融 合 文 化 研 究 第 8 号 pp.48-57 November 2006 A Study of Harmony and Healing Using Wabicha and Tea Therapy in Contemporary Tea Ceremony 若 尾 明 余 WAKAO Haruyo Abstract: The aim of this paper is to examine harmony and healing in wabicha and tea therapy as contemporary tea ceremony. First, the definition of healing and the spirit of wabicha are mentioned. Then hanging roll and chasitsu as a healing are explored. As an ambassador of contemporary tea ceremony, the author takes up tea therapy and views it from wabicha stance. Today there are many people under great stress,hence the author considers that tea ceremony has indeed the possibility to contribute to the peace of mind of all people in the world. Keywords: wabicha, Tea Therapy, healing, harmony 1.はじめに 現 在 の 情 報 化 社 会 は 生 活 が 加 速 度 化 し 自 然 と 共 存 する 元 来 の 生 活 と 反 比 例 して 大 変 ストレスの 多 い 時 代 である それに 伴 い 多 くの 人 々が 心 身 共 に 癒 されることを 求 めてい る 本 論 では 日 本 に 四 百 年 以 上 続 く 茶 道 に 焦 点 をあて 主 に 侘 茶 と 現 在 の 茶 道 との 調 和 と 癒 しについて 考 察 する 茶 道 には 本 来 どのような 癒 しの 力 が 備 わっているのだろうか まず 茶 道 のもつ 癒 しの 効 果 と 侘 茶 精 神 について 触 れる そして 現 在 の 茶 道 を 代 表 し 黒 川 五 郎 が 考 案 したティー セラピーについて 取 り 上 げ その 方 法 と 事 例 について 紹 介 し 侘 茶 との 調 和 と 今 後 の 茶 道 への 発 展 について 探 る 茶 道 の 現 在 そして 未 来 に 関 連 して 侘 茶 と 現 在 の 茶 道 について 考 察 しつつ 茶 道 の 果 たす 役 割 と 意 義 について 考 えたい 2. 癒 しとは まず 癒 しの 定 義 について 述 べることにする - 48 -
若 尾 明 余 現 在 のストレスの 多 い 社 会 では 不 安 や 悩 みを 抱 える 人 が 多 く 神 経 症 や 心 身 症 に 苦 し むケースも 少 なくない それ 故 少 しでもストレスを 解 消 するために 人 々は 癒 されること を 求 めている 過 度 なストレスを 抱 えた 生 活 による 歪 みは 社 会 的 な 問 題 でもある 病 は 気 から と 言 われるように 心 と 体 の 関 係 は 深 いようだ 川 上 裕 二 によると 今 から 十 八 年 前 の 一 九 八 八 年 十 一 月 に 新 聞 紙 上 で 初 めて 癒 し という 言 葉 が 使 われた 1 ということである よって 癒 しという 単 語 を 調 べてもそれ 以 前 の 辞 書 には 記 載 がない 癒 しの 定 義 について 日 本 国 語 大 辞 典 には 心 の 傷 や 苦 悩 な どがおさまり 気 分 が 安 らかになること 2 とある 従 来 の 癒 すという 動 詞 の 名 詞 化 である 癒 しを 得 るための 療 法 として 様 々なものがある アロマセラピー カラーセラピー ア ニマルセラピー 森 林 セラピーといったセラピーと 呼 ばれるものをはじめとして 呼 吸 法 食 事 療 法 音 楽 療 法 など いずれも 基 本 的 に 薬 品 や 手 術 を 用 いず 心 や 体 に 影 響 を 与 えるも のである 癒 しという 言 葉 が 比 較 的 新 しいことと 平 行 して セラピーといわれるものでは 歴 史 が 浅 いものも 多 い 3. 