贋 作 事 件 の 新 聞 報 道 について 1 2009/ 3/12 0:17 [ No.9440 / 9483 ] まず 新 聞 の 記 事 を 時 の 流 れに 沿 って 書 いていき これから 贋 作 事 件 について 述 べるのがよ いだろう 重 複 する 部 分 もあるが HP 制 作 のために 順 を 追 って 載 せていこう 1994 年 11 月 25 日 00:00:00 共 N020 社 会 084 故 佐 伯 画 伯 の 作 品 受 け 入 れ 真 がんめぐり 疑 問 も 福 井 発 福 井 県 武 生 市 は 二 十 五 日 大 正 から 昭 和 初 期 の 洋 画 家 故 佐 伯 祐 三 氏 の 未 公 開 絵 画 三 十 八 点 を 岩 手 県 遠 野 市 在 住 の 女 性 (50)から 寄 贈 を 受 ける 方 針 を 明 らかにし 絵 画 の 一 部 を 公 開 した しかし これらの 絵 画 は 先 に 遠 野 市 と 宮 崎 県 都 城 市 が 真 がんがはっきりしない など として 寄 贈 を 断 った 経 緯 もあり 武 生 市 議 会 の 一 部 などからは 疑 問 の 声 が 上 がっている この 日 公 開 されたのは キャンバスの 裏 に 1928 年 早 春 モンマーニュ 風 景 佐 伯 祐 三 と 縦 書 きのサインが 入 った モランの 風 景 ( 仮 称 )など 油 絵 五 点 同 日 午 後 に 開 かれた 武 生 市 議 会 全 員 協 議 会 で 小 泉 剛 康 市 長 は 貴 重 な 未 公 開 絵 画 で 寄 贈 を 受 ける 作 品 とは 別 に 十 一 点 の 作 品 の 購 入 を 計 画 しており 議 会 に 選 定 委 員 会 をつくり たい と 述 べた これに 対 し 議 員 の 間 からは 購 入 についての 議 論 が 不 十 分 寄 贈 の 経 緯 が 不 明 り ょう などの 意 見 が 相 次 いだ 武 生 市 は 一 月 佐 伯 氏 作 とされる 絵 画 の 寄 贈 と 買 い 取 りの 申 し 入 れを 受 け 市 内 にある 旧 公 会 堂 の 一 部 を 美 術 館 に 改 修 し 同 氏 の 作 品 を 展 示 する 計 画 を 進 めてきた ---------+---------+---------+---------+---------+---------+-------- 1994 年 12 月 18 日 00:00:00 共 T202 社 会 014 専 門 家 が 佐 伯 作 品 と 認 定 寄 贈 絵 画 の 真 がん 問 題 で 福 井 県 武 生 市 が 寄 贈 を 受 ける 計 画 を 進 めている 故 佐 伯 祐 三 画 伯 の 未 公 開 絵 画 の 真 がん 問 題 で 同 市 が 委 任 した 美 術 専 門 家 五 人 による 選 定 委 員 会 ( 座 長 河 北 倫 明 美 術 館 連 絡 協 議 会 理 事 長 )の 初 会 合 が 十 八 日 東 京 都 内 のホテルで 開 かれた この 日 の 会 合 で 同 委 員 会 は 問 題 になった 絵 画 について 美 術 的 価 値 が 高 い と 佐 伯 画 伯 の 作 品 であることを 認 め 報 告 を 受 けた 武 生 市 は 同 日 所 有 者 の 岩 手 県 遠 野 市 の 主 婦 吉 薗 明 子 さん(50)から 絵 画 三 十 八 点 の 寄 贈 を 受 けることを 正 式 に 決 めた 佐 伯 画 伯 は 大 正 から 昭 和 初 期 にかけて 活 躍 した 洋 画 家 会 合 では 修 復 を 終 えた 絵 画 五 点 のほか デッサンや 修 復 中 の 絵 画 の 写 真 などが 検 討 された 記 者 会 見 した 河 北 座 長 は 一 目 見 ただけで 佐 伯 の 本 当 の 姿 が 見 えてくるようだ 美 術 的 には 秀 作 が 多 く これまで 知 られている 作 品 には 見 られない 荒 々しさを 感 じた とした 上 で 佐 伯 研 究 の 拠 点 となるような 美 術 館 づくりを 目 指 してほしいと 市 に 注 文 を 付 けた また 武 生 市 の 小 泉 剛 康 市 長 は 専 門 家 のお 墨 付 きを 得 た 今 後 も 助 言 をいただきたい と 述 べた 武 生 市 は 一 月 佐 伯 画 伯 の 作 とされる 絵 画 の 寄 贈 申 し 入 れを 受 け 美 術 館 構 想 を 立 てた しかし 先 にこれらの 絵 画 の 寄 贈 申 し 込 みを 受 けた 遠 野 市 と 宮 崎 県 都 城 市 が 真 がんがは っきりしない などとして 断 った 経 緯 があったことから 武 生 市 議 会 や 市 民 の 間 から 疑 問 の 声 が 上 がっていた ----
