最 初 の 先 進 国 首 脳 会 議 (サミット)が 開 かれ, 日 本 もこれに 参 加 した 3.IMF8 条 国 に 移 行 し,いっそうの 貿 易 と 資 本 の 自 由 化 を 進 めた 現 代 03 解 答 [1 3 2] 1. 日 ソ 共 同 宣 言 (1956)は 鳩 山 一 郎 内 閣 の 時 3. 高 度 経 済 成 長 の 中 で, IMF8 条 国 に 移 行 (1964)したのは 池 田 勇 人 内 閣 の 時 2.オイルショックによる 世 界 的 不 況 を 背 景 に フランスでサミットが 行 われた 三 木 武 夫 内 閣 の 時 現 代 04 (2012 年 追 ) 1. 世 界 不 況 への 対 応 を 協 議 するため, 先 進 国 首 脳 会 議 (サミット)がはじめて 開 催 された 2. 沖 縄 返 還 協 定 が 調 印 され, 翌 年 の 協 定 発 効 をもって 沖 縄 の 日 本 復 帰 が 実 現 した 3. 東 京 オリンピックの 開 会 にあわせて, 東 海 道 新 幹 線 が 東 京 新 大 阪 間 で 開 通 した 現 代 04 解 答 [3 2 1] 3. 東 京 オリンピック(1964 年 ) 東 海 道 新 幹 線 の 開 通 は 1960 年 代 半 ば 池 田 勇 人 内 閣 2. 沖 縄 返 還 協 定 が 締 結 (1971 年 )は 佐 藤 栄 作 内 閣 1.オイルショックへの 対 応 を 協 議 する 第 1 回 のサミット(1975 年 )は 三 木 武 夫 内 閣 現 代 05 (2010 年 本 ) 戦 後 の 社 会 1. 東 海 道 新 幹 線 の 開 通 により, 東 京 大 阪 間 の 移 動 時 間 が 大 幅 に 短 縮 された 2. 列 島 改 造 政 策 が 打 ち 出 され, 東 京 大 阪 と 全 国 の 地 方 都 市 とを 結 ぶ 高 速 道 路 網 の 整 備 が 提 唱 された 3.テレビ 放 送 が 開 始 され, 白 黒 テレビの 販 売 が 始 まった 現 代 05 解 答 [3 1 2] 3.テレビ 放 送 の 開 始 は 1953 年 白 黒 テレビは 三 種 の 神 器 の 一 つで 高 度 経 済 成 長 の 前 半 に 普 及 1. 東 海 道 新 幹 線 は, 東 京 オリンピックと 同 年 (1964 年 )で 池 田 隼 人 内 閣 高 度 経 済 成 長 のさなか 2. 列 島 改 造 政 策 は, 高 度 経 済 成 長 が 終 わる 田 中 角 栄 内 閣 現 代 06 (2001 年 追 ) 高 度 経 済 成 長 後 1. 円 の 変 動 相 場 制 への 移 行 2. 国 鉄 の 分 割 民 営 化 3. 第 二 次 石 油 ショック 現 代 06 解 答 [1 3 2] 1.ドル=ショック(1971 年 )の 後,1873 年 に 変 動 相 場 制 に 移 行 した 第 一 次 石 油 ショックと 同 年 で 田 中 角 栄 内 閣 のとき 3. 第 二 次 石 油 ショック(1978 年 )は 大 平 正 芳 内 閣 のと き 2. 国 鉄 の 分 割 民 営 化 は 中 曽 根 康 弘 内 閣 のとき 現 代 03 (2004 年 本 ) 4
その 他 07 (2012 年 本 ) 文 化 財 の 保 護 1. 法 隆 寺 金 堂 壁 画 が 焼 損 したことを 契 機 に, 文 化 財 保 護 法 が 制 定 された 2. 原 爆 の 惨 禍 を 伝 える 原 爆 ドームが, 全 人 類 の 文 化 遺 産 として, 世 界 遺 産 に 登 録 された 3.フェノロサが, 日 本 の 伝 統 美 術 の 保 存 と 復 興 を 説 いた その 他 07 解 答 [3 1 2] 3.アメリカ 人 のフェノロサ 東 京 大 学 の 講 師 をつとめたのは 明 治 時 代 1. 太 平 洋 戦 争 後, 間 もなく, 法 隆 寺 金 堂 壁 画 焼 損 (1949)を 契 機 に, 文 化 財 保 護 法 (1950)が 制 定 される 2. 原 爆 ドームが 世 界 遺 産 に 登 録 されたのは 1996 年 のこと その 他 06 解 答 [2 1 3] 2. 東 京 府 は 江 戸 を 改 称 した 明 治 初 期 (1868)に 置 かれる 1. 