侘 茶 精 神 侘 茶 の 侘 とは 何 か この 侘 という 言 葉 は 時 代 により 意 味 合 いが 違 う 侘 について 角 川 茶 道 大 事 典 に 次 のように 記 述 されている 隠 者 の 生 活 の 中 から 見 いだされてきた 自 然 質 朴 な 美 をもととし 更 に 茶 道 の 展 開 とと もに 確 立 された 美 意 識 わびし という 語 は 本 来 の 愛 情 が 満 足 されない 意 から 出 発 し 物 質 的 窮 乏 の 意 へと 変 化 を 遂 げてゆくが その 貧 しい 境 涯 に 安 んじて 徹 しきっ た 中 世 的 隠 者 の 生 活 の 中 から 閑 寂 質 朴 な 美 の 理 念 が 生 じてくる 3 珠 光 のひえから 武 野 紹 鴎 に 至 って 侘 が 茶 道 の 中 心 理 念 となる 一 の 弟 子 の 辻 玄 哉 に 常 々 語 ったという 紹 鴎 の 言 葉 に 古 人 の 云 ふ 茶 の 湯 名 人 に 成 りし 後 は 道 具 一 種 さへあれば 侘 数 寄 するが 専 一 也 心 敬 法 師 連 歌 の 語 に 曰 く 連 歌 は 枯 れかじけて 寒 かれといふ 茶 の 湯 の 果 ても 其 の 如 く 成 りたきと 紹 鴎 常 に 云 ふ 4 とあることからも 紹 鴎 は 連 歌 に 親 しみ 茶 道 が 連 歌 の 心 や 侘 という 理 念 で 成 り 立 つこと を 理 想 としていることがわかる また 侘 とは 正 直 に 慎 み 深 くおごらぬさま 5 である という 千 玄 室 は 今 ある 自 分 をそのままに 慎 み 深 く 受 け 入 れて ありのままにあること ができる 自 分 そういう 心 の 世 界 が わび なのです 6 と 述 べる 虚 飾 や 虚 栄 を 取 り 除 - 49 -
融 合 文 化 研 究 第 8 号 pp.48-57 November 2006 いた 侘 茶 の 精 神 こそが 心 の 癒 しにつながるのではないだろうか 禅 との 関 連 性 は 如 何 なるものか まず わびの 本 質 とするところは 有 るべきさま す なわち 自 然 のままの 姿 を 希 求 するにあったこと 7 であると 角 川 茶 道 大 事 典 で 記 され ている わび 茶 の 研 究 によると 複 雑 華 麗 なものよりも 簡 素 枯 淡 なものを 均 斉 のと れた 完 全 円 満 なものよりも 不 完 全 で 不 均 斉 なものを 人 為 的 技 巧 的 なものよりも 自 然 的 で 無 技 巧 なものを 愛 するのが 禅 本 来 の 態 度 である 8 としている 吉 田 兼 好 は 不 揃 いや 不 備 なものを 面 白 いと 考 え 弘 融 僧 都 の 言 葉 を 用 いて 物 を 必 ず 一 具 にととのへんとする は つたなきもののする 事 なり 不 具 なるこそよけれ 9 と 言 っている また 古 田 紹 欽 は 利 休 が 侘 びの 作 為 を 排 したのも 臨 済 が 造 作 すること 莫 れ といっていることに 学 ぶものがあってのことではなかろうか 10 と 述 べる これらの 記 述 から 考 えても 侘 と 禅 の 精 神 の 類 似 があるが このような 見 解 は 侘 茶 の 本 質 が 禅 に 由 来 している 経 緯 から 考 えても 自 然 なことだといえる さらに 質 朴 あるいは 不 完 全 な 中 にも 全 てがその 自 然 のま まで 満 たされているといった 侘 の 精 神 は 無 や 空 といった 仏 教 の 概 念 に 繋 がると 広 義 に 解 釈 できるだろう 4. 