贋 作 事 件 の 新 聞 報 道 について 2 2009/ 3/12 0:22 [ No.9441 / 9483 ] 1995 年 09 月 08 日 00:00:00 共 N153 社 会 100 信 ぴょう 性 に 疑 問 強 まる 福 井 県 武 生 市 の 寄 贈 絵 画 福 井 発 福 井 県 武 生 市 が 寄 贈 を 受 けた 故 佐 伯 祐 三 画 伯 の 作 品 とされる 未 公 開 絵 画 の 真 がん 問 題 な どを 検 討 している 同 市 の 調 査 審 議 委 員 会 で 寄 贈 作 品 の 信 ぴょう 性 に 疑 いが 強 まっている ことが 八 日 までに 分 かった 委 員 会 は 過 去 寄 贈 絵 画 は 佐 伯 作 品 との お 墨 付 き を 出 し 十 一 月 に 公 開 の 予 定 だ った 委 員 の 一 人 西 川 新 次 慶 大 名 誉 教 授 は 絵 画 の 真 がんが 分 からない 現 段 階 で 佐 伯 作 品 として 公 開 するのは 慎 重 にならざるを 得 ないだろう と 話 しており 今 後 の 作 品 公 開 や 同 市 が 進 めてきた 佐 伯 美 術 館 構 想 にも 影 響 を 与 えそうだ 委 員 会 は 今 月 二 日 に 東 京 で 開 かれ 武 生 市 の 小 泉 剛 康 市 長 のほか 美 術 専 門 家 らが 出 席 寄 贈 者 所 有 の 佐 伯 氏 直 筆 とされる 手 紙 やデッサンなど 資 料 三 百 三 点 を 調 査 した その 結 果 佐 伯 画 伯 の 精 神 カウンセラーをしていたとされる 寄 贈 者 の 父 = 故 人 =と 佐 伯 氏 の 交 友 関 係 について 交 友 があったとする 事 実 を 裏 付 ける 材 料 がなく 資 料 の 信 用 性 も 低 い と 報 告 未 公 開 絵 画 についても これらの 資 料 と 出 所 が 同 じで 信 ぴょう 性 を 疑 問 視 せざるを 得 ない との 意 見 が 大 勢 を 占 めたという 武 生 市 は 昨 年 十 一 月 岩 手 県 遠 野 市 の 主 婦 (51)から 佐 伯 作 品 とされる 絵 画 三 十 八 点 の 寄 贈 を 受 けた 同 市 は 美 術 専 門 家 からなる 委 員 会 に 調 査 を 委 託 昨 年 末 美 術 的 価 値 が 高 い として いったんは 寄 贈 絵 画 を 佐 伯 作 品 と 認 めた しかし 作 品 の 一 点 が 美 術 商 らでつくる 東 京 美 術 倶 楽 部 で がん 作 と 断 定 されたことか ら 同 委 員 会 がさらに 詳 しい 調 査 を 進 めていた 1994 年 12 月 25 日 00:00:00 共 T269 社 会 020 市 へ 寄 贈 の 一 部 贋 作 故 佐 伯 画 伯 の 未 公 開 絵 画 で 東 京 の 鑑 定 委 が 断 定 本 記 福 井 県 武 生 市 に 寄 贈 された 故 佐 伯 祐 三 画 伯 の 未 公 開 絵 画 の 中 に 昨 年 東 京 美 術 倶 楽 部 ( 三 谷 敬 三 会 長 )の 鑑 定 委 員 会 が 偽 作 と 断 定 した 作 品 が 含 まれていることが 二 十 五 日 ま でに 分 かった この 作 品 について 武 生 市 が 委 任 した 選 定 委 員 会 ( 座 長 河 北 倫 明 美 術 館 連 絡 協 議 会 理 事 長 )が 真 作 と 判 定 した 上 同 市 には 画 伯 の 未 公 開 作 品 三 十 八 点 が 既 に 寄 贈 されており 真 贋 (がん)をめぐって 美 術 界 だけでなく 同 市 を 巻 き 込 み 波 紋 が 広 がりそうだ 佐 伯 画 伯 は 大 正 から 昭 和 初 期 にかけ 活 躍 した 洋 画 家 偽 作 と 断 定 されていたのは 一 九 二 八 年 作 とされる 仮 称 モランの 風 景 で 佐 伯 氏 と 付 き 合 いがあったという 精 神 カウンセ ラーの 長 女 で 岩 手 県 遠 野 市 の 主 婦 吉 薗 明 子 さん(50)が 今 月 までに 同 市 に 他 の 三 十 七 点 とともに 寄 贈 した しかし 吉 薗 さんは 昨 年 二 月 未 公 開 作 品 のうち 油 絵 十 六 点 と 水 彩 三 十 点 を 東 京 都 台 東 区 の 美 術 品 販 売 会 社 社 長 を 通 じて 東 京 美 術 倶 楽 部 に 持 ち 込 み 鑑 定 を 依 頼 全 作 品 とも 科 学 調 査 などの 結 果 同 四 月 (1)キャンバスがテトロンを 含 んでいる(2) 絵 の 具 が 酸 化 していない(3) 画 布 を 打 ち 付 けたくぎがさびていない などの 理 由 で 数 年 以 内 に 描