市 制 町 村 制 (1888) 制 定 は 明 治 憲 法 の 制 定 過 程 で, 府 県 制 郡 制 (1890) 制 定 とともに 進 められた 3. 美 濃 部 亮 吉 が 東 京 都 知 事 に 当 選 した(1967)のは 高 度 経 済 成 長 のころ その 他 06 (2006 年 本 ) 東 京 について 1. 市 制 町 村 制 が 制 定 され, 東 京 市 が 設 置 された 2. 東 京 府 が 置 かれ,その 長 として 新 たに 東 京 府 知 事 が 任 命 された 3. 美 濃 部 亮 吉 が 東 京 都 知 事 に 当 選 した その 他 05 (2007 年 本 ) 日 本 の 伝 統 文 化 1. 塙 保 己 一 は, 日 本 の 古 典 史 料 の 刊 行 を 進 めた 2. 柳 田 国 男 は, 民 間 伝 承 を 研 究 し, 日 本 民 俗 学 の 基 礎 をすえた 3. 岡 倉 天 心 らは, 日 本 美 術 院 を 結 成 して 伝 統 美 術 の 発 展 をはかった その 他 05 解 答 [1 3 2] 1. 江 戸 時 代 のこと 国 学 者 塙 保 己 一 は 群 書 類 従 を 編 纂 した 3. 岡 倉 天 心 は, 明 治 中 期, 東 京 美 術 学 校 設 立 (1887)に 尽 力 し, 日 本 美 術 院 を 結 成 (1898)した 2. 柳 田 国 男 は, 明 治 末 から 大 正 時 代 にかけて 遠 野 物 語 を 出 すなど 民 俗 学 の 基 礎 を 築 いた その 他 04 (2006 年 追 ) 京 都 の 自 治 組 織 1. 町 年 寄 などの 代 表 が, 町 法 にもとづいて 町 を 運 営 し た 2. 町 内 会 隣 組 が 設 置 された 3. 耶 蘇 会 士 日 本 通 信 に 町 衆 の 自 治 の 具 体 像 が 描 かれ た その 他 04 解 答 [3 1 2] 3. 戦 国 時 代 のこと 耶 蘇 会 士 日 本 通 信 で 有 名 なのは 堺 の 町 を 紹 介 したガスパル=ヴィレラの 書 簡 1. 江 戸 時 代 のこと 2. 隣 組 は 大 政 翼 賛 会 (1940 年 に 組 織 )の 末 端 組 織 その 他 03 (2011 年 追 改 ) 室 町 以 降 の 宗 教 1. 本 願 寺 の 顕 如 が 諸 国 の 門 徒 に 織 田 信 長 への 反 抗 をよびかけ, 各 地 で 一 向 一 揆 が 展 開 した 2. 神 道 や 南 学 などの 影 響 を 受 けた 山 崎 闇 斎 が, 垂 加 神 道 を 唱 えた 3. 日 蓮 宗 の 信 者 と, 延 暦 寺 が 衝 突 する 天 文 法 華 の 乱 が 起 こった その 他 03 解 答 [3 1 2] 3. 天 文 法 華 の 乱 (1532)は 16 世 紀 前 半 1. 織 田 信 長 と 本 願 寺 の 戦 い である 石 山 合 戦 (1570~80)は 16 世 紀 後 半 2. 山 崎 闇 斎 が 垂 加 神 道 を 唱 えたのは 江 戸 時 代 (17 世 紀 ) その 他 02 (2011 年 本 ) 動 物 の 作 品 1. 動 物 を 擬 人 化 して 当 時 の 社 会 を 風 刺 した 鳥 獣 戯 画 が 描 かれた 2. 見 ざる 言 わざる 聞 かざる の 三 猿 などで 知 られる 日 光 東 照 宮 が 造 られた 3. 狩 野 永 徳 が, 障 壁 画 の 代 表 作 唐 獅 子 図 屏 風 を 描 いた その 他 02 解 答 [1 3 2] 1. 鳥 獣 戯 画 は 平 安 末 期 文 化 の 作 品 3. 唐 獅 子 図 屏 風 は 桃 山 文 化 の 作 品 2. 日 光 東 照 宮 は 寛 永 文 化 の 作 品 その 他 01 (2008 年 本 ) 農 業 技 術 の 歴 史 1. 脱 穀 用 の 千 歯 扱 や 選 別 用 の 唐 箕 が 広 く 用 いられた 2. 石 包 丁 による 穂 首 刈 りが 広 く 行 われた 3. 肥 料 として 草 木 灰 が 普 及 しはじめた その 他 01 解 答 [2 3 1] 2. 弥 生 時 代 のこと 3. 中 世 ( 鎌 倉 時 代 )のこと 1. 江 戸 時 代 のこと 5