茶 道 と 癒 しについて 裏 千 家 十 五 代 家 元 の 千 玄 室 が 利 休 は 茶 道 を 修 養 することによってその 心 の 渇 きを 癒 すことができるのだと 教 えている 11 と 述 べているように 茶 道 には 癒 しを 与 える 力 が あると 思 われる どのような 癒 しの 力 が 備 わっているか 検 証 する 茶 には テアニンという 体 内 の 快 楽 ホルモンであるドーパミンを 増 やす 成 分 があり リ ラックス 効 果 が 高 いと 言 われている 公 私 共 に 茶 を 愛 飲 する 人 は 多 く 見 受 けられるが 雰 囲 気 だけではなく 成 分 としてみても 人 々を 繋 ぐ 和 の 働 きをなしている 茶 道 は 茶 を 点 てるだけでなく 花 お 香 掛 軸 陶 器 などと 触 れる 総 合 的 な 芸 術 とし て 知 られている 花 やお 香 などそれぞれが 心 に 潤 いをもたらすものであるから 癒 しがあ ることは 言 うまでもないだろう その 他 掛 軸 ( 禅 語 )や 空 間 としての 茶 室 についての 癒 しについて もう 少 し 詳 細 に 文 献 からの 考 察 を 述 べることにする 掛 軸 には 仏 語 祖 語 の 墨 蹟 を 中 心 に 道 歌 や 絵 を 掛 けることもある ここでは 主 に 禅 語 の 墨 蹟 について 記 述 する もともと 精 神 性 の 高 い 文 化 となった 要 因 の 一 つに 参 禅 した 茶 人 達 が 禅 の 精 神 を 重 んじたことがある 鈴 木 大 拙 は 禅 と 日 本 文 化 の 中 で 次 のように 言 及 している 禅 の 茶 道 に 通 うところは いつも 物 事 を 単 純 化 せんとするところに 在 る この 不 必 要 なものを 除 きさることを 禅 は 究 極 実 在 の 直 覚 的 把 握 によって 成 し 遂 げ 茶 は 茶 室 内 の 喫 茶 によって 典 型 化 させられたものを 生 活 上 のものの 上 に 移 すことによって 成 し - 50 -
若 尾 明 余 遂 げる 12 禅 の 精 神 は 道 場 や 茶 室 の 外 である 生 活 全 般 の 上 で 実 践 されるところに 意 味 があると いえる 不 安 やストレスは 物 事 を 複 雑 化 したときに 顕 在 することが 多 いので 鈴 木 が 述 べるように 物 事 の 単 純 化 が 癒 しにもつながるものだと 考 えられる 次 に 心 理 学 者 の 安 西 二 郎 は 掛 軸 の 題 材 には 花 鳥 風 月 や 自 然 を 賛 美 したものが 多 く 禅 の 精 神 をよく 伝 え 得 ることを 述 べ 現 に 今 日 わが 国 の 禅 画 や 墨 絵 が 欧 米 で 再 認 識 されているのも それが 人 の 心 をいやし なごます 本 質 的 なものを 持 っているから 13 と 言 っている 空 間 としての 茶 室 について 癒 しの 観 点 から 考 察 すると もともとにじり 口 をくぐりと 言 っていたのであるが 安 西 は くぐりと 聞 くと 胎 内 くぐりなどが 連 想 され 母 胎 性 が 強 く 印 象 づけられてくる 14 という 呼 び 名 のイメージのみならず 狭 く 薄 暗 いという 点 で は 茶 室 と 胎 内 は 共 通 している 確 かに 喧 騒 的 外 部 から 遮 断 された 薄 暗 い 数 畳 の 空 間 にい ると ほっとする 感 覚 を 得 られる また 情 報 化 あるいは 都 市 化 した 社 会 では 人 間 関 係 が 希 薄 になりがちであるが 親 密 な 距 離 をもてる 茶 室 は 直 に 感 じられる 人 間 関 係 の 交 流 の 場 としても 相 応 しいのではないだろうか 5. 