21 世 紀 の 日 本 のかたち(52) 東 北 州 州 都 平 泉 案 戸 沼 幸 市 < ( 財 ) 日 本 開 発 構 想 研 究 所 理 事 長 > 1. 世 界 遺 産 平 泉 の 春 4 月 21 日 ( 土 )22 日 ( 日 ) 桜 が 咲 き 始 め た 東 北 の 春 の 日 世 界 遺 産 となった 平 泉 を 訪 ねました 五 月 雨 の 降 り 残 してや 光 堂 は 芭 蕉 が 奥 の 細 道 の 道 中 平 泉 で 詠 んだ 一 句 ですが 藤 原 清 衡 (1056~1128)が 天 治 元 年 (1124) に 建 立 した 金 色 堂 は 千 年 近 い 年 月 を 経 たに もかかわらず 現 代 に 強 いメッセージを 発 し ていると 感 じました 金 色 堂 は 極 楽 浄 土 への 往 生 を 願 う 阿 弥 陀 信 仰 を 金 をもって 表 現 した 千 年 つづく 阿 弥 陀 建 築 です 現 存 する 金 堂 は 鎌 倉 幕 府 の 事 跡 を 記 した 歴 史 書 吾 妻 鏡 に 上 下 四 壁 内 殿 皆 金 色 なり 堂 内 に 三 壇 を 構 う 悉 く 螺 鈿 なり 阿 弥 陀 三 尊 二 天 六 地 蔵 定 朝 これを 造 る との 記 載 があり 堂 内 の 諸 仏 構 成 と 荘 厳 さと が 現 存 のものと 完 全 に 一 致 しているとのこと です 建 立 から 千 年 近 く 経 った 現 在 も 光 り 輝 いて いる 造 形 を 東 北 のこの 場 所 に 置 いた 藤 原 清 衡 の 意 図 と 思 想 性 が 現 代 あらためて 脚 光 を 浴 びているのです 芭 蕉 の 見 た 金 色 堂 は 旧 覆 堂 の 中 にあったの が 今 はコンクリートの 新 覆 堂 の 中 に 丸 ごと 納 められておりました 世 界 遺 産 の 中 核 施 設 金 色 堂 のある 中 尊 寺 一 帯 は 私 の 訪 れた 時 も 見 学 者 は 大 勢 でしたが 5 月 の 連 休 は 更 に 賑 やかだった 様 子 です (1) 中 尊 寺 金 色 堂 新 覆 堂 (2) 中 尊 寺 金 色 堂 内 陣 1
昨 年 2011 年 6 月 世 界 遺 産 に 認 定 された 平 泉 は 仏 国 土 ( 浄 土 )を 表 す 建 築 庭 園 及 び 考 古 学 的 遺 跡 群 であり 構 成 資 産 は 中 尊 寺 毛 越 寺 観 自 在 王 院 跡 無 量 光 院 跡 金 鶏 山 と ランドスケープ 全 体 いわば 平 泉 という 中 世 奥 州 の 都 が 指 定 されたことになります 無 量 光 院 跡 ( 特 別 史 跡 ) (4) 毛 越 寺 は 嘉 祥 3 年 (850) 慈 覚 大 師 の 創 建 になり 2 代 藤 原 基 衡 (?~1157)が 造 営 に 着 手 3 代 秀 衡 (?~1187)の 時 代 に 堂 が 完 成 堂 塔 40 僧 坊 500 と 記 録 されております 毛 越 寺 庭 園 は 広 々とした 池 これを 囲 んで 草 地 と 木 立 の 緑 があり その 向 こうにゆるやか な 丘 陵 地 があり ここに 立 つと 身 心 にやすら ぎを 覚 える 浄 土 庭 園 です 無 量 光 院 ( 復 元 CG) (5) 毛 越 寺 庭 園 ( 特 別 史 跡 特 別 名 勝 ) (3) 毛 越 寺 に 隣 接 する 観 自 在 王 院 ( 跡 )も 池 を 配 してつくられています 藤 原 基 衡 夫 人 が 建 立 したと 伝 えられています 無 量 光 院 ( 跡 )は 秀 衡 が 宇 治 平 等 院 の 鳳 凰 堂 にならって 建 立 したといわれる 寺 院 で 舞 鶴 が 池 に 面 して 建 てられており 建 築 の 南 北 の 軸 線 は 北 の 金 鶏 山 と 一 致 し このランドス ケープの 中 で 夕 方 太 陽 が 沈 む 落 日 の 一 瞬 極 楽 浄 土 を 体 現 できる 演 出 宗 教 的 空 間 が 現 れるとの 解 説 がありました 歴 代 の 藤 原 氏 が 山 頂 に 経 塚 を 築 いた 信 仰 の 山 金 鶏 山 も 遺 産 の 中 に 入 っています この 山 が 中 尊 寺 と 毛 越 寺 の 中 間 に 位 置 している 点 は 興 味 深 いランドスケープです 判 官 九 郎 義 経 堂 のある 小 高 い 丘 陵 地 にも 登 ってみました 眼 下 に 北 上 川 がゆったりと 流 れておりました 川 向 こうに 東 稲 山 ( 東 山 ) があり 平 泉 の 大 地 形 が 一 望 できます 夏 草 や 兵 どもが 夢 の 跡 元 禄 3 年 (1689) の 旧 暦 5 月 にここを 訪 れた 芭 蕉 の 句 ですが 一 面 に 生 い 茂 った 夏 草 の 下 に 沈 んだ 儚 いよう 2