かれたもの と 判 定 されていた 三 谷 会 長 は 一 目 で 偽 作 と 分 かった 大 量 にあったので 慎 重 を 期 した 持 ち 込 まれたも のはすべて 偽 作 と 判 定 している と 断 言 今 月 市 から 五 作 品 の 照 会 があり うち 一 作 品 が 偽 物 と 鑑 定 したものだった と 話 している 東 京 美 術 倶 楽 部 は 鑑 定 機 関 として 全 国 の 画 商 が 集 まり 運 営 している 会 社 同 市 の 選 定 委 員 会 は 今 月 十 八 日 都 内 で 記 者 会 見 し モランの 風 景 を 含 む 五 点 を 真 作 と 公 表 して いる 同 市 は 寄 贈 作 品 の 他 に 十 一 点 の 購 入 も 予 定 していたという 作 品 の 収 蔵 先 として 市 内 の 旧 公 会 堂 の 一 部 を 美 術 館 に 改 修 する 計 画 も 進 めているが 先 にこれらの 絵 画 の 寄 贈 申 し 込 みを 受 けた 遠 野 市 と 宮 崎 県 都 城 市 が 真 贋 がはっきりしない と 断 った 経 緯 があったこ とから 市 議 会 などで 疑 問 の 声 が 上 がっていた 小 島 進 二 郎 武 生 市 教 育 委 員 会 事 務 局 長 の 話 東 京 美 術 倶 楽 部 が 鑑 定 していたことは 知 らなかった また 鑑 定 があったかどうか 市 の 方 から 照 会 した 事 実 もない 贋 作 事 件 の 新 聞 報 道 について 3 2009/ 3/12 0:23 [ No.9442 / 9483 ] 1995 年 09 月 08 日 00:00:00 共 N153 社 会 100 信 ぴょう 性 に 疑 問 強 まる 福 井 県 武 生 市 の 寄 贈 絵 画 福 井 発 福 井 県 武 生 市 が 寄 贈 を 受 けた 故 佐 伯 祐 三 画 伯 の 作 品 とされる 未 公 開 絵 画 の 真 がん 問 題 な どを 検 討 している 同 市 の 調 査 審 議 委 員 会 で 寄 贈 作 品 の 信 ぴょう 性 に 疑 いが 強 まっている ことが 八 日 までに 分 かった 委 員 会 は 過 去 寄 贈 絵 画 は 佐 伯 作 品 との お 墨 付 き を 出 し 十 一 月 に 公 開 の 予 定 だ った 委 員 の 一 人 西 川 新 次 慶 大 名 誉 教 授 は 絵 画 の 真 がんが 分 からない 現 段 階 で 佐 伯 作 品 として 公 開 するのは 慎 重 にならざるを 得 ないだろう と 話 しており 今 後 の 作 品 公 開 や 同 市 が 進 めてきた 佐 伯 美 術 館 構 想 にも 影 響 を 与 えそうだ 委 員 会 は 今 月 二 日 に 東 京 で 開 かれ 武 生 市 の 小 泉 剛 康 市 長 のほか 美 術 専 門 家 らが 出 席 寄 贈 者 所 有 の 佐 伯 氏 直 筆 とされる 手 紙 やデッサンなど 資 料 三 百 三 点 を 調 査 した その 結 果 佐 伯 画 伯 の 精 神 カウンセラーをしていたとされる 寄 贈 者 の 父 = 故 人 =と 佐 伯 氏 の 交 友 関 係 について 交 友 があったとする 事 実 を 裏 付 ける 材 料 がなく 資 料 の 信 用 性 も 低 い と 報 告 未 公 開 絵 画 についても これらの 資 料 と 出 所 が 同 じで 信 ぴょう 性 を 疑 問 視 せざるを 得 ない との 意 見 が 大 勢 を 占 めたという 武 生 市 は 昨 年 十 一 月 岩 手 県 遠 野 市 の 主 婦 (51)から 佐 伯 作 品 とされる 絵 画 三 十 八 点 の 寄 贈 を 受 けた 同 市 は 美 術 専 門 家 からなる 委 員 会 に 調 査 を 委 託 昨 年 末 美 術 的 価 値 が 高 い として いったんは 寄 贈 絵 画 を 佐 伯 作 品 と 認 めた しかし 作 品 の 一 点 が 美 術 商 らでつくる 東 京 美 術 倶 楽 部 で がん 作 と 断 定 されたことか ら 同 委 員 会 がさらに 詳 しい 調 査 を 進 めていた 1995 年 09 月 11 日 00:00:00 共 N020 社 会 019 寄 贈 絵 画 を 返 却 へ 信 ぴょう 性 疑 問 と 武 生 市 福 井 発
