1 第 章 起 立 性 調 節 障 害 の 概 要 起 立 性 調 節 障 害 の 病 態 を 最 初 に 報 告 したのは,1826 年 のフランスの 医 師 ピオリらしい. 立 位 で 意 識 消 失 する 症 例 の 報 告 である.1925 年 には,ブラッ ドベリにより postural hypotension の 語 が 初 めて 使 用 された. 起 立 性 調 節 障 害 の 体 系 的 な 研 究 の 歴 史 は,1950 年 代 のドイツに 始 まる. 循 環 器 系 の 自 律 神 経 機 能 障 害 と 捉 えられ, 急 速 に 発 育 する 前 思 春 期, 思 春 期 にみられる 生 理 現 象 と 病 的 状 態 の 中 間 に 位 置 する 病 態 と 考 えられてきた. ドイツでの 研 究 成 果 を 踏 まえ, 我 が 国 に 初 めて 起 立 性 調 節 障 害 が 紹 介 され たのは 1958 年 で, 第 1 回 起 立 性 調 節 障 害 研 究 会 を 主 催 された 日 本 大 学 の 大 国 真 彦 先 生 がその 先 駆 的 役 割 を 果 たした.その 翌 年, 大 国 先 生 により 診 断 基 準 が 作 成 され, 同 研 究 会 は,1973 年 に 日 本 自 律 神 経 学 会 に 吸 収 される 形 で 発 展 的 に 解 消 した. 以 後, 鳥 取 大 学 の 本 多 和 雄 先 生, 浜 松 医 科 大 学 の 永 田 勝 太 郎 先 生 などによって 研 究 が 推 し 進 められ, 今 日 では 日 本 小 児 心 身 医 学 会 が ガイドラインを 作 成 するに 至 った. 起 立 性 調 節 障 害 は, 近 年 増 加 傾 向 にある. 好 発 年 齢 は 10 16 歳, 有 病 率 は 小 学 生 で 約 5%, 中 学 生 で 約 10%である. 病 院 を 受 診 しないまでも, 朝 が 起 きづらい 午 前 中 に 体 調 が 悪 い などを 訴 える 子 供,つまり 起 立 性 調 節 障 害 の 予 備 軍 と 呼 べる 子 供 は, 健 康 な 小 学 校 4 年 生 から 中 学 校 3 年 生 まで の 間 で 40 60%ほど 存 在 するといわれている.つまり, 相 当 数 の 患 者 およ び 予 備 軍 の 存 在 する 裾 野 の 広 い 疾 患 である. 小 児 科 外 来 を 受 診 する 5 人 に 1 人 が, 起 立 性 調 節 障 害 の 何 らかの 症 状 を 持 っているともいわれる. 男 女 比 は 1 対 1.5 2 の 比 で 女 子 に 多 い. JCOPY 498-14534 1
起 立 性 調 節 障 害 の 何 が 問 題 か さて,common disease ともいえる 起 立 性 調 節 障 害 であるが,その 何 が 問 題 か. 私 のクリニックには, 日 本 全 国 から 起 立 性 調 節 障 害 の 子 供 がやってくる. 多 くの 子 供 たちは,すでに 前 医 で 治 療 を 受 けている.そういう 子 供 たちを 診 ていると, 起 立 性 調 節 障 害 の 治 療 の 問 題 点 が 透 けてみえる. 多 くの 医 師 は, 起 立 性 調 節 障 害 を 身 体 疾 患 としてしか 治 療 していないよう である. 低 血 圧 に 対 する 昇 圧 剤, 頭 痛 に 対 する 鎮 痛 剤, 下 痢 に 対 する 整 腸 剤 といった 対 症 療 法 である. そこが 最 大 の 問 題 であるのだが,そうなるのも 無 理 はない. 起 立 調 節 障 害 の 子 供 がまず 訪 れる 小 児 科 は 基 本 的 には 身 体 科 であるし,そもそも 小 児 心 身 医 学 会 の 提 示 した 小 児 心 身 医 学 会 ガイドライン 集 の 冒 頭 に OD( 起 立 性 調 節 障 害 )は 身 体 疾 患 である と 書 いている. 起 立 性 調 節 障 害 は, 心 身 症 としての 要 素 が 強 いというのが 実 情 であるのだ から,この 文 言 は 誤 解 を 与 える.