現 在 の 茶 道 の 一 例 であるティー セラピーについて 茶 道 とセラピーを 融 合 させたティー セラピーとは 黒 川 五 郎 が 臨 床 教 育 学 の 立 場 から 編 み 出 した 茶 道 を 用 いた 療 法 である 黒 川 は 立 礼 の 形 式 でお 茶 を 点 て 主 客 共 に 椅 子 に 座 って 気 軽 に 会 話 をしながら 主 客 の 交 流 をしている ティー セラピーの 中 心 にそえて いるものがウインド クロッシング(Winged crossing)といって 茶 道 具 からの 連 想 を 交 差 させることで オリジナルの 物 語 を 作 るというものである ウインド クロッシング は 日 本 語 では 有 翼 交 差 と 名 付 けられている 筆 者 は 五 回 このセラピーを 受 けているが 茶 道 具 を 用 いることにより 日 常 では 思 いつか ないような 古 典 的 な 物 語 ができた 対 象 を 交 差 させることで 神 話 的 な 物 語 が 作 られるこ とがわかった 他 のクライアントの 例 を 見 ても 個 人 の 特 徴 や 可 能 性 を 秘 めた 神 話 的 物 語 が 作 られているところが 興 味 深 い 先 に 取 り 上 げた 通 り 紹 鴎 が 茶 道 の 理 念 としたのが 侘 と 連 歌 の 心 であるが 黒 川 はこのウインド クロッシングと 連 歌 との 関 連 を 次 のように 述 べる 茶 会 は もともと 連 歌 会 から 発 展 したものといわれます 利 休 は 連 歌 師 でもあった 武 野 紹 鴎 の 弟 子 でもありました 連 歌 会 のおもしろさは 多 様 な 参 加 者 の 想 像 力 の 交 わ りによって 繰 り 広 げられる 微 妙 な 句 と 句 との 関 係 にあります このように 自 己 と 他 者 との 想 像 力 が 互 いに 交 差 することによって 一 座 の 出 会 いの 物 語 が 生 まれてくる 有 様 - 51 -
融 合 文 化 研 究 第 8 号 pp.48-57 November 2006 をもって 私 は 広 い 意 味 での 有 翼 交 差 とも 名 付 けているのです 15 ウインド クロッシングの 方 法 論 としては あるストーリーの 下 にある 諸 要 素 に 対 する 連 想 を 交 差 して それを 神 話 的 な 物 語 に 形 作 っていく 16 ということである 始 めは 侘 茶 の 儀 礼 の 研 究 から 導 き 出 した 方 法 であるが 後 にこの 儀 礼 を 構 造 主 義 や 記 号 論 という 思 想 的 立 場 から 考 察 し 直 したところ その 過 程 において 文 化 人 類 学 者 のクロード レヴィ=ス トロースによる 神 話 の 論 理 に 該 当 した 17 レヴィ=ストロースは 神 話 の 中 では 一 切 が 起 こりうる すべての 主 語 は どんな 述 語 でももつことができる 考 えうるあらゆる 関 係 性 が 可 能 18 だという たとえば 人 は 肉 を 焼 いて 食 べる という 文 と ジャガーは 肉 を 生 で 食 べる という 文 があると これらは 対 立 関 係 にあるものとして 体 系 をなす これらの 対 立 を 逆 転 した か つてはジャガーは 火 の 支 配 者 だった と 人 間 は 火 を 知 らなかった という 対 比 から も う 一 つの 対 立 への 移 行 の 物 語 として 語 るとき それが 神 話 になる 19 という この 一 例 は ブラジル 中 部 のティンビラ 族 による 火 の 起 源 の 神 話 によるが その 他 多 くの 神 話 がこのよ うな 過 程 で 作 られている ウインド クロッシングにおいては 諸 道 具 を 主 語 それによる 連 想 を 述 語 として 考 え ることができるが ここで 主 語 に 対 する 述 語 は 変 換 可 能 であり 連 想 を 交 差 していくこと で 神 話 的 な 物 語 ができるというわけである セラピーとしての 効 果 は 如 何 なものであろうか 藤 原 成 一 は 昔 話 や 御 伽 草 子 のような ファンタジーには 想 像 力 を 開 放 し 飛 躍 させる そこに 気 分 の 高 揚 ととらわれの 自 己 から の 開 放 感 がある 