洋 画 家 の 故 佐 伯 祐 三 画 伯 の 作 品 として 寄 贈 された 未 公 開 絵 画 について 福 井 県 武 生 市 は 十 一 日 信 ぴょう 性 に 疑 問 がある として 作 品 全 部 を 岩 手 県 遠 野 市 の 寄 贈 者 に 返 却 し 十 一 月 に 予 定 していた 一 般 公 開 を 断 念 することを 決 めた 作 品 の 真 がん 問 題 を 検 討 してきた 市 の 調 査 審 議 委 員 会 の 見 解 を 受 けたもので 小 泉 剛 康 市 長 がこの 日 の 定 例 市 議 会 で 明 らかにした 小 泉 市 長 は 佐 伯 作 品 との 明 らかな 確 証 を 見 いだし 難 いなど 条 件 が 整 わない 中 で 公 開 するのは 適 当 でない 絵 画 は 返 却 することを 前 提 に 対 処 していきたい と 述 べた 今 月 二 日 に 開 かれた 委 員 会 は 寄 贈 者 所 有 の 佐 伯 氏 直 筆 とされる 手 紙 やデッサンなど 資 料 三 百 三 点 を 調 査 し 佐 伯 氏 の 精 神 カウンセラーをしていたとされる 寄 贈 者 の 父 ( 故 人 ) と 佐 伯 氏 との 間 に 交 友 があったとする 事 実 を 裏 付 ける 材 料 がなく 資 料 の 信 用 性 は 低 い と 報 告 絵 画 も これらの 資 料 と 出 所 が 同 じで 信 ぴょう 性 を 疑 問 視 せざるを 得 ない と の 見 解 を 示 していた 昨 年 十 一 月 岩 手 県 遠 野 市 の 主 婦 (51)から 佐 伯 作 品 とされる 絵 画 三 十 八 点 の 寄 贈 を 受 けた 武 生 市 は 美 術 専 門 家 からなる 委 員 会 に 調 査 を 諮 問 昨 年 末 美 術 的 価 値 が 高 い として いったんは 佐 伯 作 品 と 認 めた しかし 先 にこれらの 絵 画 の 寄 贈 を 申 し 込 まれた 遠 野 市 と 宮 崎 県 都 城 市 が 真 がんが 分 からない として 断 っていた 上 作 品 の 一 点 が 美 術 商 らでつくる 東 京 美 術 倶 楽 部 で がん 作 と 断 定 されたため 武 生 市 議 会 や 市 民 の 間 で 疑 問 の 声 が 強 まっていた 贋 作 事 件 の 新 聞 報 道 について 4 2009/ 3/12 0:26 [ No.9443 / 9483 ] 1995 年 10 月 09 日 00:00:00 共 N092 内 政 004 列 島 ライトアップ 作 品 の 一 般 公 開 を 断 念 真 がんめぐりドタバタ 劇 福 井 発 寄 贈 を 受 けた 洋 画 家 故 佐 伯 祐 三 画 伯 の 未 公 開 絵 画 三 十 八 点 を 目 玉 に 福 井 県 武 生 市 が 十 一 月 のオープンを 目 指 した 美 術 館 が 作 品 の 真 がん 問 題 を 解 決 できず 一 般 公 開 断 念 に 追 い 込 まれた 同 市 は 偽 物 の 疑 いが 晴 れない 絵 画 全 部 を 寄 贈 者 に 返 却 することを 決 めたが 肝 心 の 市 民 は 作 品 を 目 にする 機 会 もなく いきさつも 詳 しく 知 らされないまま 開 館 直 前 のドタバ タ 劇 に 多 くの 市 民 は 住 民 不 在 でゴリ 押 しした 結 果 とあきれている 佐 伯 画 伯 は 大 正 から 昭 和 初 期 に 活 躍 した 洋 画 家 カフェのテラス など 情 感 あふれるパ リの 街 頭 風 景 を 描 いた 三 十 歳 でパリで 客 死 夭 折 (ようせつ)の 天 才 画 家 として 人 気 が ある 武 生 市 は 市 の 活 性 化 のため 全 国 に 発 信 できるものを と 昨 年 末 同 市 出 身 の 実 業 家 の 紹 介 で 岩 手 県 遠 野 市 の 女 性 (51)から 佐 伯 作 品 とされる 絵 画 の 寄 贈 を 受 けた 武 生 市 はこれらの 作 品 を 収 蔵 するため 二 億 一 千 万 円 をかけて 旧 公 会 堂 の 一 部 を 美 術 館 に 改 修 する 一 方 美 術 館 連 絡 協 議 会 ( 東 京 )の 河 北 倫 明 