な 人 間 の 歴 史 の1コマを 一 瞬 イメージした のでしょうか この 場 所 に 立 って 改 めて 千 年 も 前 北 上 川 の 東 岸 地 域 に 築 かれた 奥 州 の 都 平 泉 の 立 地 広 がり 組 み 立 てに 興 味 を 覚 えます (6) 中 尊 寺 と 平 泉 の 史 跡 地 図 地 帯 でした またこの 地 方 は 金 などの 産 地 で もありました 平 泉 は 東 に 北 上 川 南 北 西 に 丘 陵 地 と 防 衛 上 有 利 な 地 形 をもっています それでい て 奥 州 の 中 心 の 位 置 南 は 白 河 関 と 北 は 外 ケ 浜 との 中 間 にあります 奥 大 道 につながり 交 易 の 要 の 場 所 でした 場 所 の 力 のもたらす 藤 原 の 潤 沢 な 財 力 も 平 泉 の 建 設 を 支 えたこと でしょう 平 泉 と 奥 大 道 ( 平 安 時 代 の 東 北 地 方 ) (7) 藤 原 清 衡 は 優 れた 都 の 設 計 者 にちがい ありません 奥 州 の 新 都 構 想 浄 土 を 実 現 する 格 好 の 場 所 をこの 土 地 に 見 出 したといえ ます 中 世 にあってゆるやかな 丘 陵 地 は 都 の 権 威 づけに 欠 かせない 仏 教 寺 院 の 造 営 と 配 置 に 適 しています 金 鶏 山 をはさんで 中 尊 寺 エリア 毛 越 寺 エリアに 自 然 地 形 を 生 かして 池 をつくり 平 和 な 浄 土 を 実 現 しました その 中 でも 中 尊 寺 金 色 堂 は 人 々の 気 持 ちを 引 き 寄 せる 焦 点 となりました 平 泉 の 世 界 遺 産 と 関 連 する 資 産 として 柳 之 御 所 ( 遺 跡 ) 白 鳥 館 ( 遺 跡 ) 長 者 ヶ 原 ( 廃 寺 跡 ) 骨 寺 村 荘 園 跡 と 農 村 景 観 があります 都 には 牛 馬 の 往 来 した 大 路 もあり 堂 々たる 奥 州 の 都 であったことが 数 々の 遺 跡 から 推 定 されます 平 泉 のある 北 上 川 の 東 の 地 域 は 肥 沃 な 穀 倉 2. 東 北 州 州 都 平 泉 のイメージ 4 月 21 日 公 益 法 人 日 本 都 市 計 画 学 会 東 北 支 部 ( 青 森 秋 田 岩 手 山 形 宮 城 福 島 新 潟 県 )の 総 会 が 仙 台 の 戦 災 復 興 記 念 館 であ り 私 も 招 かれて 出 席 しました 東 北 支 部 の 3
会 員 諸 氏 は 3.11 の 東 日 本 大 震 災 後 被 災 地 に 入 り 様 々なやり 方 で 復 旧 復 興 活 動 を 続 けており 現 場 での 困 難 や 緊 急 に 取 り 組 むべ き 課 題 について 意 見 交 換 をしました 東 北 7 県 をカバーする 日 本 都 市 計 画 学 会 東 北 支 部 としての 大 地 震 津 波 災 への 対 応 ととも に この 領 域 の 都 市 地 域 のかたち 21 世 紀 の 東 北 のかたちをどの 様 に 考 えるかは 基 本 的 な 問 題 です 私 自 身 東 北 ( 青 森 ) 出 身 であり 半 世 紀 以 上 も 東 北 各 県 の 地 域 づくり 都 市 づくりに 係 わってきた 経 緯 もあり この 地 方 への 思 い 入 れが 強 いのですが 若 い 会 員 諸 氏 に 期 待 す るところ 大 です この 東 北 支 部 総 会 において 私 も 話 題 提 供 の 機 会 を 与 えられ 東 北 からの 国 づくり- 東 北 州 構 想 について 改 めて 話 してみました かつて 私 も 参 画 した 早 稲 田 大 学 21 世 紀 の 日 本 研 究 会 において 1970 年 当 時 の 政 府 ( 佐 藤 栄 作 内 閣 )に 対 し 全 国 を 流 域 圏 を 単 位 と する 300 程 度 のまとまりを 基 礎 自 治 体 ( 市 ) とし これをくくる 地 方 の 枠 組 みとして 道 州 制 を 提 案 したことがあります この 時 の 道 州 制 のブロックは 日 本 列 島 を 太 平 洋 側 と 日 本 海 側 を 含 む 様 に 輪 切 りにする 7ブロック 案 でした この 案 では 東 北 州 は6 県 ( 青 森 秋 田 岩 手 山 形 宮 城 福 島 ) でした 新 潟 は 関 