20 と ファンタジーによる 物 語 療 法 の 効 果 を 述 べる また 黒 川 は 次 のように 語 っている 本 来 の 自 己 :アイデンティティーの 創 造 を より 重 視 してゆく 心 のゆとり すなわち いわば 人 生 の 作 品 化 への 志 向 がティー セラピー 等 の 過 程 の 中 で 生 み 出 され てゆけば その 疎 外 状 況 を 克 服 することも 可 能 になるわけである それは 観 点 を 変 え ていけば 自 己 を 犠 牲 にするということでもある 疎 外 的 なシステムの 中 で 自 己 (エ ゴ)という 狭 い 枠 の 中 に 閉 じ 込 められて いわゆるエゴイズム つまりは 自 己 本 位 の 対 象 操 作 に 陥 ってしまった 状 況 を 乗 り 越 えるために あえて 自 己 本 位 の 対 象 操 作 を 犠 牲 にするということでもある 21 私 たちは 社 会 のシステムの 中 で 生 きており ここで 自 己 本 位 に 生 きるとどうしても 自 己 と 他 者 の 境 界 線 が 生 じ そのシステムの 中 で 自 己 疎 外 にあうことになる 自 己 本 位 の 操 作 をやめることで 本 来 のあるべき 姿 が 自 ずと 浮 上 し 人 生 の 意 味 が 新 しく 構 築 されてく ることがあるというわけである 人 生 を 創 造 的 に 物 語 にしていく 作 業 によって 既 成 概 念 - 52 -
若 尾 明 余 に 囚 われることなく 客 観 的 あるいは 総 体 的 に 自 己 を 省 みることが 可 能 になると 思 われる 実 際 会 社 に 勤 める 人 や 芸 術 家 学 生 など 多 様 な 立 場 の 人 たちが 来 訪 しているようだが それぞれに 神 話 的 で 個 性 的 な 物 語 を 作 成 している そのオリジナルの 物 語 の 中 に 今 後 の 作 品 製 作 や 進 路 の 方 向 性 に 関 してヒントとなることがあるようだ ウインド クロッシン グを 用 いたティー セラピーは クライアントの 悩 みや 葛 藤 を 解 消 し 新 たな 可 能 性 を 見 出 すことができ 得 る 療 法 である 6.ウインド クロッシングの 事 例 ここでは 具 体 的 に 筆 者 の 経 験 した 事 例 を 紹 介 する はじめに 茶 道 具 を 拝 見 したときは 単 純 に 綺 麗 だと 感 じるのみであったが 実 際 に 連 想 を 交 差 させて 物 語 を 作 ることで 思 い がけない 物 語 ができた 方 法 は お 茶 を 点 ててもらったときに 設 えてあった 道 具 を 覚 えておき 別 室 でシートを 用 いて 連 想 したことをカウンセラーと 対 話 をしながら 記 載 していき それを 交 差 させる のである シートの 上 の 段 には 道 具 の 種 類 や 銘 を 下 段 には 道 具 から 受 けた 印 象 を 自 由 に 連 想 して 記 すようになっている さらに 対 象 線 の 通 りに 交 差 をさせて 物 語 を 作 る 以 下 は 二 〇 〇 四 年 三 月 にウインド クロッシングによってできた 筆 者 の 物 語 である 道 具 A B C D E 薄 茶 器 小 町 蒔 絵 貝 桶 茶 杓 高 台 寺 キク キリ 皆 具 ぼんぼり 香 合 貝 合 せ ひなまつり 茶 碗 ( 替 え 茶 碗 ) ひなまつり 金 箔 A B C D E 春 も う 一 つ の 春 (パステルカラ ー) 高 貴 婦 人 (おね 建 礼 門 院 徳 子 ) 諸 行 無 常 栄 華 盛 衰 灯 り ( 煌 煌 とした 光 ではない) 仲 良 し 道 祖 神 運 命 の 人 海 木 目 ( 内 側 が 茶 色 と 金 色 な の で) 桃 ピンク まつり 若 さ - 53 -