理 事 長 ら 美 術 専 門 家 による 選 定 委 員 会 を 設 置 鑑 定 を 依 頼 した 選 定 委 は 当 初 佐 伯 の 本 当 の 姿 が 感 じられる 習 作 だが 美 術 的 価 値 が 高 い と 鑑 定 しかし 美 術 商 らでつくる 東 京 美 術 倶 楽 部 が 寄 贈 絵 画 はがん 作 と 反 論 した これらの 絵 画 は 先 に 遠 野 市 と 宮 崎 県 都 城 市 も 真 がんが 分 からない と 寄 贈 申 し 入 れを 断 っていた いったんはお 墨 付 きを 出 した 選 定 委 も 先 月 作 品 などと 一 緒 に 保 存 されていた 佐 伯 画 伯 直 筆 とされる 手 紙 やデッサンなどを 調 査 し 信 用 性 が 低 いと 報 告 絵 画 もこれら 資 料 と 出
所 が 同 じで 信 ぴょう 性 を 疑 問 視 せざるを 得 ない と 従 来 の 見 解 を 覆 した 選 定 委 の 報 告 を 受 けた 武 生 市 の 小 泉 剛 康 市 長 も 十 一 月 の 開 館 までに 間 に 合 わない と それまでの 強 気 の 態 度 を 一 変 結 局 真 がんの 判 定 を 待 たず 絵 画 の 返 却 で 決 着 を 図 った 同 市 美 術 館 準 備 室 は 限 られた 時 間 の 中 で 精 いっぱい 努 力 した と 力 説 するが 市 民 グループ 佐 伯 美 術 館 構 想 問 題 を 考 える 市 民 の 会 の 三 木 勅 男 さんは 危 ない 絵 画 に 手 を 出 した 市 長 の 責 任 に 変 わりはない と 批 判 する 小 泉 市 長 は 専 門 家 の 意 見 を 信 じて 寄 贈 を 受 けたが 美 術 の 世 界 は 素 人 には 難 しいと 実 感 させられた これ 以 上 市 民 に 迷 惑 を 掛 けるのは 忍 びないので 作 品 の 公 開 は 断 念 した と ため 息 交 じりに 話 す 贋 作 事 件 の 新 聞 報 道 について 5 2009/ 3/12 0:28 [ No.9444 / 9483 ] 1995 年 11 月 11 日 00:00:00 共 T552 社 会 035 祐 三 の 絵 に 私 が 加 筆 故 佐 伯 夫 人 の 書 簡 発 見 支 援 者 に 遺 作 の 譲 渡 懇 願 作 家 像 の 見 直 しも ( 本 記 ) 日 本 を 代 表 する 洋 画 家 として 大 正 から 昭 和 初 期 にかけてパリを 中 心 に 活 躍 した 故 佐 伯 祐 三 の 妻 で 洋 画 家 の 故 米 子 夫 人 が かなりの 数 の 佐 伯 作 品 を 加 筆 して 仕 上 げていた 事 実 を 自 ら 告 白 している 書 簡 が 十 一 日 共 同 通 信 社 が 入 手 した 佐 伯 に 関 する 資 料 から 見 つかった 書 簡 は 生 前 の 佐 伯 を 物 心 両 面 で 支 援 していた 精 神 カウンセラー 故 吉 薗 周 蔵 氏 あて 仕 上 げの 手 法 を 明 示 し 加 筆 すれば 売 れる 画 になるとして 吉 薗 氏 に 手 元 にある 佐 伯 の 遺 作 を 譲 渡 するよう 懇 願 している 夫 人 自 ら 加 筆 の 事 実 を 告 白 した 資 料 が 明 らかになったのは 初 めて 内 容 が 事 実 とすれば 夭 折 (ようせつ)の 天 才 画 家 佐 伯 の 作 品 研 究 の 見 直 しを 迫 ることになりそうだ 見 つかった 米 子 夫 人 の 吉 薗 氏 あて 書 簡 は 全 部 で 十 一 通 和 紙 やノートの 切 れ 端 に 鉛 筆 や 筆 で 書 かれている 岩 手 県 遠 野 市 に 住 む 吉 薗 氏 の 長 女 明 子 さん(51)が 所 有 している 米 子 夫 人 が 加 筆 を 明 かした 書 簡 は 縦 十 八 センチ 横 十 四 センチの 和 紙 二 枚 に 鉛 筆 でびっ しり 書 き 込 まれているが 日 付 は 入 っていない 全 国 裁 判 長 選 任 鑑 定 人 が 筆 跡 鑑 定 米 子 夫 人 が 佐 伯 の 友 人 の 洋 画 家 故 荻 須 高 徳 にあて た 昭 和 六 年 三 月 二 十 五 日 付 の 書 簡 と 比 較 した 結 果 同 じ 米 子 夫 人 の 筆 跡 と 判 明 した 夫 人 は 佐 伯 を 秀 丸 と 幼 名 で 呼 び 秀 丸 そのままの 絵 ではだれも 買 っては 下 さらない のです 私 が 手 をいれておりますのよ 秀 丸 