岡 崎 文 雄 著 Vol.33 臼 杵 市 3 旧 野 津 町 初 版 :2007 年 11 月 16 日 発 行
大 分 の 石 探 訪 33 p. 2 目 次 & 収 録 石 目 録 表 中 を ク リ ッ ク す る と 各 の ペ ー ジ が 開 き ま す 新 市 郡 合 併 前 の 市 町 村 名 番 号 名 きょうめい 所 在 郡 市 町 村 名 種 類 架 替 時 期 臼 杵 市 野 津 町 野 津 町 356 初 月 ょげつ 臼 杵 市 野 津 町 大 字 都 原 アーチ 1 野 津 町 357 津 留 平 つるひら 臼 杵 市 野 津 町 大 字 八 里 合 アーチ 野 津 町 358 鳴 清 水 なるそうず 臼 杵 市 野 津 町 大 字 福 良 木 アーチ 野 津 町 359 間 戸 川 車 まどがわ くるま 臼 杵 市 野 津 町 大 字 八 里 合 田 の 平 アーチ 野 津 町 360 御 霊 園 車 ごりようぞの くるま 臼 杵 市 野 津 町 大 字 西 寒 田 御 霊 園 桁 野 津 町 361 鍋 田 なべた 臼 杵 市 野 津 町 大 字 西 寒 田 アーチ 野 津 町 362 戸 上 とのうえ 臼 杵 市 野 津 町 大 字 西 寒 田 アーチ 野 津 町 363 中 尾 なかお 臼 杵 市 野 津 町 大 字 千 塚 アーチ 野 津 町 364 安 政 やすまさ 臼 杵 市 野 津 町 大 字 千 塚 アーチ 野 津 町 365 了 仁 寺 参 道 りょうにんじ さんどう きょう 大 分 の 石 探 訪 オオイタデジタルブック について/ 奥 付 け 臼 杵 市 野 津 町 大 字 烏 嶽 黍 野 アーチ 1 各 に 便 宜 上 001 ~ 618 の 通 番 号 を 付 加 た 2 加 勢 などカッコ 付 きは 撤 去 された 3 市 町 村 名 は 合 併 後 の 新 市 町 村 名 称 と 合 併 で 旧 町 村 名 が 消 え た 町 村 は 旧 佐 賀 関 町 旧 野 津 原 町 旧 香 々 地 町 旧 真 玉 町 を 付 記 三 光 村 三 光 大 田 村 大 田 宇 目 町 宇 目 直 川 村 直 川 など 旧 町 村 名 が 分 かるところは 旧 町 村 名 は 付 記 なかった 4 区 分 けは 新 市 単 位 と 各 市 の 中 は 合 併 前 の 町 村 単 位 に 区 分 け た 5 桁 の 名 は 植 野 のように ゴチックの 強 調 文 字 とた 6 年 号 には 1815 のように 洋 年 号 を 付 記 た 7 旧 町 村 指 定 有 形 文 化 財 は 合 併 後 市 の 指 定 になったかを 確 認 最 新 の 指 定 を 記 た 合 併 前 の 旧 挟 間 庄 内 湯 布 院 が 文 化 財 指 定 ていたものは 由 布 市 に 合 併 後 指 定 が 解 除 された よ って 旧 町 指 定 を 表 記 た
大 分 の 石 探 訪 33 p. 3 < 356> 初 月 ょ げ つ 国 道 502 号 に 架 設 されており 下 流 側 は 拡 幅 されている アーチ 石 の 大 きいのが 特 徴 と 言 える この の 前 後 は 幅 員 が 狭 かったが 平 成 15 年 2003 に を 迂 回 た 道 路 が 造 られて 石 は 残 された 自 動 車 は 通 行 止 めである 初 月 臼 杵 市 野 津 町 大 字 都 原 / 架 設 年 : 明 治 29 年 18964 月 / 長 :8.5 m 幅 :3.5 m/ 拱 矢 :2.0 m/ 径 間 :6.2 m/ 環 厚 :60cm/ 単 一 アーチ
大 分 の 石 探 訪 33 p. 4 < 357> 津 留 平 つ る ひ ら 県 道 204 号 から 分 岐 て 小 屋 川 地 区 に 通 じる 市 道 に 架 設 されてい る 普 段 は 水 の 流 れもない 小 川 を 渡 った であるが 河 床 から 面 ま では 以 外 に 高 い 上 流 側 はコンク リートで 拡 幅 ている 石 工 は 川 登 の 仲 野 隣 太 である 津 留 平 臼 杵 市 野 津 町 大 字 八 里 合 / 架 設 年 : 昭 和 14 年 1939 長 :9.5 m/ 幅 :3.0 m/ 拱 矢 :4.4 m/ 径 間 :6.5 m/ 環 厚 :30cm/ 単 一 アーチ