融 合 文 化 研 究 第 8 号 pp.48-57 November 2006 C 皆 具 ( 黒 塗 りの 長 板 の 上 にぼんぼりの 水 指 や 建 水 などが 置 かれている ぼんぼりは 白 地 に 赤 の 線 が 入 っている この 赤 は 渋 めの 濃 い 朱 の 混 ざった 赤 で 落 ち 着 いた 印 象 ) 三 月 三 日 のひな 祭 り 町 の 女 の 子 たちが 一 軒 の 大 きなお 屋 敷 に 集 まり 仲 良 くおひな 様 や 五 人 囃 子 を 眺 めている ぼんぼりの 灯 りはほのかに 控 えめに 輝 き 女 の 子 の 顔 を 照 らし ている 皆 笑 顔 で 無 邪 気 な 顔 をしているが 光 の 陰 影 で 内 面 が 浮 き 出 て 大 人 の 女 性 の 表 情 を 時 々 覗 かせている A E A A D A 町 は 祭 りで 賑 やかである 桃 の 花 が 咲 き 女 の 子 たちがはしゃいでいる 一 人 の 女 の 子 が 桃 の 木 の 下 に 貝 殻 を 見 つける 貝 殻 を 開 くと 木 目 があり そこにはおひな 様 とお 内 裏 様 が 仲 良 く 描 かれている 将 来 自 分 もお 内 裏 様 のような 運 命 の 相 手 と 出 会 えるだろうかと 夢 見 ている 思 春 期 を 迎 え 今 までとは 少 し 違 う 淡 いピンク 色 の 春 である ふんわりと 暖 かい 風 がよぎる 女 の 子 は 次 第 に 貝 殻 の 木 目 に 惹 きつけられていく 黄 金 色 と 茶 色 の 年 輪 が 幾 重 にも 重 な っている 貝 殻 には 近 世 から 中 世 へ また 太 古 の 時 代 へと 行 き 交 う 力 が 宿 っているのであ る 年 輪 をたどったところの 時 代 へ 瞬 時 にタイムスリップし 果 てしない 夢 を 見 ているよ うな 前 世 の 我 が 姿 を 見 ているかのような 感 覚 懐 かしく 温 かい 気 持 ちになる D B D D 時 代 は 下 がり 女 性 たちが 貝 合 せを 楽 しんでいる これか あれかと 言 いながら 貝 を 裏 返 してはもう 一 つの 貝 と 合 わせてみる そこには 太 閤 秀 吉 の 妻 のおねに 似 た 女 性 がいる 彼 女 の 着 物 はいかにも 華 やかであるが 旦 那 様 を 失 い 心 労 を 重 ね 少 し 年 老 いている し かし 心 の 中 ではいつでも 運 命 を 共 に 生 きた 旦 那 様 が 寄 り 添 っている 家 々から 漏 れるぼんぼりのほのかな 灯 りが 点 る 夕 暮 れに 桃 の 木 の 下 で 女 の 子 は 目 を 覚 ます 手 にのせた 貝 殻 を 開 くと 黄 金 色 は 掠 れ 木 目 の 年 輪 は 枯 れた 色 合 いになり いつ の 程 にかおひな 様 とお 内 裏 様 は 道 祖 神 のような 顔 形 をしている 描 かれた 二 人 は 寄 り 添 い 自 分 を 見 守 ってくれているようである 貝 殻 を 握 りしめ 家 路 に 向 かう 女 の 子 は 生 涯 これ を 大 切 にしお 守 りにするのである 以 上 が 自 己 の 物 語 である いつの 時 代 でも 運 命 の 相 手 を 探 し 求 める 姿 がある 茶 道 具 を 元 に 女 性 の 夢 見 るひな 祭 り そして 桃 色 と 金 色 の 織 り 交 ざった 美 しい 世 界 が 想 像 された 仲 間 と 貝 遊 びをして 楽 しむ 幼 心 を 持 ちつつ 年 を 経 て 辛 酸 を 共 にした 相 手 を 失 う 悲 しみを 知 った 大 人 の 女 性 が 出 てきて 明 るく 華 やかな 世 界 にもひっそりとした 空 気 が 佇 む 明 と 暗 若 と 老 新 と 古 全 てが 相 対 的 に 存 在 している 世 界 の 中 で 時 代 を 超 えた 女 性 の 人 生 - 54 -