もちろん, 純 粋 に 身 体 疾 患 として 扱 える 症 例 もあり,それはそれで 重 要 な 疾 患 単 位 であるのだが, 長 引 く 遅 刻 や 欠 席 な ど, 学 校 生 活 に 支 障 を 生 じ, 病 院 の 受 診 を 余 儀 なくされるようになると, 自 ずと 心 身 症 としての 様 相 を 帯 びてくる. 小 児 心 身 医 学 会 ガイドライン 集 にある OD は 身 体 疾 患 である とは, 本 来 は OD には 身 体 疾 患 としての 一 面 があり, 器 質 的 なメカニズムが 存 在 するが,その 背 景 には 心 理 社 会 的 背 景 のある 場 合 が 多 い とすべきはずで ある.ガイドライン 全 体 の 論 調 は 心 身 症 であることを 否 定 していないので, 冒 頭 の 言 葉 が 言 葉 足 らずなのである. 我 々 臨 床 家 は,まずこの 点 を 誤 解 しな いようにしなければならない. 決 して, 起 立 性 調 節 障 害 は 身 体 の 病 気 であ る などと 患 児 や 親 に 向 かって 公 言 してはならない. 受 診 した 子 供 に 付 き 添 っている 親 も, OD は 身 体 疾 患 である と 思 い 込 んでいることが 多 い. 彼 らは 我 が 子 の 窮 地 を 救 おうと,インターネットを 使 ってあらゆる 情 報 を 無 秩 序 に 取 り 入 れている.そこには, 身 体 疾 患 なの だから, 怠 け 扱 いしないでしっかり 治 しましょう というニュアンスの, 心 2 JCOPY 498-14534
理 的 側 面 を 否 定 したものが 多 い. 親 も 誤 解 してしまう 所 以 である. このように, 近 年, 起 立 性 調 節 障 害 は, 身 体 疾 患 としての 側 面 が 強 調 され 過 ぎている.これは 一 体 何 なのか. 朝, 起 きられない を 単 に 怠 け と しかみて 来 なかった 過 去 に 対 する 反 動 であろうと 思 われる. 今 まで, 朝, 起 きられない は, 精 神 論, 根 性 論 に 結 びつけられ, 起 き られないで 辛 い 思 いをしている 子 供 たちを 大 人 たちが 無 理 やり 叩 き 起 こして 登 校 を 強 いてきた 歴 史 がある.それが, 起 立 性 調 節 障 害 の 登 場 によって 覆 った. 朝, 起 きられない という 現 象 は, 精 神 論 などで 片 付 けられるも のではなく, 身 体 の 病 気 だとされるようになった.すると, 今 までの 対 応 が さも 悪 しきことだったかのように 片 付 けられ, 精 神 論 に 基 づく 登 校 の 強 制 は 間 違 っているといった 風 潮 が 醸 成 され, 結 果, 起 立 性 調 節 障 害 の 持 つ 心 理 的 な 側 面 が 削 がれていったのである. 精 神 論 や 根 性 論 を 復 活 させようというのではない. 起 立 性 調 節 障 害 の 子 供 を 怠 け といって 一 蹴 してはいけない.いまさらそれは 論 を 待 たない.だ が, 結 果 的 に 怠 け といわれても 否 定 できない 心 理 的 問 題 を 内 包 している こともまた 事 実 なのである.ここから 目 を 背 けてはいけない. 重 要 なことは, 起 立 性 調 節 障 害 の 身 体 的 なメカニズムが 明 らかにされるこ ととともに, 今 まで 怠 け といわれてきたものとは 一 体 何 なのか,その 心 理 ダイナミズムはどういうものなのかということを 明 確 にすることである. 身 体 型 と 心 身 症 型 まず 重 要 なことは, 起 立 性 調 節 障 害 には,1 身 体 疾 患 として 扱 ってよい 身 体 型 と,2 心 身 症 として 扱 うべき 心 身 症 型 が 存 在 するということ である. 1 身 体 型 は, 一 言 でいうと 軽 症 例 である. 起 立 性 調 節 障 害 は 一 般 中 学 生 の 一 割 を 占 めるといわれ, 病 院 を 受 診 しない 者 を 含 めれば 軽 症 例 の 絶 対 数 は 多 い. 一 方, 病 院 を 受 診 する 軽 症 例 は 決 して 多 くないと 思 われる. 2 心 身 症 型 は, 中 等 症 以 上 の 起 立 性 調 節 障 害 であると 考 えて 差 し 支 え JCOPY 498-14534 3