大 分 の 石 探 訪 33 p. 5 < 358> 鳴 清 水 な る そ う ず よそ 者 が 無 償 で 良 いから 架 け させてくれ と 言 ってこの を 架 け たという 言 い 伝 えが 地 元 にある 要 石 やアーチ 石 に 架 設 年 や 石 工 名 を 刻 んだ 石 は 県 内 に 3 例 だけであ るが この もその 一 つである 石 工 の 足 立 三 代 蔵 は 下 流 にある 近 戸 を 架 けた 石 工 の 一 人 で 臼 杵 市 家 野 の 出 身 である 大 野 郡 村 誌 に 八 里 合 村 の 高 取 とあるのがこの である 鳴 清 水 臼 杵 市 野 津 町 大 字 福 良 木 / 架 設 年 : 明 治 4 年 187112 月 / 長 :9.0 m 幅 :2.4 m/ 拱 矢 :3.3 m/ 径 間 :7.6 m/ 環 厚 :45cm/ 単 一 アーチ/ 市 指 定 有 形 文 化 財
大 分 の 石 探 訪 33 p. 6 < 359> 間 戸 川 車 ま ど が わ く る ま 明 治 26 年 1893 に 下 流 に 近 戸 が 架 設 されるまでは 臼 杵 藩 の 藩 道 であった 臼 杵 市 と 旧 野 津 町 の 境 の 臼 杵 川 は この 辺 りは 両 岸 が 崖 になっていて 近 戸 と 同 様 に 乙 見 ダムに 水 没 ている 石 工 は 臼 杵 の 足 立 吉 兵 衛 で この 8 年 後 に 上 流 に 菜 洗 を 架 けてい る 左 岸 畔 の 記 念 碑 を 訪 ねる 人 も 少 ない 間 戸 川 車 臼 杵 市 野 津 町 大 字 八 里 合 田 の 平 / 架 設 年 : 嘉 永 3 年 18508 月 / 長 :23.0 m 幅 :4.0 m/ 拱 矢 :12.0 m/ 径 間 :22.0 m/ 環 厚 :60cm/ 単 一 アーチ/ 市 指 定 有 形 文 化 財
大 分 の 石 探 訪 33 p. 7 < 360> 御 霊 園 水 車 ご り ょ う ぞ の く る ま 鍋 田 の 上 流 に 架 かっている 桁 である 右 岸 は 岩 盤 左 岸 は 大 きな 石 を 積 んでその 上 に 4 本 の 大 きな 桁 石 を 渡 ている 昔 野 津 市 府 内 間 の 街 道 の と 推 定 される 水 車 というのは 以 前 水 車 があったため のようである 御 霊 園 水 車 臼 杵 市 野 津 町 大 字 西 寒 田 御 霊 園 架 設 年 : 江 戸 後 期 1780 ~ 1868 と 推 定 / 長 :2.2 m/ 幅 :3.6 m/ 単 径 間 桁
大 分 の 石 探 訪 33 p. 8 < 361> 鍋 田 な べ た 国 道 10 号 に 吉 四 六 きっちょ む が 新 設 されて 旧 道 の と なった 下 流 側 はボックス カルバー トで 拡 幅 されているため 石 の 存 在 に 気 づく 人 は 少 ない 明 治 30 年 代 1897 ~ 1906 初 期 に 大 分 以 南 の 旧 国 道 36 号 線 の 改 良 工 事 で 架 設 された で がっちり た 石 組 みが 見 られるが 上 流 側 壁 面 はかなり 風 化 が 進 んでいる 鍋 田 臼 杵 市 野 津 町 大 字 西 寒 田 / 架 設 年 : 明 治 36 年 19032 月 長 :7.0 m/ 幅 :6.0 m/ 拱 矢 :2.2 m/ 径 間 :4.5 m/ 環 厚 :40cm/ 単 一 アーチ
大 分 の 石 探 訪 33 p. 9 < 362> 戸 上 と の う え スパンの 異 なる 二 つのアーチで 野 津 川 を 跨 ぐ 戸 上 小 学 校 の 近 くで 国 道 10 号 の 歩 道 となっている 昭 和 18 年 1943 に 右 岸 側 アーチ 上 の 壁 石 が 流 失 て 改 築 されている 臼 杵 市 野 津 町 鍋 田 から 豊 後 大 野 市 われる 上 流 側 に 隣 接 て 架 設 され 三 重 町 を 経 由 ていた 日 向 街 道 の ていた 国 道 10 号 の も 新 い に とても 役 割 が 大 きかったものと 思 変 わった 戸 上 臼 杵 市 野 津 町 大 字 西 寒 田 / 架 設 年 : 明 治 43 年 19103 月 / 長 :53.0 m 幅 :3.8 m/ 拱 矢 :7.5 m/ 径 間 :24.1 mと 16.0 m/ 環 厚 :50cm/ 2 連 アーチ/ 市 指 定 有 形 文 化 財 財