若 尾 明 余 が 主 人 公 になっているが 物 語 と 違 った 時 間 空 間 的 な 間 隔 がある 現 実 社 会 でも 一 人 の 人 生 には 様 々な 思 いや 経 験 があるわけで これらは 普 段 何 気 なくある 自 身 の 心 象 風 景 では ないかと 思 える 著 者 は 身 内 や 友 人 の 死 を 通 して 死 への 恐 怖 をもっていたが この 物 語 を 通 して 大 切 な 人 は 末 永 く 心 の 中 に 寄 り 添 って 生 きているという 結 論 に 至 り 日 頃 の 不 安 を 払 拭 するような 内 容 であった 黒 川 より 女 性 の 夢 をのせて 早 春 のひとときを 彩 るひな 祭 りというテーマの 中 には 独 身 OL の 方 が 増 えている 今 のストレス 社 会 に 癒 しをもたら す 一 つのきっかけになるのではないか とのコメントがあった このウインド クロッシングを 用 いたティー セラピーは 本 来 の 茶 道 に 比 べると 対 話 形 式 なので 禅 に 譬 えると 座 っていればよいとする 道 元 禅 というより 問 答 形 式 の 臨 済 禅 に 近 いといえる 一 見 多 弁 ではない 侘 茶 とは 異 なるようにも 思 えるが 用 いられた 道 具 を 拝 見 した 後 に 想 像 力 で 自 由 に 連 想 し 発 展 させていくという 点 で 連 歌 のようでもあり 侘 茶 と 共 通 するものがある この 一 連 の 過 程 を 通 して より 深 く 一 つ 一 つの 対 象 と 関 わるこ とができるのである 紹 鴎 が 茶 道 に 連 歌 の 心 を 重 んじたように また 利 休 が 独 自 の 想 像 力 によって 侘 茶 を 完 成 させたように 侘 茶 というものは 想 像 力 を 豊 かに 働 かすことで 叶 う 精 神 であると 解 釈 することができる したがって このティー セラピーは 形 は 違 っても 茶 道 の 本 質 を 活 かした 手 段 であると 考 えられる 7.おわりに 侘 茶 は 現 在 そして 未 来 に 受 け 継 ぎたい 精 神 であり 茶 道 のみならず 日 常 生 活 で 活 かすこ とができる 精 神 であるといえよう それは 殊 に 本 来 四 季 折 々の 自 然 と 共 生 してきた 日 本 人 あるいは 世 界 の 人 々に 潜 在 的 に 備 わっている 特 質 であると 思 えるからである 侘 茶 は 連 歌 を 基 調 としたものであることからも 想 像 性 を 豊 かにすることで 生 まれる 精 神 で ある そのようなことから 現 在 の 茶 道 の 行 方 は 先 に 見 たティー セラピーを 一 例 とし ても 侘 茶 を 元 にさらなる 発 展 が 見 込 まれる 文 化 人 類 学 者 の 蛭 川 立 は 茶 道 の 点 前 を 少 しアレンジしながら 抹 茶 の 代 わりに 南 米 のカヴァ 茶 を 用 いて 茶 会 をすることがある カ ヴァ 茶 は 精 神 的 に 良 いとされており 飲 んだ 後 は 落 ち 着 いた 気 分 になる 一 得 庵 亜 湖 著 走 り 出 した 和 の 心 22 では 小 型 トラックの 荷 台 を 茶 室 として 改 造 し 全 国 を 回 って 一 般 の 人 に 茶 を 開 放 している 元 来 の 形 式 的 な 現 在 の 茶 道 の 発 展 と 共 に ティー セラピーやカ ヴァ 茶 による 茶 道 また 車 型 の 茶 室 といった 気 軽 に 楽 しめる 新 たな 茶 道 の 可 能 性 も 広 が っている 茶 道 というと 敷 居 が 高 いという 印 象 から 敬 遠 されることがあるが 侘 茶 の 精 神 を 尊 ぶこ とを 忘 れずに 現 在 そして 未 来 に 多 くの 人 が 関 わりあえるものとして 継 承 されていく 必 要 がある 世 界 中 の 人 が 公 私 共 に 日 常 的 に 茶 を 飲 む 習 慣 があるように 時 に 気 軽 に 茶 道 に 触 れる 環 境 を 示 していくことや 侘 茶 精 神 を 伝 えていくことが 茶 人 の 役 目 でもあるので - 55 -