もそれをのぞんでおりましたし ( 文 中 の 旧 仮 名 遣 いは 新 仮 名 遣 いに 変 更 以 下 同 じ)と 佐 伯 の 同 意 を 得 て 加 筆 していたと 主 張 そ の 上 で 画 つらの 絵 のぐや 下 じが 厚 いものには ガッシュ( 不 透 明 の 水 溶 性 絵 の 具 )とい うものをつかい 画 づらをととのえ また 秀 丸 の 絵 の 具 でかきくわえますでしょう すこ しもかわりなくよくなりますのよ と 具 体 的 な 加 筆 方 法 を 説 明 している 米 子 夫 人 は 秀 丸 はほとんど 仕 上 げまで 出 来 なかったのです とした 後 あなたのお 手 元 にあるもの 私 が 仕 上 げれば すぐに 売 れる 画 になりますのよ と 仕 上 げた 佐 伯 の 作 品 による 展 覧 会 の 開 催 を 吉 薗 氏 に 持 ち 掛 けている 米 子 夫 人 は 明 治 三 十 年 七 月 生 まれ 東 京 銀 座 の 象 牙 (ぞうげ) 商 の 長 女 で 水 墨 画 の 北 画 を 学 んだ 大 正 九 年 十 一 月 佐 伯 と 結 婚 し 二 度 の 渡 仏 にも 同 行 佐 伯 が 昭 和 三 年 八 月 十 六 日 に 三 十 歳 で 亡 くなった 後 の 同 年 十 月 末 に 帰 国 洋 画 家 として 活 動 したが 同 四 十 七 年 十 一 月 に 七 十 五 歳 で 死 亡 した 同 時 に 見 つかった 書 簡 の 中 には 告 別 式 ( 同 三 年 十 一 月 二 十 五 日 )のお 知 らせをおいて まいりました と 書 かれた 帰 国 直 後 の 十 一 月 十 四 日 付 のものや 吉 薗 氏 から 遺 作 が 大 量
に 送 られて 来 たことを 喜 ぶ 年 不 明 の 一 月 二 十 日 二 十 四 日 付 のものなどがある このため 書 簡 は 米 子 夫 人 が 帰 国 直 後 の 昭 和 三 年 十 一 月 から 翌 年 の 夏 ごろまでに 書 かれ たと 推 測 される 美 術 評 論 家 の 坂 本 満 聖 徳 大 学 教 授 ( 美 術 史 )の 話 佐 伯 祐 三 の 作 品 に 米 子 夫 人 が 加 筆 して 仕 上 げているとか 佐 伯 の 作 品 といわれるものの 中 にやはり 洋 画 家 の 米 子 夫 人 自 身 の 作 品 が 混 じっているとのうわさは 二 十 年 ぐらい 前 からあった 書 簡 に 書 かれていること が 事 実 なら 近 代 の 日 本 美 術 史 と 佐 伯 の 研 究 に 重 大 な 影 響 を 与 えることになるだろう 贋 作 事 件 の 新 聞 報 道 について 6 2009/ 3/12 0:52 [ No.9445 / 9483 ] 1995 年 12 月 21 日 00:00:00 共 T035 社 会 006 書 簡 はすべて 現 物 で 鑑 定 佐 伯 米 子 夫 人 の 書 簡 福 井 県 武 生 市 を 舞 台 にした 洋 画 家 故 佐 伯 祐 三 作 品 の 真 贋 (しんがん) 問 題 で 筆 跡 鑑 定 家 小 塚 昭 夫 氏 が 今 回 鑑 定 したのは 祐 三 の 故 米 子 夫 人 が 祐 三 のパトロン 故 吉 薗 周 蔵 氏 にあ てたとされる 書 簡 十 三 通 と 封 筒 四 つ いずれも 吉 薗 氏 の 長 女 明 子 さんが 所 有 していた この 中 には 武 生 市 側 が 小 塚 氏 に 鑑 定 を 依 頼 した 四 通 が 含 まれる 市 側 は 鑑 定 結 果 を 出 す 約 一 週 間 前 に 不 鮮 明 なコピーで 依 頼 したという 今 回 再 鑑 定 したのはすべて 現 物 の 書 簡 だった 鑑 定 の 基 になった 米 子 夫 人 の 自 筆 は 夫 人 が 画 家 の 故 荻 須 高 徳 にあてた 二 通 小 説 家 の 故 中 河 与 一 にあてた 一 通 佐 伯 の 親 友 で 画 家 の 故 山 田 新 一 にあてた 二 通 の それぞれ 書 簡 のコピー このうち 山 田 あての 書 簡 は 市 側 が 依 頼 した 鑑 定 の 際 にも 対 照 する 自 筆 として 使 われ た 小 塚 氏 は 残 る 荻 須 あて 中 河 あての 書 簡 のコピーについても 鮮 明 で 鑑 定 可 能 と 判 断 した この 結 果 小 塚 氏 は 十 三 通 のうち 五 通 を 筆 跡 が 対 照 と 一 致 し 同 一 人 と 認 められる と 認 定 残 る 八 通 と 封 筒 については 対 