ない. 病 院 を 受 診 する 者 は, 身 体 型 よりもこちらの 方 が 多 い. 心 療 内 科 や 精 神 科 を 訪 れる 患 者 ならなおさらである. なぜこれを 中 等 症 以 上 としてよいかというと, 病 院 を 受 診 する 例 は, 遅 刻 や 欠 席 など,ほとんどの 例 で 学 校 生 活 に 支 障 をきたしているからである. そうした 場 合, 何 らかのストレスが 背 景 にあるものであるし,たとえそれが なくても, 学 校 生 活 に 支 障 をきたしているということ 自 体 が 心 理 的 ストレス となる( 詳 細 は 後 述 ). この 点 は, 小 児 心 身 医 学 会 ガイドライン 集 の 診 断 アルゴリズム の 描 く 起 立 性 調 節 障 害 の 病 態 像 と 一 線 を 画 する. 小 児 心 身 医 学 会 ガイドライン 集 の 診 断 アルゴリズム では,あくま で1 身 体 型 が 起 立 性 調 節 障 害 のメインであり, 心 身 症 としての 要 素 は 付 加 的 なものとして 扱 われている. このガイドラインは, 身 体 科 である 小 児 科 医 が 起 立 性 調 節 障 害 の 身 体 的 な 側 面 の 研 究 を 積 み 重 ねてきた 結 果 のものであるから,それは 無 理 もないのか もしれない.しかし, 心 療 内 科 や 精 神 科 において,これをそのまま 無 批 判 に 運 用 することには 慎 重 であらねばならない. なぜなら,こと 心 理 的 な 問 題 にフォーカスしてみると,そこには 心 身 症 と しての 問 題 のみならず, 思 春 期 の 心 理 特 性, 欠 席 や 遅 刻 という 行 動 のもたら す 心 理 的 影 響 が 存 在 し, 治 療 面 ではそこを 避 けては 通 れないからである. こうした 問 題 は, 厳 密 にいえば 身 体 型 と 心 身 症 型 の 境 界 を 曖 昧 に するし,また, 心 身 症 という 言 葉 で 心 理 的 な 問 題 のすべてを 代 弁 するこ とにも 疑 問 を 生 じさせる.このあたりの 問 題 は 後 に 詳 述 するとして,ここで は1 身 体 型 と2 心 身 症 型 の 典 型 例 を 提 示 しておく. 4 JCOPY 498-14534
第 1 章 起立性調節障害とは何か 症例 ① 身体型 の典型例 小学校 6 年生 男児 A 主訴 朝起き不良 易疲労 めまい たちくらみ 既往歴 特記すべきことなし 病歴 このところ身長の伸びがめざましい A は地域のサッカーのク ラブチームに所属し リーグ戦の得点王を期待されるくらいに運動能 力が高い 成績もよく 友達関係や家族関係にも問題はない A は 夏休みの期間中にサッカーに励み 親からみて頑張り過ぎでは ないかと心配するほどであった 次第に疲労感を訴えるようになり 夏休みを過ぎたころからすっかり元気をなくしてしまった 立ちくら みやめまいを訴え 家に帰るや 食事もそこそこに倒れ込んで寝てし まう そんな状態が何日も続き 練習にも満足についていくことがで きなくなった レギュラーも危うくなり 朝 なかなか起きることが できなくなった 厳格な父親は たるんでいる 怠けだ といっては 首根っこをつかんで強引にベッドから引きずり起こすことが度々で あった 心配した母親に付き添われ来院した 現症 神経学的所見 胸腹部 頭頸部に異常は認められない 検査所見 血液生化学 末梢血液検査 心理テストは異常なし 起立試験は 起立直後性低血圧のパターンであった 前 1分 3分 5分 7分 10 分 血圧 102/52 81/61 86/64 84/66 88/66 92/68 脈拍 62 92 96 90 84 78 本例は 疲れている感はあるものの受け答えもしっかりしており 気分障 害や認知の歪みも認めず また 心理テストも正常であった 炎天下のサッ カーがオーバーワークとなって発症したと思われた 昇圧剤と漢方薬の服用 のみで 3 カ月ほどの通院で改善した JCOPY 498-14534 5