融 合 文 化 研 究 第 8 号 pp.48-57 November 2006 はないだろうか 注 1 川 上 裕 二 癒 し の 先 駆 者 http://www.titech-coop.or.jp/landfall/pdf/41/41-4.pdf2004/7/21 2 日 本 国 語 大 辞 典 第 二 版 編 集 委 員 会 編 集 日 本 国 語 大 辞 典 第 二 版 小 学 館 p.1363 3 林 屋 辰 三 郎 編 角 川 茶 道 大 事 典 角 川 書 店 p.1471 4 同 上 p.1471 5 上 記 千 玄 室 p.101 6 同 上 p.102 7 上 記 林 屋 辰 三 郎 編 p.1471 8 同 上 p.14 9 渡 辺 誠 一 侘 びの 世 界 論 創 社 p.15 10 古 田 紹 欽 茶 の 湯 の 心 禅 文 化 研 究 所 p.75 11 千 玄 室 一 盌 からピースフルネスを 淡 交 社 p.19 南 方 録 山 上 宗 二 記 の 研 究 茶 道 の 歴 史 などの 文 献 を 調 べたが 私 の 知 る 限 りでは 利 休 が 心 の 渇 きを 癒 す という 言 葉 を 使 ったかどうかはまだ 見 当 たらない 12 鈴 木 大 拙 著 北 川 桃 雄 禅 と 日 本 文 化 岩 波 新 書 p.121 13 安 西 二 郎 茶 の 湯 の 心 理 学 淡 交 社 p.119 14 同 上 p.103 15 黒 川 五 郎 ティー セラピーへの 招 待 川 島 書 店 p.74 16 同 上 p.94 17 同 上 p.94 18 渡 辺 公 三 レヴィ=ストロース 講 談 社 p.230 19 同 上 p.323 20 藤 原 成 一 癒 しの 日 本 文 化 誌 p.130 21 黒 川 五 郎 ティー セラピーとしての 茶 道 川 島 書 店 pp.105-106 22 一 得 庵 亜 湖 走 り 出 した 和 の 心 日 本 文 学 館 2003 参 考 文 献 安 西 二 郎 茶 道 の 心 理 学 淡 交 社 1995 一 得 庵 亜 湖 走 り 出 した 和 の 心 日 本 文 学 館 2003 上 田 邦 義 日 英 二 ヶ 国 語 による 能 オセロー 創 作 の 研 究 勉 誠 社 1998 岡 倉 覚 三 著 村 岡 博 訳 茶 の 本 岩 波 文 庫 1929 岡 本 浩 一 心 理 学 者 の 茶 道 発 見 淡 交 社 1999 黒 川 五 郎 ティー セラピーとしての 茶 道 川 島 書 店 2002 黒 川 五 郎 ティー セラピーへの 招 待 川 島 書 店 2005 鈴 木 大 拙 著 北 川 桃 雄 訳 禅 と 日 本 文 化 岩 波 新 書 1940-56 -
若 尾 明 余 千 玄 室 一 盌 からピースフルネスを 淡 交 社 2003 千 宗 室 茶 経 と 我 が 国 茶 道 の 歴 史 的 意 義 淡 交 社 1983 中 島 康 癒 しとしての 茶 道 のシステム 分 析 食 生 活 科 学 文 化 及 び 地 球 環 境 科 学 に 関 する 研 究 助 成 研 究 紀 要 15 巻 アサヒビール 学 術 振 興 財 団 1999 pp.83-96 中 村 直 勝 茶 道 聖 典 南 方 録 浪 速 社 1968 日 本 国 語 大 辞 典 第 二 版 編 集 委 員 会 編 集 日 本 国 語 大 辞 典 第 二 版 小 学 館 2000 布 目 潮 渢 茶 経 詳 解 淡 交 社 2001 野 上 彌 生 子 秀 吉 と 利 休 中 公 文 庫 1973 芳 賀 幸 四 郎 茶 と 禅 (その 一 ) 茶 道 文 化 研 究 第 3 輯 裏 千 家 今 日 庵 文 庫 編 集 茶 道 総 合 資 料 館 1988 林 屋 辰 三 郎 編 角 川 茶 道 大 事 典 角 川 書 店 2002 久 松 真 一 茶 道 の 哲 学 講 談 社 1987 蛭 川 立 彼 岸 の 時 間 春 秋 社 2002 福 良 宗 弘 茶 の 湯 の 心 理 彰 国 社 1999 藤 原 成 一 癒 しの 日 本 文 化 誌 法 藏 社 1997 古 田 紹 欽 茶 の 湯 の 心 茶 禅 一 味 の 世 界 禅 文 化 研 究 所 2001 松 下 智 橋 本 実 鈴 木 良 雄 南 廣 子 Q&A やさしい 茶 の 科 学 淡 交 社 1995 渡 辺 公 三 レヴィ=ストロース 講 談 社 1996-57 -