照 筆 跡 の 量 が 少 なく 不 明 と 明 確 な 結 論 を 下 す ことを 避 けた 武 生 市 側 も 鑑 定 を 依 頼 した 四 通 は 鑑 定 期 間 が 短 くコピーが 不 鮮 明 ( 小 塚 氏 )だったた め 同 氏 は 委 員 会 への 回 答 の 際 に 同 一 人 とは 認 め 難 い との 断 定 的 な 表 現 を 避 け 異 な る 筆 の 可 能 性 が 強 い と 抑 えた 表 現 にとどめたという 今 回 この 四 通 の 鑑 定 結 果 を 不 明 と 変 更 した 理 由 について 小 塚 氏 は 対 照 筆 跡 を 比 べると 形 や 書 き 方 が 違 うと 思 われる 文 字 がある 一 方 似 ていると 思 われる 文 字 も 見 受 け られた としている 小 塚 氏 が 今 回 鑑 定 した 書 簡 は 既 に 警 察 や 裁 判 所 などから 依 頼 を 受 ける 複 数 のベテラン 鑑 定 士 が 荻 須 あての 書 簡 と 比 較 いずれも 同 一 人 と 断 定 されている 贋 作 事 件 の 新 聞 報 道 について 7 2009/ 3/12 1:05 [ No.9446 / 9483 ] 1996 年 06 月 28 日 00:00:00 共 N137 社 会 116 佐 伯 絵 画 贋 作 の 可 能 性 高 い 福 井 県 武 生 市 が 最 終 報 告 福 井 県 武 生 市 がいったんは 寄 贈 を 受 けながら 返 却 し 真 贋 (しんがん) 論 争 が 起 きるな
ど 騒 動 となった 洋 画 家 故 佐 伯 祐 三 氏 の 絵 画 について 同 市 教 育 委 員 会 は 二 十 八 日 贋 作 の 可 能 性 が 高 いとする 最 終 報 告 書 を 発 表 した 報 告 書 は 昨 年 四 月 から 半 年 間 かけて 三 十 八 点 の 寄 贈 絵 画 や 寄 贈 者 所 有 の 資 料 を 調 査 し た 結 果 をまとめた 寄 贈 者 である 岩 手 県 遠 野 市 の 主 婦 吉 薗 明 子 さんから 絵 画 の 寄 贈 と 併 せ て 付 託 された 佐 伯 直 筆 とされるメモやはがき 佐 伯 と 親 交 があったとされる 吉 薗 さんの 亡 父 の 残 した 資 料 などについて 筆 跡 鑑 定 などの 結 果 出 所 が 疑 わしい とし 同 じ 所 蔵 者 に 由 来 する 絵 画 についても 真 筆 性 が 鋭 く 問 い 直 されなければならない と 結 論 付 けている 武 生 市 は 九 四 年 十 一 月 に 吉 薗 さんから 絵 画 の 寄 贈 を 受 け 美 術 評 論 家 でつくる 委 員 会 に 調 査 を 依 頼 いったんは 佐 伯 作 品 と 認 められたが 作 品 の 一 点 が 画 商 らでつくる 東 京 美 術 倶 楽 部 で 贋 作 と 断 定 されたことなどから 関 連 資 料 も 含 めて 再 調 査 昨 年 十 一 月 絵 画 は 信 ぴょう 性 が 低 く 一 般 公 開 は 断 念 すべきだ として 返 却 を 決 めた 寄 贈 者 側 は 資 料 の 解 釈 が 先 入 観 にとらわれており 調 査 は 問 題 点 が 多 い と 報 告 書 を 批 判 する 意 見 書 を 同 市 に 提 出 しており これについても 武 生 市 は 同 日 公 開 した 贋 作 事 件 の 新 聞 報 道 について 8 2009/ 3/12 1:06 [ No.9447 / 9483 ] 1999 年 10 月 08 日 00:00:00 共 X004 社 会 082 女 性 役 員 が 罪 を 認 める 1 億 2 千 万 円 詐 欺 事 件 知 り 合 いの 会 社 社 長 から 現 金 一 億 二 千 万 円 をだまし 取 ったとして 詐 欺 罪 に 問 われた 岩 手 県 遠 野 市 の 会 社 役 員 吉 薗 明 子 被 告 (55)の 初 公 判 が 八 日 東 京 地 裁 ( 近 藤 宏 子 裁 判 官 ) で 開 かれ 吉 薗 被 告 は 起 訴 事 実 を 全 面 的 に 認 めた 検 察 側 は 冒 頭 陳 述 で 吉 薗 被 告 は 自 宅 の 工 事 代 金 を 支 払 うため 犯 行 を 計 画 詐 取 した 金 は 工 事 代 金 や 車 の 購 入 などに 使 った と 指 摘 した 起 訴 状 によると 吉 薗 被 告 は 一 九 九 四 年 十 一 月 知 り 合 いの 東 京 都 内 の 不 動 産 管 理 会 