東 州 に 区 分 しました 新 潟 は 独 特 な 位 置 をもっており 現 在 は 自 ら 新 潟 州 を 称 えております 都 市 計 画 学 会 東 北 支 部 として 道 州 制 東 北 州 をどの 様 な 枠 組 みで 考 えるかは 一 つの テーマにちがいありません 東 北 の 未 来 像 の 構 築 は3.11 大 震 災 対 応 と 同 時 に 進 められるべきものでしょう 私 が 東 北 支 部 学 会 で 東 北 州 を 話 題 にした 日 ( 平 成 24 年 4 月 20 日 ) 偶 然 にも 村 井 宮 城 県 知 事 も 参 加 した 道 州 制 推 進 知 事 指 定 都 市 市 長 連 合 設 立 総 会 が 東 京 でありました 設 立 趣 意 書 には 人 口 減 少 超 高 齢 化 社 会 の 到 来 グローバ ル 化 の 進 展 東 日 本 大 震 災 からの 復 旧 復 興 など 困 難 な 課 題 に 直 面 しており この 課 題 に 対 して 国 全 体 で 適 切 に 対 応 していく ためにも 有 効 性 を 失 った 中 央 集 権 体 制 を 打 破 し 国 と 地 方 の 双 方 の 政 府 を 再 構 築 す ることで 地 域 主 権 の" 新 しい 国 のかたち" を 創 造 することが 求 められている というものでした たしかに 昨 今 の 政 治 情 勢 からみて 私 自 身 も 道 州 制 は 一 歩 も 二 歩 も 進 めるべきと 考 え ます さて 東 北 州 についての 議 論 ですが そ の 必 要 性 や 枠 組 みについてのそもそも 論 もさ ることながら 東 北 州 が 出 来 ると 仮 定 して 州 都 の 位 置 を 話 題 にしてみました 仙 台 案 各 県 都 持 ち 回 り 案 などが 考 えられます 私 としては 州 都 平 泉 はどうかと 考 え ます 平 泉 州 都 案 については 他 にもとなえて いる 方 々もおります ところで 州 都 平 泉 のイメージですが かつ ての 奥 州 の 都 浄 土 ( 平 和 )の 再 現 に 近 いも のです 規 模 は3 万 ~5 万 人 程 度 のコンパク トな 都 市 です 州 都 の 中 心 施 設 3 権 州 議 会 州 政 府 州 裁 判 所 をどの 様 な 形 で どの 様 に 配 置 する か 奥 州 平 泉 の 山 並 みを 背 景 に 浄 土 庭 園 を 囲 んで 3 権 を 配 置 するか あるいは 州 議 会 をシ ンボル 的 に 際 立 たせ 州 政 府 は 基 礎 自 治 体 が 4
主 導 する 地 域 経 営 にあってコンパクトな 小 さ な 政 府 とする 案 州 裁 判 所 分 散 案 もありかも しれません いずれにしろ 州 都 のランドスケープには 平 泉 の 稜 線 を 超 える 高 層 建 築 などは 似 合 わな いと 思 うのです 21 世 紀 の 東 北 の 州 都 は 過 剰 に 人 や 諸 物 が 集 ま る 実 中 心 というよりは 虚 中 心 空 芯 といっ たイメージのものです 州 都 の 活 動 は 自 然 の 再 生 エネルギーでまかなわれ 典 型 的 な 21 世 紀 のエコポリス 生 態 系 都 市 づくりにつな がるのです それでいて グローバルな 情 報 化 社 会 に 立 ち 向 かう 諸 技 術 はおおいに 活 用 すべきと 考 えます 州 都 平 泉 は 現 在 の 交 通 体 系 にあっても 東 北 各 県 から 容 易 にアクセスできます 現 在 日 本 は 人 口 減 少 少 子 超 高 齢 化 時 代 に 入 っています 東 北 にあっては 千 年 に 一 度 の 大 自 然 災 害 によって 多 数 の 死 者 を 出 しま した そして 原 発 の 破 壊 による 深 刻 な 人 災 に 遭 遇 しています 死 者 を 含 む 地 域 のあり 方 を 根 元 から 問 い 直 すほかない 事 態 です 世 界 遺 産 平 泉 に 見 る 浄 土 ( 平 和 平 穏 ) の 思 想 と 都 づくりは これからの 州 都 づくり に 多 くのことを 示 唆 している 様 に 感 じます 出 典 文 中 図 版 の(1)(2)(3)(4)(6)(7)は 世 界 遺 産 中 尊 寺 中 尊 寺 編 集 発 行 (2011 年 ) を 使 用 し (5)は 平 泉 岩 手 県 教 育 委 員 会 事 務 局 生 涯 学 習 文 化 課 ( 平 泉 世 界 遺 産 担 当 ) 発 行 (2011 年 ) を 使 用 した (2012.05.15) 5