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三 月 二 日 土 第 七 十 二 回 茨 城 県 農 村 業 式 が 行 わ れ 第 三 十 八 期 生 八 十 五 名 う 市 三 村 藤 原 秀 臣 学 校 長 で 三 月 一 日 卒 土 浦 協 同 病 院 附 属 看 護 専 門 学 校 石 岡 る こ と を 忘 れ ず 今 度 は 看 護 師 と し て 患 中を押して下さった沢山の方々に感謝す て 竹 林 晶 子 さ ん が こ れ ま で 私 た ち の 背 ފ ൳ພ ڠ ₉ 筑波大学附属病院水戸 ઽࡇ ఆ ڠ 地域医療教育センター総合病院水戸協同 存 在 に な れ る よ う 本 校 で の 学 び を 活 か 医 学 会 学 会 長 し 日 々 精 進 し て い き た い と 決 意 を 語 り 者 さ ん を そ っ と 支 え そ の 背 中 を 押 せ る 理事理事長をはじめ 保護者 在校生 関 卒業式には高橋惠一茨城県厚生連代表 ち 男 性 八 名 が 巣 立 ち ま し た 県厚生連関連病院から約四〇〇名の医療 場 茨 城 県 つ く ば 市 で 開 催 さ れ 茨 城 ま し た 関 係 者 ら が 参 加 し ま し た 員 の 学 術 研 究 の 向 上 を 求 め 農 村 に お け 同 学 会 は 茨 城 県 厚 生 連 に 勤 務 す る 職 ま し た と 送 辞 を 述 べ 卒 業 生 を 代 表 し 標に向かい努力することの大切さを学び 三 浦 ひ か り さ ん が 先 輩 方 の 姿 か ら 目 激 励 し ま し た 在 校 生 を 代 表 し 二 年 生 の る こ と と 医 療 者 と し て の 心 構 え を 伝 え 者 に 寄 り 添 っ て 患 者 の 健 康 生 命 を 守 藤 原 学 校 長 は 式 辞 で 大 切 な こ と は 患 師 と し て 新 た な 道 を 進 ん で い き ま す り一人一人に卒業証書が手渡されました 四 月 か ら は 県 内 の 各 厚 生 連 病 院 で 看 護 係 者 ら 約 四 〇 〇 人 が 出 席 藤 原 学 校 長 よ 病 院 平 野 篤 院 長 が つ く ば 国 際 会 議 Ⴒ 卒業証書を授与する藤原学校長 22 る医療と保健に関する問題を調査研究す ることを目的に設立され 毎年開催され て い ま す 今 回 は 四 会 場 で 過 去 最 多 の シンポジウムの様子 挨拶をする平野会長 七十九演題が発表され活発な討論がなさ れ ま し た 連携 厚生連六病院ラウンドの経験と展 シ ン ポ ジ ウ ム で は 感 染 対 策 の 地 域 望 と し て 平 成 二 十 三 年 度 よ り 六 病 院 で連携している茨城県厚生連感染対策委 員 会 の 活 動 と 今 後 の 課 題 に つ い て 熱 い 議 論 が 交 わ さ れ ま し た 室 岡 井 崇 主 任 教 授 を 招 き 医 療 事 故 と ま た 昭 和 大 学 医 学 部 産 婦 人 科 学 教 医療者の責任 新しいパラダイムを志向 し て と 題 し 特 別 講 演 を 行 い ま し た 次回から名称を茨城県厚生連病院学会 に 改 め 亀 﨑 髙 夫 学 会 長 茨 城 西 南 医 療 セ ン タ ー 病 院 長 の 下 平 成 二 十 六 年 三 月 一 日 に 開 催 の 予 定 で す 涙ぐむ卒業生 Ⴒ
今号で取り上げるのは 前号に続いて 農産物の輸入自由化を巡る問題です 現在 JAグループ茨城では 環太平洋連携協定 TPP について断固反対運動を進めていますが この記 事を読んでいると 米国の強圧的な姿勢は30年以上前から変わっていないことが伺えます TPPは農業だけでなく 食や医療など 国民一人一人の生活に大きく影響する問題です 私たちの生活を守 るために その事実を周囲の人たちに伝え 反対運動を広げていくことが必要です 農産物輸入自由化 枠拡大阻止 全国農林漁業者総決起大会開催される 中 央 会 とき 58年10月 5 日 ところ 日比谷野外音楽堂 34