社 社 長 に 神 奈 川 県 鎌 倉 市 の 土 地 の 固 定 資 産 税 を 払 わなくてはならない 絵 画 を 売 って 払 う つもりだが 来 年 になりそうなので それまで 貸 してほしい とうそを 言 い 一 億 二 千 万 円 をだまし 取 った 吉 薗 被 告 は 事 件 当 時 洋 画 家 の 故 佐 伯 祐 三 氏 の 作 品 三 十 八 点 を 福 井 県 武 生 市 に 寄 贈 した が うち 一 点 を 画 商 らに 贋 作 (がんさく)と 判 定 され 真 贋 論 争 に 発 展 武 生 市 教 育 委 員 会 は 九 六 年 六 月 に 贋 作 の 可 能 性 が 高 い との 最 終 報 告 をまとめた ------------------------------------------------------------------------ 1999 年 12 月 22 日 00:00:00 共 X039 社 会 110 女 性 役 員 に 懲 役 5 年 求 刑 1 億 2 千 万 円 詐 欺 事 件 知 り 合 いの 会 社 社 長 から 現 金 一 億 二 千 万 円 をだまし 取 ったとして 詐 欺 罪 に 問 われた 岩 手 県 遠 野 市 の 会 社 役 員 吉 薗 明 子 被 告 (55)の 公 判 が 二 十 二 日 東 京 地 裁 ( 近 藤 宏 子 裁 判 官 )で 開 かれ 検 察 側 は 車 の 購 入 など 欲 望 を 満 たすため 被 告 を 信 頼 していた 被 害 者 を 裏 切 った として 懲 役 五 年 を 求 刑 した 弁 護 側 は 最 終 弁 論 で 被 告 が 所 有 していた 洋 画 家 故 佐 伯 祐 三 氏 の 作 品 とされる 三 十 六 点 の 絵 画 などを 被 害 者 に 渡 し 示 談 が 成 立 している と 述 べ 執 行 猶 予 付 きの 判 決 を 求 めて 結 審 した 判 決 は 来 年 一 月 十 四 日 起 訴 状 によると 吉 薗 被 告 は 一 九 九 四 年 十 一 月 知 り 合 いの 東 京 都 内 の 不 動 産 管 理 会 社 社 長 に 絵 画 を 売 って 神 奈 川 県 鎌 倉 市 の 土 地 の 固 定 資 産 税 を 払 うつもりだが 来 年 になり
そうなのでそれまで 貸 してほしい と 言 い 一 億 二 千 万 円 をだまし 取 った 吉 薗 被 告 が 示 談 で 被 害 者 に 渡 した 作 品 は 福 井 県 武 生 市 に 寄 贈 される 予 定 だったが 画 商 らに 一 部 を 贋 作 (がんさく)と 判 定 され 真 贋 論 争 に 発 展 した 絵 画 も 含 まれているとい う ------------------------------------------------------------------------ 2000 年 01 月 14 日 00:00:00 共 T647 社 会 090 女 性 役 員 に 実 刑 判 決 1 億 2 千 万 円 詐 欺 事 件 知 り 合 いの 会 社 社 長 から 一 億 二 千 万 円 をだまし 取 ったとして 詐 欺 罪 に 問 われた 岩 手 県 遠 野 市 の 会 社 役 員 吉 薗 明 子 被 告 (56)に 対 し 東 京 地 裁 は 十 四 日 懲 役 二 年 六 月 ( 求 刑 懲 役 五 年 )の 判 決 を 言 い 渡 した 判 決 理 由 で 近 藤 宏 子 裁 判 官 は 絵 画 の 代 金 などを 支 払 うための 犯 行 で 被 害 者 の 親 切 心 に 付 け 込 み 悪 質 と 指 摘 被 告 が 所 有 していた 洋 画 家 故 佐 伯 祐 三 氏 の 作 品 とされる 絵 画 などを 被 害 者 に 渡 し 示 談 が 成 立 している 点 を 考 慮 しても 実 刑 が 相 当 と 述 べた 判 決 によると 吉 薗 被 告 は 一 九 九 四 年 十 一 月 知 り 合 いの 東 京 都 内 の 会 社 社 長 に 絵 を 売 って 神 奈 川 県 鎌 倉 市 の 土 地 の 固 定 資 産 税 を 払 うつもりだが 売 れるまで 貸 してほしい とうそを 言 い 一 億 二 千 万 円 をだまし 取 った 吉 薗 被 告 が 被 害 者 に 渡 した 作 品 には 福 井 県 武 生 市 に 寄 贈 が 予 定 されながら 画 商 らに 贋 作 (がんさく)と 判 定 され 真 贋 論 争 になった 絵 画 も 含 まれている