大 分 の 石 探 訪 33 p. 10 < 363> 中 尾 な か お 国 道 10 号 の 木 所 地 区 と 大 分 市 吉 野 地 区 の 間 の 県 道 637 号 から 分 岐 た 市 道 の で 県 道 脇 にある 下 流 側 はコンクリート 床 版 で 拡 幅 され ている 中 尾 臼 杵 市 野 津 町 大 字 千 塚 / 架 設 年 : 昭 和 8 年 19335 月 長 :8.0 m/ 幅 :3.0 m/ 径 間 :5.0 m/ 環 厚 :50cm/ 単 一 アーチ
大 分 の 石 探 訪 33 p. 11 < 364> 安 政 や す ま さ 中 尾 の 上 流 で 市 道 に 架 設 されて いる 昭 和 57 年 1982 頃 下 流 側 を 幅 90cm 程 石 造 アーチで 拡 幅 ており また 面 を 1 mほど 嵩 上 げかさあげ ている 石 工 は 地 元 の 足 立 光 治 ら 3 名 のようであ る 安 政 臼 杵 市 野 津 町 大 字 千 塚 / 架 設 年 : 大 正 15 年 19265 月 / 長 :7.0 m 幅 :4.4 m/ 拱 矢 :2.2 m/ 径 間 :4.5 m/ 環 厚 :43 cm/ 単 一 アーチ
大 分 の 石 探 訪 33 p. 12 大 分 の 石 探 訪 おおいた の いたんぼう 石 の 魅 力 に 取 り 付 かれた 一 人 の 石 研 究 家 元 大 分 の 石 を 研 究 する 会 会 長 の 岡 崎 文 雄 氏 が 昭 和 61 年 から 大 分 県 に 散 在 する 大 小 の 石 を 探 求 めて 20 年 流 失 撤 去 を 含 めた 618 の 所 在 を 確 認 その 歴 史 と 諸 元 を 記 録 約 1000 枚 の 写 真 とともに 電 子 ブックにまとめた 筆 者 岡 崎 文 雄 おかざき ふみお 氏 大 正 13 年 大 分 郡 挾 間 町 生 まれ 現 由 布 市 昭 和 57 年 宮 崎 県 を 退 職 昭 和 62 年 大 分 の 石 を 研 究 する 会 日 本 の 石 を 守 る 会 会 員 平 成 5 年 魅 せられて 里 の 石 たち 共 著 平 成 6 年 大 分 の 石 記 念 碑 自 費 出 版 平 成 8 年 伝 えたい ふるさとの 石 共 著 平 成 13 年 宮 崎 県 の 石 造 アーチ 自 費 出 版 平 成 14 年 大 分 の 石 を 研 究 する 会 会 長 現 住 所 : 大 分 市 緑 ケ 丘 4-12-10 オオイタデジタルブックとは オオイタデジタルブックは 大 分 合 同 新 聞 社 と 学 校 法 人 別 府 大 学 が 大 分 の 文 化 振 興 の 一 助 となることを 願 って 立 ち 上 げたインターネット 活 用 プロジェクト NAN-NANなんなん の 一 環 です NAN-NAN では 大 分 の 文 化 と 歴 史 を 伝 承 ていくうえで 重 要 な さま ざまな 文 書 や 資 料 をデジタル 化 て 公 開 ます そ て 読 者 からの 指 摘 追 加 情 報 を 受 けながら 逐 次 改 訂 て 充 実 発 展 を 図 っていきたいと 願 っています 情 報 があれ ぜひ NAN-NAN 事 務 局 にお 寄 せください NAN-NAN では この 別 府 今 昔 以 外 にもデジタ ルブック 等 をホームページで 公 開 ています イン ターネットに 接 続 のうえ 下 のボタンをクリックする と ホームページが 立 ち 上 がります まずは クリック!!! 大 分 の 石 探 訪 Vol.33: 臼 杵 市 3 c 岡 崎 文 雄 2007 年 11 月 16 日 初 版 発 行 筆 者 岡 崎 文 雄 編 集 大 分 合 同 新 聞 社 制 作 別 府 大 学 メディア 教 育 研 究 センター 地 域 連 携 部 発 行 NAN-NAN 事 務 局 870-8605 大 分 市 府 内 町 3-9-15 大 分 合 同 新 聞 社 総 合 企 画 部 内